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「査問」で興味を持ったので、この著者の本をできるだけ読んでみることにした。日本共産党とその下部組織である民青は、大学や労働組合では物取りと賃上げしかやらず、1955年の六全協後は選挙運動と機関紙拡大、歌って踊っての演芸会ばかりやっている連中と思っていた。暴力的になるのは彼らがトロツキストと呼ぶ勢力の運動を妨害するときだけだと誤解していた。本書は著者がミサイル基地建設を実力阻止するために新島に行き、機動隊に逮捕される場面(1961年)から始まる。短期間の留置場暮らしの記述もある。予想もしていなかった逮捕=検挙とその後のいきさつは著者を筋金入りの活動家に鍛え上げていったのだろうが、このころはまだ非暴力とはいえ実力闘争を行っていたのだ。しかし本書はそれが主題ではない。1933年の「教員赤化事件」での被弾圧者たちとその軌跡を3年かけて取材したもの。公安警察が共産党系教員労働組合のメンバーを「治安維持法違反」容疑で検挙し追放した事件であり、彼の父もこのとき警察に検挙され職を失っている。「あと10年早く始めていればと何度悔やまれたことだろう」とあとがきに記しているように、すでに故人となっていた人も多いが、いくつかの偶然や幸運に助けられたようだ。すでに中国侵略を開始していた軍国主義下の日本で、それも長野県の郡部に天皇主義イデオロギーから解き放たれた一群の人々がいて活動を行っていたというその事実に、まず救われる思いがする。そういうことは歴史的には知ってはいても、当事者の実子が書いたものを読むとリアリティがちがうのだ。そしてわたしが生まれた年より四半世紀も前ではない「ごく最近の」事件として感じられてくる。もちろんそれは筆者の優れた取材力と思考力、文章力もあってのことだが、やはり神は細部に宿るのだ。最近は「アカ」という言葉を聞かなくなった。1980年代までは、それが何を意味するかも知らずに一種の差別語として使っている人間は珍しくなかった。若い女性がある共産党員のことを「アカ」だから、と言ったことがあった。ヘルメットの色から、いや共産党はアカではなく黄色だと混ぜっかえしたことがあるが、「アカ」が死語となった程度には世の中は進歩したということか。アカには「垢」に通じる汚らしいもの、という語感があった。こうした本が書かれるのはきわめて稀なことだ。なぜなら、一般に活動家は過去よりも未来に目を向けているものだからだ。印象的なのは被検挙者たちの誠実さである。自分自身の「転向」をゆるすことのできかった人々は、戦後、決して教壇に戻ることはなかったという。戦前は天皇主義者、戦後はマルクス主義者と服を着替えるように思想を取り替えていった人間しか日本にはいなかったとばかり思っていたが、決してそうではなかった。著者自身の体験や思考と参照しながら書き進められているので、読み物としても一級のおもしろさがある。ただ、イタリアなどとちがって、日本では反ファシズム勢力は一掃されてしまい、侵略戦争を防ぐことはできなかった。芽のうちに摘まれたという見方もできようが、帝国主義戦争に対しては内乱をもって対峙すべきとするレーニンの思想はまだ伝わってなかったのだろうか。いや、決してそんなことはないはずで、日本共産党の路線そのものに誤りがあったのではないかと思わずにいられない。1933年といえば小林多喜二が虐殺された年である。こうした優れて人間的に誠実な人たちが殺されたり失業したり不利な戦地に送られたりしたというのに、虐殺し弾圧した側は戦後も生きのびた。「戦後政治の総決算」はナチソネこと中曽根康弘のスローガンだが、民衆の側からは「戦前の総決算」、つまりこうした人々の名誉回復と賠償、加害者の処断が行われなければならない。というか、それを怠ったからこそアベや石破が表通りを歩ける世の中になってしまったのだ。1933年はつい最近のことであり、階級犯罪に時効も恩赦もない。
June 9, 2016
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「サパティスタと叛乱する先住民族の伝承」の副題がある。著者のマルコス副司令はサパティスタ民族解放軍(EZLN)のスポークスマン。メキシコ・チアパス州先住民族主体のEZLNにあって数少ない非先住民のメンバーで、哲学の元大学教授だという説がある。副司令と名乗っているのは真の司令官は人民だという信念に基づくという。「文章を書いていないと発砲してしまうから」というマルコス副司令。その彼が1984年に密林で出会ったのが老アントニオで、老アントニオが亡くなる1994年まで両者は交流したらしい。その老アントニオからきいた先住民族の伝承、神話のような寓話のような話を彼は子どもたちや恋人に、そして市民集会などで語った。コミュニケとして発表されたものもある。それらを集めたのが本書ということになる。都市のマルクス=毛沢東主義者が密林で先住民の老人と出会う。ふつうなら組織化の対象としかみなさないだろう。しかしマルコス副司令はちがった。先住民の持っている神話的世界観、伝承からくみとることのできる文明世界とはまったく異質な知恵に何かを見いだしたのだろう。老アントニオから話をきき、質問し、その中で近代主義的な思想と発想、論理の言葉が切り捨ててしまう大事なものの存在に気づいたにちがいない。この本を読んですとんと理解できる人間はほとんどいないだろう。先年亡くなったポルトガルの映画監督、オリヴィエラが映画で紡ぐ言葉のように、われわれがふだん使う同じ言葉がまったくちがう意味、ちがうイメージを喚起していく。ごくわずか、われわれにも理解できそうな部分がある。「すべての言葉、すべての言語に先行する最初の三つの言葉は、民主主義、自由、正義である」(88ページ)から始まる一節である。そこでは民主主義についてはこう語られている。・・・「民主主義」は複数の考えからうまく合意を作りだすことである。全員が同じ意見をもつことではない。すべての考え、あるいは大多数の考えから、少数の考えを排除するのではない。大多数の人にとってよいと思われる合意をいっしょに探し、そこへ到達することである・・・・多数決民主主義がいかに非人間的なものであるかをこれほど平易な言葉で表した文章には出会ったことがない。これが、何の教育も受けたことのない狩猟名人の先住民の老人の伝承であり知恵なのだ。1994年、まさに老アントニオの死の年に反政府・反グローバリズムを掲げて武装蜂起したEZLNが強大な政府と政府軍に対して勝利といってもいい成果を勝ち取ったのは、本書の扉にあるように、都市世界のマルクス主義者と先住民世界が老アントニオを媒介として融合をとげたからにちがいない。詩と政治に架橋する精神とはどのようなものか、ほんの少しだけわかった気がするが、詩的でない政治的言語と政治的なものをはらまない詩的言語の両方に対する警戒心、あるいはそういったものの不毛さを見抜く何かはもらえたような気がする。
June 3, 2016
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マスコミばかりでなく左派メディアでさえ報じないことのひとつに、アナーキスト勢力の増大がある。経済危機下のギリシャやイタリア、スペインではすでに公然とした政治勢力として登場している。とりわけギリシャでは政権を掌握した急進左翼が帝国主義とシオニストの手先化する中で急速に拡大している。フランスでは反資本主義新党の中心メンバーにアナーキストが散見されるし、アナーキズム週刊誌の刊行が維持されている。また、いわゆる先進国における反グローバリズム運動、ニューヨークの占拠運動などの中心にいるのも、名乗ってはいないがアナーキストたちである。環境保護運動や女性解放運動の活動家は自覚せざるアナーキストであるケースが多い。サパティスタ民族解放軍の理念や行動様式もアナーキズムに近似している。日本の大学でも主要大学にはすでにアナーキズム研究会が生まれている。今のところサロン的サークルの域を出ないが、セクトが退場したあとの主役になる可能性がある。すで40年以上、旬刊発行されている大阪の「人民新聞」にはリバータリアン(無政府資本主義者)の主張が掲載されることもあり、左右のアナーキズムに対して親和的だ。日本共産党の武装襲撃と対決した東大全共闘が「ここは1930年代のスペインではない」と檄を発したことはよく知られている。アナーキストが権力を掌握したスペインで、ファシスト軍と戦うアナーキストをスターリン主義共産党が背後から襲撃しファシズムに道を開いた史実を参照したエピソードだが、いわゆる社会主義革命に成功した国でも、実際の革命の主力はアナーキストであり何よりも大衆自身であったことが明らかになりつつある。あのフランス革命でさえ、主力はプルードン主義者だったのだ。アナーキスト(やサンディカリスト)が準備し成功の基礎を築いた革命を、あとからやってきた共産主義者が簒奪し、あたかも自分たちのやったことであるかのように叙述したのが、すべてではないが多くの国における「革命」の実態だったのではないだろうか。こういう問題意識を持ってもう何十年にもなる。だから、いつか最低でもロシアと中国、そしてスペインの革命におけるアナーキストの活動とその敗北の原因を探求しなくてはと考えていた。20世紀においてアナーキストが主役に躍り出たのは、ロシア革命後のクロンシュタット水兵の反乱(これを鎮圧したのがトロツキーだった)、ウクライナにおけるマフノ運動、そして人民政府を樹立したスペイン人民戦線の三つである。このうちクロンシュタットとスペイン人民戦線については優れた報告や研究がある。しかし、マフノ運動についてはほとんどなかった。ヴォーリンの「知られざる革命―クロンシュタット反乱とマフノ運動」(現代思潮社1966年)くらいで、しかもずっと絶版になっている。ネストル・マフノ。1888年にウクライナで生まれ1934年にパリで世を去ったこの農民運動の指導者、無政府主義革命家は、マゼランを殺したラプラプ、台湾で抗日蜂起を行ったモーナ・ルダオ、ヤマト支配に頑強な抵抗を続けたアテルイ、松前藩に対して武装蜂起したシャクシャイン、カスター大隊を全滅させたクレイジー・ホースといった人類史的英雄のひとりである。しかしマフノが特異なのは、侵略者に対して戦っただけでなく、ロシアを解放したと称するボルシェビキ(ロシア共産党)の赤軍とも戦ったことにある。著者のアルシノフは1887年生まれの工場労働者で、元々はボリシェビキだったが、1905年革命の敗北の原因を政治党派のミニマリズムにあると総括し無政府主義者となったという。警察署を爆破したり、労働者を弾圧する工場長を射殺して死刑判決を受けたこともある。マフノと知り合ったのは監獄の中で、1917年のロシア二月革命で解放され、アルシノフはモスクワで、マフノはウクライナで活動を行った。その後アルシノフもウクライナに向かい、1921年に運動が壊滅させられるまで赤軍と戦った。マフノ運動を記録し叙述するのに最もふさわしい人物といえる。二大首都で権力を掌握したボリシェビキはウクライナでは少数派だった。ウクライナにおける農民と労働者の社会主義をめざす活動は彼ら自身、そしてマフノのまわりに結集した無政府主義者たちの果敢な闘争によって成し遂げられていった。その細部にわたる軍事的・政治的エピソードのひとつひとつには感嘆を禁じ得ない。神出鬼没の軍事指導者、みずから銃と爆弾で戦う軍人であると同時にきわめて成熟した政治運動家であったことがわかる。特に印象的なのは政治的に変質を重ねる元帝政軍士官グリゴーリエフを反乱兵士大会で、その反革命としての本質を暴いた上で処刑したことである。革命と反革命が入り乱れるとき、革命的な大衆が指導者の反革命的本質を見抜けないことがある。それをマフノは大会の議場で、大衆の面前で暴露し処刑したのだからすごい。大会はこの行動を承認しグリゴーリエフ指揮下にあったパルチザン部隊はマフノ反乱軍に編入されたという。革命のダイナミズムとはこういうものなのだ。著者はボリシェビキ独裁に対するマフノ反乱の敗北を軍事的な戦略の失敗と見ている。それは正しいかもしれないし、そうではないかもしれない。仮に正しいとするなら、その軍事的な戦略の失敗が何に起因するのかが究明されなければならない。巻末の資料のひとつに、1918年6月にクレムリンを訪れレーニンらと会見したマフノの回想記が収められている。レーニンの人となりがわかって興味深い。マフノも悪い印象は持たなかったようだが、最終的には興味を失ったようだ。職業革命家による中央集権的党組織とその手足としての赤衛軍、赤軍による上からの支配を「社会主義」としその社会主義を電化したものを「共産主義」と考えるレーニンとは、めざす社会のあり方は同じでもその道すじや主体についての考えが、言葉で議論できるほど近くはなかったということだろう。1918年から21年にかけてのウクライナにおけるボリシェビキの犯罪を見るとき、レーニンとトロツキーとスターリンの間に砂粒ほどの差異さえ見つけることはできない。公平なことに、マフノ軍とマフノの欠点や欠陥についての記録も収集され収められていることが本書の価値をいっそう高めている。マフノは酒癖が悪く、個人的な気分で赤軍捕虜を処刑したりしたこともあったが、村人ではドイツやオーストリア兵と通じる者しか殺さなかったという同じ個人による矛盾するような証言があったりする。マフノはボリシェビキの残虐さ狡猾さを過小評価していたきらいがある。その点がのちの軍事的敗北の根本原因だったのだと思う。ウクライナはボリシェビキにとっては食料庫だった。肥沃なウクライナの大地ゆえ、ボリシェビキの集中した関心を呼び「ウクライナの悲劇」を招いたのだとすれば皮肉だ。ロシア革命からたかだか100年しかたっていない。マフノやアルシノフは、1950年代生まれの人の祖父母の世代にあたる。もしかしたらマフノやアルシノフはわたしの祖父だったかもしれないのだ。わたしの最大の関心はいまの時代にマフノがいたら、どう考えどう行動するかである。無人機と遠隔操作、レーザー兵器と部分的核兵器を主体としたハイテク戦争の時代、農業国から工業国、さらにいえば第三次産業が多くを占めるようになった現代で、解放の主体をどう確立し微分化した権力とどう戦うのか。平凡な農夫になりたかっただけの男マフノ。しかし平凡な農夫になるだけのことでさえ、あらゆる武器を手にとって支配権力と戦わなければ勝ち取ることができない。そういう時代は、かつてのようにはっきりとは見えなくなっているとはいえ、本質的にはいまも1921年のウクライナと同じように続いている。
June 2, 2016
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著者は2015年はじめに亡くなっている。1940年生まれだから74歳だった。全学連(日本共産党系)委員長(62年~64年)のあと72年までは民青(日共の青年組織)中央の常任委員だった人物で、91年に離党するまで共産党に留まっている。本人もその一味もしくは首謀者として査問された1972年のいわゆる「新日和見主義」事件について、離党後に執筆したのが本書。日本共産党(いわゆる代々木派)は、天皇制擁護、原子力の平和利用推進(原発賛成)、日本の再軍備大賛成の極右政党である。原発事故以降は原発廃止を唱えているが、福島現地その他でやっているのは原発反対運動の妨害であり推進派以上に推進派の役割を果たしている。しかし日共はある日突然こうした極右政党になったわけではない。1952年のいわゆる「血のメーデー事件」までは日本におけるほとんど唯一の革命勢力であったことに異論のある人はいないだろう。本書を読むと少なくとも学生部分は主観的には1970年前後までは革命的であろうとしていたし、そのつもりだったというのがわかる。党組織と官僚機構の維持を最優先して大衆運動を軽視もしくは敵視するのはほとんどの左翼・新左翼党派に共通する現象だが、日共の場合は図抜けている。著者のような優れた活動家を「危険人物」視し、ありもしないグループを組織したという「冤罪」で査問したというのだから。70年代の見かけの党勢拡大にも関わらず見る影もなく凋落したのは、こうした体質、上意下達の作風がその根本原因であり、民主集中制なる組織原理こそが問題にされなければならない。60年安保を前に全学連の主要人物は共産主義者同盟に以降した。70年安保ではそういうことは起きなかったが、ベトナム反戦・沖縄・全国学園闘争(全共闘運動)の高揚に影響を受け、党中央の統制を一定離れて大衆運動を志向したグループがあったのかもしれない。リンチ殺人の宮本顕治らがそれを芽のうちに摘んだのが「新日和見主義」事件だった可能性が高い。明白な分派ではなくても、大衆運動のリーダー的素質のある人物やそうした人物に近い人間を排除していったのだと思われる。70年代なかば、わたしの大学には数百人の民青とそのシンパがいたが、見どころのある人間は数人で、あとは自治会三役を筆頭にバカの巣窟、見本市だった。一瞬でもこうした政党に幻想と期待を持った自分自身に失望したほどだが、川上氏のような優れた人物を除名しないまでも登用しない組織であればバカしか集まらなくてあたりまえだ。しかしやはり疑問なのは、氏が「事件」後も党内に留まったことである。内省的な文章から感じられる人間的誠実さと高い知性は疑うべくもないが、たとえば早稲田解放戦争における日共の裏切りをどう総括するのか。きちんと総括したなら日共に留まるといった選択枝はありえないと思う。むしろ「査問」をきっかけに日本共産党(川上派)を結成すべきだったのではないだろうか。その後、中野徹三ら哲学者に影響を受けた学生らが集団脱党する事件、県委員会丸ごとの脱党(福井県など)もあった。こうした事件の背後には著者らが「新日和見主義」と見なされたのと同じような動きがあったのかもしれない。同じようなことはこれからも繰り返し起きていくにちがいないし、現に起きている。
May 15, 2016
