全387件 (387件中 1-50件目)
有機おやさい まごころ産直便!長崎を中心に九州の新鮮!感動!オーガニック野菜などの幸せ定期便!「農家さんからのおすそわけセット」長崎からの新鮮野菜の定期便が始まります!食材11品のセット2,890円相当を、今ご予約すれば1,980円で入会金が無料です(送料別)。長崎うまかもんネットの店長が、農家さんの畑をまわり食べて美味しかったものだけを、農家さんにお願いをして特別におすそわけをさせていただきました!そしてついに、『有機おやさい まごころ産直便!~長崎中心に九州からオーガニック野菜などの幸せ定期便~「農家さんおすそわけセット」』がついに実現いたしました!今ご予約くださった野菜ボックスの記念すべき第一便は3月27日(水)に発送予定です。また、今なら入会金・年会費が無料で、さらに旬のフルーツ「西海デコポン」のLサイズを3個もプレゼントいたします!今ご予約すれば、入会金・年会費無料で会員となり、1.現地の農業の活性化、2.農家さんへの励まし、3.若者の就農支援、4.次世代の子供たち食育などの「農と人を育む」取り組みにご参加いただけます。さらに、定期的に発行されるニュースレターを通して、生産者さんと農家さんのお互いの顔が見える温かい交流>ができます。そのような温かく高い意識を持たれる会員のみなさまへの、特別割引価格でうまかもん野菜ボックスを定期便にてお届けいたします。初回ご予約され会員になると、次回より定期便を「隔週」か「毎週」をお選びいただけます。もちろんキャンセル料は一切かかりませんので、これを機会にお試しください。2回目以降は新鮮感動食材11品を、なんと2,890円(税込・代引き手数料無料・送料別)で「毎週」か「隔週」で定期便にお届けいたします。長崎から九州のオーガニック栽培などの、春、夏、秋、冬と、年間を通しての旬のとれたて新鮮野菜や、西海の美味しいフルーツなどお楽しみいただけます。今回、店長が農家さんから皆様のためにおすそわけいただいた食材は以下の通り「南島原のシャキ甘新玉ねぎ」「赤土ほっくりジャガイモ」「オランダさん江戸アスパラ」「春らんまん甘姫キャベツ」「長崎生まれアメリカ帰りのセニョールブロッコリー」「濃くあまっ娘ミニトマト」「清水のふわトロ濃厚こだわり寄せ豆腐」「塚ちゃん雲仙岳湧水たまご」「外海灘の寒風天日ゆで干し大根」「いざないのともしび西海デコポン」そしてプラス「サプライズ野菜」(届いてからのお楽しみ)ヒント:年に一度今しか味わえない、ハウス栽培できないあの野菜です『「有機おやさい まごころ産地直送便!」~長崎を中心に九州から新鮮!感動!グルメ!野菜の定期便~「農家さんからのおすそわけセット」』長崎からの新鮮野菜の定期便が始まります!です(送料別)。長崎うまかもんネットの店長が、農家さんの畑をまわり食べて美味しかったものだけを、農家さんにお願いをして特別におすそわけしていただいて「農家さんおすそわけセット うまかボックス」がついに実現いたしました!ご予約くださった野菜ボックスの記念すべき第一便は3月27日(水)に発送予定です。 ↓ ↓ ↓http://umaka777.net/?pid=56581249
2013.03.23
寒い冬に心ポカポカ温まる短編ノベル『天国からのクリスマスカード』が、無料で限定公開されます!クリスマス特別企画!12月22日~25日までの3日間だけ、寒い冬に心ポカポカ温まる短編ノベル『天国からのクリスマスカード』が、無料で限定公開されます!長崎うまかもんネット本店のトップページからダウンロード購読できますヨ! http://umaka777.net/ あらすじ:雪の降るクリスマスシーズンに届いていた1通のクリスマスカード。その差出人は2か月前に天国へ行ったはずのおじいちゃんだった。そこに込められた感動のメッセージとは...「とっても感動した!」というご感想をいただいております!【期間限定でオリジナル短編ノベル『天国からのクリスマスカード』無料購読&無料ダウンロード】は、残すところ本日25日の一日だけ!昨日までに、すでに35名の方々にダウンロード頂いています!ありがとうございます!今日の夜12時まで無料購読やダンロードができますヨ」!コチラから↓ ↓http://umaka777.net/
2012.12.25
《罪悪感への処方箋 Day 17》「周囲の人々も私と同じように報いを受けるべきだ」というような間違った信念に対して、聖書の真理に対する信仰はこうです。信仰3.「神様、恵みにより無償で、わたしの罪を赦し、永遠の命をお与えくださりありがとうございます」わたしたちの信仰に報いてくださるのは神様だけです。その証拠に父のふところにいた独り子イエス・キリストがあなたの救いのためにこの地上に遣わされてきま した。あなたの罪をあがないその泥沼から救い出すために、キリストは十字架で命を捧げてくださったのです。ヨハネ3:16節には、「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」と記されています。あなたを愛するがゆえに最も大切な御子イエスの命が捧げられ、最も高価な血潮が流されたのです。もし自分だけの思いで、悪に対しては悪で報いようとすれば、結局のところ 神様に対して罪を犯してしまうことになります。聖書はこのように戒めています。「だれも、悪をもって悪に報いることのないように気をつけなさい。お互いの 間でも、すべての人に対しても、いつも善を行うよう努めなさい」(1テサロニケ 5:15)。「悪をもって悪に、侮辱をもって侮辱に報いてはなりません。かえって祝福を祈りなさい。祝福を受け継ぐためにあなたがたは召されたのです」(1ペトロ3:9)。 聖書またはこのように言っています。「罪が支払う報酬は死です。しかし、神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスによる永遠の命なのです」(ローマ6:23)。私たち人間はみな罪のゆえに死という報いを受けるべき受けるべき存在でした。しかし、罪をあがなってくださったイエス・キリストを信じることによって、無償で罪が赦されて永遠の命を賜物として受けることができるのです。 2コリン ト5:10はこう言っています。「なぜなら、わたしたちは皆、キリストの裁きの座の前に立ち、善であれ悪であれ、めいめい体を住みかとしていたときに行っ たことに応じて、報いを受けねばならないからです」。これは、キリストを信じなければそれに対する報いを受けてしまうが、キリストを信じ従うならばそれに 応じて善い報いを受けることができることを言っています。そういうわけで、私たちクリスチャンは神さまが報いてくださることを信じ、信仰によって委ねることが大切です。「信仰がなければ、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神が存在しておられること、また、神は御自分を求める 者たちに報いてくださる方であることを、信じていなければならないからです」(ヘブライ11:6)。イエス・キリストはわたしたちの罪を 担って十字架で苦しまれたことにより、すべての人の「友」となってくださいました。さらには、キリストを信じた人々を「神の子ども」(ローマ8:14)とし、神の家族の一員としてくださるのです。その神の子とする霊によってわたしたちクリスチャンは、神さまを「アッバ、父よ」と呼ぶ特権が与えられました。(ローマ8:14)ローマ8:17はこうも教えています。「もし子供であれば、相続人でもあります。神の相続人、しかも キリストと共同の相続人です」。クリスチャンが神の御国を相続するという言葉の意味は、罪の赦しを受けて永遠の命を受けた私たちが、天国において父なる神さまとの親しい交わりを永遠に持つことができるということです。主イエスが父のふところにいたように、わたしたちも大胆にその愛のふところに飛び込んで行くことができます。つまり、主イエスが父の愛を100%知っていたのとまったく同じように、わたしたちもその愛に100%浸ることができるのです。主イエスは天の父にこのように祈られました。「父よ...あなたがくださった栄光を、わたしは彼らに与えました。わたしたちが一つであるように、彼らも一 つになるためです」(ヨハネ17:21-22)。 またこのように祈られました。「父よ、わたしに与えてくださった人々を、わたしのいる所に、共におらせてください。それは、天地創造の前からわたしを愛して、与えてくださったわたしの栄光を、彼らに見せるためです」(ヨハネ17:24)。この主イエスのとりなしの祈りによって、私たちは主イエスと共同の恵みの相続人とされたのです。 その将来の約束の希望を胸に、この地上での生涯においても愛、喜び、平 安、感謝、という素晴らしい良いものだけで満たしてくださっています。この地上で神様に喜ばれることはすべて天に宝として蓄えられます。それは決して虫が ついたり錆びついたり朽ちたりすることがない永遠の宝です。御国を受け継ぐとはそういうことであり、その素晴らしい報いをすでに溢れるほど豊かに受けているのです。「あなたがたは、御国を受け継ぐという報いを主から受けることを知っています。あなたがたは主キリストに仕えているのです」(コロサイ 3:24)。 にほんブログ村
2010.12.23
【ゆるしの40日--DAY 21--】 ●いやし=(イコール)交わりの回復魂のいやしとは、罪の告白とゆるしによって神様との交わりが回復することです。これは神様との敵対関係にあった人間と神様との間に和解がもたらされることであたえられるいやしです。ま た、罪が赦されるだけではなく、神様は永遠の命を約束してくださっています。「死」が人生の終わりではなく、その向こう側に永遠の世界があることをを主イ エスは教え、天国を約束しています。「わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろう か。行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることにな る」(ヨハネ14:2-3)。主イエスが、この地上において宣教活動の中で「いやしのミニストリー」を行った目的は、人々がその偉大なる 神の御業を目撃することで、神様信じて救いに導かれることです。繰り返し言いますが、救いとは神様との関係の回復です。さらには、いやしを通して、神の栄 光が讃えられることが目的です。主イエスにいやされた盲人のように、いやされたことを通して、主イエスの後ろに従いながら神様を賛美しました。も し単に、肉体のいやしだけが目的となってしまうのならば、人間はどうせいずれ死んでしまうのですからそのいやしに意義をみいだせなくなってしまいます。ど れだけ病気がいやされて快適な人生を謳歌したとしても、いずれ死んでしまうのですか、とても空しいものです。罪のゆるしと永遠の命を受けることが、魂のい やしをもたらし、この地上で平安に守られる人生を最後まで過ごすことができるのです。ヤコブ5:16は罪のゆるしこそが魂のいやしであることを、このように言っています。「主にいやしていただくために、罪を告白し合い、互いのために祈りなさい。正しい人の祈りは、大きな力があり、効果をもたらします」(ヤコブ5:16)。 DAY22「いやし=交わりの回復」へ続く にほんブログ村 ※ゆるしの40日バックナンバーDAY 1 ゆるせない苦しみ/DAY 2 クリスチャンでもゆるせない?/DAY 3 ゆるしは皆、必ず必要?/DAY 4 「ゆるし」が、どうしても必要な理由(わけ)/DAY 5 キリストの苦しみは誰のため?/DAY 6 どれほどの苦しみだったのか/DAY 7 十字架の苦しみ/DAY 8 十字架の痛み/DAY 9 二つの音の狭間で/DAY 10 ド真ん中にあるもの/DAY 11 あなたへの問い/DAY 12 二つの意味/DAY 13 条件付vs無条件/DAY 14 アメイジング・グレイス/DAY 15 あのゆるしを覚えていますか/DAY 16 ゆるしに有効期限?/DAY 17 ゆるしが取り消し?/DAY 18 もし、ゆるす、としたなら/DAY 19 高すぎない?そのハードル/DAY 20 いやしはどこから?
2010.12.15
《罪悪感への処方箋 Day 16》間違った信念3.周囲の人々も、わたしと同じように報いを受けるべき人は生まれながらに見返りを求める性質を持っています。それは、「これぐらいしてくれたら、わたしもこれぐらいしてあげよう」、「〇〇をしてくれないなら、わたしも〇〇をしてあげない」、というような条件付の人間関係を生み出します。この見返りを求める性質は、ねたみや嫉妬の原因になってしまいます。それは、「せっかく、わたしがこれだけしてあげたのに、あの人は何もしてくれない。お礼もない。感謝もなければ、ねぎらいの言葉もない」というように、批判的になり人を裁き始めるです。こ の見返りを求める感情は、裏を返してみれば復讐心にも発展してしまいます。「これだけわたしが苦しんだのだから、あの人もこの人も苦しむべきだ」、「わたしを苦しめたあの人に、同じ苦しみを味わって欲しい」という感情です。これは悪意を持って相手を陥れたり、言葉や行動によって意図的に他者を傷つけること へとエスカレートする危険性があるのです。しかし、聖書はこのように言っています。「復讐してはならない。民の人々に恨みを抱いてはならない。自分自身を愛するように隣人を愛しなさい。わたしは主である」(レビ記19:18)。私 たち人間はみな例外なく罪人であり、神様の裁きを受けるべき身です。ローマ6:6はイエス・キリストを信じることによって罪がゆるされることの恵みをこう 言っています。「わたしたちの古い自分がキリストと共に十字架につけられたのは、罪に支配された体が滅ぼされ、もはや罪の奴隷にならないためであ る...」。このように、私たち人間を罪に定めることができるのは神様だけであり、私たち人間を裁くことができるの は神様だけであり、私たち人間の罪を赦し裁かれないようにしてくださるのも神様だけです。ですから聖書はこのように言っています。「愛する人たち、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい。「『復讐はわたしのすること、わたしが報復する』と主は言われる」(ローマ12:19)。ま た、主イエスご自身がこう戒めています。「剣をさやに納めなさい。剣を取る者は皆、剣で滅びる」(マタイ26:52)。イエス・キリストの恵みと憐れみに よって一度救われ罪を赦されたにもかかわらず、他人を裁くことで再び自分の手で罪を犯してしまうことのないようにとの愛に満ちた神様の配慮がそこにあるの です。ヨハネの手紙第一3:14節はこう言っています。「わたしたちは、自分が死から命へと移ったことを知っていま す。兄弟を愛しているからです。愛することのない者は、死にとどまったままです」。このように、「周囲の人々も私と同じような報いを受けるべきだ」という信念を握りしめている限りは、その信仰は死んだも同然なのです。しかし、「主はわたしに報いてくださった」と、救いと赦しと憐れみと愛と平安と永遠の命などの、既に与えられている溢れるほど豊かな恵みを数え、心から感謝するなら、わたしたちはもはや人から何を得ようと苦しみことなく平安と喜びで満たされるのです。 にほんブログ村
2010.12.10
そのうわさ話はいつまで続けるつもりですか。聖書は今、このように戒めています。「愚かな議論、系図の詮索、争い、律法についての論議を避けなさい。 それは無益で、むなしいものだからです」(テトス3:9)。 キリストの体である教会という場所で、恵みとして与えられた神の家族との交わりの中で、人の悪口、非難、中傷、陰口をいつまで続けるのですか。最近聞いた信じられない話ですが、ある教会の礼拝後の交わりの中で誰かの奉仕のあり方についてや、他のグループの活動について悪いうわさ話を延々としているクリスチャンがいたそうです。そこをうわさ話をされている当人が通りかかると、「まずいぞ!」とばかりにあわてて話題を変えたそうです。悲しいかな、その様子はとても、教会であった出来事とは思えませんよね・・・。しかし、残念ながら現実のようです。それではもう交わりの主であるイエス・キリストが不在の社交クラブや仲良しサロンのようなものであり、もはや教会の交わりではありません。人はなぜうわさ話をするか知っていますか。ある人は、人から愛され認められたいという思いから「共通の敵を仕立て上げることで 仲間を得よう」とします。また、ある人は、優越感に浸りたいがために「誰かを非難することで 自分を正当化しよう」とするのです。しかし、あなたが知らなくてはいけないのは、あなたの口からすでに出てしまったその悪いうわさ話の炎は森全体を焼き払ってしまうほどに、取り返しがつかないほどに、今この瞬間も人から人へと猛スピードで広がり続けているという罪がもたらす恐ろしい結果です。映画『ダウト』で、主人公がこのように言いました。「屋上にあがり、 あなたの枕をナイフで切ってみよ。 風で町中に舞い散った羽毛を、 下に降りてすべて拾い集めてみよ。 二度とかき集めることができない その一つ一つの羽毛こそが、 あなたの口から出た、うわさ話なのだ」ヤコブ3:6はこのように言っています。「舌は火です。舌は『不義の世界』です。 わたしたちの体の器官の一つで、 全身を汚し、移り変わる人生を焼き尽くし、 自らも地獄の火によって燃やされます」また、このように言っています。「わたしたちは舌で、父である主を賛美し、 また、舌で、神にかたどって造られた人間を呪います」(ヤコブ3:9)。本来は、神様を賛美するために与えられた神聖なる口であるにもかかわらず、悪口や陰口を言う人間の罪深さを語っています。うわさ話はキリストの体を傷つけ、再び主の御体を十字架で引き裂く恐ろしい行為です。あなたがすでにしてしまった取り返しのつかないそのような罪をも主イエスは担って十字架であがなってくださいました。悔い改めて、あなたの口を神様に喜ばれる道具として用いるために、人生を180°方向転換するなら今です。 にほんブログ村
2010.12.08
【ゆるしの40日--DAY 20--】●いやしはどこから?神様は「いやし主」です。わたしたち人間は、自分自身の罪のゆえに苦しみますが、その罪を背負ってイエス・キリストは「ゆるし」の目的で十字架で命を捧げてくださいました。私たち罪人が受けるべき罰を、主イエスが身代わりとなって受けてくださったのです。そのことをイザヤはこのように預言していました。「彼(イエス)が刺し貫かれたのは、わたしたちの背きのためであり、彼が打ち砕かれたのは、わたしたちの咎のためであった。彼の受けた懲らしめによって、わたしたちに平和が与えられ、彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた」(イザヤ53:5)。ですから、わたしたちは、神様からゆるされることによっていやされるのです。神様のいやしは三つの種類に大きく分けることができます。いやし1.肉体のいやし。主イエスはこの地上での宣教活動の中で、大勢の病気のひとたちをいやされました。マタイ4:23では「イエスはガリラヤ中を回って、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、また、民衆のありとあらゆる病気や患いをいやされた」と、神の権威によって病人をいやした様子が証しされています。いやし2.心のいやし。主イエスは、わたしたちの心の傷をいやし、回復させてくださいます。十字架をとおして私たち人間が体験しうるあらゆる苦痛を味わわれた主イエスが、私たちの痛みを理解し、一緒に痛んでくださるお方です。ヘブル4:5はこのように言っています。「この大祭司(キリスト)は、わたしたちの弱さに同情できない方ではなく、罪を犯されなかったが、あらゆる点において、わたしたちと同様に試練に遭われたのです」(ヘブル4:15)。例えば、料理をしていて包丁で指を切ってしまったとしても、ある程度の時間がたてば傷口はふさがり元通りになります。しかし、心の傷の場合は時間がたってもなかなか癒えません。人によっては、一生涯その傷を背負ったままの人もいます。「誰もわたしの痛みをわかってくれない」というもどかしさと孤独感が私たちを苦しめます。誰かから自分の存在そのものを否定されたように感じ、「わたしは必要とされていない。役にたたない。生きていても意味がない」と苦しむのです。しかし、主イエスが「一緒に苦しんでいる」という事実が、「わたしは独りではない。わたしの痛みを理解してくださるお方がいる」という非常に大きな励ましと慰めとなり、心の傷はいやされるのです。いやし3.魂のいやし。体と心との両方の傷がいやされたとしても、魂がいやされなければ何の意味もありません。私たち人間は神様から命の息を吹き入れられた霊的な存在であり、体 (Bod)と心(Mind)と魂(Spirit)の三つがそろって初めて一人の人間とされます。第一テサロニケ5:23はそのことをこう言っています。「どうか、平和の神御自身が、あなたがたを全く聖なる者としてくださいますように。また、あなたがたの霊も魂も体も何一つ欠けたところのないものとして守り、わたしたちの主イエス・キリストの来られるとき、非のうちどころのないものとしてくださいますように」(5:23)。このように体と心と魂はお互いに密接に関係しあっていますから、魂が苦しめば心が痛み、その苦しみと痛みが慢性化すると健康にも悪影響を及ぼしかねません。また、魂がいやされていない状態だと、病気や怪我などで体を痛めると、心も深く落ち込んで悩むことになります。「病気で死んでしまうのでは」「かさむ医療費が不安」「仕事を休まなくてはいけないし、生活していけるだろうか」などと、様々な将来への極度の心配や不安によって直るはずの病気も悪化することもあります。「病は気から」という言葉がありますが、魂のいやしによる「神の平安」が心を支配していれば、体と心のいずれかが悪い状況にあったとしても、平安で守られるのです。DAY21「いやし=交わりの回復」へ続く にほんブログ村 ※ゆるしの40日バックナンバーDAY 1 ゆるせない苦しみ/DAY 2 クリスチャンでもゆるせない?/DAY 3 ゆるしは皆、必ず必要?/DAY 4 「ゆるし」が、どうしても必要な理由(わけ)/DAY 5 キリストの苦しみは誰のため?/DAY 6 どれほどの苦しみだったのか/DAY 7 十字架の苦しみ/DAY 8 十字架の痛み/DAY 9 二つの音の狭間で/DAY 10 ド真ん中にあるもの/DAY 11 あなたへの問い/DAY 12 二つの意味/DAY 13 条件付vs無条件/DAY 14 アメイジング・グレイス/DAY 15 あのゆるしを覚えていますか/DAY 16 ゆるしに有効期限?/DAY 17 ゆるしが取り消し?/DAY 18 もし、ゆるす、としたなら/DAY 19 高すぎない?そのハードル
2010.12.06
