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町内サークル「歩こう会」で、JR兵庫駅↓能福寺(兵庫大仏・平清盛墓)↓兵庫運河・大和田の津(港)↓高田屋嘉兵衛本店跡↓ハーバーランド・煉瓦倉庫跡↓震災碑↓メリケン波止場↓阪急三宮駅を、歩いてきました。兵庫に大仏それも、日本三大仏の一つが県内にそんなものがあるとは、見たことも聞いたこともなく、これはぜひ見てみなくちゃと思って、参加しました。兵庫駅から15分ほど歩くと、能福寺。突如、大仏が現れ、ほんとだ~、ほんとに大仏がある~!能福寺は、唐から帰ってきた最澄が、国の安泰と庶民の幸福を祈願して建てた寺らしいです。その後、平清盛のときに、平家一門の寺として大いに栄えるも、平家滅亡後、全焼。1599年、再建。1945年、神戸空襲。1995年、阪神・淡路大震災。数々の災難を受けるも復興を繰り返し、今に至る。大仏は、明治24年に建立。太平洋戦争時、解体して供出。1991年、再建立。という歴史があるそうです。だから今の大仏は創建33年ですね。そして大仏の大きさは、18m(身丈11m,蓮台3m,台座4m)立派です。1181年に、清盛が京で亡くなり、火葬された後、こちらに運ばれて墓所が造立されたようです。ただ、清盛の墓伝説は他にもあり、正確な場所はわからないとか。高田屋嘉兵衛の本店跡石碑だけで、何も残っていません。淡路島出身で、江戸末期に活躍した豪商。蝦夷地との商売をし、択捉島の漁場も開拓。ロシアに捕まるも、日露交渉を担い友好関係を築いた。そういう人らしいです。メリケン波止場にて。観光遊覧船も今回の歩こう会では、大仏を始め、史跡を見て、歴史の勉強もでき、行ってよかったです。ただ、あまりに暑過ぎ~~~。カンカン照りの35度ぐらいの中、コンクリートの道を歩き回るのは、まるで死の行軍みたいでした。ものすご~く、疲れました。計画段階では、こんなすごい酷暑を誰が予想したでしょう。幸い倒れた人はいなかったけれど。
Sep 18, 2024
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歩こう会の『武庫川堤の桜を楽しもう。』に参加しました。JR三田から新三田間の約3.5Km武庫川沿いの桜を楽しみました。お天気も良く、桜も満開。なんてラッキーな!前月に予定を決める歩こう会で花の季節を合わせることは難しく、ああ~、早すぎた。ああ~、終わってる。ということが多く、こんなバッチリな日に行けることはめったにないのです。馬鹿なことに、カメラを持参するのを忘れ、安物のスマホで撮ってきた写真しか・・。(グスン )それでも雰囲気はわかってもらえるでしょう。前半は、西岸を歩きました。上は桜、下は水仙・スノーフレーク。夜はライトアップされるようで、ぼんぼりも。駅から近い場所ではお弁当を広げている人たちも多数。私達も、中間地点でお弁当休憩。その後は、東岸を進みました。コロナ以来、歩こう会には3回しか参加していないけど、都合が合えば、またぼちぼち参加しようと思っています。来月は『野田藤』 の散策とか。楽しみです。
Apr 7, 2024
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11日、久々に歩こう会に参加しました。歩こう会といっても、今回はバス旅行皆高齢になりましたから・・・。参加は50名。コロナ下は定員も抑えていたのでしょうが、(一度も乗ってないので知らない)もう以前通りでした。車内では8~9割の人がマスクしてました。行き先は、天橋立と舞鶴。天橋立は、股のぞきが有名。でも今回、そこはパス。たぶん皆何度か行ってるだろうから。ボランティアガイドさんに案内していただき、まず智恩寺。知恵を授かる文殊さんで、日本三文殊の一つです。それから、天橋立の松林を対岸まで歩き、元伊勢籠神社へ。約3kmぐらい歩いたかな。この神社は、伊勢に祀られる豊受・天照両神が、最初におられた神社なんだとか。ここから、何箇所か転々とされて最後に伊勢神宮に落ち着かれたのだとか。天橋立は、自然に任せておくと、消えゆく運命だそうで、毎年、砂を運び入れたり、、人の手を加えることで自然を維持してるそうです。山土を入れたことで山の植物が繁茂したり、年数を経た松が台風で倒れたり、苦労が多そうです。午後からは、舞鶴へ。ここでもボランティアガイドさんに案内していただきました。舞鶴赤れんがパーク日本海軍が水雷など軍用品を保管していた赤レンガの倉庫群で明治に建てられたものと大正に建てられたもの、合わせてパーク内に8棟あります。明治のは、意匠を凝らしたデザインになっています。ただ、古いだけに老朽化が激しく、危険につき立ち入り禁止、内部を見学できなくなっています。大正のは、内部見学できるよう残したもの、ショップ、イベント会場、博物館等として使われています。