全1490件 (1490件中 1-50件目)
本作は、2023年第76回カンヌ国際映画祭パルムドール受賞作。カンヌ映画祭の女性監督作品は、ジェーン・カンピオンの『ピアノ・レッスン』(1993)、ジュリア・デュクルノーの『TITANE/チタン」(2021)に続き史上3作目となる。本作は、ジュスティーヌ・トリエ監督と、実生活のパートナーで、『ONODA 一万夜を越えて』(2021)のアルチュール・アラリ監督が、共同で脚本を執筆。作家の夫婦の崩壊の物語を、実際のカップルが作り上げるという野心的な試みにも注目だ。主人公サンドラ役は『さようなら、トニー・エルドマン』(2016 マーレン・アデ監督)などで知られるドイツ出身のザンドラ・ヒュラー。第96回アカデミー賞でも作品賞、監督賞、脚本賞、主演女優賞、編集賞の5部門にノミネートされた。人里離れた雪山の山荘で、男が転落死した。見つけたのは視覚障害のある息子。はじめは事故死かと思われたが、次第にベストセラー作家である男の妻に殺人の嫌疑がかけられる。現場に居合わせたのは、視覚障害のある11歳の息子だけ……。息子に対して必死に自らの無罪を主張するサンドラだが、事件の真相が明らかになってゆく中で、家庭内の夫婦の不均衡、クリエイター同士の嫉妬など、複雑な人間心理を重層的な物語で紡ぎ出してゆく。夫婦の間で隠された秘密や嘘が露わになってゆく。冒頭、サンドラ(ザンドラ・ヒュラー)が学生の女性からインタビューを受けている。サンドラはワインを飲み、インタビュアーの質問をはぐらかしたりする。突如大音量で音楽が鳴りだす。サンドラは夫が仕事をしているのだと言う。インタビュアーは困惑してしまう。サンドラがあらためてにしようと提案し、インタビュアーは帰っていった。同時にダニエル(ミロ・マシャド・グラネール)がボーダー・コリーのスヌープを連れて散歩に出る。散歩から戻ったダニエルが血を流して倒れているサミュエルを発見する。妻サンドラはドイツ人、夫サミュエルはフランス人、ロンドンで知り合って結婚し、息子ダニエルが生まれた。ダニエルは4歳の時にロンドンで交通事故に遭い視覚障害になった。その時、サミュエルが学校へ迎えに行くはずであったのを知人に迎えを頼んだ。サミュエルはそれゆえダニエルの失明は自分のせいだと考えるようになり、教師の仕事をやめて故郷グルノーブルに戻ってやり直すことになった。 サンドラは作家である。サミュエルも作家を目指しているが、うまくいっていない様子である。ダニエルの事故以降、夫婦間がうまくいっていなかったらしいと、みえてくる。夫婦関係も逆転し、育児の不平等で喧嘩をふっかけ、イラつくのは夫の方だった。 夫の殺人を疑われた妻が依頼した弁護士は古くからの友人らしいが、もしかしたら“訳あり”の関係なのかもしれないとも思えてくる。検事はこう主張する。サンドラはバイセクシュアルでありインタビュアーを誘惑しようとしていた、それをよく思わないサミュエルは大音量の音楽で自らの存在を主張しようとした、そして、それが原因となって喧嘩となり、かっとなったサンドラが凶器でサミュエルを殴りバルコニーから突き落とした。さらに、前日のものではあるが、サミュエルが録音していた夫婦の口論と殴打音の音声を公開する。その音声の中で、サミュエルは、これまで自分はサンドラにあわせて生きてきた、ダニエルの面倒をみ、サンドラのために自分の時間も取れず、自分を犠牲にしてきた、家庭内では無理やり英語を使わされてきたとサンドラを責める。サンドラが作家として成功した小説ももとは自分のアイデアであり、サンドラがそれを盗んだと主張する。また、ダニエルが失明したときにはサンドラが浮気をしていたと責める。それに対して、サンドラは、自分は何も強要したことはない、それに自分の母国語はドイツ語だと言う。小説のアイデアはたしかにサミュエルのものだが、それをもとに書くことにサミュエルは同意しており、内容も自分のものにアレンジしている、自分が書けないことを私のせいにしていると言い返す。ダニエルの心は揺れ動く。証言台にも立ち、また裁判官からショックを受けるといけないので傍聴を控えるよう促されても最後まで傍聴し続ける。ダニエルは父親の死の真実を知っているわけではない。知っているのは両親の不和であり、それゆえ、母親の殺人、父親の自殺の間で揺れ動いている。ダニエルは、裁判中付き添いに来ている係官に、なにが真実かわからないと相談する。係官は、なにが真実かわからない時はなにが自分にとって真実かで判断すればよいと話す。ダニエルは母が父を殺したこととは考えられないが、父が自殺したと考えることはできると証言するのだった。法廷シーンはたびたび登場するが、法廷ドラマのような展開にはなっていかない。
Mar 9, 2024
コメント(0)
2021年の本屋大賞受賞作、町田そのこ著『52ヘルツのクジラたち』の映画化作品である。題名の『52ヘルツのクジラ』とは、ほかのクジラが聞き取れない高い周波数で鳴く、世界で一頭だけのクジラ。たくさんの仲間がいるはずなのに、何も届かない、何も届けられない。そのため、世界で一番孤独だといわれている。誰にも届かない声で鳴く、孤独な魂の出会いを描く。監督は『いのちの停車場』(2021)『ファミリア』(2022)『銀河鉄道の父』(2023)などの成島出。 自分の人生を家族に搾取されてきた三島貴瑚(杉咲花)。心に傷を抱え東京から海辺の町に越してきた彼女は、母親に虐待され、声が出せなくなった“ムシ”と呼ばれている少年(桑名桃李)と出会う。自分も家族に人生を搾取されてきた過去を持つ貴瑚は、少年を見過ごすことができず、一緒に暮らし始める。そんな貴瑚は、かつて自分の声なきSOSを聴き取り、救い出してくれたアンさん(志尊淳)との日々に思いを馳せ、立ち上がる。虐待、ヤングケアラー、トランスジェンダーなど今日社会問題となるテーマを盛り込み、様々な事情で心に傷を抱える孤独な人々が、それぞれの声なきSOSに気づいてくれる存在と出会えたことで生きる力を得てゆく姿を描きだしている。母(真飛聖)から虐待されヤングケアラーだった過去、絶望していた時に出会い自分を支えてくれたアンさんとの日々と新名主税(宮沢氷魚)との恋の破局のその次の過去。そして今の3つの時間を杉咲花は髪の長さを変えて演じ分けている。終盤で、アンさんの母親役の余貴美子、貴瑚の祖母を知る人物役の倍賞美津子が登場してくるとメリハリが効いてくる。
Mar 6, 2024
コメント(0)
めずらしいフィンランド映画のバイオレンス・アクション・エンタテインメント。ツルハシ1本でナチスの戦車隊に立ち向かう不死身の男の壮絶な戦いの行方を、過激なバイオレンス描写満載で描き出す。監督・脚本はヤルマリ・ヘランダー。1944年 第二次世界大戦末期、ソ連に侵攻され、ナチス・ドイツに国土を焼き尽くされたフィンランド。凍てつく荒野を旅する老兵アアタミ・コルピ(ヨルマ・トンミラ)は、愛犬ウッコを連れ、掘り当てた金塊を運ぶ途中、ブルーノ・ヘルドルフ中尉(アクセル・ヘニー)率いるナチスの戦車隊に遭遇、金塊も命も狙われる。アアタミが手にしているのは金塊堀りに使うツルハシ1本と“折れない心SISU”だけだ。それでも戦場に落ちている武器と知恵をフル活用し、ナチス戦車隊相手に、機銃掃射を浴びても、地雷原に追い込まれても、縛り首にあっても、挙句の果てに戦闘機にツルハシ1本で食らいついても、絶対に死なない!それどころか、機関銃を撃ちまくる敵には埋めてあった地雷をぶん投げ、一撃で爆殺。戦場にたまたま落ちていた武器と知恵で次々とナチス軍を討ち破る。地上戦から水中戦、さらには空中戦まで、不屈の魂を胸に相手を容赦なく始末していくアアタミの姿は、観る者の身体中の血液が沸騰するほどの興奮を巻き起こす。ハリウッド映画級の大アクションが展開する。犬が愛嬌であり、男ばかりじゃ面白くないので、ナチスの捕虜になっていた女たちも、ナチと戦う。シンプルで実によく出来たアクション映画である。
Nov 12, 2023
コメント(0)
監督のアンシュル・チョウハンはインド出身。2011年に来日してアニメーターとして活躍し、自主制作の『東京不穏詩』(2018)で実写長編映画デビューをした。本作は監督第3作目。7年前に17歳で同級生を殺害した加害者の女性と、娘を殺され、その後別れた元夫婦が再び対峙した再審の法廷が舞台である。服役中の加害者、犯人への憎しみを抱き続ける父親、辛い過去から距離を置いて前を向こうとする母親それぞれの葛藤を見つめてゆく。本作はあくまでオリジナルのフィクションだが、実際の少年事件からもインスピレーションを得た物語は、複雑な問題提起をはらんでいる。現実社会における同様の裁判では、愛する者を失った被害者遺族の心情に寄り添った厳罰主義がしばしば叫ばれるが、少年法は加害者の更生を重んじる理念を掲げている。ごく最近でも、民法上は成人となった18歳~19歳を新たに“特定少年”と位置づける改正が行われるなど、少年法をめぐる議論は絶えることがない。樋口克(尚玄)は、7年前に高校生だった娘の恵未をクラスメートに殺害された。それからは、酒に依存して現実逃避を重ねてきた。彼のもとに、裁判所からの通知が届く。懲役20年の刑に服している加害者、福田夏奈(松浦りょう)に再審の機会が与えられたというのだ。ひとり娘の命を奪った夏奈を憎み続けている克は、元妻の澄子(MEGUMI)とともに法廷に赴く。しかし夏奈の釈放を阻止するために証言台に立つ克と、つらい過去に見切りをつけたい澄子の感情はすれ違っていく。現在の夫(藤森慎吾)との関係もこじれてゆく。深い喪失感を共有する者同士でありながら、対照的なベクトルで裁判の成り行きを見つめる元夫婦の複雑な思いが伝わってくる。法廷では、夏奈の口から彼女が殺人に至った動機が明かされてゆく……。 被害者遺族と加害者双方の視点を取り入れた本作は、罪と罰という根源的な主題を探求してゆく。癒やしようのない責め苦を負った者は、その罪や悲しみを乗り越えて生き直すことができるのか。人と人は互いにわかり合い、憎むべき相手をも受け入れることができるのか。魂の救済、赦しというテーマに挑んでいる。加害者・夏奈役の松浦りょうの存在感に圧倒される。この作品のポスターやチラシの松浦りょうの表情だけでもインパクトがある。
May 18, 2023
コメント(0)
