デフレの正体 0
原発 0
体罰 0
糖質制限食 0
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送料無料/コンビニ人間/村田沙耶香 私:「コンビニ人間」は第155回芥川賞受賞作。 一昨日、近くのコンビニまで行って買ってきた。 A氏:小説「コンビニ人間」をコンビニで買うとは、寒い洒落だね。 私:昼頃、購入し、午後から、夜までかけて、40ページほどの作品を一挙に読了したね。 コンビニという日常、われわれが知っている職場を中心に描き、仕事や店員の人間描写が面白く、途中で投げ出すことがなかったね。 A氏:このブログの「8月8日朝日新聞日曜書評より」でふれていて、ここでは、文芸評論家の斎藤美奈子氏が新種のプロレタリア文学で、主人公が暮らすのは労働疎外の先にある世界であり、読者はときに哄笑し、ときに冷や汗をかきながら、景色が反転する感覚を味わうだろうと評していたね。 私:文藝春秋では、作品の掲載頁の前頁に「芥川賞選評」を掲載しているね。 各選考委員が短いコメントを載せている。 以前、石原慎太郎が選考委員のとき、彼の選評は独特なのでよく読んだね。 彼が推奨した作品はあまりなかったように思う。 同様に、村上龍の選評もよく読んだね。 二人の選評が似ているのは、あまり熱心に推薦しているものがなかったことだね。 石原慎太郎が選考委員をやめたので、特に選評を読むのは村上龍だけになってしまったね。 A氏:しかし、その村上龍氏の今回の「コンビニ人間」の選評は珍しく、べた褒めではないのかね。 私:村上氏は、選評で「現実を描き出す」というのは、小説が持つ特質であり、力だという。 そして、「コンビニ人間」の作者は「コンビニ」という、どこにでも存在して、誰もが知っている場所で生きる人々を厳密に描写することに挑戦し、勝利したと高く評価している。 そして最後に「この作品には上質のユーモアがあり、作者に客観性が備わっていることを示す。このような作品が誕生し、受賞したことを素直に喜びたい」と村上龍氏は選評文を終わっている。 A氏:コンビニには俺達が見ている活動以外に、裏の活動があるんだね。 新人は店長やベテランから訓練を受ける。 マニュアルがある。 交代の始まりに朝礼や夕礼があり、各自の分担や特売の準備などの指示がある。 私:俺はこの「コンビニ人間」の作品を読んでから、コンビニ行ったら、何故か、店員一人一人の動きが気になってきたね。 若い学生アルバイトらしい男子の店員が、サンドイッチの棚の商品を並べ替えしていた。 賞味期限の近いものを前に並べ替えをしているのだろうか。 コンビニの世界が、そのまま世の中の縮図のように感じたね。 今、マスコミはオリンピックだらけだが、それでもコンビニはいつもと変わらず、24時間、営業をしているわけだ。 日本の多くの企業がそうであるようにーーー。 そう感じたね。
2016.08.12
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私:この論稿は、「戦争と平和のなかの天皇・欧米からの観察」と「過去、現在、そして未来としての昭和」の2論稿からなる。 欧米人のある人々は、戦前は天皇制を封建的な制度と考えていた。 1945年の日本敗戦後の世論調査では、アメリカ人の70パーセントが天皇の処刑か厳罰に賛成していた。 しかし、戦争中でも英米両国の支配層の間に根強い親天皇感情が存在していた。 天皇を攻撃することは禁じられていた。 皇居と伊勢神宮など皇室ゆかりの神社をはっきりと目標から外していた。A氏:皇居は爆撃され、一部損傷したのではないの?私:それは誤爆だという。 天皇を守る理由は、もし、皇居やそのゆかりの神社という神国日本の象徴を攻撃することは、日本国民を死ぬまで戦うように追い込むことになると考えていた。 しかし、戦後、連合国が天皇をどうするかは意見が分かれていたが、これはご承知のようにマッカーサーが擁護に成功する。 そして、新憲法で天皇は軍国主義のシンボルから民主主義のシンボルに変身する。 ダワーは、昭和天皇は、軍国主義が権力の座にあるときは超国家主義を、真の改革が行われているときは民主主義を、そして、昭和の最後の経済大国になったときは、ブルジョア主義を映す鏡だとしている。 そして、天皇がなくなったときの葬儀、後継者の即位式、新しい年号の採択などにまつわる高度の宗教性と神秘性の存在を指摘しているね。A氏:「天皇は神聖にして侵すべからず」のときと儀式は同じというわけか。私:ダワーは、日本では国家と宗教が依然として密接に結びついていると危惧しているね。 しかし、平成になっても、ダワーが危惧した事態にはなっていないね。 むしろ、ダワーが心配した天皇の政治利用のほうが問題だね。A氏:今年、例の小沢一郎氏の「天皇の政治利用」が久しぶりに問題になったが、ダワーの危惧が少しは当たったかね。私:昭和は、戦争では始まり、破壊的な敗北を喫したが、最後は輝かしい経済大国で終わったね。 しかし、平成はバブル崩壊、リーマンショック、政権交代など混乱の時代になったね。 「失われた20年」が今までの平成の特徴だね。 国の借金増大、格差の拡大、労働賃金の減少、自殺者年間3万人台に突入と続く。 昭和末期の1人当たりGNP世界1位が、平成の20年の間で20位以下に転落。 平成の日本人はいまだに、昭和の経済成長の夢を見ているのだろうか。 ダワーは、平成の日本をどうみているだろうかね。 もう、年だが今後の著書に期待したい。
2010.05.04
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仮想儀礼(上)私:どこかの書評で好評だったので、図書館に予約しておいたのが、ようやく上巻だけが俺の順番に来た。 上下2巻の長編なので、図書館で借りるときは、上巻と下巻の間がかなり空くのは仕方がないね。A氏:何が主題の小説なのかね。私:図書館のホームページの要旨によると 「信者が三十人いれば、食っていける。五百人いれば、ベンツに乗れる-作家になる夢破れ家族と職を失った正彦と、不倫の果てに相手に去られホームレス同然となった矢口は、9・11同時多発テロで、実業の象徴、ワールドトレードセンターが、宗教という虚業によって破壊されるのを目撃する。 長引く不況の下で、大人は漠然とした不安と閉塞感に捕らえられ、若者は退屈しきっている。 宗教ほど時代のニーズに合った事業はない。 古いマンションの一室。借り物の教義と手作りの仏像で教団を立ち上げた二人の前に現れたのは...。 二十一世紀の黙示録的長篇サスペンス。」 とあるね。 読んでみると、21世紀の黙示録というほど大げさな内容ではないがね。 良識が必要だということかね。 しかし、サスペンスのように惹き付けられ、3日くらいで一気に読んだね。 なにせ、上巻だけでも4百数十頁あるからね。 上巻は、次第に宗教団体として成功していくストーリー展開だけれど、上巻の終り近くに危機が発生する。 そこで、上巻は終り。 後は下巻のお楽しみだね。 2ヶ月程度は間が空くのではないかね。 それにしても、著者は日本の宗教団体をよく調べて、想像をふくらまして、この小説を書いたんだろうが、今度の衆議院選挙に「幸福の科学」が「幸福実現党」を結成し、全選挙区で立候補者を立てたていることまで、著者は想定しただろうかね。 しかも、公約には「北朝鮮の核ミサイルから守ります」とあることも想定しただろうかね。
2009.08.09
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私:俺は村上春樹の小説は「アフターダーク」しか読んでいない。 村上春樹に関心をもったのは、このブログの06年頃のチャンドラーの知的街道からのつながりだね。 村上氏は「これまでの人生で巡り会ったもっとも重要な本を三冊あげよ」と言われたら、次の三冊だという。 フィツジェラルドの「グレート・ギャツビー」 ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」 チャンドラーの「ロング・グットバイ」 さらに「一冊に絞れ」となると「グレート・ギャツビー」だという。 そこで、「グレート・ギャツビー」の彼の訳のものを買ったが、すでに別の翻訳家のもので読んでいるので、翻訳の違いの知的興味からだね。A氏:その翻訳の違いは君のブログにあるね。私:「ロング・グットバイ」は彼の翻訳書が出る前に図書館から借りてよんでいるが、その後出た彼の訳のものは購入した。 しかし、「アフターダーク」後、村上作品とはいつしか疎遠になった。 それが、今度、「1Q84」という上下2冊の大作の発行となり、発売1ヶ月で200万部の売上だという。A氏:書店でも山積みだね。 今朝の朝日新聞のbe紙では、この村上氏の作品を扱っているね。 beモニターのアンケートでは、村上作品を読んだことがない人が55パーセントだね。 読んだことがあるという人に、「村上春樹は好きですか」と聞くと約半数は「ノー」だね。私:俺のブログでも「アフターダーク」の感想で、次のようなアマゾンコムの読者感想を引用している。 「今まで同氏の作品を読むごとに難解な表現や、象徴的な言葉が出てくるのが多く、とまどって考えさせられることもあったが、この作品は音楽を聴くように滞りなく流れていく」A氏:村上氏の表現には、何か難解なものや抽象的な言葉が多いのかね。 軍国主義イデオロギーが示した抽象的で精神的にわけのわからない表現に拒否反応を示している俺たち世代には、合わないことになるね。私:「アフターダーク」はその点で異色らしいね。 だから、俺には抵抗感はなかったがね。 しかし、村上氏のオーソドックスな作品の愛読者にとっては、「アフターダーク」は意外な作品だったらしく、あまり好評でなかったようだね。 村上氏の表現には、何か難解なものや抽象的な言葉が多いという証拠に、日経ビジネス7月27日号の書評欄で似たような批評があったね。 同誌の「余暇を過ごすならこの1冊」欄で「1Q84」について、インターネットイニシアティブ社長の鈴木幸一氏が読書感想を書いているが、その題名が「洒脱な表現への違和感」とあるね。 例に挙げているのが2つある。 「アリストテレスとプラントンは、たとえて言うならメル・トービンとビングクロスビーくらい違う」 「そのすさまじい変容ぶりは、大いなる無名性から息を呑む深淵への驚くべき跳躍だった」 前者は、メル・トービンとクロスビーを知らないと意味がまったく分からない。 そう言えば、「アフターダーク」でも、レストラン(ファミレス)と書かないで「デニーズ」とか「すかいらーく」とかなるし、 セブンイレブンも登場する。 店のバック音楽もパーシー・フェイス楽団の「ゴー・アウェイ・リトル・ガール」などと表現される。 後者は、まったく理解できない抽象的な表現だね。 アマゾンの読者評も割れているが、上の例を連想すると、アマゾンのあまり評価しないという側の読者の意見を読むと何か俺は納得するね。 最初、あまり騒ぐので買おうかなと思ったが、ちょっとペンデングとなったね。
2009.07.25
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A氏:君が昨日の朝日新聞の読書欄についてふれていたんで、読んだんだが、「売れている本」というコーナーでは、村上龍の「無趣味のすすめ」をとりあげていたね。 村上龍は、政治経済もテーマにした小説やエッセイが多いが、この「無趣味のすすめ」というのは、雇用問題を中心としたエッセイらしいね。 新聞では「箴言集」とあったね。 箴言とは聞きなれない言葉だが、辞書によると「いましめとなる短い句。格言」とある。 私:図書館に予約しようと思ったら、図書館では各地区合わせると20冊くらいあるようだが、200くらいの予約殺到だね。 予約はやめた。 それは、以前、大きな新聞広告で、この本のエキスがかなり長く書かれていたので、大体の内容は分かったからだね。 趣味の集まりは、激しい人とのかかわりがないということらしいね。 仲良しクラブでは何も生まれないというわけだね。 だから、趣味より仕事が重要だという意味だね。 俺は、仕事に影響するような趣味なんてもっていないから、興味はないがね。A氏:新聞の書評では「他人のアドバイスに依存する人は、路頭に迷うかも知れない」という箴言を最後に引用していたね。 村上龍は、弱肉強食の社会で基本的には弱者を支援しようとしているのだが、甘やかしは避けているという。私:「男(オス)と女(メス)の怪」養老孟司・阿川佐和子対談で、養老氏が一般的な講演をすると、「では、どうしたらいいんですか?」という質問が必ず出る。 養老氏が話したのは「思想」だから、「こうしなさい」というと思想でなく現実に変わる。 だから、そういう質問に対しては、養老氏の姿勢は「いい大人が人生の生き方を訊くんじゃないよ。 てめえで考えろ」 となる。 これと似ているね。A氏:結局、情報過多で、マニュアルがあって常に誰かのガイドがあるように思っているのではないかね。 マニュアル主義の弊害かね。私:ちょっと話は違うが、こないだ小学校1年生の孫が来たので、算数の問題を出した。「電線にトリが3羽とまっている。 1羽、撃ち落とした。 残りは何羽か?」 と聞いたら、2羽と答えたので、鉄砲の音で後は飛んで逃げたので正解はゼロだと言っていたら、笑っていて、次に親に向かって同じ質問をしていたよ。A氏:俺たちの子供の頃、よくやった質問だね。私:そうしたら、算数のドリルをちょっと見たら、ケーキが7個あり、これをA、B、Cの3人の子どもで分ける問題が出ていた。 質問は、一番多くもらったのは何個で、2位は何個で、一番少ないのは何個だ、という質問だね。 差をつけてケーキを配分するという変わったドリルだね。A氏:小学校一年生にとっては難しいのではないの?私:このドリルはガイドがついているんだね。 まず、「最低数は1個ですね」からはじまる。 すると残りは6個だから、3と3に分けると、差がつかないので、4と2しかない。 正解は、一義的に4.2,1となる。 これは孫はすぐに解いたね。 しかし、俺はこの問題を見て、とっさにおかしいなと思ったね。 何故なら、現実は、最低分配数は「全然、ケーキをもらえない」というゼロだ。 最高は、7個全部独り占めだね。 ところが、2位の個数を要求している。A氏:最低個数がゼロなら、残り7個を2人で差をつけるとなると、正解は6と1、5と2、4と3、と3つの選択肢があるね。 この算数の問題の意図は何かね。私:よくわからないが、さっきの「撃ち落した鳥」の質問と同じように、現実は違うことは確かだね。 現実の正解は、いろいろある。 こんな簡単な問題だって、自分で現実を考えて選択しなくてはならないわけだね。 こじつけかね。
2009.06.22
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この胸に深々と突き刺さる矢を抜け(下)私:上巻を読んだのが、俺のブログによると4月21日だね。 先週、予約の順番が来て下巻を図書館から借りることが出来た。 約2ヶ月、間が空いたことになるね。A氏:その間、この本が今年度の山本周五郎賞を受賞するニュースがあったね。私:例によって、経済学者の説明の長い引用が入ったり、月面着陸をした宇宙飛行士が、宗教的な体験をする話を長く引用したりするなど、小説としては異例のテクニックだね。 著者の人生の不可思議を自問自答しているようなエッセイ的な部分が多い。 それは主人公がガン宣告を受けて、手術を受け、その後、再発の恐れがあるので、抗がん剤を服用し、働き盛りで差し迫った」死を意識せざるを得ないというのが背景にあると思うね。 それに子どもの死が深く「心に突き刺さっている」んだね。A氏:それが題名と関係あるのかね。私:それは分からない。 しかし、主人公はときどき、死んだ息子の声が聞こえるような気がすることがある。 この小説の最後では、ガン再発とともに、会社をやめ、北海道に転居するところで終わるが、その最後の行が、その死んだわが子の言葉で終わっているのが象徴的だね。 従来の小説のスタイルを破ったという点で、山本周五郎賞をもらったんだろうが、人との関係はアメリカのハードボイル的な感じで、濃密な人間関係はないように感じたね。 主人公と精神分析医との会話が入るのも、アメリカ的だね。A氏:日本的なら禅宗の和尚が登場だがね。私:たまたま、昨日の夕刊の週刊テレビ番組欄で、俳優の橋爪功氏のインタビューがあったね。 昭和16年の二桁生まれ。 昭和一桁の後に生まれ、ちょっとはざまだったという。 一桁生まれの先輩にほっとかれることが多かったという。 しかし、外国映画だとか、芝居とかで、いろんな人間像の違いを吸収した時代だったという。 ところが、現代はドラマが面白くない。 対立がないからだという。 隣にいる人がまったく理解できないという面白さがなくなってきているという。 若い俳優たちを見ていると人間に対する興味が薄いという。 この「この胸に深々と突き刺さる矢を抜け」の小説にも、深刻な対立がないような気がしたね。A氏:養老孟司氏の言う脳化、都市化、情報化による同一化のせいかね。 現実の多様性に対する関心の喪失かね。私:そういう点で小説とは、多様な人間関係を追求していくんだろうが、この小説は、もう一歩、そこを突っ込んで欲しかったね。 ところで、今日の朝刊は、日曜なので、読書欄がある。 最近、あまり読みたい本が出てこないが、今週は、人間が生きることに対して、生々しいテーマの本が2冊出ていた。 一つは、若者の無差別殺人の原因の多様性を徹底的に追及した「無差別殺人の精神分析」。 もう、一つは自殺大国の日本の自殺者3万人超の多様な実相に迫った「強いられる死」。A氏:こういう人たちを現実の多様性を見失い、評論家的に浅く概念的にとらえ、「深く」理解していないかもね。私:早速、図書館に予約したよ。 小説もこのような「現実の人間関係の胸に深々と突き刺さる矢」にメスを入れたものがほしいね。
2009.06.21
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プルーストとイカ 私:この本は、すでに俺のブログの「麻生首相、誤読の背景」養老孟司氏の「プルーストとイカ」書評でふれているね。 図書館に予約したのが、1月だから、もう5ヶ月間待ったことになるね。 しかし、読み出したら、かなり専門的な本なことが分かったね。 400頁近い大著だね。 書評を見て、図書館に予約して借りる本は、予め本を見ないで申し込むので、こういうミスマッチがある。 まぁ、「読む」という知的な活動と脳のいろいろな分野との関係が説明されている。A氏:日本語は、象形文字と表音文字の組合せの読書だから、脳の使い方が違うとマンガに関係して「マンガをもっと読みなさい」養老孟司・対談・牧野圭一で養老孟司氏が言っていたね。私:人類の歴史を考えると、文字は脳を進化させてきたという。 この本はそれについても触れていて、文字が違う「英語脳」「中国語脳」「日本語脳」の3つのタイプを紹介しているね。 「中国語脳」は右脳も使っているのが特徴だね。 もっとも「日本語脳」については、マンガがあるので養老孟司氏の説明と違うようだがね。A氏:文字によって脳の活動が違うとすると、思考パターンも違うのではないの?私:表意文字はアジア的な相互依存型、アルファベットは個性型、論理型様式と結びついているという。 あえて言えば、表意文字は農業民族型、アルファベットは騎馬民族型かね。 また、幼児が「世話をしてくれる人のひざに座って言葉を読み聞かせられる」ことが、「その後の人生を左右するほど大切な経験」なのだという。 逆に、そういう機会が少ない子は差がついていくという。 格差の原点かね。 「機会の平等」などをいう人は、お題目だけだね。 幻想だね。A氏:幼い頃に英語を教えるというのはどうかね。私:言語によって脳が働く分野が異なるのだから、脳の機能からみれば、早くから脳を鍛えたほうがいいんだろう。 しかし、読書については、5歳から7歳までは、脳の細胞が準備期間なので、早すぎても逆効果だという。 母国語の「ひざ」さえ満たされずに育った子どもに、さらに外国語を学ばせても子どもが押しつぶされるだけだという。A氏:やはり、母国語が基本になるということかね。私:この本は、文字が読めない「識字障害」も扱っているが、その障害があっても、偉大な仕事をしているエジソン、アインシュタイン、ダビンチをあげているね。A氏:最近、大きな話題になった全盲のピアニスト、辻井伸行さんも音符なしで育ったようだから、一種の「識字障害」と言えないこともないね。私:俺が興味をもったのは、ギリシャの偉大な哲学者であるソクラテスが文字文化を嫌ったことだね。 文字が出るまでは、声で伝承する文化だった。 声による言葉こそが「生きている」のであって、文字は「死んだ言葉」だという。A氏:養老孟司氏の「情報は死だ」という論理と似ているね。 インターネットの情報は死だね。私:著者は、インターネットで読書習慣が変わり、それが人の脳にどのような影響を与えるかの不安も持ってこの本を書いているようだね。 そして、伝統的な読書による大きな知的資産や能力を急速に失わないように、多様な知的選択肢を残すべき、としているね。 その意味で、日本語や漢文のことももっと日本人は目を向けるべきだね。 だから、日本の顔である麻生首相には、恥ずかしい漢字の読み間違いは絶対してもらいたくないね。
2009.06.20
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A氏:君のブログでとりあげていた小説「この胸に深々と突き刺さる矢を抜け」が今年度の山本周五郎賞を受けて、朝日の昨日の夕刊で作家の白石一文氏の感想とともに記者がまとめていたね。 私:本人は、失敗作だと思っていたというね。 確かに、経済学者フリードマンの本からの引用が多いという型破りの小説だね。 格差問題にも正面から向きあっているね。 だから、ところどころ、文芸作品というより、総合雑誌の記事を読んでいるような感じはするね。 型破りの小説だといえば、言えないこともないが、別に違和感はなかったね。 むしろ、最近の芥川賞の受賞作などが限られた世界を扱っている「上手な小説」は型にはまっていて「またか」という失望感はあったがね。A氏:選考委員を代表して講評した作家の小池真理子氏は 「知的快楽を呼び起こす作品で、久々に興奮して読んだ。 エンターテイメント小説の約束事をはずして書いているが、むしろスタンダードな小説の世界にもどり、不健全な毒のある世界の見方という小説ならではの楽しみを味わわせてくれた。 大人が読んで考えさせられる小説です」 と高く評価したというね。 白石氏本人も「作家が時代と向き合わなくなり、小説の縮小再生産が進んでいる。 自分の思っているすべてを託した、小説の幅を広げる試みです」と言っているね。私:俺はブログでも読書感を書いたが、確かに、作者は、泥沼の社会問題を広く扱っている。 しかし、、泥沼から、一歩、引いている感じがしたね。 泥沼を眺めている感じかね。 小説は、もっとその渦中にいなくてはならないのではないかと思ったがね。 この本は図書館で借りて読んだが、上下2巻なので、下巻は順序待ちでまだ、読んでいない。 後、17人待ち。 予約待ちが61人とあるから、俺の後に44人ほどいることになる。 山本周五郎賞をもらったことで、さらに予約が殺到するかもね。