今も自衛隊基地が隣接していて、桟橋に護衛艦が係留されています。(この日は、北朝鮮情勢逼迫で出動中)写真は、機雷を撤去する掃海艇見た目ではわからないけど、左はプラスチック製で右は木造製だそうです。金属製だと、機雷が反応して爆発するそうです。次に、舞鶴引揚記念館に。シベリアでの抑留生活の様子を伝える資料が展示され、模型もあります。日本政府の、国民を騙すような移民政策、ロシアの捕虜へのひどい扱い、生々しく伝わります。終戦が20年で、引き上げが終わったのが33年。実に13年もの抑留・・・66万余人の引揚者と2万人弱の遺骨が舞鶴に帰ってきたそうです。この歴史を風化させることなく、平和を守っていかなければと強く思いました。今回はガイドさんの説明があったことが、とても良かったです。天橋立でも舞鶴でも、説明がなければ、気づかないわからないことがいっぱい。引揚館でも内容がよりリアルに伝わりました。ありがとうございました。
Jun 13, 2023
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『歩こう会』に約1年ぶり参加です。行き先は、市の文化資料館&荒牧バラ園文化資料館では、市内の遺跡・古墳からの出土品を見、市の歴史に心を馳せてきました。市域には、旧石器時代から人が住み、弥生時代には、国の史跡指定を受けるほどの、近畿地方を代表する大規模集落があり、古墳時代には、前方後円墳も作られており、継体天皇に関係する豪族の墓と推測されるのだとか。 次は、荒牧バラ公園。バラのベストシーズンで、期待を裏切らない花盛りでしたが、その分、人がいっぱい。コロナでの自粛生活から一変、with コロナだと一斉に人が出てきたのでしょうね。では、250種1万本のバラをお楽しみ下さい。シンプルな一重の原種系バラが好みですが、こんなぎょっとするようなバラもありました。今回の歩数は11747歩。メンバーが高齢になり、歩く距離は減ってきましたが、なまった体にはこれでも筋肉痛が。情けなや~~
May 16, 2022
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歩こう会ハイクで、大平山を歩いてきました。コロナが始まって以来ずっと欠席してきたから、1年4ヶ月ぶりの参加。コロナがおさまったわけでも、ワクチン接種が済んだわけでもないけど、行き先が魅力的で、コロナと天秤にかけて、参加を決めました。行き先は、わが町に接する大平山。バスにも電車にも乗らず、マスクをして山道を歩くのみ。大平山は、昔、紺青石(紺青色を得る岩石)が掘られていた山で、間歩跡があちこちに多数あり、落ち葉に隠れた穴に落ちるから、立ち入るのは危険とされてきた山です。このほど、地元の遊山会の方々が、安全なハイキング道を整備してくださり、今回、案内していただきました。標高299m。高さはそれほどなくても、延々続く登りと、急な下り道。倒木を潜ったり跨いだり・・・。久しぶりの身には結構しんどい山でした。きれいな花が咲いてるわけでもなく、見晴らしが良いわけでもなく、(昔はわが町が見下ろせたが、今は木が伸び妨げている)ただ木が生い茂る山中を歩いただけですが、わが町に接する山、いつも眺める山を歩けた、こんな場所、こんな山なんだと知れた、それだけで、十分満足できました。 さて、今日の花はホタルブクロ一度植えると増えて手に負えなくなるから、植えてはいけない植物として載っているのをどこかで読んだような?確かにその通り!今年も咲いた、増えたと喜んでいたのは、始めの数年。今じゃ、もう増えなくていい。と、思いつつ、でも、たくさん咲いてる光景、悪くない!いいよ~ いいよ~
Jun 20, 2021
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3/9 『歩こう会』で、池田の水月公園へ観梅に行ってきました。すっかり春らしい好天! 梅も満開!文句無しに、気持ちい~~い一日でした。園内には、中国から贈られた『斎芳亭』という東屋?もありました。6月、花菖蒲に取り囲まれれば、風情が出るのでしょうが、今は、ややそぐわない感じ?この日は、ここ以外にも、あちらこちらと歩いてきました。(歩こう会だから、歩いて当然なんだけど。) 石橋駅で下車して、蛍池駅方面へ歩き、折り返して川西能勢口駅まで。能勢街道や西国街道といった旧街道をたどると、お地蔵さんや、小さなお社やら、古墳やら、タイムスリップさせてくれるものが点在していました。 阪大の学術博物館で、マチカネワニの化石も見ました。レプリカじゃなく、全長7mの本物の化石ですよ!聖武天皇の御代に、僧行基が創建した尊鉢厄神と、その鎮守社である、五社神社も。五社神社の本殿の裏は、古墳の入り口に繋がっていて、地下の石室が覗けました!尊鉢厄神池田の造り酒屋さんの梅の木も、満開、見事でした!