原作となった門井慶喜の『銀河鉄道の父』(2018)は第158回直木賞受賞作。門井氏は宮沢賢治に関する膨大な資料の中から、父・政次郎について書かれた資料を集め、賢治の生涯を父親の観点から描いた。成島出監督はいつか賢治の映画を撮りたいと思っていたが、エキセントリックな天才ではない切り口ではないと考えから、映画化への筋道を立てられずにいた。そんな時に出会ったのが、『銀河鉄道の父』という小説だった。今年は宮沢 賢治(1896~1933)の没後90年にあたる。宮沢賢治の半生を描いた映画作品としては、緒形直人主演『わが心の銀河鉄道 宮沢賢治物語』(大森一樹監督)、三上博史主演『宮澤賢治 -その愛-』(神山征二郎監督)が、1996年に生誕100周年記念として製作されている。成島出は、2003年役所広司主演の『油断大敵』で映画監督デビューしている。役所広司主演作は『聯合艦隊司令長官 山本五十六』(2011)今年公開の『ファミリア』に続いて4作目となる。明治29年(1896年)。岩手県花巻で質屋を営む政次郎(役所広司)は、家へと向かう列車の中で長男出産の電報に心躍らせていた。“賢治”と名付けられた少年(菅田将暉)は家族の愛を一身に受け大切に育てられるが、在学中に”文学にカブれた”ことで質屋の跡取りになることを拒絶する。その後は農業に夢中になったり、人造宝石の製造を計画したり、日蓮宗に傾倒したりと政次郎たち家族を困らせる。そして物語をつむぐことを勧めてくれた妹のトシ(森七菜)が結核で亡くなったことで書く意欲を失ってしまうのだが、政次郎の愛にあふれた応援の言葉を聞いて再び創作活動に邁進する。しかし、賢治にもトシと同じ病魔が襲いかるのだった。当時の結核は不治の病だった。宮沢賢治は、無名の作家のまま、37歳で亡くなった。彼の死後も、その才能を信じた家族が、作品を世に送り続けた。そして高い評価を得るようになった。本作は家族愛の映画でもある。聖人のようなイメージの宮沢賢治であるが、親の観点から賢治はダメ息子だったとするところから、賢治像を描いたところが新鮮な切り口になっている。清貧のイメージの宮沢賢治であるが、実は裕福な商家の跡取り息子である。それでいて、親の言うことには従わない。学校の成績はあまりよくない。何か新しいことを始めたとおもえば中途半端に終わる。一般的に思われていた宮沢賢治像を覆すところがおもしろい。父・政次郎は商売の才覚もある厳格な明治の男であるが、賢治を溺愛している。そこのところが、微妙なユーモアにも繋がる。幼い賢治が赤痢にかかり入院する。母のイチ(坂井真紀)が看病に行こうとするのを、自分から看病を買って出て、自分が腸チフスにかかってしまう。長男の賢治に家業を継がせたいと思いつつも、賢治が「やりたい」ということに振り回される。そして、最終的には、物語を描く賢治を応援することになる。役所広司は、喜び、愛情、狼狽、悲しみなど様々な感情を体現し、人間味あふれる政次郎を伝えてくる。正次郎の父・喜助(田中泯)も厳格であるが、老いて錯乱する。それを諌めるのはトシである。それを遠巻きに見つめる、政次郎、賢治、イチ。そんなところからも、家族の絆が伝わってくる。そして、すぐに、白装束の行列を上空から捉えた喜助の葬儀のシーンへと繋がる。喜助、トシ、賢治と家族の3人を見送ることになる政次郎。汽車に乗っている政次郎からはじまり、銀河鉄道とおぼしき汽車の中の政次郎、賢治、トシの3人をとらえつつ、終わる。開けたトランクから原稿が風に舞うのは、「風の又三郎」を連想させる。セットや小道具にもこだわり、綿密な時代考証で家屋から衣装の細部まで突き詰めて再現している。そこのところが、映画から受ける感銘を深くしている。
May 14, 2023
コメント(0)
監督のリューベン・オストルンドは、『フレンチアルプスで起きたこと』(2014)でカンヌ国際映画祭ある視点部門審査員賞、続いて『ザ・スクエア 思いやりの聖域』(2017)で、同映画祭最高賞であるパルムドールを受賞。本作『逆転のトライアングル』(2022)で再びカンヌ国際映画祭パルムドールを受賞した。ヤヤ(チャールビ・ディーン)とカール(ハリス・ディキンソン)は共にフォッションモデルで恋人同士であるが、ヤヤは売れっ子でカールの何倍も稼いでいる。にも関わらずデートの食事の代金はいつも男が払うのが当然という態度のヤヤにカールが疑問を呈したところ、激しい言い争いになってしまう。インフルエンサーとしても人気者のヤヤは、豪華客船クルーズの旅に招待され、カールも同行する。乗客は大金持ちばかりである。ロシアのオリガルヒ、イギリスの武器製造会社を家族経営する老夫婦など大富豪をもてなすのは、客室乗務員の白人スタッフたち。旅の終わりの高額チップのためなら、乗客のどんな望みも叶える。船の下層階では、料理や清掃を担当する有色人種の裏方スタッフたちが働いている。船長は、朝から晩まで飲んだくれて、船長室から出てこない。そんな船長(ウディ・ハレルソン)のせいで延び延びになっていたイベントのキャプテンズ・ディナーが開催される。高級食材をふんだんに使った料理が提供される。そんな中で船は嵐へと突入して行く。船酔いに苦しむ客が続出し、嘔吐と汚物の地獄の船内となる。泥酔した船長は指揮を投げ出してしまう。 翌朝、嵐は静まった。そこへ海賊が通かかり手榴弾を投げられて、船は難破してしまう。男性モデルのオーディションから始まり、レストランの支払いでの言い争い、そして豪華客船のセレブ客と乗務員から嵐と地獄の船内の描写に比べて海賊の手元の手榴弾と、爆弾が爆発する船の描写はあっさりと描いている。その手榴弾がイギリスの武器商人の売った製品であることは、ブラックユーモアではあるが。数時間後、ヤヤとカール、船長客室乗務員のポーラ、そして数人の大富豪たちは無人島に流れ着く。海岸には救命ボートも漂着、中には清掃係のフィリピン人アビゲイル(ドリー・デ・レオン) が乗っていた。他の客やスタッフのその後についてはほとんど触れないで進行してゆく。島に流れ着いた彼らはボート内の水とスナック菓子で空腹をしのぐが、すぐになくなってしまうのは分かっている。すると、アビゲイルは海に潜りタコを捕獲する。 サバイバルのスキルなど一切ない連中大が見守る中、アビゲイルは火をおこし、タコをさばいて調理する。革命が起きたのは、アビゲイルが料理を分配する時だった。「ここでは私がキャプテン」という彼女の宣言を、認めなければお代わりはもらえない。全員を支配下に置いたアビゲイルは、“ 女王”として君臨してゆくのだった……。ファッション業界やルッキズム、現代階級社会などを痛烈に皮肉ってヒエラルキーを逆転させる。1974年のイタリア映画『流されて…』(リナ・ウェルトミューラー監督)は、船旅の途中、ボートで遠出した上流階級の人妻と使用人が遭難し、二人は無人島にたどり着いた2人が、文明と隔絶された環境の中でやがてその立場が逆転するという映画であった。
Mar 9, 2023
コメント(0)
舞台を中心に活躍していたサム・メンデスは『アメリカン・ビューティー』(1999)で映画監督デビューし、72回アカデミー賞では作品賞ほか5部門で受賞した。『007 スカイフォール』(2012)『007スペクター』(2015)も監督している。芸術性と娯楽性どちらも兼ねそろえた作風である。『1917命をかけた伝令』(2019)に続き監督・製作・脚本を手掛けた作品が本作だ。1980年代初頭のイギリスのケント州北岸の街、マーゲイドの映画館「エンパイア劇場」が舞台である。そこに働くヒラリー(オリヴィア・コールマン)は過去に辛い体験をして、今も心に問題を抱えていた。支配人からのセクハラにも耐えていた。トリニダード・トバゴ出身の青年スティーヴン(マイケル・ウォード)が新たな同僚として現れる。黒人として差別され続けてきたスティーヴンと偏見を持たないヒラリーはやがて恋仲になるのだが、ヒラリーは感情の起伏が激しく、時に常軌を逸した行動を起こしてしまう。彼女は心の病を抱えていた。そして彼女は、以前入院していた精神病院に再び入院することになってしまう退院後、映画館の仲間たちに優しく迎えられる。サッチャー政権が始まったばかりのこの頃のイギリスは、経済的に行き詰まり、移民攻撃や人種差別が激しい時代でもあった。スティーヴンはレイシストたちから標的にされてしまい大けがを負い、病院に担ぎ込まれるのだった。支配人役のコリン・ファースの憎まれ役は珍しい。支配人のほかの映画館のスタッフは疑似家族のように描かれている。映写技師ノーマン(トビー・ジョーンズ)がスティーヴンに、映画の原理を説明するシーンがある。1秒24コマの静止画であれば、フィルムの間の闇が知覚されず、動いているように近くする「ファイ現象」だ。冒頭で映るロビーの標語「暗闇の中に光を見出す」と響きあう。『炎のランナー』のプレミアイベントが行われる場面があるが、この映画は1981年作品。監督のヒュー・ハドソンは今年の2月に亡くなった。『ブルース・ブラザース』『レイジング・ブル』『オール・ザット・ジャズ』『トランザム7000』『9時から5時まで』『エレファントマン』などが上映中の映画やポスターで出てくる。スクリーンに映る映画としては『大陸横断超特急』。1976年作品で、監督はアーサー・ヒラー。ジーン・ワイルダー、ジル・クレイバーグ、リチャード・プライヤーなどによる傑作コメディ。昨年公開のブラッド・ピット『ブレット・トレイン』では、この映画を思い出した。もうひとつは『チャンス』。映写技師がヒラリーのために映す映画だ。1979年のハル・アシュビー監督作。ピーター・セラーズとシャーリー・マクレーン。「人生は心のありようよ」は『チャンス』からの引用だ。オリヴィア・コールマンとマイケル・ウォードがいい。撮影はロジャー・ディーキンス。ヒラリーとスティーヴンが眺める花火の場面がすばらしい。
Mar 9, 2023
コメント(0)