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何十年も前に、それもほんの短時間しか会っていないのに、印象と記憶に残る人というのはいる。なぜかあるとき、ふとその人の名前を思い出したりする。この本の著者もそんなひとりだ。同じ大学の150キロほど離れた分校の無党派活動家だったM君と一緒に彼女は現れた。どんな用件だったかは思い出せない。卒業間近だったような気がするから、何かを一緒にやろうという話ではなかった。共通の関心はといえば、卒業後(というか中退後)の身の処し方や運動の展望のようなものだったから、そんなことでも話しただろうか。M君はその後自治体労働者になった。彼女が新日本文学賞の賞をとった(1983年)とき、小説家をめざしているのだろう、文学少女だったのかと誤解したし、この本を読むまで誤解したままだった。1991年から93年までの二年間、コロンビアとボリビアで海外青年協力隊隊員として活動したときのことを書いたこの本は、限りなく小説に近い自伝の趣きがある。「南米最大の麻薬都市メデジンでの日々を深い祈りとともに描くハイ・スピード・ノンフィクション」とあるが、まあ何と軽薄な要約であることか。二年間もの滞在では無数の出来事があったと思うが、その中で重要なことを的確に選び出し、簡潔かつ詩的な、ときに哲学的といえるほど内省的な文章で綴っている。凡百の旅行記や見聞記とは決定的に異なっている。個人的な体験を軸に書かれているが、これほど優れた「ドキュメンタリー文学」に出会うことはそうない。現代という時代に対する深い問題意識と社会矛盾に対する先鋭な視点がなければ書くことのできない本だ。本書から彼女のその後を推測するなら、卒業後彼女は高校教師になり、教師生活と平行して旭川で劇団を主宰、シナリオも手がけていた。巻末の略歴によれば彼女が25歳から31歳にかけてのこと。そしてその間にはヨガとスペイン語を学んだ。とすると、彼女の大学での専攻、高校で教えた学科は何だったのかと興味がわく。秀でた文章力からすると国語科だろうか。あるいは外国に関心があったとすれば英語科だろうか。本書ではインドでの話も出てくるが、それはヨガの本場への興味からだったのか、インド旅行がきっかけでヨガに興味を持ったのか。あるいは体育科の出身で身体への関心からヨガを学んだのか。ボリビアで出会った人権活動家と結婚したらしいが、本書の叙述は帰国したところで終わる。たぶん、海外青年協力隊の任期を終え、その活動からも離脱したのだろう。そのための帰国だとすると、すぐにまた夫の待つボリビアに戻ったのだろうか。そのときから数えても20年以上の歳月が過ぎている。消息を調べたがわからなかった。ただし2005年には碧天社から「チャクラを開いて」という本を出しているのでそれを読めば少しはわかるかもしれない。それにしてもほぼ同世代の彼女が一日平均24件の殺人事件が起こるコロンビア(メデジン)、援助が政治の腐敗を助長するボリビアで苦闘しているその同じ時期に、こちらはヨーロッパでコンサートだグルメだとお気楽な人生を送っていたのだから自己嫌悪にかられる。そもそも人間のできがちがうのだと開きなおってしまえばそれまでだが、使命感ではなく、自己発見のためでもなく、本書の随所に記述される日本社会への違和感から遡行していく魂の震動のようなものには強く共感せずにいられない。そんなことを語りあってみたいと痛切に思いながら「チャクラを開いて」を発注したところだ。
May 14, 2016
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著者の小西誠は1969年に治安出動訓練を拒否して逮捕・起訴された元自衛官。当時、自衛隊内部から反戦兵士が登場したというので大きなニュースになったのをおぼえている。著書では「自衛隊の兵士運動」や「マルクス主義軍事論入門」などを読んだことがある。この本は2000年の刊。極貧の少年時代についてはこれまでの本でも読んでいたが、この本でもあらためて触れられている。ランドセルもなく給食費も払えなかった小西少年にとって、自衛官になることは貧困と差別からの脱出の道であり、自衛隊は貧しさの中での労働に耐えてきた彼にとって「天国だった」という。そんな彼が自衛隊を退職して自衛隊の外部で反戦運動をやるのではなく、自衛隊の内部で闘うことを選んだのは、全共闘運動の自己否定思想の影響だったという。その彼は「統一戦線」を志向する立場から中核派と共闘し関係を深めていく。わたしはこうした彼の動きを「中核派にオルグされたもの」と考えていたが、本書によればちがっていたようだ。中核派との共闘は彼らの「官僚主義的体質」を変えていくことをひとつの課題としていたという。しかしそうした彼の努力は実を結ばず、「袂を分かつ」こととなっていく。個別の問題での細かないきさつが豊富に述べられている。野島三郎や松尾眞(おそらく)といった人たちに対しても率直な批判が語られている。その当否はともかく、党内民主主義の復活とそのもとでの大衆運動の発展を志向する彼の熱意は非常によくわかる。権威や権力などにとらわれない自由で自立した精神があるし、こうした人物を最大限に生かすことのできない官僚主義的組織には他人ごとながらもどかしさを感じる。ただ、こうした官僚主義の原因はレーニンの組織論にあるのはまちがいない。レーニン主義に基づく党組織の官僚主義を、レーニン組織論のドグマ化の結果だという批判は妥当だが、そもそもレーニン組織論そのものにそうした要素があるとしたら中途半端だ。というか自己矛盾に陥る。氏が引用するレーニンの言葉は含蓄と卓見に満ちていて、あたかも中核派がレーニンから逸脱もしくはレーニン主義をドグマ化しているかのように読めるが、それはちがうだろう。オーウェルが「動物農場」で描いたように、権力はそれを持つものを常に独裁者に変えてしまうものであり、そうならないための装置が理論的にも現実的にも必要でありレーニン主義はそれを欠いているのが致命的なのだ。最後の章で彼は「改憲阻止の左翼大統一戦線」を提起している。その統一戦線にはあの日本共産党や社民勢力も含まれなければならないし、その形成に失敗すればわれわれは滅びるしかない、とまで言い切っている。大左翼統一戦線で思い出すのは故陶山健一氏である。彼もまた、単なる権謀術数ではなく、革命の現実性を展望する観点とファシズムを阻止する立場から、恩讐を超えイデオロギーを超えた団結を提起していた。フランスでは解党した第4インターナショナルなどを軸に「反資本主義新党」が結成され他の左翼勢力とも共闘して5%近い得票率を得るまでになっている。テロ事件後の戒厳令下にもかかわらず今年3月には120万人が参加したゼネスト、数百の高校・大学におけるバリケードストライキなどが治安警察と対決する中で打ち抜かれているが、こうした勢力が大きな役割を果たしているものと思われる。レーニン式「民主集中制」を排した組織原理などには刮目させられるものがある。カルトではない全国政治組織は日本では中核派だけになってしまったのだから、中核派にはフランスの第4インターナショナルが反資本主義新党形成に果たしたような役割を期待したいものだ。1980年代以降の日本の新左翼運動の流れを知りたいと思って読んだが、対革マル戦争を勝利的に終結させた中核派は(本書によれば)混迷を深めているようだ。
May 9, 2016
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法政大学には浅からぬ縁というか因縁がある。クラスメートや友人の何人かが進学しただけでなく、社会のあちこちで興味深い人物に出会ったところ法大出身者だったというケースが多いし最近もあった。学生が自主管理している24時間開放の学館もあった。法大学館は、西の京大西部講堂と並ぶアンダーグラウンド文化→サブカルチャー文化の東の拠点だった。オールナイトコンサートなどに何度か足を運んだ記憶がある。わたしが知るのは1985年ごろまでだが、その頃は学生運動が健在で、自治会やサークルを中心に千人規模の集会やデモ、ストライキが打ち抜かれていた。部外者に政治地図まではわからなかったが、中核派と黒ヘルノンセクトが競いつつ共存しているように見えた。政治的なサークルではなくても意識は高く、合唱団のようなサークルでもほかの大学とは全くちがっていた。その後の学生運動の現場は知らない。法大はその頃でも特殊で「ガラパゴス」と呼ばれていたが自治会、学生寮、サークル会館を拠点とする運動は当局の拠点つぶしによってそのころすでに衰退していたとはいえ、主な大学には社会科学系だけでなく映画、演劇、軽音楽系のサークルのメンバーが中心となった学生運動は小なりといえ健在だった。たしかその頃の警察白書には、新左翼運動の高原状態は続いていて積極的な参加人員は5万人とあったような記憶がある。三里塚闘争でも、1000人程度だった中核派の部隊が徐々に増えて4000人くらいの動員に成功していたし反核運動は50万人を集めていた。先細りしてはいくだろうが、社会の矛盾に敏感な若者はいつの時代にも一定いる。1980年代の学生運動で最も印象的なのは、全共闘運動の敗北に乗じて権勢を誇った日本共産党系学生自治会の無惨な凋落であり、党派全学連自治会の形骸化だが、むしろそうした党派運動の衰退は無党派学生運動にとってプラスではないかと楽観する部分もあった。現在でもいくつかの大学では自治会や学生寮を拠点とした学生運動は存在するが、85年から今までの学生運動はどうだったかの知識を得たいと思って読んだのがこの本。著者のメールマガジンは以前から購読していたし、ツイッターで近況も知っていたが、あらためてこの本を読んで「そんなことがあったのか」と驚かされた。中川文人は、現在では陰謀論者に変質してしまってはいるが、1987年の法大第一文学部自治会委員長だった人物。現在は著作業で何冊かベストセラーを出している。実兄は本書で知ったがクラシック音楽の出版社を経営している。中核派と黒ヘルノンセクトは競争的に共存していると思っていたが、本書によればそうではなく、黒ヘルは中核派の下請け機関と化していたという。その状況を変えようと事態が大きく動いたのが1988年で黒ヘルは中核から自立し時には対決していく。破防法被告でこの時期法大に常駐していた松尾眞(元京都精華大准教授)のエピソードなどは党派幹部の思考法や行動形態がわかって興味深い。中川氏のソ連留学、復帰と学館をめぐるかけひきなどを通して、とうとう氏は中核派の殺害対象とされる。これが1994年。バブルとその崩壊という大きな社会現象の中で学生運動がほとんど壊滅していた時期である。対革マル戦争の勝利的終結を経て中核派が全国大学での支配を強めようとしていた時期に、それに果敢に抵抗した「武装し戦う黒ヘル」があったという事実は重く受け止めなければならないし、党派の組織指導のいい加減さ、詳細は明らかにされていないが「戦争」の内幕、固有名詞は控えられているが優秀なノンセクト活動家群像には感嘆と感銘を禁じ得ない。本書はファシストとして知られる外山恒一のインタビューで構成されている。このインタビューがなかなか優れていて、活動家でなければ聞き出せないポイントを突いていくし答えが当意即妙というかアタマの冴えを感じさせる。直接会ったことはないが、80年代以降のノンセクト活動家の中でも群をぬいて優れた存在だっただろうと思わせるだけの人物だ。中核派は他党派とちがって無党派の存在には寛容だったという印象があるが、権謀術数の一種でしかなかったのかもしれない。中川の最後の一言が泣かせる。「本気で学生運動をやるとボロボロになり」「精神病院に入ったり社会の最底辺で厳しい生活を余儀なくされている奴もいる」し「自分もいつそうなるかわからない」。だが「学生運動をやったことを後悔したことは一度もなく、仲間もみんなボロボロになったけど、誰ひとり後悔していない」それが学生運動だ、と言うのだ。100%同意する。学生運動のない時代に生まれた人間、学生運動があったのに参加しなかった人間たちは、100回、この言葉を音読するがいい。きみに残された人生の貧しさにがく然とすることだろう。中川が引退し中退したのと同じ年にかの松本哉(法政大学の貧乏くささを守る会)が法大に入学してくる。次に読むべきは松本哉「貧乏人の逆襲」なのだろう。なお、外山恒一による「前書き」は、1985年から2010年ごろにかけての学生運動の簡潔ながら闊達な要約となっていて、あちこちで知った名前が結びつく。だめ連、カラカラ派、フリーター全般労組といった「新しい左派」の出自を知ることができ非常に有意義だった。
May 8, 2016
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タイトルに極私的とあるので、ノスタルジックな60年代記かと思って軽い気持ちで読み始めた。ところが、二日間、寝食を忘れて読むことになった。250ページほどの本なのでふつうなら半日あれば読めただろう。しかし、言及されている人物や書物を調べたり、特に後者はまだ入手できるかどうかを調べながらだったので時間がかかった。この本は優れた読書ガイドの趣きがある。社会運動に関して全く同じ問題意識を持っている人がいたのかという驚きで興奮させられた。興奮が収まるまで前に進めないというのは久しぶりの体験。著者の名前を知ったのは1980年代のはじめ、「第一の敵」をはじめとするウカマウ集団の映画上映会のとき。雑誌や書評紙で評論を読んだ記憶もある。そのころ読んだ中では、菅孝行と天野恵一、そしてこの人が情況に対する最も洞察に満ちた発言をしていると感じたが、著作を追いかけることはしなかった。数年前、反天皇制連絡会の集会とデモのあとの打ち上げで、両隣に物静かで品のある紳士が座った。右側にいたのが太田昌国氏で左隣だったのが天野恵一氏。東京ではこんな偶然が珍しくないのかと驚いたが、著作の知識がないので表面的な話しかできなかったのをずっと後悔していた。そこで最近の著書から読んでみようと思い選んだのが2014年刊のこの本。若干、自伝の要素がある。まとまった叙述はないが、テーマや人物に沿って自分との、自分の問題意識との関わりを解きほぐしていくというスタイルのため、この人がいつどこでどのように育ち、どんな人と交わってどんな人生を送ってきたかが概略わかる。その中には太田龍こと栗原登一のような人物もいておやと思わせる。著者の思考の最大の長所は善悪や敵味方といった二元論を回避して出発する点にある。社会運動上のどのような英雄も絶対視せず批判と吟味の俎上にのせる。そうすることで逆にその敵対者や反対者の矮小さが際立ってくるし、またそうした人たちの視点の中にも見るべきものがあるときはくみ取っていくので、実にフェアだという印象も受けるし思考が豊富化していく。さらに、自分にとって答えの出ていないことはそのままそう書く。わからないことをわからないと言えない知識人が多い中、この態度は誠実そのものと感じられる。多くの新しい知見も教えられる。ナチス被害者への損害賠償をドイツ政府に命じるイタリア最高裁の判決や、1952年から60年にかけて弾圧したケニアの独立運動マウマウに対する謝罪と賠償をイギリス政府が決定したことなどである。13章すべて著者の誠実な思考に精神が沐浴したような気にさせられるが、最も重要なのは第6章「権力を求めない社会革命」であろう。ボルシェビズムとアナーキズムの簡略だか濃密な検討から、確信的なアナキストにならなかった理由をこう述べる。「小集団の中でなら可能な平和で水平的な関係性が世界の随所で形成され」「それらが相互に連なりあって民主主義的な世界空間の形成にいたる」と考えるとするなら、アナキズムは「小集団という地域性が人類全体を包括する世界性に到達する媒介項は何か」という理論装置を欠いている。氏はこの「欠如」を克服できる道筋を見いだすことできなかったので、確信をもったアナキストとして生きる道を選ばなかった、という。これこそ核心的だ。優れたノンセクトラディカルの多くがこの問題に直面し、やはり組織が必要だとボルシェビズム組織に吸収されていった。あるいは、日常領域の「変革」の総和が社会変革の実体だと脱あるいは没政治化していった。アナキズムの致命的な弱点をどう克服するかに、大げさに言えば原住民の復権を嚆矢とする人類の未来がかかっている。こう考える人間にとって、では太田氏はどう考えるのか、固唾をのんで次のページをめくらずにいられなかった。もちろん結論はないが、氏はメキシコのサパティスタ運動にその可能性を見ている。思わず快哉を叫んだ。というのは、イタリアのアウトノミア運動敗北後の日本と世界の運動を見ていて、可能性を感じたのは日本では松本哉らの「素人の乱」とメキシコのサパティスタ運動だったからだ。「若い男を特権化する」革命の小集団から武装した地域共同体へ。サパティスタ民族解放軍が歩みめざすこの方向こそ、マルクス・レーニン主義的な共産主義とアナキズムの欠点と矛盾を同時止揚するものだという直観に確信を与えてくれた一章である。この本の基調にあるのは「60年代」を60年代たらしめた重要な発言や行動、あるいは現代思潮社のような出版社の仕事というかその仕事をもたらした「精神」についての報告であり観察であり単線的ではない称揚であり、複眼的な批判である。経験の継承や人脈的連続性を超えて重要なのが、本書の副題でもある「精神のリレー」であり、これが「60年代」の意義を未来につなぎ生かすことなのだ。こうした思想的営為をほかの誰がやっているだろうか?ただ、60年安保世代とそれに続く世代の人たちと話していて、その楽天性というか、あえていえばお人好しなところに疑問を感じたことは少なくない。性善説を強く信じる人が多いと感じる。しかしイスラエルの子どもやクメールルージュの少年兵は、その年代ですでにシオニストになり虐殺共産主義の主体的な担い手になっている。つまり人間は生まれたときは白紙の状態であり生まれながらに善なのではない。スターリン主義者やカルト左翼には、そうした後天的な刷り込みばかりでなく、生まれつきの、遺伝子的な欠陥があるとしか思えない人間がいる。生まれつき悪魔のような人間というのはいるし、それが社会運動に紛れ込むことも決して稀ではない。オウムのようにそうした人物を教祖に戴く組織もある。こうした観察からはもう少しちがった見方もありうるし、いわゆる「内ゲバ」に対する考察にはほぼ100%同意するにしてもいささかの観念性というか「お人好し」ぶりに懸念を感じる。「内ゲバ」が最も隆盛をきわめた1970年代後半、党派間ゲバルトが運動空間の自由を保障する面があった。ざっくり言えば、中核派と解放派が革マルを殺していたがゆえに無党派学生運動が存在できた大学も少なくない。その意味で、党派間ゲバルトのマイナス面だけを指摘してプラス面にまったく触れないのは公正ではない。もちろん、そうした思考法こそ氏が最も嫌うだろうということを承知で、あえて言いたくなる。アナキズムが常に敗北してきたのはアナキスト諸氏とその理論が「お人好し」だったからではないだろうか。ロシア革命や中国革命ばかりでなく、スペイン革命におけるアナキストの栄光と悲惨を思うとき、ファシストとスターリン主義者を同一物とみなし、権力奪取のその瞬間に権力機構を粉砕する「悪辣さ」「ずるがしこさ」「徹底した執念」が必要だったという痛切な想いを禁じ得ない。繰り返し読むことになるだろうし、言及されている多くの書物にも目を通したい。そしてさらに思考を深め広げたい。そう思える書物に、ほんとうに久しぶりに出会った。