Mar 11, 2019
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久々に歩こう会のハイキングに参加しました。今回のコースは、阪急今津線『仁川』~『宝塚』まで、武庫川河川敷を歩くというもの。まずは、河川敷に出る前に、駅近くの阪神競馬場を見学。競馬場を見るのは、初体験です。今日、10月28日はレースが無い日にもかかわらず、大勢の人が来ていたので驚きました。競馬のことはまったく無知なんだけど、どうやら他の競馬場の馬券を買い、レースを大画面で見ることができるようです。観覧席は、こんなに立派。ガラス張りで雨も風も関係なし。パドックといって、レース前の馬の様子を見て、予想を立てる場所らしい。武庫川河川敷に降りた我が一行穏やかな秋晴れで、気持ち良い河原。川面もキラキラと・・・・。たくさんのカワウ(黒)。 コサギ(白)も。ジョギングしている人、ロードレースの練習をしている人も大勢。ブームみたいですね。子供たちの野球練習、サッカー練習も。河川敷から上がり、宝塚『花の道』を通り、終着地点の宝塚駅へ。途中、手塚治虫記念館もありました。のんびり歩く気持ち良いハイキングでした。
Oct 28, 2018
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歩こう会のハイクで、『淀川背割堤の桜』を見てきました。木津川・宇治川が淀川に合流するところの堤、1.4Kmに240本のソメイヨシノがトンネル状に並んでいます。近年人気急上昇の桜名所、全国で人気No3だそうです。でもねぇ・・・・・≪ 人気がある=人が多い ≫ ということなんですよねぇ・・・・・大変な人混みでした。桜を見に行ったのか、人を見に行ったのか、わからないぐらいでしたぁ~~。京阪電車 八幡市駅 で降りて木津川に架かる御幸橋を渡りだすと、見えてきました。桜もきれいけれど、人もいっぱい。桜のトンネルになった堤を歩きます堤を歩く人もいっぱいなら、堤の下も人だらけ。どこかにシートを広げてお弁当を食べる場所を探さねば・・・堤の上も、斜面の下も、いっぱいだぁ~。自由時間は約1時間。集合場所目指して、堤の下の道を、人をかき分け戻らねば・・・。1時間のうちの30分を、トイレの行列に使ったという人もいました。八幡市駅に戻って、石清水八幡宮を訪れました。 859年創建。祭神は、応神天皇、比メ大神、神功皇后。京の都の裏鬼門を守護する鎮護の神。伊勢神宮に次ぐ、国家第二の宗廟。清和源氏をはじめ武士が尊崇する武運長久の神。なのだそうです。風情のある、安居橋頓宮殿の門と回廊と桜 (本殿は山頂に)元気な者だけ、ケーブルを使わず、参道を歩いて登ったんだけど、長くて、きつくて、汗だく、心臓パクパク。南総門の手前でケーブルの人たちと合流。ここも、けっこうな人出。花見のついでにやってきた参拝客が多いのでしょうね。御本殿 (拝むのも行列に並んで)神楽殿では、源氏物語を上演中でした。疲れた一日でした。やっぱり花見は近場が一番! つくづくそう思いました。
