怒り
の迷信:クリスチャンの場合
実は、クリスチャンにとっても怒りに関する迷信があります。それは、「 クリスチャンは、怒ってはいけない
」という考え方です。 クリスチャンだから…すべきだ
、という迷信に惑わされ、怒りを感じつつもその感情を押し殺し我慢して、まるで何もなかったかのように振る舞うことがあります。
クリスチャンであっても生身の人間ですから、腹を立てることもあるでしょう。もし誰かから理不尽な扱いを受けたり、悪意を持った攻撃を受けたのにもかかわらず、まったく怒らずにニコニコしていたら、それはもうクリスチャンかどうか以前に人間らしくありません。 本当は怒らなくてはならない場面
でも、いつも笑顔で清く正しく美しいクリスチャンを演じてしまうことで、疲れ果ててしまうのです。
●迷信への処方箋
そのような迷信に苦しんでいる方は、怒りには2種類あることをぜひ覚えておくと良いでしょう。 1.良い怒り
と、 2.悪い怒り
です。
1.良い怒り
「えぇ!?怒りに、良い怒りがあるの??」とビックリする方が多いようです。良い怒りとは、怒ることによって、「 誤りを正し、二度と同じ過ちが起きないように
」する目的があります。人は「怒り」をもって、 注意深くなり
、トラブルに巻き込まれるのを(もしくは再発を) 未然に防ぐ
ことが出来るのです。
主イエスも怒られました
。律法学者たちやファリサイ派の人々を 「偽善者」「白く塗った墓」「蛇」「蝮(まむし)の子ら」(マタイ23章)
と呼び、怒りをもって対決されました。また、神殿の境内で商売していた人々に対して怒り、追い出し、両替人の台や鳩を売る者の腰掛けをひっくり返して、こう言いました。 「わたしの家は、すべての国の人の祈りの家と呼ばれるべきである。』ところが、あなたたちはそれを強盗の巣にしてしまった。」(マルコ11:15-17)
しかし、主イエスは彼らを憎んでいたから腹を立てたのではありません。 命をかけるほどに愛していたからこそ、真実を伝えた
のです。 「むしろ、愛に根ざして真理を語り」(エフェソ4:15)
、彼らを諭そうとされたのです。
しかしながらそうであっても、人は時に理不尽な痛みを受けます。裏切られ、バカにされ、ウソをつかれ、だまされ、無視され、つけこまれ、恥をかかされ、脅され、暴力を振るわれることは、人生にあるでしょう。
そのような罪深い間違った行動に対して、私たちのうちに生まれる「怒り」という感情は、ある意味、 神様から与えられた素晴らしい能力の一つ
でしょう。 怒りを通して、何が間違っていて何が正しいのかを区別することが出来るからです。わたしたちが深刻な被害に遭わないように、守ってくれている
のです。
■悪い怒り
しかし、問題なのは「間違った 悪い怒り
」です。
主イエスによって、真実を告げられすべて図星であったことに腹を立てた祭司長たちや律法学者たちは、どのようにしてイエスを殺そうかと陰謀を企て始めました。 彼らの怒りは、愛に根ざしたものではなく、イエスに対するねたみと嫉妬によるもの
でした。
祭司長、律法学者たちはこれを聞いて、どうかしてイエスを殺そうと計った。彼らは、 群衆がみなその教えに感動していたので
、イエスを恐れていたからである。(マルコ11:18)
あの総督ピラトですら、祭司長たちがイエスを引き渡したのは 「ねたみのためだ」と気づいていました(マルコ15:10)
。その怒りを燃やし続けた結果、彼らは嘘の裁判をでっちあげ、民衆を扇動して、まったく無実のイエスを十字架の刑に処してしまったのです。
あなたを苦しめる怒りは、 愛に根ざしたもの
でしょうか、それとも、ねたみやしっとなどの 自己中心的な心
から生み出されたものでしょうか。そ の二つをはっきりと区別
しながら、怒りの問題に対処しましょう。
DAY13へつづく
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バックナンバー:
DAY1 罪悪感はどこから?
/ DAY2 なぜ罪悪感を持ち続けてしまうのか
/ DAY3 罪悪感という罠に陥ってしまうのはなぜ?
/ DAY4 罪悪感に陥りやすいタイプ1
/ DAY5 罪悪感に陥りやすいタイプ2
/ DAY6 罪悪感に陥りやすいタイプ3
/ DAY7 罪悪感に陥りやすいタイプ4
/ DAY8 罪悪感に陥りやすいタイプ5
/ DAY9 怒りへの処方箋
/ DAY10 怒りにまつわる迷信
/ DAY11 怒る練習
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