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痩せた三毛猫が暑い太陽の下をよろよろとやってくる。うちにはすでに飼い猫と手当て中の野良猫がいて、主人は手当て中の猫も飼う気などない、と言う。腹をすかせた三毛猫が台所のドアの前で入ろうとしているのを見て主人が「どろぼう猫」と追い返す。そんな主人だが、うちの飼い猫が町で迷子になった時は我慢強く探して私より先に見つけたことがある。テーブルの上にあった生ハムを狙ってきたんだ、とか言う。にゃるほど、いい匂いがしたかも。ああ、どろぼう猫か。でも、家なき猫で、お腹が空いていて、毎晩どこで眠ろうか、と場所を探し、朝には涙が目にこびりついている。もう可愛い赤ちゃん猫でもないから、痩せこけて毛並みもぼそぼその汚そうな猫をさすろうとする人もいない。三毛猫はびくびくしてまた庭に入り、残り物の猫の餌をそっと食べる。三毛猫に気がついて、そばによろうとすると、さっと逃げようとするが、逃げなくてもいいのよ、と言うと、言葉か雰囲気からわかるみたいで、しばらく庭の隅で様子を見ている。そばにより、撫でてやると、ずっとゴロゴロ言っている。こんな猫を誰かの家で飼ってあげたら、人懐こくてとても可愛い存在になるだろう。一度シャンプーすれば、ふかふかのマシュマロみたいな愛らしい猫になるだろう。うちで手当て中の白猫もさすってあげたり、あるいは食べている間はずっとゴロゴロ言う。わたしは苦労してきたから、優しくされるとそれがとってもありがたいの、と言っているみたいである。フランスに、ある「自由な猫の団体」があり、その団体では野良猫を見つけては、去勢避妊手術をし、野良猫たちがこれ以上増えないようにしようと取り組んでいるそうだ。そして、手術を終えた猫達はまた自分達の縄張りに帰る。これならば、近所にすむ誰かが定期的に猫達にえさをやっても誰も文句は言わないだろう。しかし、猫達はやはり、寒い時は家の中で眠る場所が欲しいだろう、と思う。
2010.05.30
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日曜日も南仏エックスはお天気。風がある。今日初めて一ヵ月半前から顔をみせるようになった傷ものの野良の白猫を膝にのせた。3週間以上もそばに寄ることもできなかった猫。今でも、腕の中に抱くとじっとはしてくれない猫が、膝の上で気持ち良さそうに座っていてくれた。顔や頬や背中をさするとずっとゴロゴロ言っている。念のため、猫を触ったあとはやはりマルセイユ石鹸で丹念に手を洗う。そういえば、毎晩、はりねずみが庭に顔を出す。フランス菓子とアイスクリームロズモンドのフランス CHIC PURE16 フランスの貴公子ルイ・アレクサンダーくんのボーイソプラノを聴いてみよう。 マンチェスター出身のバンド ベガジョーBeggar Joeベガジョーと知られる前のマンチェスターの時の姿はこちらです。街角で歌っていた時のベガジョーBeggar Joe 2007年 川下 笑里歌さんの心洗われる美しいハープ演奏♪ごっちゃ箱 現代詩人ロズモンドのフランス CHIC PURE16 パリ一人旅プチガイド Bon voyage! パリの一人旅、スリにご注意。Bon voyage! 日本から南フランスに来られる方へ。小さなメモ。ちなみに プロヴァンス Province はフランス語で「田舎」の意味です。南仏のワインもプロヴォンスワインです。南仏の人は、AIX-EN-PROVENCE を プロヴァンスと呼ばれるとバカにされたような気がするのだそうです。ウィキペディアでも堂々のプロヴァンスになっていましたね。涙。
2010.05.30
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南仏の今日のお天気は夏。土曜日、エックスの街で友人と過ごした後、お昼に帰宅した日本語の話せない息子は開口一番、「チャーハンが食べたい。玉ねぎを炒めたやつで。どこかのうちから、玉ねぎの炒めた匂いがしてきて、」たまらなくチャーハンが食べたくなったらしい。J'aimerais bien manger le riz sauté aux oignons. あいにく、お米を切らしていたが、麺があった。にんじんとたまねぎにソーセージを切っていため、それに茹でた麺を絡ませるだけ。