Apr 2, 2018
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25日(日)にあった、2月の歩こう会は、『薩摩藩及び西郷隆盛縁の清水寺界隈を歩こう』でした。コースは、およそ次の通り。阪急四条河原町駅から、花見小路を歩いて、まず建仁寺へ鎌倉幕府2代将軍、源頼家が建てた、臨済宗のお寺。俵屋宗達の『風神雷神図』が有名ですが、今回は、拝観はパスして、境内を素通り。六波羅蜜寺へ。空也上人が951年に開いたお寺です。口から仏が飛び出している、空也上人立像で有名ですが、今回は、その拝観もパス。ポスターだけ写してきました。境内にあった、平清盛公の塚です。六波羅は、平安末期は平氏一族が住んでいた地です。六道の辻の近くにある、『幽霊子育飴本舗』。 女の幽霊が、お墓の中で産んだ我が子のために、毎晩飴を買いに来たんだとか?そして、六道珍皇寺 この寺にも、風変わりな言い伝えがあります。六道とは、地獄道・餓鬼道・畜生道・阿修羅道・人間道・天道を指し、ここ六道の辻は、斎場の入り口で、この世とあの世の接点の地。そして、この寺の井戸を通って、小野妹子の孫で、小野篁(たかむら)という人が、夜毎、あの世とこの世を行ったり来たりしていたとか。昼は嵯峨天皇に仕えた官僚であり、夜は、閻魔大王の閻魔丁の冥官であったとか。それでこの寺には、閻魔大王の像と、小野篁の像が安置されていました。行き来に使った井戸がこれです。(右下)そこから、てくてく進んで、八坂神社を通り、円山公園で お弁当タイム。それから、北政所ねね様ゆかりの高台寺の横を通り、二年坂(二寧坂)、三年坂(三寧坂)を経て、清水寺へ二年坂、三年坂界隈は、ものすごい人出でした。半数以上が、外国からの観光客のようでしたが。二年坂三年坂三年坂清水寺 仁王門そして、今日一番の目的地、清水寺内の成就院へなぜ、一番の目的地かというと、 NHK大河ドラマ『西郷どん』放映中で、成就院は、薩摩藩の菩提寺だから。西郷は安政の大獄の折り、ここの住職・月照を連れ薩摩に逃れるも、薩摩に擁護してもらえず、二人で入水自殺をはかり、西郷だけ生き残ったという経緯があるそうです。成就院も外から見ただけで、中には入りませんでした。入り口にあった看板をパチリ撮影。その後、清水寺の境内を回り、東山通りを歩いて、京阪五条へ。さらに鴨川沿いを歩き、ふり出しの四条河原町駅に到着~~。ふう~、アスファルトの道は疲れました~。軽い腰痛にひざ痛。他の人たちは、ほぼ私より年配そうなのに、皆さん元気だわぁ~。でも、歴史的背景を学びつつの神社仏閣巡りは、一味違って、勉強になりました。それにしても、京都は外国人観光客で大賑わいでした!
