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私
:この スナック談義シリーズ
はちょっと年を飛び越して、 1990
年頃のことになる。
A氏 :君は カラオケ を始めたのは、 1980年 だというから、もう 10 年立つね。
私
:スナックで カラオケ
をするのは、出張のときだから、その 10年間
でいろいろなところに行っているね。
その中で 中国地方
に大手企業のある 事業部
に 3年
近く行ったことがあるが、これが俺の スナックでのカラオケ全盛期
だね。
大阪のK社長 に カラオケ をつきあわされて、 カラオケ を知ってから、 約10年 になったが、この間、次第に カラオケ に浸り、この事業部に通った頃は、 毎週のようにその地方都市のスナックで、 一晩10曲以上 は歌っていたよ。
A氏
:どうやってその スナック
を選んだの?
よく カネ
が続くね。
私
:いや、最初、その事業部に行った夜、夕食を誘われ、その後、 2次会
で若い人が連れて行ってくれた 小さなスナック
だったんだね。
若い人の行きつけのスナック
だから 安いね
。
ところで、この 事業部長のS氏
は、当時、まだ、 40才台の若手部長
だった。
営業出身でお客とのお付き合いが多かったせいか、これがまた、 カラオケ
が メチャクチャにうまい。
この人 はその地方のいろいろなスナック
に連れて行ってくれたね。
この場合は、 部長のおごり
だから、高級なところもあったが、俺一人ではそういう高級なところは行かなかったね。
彼は、 石原裕次郎
の「 ブランデーグラス
」が 十八番
だった。
しみじみと歌う。
この人は、他にあまり持ち歌がなかったのか、いつもスナックに行くと、歌うのはこの歌だけだったね。
A氏
:「 夜の銀狐
」の場合と似ているね。
私 :あるとき、この事業部の カラオケ好きな若手の1人 と、 一晩、スナックで何曲歌えるか 試してみようということになった。
A氏
:すごい バトル
だね。
私
:夕食後、いつもの小さなスナックに行き、 7時半頃
から歌い出した。
その夜は、その店の客は最初、われわれだけだった。
途中、3人くらいの 若い一組
が来たが、あまり歌わなかった。
だから、その スナック
の カラオケはわれわれ2人の貸切
のようになったね。
空いているスナックで、交互に歌い、 2人で25曲、合計50曲
歌った。
もう、 12時
近くになっていた。
ついに 2人とも声が枯れて
出なくなってきた。
A氏 :よくそれだけ、歌を知っていたね。
私
:この 1990年頃
が、俺の カラオケ遍歴、最高の頃
だったね。
持ち歌
は 100
を超え
、 演歌
はもとより、 若い人の歌
まで挑戦したよ。
今から思うと、その頃、仕事が厳しかったが、知らず知らずのうちに、その 過酷なストレスの解消
になっていたのだと思うね。
今もその頃の歌は覚えているが、出張がほとんどなくなるにつれ、 スナック
に行くこともなくなったから、今はせいぜい年1回あるかどうかだがね。
それも1回ではせいぜい 数曲
止まりだね。
その中に「 ブランデーグラス
」が含まれているのはもちろんだがね。