『セッション』(2014)『ラ・ラ・ランド』(2016)のデイミアン・チャゼル監督が1920年代のハリウッドを再現した群像ドラマ。1920年代のパラマウント映画のモノクロ・ロゴで幕を開けるこの映画は1926年から始まる。サイレント映画からトーキーに移行する変革期のハリウッドを舞台に、それぞれの夢を追って映画に携わる人物たちが、時代の波に翻弄されながら駆け抜ける、狂乱と激動の日々を、実在のエピソードをベースに描き出す。カリフォルニア州。マニー・トレス(ディエゴ・カルバ)がゾウの運搬を依頼するところから始まる。途中で牽引のロープが切れたり、ゾウが大量の糞を放出するという惨事に見舞われながら、スタジオの重役が開催するパーティの会場へ運び込む。そこはハリウッドの業界人が夜な夜な集ってどんちゃん騒ぎをしている。会場は欲望にまみれたカオスである。男も女も裸になり、狂喜乱舞し、酒を飲んでも、ドラッグに溺れても、失禁しても気にもしない。その会場へネリー・ラロイ(マーゴット・ロビー)が紛れ込み、ベテラン俳優のジャック・コンラッド(ブラッド・ピット)が現れる。翌朝、マニーは泥酔して全く動けないジャックを自宅まで車で送る。マニーは、ジャックから誘われスタジオに同行することになる。ここでようやく“”BABYRON“のタイトルが出る。映画が始まってから40分くらい経過している。映画の上映時間は3時間09分。ここまでの長尺が必要であったのか、とも思えてくる。1969年のハリウッドを舞台にした『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』(2019 クエンティン・タランティーノ監督)でも共演したブラッド・ピットとマーゴット・ロビーとアカデミー賞監督デイミアン・チャゼルが観客動員につながるのだろうが、映画はディエゴ・カルバが演じるマニー・トレスで始まり、映画館で『雨に唄えば』を見ている1952年のマニーで終わる。実質的な主役はマニー・トレスであろう。パーティでネリーは映画製作を夢見るメキシコ移民の青年マニーと出会い意気投合。ネリーは映画関係者の目に留まりハリウッドデビューのチャンスをつかむ。マニーもジャックに気に入られ、彼の助手に抜擢され、晴れて憧れの世界に足を踏み入れていくのだったが、サイレント映画からトーキーへと移り変わる激動の時代でもあった。映画界の革命は、大きな波となり、それぞれの運命を巻き込んでいく。3人の夢が迎える結末は……。マニーはメキシコ移民、パーティ会場で歌で魅了する、サイレントの字幕担当のレディ・フェイ・ジューは中国系、ネリーの才能を見出すのは女性監督、トランペットを吹くジャズ・ミュージシャンは黒人とダイバーシティな人間模様を描き出している。登場人物は架空ではあるがモデルになった実在の人物はいる。サイレント映画界のスタージャック・コンラッドはジョン・ギルバートという俳優がモデルだ。サイレント映画の二枚目スターとして君臨したジョン・ギルバートは、多くの女性と結婚・離婚を繰り返した。サイレントからトーキー映画へと業界が変わったことに適応できずに人気は失速していった。新人女優でサイレント映画の終わりの時期にスターの階段を駆けあがっていくネリー・ラロイは、1927年に『あれ』が大ヒットして“it girl”と呼ばれてセックスシンボルとなったクララ・ボウ。当時珍しかった女性監督はドロシー・アーズナー。1929年に監督した『ワイルド・パーティー』はクララ・ボウの初めてのトーキー映画となった。
Mar 7, 2023
コメント(0)
高校生の頃、母と晩御飯を食べながら聴いていたFM放送には映画音楽の番組があった。ヘンリー・マンシーニ、ニーノ・ロータ、フランシス・レイなど、映画音楽作曲家の名前をおぼえた。音楽に恰好はないけれど、いちばんカッコいいと思ったのはエンニオ・モリコーネの『荒野の用心棒』『夕陽のガンマン』『続・夕陽のガンマン』の音楽だった。その頃に映画館でみたエンニオ・モリコーネが音楽を担当した映画は、チャールズ・ブロンソン『狼の挽歌』(1970 セルジオ・ソリーマ監督)ジャン=ポール・ベルモンド『華麗なる大泥棒』(1971 アンリ・ヴェルヌイユ監督)である。本作を観て思い出したが、『死刑台のメロディ』(1971 ジュリアーノ・モンタルド監督)もこの頃にみた映画である。学校からの推薦でグランド劇場でみた社会派作品である。ジョーン・バエズが歌った『勝利への賛歌』は当時ヒットした。アクション映画のモリコーネ節とは曲調が異なるため、私の記憶の中からは消え落ちていた。ジョーン・バエズを映像で見るのは何十年かぶりで、妙に感銘を受けた。エンニオ・モリコーネは多才、多彩で500作品以上の映画とTVの音楽を手掛けた。2020年7月に逝去した。本作品は編集作業中であった。91歳。『ニュー・シネマ・パラダイス』(1989)のジュゼッペ・トルナトーレ監督が、長年親交のあったエンニオ・モリコーネの晩年に5年以上に渡る密着取材を敢行。本人が明かす葛藤と栄光の音楽人生を振り返り、総勢70人を超えるインタビューを通して、功績と創作の秘密を明かしてゆく。モリコーネは、音楽院を出ているが、商業音楽で成功した引け目という内心の葛藤を吐露し、自信作がアカデミー賞をのがしたので、映画からは身を引こうとしたとも打ち明けている。そして、当時29歳の無名監督の脚本を読み翻意したと。それが、『ニュー・シネマ・パラダイス』であった。以来トルナトーレはモリコーネとタッグを組む。セルジオ・レオーネ監督の『荒野の用心棒』(1964)『夕陽のガンマン』(1965)のヒットとサントラ盤によりエンニオ・モリコーネの名は知られるようになる。この時に出会ったレオーネとモリコーネは小学校の同級生であった。遺作となった『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』(1984)までレオーネとモリコーネのタッグは続いた。『時計じかけのオレンジ』の音楽にモリコーネを起用したいと考えたスタンリー・キューブリックにレオーネは「モリコーネは今、私の作品で忙しい」とウソを言った。モリコーネは「このことは心残りだった」と語っている。『ウエスタン』(1968)は『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ザ・ウェスト』とのタイトルで2019年にオリジナル版で公開された。この傑作西部劇巨編の脚本原案は、レオーネ、ダリオ・アルジェント、ベルナルド・ベルトルッチ。アルジェント、ベルトルッチをはじめ、ジッロ・ポンテコルヴォ、エリオ・ペトリ、リナ・ウェルトミューラー、ピエル・パオロ・パゾリーニらイタリアの監督はネオリアリズモ以後のイタリア映画史でもある。クリント・イーストウッド、クエンティン・タランティーノ、テレンス・マリック、オリヴァー・ストーンら映画監督、クインシー・ジョーンズ、ブルース・スプリングティーン、ハンス・ジマー、ジョン・ウィリアムズと登場してくる人物は多彩である。アカデミー賞には6回候補にあがり『ヘイトフル・エイト』(2015 クエンティン・タランティーノ監督)で受賞した。2006年にアカデミー賞名誉賞を受賞しているが、この時のプレゼンターは、クリント・イーストウッド。『海の上のピアニスト』(1998 トルナトーレ監督)のティム・ロスが眺めるニューヨークに2001年の9・11の光景が重なり、9・11の悲劇に捧げたシンフォニーと式をするモリコーネの姿を繋げる。観ている映画、忘れていた映画、みていない映画が50作以上引用。モリコーネの偉大さが伝わってくる圧倒的な映画と音楽ドキュメンタリーだ。
Mar 5, 2023
コメント(0)
直木賞作家・井上荒野による、父である作家・井上光晴(1926~1992)と母、そして瀬戸内寂聴をモデルに男女3人の“特別な関係”を描いた小説『あちらにいる鬼』は2019年に刊行された。作家・僧侶の瀬戸内寂聴は昨年11月99歳で波乱の人生を全うした。人気作家瀬戸内晴美が出家した背景には同業者で妻子ある井上光晴との恋があった。妻は全てを承知しながらも心を乱すこともない。同士にも共犯にも似た不思議な関係を長女の荒野が書いた物語である。瀬戸内寂聴は「作者の父井上光晴と、私の不倫が始まった時、作者は五歳だった。」朝日新聞出版からの原作刊行時にコメントを寄せている。監督は廣木隆一、脚本は荒井晴彦。寺島しのぶはこの監督・脚本で『ヴァイブレータ』(2003)に出演し、寺島しのぶと豊川悦司は『やわらい生活』(2006)で初共演。廣木監督・荒井脚本ではないが『愛の流刑地』(2007 監督・脚本鶴橋康夫)でも共演している。1966年、人気作家の長内みはる(寺島しのぶ)は、徳島県での講演旅行で戦後派を代表する作家の白木篤郎(豊川悦司)と知り合う。(瀬戸内晴美は徳島県出身である)。映画は講演旅行に行く準備をしているみはるから始まる。着物をほめたり、トランプ占いなどで如才ない白木にみはるは「胸がざわつく」。みはるは、団地の取材を口実に白木を訪ね、妻の笙子(広末涼子)にも紹介される。白木は突然、みはると男(高良健吾)の同棲する家に来て酒を飲む。しばらくしてみはるの旅先に前触れもなく現れ「あなたを抱きに来た」。2人は、互いに妻やパートナーがありながら、男と女の仲になる。妻の笙子は、夫の手あたり次第ともいえる女性との関係を黙認、夫婦として平穏な生活を保っていた。だが、みはるにとって白木は肉体の関係だけに終わらず、“書くこと”による繋がりを深めることで、かけがえのない存在となっていく。2人のあいだを行き来する白木だが、度を越した女性との交わりは止まることがない。東大紛争や三島由紀夫の自決など、この時代の出来事から昭和40年代の時代の空気を再現、絶妙な配役など監督・脚本の練達の手腕が濃密な男女関係を描き出す。今の時代ならどう受け止められたのだろう。1973年、「どちらかが死ぬまで離れられない。ならば私が生きながら死のう」とみはるは出家を決意する。表情をアップでとらえた場面が多いが、みはるが出家を打ち明ける場面は旅先の海岸で海を眺めながらの2人の後ろ姿を引きの構図で撮っている。みはるの髪を白木が洗う「男と女でいられる最後の夜」の場面が圧巻である。出家から1年後の1974年、寂光が白木の新居を訪ねる場面があり、それまでは年代を出していたのにここでは年代なしで18年後とテロップ。白木篤郎の臨終である。表情は映さず、しかし白木篤郎の視点で最後に手を握る寂光と笙子をとらえている。篤郎がノートに横書きで書いた原稿を笙子が原稿用紙に清書している場面がある。夫名義の短編をひとりで書いていたというところもある。笙子も作家の輪の中にいた。そのことを娘が小説にしたというところも、興味深い。 『ゆきゆきて、神軍』(1987)に続き原一男監督が撮った『全身小説家』(1994)は、井上光晴の晩年の3年半を追ったドキュメンタリーである。撮影開始直後にガンが発覚した。 親族や近しい関係者たちの証言から彼が履歴や原体験を詐称して文学的虚構を創りあげていた事実をも暴き出し、“全身小説家”だった井上光晴の実像に迫る。埴谷雄高、瀬戸内寂聴が証言している。笙子が「どうして、ああ嘘ばかりつくんでしょうね」と心の内を吐露する場面がある。『全身小説家』の中で、埴谷雄高が「嘘つきみっちゃんが小説家になった」と語るところで笑えたことを思い出した。
Nov 17, 2022
コメント(0)