May 6, 2016
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1980年代のはじめ、労働運動関係の本を読み漁った時期がある。当時はまだ労働組合の組織率も高く、それなりに力を持っていた。反基地や反軍事演習の現地闘争でも官公労をはじめとした組織労働者の参加は多かったし、中小企業の労働組合も70年代に大学を卒業した人々が内部で組合権力を握り始めていて活気があった。労働組合の書記になった知人もいたりして、学生運動、住民運動と並ぶ柱のひとつである労働運動をきちんと勉強しておきたいと思ったのである。そんな中、当時はほとんど理解できなかったが最も印象に残り、いつかはきちんと読みこなせるようにならなくてはと思っていた本が本書。絶版になっているが、上下巻にわかれた新版が再版されているようだ。名著だ。1969年5月に刊行されているが、日本における労働運動の基本原則と戦術・戦略が完全に叙述されているという印象を持った。著者の陶山健一は共産主義者同盟から「革共同をのっとる」という志をもって分裂前の革命的共産主義者同盟に参加した人で、分裂後は中核派の最高幹部のひとりとなった。1997年に61歳で逝去しているが、およそ新左翼の活動家・指導者でこの人ほど党派と潮流を超えて敬愛されている人をほかに知らない。共産主義者同盟の島成郎や生田浩二よりは5歳ほど若く、北小路敏や唐牛健太郎とほぼ同じ世代だが、本書発表時は33歳に過ぎない。その年齢で、日本の労働運動全体を見わたし長所と弱点をえぐり出し、進むべき道を示しているのだからすごいというほかない。当の中核派は革命軍戦略による対革マル戦争と迫撃砲などによるゲリラ・パルチザン戦争に傾斜していくことになるが、もしこの人が本多書記長暗殺のあと中核派の書記長になっていたら、その後はかなり変わっていたのではないかと思わせる。この人の実弟は革マル派の最高幹部のひとりであり、革マル派に対しても影響力を行使できた可能性があるからだ。印象的なのは、街頭政治闘争の意義についての部分。ふつう、職場闘争と街頭闘争は対立的なものとしてとらえられることが多いが、街頭政治闘争を労働者の経験的教育の場としてとらえ、その重みを評価している点。これは、街頭闘争に一度でも参加したことのある人間ならたちどころに理解できる。街頭で機動隊と直接に向き合い、その暴虐を目の当たりにしたとき、100回の学習会よりも階級的意識を高めるものだからだ。わたし自身、野次馬的に参加した闘争で機動隊の暴力を受け「一瞬にして」国家の本質を知った。あれこれの国家の政策に対するおしゃべりや賛否の見解の披露ではなく、いわんや「投票」などではなく、国家そのものといえる警察権力の解体・打倒がいっさいの核心であることはこうした闘争を通じてのみ理解される。革命は、職場の労働者をどれだけ街頭闘争に連れ出すことができ、警察権力と軍隊を圧倒できるかで決まるし、それ以外のものを革命とはいえない。保守的・右翼的な労働組合であった動労千葉が、三里塚闘争への参加を経て最も強力な労働組合に生まれ変わっていったのは偶然ではない。観念的空語がひとつもなく、実践のための問題意識に貫かれて書かれている。具体的かつ徹底的だ。こうした著者の態度こそ誠実さの見本であり、見習うべきはそうした思想的態度である。
May 1, 2016
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長年、書店や図書館に通って思うのは、本というもののほとんどがいわゆる「トンデモ本」であるということだ。料理本やアウトドアガイドのようなマニュアル本でさえトンデモ本であることが珍しくないが、特に社会科学系の「トンデモ本率」は高い。ただややこしいのは、そうしたトンデモ本も、全部がトンデモ本というわけではないケースが多いことだ。トンデモな部分を読み飛ばすというか瞬時に見分ける能力が要求される。こうした能力を持つ人はめったにいない。わたしが知る限りでは、わたしのほかにはいないほど少ない。そういうわたしが「トンデモ本中のトンデモ本」と即断するのがこの本である。編著者の玉川信明は自称アナーキストのジャーナリスト(故人)だが革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派(革マル)創設者の黒田寛一(故人)とは若いころ「心友」だったらしくその縁か革マル派機関紙「解放」のダイジェストと言っていい本書を編纂することになったのだろう。上下巻合わせて1000ページ(価格は税込み1万円)を超える大著だが、読む価値があるのは巻末の玉川信明による黒田寛一インタビュー部分数十ページだけというしろもの。それ以外の部分は、1974年6月以降の革共同(中核派)と社会党(社青同解放派)による革マル派への襲撃を警備公安警察による「謀略」であるとする革マル派の機関紙誌の記事をほぼ時間順に並べただけ。革マル派は他党派による自派への襲撃だけでなく、国家権力に対する武装闘争をも謀略もしくは「官許の武闘」などと罵倒し中傷することで自分たちが国家権力と闘わない言い訳にしてきた。武装闘争は跳ね上がりであり組織温存が第一、実際に革命を行おうとするのは時期尚早であり「革命主義反対」をかかげ、権力と闘うすべての個人・団体・運動に敵対し妨害を加えてきた。その中には、破防法弁護団のような救援組織も含まれる。要するに、武装闘争・実力闘争で他党派が大衆の人気と注目を集め勢力を拡大していくことに嫉妬し、その嫉妬を理論で粉飾してきただけだ。闘わないことを路線化した彼らが国鉄・分割民営化においては当局の尖兵として「現代のレッドパージ」に加担するという大罪を犯したのは記憶にあたらしい。100人以上の死者を出した3党派による「内ゲバ戦争」だけでなく、完全勝利した芝浦工大全共闘による革マル撃退、日共民青を含めてほぼ全学が革マル追放に立ち上がった1973年の早稲田解放戦争、北大五派連合による革マル解体戦、80年代中央大黒ヘルノンセクトによる偽装革マルノンセクト撃滅の闘いなどを挙げるまでもなく、蛇蝎のように嫌われ放逐されていったのが革マルだった。その敗勢を覆い隠し、同盟員の動揺を抑えるために(たぶん)黒田寛一ら最高幹部によって決定されたのが「謀略論」による「敗戦隠し」路線だったのだろう。他党派には「世界に冠たる革マル派」を襲撃する能力はない。国家権力が直接にわが派つぶしに乗り出してきている。だからやられてもしかたがない。こういう論理だが、こうした論理はメンバーでさえ信じる者は少なく、脱落者の増加に拍車をかけることになった。実際にそうした人物を知っている。国家権力が直接に活動家を殺したり印刷所を襲撃したり、わざと警備に穴をあけて管制塔占拠を可能にさせる、などということはありえない。軍国主義の日本でも、関東大震災時にアナーキスト大杉栄らを虐殺した甘粕大尉は軍法会議にかけられているし、三里塚空港の開港延期で日本政府は大きなダメージを受けた。警察の大失点だったのだ。警備公安警察の基本戦略は1928年と29年の二度の大弾圧=一斉検挙で共産党を壊滅させた手法であろう。組織の情報収集を積み重ね、内部に潜入させたスパイの手引きによる一斉検挙というのが、たとえば共産主義者同盟赤軍派を壊滅させたのと同じ公安の伝統的手法である。しかし巻末の対談を読むと、黒田寛一じしんがこの「謀略論」を信じこんでいるように思える。盲目の一サロン哲学者にすぎない黒田に「謀略論」を吹き込んだ人物がいるのかもしれない。しかしそれにしても不思議なのは、もし革マル派の言い分をほんの少しでも認めるなら、2000年以降、こうした襲撃が行われなくなったことである。権力にとって活動家個人を暗殺しなければならないほど革マル派が革命的で危険な組織なら「謀略」は続いているはずではないか。現在のアルカイダやIS、ネオコンやシオニストはモハメッドやキリストの末裔であり、モハメッドやキリストの思想にその原因と責任の一端がある。それと同じように、マルクスやレーニンの思想のどこかに、革マルや連合赤軍、フィリピン新人民軍、ペルーのセンデロ・ルミノソやカンボジアのクメール・ルージュ、スターリン主義共産党を生み出すことになる陥穽と欠陥があるにちがいない。
April 27, 2016
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公共図書館の棚というのは本を愛する人間から見ると「死んでいる」。では書店の棚はというと劣化がひどい。ジュンク堂のような巨大書店はともかく、知性の墓場にさまよいこんだ気がする。その点では文系のいい学部のある大学の図書館の棚には生命力がある。探さなくても、読むべき本がこちらに向けて光を発している。しかしこの本は公共図書館で見つけた。図書館の分類法というのはもう時代遅れになっていて類書をその付近で見つけられなかったりするが、人気のない本が集まっている棚のあたりはいつも同じ本が同じように並んでいるので、ときどき稀少かつ重要な本を見つけることができる。大同生命国際文化基金が発行したこの「現代カンボジア短編集」(2001年)は、たぶん一般発売はされず寄贈されたものと思われるので、図書館でしか見つけることのできない本だろう。このように図書館に定期的に通う習慣を持たない人間は無教養になっていくが、この基金は「アジアの現代文芸シリーズ」数十冊をはじめアジア関連書籍をかなり出版しているようなので、ビルマやインドネシア、フィリピンなどの文学に親しんでみたいと思う。1966年生まれの岡田知子という人が編者であり訳者。80年代なかばに日本在住のカンボジア難民と関わったのをきっかけにカンボジア研究を始め、カンボジアに留学したという経歴の持ち主。あちこちの雑誌や新聞に発表された小説を読み集め、選択し、著者やその遺族に連絡をして翻訳と出版の許可を得るというのは大変な作業だったと思われる。そうした見えない煩瑣な作業に費やされた膨大な労力の前に、読む前から背筋を正されるような気がする。5人の作家の13編の小説が収められている。二人はポル・ポト以前、三人がポスト・ジェノサイド世代で1950年代後半以降に生まれている。最も若いソティアリーは1977年生まれ。1943年生まれのソット・ポーリンはカンボジア・ジャーナリズムの父と言われている人らしい。ポル・ポト革命時にはヨーロッパにいたため粛清を免れたが、ポル・ポト以前のカンボジアに今の時代にも通じる「実存的・退廃的」小説が書かれていたことに驚く。われわれになじみのある「文学」の身ぶりを持つ唯一の作家かもしれない。クメール・ルージュに参加し粛清されたクン・スルン、ジェノサイド以降の3人の作家の作品からは、「文学の誕生」の瞬間に立ち会うような清新な気分を味わえる。作品としては完結していなかったり、素材が生のままといった弱点は、むしろそのまま長所のように思えてくる。文学への懐疑、文学がなすべきことへの逡巡や韜晦はここにはない。文学が何のためにあり、何を目指すべきかが、戦後という「ゼロ」の地点からの出発であるだけに鮮明なのだ。ソファーの「退屈な日曜日」は、貧しい母子から毛布を盗まれそうになった主人公が、その毛布を分けあたえなかったことを後悔するという話。これが「戦後」のカンボジアの日常なのだろうし、日本でも同様のことはあった。しかし日本にはこうした小説を書いた人間はいない。文学の高みから庶民を「描いた」作家はいたかもしれないが、同じ庶民同士の体験としてこういう小説を書いた人間はいない。つまり、カンボジアはゼロからやり直すことに成功するだろうが、日本はそれに失敗したということだ。文学もまた社会の鏡なのだ。毛布を盗まれそうになった人間が、取り返したことを後悔して盗もうとした貧しい母子を必死で探しまわる。文学は良心を呼びさますことが第一義的な使命であるという基本を、殴りつけられながら教えられたような衝撃とともに読み終えた。
March 7, 2016
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フィンランドの映画作家、アキ・カウリスマキの本を見つけたので読んでみた。1957年生まれの彼の2002年までの作品の紹介が中心となっている。ところどころにカウリスマキへの6本のインタビューをおき、巻末には鈴木治行による論考、フィルモグラフィ、関連日本語文献などを収めるといった構成。カウリスマキの映画は「ル・アーブルの靴みがき」(2011年)を見ただけだが、現存する最も重要な映画監督のひとりという印象を持った。全作品を見てみたいと思う数少ない監督のひとりであり、発言が気になるひとりでもある。ブニュエルとフラハティの映画を見て、それまで見ていた映画は「商業的クズ」だったことに気づき、自分の映画はクソみたいなものだが「悪くない」、イランの映画監督の入国を認めなかったアメリカに抗議して映画祭への出席を辞退し、「フィンランドでキノコ狩りでもして気を鎮めたらどうか」とアメリカ国防長官に声明を発する。ブッシュとプーチンには会いたくない。会うと殺してしまいそうだから、とシニカルに語る、こんな映画監督がほかにいるだろうか?レイアウトがアート的で活字も小さく、雑誌ぽい作りおしゃれな作りで読みにくい本であることを除けば、カウリスマキの人と作品にかなり肉薄できる。これまでの作品を見てからもう一度読むとさらなる発見があると思われる。稀代の映画フィルでもあるカウリスマキが高く評価する映画の記事を読んだことがあったが、そうした映画を特集して見るのもおもしろい体験になるかもしれない。
March 1, 2016
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「日本人には二種類いる」を読んだので、類書をもう一冊くらいと思って見つけた本。著者は1957年大阪生まれの文筆家とある。古本に関する著作が多いらしい。昭和三十年代ブームは、明らかに映画「ALWAYS三丁目の夕日」からだろう。しかし、数本の映画で何かがブームになるというのは今の時代にはありえない。そもそも昭和三十年代がブームになるような土壌があったということだ。それが何かを考えるきっかけにしたいというのもこの本を読もうと思った動機のひとつだが、「日本人は二種類いる」と同じで、そうそうそんなものもあったしそんなこともあった、という「世代の備忘録」の域を出ない。かくいうわたしは著者と同年だ。昭和30年代の後半ははっきりと記憶にあるし、昭和30年代的なもののどれがその後も残り、どれがあっさり消えていったかも見てきている。同窓会と同じで、忘れていたことを思い出したり、あの時代にタイムスリップしたりという楽しみは味あうことができたが、もっと下の世代、いまの20代がこの本を読んで持つ感想を知りたいものだ。「日本人は二種類いる」では食生活や家族の変化が多く取り上げられていたが、この本ではそれらと同じくらいの重さでアニメやオーディオ、土管と空き地、家電と下水道について語られる。それもある種の「熱さ」をもって。その「熱さ」には共感するが、やはり大阪という大都市で育った人の本という印象にとどまる。アニメやプラモデルや空き地での缶けりにもたしかに夢中になったが、畏怖すべき自然はまだ周囲に健在で、まだ人類が月に行ったことのない時代に宇宙は神秘そのものだった。遊びは発明するものだったし、つまり子どもの世界とおとなの世界ははっきり断絶していた。親の権威、年長者への尊敬はまだ保たれていた。こうしたことへの言及があればこの本の価値は高まったと思うが、岩村本と同じで、風俗の羅列にとどまってしまっている。岩村本では雑誌などの資料からの引用が多かったのに比べると実体験の割合が多い分、体感的に共振するし細部の記憶はさすがだ。しかし、やはり人間の小さい「都会っ子」が書いた害のないトリビアリズムという域を出ない。冒頭、1969年1月に何歳だったかでその人が決まるという黒沢進の説が紹介されている。社会人1年生だった人間は「永遠の若手サラリーマン」、大学生だった団塊世代は「永遠の大学生」だというわけだ。この本の著者もわたしもそのときは小学6年生だったから、われわれは「永遠の小学6年生」なのかもしれない。そう思うことにしておこう。そうであるならば、永遠の小学6年生として、中学生以上の「老人」たちを嘲笑し弾劾し踏み越えていこうではないか。
February 27, 2016
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著者の名前が何となく記憶にあると思って手にとった本。「親の顔が見てみたい!調査」「変わる家族変わる食卓」などの著者があるので、どれか立ち読みしたことがあったのだろう。「1960年の断層」という副題がついている。1953年生まれの著者は、戦後日本の大きな変化をリアルタイムで経験した世代。この本の主旨である、1960年生まれの人たちの成長と共に日本社会が大きく変わったという時代の変化を、すでに自我を形成した人間の立場と経験から見つめることのできた世代に属する。この時代の変化は、はっきりとおぼえているものもあるし、うっすらとしか記憶にないものもある。それに大都市と地方ではタイムラグもあり、一気に変わったわけではないから首肯しない、できない部分も散見される。しかし、親が戦後教育世代、自宅ではなく産院で生まれ、粉ミルクと離乳食と育児書で父親不在の母子中心家庭で育ち、休日には家族でレジャーに出かけ、生まれたときからテレビとインスタント食品があり、というふうに列挙されていくと、1960年生まれの前と後では断絶といえるほどの変化があったことは納得できる。日本社会は数としては圧倒的に多い団塊世代に合わせて変化したように思っていたが、そうではなく60年生まれの成長と共に変化していったのだという事実に瞠目させられる。そしてその後の変化は、この世代が初めて体験していった諸々の事象の変化に比べれば小さいというか、そのバリエーションや延長でしかないということに気づかされる。ただ、食生活など日常世界の変化(というか便利さや快適さを追求する商品やサービス)に焦点が絞られているので、読みやすい反面、それだけがこの世代から下の世代の変化を説明できる理由のすべてだろうかという疑問、それもかなり根本的な疑問を感じる。たとえば、為替の変動相場制への移行、1970年代なかばの不動産バブルの崩壊、二度にわたる石油ショックなどはこの世代の精神形成、保守化と内向化に大きく影響したが、そうしたことにはまったく触れられない。アニメソングしか共通の「歌」のない、冷凍食品とインスタント食品で育ったオカルト宗教に免疫のないこの世代の特徴は、高度経済成長の闇の部分である「公害」や1972年からの強烈なインフレとも無縁ではない。結局、あまり政治や社会に興味のない、しかし少しばかり知的なアンテナの広がっていた女性が、自分の見聞を補強する事象をデータとして収集し整理し分析しただけという印象。その手際がよくムダが少ないので納得させられるような気がするのだろう。交通機関で移動している最中とか、集中力を要求される読書ができないような時にはいいが、そうでないときにまで時間をさいて読む価値はない。まあ、ゲームをするよりはマシな時間の使い方だろう。世代論に興味を持ったのは会田雄次の「アーロン収容所」を読んで以来だ。人間を根底のところで規定するのは何なのか、DNAなのか環境なのか「下部構造」なのか。そのいずれでもあり、そのいずれでもないのだろう。この本はそれを「環境」に一元的に求め説明しようとする点で、著者の善良な意図にも関わらず悪書である。
