September 15, 2013
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カテゴリ: クラシック音楽
一般にオーケストラは「指揮者の楽器」と言われる。たしかに、指揮者が変わると同じオーケストラとは思えないほど(良くも悪くも)変わる。

したがって、コンサートは、オーケストラではなく指揮者が誰か(あるいはプログラムが何か)で選ぶべきだ。

もしオーケストラで選ぶとしたら、そのオーケストラと深い関係にある常任指揮者や音楽監督とのコンサートを優先するべきだろう。

在京オーケストラの地方(というか巡業)公演に関心はない。感心したことがないからだ。スタープレーヤーが降り番の「巡業バージョン」では士気が上がらないし、定期演奏会レヴェルの演奏を期待することはできない。感心したことがあるのは小澤征爾や大野和士が指揮したときだけだ。

それでもこのコンサートに行くことにしたのは、70代になった「コバケン」を一度くらい見聞しておこうと思ったのと、ヴァイオリンの三浦文彰に対する興味のため。

プログラムはベートーヴェンのバイオリン協奏曲とブラームスの交響曲第4番。

結論を先に書いてしまうと、東京都交響楽団の地方巡業公演には二度と行かない(指揮者が大野和士や山田和樹やありえないがエリアフ・インバルのときを除く)、三浦文彰はなかなかよいが未知数なところがある、コバケンは巨匠性を獲得したと思うが手の内が見えすぎるのでヨーロッパのメジャーオーケストラを指揮する機会以外はもうきかなくていい、というもの。

ベートーヴェンはたっぷりとした柔らかい響きでロマンティックに歌うコバケンと、端正に整っていて技術的には申し分ないがやはりまだ「若さ」が裏目に出ることもあるヴァイオリンの「ちぐはぐさ」が逆に興味深かった。ベートーヴェンの演奏は、走ってはいけないがテンポが遅くてはいけない。この原則に照らすなら、コバケンの特に第一楽章のテンポは遅く表現はロマンティックにすぎ、重いが流麗、というこの曲の矛盾した美の表出には遠い。

ブラームスはコバケン節が炸裂。冒頭のH音から楽譜の倍くらいの長さで始め、歌うべきところはテンポを落としてまで歌いまくる。アンコールの「ハンガリー舞曲第5番」できかせた極端な緩急の変化は、決して不自然で悪くはないが、交響曲でやると白ける部分がなくもない。というか、最初のうちはおもしろくきくのだが、のべつまくなしにやられると肝心のクライマックスがかすむのだ。

オーボエやフルートのソロもいまひとつだった。特にフィナーレの有名なフルートソロはフレーズがぶつ切れ。こうしたフレーズはストイックに、剣道の間合いのような緊張感で演奏すべきだし、そうした演奏ができるのは日本人演奏家だけだと思うが、立派な音で鳴っているだけの演奏に虚しさを感じる。

悪口が多くなったがソロ・コンサートマスター矢部達哉がひきいるバイオリンセクションなどは悪くなかった。

たぶん、都響に限らず日本のオーケストラは団塊世代の退職で急速に若返りがすすみ、たぶんすすみすぎたのだ。女性の割合も増え続けている。

日本のオーケストラに未来は期待できないようだ。キタラホールは8割の入り。





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最終更新日  September 17, 2013 11:41:21 PM
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