オバかの耳はロバの耳 

2015/12/02
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転載記事
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Media Watch: 朝日新聞、マスコミ界の北朝鮮
~ 永栄潔『ブンヤ暮らし三十六年』から

 真っ当な報道記者は、こうして排除されていく。



■1.『ブンヤ暮らし三十六年:回想の朝日新聞』

 朝日新聞や『週刊朝日』などで36年の「ブンヤ暮らし」を務めた永栄潔(ながえ・きよし)氏が、その内幕を描いた『ブンヤ暮らし三十六年:回想の朝日新聞』が話題を呼んでいる。Amazonでは20件ものカスタマーレビューが寄せられ、うち星5つが16件、星4つが2件という高評価だ。

 弊紙でもこれまで登場いただいた朝日新聞記者の素顔が描かれていて、なるほど、こういう人物が、こんな風に朝日の中をかき乱し支配していったのだな、と納得できる場面が多かった。

 本稿では、そのうちの印象的な場面をいくつかご紹介しよう。弊誌では朝日が行ってきた偏向報道を何度も論じてきた[a]が、それがどんな風に生み出されてきたのか、がよく判るだろう。


■2.本田雅和記者の豪腕

 最初に登場いただくのが本田雅和記者。日本軍が中国で「百人斬り競争」をしたとでっちあげて、山本七平氏から「論理的にありえない話」と論破された本多勝一記者[b]、沖縄のサンゴ礁を自分で傷つけた上で環境破壊を戒める記事をでっちあげた本田嘉郎記者と並んで、「朝日の3ホンダ」と並び称される一人である。

 本田記者は、「従軍慰安婦」問題が昭和天皇の責任であったと追求する市民団体による「女性国際戦犯法廷」(平成12(2000)年)を準備段階から支援し、積極的に報道するのみならず、主催団体と一緒に北朝鮮にまで渡航して、協力を求めている。

 その4年の後、北朝鮮が送ってきた横田めぐみさんの「遺骨」が偽物と鑑定され、「北朝鮮を制裁すべし」との世論が高まっていた最中に、その中心であった安倍晋三・経産相(現首相)と中川昭・経産相(故人)がNHKの「女性国際戦犯法廷」に関する番組に「圧力をかけた」と、本田記者は朝日の第一面で糾弾した。

 しかし、中川氏がNHK幹部と会ったのは番組放映の後なのに「放映前」と書き、幹部が安倍氏には予算説明に行ったのに「安倍氏が呼びつけた」とした。安倍・中川両氏から「事実無根」と訂正・謝罪を求められ、NHKからも公開質問状が寄せられたというなんとも強引な捏造報道をする人物であった。[c]


■3.「崩御」か「死去」か

 永栄氏は、その本田記者と大激論をしたそうだ。昭和天皇が病床にあった昭和63(1988)年暮れ、二人は『週刊朝日』編集部に属していた。ある日、緊急部会が開かれ、天皇が亡くなられた時の言葉遣いをどうすべきかが諮られた。編集局、出版局ごとに意見をまとめて、全社で統一することになったからだ。

 本田氏がさっそく手を挙げて、こう言った。

__________
 ぼくは、『死去』がいいと思います。『崩御』は絶対に反対です。『崩御』という時代錯誤の用語を使うことは、天皇制を認めることになる。ただ、そんな用語のことより、ぼくは、われわれがいま取り組むべきは天皇の戦争責任を追及することだと思います。

新聞は一度も天皇責任に正面から切り込まない。新聞がやらないのであれば、『週間朝日』でやるべきです。そのことを議論しませんか。[1,p49]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 他の人からは「ご逝去ではどうか」という案が出て、編集長から意見を求められた永栄氏は、こう語った。

__________
 崩御が特別な用語だというのはその通りだろうが、崩御を使うことは天皇制を認めることになるという理屈が分からない。天皇は憲法に「国民統合の象徴」とあり、天皇は憲法上も特別の存在であるわけだ。・・・

天皇や皇后が亡くなったことをいう崩御という言葉があるのに、ご逝去にするというのは、「朝日は天皇の敬意を払うつもりはない」という意思表示と受け止められないか。そのことも考えておくべきだ。ただ、近代日本の苦闘と天皇への共感共苦が底にあるなら、「死去」でも構わない。[1,p49]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 本田氏は、永栄氏の発言中も「おかしいですよ」「議論が逆立ちしているよ」と何度も挙手した。発言が終わると真っ向から反論し、いつしか二人の論争が延々と続いて周囲はうんざりしたという。