神様の愛を誰かに伝えることに臆病になり自信を失ってはいませんか。 エフェソ3:17はこのように言っています。 「信仰によってあなたがたの心の内にキリストを住まわせ、あなたがたを愛に根ざし、愛にしっかりと立つ者としてくださるように」(エフェソ3:17)。わたしたち人間は罪びとですから、もともと「愛」が何であるかもわからずに生きていました。愛とは神様そのものであり、真実の愛は、イエス・キリストの十字架を通して初めてわたしたち人類に現されたのです。 もし、いまあなたが 「なかなか、あの人を愛せない」、とか「この人に神の愛を伝えて、拒否されたらどうしよう」とか 不安の中にあるということはもしかしたら一つ重大なことを忘れてしまっているのかもしれません。 その重大なこととは「生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです」とガラテヤ2:20が証している事実です。クリスチャンであるあなたの内にはキリストが住んでくださっています。もし、その事実をいま、ふたたび認めもういちど受け入れるならば、あなたにはえもいわれぬ勇気と平安が与えられるはずです。あなたの内に住むキリストがあなたの家庭、学校、職場においてかかわるすべての人たちを愛してくれるのであれば何も恐れるものはないからです。あなたの内に住まわれるキリストをしっかりと見つめ続けるなら、あなたは愛に根ざし愛ににしっかりと立つ者へと作り変えられるという、聖書の約束です。あなたの内に住むキリストをいまどのように見つめていますか。 にほんブログ村
2010.10.27
最初から、 「わたしにはできない」とあきらめてはいませんか。フィリピ3:13はこのように言っています。「わたしを強めてくださる方のお陰で、わたしにはすべてが可能です。」(フィリピ3:13) もちろん、 全能なる神様の前で「わたしにはできません」と認めつつ「神様、あなたには何でもおできになります」と告白することはとても重要です。なぜなら、神様はあなたの弱さの中でこそ力強く働くからです。逆に、「わたしにはできる」という高慢さが神様の働きを妨げる場合もあります。 いずれにせよ、神様の御前に立つ前に最初から「できない」とあきらめてしまっては、もともこもありません。なぜなら、神様はあなたを通して働かれる、共同作業だからです。ですから、いつもこれらの二つフレーズをセットで心に刻みましょう。「わたしにはできないことも、神様にはなんでもできる」と。謙遜と傲慢は紙一重です。「できません」とあきらめる前に、「すべてを可能とされる神様」があなたの内に働かれることを感謝しましょう。神様にはできることなのにも関わらず、あなた自身だけが一方的にできないとあきらめているものは何ですか。 にほんブログ村
2010.10.08
日本バプテスト連盟 小倉キリスト教会の公式ホームページが移転に伴いリニューアルしました。新しいサイトのアドレスはhttp://kokura.jpn.org/です。 (旧:http://kokurabaptistchurch.radilog.net/)これまで使用していたプロバイダーが不況のため8月いっぱいで閉鎖を決断したようです。これまでの約6年間本当にお世話になりました。トータルで4万2千3百余名のたくさんの方々が閲覧利用してくださった恵みを心から主に感謝します。現在ではホームページを見て教会に訪問される方も毎年100名にものぼります。新しいサイトは再びゼロからのスタートで、まだ完成ではないですが、引き続きご利用いただければ幸いです。教会サイトの編集作業に結構な時間がかかってしまい、ブログのほうもしばらく更新できていない状況ですが、ひと段落できますようお祈りください。お手数ですが、新アドレスのブックマーク登録をよろしくお願いいたします。新アドレスはhttp://kokura.jpn.org/です。 それでは、皆さまお一人お一人の上に主の祝福が豊かにありますようお祈りしてます。角本尚彦
2010.08.31
□一言レシピ♪ 山登りは、頂上に至るまでの途中の様々な道のりに景色があるからこそ頂の景色はより美しくなる。あなたの人生の山頂にたどり着くまでのプロセスを大いに楽しみまショ♪ にほんブログ村
2010.08.11
■一言レシピ♪ 人生を変えたいだけでも、なかなか変えれない。 でも本当は、心のどこかで変わることを恐れてはいませんか。 もともと人間は生まれながらにして 変わり続ける者。 そろそろブレーキから足を離して ただ自然体で変化を楽しんでみては。 にほんブログ村
2010.08.05
「専念すべき一つのこと」 教会の目的3.成熟(パート2) 教会は神の家族として共に成長するために支援の場を提供します。 主イエスも3年数ヶ月の伝道活動の中で力を入れたのが、弟子づくりでした。12人の弟子を選び、教え、育て、導くことに専念されました。同様に教会においても、キリストの弟子を育てる目的で学びの場が与えられています。 教会学校での聖書の学びや、礼拝での聖書メッセージ、各小グループでの聖書の学びなど、すべては神の御心に献身し従順に仕える主イエスの模範に向かって成熟するためです。2ペトロ3:18は「わたしたちの主、救い主イエス・キリストの恵みと知識において、成長しなさい」と教えています。 にほんブログ村[目的主導ブログ] ★『目的主導の教会への道』 について、もっと詳しく知りたい方は、こちらも合わせてお読みください。>>http://blog.goo.ne.jp/kokurachurch/↑小倉キリスト教会でのケーススタディー Purpose Driven Fellowship ~牧 師やリー ダーのための3ヵ年PDトレーニング・プログラム~>> サイト http://pdfellowshipjapan.blogspot.com/『健 康な教会を建て上げるために』~牧師やリーダーのための3年セミナープログラム~講師:デイブ・ホールデン>> イントロダクション・セッション、メインセッション1のプログラム詳細
2010.08.04
「献身と 従順のバロメーター」教会の目的2.「祈り」(パー ト4) 祈りは、神の御心に対 する献身と従順のバロメーターです。わたしたちは、いかに神様のご計画に献身し、御言葉に従順に従っていくべきかを、祈ることを通して学びます。 「学ぶ」とは、主イエスの祈る姿から「真似ぶ(まねぶ)」ということです。主イエスは、祈りに満ち溢れた生き方を自ら模範と して弟子たちに示されました。「朝早くまだ暗いうちに、イエスは起きて、人里離れた所へ出て行き、そこで祈っておられた」(マルコ1:35)こともあれ ば、「イエスは 祈るために山に行き、神に祈って夜を明かされた」(ルカ6:12)というときもありました。 いよいよ捕らえられる晩には、ゲッセマネの園で御心を主イエスは切に祈りました。「アッバ、父よ、あなたは何でもおできになります。この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように」(マルコ14:36)。いつも父なる神の御心を求め、その御心 に従いぬいた主イエスの献身と従順の結果として、私たちに素晴らしい救いがもたらされました。主イエスは「わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするようにと、模範を示した」(ヨハネ13:15)のです。 もしあなたが、祈りを持って神様の御心に献身し、従順になるならば、キリストを復活させた神の力が同様にあなたの人生 に働き、人間の思いや計画を超えた神の御業が実現していくのです。 にほんブログ村[目的主導ブログ] ★『目的主導の教会への道』 について、もっと詳しく知りたい方は、こちらも合わせてお読みください。>>http://blog.goo.ne.jp/kokurachurch/↑小倉キリスト教会でのケーススタディー Purpose Driven Fellowship ~牧師やリー ダーのための3ヵ年PDトレーニング・プログラム~>> サイト http://pdfellowshipjapan.blogspot.com/『健康な教会を建て上げるために』~牧師やリーダーのための3年セミナープログラム~講師:デイブ・ホールデン>> イ ントロダクション・セッション、メインセッション1のプログラム詳細
2010.07.23
「力と効果のある祈り」 教会の目的2. 「祈り」(パート3) 祈りに関して、一つの指針にするべきフレーズがあります。それは、「神様はわたしの欲望を満たすお方ではない。必要を満たしてくださるお方である」というものです。箴言19:21 は「人の心には 多くの計らいがある。主の御旨のみが実現する」と言っています。人間はときに、自分自身の個人的な欲求や達成感に満足感を得るための計画を立てて、「神様、どうぞ手伝ってください」という神様を自分の思い通りに利用しようと勝手な祈りをしてしまうという誘惑があります。ヤコブ4:3は、 「願い求めても、与えられないのは、自分の楽しみのために使おうと、間違った動機で願い求めるからです」と諭しています。 しかし、「正しい人の祈りは、大きな力があり、効果をもたらします」(ヤコブ5:16)。箴言16:9にある、「人間の心は自分の道を計画する。主が一歩一歩を備えてくださる」という約束のように、神様はすでに私たち一人一人にとってや教会にとっての最善の計画をすでに立ててくださっています。ですから、 本来わたしたちが心がけるべき健全な祈り方とは、「神様、あなたのご計画(み心)をお示しください。どうぞ、小さく弱いわたしですが、その偉大なる 神様の働きのためにわたしをお用いください。わたしの計画ではなく、主のご計画がなりますように」というものでしょう。 にほんブログ村[目的主導ブログ] ★『目的主導の教会への道』 について、もっと詳しく知りたい方は、こちらも合わせてお読みください。>>http://blog.goo.ne.jp/kokurachurch/↑小倉キリスト教会でのケーススタディー Purpose Driven Fellowship ~牧 師やリー ダーのための3ヵ年PDトレーニング・プログラム~>> サイト http://pdfellowshipjapan.blogspot.com/『健 康な教会を建て上げるために』~牧師やリーダーのための3年セミナープログラム~講師:デイブ・ホールデン>> イ ントロダクション・セッション、メインセッション1のプログラム詳細
2010.07.19
「人が働くのではなく、神が働くために」 教会の目的2「祈り」(パー ト2) 主イエスご自身が祈り方についてこのように教えています。「わたしの名によって願うことは、何でもかなえてあげよう」(ヨハネ14:13)。祈りとは神様との会話であり、救いとは神様との親しい交わりであり、信仰とは神様との信頼関係です。祈りを通して絶えず神様に語りかけ応答することによって、信頼を神様に置いて人生を絶えず委ねていることの証しなのです。 教会は「祈りの家と呼ばれるべきである」(マタイ21:13)と主イエスが言われたように、すべてにおいて祈りは欠かせません。どれだけ熱心に聖書を学び、一生懸命に奉仕をし、がんばって伝道をしても、そこに祈りがなければ何の意味もありません。祈りとは、神の御心に耳を傾けつつ、神の助けを求めながら神の力に委ねることです。もしそこに祈りがなければ、人間的に自分自身の力だけで働こうとしてしまっていること を現しているのです。教会とは、人が働く場ではなく、神が人を通して働く場です。いつ何時でも祈りを通して、神様の臨在を覚えながら、神様の働きに参与させていただく恵みに感謝しつつ歩むならば、信仰生活はかつてないほどに生き生きしたものとなるでしょう。 にほんブログ村[目的主導ブログ] ★『目的主導の教会への道』 について、もっと詳しく知りたい方は、こちらも合わせてお読みください。>>http://blog.goo.ne.jp/kokurachurch/↑小倉キリスト教会でのケーススタディー Purpose Driven Fellowship ~牧 師やリー ダーのための3ヵ年PDトレーニング・プログラム~>> サイト http://pdfellowshipjapan.blogspot.com/『健 康な教会を建て上げるために』~牧師やリーダーのための3年セミナープログラム~講師:デイブ・ホールデン>> イ ントロダクション・セッション、メインセッション1のプログラム詳細
2010.07.16
「霊的な深呼吸」教会の目的2.「祈り」 祈りは霊的な深呼吸です。人間が息をしなければ生きていけないように、祈りは私たちの信仰を生かします。祈りは、時間や場所に限定されることなく、人生のどのような場面(シーン)においても、大きな力を発揮します(ヤコブ5:16)。 私たちの体は意識するこ となく、絶えず呼吸を繰り返しています。体に有害な二酸化炭素を吐き出して、体のすべての組織と器官が必要とする酸素を吸うことで、生かされているのです。いわば呼吸をしていることは生きている証拠であり、呼吸が止まってしまうことは死を意味します。 神様は人間を土から形づくり、 「その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった」と創世記2:7に記されています。この「息(プネウマ)」という言葉は「霊」という意味も持っています。同時に、ヨハネ4:24が、「神は霊である」と証ししているように、神様が霊的な存在であるように、 それにかたどって人間もまた「霊的な存在」として造られました。 このような訳で、神様と人間は同じ霊的な存在としてコミュニケーションをとることができるのです。御言葉を通して神様からの語りかけを聞き、祈りによってあなた自らが神様に応答することができる、素晴らしい霊的な能力が既に与えられているのです。それは、神様との愛のコミュニケーションを持つ目的のために造られた私たちが、絶え間なく命の息吹を吹き入れていただくための具体的な方法と言ってよいでしょう。わたしたちは絶えず祈ることを通して霊的深呼吸を続けることにより、霊的な存在として本当の意味で生き続けることができるのです。 にほんブログ村[目的主導ブログ] ★『目的主導の教会への道』 について、もっと詳しく知りたい方は、こちらも合わせてお読みください。>>http://blog.goo.ne.jp/kokurachurch/↑小倉キリスト教会でのケーススタディー Purpose Driven Fellowship ~牧 師やリー ダーのための3ヵ年PDトレーニング・プログラム~>> サイト http://pdfellowshipjapan.blogspot.com/『健康な教会を建て上げるために』~牧師やリーダーのための3年セミナープログラム~講師:デイブ・ホールデン>> イ ントロダクション・セッション、メインセッション1のプログラム詳細
2010.07.15
「招き、満たし、送りだし、そしてまた・・・」 教会の目的1。『礼 拝』(パート5) 牧師は主日礼拝で聖書のメッセージをします。それは、みなさんが月曜日からの一週間の実生活に役立ち適応できる内容のメッセージを心がけています。礼拝で受けた御言葉を通して、あなたの実生活の現場で働いておられる神様と出会うでしょう。「主の律法は完全で、魂を生き返らせ、主の定めは真実で、無知な人に知 恵を与える。主の命令はまっすぐで、心に喜びを与え、主の戒めは清らかで、目に光を与える」(詩編19:8-9)。どのような環境であろうとも神様の愛と臨在を覚え続けるならば、家庭、学校、職場のどこにおいてもあなたは神様を喜び続けることができるのです。 礼拝とはあなた自身が個人的に神様に直接捧げるものです。それと同時に、あなたには神の家族が与えられています。あなたと同じ目的をもって毎週たくさんの方々が礼拝に集まります。神様を喜び礼拝を捧げることで、そこに集った人々と心を一つにすることができるのです。そして兄弟姉妹と一緒に、互いに愛し合い、慰めあい、励ましあい、祈りあうこと、そのものが神様への礼拝とされていくのです。その時あなたは、神の家族との主にある交わりを通してこのように感じることでしょう。「わたしは決して独りではない、神様は私を愛し、今この瞬間も、共にいてくださっている」と。 その喜びを携えて、日曜日の礼拝から始まる一週間それぞれの家庭、学校、職場へと送り出されていくのです。そして、再び、主の恵みに招かれて、礼拝を捧げ るために呼び集められるのです。神様は礼拝を通して、そのキリストの恵みによって、あなたを招き、満たし、送り出し、また招き、満たし、そして送り出すことを繰り返されます。それは、あなたがいつどこにいても、まことの礼拝者として生きるための、神様の知恵とご計画なのです。 にほんブログ村[目的主導ブログ] ★『目的主導の教会への道』 について、もっと詳しく知りたい方は、こちらも合わせてお読みください。>>http://blog.goo.ne.jp/kokurachurch/↑小倉キリスト教会でのケーススタディー Purpose Driven Fellowship ~牧師やリー ダーのための3ヵ年PDトレーニング・プログラム~>> サイト http://pdfellowshipjapan.blogspot.com/『健康な教会を建て上げるために』~牧師やリーダーのための3年セミナープログラム~講師:デイブ・ホールデン>> イ ントロダクション・セッション、メインセッション1のプログラム詳細
2010.07.09
「礼拝とは生きる力」 教会の目的1.『礼拝』(パート4) 預言者イザヤは、その心から湧き上がる喜びこそが、私たちにとって「生きる力」となることを語っています。「主に望みをおく人は新たな力を得、鷲のように翼を張って上る。走っても弱ることなく、歩いても疲れない」(イザヤ40:31)。このようにして、毎週の日曜日に教会の主日礼拝を捧げることによって、その日曜日から始まる新しい一週間に備えることができるのです。 日曜日の朝になると、「疲れたなあ。せっかくの休日だし、今日ぐらい礼拝を休んでもいいだろう」と、感じることもあるでしょう。しかし、疲れ果て、落ち込み、気力を失っているときだからこそ、私たちは礼拝を捧げなければいけません。疲れて落ち込んで気持ちがついていかない時や、体調が悪い時でありながらも、可能な範囲で真心を込めて礼拝を捧げるならば、神様は喜んで受け取ってくださるのです。 そして、神様の喜びは、必ずやあなたの喜びとなって心の内から湧き上がり、帰る頃にはすっかりと元気を取り戻すでしょう。そして「今日は、来て本当によかった」と感謝して変えることができるのです。疲れ果てて教会に行かないというのは、「今日は瀕死の重傷だから、病院に行くのはやめておこう」 と矛盾を言っているようなものなのです。 礼拝をしても、「喜びがない」と落ち込む方がいますが、多くの場合それは自分自身の喜びばかり最優先に求めるあまり、神様に喜ばれる礼拝を捧げるという本来の目的が抜け落ちてしまっているのが原因のようです。神様に喜ばれる礼拝を最優先にしたとき、私たち人間が造られたその本来の目的を取り戻すことで、水を得た魚のように生き生きとされるのです。 にほんブログ村[目的主導ブログ] ★『目的主導の教会への道』 について、もっと詳しく知りたい方は、こちらも合わせてお読みください。>>http://blog.goo.ne.jp/kokurachurch/↑小倉キリスト教会でのケーススタディー Purpose Driven Fellowship ~牧 師やリー ダーのための3ヵ年PDトレーニング・プログラム~>> サイト http://pdfellowshipjapan.blogspot.com/『健 康な教会を建て上げるために』~牧師やリーダーのための3年セミナープログラム~講師:デイブ・ホールデン>> イ ントロダクション・セッション、メインセッション1のプログラム詳細
2010.07.08
「礼拝とは喜び」教会の目的1.『礼拝』(パート3) 私たちの教会は、偏ることのないスタイルの礼拝を心がけています。厳格で形式に捕らわれ過ぎる礼拝はしませんし、自由すぎて各々が好き勝手に無秩序な礼拝もしません。私たちが礼拝で特に大切にしていることが二つあります。、一つは「真心を込めてささげる」こと、そしてもう一つは、 集った会衆と「心を一つにしてささげる」ことです。この二つがしっかりと守られた礼拝は、私たちの心を喜びに満たしてくれるでしょう。礼拝とは喜びです。それは昨日も 今日もとこしえに変わることなく、今も生きて働いている神様を喜ぶことです。ダビデは詩編27:4でこのように言っています。「ひとつのことを主に願い、 それだけを求めよう。命のある限り、主の家に宿り、主を仰ぎ望んで喜びを得、その宮で朝を迎えることを」。これは、神様に喜ばれる礼拝を 捧げるならば、わたしたちの心もまた喜びで満たされること、それだけをダビデは求め続けたことを言っているのです。それは、「わたしの心は喜び、魂は躍り ます。からだは安心して憩います。」とダビデが告白するように、平安に満ち溢れた静かにふつふつと心の内側から湧き上がる喜びなのです。 にほんブログ村[目的主導ブログ] ★『目的主導の教会への道』 について、もっと詳しく知りたい方は、こちらも合わせてお読みください。>>http://blog.goo.ne.jp/kokurachurch/↑小倉キリスト教会でのケーススタディー Purpose Driven Fellowship ~牧 師やリー ダーのための3ヵ年PDトレーニング・プログラム~>> サイト http://pdfellowshipjapan.blogspot.com/『健 康な教会を建て上げるために』~牧師やリーダーのための3年セミナープログラム~講師:デイブ・ホールデン>> イ ントロダクション・セッション、メインセッション1のプログラム詳細
2010.07.07