2009.05.28
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この胸に深々と突き刺さる矢を抜け(上) 私:どこかの書評でほめていたので、読むに気になったね。 図書館に予約して、大分待って、借りられた。 こういう上下2冊の本を図書館で予約するのは、難しいね。 下巻のほうが先に順番が来たりすることがあるからね。 小説だと下巻から読むのは無意味だね。 そのため、下巻の予約は、上巻と一緒にせず、ちょっと間を空けてすることがコツだね。A氏:題名が大げさな感じがするね。私:主人公は、40歳台である大手の週刊誌の編集長。 女の子が一人いるが、奥さんは東大の政治経済の研究者。 男の子ができたが、生後まもなく亡くしている。 これが心の深くでショックとなっているね。 主人公は、2年ほど前に胃ガンが見つかり、摘出手術をしたが、その後も薬を飲んでいる。 男の子を失い、胃ガンを宣告されたときはショックだったことが描かれている。 彼の内面の葛藤が詳細に描かれている。 週刊誌の編集長であるだけに、描かれている世界は幅が広い。 政治経済文化あり、芸能人のスキャンダルもある。 市場原理主義者のフリードマン批判から、格差問題をはじめ、世間的な話題がもれなくとりあげられているね。 格差は政府の無策だと叫んでいるテレビキャスターが何億もの年収があることを突いていたね。 この本のアマゾンの読者コメントを見たら、絶賛しているものと、点数がからいものとがあったね。 絶賛しているものが多かったがね。A氏:なんでそんなに極端に分かれるのかね。私:心理描写はうまいが、どうも主人公が週刊誌の編集長であることから、世間からやや離れた評論家的な姿勢があるようだね。 だから、「突込みが浅い」という読者がいるのだろうね。 主人公も、ガンのショックで自分の人生に対して、諦観しているような感じがしないでもないね。 しかし、上巻はすらすら読めたね。 下巻でどのように「矢が抜ける」のか、期待したいね。 ところで、この小説の主人公は、スキャンダルを暴く週刊誌の編集長だが、この小説では編集の仕事の裏がよくわかるね。 その意味で、こないだの「週刊新潮」の誤報は、編集長の責任でもあるね。 例の民主党のガセネタ問題で、民主党の若手の党首だった前原代表が辞任した事件があったね。 当の永田議員は辞職し、その後、自殺しているね。 東大、大蔵官僚のエリートだったのにね。 永田氏の胸に刺さった矢は抜けなかったんだね。
2009.04.21
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漱石の漢詩を読む私:引越しの準備でてんやわんやだね。 本を読む時間が急減した。 その中で、この本を図書館から借りてざっと読んだね。A氏:君のブログの「街場の教育論・第10章国語教育はどうあるべきか」内田樹著・08年11月ミシマ社刊・3の1からのつながりだね。私:漢詩に接したのは、中学時代以来だね。 まったくのご無沙汰だったね。 漢詩は、漢字がピッシリと並んでいる。 夏目漱石の晩年の漢詩は、ほとんどが七言律詩だという。 1行七漢字、それが八行だね。 律詩とは、音律の規則にそって作られていることを意味するという。A氏:音韻と言っても、中国語の音韻だろう?私:だから、それを漢字だけで見ていると、なんだか意味はわかるような気がするが、中国語ができないから、音韻は分からない。 しかし、不思議だね。 これを日本語の漢文に直して読むと、それなりの音律や音韻がある。 例えば、次のような漢詩の1行をひろってみよう。 「錯落秋声風在林」 これを日本語の漢文として読みくだすと 「錯落(さくらく)たる秋声(しゅうせい)、風(かぜ)、林に在り(あり)」 となる。A氏:漢文らしいリズム感があるね。私:著者は、これは不思議な現象で、説明しきれないという。 中国語と日本語に精通していて、かつ、世界的な音韻学にも通じている人が、この謎を解いてもらいたいものだと、著者は期待しているね。 日本語には、和文脈と漢文脈があるが、漢文脈をすっかり抜いてしまうと、日本語は成り立たない。 日本人の思考も成り立たないかもしれない。A氏:しかし、日本人は漢文脈に疎くなってきているね。 日本語の危機だね。私:著者は、森鴎外の例をあげている。 鴎外はドイツに渡って、シンポジュームに出席して、堂々とドイツ語で話しているという。A氏:どうしてそんな芸当が出来たのかね。私:著者は、鴎外が漢文の素養の上にドイツ語をあてはめたと推測しているね。 漢文はインターナショナルな面があるのではないかという。 それと日本語は、仮名で発想したもの漢字に変換したり、漢字で発想したものを仮名に変換する。A氏:日本語というのは変換のエネルギーがないと崩壊する運命だね。私:だから、日本人は翻訳がうまいのではないかと著者は言う。 明治の人はその意味で、漢文素養があるから、翻訳もうまいという。 著者は、近頃になって、日本にとって一番重要なものは言語だという政財界の人がいるが、どこまで真剣に考えているか疑問だというね。A氏:そうなると、麻生首相の漢字誤読は心配だね。このブログで「麻生首相の誤読」、「麻生首相の漢字誤読・その2」、「孫と相棒と麻生首相」、「人は見た目が9割」読書記録活用編・漫画と麻生首相の漢字誤読 、「麻生首相の誤読問題・その3」と街道扱いだったね。私:とにかく、漢詩は目で読むのでなく、漢文の音で読まないと意味がないと思った。 漢文を声を出して読むということは、重要な日本語文化だと思うね。 そして、それは英語のイントネーションと関係があるかもしれないね。 まだ、まだ、日本語は深いね。
2009.03.25
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警視庁捜査一課刑事私:俺は、推理小説やサスペンスが好きなんで、刑事ものもよく読むね。 テレビでも刑事ものが多いね。 刑事コロンボもよく見たね。 ところで、著者は、元調査第1課殺人犯捜査係担当刑事だという。 その体験談を書いているね。 そこで興味をもって図書館で予約しておいて読んだよ。 実際の事件を描いているだけに、殺人犯の捜索などは小説以上の迫力があるね。A氏:警察官が主人公になるテレビドラマは結構あるが、俺も「相棒」をよく見ているね。 今のところ、相棒が抜けて、水谷豊の警部一人の活躍だがね。私:警察官の階級というのは、案外複雑なんだね。 まず「巡査」から始まる。 その上に「巡査部長」がいて、警察署の主任になる。 「警部補」が警察署の係長。 「警部」は課長代理だね。 ここまでは、一般の昇任試験であがっていく。A氏:「相棒」の杉下右京は警部だったのではないかね。私:「警部」の上の「警視」は課長職で、署長も「警視」であることも多いという。 「警部」のときに「管理職試験」に合格しなければならない。A氏:たしか、ここまでは地方公務員だね。私:「警部」の上が「警視正」でここから国家公務員になり、署長クラス。 「警視長」となるとノンキャリア組の最高位の階級で、警視庁本部では部長クラス。 「警視監」は警察全体で40名にも満たない狭き門で、各県警本部長クラス。 「警視総監」は日本警察では一人だけで、警視庁のトップで内閣総理大臣の承認で任免される。A氏:ドラマなどで県警のトップを警視総監というのは間違いなんだね。私:このほかに警察庁があるんだが、これについては、この本ではふれていなかったね。A氏:「相棒」では警察庁がよく出てくるね。私:警察庁は、国の組織で、警視庁の上だね。 警視庁は東京都管轄の警察で、一応、各県の県警と同列だね。 格としては警視庁のほうが上らしいがね。 この辺のことは詳細に分からないがね。 著者は、巡査から始まり、警部補で退職する。 途中から刑事になる。 刑事は警察官の仕事の区分で身分でないが、それにしても刑事の仕事は大変だね。 決まった仕事ではないからね。 犯人逮捕まで、長い間泊り込みになることもある。 私生活が犠牲になりやすいね。A氏:アメリカのテレビドラマの刑事ものでも離婚の原因になることも多いね。私:厳しい仕事だが、犯人逮捕で報われるというやりがいがある仕事であるのは、この本を読むとよく分かるね。
2009.03.11
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私:作者は、すでに太宰治賞、野間文芸新人賞を受賞しているね。 主人公は年間収入160万円という、30歳になろうという独身女性のワーキングプアの淡々たる日常を描いたものだね。 選者の一人の山田詠美氏が「『蟹工船』よりこっちでしょう」と批評しているが、これが新聞広告に大きく載っていたね。A氏:主人公は「蟹工船」のようなひどい労働をしているのかね。私:そんなひどい労働環境ではないね。 そんな労働環境は今の日本にはないだろうね。 しかも、舞台を関西においているのが幸いしているね。 選者の黒井千次氏が評しているように、舞台を東京に置いたなら、忍耐、がんばり、苦労、不条理への抗議など、ゴツゴツした問題提起の様相を帯びてくるだろうね。 それがない。A氏:主人公はどういう仕事をしているの?私:乳液の工場らしいね。 作業場に入るときに、エアシャワーのクリーンルームを通り、次に手をきれいに洗う。 衛生管理がうるさい工場だね。 そこでのコンベヤーに流れてくる品物のチェックする仕事のようだね。 後は、2つほどあるバイトをしている。A氏:何故、そういう労働をするようになったの?私:主人公は大学を卒業して、入社した会社をモラルハラスメントが原因で辞め、工場の契約社員となるね。 29歳の独身。 母親と築50年の古い家に同居。 大学時代の友人の離婚などを交え、この年代の女性の生き方を淡々と述べている。 「失われた10年の世代」かな。A氏:貧困というほどではないんだね。私:しかし、年収160万円という経済制約は、日常の関心が細かいカネ遣いに集中していくね。 貧困の定義は、昔の貧乏でなく、問題は精神状態だね。 「貧すれば、鈍する」というが、現代は「鈍」のほうが怖い。 「現代の貧困」には「虐待・不登校・地域からの孤立・ひきこもり・自分の居場所がない」という「人間関係のホームレス」が加わる。 しかし、この主人公には、3人の大学時代の友人もいるし、母も同居でいる。 職場でも、よく話す人はいる。 それでも、至近距離しか見えない日常生活という感じで、俺にとっては閉塞的な日常という感じがしたね。 それがうまく描写されている。 この小説を読むと、労働から得るのはささやかな金だけで、後は何を得ていないような気がするね。 それを本人がチョッと気づき、チラッと生き方に鋭い疑問が出てきたときは、怖い感じがしたね。A氏:それを選者の山田詠美氏をして「『蟹工船』よりこっちでしょう」と言わしめたのかね。私:だから、例によって、選者の一人である村上龍氏は、この作品を推していないね。 コントロールできる世界だけを描いているとして批判しているね。 作家は、コントロールできそうにもないものを何とかコントロールしようという意思を持つべきだというのが村上龍氏の意見だね。A氏:政治、文化、歴史などの広い社会へのかかわりにもふれるべきということかね。私:石原慎太郎氏は、推してはいるが、他にいい作品がなかったと言うことで、消去法的だね。 しかし、作者の語りの旨さは高く評価しているね。 今は百年に一度の経済危機だ。 この主人公の工場も打撃を受けるだろう。 政治、文化、歴史などのコントロールできないものによって、コントロールできると思っていた日常が大きく振り回されることになるだろうね。
2009.02.18
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なぜ、江戸の庶民は時間に正確だったのか? 私:昨日、用事で東京に出て夕方に帰ったら、夕刊のトップが「GDP年率12.7%減」で、与謝野大臣は「戦後最大の危機」と言ったと報じていたね。A氏:文藝春秋で野口氏が掲載していた「GDP10%減 大津波が来る」がもう現実化してきたね。私:日曜はTBSテレビの時事放談、次にフジテレビの新報道2001、次にTBSテレビにもどってサンデーモーニング、そして最後にテレビ朝日のサンデープロジェクトと時局ものが続く。 日曜日は、孫が遊びに来るので、これらは全部、録画して後で見る。 フジテレビの新報道2001だけ、録画の時間帯がダブるので、ビデオデコーダーに録画するが、後はテレビの内蔵録画だね。 録画で見るとコマーシャルを飛ばせるし、面白くない箇所は飛ばせるので効率だ。 しかし、今週は、郵政民営化をめぐる麻生首相の発言と小泉発言が、繰り返しこれらの番組で登場する。 それに郵政民営化とからむが、「かんぽの宿売却」で鳩山総務大臣が登場する。A氏:それに加えて昨日は中川財務相の「もうろう会見」のシーンの放映を各テレビ局がやたらにやっていたね。 世界の報道陣が注視の会見での「もうろう」だけに、世界的な話題になったね。私:一連の報道で、小泉さんではないが、「あきれて」しまった。 もっとも小泉さんの発言にも「あきれた」がね。 たまたま、本の題名につられ、図書館に予約しておいたこの本の順番がきた。 気分転換に、江戸時代にもどり、新書版で肩のこらないでこの本をすぐに読んだね。A氏:江戸時代と時間との関係が、日本文化の時刻に厳しいということ関係があるのかね。私:新書版を売らんがためにやる「看板に偽りあり」というパターンだね。 この本の著者は、時代物の考証の専門らしいが、この本では江戸時代の65の話題について時代考証を述べている。 本の題名の「なぜ、江戸の庶民は時間に正確だったのか?」というのは、65のうちの1つのテーマに過ぎない。 江戸は、太鼓と鐘で時刻を知っていたんだが、それだけだね。 後の64のテーマは本のタイトルの時間の話とは関係がない。 上水道完備の江戸の庶民の話、遊郭の話、将軍の話、大奥の話、武士の話など多岐にわたる。A氏:江戸は理想的なリサイクル社会で、エコによかったらしいね。私:これを読むと江戸時代を一色で捉えることは不可能だね。 お辞儀のパターンでも48手あるという。 著者は、「着物の上から人を斬り殺せるか」というテーマで、時代劇のチャンバラで着物や帯の上だけ切っただけでバタンと倒れ、そのまま動かなくなるのは、おかしいとしているね。 本当に相手を殺したいなら、胴を刺すという。A氏:現代劇の推理ドラマで出てくる殺人シーンも斬るというより刺すシーンが多いね。私:著者は、刀は時代劇のちゃんばらにあるように、何人も斬れないと書いているね。 砥ぎ師によって刃がついて斬れるようになるから、硬いものにぶつけたり斬ったりするとすぐ刃こぼれする。A氏:君の日本刀知的街道の日本刀と時代小説、「自衛隊に関連して・K氏との対話」・3の1と続いているね。 真剣勝負では、お互いに刃と刃をぶつけると斬れなくなるので、鎬(しのぎ)を合わす。 これから「鎬をけずる」という言葉が生まれる。私:それに人を斬ると脂肪分が刃に付着するので、切れ味が悪くなり、数人斬ったら刃は使えなくなると著者は言う。 だから、戦場では予備の刀を用意するのが常識だったという。 日本刀で何人も斬ったという場合は、刃でなくて、おそらく切っ先で刺し殺したんだろうね。 戦闘での百人斬りは無理だね。 著者は時代考証専門だから、別に右翼ではないだろうがね。
2009.02.17
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奇跡のリンゴ 私:こうして、6年目で自然の摂理の奥深さを知った木村氏は、まず、リンゴ畑の土を自然に戻すように変えていく。 雑草はそのままにする。 大豆を植えて、土中に根粒菌をつけさす。 しかし、土壌もしっかりしくると大豆もやめた。 雑草も虫も種類が増えた。 木村氏は、同時に学者顔負けの観察と研究を続ける。 しかし、彼は研究者ではない。 学者は自然を細切れにする。 彼は逆だ。 自然は細切れで対応できない。A氏:養老孟司氏が、解剖学は有機的につながっている人体をバラバラにして名前をつけることだといっていたのを思い出すね。 私:ついに、1988年の9年目に無農薬のリンゴ畑に一斉に花が咲く。 木村氏は、俺が頑張ったんでなく、リンゴの木が頑張ったんだと言う。 1991年秋、青森県を台風が直撃して、県の多くのリンゴの木が倒れた。 しかし、木村氏のリンゴは、根がしっかりし、リンゴの軸がしっかり枝についているため、被害は少なかった。 以前、大量に発生していたハマキムシが2000年頃からまったく姿を見せなくなった。 リンゴの木が強くなったからだね。A氏:ところで木村氏のリンゴは非常にうまいリンゴだそうだね。私:いろいろな自然の養分をたくさん蓄えているからだろうね。 農薬や化学肥料によって出来た「脳化」「都市化」したリンゴではないんだね。 木村氏は、農薬や肥料のかわりに、自分の目と手を使い、生態系という自然の摂理を生かして、リンゴを育ててきたということになるね。 つまり、自然とリンゴと木村氏の合作で、この本はその記録だね。A氏:そうか、新聞の広告のような「『絶対不可能』を覆した農家 木村秋則の記録」ではなく、自然を「脳化」「都市化」するのでなく、「共生」することの重要性を立証した記録だね。私:自然の存在である木に、農薬をまき、化学肥料を与え、結果的に木を弱くしてきたわけだね。 それは、人も同じだね。 「脳化」「都市化」した子どもは弱いね。 頭でっかちになり、自然を知らない。 自分が自然の摂理に動かされて生きているのにね。 木村氏はその勉強熱心な追求力とともに、周りの人を和ませる性格が、この成功の裏にあるね。 やはり、周囲の人の協力が必要だね。A氏:今、地方の疲弊で、対策として地方分権化が叫ばれているが、木村氏のような「人」がいないと形ばかり作っても効果は出ないだろうね。 地方分権といっても、人材を育成することが先だね。私:久しぶりに感激的な本を読んだね。
2009.01.30
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奇跡のリンゴ私:無農薬だから、リンゴの木は虫だらけになる。 リンゴの実らないリンゴ畑を4年、5年と朝から晩まで虫取り、雑草取りで世話をする。 周囲から見れば、狂気の沙汰だ。 収入がなくなるから、家族が貧乏で苦労するようになる。 農作業の出来ない冬場は東京に出稼ぎに行く。 無農薬で6年目の1985年となった。 リンゴの木は弱って枯れそうになり出す。 あるとき、木村氏は、一人、リンゴの木たちに話しかける。 「ごめんなさい。枯れないでください」と。 後に分かるのだが、途中、枯れたリンゴの木に、共通していたのは、声を掛けなかったリンゴの木であったという。A氏:植物は人の気持ちが分かるそうだね。私:悪戦苦闘の中で、リンゴの木が枯れ始めていたと同じように、木村氏も枯れ始めていた。 1985年の7月31日の夜。 自殺を考えて、岩木山に登る。 そのとき、彼は、山中に立派なドングリの木を見る。 虫も病気も山のドングリの木を襲う。 条件は、リンゴ畑と同じだ。 しかし、農薬なしで立派に育っている。 彼が、そのとき、木の下の踏んだ地面はふかふかして、土が違うことに気がつく。 土に目が行く。A氏:今まで、土から上の木のことばかり考えていたんだね。 自殺を覚悟するほど窮して、通じたんだね。 「窮すれば、通ず」だね。私:人工の肥料で木を育てるから、木が弱る。 木が弱いから、虫や病菌が来る。 自然の木は、強いから、農薬なしでも育つ。 このドングリの木の下の土と自分のリンゴ園の土を比較すると、リンゴ園の土は固く、いわゆる「土の匂い」もない。 リンゴの根を見たら、短く太さも張りもない。 リンゴの木のために、自然の雑草を刈っていたが、雑草は、よい土を作るには必要だったということだね。A氏:なるほど、化学肥料であれ、堆肥であれ、人間が施す栄養分は一時的にしか効かない。 だから、毎年、やらないといけない。 しかし、そうやって育てたリンゴの木は、過保護の子どものように、必要な養分を求めて土中に根を張る努力をしなくなる、ということか。 雑草には自然の摂理としての役割があったんだね。私:自然の山の土は、土中の温度は変わらないが、リンゴ畑の土は10センチ単位で温度が低くなる。 微生物がすくないからだろうね。 農薬が微生物を殺したんだろうね。 この木村氏の自覚した視点は、虫の詳細な観察となる。A氏:本来、自然の中には害虫も益虫もないわけだね。 虫好きの養老孟司氏などは、喜ぶリンゴ畑だろうがね。 人間の思い通りにしようとすると自然の摂理を無視することになる。 「脳化」だね。 「かけがえのない」ものとどう付き合うかが、問題だね。私:農薬を使うと、リンゴの木が虫や病気と戦う力を衰えさせる。 農薬を使っていると人間は、木の病気や虫をよく知らなくなる。 無農薬を始めたときに、800本あったリンゴの木は半分枯れたが、残りの木は土の改良を思いついた時点から、次第に木が強くなる。 明日は、木村氏の無農薬のリンゴ畑の状態の話に移ろう。
2009.01.29