Feb 26, 2018
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町内サークル『歩こう会』で、上町台地の神社&七坂を歩いてきました。地下鉄日本橋駅で下車し、まず訪れたのが高津神社。鳥居が、ビルとビルに挟まれた隙間に建っていました。高津神社 鳥居鳥居をくぐって参道を行くと、柱に意味不明の字が・・・? 『仁風敷宇宙 徳化洽乾坤』 なんと読む? どういう意味? さっぱりわかりませんでした。ネットで調べると、『じんのかぜうちゅうをしく とくかけんこんす』思いやりのある風が宇宙に満ち溢れるとき、人を思う慈しみは行動となって天と地に広がるという意味なのだと判明。この頭二文字で、『仁徳』そう、この高津神社は、仁徳天皇を主祭神とする、清和天皇の勅命により866年に造営された神社なのだそうです。参道をさらに進むと灯籠があり、その先に、本堂が。ちょっと風変わりな 狛犬。 (特に尻尾が・・・)本殿の右手に稲荷神社もあり、そこにはたくさんの狐が。命の木 (命という漢字に見える切り株)落語『高津の富くじ』、文楽、歌舞伎、など上方文化と関係の深い神社らしいですが、上方文化に無知なので、よくわかりません。次に向かったのが生國魂神社。七坂の一つ目、真言坂。この坂を上ると、生國魂神社に突き当たりました。生國魂神社 北門境内を、道しるべ に沿って進みます。賑やかな標識が!境内には、多数の神社や碑や像があるようです。一列に並んでいた神社左から、城方向八幡宮(きたむきはちまんぐう) 大阪城の鬼門の守護神鞴(ふいご)神社 金物・かまどの神様屋造祖神社(やづくりみおや) 土木建築の神様浄瑠璃神社 芸能上達の神様他にもいろいろ。 境内社は計11神社。生國魂神社の祭神は、生島神(いくしまのかみ)・足島神(たるしまのかみ)だそうです。文字から、私なりに解釈すると、日本の島々を生み、充足させた神様方なのでしょうか (?)とにかくとても古い時代から信仰されてきた神社で、当初は、大阪城の地にあったものが、豊臣秀吉の大阪城築城に際して、今の地に移転させられたのだとか。そして、近松門左衛門や織田作之助の小説とも縁があるようです。生國魂神社鳥居と本殿北門から入り、正門の鳥居から出ました。七坂の二つ目、源聖寺坂。源聖寺坂を下って、下寺町筋を行くと、新撰組屯所(萬福寺)萬福寺境内新撰組の屯所があったのは、京都だけだと思っていました。大阪にもあったのですね。七坂の三つ目、口縄坂。口縄坂を登って着いたのが、愛染堂ここは、愛染祭りの宝恵駕篭(ほえかご)パレードで有名なお寺です。愛染かつらの霊木樹齢数百年の巨大な桂の木に、ノウゼンカズラのツルが巻き付き、男女が寄り添っているように見えることから、縁結びの霊木となっています。時期的に、どちらも落葉中なのが残念。夏なら、桂の木に絡まるオレンジの花が見れたでしょう。本殿多宝塔 (重要文化財)愛染堂の前から下るのが、七坂の四つ目、愛染坂。あらら、これはいたずら?七坂の五つ目、清水坂。七坂の六つ目、天神坂。清水坂を上り、天神坂を下った所にあるのが、安居神社真田幸村、終焉の地です。真田幸村の像と碑安居神社 入り口(またまた、裏から入って表から出たような・・・)安居神社からやや登って道路を渡れば、一心寺あとで、あれっ、七坂の七つ目がないと思ったら、このやや登った道が、七つ目、逢坂 でした。そして、大坂夏の陣で幸村が陣をはった茶臼山に到着。本日の歩こう会の、最終地です。解散後、ゆっくり見れなかった一心寺を再訪。そして、四天王寺へ。四天王寺は、聖徳太子が593年に建立した日本最初の官寺です。四天王寺 鳥居お寺に鳥居?昔は、神社と寺院、仏様と神様が混在していたらしく、お寺に鳥居があっても、不思議なことではないらしいですが。五重塔大阪城から天王寺に至る細長い高台が、上町台地。昔は、上町台地の下は海で、海に沈む夕日が美しく眺められ、海の向こうに美しい浄土があると信じられていたそうです。今は、埋め立ても進み、海は遠のき、ビル群が立ちはだかり、海に沈む夕日はまったく見えません。夕陽丘という地名だけが、その名残りです。そしてこの狭い台地に、100軒近い神社仏閣が並び、数々のエピソードが残されています。今回は、七つの坂を歩いて、そんな上町台地を、登ったり下ったり。いくつかの神社仏閣を周るハイキングでした。余談になりますが、マンホールのふたが、目につきました。大阪城と桜と水流をデザインしたもののようです。
Dec 21, 2017