【すべては神への愛の表現の手段】 教会の目的1.『礼拝』(パート2) 礼拝は「霊と真理をもって」ささげられるのならば、どのようなスタイルの礼拝であっても神様は喜んで受け取ってくださいます。世界中では様々なスタイル で 礼拝が捧げられていますが、私たちの教会ではいつもバランスを保ちながらそれらの真ん中に位置するオーソドックスなスタイルを心がけて、おごそかでありつ つも温かい喜びと自由な雰囲気に包まれ感謝に満ち溢れた礼拝を、皆さんと一緒に捧げていきたいと願っています。王の王、主の主、全能なる生けるまことの神 に捧げる礼拝ですから、自由でありながらも最低限の秩序を守るようにしています。 毎週配られる週報に記されている礼拝のプログラムに従って、教会の礼拝は進められています。賛美歌を歌ったり、聖書のメッセージを聞いたりと、いろいろしますが、すべてには聖書的な意味があり、すべては神様を愛することの表現であり、すべては神の栄光を表すために行っていることです。礼拝での、神様に対 しての愛の表現方法の中心的なものをご紹介しましょう。 1. 「心備えをする」 (2サムエル12:20) 「ダビデは地面から起き上がり、身を洗って香油を塗り、衣を替え、主の家に行って礼拝した。」2. 「静まる」 (ハバクク2:20) 「しかし、主はその聖なる神殿におられる。全地よ、御前に沈黙せよ。」3.「賛美する」 (エフェ ソ5:19) 「詩編と賛歌と霊的な歌によって語り合い、主に向かって心からほめ歌いなさい。」4.「自分自身をささげる」 (ロー マ12:1-2) 「こういうわけで、兄弟たち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げ なさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。」5.「祈る」 (詩編95:6)、 「わたしたちを造られた方、主の御前にひざ まずこう。共にひれ伏し、伏し拝もう。」6.「み言葉を聞く」 (ヨハネ17:17,19) 「真理によって、彼らを聖なる者として ください。あなたの御言葉は真理です。...彼らも、真理によってささげられた者となるためです。」7.「与える」 「労苦して自 分の手で正当な収入を得、困っている人々に分け与えるようにしなさい。」(エフェソ4:28) 「この世で富んでいる人々に命じなさい。高慢になら ず、不確かな富に望みを置くのではなく、わたしたちにすべてのものを豊かに与えて楽しませてくださる神に望みを置くように。善を行い、良い行いに富み、物 惜しみをせず、喜んで分け与えるように。」(1テモテ6:17-18)9.「仕える」 (ローマ14:18) 「このようにしてキリ ストに仕える人は、神に喜ばれ、人々に信頼されます。」 10.「バプテスマを授ける」(ローマ6:4) 「わたしたちは洗礼によっ てキリストと共に葬られ、その死にあずかるものとなりました。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、わたしたちも新し い命に生きるためなのです。」 11.「主の晩餐式にあずかる」(1コリント11:23-26) 「だから、あなたがたは、このパン を食べこの杯を飲むごとに、主が来られるときまで、主の死を告げ知らせるのです。」 にほんブログ村[目的主導ブログ] ★『目的主導の教会への道』 について、もっと詳しく知りたい方は、こちらも合わせてお読みください。>>http://blog.goo.ne.jp/kokurachurch/↑小倉キリスト教会でのケーススタディー Purpose Driven Fellowship ~牧 師やリー ダーのための3ヵ年PDトレーニング・プログラム~>> サイト http://pdfellowshipjapan.blogspot.com/『健 康な教会を建て上げるために』~牧師やリーダーのための3年セミナープログラム~講師:デイブ・ホールデン>> イ ントロダクション・セッション、メインセッション1のプログラム詳細
2010.07.06
【人生で最優先するべきもの】 教会の目的1.『礼拝』 わたしたちは、神様を礼拝する目的で造られました。礼拝は人生で最優先すべき、一番重要な使命です。私たちは、美味しいものを食べ、映画やショッピングに習い事や趣味を楽しみ、悠々自適に過ごすために造られたのではありません。何よりも先ず、神様との親しい交わりを持つ者として造られたのです。そういうわけ で、生きて働く神様を心から喜び、礼拝を捧げることこそが、人生の、そしてクリスチャンと教会の、第一目的であるべきなのです。 礼拝とは、あらゆる手段を用いて、神様への愛を表現することです。単に教会の椅子に1時間ほど腰掛けて日曜のプログラムをこなすことではありません。聖書には「あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ」(マタイ4:10)とあります。どれほど熱心に聖書を学び、大声で賛美を歌い、忙しく奉仕し、一生懸命に伝道したとしても、何よりも「神を礼拝する」ことをいつも第一に心がけていなければ、信仰生活は辛く空しいものとなってしまうでしょう。神様があなたに望んでいる礼拝を真心を込めて捧げることが教会の第一目的です。 「しかし、まこ との礼拝をする者たちが、霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である。なぜなら、父はこのように礼拝する者を求めておられるからだ。神は霊である。だから、神を礼拝する者は、霊と真理をもって礼拝しなければならない。」(ヨハネ4:23-24) にほんブログ村[目的主導ブログ] ★『目的主導の教会への道』 について、もっと詳しく知りたい方は、こちらも合わせてお読みください。>>http://blog.goo.ne.jp/kokurachurch/↑小倉キリスト教会でのケーススタディーPurpose Driven Fellowship ~牧師やリーダーのための3ヵ年PDトレーニング・プログラム~>> サイト http://pdfellowshipjapan.blogspot.com/『健 康な教会を建て上げるために』~牧師やリーダーのための3年セミナープログラム~講師:デイブ・ホールデン>> イ ントロダクション・セッション、メインセッション1のプログラム詳細
2010.07.05
《違いをもたらす40日 第29日目》一 言レシピ♪ 「もうすでに豊かだった・・・」あなたが今、いちばん欲しく手に入れたいと思っているものは何ですか。また、完全な欲しいものリストを作るとしたら、どのようなものがいくつ思い浮かぶでしょうか。「新発売のあれが欲しい」「新機種のこれが買いたい」「モデルチェンジした新しいデザイ ンを手に入れたい」「もっと性能のいいものを」「もっとおしゃれで、かわいいものを」「あの人、この人が持っているのと同じものを」という具合に、つぎからつぎへと出てきて、そのことを考えれば考えるほど、「わたしにはあれがない、これもない」と、だんだんと不安に襲われる人も多いようです。物で溢れている時代に生きていてもなお、多くの人々はさらに新しいものを手に入れようと熱望します。人々は既に持っているのにもかかわらず、まるで何も持っていないかのごとく感じてしまうのです。たとえ、この地上にある欲しいものリストに挙げられたすべてを手に入れたとしても、例え、この世のすべての金銀財宝にありとあらゆる名誉と肩書きを手に入れたとしても、人の心は決して満ち足りることはないでしょう。聖書がこのように言っていることに驚かないでください。「...わたしたちは、何も持たずに世に生まれ、 世を去るときは何も持って行くことができない...」(Iヨハネ6:7)つまり、この地上であなたが高いお金を出して買い集めコレクションをするものはすべて死んでも天国へ持って行くこともできないし、それらのものは全部いつかは錆び、朽ち果てて、滅びてしまい、永遠には続かないものだということです。ですから、あなたが欲望を満たすために、人生を駆けずり回り頭を悩ませる必要はまったくありませ ん。なぜなら、聖書はこのように約束しているからです。「神は、あなたがたがいつもすべての点ですべて のものに十分で、 あらゆる善い業に満ちあふれるように、 あらゆる恵みをあなたがたに 満ちあふれさ せることがおできになります。(2コリント9:8)すでに満ち溢れているものに目を向け数え直すなら今です。「そうは言っても、わたしは満ち足りていない」と感じていらっしゃることもよく分かります。ある意味、それらの物は、あなたの生活をより楽しく快適にするために神様から与えられた恵みですから、求めること手に入れること自体は罪ではありません。しかしながら、「もっと、もっと」という欲望がどんどんあなたの心を支配し、あなたを思い悩ませているのであれば、それは神様が望んでいることではありません。なぜなら、主イエスは「あなたがたの富のあるところに、あなたがたの心もあるのだ。」(ルカ12:34)と諭しつつ、神様を第一にしていないことを悲しまれているからです。さらに、主イエスはこのように言っています。「あなたがたも、何を食べようか、何を飲もうかと考えてはならない。 また、思い悩むな。それはみな、世の異邦人が切に求めているものだ。 あなたがたの父は、これらのものが あなたがたに必要なことをご存じである。」(ルカ12:29-30)本当の「豊かさ」とは、神様があなたの「必要」を満たしてくださっていることです。逆に、あなたを貧しくしてしまっているのが、必要ないものを求める「欲望」なのです。神様はあなたの「必要」をご存知で豊かに満たしてくださるお方ですが、「欲望」を満たすお方では決してありません。その貧しさとは人間のもつ罪であり、罪がもたらす死だからです。あなたの必要を満たし豊かにしてくださる目的のために、主イエスは十字架で命を捧げてくださったと聖書は証します。「...すなわち、主は豊かであったのに、 あなたがたのために貧しくなられた。 それは、主の貧しさによって、 あなたがたが豊かになるためだったのです。」(II コリント8・9)主イエスは、神の御子でありながら罪深い人間と同じ姿でお生まれになり、ののしられ、ばかにされ、つばを吐かれ、殴られ、辱めを受け、鞭で打たれ、茨の冠をかぶせられ、笑いものにされ、十字架で釘付けにされたことで、貧しさを体験されました。最も富んでいた主が最も貧しくなられ、あなたは豊かにされました。罪がゆるされ、永遠の命が与えられ、神の子とされ、神の家族が与えられ、御子の姿に似たものへと変えられ、尽きることのない富を天に積むことができる。これらのすべてのことを通して、神様はその無限の愛、無償の愛、永遠の愛をもってあなたを愛してくださっているのです。そうです、あなたがすでに驚くほどに豊かであることを知っていますか?にほんブログ村「すでに豊かブログ」
2010.06.26
【バランス感覚に磨きをかけるには】教会が神様の目的に導かれるために、その六つの目的を一文にまとめたのが「小倉キリスト教会の六つの目的」です。ご一緒に声に出して読んでみましょう。小倉キリスト教会の六つの目的《神の目的に導かれる教会像》『小倉キリスト教会は、神に霊と真理をもって【礼拝】を献げ、【祈り】と御言葉への従順によって霊的に【成熟(教育)】し、キリストの体全体の成長の ために賜物に従って主に【仕え(奉仕)】、聖霊による【交わり】で「互いに 愛し合い」、グッドニュース(福音)を小倉の地域から、北九州市民100万人へ、そして世界へ告げ知らせるために【遣わされる(伝道)】、イエス・キリス トを中心として聖書を規範とした目的主導の教会を目指します。』この目的宣言文は機会があるごとに繰り返し読むことで、「教会がなぜ存在しているのか」「教会の使命は何か」「わたしたちは何をすべきか」「教会はどこへ向かっているのか」を思い起こし確認することができます。教会では、この目的宣言文が毎週の週報の表紙に記されており、礼拝中のプロジェクターでスクリーンにも映し出され、各小グループ(Small Group)やミーティング、総会においても全員で唱和しつつ、皆で確認をします。重要なのは、教会の働きから教会に集うクリスチャンの信仰生活に至るまで、この六つの目的「礼拝」「祈り」「教育」「奉仕」「交わり」「伝道」のすべてにおいてバランスを保つことです。よくありがちな不健康な教会の状態とは、どれか一つの目的にばかり集中し過ぎて、他がおろそかになってしまい偏りがちになってしまうことです。そうならないためにも、この目的宣言文を読みつつ、神様が教会を通して実現されようとしている目的を繰り返し確認しましょう。例えば、あなたの信仰生活や教会生活をこれらの六つの目的に照らし合わせて見たときに、得意な分野と不得意な分野、熱中できる分野とあまり関心がない分野があるはずです。ある方は聖書の学びや奉仕を熱心にしていましたが、交わりをあまり持っていませんでした。もともと人付き合いが苦手な性格だったので、教会での交わりを無意識で避けていたのですが、この六つの目的を自分に照らし合わせたときに、「自分に足りない部分は、交わりだ」と気づいて、積極的に祈りつつ交わりの輪に加わるようになりました。今では、「主にある交わりにこそ神の家族の恵みが溢れている」と、信仰生活がより深い喜びに包まれている生き生きとした様子を証しをしてくださいました。このようにして、バランスがもたらす健康的な信仰生活を歩む一人一人のク リスチャンが、健康な教会を生み出すのです。なぜなら、教会とは建物だけを指すのではなく、そこに呼び集められた者たちの群れだからです。例えば、小グループに参加することによって、六つの目的のバランスを保つことができます。小グループで集まり、共に賛美と礼拝を ささげ、祈りあい、食事やお茶をしながら交わりを持ち、一緒に 聖書を開いて学び分かち合い、、一人一人が奉仕を担い合い、未信者の友だちや家族を誘って伝道することができます。ある小グループでは、 毎週聖書の学びをリードする担当がローテーションで全員に回ってきます。お茶菓子を準備する係りの人もいれば、賛美を準備しリードする係りもいます。その 日の集会の様子をブログ記事にアップして参加できなかった人たちにも報告をする係りの人がいます。このようにして一人一人に役割が与えられることで、「奉 仕」という目的がみんなと一緒に成し遂げられていくのです。一人では腰が重くてなかなかできない人でも、小グループの兄弟姉妹と一緒にすることで、これらの目的は実現されていきます。ここで、あなた自身と六つの目的をじっくりと照らし合わせて見ましょう。そして、偏っている部分や足りない部分があったなら、それを具体的にどのように補いつつバランスの取りながら神様の目的に生きることができるか、健康的なクリス チャンとして成長を神様に祈り求めてまいりましょう。「わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは本当にわたしの弟子である。あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。」(ヨハネ8:31-32)にほんブログ村[目的主導ブログ] ★『目的主導の教会への道』について、もっと詳しく知りたい方は、こちらも合わせてお読みください。>>http://blog.goo.ne.jp/kokurachurch/↑小倉キリスト教会でのケーススタディーPurpose Driven Fellowship ~牧師やリーダーのための3ヵ年PDトレーニング・プログラム~>>サイト http://pdfellowshipjapan.blogspot.com/『健康な教会を建て上げるために』~牧師やリーダーのための3年セミナープログラム~講師:デイブ・ホールデン>> イントロダクション・セッション、メインセッション1のプログラム詳細
2010.06.24
【ゆるしの40日--DAY 19--】 高すぎない?そのハードル「ゆるせない」という強い思いは、自分自身を傷つけ疲れ果てさせます。もっと大切なことに使うべきはずの時間とエネルギーが膨大に浪費されてしまう。それが、「ゆるせない」という感情の持つ恐ろしい部分です。だから、「ゆるさなければいけない」と分かってはいるものの、なかなかゆるせないことの大きな原因は、自分自身に課した高い高いハードルにあるのです。「あやまってきたら、ゆるしてやろう」、「いやされたら、ゆるしてやろう」、「苦しんだら、ゆるしてやろう」、「回復したら、ゆるしてやろう」というハードルは一見、ゆるせない相手に対して掲げられたものと思われますが、実は、あなた自身に課しているものなのです。あなたを傷つけた「相手の方から謝ってくれたらゆるそう」、と待っていても、その日が来るのはいつでしょうか。すぐに謝ってくれる素直な人ならよいですが、人によっては最初から謝る気などまったくない人もいるのは事実です。特に、あなたを傷つけてしまったことさえ本人が気づいていなければ、永久に向こう側から謝ってくることはないでしょう。あなたの受けた「傷がいやされたらゆるそう」、と待っていても、それはいったいどれほどの長い時間を要するのでしょうか。ある人は数ヶ月、数年から数十年の時間が必要な人もいるでしょうし、その傷の深さによっては一生涯いやされないままで人生を終える人もいるでしょう。あなたと同じように、相手も「苦しんだなら、ゆるしてやろう」、と待っていても、あなたとまったく同じ環境と状況のもの同じ出来事が起こり、同じようにその人も苦しむかどうかは誰も計り知ることができません。あなたが傷ついたのとまったく同じ出来事が相手に起こったとしても、あなたと同じレベルで傷つくのは至難の業です。この、相手にも同じ痛みを味あわせたい、という感情は「復讐心」とも呼べるもので、一線を越えてあなた自身が加害者になってしまえば立場は逆転し、「ゆるして欲しいが、なかなかゆるしてもらえない」という罪悪感で余計に苦しむ羽目になってしまうでしょう。あなたを傷つけた相手との「信頼関係が回復したらゆるしてやろう」、といつまでも待っていても、その日は来ることはないでしょう。なぜなら、相手をゆるすことなくして、信頼関係の回復は始まらないからです。お互いに非があるところは認め合い、仲直りしたいことを確認し合い、ゆるし合うことから始まって、信頼関係は回復されていくのです。 もしかしたら、相手に対して、この四つの条件すべてを突きつけている方がいるかもしれません。しかし、これらの四つすべての条件が満たされるまでには、いったいどれぐらい待たなければならないと思われますか?誰も想像がつかないほどに途方もないことのように感じてしまうでしょう。 このように、自分で条件をつけてしまい、ハードルを高く上げてしまうことで、「ゆるせない」というにがにがしい苦しみを長~く味わい続けることになってしまうのです。 ですから、主イエスはこう言っているのでしょう。「あなたがたは、自分の裁く裁きで裁かれ、自分の量(はか)る秤(はかり)で量り与えられる。」(マタイ7・2) つまり、「自分で自分の首をしめてしまってはいけない」ことを、主は諭しているのです。この言葉は、あなたがこれ以上傷つき続けることがないようにという主イエスによる愛の配慮なのです。まず、あなたを愛しゆるしてくださった主イエスの恵みに感謝しつつ、ただそのお方の最善の導きに委ねつつ、「とにかく先ず、あなたがゆるす」ならば、その傷を主がいやしてくださるのです。主イエスにあなた自身が高く掲げていたハードルをすみやかに取り去っていただくよう祈り委ねましょう。DAY20「ゆるすために、ゆるされる」へ続く にほんブログ村「ハードルまとめて撤去」ブログ ※ゆるしの40日バックナンバーDAY 1 ゆるせない苦しみ/DAY 2 クリスチャンでもゆるせない?/DAY 3 ゆるしは皆、必ず必要?/DAY 4 「ゆるし」が、どうしても必要な理由(わけ)/DAY 5 キリストの苦しみは誰のため?/DAY 6 どれほどの苦しみだったのか/DAY 7 十字架の苦しみ/DAY 8 十字架の痛み/DAY 9 二つの音の狭間で/DAY 10 ド真ん中にあるもの/DAY 11 あなたへの問い/DAY 12 二つの意味/DAY 13 条件付vs無条件/DAY 14 アメイジング・グレイス/DAY 15 あのゆるしを覚えていますか/DAY 16 ゆるしに有効期限?/DAY 17 ゆるしが取り消し?/DAY 18 もし、ゆるす、としたならあなたの一言♪http://form.mag2.com/stoukiwrur●メルマガ『1分クッキング!聖書レシピ♪』永遠のベストセラー聖書から、家庭・学校・職場で役立つ黄金律(ゴールデンルール)登録・バックナンバー>> http://www.mag2.com/m/M0088649.html●メルマガ『1分クッキング!心のレシピ♪』1分であなたの心をクッキング!心のパテシエ♪があなたに贈るスイーツエッセイ。登録・バックナンバー>> http://www.mag2.com/m/M0085772.html●メルマガ『軌道修正の40日』一言レシピ♪シリーズ 登録>> http://hitokoto4u.sblo.jp/●メルマガ『聖書のことば365DAYS』 バイリンガル+今日の名言バイリンガルで365日毎日お届けする聖書の御言葉。付録: 著名人の名言 登録・解除>> http://patissier.xsrv.jp/neo/usrctrl.php?mag_id=3●心にイー・ブック『健康なクリスチャンのライフスタイル』霊的メタボから、バランスのとれた健康クリスチャンへ。E-BOOKの ダウンロード。 小冊子(PDF)ダウンロード>> http://healthychristian.seesaa.net/
2010.06.23
