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February 6, 2012
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カテゴリ: 教授の読書日記

 大谷能生著『植草甚一の勉強 1967‐1979全著作解題』(本の雑誌社・1600円)を読んでいたら、ステキな文章に出会いました。

 1970年代、ジャズ評論家として、あるいは映画・ミステリ評論家として、いや、街を徘徊してポップでキッチュな品々を探し出しては買い求める、そんな消費の楽しみを語って若者たちの間でカリスマ的な人気を誇った面白いオジサン、植草甚一氏については、既に色々な人が語り尽くしている感がありますが、しかしそんな植草氏も、もちろん最初からカリスマであったわけではなく、むしろ彼の書くもの、彼が面白いと思うものが理解されず、鬱々としていた時期もあった。そんな、植草氏が「グレて」いた頃のエピソードを、映画評論家の淀川長治氏が語っている文章があって、これがたまらなくいいんですわ。以下にその部分を引用します。


 戦争前に、映画の宣伝関係の人達が集まる会があったの。30人くらいお座敷に集まるのね。甚ちゃんおとなしくしていらっしゃるんだけど、一所懸命膝の下で何かしているから「甚ちゃん、あんた何してるの」といったら、「長さん、ぼくちぎってるの」いうんですよ。座布団を爪でどんどん破ってるの。料理屋のきれいな座布団をですよ。黙って黙ってやってる。
 つまり人が好きで人が怖くて人が嫌いだっていうの。気に入らない人にはものもいいたくないの。気に入らない人がいっぱいいたのね。相手がバカだからしゃべったら腹が立つのね。で、しゃべらないでいっぱい飲んでるから酒が強くなるのね。
 僕が止めなさいっていったら、黙ってスーっと床の間に行って、きれいな掛け軸の仙人の顔に髭つけたのね。料理屋大変でしょう。ぼく怖くなって黙っちゃった(笑)。
 いつも帰り「長さん一緒に帰ろう」っていうの。ぼく酒飲まないから「長さんコーヒー飲みましょう」っていうのね。で、喫茶店に入るわけね。コーヒー注文するでしょ。コーヒー出てきますでしょ。それで、ぼくの顔見て黙ったまま、そのテーブルをガチャンとひっくり返すんです。他のお客さんもいるんですよ。ぼくがビックリして「アンタ」いうと「これでいいんです」って済ましてるの。ぼくが「あれ弁償しますから」と店の人にいうと「いいんです。あの人いつもあれだから知ってますよ」っていう。甚ちゃんはケロッとして「それでは長さん出ましょう」という。とにかく自分はしょっちゅう遠慮しいだから、そういうところでハケるのね。それがぼくにはよく分かるのよ。だから私は好きでしたね。(・・・・)
 甚ちゃんは本を読んで読んで読みまくっている学者だから、そういう学問の相手が映画界にいないのよね。だから学がハケないの。ぼくは尊敬すると同時に、子守りの役もやったよね(笑)。(106‐107頁)


 淀川さんに「甚ちゃん、あんた何してるの」と問われた植草さんが、「長さん、ぼくちぎってるの」と答えるくだりとか、もう、耐えられないほど可愛いというか。そして、そんな困ったちゃんの植草さんのことを本当によく理解して(「つまり、人が好きで人が怖くて人が嫌いだっていうの」・・・)、「だから私は好きでしたね」と言う淀川さんの優しいこと。この淀川さんの植草さんについての思い出一つ、これ一つ知っただけで、この本は私にとって買うに値しましたね。

 とはいえ、もちろんこの他にも、植草さんの本質的な部分について著者の大谷さんが言及・指摘していることで、深く納得できる部分も沢山ある。

 中でも一番納得したのは、植草さんのニヒリズムについて云々しているところ。大谷さんによれば(というか、大谷さん自身、他の方たちが指摘していることを引用しながら述べているのではありますが)、植草甚一という人は、何か根源的なものを追求したり、それに惑溺することがない、と言うんです。例えば、植草さんの映画評は、淀川長治さんの映画評とは異なって、映画を見た興奮や感激に浸り切り、そこで得たものを書き尽くそうというところがないと。

 同じことは彼の自伝的文章にも言えるので、植草さんは自分の過去を語りながら、自分のルーツであるはずの親のこと(とりわけ肉親の死)にはほとんど触れていないし、例えば二・二六事件などの大きな出来事を直接見聞きしていながら、そうした社会的・政治的ビッグイベントから何の感慨も受けていないかに見えるんですな。彼の筆は、自分という人間を形成したはずの事々の記憶に触れながらも、そこを深く追求していくことはせずに、あてどもない連想をたどって、すぐに別な最近の記憶や、別な対象に飛躍してしまう。

 で、そんなところから伺うに、要するに植草甚一という人は、真理や道徳や倫理や信仰といったものには頼らず、「その場その場の個人的な歓びを、世界の果てにあるだろう至高の価値よりもはるかに高く見積もる」(157頁)ような、徹底したニヒリストだったのだろう、というのですな。で、そういう意味では、植草さんは、例えば永井荷風や成島柳北などに代表される江戸っ子文化人の系譜に連なるのだけれど、しかし、植草さんが彼らと決定的に異なるのは、植草さんには永井荷風や成島柳北にはある強烈な「自我」が、まったくないことだと。

 だからこそ、と言うべきか、植草甚一にとって興味があることというのは、「「生」や「死」や「歴史」といった一回性のものではなく、映画や小説やレコード、おもちゃや切手やファッションといった、入れ替えのきく人工的な文物ばかり」(55頁)だ、と、大谷さんは指摘しています。

 うーん、このあたりの指摘は、植草甚一という人を理解するに当たって、なかなか鋭い観点になりそうじゃないですか。

 しかし、そんなニヒリストは、その人自身はいいとして、たとえばその奥さんから見たらとんでもない、そして掴みどころのない自己中心的な人間ということになるわけで、実際、本書に掲載された植草甚一夫人の梅子さんの植草評(257‐261頁)なんて、ほとんど夫に対する呪詛というに近い。これまた、背筋の凍るような、それでいて最初に挙げた淀川長治氏の植草評と同じくらい植草甚一という人を表した述懐だと思います。

 ということで、この本、植草甚一氏のファンであるならば、手に取って損はないと思います。教授のおすすめ!と言っておきましょう。


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Last updated  February 6, 2012 11:16:54 PM
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