キュリー夫人、ナイチンゲール、ヘレン・ケラーは学級文庫の伝記だったか、何かで読んでなんとなく知っている。しかし、詳しくは知らない。『キューリー夫人』の伝記映画もあった (1943 マーヴィン・ルロイ監督 グリア・ガーソン主演 日本公開1946年)。マリ・キュリー(1867~1934)は、1903年にノーベル物理学賞、1911年に同科学省を受賞した。現在でもノーベル賞を2度受賞した事のある唯一の女性である。パリ大学で女性初の教授職に就任した。キュリー夫人の伝記にはあまり関心がわかなかったが、ロザムンド・パイクの主演作であることから観たい作品となった。本作は2019年作品。高齢者の資産を騙し取る冷徹な悪徳後見人役が冴えた『パーフェクト・ケア』のひとつ前の出演作である。監督のマルジャン・サトラピ監督はイラン出身のフランスの漫画家・イラストレーター。彼女の自伝的コミックをアニメーション映画化した『ペルセポリス』(2007)でカンヌ国際映画祭の審査委員賞、セザール賞でも新人監督賞と脚色賞を受賞した。 監督は、イランからパリへ移住した自身と、ポーランドからパリへ移住し、2度ノーベル賞に輝いたマリ・キュリーは、男性社会で成功をおさめた移民の先輩に強い思い入れを込めて描いている。19世紀、パリ。ポーランド出身の若き女性研究者マリ・スクウォドフスカ(ロザムンド・パイク)は、ソルボンヌ大学から性差別を受け、ろくに研究の機会を与えられないでいた。そんな中、同僚の科学者ピエール・キュリー(サム・ライリー)と運命的な出会いを果たした彼女は、結婚してキュリー夫人となる。彼の支援で研究に没頭した彼女は、ラジウムとポロニウムという新しい元素を発見したことから夫婦でノーベル賞を受賞する。マリはちょっと謝ればすむような場合でも、折れない。謝らない。妥協しない。夫よりも自分の方が優秀な科学者だとする自負も隠さない。ノーベル物理学賞の授賞式に夫だけが出席したことにも納得がいかず、夫を責め立てる。ロザムンド・パイクは自信に満ちた強靭なマリ・キュリーを演じている。科学界を席巻するが、夫は荷馬車に轢かれて不慮の事故死を遂げてしまう。46歳だった。ピエールの死後、妻子ある部下と不倫したマリは、世間から猛烈なバッシングを浴びる。「汚いユダヤ人は国へ帰れ」と迫害される。その敵意も、あるいは同情や好意もはねつけるマリは孤高の人だ。長女のイレーヌ(アニャ・テイラー=ジョイ)から戦争で負傷したらすぐ両足切られる兵士が大勢いると聞かされる。彼女が晩年に取り組んだのは、第一次世界大戦の負傷兵の治療に自身の研究を役立てることだった。科学大臣の前に、純金のノーベル賞メダル2個を差し出し「これを溶かしてX線装置の開発費に充てて」とかけ合う。映画は1934年マリが倒れて病院へ運ばれるところから、1893年のソルボンヌ大学に回想して進んでゆく。1945年のエノラゲイによる広島への原爆投下、1961年のアメリカ・ネバダでの原爆実験、1986年のチェルノブイリの原発事故など、マリ・キュリーの死後に起こった放射能に関わる出来事が、ドラマの中に突然描かれる。ニュース映像などからの引用ではなく、映画のために撮った場面としてである。放射能 (radioactivity) という用語は彼女の発案による。“RADIOACTIVE”というのが映画の原題であるが、“放射性の”という意味である。
Nov 5, 2022
コメント(0)
田中裕子と尾野真千子の共演である。それだけでこの映画には何かがあると期待を抱かせる。日本では年間約8万人が全国の警察へ行方不明者として届けられている。ドキュメンタリー出身の久保田直監督が「失踪者リスト」から着想を得て、最愛の人の帰りを「待つ女」を描き出す。理由もわからず、生死もわからず、それでもひたすら待ち続ける。脚本は久保田監督の劇映画デビュー作『家路』(2014)や田中裕子主演作『いつか読書する日』(2004 緒方明監督)の青木研次。ロケ地は新潟市、佐渡市。北の離島の美しい港町。若松登美子(田中裕子)の夫が突然姿を消してから30年の時が経った。彼はなぜいなくなったのか。拉致されたのか。生きているのかどうか、それもわからない。登美子は水産加工場でイカをさばく仕事をしている。漁師の春男(ダンカン)が登美子に想いを寄せ続けているが、彼女は愛する人とのささやかな思い出を抱きしめながら、その帰りをずっと待っている。古いカセットテープに残された夫の声を聞いて、一人で静かに暮している。そんな登美子は春男を寄せ付けない。登美子のもとに、2年前に失踪した夫を探す田村奈美(尾野真千子)が訪ねて来る。彼女は看護師だ。彼女は自分のなかで折り合いをつけ、前に進むために、夫が「いなくなった理由」を探していた。奈美が登美子に問いかける。「悲しくないですか?待ってるのって」「帰ってくる理由なんかないと思っていたけど、帰ってくる理由もないのかもしれない」と登美子。夫のことをどれだけ理解していたのかわからないが、複雑な感情を波打たせながら、登美子は待ち続ける。春男を見かねた母(白石加代子)らから頼まれても、登美子は拒む。ある夜、船を出した春男は居なくなってしまう。動揺する母には深く同情する登美子である。しばらくして、奈美は新しい恋人ができたため、夫・洋司と離婚したいと言い出す。ある日、登美子は街中で失踪していた奈美の夫・洋司(安藤政信)を見かける。洋司と面会し、彼に頼まれて奈美に会いに行くのに同行する。「どうして連れてきたの!」と奈美は激しく怒り出す。奈美は新しい相手(山中崇)と暮らし始めていた。その夜、洋司は登美子を訪ねて来る。ちぎれたカセットテープを直したりしたあと、洋司は架空の夫と会話する登美子を目撃してしまう。洋司は登美子の家に泊まったのだろう。翌朝、家を出て行く。目覚まし時計が朝の4時を示し、トップシーンを再現する。編集も久保田直。終盤のこの場面が謎めいている。失踪していた春男も戻ってきた。海岸をどこまでも歩く登美子をとらえながら、映画は終わる。はじめは似た者同士だった登美子と奈美だったが、いつまでも待つのと、見切りをつけ前に進もうとしたのとの対比が際立ってくる。もしかしたら、壊れているのかもしれない登美子役の田中裕子の静かなる狂気には凄味がある。
Oct 15, 2022
コメント(0)
ウベルト・パゾリーニ監督によるイタリアとイギリスの合作映画『おみおくりの作法』(2013)のリメイクである。ウベルト・パゾリーニは本作ではエグゼクティブプロデューサーをつとめている。『舞妓 Haaaan!!!』(2007)『なくもんか』(2009)『謝罪の王様』(2013)の水田伸生監督&阿部サダヲ主演コンビの3作目である。 地方の都市(山形県)の市役所で、たった一人の“おみおくり係”として働く牧本壮(阿部サダヲ)の仕事は、人知れず亡くなった人を埋葬することだ。しかし故人の思いを大切にしようとするあまり、事務的に物事を進められない。牧本は全く空気が読めない、人の話を聞かない。なかなか心を開かない。しかし、決めたことは自分のルールでやり通すという、周囲からは迷惑がられる存在になっていた。警察のルールより自分のルール優先のため、刑事の神代(松下洸平)からはいつも怒られている。そんなある日牧本は、近くに住んでいた蕪木(かぶらぎ)という老人が、身寄りのないまま亡くなったと知らされる。彼の部屋から娘と思しき少女の写真を発見する。そんな頃、県庁から来た新任局長の小野口(坪倉由幸)は“おみおくり係”の廃止を決定する。蕪木の一件が最後の仕事となった。牧本は、写真の少女を探し出す。一人でも多くの参列者を葬儀に呼ぶため、わずかな手がかりを頼りに、蕪木の友人や知人を探し出し、訪ねてゆく。食品工場で同僚だった平光(松尾スズキ)、漁港で居酒屋を営む元恋人のみはる(宮沢りえ)、炭鉱で蕪木に命を救われたという槍田(國村隼)、一時期は共に生活していたホームレス仲間。写真の少女で娘の塔子(満島ひかり)……。公務員の責務を越えてまで“おみおくり”に執着する牧本の仕事はそのことだけ。自費をつぎ込んでまでも故人に寄り添おうとする。ゴミ屋敷にもためらわず入ってゆく。ポケットから取り出すのはメンソレータムか。それを鼻の下に塗るのは悪臭消しのためだろう。そんんなディティールにはリアリティがある。『死刑にいたる病』(白石和彌監督)で人当たりのいいパン屋さんと計画的かつ冷徹なサイコキラーの二面を演じた阿部サダヲの存在は強烈であった。本作でも阿部サダヲならではのアプローチで48歳のおみおくり係・牧本壮を創出している。まさにこんな男が居るようでリアルなのである。一人暮らし。家でも白いワイシャツを着ている。立ったままで、フライパンと電気釜からの食事。煙草の煙を嫌う。滑稽なほど真面目で融通がきかない。察しが悪い。横断歩道を渡る時は慎重に左右をよく確かめてから渡る。そんな、牧本だったが、皿に盛って食事をするようになる。蕪木に関わるうちに牧本も変わってゆく。蕪木の白鳥の写真に感化されて、カメラを購入。カメラにのめり込むと、周りが見えない。横断歩道では慎重だったはずだが……。孤独死した蕪木の葬儀には、関わりのあった人たちが集まった。しかし、そこに牧本の姿はなかった。『謝罪の王様』は、架空の職業“謝罪師”を阿部サダヲが演じた大爆笑の奇想天外ナンセンス・コメディである。脚本は宮藤官九郎。本作は人迷惑な主人公に同種の笑いを期待していたが、余韻が心にしみる深みのある作品である。脚本は倉持裕。コメディでありながら、孤独死や無縁仏、家族との関係を問いかけてくる。それらの問題を重々しく扱っていないところがいい。蕪木の宇崎竜童は写真でしか出てこない役ながら、最後に蕪木のゴーストのように登場してくる。
Oct 9, 2022
コメント(0)
草なぎ剛がトランスジェンダーの主人公を演じた『ミッドナイトスワン』(2020年 9月公開)で注目を集めた内田英治監督。オリジナル脚本にこだわり原案・脚本・監督で警察の音楽隊に異動命令させられた鬼刑事という着眼点がユニークだ。動画サイトで警察音楽隊の演奏を見て、地方の県警に取材を重ねてドラマを構築している。異色の人情ドラマである。演じる役にピタリとはまり込む阿部寛は本作でも好演だ。黒バックにタイプで打つ白抜き文字でタイトルが出て地味に始まる。黒電話が鳴って、お婆さんが電話に出る。電話でウソの警察から預金のことを聞かれた婆さんは、その後訪ねてきた者に襲われる。「アポ電強盗事件」である。30年間、犯罪撲滅に命をかけてきた鬼刑事・成瀬(阿部寛)は、この事件の犯人を追っていた。警察でもコンプライアンスが重視される時代に、そんなモン知らんと、礼状も取らず強引な捜査を重ね、出世にも興味なく、部下を追いつめ、上司に楯突き、疎まれて、警察音楽隊へ異動となる。バスに乗ってたどり着いた勤務先の警察音楽隊。刑事課では会ったこともないようなはぐれ者たちだった。離婚した元妻と暮らす娘(見上愛)には愛想を尽かされ、家には認知症の母(倍賞美津子)がいる。八方塞りの成瀬である。和太鼓を叩いていたことから、音楽隊ではドラム奏者に指名される。和太鼓は祭のためだったが、何で和太鼓なんか習わせたと母に文句をいい、まだ家にあった子供時代の和太鼓を窓から放り投げたりする。認知症の母には放浪癖があって、時々居なくなる。心配して成瀬が探していると、パトカーで母が家まで送られてきた。何気もなさそうなエピソードがうまく絡まり合って話が進展してゆくが、語り口に無理がなく自然に流れてゆく。音楽隊のトランペット奏者でシングルマザーの来島春子(清野菜名)によって、ふて腐れていた成瀬の心は少しずつ癒されてゆく。来島春子を母は成瀬の嫁だと勘違いする。春子は、そんな母のために晩御飯を作る。和太鼓とトランペットで演奏の練習をする。刑事映画と音楽とが絡まり合う異色作だ。しだいに気持ちは音楽の方へと傾きスタジオでドラムの練習をしていると、娘のバンド仲間とも打ち解けるようになる。成瀬の心の変化と再生を表現する演技と演出が絶妙だ。刑事課を放れた成瀬は「アポ電強盗事件」とは関係なくなるのだが、音楽隊に配置になったすぐは、まだこだわっていた。それを忘れかけた頃、事件が伸展をみせる。音楽隊を応援していたお婆さんが事件の犠牲となる。成瀬は、かつての部下の坂本祥太(磯村勇斗)に指示を与えるが、意外な展開で音楽隊が活躍することになる。その後には演奏会が控えていて、会場へ急がなくてはならない。坂本祥太が車の屋根にサイレンのせて、鳴らす。冒頭の成瀬の強引捜査のサイレンの場面がよみがえる仕掛けだ。こうした場面もさりげなく、それでいて納得させるのがうまい。見せ場を盛り上げながら、わざとらしさや無理がない。 コロナ禍で「不要不急」とされたのが、エンターテインメントの類である。成瀬は音楽に夢中になっていって「変わった」のである。緊急事態であっても、音楽や芸能は必要だ。エンタメによって救われるというメッセージも伝わってくる。昨年の夏に豊橋や蒲郡など東三河で撮影が行われている。昨年公開の『護られなかった者たちへ』(瀬々敬久監督)でも阿部寛と共演していたが、本作でも倍賞美津子が印象深い。