《罪悪感への処方箋 Day 15》 敗北、惨敗、残念 vs 勝利、勝利、勝利間違った信念2.わたしがいつも、一番であるべき(勝利するべき)。いつも誰よりも優れているべき。「わたしこそが一番であるべき。いつでもどこでも優れているべき」という願望を人は心の奥底に秘めています。そのような強い欲求が人間関係において様々な問題を引き起こすのです。しかし現実は、いつもすべての面で一番になることは不可能です。なぜなら、わたしたちは全能の神ではないからです。ある人は、意図的に周囲の人々をを落としいれ蹴落としてまで一番になろうとします。もちろん、スポーツの世界などで競争心を持つことは大切なことです。しかし、それがお互いを切磋琢磨するための良い競争心であればよいですが、他者を悪意を持って低くするためのものであってはいけません。その「他人を低くすれば、自分が高められる」という考えは錯覚に過ぎません。むしろ、そのような驕り高ぶり高慢な人は神様からは敵とみなされ(ヤコブ4:6)、神様はその人を低くされようとします。主イエスはこのように言って諭しています。だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。(マタイ23:12)人は皆、他者と自分を比べることによって自分自身の存在価値を計ろうとします。その自分の価値を高めようとするときに、自分より優れている人々に対して嫉妬やねたみを抱き、それが憎しみや怒りに変わり、罪を犯してしまう原因となってしまうのです。ある人は、周囲の人たちから受け入れられたい、愛されたい、認められたい、という強い思いからいつも一番になろうとします。しかし、先ほども言いましたように、すべての面においていつも一番であり続けることは不可能ですから、人は落ち込み苦しむのです。神様は、あなたが他の誰よりも優秀だからあなたのことを愛しているのではありません。むしろ、あなたの弱さをすべてご存知の上でそのままのあなたの存在価値を認め「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」(イザヤ43:4)と言って愛してくださっているのです。わたしが教会に来ている子どもたちに、「あなたはそのままで愛されている価値ある存在なのですよ」と聖書からお話をしたら、その中の一人子どものお母さんが「いいえ、そのままじゃだめなのよ。優秀な子に育て上げなきゃだめよ」と言ったのです。そこから見え隠れしているものは、子どもを優秀に育てることで自分自身の価値を高めようとする親のエゴです。勝敗や優劣を気にしながら育った人は、親になってもそれを子どもに反映させようとします。そのために、「優秀でなければ親から愛してもらえない」というような間違った価値観を子どもにも教えてしまうのです。もちろん子どものもつ競争心はその能力を引き伸ばしますが、同時に勉強やスポーツを通して、人はそれぞれ得意分野や苦手分野があることを学びつつ、お互いに弱い部分を補い合い助け合う協調性やへりくだる心を身につけることこそが大切なのです。何事も利己心や虚栄心からするのではなく、へりくだって、互いに相手を自分よりも優れた者と考え、めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい。互いにこのことを心がけなさい。それはキリスト・イエスにもみられるものです。(フィリピ2:3-5)信仰2.「復活の主イエスよ、あなたこそまことの勝利者です」わたしたちの主イエス・キリストによってわたしたちに勝利を賜る神に、感謝しよう。(1コリント15:57)今、唯一まことの勝利者イエス・キリストに感謝しましょう。あなたのためにどのような方法で勝利してくださったのかを、じっくりと思い起こし、思い巡らしつつ、復活によって既に勝利されたお方の御名をほめたたえるのです。もし、人生が優劣や勝ち負けだけで判断されるのであれば、人は誰もがみな罪に対して敗北しているのが、聖書が教える事実です。その人類が惨敗している様子をエフェソの2章はこう説明しています。さて、あなたがたは、以前は自分の過ちと罪のために死んでいたのです。この世を支配する者、かの空中に勢力を持つ者、すなわち、不従順な者たちの内に今も働く霊に従い、過ちと罪を犯して歩んでいました。わたしたちも皆、こういう者たちの中にいて、以前は肉の欲望の赴くままに生活し、肉や心の欲するままに行動していたのであり、ほかの人々と同じように、生まれながら神の怒りを受けるべき者でした。(エフェソ2:1-3)その罪を担い十字架で命を捧げ、死の力を打ち破って復活された神の御子、生ける神キリストだけが唯一まことの勝利者です。そして、その主イエス・キリストを信じる信仰によってあなたもまた勝利のパレード(2コリント2:14)で一緒にお祝いしているのです。今ひととき、心を静めてあなたの人生にパーフェクト勝利をお与えくださった神様に感謝の祈りを捧げましょう。あなたの祈りを通して「世に打ち勝った勝利」せんげんするのです。「主イエスよ、復活の勝利による希望をありがとうございます。罪と死の力を打ち破った神の力により頼んで生きることができるようにお導きください。アーメン」神から生まれた人は皆、世に打ち勝つからです。世に打ち勝つ勝利、それはわたしたちの信仰です。だれが世に打ち勝つか。イエスが神の子であると信じる者ではありませんか。(1ヨハネ5:4-5)DAY16「間違った信念3」へつづくにほんブログ村「勝利ブログ」バックナンバー: DAY1 罪悪感はどこから? / DAY2 なぜ罪悪感を持ち続けてしまうのか / DAY3 罪悪感という罠に陥ってしまうのはなぜ? / DAY4 罪悪感に陥りやすいタイプ1 / DAY5 罪悪感に陥りやすいタイプ2 / DAY6 罪悪感に陥りやすいタイプ3 / DAY7 罪悪感に陥りやすいタイプ4 / DAY8 罪悪感に陥りやすいタイプ5 /DAY9 怒りへの処方箋 /DAY10 怒りにまつわる迷信 /DAY11 怒る練習 /DAY12 良い怒りvs悪い怒り /DAY13 信念 vs 信仰 /DAY14 間違った信念 vs 信仰による祈り /●あなたの一言http://form.mag2.com/stoukiwrur●メルマガ『1分クッキング!聖書レシピ♪』永遠のベストセラー聖書から、家庭・学校・職場で役立つ黄金律(ゴールデンルール)登録・バックナンバー>> http://www.mag2.com/m/M0088649.html●メルマガ『1分クッキング!心のレシピ♪』1分であなたの心をクッキング!心のパテシエ♪があなたに贈るスイーツエッセイ。登録・バックナンバー>> http://www.mag2.com/m/M0085772.html●メルマガ『軌道修正の40日』一言レシピ♪シリーズ 登録>> http://hitokoto4u.sblo.jp/●メルマガ『聖書のことば365DAYS』 バイリンガル+今日の名言バイリンガルで365日毎日お届けする聖書の御言葉。付録:著名人の名言 登録・解除>> http://patissier.xsrv.jp/neo/usrctrl.php?mag_id=3●心にイー・ブック『健康なクリスチャンのライフスタイル』霊的メタボから、バランスのとれた健康クリスチャンへ。E-BOOKのダウンロード。 小冊子(PDF)ダウンロード>> http://healthychristian.seesaa.net/
2010.06.22
教会は何の目的で、どこへ向かっているのか 私たちの信仰宣言文(小倉キリスト教会) わたしたちは、主イエス・キリストの「最も大切な戒め」と「大宣教命令」に対する従順と献身によって、「6つの目的」 のバランスを成し遂げつつ、神の栄光を現し続ける教会とされることを信じます。 この要約文は、私たちが教会(小倉キリスト教会)として取り組んでいることを一 つの文章にまとめたものです。この信仰宣言文は二つの大切な聖書の御言葉に基づくものです。 最も大切な戒め Great Commandment (マタイ22:37-40)イエスは言われた。「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』これが最も重要な第一の掟である。第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。」 大宣教命令 Great Commission (マタイ28:19-20) だか ら、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼(バプテスマ)を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。 この二つの御言葉は、いずれも主イエス・キリストのご命令です。 最も大切な戒めが命じていることは二つあります。一つは「神を愛する」ことであり、もう一つは「隣人を自分のように愛する」 ことです。わたしたちは、「礼拝」を捧げることで神を愛し、「奉仕」をすることで隣人を自分のように愛することができるので す。 また、大宣教命令は三つのことを命じています。「行ってすべての民をわたしの弟子にしなさい」という命令は「伝道(宣教)」であり、「バプテスマを授けなさい」 という命令は「交わり」であり、 さらには「教えなさい」という命令は「教育」です。 さらには、聖書はこのように勧めています。 目を覚ましていなさい。信仰に基づいてしっかり立ちなさい。雄々しく強く生きなさい。何事も愛をもって行いなさい。(1ペトロ16:13-14) 「目を覚まして祈っていなさい」とは、主イエスのご命令です(マルコ14:38)。これは、これらの 目的「礼拝」「奉仕」「伝道」「交わり」「教育」を遂行していくためには、いついかなるときでも愛に根ざした「祈り」によっ て、主ご自身が成し遂げてくださることを教えています。それは、「教会とは人だけが働く場所ではなく神が働く場所であり、わたしたちはその働きに参与させていただいている」というへりくだりと謙遜と従順を学ぶためのものです。祈りを通してわたしたちは「目を覚まし続けて」これらの目的に従っているかどうか注意深く吟味しながら前進することができるので す。で すから、五つの目的をすべて包み込むように、「祈り」という目的があり、合わせてこれらの六つの目的が私たちの教会の目的です。 教会の年間スケジュールや礼拝における賛美歌や、牧師の聖書メッセージ、各小グループの働きなどすべてがこれらの六つの目的によって成り立っています。こ れらの六つの目的をバランスよく遂行するために教会全体は集中して動いているのです。 にほんブログ村[目的主導ブログ] ★『目的主導の教会への道』について、もっと詳しく知りたい方は、こちらも合わせてお読みください。>>http://blog.goo.ne.jp/kokurachurch/↑小倉キリスト教会でのケーススタディーPurpose Driven Fellowship ~牧師やリー ダーのための3ヵ年PDトレーニング・プログラム~>>サイト http://pdfellowshipjapan.blogspot.com/『健 康な教会を建て上げるために』~牧師やリーダーのための3年セミナープログラム~講師:デイブ・ホールデン>> イ ントロダクション・セッション、メインセッション1のプログラム詳細
2010.06.21
《違いをもたらす40日 第28日目》一 言レシピ♪ 「もう昔とは言わせません」2000年も昔に遠い海の向こうイスラエルの首都、エルサレムの郊外のゴルゴダ(どくろ)と呼ばれる丘の上でイエスキリストは十字架の刑で処刑されました。一方、その頃の日本は弥生時代でした。人々は竪穴住居に住み、まだ米作りが始まった頃で、石器や土器が生活に使われていました。それを聞いた誰もが、2000年前とはいかに遠い昔のことなのか、と深く思わされるでしょう。では、神様にとって私たち人類が過ごしてきたこれまでの2000年の時間をどのように見つめているのでしょうか。「ふ~・・・、長かったあ~・・・」と神様は感じているでしょうか。2ペトロ3:8はこのように私たちに諭しています。「愛する人たち、このことだけは忘れないでほしい。 主のもとでは、一日は千年のようで、 千年は一日のようです。」アルファでありオメガであり初めであり、終わり(黙21:6)である神様は、この天地が創造されるずっと永遠に存在し、この天地が滅んだ後も、永遠に存在し続けるお方です。もし、人類にとっての1000年が、永遠の神様の目から見れば、一日のようなものなのならば、あなたにとっての2000年は、神様にとってたったの2日間に過ぎないようなものなのです。いかがでしょうか。主イエスは2000年前にあなたの罪のあがないのために十字架で命を捧げその愛を示してくださいました。遠い遠い昔のように思えるこの2000年という年月は、神様にとってみれば、まだ、たった二日前に起こったできごとと言っても言いすぎでないほどに、あなたにとっても身近でごくごく最近の出来事なのです。もしも今、あなたの耳に、「救い主イエス・キリストがつい2,3日前に命を捧げられた」、というニュースが飛び込んできたなら、キリストの死はどれほどあなたにとって身近なものになるでしょうか。ここで思い出してみましょう。2、3日前のあなたはどこで何をしていましたか。キリストの犠牲はもはや遠い昔の出来事ではないのです。あなたは知らないのか、聞いたことはないのか。主は、とこしえにいます神地の果てに及ぶすべてのものの造り主。倦むことなく、疲れることなくその英知は究めがたい。 (イザヤ40:28)にほんブログ村「ごくごく最近ブログ」
2010.06.19
【ゆるしの40日--DAY 18--】 もし、ゆるす、としたならあなたは、今、誰かを「どうしても、ゆるせない・・・」と感じていますか?イエス・キリストの十字架による愛とゆるしを体験しながらも、いざ自分がゆるす立場になると、それはとても難しいものです。また、ある人にとってはゆるすことは永久に不可能にさえ感じられてしまうものです。それは、相手があなたをどれほどまでに傷つけたかの度合いにもよるでしょうし、あなた自身がどれだけ深い痛みを味わってきたかという程度にもよるでしょう。その場でサっとゆるせる場合もあれば、ゆるすためにはそれなりの時間が長くかかる場合もあるでしょう。イエス・キリストを救い主と信じたことにより、あなたはゆるされました。そして、主イエスは「行って、あなたも同じようにしなさい。」(ルカ10:37)、「赦しなさい。」(ルカ6:37)と命じているのです。それが、主イエスのご命令だとわかっていながらも、なぜ、ゆるすことはそれほどまでに難しいのでしょうか。 ここで、一つの質問をしてみましょう。 「あなたが、その人をゆるせるようになるための、最低条件は何ですか?」 チョットだけ、心を静めて考えてみましょう。そして、その条件を書き出してみてください。・・・・・いかがでしょうか? この質問をすると、実にたくさんの人が共通して以下ような答えをします。「相手の方から『ゆるして・・・』と、あやまってきたら、ゆるしてやろう」「わたしの傷つけられた痛みが完全にいやされたら、ゆるしてやろう」「相手も、わたしと同じように十分に苦しんだら、ゆるしてやろう」「相手が、十分に償(つぐな)って、信頼関係が回復したら、ゆるしてやろう」 あなたはいかがだったでしょうかで?もしかして、当てはまるものや、似ているものが、一つでもありませんでしたか?実は、これがあなたがゆるすことを難しくしてしまっている大きな要因なのです。一つ、はっきりと言えることは、人間はゆるす前に、どうしても「条件」をつけてしまうということです。実は、その条件こそが大きなハードルとなってあなたの前に立ちはだかってしまうために、ゆるすことをとても難しいものにしてしまうのです。イエス・キリストは信仰をもって従う決意をしたあなたの罪をゆるされました。主イエスがあなたに示された「ゆるし」とは無条件のゆるしなのです。人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっていますが、ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです。(ローマ 3:23-24)無条件のゆえに、そのゆるしはあなたにも無償で与えられました。あなたが神様のためにどれだけ善い行いをしたがどうかは全く関係ないのです。「すなわち、イエス・キリストを信じることにより、信じる者すべてに与えられる神の義です。そこには何の差別もありません。」(ローマ3:22)あなたをゆるした神様は、あなたも行って同じようにすることを心から願っています。もし今あなたが、「どうしてもゆるせない」と感じているということは、つまり、ハードルを設けない神様の前にあなた自身がハードルを設けてしまい、神様の赦しの恵みがあなたを満たし、溢れ出て、周囲の人々に流れ出るのをせき止めてしまっているという状態だと言えるでしょう。高いハードルを設けてしまっているために、ゆるせずに苦しんでいるあなたを見て、神様は心を痛めていることでしょう。もう、これ以上無駄にあなた自身を苦しませ続ける必要はありません。なぜなら、主イエスはあなたのゆるしのために、ただ一度だけ十字架で苦しまれたからです。この御心に基づいて、ただ一度イエス・キリストの体が献げられたことにより、わたしたちは聖なる者とされたのです。(ヘブル10:10)今一度、無償で、無条件で、あなたを愛し赦してくださった神様の恵みに感謝を祈りましょう。もし、自分の力で取り払うことができないハードルがあるならば、神様の力の助けによって取り除いていただき、キリストの愛を伝える者へとされるよう祈りを捧げましょう。DAY19「高すぎない?そのハードル」へ続く にほんブログ村「愛する者となる」ブログ ※ゆるしの40日バックナンバーDAY 1 ゆるせない苦しみ/DAY 2 クリスチャンでもゆるせない?/DAY 3 ゆるしは皆、必ず必要?/DAY 4 「ゆるし」が、どうしても必要な理由(わけ)/DAY 5 キリストの苦しみは誰のため?/DAY 6 どれほどの苦しみだったのか/DAY 7 十字架の苦しみ/DAY 8 十字架の痛み/DAY 9 二つの音の狭間で/DAY 10 ド真ん中にあるもの/DAY 11 あなたへの問い/DAY 12 二つの意味/DAY 13 条件付vs無条件/DAY 14 アメイジング・グレイス/DAY 15 あのゆるしを覚えていますか/DAY 16 ゆるしに有効期限?/DAY 17 ゆるしが取り消し?あなたの一言♪http://form.mag2.com/stoukiwrur● メルマガ『1分クッキング!聖書レシピ♪』永遠のベストセラー聖書から、家庭・学校・職場で役立つ黄金律(ゴールデンルール)登 録・バックナンバー>> http://www.mag2.com/m/M0088649.html●メルマガ 『1分クッキング!心のレシピ♪』1分であなたの心をクッキング!心のパテシエ♪があなたに贈るスイーツエッセイ。登録・ バッ ク ナンバー>> http://www.mag2.com/m/M0085772.html●メルマガ 『軌道修正の40日』一言レシピ♪シリーズ 登録>> http://hitokoto4u.sblo.jp/● メルマガ『聖書のことば365DAYS』 バイリンガル+今日の名言バイリンガルで365日毎日お届けする聖書の御言葉。付録: 著名人の名言 登録・解除>> http://patissier.xsrv.jp/neo/usrctrl.php?mag_id=3● 心にイー・ブック『健康なクリスチャンのライフスタイル』霊的メタボから、バランスのとれた健康クリスチャンへ。E-BOOKの ダウンロード。 小冊子(PDF)ダウンロード>> http://healthychristian.seesaa.net/
2010.06.18
《罪悪感への処方箋 Day 14》 間違った信念 vs 信仰間違った信念1.わたしがいつも、周囲の人や環境を支配しているべきだこれはまさに、「地球は私を中心に回っている」とよく表現されるものです。すべてが自分の欲求どおりにならなければいけない、という貪欲さという罪が様々な問題を引き起こすのです。しかし現実は、一人の人間が周囲の人や環境をすべて思い通りに支配(コントロール)するということは不可能です。なぜなら、私たちは神ではないからです。この世のすべては、天地万物を造られた創造主なる神のご支配にあります。ですから、地球のみならず宇宙もすべてが、神様を中心に回っているのです。世界が造られたときから、目に見えない神の性質、つまり神の永遠の力と神性は被造物に現れており、これを通して神を知ることができます。従って、彼らには 弁解の余地がありません。(ローマ1:20)神を神としてあがめることなく、結局は、自分の思い通りに物事が進まないいことにイライラしたり、自分の思い通りに周囲の人々が動かないことで腹が立ったりしてしまうのです。なぜなら、神を知りながら、神としてあがめることも感謝することもせず、かえって、むなしい思いにふけり、心が鈍く暗くなったからです。(ローマ1:21)間違った信念に従っている状態は反キリストであると、コロサイ2:8は注意勧告しています。人間の言い伝えにすぎない哲学、つまり、むな しいだまし事によって人のとりこにされないように気をつけなさい。それは、世を支配する霊に従っており、キリストに従うものではありません。(コロサイ 2:8)わたしがすべてを思い通りに支配したい、という欲望はまさに自分自身が「神になろう」「神に取って代わろう」としている恐ろしい罪です。その肉の欲は様々なトラブルを人生にもたらすのです。肉の業は明らかです。それは、姦淫、わいせつ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、怒り、利己心、不和、仲間争い、ねたみ、泥酔、酒宴、その他このたぐいのものです。以前言っておいたように、ここでも前もって言いますが、このようなことを行う者は、神の国を受け継ぐことはできません。(ガラテヤ5:19-21)このように、「わたしが人生を支配したい」という思いや行動は、実は、「罪に支配されている」不自由な状態の表れなのです。では、この間違った信念に対して、どのような信仰をもって祈ればよいのでしょうか。信仰1. 「主イエスよ、どうか私の人生を支配してください。神様に喜ばれる歩みができますように」あなたの人生の支配権を、今一度、主イエスにお返ししましょう。あなたが自身がいつの間にか君臨していた人生の王座を、キリストに明け渡すのです。キリストはすべてを支配されるお方ですから、何者からも支配されることはありません。十字架で死に墓より復活したことによっても、「死」ですら主イエスを支配することはないのです。キリストの内には、満ちあふれる神性が、余すところなく、見える形をとって宿っており、あなたがたは、キリストにおいて満たされているのです。キリストはすべての支配や権威の頭です。(コロサイ2:9-10)聖書は、あなたが人生の支配権を救い主イエスキリストに信仰によって委ねたときに、あなたの一切すべての必要を満たしてくださる、と約束しています。特に、ガラテヤ 5:22はどのような素晴らしい実が人生に結ばれてゆくかを証ししています。これに対して、霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です。これらを禁じる掟はありません。(ガラテヤ5:22-23)これらの良い実の中でも、この支配権の問題で苦しんでいる人々が必要としているのが、キリストの平和による支配でしょう。ですから聖書は「キリストの平和があなたがたの心を支配するようにしなさい。」(コロサイ3:15)と勧めています。罪がもたらす間違った信念は、すでに2000年前にキリストと共に十字架に釘付けにされたことをもう一度感謝をして、祈りを捧げましょう。「主イエスよ、どうか私の人生を支配してください。神様に喜ばれる歩みができますようにお導きください。アーメン」わたしたちの古い自分がキリストと共に十字架につけられたのは、罪に支配された体が滅ぼされ、もはや罪の奴隷にならないためであると知っています。(ローマ 6:6)DAY15「間違った信念2」へつづくにほんブログ村「信仰ブログ」バックナンバー: DAY1 罪悪感はどこから? / DAY2 なぜ罪悪感を持ち続けてしまうのか / DAY3 罪悪感という罠に陥ってしまうのはなぜ? / DAY4 罪悪感に陥りやすいタイプ1 / DAY5 罪悪感に陥りやすいタイプ2 / DAY6 罪悪感に陥りやすいタイプ3 / DAY7 罪悪感に陥りやすいタイプ4 / DAY8 罪悪感に陥りやすいタイプ5 /DAY9 怒りへの処方箋 /DAY10 怒りにまつわる迷信 /DAY11 怒る練習 /DAY12 良い怒りvs悪い怒り /DAY13 信念 vs 信仰 /●あなたの一言http://form.mag2.com/stoukiwrur●メルマガ『1分クッキング!聖書レシピ♪』永遠のベストセラー聖書から、家庭・学校・職場で役立つ黄金律(ゴールデンルール)登録・バックナンバー>> http://www.mag2.com/m/M0088649.html●メルマガ『1分クッキング!心のレシピ♪』1分であなたの心をクッキング!心のパテシエ♪があなたに贈るスイーツエッセイ。登録・バックナンバー>> http://www.mag2.com/m/M0085772.html●メルマガ『軌道修正の40日』一言レシピ♪シリーズ 登録>> http://hitokoto4u.sblo.jp/●メルマガ『聖書のことば365DAYS』 バイリンガル+今日の名言バイリンガルで365日毎日お届けする聖書の御言葉。付録:著名人の名言 登録・解除>> http://patissier.xsrv.jp/neo/usrctrl.php?mag_id=3●心にイー・ブック『健康なクリスチャンのライフスタイル』霊的メタボから、バランスのとれた健康クリスチャンへ。E-BOOKのダウンロード。 小冊子(PDF)ダウンロード>> http://healthychristian.seesaa.net/楽天市場で掘り出し物を探す|終了間際オークションまだ1円!|お試し ギフト 送料無料|「訳あり」なのに売れすぎています|