February 26, 2016
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このところアタマが悪くなった気がする。加齢のせいにしてはひどい。理由はわかっている。10月に行った山形でおいしい日本酒にあたり、日本酒を飲むようになったせいだ。コッパなどの生ハムに合う酒をいろいろ試して、結局日本酒にいきついて飲む機会が増えた。ワインを飲むときよりも量は控えめにしている。しかしふだん使っているような言葉が出てこなくなったり、モノの置き忘れという症状は日本酒のせいだろう。それは飲んだ次の朝に料理をするとわかる。日本酒を飲んだときは手際よくできない。同時進行ができないのだ。日本酒はやめるにしても、アタマのさびつきを防ぐのに最も効果的なのは読書だろう。多くの人はネット検索で自分の意見を補強してくれる記事を読んで慢心するようになっている。日本ではインターネットは反権力のツールであるよりはファシズムのエンジンとして機能している。そこでインターネットの利用は必要最小限にして、アナログな本に帰ろうと思ったのだ。この「若き日々」は1966年に新潮社から刊行されている。「チャップリン自伝」の3分の1ほどの分量だそうで、極貧の幼少期からアメリカで成功して一躍有名人になるまでの部分。無類におもしろい読み物だった。極貧と一言に言うがチャップリンのそれは壮絶だ。驚くのはチャップリンの記憶力である。中には記憶ちがいのこともあるのだろうが、極貧生活の細部にわたる記述には圧倒される。それが単なる事実としてではなく、そのときの感情と一緒に記述されるので強く印象に残る。どん底の生活、貧民院での理不尽な刑罰、発狂した母との別れと再会の繰り返しといった一連の出来事を知ると、大男や金持ちや偽善者に対する反感、親子や家族の情愛を何よりも尊ぶチャップリン映画の特徴の源泉がわかった気がする。6、7歳の子どもにとって母とも異父兄とも別れなければならない寂しさは想像を絶するものがあるが、このくだりを読んで号泣しない人間の体には血ではなく不凍液が流れているにちがいない。中野好夫の訳もいいが、チャップリンの文章力にも感嘆させられる。無惨な失恋に終わった最初の恋人とのデートやその後のいきさつなどは、まるで一編の映画を見ているような気にさせられる。そして早世してしまったというこの彼女が、チャップリンの実人生にも映画にも大きく影響したことに思い至る。印象的なのはチャップリンの批評眼である。映画の黎明期、ドタバタ劇に終始していた喜劇に対する批判から芸術的な価値のある喜劇を生み出していくのだが、その批評がこの上なく的確なのだ。学校にも行っていず読み書きも怪しかった少年がなぜそのような批評眼をもつことができるようになったのかは真剣に考える価値のあるテーマだ。チャップリン自伝は絶版になっている。続きを読むために図書館に取り寄せの予約をしたところだ。
February 22, 2016
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衝撃的な本だ。もちろん本が衝撃的なのではなく、中国が東トルキスタンでやっている虐殺、拷問などの人権抑圧、ウイグル人差別が衝撃的なひどさなのだ。文春は極右出版社だ。ホロコーストの否定やナチス賛美が犯罪であるドイツでは、文春の本や雑誌には翻訳出版すること自体が不可能なものがたくさんある。そういう出版社から著書を出す著者についても、その不見識を一応は疑っておく必要がある。だが本の出版は出版社の担当社員との個人的な人間関係を契機にすることが多い。この著者のように良心的な著者の優れた本がこうした出版社から出ることもあるゆえんだ。しかしなぜ岩波やちくまから出なかったのだろうか。こうした出版社から出た方が、はるかに多くの人が読んだだろうにと思う。取材費用を負担してもらっているといったような事情がなければ、単純な「反中国運動」に利用されかねない本書のような内容の本を「極右出版社」から出すなどありえないし、あってはならないことだ。NHKの「シルクロード」を持ち出すまでもなくシルクロードに憧れる人、実際に旅する人は多い。トルファンやウルムチを起点にカシュガルを経由し中国パキスタン国境のクンジュラブ峠を越えてフンザやギルギットまで行くカラコルム・ハイウェイはバックパッカーにとって憧れだ。一般の旅行者が8000メートル級の山を近くから見ることができる場所はチベット側からのヒマラヤとここしかない。登山愛好者にとっては天山山脈もある。登山自体はエキスパートの世界だが、キルギスやカザフスタン側にはお花畑と氷河のハイキングコースもあり、手軽に絶景が見られるようだ。いつか行きたいと思っているこのあたりのことを知りたいと思い、手にとったのがこの本。著者は近現代日中関係史が専門の人で、北京に留学経験もある。副題は「亡命者が語る政治弾圧」。中国でいう新彊ウィグル自治区、東トルキスタンで中国が行っていることは断片的には耳にしていた。チベットと同じようなことをやっているにちがいないと想像していたが、想像以上にひどいことが本書を読んでわかった。著者は2006年に「世界ウィグル会議」現主席のラヴィア・カーディルにインタビューしたことをきっかけに、世界各国に散らばるウイグル人亡命者への聞き取り調査を行うようになったという。その中から、武装闘争にかかわった人をのぞき、人柄に魅力を感じたり証言が信頼に足ると思われた人たちの証言を紹介し検証したのがこの本。大富豪から独立運動のリーダーになり滞在しているアメリカで「暗殺」されかけた前述のカーディル、ヨーロッパでの独立運動のリーダーであるドルクン・エイサ、タクラマカン砂漠での核実験による被害を告発した医師アニワル・トフティ、東トルキスタンの学術調査を行っただけで「スパイ」とされ逮捕された東大大学院生トフティ・テュニヤズのほか、1997年2月の「イリ事件」に連座した3人、ウイグル社会の最底辺に育ち、難民同然にアフガニスタンにいてアルカイダと誤認されアメリカ軍に逮捕されグアンタナモ収容所に長期拘留された5人の、合計12人の聞きとりが収められている。これが現代かと思うような中国の弾圧のひどさはともかく、亡命者や政治難民を中国に送り返す中央アジアの国々、非を認めない不誠実なアメリカ、グアンタナモの5人を受け入れたアルバニア政府といった情報が得られたのは貴重だ。キルギスの警察の腐敗などについてはバックパッカーの間でも広く知られているが、送還すれば殺されるのがわかっているのに送還するこれら中央アジアの国々は虐殺加担国家として糾弾されなければならないし、アルバニアのような国については旅行と友好を検討すべきだろう。大事なのは、ウイグル問題やチベット問題(中国による東トルキスタン侵略やチベット侵略)にかかわって運動をしているのが、日本では極右勢力だということだ。著者も、政治・歴史的に理解するより先に、単純な話に飛びついて「正義」を主張するような「保守派・愛国派」に対する批判を「おわりに」で述べている。日本の極右勢力と中国共産党は極似している。同類と言ってもいい。南京の人口が20万人しかなかったのに犠牲者を30万人という南京大虐殺はなかったというのと同じウソの論理を、中国共産党はチベット大虐殺で使っているからだ。どちらも卑怯者なのだ。南京大虐殺やチベット大虐殺が正しいなら、なぜ堂々と虐殺を正当化しないのか。民族問題というが、パレスチナ難民は1千万人を軽く超えるし、カレン民族は500万人、ウイグル族も1千万を超える。ヨーロッパの小国より多い数の人間が、住むところを追われ、虐殺され、ひどい人権抑圧にさらされているのがこれらの地域である。パレスチナ問題以外は、「社会主義国」の「国内問題」であるという意識からか、左翼・新左翼勢力は取り組まず、極右勢力がこれらの問題を利用する状況が野放しになっている。こうした状況を変え、実効性のある独立運動支援を作り上げるには何が必要か。本書からはそういったこともくみ取ることができるだろう。
August 3, 2013
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同じ著者の「韓国の昭和を歩く」のきちんとした日本語と内容に好感を持ったので、食べ歩きガイドブックとでもいうべき本書を読んでみた。読書の目的はいろいろだし本もいろいろだ。知識や情報を得るためにうのみするように本を読む人が最も多いだろうが、本を読むのは自分であって、徹頭徹尾、エゴイスティックな行為であるべきだ。LCCが就航してアジア個人旅行がしやすくなった。北海道からは韓国・台湾・中国・香港・タイの順で行きやすい。韓国へは毎日5~6便出ている。どこへ行っても同じようなチェーン店が並ぶ金太郎飴のような日本の旅はつまらない。古都に興味はないし、北海道にかなう大自然は本州以南にはない。韓国の地方には、日本の1960年代や70年代のような風景がまだ残されているという。そういう風景の中で本場の韓国料理を食べるような経験をしてみたいとかねがね思っていた。しかしふつうの旅行ガイドブックの情報などあてにならないし、有害なだけだ。フランス料理の源流がイタリア料理であるように、沖縄そばやたこ焼きが戦争から生まれたものであるように、料理にはその国、民族の歴史が凝縮している。だから、そうしたことを踏まえた人が書いたものでないと、どうしても軽薄な内容になってしまう。その点、この本は完璧。この本を片手に韓国を歩けば、韓国で最もおいしい韓国の代表的な料理を味わえるだけでなく、土地柄やその料理が生まれた背景なども同時に「学ぶ」ことができるにちがいない。こういうのが生きた「学習」だ。この本を読んで大まかな旅行計画を立ててみた。この本の第2章にしたがってまず釜山に入る。名物はテジクッパとミルミョン。ミルミョンは北朝鮮の冷麺がこの地で変化してできたもの。釜山のある慶尚道はマッコルリの名産地で韓国の他の土地よりおいしいというから、花飯という名の美しいビビンパブで有名な晋州にはぜひ滞在してゆっくり味わいたい。第4章「味といえば全羅道」は全5章のうちで最も分量が多く、著者の筆にもこの地の食べ物のおいしさを伝えようという熱がこもってくるように感じられる。時間があれば済州島から北上して全羅南道、全羅北道と北上し、この「食の都」を味わいつくしたい。この地方、特に全羅南道に豊かな食文化が花開いたのは、この土地が流刑地であったからだという著者の指摘は興味深い。第5章「辺境の地で咲いた芳味」は情報としても貴重。ソウルの東側にある江原道はそば料理が多いらしい。また朝鮮アザミの炊き込みご飯などが健康食として人気になってきているという。こういう、日本の韓国料理店では食べられないものをぜひ堪能したい。ソウルのことはあまり書かれていないが、この著者には「ソウルを食べる」という共著書もあるようなのでそれをあたることにしよう。1967年生まれの著者が2006年に書いた本なので、情報は古くなりつつある。60年代~70年代的風景、そして人情が失われないうちに行っておきたいものだ。
August 2, 2013
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チュニジアに始まりエジプト、そして中東各地に波及した「アラブの春」に違和感を感じ始めたのはリビアからだ。チュニジアやエジプトで起きた革命には共感したが、リビアの事態はまったく理解できなかった。シリアについてはなおさらだ。アメリカが軍事介入をほのめかしはじめ、イスラエルが空爆を始めるにいたっては、アサド政権を支持する方が正しいのではないかとさえ思うようになった。チュニジアやエジプトの革命は、革命の名に値するものだった。エジプト革命はいままた軍によるクーデターによって歪められつつあるが、政権の腐敗、高い失業率、食料品の高騰によって生存そのものを脅かされた人たちのやむにやまれぬ決起だった。イエメンもそうだが、それゆえあっけなく政権が崩壊したのだ。こうした民衆決起を「興奮状態」などと評した人間もいたが、世間知と人間的想像力の欠落は先進国の支配層(1%の人々)や中間層(1%になりたがる人々)に共通ではあるだろう。しかしリビアやシリアはちがう。長く続いた政権の腐敗、人権の侵害はたしかにあった。しかしいずれも社会主義国であり、社会福祉はエジプトなどとは比較にならないほど充実していた。一般の民衆が革命に決起する動機そのものが、ないとは言わないまでも希薄だ。これは、「アラブの春」に乗じた先進帝国主義による戦争放火ではないのか。そんな疑念を持っていたところで読んだのがこの本。目のウロコが落ちまくる本だった。日本にいると、どうしたも偏った部分的かつ一面的な報道や解説しかない。NHKはいつも宗派対立による宗教戦争に還元する。しかし、戦争は宗派対立などからは決して起こらない。戦争とは軍事をもってする政治の延長だからだ。レバノンで生まれ育った著者の視野はどこまでも広く、細密かつ公平で、曇りがない。体制派にも反体制派にも与することなく、革命や内戦にほんろうされる市井の人々の立場からアラブ世界で起きていることとその意味や背景を解き明かしていく。特定の勢力や主張に読者をリードすることなく、どこまでもフェアに、いまアラブで起きていることを教えてくれる。重信房子の娘であることから、彼女に対して偏見を持つ人は多いようだ。だが、どういう人でも、本書を読めば、彼女が超一流のジャーナリストであることは認めざるをえないだろう。ジャーナリストや大学教授にしておくには惜しい人物だ。感動したのは、随所から感じられるアラブ世界に生きる人々への優しい視点である。美人な上に優しく聡明。現在の世界に彼女以上のすばらしい女性がいるだろうか?アメリカのベトナム、イラク、クェート、アフガニスタン侵略、ソ連のアフガニスタン侵略、イギリスのアルゼンチン侵略、イスラエルのパレスチナ侵略のように白黒というか善悪のはっきりした戦争とちがい、特にシリア内戦などはどの勢力が正義なのかわからない。しかし、欧米や日本のマスメディアがたれ流す「ウソ八百」の報道にまどわされ判断を誤りたくなければ、少なくともこの本を読むべきだ。アラブ世界全体の問題であるイスラエルによるパレスチナ侵略問題、石油や資源をめぐる大国の争闘戦といった視点が不可欠であることもこの本は教えてくれる。
July 18, 2013
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コーヒー好きの物理学者が書いた本。著者は1940年生まれの大学教授。金沢の人。自分で焙煎したコーヒーを飲んでいて不思議に思ったことがいくつかある。ひとつは、焙煎してすぐよりも、2~3日たってからの方がおいしいということ。この本には、その理由というか実験結果が出ている。それは、粉にお湯を注いだときの泡立ちの泡の大きさがフラクタル指数で2に近い(つまり均一)ほどおいしいということで、それは焙煎して72時間後の豆だという。また、焙煎3日後に粉砕した粉の大きさで香りがどうなるかを調べたデータも載っている。粗挽きほど、つまり粉の直径が大きい方が香りが強くなるという結果が出ている。おもしろいのは、煎り豆の状態で保存した豆は、1~2日後に香りが極小点を示し、その後上昇して3~4日後にピークを打ち、その後ゆっくり減少していくというデータ。粉で保存したものは開封直後からどんどん減少してしまう。これらのデータからわかるのは、焙煎して3日後の豆を、やや粗めにひくのが香りの豊かなおいしいコーヒーを飲むコツであることだ。もちろん、豆そのものの個性と焙煎のしかた、挽き方、抽出法やお湯の温度といった要素も大事だが、肝心なのはこの点。もうひとつ興味深かったのは、パリで遭遇したおいしいコーヒーの秘密を調べてみたら、焙煎した豆をコーティングしたものであったという経験。何でコーティングしたかはとうとうわからなかったらしいが、3ヶ月たっても味が変わらなかったというからすごい。コーヒーに限らず、料理の類は化学と親和性が高い。化学や物理の専攻生に料理をさせると上手なことが多いものだが、料理は分子の運動と変化で9割方説明ができるものなのだ。微粉については、学生を使った賞味実験が参考になる。最初は、微粉が多い方がコクと甘みがあると感じるが、だんだんエグ味を感じるようになるのだという。微粉の量の調節が大事だということがわかる。すっきりした味のコーヒーを淹れるためには微粉を10%以下にすることが重要なようだ。工学的視点からコーヒーを見るというまたとない体験をさせてくれ、また読み物としてもおもしろいエピソードが散りばめられた、発見のある楽しい本だった。
June 30, 2013