Sep 18, 2022
コメント(0)
ヴェネチア国際映画祭 2019年で銀獅子賞(審査員大賞)受賞。ロマン・ポランスキーは撮影当時86歳。1894年、フランス。ユダヤ人の陸軍大尉ドレフュスはドイツに機密情報を流したとするスパイの容疑がかけられ終身刑を言い渡される。その後、真犯人がわかるが軍部は隠匿。これに対して知識人らが弾劾運動を展開し政治的大事件となった。1899年、ドレフュスは大統領の恩赦により釈放。1906年に無罪が確定した。本作は、ユダヤ人差別を背景とする歴史的冤罪事件“ドレフュス事件”の映画化である。スパイ容疑で有罪となったユダヤ人陸軍大尉の無実を知った主人公が、あらゆる手段で隠蔽を図る国家権力に立ち向かってゆく戦いをスリリングに描き出す。脚本はポランスキーと『ゴーストライター』のロバート・ハリス。冬の式典場の寒々した場面から始まる。集まった群集が見守る中、陸軍大尉ドレフュス(ルイ・ガレル)は軍籍を剥奪される。階級章を剥ぎとられ、軍服のボタンをもぎとられ、軍刀をへし折られる。群集の罵声に「私は無実だ」と応じながら連行されてゆく。この出だしが見事である。1894年は、日本では日清戦争の頃である。対敵情報活動を率いるピカール中佐(ジャン・デュジャルダン)は、別の人物が真犯人の可能性を疑い、筆跡鑑定から冤罪に気づく。ドレフュスの無実を示す決定的証拠となる。しかしスキャンダルを恐れた国家権力はその事実に目をつぶり、文書の改ざんや証拠の捏造などあらゆる手段で隠ぺいを図るとともに、真相究明を求めるピカール中佐への執拗な圧力を強めてくるのだった。ピカールは左遷。それでも信念を貫く彼は作家のゾラらに支援を求める。腐敗した権力や反ユダヤ勢力との戦いが……。ドレフュスの登場場面は少なく、事件を調査するピカールと軍上層部との攻防が描かれてゆく。“ドレフュス事件”は多くに知られているが、真相を暴こうとしたピカール中佐は『大河への道』の天文方・高橋景保のようにほとんど知られていない。歴史に埋もれた人物に焦点を当てている。120年前の軍服のリアル感、軍帽、軍人の顔付、口髭、眼鏡などで19世紀末を再現した美術に感服。馬車が街を行く場面では道に馬糞も落ちている。ランプ橙の時代の照明や軍務室の雰囲気の陰湿な空気感もいい。ピカールとドレフィスは再審に敗れるが、ドレフュスの有罪判決が数年後に破棄されたことを伝えるテロップが出る。証拠を偽造した軍人との決闘場面がある。『最後の決闘裁判』は14世紀の話であるが、19世紀末になっても決闘は行われていたのだろう。ドレフュスが服役したのは、仏領ギアナのディアブル島(獄門島)。『パピヨン』は、この島が舞台であった。
Jun 12, 2022
コメント(0)
ブッカー賞作家グレアム・スウィフトの小説『マザリング・サンデー』をエヴァ・ユッソン監督が映画化したドラマ。孤児院育ちで、のちに小説家として大成した女性が、晩年に自らの生涯を振り返り、人生の大きな転機となった若きメイド時代の忘れられない1日のことを振り返る。 物語の舞台はイギリス、1924年3月の日曜日。この日はマザリング・サンデー。年に一度、メイドが里帰りを許される日である。マザリング・サンデーにはメイドがいなくなるため、雇用主たちは昼食をどこかでとることになる。シェリンガム家、ニヴン家、ホブデイ家では、昼食のための催しをすることにしていた。 ニヴン家のメイドのジェーン・フェアチャイルド(オデッサ・ヤング)はシェリンガム家の息子のポール(ジョシュ・オコナー)と秘密の関係を続けていた。ジェーンは、孤児院で育ったため、親がいなくて帰るところもない。ポールはホブデイ家の娘エマ(エマ・ダーシー)との結婚が決まっていた。昼食会は結婚の前祝の会であった。婚約者のエマと結婚すれば、2人は2度と会えなくなる。ポールからジェーンに誘いの電話がかかる。シェリンガム家の屋敷には両親も使用人も誰もいなくなる。この日は2人で過ごす最後の1日だ。ポールは昼食会へは遅刻することに決め、空の屋敷にジェーンを招き入れる。婚約者家族との食事会の裏で逢引する2人。ポールはジェーンの服を丁寧に脱がせて、慈しむ。ジェーンは服を丁寧に着込んでゆくポールを見つめている。ポールは昼食会に向かうため、ジェーンを残して部屋を出た。「さよならジェーン」。のこされたジェーンは、全裸のまま、屋敷の中を探索して歩く。ここにあるすべてを肌の感覚に記憶させようとするように……。ニヴン家に戻ったジェーンは、ポールが事故を起こし、命を落としたことを奉公先の主人ゴッドフリー・ニヴン(コリン・ファース)から知らされる。逢瀬と昼食会が同時進行し、その後の作家になったジェーン、メイドの後、書店勤務、アフリカ系イギリス人の哲学者ドナルド(ソープ・ディリス)との出合いと結婚、夫の死。さらに老作家(グレンダ・ジャクソン)になった現在の姿までが、年代順ではない構成で綴られる。ややわかりにくいが、そこから、作家ジェーン・フェアチャイルドの今に至る道が見えて来る。クローズアップを多用した画面、英国の田園地帯らしい映像が美しい。グレンダ・ジャクソンは『恋する女たち』(1969 ケン・ラッセル監督)『ウィークエンド・ラブ』(1973 メルヴィン・フランク監督)で2度アカデミー主演女優賞受賞。1992年に女優業を引退し政治家に転身、労働党から下院議員に当選。2015年に政界から引退した。『レインボウ』(1989 ケン・ラッセル監督)以来の映画出演である。
Jun 3, 2022
コメント(0)
落語家・立川志の輔の創作落語『伊能忠敬物語 大河への道』が原作。たまたま訪れた伊能忠敬記念館で、忠敬が日本中を歩いて作った実測地図の正確さに驚き「地元で唯一の偉人である伊能忠敬で大河ドラマを作って観光振興をしようとする人々の物語」を思いついた。初演は2011年。中井貴一がこの原作を読み企画し、映画化の運びとなった。志の輔の落語が原作となった映画では『歓喜の歌』(松岡錠司監督 2007)もある。現代と江戸を舞台に中井貴一、松山ケンイチ、北川景子らが1人2役で2つの時代の人物を演じわける。タイムスリップにもならず、現代と時代劇とが共存する。この着想も面白い。監督は中西健二。マキノ雅彦(津川雅彦)監督、中井貴一主演の『寝ずの番』(2006)は艶笑喜劇の傑作であるが、その時の助監督が中西健二であった。 千葉県香取市。市役所に勤める池本保治(中井貴一)は、観光振興策の検討会議で上司の小林永美(北川景子)から意見を求められ、苦しまぎれに地元の英雄・伊能忠敬を主人公にした大河ドラマの制作を提案した。思いがけずその案が通ってしまう。成り行きからドラマ化実現のプロジェクトリーダーに据えられてしまった池本は、お調子者の部下・木下(松山ケンイチ)とともに企画を進めていくことになる。大河ドラマの脚本家の加藤(橋爪功)に依頼するがなかなか承知しない。それでも粘り強く交渉しプロジェクトは動き出したかに見えた。ところが17年かけ地球1周分を歩いた忠敬は『大日本沿海輿地全図』完成の3年前に死んでいたと知り、これでは大河ドラマにならないと途方に暮れる。脚本は大河ドラマ『女城主直虎』の森下佳子。江戸時代は1818年。幕府で天文方(天文、暦、測量などを司る役職)を取り仕切る高橋景保(中井貴一)は、「忠敬の死は上役に伏せて、地図作りを続けさせてくれ」と弟子から懇願され困っていた。弟子たちは幕府から多くの予算をもらっていながら、道半ばで途切れては、その作業に関わった者は打ち首にもなりかねない。景保の腹心・又吉に松山ケンイチ。 現代と江戸とで困ったことが起きて、右往左往している様を同じような配役で1人2役が重なり合う。高橋景保池本保治は定年が近い市役所職員。このまま何事もなく定年までいけば…くらいに考えていたら、大河ドラマのプロジェクトリーダーにされてしまう。高橋景保は、幕府の天文方だが、弟子たちの熱意にほだされて協力するようになる。どちらも巻き込まれである。1人2役は時代は違っても人間は変わらないということも伝えてくる。後に偉人と呼ばれる人も、その時代に生きる普通の人だったのだろう。忠敬の死を悲しむ弟子たちの場面から始まるが、伊能忠敬が出てこない伊能忠敬映画である。終盤、江戸城の大広間を覆いつくす「大日本地図」の威容、忠敬の草鞋が、伊能忠敬を物語る。江戸城の徳川家斉役で出演の草刈正雄が、千葉県知事で出てくるのは、森田健作を連想させて笑えた。
May 30, 2022
コメント(0)