2010.06.17
《罪悪感への処方箋 Day 13》 信念 vs 信仰 私たちの感情は、「信念」というものに大きな影響を受けている場合が多いようです。あなたの信じるものによって、感情が生み出されるということです。その人間が持つ感情の中で、取り扱い注意なのが「怒り」です。ある人は、自分でもコントロールできない怒りを爆発させて、愛する人を深く傷つけてしまい、その関係は修復不能なまでに壊 され、生涯その後悔の念と負い目を背負いながら苦しみ続けています。特に、そのような怒りは、間違った信念から生み出されるのです。間違った信念によくありがちなのが、「わたしは ~であるべきだ」という自分本位な考え方です。聖書は自己中心に生きることを罪と呼んでいますが、その間違った信念は罪から生み出されるがゆえに、結果としてあらゆる人間関係に傷をもたらしてしまうのです。人生の全体はすべて人間関係によって成り立っていますから、人生そのものを大きく狂わせてしまう大きな原因にもなっているようです。このような間違った信念に対して、必要とされるものが「信仰」です。信念と信仰は似ているようでまったく違います。信念(BELIEF)は、育った環境や文化によってその人のうちにいつの間にか築き上げられたものですから、人によって様々バラバラですし、その時の状況によって移ろいやすくもろいものです。それに比較して、信仰(FAITH)は、聖書の御言葉(永遠の約束)を信じることです。信仰とは「神様の絶対的な真理である聖書」という決してぶれたり揺らいだりすることのない土台の上に築かれるものですから、本来は感情には振り回されることはありません。間違った信念を持っている人は、もし、人生がその自分の思い通りにならなかったとき、イライラしたり、腹を立てたり、激しく憤ったりしてしまうのです。そのせいで周囲の人々を被害に巻き込み、振り回し、傷つけ、その人間関係を破壊してしまう危険性を多く持っています。では、間違った信念にはどのようなものがあるのでしょうか。大きく分けて三つある間違った信念について見ていきましょう。また、それに対してわたしたちの信仰の持ち方を学んでまいりましょう。DAY13「三つの間違った信念」へつづくにほんブログ村「信仰ブログ」バックナンバー: DAY1 罪悪感はどこから? / DAY2 なぜ罪悪感を持ち続けてしまうのか / DAY3 罪悪感という罠に陥ってしまうのはなぜ? / DAY4 罪悪感に陥りやすいタイプ1 / DAY5 罪悪感に陥りやすいタイプ2 / DAY6 罪悪感に陥りやすいタイプ3 / DAY7 罪悪感に陥りやすいタイプ4 / DAY8 罪悪感に陥りやすいタイプ5 /DAY9 怒りへの処方箋 /DAY10 怒りにまつわる迷信 /DAY11 怒る練習 /DAY12 良い怒りvs悪い怒り /●あなたの一言http://form.mag2.com/stoukiwrur●メルマガ『1分クッキング!聖書レシピ♪』永遠のベストセラー聖書から、家庭・学校・職場で役立つ黄金律(ゴールデンルール)登録・バックナンバー>> http://www.mag2.com/m/M0088649.html●メルマガ『1分クッキング!心のレシピ♪』1分であなたの心をクッキング!心のパテシエ♪があなたに贈るスイーツエッセイ。登録・バックナンバー>> http://www.mag2.com/m/M0085772.html●メルマガ『軌道修正の40日』一言レシピ♪シリーズ 登録>> http://hitokoto4u.sblo.jp/●メルマガ『聖書のことば365DAYS』 バイリンガル+今日の名言バイリンガルで365日毎日お届けする聖書の御言葉。付録:著名人の名言 登録・解除>> http://patissier.xsrv.jp/neo/usrctrl.php?mag_id=3●心にイー・ブック『健康なクリスチャンのライフスタイル』霊的メタボから、バランスのとれた健康クリスチャンへ。E-BOOKのダウンロード。 小冊子(PDF)ダウンロード>> http://healthychristian.seesaa.net/楽天市場で掘り出し物を探す|終了間際オークションまだ1円!|お試し ギフト 送料無料|「訳あり」なのに売れすぎています|
2010.06.16
《クリスチャンになろう Day 35》主の晩餐式(The Lord's Supper)のQ&AQ. いつ、どれぐらいの頻度でしているの?A.月に一回の主の晩餐式は、毎日へ向けてのきっかけです。主の晩餐式は単なる形式・プログラムの一部ではありません。死んだ神ではなく、今もそしてとこしえに生きて共にいてくださる復活の主イエス・キリストを信じ従うあなたの信仰を真実に告白する場であり、あなた個人にもたらされた救いを見える形で象徴するものです。英語ではThe Lord's Supper と呼ばれていますが(聖餐式とも呼ばれる)、直訳すると「主の夕食」です。これは、主イエスが十字架につけられる前の日の晩に行われたからです。私たちの教会では、毎月一回、第一日曜日に礼拝の中で執り行われています。最後の晩餐の席で、主イエスは食卓を一緒に囲んでいた弟子たちにこのように問いかけました。「はっきり言っておくが、あなたがたのうちの一人で、わたしと一緒に食事をしている者が、わたしを裏切ろうとしている。」(マルコ14:18)それを聞いた弟子たちは心を痛めて、「まさかわたしのことでは」と代わる代わる言い始めました(マルコ14:19)結果的に、ユダは裏切り、主が捕らえられた後にはペトロは主を三度「そんな人など知らない」と否み、他の弟子たちは恐ろしくなってクモの子を散らすように逃げたのです。「もしかして、裏切り者とはわたしのことでは・・・」という一人一人の不安が現実のものとなりました。しかし、主はそのこともすべて知った上で、その弟子たちの罪を担って十字架で死んでくださったのです。墓に葬られ、三日の後に復活された主イエスは再び弟子たちの前に現れ、彼らと共に食事をしました。何度でもゆるし愛し続けてくださる主の憐れみと愛に、弟子たちは深く慰められたのです。日常生活において、「わたしはイエス・キリストなど知らない」というような振る舞いや生き方はしてはいないでしょうか。主の晩餐式をあずかることを通して、主イエスご自身がわたしたち一人一人にその問いを投げかけているのです。ペトロは呪いの言葉すら口にして「そんな人など、見たことも聞いたこともない」と、大勢の前で言ってしまいましたが、鶏の声を聞いて我に返りその場に泣き崩れました。しかし、復活した主はペトロを見捨てることなく、その姿を現しもう一度食卓へと招いてくださったのです。主の食卓へ招かれ、主の食卓からそれぞれの場所へと遣わされ、そしてまた、主の食卓へ戻ってくるのです。ですから、主の晩餐式は毎日の生活の中心に主を覚え続ける一つのきっかけとされるのです。次回、教会でのバプテスマ式は何月何日でしょうか。今すぐ、スケジュール帳に記入しましょう。ぜひ今から、今度教会で執り行われる主の晩餐式に備えてください。 主の晩餐式のために、今日から日々備えなくてはならないのです。なぜなら、自己吟味をすることや罪を告白することには主の晩餐式の時だけ思い出したように慌ててするようなものではなく、本来じっくりと時間をかけてなされるべきものだからです。とりわけ、人間関係の和解においては、即席でできるようなものではありません。教会で毎月一回執り行われる主の晩餐式は、キリストの死を記念として覚える、一つのきっかけに過ぎません。それを通して、あなたは日々、キリストの死を覚え、自己吟味をし、罪を告白し、和解し、再献身をする歩みを成すためにそれぞれの家庭、学校、職場へと遣わされているのです。初代教会のクリスチャンは、毎日のように集まり食事をしながら、主イエスの死を記念していました。信者たちは皆一つになって、...毎日ひたすら心を一つにして神殿に参り、家ごとに集まってパンを裂 き、喜びと真心をもって一緒に食事をし、神を賛美していた(使徒 2:44-47)にほんブログ村DAY36へつづくバックナンバー: DAY1「100%のクリスチャンとは」 / DAY2「唯一の特権」 / DAY3「神様の喜びファースト」 / DAY4「人生に立ち阻む問題」/ DAY5「罪が引き起こす問題」 / DAY6「回復を妨害するもの」/ DAY7「妨害する固定観念」/ DAY8「惑わす誤解」/DAY9「大きな勘違い」/DAY10「解決の道」/DAY11「切なる願い」/DAY12「疑いvs信頼」/DAY13「口から自然に出る言葉」/DAY14「取り越し苦労はやめる」/DAY15「もう遠慮はいらない」/DAY16「信頼関係を築く」/DAY17「ただ一人を通して」/DAY18「冒険の第一歩」/DAY19「バプテスマってなあに?」/DAY20「見えないものが見える象徴」/DAY21「Totally Immersed(完全に浸される)」/DAY22「あなた自信で」/DAY23「神様のタイミングで」/DAY24「クリスチャンに卒業はない」/DAY25「今度はあなたの番」/DAY26「信仰告白の準備」/DAY27「バプテスマ式当日」/DAY28「主の晩餐式ってなあに?」/DAY29「象徴するもの」/DAY30「死を告げ知らせる」/DAY31「手元の招待状」/DAY32 「自分自身をよく見つめて」/DAY33 「拒否することを拒否する」/DAY34 「その供え物を携えて」
2010.06.16
神様のハートをあなたのハートに ネヘミヤはエルサレムの状況を詳 しく調べ、その内容はネヘミヤの心にその後の彼の生き方そのものを変えるほどの大きな影響をもたらしました。 そのときの様子を、聖書はこのように記しています。 これを聞いて、わたしは座り込んで泣き、幾日も嘆き、食を断ち、天にいます神に祈りをささげた。 (ネヘミヤ1:4) 神殿の壁が長い年月壊されたままである事実に、ネヘミヤは心をひどく痛めました。しかし実は、ネヘミヤのこの心の痛みは、神様から与えられたものでした。 どういうことかというと、ネヘミヤがこのように心を痛めるずっと前から、神様が誰よりも最初から荒れ果てたエルサレムとそこに住む人々に対して心を深く痛 めていました。そして、いつも神様の御心を知ってそれに従順に従おうとしていたネヘミヤの信仰が、神様の心と一つにされたのです。 つまり、神様がエルサレムに対して感じていることを、そのままリアルにネヘミヤも体験したのです。ネヘミヤは神様の心のまなざしでエルサレムを見た時 に、その場に座り込んで涙を流して、毎日のように泣く以外にありませんでした。そして、そのまったく変えら れてしまった彼の心に刻まれた神様のビジョンが、城壁再建という大きな働きへと突き動かしたのです。 教会のビジョンを祈り求めるときは、神様があなたの教会が建つ地域の現状をどのように感じているか、その神様の心をあなたの心として一つとすること から始まります。単に個人的な達成感や満足感を得るための目標を立てて、神様に助けてくださいとお願いすることは、本当のビジョンではありませ ん。 まずは、神様の御心とあなたの心が一つとされるよう、祈り求めましょう。にほんブログ村[目的主導ブログ] 『目的主導の教会への道』について、もっと詳しく知りたい方は、こちらも合わせてお読みください。>>http://blog.goo.ne.jp/kokurachurch/↑小倉キリスト教会でのケーススタディーPurpose Driven Fellowship ~牧師やリー ダーのための3ヵ年PDトレーニング・プログラム~>>サイト http://pdfellowshipjapan.blogspot.com/『健 康な教会を建て上げるために』~牧師やリーダーのための3年セミナープログラム~講師:デイブ・ホールデン>> イ ントロダクション・セッション、メインセッション1のプログラム詳細
2010.06.15
メールマガジン『1分クッキング!心のレシピ♪』より●メルマガ『1分クッキング!心のレシピ♪』1分であなたの心をクッキング!心のカフェタイム。スイーツエッセイ。 登録・バックナンバー>> http://www.mag2.com/m/M0085772.html逸品スイーツ♪ 【 景色を変えてみる】あなたは今どのような困難な状況に直面していますか。苦しい経験や、悩ませる問題を乗り越えるときわたしたちは様々な表現をします。「忙しくて、もう死にそうだ・・・」「この職場は人生の墓場だ・・・」「今から商談だ。戦場に行って来る」「あの上司の下で働くのはまるで地獄だ・・・」「仕事が多くて殺されてしまう・・・」などなど・・・しかし、もし本当にその言葉どおりの状況なら警察か救急車を呼んだほうがよいでしょう・・・人はみな、事実より、大げさに表現することでいかに自分が大変な状況に置かれているかを強調する傾向があるようです。これは、周囲の人たちに「心配して欲しい」、「同情して欲しい」、という人間の弱さのあわられでもあります。あなたはいかがでしょうか。知らず知らずのうちにネガティブで恐ろしい単語を用いてあなたの心や感情を誇張してはいないでしょうか。そのような心にも思ってもいない言葉を最初は面白半分で使い始めても、だんだん、困難な状況を乗り越えることそのものが辛く、恐ろしいものだというネガティブな感情を心に植えつけてしまうのです。佐賀のがばいばあちゃんは、孫の1と2ばかりの通信簿を見て「人間は総合力。全部足せば5になる」と言いました。マイナスと思えるような状況でも、視点を変えその表現を変えるだけでそれはプラスへと無限に変化していくのです。困難な試練に遭ったときは「成長への階段を、また一段上へ昇らせていただいている」「将来、より大きな働きをするための準備」「ジグソーパズルの美しい写真を完成させるための、なくてはならない1ピース」「一つ一つの出会いは、神様が与えてくださった素晴らしい奇跡」「今日一日、命与えられ、生かされている。感謝」などなど。あなたが、思いつく限りのより楽しい喜びと希望に表現をふんだんに使うようにしましょう。日々、その表現力を養うのです。そうすれば、あなたの過ごす一日の景色はどのように変わるでしょうか。★「一日の景色を鮮やかに変える」聖書のことばをプレゼント★「苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。 私は、それであなたのおきてを学びました。」 (詩篇119:71) にほんブログ村・景色鮮やかブログ あなたの一言♪http://form.mag2.com/stoukiwrur● メルマガ『1分クッキング!聖書レシピ♪』永遠のベストセラー聖書から、家庭・学校・職場で役立つ黄金律(ゴールデンルール)登 録・バックナンバー>> http://www.mag2.com/m/M0088649.html●メルマガ 『1分クッキング!心のレシピ♪』1分であなたの心をクッキング!心のパテシエ♪があなたに贈るスイーツエッセイ。登録・ バッ ク ナンバー>> http://www.mag2.com/m/M0085772.html●メルマガ 『軌道修正の40日』一言レシピ♪シリーズ 登録>> http://hitokoto4u.sblo.jp/● メルマガ『聖書のことば365DAYS』 バイリンガル+今日の名言バイリンガルで365日毎日お届けする聖書の御言葉。付録:著 名 人 の 名言 登録・解除>> http://patissier.xsrv.jp/neo/usrctrl.php?mag_id=3● 心にイー・ブック『健康なクリスチャンのライフスタイル』霊的メタボから、バランスのとれた健康クリスチャンへ。E-BOOKのダ ウ ン ロード。 小冊子(PDF)ダウンロード>> http://healthychristian.seesaa.net/楽天市場で掘り出し 物を探す|終了間際オークションまだ1円!|お試し ギフト 送料無料|「訳あり」なのに売れすぎています|
2010.06.15
《クリスチャンになろう Day 34》主の晩餐式(The Lord's Supper)のQ&AQ. どのような準備をしたらいいの?(パート3)A.自分自身をよく見つめながら臨みましょう。(前回DAY32 「自分自身をよく見つめて」、DAY33 「拒否することを拒否する」らの続き)主の晩餐に必要な準備:四つの吟味のうちの4つ目です。 4.関係の回復主の晩餐式は壊れた人間関係に修復をもたらすための素晴らしいチャンスを与えてくれます。主イエスはこのように教えています。「だから、あなたが祭壇に供え物を献げようとし、兄弟が自分に反感を持っているのをそこで思い出したなら、その供え物を祭壇の前に置き、まず行って兄弟と仲直りをし、それから帰って来て、供え物を献げなさい。」(マタイ5:23-24)仲直りしなければいけない人、あなたが謝らなければいけない人、あなたがゆるさなければいけない人、など、和解が必要な人間関係をそのまま放っておいている状態を、聖書は「(主の晩餐をあずかるに)ふさわしくないまま」の状態だと主は言っています。もし、今そのような心当たりのある人がいるならば、神様に祈りましょう。あなたにとって難しいと思えるような人間関係においても、不可能を可能にされる神様が必ずや和解を成し遂げてくださるのです。このように、人間関係に修復が必要な部分においても、自らを吟味、罪の告白、再献身、和解がもたらされるための、素晴らしいチャンスを主の晩餐式は与えてくださっているのです。なによりも先ず、父なる神さまと罪人を和解をもたらした主イエスが、あなたの人生の全ての人間関係の間でとりなし手として和解をもたらしてくださるのです。主の晩餐式にあずかる度に、十字架のふもとに立ち返って、「主は何のために十字架に架かり、血を流されたのか?」という、神様の目的とご計画を思い起こす度に、自らを見つめ直すことができるのです。にほんブログ村DAY35へつづくバックナンバー: DAY1「100%のクリスチャンとは」 / DAY2「唯一の特権」 / DAY3「神様の喜びファースト」 / DAY4「人生に立ち阻む問題」/ DAY5「罪が引き起こす問題」 / DAY6「回復を妨害するもの」/ DAY7「妨害する固定観念」/ DAY8「惑わす誤解」/DAY9「大きな勘違い」/DAY10「解決の道」/DAY11「切なる願い」/DAY12「疑いvs信頼」/DAY13「口から自然に出る言葉」/DAY14「取り越し苦労はやめる」/DAY15「もう遠慮はいらない」/DAY16「信頼関係を築く」/DAY17「ただ一人を通して」/DAY18「冒険の第一歩」/DAY19「バプテスマってなあに?」/DAY20「見えないものが見える象徴」/DAY21「Totally Immersed(完全に浸される)」/DAY22「あなた自信で」/DAY23「神様のタイミングで」/DAY24「クリスチャンに卒業はない」/DAY25「今度はあなたの番」/DAY26「信仰告白の準備」/DAY27「バプテスマ式当日」/DAY28「主の晩餐式ってなあに?」/DAY29「象徴するもの」/DAY30「死を告げ知らせる」/DAY31「手元の招待状」/DAY32 「自分自身をよく見つめて」/DAY33 「拒否することを拒否する」
2010.06.15
《クリスチャンになろう Day 33》主の晩餐式(The Lord's Supper)のQ&AQ. どのような準備をしたらいいの?(パート2)A.自分自身をよく見つめながら臨みましょう。(前回DAY32 「自分自身をよく見つめて」からの続き)主の晩餐に必要な準備:四つの吟味のうちの三つ目です。3.再献身主の晩餐式は、再献身の絶好の機会です。聖書が「ふさわしくないままで、パンと杯を受けてはならはならない」と教えていますが、時々、「最近罪を犯してしまいました。だから今はふさわしい状態じゃないから、今日は受けません」と言って、主の晩餐にあずかることを拒否されるクリスチャンの方がいます。自らの罪を認める姿勢はとても信仰的だとは思いますが、パンと杯そのものを拒否することは正しい考え方ではありません。これは、主の晩餐を拒むことで、キリストの食卓への招きそのものを拒否していることになります。「ふさわしくないままで主のパンを食べたり、その杯を飲んだりする者は、主の体と血に対して罪を犯すことになります。だれでも、自分をよく確 かめたうえで、そのパンを食べ、その杯から飲むべきです。(1コリント11:27-28)この1コリント11:27の後半の一語一語によく注目して見てください。「絶対にあずかってはいけません」とは、言ってはいません。むしろ、「だれでも、自分をよく確かめたうえで、そのパンを食べ、その杯から飲むべきです。」(1 コリント11:28)と憐れみを持って勧めているのです。どういう意味かと言えば、「ふさわしくないまま」であずかってしまうことがないように今一度自分を吟味し、告白すべき罪は告白してから「もう一度主に従います」という再献身の決意と信仰告白を、その晩餐にあずかる態度をもって神様に示すのです。クリスチャンとは、イエスを人生の主として迎え入れ、その僕(しもべ)となって生涯仕えていく決意をした者たちのことを言います。王の王、主の主であられる救い主イエス・キリストの「記念して行いなさい」というご命令ですから、それを拒むことは本来ならできないはずです。もちろん、主の晩餐にあずかることは、本人の信仰による自由意志と決意にもとずくものですから、強制ではありませんが、神様はあなた自身の決断をもって歩みだす一歩を待っていてくださっているのです。裏切りのユダは、自分が主イエスを売って敵に引き渡したことを後悔はしたものの、その後に主イエスのもとに立ち返ろうとはしませんでした。同様に、主の晩餐を拒否することは「自らの罪を認めつつも、主に立ち返ろうとしない傲慢」がそこには見え隠れしていると言ってよいでしょう。こういうわけで、兄弟たち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。(ローマ 12:1)主イエスは既にあなたのために、十字架で苦しみを受け、その憐れみによって今日もあなたを招いてくださっています。ですから、その主の食卓の席にただただ着かせていただくこと以外に、私たちクリスチャンの応答方法はないのです。むしろ、罪の告白と再献身を通してあなた自身の体を神様への最高の供え物として捧げることができる、素晴らしい機会としましょう。にほんブログ村DAY34へつづくバックナンバー: DAY1「100%のクリスチャンとは」 / DAY2「唯一の特権」 / DAY3「神様の喜びファースト」 / DAY4「人生に立ち阻む問題」/ DAY5「罪が引き起こす問題」 / DAY6「回復を妨害するもの」/ DAY7「妨害する固定観念」/ DAY8「惑わす誤解」/DAY9「大きな勘違い」/DAY10「解決の道」/DAY11「切なる願い」/DAY12「疑いvs信頼」/DAY13「口から自然に出る言葉」/DAY14「取り越し苦労はやめる」/DAY15「もう遠慮はいらない」/DAY16「信頼関係を築く」/DAY17「ただ一人を通して」/DAY18「冒険の第一歩」/DAY19「バプテスマってなあに?」/DAY20「見えないものが見える象徴」/DAY21「Totally Immersed(完全に浸される)」/DAY22「あなた自信で」/DAY23「神様のタイミングで」/DAY24「クリスチャンに卒業はない」/DAY25「今度はあなたの番」/DAY26「信仰告白の準備」/DAY27「バプテスマ式当日」/DAY28「主の晩餐式ってなあに?」/DAY29「象徴するもの」/DAY30「死を告げ知らせる」/DAY31「手元の招待状」/DAY32 「自分自身をよく見つめて」