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銀座にカフェ・ド・ランブルという喫茶店がある。今年99歳になる関口一郎という人が経営していて、いまもときどき店に出ているらしいが、日本における珈琲文化の生き字引のような人。その人が書いた短いエッセイを50話分集めた本。エッセイの一話一話は短いが、どれも長年の経験と思考が凝縮している。珈琲に対する著者の真摯な姿勢に襟を正すような気持ちになるし、とてもここまでの境地に到達するのは不可能という気になる。珈琲について、豆から焙煎法、カット法、抽出法にいたるまで徹底的に考察しぬいたそのこだわりと執念には敬服させられる。ひとつ大きく共感したのは、日本人は舌ではなく頭で飲んでいる、という指摘。ブルーマウンテンは日本で8割が消費されているというが、日本人のブランド志向は珈琲のような嗜好品にまで及んでいる。日本ではマンデリンも人気があるが、生豆でとってみたところひどいものであるのがすぐわかった。品質低下がひどい。にもかかわらずマンデリン人気が変わらないあたり、ほとんど信仰の域に達しているブランド志向は日本の珈琲をダメにしている。微粉の発生が珈琲の味を損なうという指摘には瞠目させられた。プロペラ式のミルでカットするとまずくなると感じていたので、その理由がわかったのは収穫。日本に輸入される珈琲豆の質が落ちているのには、安く買いたたく商社の動きなどが関係しているらしい。タンザニアの豆など、良質なものはヨーロッパにまわり、粗悪品が日本に来ているのだという。近所のスーパーを見ていても、豆のままの商品はどんどん姿を消している。珈琲で重要なのは挽きたてで淹れることなのに、こういうことに無頓着なのは呆れるばかりだ。この四半世紀、日本の珈琲が「まずい上に高く」なっているのを不思議に思っていたが、この本を読んでその理由がわかった。理由がわかったから、おいしい珈琲に出会う方法もわかった。
June 29, 2013
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日本人に生まれてよかったしみじみと思うことがある。桃屋のイカの塩辛を食べたときではない。外国で活躍し、称賛を一身に集めるような功績を持つ日本人を知ったときである。そうした日本人は決して少なくないが、そうした日本人の中でも最も有名で慕われているのが日本赤軍のリーダーとされる重信房子だろう。アラブ世界では、リッダ闘争の生存者岡本公三と彼女の名は広く知られている。新右翼の鈴木邦男は、彼女こそ外務大臣に最もふさわしい人物というが、この本を読むとその意見に納得できる。本書は、彼女の娘であるメイの日本国籍取得のために法務局あてに出した上申書だという。警視庁の留置場で、机もなく、資料と筆記用具を同時に所持できないという悪条件の中、2ヶ月たらずの期間に書かれたものだ。そうした事情を知って読むと、まず彼女の驚異的な記憶力と筆力に圧倒される。この本は自叙伝の趣きを持つ。どんな自己憐憫も自己正当化もなく、過ちをも素直に認めた飾り気のない真情のみが書かれているように感じられる。それは、苦労を強いた娘に対してのいくらかの弁解が含まれているせいもあるように思う。この本が「元日本赤軍リーダーの独白」にとどまらない普遍的な価値を持つのは、母と娘の関係を歴史と時代の広いパースペクティブの中に位置づけ、語っている点にある。母から娘に手渡されたバトン、それは「国境に左右されない人間関係」であり「民族が共生できる21世紀」だが、ジャーナリストとして活躍するメイは、母から手渡されたバトンを理想的なかたちで自分の仕事として実現しているように思う。日本赤軍や岡本公三がアラブの地でどれほど尊敬され思慕されているかは、さまざまな媒体で知ってはいた。だが、釈放されたオカモトを100人のコマンドが防衛したとか、数万人のパレスチナ人が涙ながらに感謝の接吻を求めたという話には、オカモトのような英雄的な人間を同胞に持ったことに、日本人としての誇りさえ感じる。1980年代のクエート危機やイエメン動乱といった際には、日本人救出のために「あの」中曽根康弘と連携したいきさつも書かれている。外務大臣どころの働きではない。そんな重信房子を「赤軍罪」とでもいうべき冤罪で無期懲役にした日本の司法当局は万死に値する。裁判官をブチ殺してやろうと思って調べたら、天罰があたったのだろう、60歳ですでに病死していた。本を読むことをおぼえて50年になる。いままでに読んだ数千冊の中で、平易な言葉で書かれた最も感動的な一冊だった。
June 9, 2013
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著者の名前には見覚えがあると思って手に取った本。沖縄の「日本復帰」後、沖縄県知事をつとめたことのある人。1969年に刊行された同名の本の新版で、第4章のみ全面的に書き改めたとある。2000年5月に刊行されている。教育と学習は、根本的に異なるというより対立する概念である。ある偏見を一方的に押しつけ、非本質的な知識を増やすのが教育だ。一方、何を知らないかを知り、知らなかったことを認めて知らなかった自分を「発見」するのが学習である。学習は、限りなく「哲学すること」に近い。沖縄については知ったつもりでいた。何度か行ったことがあるし、ニューヨーク・タイムズが「醜悪の極地」と報じた沖縄戦、日本帝国主義が沖縄に対して行ったことについても、観光地としての沖縄にしか興味のないふつうの日本人の数十倍の知識があると自認していた。しかしこの本は衝撃だった。知らないことばかりだったからだ。その意味では、わたしもまたこの本の著者の言う「醜い日本人」のひとりであったと言わなければならない。この本はすべての日本人が読むべき告発と弾劾の書であり、沖縄を軸とした歴史と戦争の記録の書でもある。主観的な戦局判断で無用の犠牲を重ねた太平洋戦争末期の緒戦や、中国での侵略と殺戮と同じことを沖縄でも行った旧日本軍の蛮行、その本質についての考察にはあらためて戦慄を禁じ得ない。天皇の免訴と引き替えに沖縄をアメリカに売り渡した密約については周知となっているが、このことについても筆鋒するどく日米両政府と「無知とエゴイズム」によって政府に加担する「日本人」の責任について追及している。再刊時に追加された最終章には、沖縄人を差別した上で境界線を北緯29度線に決定して分断・支配したアメリカと、沖縄をアメリカに売り渡したヒロヒトによる「天皇メッセージ」に端的な日本の沖縄差別という二重の差別などが語られている。性格温厚な天皇ヒロヒトが、実はどれほど狡猾で保身しか考えない人間であったか。このことを、すべての日本人は厳粛に受け止める必要がある。大事なのは、著者が言うように、まず知ることだ。沖縄が強制されてきた歴史的道程についての正確な知識を持つことが最小限必要であり、そこからしか未来の処方箋は得られようがない。それにしては日本人は沖縄について知らないし、知ろうともしない。「本土」もしくは日本人との「断絶」を思うとき、沖縄は独立した方がいいのではとさえ思う。沖縄だけではない。中央政府を打倒し権力奪取するのではなく、むしろ地方政府が林立し小国家に分裂していく。そんなすばらしい未来の可能性についても考えさせられた。
June 8, 2013
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冒頭で「知人」の例が紹介されている。大学の非常勤講師をしながらコンビニでアルバイトをしている33歳の女性。大学院博士課程を修了した「博士」が、月収15万円で生活しているという。こうした「高学歴ワーキングプア」がなぜ生まれたのか、それも大量に。その疑問に答えてくれるのがこの本。本文を読まなくても「はじめに」の6ページを読むだけでその答えがわかる。それは、少子高齢化による大学市場の縮小に直面した文部科学省(と東大)が自らの「権益」を守るためだったという。天下り先や各種補助金、卒業生の派遣先といった各種権益。大学市場が縮小しては守ることができないそれを、大学院生の増加によって埋め合わせる。こうした政策によって大量の大学院生が生み出され、「高学歴ワーキングプア」になっているのだ。本文では豊富な実例が紹介されている。就職氷河期の卒業生が大学院進学を勧められオーバードクターになった例などは、他人の不運を食いものにするドス黒い官僚の欲望の犠牲とさえいえる。著者はさまざまな仕事をこなしたあとで大学に入り直し、37歳で大学院を修了したという人。生活力のあるたくましさが文章から感じられる。その結論は大学院は生涯教育の場にした方がいいというもの。もし大学院に行くなら、就職のためではなく、キャリアパスのためにした方がいいという「前向き」の提案もある。いちばんの問題は学校法人がもともと持っていた「利他の精神」をなくしたからだという指摘はもっともだ。国立大学への進学を妨害しておきながら合格すると自校の宣伝に利用した私立高校の話が出てくるが、人間として最もやってはいけない不誠実なことをいまや「教育機関」がやっているのだ。しかし、得度したという著者が「利他の精神」をいくら説いたところで、既得権益を守ることしかアタマにない連中は耳を貸さないだろう。彼らのアタマに必要なのは説教ではなくバールの一撃である。1000校ある大学のうち定員割れは4割、いずれ7割の大学が消滅するという予測がある。昔は週1回の家庭教師のアルバイトで授業料を払うことができたが、年間100万円近い授業料を払うのは不可能だ。最初から大学進学を諦める人たちも増えるだろう。貧困が世代を超えて拡大再生産され、大学市場の縮小は加速化していく。親にしてみれば、そんなことはどうでもよく、自分の子どもさえいい大学を出ていい会社に就職できればそれでいいだろう。だから矛盾を考えることもない。だから高い学費をせっせと払い続けることになる。子どもを人質にとった詐欺・搾取機関が大学と大学院にほかならない。やはり大学解体を叫び自主講座運動によって大学に学問を取り戻そうとした全共闘運動は正しかったのだ。年に数万単位で生み出されてくる「高学歴ワーキングプア」は、いまは羊かもしれないが、狼になる日が来るかもしれない。「フリーター全般労組」が行った「自由と生存のためのメーデー」にかかげられたスローガンには、既成の組織や運動にはない詩的で全体的なイメージがある。「食いもの」にされてきた者たちが、食いものにされてきたその構造に気づくこと、そして食いものにした連中への怒りを解き放つことをこそ援助していかなければならない。
May 27, 2013
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戸井十月という人を知ったのは1970年代後半、「旗とポスター」の著者として。粘らない、爽やかな文体が印象的だった。それからはバイクで外国を旅するドキュメンタリーを何度か見た。「いかしたオヤジ」といった風貌や服装センス、万年青年ぽい好奇心と社会派的視点のバランスに感心することが多かったが、いかんせんテレビ番組では限界があった。しかしこの本はすばらしい。着眼点や観察力、批判精神などに元武蔵美全共闘の面目躍如たるものがある。「紀行作家」戸井十月は沢木耕太郎を超えている。過去の旅(中には日本の話もある)の折々に遭遇した、文明や文化といったものを考えさせるエピソードをランダムに集めたもの。「深夜特急」のように時系列で旅を記述したものではない。ヒマな旅人のエッセイや自分探しの文章とは一線を画している。さりとて職業的ジャーナリストの外形的なルポともちがう。非常に優れたジャーナリストの資質を持った人がバイクや車で地を這うような旅をするとこういう世界が見える、という印象。文章力もさすがで、キャッチの文章からしてうならされるものがある。戸井十月は、ずばりと本質を見抜く力を持っている。第6章「夜の女たち」には、「日本人はおとなしくて優しいし、金払いがいいから」と日本人をほめ中国人や韓国人の悪口を言う売春婦のエピソードがある。売春婦は世界中、おしなべてそうなのだという。戸井自身、中国人や韓国人が夜の町でトラブルを起こす例をたくさん見てきたという。しかし彼らが騒ぎを起こしてしまう原因は、男尊女卑の儒教や血の気の多い民族性の問題ではなく、彼らがおかれた劣悪な労働環境と安い賃金にあると喝破する。日本人の「優しさ、気前のよさ」は、要するに経済的な余裕から生まれていることを見抜く。普通の日本人なら、レイシストのように「やはり中国人韓国人はダメで日本人はいい」としか思わないような場面である。第11章「青年の意志」での、ロサンジェルスの「ガーディアン・エンジェルス」に関する記述もおもしろい。犯罪抑止のために非暴力で行動しているボランティア自警団だが、活動の簡潔な紹介のあとで「正義」と「民主主義」を世界中に輸出しようとするお節介の芽が、すでにここにある、という。慧眼というべき指摘には圧倒される思いがした。1995年に晶文社から出版された本だが、内容はいささかも古くなっていないし、古くなることはないだろう。人間の愚かさもすばらしさも、変わりようがないからだ。その人間の愚かしさとすばらしさの過半がこの本には記述されている。
May 26, 2013
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副題には「日本の不公平を考える」。著者はマサチューセッツ工科大学出身で国立人口問題研究所の室長とある。官僚ぽい人の書いたものなのでどうかと思ったが、「あとがき」を読んで、全部読むことにきめた。1998年に新宿段ボール村が消滅させられた際、何もできなかった無力さに対する無念がしるされていたからだ。この著者は学者ではあるが、ホームレス村のなくなった新宿西口を「非人間的で無機質な空間」と感じる感性は、中産階級の小市民的な感覚とは一線を画す。「はじめに」でことわっているように、この本はルポルタージュではなく、アカデミックなものである。そのため多少の難解さがある。しかし、客観的なデータを牽強付会することなくデータそのものに語らせ、そこから日本と世界の貧困と不公平を浮かびあがらせてくる著者の執筆態度は真摯で誠実さを感じる。この本における著者の手法を真似れば、時代と場所が変わっても、同じように分析でき問題の所在がわかるだろう。そういう意味ではこの本自体にツールとしての価値があるといえる。「データは政治を動かすパワフルなツールである」という著者の信念は、国連時代に作られたものだろうか。最も印象的だったのは、子ども期の貧困はあとから解消できない「不利」であるという結論。膨大なデータと比較によって証明されている。このことで思うのは音楽教育である。管楽器や打楽器とちがって、弦楽器やピアノは早期教育が必要で小児期に教育機会がなければ上達には限界がある。識字教育もそうだが、スタートの遅れは致命的なのだ。「絶対的貧困」と「相対的貧困」について知ることができたのも有意義だった。貧困と一口にいうが、その概念はあまりにあいまいと感じていたからだ。絶対的貧困は日本にはほとんど見られないが、地球規模では最大の問題である。この問題についてのこの著者の研究を待ちたいところだ。「相対的貧困」は、所得の中央値の50%以下と定義されているらしい。2004年の調査では127万円以下の所得の人たちが「貧困」ということになる。驚くのは高齢者の貧困率の高さで、20%を超える。20歳未満の貧困率は14.7%であるという。これはイギリスの20%よりは低いがドイツの10%より高い。アメリカは先進国で最も子どもの貧困率が高いが、日本はドイツとイギリスの中間にある。こうした統計からわかるのは、日本はイギリスやアメリカではなく、大陸ヨーロッパに学ぶべきだということだ。だが、日本はアメリカよりも遅れている部分がある。カナダもアメリカも、ほとんどすべての子どもが無料の医療制度によってカバーされているのだという。日本では貧困家庭の子どもは健康保険のない無権利状態に放置されている。最終章「子ども対策に向けて」では、イギリスの民間団体のマニフェストを援用して「子どもの貧困ゼロ社会への11のステップ」が提案されている。それらのすべては、いちいちもっともなことばかりで、これらの政策の実現を願わずにはいられないし、そのための行動も必要だろう。しかし、子どもの貧困は目の前にある。かつては、ほとんどの大学にセツルメント・サークルがあり、教会などを拠点に地域の貧困家庭を支援していた。それらは「一億総中流」化する中で姿を消した。実践的な立場からいえば、子どもの貧困の放置は、好機である。なぜなら、国家が国民のためになど存在していないことをあからさまに示しているからだ。パレスチナのハマースを見てみよう。学校や病院を作り、子どもや病人のため、弱者のための政策を行って住民の圧倒的な支持を受けるようになった。ハマースがイスラエルにロケット弾攻撃をして、その報復で何百人も殺されても、ガザ住民はハマースへの支持を強めるばかりだ。貧困家庭の子どもたちから、日本のハマースが生まれることをこそ援助していかなければならない。
May 24, 2013