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奇跡のリンゴ 私:図書館に予約してから大分待って俺の番が来たね。 今、NHKで「プロフェッショナル仕事の流儀」というドキュメンタリー番組があるが、このリンゴ栽培の主人公木村秋則氏は2006年に登場しているんだね。 これが大きな反響を呼んだらしいね。 この本は、1949年生まれの、その木村秋則氏のこれまでの多彩な人生の記録だね。 ノンフィクション・ライターの石川拓治氏がうまくまとめているね。A氏:無農薬でうまいリンゴを作りだした青森農家の人の苦労話しかね。私:それどころではないね。 これは、まさに身をもって示した文化論、文明論だね。 俺は、「かけがえのないもの」養老孟司著との関連を考えていたよ。 木村氏は、青森農家の三上家の次男として生まれる。 頭がよかったらしい。 機械いじりが好きだった。 高校時代はオートバイに熱中し、中古のオートバイのエンジンを改造する。A氏:もし、都会に生まれたか、もう少し生まれるのが遅かったら、優秀なレーシングドライバーか、自動車メーカーのエンジン開発者になっていたろうね。私:高校を卒業し、次男なので集団就職で川崎にある会社に入社する。 週末には、湘南のチューニングショップに通った。 エンジンの改造に没頭する。 川崎に1年半いたが、長男がパイロットになりたいと言って、自衛隊に入隊してしまったので、青森に帰る。 自衛隊に行くといった兄が思いなおして帰ってくるが、22歳で木村家に婿養子に入り農家を継ぐ。A氏:農業の道を進むのが運命だったのかもしれないね。私:彼は、農業トラックターにひかれ、イギリスの高馬力のトラックターを買い、トウモロコシの大規模農業を目指す。 こうして、トウモロコシは成功するが、一方、リンゴもやっていた。 しかし、妻は、リンゴの農薬には弱い体質だった。 冬はヒマなので、木村氏は読書に精を出す。 あるとき、偶然、福岡政信の「自然農法」という本に出会う。 福岡政信は農学者というより、思想家で、無為自然の老子のような思想を持っている。 リンゴの栽培には、春先から9月の収穫前まで十数回の農薬散布を行なっている。 リンゴの葉は真っ白になる。 農薬散布という人為がなかったら、虫や病菌にやられリンゴは取れない。A氏:その福岡氏の本が、木村氏の無農薬リンゴの発想につながる。私:福岡氏の農園は愛媛県にあるが、リンゴでなくミカン栽培であった。 そして、完全な無農薬でも、無肥料ではなかったそうだ。 まず、木村氏はリンゴ園の化学肥料を止め、鶏糞などの堆肥を使うようにする。 農薬も減らすようにしだした。 しかし、自分のリンゴ園を完全な無農薬栽培に移行し始めるのは1978年頃という。 4つのリンゴ園を逐次無農薬にしていく。A氏:昨日の新聞の広告に「奇跡のリンゴ」が載っていたが、「『絶対不可能』を覆した農家 木村秋則の記録」とあるが、ここからスタートするわけだね。私:実は、青森のリンゴ栽培の歴史を辿ると、無農薬は無謀だった。 青森県は明治40年代にリンゴの病害で壊滅状態になる。 しかし、大正時代に欧米で使用されていた農薬のおかげでめざましい防除効果を発揮する。A氏:農薬がなければ青森県でもリンゴ栽培が終息したかもしれないんだね。 その歴史的な原則を覆そうというわけだね。私:木村氏は、自分のリンゴ園を無農薬にしてから、成功するまで実に9年ほどかかるが、その成功の秘訣は、「『絶対不可能』を覆す」というものでなく、ある意味、最後は、当然の自然の摂理に従っただけだとも言えるね。 本の広告文は正確でないね。 一時は、リンゴの木は枯れ出し、自殺を覚悟するほど窮するね。 明日は、その中身にふれよう。
2009.01.28
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人は見た目が9割私:このブログで最初にとりあげた本は「人は見た目が9割」だが、2年半たって「活用する」段階で、このブログを読むと、この本の内容が新鮮に思い出されるね。 ここで、この本に関連して養老孟司氏の発言として次のようなことが書いてある。 「文字には表音文字と象形文字がある。 日本語は、カタカナは表音文字、漢字は象形文字で、この2つを使いこなす民族は珍しく、この文字は、それぞれ使う脳の部分が異なるので、日本人の脳の使い方はすばらしいという。 マンガは象形文字言語の延長にある。 したがって、同氏の漫画家牧野圭一氏との対談集は「マンガをもっと読みなさい-日本人の脳はすばらしい」である」A氏:だから、「マンガをもっと読みなさい」にブログはリンクするね。私: このブログを読むと、表音文字のカナを読む脳の部分は「角回」という場所であり、漢字を読む場所はかなり離れた「左側頭葉後下部」である。 だから、「角回」だけが故障しても日本人は漢字だけは読める。 しかし、西洋のように表音文字だけを使っている場合は失読症になる。 トムクルーズ、ピカソ、アインシュタインも失読症だとのこと。A氏:このブログでは麻生首相の漢字誤読を、「麻生首相の誤読」、「麻生首相の漢字誤読・その2」、「孫と相棒と麻生首相」と気にして扱っているね。 そして、脳の回路問題としているね。 マンガ好きの麻生首相と連想が知的につながるね。私:この養老氏の説明によると、脳の「角回」の部分と「左側頭葉後下部」の使い分けが「漢字誤読」の原因ということかね。 英語は表音文字だけだから、このような複雑な使い分けはしないから、「漢字誤読」は日本人独特の症状かね。 麻生首相のマンガ好きと漢字誤読は「脳回路」上、関係があるのかもしれないね。A氏:そこまで、ジャンプするの?私:いや、ミステリーだね。 養老氏はどういうコメントになるのかね。
2009.01.11
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人は見た目が9割私:新潮新書の「人は見た目が9割」は06年4月23日にこのブログを開設したとき、読書記録として最初にとりあげた本だね。 今日と明日は、この「読書記録」の「活用する」の例としてとりあげよう。 読んで、ウソらしいと直観的に思ったのが、「男子トイレの原則」だよ。 この本では、5つの便器AからEが並んでいる絵まで描いて説明があり、「一番使われるのは一番奥の便器A、使われないのは一番手前Eの便器だ」という法則だ。 ○ ○ ○ ○ ○ □ A B C D E 手洗い 入口 心理学では実験で確認されていると著者は言う。 しかし、俺の体験と逆だったんで、このブログでは「『人は見た目が9割』と男子トイレの法則」というブログ日記ができあがる。A氏:便器ごとの利用度を君はなんで判断しているの?私:よく会社の男トイレ便器で目の前の壁に「汚さないようにもう一歩前に出て」という貼紙があることがあるね。 要するに、便器の中央の前の床に尿が落ちて、床を汚すんだね。 だから、いくつもの男子トイレがズラリ並んでいるとき、それぞれの便器の前の床を見ると尿による汚れ度がすぐに分かるんだね。A氏:「便器前のもれた尿による汚れ度」でそれぞれの「便器の使用頻度」を推測できるというわけか。 便器前が尿でひどく汚れていると、使用頻度も多いという推測になるのか。私:いまだに、駅、デパート、スーパー、公共機関などの長い男子の小便トイレに入ると気になっていて、観察している。A氏:君は、新幹線をよく利用するから、いろいろな駅のトイレを見ているだろうね。私:そのナマの観察によると、「人は見た目が9割」の「一番使われるのは一番奥の便器、使われないのは一番手前の便器」だという「男子トイレの原則」は「原則」ではないね。 むしろ、逆だね。 「一番使われるのは一番手前の便器で、使われないのは一番奥の便器だ」ね。A氏:何故だろうね。私:トイレに入ろうとすると、大抵のトイレは、まず、目につくのは奥の便器だね。 一番手前の便器は手洗いとの壁が邪魔になり、死角になっている。 「見られたくない」という心理からすると、死角になる一番手前にある便器が安心だね。 心理学では実験で確認されているというが、実験方法が問題だということがこれで分かるね。 それに、5つの便器AからEが並んでいる絵が問題だね。 この絵は、渋谷昌三氏の「人と人との快適距離」という本を参考にしたとあるが、下の図のような通常のトイレにあるような手洗い場所との間にある仕切り壁Fが画いていない。 仕切り壁Fが便器DやEに死角を作るんだね。 ○ ○ ○ ○ ○ l □ A B C D E l 手洗い l F 入口 Fがないのは、致命的な欠陥絵だね。 著者は男子トイレを使った経験がないのかね。A氏:自分の「目」「耳」「足」1、2での観察が重要だね。私:俺のトイレの観察の場合は「耳」は関係ないがね。 ところで、男子トイレで便器の前が汚れるのを真犯人を突き止める推理に使ったのが「刑事コロンボ」にもあったね。 ホテルのトイレ掃除のおばさんが、同じ男子宿泊者のはずなのに、宿泊の最後あたりから、便器前の汚れがなくなり、その前は汚れが異常にあったと言っているのを、コロンボは聞き逃さなかった。 そして、真犯人を突き止めるヒントにしたというわけだね。
2009.01.10
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読書は1冊のノートにまとめなさい私:第4ステップの「記録する」には、自分の意見も入れておくべきだと著者は言う。 俺は、そのため、ブログ開始後、1ヶ月で君に登場してもらって、対話形式として熱くならないようにしたね。 また、君の登場によって、後で記録を「活用する」ときに、区切りとなって、「見出し」の役割になっていて利用しやすいこともあるね。A氏:漫才の「ツッコミ」と「ボケ」の関係かね。 それと、ブログ開設後、1ヶ月半くらいたって、1文ごとに改行するという「記録する」表現方法に変っているね。私:これも後で、記録を「活用する」ときに読みやすいようにした工夫だね。 ところで、この本の著者は継続のコツは、「空白をつくらないこと」だという。 「適宜」「随時」何かを記録することだ。 俺も、近親者が亡くなったときは、喪中の1行を「適宜」書いて「空白」は作らなかった。 1日でも、空白を作ると「継続する気」が失せる。 俺は、手書きの簡単な日記も1980年以来、「空白ゼロ」で継続しているが、そのコツがブログの継続性につながっているね。A氏:来週16日の日記でブログ開設1000日目になるね。 この街道の1里塚だね。私:第5ステップの「活用する」だが、これには、過去のブログの索引性がポイントになるね。 最初、楽天のブログは、自分のブログ内の検索機能があったのが、途中なくなったね。 俺のようなブログ利用をしている者にとっては不便になったね。A氏:そうだね。 最近の読書記録は、1月4日から連続3回の「キムはなぜ裁かれたのか」1、2、3で、君の朝鮮知的街道に属するのだが、この街道を索引するとなると、やっかいだね。 俺が、一応、一覧で、過去の記録を追っかけて、まとめてみたよ。 古代まで遡っているね。 時代順にまとめたよ。 「日韓交流の歴史・先史から現代まで」1、2、3、「飛鳥・その光と影」1、2、「空虚なる出兵・秀吉の文禄・慶長の役」、日清・日露戦争、「閔妃暗殺・朝鮮王朝末期の国母」、「創氏改名・日本の朝鮮支配の中で」、「ベルリン・オリンピック1936」でのマラソンでの活躍、「洪思翊中将の処刑」、朝鮮人の主張の強さ、朝鮮と日本の関係、「アジア冷戦史」1、2、3、「和解のために」1、2、3、4、日韓和解・朴裕河氏が込めた思いとは、朝鮮戦争のこと、韓国軍によるベトナム人虐殺、「民主化の韓国政治」、などだね。私:本は11冊だね。 最初から、街道が決まっておれば、分類も楽だったんだが、知的興味があちこちとぶので、後で、索引で苦労するようになったね。 君が追っかけてくれるので助かるよ。 「ベルリンオリンピック」はマラソンで1位の孫選手と3位の南選手が韓国人であることをよく拾い出したね。A氏:いや、おかげで俺にとってもいい知的刺激になっているよ。私:明日は、このブログ開設のトップを切った「人は見た目が9割」にもどって「活用する」ことをトライしてみよう。
2009.01.09
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読書は1冊のノートにまとめなさい私:著者は、81年生まれだから若いね。 業界紙の記者だというが、読書好きで年間100冊から150冊の本を読むという。 ところが、折角、読書したのに、本に書いてある内容をすっかり忘れてしまうことに危機感を感じ、読書ノートをとることになったという。 この本は、その著者の考えた出したノート記録技術を詳細に書いているね。A氏:君はブログをその「読書ノート」代わりに使っているね。私:そうなんだね。 俺の読書内容や気になったことを書き留めるという発想は、全く同じだね。 だから、非常に参考になるし、勇気づけられるね。 効果的な読書として、次の5つのステップを示しているね。 1.探す 2.買う 3.読む 4.記録する 5.活用する 「探す」では、書評や広告でリストをノートなどにメモしておく。 要するに、書店で衝動買いをするのでなく、計画的に買うわけだね。A氏:君のいう「知的興味」から読みたい本をリストアップするわけだ。私:俺の場合は、まず、インターネットで図書館を検索し、予約する。 待ちの多いときとか、手元に置きたい本は買うね。 このブログで読書記録を書くようになってから、本の購入数は減って、図書館から借りる本が激増したね。 だから、第2ステップの「買う」は少なく、「借りて入手する」のが多い。 次に「読む」となるが、ある知的興味で本を読むので、あまり関心がない箇所は飛ばすことになるね。A氏:一種の速読だね。私:それと「記録する」を考えて読むから、ポイントを絞る。 この本の著者が書いているように、「記録する」は、その本が手元に不要となるようにポイントを書いておくことだね。A氏:ただ、「読んで感激した」という読書記録ではダメなわけだね。私:だから、俺の場合、記録する内容が多い本は、数回に分けて、ブログに書く方法をとっているね。 それに、この著者も書いているが、「記録する」には、再三、本を読まないとまとまらないこともある。 さらに、著者は、継続が重要だと言っているね。 それも俺は同意見だね。 「継続は力なり」だね。A氏:君のブログは開設以来、今日も含め、あと9日で1000日となるが「欠勤なし」だね。 テーマ数では、1000を越したね。私:岡部敬史著「プログ進化論」の読後感でも書いたように、好奇心の強い俺にとってはブログを書くことは頭の活性化だね。 この作業を毎日欠かさずにきて、なんとか1つの段階を超えそうだね。 やはり、いろいろな知識は得られたね。A氏:第4ステップの「記録する」の後が、第5ステップの「活用する」だね。私:それは明日、話題にしよう。
2009.01.08
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【古本】アキハバラ@deep/石田衣良私:著者の石田衣良氏は「非正規レジスタンス」の書評から、知的興味が湧いた作家だね。 図書館の棚に「東京DOLL」とこの「アキハバラ@DEEP」があったんで、予約なしで借りられるので、借りた。 先月、「東京DOLL」は読んだ。 今日は、「アキハバラ@DEEP」を読んだ感想だね。A氏:「アキハバラ」という国際的な用語となったイメージが、例の今年6月8日の「秋葉原通り魔事件」でガラリと変わったようだね。 君のブログ(1.2)でもとりあげたね。私:俺が、特にこの本に知的興味が湧いたのも、通り魔事件があったからだね。 著者はこの事件で変わる前の秋葉原をどう捉えているか、を知りたかったね。 この小説は2002年から2004年まで、別冊文芸春秋に連載され、2004年に単行本になった長編だね。 市場では古本しかないようだが、アニメ本が出ているね。 これを読むと、俺たちが電気製品を買いに行った頃とかなり違うね。A氏:俺は、家電製品は、近くの量販店で買うようになったんで、秋葉原には、とんとご無沙汰だね。私:俺は、ソニーのウォークマン第1号を秋葉原で買ったね。 カセットテープ時代で、子どもの弁当箱くらい大きかったね。 2万円くらいしたのではないかね。 俺は、昔、ビデオはソニーのベータだったんで、テープは安い秋葉原で出張帰りにまとめて買っていたね。 しかし、量販店が近くにできてからは、足が遠くなったね。 この本を読んで、その後の若者の町になった秋葉原の新しい変化が分かったね。 興味があったのは、文庫本の「解説」で森川嘉一郎という人が「『秋葉原』と『おたく』をつなぐ絆」というタイトルで書いてる記事だね。 秋葉原が家電からパソコン、そしてアニメなどから若者の町になってきた経過をうまくまとめているね。 この「解説」の最後で、森川氏は、若者の町、秋葉原から、新しい文化が生まれることを期待しているね。 かって、ベトナム戦争突入に失望してヒッピーとなったアメリカ西海岸の青年たちが、「パーソナル・コンピュータ」という革命的な装置を作り出したように---。A氏:しかし、2年後には、期待された若者の場でなく、秋葉原は、若者の「無差別殺人」の象徴の場になってしまったね。私:日曜日の若者の歩行者天国は中止になってしまったね。 石田氏に是非、この現在のアキハバラの変化を書いてもらいたいね。
2008.10.21
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私:図書館で予約していた本を借りると当然、予約していたデータは自動的に消える。 だから、時々、俺の個人的な予約待ちデータをとっておく必要を感じたね。 この前の予約待ち本の一覧では、11冊あったが、まだ、俺の順番がこなくて読んでいないのが、次の5冊だね 1「人々はなぜグローバル経済の本質を見誤るのか」 2.「アメリカン・コミュニティ・国家と個人が交差する場所」 3・「中国・ロシア同盟がアメリカを滅ぼす日・一極主義vs多極主義」 4.「チョコレートの真実」 5.「環境問題はなぜウソがまかり通るのか」A氏:あれから1ヶ月半たったが、なかなか、順番が来ないもんだね。私:その後、追加して待っているのが、次の4冊だね。 例によって、知的興味をそそる「内容」「要旨」を引用しよう。•1.「マイ・ドリーム・バラク・オバマ自伝 」 「アフリカからの一本の電話で、すべては始まった。黒人初のアメリカ大統領を目指す男、バラク・オバマ回想録。人生の目的を探してたどりついた家族と人種をめぐる感動の物語」•2.「仕事と日本人」 「資本主義であれ社会主義であれ、近代以降のあらゆる国家は『労働』を賛美してきた。しかし、こうした仕事観が常識となったのは、それほど昔のことではない。 私たちの御先様は、金回りがよくなると、仕事を勝手に休んでいた。彼らは『労働の主人』たりえたのだ。それに比べて、現代の労働のなんと窮屈なことか。仕事の姿は、『会社』の誕生によって大きく変わったのである-。 江戸時代から現代までの仕事のあり方をたどり近代的な労働観を超える道を探る『仕事』の日本史200年。」•3.「親会社の天下り人事が子会社をダメにする」 「劇的に黒字優良企業に蘇らせる、逆転の『天下り成功法』とは。」•4.「エコノミック・ヒットマン・途上国を食い物にするアメリカ」 「表の顔は一流コンサルティング会社のチーフエコノミスト。裏の顔は工作員。途上国を負債の罠にはめた著者が命がけで告発する。」 今、借りていてすでに読み進んでいるのは下記の4冊だね。 1.「ルポ・貧乏大国アメリカ」 「一握りの富める者と膨大な数の貧しい人々...。急激に進む社会の二極化の足元で何が起きているのか。 追いやられる人々の肉声を通して、その現状を報告。米国の後を追う日本へ、海の向こうから警告する。」 2.「アメリカ下層教育現場」 「アメリカ在住のノンフィクションライターが、恩師に頼み込まれ、市内で最も学力の低い子どもたちが集まる高校の教壇に立つことに。常識を身につけずに育った若者たちに、体当たりでぶつかった日本人教師の体験記。」 3・「民主化の韓国政治」 「歴史的成功事例といわれる韓国の民主化過程の苦難を、朴正煕政権期の徹底的見直しにより描出。 民主化の成否を分けた前提条件を指し示し、脱植民地化過程の政治的困難をも捉えた刮目の政治分析。」 4.「神々の乱心・上下巻」 「宮中に何事か画策する謎の新興宗教。昭和8年。東京近郊。梅広町の「月辰会研究所」から出てきたところを尋問された若い女官が自殺した。自責の念と不審から「月辰会研究所」をマークする特高課第一係長・吉屋謙介。やがて渡良瀬遊水池から、2つの死体が...。巨匠松本清張が渾身の力を揮った絶筆1700枚。」 5.「環境問題はなぜウソがまかり通るのか・2」 「今後100年間で地球の平均気温は6.4℃も上昇?」「まず、ありえない!」 6.4℃とはIPCCが発表した最も悲観的なシナリオ下でのしかも予測幅があるうちの最悪の数値に過ぎない。イギリスのBBCは、1.8℃~4℃の上昇と報道している。京都議定書の削減目標を真に受けているのは日本だけに等しい、ツバルの海面水位上昇は温暖化による影響ではない!?日本人は地球温暖化についても正確な情報を得ていない!地球温暖化でも、ウソがまかり通っている! -ますます膨らむ「環境バブル」「エコの空騒ぎ」に「NO」を突きつける。」 この本は予約待ちの「環境問題はなぜウソがまかり通るのか」の続編だが、続編のほうを先に借りられたよ。
2008.03.10
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私:図書館に貸し出し予約している本が10冊を超えた。今日は整理しておくよ。1、07・11・24予約・待ち数21「人々はなぜグローバル経済の本質を見誤るのか」水野和夫/著・日本経済新聞出版社 「要旨」帝国化・金融化・二極化する世界、一国単位ではもう何も見えない。1995年を境に、大航海時代にも匹敵する「世界経済システムの変革」が始まった。第一級のエコノミストが明らかにする、グローバル経済の驚くべき姿。2、07・11・24予約、待ち数21「奪われる日本(にっぽん) 」関岡英之/著・講談社現代新書 「要旨」いま、危機にさらされる日本人の心とからだ、小馬鹿にされる礼節と思いやり。世界に類を見ない我が国固有の価値観。 3、07・12・06予約、待ち数8「受けてみたフィンランドの教育」実川真由/著 , 実川元子/著・文藝春秋 「要旨」日本の中高一貫進学校に通う普通の女子高生が世界一の教育を体験した。塾もない。偏差値もない。なのに世界一。なぜ?フィンランドの公立高校に一年間留学した娘とその母親の両方の立場から書かれた本です。留学の準備から、在籍高校との調整、帰国後の進学・就職まで親子が知りたい情報が満載。 4、08・01・17予約、待ち数4「イギリス経済再生の真実・なにが15年景気を生み出したのか」日本経済新聞社/編 ・日本経済新聞出版社 「要旨」グローバリゼーションを逆手にとれ。衰退し続けた経済を復活させた規制改革、企業経営、金融戦略を活写!日本が学ぶべき再生のヒントに迫る。5、08・01・20予約、待ち数16「アメリカン・コミュニティ・国家と個人が交差する場所」渡辺靖/著・新潮社 「要旨」原理主義、超高級住宅街、巨大教会など、九つのコミュニティの今日的状況を探りながら、アメリカ現代社会を読み解く。多様性を象徴し、内側から社会を支えるコミュニティこそが、アメリカ社会の核である。自らに足払いをかけながら、永遠に革命を続けるアメリカの力の秘密に迫る。 6.07・11・18予約、待ち数10「中国・ロシア同盟がアメリカを滅ぼす日・一極主義vs多極主義」北野幸伯/著・草思社 「要旨」アメリカを没落させるのは簡単だ-米国の弱点を知り尽くした中露が推し進める世界多極化への危険すぎるシナリオとは。新進気鋭の論客が圧倒的なわかりやすさで解説するぶった斬り世界情勢。 7.07・12・22予約、待ち数289「悪人」吉田修一/著・朝日新聞社 「要旨」保険外交員の女が殺害された。捜査線上に浮かぶ男。彼と出会ったもう一人の女。加害者と被害者、それぞれの家族たち。群像劇は、逃亡劇から純愛劇へ。なぜ、事件は起きたのか?なぜ、二人は逃げ続けるのか?そして、悪人とはいったい誰なのか。 8・07・11・02予約、待ち数8「チョコレートの真実」キャロル・オフ/著 , 北村陽子/訳・英治出版 「要旨」カカオ農園で働く子供たちは、チョコレートを知らない。児童労働、政府の腐敗、巨大企業の陰謀...チョコレートの魅惑的で危険な世界へ。気鋭の女性ジャーナリストが徹底取材した、今なお続いている「哀しみの歴史」。9.07・12・05予約、待ち数9「インドの衝撃」NHKスペシャル取材班/編著・文藝春秋 「要旨」インド人はなぜ優秀なのか?インド経済は本物なのか?インドは大国となりうるのか?「衝撃」の深層は、この本の中にある。大反響を呼んだNHKスペシャル、待望の単行本化。10、07・12・21予約、待ち数72「環境問題はなぜウソがまかり通るのか」武田邦彦/著・洋泉社 「要旨」錦の御旗と化した「地球にやさしい」環境活動が、往々にして科学的な議論を斥け、人々を欺き、むしろ環境を悪化させている。官製リサイクル運動が隠してきた非効率性と利益誘導の実態とは?地球温暖化を防げない京都議定書-。アル・ゴア氏にとっての「不都合な真実」も次々に明らかになる。11、07・12・23予約、待ち数13「滝山コミューン1974」原武史/著・講談社 「要旨」東京都下の団地の日常の中で、一人の少年が苦悩しつづけた、自由と民主主義 のテーマ。受験勉強と「みんな平等」のディレンマの中で、学校の現場で失われていったものとは何か?そして、戦後社会の虚像が生んだ理想と現実、社会そのものの意味とは何か? マンモス団地の小学校を舞台に静かに深く進行した戦後日本の大転換点。たった一人の少年だけが気づいた矛盾と欺瞞の事実が、30年を経て今、明かされる。著者渾身のドキュメンタリー。