2010.06.14
《クリスチャンになろう Day 32》主の晩餐式(The Lord's Supper)のQ&AQ. どのような準備をしたらいいの?A.自分自身をよく見つめながら臨みましょう。聖書は、主の晩餐にどのようにあずかるべきか、についてこのように言っています。従って、ふさわしくないままで主のパンを食べたり、その 杯を飲んだりする者は、主の体と血に対して罪を犯すことになります。だれでも、自分をよく確かめたうえで、そのパンを食べ、その杯から飲むべきです。(1 コリント11:27-28)主の晩餐式にあずかるためには、あなた自身を吟味することが必要です。吟味とは、あなた自身をよく見つめ十分に調べる、という意味です。主の晩餐式にあずかる前に牧師の導きで祈るとき、一緒に主の御前で心を静めて自分自身を見つめる時を持ちます。自分自身をよく吟味してふさわしい態度で臨むために具体的には四つの吟味を必要とします。1.自己吟味自分自身を吟味するために、このように祈りましょう。「神様、主の晩餐をあずかるにあたって、私の人生に何か告白する罪がないでしょうか。神様に喜ばれない生き方をしている部分があるなら、どうぞそれをお示しください」もしかしたら、礼拝の真っ只中で、聖書の御言葉を通して既にあなたに主は語ってくださったかもしれません。その主からの語りかけを真摯に受け止めましょう。自分が神様から示された御言葉によって心がチクチクと刺されることを回避するために、無理やり他人に当てはめようとしてしまう方もまれにいますが、それは賢明ではありません。なぜなら、聖書は自分自身をよく吟味しなさい、と教えているからです。自己吟味に、他人はまったく関係ありません。神様とあなたの二人っきりの場面でなされるべきことなのです。イエス・キリストはあなたの罪を担い、十字架で苦しみを受け命を捧げてくださいました。これからあなたがあずかろうとするパンが何を象徴するのか。杯は何を象徴しているのか。そして、今日、わたしはどうなのか、を再確認します。忙しい日常生活の中で、自分自身を見つめ直す時間を確保することは至難の業です。わたしたちは、日々の生活に流されるままに、いつの間にか的はずれな生き方に逆行してしまっていることが多い中で、主のみ前で自己吟味ができることは素晴らしい恵みの機会なのです。2.罪の告白示された罪があるならば、それを悔い改め告白する祈りを捧げましょう。悔い改めとは救いです。悔い改めのないところに救いはありません。しかしながら、あるクリスチャンは罪を示されることを恐れ、自分自身を吟味することを避けたり、示された罪があっても気づかないふりをしたりするようです。ここで思い出して欲しいのは、罪の告白は恐ろしいことでもなんでもなく、救いであり喜びなのです。なぜなら、主イエスはその罪を既に2000年前に担って、十字架で命を捧げてくださったからです。1ヨハ1:9が「自分の罪を公に言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、罪を赦し、あらゆる不義からわたしたちを清めてくださいます。」と教えているように、罪の示しと自覚は、あなたを告白の祈りへと導き、そして神のゆるしと平安が与えられるための素晴らしい祝福であり幸いなのです。罪の示しと自覚がなければ、そして悔い改めもなければ、罪の赦しもありません。さらには、どれだけ「神は愛です」と頭では分かっていても、神さまの赦しを体験できなければ、その愛の奥深さを味わうことはできません。自己吟味がない人の知っている神の愛とはとても表面的で薄っぺらいものとなってしまいます。罪の示しから、罪の告白へと、さらには罪のゆるしによって神の愛を再び体験できる、絶好の機会として与えられているのです。家庭、学校、職場におけるあなたの日常の生活ではどれぐらい罪を告白する機会があるでしょうか?「忙しくて、とても悠長に罪の告白をしている場合ではない」と感じてはいないでしょうか。もしくは、忙しさにかまけて、罪の告白を避け、その機会をずるずると引き延ばしてしまってはいないでしょうか。もしそうであるなら、心の片隅に住み着いている罪悪感があなたを苦しめ続けるているのも事実でしょう。だからこそ、主の晩餐式は定期的にその機会をあなたに与えてくれる神様の恵みなのです。告白した罪は赦されるという聖書の約束ですから、逆に告白しないことは、とてもとてももったいないことなのです。にほんブログ村DAY33へつづくバックナンバー: DAY1「100%のクリスチャンとは」 / DAY2「唯一の特権」 / DAY3「神様の喜びファースト」 / DAY4「人生に立ち阻む問題」/ DAY5「罪が引き起こす問題」 / DAY6「回復を妨害するもの」/ DAY7「妨害する固定観念」/ DAY8「惑わす誤解」/DAY9「大きな勘違い」/DAY10「解決の道」/DAY11「切なる願い」/DAY12「疑いvs信頼」/DAY13「口から自然に出る言葉」/DAY14「取り越し苦労はやめる」/DAY15「もう遠慮はいらない」/DAY16「信頼関係を築く」/DAY17「ただ一人を通して」/DAY18「冒険の第一歩」/DAY19「バプテスマってなあに?」/DAY20「見えないものが見える象徴」/DAY21「Totally Immersed(完全に浸される)」/DAY22「あなた自信で」/DAY23「神様のタイミングで」/DAY24「クリスチャンに卒業はない」/DAY25「今度はあなたの番」/DAY26「信仰告白の準備」/DAY27「バプテスマ式当日」/DAY28「主の晩餐式ってなあに?」/DAY29「象徴するもの」/DAY30「死を告げ知らせる」/DAY31「手元の招待状」
2010.06.11
《クリスチャンになろう Day 31》主の晩餐式(The Lord's Supper)のQ&AQ. 主の晩餐式は、誰でもあずかることができるの?A.信じているならば、あずかることができます。あなたが、イエス・キリストを自分の救い主と信じているならば、一緒にあずかることができます。主イエスは十字架につけられる前の晩に主の晩餐を執り行われました。その食卓で共に主の晩餐を受けることができたのは12人の弟子たちでした。イエス・キリストを人生の主と告白し従っている者たちだけが、その主の晩餐にあずかることができたのです。私たちの教会では、毎月第一日曜日の礼拝の中で主の晩餐式を行っています。礼拝の内容は未信者や求道者の方々向けの分かりやすい内容になっていますが、クリスチャンが主の晩餐式をあずかりその信仰を告白している姿を見ていただくことでも、イエス・キリストを救い主と信じ告白して生きることの意味を深く理解することができます。未信者の皆さんが「わたしも自分の意思と決意でイエス・キリストを救い主と信じて、いつの日か皆と一緒に主の晩餐にあずかりたい」という思いが与えられるようにとという願いをもって、礼拝の中で執り行っています。主の晩餐式は、イエス・キリストを救い主を信じているという心の中の出来事を見える形で現す信仰告白です。ですから、「どんな味なんだろう、試食してみよう」とか、「あー、小腹が空いた。ちょっと食べてみよう」というような、その意味を理解しないまま軽はずみに食べてしまえば、自らに裁きを招くと聖書は戒めています。「主の体のことをわきまえずに飲み食いする者は、自分自身に対する裁きを飲み食いしているのです。」(1コリント11:29)他の皆が主の晩餐式をあずかっているのに、自分だけがまだ信じていないからあずかれないために、「疎外感」「孤独感」「仲間はずれにされた感」を感じてしまう人は少なくありません。しかし、それはまったくの誤解です。イエス・キリストはあなたの罪を担い、2000年前に既にあなたのために十字架で死なれ復活してくださいました。ですから、あなたは既にいま主の食卓に招待されているのです。今度は、あなた自身が、その招きに応えてイエス・キリストを救い主と信じて、食事の交わりの席に着く番なのです。周囲のクリスチャンはあなたのために「いつか、自身の決断と信仰によって一緒に主の晩餐式をあずかれる日が来ることができますように」と心の中で切に祈りながら、主の晩餐を受けているのです。ですから、あなたは決して孤独なんかではありません。決して仲間はずれにされているわけでもないのです。あなたは主の晩餐式の場面においても、忍耐をもって待ち続ける神の愛と憐れみに包まれながらその時を過ごしているのです。主の晩餐式は、イエス・キリストを救い主と信じている者たちのために、主ご自身が制定されました。招待状はあなたの手元にあります。あとは、あなた自身がその招きに真心を込めて応答し、信仰によってその食卓の交わりの席に着くだけでよいのです。信者たちは皆一つになって、...そして、毎日ひたすら心を一つにして神殿に参り、家ごとに集まってパンを裂き、喜びと真心をもって一緒に食事をし、神を賛美していた(使徒2:44-47)にほんブログ村DAY32へつづくバックナンバー: DAY1「100%のクリスチャンとは」 / DAY2「唯一の特権」 / DAY3「神様の喜びファースト」 / DAY4「人生に立ち阻む問題」/ DAY5「罪が引き起こす問題」 / DAY6「回復を妨害するもの」/ DAY7「妨害する固定観念」/ DAY8「惑わす誤解」/DAY9「大きな勘違い」/DAY10「解決の道」/DAY11「切なる願い」/DAY12「疑いvs信頼」/DAY13「口から自然に出る言葉」/DAY14「取り越し苦労はやめる」/DAY15「もう遠慮はいらない」/DAY16「信頼関係を築く」/DAY17「ただ一人を通して」/DAY18「冒険の第一歩」/DAY19「バプテスマってなあに?」/DAY20「見えないものが見える象徴」/DAY21「Totally Immersed(完全に浸される)」/DAY22「あなた自信で」/DAY23「神様のタイミングで」/DAY24「クリスチャンに卒業はない」/DAY25「今度はあなたの番」/DAY26「信仰告白の準備」/DAY27「バプテスマ式当日」/DAY28「主の晩餐式ってなあに?」/DAY29「象徴するもの」/DAY30「死を告げ知らせる」
2010.06.10
《クリスチャンになろう Day 30》主の晩餐式(The Lord's Supper)のQ&AQ.1 主の晩餐式ってなあに?(パート3)主の晩餐式の持つ三つの意味のうちの最後の三つ目です。3.それは信仰告白であるだから、あなたがたは、このパンを食べこの杯を飲むごとに、主が来られるときまで、主の死を告げ知らせるのです。(1コリント11:26)この御言葉が教えているように、主の晩餐を行うことは主イエス・キリストを告げ知らせるということです。それを「信仰告白」と呼びます。信仰告白とは、つまり、「イエスさまは、私の罪の身代わりで十字架で死んでくださった。私の罪を担い、十字架で肉引き裂かれ、あがないの代価としての血を流してくださった。それは、わたしのために流された血潮であり、私をそれを信じます!」という、あなたの信仰を見える形で表すことです。信仰告白はあなたの言葉で伝えることだけにとどまらず、主の晩餐式を通してパンと杯を受ける行動(アクション)によって主イエス・キリストの死と復活を告白することです。この地上であなたが生かされている限り、又、「主が来られるときまで」、告白し続けることを神様は望んでおられるのです。ローマ10:10には「実に、人は心で信じて義とされ、口で公に言い表して救われるのです。」と約束しています。バプテスマと同様に、主の晩餐を通しても、あなたの心の内側で起こった出来事が、外側に現されるのです。これらの二つの礼典は、キリストの「受肉」を象徴するものでもあります。目に見えないものが見える形として現実となってあらわされることを受肉と呼びます。イエス・キリストは、目に見えない神さまが、見える姿(人の姿)で、イエス・キリストとして現れました。そして、目に見えない「神の愛」が、目に見える形でイエス・キリストを通して完全に現されたのです。同様に、バプテスマや主の晩餐を通して、目に見えないあなたの信仰が、見える形で表されることは、すべて神様が良しとされる神様の方法なのです。皆さんが住んでいる地域に建てられた教会で、なぜ、バプテスマ式が行われ、主の晩餐式が執り行われ続けているのでしょうか。それは、イエスさまが私たちのために死んで葬られ、そして復活されたことを告白するためです。それは、私たちの罪を担って十字架の上で肉引き裂かれ血を流したという事実を信じる信仰を告白するためのものなのです。そしてそれは、信仰によって、「わたしもキリストと共に葬られ、キリストと共に復活し、罪は贖われ、赦された。永遠の命を受けた」という事実を見える形で告白し、証することなのです。つまり、教会の地域に住む人々に対して、イエス・キリストの死と復活を告げ知らせる象徴として用いられるということです。 私たちの教会では、礼拝の中でこの主の晩餐式が執り行われ、「イエス・キリストを救い主と信じて告白している方はどうぞご一緒にお取り下さい」と勧めます。その場には初めて教会に来られた未信者の方もいらっしゃいますが、主の晩餐式でクリスチャンがパンと杯(ぶどうジュース)を信仰をもって真実に 受けている様子を見ていただくことで、キリストの死と復活の象徴として地域に証しされていくのです。これは、単なる宗教儀式でも形式でもありません。既にあなたの人生の起こった事実が、あなたを通して告げ知らされることで、今なお生きて働くまことの神、イエス・キリストが証しされ続けるという福音宣教の業です。主イエスは「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。」(マルコ16:15)と命じられました。また、「だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。」(マタイ28:19-20)とも命令されたのです。このようにして、バプテスマ式や主の晩餐式を通して、私たちクリスチャンは主イエスがこの地上での生涯でなされた福音宣教のバトンを受け継ぎ、その命令に従うことで主の働きに参加させていただくことができるのです。にほんブログ村DAY31へつづくバックナンバー: DAY1「100%のクリスチャンとは」 / DAY2「唯一の特権」 / DAY3「神様の喜びファースト」 / DAY4「人生に立ち阻む問題」/ DAY5「罪が引き起こす問題」 / DAY6「回復を妨害するもの」/ DAY7「妨害する固定観念」/ DAY8「惑わす誤解」/DAY9「大きな勘違い」/DAY10「解決の道」/DAY11「切なる願い」/DAY12「疑いvs信頼」/DAY13「口から自然に出る言葉」/DAY14「取り越し苦労はやめる」/DAY15「もう遠慮はいらない」/DAY16「信頼関係を築く」/DAY17「ただ一人を通して」/DAY18「冒険の第一歩」/DAY19「バプテスマってなあに?」/DAY20「見えないものが見える象徴」/DAY21「Totally Immersed(完全に浸される)」/DAY22「あなた自信で」/DAY23「神様のタイミングで」/DAY24「クリスチャンに卒業はない」/DAY25「今度はあなたの番」/DAY26「信仰告白の準備」/DAY27「バプテスマ式当日」/DAY28「主の晩餐式ってなあに?」/DAY29「象徴するもの」
2010.06.09
《クリスチャンになろう Day 29》主の晩餐式(The Lord's Supper)のQ&AQ.1 主の晩餐式ってなあに?(パート2)主の晩餐式の持つ三つの意味のうちの二つ目です。2.それは象徴(シンボル)である主イエスは、弟子たちと食卓を囲み、パンとぶどう酒を取って弟子たちに分け与えました。今日、私たちが教会で執り行われる主の晩餐式でパンと杯を受けることは、二つのことを象徴しています。一つは、それは、「イエス・キリストはあなたの罪のあがないのために十字架で死なれ復活してくださった」という歴史的事実を象徴します。主イエスはパンを裂き、杯を配りながら、「このパンはわたしの体です。この杯はわたしの血です」と言われましたが、それを象徴として受けるようにと勧めたのであって、文字通りに手品のように「パンが肉体にシュっと変化し、杯がパッと血に変わった」という意味で言ったのではありません。主イエスは十字架にかけられ血を流す前の晩に、食事の席で象徴として言われたことなのです。ある日、4歳の息子と一緒に鏡を見ながら、「ほらあそこにもパパがいるよ」と言うと、「違う、パパはこっちだよ」と手をつないでいた私を指差しました。「じゃあ、あそこにいるのは誰?」と聞くと、「あれはパパじゃなくて鏡だよ」と答えたのです。息子は、鏡の中にいる人は本物ではなく、単に鏡が本物を映し出しているだけだということを良く知っていたのです。主イエスは、自分自身のことを色々なものにたとえて、象徴として語っています。例えば、主イエスが「わたしはまことのぶどうの木」(ヨハネ15:1)と言われましたが、主イエスの背中からつるがのびて実際にブドウの実がなっているという意味ではありません。また、「わたしは、命のパンである。」(ヨハネ6:48)と言われましたが、ベーカリーで焼きたてパンとして他の菓子パンやお惣菜パンと一緒に売られているいるというわけでもないのです。主イエスは象徴として、自らをパンと杯にたとえたのです。もう一つは、「イエス・キリストを信じることによって、わたしの罪はゆるされ、新しい命によみがえらせていただいた」という事実を象徴します。このパンと杯を受けるという行為を通して、あなたがイエス・キリストを救い主と信じて従っているその信仰を見える形で公に現し続けているのです。主イエスはこのように言われました。「この杯は、わたしの血によって立てられる新しい契約である。飲む度に、わたしの記念としてこのように行いなさい」(1コリント11:25)。つまり、主の晩餐式は、主イエスとの契約でありご命令であるのです。あなたがクリスチャンとしてその約束を喜んで守り、そのご命令にへりくだって従うことによって、あなたの「神様に対する従順」を告白することができるのです。にほんブログ村DAY30へつづくバックナンバー: DAY1「100%のクリスチャンとは」 / DAY2「唯一の特権」 / DAY3「神様の喜びファースト」 / DAY4「人生に立ち阻む問題」/ DAY5「罪が引き起こす問題」 / DAY6「回復を妨害するもの」/ DAY7「妨害する固定観念」/ DAY8「惑わす誤解」/DAY9「大きな勘違い」/DAY10「解決の道」/DAY11「切なる願い」/DAY12「疑いvs信頼」/DAY13「口から自然に出る言葉」/DAY14「取り越し苦労はやめる」/DAY15「もう遠慮はいらない」/DAY16「信頼関係を築く」/DAY17「ただ一人を通して」/DAY18「冒険の第一歩」/DAY19「バプテスマってなあに?」/DAY20「見えないものが見える象徴」/DAY21「Totally Immersed(完全に浸される)」/DAY22「あなた自信で」/DAY23「神様のタイミングで」/DAY24「クリスチャンに卒業はない」/DAY25「今度はあなたの番」/DAY26「信仰告白の準備」/DAY27「バプテスマ式当日」/DAY28「主の晩餐式ってなあに?」
2010.06.08
