July 18, 2010
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カテゴリ: クラシック音楽
弦楽器奏者は、声楽家ほどではないが加齢による技術の衰えが早い。

喜寿を迎えた元札響チェロ奏者、上原与四郎はこの日2曲ソロを弾いた。ボッケリーニのチェロ協奏曲の第2楽章と、アンコールで演奏されたカタロニア民謡「鳥の歌」である。

音程は不安定で、音量もない。加齢による技術の衰えは覆うべくもない。

しかし、何というか品格のある音楽が漂う。ひとつひとつの音に心を込め、ていねいに、そして美しい音で演奏しようと心がけているのがわかる。聞いているうちに、欠点よりもそういう長所が浮き上がってくる。そして、この音はかつてどこかで聞いたことがあるという気がしてくる。

そう、上原与四郎のチェロ独奏から聞こえてくるのは、数十年前の札響の、武満徹が愛した柔らかく透明でナイーブな音だったのである。彼が札響時代に彼の独奏をきいたことはない。にもかかわらずそういう印象を持ったのは、彼の音がまさにかつての札響を体現した音だったからだ。

20年近く前になるだろうか。札響創立指揮者の故・荒谷正雄氏が最後に指揮をした「札幌音楽院管弦楽団」によるシューマンの交響曲第4番は名演だったというが、そのコンサートはうっかり聞き逃してしまった。その反省から、高齢の演奏家の演奏会にはなるべく出かけるようにしている。

札響創立時からのメンバーで首席奏者をつとめていたこともある上原与四郎の門下生が開いたコンサートでは、プロ・アマ合わせて30名ほどの門下生がチェロ・アンサンブルのために作られたオリジナル曲やアレンジものを10曲演奏。中には一流のオーケストラで首席級の奏者をつとめたことのある名手もいて、教育者としても優れている上原氏の一面を知ることができた。

懐かしかったのは、演奏が終わったあとチェロを抱えて退場する上原氏の後ろ姿というか、ステージマナーである。上原氏が在籍していた時代の札響の定期演奏会は、今とは比較にならないほど大きなイベントだった。そしてその定期に欠かさず出演していたのが氏だった。演奏が終わってステージから楽員がいなくなるまで拍手が続いた、そんな古きよき時代の定期で、氏の後ろ姿が消えて初めて席をたって帰路についたものだった。

ある街の文化度とは、オペラハウスやオーケストラを引退した音楽家がどれだけ住んでいるか、その数で決まると思っている。そういう人たちが街のあちこちにいることで、街の雰囲気は大きく変わる。わたしの元カノはミュンヘンで、引退したオペラ歌手がやっているアパートに下宿していたが、大家が地主と元オペラ歌手というのでは、いろいろなことが大きくちがってくるものなのだ。

小澤征爾とほぼ同年代で、友人でもある上原与四郎の「音」は、きれいだった。リンゴやジャガイモを根気よく磨くと光沢が出てくるが、そんな光沢を感じさせる音だった。

こんな音を出せる音楽家は、今の世界ではいないし、二度と現れないだろう。

サンプラザホールがほぼ満員。





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最終更新日  July 22, 2010 06:09:10 PM
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