2008.01.27
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私:どこかの書評で「星の王子さま」の誤訳について書いているとあったので図書館から借りたが、驚いたね。 「星の王子さま」の和訳は岩波少年文庫の内田濯訳が半世紀に渡り流通してきたが、2005年6月以降、独占的出版権の期限が切れたことで、十数点の新訳が出版されているんだね。 この本の題名の「憂い顔」というのは、誤訳だらけで原書の「星の王子さま」が「憂い顔」をしているという意味だね。 著者はフランス語の権威らしいが、内藤訳の100箇所を超える誤訳を、徹底的な論理というか、厳しい皮肉を含めてズバズバ指摘しているね。 その誤訳を最近の和訳15点についても比較しているね。 重箱の隅をつつくというより、ストーリー上、重要な誤訳を指摘しているね。 個人名を挙げて逃げ場がない指摘だね。 よくこういう本が出版できたね。 A氏:「星の王子さま」のもとはフランス語だから、フランス語の誤訳だね。私:俺はフランス語は全くわからない。 しかし、救われたのは英語訳も3点とりあげて比較していることだね。 英語訳をみると、誤訳がなく、キレイな訳でうらやましいね。A氏:英語とフランス語は同じ言語体系をもっているからかね。私:それに文化的に近いからね。 言語というのは文化の総結晶だからね。 つくづく、日本語は独特の日本文化の総結晶だと思ったね。 それに卑屈になるのか、誇りに思うのか、俺たちの生き方の問題だね。A氏:誤訳のもとは外国語力の不足からくるものかね。私:この本の著者は日本語訳には2つのステップがあるとしているね。 第一ステップは原文を正確に理解すること、すなわち、語学力の問題。 第二ステップは日本語らしい文章にすること、日本語力の問題。 しかし、俺は原文を理解するには語学力だけではだめで、原文が描いている情景なり考えを正確に理解する「教養力」みたいなものが背景にあると思うね。 それは日本人の場合は、「日本語」を通じて学ぶ。 だから、外国語を正確に理解するときは、日本語の理解力が重要なんだね。A氏:そういえば、君の誤訳知的街道は次のように昨年の夏に集中しているね。 サスペンス小説が多いのは、サスペンスは著者が描いているシーンを正確に「想像」できないとサスペンスの意味がないからだろうね。 「想像」には「教養力」が必要だということかね。 「誤訳について」、「長いお別れ」、「ベイ・シティ・ブルース」、「レイモンド・チャンドラーの長編と英語」、「チャンドラーの英訳・その1」、 「チャンドラーの『待っている』比較読み・その1」、「その2」、「その3」、「その4」、「その5」、 「男はなぜネクタイを結ぶのか」、「再度・『男はなぜネクタイを結ぶのか』とチャンドラー『大きな眠り』」、 「『ダヴィンチコード』と日本語訳・その1」、「その2」、「その3」、 「海外ミステリ誤訳の事情」、「グレート・ギャツビー」、「チャンドラー『ロング・グッドバイ』村上春樹訳」などがあるね。私:この「星の王子さま」の誤訳で面白かったのは内藤訳の誤訳例の1つだね。 「飛行機がサハラ砂漠でパンクするまで、(・・・)飛行機のモーターが、どこか故障をおこしたのです。」A氏:飛行機がパンク?飛行機のモーター?私:新訳のすべてで、パンクは「故障」「不時着」と修正されている。 「モーター」のフランス原語は「エンジン」だそうで、英語はきれいに3点ともengine。 新訳15冊も1冊を除き「エンジン」と修正された。A氏:新訳はそういう内藤訳の誤訳は修正されているの?私:それがこの本によるといろいろだね。 訳者の「教養力」の問題かもね、翻訳は怖いね。 俺は子供の頃も、今も「星の王子さま」を読んでいないので実害がないがね。 著者は、誤訳が多いのは出版社の責任でもあるとして厳しいね。 食品の偽装同様、出版社の偽装問題だということかね。 「星の王子さま」を日本語で愛読してきた人には、なんだか「もやもや」していたことが、この本でそれが誤訳のせいだと分けると、その「もやもや」が消える効果があるかもね。
2007.11.20
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私:「本格小説」で著者に興味を持ってそのつながりで読んでみた。 「本格小説」の最初で180頁ほどの「出だし」があるが、それがこの「私小説」の舞台となっているね。 A氏:副題の英語の「from left to right」、「左から右」というのはどういう意味?私:「本格小説」は普通の日本の小説のように、「右から左」の縦書きだね。 ところが「私小説」は英語式の横書きで「左から右」に読む、ようになっている。 それはときどき、英文がチョコチョコ入るせいだろうね。 本邦初の横書きbilingual長編小説だそうだ。 図書館ですぐ借りられたが、文庫本で450頁ほどあるかなりのボリュームだね。 確かに「私小説」というタイトル通り、20代の大学院生の女性である著者をめぐる個人的なアメリカの生活日誌がブログのように延々と続く。 中心となる生活の場はアメリカの都市にあるアパートの一室だ。 そこで、12才で渡米し、20年間のアメリカでの一人暮らしの体験を日常にからめて描写しているね。A氏:それが文庫本で450頁ほどあるというのはかなり読み応えがあるだろうね。私:最初は、ちょっと抵抗があったが、次第に飽きないで読み進んだね。 姉が離れた都市で住んでいるんだが、性格が反対なんだが、姉妹の電話の会話が多いね。 その電話の会話でも、ときどき、日本語に混ざって英語が出る。A氏:なんで英語を混ぜるのだろうね。私:「私小説」だから、実際の姉妹の英語会話に使い慣れた英語が混ざるからだね。 しかし、英語でないと感情がうまく表現できないこともあるようだね。 ルー大芝の英語混ざりは単語レベルだが、この本では文章レベルだね。 12才で父親の仕事の都合でアメリカの現実に放り込まれて、日米の底辺の文化の違い、人種の差別がなんとなく日常生活の描写にかくれながらも、独特の筆のうまさで先鋭に見えてくるね。 著者は12才で父親の仕事の都合で渡米してから、滞在20年。 しかし、興味あることに、アメリカの生活では、ヒマがあれば、日本の「近代文学」に読みふけっていたという。 ハイスクールの休み時間でも読んでいたという。 著者のそのアメリカの生活との対比で得た深い日本語感覚が、この本に深みを与えているように思うね。A氏:それなのに、著者はアメリカの大学で近代日本文学を教えているのだから、英語もできるのだろうね。私:フランス語も勉強したらしいね。 しかし、12才で渡米しているので、日本語に染み付いた日本文化的な体質はできているんだね。 この本を読むと日本語と日本文化の体質は一体不可分だということが、アメリカ文化との対比で感覚的によく分かるね。 父親の住んだところが、ニューヨークなのでカリフォルニアあたりと違って、ヨーロッパ優位、白人優位の社会に入り、日本では得られない東洋人や日本人という意識を体験していくね。A氏:俺は、君が読んでいるというので、インターネットでアマゾンの読者コメントを読んだよ。 18人くらいのコメントがあったが、よい小説だとほめているのと、読む価値がないと酷評したのと極端に2極分化していたね。 もっとも、酷評の方が少なかったがね。私:まぁ、俺の方はほめるほうだね。 野間文芸新人賞を受賞しただけはあると思うね。 それにその後「本格小説」を書いただけの力はすでに現れていたから、新人賞は後で考えると正解だったと思うね。
2007.10.22
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私:俺たちはなんで小説を読むのかね。 それを考えさせられた。 この本は「ホワイトハウスから徒歩5分」で著者が確かほめていたので知的興味持って読んだね。 日本人である主人公が中国の引き揚げ孤児として日本で苦労し、その後、アメリカに渡り、苦労して億万長者になるという話が背景にあるね。 厳密には、日本人でなく、中国人との混血児のようだがね。 A氏:題名が変わっているね。私:日本の私小説というものに対する批判的な考えがあるようだね。 著者は高校からアメリカの学生生活をおくるので、いわゆる帰国子女的な体験がある。 もっとも、日米を往復し、アメリカの大学で近代文学を教えているという。 明治期に欧米の小説を日本語に訳し、その影響を受けた日本近代文学では「私小説」が登場するが、それに対して本格小説を書くのだという説明が、この小説の出だしで180頁くらいあるね。 この部分が私小説風で、この後、いよいよ本格的な小説の始まりになるんだね。 俺は図書館で借りて読んだが、上下2巻の単行本で大きい活字だが全部で九百頁ほどある。 信州の軽井沢や追分が中心的な舞台なので、実際の浅間山や追分などの山河、そして建物などの写真が何枚か挿入されている。 なつかしいね。 これが現実的なイメージをわかせてくれるね。A氏:900頁ほどの長編とはすごいね。私:文庫本も出ているよ。 この本は2002年の読売文学賞をとっているんだね。 それに1995年に「私小説」という本を出しているが、これで芸術選奨新人賞をもらっているね。 著者の名前は聞きなれないので、ウィキペディアを引いたが生年は未公表とあるね。 しかし、父親が商社勤めのためにアメリカで高校生活をおくるが、その頃、日本の高度成長時代が来るので、今、50才台くらいではなかろうか。 最近、若い女性作家の活躍が注目されるが、この人は遅い作家スタートだね。 そして寡作だね。 しかし、その小説の世界は若い作家にはできないように広く、深いという感じがしたね。A氏:この小説は恋愛ものかね。私:一言で言えばそうかもね。 「嵐の丘」との比較もあるが、俺は三島由紀夫の「春の雪」を連想したね。 「戦後レジーム」でなくなった死を覚悟の恋愛だね。 もっとも、「本格小説」は時代的に三島死後以後の日本を中心に扱っているがね。 著者は、そういう海外経験を経ての日本語の問題や欧米文化と日本との違いの体験がベースになっているんだね。 そして、さりげなく、日本の明治以降の歴史、日米戦争、戦後の戦地からの引き揚げ、高度成長期を経てバブル崩壊を迎える日本の変化など、日常と日本のマクロの変化がうまく取り入れられているね。A氏:それは若い作家にはちょっとできない深さだね。私:俺は、俺が生まれて現在に至るまでの自分の同時代史を感じたよ。 なるほど、「私小説」でなく、他人の物語に共感するのが「本格小説」なのかね。 そういう小説の効用もあるのかね。 知らず知らずのうちに、集中的に読んでしまった。 日本語もいいね。 変に難しくなく、そうかといって、日本語の言い回しの特徴を失っていないがね。 これは著者が外国語の観点から日本語を見ているからかね。 もっとも、三島由紀夫の独特の文体とは違うがね。 それは時代の変化かね。 ちょっと、この著者の「私小説」も読んでみたい知的興味がわいてきたね。
2007.09.28
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私:これはどこかの書評を見て図書館に予約したもので、数ヶ月待って俺の順番になったものだね。 著者はコンサルタントだね。 会社の寿命は30年。 だから、入社して40才くらいになったら、会社の寿命を延ばすことを考えるべきだと言う。 サラリーマンがある会社に入社して、中堅になる頃、寿命が来ては大変だね。 そこで会社の寿命を延ばす知恵を8つの事例を中心に述べているね。 著者は休みの日にさらっと読めるように書いた本だという。 事実、面白く半日で読了したね。 1番目の話題はイトーヨーカドーだね。 しかし、それはセブン・イレブンの利益が大きいからで、本体のイトーヨーカドーはダイエーに近づいているという。A氏:ダイエーはローソンを切り離したからね。私:日本のスーパーの衰退は、一億総中流から、富裕層、中流層、下流層への「国民の3極化」に原因があるといわれ、それに対応して「土俵」を変えていく企業が継続するということだね。 著者は「土俵を選ぶ」重要性を強調しているね。 2番目の話題は松下電器だね。A氏:俺たちの時代人はマネシタ電器と言われていたが、それに対してソニーは常に挑戦的だったね。私:ビデオのVHSとベータはいい例だね。 松下は系列店が強力で販売力がトップだったときはそれでよかったが、系列にとらわれない量販店の拡大で変わってきたね。 真似をしていられなくなって差異化が重要になってきたね。 3番目はオンリーワン戦略だが、これは競争相手がない「土俵」の選択だね。 これも差異化ではないのかと思うのだが、俺は余り興味が湧かなかったね。 まぁ、10分間1000円で調髪してくれるQBハウスという床屋の例くらいかな。 4番目は、「上流市場を狙った土俵」だね。A氏:トヨタのレクサスがそうかね?私:そうだね。 しかし、上流市場への対応は歴史的な金持ちの多いヨーロッパにかなわないというね。 日本の上流市場はこれからだという。A氏:世界一の大富豪のビルゲイツは、金持ちになってもしばらくは、フライトはエコノミー、空港ではハンバーガーというスタイルを続けていたというからね。 歴史を持っているヨーロッパの富豪と違いだね。私:5番目には下流市場に「土俵を選ぶ」多国籍企業が出てきたというね。 1日2ドル以下の収入で生活するで、世界では約40億人がいるという。 約半分は都市部に住んでいるという。 日本では年収300万円以下の家庭層向けのビジネス例として百円ショップや100年均一の回転寿司などの例があげられているね。 スターバックコーヒーは、多少高めだが、「手に届く贅沢」でこの層に広がったという。 6番目はローソンとファミマが上海で中国系のコンビに勝った例だね。 店長教育の差が出たようだね。 7番目はアマゾンのロングティールだね。A氏:君のブログで扱っていて、この考えはおかしいと言っていたね。私:この本ではアマゾンのロングティールについて興味ある分析をしている。 アマゾンのインターネット経由で売れた他の書店の在庫からの分を推定し、これをアマゾンの売上げから削除すると、アマゾンは通常の書店とあまり変わらない収益構造だというね。 要するに余り売れない在庫を傘下の書店におしつけて、自社は細かい在庫を持たないというシステムだね。A氏:君はアメリカのアマゾンからインターネットで50年前の古本(チャンドラーの「待っている」)をフィラデルフィアの古本屋から取り寄せたが、その古本は古本屋に50年間在庫していたわけだね。 アマゾンはその在庫コストは持たなくて済む構造だね。私:最後の8番目は、完璧なシステムよりも不完全なシステムでも成功する場合があるということだね。 完璧なシステムはエラーが少ないようだが、一旦、エラーが出ると大きな問題になる。 それなら、ルーズなシステムにして柔軟性を持たせるシステムの方が売れる「土俵」もあるという。 要するにビジネスの「土俵」はいろいろあるということだね。 現在の土俵にこだわらず、適切な土俵を次々に開拓していくことが長続きするビジネスのポイントかね。 しかし、いろいろな知恵を出して儲けるのはいいが、環境と人間らしさを失わせるような儲け方だけはしてもらいたくないね。
2007.06.30
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私:この本をべた褒めした書評を見て図書館に予約したが、待ちが長く、ようやく順番が来たよ。 その前に同じ著者の「クライム・マシーン」を読んでいたがね。 これはその続編だね。 14の短編が集められているね。 一昨日、熊谷まで用事で往復した4時間の電車内で読了したよ。 A氏:例により、軽いタッチの短編かね。私:前回、俺はブログで「クライム・マシーン」で落語の「落ち」と比較した感想を書いたんだが、驚いたことにこの本の訳者もあとがきで落語との比較を次のように述べていた。 「軽い噺のほうが実はむずかしいのだ、と言う落語家がいます。 前座噺をさらりと演じて爆笑をとるのは生半可な腕でできるものではない、と。 しかしその一方で、軽い噺の専門家に対する一般の評価は必ずしも高くはありません。 名人上手ともてはやされるのは、やはり人情噺や大演目を十八番とする落語家のほうです。 ジャック・リッチーもまた軽い話を生涯語り続けた男でした」A氏:なるほどね。 落語をたとえに使うとは、偶然の一致にしてはよくできているね それで軽いタッチで電車の中で読めたかね。私:ところがダメだったね。 この本の第一話は、「妻を殺さば」という題名で、その最初の第1行が「結婚して三ヶ月、そろそろ、妻を殺す頃合だ」で始まる。 ギョットしたね。A氏:軽いタッチではないの。 何故?私:毎日、マスコミで例の福島の嗜虐的な母親殺しをやっているので、強烈なインパクトがあったせいだと思うね。 「クライム・マシーン」のときはまだ、スラスラ読めたがね。 隣の部屋にいた殺人者の弟はいまだにショックだそうだね。A氏:彼の短編は殺人が多いのだろうが、親殺しはあるのかね。私:ないね。 ましてや、姉を殺して死体をバラバラにしたり、残虐な母親殺しをしたりというのは、リッチーの好みではないらしいね。 この「妻を殺さば」というのは1971年に映画化されているそうだが、小説の内容からして残虐なシーンはないと思うね。A氏:アメリカ映画でも、「コレクター」「セブン」「羊たちの沈黙」「ハンニバル」のような残虐なミステリーやホラー映画が盛んになるのは、ベトナム戦争のあたりからかね。私:リッチーの軽いタッチの殺人噺は、もう、現実の殺人のイメージのほうが重くなりすぎて、なんかなじまなくなってきたような気がするね。A氏:落語の前座噺としては読めないかもね。私:「事実は小説より奇なり」でなく「事実は小説より過激に奇なり」だね。 時代の流れかね。 気味の悪い世の中になってきたね。
2007.05.24
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私:1987年刊行の岩波新書だから古い。 著者の中島文雄氏は1904年生まれだから、ご存命でないかもしれない。 英語学の専門だが、実に日本の古文もよく読んでいると思うね。 A氏:君の三上章氏の「日本語抹殺論」、そして「日本語に主語はない」の知的街道の1冊かね。私:そうよ。図書館から借りて読んだ。 三上章氏は1903年生まれだから、中島文雄氏とは同年代だね。 この中島氏の「日本語の構造・英語との対比」も前にちょっと読んだ「『象は鼻が長い』入門」同様に、頭が痛くなってきた。 拾い読みで終わったよ。 どうして、日本語文法をやさしく書けないのかね。 結局、日本語の文法体系はまだ、ちゃんと確立していないということかね。 著者も最後のほうで 「本書は『日本語の構造』と題しながら構造の解明についてあまり深くは論じてこなかった。 英語ならその構造を論じることによって、構造的な問題を、その構文の意味を説明できるのであるが、日本語の場合はなかなかそうはいかない」 と書いているね。A氏:日本語自体、文法が体系化していないのではないの?私:ただし、この本でも日本語は英語と違って主語がないという言語体系であるということを一貫して主張しているね。A氏:三上理論と同じだね。私:三上理論についてはふれていないが、文法の解析の例文に「象は鼻が長い」が出てくるので、三上理論を参考にしているのかもしれない。A氏:「象は鼻が長い」の文章はよくこの日本語文法知的街道に出てくるね。私:三上氏の著書の題名にあるんだよ。 「象は鼻が長い」での「象は」の「は」は、「象」が主語であることを示していない。 中島氏は英語に直訳するとAs for elephants, their trunk is long. となるとしている。 Elephants have a long trunk.とは構造が違うというわけだ。A氏:国語論争で分析例で「ぼくはうなぎだ」という問題もよく出てくるらしいね。私:食堂などで使うね。 これも「ぼく」は主語ではない。 日本の子どもに英語を教えているとき、先生からいろいろな果物のカードが配られ、リンゴのカードを受け取った子どもが「ぼくはりんごのカードをもらう」という意味でI am appleと言ったそうだ。 これは「ぼくはうなぎだ」と同じ日本語的発想かね。 しかし、英語でも例外的にこういう言い方もあることを中島氏は英語の本から引用しているね。 レストランでウェートレスが注文の料理を持ってきて Now, who is the veal and who is the spaghetti? (誰が子牛肉で、誰がスパゲッティ?) これに対して、客が I am the veal. He is the spaghetti.(私が子牛肉で、彼がスパゲッティだ) と答えている例があるという。A氏:たしかにI am appleでも分からないこともないね。私:この子どもは「英語では主語を最初に明確に言わないといけない」として、I(アイ)を先にもってきている点では幼児の英文法教育は成功しているかもね。 しかし、逆に国語の時間で日本語には主語はいらないということも教えないといけないね。 そうしないと「私は貴方を愛します」という変な日本語を使ってしまい、ふられてしまうかもね。 最後の頁で中島氏は日本語と英語の違いに文化の背景があることを述べているね。 このあたりはスラスラ読めたね。 英語は個人主義の発想があり、同時に個人責任の明確とはバランスしている。 しかし、日本語はあいまいで情緒的だ。 著者は欧米のDive at your own risk.(危険承知で飛び込むこと)の例をあげているね。 個人責任でどうぞと冷たい。A氏:日本語なら「危険だから飛び込まないこと」だね。私:著者は広島の原爆記念碑に「安らかに眠ってください。過ちを繰返しませぬから」とあるが、日本人にはなんとなく意味が分かる。 しかし、アメリカ人が読んだら、誰がどういう過ちを犯したのか理解できないのではないのだろうかとコメントしているね。A氏:過ちを犯したのはトルーマンなのか、東条なのか。 両方なのか。 人類なのか。私:主語なしの言葉を使う日本人は強い自己否定もないし、強い自己主張もないのかね。 でも、中国語や韓国語も似た言語構造だというが、自己主張が強い。 言語構造と関係ないかもね。 別な知的興味が生まれてきたね。