《クリスチャンになろう Day 28》主の晩餐式ってなあに? 主の晩餐式(The Lord's Supper)のQ&A主イエスが定めた二つの礼典のもう一つは「主の晩餐式(The Lord's Supper)」です。これは、あなた自身がパンと杯を受けることによって「イエス・キリストの十字架による死と復活を覚え続けることができるように」と、主イエスが命じられたものです。教会によっては、これを「聖餐式(Holy Communion)」と呼ぶところもありますが、私たちの教会では「主の晩餐式」と呼び礼拝の中で月に一回執り行われています。これらの二つの礼典、バプテスマ式と主の晩餐式は共に、あなたの救いを象徴するシンボルです。ですから、その儀式自体があなたを救うのではありません。「救い主イエス・キリストに従順に従います」という、あなたの内側で成された信仰告白を見える形で表すのが、この主の晩餐式なのです。主イエスは、これを繰り返し行うよう、あなたに命じておられます。それでは主の晩餐式についてQ&A形式で学んで参りましょう。Q.1 主の晩餐式ってなあに?主の晩餐式には大まかに三つの意味があります。まず一つ目。1.忘れずに覚えるためのもの主イエスは十字架にかけられる前の晩に、食卓を整えて弟子たちと食事を共にしました。それは、「明日は長一日になりそうだから、備えて腹ごしらえをしよう」という主の意図ではありません。また、祭司長や長老たちの使いが棒や剣を持って主イエスを捕まえに向かって来ている最中に、主イエスも弟子たちも「これから自分たちの上に襲ってくる試練」を思えば、本当ならば「食事ものどを通らない」ほどの心理状況だったはずです。その普通の感覚なら、優雅に食事をしている場合ではないという程のその危機的状況の中で、主はあえて食卓を整えられました。それは、弟子たちに一つの大切なメッセージを伝えたかったからです。その時の食事の様子が、1コリント11:23-25には描かれています。すなわち、主イエスは、引き渡される夜、パンを取り、感謝の祈りをささげてそれを裂き、「これは、あなたがたのためのわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい」と言われました。また、食事の後で、杯も同じようにして、「この杯は、わたしの血によって立てられる新しい契約である。飲む度に、わたしの記念としてこのように行いなさい」と言われました。主は繰り返して2回、「わたしの記念としてこのように行いなさい」と言われました。つまりイエスが弟子たちにどうしても伝えたかったメッセージとは、「あなたの救いのためにわたしが受けた十字架の犠牲を、決して忘れることなく覚え続けなさい」というご命令だったのです。なぜ、主イエスは、わざわざこのようなご命令をしたのでしょうか。それは、私たち人間はいとも簡単に大切なことを忘れてしまう弱さを持っていることを知っていたからです。聖書が人間の弱さを「葦」に例えていることを知っていた哲学者パスカルは、「人間は考える葦である。」という有名な言葉を残しました。わたしの中学時代の生物の先生は、いつもそのパスカルの言葉をもじって「人間は忘れる葦である。復習を欠かさず行いなさい」と何度も言っていたことを思い出します。クリスチャンとして信仰生活を送っていると、実に数多くの神様から受けた恵みを忘れてしまっていることに誰もが気づくのです。教会に行って、「ああ、とても恵まれた」とどれだけ深く感じたとしても、時間の経過とともにその喜びも薄れてしまいます。聖書のメッセージを聞いて「主がお語りくださった」と感動しても、日が暮れる頃にはどんな話だったほとんど思い出せなくなります。苦しいときは「神様助けて!」と熱心に祈っていても、お祈りがきかれて喜びに満ちてしまったら、ぱったりと祈ることはなくなり、何を祈ったかすら忘れてしまっていることも多いでしょう。人間の記憶力には限界があるようで、聞いたことは72時間以内に90%忘れてしまう、と言われています。しかし、主イエスがあなたの救いのために十字架で肉を引き裂かれ、真っ赤な血潮を流してくださった、という事実は絶対に忘れてはいけないはずです。絶対に忘れず覚え続けるためには、「定期的に何度も繰り返す」ことは重要です。だからこそ主イエスは、「わたしの記念としてこのように行いなさい」と、十字架につけられる直前にあえて食卓をもうけてまで伝えようとされたのです。主の晩餐式を受けるたびに、もう一度、「なぜキリストは十字架で死なれたのか」「「その苦しみは誰のためだったのか」「その血潮は何のために流されたのか」「なぜ父なる神様は、そのふところにいる独り子を遣わしてくださったのか」、その理由を思い起こすたびに、わたしたちはクリスチャンとしての原点でありスタート地点に立ち帰ることは大きな大きな恵みとされるのです。あなたは、救い主を信じたことによって、主の食卓に着くことができました。その主との交わりが始まったときのことをここで思い出してみましょう。見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、わたしと共に食事をするであろう。(黙3:20)いま再び、主イエスと食事をするならば、その交わることの喜びと感動を、何度も何度も繰り返し味わえるのです。今日も、その食卓の交わりにあなたは招かれているのです。にほんブログ村DAY29へつづくバックナンバー: DAY1「100%のクリスチャンとは」 / DAY2「唯一の特権」 / DAY3「神様の喜びファースト」 / DAY4「人生に立ち阻む問題」/ DAY5「罪が引き起こす問題」 / DAY6「回復を妨害するもの」/ DAY7「妨害する固定観念」/ DAY8「惑わす誤解」/DAY9「大きな勘違い」/DAY10「解決の道」/DAY11「切なる願い」/DAY12「疑いvs信頼」/DAY13「口から自然に出る言葉」/DAY14「取り越し苦労はやめる」/DAY15「もう遠慮はいらない」/DAY16「信頼関係を築く」/DAY17「ただ一人を通して」/DAY18「冒険の第一歩」/DAY19「バプテスマってなあに?」/DAY20「見えないものが見える象徴」/DAY21「Totally Immersed(完全に浸される)」/DAY22「あなた自信で」/DAY23「神様のタイミングで」/DAY24「クリスチャンに卒業はない」/DAY25「今度はあなたの番」/DAY26「信仰告白の準備」/DAY27「バプテスマ式当日」
2010.06.07
《違いをもたらす40日 第27日目》一 言レシピ♪ 「倍率は1000倍」人生で最も貴重なものの一つは、時間です。なぜなら、人生とは時間の積み重ねであり、その長さには限りがあるからです。私たち一人一人は、この地上で過ごす時間があとどれくらい残っているのかは誰にも知らされていませんが、今日与えられている一日はみな等しく24時間あり、今あなたが過ごしている一時間は、周囲の人々が過ごす一時間とまったく同じ長さです。しかし、もしあなたが大切な人と一緒に楽しい時間を過ごしたときこのように感じることはありませんか。「いやー、楽しかった。時間が過ぎるのがあっという間だったね」また、充実した人生の日々を過ごす中で、このように感じたことはありませんか。「毎年、歳を重ねるごとに、一日が終わるのが早く感じる」「小さい頃に比べたら、一年が経つのがあっという間」実際に、時間が伸び縮みするわけでもないのに後で人生を振り返ってみると、過ぎ去った月日が「あっという間であった」と、わたしたちは感じるのです。このことを通して、楽しく喜びに満ちた一日が、あっという間の短い時間に感じるからこそ、「その一日が、どれほど貴重な時間だったか」を私たちは深く感謝させられるのです。ダビデは、神様と過ごす時間の喜びをこ のように歌っています。「あなたの庭で過ごす一日は千日にまさる恵みです。」(詩編 84・11)例えば、大切な人への最良のプレゼントが一緒に過ごす時間であるならば、神様と過ごすためにあなたの時間をどれだけ捧げていますか。あなたに与えられている限られた貴重な時間を無駄な一日として過ごすのか、千日にまさる恵みを味わいつつ過ごすのか、はすべて、あなた次第なのです。一日を千日に換算するならば、通常は3年(約1000日)かかってすることをたった一日で終わらせるようなものです。その一日を過ごす中で、体験する喜びや恵みもすべて1000倍です。言い換えるならば、千日分の祝福が一日で味わえるのですから、本当に「あっという間」に超猛スピードでその一日が過ぎていくように感じるはずなのです。私たちの生涯は、「永遠」の時間に比べれば、ほんの一瞬の出来事です。しかし、その一瞬のようなあなたの生涯を神様は永遠の喜びで溢れるほど豊かに満たされるのです。もしかして、神様と過ごす時間を確保せずに、神様は何も与えてくれない、と嘆きつぶやいてはいませんか。たった一日、祈りもせず、聖書も読まず、イエス・キリストとはなんの関わりもない時間を過ごすなら、あなたは千日分もの恵みを失っていることになるのです。積極的に神様の庭にあなたの身を置き、受けるべき恵みで溢れ受けるべき祝福で満ちるなら今です。神は、あなたがたがいつもすべての点ですべてのものに十分で、あらゆる善い業に満ちあふれるように、あらゆる恵みをあなたがたに満ちあふれさせることがおできになります。 (2コリント9:8)にほんブログ村「1000倍ブログ」
2010.06.05
【ゆるしの40日--DAY 17--】 ゆるしが取り消し?神様は嘘をつきません。聖書を通して、あなたに対してされたすべての約束を必ず成し遂げてくださるお方です。神様の約束は永遠に変わりませんから、後で「約束が変更されたり、又、取り消される」ことはありません。ですから、あなたの「ゆるし」も取り消されることはないのです。私たち人間が日常生活において「約束を守る」という表現をするのは、どこかで「約束というものは破られるためにある」というあきらめが、人間の不完全さを表しているのではないでしょうか。私たちの人間社会において「絶対」ということはあり得ません。大切な人との約束を必ず守るつもりでいても、結果的にその約束を果たすことができなかった、という経験はあなたにもないでしょうか。人生を振り返ってみれば、守ることができなかった約束は数え切れないほどあることと思います。誓ったはずの約束も、時間が経過すると共に忘れてしまう、というのも現実なのです。神様は約束を「守るお方」というよりも、「成し遂げてくださる」お方です。神様は絶対的なお方ですから、言葉で天地万物を創造されたように、その口から出た言葉はことごとく実現していきます。そして、約束した以上の最善を成し遂げてくださるのです。旧約聖書では、多くの預言者たちを通して、「救い主の到来」が預言されてきました。新約聖書では、その一つ一つ預言がイエス・キリストただお一人を通してどのように成就されたか、が証しされている書物です。救い主が、どのように現れ、どのような方法で私たちに救いをもたらすのか、その一つ一つが預言され成就されました。そのキリストに関する預言は300以上あるのですが、そのすべてがたった一人イエス・キリストの33年という短い生涯を通して成し遂げられたました。その確率は8億3千万分の一といわれていますから、まさに全能なる神様だけが成しうる奇跡以外の何ものでもないのです。神様は、約束を絶対に忘れないお方です。わたしたちは人間ですから、罪を告白して、悔い改めてイエス・キリストを信じた時の、「主イエスよ、私の人生を導いてください。生涯をあなたに捧げ従います」という約束ですら、日々の忙しい生活に追われるうちに、ついうっかり忘れてしまいがちです。しかし、あのとき祈りをもって交わされたあなたとの約束を、あなた自身が忘れてしまったのしても、神様は永遠に忘れることはありません。人はみんな弱いですから失敗もすれば、間違いも犯します。だからこそ、神様の「ゆるし」の約束は、私たちにとっての希望であり救いなのです。たとえ、クリスチャンになっても誘惑に負けてしまい罪を犯してしまったとしても、神様は、絶対にあなたに仕返しをしたり、陰口を言ったり、意地悪をしたり、呪ったり、救いを中止にしたりすることはありません。あの時とまったく変わらず、この瞬間も主イエス・キリストはもう一度 「わたしのもとへ来なさい」(マタイ11・28)と、招き、受け入れてくださっているのです。もし、私たちが自らを悔い改め、神様のもとに立ち返るならばゆるしてくださる、と聖書は約束しています。自分の罪を公に言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、罪を赦し、あらゆる不義からわたしたちを清めてくださいます。 (1ヨハネ手紙1:9)そして、神様は必ずやそれを、あなたを通して成し遂げてくださるお方なのです。ですから、もし間違いや失敗をしてしまっても大丈夫です。あの時のようにもう一度「ごめんなさい」「ありがとう」と、素直に主イエスの愛のふところへ飛び込むだけでよいのです。あなたは愛され、ゆるされました。それは永遠に変わらない約束を、神様ご自身が成し遂げてくださったのです。そして、あなたの人生を通して、最善を成してくださるののです。DAY18へ続く にほんブログ村「ごめんなさい、ありがとう」ブログ ※ゆるしの40日バックナンバーDAY 1 ゆるせない苦しみ/DAY 2 クリスチャンでもゆるせない?/DAY 3 ゆるしは皆、必ず必要?/DAY 4 「ゆるし」が、どうしても必要な理由(わけ)/DAY 5 キリストの苦しみは誰のため?/DAY 6 どれほどの苦しみだったのか/DAY 7 十字架の苦しみ/DAY 8 十字架の痛み/DAY 9 二つの音の狭間で/DAY 10 ド真ん中にあるもの/DAY 11 あなたへの問い/DAY 12 二つの意味/DAY 13 条件付vs無条件/DAY 14 アメイジング・グレイス/DAY 15 あのゆるしを覚えていますか/DAY 16 ゆるしに有効期限?あなたの一言♪http://form.mag2.com/stoukiwrur● メルマガ『1分クッキング!聖書レシピ♪』永遠のベストセラー聖書から、家庭・学校・職場で役立つ黄金律(ゴールデンルール)登 録・バックナンバー>> http://www.mag2.com/m/M0088649.html●メルマガ 『1分クッキング!心のレシピ♪』1分であなたの心をクッキング!心のパテシエ♪があなたに贈るスイーツエッセイ。登録・ バッ ク ナンバー>> http://www.mag2.com/m/M0085772.html●メルマガ 『軌道修正の40日』一言レシピ♪シリーズ 登録>> http://hitokoto4u.sblo.jp/● メルマガ『聖書のことば365DAYS』 バイリンガル+今日の名言バイリンガルで365日毎日お届けする聖書の御言葉。付録: 著名人の名言 登録・解除>> http://patissier.xsrv.jp/neo/usrctrl.php?mag_id=3● 心にイー・ブック『健康なクリスチャンのライフスタイル』霊的メタボから、バランスのとれた健康クリスチャンへ。E-BOOKの ダウンロード。 小冊子(PDF)ダウンロード>> http://healthychristian.seesaa.net/
2010.06.04
《クリスチャンになろう Day 27》バプテスマ式の当日 バプテスマのQ&AQ。何を準備するの?いよいよ水に入ります。会堂の講壇の後ろにバプテスマのための水槽(バプテストリー)があります。牧師のお祈りと介添えで、仰向けに水につかり、そしてあがります。ほんの2-3秒ほどの短い間ですから、泳げない方もご心配なさらないでください。前日に簡単なリハーサルをもちますので、当日準備するものなどは事前に詳しくお知らせします。バプテスマ当日は、教会より白いガウンを貸し出しします。また、ドライヤーも備え付けのものをご利用ください。当日持ってくるもの・信仰告白文(封筒に入れて)・バプテスマ感謝献金(封筒に入れて)・タオル・着替え・中に着る白地のTシャツと短パン(派手なプリントじゃないもの)・濡れたものを入れるビニール袋・白いハンカチ(仰向けに水に入るとき鼻から水が入らないように牧師がハンカチで軽く鼻を押さえます)・あなた自信(これさえ忘れなければ、何とかなります^_^)バプテスマ式が始まると、牧師と一緒にバプテストリーの水の中に入ります。まず賛美歌を歌い、聖書朗読をし、式文が読まれます。そして、牧師が「あなたは、イエス・キリストを救い主と信じ、その生涯を捧げ従いますか?」とお聞きしますので、大きな声で「はい!従います!」と応答してください。そして、牧師から「あなたの信仰告白にもとづき、父と子と聖霊の御名によってバプテスマを授けます」と宣言され、水の中に仰向けに入ります。仰向けに入るのは、「救い主イエス・キリストに人生を明け渡し委ねます」という意味が込められています。バプテスマ式が終わると、教会の皆さんが賛美を歌い、感謝献金の時を持ちますので、その間に着替えます。あなたが事前に封筒に入れて準備してきたバプテスマの感謝献金は礼拝前に、担当の方に渡しておきましょう。また、信仰告白文にはあなたの名前を直筆でサインしたものを、教会にお渡しください。教会の貴重な財産として永久保存されます。礼拝後は、出席された皆さんとご一緒に記念写真を撮ります。また、あなたを囲んでお祝いの食事会が持たれます。皆さんと一緒に歓談のときを持ちながら、バプテスマの喜びを分かち合いましょう。バプテスマ式の前日は緊張して夜もなかなか眠れないという方も多いです。お祈りをして神様にすべてを委ねて、リラックスして当日はお越しください。必ずや神様が、あなたに平安を与え、最後まで守り導いてくださいます。バプテスマ式の上に神様の豊かな祝福をお祈りします。にほんブログ村DAY27へつづく
2010.06.03
《罪悪感への処方箋 Day 12》 怒りの迷信:クリスチャンの場合実は、クリスチャンにとっても怒りに関する迷信があります。それは、「クリスチャンは、怒ってはいけない」という考え方です。クリスチャンだから…すべきだ、という迷信に惑わされ、怒りを感じつつもその感情を押し殺し我慢して、まるで何もなかったかのように振る舞うことがあります。クリスチャンであっても生身の人間ですから、腹を立てることもあるでしょう。もし誰かから理不尽な扱いを受けたり、悪意を持った攻撃を受けたのにもかかわらず、まったく怒らずにニコニコしていたら、それはもうクリスチャンかどうか以前に人間らしくありません。本当は怒らなくてはならない場面でも、いつも笑顔で清く正しく美しいクリスチャンを演じてしまうことで、疲れ果ててしまうのです。 ●迷信への処方箋そのような迷信に苦しんでいる方は、怒りには2種類あることをぜひ覚えておくと良いでしょう。1.良い怒りと、2.悪い怒りです。1.良い怒り「えぇ!?怒りに、良い怒りがあるの??」とビックリする方が多いようです。良い怒りとは、怒ることによって、「誤りを正し、二度と同じ過ちが起きないように」する目的があります。人は「怒り」をもって、注意深くなり、トラブルに巻き込まれるのを(もしくは再発を)未然に防ぐことが出来るのです。主イエスも怒られました。律法学者たちやファリサイ派の人々を「偽善者」「白く塗った墓」「蛇」「蝮(まむし)の子ら」(マタイ23章)と呼び、怒りをもって対決されました。また、神殿の境内で商売していた人々に対して怒り、追い出し、両替人の台や鳩を売る者の腰掛けをひっくり返して、こう言いました。「わたしの家は、すべての国の人の祈りの家と呼ばれるべきである。』ところが、あなたたちはそれを強盗の巣にしてしまった。」(マルコ11:15-17)しかし、主イエスは彼らを憎んでいたから腹を立てたのではありません。命をかけるほどに愛していたからこそ、真実を伝えたのです。「むしろ、愛に根ざして真理を語り」(エフェソ4:15)、彼らを諭そうとされたのです。しかしながらそうであっても、人は時に理不尽な痛みを受けます。裏切られ、バカにされ、ウソをつかれ、だまされ、無視され、つけこまれ、恥をかかされ、脅され、暴力を振るわれることは、人生にあるでしょう。そのような罪深い間違った行動に対して、私たちのうちに生まれる「怒り」という感情は、ある意味、神様から与えられた素晴らしい能力の一つでしょう。怒りを通して、何が間違っていて何が正しいのかを区別することが出来るからです。わたしたちが深刻な被害に遭わないように、守ってくれているのです。■悪い怒りしかし、問題なのは「間違った悪い怒り」です。主イエスによって、真実を告げられすべて図星であったことに腹を立てた祭司長たちや律法学者たちは、どのようにしてイエスを殺そうかと陰謀を企て始めました。彼らの怒りは、愛に根ざしたものではなく、イエスに対するねたみと嫉妬によるものでした。祭司長、律法学者たちはこれを聞いて、どうかしてイエスを殺そうと計った。彼らは、群衆がみなその教えに感動していたので、イエスを恐れていたからである。(マルコ11:18)あの総督ピラトですら、祭司長たちがイエスを引き渡したのは「ねたみのためだ」と気づいていました(マルコ15:10)。その怒りを燃やし続けた結果、彼らは嘘の裁判をでっちあげ、民衆を扇動して、まったく無実のイエスを十字架の刑に処してしまったのです。あなたを苦しめる怒りは、愛に根ざしたものでしょうか、それとも、ねたみやしっとなどの自己中心的な心から生み出されたものでしょうか。その二つをはっきりと区別しながら、怒りの問題に対処しましょう。DAY13へつづくにほんブログ村「愛に根ざすブログ」バックナンバー: DAY1 罪悪感はどこから? / DAY2 なぜ罪悪感を持ち続けてしまうのか / DAY3 罪悪感という罠に陥ってしまうのはなぜ? / DAY4 罪悪感に陥りやすいタイプ1 / DAY5 罪悪感に陥りやすいタイプ2 / DAY6 罪悪感に陥りやすいタイプ3 / DAY7 罪悪感に陥りやすいタイプ4 / DAY8 罪悪感に陥りやすいタイプ5 /DAY9 怒りへの処方箋 /DAY10 怒りにまつわる迷信 /DAY11 怒る練習 /●あなたの一言http://form.mag2.com/stoukiwrur●メルマガ『1分クッキング!聖書レシピ♪』永遠のベストセラー聖書から、家庭・学校・職場で役立つ黄金律(ゴールデンルール)登録・バックナンバー>> http://www.mag2.com/m/M0088649.html●メルマガ『1分クッキング!心のレシピ♪』1分であなたの心をクッキング!心のパテシエ♪があなたに贈るスイーツエッセイ。登録・バックナンバー>> http://www.mag2.com/m/M0085772.html●メルマガ『軌道修正の40日』一言レシピ♪シリーズ 登録>> http://hitokoto4u.sblo.jp/●メルマガ『聖書のことば365DAYS』 バイリンガル+今日の名言バイリンガルで365日毎日お届けする聖書の御言葉。付録:著名人の名言 登録・解除>> http://patissier.xsrv.jp/neo/usrctrl.php?mag_id=3●心にイー・ブック『健康なクリスチャンのライフスタイル』霊的メタボから、バランスのとれた健康クリスチャンへ。E-BOOKのダウンロード。 小冊子(PDF)ダウンロード>> http://healthychristian.seesaa.net/楽天市場で掘り出し物を探す|終了間際オークションまだ1円!|お試し ギフト 送料無料|「訳あり」なのに売れすぎています|
2010.06.03