オイルは葡萄オイルと地元南仏の農業者から買った南仏産オリーヴオイル(有機ではないみたい。)を使い、塩とたっぷりの胡椒で味付けした簡単なものでちょっぴり怪しいやきそばを作った。実はクッウrジェットゥ courgette をエルブドプロヴォンス、やはり南仏産オリーヴオイル、塩コショウを入れて圧力鍋で煮込んだものもあったので、それもお皿に付け合せる。太陽がまぶしい庭のテーブルで昼食。主人も息子も長い合掌のあとでひたすら黙々と食べる。お醤油もしいたけはおろかマッシュルームもなく、私としてはなんだか許せないなあ、と思いながら、この次はもうちょっと凝った焼きそばが作りたいなどと思いながら、暑い日ざしに溶けそうになりながら、食べる。二人の反応はいかなるもの?最後においしかった、と言ってくれたのでホッとする。息子は抹茶アイスクリームも抹茶もだめだけれど、中華風麺とか炒めご飯が好き。麺はスーパーマーケットブランドの安物の中華麺なのがいまいち。けれど、これをブルターニュ産の粗塩で茹で、煮立ったら、さっと水洗いし、それから、炒めた野菜に絡め、温める。麺は水洗いする。これをするとしないでは、麺の味もずいぶん違う。日本では常識だと思うけれど、フランス人の彼らはそのまま食べようとするので、彼らには麺は任せない。土曜日の午後、主人は友人とセザンヌの絵で有名になったヴィクトワール山のふもとの森を散策。帰りに地元のローズマリーの蜂蜜を買ってきた。主人の友人Jさんは日本語が少しわかるので、散策から帰ってきたJさんと一緒に黒澤明監督の「まあだだよ。」を見る。Jさんの彼女がくれたフィルムだ。主人は日本語がわからないので、二人でところどころ訳しながら見る。主人は黒澤監督の映画に出てくる役者全員がとても自然体なので、これは監督の力量と絶賛している。いつか、私は誰かの記事で、黒澤監督はインクがあるのに書けないボールペンを書けるようになるまで何度も書こうとした、というのを読んだことがある。彼の役者さんたちにも同じように接していた、と記事にはあった。役者がボールペンなら、つまっているけれど出てこないインクは各役者の才能と素質に例えることもできるのだろう、と思う。「まあだだよ」の映画には黒沢監督のメッセージが強く感じられた。監督の「生きる」も大好き。Jさんは映画を観ながら、「彼女の留守中に飼い猫に何かあったら、俺、入籍していないのに、そのまま離婚だよ。」と言ったのでみんなで大笑い。
2010.05.25
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夕食の仕度をしていたら、うちの猫と野良の白猫が首を長くのばしてこちらをじっと見つめている。いや、あと30分後に。今はダメ。...... 負けた。それにしても猫がくつろぐ姿を見ているとこっちまでホッとする。痛切にうらやましくなる時もある。猫って18時間は寝るそうだ。野良の白猫と書いているけれど、気持ちはもう少なくとも2週間前から完璧に私の猫。いや、もしかして最初に見た一ヶ月前からか。
2010.05.25
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先週の週末と休みを利用して家族で3晩4日、スイス国境沿いのフランスの緑も濃い田舎へ車を飛ばして行ってきました。目的地は主人の妹夫妻の住む町。往復約800kmで私は行きは約200km帰りは約300kmハンドルを握っていました。妹夫妻のところで主人のご両親とも合流して近くの山の中の森を歩いたり楽しく過ごしました。近くのスーパーマーケットで ミ・グロという大型マーケットがありました。妹のご主人が、あそこではタバコとアルコールは一切販売していなんだよ、と。理由は、ミ・グロの社長が息子をアルコール中毒で失ったからだそうです。営業利益を考えれば、ワイン好きのフランス人の国なのに、ずいぶん思い切った決断。親の愛の深さを感じます。酒抜きのスーパーが地域の住民に与える影響は結構大きいものがあって、あそこに来る客にも従業員にも変なのがいない、とご主人は話していました。確かに店内はなんだかすっきりしていて、私はきっとここが爽やかな気候のところだからだろう、と思っていました。しかし、おそらく、まるで酒抜きの世帯ばかりがこのマーケットに来るわけではないでしょう。しかし、特に必要のない酒類を買わずに済む、ということが長期的に考えて地域住民の健康に良い風に影響を与えているのではないかと思います。