2007.04.30
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私:昨日の「閔妃暗殺」で著者が福沢諭吉と朝鮮の関係を書いているね。 君は、一万円札の福沢諭吉の肖像をどう思うね?A氏:国民的な常識ではないの。 福沢諭吉は明治維新に活躍した近代化の啓蒙家であり、「天は人の上には人を作らず、人の下に人を作らず」と言ったことで有名だね。 「学問のすすめ」は名著だね。 日本の近代化に尽くした人としては肖像になっては当然だろう?私:ところが、角田房子氏が1984年(昭和59年)にソウル滞在中に「一万円札の福沢諭吉の肖像は一部の韓国人に強い不快感を与えている」ということを聞き、とっさに理由がわからなかったという。A氏:福沢諭吉は「脱亜論」を書いているからではないの? 近代化に遅れているアジアには訣別しているからね。 その遅れているアジアに朝鮮も含まれているからね。私:角田氏は、いろいろ調べたね。 例の日本船が江華島の朝鮮を挑発して、攻撃させた1875年の江華島事件で、世論は「朝鮮討つべし」だった。 しかし、福沢諭吉は、朝鮮は「小野蛮国」だから相手にするなということで逆に世論に反対しているという。 しかし、このとき、諭吉は朝鮮の人に会っていない。 会ったのは1880年になってからだという。 会ったら、考えがガラリと変わる。 1881年には二人の朝鮮人を慶応に入学させ、自宅にひきとって親切に指導したという。A氏:朝鮮の近代化にも熱心になったんだね。私:1881年には諭吉は「西洋諸国が東洋に迫ってくるのは、火が蔓延してくるようなものだ。 日本だけ不燃建築にしても、近くの国が古い木造家屋のままでは類焼のおそれがある。 彼らも不燃建築にしなくてはならない。 そのためには脅迫することも辞さない」というようなことを言っているという。A氏:朝鮮相手とせずという態度がガラリと変わったね。私:1883年には朝鮮で新聞を発行するため、二人の弟子を朝鮮に送る。 この二人のうち、一人には「朝鮮側の自主性や習慣を重んじる」ように言いながら、もう一人には「日本以外の他の国が指導するわけにいかない。朝鮮を指導するのは日本の権利であり義務だ」という。 この矛盾が諭吉の中に共存していたんだね。A氏:1884年の例の3日天下の甲申政変のクーデターを起こした金玉均は、朝鮮の文明開化運動について諭吉から物心両面の支援を得ていたね。 甲申政変は日本政府と諭吉らの民間が一体となってやらせたという説もあるね。私:クーデターに失敗した金玉均は日本に亡命してくる。 諭吉は、この3,4ヶ月後に「脱亜論」を出すんだね。 朝鮮を「開化の誘導に価しない国」と見限る「訣別の辞」となるね。 金玉均のクーデター失敗に相当がっかりしたんだろうね。 中国の開化の遅れに対しても同様の考えだから、日清戦争は「文明の日本が野蛮の清に対する戦争」と論ずる。A氏:なるほど。 朝鮮の人でこれを知っている人は福沢諭吉に反感を持つわけか? しかし、諭吉は同じアジア人として、開化が遅れて、西洋にやられるのにイライラしていたんだろうね。 しかし、朝鮮側は「善意の悪政」と受け取る。私:勝海舟は逆だったね。 「脱亜論」には反対する。 だから、昨日の日記にあった何度も担ぎ出された朝鮮の大院君とも互いに敬意を表する仲であったという。 彼は日本が「西洋型近代国家」になることに反対だった。 「武士道」の新渡戸稲造は海舟を高く評価しているというね。 諭吉は、当時、文明諸国と平等に付き合うには、「宗教も西洋風にしなくてはならない」と言い出す。 キリスト教化だね。 仏教は未開発な国の宗教だというわけだ。 諭吉を知る人は、今は韓国には少なくなっただろうが、こういう一面も一万円札の諭吉にあったことをわれわれは、アジア人の常識として知っておくべきかもね。 もっとも、「福沢諭吉の真実」という本では、これらの韓国批判は諭吉本人の文章でないという。 相対的思考としてはそちらの知識も得る必要はあるがね。
2007.03.30
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私:岩波新書のシリーズ日本近現代史10巻の第3巻だね。 この巻は、第1回総選挙の明治23年(1890)から、日露戦争に勝ち、明治43年(1010)の日韓併合までの20年間をカバーしている。 俺たち世代は、小学校を戦中で過ごしたので、何か日本の近現代史を知っているように錯覚していたが、改めて読むと、ほとんど知っていないね。 これでは、被害を受けた近隣のアジア人ときちんと対応できる自信がないね。 今の学生がほとんど日本の近現代史を学校で勉強しないで卒業を迎えるのと似ているね。 特に、日清戦争の日本近代史での重要性を改めて知ったよ。 そのせいか、この新書は240頁ほどあるが、日露戦争関連の説明は20頁ほどしかない。A氏:でも、日露戦争のほうがはるかに規模が大きいし、大国ロシアを負かしたという点で画期的な出来事ではないの?私:実は、日清戦争の戦後がすでに日露戦争の戦前とダブっているんだね。A氏:日露戦争は日清戦争の継続の一つということかね?私:この本を読むと一言でそんな感じを俺は持ったね。 しかも、日露戦争の最後が日韓併合であるように、韓国をめぐる清とロシアの対応でつながっているね。 いずれも、中心に朝鮮がある。 韓国をめぐって、清と対立したのが日清戦争、ロシアと対立したのが日露戦争ともいえるね。 日本はどうしても韓国を手元に置きたかったんだね。 しかも、日清戦争は、アジアの文明が遅れた中国と日本のアジアの国同士の戦争だった。 それが小国の日本が勝った。 「清は弱い」ということで逆にフランス、ロシア、ドイツ、イギリス、アメリカが清の植民地に乗り出すきっかけともなっているね。A氏:まさか、清という大国が、日本に簡単にやられると思っていなかっただろうね。 欧米諸国の寝ていたトラの尾を踏んでしまったんだね。 各国が一斉に清の植民地化をすすめだす。 それで日本だけによい餌を与えまいとして三国干渉が生まれるわけだね。 それにしても俺も改まって、なんで日清戦争が始まったのかと考えるとよく知らないね。私:朝鮮内部は壬午事件、甲申政変などの内乱があり、その都度、清と日本軍が進駐した。 一時、安定していたが、1894年、東学農民戦争が起こり、政府が清に援軍を要請したという報告から、伊藤内閣はすぐに対応して朝鮮にかなりの大軍を派遣する。 ところが、その後、農民軍は和約して解散したため、日本軍がいる意味がなくなった。 そこで駐留目的を「朝鮮の内政の改良」にという決定に変えて対立を煽ったかたちだね。 だから、日清戦争というけれど、戦場は朝鮮が中心だね。A氏:日清戦争で、日本軍は明治政府以来の徴兵制の軍隊が国を出て戦争することになるんだね。私:だから、海外の生活体験を初めてする平民が生まれることになるね。 その多くは、上陸して感じたのは「不潔」と異様な「におい」だったという。 それから、過酷な夏の暑さと冬の寒さだったという。A氏:それは心理的に差別につながるかもしれないね。私:日清戦争に関連して大変だったのは、むしろ、台湾戦争だったろうね。 そして、日本ははじめて植民地みたいなものを抱え込む政治体制になる。 そして、本格的な日本帝国体制がここではじまることになる。 一方、政治は議会政治、政党政治が叫ばれるようになる。 一時、行政府へ政党内閣が構造的に介入でき、官等歴階という年功序列で保たれてきた官僚秩序は崩壊しそうになる。 官僚制を目指す山県有朋たちは危機感を持つ。 そして、官僚には文官任用令をしく。 これに最も反対していたのは伊藤博文で彼は政党内閣を展望しており、山県有朋と大きく異なっていた。A氏:伊藤博文と山県有朋がそれぞれ描いている「国のかたち」が違うんだね。 日本は伊藤博文の道を進まず、山県有朋のほうに進むんだね。 その年功序列の官僚制が今、天下りで問題になっているね。私:日清戦争の結果、列国は清国を植民地化しようとする。 ロシアは清に軍を派遣した。 列国は協議して、ロシアは撤兵することにきまるが、約束した期限通りに満州から撤退しない。 これが満州と朝鮮を一体と考え出した日本と対立する。 最後にロシア側が日本案を呑むという妥協をしたが、その電文が東京に届かず、戦争は開始される。 日露戦争は両国にとって戦わなくてもよい戦争であったという。A氏:なんで電文が遅れたのかね。私:開戦を前にして満州地域で日本軍が行っていた電信線破壊のためではないかという。 ところで、この本を読んでいて驚いたのは、明治天皇がかなり深く政治の決定に参加していることだね。 内閣などでもめると天皇の裁可をさかんにお願いしている。 そして、かなり的確な指示を得ているね。A氏:いわゆる天皇親政だね。私:政党内閣も嫌っていて、明治天皇は人事に介入している。 昭和天皇は明治天皇にならって親政を嫌ったというが、どうも事実と違うね。 自殺した近衛文麿が昭和天皇にもっと親政を期待していたのもわかる気がするね。 最近、文藝春秋4月号で「小倉侍従日記」が公開されているが、昭和天皇が明治天皇のように親政していたら、日本の歴史は大きく変わっていたろうね。 歴史にイフがないのは悲劇だが。 日露戦争が終わり、次の大正時代には戦争がないね。 第一次世界大戦は日本はほとんど戦っていないしね。 民主化が進む。 そこで次のシリーズ第4巻は大正デモクラシーとなるね。 これはまだ、来月発売かね。 期待したい。
2007.03.19
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私:中村氏は言語学者だ。 このCDは1時間ほどの國學院大學の2001年の公開講座の録音だね。 君は源義経を読むきに「源の」と「の」を入れるだろう?A氏:なるほど「の」がかくれているんだね。 意識しないで読んでいたよ。 漢字だけだと、「の」はないものね。私:実は源は「みなもと」と分解できるが、昔は、「な」は現在の「の」の機能を持っていたんだね。「みなもと」は「水の元」で、この「の」が「な」となっているんだね。 「眼:まなこ」がそうで「ま:目」+「な:の」+「こ:子」の合成だね。 「つ」も以前は現在の「の」の役割を持っていた。A氏:例えば?私:「まつげ」がそうで、「ま:目」+「つ:の」+「け:毛」と分解できる。 「沖つ白波」も「沖の白波」の意味だね。 「だ」も昔は現在の「の」の機能を持っていた。 「けだもの:獣」は「け:毛」+「だ:の」+「もの」と分解できるね。 「くだもの:果物」も「く:木」+「だ:の」+「もの」と分解できる。A氏:木になるものだから、果物か。私:「隠れている『の』」がある。 君は「榎」をなんと読む?A氏:「えのき」だね。 アレッ、「の」が出るね。私:ところが幕末で有名な「榎本武揚」は「えのきもとぶよう」とは言わないね。 「の」にはかって主客を示す「の」が多かったらしいが、歴史的に減ってきているらしいね。 芥川龍之介は逆に多用したという。 主客を示す「の」は「が」に変わってきているとのこと。A氏:主客を示す「の」とは?私:例えば、「雪『の』降りたるは」は「雪『が』降ったことは」となるね。 それから、連体格の「の」というのがある。 人物画を前にして「これは誰の絵?」と質問を受けたとき、君はどう答える?A氏:場面によって違うね。 「誰の絵」が「誰が描いた絵」か、「誰が所有している絵」か、「誰を画いた絵」か、どれを意味しているかで答えが違うね。私:日本語は、文自体で場面を確定できなくて、正確な理解にはその背景となっている場面とのつながりが不可欠だね。 そういう意味で、昔、「よりの」、「からの」、「への」というものの移動を示す表現は少なく、「の」だけで表現されていたという。 古文で「京の御文」というのがあるそうだが、これは「京からの手紙」と現代では言うだろうね。A氏:正確に表現しようという歴史的な変化もあるんだね。私:しかし、同時に、翻訳語の影響のせいか、あいまいな「の」の使用も増えていて、好ましくないとしているね。 例えば、「X氏の援助」というのは、X氏が援助するのか、X氏が援助を受けるのか明確でない。 「叔父の援助」も同様だね。 昔は、このような使い方の「の」はなかったという。A氏:「日本語にはもともと主語概念はない」というように、日本語は表現は簡単だが、文だけではあいまいになりやすいね。 マニュアル向きでないね。私:だから、日本文はマニュアルだけでなく現場での説明が不可欠なんだね。 現場主義だね。A氏:主語を明確にして「私はあなたを愛します」なんて英語的な日本語を使ったら相手は逃げてしまうかもしれない。 主語なしの簡単な「好きだよ」のほうが、意志がスムースに通ずるだろうね。私:英語は例えば、「机」という名詞一つ表現するだけでも、単数か、複数か、単数の場合はaをつけるのかtheをつけるのか、明確にして文を表現しなくてならない。 日本語はそういう配慮は、文章上、必要ない。 それに英語は、動詞も、現在、過去、過去完了と時制を考えといけない。 表現に規制が多いが、文章だけで正確な伝達にはなるね。A氏:日本語は文章表現は楽だが、背景とセットにしないと正確に伝わらないね。私:最後になるが、文の最後につく「断定の『の』」があるそうだ。 「もう、いいの」という「の」だね。 この講演している中村氏は年頃の娘さんがいるそうだが、この言葉を常に言われて困っているそうだ。 この文にイントネーションをつけると疑問文になり、意味がガラリと変わる。 「もう、いいの?」 このほうが優しい感じとなるがね。
2007.03.17
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私:先週、アマゾンからメールが来て、チャンドラーの「ロング・グッドバイ」の村上訳が発売となり、予約の情報だったので、予約した。 先週末に宅配便で到着した。 2000円なので送料無料だね。 意外に厚く、訳者のあとがきが45頁くらいあり、全部で580頁の大作だね。 ちょっと、簡単に読み終わることは不可能だね。 A氏:今朝の朝日新聞でもとりあげていたね。 すでに、文芸評論家の池上冬樹氏が、約半世紀前の清水訳の「長いお別れ」との比較読みをしてその印象をのべているね。 清水訳は声に出して読みたい明快なハードボイル、村上訳はじっくり味わう都市文学だという。 そして、村上春樹氏はハードボイルドという言葉を意図的に避け、「準古典小説」と言っているので、これを機に、ハードボイルド復活を期待する作家大沢在晶氏は渋い顔をしているという。私:もともと、村上氏はハードボイルドの作家ではなかったからね。 それに題名も英語にこだわって「ロング・グッドバイ」と意図的に日本訳を避けている。A氏:新聞では英語のqueenは清水訳では「女王」だが、村上訳では「おかま」と訳しているとあるが、かなり時代の変化もあるんだろうね。 ところで、前の「長いお別れ」の日記で清水訳で理解できないいくつかあげていたが、村上訳で納得できたかね。私:3箇所あるね。 まず、3章の始めのところ。After the society page dog vomit even the wrestler looked good. But the facts were probably right. On the society they better be.清水訳「社交欄の"犬"がゲロを吐いた後では、レスラーさえ好ましく見えた」村上訳「犬の嘔吐物のような社交記事を読んだ後では、プロレスラーたちでさえ善良そうに見えた。 しかし、たぶん書かれていることはすべて事実なのだろう。 新聞の社交欄で嘘っぱちを書いたら、ただではすまない」 犬のゲロは村上訳が分かりやすいが、何故、ここでプロレスラーが出るのか意味不明。 もっと日本的に言うと「やくざどもでも善良に見えた」とか「ごろつきが善人に見えた」というような意味かね。 清水訳はBut以降はとばしている。 訳をとばすのはこの人の癖だね。 村上氏はとばしていないが、かなり意訳だね。A氏:2箇所目は?私:11章のはじめのところ。I switched on the buzzer to the other door and filled a pipe and lit it and then just sat there waiting for somebody to scream for help.清水訳「もう一方のドアのブザーのスイッチを入れて、パイプをつめ、火をつけて、椅子に座り込み、誰かが助けてくれと叫ぶのを待った。」村上訳「ブザーを押してもう一つのドアを開錠し、パイプにタバコを詰めて火をつけた。そして腰を下ろし、誰かが悲鳴を上げて助けを呼ぶのを静かに待った」 ブザーのスイッチをオンにしただけなのか、開錠したのか、両者の訳が異なるね。 英語的には清水訳のほうが正しいと思うがね。A氏:第三点は?私:13章の最後のほうだよ。The case is closed, finalized, and laid away in mothballs.清水訳「事件はもう終わったんだ。虫除けといっしょにしまわれちまったんだ」村上訳「この事件はすでに片がついて、はんこが押されて、防虫剤とともに押入れに仕舞い込まれた」 村上訳のほうが説明が多いね。 まぁ、53章あるからね。 これからボツボツ読んでいくよ。
2007.03.14
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私:この著者の文藝春秋の記事はすでにとりあげたが、この本は、ソニーの成果主義批判の本ではなく、その問題の原点をさぐっていく本だね。 図書館で予約しておいたのが順番が来たので読んだよ。 初版は昨年秋だね。A氏:マネジメント革命というけれど、何が革命なの?私:マネジメントは人を扱う。 だから、人とはどのように動くのかという見方が底にある。 成果主義の問題点の底には、働く人の人間観がある。 それは、組織や人間が合理的に動くという発想だね。 労働者は商品だという見方もある。 しかし、現実はそんなに人はそんな単純なものではないから、矛盾が生まれる。A氏:成果主義とは限らず、昔から管理を強化して、近代的な経営手法を導入すると企業がおかしくなると言われていたね。私:だから、氏は、人の仕事への心理的動きから深く追求する。 内発的な動機を重視するが、これはすでに成果主義の本場のアメリカでその反対を行く「フロー理論」が生まれていることをこないだの文藝春秋の記事でも紹介した通りだね。 フロー状態とは、行為に集中している状態で、これはスポーツでも同様だね。 フロー状態にはいる条件は、目標と能力がバランスしていて、状況を自分でコントロールでき、内的動機に基づいていることだという。 だから、基本的に誰かの指示・命令によって行動するのではない。A氏:マネジメントが指示・命令を控えることがポイントになるんだね。 外的動機というは、他人の評価を気にして仕事をすることだね。 成果主義はまさにそれだね。 それはフロー状態を作らないことになるね。私:興味があったのはテニスの例だね。 内的動機に偽の要求があるというのだ。 テニスだと、プレイ中に「ボールから目を離すな!」「ラケットは振り切れ!」「センターに返せ」と自分自身に叱咤、激励をしている自己があるときがある。 これはコーチなどの指示・命令が内部にいるだけで、本当の自己ではない。 これをセルフ1というが、本当の自分(セルフ2)に集中すると自我意識もなく、自己評価もない。不安、不信もない。 快く落ち着けるリズムが生まれ、急速に仕事が進むのもこういう状態のときだという。A氏:すると、マネジャーが指示・命令をあまりしないとなるとどういうマネジメントスタイルになるのかね。私:成果主義の管理型マネジメントに対して長老型マネジメントとしている。 しかし、この長老という言葉はよくないと思うね。 だから、誤解しないように、著者は例えば、インディアンの長老のようなイメージで説明している。 細かい指示を出さず、メンバーの自律性にまかせ、空気のような存在だが、皆安心して動けるように配慮している。 しかし、緊急の場合は全面に出る。 司馬遼太郎の「坂の上の雲」から、大山巌元帥の例もあげている。 彼は細部は児玉源太郎らにまかせる。 しかし、万が一、失敗したら責任は自分がとる。A氏:仕事の目標はどうするの?私:上からおろさない。 チーム間で共有する。 元京セラ会長の稲盛氏のいうアメーバ経営だね。 チーム活動は日常で自然に入ってくる情報で把握し、管理型のように報告を強制しない。 徳でおさめ、権力でおさめない。 最終目標は、業績でなく、人を育てることにある。 管理型では、勝ち組は自己の力以上に、自己の能力を過信しがちになり、他を低く見る。 長老型では、人は成熟するので謙虚になり、間違いも隠さない。A氏:そうすると管理することが職務の人は、「管理する」ことをある程度、放棄し、「管理しない」ための学習と行動を身につける覚悟が必要だね。私:「マネジメントは、指示・命令によって組織をコントロールしなければいけない」という誤った信念が、ダメ上司を誕生させる最大の原因だという。A氏:この長老型マネジメントは過去の日本式経営に近いのではないの?私:例のISO9001などのアイエスオーのマネジメントシステムに対して反論があるね。 これは指揮命令に基づくマネジメントシステムだと批判して、トヨタなどの日本式をメンバーがシステムとして共同する型として対比して本を出していたイギリスのコンサルタントもいるね。 このコンサルタントはデミングを研究していたが、デミングも目標管理には批判的だね。 先の稲盛さんも仏教的な深い人間観をもとに人重視のアメーバ経営を提唱しているのも同じ考えだね。 人は商品ではないのだからね。 「希望の国」はそういう長老型マネジメントの国であるべきかもしれない。 もっとも、今、日本のマネジメントは、御手洗構想のもとでアメリカの尻を追いかけているがね。 御手洗氏は「希望の国」にはイノベイションが必要だというが、こういう労働を商品と考えないマネジメントのイノベイションも必要ではないの?