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台風18号が通り過ぎた翌朝、『歩こう会』に久々の参加。行先は、高槻市。最初に訪れたのが、高槻市立しろあと歴史館高槻城三の丸跡に建てられた歴史博物館で、高槻の歴史を伝えるための展示品、資料や文化財などが見学できました。次が、城跡公園二の丸があった場所らしいです。戦国時代に高槻城主であった、高山右近の像があったり、江戸時代の商家を移築し、生活用具や農具を展示した、歴史民俗資料館がありました。年代ものの木もありました。小さな池があり、亀や鳩がいました。と、まあ、こんな程度で、それほど特筆することもない公園でした。次が、野見神社。須佐乃男命(すさのおのみこと)と、野見宿祢命(のみのすくねのみこと)が御祭神。野見宿祢は、相撲の祖とされている人物で、垂仁天皇の頃、出雲から呼び寄せられて、大和当麻村の当麻蹴速と相撲をとって勝ったと、日本書紀に記述されているそうです。次が、高山右近記念聖堂(カトリック教会)ここにも高山右近の像が。次が、、、、、、、、、、、、、、、、 これにておしまい。計画して下さった方には、大きな声で言えないけれど、今回は、ちょっと物足りなかったなあ~。歩行歩数も、6千歩ほどだし、、、、、。最近、用事や怪我などで参加できず、久々の参加で期待していただけに、残念でした。
Sep 21, 2017
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北野天満宮、千本釈迦堂、清明神社とまわって、最後は二条城。600円の入場料を払って、いざ入場~~。まず、二の丸御殿の内部を見学。内部は撮影禁止なので、お見せできないのが残念です。それはもう大きくて、建物面積3,300平方メートル、部屋数33、畳は800畳あまりだそう。江戸時代の武家風書院造というのだそうです。狩野派が描いたという、大きな虎・豹・松・鶴などが描かれた襖絵。天井絵。 精巧に彫られた欄間。未補修な部分は色褪せてしまっていますが、創建当時はもっともっと金ピカで絢爛豪華で、貴族や諸大名を圧倒し、徳川家の偉大さを誇示するものだったのでしょうねぇ~。外から見た、二の丸御殿 二の丸御殿の車寄 入り口です。唐門 (外側)唐門 (内側)どちらから見ても、そっくり? (私には違いが見つけられない)派手派手しい彫刻・装飾がふんだんです。二の丸庭園二の丸御殿の中庭的な庭で、御殿のそれぞれの上段の間から鑑賞できるようになっているそうです。池があって、島や橋があって、手入れの行き届いた年代物の松がたくさん。防寒のために、こも巻きされたソテツ五層の天守閣があったそうですが、1750年の落雷で消失し、高台に跡地が残っています。そこに登ると、京都が盆地だということがよくわかりました。比叡山がえらく近くに見え、あの向こうは、すぐ琵琶湖。外敵の侵入を阻む、守りやすい地だったのですね。この後、四条烏丸まで歩いて、電車で帰りました。今回のハイクは、約2万歩でした。
Feb 24, 2017
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北野天満宮を出て、上七軒(花街)を抜けたところに、千本釈迦堂がありました。1221年建立の本堂は、幾多の戦火を免れた京都市内最古の木造建築物で、国宝指定だそうです。堂内にも、快慶らが彫った仏像や弟子像など、国宝・重文級が多数あるとか。今回は、中を見学する時間がなく、外からのお詣り。 境内で目を引いたのは、、、、、阿亀(おかめ)像阿亀(おかめ)桜見上げる大木の枝垂桜。 開花時はさぞや見事でしょうねぇ~。布袋様 よく笑ってらっしゃること♪おかめさんは、本堂建築時の棟梁の妻で、夫が失敗した窮地に助言で夫を救い、女の知恵で成功したと言われては夫の恥になるからと、完成前に自害したのだそうです。そんなことで自害していては、私の命はいくつあっても足りないわ。 な~んちゃって(笑い)おかめさんに因んで、お詣りすると、夫婦円満の御利益があるそうだから、とりあえず手を合わせておきましょう。そこから堀川通りに出て南下。清明神社へ。安倍清明をお祀りする神社で、漫画や映画の影響で、人気の神社です。一の鳥居には、清明桔梗、五芒星が!二の鳥居昔を再現した、一条戻橋 陰陽師・清明がつかった精霊 式神清明像と本殿衣の下で印を結び、星を見て天体観測している姿だそう。厄除桃陰陽道では、桃は厄除け・魔除けの果物なんだそうです。 ( 知らなかったぁ~。)昔話・桃太郎もこれに由来しているらしいのだそうです。若い人が結構大勢お詣りに来てましたねぇ~。さすが、人気の阿倍清明ですね。この後、さらに南下、二条城に向かいました。