社長の親としての愛と悲しみがこうして少しでも報われれば、と思います。ちなみに高速でスイスのジュネーヴを通ってフランスに入る時は、一年有効のヴィニエットと呼ばれるものに約30ユーロが国境沿いでスイス側に取られてしまいます。しかし、一回きりのスイスしかも通過するのみ、高速を使わず、検閲のない普通の道路を行けば行ったになりますが、見つかると罰金だそうです。ちなみにスイスのガソリン代はフランスより安かった。さてスイス国境沿いの地域から南仏まで行く途中、ヴェルコールVercors とか呼ばれている山脈が連なる地域のあまりにも雄大なあまりにも壮大な景色にもう感動の連続。山脈の頂きはまだ白く凍っているようでした。5月中旬なのに。緑豊かな風景、時々家が点々とあり、小高い丘が見え、その向うに雄大に連なる山脈が。こんなところに生まれたら、自分はほかのどこにも行きたくないだろう、と思うくらいでした。ヴェルコールVercors は2000メートルを若干超える山が結構あるそうです。あの雄大さからして、ま、不思議ではありません。車を運転していたら、立派な滝も見えました。南仏に入って、システロンの町に入るころから、ああ、もうほんとうに南仏だあ、という雰囲気になります。田舎道を通りながら、日曜日だったのに、民家を訪ね、南仏の地元でとれる蜂蜜とオリーヴオイルを買いました。明日はいい天気らしいので、主人と二人でマルセイユ近くの海へ行って主人は書き物の仕事、私はのんびりしようということに。ドライヴは南仏の田舎を私がまたハンドルを握ることに。結婚したのに、私がアッシー君。野良の白猫は3晩いなかった間も置いておいた餌を食べ、水を飲み、ずっと庭の一角の箱の中で、うちのトラ猫と一緒に待っていてくれました。今日は硬めの紙でついにエリマキトカゲカラー!?をつくり、石鹸で洗ったコットンの布を傷口に当ててから、紙製のカラーを巻きつけてみました。市販のカラーみたいに広がりが出なかったので、口の部分だけ紙を切り抜いて。猫はずっと何も言わずおかしいくらいされるがままになっています。今朝は口の左側の傷は少しひいていました。毛もはげていた部分にどんどん生え戻っています。うちの猫もなんだか白い傷だらけの猫のそばにいた大きな鳥を追い払ったりして、ま、気のせいですが、まるで白い猫を守っているようでした。時々、草むらで寝ているうちの猫のほうがまるで野良みたい、と。
2010.05.23
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つい最近インターネットで新倉勝美という人の話を読んだ。癌患者を気で治してしまう人らしい。それである呼吸法を得ると健康体が持てるようになるらしい。新倉氏が格闘家だった時、気で人を押し返し飛ばしている映像を見た。実はインドネシアの武術でペンチャック・シラットというのがあり、この素手の武術も呼吸法がどうも少し新倉氏の呼吸法に似ているみたいなのである。口をあけて息を吸い吐き出す時に歯の裏に空気をあてて音を出して呼吸をする。ペンチャック・シラットのある修行映像を見たことがある。一人不動で立つ若い女の子に他の男性達が3.4人で立ち向かっていくのだが、みんな彼女に指一本触れることもできずに彼女の目の前で倒れていくという練習風景がyoutubeで流れていた。で、交代で、かかっていった男性たちもまた不動で立ち、ほかの人間がみんなでかかっていき、やはりかかっていった者たちが次々に倒れる。疑問なのは、でも、みんな同じ呼吸法を取得しているのなら、何故不動の人間だけが全速力で向かってくる人間たちを近寄らせないで倒せるのか。不思議。不動で防御してしまうなんて。全速力で向かう力だからかな。新倉勝美氏の力は相手をふっとばしてしまう。主人の友人が昔あるベルギーの不思議な力を持った治療士に指一本触れるか触れないかで大きく吹っ飛ばされた話や、フランス人で日本にいた時、チベット人の瞑想者にやはり大きく吹っ飛ばされてしまった話。ちなみにこのフランス人の祖母なる人は机や椅子を浮かせる事ができた、なんて話をしていた。でも、うそをつくような人ではなかった。ペンチャック・シラットの修行を積んだ人の中には目隠しをしても物が見えてくる、というか、実際は光というか色の波動を感じるようになるということらしいのだけれども、それで、インドネシアの先生はこれは盲目の人にはとても役立つのでもっともっとこのシラットを広めたいと思っていると語っていた。