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いくつか留保はつくが、この本は良書だった。著者は1948年生まれで1979年にサウジアラビア大学を卒業したという異色の経歴の持ち主。まるで何十年も中東を歩き回って得たのではないかと思わせる「地に足のついた」説明に「そうだったのか」と気づかされることが多く、類書を何十冊か読むよりも有益と感じた。2001年10月の発行だから、9・11テロを受けて急きょ書かれたものと思われる。が、急ごしらえの印象はまったくない点に著者の該博ぶりがうかがえる。イスラムとアラブ、宗教と政治、民族と国家、原理主義と西洋コンプレックス、こういったことがどう関係し対立しているかが非常によく整理されている。重要なのは外形的な説明ではなく、人々の内面、どういう気持ちやイデオロギーや信条で行動しているかまで踏み込んでいる点。そのためなるほどと納得できることが多い。「100の質問に答える」という形式で書かれているのも理解を助ける。イスラム原理主義に関しては、質問を立てることさえ困難なほど情報が乏しい中、そうそう、それが知りたかったという話がテンポよく繰り出されていく。最近もロンドンでテロがあったが、「宗教はおそろしい」といった短絡的な見方をする人が多いのに驚く。自爆テロ犯など「アタマのおかしい狂信者」と片づけられてしまう。しかしそれは思考停止というものだ。誰が好きこのんで自爆テロを行うだろうか。極刑や長期投獄を覚悟して行動を起こすだろうか。やむにやまれぬ人間的な動機があるのではと、なぜ疑問を持つことができないのだろうか。この著者にはイデオロギー的なものがまったく感じられないのが本書の価値を高めている。この本は講談社の本だが、これが新潮や文春や角川の本だったら手にとって見ることも、結局、読むこともなかっただろう。この本を読む限りでは著者自身は穏健な平和主義者と見える。それは、和平プロセスを推進する世俗イスラムを支持し、イスラム原理主義をその妨害者とする叙述からもうかがえる。留保をつける最大のポイントはこの点である。「女性問題」が橋下徹のような価値観と認識を持つ「男性問題」であるように、パレスチナ問題はパレスチナではなくイスラエル問題である。イスラエル建国そのものがパレスチナ侵略であり、「和平プロセス」はイスラエルの存在を許容する妥協でしかない、そういう立場にもかなりの正当性がある。著者はイスラエル建国について事実を淡々と叙述しているだけだが、そういう姿勢がイスラエル建国=パレスチナ侵略を擁護する立場であることを自己暴露してしまっている。日本赤軍によるリッダ闘争についての叙述には明らかな間違いがある。中東の専門家として致命的といえるミスである。さらに、著者が学生時代にその渦中にあったはずの全共闘運動や新左翼運動の活動家に対する無理解がうかがえる。新左翼や左翼運動は、(これが彼らの弱さでもあるのだが)たとえ主観的であれ大衆の支持を得ようとして行動している。明らかに敵として立ち現れてくる人間以外は、潜在的には味方として獲得すべき対象としてとらえている。国家権力を掌握したばあいはまた別だが、それまでは、政治的にマイナスになることは極力避けようとするのであり、観光客を無差別に銃撃することなど、あるはずがないのだ。リッダ闘争ではイスラエル警察の乱射によって一般市民に多くの犠牲が出たのである。「自爆」したことになっている安田安之は、誰かが投げた手榴弾が壁に当たってしまい、乗客に被害が及ぶのを防ぐために手榴弾におおいかぶさったのだ。「自爆」したのではないし、するはずもない。ウィキペディアなどでは、相変わらずデマが流布されているが(リッダ闘争の項目)、少しでも事情に通じた人たちの間では、リッダ闘争直後から知られていたことだ。これは、イスラエルが流す情報に対しての警戒心のなさを示している。一般人ならともかく、ジャーナリストとしては失格だ。しかしこのように致命的な弱点をかかえながらも、この本は読むだけでなく所有する価値がある。ふと感じた疑問の答えのほとんどはこの本に書かれていると思うからだ。ひとつ目を大きく啓かれる思いを味わったのは、共産主義もアナーキズムもファシズムも民族主義もリベラリズムも、イスラム原理主義にとっては「西欧産のもの」であり「西欧の生み出した虚ろな思想でしかない」という指摘。イスラム原理主義の「反欧米」の根の深さは冒頭から指摘されているが、なぜこの地域でこうした勢力が力を持てないかがわかった。日本にイスラム教が根付かない理由としてあげられた、外面規範を嫌う日本人は徹底した「内面信仰の徒」であるという指摘(そのためにリーガルマインドが希薄だという)にも目からウロコが落ちる思いだった。これは日本人だけの特性ではないと思うが、外面規範を苦手とする民族性がなぜ形作られたかは別個の問題として考察してみたいと思わせた。久しぶりに「知らないことを知る」興奮のうちに読み終えた本。
May 23, 2013
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法政大学文化連盟出身の知人(50代)は、札幌市内にもたくさん残っている朝鮮人の強制連行や虐待の史実を掘り起こす市民運動を主宰して20年以上になる。調査・運動を始めたのは、意識しないで発した差別発言の非人間性を在日2世の医者に指摘されたのがきっかけだった。自らの差別意識がどこに、何に由来するかを真摯にとらえ返した結果、日韓併合に始まる侵略の歴史に対する無知・無関心にあることに気づいたのだ。橋下徹や大井浩明のような歴史修正主義者は、日本帝国主義のアジア侵略を、アジアから西欧帝国主義を追い出す正義の戦争、解放戦争だったと強弁している。しかしそれが正義の戦争だったら、なぜ戦争に関係のない一般市民を殺戮したのか。答えは簡単だ。侵略戦争だったkらだ。しかし歴史修正主義者はそれを認めない。一般市民ではなくゲリラだったからと殺戮を正当化する。イスラエルがガザで無差別殺戮を行うときの論理とまったく同じだ。日本帝国主義のアジア侵略は、南京大虐殺のような「わかりやすい」蛮行だけではない。西欧諸国の植民地を強奪する過程で、西欧諸国より陰湿で巧妙な手段も用いていた。ベトナムにおける1945年の200万人という餓死者の発生の原因について、予断と偏見のない視点から調査や聞きとりを始め、それが日本による支配が一次的要因であることを「発見」するにいたった過程を記したのが本書である。大月書店は日本共産党系の出版社であり、この出版社の出版物は基本的に色メガネで見ることにしている。本は著者と出版社で選ぶことにしているので、この出版社の本を買うことはない。しかし、この本はルポという性格からイデオロギー的な偏りを感じることはなかった。日本帝国主義は(ニュージーランドなども含め)2000万人のアジア人民を殺したが、ベトナム人に対する卑劣な植民地支配をルポルタージュしたものは少ないので貴重な一冊といえる。観光旅行ではない旅をするヒントになればと思って読んでみたが、せめて著者の1%くらいは事実と真実に肉薄する旅ができるようになりたいと思う。食糧難の時代に食べていた米がベトナムから奪ったものであること、ジュートへの転作の強制が飢饉の最大要因であること、それには日本の商社が深く関わっていた「歴史」は、すべての日本人が心に銘ずるべきことだ。それなしに、だれがポル・ポトやスターリンやヒトラーを批判できるだろうか?本書は感傷的な贖罪紀行ではなく、写真や現地で手に入れた資料をも駆使した一級のルポである。日本帝国主義はナチスよりも卑劣であり残虐であった事実に言葉を失う。
May 21, 2013
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わずか50万人ほどの在日韓国人・朝鮮人に対する排外主義が高まっているこんにちの日本。かつては、こうした排外主義者といえば暴力団による偽装右翼がほとんどだった。しかし新大久保や川崎や京都や札幌で暴れているレイシストを観察すると、低学歴のワーキングプアが多いように見える。いまや日本人の2割を超えたという年収200万円以下の人々がどうなっているのかを知りたいと思い、著者の経歴(慶応大学経済学部出身)のため眉につばをつけながら読んでみたのがこの本。実例を豊富にあげた読みやすい本作りになっている。5章までは、ワーキングプア、貧困家庭、名ばかりの正社員、闇職系若者、貧乏老人にそれぞれ1章ずつがさかれていて、200人以上のアンケートや取材に基づく「証言」がこう言ってはなんだがおもしろい。事実は小説より奇なりというのは「貧乏ブログ」などで知っていたが、この本の「証言」はその手のものの上をいく。そして、当人の「自己責任」に還元してしまうにはあまりに多くの不運や不幸が現代ニッポンにも満ちあふれていることにおどろく。完全失業率と刑法犯罪認知件数の関連を示すグラフなど、いくつか興味深い統計も提示されている。最後の第6章「貧困は本当に自己責任なのか?」では、ワーキングプア増加の原因を「再チャレンジ不可能な社会」にあるとし、「最低賃金の引き上げこそが生産性を高め抜本的な改善になる」と提起している。「同一労働同一賃金」の主張は正しいが、この分析と「対策」はいかにも皮相だ。フェアレディZを乗り回している著者の「お里」が知れる。たとえば賃金の地域間格差については本書でも「改善されるべき事柄」のひとつとして取り上げられているが、これは経済学的にはナンセンスだ。工場地帯を分散するのは経済効率を損なうし、賃金格差・所得格差があるからこそ地方にコールセンターが誘致できる。格差こそが労働機会の創出につながるのだ。首都圏では家賃などの生活コストが高いので、時給が高くても可処分所得は少ない。地方はその逆だ。貧乏ブログでいつも1位になっているアラフォーの女性は、埼玉から札幌に移住し、ブログの内容を信じるなら月収10万円だが3万円のアパートに住み毎月3万円の貯金に成功している。一日10ドル以上の可処分所得は、地球規模で見ればプアラーではない。日本に限らず高度に発達した資本主義国の問題は、既得権益を維持しようとする勢力が政治権力も手中にしていることにあると思う。医薬品のネット販売を規制した厚生労働省を見よ。電力会社もそうだがこうした「独占」を規制(日本では規制緩和)することが起業のインセンティブを生む。内閣府の統計などを見ても、小規模自営業の平均年収は200万円台であり、さまざまなリスクを勘案するとワーキングプアよりもはるかに劣悪な環境におかれている。それ以前に、子どもをスポイルする日本の伝統的な教育によって起業しようという意欲を持つ人は少なく、ホリエモンのように成功すると妬まれて微罪で収監される。こうした政治権力と結びつく既得権益層の解体が第一義的に重要なのだ。そのために起きる社会的混乱や停滞もあるだろうが、それは陣痛のようなものだ。この本で知った、サイレントテロという言葉がある。サイレントテロとは、格差社会の勝ち組に対抗するために「消費しない、子どもを作らない、働かない」を合い言葉に、社会に対して消極的な「自爆テロ」を決行しようというものだ。クルマを持たず、結婚せず、酒やタバコをやらず、海外旅行にも興味をもたない現在のワーキングプアの多くは、無意識の「サイレントテロリスト」といえるかもしれない。それはそれでいいが、どうせなら、家やクルマは自分で作るとか、電気を節約するだけでなく発電するとか、野菜くらいは自分で作るとか、徹底して社会から自立していく方向が目指されるべきだ。国滅びて山河ありという。国家と国民は基本的に対立的利害関係にある。マルクス主義がレーニンの「国家と革命」の段階までは目指していた「国家の廃絶」こそが「貧困」を廃絶する最適解であるということを、マルクス=レーニン主義者でさえ忘却しているように見える。
May 17, 2013
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主義とか思想といったものほど凋落した価値はない。思想とか思想的にとかいった言葉はいまや否定的な意味でしかつかわれなくなった。しかし人間は思想なしで生きてはいない。自覚していないだけで、誰でもがある特定の思想を選び取って生きている。たとえば儒教思想。これはいまでも韓国や台湾では根強いが、日本でも西や南へ行くほど強くなる。つまり韓国や台湾に近いほど思想的にも近い。北海道には戸籍を無視して生きている人間も多いが、青森以南では皆無だ。思想という言葉が否定的な響きをもつようになったのは、思想といえばファシズムや共産主義を連想させるものになってしまったからだろう。しかし人間は思想なしでは生きていけないし、現に生きていない。日本人にはまわりと同じように生きることを選択している人が多いが、それも世間一般の常識的な価値観を自分の思想にしているだけだ。こういう人は、軍国主義の世の中になったら女なら銃後の母、男なら皇国兵士になるにちがいない。さて、広大な森に迷いこんだときは、どうすればいいだろうか。地図もコンパスもなければ、解決策はただ一つ。一つの方角を定めてその方向にのみ歩き続けることである。たとえその方角が間違っていたとしても、そうするのが唯一の正しいサバイバル術だ。思想は、このとき選択した「方角」のようなものだ。人生を森のようなものだとすると、前に進むためにはどの方向へ行くかを決めなければならない。そのツールとなるのが思想であり、思想なしで人生は前に進まない。わたしにとって自覚的に選びとった最初の思想はイギリスのジョン・ロックのそれだった。たまたま高校の倫理・社会の授業で研究発表を行わなくてはならなくなり、いろいろ読んで調べてみて、そのとき最もしっくりときたのがロックの思想だったのである。国家に対する個人の優越を説き、個人は、個人に対して国家が害悪であるときはそれを変更する権利、革命権や抵抗権を自然権として持っていると説き、アメリカ独立やフランス革命に大きな影響を与えたが、民主主義の三権分立論はロックがその祖と言ってもいい。もう少し成長して人間の内面というか実存に関わる問題に関心が高まったとき、共感したのはインド哲学だった。インド哲学で強調されるのは「真理」である。真理という言葉もかのカルト宗教によってずいぶん価値を下げてしまったが、理屈だけでなく体験を重視するその思想には西洋の哲学とは根本的に異なる意義があると、いまでも思っている。もう少し成長したときに強く共感したのは社会主義や共産主義である。1970年代、少しでも知的な人たちの間ではそれは当然の前提だった。ソ連や中国についてはそのころから批判していた人がほとんどだったが、社会主義や共産主義がダメなのではなく、どのような社会主義や共産主義がいいのか、と考える人が多かった。貧乏人や弱者は助けあって生きよう。縮めていえば、社会主義や共産主義とはそういう思想だ。まともな人間なら選びとって当然だ。しかしあらゆる自由を抑圧する現実の共産主義国や、共産主義を標榜する団体の独善性に気がついた人たちは、共産主義思想そのものに欠陥を見いだした。ナニ主義であれ、集団や国家を個人の上におくような思想はダメだ。そこで注目したのは、フーリエやサン=シモンといった、マルクスが「空想的社会主義」と批判した思想的潮流である。この思想は生活協同組合運動やフェアトレード運動として現在でも世界中に一定の現実的な影響力をもっている。しかし有機農産物の産直運動がどれだけ広がってもこの世界の矛盾を解決はしない。「ひとりが万人のために、万人がひとりのために」といった協同組合運動の理想は美しいが、生まれつきの悪人もいるし、人間とは基本的に利己的な生物である。そのエゴイズムはどんな理想、どんな運動、どんな文化や芸術をもってしても消すことはできない。国家の存在を前提に、その国家を社会福祉的なものにしていこうというのが社会主義、共産主義であり、しかしそれは独裁を生むだけだから国家そのものを解体すべきだというのが無政府共産主義、いわゆるアナーキズムである。一方で、国家をできるだけ最小化していきその延長での無政府状態を目指す思想もある。それがリバタリアニズムであり、それを唱える人間をリバタリアンというが、こうして長い時間と社会的経験、さまざまな思想の検討を経て「いま現在の段階で」相対的に最も正しいと思っているのがこの思想だ。資本家と労働者への階級分化が問題なら、すべての人が資本家になる社会になればいい。経済は市場にまかせるのが最も効率的であることは議論の余地なく証明されている。政府を最小化し、さらには無化することもできるのではないだろうか。無政府資本主義、アナルコ・キャピタリズムを唱える人たちがいるのを最近知ったが、リバタリアニズムは限りなくこれに近い。そう思って、この分野の本を読みたいと思っていたときに出会ったのがこの本。著者は法学から経済学に転じた1967年生まれの人。自分を「リバタリアン」だと宣言しているが、リバタリアニズムの押しつけはなく、豊富な猟書体験を背景にハイエクからフリードマンにいたるリバタリアニズムのポイントを要領よく解説するだけでなく、プルードンや大杉栄などリバタリアンとかなり共通部分があるアナーキストに対する言及もあり、視野は狭くない。一方、医療や公的年金、農業ナショナリズムといった問題には正面からリバタリアンとしての切り口から明快に自説を主張していく。ヒト、モノ、カネが自由に往来し、個人の自由が他者の権利を侵さない限り最大限に許容される社会。「少しだけアナルコ・キャピタリスト」であるという著者は、夜警国家から無政府にいたる道は断崖絶壁のように閉ざされていると指摘する。この視点は非常に重要であり、この断崖絶壁をどうするかが、たとえばマルクスが説いた「国家の廃絶」とも共通する。テーマと扱っている内容の豊富さから、新書であることもあって薄さを感じる部分も多いが、所属する国家を自動車保険の会社を選ぶように選んで変えていけるような未来を展望するといった目からウロコが落ちるような提案もある。思想が人生の森をわたりきるためのツールだとするなら、「リバタリアニズム」はそのもっとも強力なツールのひとつではないだろうか。
December 13, 2012
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著者は1967年生まれのジャーナリスト。日本に留学経験があるということだが完璧な日本語で書かれた本。日本人の書く日本語には軽薄さと傲慢さを感じることが多いが、この著者の文章にはそういうところがない。抑圧民族と非抑圧民族のちがいはこういうところに鮮烈に現れる。日本の植民地だった韓国には日本家屋や建築物が多く残っている。韓国の大きな都市のそれらを、解放後に打ち壊された神社など跡地も含めて「助手」の日本人カメラマンと旅をしながら訪ね歩いた異色の「旅行記」。著者は前書きで、日本人は、植民地支配について「あまりにも無自覚な人」と「やたらと反省する人」の二極化が激しいのではないか、という。いずれのタイプと話をしてもギクシャクしたものを感じてしまう、韓国人と日本人はもっと肩の力をぬいて話し合えるはずという。歴史を知っているほど旅行は興味深いものになる、ということを地で行っているような本だ。著者は若い女性だというのに、歴史や地理について該博で、観察が細かいだけでなくどんどん「発見」していく。若い女性という属性を利用して、飲み屋に突撃し植民地時代の話を聞き出し、日本家屋を改良して使っている韓国人の家にやはり「突撃」していく。こういう本を書くという目的があったにしろ、思いきりのよい行動力とその行動の結果得られた成果の分析は鮮やかで小気味いい。日本と韓国の文化・習慣の両方に精通し、たぶん両国の言葉をそれぞれネイティブよりもはるかに使いこなすことのできる人の観察と分析力には舌を巻いたし、前書きにあるようなしなやかで柔軟な感性が育っているのには希望がもてる。この著者には「日本が知らない北朝鮮の素顔」「あっと驚く、北朝鮮!」といった著書もあるらしい。1967年生まれというと「光州以後」の世代だ。その世代にこういう人が育ってきているところをみると、どうやら韓国の文化は日本のそれより優っていると考えてまちがいないだろう。日本の1967年生まれの女性の誰が、これほど中身のある本を書いているだろうか?