『彼女がその名を知らない鳥たち』(2017)の白石和彌監督と阿部サダヲが再度組んだサイコサスペンス。櫛木理宇の同名小説の映画化。脚本は『まともじゃないのは君も一緒』『さがす』などの高田亮。鬱屈した日々を送る大学生の筧井雅也(岡田健史)は一通の手紙を受け取る。それは、24人も少年少女を殺害したとして世間を震撼させている稀代の連続殺人鬼・榛村大和(阿部サドヲ)からのものだった。すでに一審で死刑判決を受けている榛村(はいむら)だったが、雅也は中学時代に地元でパン屋の店主をしていた彼をよく知っていた。その榛村が、最後の事件だけは冤罪だと主張し、ほかに真犯人がいることを証明してほしいと雅也に依頼してきたのだった。雅也はその願いを聞き入れ独自に調べ始める……。榛村大和は計画的に犯行を繰り返す典型的な秩序型連続殺人犯だ。榛村は商店街のパン屋ロシェルの店主だった。人当たりがよく店は人気があった。誰が見ても善人そのものであった。そのため榛村はなかなか疑われなかったのだ。今でも榛村は冤罪ではないのかと思っている者もいるほどだ。榛村が狙ったのは17歳から18歳のまじめそうな高校生の男女。犠牲者の中にはパン屋のお客もいる。いずれも同じように監禁拷問し、ペンチで爪を剥がすなど十分にいたぶってから命を奪っている。いつも同じ手口で殺害しているが、最後の事件だけは手口が違った。阿部サダヲの演技・表現力にはいつも感心する。そんな中でも、今回の榛村大和役の怪演は印象強烈だ。丁寧でありながらどこか不気味な喋り方、表情には得体の知れないものがあり、何かを見透かしているような視線。“人当たりのいいパン屋さん”と計画的で冷徹なサイコキラーという二面性を見事に演じている。筧井雅也は、ひねくれた大学生である。理想とは程遠いランクの大学に通っているが、かつては神童だったというプライドが残っていて、周囲になじめず、他の大学生を見下している。底辺大学の中で孤立していて仲間もいない。そんな雅也が榛村からの依頼を受ける。榛村は神童だった頃の雅也しか知らない。雅也が事件を洗いなおしたところで、裁判に影響を与えることはないのだが、雅也の承認欲求と榛村の目論みとが合致して、雅也の探偵役が違和感なく馴染んで、物語が進行してゆく。拘置所に通ったり、弁護士助手と称して関係者から話を聞くうちに雅也が変わってゆく。何度も出てくる面会室のシーンで2人が繰り広げる心理戦は緊迫感が張りつめる。雅也役の岡田健史は『望み』『ドクター・デスの遺産 -BLACK FILE』『そして、バトンは渡された』など話題作への出演が続いている。捜査する雅也の行く先々に現われる謎の男・金山一輝に岩田剛典。雅也の母であり、常に夫の顔色をうかがう主体性のない妻の筧井衿子に中山美穂。白石和彌監督作品が胸に迫ってくるのは、善か悪か、白か黒かだけでは計り知れない人間の営為が刺さってくるからだ。実在したアメリカのシリアルキラー、テッド・バンディが榛村大和のモデルになったのではないだろうか?『テッド・バンディ』(2019 ジョー・バーリンジャー監督)という映画も公開されている。
May 22, 2022
コメント(0)
ドキュメンタリー映画『オードリー・ヘプバーン』はオードリー・ヘプバーン(1929~1993)の生涯を年代順に追っている。監督のヘレナ・コーンは1994年生まれ。28歳。リアルタイムを知らないのだが、 オードリーの本当の姿を伝えるために、彼女はオードリーの女優時代の仲間だけでなく、長男のショーン・ヘプバーン・ファーラーや孫のエマ・キャスリーン・ヘプバーン・ファーラー、家族ぐるみの付き合いをしていた友人らから、オードリーの極めてパーソナルな部分をひも解いていく。映画関係者では、リチャード・ドレイファスと監督のピーター・ボグダノヴィッチが登場。ヘプバーンはボグダノヴィッチの『ニューヨークの恋人たち』(1981)に出演しているが、この作品日本では公開されていない。『オールウェイズ』(1989)はドレイファスの主演作で、ヘプバーンにとっては最後の出演映画となった。ピーター・ボグダノヴィッチは、今年の1月に亡くなった。82歳。
May 22, 2022
コメント(0)
『雨に唄えば』(1952)などミュージカル映画を手掛けたスタンリー・ドーネンは、オードリー・ヘプバーンで『パリの恋人』(1957)『シャレード』(1963)と本作を撮っている。1967年(日本公開も同年)。FOX配給で公開されたが、製作はS・ドーネン。大胆な手法のロード・ムービーだ。倦怠期を迎えた夫婦が馴れ初めの地フランスを自動車旅行している。1954年から1966年の12年間の1組の夫婦の軌跡を、6つの時間軸を交錯させながら、それだけで描く。オードリー・ヘプバーン演じるジョアンナの髪型と乗っている車で時代を描き分けている。夫役はアルバート・フィニー。夫婦の愛情の変化は時間の経過とは無関係に個々のエピソードが順不同で連なる。カットバックを多用して、12年間を自由に行き来する構成になっている。旅が進むにつれ恋に落ちた当初の気持ちを次第に取り戻してゆく男女の微妙な心理の綾が伝わってくる。この時、オードリー・ヘプバーンは37歳。次に出演したのが『暗くなるまで待って』。以後『ロビンとマリアン』(1976)まで10年近く出演作はない。
May 22, 2022
コメント(0)
2018年のルクセンブルク映画。トマス・ヴィンターベア監督はデンマーク、主演のマティアス・スーナールツはベルギー出身。2000年に実際に起きたロシア海軍の原子力潜水艦の爆発沈没事故の映画化である。出航後の艦内の事実を知るものはいない。その息詰まる艦内と生還を願う家族を描く。脚本は『プライベート・ライアン』(1998)『パトリオット』(2000)などのロバート・ロダット。乗艦員118名を乗せた原子力潜水艦クルスクは軍事演習に向かった。演習中に、艦内の魚雷が突然暴発、凄まじい炎が艦内を駆け巡る。次々と命を落とす惨状に直面したミハイルアヴラン司令官(マティアス・スーナールツ)は、爆発が起きた区画の封鎖を指示し、部下と安全な艦尾へ退避を始めるが、艦体は北極海の海底まで沈没し、わずか23名だけが生き残った。徐々に浸水していく船尾で救助を待つのだった。海中の異変を察知した英国の海軍准将デイヴィッド・ラッセル(コリン・ファース)は救援を表明するが、ロシア政府は沈没事故の原因は他国船との衝突にあると主張し、軍事機密であるクルスクには近寄らせようとしない。乗組員の命よりも国家の威信を優先する政府の態度に、アヴランの妻ターニャ(レア・セドゥ)たち家族は怒りをあらわに抗議する。猛抗議したものは当局者に後ろから注射を打たれて連れ去られた。救難潜水艇は一艇しかなく、他はタイタニックの深海ツアー用に売り払ったという。折角の英国海軍からの救援も断る。情報を求める家族に嘘ばかりを並べる。そして、事故の遠因は「NATOの強硬姿勢」であると理由づける。ロシア海軍は乗組員とその家族を見殺しにした。最後に乗組員は71人の子供たちを残していったと、テロップがでる。兵士の給料が低いことも描かれている。22前の事件を4年前にロシアとは関係のないところで映画化した作品だが、今、ロシアが起こした戦争を予見していたような映画となった。ミハイル・アヴランの日常から始まる。基地近くの団地に暮している。5歳位の息子がいて、妻は2人目を身篭っている。友人の結婚式に参列する。軍事演習に出航して行くところで、それまでヴィスタサイズだった画面がシネスコサイズになる。終章ではヴィスタに戻る。ロシアの傲慢さや非道さを象徴するのが、老ウラジーミル・ぺトレンコ指令長官である。演じるのはマックス・フォン・シドー。『第七の封印』(1956)以来イングマール・ベルイマン監督作の常連である。『エクソシスト』(1973)では44歳で老齢のメリン神父を演じて広く知られるようになる。アート系作品からハリウッド大作まで出演作は多数。2020年3月、90歳で世を去る。本作が最後の出演映画になった。
May 5, 2022
コメント(0)
昨年夏の第74回カンヌ国際映画祭で最高賞パルムドールを受賞した。絶賛の声、怒りの声、卒倒する人と様々な反応を引き起こした末の受賞であった。女性監督の受賞は1993年のジェーン・カンピオン『ピアノ・レッスン』以来となる。女性監督としては史上2人目である。長編デビュー作『RAW 少女のめざめ』(2016)に続くジュリア・デュクルノー監督の第2作目の作品である。とんでもない着想の異色スリラー映画である。カンヌの授賞式では「モンスターを受け入れてくれてありがとう。ジャンル的に言うとボディーホラーで、世界の大きな映画祭では軽視されているところがあった。そうした映画にも扉が開いた、という気がした」とスピーチしている。アレクシア(アガト・ルセル)は、幼い頃の交通事故により頭蓋骨にチタンプレートが埋め込まれている。彼女は、車のショーのダンサーである。車に対して異常な執着心を抱き、キャデラックの上で踊る姿は車と交わっているかのようだ。ファンだという男が言い寄ってくるが、ヘアピンを耳に突き刺して殺してしまう。いきなり痛そうな殺しなのでビックリする。シャワーの場面での乳首ピアスに髪が絡むところも痛そうだ。ある夜 ショーのスタジオでシャワーを浴びていると 大きな音が彼女を呼ぶ。裸のまま外へ出て、車とセックスする。 乳首ピアス娘とそのルームメイトたちを殺すが、いきなりであり、意味不明(?)な理由付けなしの展開である。ヘアピンが凶器であり、アレクシアはそれを口に咥える。痛そうな感覚にピリピリしてくる。父親の運転する車の後部座席で、にらむような目つきで不機嫌そうに座席を蹴っていたアレクシアは、それが原因で父が事故を起こし、チタンプレートが埋め込まれることになる。にらむような眼差しは大人になったアレクシア(アガト・ルセル)に受け継がれ、煽情的なダンスを始める。タットウーがあるアレクシアだが、乳房の下には“LOVE IS A DOG FROM HELL”の文字が刻まれている。これは何を意味するのか、妙に気になった。何に突き動かされるのか、ダンサーのアレクシアは連続殺人鬼でもある。殺人犯のアレクシアは捜査網から逃れるべく、髪を短くし、自身で鼻をへし折る。そんなアレクシアは消防士のヴァンサン(ヴァンサン・ランドン)に出会う。10年前に息子が行方不明になって、孤独に生きていた彼の“息子”になって、共同生活を始めるが……。前半の暴力的で過激描写は、後半になって薄らいでくる。孤独を抱えたヴァンサンが、よくわからないが、特異なキャラクターとなってアレクシアをアドリアンとして受け入れる。息子になったアレクシアは、性差を越境してしまうが、新しい命を孕んでいた……。消防士の時は腹のふくらみは目立たない。裸になると腹のふくらみが強調される。男としてふるまうアレクシアだが、消防士たちの前でダンスを披露する場面ではセクシーダンスをみせる。 不可思議で、ヘンな映画である。着想と表現の力は強烈だが……。
Apr 14, 2022
コメント(0)