新倉氏のお話に戻ると、格闘家だった時は気を攻撃に使っていたが、実はお嬢さんの病を治し、それで気をもっと癒す方向に使いたい、と方向転換されて今はその「愛の気」を広めようと頑張っていらっしゃるそうだ。「ニューヨーク人間模様」に掲載されていた飯村昭子さんというエッセイストの記事を読んで感動。http://www.yomitime.com/ningen/59.html江本勝氏という人ともつながりがあるらしく不思議な話ではない。気が水を調和へと戻す。心から揺さぶられる歌い方をする人も人の心を大きく癒している。いや猫だって癒される。姉のものとなった猫はオペラの蝶々夫人を聞いて曲にあわせながら尻尾をふり、おまえは指揮者だったの...? 至上の幸福ともいえる顔をよくしていた。思うに、ベルナール・アッカ氏のような頑張りやさんも癒すエネルギーを使う方向に向かったらすごい事になるかも知れない。気、思いの力。言葉の力。魂の力。愛の力。ありがとう。調和。波動かあ、はあ。空気、ないようである空気。空気や水を伝わる気。なんだか、それ以外の媒体もあるような気がする。距離を越えて何かが通じてしまった時。これがわからない。幸福を引き寄せる法則ヴィデオをちょっと見たけれど、でてくるイメージは高価な車とか高級リゾートホテルとか物志向だなあ、とふと気づく。素敵な家に住んで素敵な車に乗ってしまえば、欲の深い人間の事ですから、そこでそれが当たり前になり、また次から次へと別のものが欲しくなり、きりがない。途中から過信に入り過ちをおかしてしまうこともあり得る。スピードの出る車に乗るように。いえいえ、私だって物は欲しいです、はい。(汗)でも、たぶん、そういう具体的な物を赤いにんじんのように目の前にぶらさげて日々の正しい行いを地道に続けていく糧にはなるのかもしれない。ただ、幸福を引き寄せる力の「力」はイメージ力なのだけれども、確かに仕事の場でこう行動したらこうなるという結果を事前にイメージしておくと何かスムーズにいくことがある。準備をしてのぞむということ。さて幸福というのは静かに満ち足りた状態のことをいうんじゃないのかなあ。精神統一。澄んだ世界。と、すると、毎日、土の中にまいた種に水をやり、やがてそれが芽をだし、やがていつかは美しい花が咲いてくれたら、あるいは病気の人を看護してその人がもとの元気な姿になってくれたら、馬鹿だ馬鹿だといわれていた生徒の勉強を見てどんどん学んで理解していってくれたら、それはとてつもなく大きな喜びに満ちた瞬間。種に水撒きをしている時は、やがて咲いてくる花をイメージしている。患者がやがて元の元気な姿になることをイメージしている。生徒が必ず学ぶ事や理解する事の喜びに目覚めてくれることをイメージしている。そういうイメージの力には「本来ある姿に戻す」という観念がある。可愛いポシェットを作りたいと思う人も可愛いポシェットをイメージ想像しながら、その過程を楽しみ、最後にいよいよできた時はとても嬉しい。失敗してもまた次につくろうとするだろう。けれど、自分の欲しい車をイメージするのは何だかまるで違うような気がする。こちらは「ねだる」世界。自分には作れないものだから欲しいのか。コンサートに行きたい、とか思うのも、ねだる世界。いえ、そういうおねだりも多少はないと。全面的に否定しているわけではなくて。でも時には「おねだりエネルギー」を忘れてしまってもいいと思う。一方、車の設計士が安全な車を設計して、まず自分が不安なく運転している姿をイメージしている。そして成功すれば、自分ばかりでなく他人も喜んでくれる。こちらは「自ら働きかけて自分が嬉しい」世界。その過程も。それがまた本来の無我夢中になれる仕事のあり方でもあると思う。芸術でなくても創造性というのはそういうことか。自ら働きかけて少しずつ達成していく。けれど、漠然とでもこうしたらこうなるという結果がすでに半ば確固たるイメージとしてある。自転車に乗ろうと練習する子供は自転車に乗れて当たり前な自分のイメージがある。自ら働きかける、というのは自分のエネルギーと時間を注ぐということ。なんだかまた「星のおうじさま」のお話になる。たいせつなものは目にみえないんだよ。時間をかけた相手が特別の存在になっていくんだよ。静かに満ち足りた幸福かあ。良い一日を。マンチェスター出身のバンド ベガジョーBeggar Joeベガジョーと知られる前のマンチェスターの時の姿はこちらです。街角で歌っていた時のベガジョーBeggar Joe 2007年 川下 笑里歌さんの心洗われる美しいハープ演奏♪ごっちゃ箱 現代詩人
