January 28, 2013
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カテゴリ: 映画
北海道で生まれ育ったので、日本文化にはなじみがない。瓦屋根とか雨戸のようなものでさえ珍しい。日本の伝統的な風習(祭りなど)をよくテレビで見るが、アマゾンの奥地に住む人たちを見ているような違和感がある。母は着物を着なかった、というよりそもそも持っていなかった。そのせいか和服の女性には反感を感じることすらある。

「日本の美」とされるものに美や価値を見いだすことはほとんどない。日本文化のほとんどは中国など外国の劣化コピーにすぎないとしか思えない。

革命とは権力の交代のことではない。人々の日常生活と文化そのものを変えることである。

日本文化のほとんどは天皇制や儒教道徳に由来する封建遺制、農本主義ナショナリズム、平たく言えば「ムラ社会」に根拠をもつ。したがって、日本文化を破壊することは進歩的な社会を作るうえでの決定的に重要な環をなす。「里山」のようなものに日本の原風景を見いだし擁護し「愛郷心」をわめきたてるような(たとえば革マル派の故黒田寛一)感性は国粋右翼と同一のものである。

しかしそんな「日本文化」の中にも独創的で保存すべきものがないわけではない。

「竹皮細工」はたぶんその一つだろうと思う。

北海道には竹がない。だから竹皮にもなじみがない。おにぎりや押し鮨の包装に使われているものに接するくらいで、ほかに用途などないと思っていた。

しかしこのドキュメンタリー映画では、九州の山奥で竹の皮を採集する農家から、それを加工してみごとな工芸品に仕上げていくいまは少なくなった職人たち、その伝統の技を保存しようとする人たちといった竹の皮をめぐる壮大な物語がとらえられている。高級雪駄、日光下駄、羽ぼうきといったものが細やかな工夫と根気のいる手作業で作られていくさまなどは、学術映画的な部分もあるが、退屈さはなく、むしろ驚かされることばかりで「知る」ことの楽しさを満喫できる一本だった。

ただ、竹は日本だけのものではないし、竹文化は東南アジア全体に広く存在する。そうした「東南アジアの竹文化の一部」としての視点の提示があったらとは思う。

観光地の土産物屋で竹細工のものなどを見るとき、それを作った人の技や労力をうっすらとではあれ想像できるようになると思う。それがどんなに大切なことかは、こういう映画を見るとわかる。






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最終更新日  February 9, 2013 02:08:49 PM
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