『シェイプ・オブ・ウォーター』(2017)でアカデミー賞の作品賞、監督賞はじめ4部門受賞、ヴェネチア国際映画祭で金獅子賞受賞のギレルモ・デル・トロ監督作品。 1946年に出版されたウィリアム・リンゼイ・グレシャムのノワール小説『ナイトメア・アリー 悪夢小路』が原作。1947年にいちど映画化されている。『悪魔の往く町』(エドマンド・グールディング監督 タイロン・パワー主演)。 1939年。流れ者のスタントン(ブラッドリー・クーパー)がたどり着いたのは怪しげな出し物のカーニバル(見せ物小屋)の一座だった。スタントンは、マネージャー(ウィレム・デフォー)に取り入り一座の雑用仕事を任せられる。鳥の首を食いちぎる獣人(ギーク)やホルマリン漬けの胎児などが異様な雰囲気だ。スタントンはタロット占い師であり読心術師のジーナ(トニ・コレット)に見染められ、助手として舞台に立つようになる。そこで読唇術の技を身につけた彼は電流ショーをしていたモリー(ルーニー・マーラ)を誘い一座を抜け出す。サーカスのようなカーニバルは、どこかで観た気がする。『グレイテスト・ショーマン』(2017 マイケル・グレイシー監督 ヒュー・ジャックマン主演)の記憶と重なる。いかがわしいフリーク・ショーである。フェリーニやアレハンドロ・ホドロフスキーの映画にはサーカスや小人症の人物が登場してくる。 2年後、スタントンとモリーは金持ち相手にショーマンとして活躍していた。弁舌の才とトリックを駆使してさらに上の成功と富を求めて詐欺まがいの心霊術に手を染めてゆく。前半と後半とでは、雰囲気が異なり、高級クラブや大富豪の邸宅が舞台となり、クライムムービーの色合いが強くなってくる。スタントンの前に心理学博士のリリス・リッター(ケイト・ブランシェット)が現れる。モリーが「冷たい表情のあの女」と言うリリスはミステリアスでクールである。さらなる成功の重要人物とみなした、スタントンはリリスに接近する……。リリスは冷徹にスタントンを見透かしているようで、彼を破滅へと導く。 本作は、配役も豪華なサスペンス・スリラーであるが、ケイト・ブランシェットのファム・ファタールぶりが際立っている。2度オスカーを受賞した名女優の存在感だ。 登場場面は少ないが、判事の妻役にメアリー・スティーンバージェン。妖しく、人間か獣かわけのわからないものが蠢いているカーニバルから、華麗な深い闇のセレブリティの迷宮の世界へ。野望の果てにスタントンは……。 大戦前夜のアメリカをショービジネス界で描きだすこの作品、美術の造型は凝って見事である。
Apr 3, 2022
コメント(0)
ジュリア・ロバーツとヒュー・グラントのロマンテック・コメディ『ノッティングヒルの恋人』がおそらくいちばん有名なロジャー・ミッシェル監督。昨年公開の『ブラックバード 家族が家族であるうちに』(2019)はスーザン・サランドンの名演が光り、安楽死を選択した難病の母と、その決意を受け止めようと苦悩する残された家族の葛藤を静かに見つめたヒューマンなドラマであった。監督は昨年の9月に亡くなり2020年の『ゴヤの名画と優しい泥棒』が劇映画最後の監督作品になった。ロジャー・ミッシェル監督作は人間観察のふかいヒューマンな作品が多い。本作は、世界中から年間600万人以上が来訪する“世界屈指の美の殿堂”、ロンドン・ナショナル・ギャラリーから“国宝”と称されるゴヤの名画「ウェリントン公爵」が盗難に遭い、その後タクシー運転手のケンプトン・バントンが名画を自ら返却して名乗り出たという1961年の実際の事件に基づく話である。ケンプトン・バントン(ジム・ブロードベント)は60歳。長年連れ添う妻のドロシー(ヘレン・ミレン)、息子のジャッキー(フィオン・ホワイトヘッド)とイングランド北部のニューカッスルの小さなアパートで暮らす、労働者階級のタクシー運転手だった。彼は、イギリス政府に対し身代金を要求。脅迫状には「絵画を返して欲しければ、年金受給者のBBCテレビの受信料を無料にせよ!」と書かれていた。ケンプトン・バントンは変わり者であるが、社会の理不尽には我慢ができない。受信料徴収員に踏み込まれたら「BBC放送のコイルは取り外してあるので番組は見ていない」と主張するが、2週間刑務所に入れられる。自分の心情には正直なのだ。職場でも正直すぎてクビになって長続きしない。妻は家政婦として働き、家計を支えているらしい。彼は戯曲を書いているが全く売れない。プロの泥棒でも侵入が難しいロンドン・ナショナル・ギャラリーに、忍び込んだのは“ずぶの素人”。入念な計画があるわけでも、協力者がいるわけでもない。なのに、展示されている国宝「ウェリントン公爵」をまんまと盗めてしまう。このあたりの描写はあっさりしている。盗んだ絵は自宅に隠す。仕事をしていない様子の息子も共犯者っぽい。警察は計画性と実行力から国際的な犯罪組織の仕業であると勘違いするところも可笑しい。法廷での審問も漫才みたいである。実際のケンプトン・バントンはかなり廻りには迷惑な人物であったろうが、ジム・ブロードベントが演じると共鳴を呼ぶやさしい人物に思えてくる。長年連れ添った妻は夫のヘンを知り尽くしている。何かことを起こすたびにうんざりしているヘレン・ミレンのリアクションも可笑しい。最後に『007/ドクター・ノオ』(1962 シリーズ第1作)にこの名画が出てくる。劇中の会話では『ウエスト・サイド物語』も上映されている。
Mar 9, 2022
コメント(0)
角川映画45年記念企画角川映画祭ミッドランドスクエアシネマ。1984年10月公開。イラストレーターの和田誠の映画監督デビュー作としても話題となった作品だ。角川春樹から小説の依頼を受けた和田誠は、好きな小説のシナリオを書きたいと阿佐田哲也の原作をシナリオにして絵コンテをつけて見せたところ、「あなたが監督をやるしかない」と勧められた。当時イラストレーターとして大忙しだったが、「この機会を逃すと二度と監督を勧められることはない」と決意して挑んだのだという。1969年「週間大衆」に連載され、後に『麻雀放浪記・青春編』となった第1巻が映画『麻雀放浪記』の原作である。映画では原作は角川文庫版となっている。絵コンテつきのシナリオを映画シナリオにした共同執筆は澤井信一郎。澤井は東映で長い間助監督を務め、シナリオも書き1981年に松田聖子主演の『野菊の墓』で監督デビューしている。『麻雀放浪記』から2ヶ月遅れて公開された角川映画『Wの悲劇』は2作目の監督作品である。和田誠は、本作をモノクロで撮ることにこだわった。カラーが当たり前になっていたのに、あえてモノクロで撮ろうとした。1981年の『泥の河』(小栗康平監督)はモノクロ作品であった。1974年の日活ロマンポルノ『(秘)色情めす市場』(田中登監督)は、モノクロで大阪の釜ヶ崎のドヤ街を映し、ATG映画を思わせるような作家性の強い異色作で、作品としても高い評価を得ている。日活ロマンポルノは必須科目のようなヌードとセックスシーンの条件をみたせば、何を撮ってもよかったのだ。『泥の河』と『(秘)色情めす市場』のカメラマン安藤昇平が『麻雀放浪記』の撮影に起用される。冒頭に流れるのは「青い芽を吹く〜柳の辻に〜花を召しませ〜」と歌う岡春夫の「東京花売娘」。上野。戦後すぐの立ち並ぶバラックの光景。青年・哲(真田広之)は、鶴見の工場の同僚で以前バクチを教えてくれた上州虎(名古屋章)と偶然会う。虎に連れられチンチロ部落に足を踏み入れた哲は、なけなしの金でプロのバクチ打ちであるドサ健(鹿賀丈史)の張りにノッた。おかげで相当勝ったが、その大半をコーチ料としてドサ健にとられてしまう……。女衒の達の加藤健一、出目徳の高品格、ドサ健の愛人まゆみの大竹しのぶ、麻雀クラブ・オックスクラブのママ役の加賀まりこと配役も絶妙だ。モノクロが見事なまでに時代を描いている。テロップで年代を示すわけでもなく、ラジオのニュースが東宝争議のことを伝えているだけだ。東京花売娘は後半でもう一度流れるが。勝鬨橋を背景にした哲とママの場面もいい雰囲気だ。オックスクラブで、進駐軍のアメリカ人とトラブルになり殴られた哲はママの部屋で介抱される。この濡れ場の加賀まりこが色香を漂わす。「私なんかで、いい思い出になりそう?」「若いんだもんねぇ」。年上のママに心惹かれる哲だが、オックスクラブが手入れにあってママは行方をくらましてしまう。この頃の映画では『泥の河』の加賀まりこもよかった。『麻雀放浪記』はこの年のキネマ旬報の4位。第1位は新人監督、伊丹十三の『お葬式』であった。
Mar 7, 2022
コメント(0)
12月10日の公開予定であったのが2月11日からの公開になった。映画監督50年目のスティーブン・スピルバーグ作品。 『ウエスト・サイド物語』(ロバート・ワイズ、ジェローム・ロビンズ監督)は1961年作品。アカデミー賞では10部門で受賞。多くの人に知られる名作中の名作である。ウィリアム・シェークスピアの『ロミオとジュリエット』を下敷きにしたアーサー・ローレンツの原作戯曲は1957年にブロードウェイで上演された。作曲:レナード・バーンスタイン、作詞:スティーブン・ソンドハイム。今回は1957年の舞台劇に基づく映画化となっている。脚本のトニー・クシュナーは『ミュンヘン』(2005)『リンカーン』(2012)でもスピルバーグと組んでいる。オリジナル振り付けはジェローム・ロビンズであるが本作の振り付けはトニー賞受賞のジャスティン・ペック。音楽指揮はパリ・オペラ座の音楽監督グスターボ・ドゥダメルである。 冒頭、多くのがらくたが散乱する地面を映していたカメラは、リンカーンセンターの完成図の看板をとらえる。巨大な鉄球を取り付けたクレーン車と廃墟のようになった街並み。1950年代後半のニューヨーク、ロバート・モーゼスの主導する都市計画で変容する街をとらえつつ、映画は動き始める。取り壊されるウエスト・サイドのスラム街。ここでは移民たちが多く暮している。彼らは同胞たちで結束し、互いに助け合うことで厳しい世の中を生き抜いていた。そんな中、プエルトリコ系の若者たちで構成された“シャークス”と“ジェッツ”というポーランド系移民グループの対立が激しさを増していた。ある日、シャークスのリーダー、ベルナルド(デビッド・アルバレス)を兄に持つマリア(レイチェル・ゼグラー)は、ダンスパーティでトニー(アンセル・エルゴート)という青年と出会い、2人は互いに惹かれ合う。しかしトニーはジェッツの元リーダーであり、2人の恋は決して許されるものではなかった……。マリアに出会ったトニーが夜の裏路地でマリアを探しまわり、建物上階の窓に彼女を見つける。2人は彼女の家の非常階段で互いの気持ちを確かめあう“Tonight”の場面。レンガの壁の建物に洗濯物が架かっていて生活感あふれる感じがいい。白いドレスに赤いベルトのマリアは、パーティドレスのままだ。『ウエスト・サイド物語』では、マリアをナタリー・ウッド、トニーをリチャード・ベイマーが演じた。1961年作品でより印象深いのはジョージ・チャキリスとリタ・モレノだ。ジョージ・チャキリスはベルナルド、リタ・モレノはベルナルドの恋人のアニータを演じ、共にアカデミー賞の助演男女優勝を受賞している。リタ・モレノは1931年生まれ。『ウエスト・サイド・ストーリー』では製作総指揮をつとめ、バレンティナ役で出演している。バレンティナはプエルトリコ移民。グリンゴ(白人)であるドクと結婚したが、夫は亡くなり一人でドラッグストアを引き継いで経営している。刑務所帰りのトニーは厚生のためここの店で雇われている。シャークスとジェッツの両方から一目置かれている。バレンティナが歌う“Somewhere”は争いのないどこか=サムホエアを願っている