November 26, 2012
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2010年1月に知人が温泉入浴中に突然死した。実際には入浴中ではなかったらしい。事件性がないということで病理解剖はされなかったが、心臓突然死の可能性が高いと思った。突然死した人は周囲に決して少なくない。祖母は二人とも心臓麻痺で亡くなった。近所の元炭鉱マンも通院したその日の夜に死んだ。高校生のころ、上級生がサッカー中に突然死したこともある。この人のばあいは遺伝性で生まれつき心臓に欠陥があり、親は覚悟していたということだったが、いつでも誰にでも起こりうることと感じた。そんな経験から心臓突然死のベースになる知識を得たいと思って読んだのが「あなたの心臓に潜む危機」というサブタイトルのこの本。新書なので平易な本を期待したが、語り口は易しいものんp内容は高度。入門書としてはあまりすすめられない。すすめられないが、インフルエンザや風邪を軽視しないこと、AEDが作動する前の心臓マッサージが大事だとか、頚動脈への刺激で失神したりすることがあるとか、入浴は40度以下で半身浴がいいとか、心房細動を防ぐためのいくつかの方法、さらには心臓突然死の治療と研究の最前線を俯瞰できる本ではある。ただ全体としてはいかに心臓突然死の予測や予防や治療が難しいか、原因究明があまり進んでいない現実が多く語られているので、「これなら気にしてもしようがない」と思ってしまう人は多いだろう。ただ繰り返し説かれるできるだけ早期の対処とか、複数のAEDの準備の大切さなどは医療関係者にとどまらず知っておく意味がある。著者が心臓専門医になったのも友人が突然死したからだという。別れの時間もなくやってくる終焉。こういう悲惨な死を避けるために知っておくべきことの概略はわかる。
November 25, 2012
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これは良書だった。若い世代を念頭において書かれたのだろうか、がんは老人病ではなく早死にの原因のトップであると説きはじめ、予防や早期発見が結局は安くつくといったあたりまえのことがきちんとした数字や資料をつかって説得的に述べられている。目新しいことが書かれているわけではないが、あの「医療後進国」アメリカでさえがん患者が減少している理由、がんリスクを減少させるポイントなどを要領よく解説してあるのでブラッシュアップに最適の本だった。毎日400グラム以上の野菜摂取が大腸がんと肺がんリスク、大豆食と魚食が乳ガンリスクを低下させる、日本の伝統食は胃がんリスクを高める(日本の胃がん発生率はアメリカの4倍)、タバコは最大の危険因子であり、幹線道路周辺の汚染物質、X線検査を含めた放射線、抗生物質のがんリスクについてのほか、婦人科の専門医でもあることから婦人科系のがんに関する叙述が多い。福島第2原発からいったいどれほどの放射能が放出されているのか。原発一基の中にある放射性物質は広島型原爆4000発分だから、その半分が放出されたとしても相当な量だということがわかる。あるいは太平洋での核実験によって日本にも降り注いだ核物質はどのくらいになるのか。60年もたっていないのだから、日本全体が放射能に汚染されていると考えておいた方がいいだろう。養殖魚などには大量の抗生物質がつかわれている。ただでさえこういうリスクにさらされているのだから、こういう本を読んで、少しでもがんリスクを減らす知恵と知識をつけるにこしたことはない。この本を読んで変わったのは野菜を大量に食べるようになったこと。一食でピーマン5個とかキャベツ4分の1とか平気になった。この手の本にはトンデモ本も多い。NHK出版の本なら間違いないだろうと思って手にとってみたが正解だった。
November 14, 2012
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クイズ的知性というものがある。受験エリートに多いが、名前を知っていることと中身を知っていることを区別できない没知性的知性である。「バカの壁」で指摘されているあのバカのことだと言ったらわかりやすいかもしれない。書名だけは知っているのに読んだことがない、そういう本をなるべく読むようにしようと思ってまず見つけたのがこの本。20万行を超えるという全訳はとても読む気がしないが、厳選されたダイジェストならと思って読んでみたら、これが実に「深い」人生の真実を説いている「叙事詩」だった。全部で16話が「厳選」されている。第一話「鼠と猫の会話」からして、その知恵の深さに度肝をぬかれる。端的にいうと「どんな場合でも他人を信じるな。しかしどんな場合でも他人を裏切るな」という話である。もしすべての人がこの知恵を自分のものにしたら、争いごとの過半は消滅するだろう。第16話「女の本性(ほんせい)」のスケールの大きすぎる表現にはぶっとんでしまう。女性への赤裸々までの賛歌といえる話だが、セックスが宇宙との一体化であり宇宙自体が一つの大きな(セックスと同じ)戯れなのだというアプサラスの話には、のけぞりつつも「そうかもしれない」と思わせる真実が含まれている。カレーを一万回食べてもインドについてはわからないだろう。手っ取り早い「インド理解」のためにこの本は干天の慈雨のようだ。
May 2, 2012
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大ざっぱに言えば「パン食に典型な欧米型の食生活をやめ、ご飯とみそ汁の伝統的和食に戻ろう」ということを繰り返しているだけのつまらない本。油脂のとりすぎが問題で、和食の欠点である塩分過剰などは無視してよいといった暴論も見られる。もっとも、それはこの本の読者として想定している、たとえばスナック菓子を主食にしているような若い母親に対するアドバイスとしてなら有効だし大事かもしれないが、少しでも食事に気をつけている人にとっては疑問だらけの「提案」が続く。ただし瞠目させられる記述もある。著者は1953年生まれの管理栄養士で、医療現場での経験が長いらしいが、「乳がんの患者さんの食生活を調べると、乳製品を好んでたくさんとる人が多い」という。こういう私的観察というのは意外に重要で、ずいぶんあとになって科学的なデータで「証明」されることが多い。こういう、自分にとって自明のことばかり書いてある本は、目次を見て「おや」と思うところだけつまみ読みするとよい。
April 1, 2012
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モーツァルトについて日本語で書かれた最も陳腐な本が小林秀雄の「モオツアルト」だとすれば、モーツァルトについて日本語で書かれた最も優れた本が本書ではないだろうか。「西洋音楽史」で度肝をぬかれた著者の本を読むのはこれで3冊目だが、「はじめに」から「あとがき」までのすべてをここに書き写したい衝動にさえ駆られる。クラシック音楽の作曲家で、その偉大さと裏腹に最も理解されていないというか「誤解」されているのがモーツァルトとショスタコーヴィチ(とあともうひとり付け加えるとすればモンテヴェルディ)だと思う。その理由は、モーツァルトもショスタコーヴィチも「真面目と不真面目の間のぞっとするように鋭利で、悪魔的で、しかし切なくなるほど真摯な両義性」(あとがきより)に満ちた危うさがその音楽の本質的な魅力だと思うからだ。モーツァルトの音楽はヒーリング・ミュージックとしても一級だ。しかし、病人ならともかく、モーツァルトをただの「癒しと慰め」の音楽、人畜無害な最高に上質のBGMと思ってしまってはモーツァルトの音楽の本質を見誤る。たぶん演奏家を含めてほとんどモーツァルト愛好家はオペラをとことん聞き込んだ人を除いてモーツァルトの本質的な革命性、という言葉が適当でなければ戦闘性を知らない。きわめて趣味のよい音の連なりがモーツァルトの音楽と思っている人は多い。しかしそうではないことを、モーツァルトの5つのオペラの分析を通じて明らかにしたのが本書である。たとえばモーツァルトと脚本のダ・ポンテは、「ドン・ジョバンニ」において、原作を二カ所改作しているという。父親をドン・ジョバンニに殺されたドンナ・アンナをその後も登場させたのが一つと、原作では女性を手に入れているのに、その部分をカットして最後に地獄に落とされる「失敗者」としてドン・ジョバンニを描いているのが一つ。そのことによって何が浮かび上がるかというと、「今ここの快楽以外の何ごとも信じない」という無節操のエロティシズムを、命を賭して貫徹することによって、理念に殉じる精神の貴族としての身の証をたてる。無理念と見えたものが、死の瞬間に英雄的な理念へと転じるのだ・・・・と著者は言う。このオペラは女たらしの地獄落ちといった教化劇に受け取られることが多い。しかしそう感じる人たちはこのオペラの音楽から何も聴いてはいない。音楽そのものに耳を傾けるだけで、著者が指摘するようなモーツァルトの意図は明らかだからだ。政治的な意味(それもあるかもしれないが)ではなく、モーツァルトとダ・ポンテは、旧体制とそれを支える理念そのものを5つのオペラで弾劾し粉砕していくのだ。優美な音楽と両義的な解釈が可能な綱渡りのような脚本によって。そもそも音楽だけをとっても、中心がどこにあるかわからないような不安定さや、ほとんど現代の音楽に聞こえる部分と18世紀的なロココ趣味の優美さが交錯するのがモーツァルトの音楽である。わたしは、モーツァルトの音楽のそういう部分が実は好きではなかった。しかし、モーツァルトのオペラを知って、モーツァルトの音楽もまた「花の陰に隠れた大砲」であり、分裂した世界をときに優美な絹のような音楽でおおい、ときに取り外して世界の裂け目を見せる、というのがモーツァルトの音楽の(他の作曲家と決定的に異なる)特徴であり偉大さの根源であると考えるようになった。こうした分析が見事な文献渉猟と紹介を挟みながら続いていく本書は、モーツァルトの音楽だけでなく、歴史にかんしても「目からうろこがはがれおちる」叙述に満ちている。こういう本は、読むだけでなく、全文を書き写すといいのだろう。
March 30, 2012
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痛快な本だった。読んだのは単行本だが、文庫になっているので入手しやすいかもしれない。著者はイタリア語通訳・翻訳業。団塊世代と思われるが、イタリア語に堪能がゆえのイタリア人の生態(というか主に性態)に関する記述が圧倒的におもしろい。それ以外の記述も、無難な取り澄ましたようなガイドとは違って主観的断定が満載。こういう「ボローニャならここ」的な断定の方が、実際的なガイドとして役に立つ。女性の書く紀行文はナルシズムが見え隠れして興をそぐし、観察が細かすぎて読み物としては失格のものがほとんどだ。しかしこの本は、というかこの著者の本は例外。自分を道化のような立ち位置で書いている韜晦が鼻につかないわけではないが、何しろ40年に及ぶイタリア「体験」の厚さというか重みがちがう。イタリア語が堪能でなければわからなかったことも多いので、率直に教えられることが多い。蛇行する車を摘発したら、男女が全裸でセックスをしていて、女は70歳で男は59歳だった・・・というイタリアの新聞記事の紹介から始まる本書は、イスラム教やキリスト教原理主義や儒教文化圏の義務教育課程において教科書として採用されるべきだと考える。
March 23, 2012
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温泉には強い関心を抱いてきた。登山のあと、家の風呂に入るのと温泉に入るのとでは疲れのとれ方がまったくちがう。近所のタクシー運転手はリウマチの治療に効果があったと話していたし、湯治で髪の毛が生えてきたという理容師と会ったこともある。しかし、温泉に対する関心は健康に対する効果よりも気分転換や保養にウェイトがあったことはいなめない。寒くなると温泉が恋しくなる、という程度でそれほど病気の治療に効果があるとも思っていなかった。少なくとも、この本を読むまでは。著者は元北大医学部教授で、同大付属の病院(登別温泉にある分院)の院長を長くつとめた人。1970年代から90年代にかけてのヨーロッパでの温泉医学最高潮の時期にヨーロッパで温泉医学や温泉治療法を学んだといい、この本にもそのときの知見が豊富に書かれている。ヨーロッパでは、日本とちがい、温泉はもっぱら病気の治療のために利用され、そのための研究や学問がきちんと確立しているというのは驚きだった。健康保険が適用されることもあるという。それは文化の違いというより(文化の違いもあるだろうが)、温泉が病気の治療に実際に効果があるからで、温泉という自然の恵みを最大限に生活に取り入れているヨーロッパ、特にドイツやハンガリーやチェコの実践や研究には瞠目させられる。おもしろかったのは、温泉の温度に対する感覚の違い。日本では一般に42度が適温とされているが、ヨーロッパでは32度から38度だそう。研究では、38度の微温浴(ヨーロッパでは高温浴)が最適なのだという。特に高齢者はそれ以上の高温浴は避けた方がいいという。第5章「生体リズムと温泉療法」では糖尿病の患者12人に対して行った治療の結果がグラフで掲載されている。驚いたことに、7日周期で好悪を繰り返しながら好転していくリズムが読み取れる。運動療法の開始がこのリズムの引き金になるらしい。劇的な変化が現れるのは3週目。4週目まで好転し、その効果は半年から1年続いたというからすごい。この本を読んで、自分の体で実験してみることにした。4週間、毎日温泉に通う。8日目から運動をプラスする。7日目に健康診断を受け、4週間後、また健康診断を受ける。温泉で大事なのは目的に応じた泉質を選ぶこと、加水や循環濾過、塩素消毒をしていないこと。この条件を満たす温泉はたぶん世界に冠たる温泉大国である日本でもごくわずか。調べてみたら、天下の名湯として知られる札幌郊外の定山渓温泉でも、たった一カ所だけだった。自宅からこの温泉宿までは往復70キロ。あと20回、1400キロほど車を走らせて温泉通いの日々が続く。
March 22, 2012
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ヨシップ・マンデリシュタームはソ連共産主義に粛清された、パウル・ツェランはナチスに両親を殺され自らも収容所体験のある自殺したユダヤ人の詩人。この二人の名前は、高橋悠治やマイケル・ナイマン、ハリソン・バートウィスルといった作曲家の作品から知った。ツェランの詩集は編者によりいろいろな本が出ているが、小沢書店刊のこの本はツェランが30代に書いた第1~第3詩集から50編あまりを選び、ツェランの詩論やエッセイ、ツェランに関するドイツやフランスの研究者の論考も併禄されていて理解を助ける。ドイツでは高校の教科書に載っているという「死のフーガ」の印象は強烈で、やはりツェランの詩でひとつだけ選べと言われればこれかもしれない。全文を引用したい誘惑にかられるし、原文で読むことができたらと思う。日本語訳だと軽やかなまでにリズミカルなこの詩の、ドイツ語のリズムや韻の響きなどが異なった印象を与えるかもしれないと思うからだ。母親のことを書いた「白楊(はこやなぎ)」の密度もすごい。たった10行の詩が喚起するイメージの豊かさには目が眩む思いがするだけでなく、感傷をきっぱりと拒絶しながらもツェランが22歳のときにナチスに虐殺された母親に対する真情が、まるでライフルから放たれた銃弾のように読み手の胸をつきぬけていく。こうした個人的体験に基づく詩だけでなく抒情的な詩も多いが、その乾いた抒情とでもいうべき感触は日本の文学からはほとんど得られないものだと思う。ツェランはブレーメン市の文学賞を受賞したときのスピーチでマンデリシュタームの「詩は投壜通信のようなもの」という言葉を引用していて、そのスピーチはこの本にも収められている。この「投壜通信」という言葉にこめられているのは、アウシュヴィッツやヒロシマやシベリアを結果した人類の文明そのものに対する果てしない絶望と、かすかな希望ではないだろうか。「詩は言葉の一形態であり、その本質上対話的なものである以上、いつかどこかの岸辺(おそらくは心の岸辺に)流れ着く」というツェランの信念は、いつか誰かが理解してくれるだろうといった気休めではなく、自分にとっての必然である言葉だけが、たとえば人類が滅亡したあと地球に現れるであろう別の新しい知性に手渡す価値のあるものだ、という極限的な思考から生まれているように思うからだ。編訳者はツェランの権威のようで、アンソロジーとして優れているが、もう少し大きい活字で読めたらまた印象が違うかもしれない。巻末の年表によれば画家だった妻と合作の詩画集もあるらしい。何をさておいてもこうしたものを読んでおかなくてはと思う。
February 24, 2012
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WIKIPEDIAから~日本アート・シアター・ギルドは、1961年から1980年代にかけて活動した日本の映画会社。ATGの略称で示されることも多い。他の映画会社とは一線を画す非商業主義的な芸術作品を製作・配給し、日本の映画史に多大な影響を与えた。また、後期には若手監督を積極的に採用し、後の日本映画界を担う人物を育成した。また、ATGは公開作品ごとに映画雑誌『アートシアター』を発行した。本誌は映画の完全シナリオと映画評論などから構成され、上映館のみで販売された。その昔、映画は観るものではなく読むものだった。現代音楽も聴くものではなく読むものであることが多かったが、音楽は読んでもあまり想像できないのに対し、映画はかなり想像できたので、タイトルとあらすじや紹介文、批評から映画の質を想像して作品との出会いのときを楽しみに待ったものだった。待てなければ東京まで行って観たりした人も多かったし、自主上映を組織した人もいた。そういう映画の中にはATGのものが多かった。思いかえせば、初めて母と一緒に観た映画は、高校の文化祭で、革マル派のサークルが主催したエイゼンシュテインの「戦艦ポチョムキン」だったりした。ATG映画の話を聞かなくなったと思ってこの本を手にとってみると1991年の発行とある。紹介されている作品は1989年の「砂の上のロビンソン」(すずきじゅんいち)まで。このあと、1992年の「?東奇譚」(新藤兼人)でその活動を停止することになるが、この本では創設された1962年から89年まで配給・制作した172の作品が紹介され、巻末に佐藤忠男による「ATG30年の歩み」が収められている。ATG映画には多大な関心を払ってきたつもりだが、172本のうち30本程度しか観ていないことに気づかされた。DVD化されていない作品も多い。映画を窓として、あるいは映画そのものから教養や文化を学ぶ風潮は急速に失われてきている。したがって、ATG映画を映画館で観るのはきわめて限られた機会になるだろうと思う。昔のように、映画を観るかわりに読むはめになりそうだ。しかしそれはあまりにも惜しい。映画には時代が刻まれているが、ATG映画にはそれがひときわ濃厚だからだ。ATG映画をすべて観るのを目標の一つにするのも一興かもしれない。
February 23, 2012
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放射能汚染をきっかけに食べ物の安全性にあらためて関心を強くした。ふだんから意識してはいるが、だんだんとルーズになるので、ときどきこういう本を読んでブラッシュアップするのはいいと思う。野菜には農薬、果物には防カビ剤、養殖魚や畜肉には抗生物質・・・それに加えてセシウムやストロンチウムを心配しなくてはならなくなってしまった。いちばんいいのは食べる量を減らすことだ。半分に減らせばリスクは半分どころではなく減るだろう。そうして、安全と思われるものだけ食べるようにすればいいだけのこと。ただ、家で自炊している分にはかなり選べるが、外食では難しいことが多い。そうしたとき、こういう本の知識は少しは役に立つ。たとえば、農薬をたくさん使わなければ栽培するのが難しい野菜(シソやパセリやセロリ)や収穫直前に除草剤をまく北海道産のジャガイモ、最も危険な果物であるサクランボは避けるといった具合。有機食品を食べている人はそうでない人より5割ほど精子が多いらしいが、ほんの少し気をつけるだけで健康被害を最小にできるケースは少なくないだろう。この本はもう古い(2005年)ので現在は(放射能汚染以外は)改善されていると思うが、価格にかかわらず安全なものを食べる方が結局、個人にとっても社会にとってもプラスになる。30年ほど前、豚を共同で一頭買いしていたことがあるが、あれよりおいしい豚肉にはその後ほとんど出会ったことがない。調べてみると北海道にも抗生物質を使わないで豚を育てている牧場があるようなので、素性のわからないものを買うのはやめ、「お取り寄せ」の機会を増やしてみようかと思う。旅行も、ただの物見遊山ではなく、こうした牧場や農場を見学したりするといいのだろう。あまり神経質になるのも考えものだが、何も考えないのはもっと考えものだ。この本の目次を読み、気になるところを読むだけでずいぶんと食べ物の安全性に対するスキルは高まると思う。
February 22, 2012
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庭に梅の木があり、年によってはかなり梅がなる。面倒なので梅干しはただ塩漬けにして、塩抜きして使っていた。しかしそれでも塩分が気になる。どうしたものかと思っていて見つけたのがこの本。ぬか漬けも作っているので、「毎日混ぜない」のは魅力的。これはいい、と思って勢い込んで読んでみた。梅干しの方はなんということはない。オーブンで1時間焼くだけ。たったこれだけで、冷蔵庫で3年保存できるという。ぬか漬けは、表面にしっかりラップをして、野菜を取り出したときにぬかを落とさずにとってしまい、その分つぎ足すというもの。かきまぜるのは新しいぬかをつぎ足したときだけ。一週間に一度くらいでよく、これなら楽。しかも塩水は使わず、漬ける野菜に塩をまぶすだけというので減塩にもなる。玄米を精米して食べていて、新鮮なぬかは日常的に手に入るのでこの方法はぴったりだ。まあ、この程度のノウハウはインターネットで簡単に手に入るのだろうが、書名で見るまではそんな方法があると思わなかった。15年間試した結果だというので信用していいのではないか。春になって梅が手に入り、ぬか漬けにいい気温になったら試してみようと思う。