Feb 22, 2017
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歩こう会で、京都北野天満宮&千本釈迦堂&清明神社&二条城に行ってきました。北野天満宮は、言わずと知れた、菅原道真を祀る天満宮の総本社で、学問の神様としての信仰の篤い神社です。梅の名所としても有名で、観梅も期待して行ってきました。一の鳥居鳥居の前の狛犬 さすが梅の名所、台座が梅模様!楼門三光門 三光というけれど、日光・月光だけで、星光はないらしい?平安時代の御所から見たら、門の真上に北極星があったから、星はいらなかったのだそう。本殿地主社天満宮の創建以前からある古い社で、天地すべての神々を祀るそう。参道の正面にあるのは地主社で、あとから建った天満宮の本殿は遠慮して筋違いのところにあるのだそう。天神様の御使いである牛の像が境内のあちこちに見られます。道真が丑年生まれだったことも関係しているらしいです。牛の頭を撫でたら、自分の頭がよくなるとのことで、見かけしだい撫でまくってきました。今さら遅い? いえいえ、ボケ防止!他は臥し牛なのに、一体だけ立ち牛が! 拝殿の屋根の欄間に・・・。さすが学問の神様! 合格祈願の絵馬がどっさり。 (叶うといいね♪)梅園は、仕切りがあって有料でした。 (お茶付きで700円) 入らず外からパチリ。梅園に入らずとも、境内には梅がたくさん。あれっ? この狛犬の角、えらく長くありません!?天満宮を出た後は、千本釈迦堂、清明神社、二条城と歩きました。それはまた明日に。
Feb 21, 2017
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30日(水)には、歩こう会で、長岡京へ行ってきました。長岡京は、784年から794年まで、桓武天皇が都を置いた地です。まずは、長岡天神へ。(御祭神は菅原道真)菅原道真が、大宰府に左遷されるときに立ち寄り、『わが魂、長くこの地にとどまるべし』と、名残りを惜しんだ縁故により、道真公の木像をお祀りしたのが神社の創立らしいです。大鳥居大鳥居の先は、八条が池八条が池を二分する中堤。 以前、春に来たときには、両側の霧島ツツジが真っ赤で見事でした。 堤の途中に架かる石の太鼓橋 (加賀の前田公の寄進とか)境内 (もう少ししたら、紅葉も見事でしょうねぇ~)鳥居をくぐってもひとつ鳥居をくぐれば、拝殿道真公と言えば、牛。 次に行ったのが、勝龍寺城址公園ここは、明智光秀の娘たま(後のガラシャ夫人)が、細川忠興に嫁いで2年間過ごした、細川家の城跡。二人の睦まじい姿 (美男美女ですねぇ~)次が、恵解山古墳 (イゲノヤマコフン)5世紀中頃の前方後円墳。多量の鉄製武器が出土し、当時の有力首長の墓らしいとか。 私は、どっちかというと、街中より、山道歩きの方が好きなんだけど、今回は、街中の歴史ゆかりの地を訪ね歩くハイクでした。たまには、こういうのもいいですね。
Oct 2, 2015
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歩こう会で、市内最北部にある、黒川ダリヤ園と一庫公園へ行ってきました。町内自治会館に集合し、能勢電多田駅まで徒歩 能勢電に乗車し、妙見駅下車。黒川ダリヤ園に向かって歩く平成生まれの道祖神。 まあ~、可愛いこと♪薄クリーム色のコスモスなんかも咲いていて・・・。ダリヤ園、到着~。約0.6haの広さに、約400種1200株、植えられているそうです。大型の華やかなダリヤが多かったです。見たことないような変わったものもたくさん!ダリア園見学後、一庫公園へ公園内、森の広場で、昼食。知明湖 (ちみょうこ) を渡って、能勢電光風台駅へ途中途中、美しいと思った所で、知明湖を写しました。多田駅まで 能勢電に乗車。家まで徒歩(疲れ果てた人は、川西能勢口まで乗車。バスにて帰宅)今回のコースは、最近の歩こう会では、一番の健脚コース。かなりきつかったです。約3万歩ぐらい歩いたようです。コンクリの舗装路が多かったのも、足の疲労の原因かな。会の中では若手で普段テニスもしている私でもきつかったのに、年配の皆さん、元気です! タフです!65歳以上の高齢者率42%のわが町だけど、体力年齢と精神年齢は、まだまだ若い! 大丈夫です!
Oct 28, 2014
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