2010.05.12
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約一ヶ月前からうちの庭に来てうちの猫の餌を食べるようになり、約10日ぐらい前からうちの庭で眠るようになった一匹の正真正銘の野良猫。喧嘩傷から膿が出てなめた部分が全部はげ、傷は治りがけに引っかくので左頬の傷は血だらけかカサブタで黒くなっているか。左目の上も引っかくので小さなひがんだような目つき。縄張り争いでケンカにまけた野良猫。小さな猫。小さな心臓。食欲があるのが幸いと、餌をやり、うちの庭で眠るようになってから、一日に最低一回は水を含んだ布で傷口や体を拭いてやる。耳の後ろや首のあたりを拭いてやるとゴロゴロいう。ハンドパワーだ、と両手で触れずに猫の傷口に手をあてる。そうすると猫はまたゴロゴロいう。不思議だ。ちょっとしたハンドパワーは誰にでもあるらしい。宗教とは関係ない。痛いところに思わず手をあてるのと同じ程度。猫が自分でできないことを私が代わりにしてあげるだけ。ただ心の中でこの猫の傷が少しでも癒えるように、と思う。猫の自然治癒力にも期待して。二日ほど前から目の上のはげていた部分に薄っすらと毛がはえていたのに気づいた。今朝はさらに毛がのびたのか、やや普通に見えるし、左目も少しだけもとに戻ったような気がした。嬉しい。そういえば、今日初めて、そのか弱い白い猫を抱いて見た。これもだめである。一秒と腕の中に抱かれていようとしない。一応まだ猫にどんな菌があるのかわからないので、白いブラウスに着がえて腕に抱こうとした私の警戒心を察知したのかもしれない、と思ったり。以前飼っていた猫も常にそばにいるけれど、一緒に寝たりもするのに、決して腕の中でじっとしていない猫だった。野良だから、という事ではないのかも知れない。それにくらべ、うちの飼い猫は、主人や私の膝をソファだと思っている。いや、あらゆる人の膝をソファだと思っている。それにしても一体今までどんな目に遭ってきたのだろう。思うにどうやら、白猫はメスのようだ。とにかく食べては眠っている。もう、うちの庭の外には出たくないようだ。何かあって、柵の向うにいっても、すぐに戻ってきて自分の居場所となったダンボール箱に戻っていく。状態は少し良くなった気がするけれど、食べているわりにはそれほど太らない。腰のあたりが弱々しい。やはりどこか病気なのかな。それとも実はとってもお年寄りなのかな。野良猫保護団体がヴォランティアを募っている。うーん...。ついどうしよう、なんて思ってしまふ。マンチェスター出身のバンド ベガジョーBeggar Joeベガジョーと知られる前のマンチェスターの時の姿はこちらです。街角で歌っていた時のベガジョーBeggar Joe 2007年 川下 笑里歌さんの心洗われる美しいハープ演奏♪ごっちゃ箱 現代詩人
2010.05.12
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主人は出張です。寂しい、と思うのは別れる瞬間で、一旦一人になるとやることがたくさんあって、で、合間に普段から聴きたかった音楽を聴く。主人は家の中でもよく仕事をするので、音量を上げて音楽が聴けない。夜、二人で彼が選んだ映画を観たりすることはあるけれども。「ゴッドファーザー」は暴力的シーンがあるから見たくないといい続けてきた私に、ジャッキー・チェンやジェット・リーの武術映画ややたらシュールなイギリス映画を選び続けてきた彼はある日、映画の選択に困り、こういうのどう?と聞いてきたニコラス・ケイジの「武器商人」に私がちょっぴり難を示すと、「これ、そんなに暴力的じゃないんだよ。今まで、君に合わせて映画を選択してきたんだ。たまには僕の見たい映画でもいいじゃないか。」と言ってくれたので、私は ええ?!確かにジャッキー・チェンやジェット・リーの素晴らしさを発見することはできたから結果的にはうそではないんだけど。妻を理解度10%か!それにしても、久しぶりに独身時代のように孤独な夜を楽しんでいる。一人の夜を満喫するごとくYoutubeで音楽を聴く。尾崎豊の比較的静かな歌は何度聴いても心に響いてくる。