February 21, 2012
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五木寛之の文章は、文章として好まない。読んでいるこっちのアタマが悪くなってきたような気がするからだ。何せ同じことの繰り返しや水増しされている文章が多い。平明な文章なのはいいが、論理にも飛躍や穴がありすぎるような気がする。口調が柔らかいので気づかないことも多いが、かなり独善的な断定や頓珍漢な誤解(というか理解)も多い。しかしではこの「運命の足音」をなぜ読む気になったかというと、「57年目の夏に」と題された第一章で、ピョンヤンで迎えた終戦とその中での母の死などの個人的な出来事が書かれてあると知ったからだ。特にソ連軍の略奪や暴行がどのようなものだったのか、そのことをどう考えているのかを知りたいと思った。暴行や略奪が続くある日、宿舎に帰るソ連兵の集団があまりに美しい合唱を歌うのを聴いて、「こんなことは認められない、絶対に許さない」と心の中で繰り返したという。「ゲテモノがどうしてあんなに美しい歌をうたえるんだと打ちのめされた」のだという。「歌をして抒情の域にとどめせしめよ」というのがそのときからの決意になったらしいが、このエピソードは「アウシュヴィッツの音楽隊」やパウル・ツェランの有名な詩「死のフーガ」を連想させる。母をソ連兵に殺されたも同然の著者の、この決意には共感するが、それだけなのかという思いもする。ソ連軍を歴史上の軍隊と同じと、軍隊一般という目で見ている。こういう悲劇的な体験をした、しかも文学者に期待するのは、人間解放を目指した革命によって生まれたソ連という国の軍隊が、その崇高な理想をまったく裏切るような蛮行をなぜするにいたったかの鋭い考察である。軍隊はみなそんなもの、といった一般論で済ませてしまってはならないと思う。57年間、書かないできたこうした敗戦時のことを書いたのは41歳で死んだ母親の「いいのよ」という声が聞こえたからだという。その気持ちはわからなくはない。しかし、歴史は繰り返す。マルクスが言ったように喜劇としてではなく、二度目も三度目も、永遠に悲劇として繰り返す。それを何か仏教的な観念の中に逃げ込んだからといって断ち切ることができるわけではない。軍隊一般が暴行や略奪を行うのは当然だと考えるなら、個人的な体験を語るだけでなく、そこから軍事や政治を廃止する手がかりを考察するのが誠実な知性というものではないだろうか。個人的体験に関しては興味深く、そして心が凍る思いをしながら読んだが、通して読む価値のない本だった。
February 20, 2012
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沖浦和光という人の名前を知ったのは1979年。季刊「使者」第2号に掲載された文章か対談を読んで以来、ずっと気になる名前だった。名前はかずみつ、ではなくかずてると読む。桃山学院大学の学長をつとめた人で、1927年生まれで存命している。この本は2006年の出版だから2005年に書かれたものだろうか。新書ということもあり、自分史的なことも織り交ぜながら、割と自由に書かれている。それが散漫な印象も与えるが、名著といわれる「日本民衆文化の原郷 被差別部落の民俗と芸能」(1984年)を読むウォーミング・アップになるかと思って読んでみた。いわゆる市民社会の秩序だった日常ほど生理的におぞましいものはない。もちろん戦争や犯罪はごめんだが、杉並の「素人の乱」のような<状況>こそすばらしいと考える人間にとって、この著者の書物はどれも歴史的な知識と同時に、近代国家を解体する契機が何かを、あるいは何であらねばならないかを考える素材を豊富に提供してくれるような気がしている。その直観を確かめることができたように思う。「色町・芝居町」のトポロジーという副題のこの本は、それらを時間軸に沿って叙述したものではなく、時代もジャンルも自由に飛び回るため、最初は混乱していささか散漫な印象を持ってしまう。しかし通して読むと、いわゆる正史とはまったく異なる歴史の実像を学んだ気がしてくるし、最後の章である「文明開化と芸能興業」は現在にもつながることが多いので身がひきしまる思いがする。この章での永井荷風の評価などには目が開かれる思いがする。婚姻制度にとらわれない自由な性愛の交歓は、時代を下るにつれ圧殺されてしまう。一対の男女の対等な恋愛を基礎とした結婚を称揚する第二次大戦後の「恋愛結婚ブーム」もしょせんそうした規範を草の根から補強するものでしかなかったと思うが、それがとりわけ強化されたのが明治時代であり、荷風が「ふらんす物語」などで芸術を蔑視し恋愛や性愛を罪悪視する日本を糾弾していたとは知らなかった。「ふらんす物語」「新帰朝者日記」「断腸亭雑藁」「?東奇譚」といった荷風の本を読んでみなくてはという気にさせられたし、裏世界に追いやられていた性風俗を粋や艶といった表世界に引き出したと著者が評価する井原西鶴の「好色一代女」なども読んでみたいと思わせた。著者はマルクス主義の影響を強く受けていると思うが、教条的なところはまったくなく、階級矛盾よりも「聖と賤」の対立というか賤なるものの放つ光が時代と社会を刷新しその生命力の根源となると考えているのではないかと思う。いつかこの人の著作を集中して読むつもりだ。
February 19, 2012
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後生おそるべしという。1960年生まれの著者はほぼ同世代だが、この本を読んで受ける印象は明らかに世代の違う人というもの。クラシック音楽の歴史について書かれた本は、柴田南雄のような数少ない例外を除くと、俗物的な教養主義や衒学趣味と無縁なものはほとんどないと言っていいが、この本にはまったくそれがない。音楽をすばらしいものという陳腐な前提から出発せず、それが生み出された社会形態との連関をも組み入れて簡潔に整理して叙述していく様は、世界のあらゆる食材に精通した最高の調理人の手腕をさえ連想させる。この本は全体の3分の1まで読んだところで読むのをやめた。駄本だからではない。その反対で、名著だからである。こういう本を書くことのできる著者の本は所有し繰り返し読むべきだと思う。「音楽の聴き方」「オペラの運命」「恋愛哲学者モーツァルト」といったこの著者の本をすぐアマゾンに注文した。この著者は京都出身。京大で教えている人らしいが、いつのまにか大学にも真の教養人が生息できる環境が生まれていたのに驚くし、それはやはり京都の知的風土ならではという気がする。浅田彰が大学の学長をやるような風土は京都をおいてほかにない。最後の部分から引用してみる。~諸芸術の中で音楽だけがもつ一種宗教的なオーラは、いまだに消滅してはいない(中略)宗教を喪失した社会が生み出す感動中毒。神なき時代の宗教的カタルシスの代用品としての音楽の洪水。ここには現代人が抱えるさまざまな精神的危機の兆候が見え隠れしていると、私には思える。音楽に深く感動し傾倒しながら、現代社会の根本問題に鋭く切り込むことができる、こうした知性には脱帽するしかない。「宗教的カタルシスの代用品としての音楽」ではない音楽の可能性はどこにあるのか。作曲家でいえば、ジョン・ケージとヤニス・クセナキス、この二人の友人であった高橋悠治の音楽に、それが示唆されていると考えている。
February 17, 2012
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右翼と呼ばれる人々の中にも器量のある立派な人物はいる。鈴木邦男はその筆頭というか、ほとんど唯一の人物。来年70歳ということもあり、本書でも合法活動への「転向」を表明しているのが少し残念だが、長年の活動の中での実体験や見聞は、こうしたことにかなり「精通」している人間でも驚くこと教えられることが多いだろう。公安警察など自分には関係がないと思っている人は多いだろう。しかし、少しでも社会的な活動に関心を持つと公安の監視対象になることくらいは知っておいた方がいい。かつては無農薬野菜を販売していたりするだけで「新左翼」とみなされたし、アジアやアフリカに興味を持つ旅行愛好者のサークルが監視されていた事実もあった。予断と見込みからはどんな優秀な人間も自由ではないので、警察の中のエリートである公安も、とんでもない初歩的な誤りを犯すことはよくある。いま大学准教授の友人はミーハーで爆弾事件の裁判を傍聴に行ったばかりに公安に「爆弾一味」と疑われ監視されたし、とあるバーの経営者は某セクトに懇願されてたった一度だけ集会に行ったばかりに構成員と報告され大企業の内定を取り消された。人を見る目のなさには情けなくなるほどだ。ということは、多くのえん罪事件のように、無関係なのに犯人にされてしまうことは、あるいは犯罪そのものをねつ造され犯人にされてしまうようなことがないとは言えないのだ。公安ではないが、最近も四国で無実のバス運転手が警察の証拠ねつ造で犯人にされた。だからといってこの本は「反公安警察」の本ではない。優秀な人材をただの「抑圧・謀略機関の一員にしておくのは惜しい」という立場からいくつか建設的な提起もしている。このあたりが単なる評論家ではなく、長年、多くの人間と交流し活動を続けてきた氏ならではと思う。著者は早稲田出身だが、どこかおおらかで人情味を感じさせる「早稲田的知識人」のひとりと言っていいかもしれない。
February 16, 2012
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むかし朝日ジャーナルという雑誌に「世界の言葉」という連載があった。世界には実にいろいろな言葉があるのを知った。ルーマニアはローマの変形で、ルーマニアはイタリアと言語も文化も近い、などという雑学を知ったのもその連載だったような気がする。日本人および日本語の源流に関心のない人はむしろ少数だろう。朝鮮語やハンガリー語と語彙や文法で共通点が多い一方、中国から来た漢字を使うなど、そうした通俗的な雑学的知識からも、日本語がハイブリッドな言語であるのは明らかだ。タイトルがまさにこうした興味にはまった本だったので読んでみたが、これが興奮させられる本だった。著者は1919年生まれの国語学者で「日本語練習帳」などの著書もある。「水牛のように」のウェブサイトで連載しているのでなじみがあった。この本は新書だが内容は豊富で、学究的な記述も多い。だから気楽に読み飛ばすというわけにはいかないが、日本語にとどまらず、日本の文化や文明、それこそ風俗習慣のようなことまでも南インドから流入したものであるという説は、かなり説得的であると同時に刺激的。たとえば、「古事記」に使われている言葉を任意に選び出すと7割がタミル語起源の言葉だという指摘は驚きを通り越してしまう。南九州に南インドの強力な文明がやってきて、その言語も同時に取り入れていったとするなら、日本人および日本文化に対するイメージが根本から変わるのを感じる。むしろ、南インドの優れた文化を取り入れたあげく劣化させたのが日本なのではないかとさえ思う。稲作文化も南インドからタミル人によってもたらされたという著者の説は通説とは異なるが、これだけ「状況証拠」を列挙されるとそうかもと思ってしまう。権力者の交代の変遷を記録しただけの「歴史」には興味はないが、文化の伝播と受容および変化ほど知っておもしろいことはない。いささか硬い内容の本の多いジャンルだが、新しい発見が見つかることもあるので、関心を持ち続けていきたい。こういう本を読まない「無知と無教養」がナショナリズムとファシズムの温床になるのは歴史が教えている。
February 15, 2012
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いろいろな理由でカレー作りには習熟したいと思っている。だからついカレー関係の本を手に取ってしまう。習熟したい理由のひとつは、和風カレーやスープカレーの店は多くても、インドカレーの店は少ないから。あっても、ライスが温かいので興ざめだ。ちなみに、ご飯は圧倒的にお冷やご飯の方がおいしいと思っている。これは子どものころからで、電気炊飯器ができてからも保温機能はついていなかったので、お冷やご飯を食べる機会はとても多かった。炊きたてのご飯もまずくて食べられないということはないが、丼ものやカレー、中華飯のようなアジア飯はお冷やご飯以外で食べる気はしない。したがってこれらのものはご飯の、お米のほんとうのおいしさを知る人がほとんどいない日本では自分で作るしかない。その中でも最も機会が多いのがカレーであり、カレー粉とタマネギとトマトがあれば基本的にはできるから、アウトドアやサバイバル料理としても適している。しかし世の料理本を見ると、「タマネギを飴色になるまで炒めるのがコツ」と書いてある。しかし、あの暑いインドで何時間もタマネギを炒めたりするとは思えない。それでも以前は冬の寒い日などがんばって調理したが、だんだん面倒になってきた。そこで、タマネギをほとんど炒めることなくおいしいカレーを作ることはできないものかと常に考えているのである。この本ではそうした自分にとって必要な情報を得ることはできなかったが、「カレーに魅入られた」著者の見識には教えられることが多かった。この著者はラーメンも好きらしいのだが、雑誌の連載でラーメンを食べ歩いた年は体重が増えた一方、カレーを食べ歩いてもほとんど太らないというのは興味深い知見だ。本としては散漫な作りで焦点が定まっていなくて、ぜんぶきちんと読むとこっちのアタマが悪くなってしまうような気がするが、真ん中あたりにあるレシピのいくつかと、巻末のカレーに限らないが名店の紹介はかなり参考になる。ひとつのことをかなり奥深く追求した人の見解は、他ジャンルでもすぐれて的確なことが多いからだ。この本の影響で何種類かのスパイスを、カルダモンやクローブなどはホールで買ってしまった。毎日のようにスパイスを調合していれば、そのうちに自分の好みの味のカレーを作ることができるようになるにちがいない。
February 14, 2012
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2000年の「第9回開高健賞」を受賞した作品。1947年生まれの「社会不適応者」の著者が、サラリーマン生活からドロップアウトして西成や山谷のドヤで暮らし、労務者として働いた経験を綴ったもの。著者が30歳から50歳すぎまでの体験ということになろうか。一読してわかるのは著者のインテリジェンスの高さ。経歴によれば公立大学の経済学部を卒業しているが、観察力の鋭さや深さにはうならされることが多い。佐野眞一という選考委員が「現代の方丈記」であると巻末で評しているが、なるほどそういうところがかなりある。印象に残ったところを二カ所書き出してみる。ひとつは「たかが衣食住の必要のために、どこかの飯場にもぐり込み、若い職人や経営者に追い廻されながら飼い殺しのような生活を送るよりも、真のホームレスとして食べ物を漁るだけで、一日の大半を図書館で読書三昧で過ごせるのだとすれば、私にはその方がはるかにマシな生活だと感じられる」という部分。もう一カ所は「山谷住人の陋劣さは、一般市民社会の住人の陋劣さよりも洗練と多様性に欠け、はるかに単純で露骨」で「無知と卑屈と傲慢の三位一体を体現したような人々とは、腐るほど出会ってきた」が、「知識を手に入れる過程で身につく教養なるものは、なるほど重要なものなんだなということが、これら三位一体を体現した人々と接触するたびに痛感させられるのだった」という部分。「たかが衣食住の必要のために」と賃労働を切り捨てるのもすごいが、後者は(経験から得たこととはいえ)卓見というべき。山谷の住人で人品ともに優れていると感じた人はみな知識と無縁な人々ではなかったという「観察」は貴重だ。知識を手に入れようとする過程で身につく教養、それは自分の頭で考える力とほとんどイコールだと思うが、それこそが人間の品性を養うということだろう。知識そのものは処世の役(受験など)にはたつだろうが、それだけのこと。しかし教養はそれを持つ当人を救い、人類を救う力がある。寄せ場に関するルポというと日雇労働者を弱者と見なし同情的な視点から書かれたものが多いが、この「体験記」は内省的で冷静な個人的「文学」とさえ言える。著者は左右の全体主義やカルト宗教のようなものには生理的嫌悪感を抱くタイプのようだ。しかし、それでもビラ配りをする新左翼系活動家に対して「彼らの人格的なたたずまいには好感を抱かないわけにはいかない」と、どこまでもフェアである。この本を読んで何も感じない人がいたら、文学には無縁であり、硬直した世界観を持つことを是としているということであり、この本はそうしたことを判定するリトマス試験紙のように使える。
February 13, 2012
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雑誌や新聞でその文章に感銘を受けても、著書を読んだことのない人というのが何人かいる。堀田善衛もその一人。「いつか読まなくては」と20年以上も思っていたが、NHK人間大学という番組で放送された内容をまとめた本なら読みやすいかと思い、読んでみた。堀田善衛は1918年に生まれて1998年に逝去している。1992年の放送をまとめたものだから、晩年の著作と言っていい。鴨長明、藤原定家、法王ポニファティウス、モンテーニュ、ゴヤという時代もジャンルも異なる5人について書かれた(述べられた)本。実はゴヤについてどう書かれているか知りたくて読み始めたが、第一章「乱世について」と巻末にある高橋源一郎の解説がめっぽうおもしろく、つい全体を読んでしまった。久しぶりに知的興奮を得られた本で、名著と言っていいと思う。この5人に共通するのは乱世に生き、冷静な観察者として生きたことだという視点には、目から鱗がはがれ落ちる思い。たとえば、一般に鴨長明の「方丈記」は無常観を表したものと受け取られているが、1万字にも及ばない全文を読むと、時代を超越した記録であるという。58歳の鴨長明が、リヤカーのようなものと想像される車2台で運べるような小さな庵を作って住み、23歳や29歳のころの大飢饉や大火事の経験を記録したのが「方丈記」だという。「はみだし裁判官」だったモンテーニュについてもおもしろい。モンテーニュは「わが国家の死という、このめざましい光景を、その徴候と状態とを、目のあたりに見ることを、私はいささか喜んでいる」と書いているらしいが、この批評精神の鋭さはただごとではない。時代や社会から離れて隠遁するのではなく、さりとて積極的に進歩や変革に関わろうというのでもなく、悲惨や滅亡をも限りなき好奇心の目で見、そして記録するということ。日本にせよ世界にせよ、人間精神の荒廃とそれが引き起こす国家や民族の滅亡、あるいは天変地異による突然の歴史の終焉をも、限りない好奇心で、とことん冷静に見続けることにしよう。「わが国家の死」を見届けたモンテーニュの「幸福」がうらやましい。
February 12, 2012
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朝食をやめると時間のゆとりができた。朝、ゆっくり風呂でコーヒーを飲みながら読書するのが日課になった。近くの図書館は貸し出し制限がないので、2週おきに15冊から20冊借りてくる。一冊にかける時間は1時間以内と決めているので読み通すことはほとんどないから書評をアップするのは避けてきたが、これならできるという気がしてきた。それに電子辞書にも古典の名作がたくさん入っている。たまには本を買うこともある。いったいどんな本を読んでいるのか、自分でも知りたいと思って書くことにした。実際、読んだことを忘れて同じ本を二度・三度と借りてきて、読み終わったあとに思い出す始末だからだ。こうして書いておけばそういう失敗もなくなるだろう。そらで言える短歌は十数扁ある。それらを書き出してみたら、すべて石川啄木の作品だったので驚いた。「一握の砂」は電子辞書に入っている。移動の合間などに全部読んだ。そうしてわかったのは、天才啄木といえども、優れた歌はほんのひと握りだということ。倦まずたゆまぬ創作が「一握の傑作」に結実したのだ。石川啄木は26歳で死んでいる。実際の創作期間はきわめて短い。そうしたことを計数に入れて考えるなら、シューベルトと並ぶ二大天才と言っていいと思う。シューベルトや啄木があと10年生きたら、何人もの作曲家や文学者が日の目を見なかっただろう。しかしそれにしても「友がみなわれよりえらく見ゆる日よ 花を買ひ来て 妻としたしむ」など、どう考えても50代以上の人のものだ。今回、すごいと思ったのは「燈影(ほかげ)なき室に我あり 父と母 壁のなかより杖つきて出(い)ず」という歌。実体験を綴ったのならともかく、想像だけでこういう句を創作できるその想像力の豊かさと創造性には奇跡を見る思いだ。石川啄木はこんなことを書いている。…もしも世に無政府主義という名を聞いただけで眉をひそめる様な人がいれば、その誤解を指摘せねばなるまい。無政府主義というのは全ての人間が私欲を克服して、相互扶助の精神で円満なる社会を築き上げ、自分たちを管理する政府機構が不必要となる理想郷への熱烈なる憧憬に過ぎない。相互扶助の感情を最重視する点は、保守道徳家にとっても縁遠い言葉ではあるまい。世にも憎むべき凶暴なる人間と見られている無政府主義者と、一般教育家及び倫理学者との間に、どれほどの相違もないのである。(中略)要するに、無政府主義者とは“最も性急なる理想家”であるのだ。これほど簡潔にして要を得た「アナーキズム解説」はほかにない。詩的感性に恵まれていただけでなく、すぐれて知的な人物だったことがうかがえる。啄木が感銘を受けたというクロポトキンの著書はじっくりと読んでみる価値があるかもしれない。
February 1, 2012
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