相手になりきってみるパウロもまた、初代教会における中心的なビジョナリー・パーソンでした。パウロはどのようにして、大勢のユダヤ人を救いに導いたのでしょう か。弱い人に対しては、弱い人のようになりました。弱い人 を得るためです。すべての人に対してすべてのものになりました。何とかして何人かでも救うためです。福音のためなら、わたしはどんなことでもします。それ は、わたしが福音に共にあずかる者となるためです。 (1コリント9:22-23)パウロは、福音を伝えようとする対象の人 々について学びました。できる限りの彼らについての情報を集めたのです。そして、彼らが今、どのような状況に置かれて いて、どのような問題や悩みを抱えているのか、どんなことに興味を持っていて、どんな展望を将来に持っていたのか、彼らの立場に立って考 えてみたのです。福音を伝えようとする対象者と同じ環境に身を置き、自分が彼 らの一員になりきってみたときに、どのような方法でアプローチをしたら良いか、神様からの具体的なビジョンが明らかにされていったので す。福音は一つであり、聖書を通しての神様の約束は永遠に変わりません。しかし、伝道するターゲットによって、その伝え方は千差万別に適 応させることが可能です。時代が変わり、世代が変われば、伝え方も大きく変わるでしょう。たとえば、わたしがご高齢の方々をフォローする ときはよく「手書きの手紙」を用います。また、忙しい社会人をフォローするときはブログやメールマガジンなどを使い、高校生や大学生には絵文字をふんだん に用いた携帯メールを使います。パソコンを触ったことの無い高齢者にメールは送りません。また、高校生に手書きの手紙を送っても返事は来 ませんが、メールなら数分後に返信してきます。このように聖書の真理は永遠に変わりませんが、伝 道方法はその教会の建つ地域や、住んでいる人々の年齢層に生活スタイルや職種などによって、無数に変化するの です。ですから、教会の建つ地域に住む人々に福音を伝えようとするとき、そこの住人について学ばなければ、その地域で神様が望んでいるビ ジョンを的確に見出すことはできません。ただ闇雲にチラシをまいたり、毎年恒例の特別伝道集会なるものを開催しても、まったく効果がないのは、その地域に 住む人々の置かれている環境から生み出されたビジョンが無いからではないでしょうか。わたしは、だれに対しても自由な者ですが、 すべての人の奴隷になりました。できるだけ多くの人を得るためです。 (1コリント9:19) にほんブログ村[目的主導ブログ] 『目的主導の教会への道』について、もっと詳しく知りたい方は、こちらも合わせてお読みください。>>http://blog.goo.ne.jp/kokurachurch/↑小倉キリスト教会でのケーススタディーPurpose Driven Fellowship ~牧師やリー ダーのための3ヵ年PDトレーニング・プログラム~>>サイト http://pdfellowshipjapan.blogspot.com/『健 康な教会を建て上げるために』~牧師やリーダーのための3年セミナープログラム~講師:デイブ・ホールデン>> イ ントロダクション・セッション、メインセッション1のプログラム詳細
2010.06.02
《違いをもたらす40日 第26日目》一 言レシピ♪ 「特権を大胆に用いていますか?」礼拝とは、 日曜日に教会という建物に行って小一時間ほどイスに座ってプログラムをこなすことではありません。礼拝とは、心を尽くして神様の喜びのためにあなた自身の人生を捧げることです。聖書のローマ12:1はこのように言っています。「こういうわけで、兄弟たち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。」(ローマ12:1)多くのクリスチャンは礼拝について大きな勘違いをしています。それは、「礼拝とは、 教会が わたしのためにしてくれるものだ」という勘違いです。このような礼拝に対する捉え方は芋づる式にさらに無数の勘違いを生み出します。例えば、「わたしが礼拝しなくても、教会がしておいてくれるだろう」「わたしが祈らなくても、教会が祈ってくれるはず」「わたしが献金しなくても、教会が満たしてくれるさ」「わたしが奉仕しなくても、教会は奉仕しなきゃ」「わたしが参加しなくても、教会が運営してくれるでしょう」「わたしが伝道しなくても、教会は伝道すべきだ」「わたしが行かなくても、みんながしてくれるから」などなど・・・教会、とは誰でしょうか。聖書では教会をエクレシアーと言います。その意味は、「呼び集められた者たちの群れ」です。つまり、教会とは建物やプログラムを指すのではなく主イエス・キリストの恵みに招かれて集められた一人一人を指すのです。そうです。教会、とは「あなた」のことです。主の恵みによって救いにあずかり、あなたの神の家族の一員とされました。また、キリストの体の一部分とされたのです。言い換えるならば、あなたがそこにいて初めて、教会は教会とされるのです。その教会をこの地に建てるために主イエスは、「わたしは...わたしの教会を建てる。」(マタイ16:18)と宣言し、十字架で命を捧げてくださいました。つまり、あなたの礼拝は、あなた以外の誰も代理で捧げることはできません。あなた自身が全能なる神の御前に進み出るのです。旧約聖書の時代、神殿の聖所では、祭司たちがイスラエルの民の代表として礼拝を捧げていました。また、聖所には大きな垂れ幕があり、その向こう側の「至聖所」には年に一度だけ、大祭司が入ることが許されいけにえの動物の血を祭壇に振りかけてイスラエルの民の罪をあがなう儀式をし代表で礼拝を捧げていました。しかし、わたしたちの大祭司イエス・キリストが十字架で息を引取る直前に、地震が起こり、神殿は崩れその至聖所の垂れ幕が真っ二つに裂けたのです。そのことをヘブル9:11-12はこのように説明しています。「けれども、キリストは、既に実現している恵みの大祭司としておいでになったのですから、人間の手で造られたのではない、すなわち、この世のものではない、更に大きく、更に完全な幕屋を通り、雄山羊と若い雄牛の血によらないで、御自身の血によって、ただ一度聖所に入って永遠の贖いを成し遂げられたのです。(ヘブル9:11-12)イエス・キリストはただ一度だけ、罪のあがなういけにえとして尊い血潮を流してくださり、永遠のゆるしと救いを与え罪人と神との隔ての壁を取り壊し取り成し手となってくださいました。このようにして、誰か偉い人が代表でいけにえを捧げる儀式をしなくとも、イエス・キリストを通してあなた自身が自分の足で神様の前に進み出て、あなた自身の礼拝を捧げることができる特権が驚くべき恵みとして与えられているのです。御子イエスの命があなたのために犠牲になりました。父なる神様は、ある一つの事を願って、そのふところにいた独り子を遣わしてくださいました。その願いとはこれです。「しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である。なぜなら、父はこのように礼拝する者を求めておられるからだ。神は霊である。だから、神を礼拝する者は、霊と真理をもって礼拝しなければならない。」(ヨハネ4:23-24)このようにして、父なる神様はあなたが真実の礼拝者となることをいつも願い、忍耐をもって待ち望んでおられるのです。今、あなたに与えれられているその最高の特権を大胆に用いるべきです。「わたしたちは主キリストに結ばれており、キリストに対する信仰により、確信をもって、大胆に神に近づくことができます。」(エペソ3・12)にほんブログ村「大胆に近づくブログ」
2010.06.02
《クリスチャンになろう Day 26》信仰告白の準備 バプテスマのQ&AQ。何か言わなくちゃいけないの?バプテスマ式を受ける皆さんには、礼拝の中で証をしていただいています。証とは、あなたがどのようにして救い主イエス・キリストを信じたのか、その信仰の体験談を分かち合うことです。私たち教会では、それを「信仰告白」と呼んでいます。礼拝の中で、あらかじめ準備し書いておいた信仰告白を読みます。だいたい5~10分ほどの内容のものです。信仰告白は、牧師のサポートのもと一緒に祈りつつ準備をしますので、ご安心ください。ここで、あなたの信仰告白をどのように書いたらよいか、わかりやすく三つのポイントに従って説明します。この三つのポイントを踏まえて、祈りつつ、あなたなりに思い出したことを紙やパソコンに箇条書きでも良いので書き留めていきましょう。ポイント1.どのようにして教会に導かれたのか。あなたは、どのようにして教会に導かれましたか。神様があなたを教会へ導き、主イエスと出合わせてくださいました。そのきっかけは人それぞれ違います。聖書が証しするイエス・キリストとの出会いによって、あなたの人生は大きく変えられたはずです。主イエスと出あう前のあなたはどのような悩みや痛みを抱えていたのかを、色々と思い巡らしてみましょう。この世に調子を合わせ、罪の重荷に苦しんでいた信じる以前の状態を思い起こしつつ、その苦しみから救い出してくださった神様の恵みに感謝の祈りを捧げましょう。教会の礼拝で信仰告白を読むことによって、あなたのことをあまり良く知らない皆さんにとっても良き自己紹介のときともなります。短くでいいですが、あなたの生い立ちや現在どのような状況で生活をしているのかを証しすることで、あなたのことを皆さんに知ってもらいとりなして祈ってもらえる良ききっかけとなるでしょう。ポイント2.どのようにしてイエス・キリストを救い主と信じる決心に導かれたのか。あなたは、どのようにして救い主イエス・キリストを信じましたか。誰にでも、「このお方、イエス・キリストを救い主と信じて、これからの人生をすべて委ねて歩みたい」という決心の瞬間があります。得に、神様は聖書の御言葉を通して、あなたの心に力強く語りかけてくださり、決心へと導いてくださったはずです。その御言葉を最低一つ、思い出してみましょう。聖書を開いて、その御言葉を実際に調べてみましょう。そして、それを繰り返し読み思いを巡らしながら、そこからどのような慰めや励まし、ゆるしと平安を受けたのかを書き記しましょう。あなたが与えられた御言葉ををしっかりと握りしめてこれからの信仰生活を歩むなら、それがあなたを試練やつまづきから守ってくれるでしょう。信仰とは、神様の約束である御言葉を土台とするものです。たとえ、あなたの心が揺らいだとしても、その永遠に変わらない御言葉に堅く立つことで、あなたは守られるのです。ポイント3.これから、どのようにして主イエスと共に歩んでいきたいか。あなたはクリスチャンとして、これからどのような教会生活を送りたいと願っていますか。クリスチャンとは、「イエス・キリストに従う者」という意味です。あなたの生涯を捧げて主イエスに従っていく決意を書き記しましょう。また、神様はあなたにすばらしい賜物(神様の働きをするために与えられた能力・才能)が必ず与えられています。その賜物を神様のご計画と目的のために用いていただけるように祈りましょう。さらには、あなたにとって今一番祈らされている祈りの具体的な課題を、書き記し分かち合いましょう。そのことによって、教会の兄弟姉妹が、あなたのために日々とりなしの祈りを捧げることができます。信仰告白の中で、必ず押さえとかなければいけない告白の言葉があります。それは、「イエス・キリストがわたしの罪のために十字架で死に、墓に葬られ、三日目に復活した神の御子、救い主であることを信じます。」という告白です。極端に言えば、この一文だけで信仰告白として十分だと言っていいほどです。この言葉が、信仰告白の中に忘れず盛り込まれるようにしましょう。なによりも大切なのは、あなた自身の決断と意思によって、あなたの言葉で信仰を告白するということです。人に勧められてとか、強制させられてとか、なんとなく雰囲気でとか、周囲に流されてとかではありません。●信仰告白の準備による恵み信仰告白を書くことは、それ自体が目的ではありません。大切なのは、それを書くプロセスを通して、自分の過去を振り返り、教会に導かれてから信仰を持つようになり、そして現在に至るまでの神様の恵みをより深く味わうことです。このプロセスを通して、クリスチャンとしてのしっかりとした基礎が整えられます。そして、信仰告白を準備することにより、積極的に自分で聖書を読んだり、祈ったりしながら、神様との個人的な関係がより深められるためにその時間が用いられるのです。また、人間は忘れやすい生き物ですから、どれだけ深い恵みを味わっても、時間と共にその感動は薄れ忘れてしまいがちです。ですから、書き記しておくことで、後に読み直し心を新たにされるためにも生涯用いられることでしょう。教会においても、あなたが書いた信仰告白の写しは永久保存されますから、時代と世代を超えて後世に証しされ続けていくのです。数十年後に、あなたの証しを読んだ人が信仰に導かれることも、可能性としては大いにあり得るでしょう。ヒストリー(歴史)とは、まさにヒズ・ストーリー(神様と人間との愛の物語)なのです。バプテスマの式の当日、礼拝の中で信仰告白を読む時が与えられます。ですから、人前で話すことが苦手で、極度に緊張する方にとっては、あらかじめ紙に書かれたものを読むことは大切です。当日、いざ証しをしようとするときに、緊張のあまり頭の中が真っ白になり、何を話してよいか分からなくなるという方もいらっしゃいます。また、涙もろい方は、呼んでいる途中で泣いてしまい、話せなくなってしまうという方もいらっしゃいます。そのために、あらかじめ書いておいたものを読むことによって、落ち着きながら最後まで自分の正直な思いを分かち合うことができます。信仰告白を書くときは、手書きでもかまいませんし、パソコンのワープロで作成してもよいです。文章を書くのが苦手という方も心配は無用です。牧師と一緒に読みあわせをしながら、じっくりと時間をかけて整えてまいりましょう。長さ的には、ゆっくりと読んで5分ほどの内容を目指して準備をします。何度も読み返しているうちに、あのことも書いておきたい、このことも付け加えたい、と信仰告白は肉付けされていくものです。文章が長くなっても気にすることなく、示されたことをどんどん書き留めましょう。書くときは、神様への感謝のラブレターを書くつもりで、これまで受けてきた恵みをじっくりと数えながら書いてみましょう。最初は簡単に箇条書きでもかまいません。人に聞かせようと意識したり、作家のように難しいボキャブラリーを駆使して立派な文章を書く必要はありません。あなたの普段の言葉で、神様に語りかけるように書いてみましょう。必ずや、その準備のときがあなたにとって忘れることのできない恵みと祝福に満ち溢れたひと時となるでしょう。信仰告白の準備の上に、神様の豊かな祝福をお祈りしています。 にほんブログ村 DAY26へつづく
2010.06.01
【ゆるしの40日--DAY 16--】 ゆるしに有効期限?主イエスのあがないによる神様のゆるしには「有効期限」はありません。なぜなら、主イエスは人間の姿で一度だけ生まれ、あなたの罪のためにただ一度だけ苦しみを受け、ただ一度だけ十字架で命を捧げ、ただ一度だけ復活されたのですから、あなたの救いもただ一度だけのできごとだからです。キリストも、罪のためにただ一度苦しまれました。正しい方が、正しくない者たちのために苦しまれたのです。あなたがたを神の もとへ導くためです。(1ペトロ3:18)あなたの過去も、現在も、未来も、すべての罪を担って、主イエスは一度だけ十字架で命を捧げてくだり、その救いの道を完成させられました。キリストの十字架の死に2度目3度目はありません。あなたが罪を犯し続けるたびに、何度も人間の姿で現れて、繰り返し鞭で打たれ、繰り返し十字架にくぎ付けにされることはありません。罪のゆるしと救いは、一度限りの出来事なのです。この方は、ほかの大祭司たちのように、まず自分の罪のため、次に民の罪のために毎日いけにえを献げる必要はありません。というのは、このいけにえはただ一度、御自身を献げることによって、成し遂げられたからです。(ヘブル7:27)なぜ、たったの一度だけで十分なのかといえば、神様のゆるしと愛は永遠に変わらないからです。つまり、神様のゆるしが時間と共に薄れていったり、有効期限があって、ある一定の期間を過ぎたらゆるしが無効になったり、ということは一切ないのです。クリスチャンになった後も、すでにゆるされたはずの「罪」を思い出して、日々悩んでいらっしゃる方はとても多いようです。「ホントにゆるされたのかなー?」「ゆるされたって、実感があまりないなー」「もしかしたら、もうゆるされないんじゃないだろうか??」・・・という具合に、まるで、神様のゆるしには有効期限でもあるかのように考えてしまい、過去の罪をいまだにズーっとひきずり、苦し見続けている人は少なくありません。主イエスが2000年前にすでに担ってくださったはずの罪を、もう一度引っ張り出して自分で背負う必要はないのです。ゆるされた実感があるかないかで、あなたが救われたかどうかが決まるわけではありません。イエス・キリストを罪からの救い主と信じ告白すれば救われるのです。罪のゆるしは、あなたの実感によって振り回されることのない、神様の永遠の約束なのです。もし、あなたもその実感がなかなか持てない一人ならば、いま神様の約束をしっかりと再確認しましょう。 永遠なる神様は、こう言ってます。「わたし、このわたしは、わたし自身のために、あなたの背きの罪をぬぐい、あなたの罪を思い出さないことにする。」(イザヤ書43・25)DAY17へ続く にほんブログ村※ゆるしの40日バックナンバーDAY 1 ゆるせない苦しみ/DAY 2 クリスチャンでもゆるせない?/DAY 3 ゆるしは皆、必ず必要?/DAY 4 「ゆるし」が、どうしても必要な理由(わけ)/DAY 5 キリストの苦しみは誰のため?/DAY 6 どれほどの苦しみだったのか/DAY 7 十字架の苦しみ/DAY 8 十字架の痛み/DAY 9 二つの音の狭間で/DAY 10 ド真ん中にあるもの/DAY 11 あなたへの問い/DAY 12 二つの意味/DAY 13 条件付vs無条件/DAY 14 アメイジング・グレイス/DAY 15 あのゆるしを覚えていますかあなたの一言♪http://form.mag2.com/stoukiwrur● メルマガ『1分クッキング!聖書レシピ♪』永遠のベストセラー聖書から、家庭・学校・職場で役立つ黄金律(ゴールデンルール)登 録・バックナンバー>> http://www.mag2.com/m/M0088649.html●メルマガ 『1分クッキング!心のレシピ♪』1分であなたの心をクッキング!心のパテシエ♪があなたに贈るスイーツエッセイ。登録・ バッ ク ナンバー>> http://www.mag2.com/m/M0085772.html●メルマガ 『軌道修正の40日』一言レシピ♪シリーズ 登録>> http://hitokoto4u.sblo.jp/● メルマガ『聖書のことば365DAYS』 バイリンガル+今日の名言バイリンガルで365日毎日お届けする聖書の御言葉。付録: 著名人の名言 登録・解除>> http://patissier.xsrv.jp/neo/usrctrl.php?mag_id=3● 心にイー・ブック『健康なクリスチャンのライフスタイル』霊的メタボから、バランスのとれた健康クリスチャンへ。E-BOOKの ダウンロード。 小冊子(PDF)ダウンロード>> http://healthychristian.seesaa.net/
2010.06.01
ビジョンの学校へ行こう! @健康な教会への鍵 ビジョンの準備に必要な、情報収集をするためには、「ビジョンの学校」なるところに学びに行かなければなりません。 その学校とは、「あなたの住む地域の未信者」という名の学校です。 かつての私の聖書の説教を語る姿勢が、一時的にちょっと偏ったものになってしまっていたことを悔い改めつつ思い返します。その時は一つのポリシーみたいなものを持って、このように思っていました。 「説教というも のは、聞く人に調子を合わせて興味をもって喜ぶような話はする必要は無い。誰に対しても同じように、聖書の御言葉をそのまま伝えるだけで、主はお語りくださるのだ・・・」 今から思えば、柔軟さに欠けていて、頑固な思いにしばられていたなあ、と悔い改めるばかりです・・・。普通なら、御言葉をより分かりやすく伝えるために 「たとえ話」を用いるものですが、それすらも完全に省いて、聖書だけ語っている時期がありました。そして後に、 そのような姿勢は行き過ぎであったこ とを気づかされたのです。 もちろん、 聖書の御言葉は、説教の中心であり唯一の土台です。事実、聖書的な説教によって、多くの未信者がイエス・キリストに導かれます。聖霊の導きによって、御言葉を通して神様が直接一人一人に語りかけてくださることも当然のことです。 しかしながら、その説教を聞く人たちの立場に立つことなく、理解しやすいように語る努力がそこになければ、それはただの一方通行に終わって しまいます。説教は、「双方向のコミュニケーション」となって初めて、聞く人の心の奥底まで響くのです。 福音を伝えたい対象の人々が、どのような環境におかれていて、どのようなことに関心や興味を持っていて、どのようなニーズを抱えているのか、そのことを知ろうとする努力がなされないことは、まさに御言葉を取り次ぐ者の姿勢としては 傲慢であったことを思わされたのです。 思えば、主イエスも、自ら群集の住む現場に足を運び、彼らの抱えている問題やニーズを見つめながら、わかりやすく理解しやすいように「たとえ話」を用いて 説教をされていたのです。 主イエスに倣い、コミュニケーションとして語り合おうという姿勢で、御言葉を取り次がなければいけません。 ですから、今では「どれだけ良いメッセージであったとしても、聞く人の心に伝わらなければそれはグッドニュースではありえない」とか、「聞 く人が、聞いて満足して終わるだけでなく、人生そのものがキリストによって変革させられていかなければ、本当の意味でグッドニュースにはならない」 というような気持ちで、神様からの知恵をいただけるよう祈り求めながら、あらゆる工夫をしてコミュニケーションを計ろうといろいろ試みています。もし万が一にも 、どこに行っても誰に対しても、まるで「棒読みの聖書朗読」でもするかのように、ただ一方的に伝えるだけで、世界中の人々をキリストに勝ち取ることができてしまうならば、とっくの昔に世界の全員が救われて、宣教の使命と働きは成し遂げられ終わってしまっているはずで す。 しかしなぜ、いまだに、イエス・キリストを知らない人々や信じていない人々が世界中にたくさんいるのでしょうか。 それは決して、神様の救いの計画が不完全だとか、聖書の御言葉に欠点があるからだとか、ではもちろんありません。 もし問題があるのだとすれば、福音を委ねられている私たちがそれぞれ遣わされている地域において、聞く人にマッチした方法でそれを伝えていないこと に原因があるのではないでしょうか 。 とにもかくにも、わたしたちがそれぞれ遣わされている地域に住む未信者について詳しく知る必要があるのだと思います。「語る者 は、神の言葉を語るにふさわしく語りなさい。奉仕をする人は、神がお与えになった力に応じて奉仕しなさい。それは、すべてのことにおいて、イエ ス・キリストを通して、神が栄光をお受けになるためです。栄光と力とが、世々限りなく神にありますように、アーメン。」 (ペトロ手紙4:11) にほんブログ村 『目的主導の教会への道』について、もっと詳しく知りたい方は、こちらも合わせてお読みください。>>http://blog.goo.ne.jp/kokurachurch/↑小倉キリスト教会でのケーススタディーPurpose Driven Fellowship ~牧師やリー ダーのための3ヵ年PDトレーニング・プログラム~>>サイト http://pdfellowshipjapan.blogspot.com/『健康な教会を建て上げるために』~牧師やリーダーのための3年セミナープログラム~講師:デイブ・ホールデン>> イ ントロダクション・セッション、メインセッション1のプログラム詳細
2010.05.31
全387件 (387件中 1-50件目)