森山直太郎もいい歌をじっくりと歌っている、ウイキペディアで彼は「金八先生B組」のファンだと書いてあって親近感が増す。私も日本にいた時は大ファンだった。フランスでもあのシリーズがフランス語で放映されないかな、と思うくらい。杏里の「オリビア」赤い鳥の「竹田の子守唄」もじっくり聴く。日本の歌ばかり。心に響く歌い方をする人たちの。小田正和も。他にもたくさん。時々、雨上がりの東京の白黒の写真や日本の風景写真が映ったりすると、音楽との相乗効果で、心に何かがよみがえってくる。それは心の中の風景となってしまった感情のようで、普段は引き出しの中に閉じてしまっているような気がする。夕暮れ時のせつない甘い感情のようでもある。ただ過ぎ去るばかりの瞬間を掴むこともできずにくすぶり続けているような若い時の漠然とした焦燥感とそれでもどこかでこれも漠然とした希望の予感を感じて生きていた時代。何か自分が長いそれは長い間置き去りにしてきた何か。忘れようとして忘れ去ったものではなくて、フランス生活の毎日の暮らしの中で見えなくなっていた何か。フランスに来る前に日本の暮らしの中で若い時から持ち続けてきたある種の何かかそれとも若い時に持ち合わせていた何かのような気もする。パリにいた10年間ではすっかり忘れ去っていたもの。それは雰囲気も文化も違うから、なのだろうか。それとも単に一日一日をベルトコンベヤーに載せられた物を受け取るかのように生きているような乾いた大人として生きているからだろうか。この間、ラジオからそれは美しいソプラノが聞こえてきた。言葉はわからない。曲も歌声も天に吸い込まれていってしまうかのようにおそろしく素晴らしい歌だった。が、日本語で歌われたバラードで引き出されるある種の感情は私の中では閉じたままだった。と、いうか、そのことにさえ気づいたりしないわけだけれども。ひとりの夜は徒然なるままに。いきなり日本のカラオケみたいに個室で歌えるカラオケが恋しい、と思ったり。ふと日本にもう何年も帰っていないから、何かおかしくなっているのかな、とも思う。そう言えば、よもぎ餅が食べたい、とかコンビニはどうしてフランスにはないんだろうとか、おいしい日本のラーメンが食べたい、とかよく思う。(やっぱり食い意地ですね。)パリにはラーメン屋さんあったけれど。きっと、こんな具合に私は逆にフランス人の主人のことをまだきっとほんとうにはわかっていないのかもしれない。彼の青春時代にこのフランスという土地で感じて生きてきた彼の何か原点に持っているだろう何かをもしかしたら自分はわかってはいないし、わかることもないのだろう。主人もたまにジュリアン・クレールのようなおそらく彼がまだ子供時代に聞いただろうと思われる比較的フランスの古い正統派のポップスを聴いていることがある。シルヴィ・バルタンの若い時の歌も一時的よくきいていた。ポルナレフも聴く。が、日本にいてフランスを知らずに聞いたことのある、そういう古いフランスのポップスは私にとって、いつまでも遠いフランスの国の歌なのだ。海を越えた遠い外国の歌。ただお洒落でロマンチックなベールの向こう側に置いた歌。小説は少し違う。フランス語で読んでも、英語で読んでも不安や孤独や悲しみや喜びやせつなさを描いた人間の感情が表現されたところは、同じように伝わってくる。ちなみにフランス語でも英語でもいまだに辞書は必要になることが多々ありまふ。ひとりの夜は徒然なるままに。マンチェスター出身のバンド ベガジョーBeggar Joeベガジョーと知られる前のマンチェスターの時の姿はこちらです。街角で歌っていた時のベガジョーBeggar Joe 2007年 川下 笑里歌さんの心洗われる美しいハープ演奏♪ごっちゃ箱 現代詩人
2010.05.11
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今日の南仏は太陽が出て柔らかい日差し。夕べは物憂い気分で尾崎豊の歌をしんみりと聴いた。長生きして欲しかった。でも、彼の生前は彼の存在を知らなかった。今日は手作りのバッグなんかをインターネットで見たり。可愛い小物を見て狂喜してしまう。年に関係ないですね。昔、黒猫のポーチを姉からもらって使っていたことがある。普段は可愛い花柄とかシックな大人ティスト嗜好の姉の選択とは違っていて、さりげなく渡された時は、思わず、えっ!?と姉を見たら、「あら、二個同じもの買ったのよ、一個あげるわよ。黒猫のポーチって洒落ているでしょ。可愛いじゃない」姉のくれた黒猫のポーチは正直言って可愛いとは思わなかったけれど、ずいぶん長く使っていた。手作りにはどんな小さなものでも作家の空想して楽しんでいるユニークな感じがあって心がなごむものから時にはひたすら感動してしまうものもあって。大量生産でも質の高い物があるけれど、やはり何かが違う。