2007.03.07
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私:今回の芥川賞の受賞作品は、珍しく、選考委員の石原慎太郎と村上龍がべた褒めだね。 受賞者の青山七恵氏は、24才で都内の旅行会社に勤務している女性という。 今月の文藝春秋に全文掲載していたので読んだよ。 A氏:主人公の女性は何かフリーターでアルバイト生活をしているということではないの?私:主人公の女性は、20才で、コンパニオンのアルバイトをし、次に昼に電車の駅のホームの売店の売り子のアルバイトもやる。 職を転々とする。 母親が大学に行く学費を出すといっても勉強は嫌だという。 アルバイトで月10万円くらいの収入になるのかね。A氏:それではワーキングプアになるのではないの?私:それが母親の紹介で老婆が独りいる一軒家に同居するから、暗さがない。 それに母親がひそかに仕送りをしているようだね。 母親はインテリらしく、収入があるようだね。 職場の男と恋愛し、失恋し、売店の売り子もコンパニオンもやめ、最後に事務のアルバイトで昼間の8時間の勤務をするようになる。A氏:君の日記の「家族依存」タイプの若い女性かね。私:しかし、母親とは別居を選択して一軒家に住んでいるのでネットカフェ難民のように、ひどい貧困に悩むことはない。 孤独に深く悩むわけでもない。 職場が変わっても、職場の人と気軽に会話するし、付き合う。 面白いのは同居している老婆とのかかわりあいだね。 それと老婆のボーイフレンドになる老人が登場する。 しかし、異なった世代との深い葛藤はない。 扱われている現実は、実はかなり深刻なんだがね。A氏:最後はどうなるの?私:事務のアルバイト会社で正社員となる。 正社員になったのでその会社の寮に入ることになり、老婆との同居生活は1年ほどで終わる。 石原慎太郎がコメントしているように、今の日本は平和ボケなのか、深みのない虚無的な時代だが、この小説も主人公が二人の恋人に順次去られても、深い悲しみもない。 淡々と生活が流れていく。 だから、選考委員によっては、この小説には波乱がないという人もいるし、退屈だという人もいる。 俺も、こういう系列の現代小説はどうも好きではないね。 この知的街道では、「八月の路上に捨てる」、「フルタイムライフ」、「泣かない女はいない」、「博士の愛した数式」、「薬指の標本」の系列だね。 古い世代の人間のせいかね。A氏:けれども、今の世の中は、そういう軽い時代になっているのではないのかね。 トリックスターの村上氏も、会社の社会的な貢献を生かすという大義名分と金儲けとの葛藤がないようにね。 「金儲けは悪いですか」とケロッとしている。 毎日のような殺人のニュースは生死との葛藤なしで簡単に殺す今の社会を反映していると思うね。 石原慎太郎は、その時代の軽さを意図的に軽く描いた作者の冷ややかな視点を評価しているのかね。私:だから石原慎太郎は、これから彼女が今の世界から踏み出して、もっと深い世界にかかわるとき、その深さをいかに描くかに興味があるとしているね。 しかし、下宿の窓先から駅のホームの端の人の顔が見られるという設定は確かにうまいね。これだけが、唯一、現実世界とのつながりを残しているような気がする。 だが、駅や電車の音になれたとあるが、その騒音の描写がないのが気になったね。 駅のアナウンスの声とか、電車の音とか---。 そういう社会的な音も作者は意図的に無視して都会の孤独を浮き立たせたのだろうか。
2007.02.22
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私:1999年、著者はフロリダ州フォーと・ローダーデールという保養地のドラッグストア「ウォルトグリーン」で安売りの一着のTシャッツを買う。 このTシャツはどこで作られ、その綿花はどこから得られたのか。 ここから、著者のTシャツの旅が開始される。 アメリカ、中国、アフリカという3つの大陸を股にかけた何千キロの旅を数年間にわたって行うことになる。 原題は「グローバル経済でのTシャッツの旅」だね。 新刊だが図書館で大分待って借りたよ。 著者は実際に世界中の旅に出かけ、現場を見たり、現地の人々にインタビューしたりする。 そして、単に現在だけでなく、歴史的な追及も交える。 抽象的な議論でなく、固有名詞中心のドキュメントだね。 だから、エンターテイメント・ドラマのように引っ張られて行くね。 ところで、君はTシャツを作るのは中国が有名なことを知っていると思うが、その原料である綿花はどこで作っていると思うかね。A氏:インドかな?私:残念。 アメリカなんだよ。 アメリカは世界最大、最強の綿花生産国なんだ。 インドは年間20トンくらいだが、アメリカの生産は80トンを超える。 かっての奴隷制度時代と違い、アメリカの綿花産業は政府機関、大学、研究機関などの統合システムが背景にあり、機械化などを進め強力な競争力を獲得している。 今は、綿花の手摘みはなく、機械化している。 それから、原綿10トンからTシャツになるのはせいぜい2.5トンだ。 後の種などの雑物は、今はすべて何らかの商品になっていて捨てるものはない。 だから、後進国のインド、アジア、アフリカは労働者の教育レベルも低く、技術との関係も統合的でなく、競争にならないという。 グローバル経済でも低賃金だから有利だということにならないね。A氏:そうして、綿花が中国に渡るのか。私:圧縮されて上海に向う。 中国は米国綿の最大の買い手だね。 上海郊外の国営工場で綿花から糸になり布になり、手間のかかる縫製工程に進む。 ここが安い人件費が求められる工程だね。 中国は世界最大の衣料品輸出国だね。 今、中国では国営でも競争が激しいようで、厳しくなっているそうだ。A氏:その中国の低賃金労働は、労働条件もかなり厳しいのではないの?私:そうだね。 ここで著者は、繊維製品の歴史をさかのぼり、それがグローバルに動いていく歴史、それに対する従来の業者の政治的な保護要求の歴史を描いている。 まず、19世紀のイギリスから始まる。 低賃金で肉体的に男よりよく耐える農村女性が中心となる。 こうして、イギリスは20世紀初頭まで得綿製品の輸出大国になる。A氏:それがアメリカに抜かれるわけだね。私:そうだね。 より低賃金のアメリカのニューイングランドに繊維工場が建ち並び、20世紀始めにはイギリスの生産を追い抜く。 その労働条件も悪く、1日12時間労働、週70時間以上働いたという。 寮にいて監視されたという。A氏:ニューイングランドから中国に低賃金を求めて移動したのかね。私:中国に行くのはもっと後で、その前に、アメリカ国内での移動がある。 より低賃金の南部への移動だね。 これも労働者は田舎の貧困層から連れてこられた。 こうして、南部の工場が北部のニューイングランドに勝利を収めつつあった1930年代半ばに日本が登場し、世界の綿製品輸出の40パーセントを占めるようになる。 これも日本の低賃金と劣悪な労働条件が背景にある。 当時の調査では日本の賃金は英米より20から47パーセント低かったという。 「女工哀史」だね。A氏:それからアジアに移動しだすんだね。私:そうだね。 1970年代から、香港、韓国、台湾に低賃金を求めて移動する。 その頃、中国は毛沢東政権でまだ、世界経済の中に入っていなかったが、香港の10分の一といわれた低賃金と農村の過剰人口が待っていたことになる。A氏:中国では戸籍がうるさいらしいね。私:出生の偶然で運命が決まるというが、米国では人種、英国では階級、インドではカースト、中国では戸籍だという。 だから、中国で農村戸籍を持つ者は、都会に出て働くことはハンディがあり、農村からの出稼ぎ労働者は都市戸籍を持つ労働者より、2割長く働き、賃金は4割低いという。A氏:低賃金と劣悪な労働条件を求めてグローバル経済は動くのかね。私:しかし、著者はその間、いろいろな社会活動、政治活動が規制に動き出し、例えば、産業革命当時にあったような児童就労は次第になくなってきたという。 そして、どの国でも農村女性は、工場のある都会に来ることにより、農業の過酷な仕事から逃れることが出来た側面もあるとしているね。A氏:そして中国でできたTシャツはアメリカにもどっているわけか?私:しかし、そう簡単にアメリカに入らない。 アメリカの業界団体が政府に要求する保護政策が待っている。 自由貿易の旗頭のアメリカが繊維・衣料品産業だけに輸入枠という保護を長い間続けているという異常な政治体制があるんだね。 そこに長い間続く、アメリカの政治と業界の関係があるね。 だから、アメリカの中国からの輸入は意外に少ない。 しかし、これらの保護体制は、供給者により力をつけさせることもあると、著者は言うね。 こうして、中国から入った白地のTシャツは、アメリカでいろいろな柄にプリントされ、アメリカの店頭に出るということになる。 著者はこれを買ったわけだ。A氏:これでTシャツの旅は終わりかね?私:もう一つの大きな市場がある。 それは古着だ。 アメリカの富裕層は、クローゼットを新しい衣服に置き換えるため、古い衣料品をマーケットに無料で置いていく。 これを専門にする業者がいて、古着は主としてアフリカに行く。 著者はアフリカ大陸のタンザニアに行く。 タンザニアの人がこの古着を買うわけだね。 この古着市場は政治の介入はなく、完全な市場原理で動いているという。 面白いことに、柄で日本人が好みそうなものは、東京で売られているという。A氏:古着を利用するのは環境にもいいね。私:しかし、アメリカ人は毎年平均30キロもの衣類や繊維製品を捨てているという。 そして、リサイクル率は少なく、85パーセントはゴミとして埋められているという。 だから、業界関係者の多くは、古着リサイクルが持つ潜在的可能性は膨大だと見ているね。A氏:結局、グローバル経済と一口に言っても各国の政治事情、技術の変化など歴史的なものが複雑に絡み合っているんだね。私:その事実を抽象論でなく、Tシャツということにしぼって具体的に取材した点がこの本の参考になる点だね。
2007.02.12
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私:知的街道は労働時間街道の流れで、この本を読んだ。 この本は1992年に発行されていて、今や、現代の労働時間を考えるときの古典だね。 1970年代から始まったオイルショック、日本などの外国企業などとの競争激化、アメリカの製造業の体力低下で、リストラ、企業合併など、アメリカ経済が1980年代以降に急速に悪化していくね。 それとともに、アメリカ人の雇用環境が一挙に悪化していく状況を労働時間という視点でデータをもとに説明しているね。 A氏:日本は当時はバブル期だが、これに10年ほど遅れて、バブルが崩壊し、アメリカと同様に、リストラ、企業合併などがはじまるね。 日本の雇用状態がその過去のアメリカを追いかけているのがよく分かる。私:俺がアメリカの企業を用事で訪問したのは、1973年だと明確に記憶している。 それはこの年の秋、第1次オイルショックの年だからだ。 このときは、アメリカ経済はベトナム特需で絶好調だったが、製造業は日本に押され出してカゲリが見えていたね。 俺が訪問したあるカラーテレビ工場は、2、3年後に松下電器に買収されたね。 しかし、アメリカ市民は良き経済生活をしていて、俺が夕食に招待されたあるサラリーマンの家は広い芝生がある一戸建てで、車も大きく、車庫も独立した小屋だったね。 典型的なアメリカのホワイトカラーの中間層の日常だったね。A氏:その頃から、一挙に、アメリカ市民の生活も低下するのだね。私:このへんはすでに「働きすぎの時代」でふれていることだね。 A氏:日本は逆に、数年遅れたバブル崩壊で、企業はリストラ、企業合併、非正社員の増加、ワーキングプアの発生などでアメリカ型になっていくね。私:この点、フランス、ドイツも経済はよくないが、労働時間はそんなに増えていないと言うのは労働組合が強いからだと著者は言っているね。 いずれにせよ、この本は、経済学に「労働時間」という要素を明確に打ち出した点が画期的だね。 それに労働時間を単に雇われて仕事をする時間だけでなく、家庭での主婦などの時間も含めた点が特徴だね。A氏:家庭での主婦の労働は、電気洗濯機、電気掃除機などで減っているのではないの?私:それがあまり減っていないんだね。 著者のデータでは、これらの家電製品が家庭に浸透する前と週50時間程度の労働は変わっていないという。 それが盲点だね。A氏:何故だろう?私:例えば、電気洗濯機で楽に洗濯ができるようになってから、ちょっとした汚れに敏感になり、洗濯回数が増加したという。 電気掃除機のおかげで今までたまにしかしない大掃除を頻繁にするようになったという。 それにガラクタも増えてきた。 だから、家庭労働時間は変わらないということになるね。A氏:なるほど、その心理がアメリカの消費の源泉かもしれないね。 そして、電気洗濯機や電気掃除機はより性能が良く、安いものが出てまた消費をそそる。 中国などもアメリカのものすごい消費のおかげで世界経済は助かっているからね。私:その消費はアメリカ人の労働時間の増加と関係しているんだね。 消費のための金を稼ぐためにアメリカ人はもっと働く。 労働時間は減り本当の余暇時間は減る。 資本家もそれによって、商品が消費されるから歓迎だね。 「リスかご」の中で労働者は働く。 それは、同時に時間当たりの賃金を低下させている。 著者は、本当に余暇時間がたっぷりできたら、アメリカ人は何をしていいかわからないだろうという。A氏:日本で定年退職となって余暇ができた企業戦士と似ているね。 有名な経済学者のケインズは、経済が効率化していくので「21世紀になったら人は暇をもてあますだろう」と言っていたそうだが、逆になっているんだね。私:著者は、人として余暇を尊重するようにするためには、企業経営の考え方を規制することを打ち出しているね。 ただ、労働と時間の関係は中世では比較的にのんびりしていたというのがあるね。 日本では江戸時代は農業では大変だったようだが、実際にはどうなのかね。 日本の労働時間の歴史的な変化という研究はあるのかね。 日本人は欧米人と違い、本当に伝統的に勤勉なのかね。 A氏:俺はこないだ用事である製造業の中小企業を訪問した。 そしてその若い下請け経営者と話をしたんだが、その経営者は私生活では近所付き合いで、祭りの準備の役員をやっているんだが、その進め方がのんびりしているんだそうだ。 経営では1分の勝負をしているので、初めは、つい、いらいらしてきたそうだが、そういうのんびりしたやり方が伝統的価値なんだと思ってその後は、なれたというね。私:俺がまだ、20才台の頃、高度成長期だから、京浜地区で人手が足りず、東北地方に工場移転が始まった。 移転して問題になったのは、東北の人は都会人より真面目だが、一時、スピードが問題になったね。 それから20年くらい前かね。 沖縄の小さな工場に用事でいったことがあるね。 当時、沖縄の官庁主催の集まりが時間通りに始まらないという問題が出ていたような気がするね。 結婚式もそうだったという。 時間通りはじまらない。 俺が行った工場でも8時30分開始だが、実際に始まるのは9時頃だったね。 2、3年たって行ったら、もう時間通りはじまっていたね。 その意味で、著者はホワイトエグゼンプションのような制度を企業が導入するのであれば、やはり、極端な時間、働かないように、強制的な休暇を設けるようにすべきとしているね。 そうしないと労働時間と余暇という観点からすると、どんどん人は市場の商品だけの存在となり、人でなくなるという。A氏:「リスかご」に入るのかね。私:この本を読んだ後、NHKの衛星第1の夜9時からの「豊かさって何?世界の旅」をちらりと見た。 ノルウエーは国をあげて贅沢をやめ、余暇時間を大事にするキャンペーンをしている姿を描いていたね。 贅沢な外車は、税金が数十パーセントかかる。 時間についてはアメリカと逆で、金を稼ぐための時間は最後に来るという考えだね。 家族や人間として過ごす時間を優先し、質よりも量だという。 税制など、政府規制もムダな消費とそれを維持する労働時間の増大抑制を狙っている。 環境にも優しい国民的な合意だね。 しかも、一人当たりのGNPは日本より高いようだね。 日本は、どうも、市場原理主義に巻き込まれ、次第にアメリカ型の「リスのかご」に追い込まれ、労働時間が増え、家族との接触がもっと減るか、仕事に疲れてイライラして子どもに接するかだね。 ホワイトカラー・エグゼンプション制の結果、アメリカでは、競争に勝ため、土日も出勤して出世しようとする人が増えているようだね。 安部首相の言う早く家に帰るという趣旨と正反対の考えだね。 次にそのアメリカのホワイトカラーの労働時間の実態を知る街道に出ることにしよう。
2007.02.04
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私:この小説は2004年から1年くらいの間、「サンディー毎日」に連載した小説だ。 演劇界をテーマにした小説だね。 500頁という長編だ。A氏:どういう知的興味から読んだの?私:それがよく分からないんだね。 2、3ヶ月前に、何か、書評を見て読んでみたいと思って、図書館に予約申し込みをしたんだが、すでに百人以上の申し込みがあったので待ちとなったんだね。 先週、図書館から俺の番が来たというEメールが来たけれど、時間たっているので、申し込んだ動機を忘れてしまったんだね。 まぁ、最近、硬い本ばかり読んでいたから、息抜きに読み出した。A氏:俺もあまり小説は読まないほうだが、恩田陸氏は現代小説の若手男性作家なんかね。私:俺も知らなかったね。 ウィキペディアによると、今、40才台で、女性作家だね。 「陸」は男名だが、本名は熊谷奈苗(くまがい ななえ)だという。 一昨年、吉川英治新人賞を受賞しているね。A氏:話は別だが、最近の男の子供の名前で一番多いのは、「陸」だというね。私:俺の孫も陸だよ。 とにかく、恩田陸氏のファンもいるようで、有名らしいね。 この小説は舞台演劇界を扱っているせいか、この業界の動きが分かるね。 こういう世界もあるのかと思って面白かったね。A氏:読書は思いがけない世界を知るという面白さがあるね。私:興味あることに、現代小説なのに、この小説にはIT機器が出てこないことだね。 主人公の脚本家も、道具は原稿用紙、鉛筆、消しゴムだね。 せいぜい、携帯電話だね。 会話が多く、生き生きしている。 EメールなどのIT機器を介したコミュニケーションでなく、まさにフエース・ツー・フエースの密度の高い人間関係が描かれているね。 話の展開がうまく一挙に読んでしまったね。A氏:ミステリィーものではないんだろう。私:そうではないが、ややSF的な雰囲気があるね。 とにかく、この本は俺の後、まだ、図書館で数十人の待ちがあるので早く返さないとね。 まぁ、この知的街道は、「八月の路上に捨てる」、「フルタイムライフ」、「泣かない女はいない」、「薬指の標本」の現代若手小説家街道の一つだね。 こないだ芥川賞を受賞した青山七恵氏は、20才台の若い女性らしいね。 受賞作品の「ひとり日和(びより)」のテーマもニート生活らしいから、現代の若者の考えを読んでみたいね。
2007.01.31
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私:著者が1988年に日本の格差社会化を言い出して、論議を起こしたので有名だね。 この本は、その後の反論を受けながら、昨年安部内閣成立直前に出版された。 バランスよく格差問題をまとめた本だね。 いろいろな本を格差街道で読んできたが、日本の格差問題を考えるときの基本的なテキストだね。 新書版だから、簡潔にまとまっている。A氏:俺も君の格差街道に刺激を受けて、読んだよ。 安部総理は、総理になる前から再チャレンジ計画などと言い出していて、格差を否定しなくなったね。 小泉総理はこの格差問題については、「格差はあるし、あって何が悪い」という姿勢だったが、どうやら無視できない実態になってきたようだね。 ワーキングプアの問題も否定できなくなったしね。 これを塩崎官房長官が「新しい貧困」と言って、なんとかごまそうとして、党から反論されているね。 それに参議院の選挙も控えている。私:著者も格差は存在することは認めているね。 しかし、格差層の固定化と貧困層のひどい生活の放置を問題にしているね。 竹中平蔵氏は、経済の効率化のため、格差は避けられないが、敗者には並行してセイフティネットが必要だと言っていたが、肝心のセイフティネットのほうがめちゃくちゃだったね。 階層の固定化は、政治家、医者などに見られるし、教育の格差にも出ているね。 そして、階層の固定化は、本来、目指していたはずの競争の活性化を逆に抑えるという矛盾になる。 そういう日本社会にしたいのかだね。A氏:経済効率を上げるには格差拡大、社会的な不公平は仕方がないというのが市場原理主義の考えだね。私:しかし、経済効率向上と公平な社会とはどちらかを選択するという対立的なものでないと著者は言うね。 これは内橋氏のフィンランドの例と同じだね。A氏:フィンランドは高負担高福祉でありながら、経済競争力は世界トップだという。 教育は公平で大学まで無料だ。 「教育バウチャー」のように市場原理を教育に適用していないのに、学生の学力調査でも日本を抜いて世界トップだね。私:著者は、格差の問題は、結局、どこまで格差を認めるかだという。 二つの見方があり、一つは、上層と下層の差に注目するもの。 この場合、貧困層の存在を容認することになる。 もう一つは上層と下層の存在を認めつつ、貧困者ゼロにするためにどうしたらよいかという考え方。 著者は、貧困層は大きな社会的な問題の原因となるので、後者の考えに立つという。 アメリカの貧困層は「健康格差」があるというね。これは11の格差のうちの「医療格差」に通ずるが、日本のようは健康保険がないから、俺の日記のように「寿命格差」になっているようだね。 アメリカの富裕層の寿命は日本を越えて世界一だ。 貧困層と平均するから、国としては日本が世界一なだけだね。 その日本も健康保険は赤字で危なくなっているね。A氏:この本で面白い話が載っていたよ。 スウェーデンのプロテニス・プレーヤーでボルグという選手がいた。 名選手で巨額の賞金を得た。私:ときどき、審判にかみついていた選手じゃないの?A氏:ところがスウェーデンは税金が高い。 それで彼は、税金の安いモナコに移住した。 ところが、引退後しばらくして再び母国スウェーデンにもどる。私:スウェーデンは税が高いが、社会保障制度は恵まれており、老後の生活に安心感があるからだね。 まぁ、今、政府の動きは日本をアメリカ型の格差社会にしようとしているね。 そのアメリカは、場合によっては、ブッシュ政権の後、格差解消に取り組む民主党の政権になるかもしれないのにね。 そこで最近、出版されたノーベル賞経済学者ジョセフ・E・スティグリッツ著「世界に格差をばら撒いたグローバリズムを正す」にこの知的街道は続く。 氏は、クリントン政権と世界銀行で実際の政策に携わり、さらに世界中を飛び回って見てきた経験を持っているそうだ。
2007.01.30