■4.「噫(ああ)軍神乃木大将」

 最後に、編集長が「それでは『ご逝去』ということにしましょう」と締めくくった。どこの部も「ご逝去」で上層部に提案したということだったが、実際に昭和天皇の崩御を伝える号外、新聞見出し、『週刊朝日』とも、すべて「崩御」で統一されていた。どうしてそうしたかの説明は、編集長クラスにもなかったという。

 永栄氏は「乃木大将夫妻の自刃[d]を知った夜の朝日社内が思い出されておかしかった」という。

__________
 明治天皇の大葬で猫の手も借りたい編集室に乃木希典・静子夫妻自決のニュースが飛び込む。「この忙しいときに馬鹿が」「記事のないときに死んでくれりやあいいのに」などと罵声が飛びかい、見出しをどうするかが問題になる。「心中だな」 「共同自殺や」。その場にいた生方敏郎の 『明治大正見聞史』 (中公文庫) に出てくる挿話だ。

 挿話はこう続く。主筆が隣室から出てきて、「このさい慎んだらどうです。聞き苦しい」と言う。そこへ社長が出社する。「乃木が死んだってのう。馬鹿な奴だなあ」。「社長万歳!」 の歓声が一斉に起こる。にもかかわらず、翌朝の新聞が「噫(ああ)軍神乃木大将」と、誠忠無二の人の殉死を悼む記事で埋まっているのを見、生方は唖然とする。そんな話だった。[1,p50]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 朝日社内には北朝鮮のような強力な社内統制があるようだ。


■5.「クビにしてやる」

 その統制がどのように行われるのかを窺わせる逸話も、永栄氏は語っている。永栄氏が入社早々の頃、朝日は日本の報道機関で唯一、北京に特派員を置いていたが、その報道があまりにも他紙と違うので、戸惑ったという。

 当時、文化大革命が進む中で、それを伝えた日本の各社北京特派員は次々と追放され、朝日の秋岡特派員のみが北京に残っていて、差し障りのない報道だけをしていた。[e]

 それに対する批判が高まると、当時の広岡知男社長・主筆が、「相手の嫌がることを取材したり書いたりする必要はない」という趣旨を朝日の第一面に書いていたのに永栄氏は驚き、「私たちは日々、相手の嫌がることを取材している。こういうことをお書きになるなら、社長をお辞めになるべきだ」と社長に手紙を出したが、咎められることもなかった。

 永栄氏の剛直さは見上げたものだが、社長としては一介の新人社員の手紙など無視しておけば済むと思ったのではないか。ところが、社論に背く報道がなされると、対応が違ってくる。

『週刊朝日』が昭和46(1971)年12月10日号で、「林彪のナゾを負う----ここ三ヶ月の中国首脳二十五人の動静全調査」という特集を組んだ。林彪副主席の動静が同年10月1日を最後に報道されなくなり、側近たちの名はそれ以前から公式報道から消えている事実を調べて、林彪の周辺で何かが起きているのではないか、と書いた。

 突然、姿を消した林彪の行方を追って世界のマスコミがさまざまな分析をするなかで、中国現地紙から林彪一派の動静を調べて、異変が生じている可能性がある、と書いたのは、報道機関としてごく真っ当な取り組みだった。

 ところが、編集長の工藤宜(よろし)氏自宅に、まだ夜も明けきらないうちに、外報畑の元香港特派員が電話してきて「クビにしてやる」と言ったそうだ。朝日では一介の記者でも、主流派に身をおけば編集長クラスに対してこういう口の利き方ができるようだ。

 実際に工藤編集長はその後、数週間で解任されたそうだ。「相手の嫌がることを書いたりする必要はない」と言っていた社長のもとでは、中国の「嫌がることを書いた」工藤編集長を飛ばすのは簡単なことだったのだろう。こうして真っ当なジャーナリストは左遷され、社論に忠実な似非ジャーナリストが出世していく。[1,p277]


下に続く





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Last updated  2015/12/02 11:51:38 PM
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