2010.05.10
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2.3日前からなんだか寒いなあ、と。暖房はいれずにセーターを2枚着込んでいる。昨日の朝も今朝も白い息がでたような。土曜日の朝はパリ出張の主人を車でエックスのTGVの駅に送った。中心街から車で約20分ほど離れ、周囲はTGVの駅以外何もないような場所にある。朝7時少し前で道路は空いていた。家に帰ってからインターネットで今日の天気模様を見たが、みんな少しずつ違うので困った。太陽が出るのか雨なのか、さあどっちなの。結局太陽にかけて洗濯をして雨に降られた。バカみたい。こんな気まぐれなお天気でも5月のエックスは薔薇のつぼみが咲き、造園屋の薔薇は満開。うちの庭には香りのいい白い花が咲いて感動。薔薇ではなくて、フランスでスランガ seringasと呼ばれている花の木。英語ではmock-orangeとか呼ばれているそうだ。この辺の土手にはよく今真っ赤なコクリコの花がたくさん咲いているので何本か摘んできて食卓に飾った。はっとするような美しい赤色。さて、ニースやカンヌでは先週の月曜日かに大きな波が海岸沿いに押し寄せ、ちょっぴり被害が出たらしい。このエックスから車で約50分飛ばすとサロン・ド・プロヴォンスという町がある。そうマルセイユ石鹸の製造会社もある町だけれど、私はここに来るまで知らなかったのだけれど、ノストラダムスの町だった。だから、その町には、ノストラダムスのチョコレートなんていうのを売っているお店もあるそうだ。とりとめなく徒然なるままに。あ、フランスはもうなんたる時間!
2010.05.07
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今日、なんとなく庭に出したカリカリを野良の白猫が食べた。約一ヶ月前から姿を見せ、ついにうちの庭で休むようになった野良の白猫はある時からまるでカリカリが食べる事ができなくなり柔らかい猫缶をずっと与えていた。喧嘩傷、口内炎だったのかな。カリカリが食べれるということは少し良くなったのかな。確かに膿も出ていないようだし、よだれのような液体も出なくなった。今朝、庭の片隅で日向ぼっこをして休んでいた白猫のそばにこれまた野良の三毛猫がおそるおそるそっとやってきて白猫の様子を見るようにして匂いをかぐ仕草をして、またそうっと去っていった。この三毛猫は約一週間ほど前から頻繁にうちの庭に姿を見せている。いつも腰を低くしてあたりを見渡しびくびくしながら庭に入ってくる。お年寄り的な歩き方が白猫に似ているので、もしかしたら白猫の母猫か姉か妹猫かも知れないと思っている。どちらかといえば、痩せているし、毛並みにもうちの飼い猫のような艶はない。哀れである。喧嘩傷がないのが幸い。白猫も少しふっくらしてきたが、やはり、毛並みにはまだ艶はない。三毛猫だから野良猫をまたたくさん産む可能性は多大、とふと思う。昔、日本にいた時、妊婦猫の野良の三毛を母と二人で飼いならしたことがあった。下手な人間の母親よりきちんとした猫だった。赤ちゃん猫は3匹生まれて、二匹は近所の人が欲しいと言ってもらわれていった。田舎だったから、ネズミ対策用としても欲しがる人もいた。三毛の野良はすごくなついてくれて、赤ちゃん猫も必死で守り、毎晩、大きなネズミを私達のために一匹、赤ちゃん猫の教育のために小さなネズミをとってきた。とても賢く愛情に満ち溢れた猫だった。そんなことを思うとこの南仏の三毛猫も誰かが飼いならしてあげればきっと素晴らしい飼い猫になるだろう、と思う。ああ、ついため息がでてしまうのはなぜでしょう。
2010.05.07