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私:「グレート・ギャツビー」の原作は1926年だね。 野崎氏はこの本を最初1957年に訳したとのこと。 その後、1974年に「華麗なギャツビー」で映画化されたりして、フィツジェラルドの作品が日本でも有名になったので、1974年に改訳して出版した。 この野崎訳を図書館で借りて読んだよ。A氏:しかし、君は村上春樹訳の「グレート・ギャツビー」を買ったんだろう?私:その前に、まず、野崎訳を読んでおこうと思ってね。A氏:なんでそんな迂回をするんだい?私:いや、村上氏の「グレート・ギャツビー」へのほれ込みがすごいことと、この作品の訳に対する重要性を強調しているからなんだ。 その知的興味が出てきたせいだね。 村上氏は「これまでの人生で巡り会ったもっとも重要な本を三冊あげよ」と言われたら、次の三冊だという。フィツジェラルドの「グレート・ギャツビー」ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」チャンドラーの「ロング・グットバイ」 さらに「一冊に絞れ」となると、「グレート・ギャツビー」だという。A氏:日本ではそんなに評価されていないような気がするがね。私:それは、一つには訳のせいだという。 フィツジェラルドの英語は深いという。 だから、訳がよくないと彼の評価が正確でないというわけだ。 もっとも、彼は自分の訳が最高だとはいっていないがね。 しかし、今までの訳では不満のようだね。A氏:そこで君は例の知的興味とか称するのにひかれて、まず、佐藤訳の出だしを比較したね。私:野崎訳の「グレート・ギャツビー」を全部読んだが、この文章は大きく2つの部分に分かれると思うんだね。 ストーリーをハードボイルド的に淡々と表現する部分と、心理的な内的な部分を表現する部分だね。 こないだの佐藤訳の比較のように、出だしの部分は心理的な内的な部分だね。 おそらく、その部分が訳としてはむずかしいんだろうね。 事実、今回、野崎訳を読んでいて分からない部分があり、そこに該当する部分だけ村上訳を読むとスッキリ理解できる。 なるほどと思ったね。A氏:例えば?私:最初のほうから、つっかかっただけど、例えば、次のような野崎訳がある。「そうだ---最後になってみれば、ギャツビーにはなんの問題もなかったのだ。むしろ、ギャツビーを食いものにしていたもの、航跡に浮かぶ汚ない塵芥(ごみ)のようなギャツビーの夢の後についていたものに眼を奪われて、ぼくは、人間の悲しみや喜びが、あるいは実らずに潰え、あるいははかなく息絶える姿に対する関心を阻(はば)まれているのだ。」A氏:センテンスが長すぎるのか、よく意味が分からないねぇ。私:同じ部分の村上訳は次のようだよ。「そう---ギャツビーは最後の最後に、彼が人としてまっすぐであったことを僕に示してくれた。果たされることなく終わった哀しみや、人の短命な至福に対して、僕が一時的にせよこうして心を閉ざすことになったのは、ギャツビーをいいように食い物にしていた連中のせいであり、彼の夢の航路を汚すように浮かんでいた、醜い塵芥(ちりあくた)のせいなのだ。」A氏:なるほど、スラスラ読めるね。私:実は、この小説を読んでみると、この出だしの部分でこの物語のすべての部分を語っているようだね。 それを村上訳はよく伝えているようだね。 ついでに流れるような原文を掲載しておこう。「No- Gatsby turned out all right at the end; it is what preyed on Gatsby, what foul dust floated in the wake of his dreams that temporarily closed out my interest in the abortive sorrows and short-winded elation of men.」
2007.01.27
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私:格差知的街道からその背景にある労働時間に来た。 この本を読むと、こないだの格差の日記であげた11の格差に追加して、「労働時間の格差」があるね。 どんどん、労働時間が長くなる層と、短くなる層に分離しているんだね。 A氏:長くなる人は、正社員か管理職になる前のホワイトカラーか、それともワーキングプアのように細切れに多くの仕事をこなさざるを得ない人かな。 一方で子育てをしながら、細切れの仕事をこなすパートの増加かな。私:俺はアメリカのテレビドラマのCSIをよく見るんだが、こないだあるスーパーの強盗事件で内部の仲間がいることをCSIが突き止めるというのがあった。 それが深夜の女性のレジ係だった。 彼女は犯行の動機として、週40時間を越えると割増賃金となるが、店長がそれを嫌がるため38時間しか働かせないという。 それで5年たっても昇給もない。 子どもの虫歯さえ治す金がないという。 離婚しているらしい。A氏:こういうテレビドラマにも、アメリカの労働事情が出ているね。 この場合は、労働時間の抑制だね。私:ところで、俺たちが若い頃は日本は労働時間が長いということで問題になり、残業の抑制からはじまり、隔週土曜休日、そして毎週5日制と20年くらいのあいだに労働時間の短縮がすすんできたね。A氏:いわゆる「時短」だね。 最初、有給休暇の買取なんかあったが、労働基準法違反でやめになり、そのうちに、会社側が強制的に休暇をとらせるようになったね。私:ところが、その労働時間短縮の世界的な緩やかな流れが、先進国で逆転し、長くなりだしたんだね。 この本ではじめて具体的に知ったよ。 特にアメリカの25才から54才の間の層の労働時間は、減少傾向にあったのが1980年代から急速に逆転し、長くなっている。A氏:今まで、俺たちがあこがれていた先進国の人が、仕事を終わり早く家に帰り、子どもと遊ぶというモデルがなくなってきたんだね。 日本では猛烈社員、企業戦士という言葉があった頃だからね。 日本人は働きすぎと言われた。 ところがアメリカ人が働きすぎとなってきた。 アメリカに何が起きたのかね。私:まず、1970年代にオイルショックがある。 続いて、日本を始め他の国との競争が激化する。 リストラや企業合併が始まる。 戦後のアメリカの労使関係に特徴的であった雇用の安定、余暇時間、企業福祉など、われわれがあこがれていたアメリカの中流の暮らしが捨てられ、日本顔負けの猛烈経営が広がる。 1990年に入ると、パソコン、携帯電話、EメールなどのIT機器の発達で仕事が私生活に侵入し出した。 だから、特にホワイトカラーの労働時間が延び出した。 そして、仲間同士の競争が激しくなり、自宅にまで仕事を持っていくことも発生した。A氏:なるほど、ホワイトカラー・エグゼンプションの原点はここにあったのか。 労働時間の短縮ではなく、延長に対する残業代の節約の必要が生まれたわけだ。私:教育再生会議で「唯金論」の丹羽社長は、「土、日に会社に来て勉強したい社員もいる」が現在は出勤手当てを出さないといけないから、ホワイトカラー・エグゼンプションに賛成だと発言したという。 ホワイトカラーの競争が激しくなったのが背景にあるね。 しかし、経営的にはそのくらいの出勤手当ては自主申告にして出したらどうだね。 丹羽社長自身も「唯金論」だね。 そして、家に早く帰って家庭サービスを目的とすると言う安部総理の意図とまったく違って、ホワイトカラー・エグゼンプション制度は、土日も自己責任で出勤する姿を経営者は描いているね。私:労働時間の延長はイギリスでも同様で、過労死は日本だけでなくなり、オックスフォード英語辞典にものるようになったというね。A氏:ドイツやフランスは先進国では労働時間が短いので有名だったのではないの?私:ドイツも延長傾向だね。 週35時間制だが、ある職種は40時間労働になったという。 背景に経済の停滞があり、企業側に、賃金が低く労働時間の長い東欧や中国、あるいは他の途上国に仕事を持っていくと言われると労働側も妥協せざるを得ない。 フランスは2000年に週35時間制まできたが、見直しの動きがあるという。 すでに弾力的に運用すべきであるという法案が採択されたというが、激しい労使の闘いは今後も続くと予想されるという。A氏:今まで、先進国の20世紀型資本主義は、経営側も労働者側も利益を享受していたのが、21世紀型は、経営者側が利益を享受しても、労働側はますまず、貧乏になるという昨日の日記のようにマルクスのいう資本対労働の対決型になっているね。 だから、働時間が長くなる背景があるね。私:一方で「なんでそんなにあくせく働くのか」という見直しの考えもあるね。 考えてみれば、資本対労働といっても、労働者は資本が提供する商品やサービスの消費者でもある。 資本は消費の要求にそったものを提供する。 あるいは消費者は資本が提供する中から好みのものを消費する。 消費する商品が品質が良くて安く、提供されるサービスが安くて便利で迅速なほど、好まれて売れる。 しかし、それは同時に労働の変則性や長期化を生むのではないかね。 早く家に帰ってゆっくり家庭サービスというわけにいかない。A氏:消費者も考えないといけないのかね。 君の年賀郵便の日記のようにネ。私:宅配便の便利さ、アマゾンで1500円以上の本は送料無料で翌日に欲しい本が入手できる便利さ、コンビニの便利さなどの裏には不規則な労働時間があるね。 それに問題なのは、環境問題だね。 この本ではあまり環境問題にふれていないが、グローバル経済で、資本が利益を追求し、どんどん労働者が世界中で長時間働くということはそれだけエネルギーを24時間使うことを意味するね。 この面からも考えないとね。 この街道はまだ続きそうだね。
2007.01.26
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私:この本は、この前の日記でふれたね。 野口氏の本は初めて読んだね。 経済は俺の専門ではないが、論旨が明快で読みやすいね。 野口氏は、日本経済が回復したのは認めるが、新しいビジネスモデルの展開による経済回復でないという。 本当の回復でないので、悲観論だね。 小泉さんは従来型の産業構造を延命させただけだという。 そして、日本企業の利益率は依然として外国企業と比較すると低いという。A氏:グーグルのような産業構造を変えるような企業は出ていないからね。 ライブドアとグーグルを比較すると分かるね。私:郵政民営化も20年前なら意味があったが今は意味がないという。A氏:郵便貯金も結局、国債の引き受け手になるだけだものね。私:だから、民間銀行と競合しないという。 民間が引き受ける国債を肩代わりしてくれる。 第一、郵便貯金を有効に運用する人材が育っていないという。 むしろ、民営にすべきは破綻状態の年金だという。A氏:格差問題はどうだね。私:あまり論じてはいないね。 しかし、小泉改革の税制で相続税の低減は、格差固定を促進すると批判的だね。 役員報酬も業績連動の役員報酬は法人税で損金扱いとした。 これも労働者の賃金が減っているが、役員報酬が増加している原因かね。A氏:地方の改革はどうかね。私:野口氏は悲観的だね。 地方も中央も地方分権型を本当に望んでいないという。 地方交付金制度は1940年からだというから戦前からの制度だね。 経団連の前身の「統制会」というのも1941年に設立されているという。 戦前を引きずっているね。 経団連会長の御手洗氏はキャノンのトップだが、キャノンのホームページを見ると「キャノンの企業理念は共生」とあるのは集団的だと批判的だね。A氏:少子化についてはどうかね。私:もう子どもを増やしても遅いという。 それは人口依存率が増加するからだという。A氏:人口依存率とは?私:14才以下と65才以上の人口の和を15才から65才の人口で割ったものだね。A氏:要するに、老人を養うとともに、増えた子どもも養うことになるということだ。 働く階層に負担が両方でかかると言うわけだね。私:氏は日本の農業と流通業は生産性が低いので、これを向上することを提唱しているね。 そうすれば、少子化対策になるという。A氏:グローバル経済についてはどうかね。私:過去は企業の業績向上が賃金に波及していくという形を取ったが、1990年代から経済のグローバル化が進み、大きな構造変化が生じ、それは期待できないという。 中国などの旧社会主義経済圏が資本主義経済に参入し、安価で良質な労働力が急激に増加したことだね。 これとの競争となるね。 すなわち、21世紀型のグローバリゼーションの目的は資本の利益のためだね。 20世紀型の場合は、最終品を輸出していたので、利益はそれを作った先進国の労働者に一部分配されたが、21世紀では先進国の国内の労働が減少し、かつ、賃金の低い国と競争させられるので、儲かるのは資本家だけとなり、労働者は世界的な賃金競争に巻き込まれる。A氏:マルクスが言っていた資本と労働の対立図式が世界規模で復活したわけか。 それから、黒字亡国論についてはどうかね。私:これは間違いとしている。 何故なら、日本の黒字の金がアメリカに行っているのは、それが金利を生むからだという。 事実、日本の国際収支で金利などの黒字が貿易黒字より多いという。 「債務国アメリカが債権国日本を搾取している」のは間違いだという。 むしろ、国民の家計の黒字である貯金を長い間、ゼロ金利でつかっていた債務部門の国内企業が債権部門の家計を搾取している。A氏:そのおかげで銀行は莫大な利益を上げるようになったね。私:この本は、その搾取のほうこそ怒るべきとしているね。 本としてはまとまりがなく、バラバラの話題で終わっているのは、「週刊ダイヤモンド」に一年近く連載していたものをまとめたせいかね。 まぁ、日本経済を別の側面から、相対的思考で見るのに役立ったね。
2007.01.25
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私:シリーズ日本近現代史10巻の第1巻だね。 今、第2巻まで刊行されているね。 A氏:君の明治維新の知的興味のはじめは、もともと、太平洋戦争の戦争責任街道からだね。 司馬遼太郎の疑問と同じで、昭和の魔法の原因だね。 俺たちも小学生だったけれどどうしてだまされ、後で教科書に墨を塗ったのか。 それが原点だね。私:まず、敗戦時の責任問題、天皇の責任などに分岐した街道があるね。 別な枝分かれした街道は参謀本部の精神論や日本陸軍の独特の考え方の街道。 そして、原因は明治からあるのではないかという幕末、明治維新にさかのぼる街道だね。A氏:司馬遼太郎同様、次第に敗戦からさかのぼり、明治維新の街道ができたね。 「戊辰戦争から西南戦争へ」、「邪教/殉教の明治:廃仏毀釈と近代仏教」、「明治国家と宗教」、「19世紀 日本の歴史 明治維新を考える」などだね。私:それにしても、幕末で興味があったのは、孝明天皇が開国に反対したことだね。 当時は、幕府のほうが現実的な見方をしており、条約を結ぶほうが国益だと判断して、大名の意見をまとめる。 そして、形式的であるが朝廷の許可を得るために堀田老中が京都に行くが、意外に孝明天皇が条約の締結に反対する。A氏:理由は?私:日本は万世一系の天皇を戴く国であり、他国に例がない。 日本は神州であり、欧米との条約は神州のキズで許すことはできないというものだね。 まったく、周囲の世界情勢を知らない無知な発想だね。 太平洋戦争に突入する軍本部と同じなんだろうね。 この本で詳しく述べているが、当時、鎖国とはいえ、日本はオランダとはつながっており、実に詳細に世界の情報を把握していたんだね。 だから、幕府は欧米と事を構えるということは考えられなかったのだが、朝廷のように閉鎖的なお公家の社会では、そういう絶対的思考が生まれやすかったんだろうね。A氏:いや、それで思い出したんだが、君の日記の「終戦後日記・『頑蘇夢物語』」に敗戦間際に、徳富蘇峰が、松岡洋介氏と話す内容が書いてあったね。 松岡洋介と言えば、かって、日独伊の三国同盟を結ぶときの外相であり、日ソ不可侵条約を結んでスターリンと抱き合った人だ。 その松岡氏が、敗戦が近いのに、徳富蘇峰に日本の国体は伊勢神宮をもとしているから、必ず、神が助けてくれる。 だから、日本は絶対負けないと言っていたという。 万世一系の天皇をいただく神の国という考えは、日本人をしてこういう狂気みたいな考えに導く要素があるのかもね。私:相対思考を失わせる魔法があるのかね。 この「幕末・維新」の本では、幕末から明治新政府ができて明治憲法ができる前までを扱っているね。 従来の常識を多少修正する意見があるね。 幕末では、幕府はペリーと堂々と交渉したこと、イギリス、フランス、ロシアは日本の植民地化には実際には熱心でなく、思ったよりも開国の危機は差し迫ったものでないことなどだね。 それにしても驚いたのは、もう、明治政府は明治初年から、朝鮮政府や中国(当時は清国)に侵略的な強硬な外交をしていたんだね。 欧米の真似をし出すね。 心理的には侵略発想が生まれているね。 それにしても、幕末・明治維新というのは、知れば知るほど、知的な興味が湧いてくるね。
2007.01.20
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私:村上春樹氏が若い頃より愛読していたスコット・フィッツジェラルドの「グレート・ギャツビー」を氏が訳して昨年11月に出版したね。A氏:君の日記にあったね。 君の村上春樹の知的街道はチャンドラー街道から別れてきているね。 「国家の品格」ともつながったね。私:ちゃんと読んだのは「アフターダーク」だけだけれどもね。 今度、この村上氏の訳を購入したよ。 3千円近い豪華版があったが、820円のほうにした。 この本は、図書館でちょっと調べたら下記の題名ですでに多くの翻訳書があるね。1974 華麗なるギャツビー 橋本福夫1974 華麗なるギャツビー 佐藤亮一1974 グレート・ギャツビー 野崎孝1989 グレート・ギャツビー 野崎孝1990 華麗なるギャツビー 大貫三郎1994 偉大なギャツビー 野崎孝A氏:村上氏は自分なりの翻訳をしたかったのだろうね。私:60歳になったら翻訳すると公言していたそうだが、その前に待ちきれず、前倒しして訳したらしい。 この後、チャンドラーの「ロンググットバイ・長いお別れ」の同氏の翻訳本が3月に出版される予定だね。 待ち遠しいね。 ところで、俺の知的興味が湧いたのは、村上氏の「グレート・ギャツビー」訳がすでに訳されている人のものとどう違うかだよ。A氏:なるほど、面白そうだね。私:しかし、上記の6冊と、それに英文を比較していたら、大論文になり、くたくたになるね。 それは物好きな学生の卒業論文にまかせ、出だしの数行を比較することにした。 まず、図書館で上の2行目の佐藤訳「華麗なギャツビー」を借りた。 原書のほうはペーパーブックで千円ほどなので買ったよ。A氏:訳はかなり違うかね?私:もとの英語は同じだから、そう大きく変わっている点はないように思う。 原文の出だしの10行くらいを比較読みして、知的興味を満足させようと思う。 8つにわけて比較する。1.In my younger and more vulnerable years my father gave me some advice that I’ve been turning over in my mind ever since.佐藤訳:私がまだ若く、いまより心が傷つきやすかったころ、父が私に忠告してくれたことがある。それ以来そのことが心から去らない。村上訳:僕がまだ年若く、心に傷を負いやすかったころ、父親がひとつ忠告を与えてくれた。その言葉について僕は、ことあるごとに考えをめぐらせてきた。私:佐藤訳はすっきりしているね。 村上訳は文体が工夫されていて、あるムードを起こすような感じがするね。 「私」と「僕」、「父」と「父親」が違うね。 「父親」というと威厳を感ずるね。 それから、「心が傷つきやすい」は、「影響を受けやすい」のほうが、次の父親の忠告の内容はほめているんだから適切ではないかと思うがね。2.“Whenever you feel like criticizing anyone,” he told me,佐藤訳「だれとは限らないが、他人のことをかれこれと言いたい気持ちになったときは」と父は言った。村上訳「誰かのことを批判したくなったときには、こう考えるようにするんだよ」と父は言った。私:佐藤訳は原文に忠実に文を切っているね。 村上氏は意訳。3.“just remember that all the people in this world haven’t had the advantage that you’ve had.”佐藤訳「世の中は、お前と同じような長所を持った人間ばかりではないということを、よく覚えておくことだよ。」村上訳「世間のすべての人が、お前のように恵まれた条件を与えられたわけではないのだと」私:村上訳はなんで「と」が最後にあるんだろう。「と」をカギ括弧の外に出すべきだろうね。A氏:第一頁に致命的な校正ミスだね。4.He didn’t say any more, but we’ve always been unusually communicative in a reserved way, 佐藤訳:父はそれ以上は言わなかった。しかし私たちはあまり口数を多く語り合わなくても、いつも相手の言う意味がよくわかっていた。村上訳:父はそれ以上の細かい説明をしてくれなかったけれど、僕と父のあいだにはいつも、多くを語らずとも何につけ人並み以上にわかりあえるところがあった。私:村上氏の訳のほうが親切だね。5.and I understood that he meant a great deal more than that.村上訳:だから、そこにはきっと見かけよりずっと深い意味が込められているのだろうという察しはついた。私:この部分は佐藤氏は訳していないで、とばしているね。 何故だろう?6.In consequence, I’m inclined to reserve all judgments, a habit that has opened up many curious natures to me 佐藤訳:そのために、私はすべて判断は控えめにするにようになったが、この習慣のおかげで、ずいぶん変わった性格にもお目にかかったし、村上訳:おかげで僕は、何ごとによらずものごとをすぐに決めつけないという傾向を身につけてしまった。そのような習性は僕のまわりに、一風変わった性格の人々を数多く招き寄せることになったし、私:村上訳のほうはちょっと語句が長いが、分かりやすいね。7.and also made me the victim of not a few veteran bores.佐藤訳:また少なからず海千山千のうんざりする人間にお目にかからざるを得ない羽目にも陥った。村上訳:また往々にして、僕を退屈きわまりない人々のかっこうの餌食にもした。私:「海千山千」は意訳に近いが古い言葉かもしれないね。8.The abnormal mind is quick to detect and attach itself to this quality when it appears in a normal person,佐藤訳:普通の人間のなかに私のような性格の持ち主がいるとなると、異常な精神の持ち主はすぐにそれを見つけて、愛着を感じて寄って来る。村上訳:このような資質があたりまえの人間に見受けられると、あたりまえとは言いがたい魂の持ち主はすかさず嗅ぎつけて近寄ってくるのである。私:「愛着」よりも「嗅ぎつけて」のほうがピッタリするね。 mindを「精神の持ち主」とか「魂の持ち主」としているが、ちょっと重い感じだね。 「変わった性格の人間」、「風変わりな奴」でもいいような気がするね。 これで比較読みは終わり。A氏:ご苦労さん。私:後、野崎孝氏の訳との比較をちょっとしてみたいが、これから少しずつ村上訳に集中して読むことにする。
2007.01.19