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ここ一ヶ月一匹の白い野良猫に心奪われている。なんとも美しい青い目をしている。ある日庭の片隅でじっとすわっていた痩せた猫。口の左端が真っ赤で、獰猛な犬に噛まれたのか、と思った。そばによれば、さっと逃げていく。初めて見た時は、小さな柵を飛び越えることもできなかった。今はできる。まるでお年寄りのような歩き方。それは今でも。年齢不詳。痩せ方は生後6ヶ月ぐらいだったが、よく食べるので最近は10ヶ月ぐらいと言う感じ。お腹が空くと庭にきてじっと座っている。最初はうちの猫用に庭にだしていた餌を食べにきていたらしい。あまりにも哀れなので、餌をやるようになる。一見とても病的だが、食欲はすごい。食欲だけは誰にも負けないさ。一度はエックスの市役所に電話。若い消防士が二人きてくれた。が、ひなたぼっこをして目を細めているか弱い猫をみて、心優しい消防士は、「ああ、二週間ほど前に受けた喧嘩傷でしょうね。 このままにしておいてあげたら。 今連れて行ったら獣医さんに注射打たれて おしまいですよ」結構、野良猫の通報を受けて出ることの多い消防士さんたちも野良猫の行く末を知っているから辛いのだろう。その後、猫の口から液体がよく垂れていた。ふいてあげようと近づいても逃げられる。そして、なめる箇所である顔半分、両足尻尾の一部などがはげていく。インターネットでいろいろ読んだが、膿のせいだろうと思う。もちろん、私の素人判断に過ぎない。原因は消防士さんが話していたように喧嘩傷もあるのだろうと思う。食べ方が変で口をあけ中を見たいと思ったが、最初は近寄る事もできず今でもそれだけはまだできない。左の頬はかさぶたができて治りかけているのかもしれないのを引っかいてしまうので、常に血だらけ。えりとかげカラーも考えたが首部分も少し傷がある。左目は小さくなってしまっているし、とにかく見た目とても汚そうで、ものすごい病気もちにみえる。主人はライ病じゃないのか、とかまで言う始末。いや、白い猫に多いという白血病かもしれないし。何の病気かわからないので触った後は手は石鹸で豊かに泡立てて洗う。そのお陰かまるで私には問題なし。ある日から餌をやる内にそばに近寄ってもさっと逃げなくなった。これを機にシャンプーしようとあらかじめタライにお湯をいれお風呂場につれていったが、抵抗されて失敗。噛まれたりしないように注意はしていたので自分が傷つけられることはなかった。お風呂場もその後石鹸で徹底的に洗う。その後も餌は与え続ける。食欲だけは誰にも負けないさ。餌を食べ終わるとどこかへ行ってしまう。どこへ行ってしまうのだろうと後を追いかけてみる。近所のアパートの敷地内でひなたぼっこをしていたことがあった。その後夕方にまた後をそっとついていったら、逆に気づかれそこで自宅に戻ろうとすると、今度は向うが私についてきた。ちょっと感動。庭に戻ってきて餌をやる。それが約一週間前。それ以来、庭に段ボール箱を置く。段ボール箱の一部を切り取り、猫が歩いて中に入れるようにする。中に古いセーターとTシャツを敷く。野良猫は苦なく中に入り、以来、そこで寝ている。夜は少しまだ冷えるので、一枚の綿の布と古くて着なくなった一枚の絹のシャツを上からかけてあげる。そばによって水を含ませた布で顔や体を拭いてあげる。気持ちがいいのか、なんと、ゴロゴロいっている。布で頻繁に拭いてあげるようになってからは口の液体も出なくなったし、清潔感は少しでた。左半分の顔がはげていたのも少しうっすらと毛がはえている。5月の南仏エックスは幸い暖かい。ここ2,3日雨が降ったので、傘を2本箱の上にかけてやる。野良猫はそこからもう出ようとしない。餌を食べたい時だけと用足しの時だけ箱から出る。一度獣医さんに電話したが、獣医のたるんだ声に不安を覚え、今はとりあえず、猫の旺盛な食欲に希望をつなぎ、できるだけ傷部分を水を含ませた布でふいてあげている。治療にン万円を出しかねる不安もあるので、とりあえず今はもう少し様子を見ようと思う。南仏には野良猫保護団体があり、去勢手術、餌、住まいを提供している所もあるが、そこももう猫は抱えきれないほどだという。別に不思議な話ではない。マルセイユに行った時も野良がたくさんいた。個人でこの辺の野良猫の去勢避妊手術代を出すような人もいないだろうし、今後も市が積極的に対策にでない限り野良猫の数は決して減ってはいかないだろう。野良猫に餌をやるなんて無責任だと非難する人もいるだろうから少なくとも白猫をいずれはうちの猫にするか、保護団体に預けるかどちらかにすべきだろうと思う。やっぱり猫は飼うなら去勢避妊手術はしたい。
2010.05.04
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