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私:昨日、本屋に寄ったらその一箇所に「ローマ人の物語」全十五巻が並んでいたね。 塩野さんがイタリアに住んで15年かかって、完成したんだね。 文庫本もずらり並んでいた。 実は俺は15年前に第一巻から買ってよもうとしたんだ。 地図や図があり読みやすいと思ったんだがね。 五巻まで買ったが積読になったね。 それ以来買ってない。 本棚を探したら、ほこりをかぶって五冊とも出てきた。 これから読もうかとも思うんだが、十五巻となるとしんどい気もするね。A氏:こないだ、テレビで塩野さんと五木寛之氏との対談があったね。 これで、キリスト教とローマとの関係が分かったよ。 ローマは多神教だったせいか、他民族の信仰に寛容だったんだね。 「ローマ人の寛容」だね。 一神教のキリスト教が入ってから変わってしまうんだね。 それが内からのローマの崩壊となるんだね。私:日本も多神教だが、それは日本国内での多神教だ。 ローマは征服した民族の神をそのまま残した多神教だという。 これは文藝春秋2月号の「大ベストセラー『ローマ人の物語』完結」と題して「ローマ滅亡に学ぶ国家の資格」という鼎談で塩野さんが言っているね。 ほぼ同時代の中国では万里の長城を築いた始皇帝がいるが、ローマは壁を作らず、「すべての道はローマに通ず」という道路網を整備した。A氏:壁で閉鎖するのでなく、「開かれた帝国」にしたんだね。私:塩野さんがこの本を書いているとき、調査でイギリスの博物館に行ったら、先方の研究員が塩野さんの仕事を聞いたという。 そこで塩野さんが「15年かけてローマ全史を書くつもりだ」と答えたら、向こうは驚いて「日本人はついにローマ史を書くところまで進出してきたのか」といったという。 それに対して塩野さんは「日本人は自動車や電気製品だけをつくっているわけではありません」と言い返したという。A氏:俺もこの鼎談は読んだが、その意味で「ローマ人の物語」は一神教の毒に染まった欧米人に対する日本人の「知的な殴りこみ」だと鼎談の佐藤優氏は言っているね。私:塩野さんは文藝春秋には連載でエッセイを載せているが、今月号は「世界史の未履修と知って」というエッセイを残しているね。 広大な世界史を1冊の教科書にするのはムリだと言っているが、それは骨格であるから、社会に出てから必要に応じて肉をつけるのがよいとしている。 骨格は必要だという。 塩野さんはイタリアに住んで向こうで息子さんを育てているので、ヨーロッパの歴史教育は詳しい。 それによると小学校は五年だが、ここから歴史教育が始まる。 日本史も含まれる。 次の中学校の3年間でも世界史を学ぶ。 次の高校5年間でも歴史教育がある。 これに使うテキストは世界史全体をつかむには、最適で塩野さんも参考にしたくらいだという。A氏:塩野さんは世界史の必修は賛成なの?私:せめて受験用早分かりのたぐいは捨てても世界史の教科書は捨てないでほしいという。 絶対にいつか役立つという。 小学、中学、高校と程度をすこしずつ上げたにしろ、繰返して歴史を学んでいるヨーロッパ人と話ができるためにもと言っているね。A氏:それにしても現代は、アメリカのローマ帝国みたいなものだね。 それに対して9.11.テロはイスラム教がアメリカ帝国の内側で原理を掲げて譲らない。 それがアメリカ帝国の内からの崩壊になるのかね。 ローマ帝国がキリスト教で崩壊したように。 内橋氏もグローバルな市場原理主義に全面対決しているのは、今、イスラム教だと言う。 ちょうど、冷戦の社会主義と資本主義の対立のように。私:9.11テロの後、アメリカのネオコンがローマの衰亡史を研究したと言われているね。 ネオコンの市場原理主義がイスラム教で崩壊するかもしれないと思ったのかね。A氏:やはり、世界史の骨格くらいは知らないといけないかね。
2007.01.13
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私:北朝鮮の金融制裁から知的興味が出て、マネーロンダリング街道で門倉貴史著「マネーロンダリング」、平尾武史・村井正美著「マネーロンダリング」と読んできたが、どうも北朝鮮の口座凍結のいきさつがピンと来ない点があったんだね。A氏:どういう点?私:アメリカがマカオの銀行にある北朝鮮の資金を凍結できたことなんだよ。 だって、これは中国にある銀行だろう。 アメリカは勝手に国外の銀行の資金を凍結できるのかということなんだよ。A氏:なるほど、そういえばそうだね。 何故できるんだね?私:この橘氏の本がわかりやすく説明してくれるね。 君が1万ドルの外貨預金をしようとして、日本のA銀行に行くとする。 そうするとA銀行は120万円を君の口座から引き落とし、通貨市場で1万ドルに交換し、ニューヨークのアメリカのB銀行にあるA銀行の口座に入金する。 ドルを一々、日本に運ばない。 このニューヨークのB銀行をコルレス銀行といい、日本のA銀行の口座をコルレス口座と金融用語では言うんだそうだ。A氏:そうすると俺のドルはニューヨークにあるのか。私:だから、ドルでの決済は、ニューヨークにある世界各国のコルレス口座間の移動で、別に世界をドル札が走り回るわけではない。 君が決済のため、ハワイのC銀行にドルを送金しようとA銀行に依頼すると、A銀行はコルレス口座からニューヨークにあるC銀行の指定口座に振り替えるだけだ。 しかし、このコルレス口座は、外国の銀行の口座だから治外法権になる。 日本のA銀行のコルレス口座はアメリカの治外法権だね。 マカオの銀行はこのニューヨークのコルレス口座の凍結だねA氏:治外法権なのに、何故、マカオのコルレス口座は凍結できたのかね。私:例の9.11の同時多発テロでできた「愛国法」でテロ資金の追及を優先できるようになって、この治外法権が崩れたというわけだ。 全世界のドル建て外貨準備高は総計3兆4千億ドルだと言われるが、これも日本や中国などの世界各国の中央銀行が保有することになっているが、実はすべてニューヨークのコルレス銀行に預けられているんだね。A氏:なるほどね。 マカオの銀行のコルレス口座はニューヨークにあるから、その凍結だということだね。私:この本の帯は「あなたにもできる!」とあり、18歳未満禁止マークが描かれているが、これは本の宣伝のためで、この本はハウツーものでなく、中味は濃いね。 世界とめぐるマネーの動きが具体例でよくわかる。 カシオなど日本人が被害を受けた国際金融詐欺事件やライブドアの事件も詳しく取り上げている。 それとバチカン銀行やCIAの介入など世界的なマネーロンダリングの歴史紹介は圧巻だね。 まるで世界をまたに駆けたミスティリー小説を読んでいるようだ。A氏:ライブドアはマネーロンダリングに関係あるの?私:ライブドアの金の流れは複雑なようで、個々の流れは単純で違法性は少ないようだ。 だから、検察はマネーロンダリングでなく粉飾決算にもっていったようだね。 この複雑な金の動きは宮内氏が中心でやったようで、ホリエモンは宮内氏の差し出す書類を読みもせず、サインだけしていたという。 ホリエモンは、創業時はともかく、最後は事業に対する興味をほとんど失っていたようだというね。A氏:宇宙旅行に興味を持ち出していたからね。 それで検察は次に村上フアンドにいったのかね。私:一時、村上氏がシンガポールに移住するというような話があったね。 要するに、儲けて税金を払いたくなければ、日本に住んでも、日本国籍を放棄して、税金の安い国に移籍すればよいのだよ。 だから、金持ちに高い税をかけると、逃げてしまうので、かえって税収が減るんだという。 経済のグローバル化でマネーが国境を越え、次いで企業が多国籍化し、今、個人の国籍離脱が始まっているという。 この本では個人の「多国籍化」「無国籍化」こそが、グローバル資本主義の終着点だという。A氏:それでは、国家というものはどうなるんだね。 愛国心はどうなるんだね。私:そういうグローバル化の矛盾に満ちた世界に住んでいるということだね。 実は借金財政、年金危機、賃金カットなどを通じて俺たちの生活にまで深く影響している。 まさに、新しい形の植民地戦争、悪夢のサイクルが始まっているのかしれないね。 ワーキングプアという戦死者を出しながら----。
2007.01.11
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私:昨年12月末に発表になった第33回の今回の大仏次郎賞はドキュメンタリー物の「黒澤VSハリウッド」と時代小説の「花はさくら木」だね。 図書館で予約したら、「花はさくら木」のほうが先に入手できたので、こちらを先に読んだ。 読み出したら面白くて、やめられず、一気に読んだよ。 これは2005年の朝日新聞の連載小説だね。 A氏:時代はいつかね?私:江戸の田沼意次の時代が舞台だね。 この時代は奈良時代からちょうど千年にあたる江戸中期で、日本が独自に育てた文明がひとつの頂点に達した時代だという。 小説は、その背景をうまく取り入れているね。 最初の出だしは、三島由紀夫の「春の雪」の豪華な貴族の庭の池に遊ぶ若い女性の華やかな風景に似ているね。A氏:江戸の時代小説かね。私:従来の時代小説と違い、構想が壮大で、しかも、京・大阪の文化や自然をうまく描写しているね。 従来の時代小説を近代小説的に書くとこうなるんだね。 田沼意次が中心人物の一人として登場する。A氏:例の賄賂で有名な田沼意次かね。私:この小説では田沼意次は先進的な経済改革者として描かれているが、これも江戸経済の話のスケールが大きいね。 朝廷・幕府との政治的・経済的な関係、幕府と大阪商人との対立、大阪の裏経済、それに朝鮮との関係、秀吉の最後の大土木工事の謎、幕府の情報収集など、豊富な歴史的な事実をうまく折り合わせ、そこを貫くロマンがありで、壮大なエンターテイメントの物語となっている。 このように見ると、江戸文化の多様性は大したものだね。A氏:そうなると歴史を知らないと面白みがわからないね。私:そうだね。 しかし、一面、楽しい日本歴史の復習にもなるよ。 日本の時代小説もこういう観点から構成されると、当時の中国や朝鮮ともつながる日本文化の深さを感じながら知的なエンターテイメントが楽しめるね。
2007.01.07
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A氏:君はマンガを読まないのに、なんでこの本を読んだの?私:この本は「文化の多様性」の知的街道からたどり着いたんだ。 それに、日本文化がアメリカに根付くというのは、今までアメリカから文化を一方的に真似ていた姿とまったく逆だからだ。 著者は1986年、34才のとき、たった4人で日本マンガをアメリカ人に読んでもらうベンチャーをアメリカで起こす。 20年の波乱のビジネスの戦いの物語だね。 そして、百人を超す会社に成長する。 この物語を読むと、背景にあるアメリカ文化の多様性を尊重する体質が理解できるね。 それが相対性を生むのだろう。A氏:昨日の司馬氏の多様性、そこからくる相対性だね。 最近、MITで出したグローバル企業500の企業戦略の研究で、アメリカの多様性が力になっているというね。 MITの教授陣の三分の一から半分は米国外の出身だという。 アメリカの強さは、一方で格差問題を抱えながら、一方でその文化の多様性を抱える懐の深さだね。私:著者は別にエリート的な人生を歩いてきたわけでないね。 大学時代は学園紛争時代で、音楽などに入り浸りという生活を送り、アメリカに放浪生活してヒッピーのような生活を送る。 後に、これによる人間関係がベンチャー設立に役立つ。A氏:アメリカでもマンガは古くからあるのではないの。私:日本みたいにサラリーマンが電車でマンガを読むというようなマーケットはなかったんだね。 コレクター中心のマーケットで、そしてマンガは普通の本屋では扱っていなかった。 マンガの流通経路と一般図書の流通経路が違っていた。 そういう市場を相手に、違った日本文化のマンガを英訳して売り込むのだから、やりがいはあるけれど、まさにベンチャーだね。 はらはらする勝負の連続だね。 たしかに心身タフでないとつとまらない。 パートナーは、20年後に健康問題で去っている。 しかし、一方でアメリカの多様性を認める自由の土壌があるね。 超・格差社会の一面だね。 そして次第に日本と同じようにマンガの読者層を広げ、本屋に並べるようになる。 2003年には「少年ジャンプ」がそのままのタイトルでアメリカで発売される。 また、日本のマンガのライセンス料をとる仕事もする。A氏:ポケモンもヒットするね。私:このヒットでこの会社も一時、壁にぶつかったのが幸運に恵まれる。 マンガ文化はヨーロッパにも拡大する。A氏:しかし、日本マンガをアメリカに売り込んだことは日本文化をアメリカに売り込んだことになる。 そうすると、もとになった日本文化の独自性の自覚が逆に問われることになるね。私:著者は日本人の柔軟性がその文化の基礎になっているが、それが次第に失われていることに危機感を持っているね。 著者は日本を離れて30年になるというが、日本の「八百万の神々が住む国ニッポン」の美しい自然を思い起こすという。 日本のいい点を生かすべきだというね。 国際的な多様性だね。A氏:君の12月6日の日記で、クローズアップ現代の国谷裕子氏が似たようなことを言っているね。 すなわち、自分の国のことをしっかり知って、自分の国はこうだとはっきりいえるような知識や自信を持つ人が本当の意味で国際的な場で活躍できるとね。私:当然のことだけど、日本があまり特殊なので、明治維新でもそうだし、敗戦でもそうだし、次第に、日本自身を見失いつつあるようだね。 教育基本法改正で「我が国と郷土を愛する態度を養う」とが明文化されたが、それは重要なことだね。 しかし、まだ、具体論が見えてこないね。 これからの問題だろうが。
2006.12.24
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A氏:文芸春秋新年特別号に「成果主義がソニーを破壊した」という記事があった。 書いているのは、ソニー元上席常務であるということだから、生々しい記事だね。 ソニーは今年で創業60周年を迎えるというが、かっての創業者井深氏の「仕事の報酬は仕事」という考えが消え、煤にまみれた会社になってしまったという。私:その原因が1955年頃から始まった成果主義としているね。 外部のコンサルタントの指導で行われたんだね。 成果主義は、正社員の人件費の削減が最終目標だね。 技術者の内側から自然にこみあげてくる衝動から生まれる技術者の「燃える集団」が消えた。 おカネが欲しい、出世したい、名誉が欲しいという外部の報酬を求める心に変わってしまった。A氏:個々の査定だけでなく、事業部全体の評価で報酬を決める。 だから、事業部間の溝は拡大し、お互いの連携がなくなった。私:実はアメリカでは成果主義に対して、内的な向上動機を重視した「フロー理論」というのがあり、その中心人物であるチクセントミハイ教授の講演を筆者は2004年に聞いている。 その理論の内容は井深氏と同じもので、井深氏の考えを取り上げていたという。 ソニーが活力を失ったのは成果主義のためだ。 ところが、筆者は皮肉なことに成果主義の本場アメリカでは、ソニーをお手本に、成果主義を否定する「フロー理論」が語られているということに大きな衝撃を受ける。A氏:筆者は井深氏のマネジメント・スタイルを「長老型マネジメント」と名づけた。 「長老」とは「徳がある人」だという。 そしてダメ上司を次の6つに分けている。・マイクロ・マネジメント型:細かいことまで介入する。・馬頭観音型:ことあるごとに部下を罵倒、叱責する。・ヒラメ型:常に上を向いている。・逃げまくり型:保身に走り、責任を取らせられないことだけ考える。・放任型:何もしない。・改革かぶれ型:自分を改革のヒーローと位置づけ、自己流にあらゆることを変える。 筆者はこの最後の「改革かぶれ型」は数が少ないが組織に甚大な被害をもたらすという。 このダメ上司が導入した無責任な合理主義経営が社員を痛めつけ、うつ病などメンタルな問題を抱えた社員が増加していると筆者は言う。 昨日の日記の「国家の堕落」で藤原氏は、アメリカのような人口あたりの精神カウンセラーが日本の60倍という世界が待っているというが、まさにその道を進んでいるんだね。 「企業の堕落」だね。 「唯金論」に侵された日本だね。 なお、天外氏は「マネジメント革新」という本を出しているね。 私:2年ほど前に富士通の人事部の人が書いた「内側から見た富士通『成果主義』の崩壊」(光文社刊)があるね。 俺たちの時代には、まだ成果主義が一般的でなかったので、成果主義がピンとこなかったが、この本は具体的に書いてあったのでわかりやすかったね。 例えば、著者本人は、人事部でルーチンワークをやっていたので、確固たる「目標」はない。しかし、「目標シート」を書かなければならない。 そこで「退職に関する稟議が上がってきたら3日以内に処理する」「退職金の計算を間違えない」など、まるで小学生のような目標を「目標シート」に記入し、上司の了解を得たという。 俺はこの例で成果主義の問題点がピンと来たね。 些事は大事だね。 著者が出席したある部の評価会議では、部長の前に、約千枚の「目標シート」が積まれ、その山を見た部長は、評価が嫌になり、個別に見なかったという。A氏:俺もこの本を読んだよ。 この本の著者はその無理な「成果主義」の推進の根底には、それを推進した人事部やコンサルタントの「机上理論」にあることを指摘して、次のように述べている。 「『机上理論』の特徴は、それを振り回す人間に、生身の人間に対する洞察力が欠落している点にある。新しい『評価システム』をつくり、そのマニュアルを従業員に配布しさえすれば、あとは従業員がそれにしたがって完璧に作動するはずだという思い込みである。 人間は部品ではない。 だから、理論やマニュアル通りには動かない。 そんなことは誰にもわかっているはずなのに、彼らにはわからない」 この人事部やコンサルタントは、上記の天外氏のダメ上司の最後の「改革かぶれ型」の典型例だね。 私:今月号(12月号)「ウェッジ」では「ビジネススクールの流儀はもはや人を幸せにできない」という原丈人氏(デフタ・パートナーズ事業会社グループ会長、米共和党ビジネス・アドバイサリー・カウンセル評議会名誉共同議長)の記事がある。 ストックオプション、成果主義など、アメリカのビジネススクール流の考えだね。 原氏は「会社の仕事を通じて生きがいをつくり、その結果として個人も金銭的な冨や社会的な充実感を得る。 その実現のために会社がある。 米国は株価を上げる経営者であればなんでもよいという時代になっている」という。 中長期のことを考える経営者はクビ。 短期の勝負だ。 その結果、営利とは異なる目的を持つ大学や中高等学校を株式会社化しようという完全な間違った発想まで生まれるという。 完全な市場原理イデオロギーだね。 このようなアメリカの手段と目的の取り違えは人々を不幸にすると筆者は指摘している。 そして日本をそのような国にしてはならないと強調している。A氏:「国家の堕落」の藤原氏流に言えば「金儲けのために堕落した企業」、そしてその上に立つ「堕落した国」にしてはならないということだね。私:今週のTVタックルで市場原理主義のアナリストが「企業が利益を出せば、従業員も潤う」から一体だといっているが、リストラの場合、する者とされる者は一体ではないね。 そこにリストラする強者とリストラされる弱者がある。 弱肉強食がある。 その現実を知らない経済アナリストが知ったかぶりでのさばるようになったね。A氏:しかし、今日の朝日新聞の小さい記事で、「労働ビッグバン否定意見相次ぐ」とあるね。 自民党の「雇用・生活調査会」の初会合のニュース記事だ。 衆参両院約40名が参加したという。 政府の経済諮問会議が打ち出す労働市場改革「労働ビッグバン」に対して「我々とは違う意見だと表明し、宣戦布告をしていただきたい」との発言に拍手がわいたという。 会長の川崎前厚生労働相は「希望がかなわず非正社員になった人たちを、正社員の中間層に招きいれる政策こそ必要なのに、諮問会議はひっくり返った議論をしている」と言っているね。 君の格差街道のおかげでこういう小さな記事も気になるね。 この調査会の今後の活躍に期待したいね。
2006.12.13
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私:評判の小川洋子の作品はどういうものか、知的興味で読んでみたよ。 翻訳されて外国でも読まれているらしいね。A氏:君の知的街道の若い作家の作品街道になるかね。 柴崎友香著「フルタイムライフ」、長島有著「泣かない女はいない」、伊藤たかみ氏の「八月の路上に捨てる」の流れだね。私:たまたま、図書館で大文字文庫といって、大きな字の文庫があり、この小説が3巻からなっているのが空いていたのですぐに入手できた。 単行本は予約待ちが長そうなのでやめた。 大きな文字なので読みやすく、4時間くらいで一挙に読み終えた。 文章はわかりやすく読みやすく、ストーリー展開もさわやかでよかったね。A氏:2004年のベストセラーで映画にもなった小説だね。 博士というのは数学の博士で、交通事故で頭をやられ、80分で記憶がなくなるという設定らしいね。私:そうだね。 主人公はその面倒を見る家政婦だ。 そして、その10才になる息子だ。 博士、家政婦、その息子の3人が主人公とも言えるね。A氏:数学が出てくるの?私:出てくるが、話の道具としての登場だね。 うまい使い方だね。 すでに2年前のベストセラーだし、映画にもなっているので、インターネットで見るとたくさんのコメントがあるね。 ほとんどがべた褒めだね。 きわめて少数派が、スラスラ読めるだけに何か残らないという感じを指摘しているね。 なんでこの本が100万部も売れたのかというコメントもあったね。 それとタイガースや江夏の大々的な登場がストーリーとしては違和感があるというコメントもあったね。A氏:君はどうだったの?私:何かきれいごとのような、幻想的な童話のような感じは否めないね。 おそらく著者は、数学にヒントを得て、現実と非現実をたくみにつないだのだろうね。 それは成功しているね。 しかし、作者自身が自己撞着しているような感じだね。 映画は現実的になるので、映画向きではないの? 俺は映画を見ていないがね。 それに、タイガースや江夏の仰々しい登場は、たしかに違和感があると言えば言えるね。 最近、人気の小説とはどんなものかという流れを知り、読んで損はしなかったがね。A氏:主人公が短時間の記憶しかできないという外国映画が確かあったね。 題名は忘れた。 主人公は忘れないように盛んにメモする。私:この本の場合は、博士は80分で記憶がなくなるというのが大前提だが、頭の悪い俺にはどういう意味か理解できないね。 A氏:記憶したことが80分で消えるんじゃないの?私:具体的に考えてみよう。 例えば、家政婦が朝7時、博士の家に来て会うとする。 家政婦に対する博士の記憶はそこから始まる。 しかし、朝の挨拶の会話の記憶は80分たつと記憶がなくなるから、8時20分には消えることになる。 家政婦が夜7時に帰るとする。 帰りの挨拶の記憶は家政婦が帰ってからも80分は残ることになる。A氏:なるほど、連続して80分ずつずれて記憶が消えて行くことになるね。 日中でも、家政婦が80分、別の部屋にいて顔を合わせないともう家政婦であることを忘れる。 不法侵入者と間違えられるかもしれない。 家政婦はそういう事態を避けるためには、常に時計との勝負だね。私:そういう緊迫したシーンはなかったような気がするね。 秒単位で80分ずつ記憶が消えて行くのか、分単位で消えて行くのか、それとも10分くらいのブロックでずれて消えて行くのかね。 5分ずつ記憶が消えて行くなら、日中でも家政婦は5分単位で博士にメモを書いてやらないといけない。 アナログなのか、デジタルなのか? A氏:外国映画の場合は、アナログ的にどんどん忘れていくような設定だったような気がするね。 本人は、ものすごく不安になっているね。 なんだか、この小説の大前提が崩れるような気がするね。私:とにかく、この小説には、日本の政治、経済や文化的なことはあまり深く関わっていない。 そういうことを話題にしないで、タイガースや江夏を話題にする。 その頃は、日本が歴史的な高度成長時代であるから、その点と現代の比較をさらりと入れてもらいたかったね。A氏:昨日の「超・格差社会 アメリカの真実」の著者の大学時代のアメリカの友人との話題のように、面白いけれど軽い気がするのと似ているのかね。私:作者の小川洋子氏がこの本が数学を扱っていることで、数学者でもある「国家の品格」の藤原氏と対談したらしい。 そしたら、ある女性読者が藤原氏が女性天皇を認めていないことに小川洋子氏はどう思っているのかと、インターネットのコメントで疑問を投げつけていたね。 そこでこの街道は、明日は今月号(新年特別号)の文藝春秋に特別寄稿している藤原氏の「国家の堕落」とつなげたいね。 この寄稿で藤原 氏は猛烈に怒っているね。 内橋氏同様、新市場主義を批判しているから、格差街道にも関係するね。
2006.12.12
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