Mar 6, 2022
コメント(0)
小学館「ビッグコミックオリジナル」に連載中の『前科者』が原作である。寺山修司原作の『あゝ、荒野 前篇・後篇』(2017)の岸善幸が監督・脚本・編集。原作者の香川まさひとは吉田大八監督の『クヒオ大佐』(2009)『羊の木』(2017)の脚本家でもある。『クヒオ大佐』は実在した結婚詐欺師の物語。『羊の木』は元受刑者を受け入れることになった過疎の漁港が舞台であった。保護司が主人公で、犯罪者の厚生をサポートする本作と共有するテーマも見えてくる。保護司は、保護司法・公正保護法に基づき、法務大臣から委託を受けた、非常勤の国家公務員。犯罪や非行に陥った人の厚生を任務とする。活動に応じて実費弁償金が支給されるが、給与は支給されない。民間のボランティアによって成り立っている。阿川佳代(有村架純)は28歳。コンビニのアルバイトで生計を立てながら保護司を始めて3年になる。更生を目指す前科者たちに寄り添い、彼らの居場所を見つけるために奔走していた。彼女が担当している工藤誠(森田剛)は、職場の同僚殺しで6年の実刑後、今は自動車修理工場でまじめに働いている。そんな彼を親身になって支え、互いに確かな信頼関係を築いていた。保護観察満了の時期も近づいていた。ところが、最後の面談の日、工藤は約束の時間になっても現れない。工藤に何があったのかと、気をもみながらコンビニのレジに立つ阿川の前に刑事の滝本(磯村勇斗)が現れる。「工藤誠を探している」と滝本に言われ、阿川は愕然とする。2人は中学校の同級生だった。滝本との再会は、阿川が心の奥深くにしまっていた過去の出来事を甦らせてゆく……。交番の巡査への襲撃事件が起こり、拳銃が奪われる。男はその拳銃で2件の殺人事件が発生する。その容疑者として工藤が浮かび上がる。工藤の前に現れた灰色の髪の謎の男……。男は誠の弟の実(若葉竜也)であるとわかってきて、幼かった兄弟の子供時代が明かされる。物語の進行につれて、阿川佳代の過去と、保護司の道を選んだわけも重なってくる。 『るろうに剣心 最終章』『花束みたいな恋をした』『映画 太陽の子』と出演作が続く有村架純であるが、本作ではメガネをかけて、ほぼスッピンで阿川佳代を演じている。最近の出演作ではこの役がいちばんいい。森田剛は『ヒメアノ~ル』(2015 吉田恵輔監督) でのサイコパスな殺人鬼が印象強烈であった。本作工藤誠役の母親が義父に殺され、施設に引き取られ、仕事場でいじめに合い片耳が聞こえなくなったり、過去の苦しみを吐露する場面の涙と鼻水垂れ流しは見る者の心をつかむ。他の出演者も好演だ。過去を背負いながら、今は工事現場の警備員をまじめに勤めながら、屈折を感じさせるリリー・フランキー。凜とした雰囲気を放つ弁護士の木村多江。これまでの役柄イメージをこわし、暴力的強引刑事のマキタスポーツ。元受刑者で佳代の初めての保護観察者、今は便利屋の石橋静河。自由奔放でアバズレ風でこれまでの石橋静河のイメージをこわして鮮烈だ。
Feb 13, 2022
コメント(0)
映画館で『ダーティハリー』を観て興奮して家へ帰ってきてテレビをつけると浅間山荘事件を実況していた。『ダーティハリー』の一場面に映画“PLAY MISTY FOR ME”を上映中の映画館が映るが、この映画の邦題は『恐怖のメロディ』。クリント・イーストウッドの映画監督デビュー作である。共に1971年作品であるが、『ダーティハリー』は1972年の2月、『恐怖のメロディ』は2ヶ月遅れの4月に公開されている。『ダーティハリー』と同じ2月には『フレンチ・コネクション』が公開されている。『ダーティハリー』と『フレンチ・コネクション』は後のアクション映画のはみ出し刑事像に大きな影響を与えた。クリント・イーストウッドとジーン・ハックマンは共に1930年生まれである。『クライ・マッチョ』はイーストウッドの監督50周年、40作目。監督と出演は『運び屋』(2018)以来であるが、その間に監督作『リチャード・ジュエル』(2019)がある。1979年、テキサス。年老いたカウボーイのマイク(イーストウッド)は、ロデオ界のスターだったが、落馬事故をきっかけに落ちぶれて孤独に暮していた。かつての雇用主に「メキシコで元妻と暮らす13歳の息子ラフォを連れ戻してほしい」と依頼され、過去への恩義からこの難題を引き受ける。母に愛想をつかし、闘鶏用のニワトリ“マッチョ”だけを抱えてストリートで生きてきたラフォ(エドゥアルド・ミネット)を半ば誘拐のような形で拾う。警察やラフォの母親が放った追手をくぐり抜け、荒野の食堂の女主人で未亡人マルタ(ナタリア・トラヴェン)に助けられマイクはアメリカに向かう。親の愛を知らず、当初は「誰も信じない」と心を閉ざしていたラフォ。しかし、栄光と挫折を知り、老いや弱さも含めた自らの姿をさらけ出し、生き方を示してくれるマイクの“本当の強さ”に憧れを抱き、次第に心を許してゆく……。シンプルな演出の底に深い洞察を感じさせる。年の差を超えて、時に旅先の街で出会う人々や荒馬の調教を通じて、魂と魂で結びつくマイクとラフォ。カウボーイ姿のマイクに過去のイーストウッド映画の人物像が視えてくる。1960年代『荒野の用心棒』、『夕陽のガンマン』といったマカロニウエスタンで人気を博し、『ダーティハリー』シリーズで世界中の映画ファンの心を鷲づかみにした。監督としても10作以上とっていたが、アクション俳優の余技とみなされていた。チャーリー・パーカーの半生を描く『バード』(1988)がカンヌ国際映画祭で主演のフォレスト・ウィテカーが男優賞受賞。『ホワイトハンター ブラックハート』(1990)では『アフリカの女王』を撮ったジョン・ヒューストン監督をモデルに象狩りに憑かれた映画監督を描いた。このあたりから映画監督としての評価も高まり、『許されざる者』(1992)『ミリオンダラー・ベイビー』(2004)で2度にわたってアカデミー作品賞・監督賞を受賞した。
Jan 23, 2022
コメント(0)
昨年10月に公開の『最後の決闘裁判』に続き『ハウス・オブ・グッチ』と大作連打のリドリー・スコット監督は、現在84歳。サラ・ゲイ フォーデンのノンフィクションをアカデミー賞受賞やノミネートの豪華キャストで映画化した“実話に基づく物語”である。高級ブランド“グッチ”の世界的成功の陰で繰り広げられた創業者一族の崩壊劇をゴージャスに描き出す。様々な映画をおくり出してきたリドリー・スコットであるが、本作は『ゲティ家の身代金』(2017)に傾向が近い。1995年3月27日、イタリア・ミラノで“GUCCI”の創業者グッチオ・グッチの孫で、3代目社長のマウリツィオ・グッチが暗殺された。映画は冒頭にこの日を置き、殺されたマウリツィオと妻パトリツィアとの出会いへとさかのぼる。 運送業を営む父のもとで働く野心的な女性パトリツィア・レッジャーニ(レディー・ガガ)は、憧れのブランド“グッチ”の創業者の孫で弁護士を目指していたマウリツィオ・グッチ(アダム・ドライバー)とパーティで出会う。パトリツィアはウブなマウリツィオを夢中にさせる。やがて2人はマウリツィオの父ロドルフォ(ジェレミー・アイアンズ)の反対を押し切り結婚する。ロドルフォはパトリツィアの野心を見抜いていた。勘当されたマウリツィオはパトリツィアの実家の運送業を手伝っていた。ロドルフォの兄でグッチの実質的な経営者だったアルド(アル・パチーノ)に気に入られたパトリツィアは、夫を説得してアルドからブランドを引き継がせる。アルドと息子のパオロ(ジャレット・レト)は関係が芳しくなかったが、パオロのデザインする商品と契約を交わす。それにより親子関係はより悪化する。マウリツィオにブランドの経営権を集中させ、自らはCEO夫人に君臨しようとしたパトリツィアの思い通りに進んでいたかにみえたが……。 夫に裏切られるとブチ切れて、それが代行殺人事件へと発展してゆく。グッチ家を攪乱したのはパトリツィアであるが、パトリツィアが頼りにして、彼女をコントロールしたのは占い師のピーナ(サルマ・ハエック)である。レディー・ガガは『アリー/ スター誕生』(2018)でアカデミー賞主演女優賞にノミネートされ、歌曲賞部門で受賞している。野心満々のパトリツィアを演じる本作でも見事に存在感を放っている。22歳のパトリツィアが登場するシーンではセクシーに腰を振りながら溌剌と歩いている。外様であるパトリツィアの野望が一族を崩壊に導いたのだった。ジャレット・レトは『ダラス・バイヤーズクラブ』(2013)でトランスジェンダーのエイズ患者を演じアカデミー賞助演男優賞を受賞している。本作ではアル・パチーノの息子の役を禿頭の特殊メイクで演じている。アダム・ドライバーは『最後の決闘裁判』に続くリドリー・スコット監督作への出演である。
Jan 19, 2022
コメント(0)
『ゴーン・ガール』『プライベート・ウォー』のロザムンド・パイクが、高齢者の資産を騙し取る悪徳後見人を演じて、ゴールデングローブ賞の主演女優賞(ミュージカル・コメディ部門)に輝いた。法廷後見人のマーラ・グレイソン(ロザムンド・パイク)は、判断力の衰えた高齢者のケアが仕事である。裁判所の信頼も厚い彼女だったが、相棒のフラン(エイサ・ゴンサレス)と共に、裏では医師や介護施設と結託して高齢者から資産を搾取する悪徳後見人だった。新たなカモとして狙いを定めたのは資産家の老女のジェニファー(ダイアン・ウィースト)。身寄りもなかったはずだが、背後ではロシアン・マフィアとつながっていた。そうとは知らず、交渉にやってきたマフィア側の弁護士を追い返したマーラに生命の危機が迫ってくる……。「私は獰猛な雌ライオン」と自身を表現し「この国で成功するには勇敢で愚かで残酷でなければダメ。フェアプレーじゃ何も手にはいらない」をモットーとするマーラ。切り揃えたショートヘアで、自信満々に闊歩する、ロザムンド・パイクがカッコいい。宣伝文句には「100%共感不能!なのに爽快!新感覚クライムサスペンス」とある。恐ろしいヒロインであるが、ロザムンド・パイクの堂々とした悪女演技はピンチに陥っても、どうなるのか?と惹きつけてゆく。「私に“負け”はない」とマフィアのボスに仕返しを仕掛ける。二転三転するエンディングも、観客の意表を突く。恰好の餌食の筈がそうではなかったジェニファー役のダイアン・ウィーストは、80年代ウディ・アレン映画の常連で『ハンナとその姉妹』(1986)『ブロードウェイと銃弾』(1994)でアカデミー賞助演女優賞を受賞している。最近ではクリント・イーストウッドの『運び屋』に出演している。 マーラと相棒のフラン(エイザ・ゴンザレス)が同性愛であったり、マフィアのボス(ピーター・ディンクレイジ)が小人症であるところもひねりが効いた隠し味になっている。暴力で攻めてくるマフィアに法律の悪用で応戦するマーラ。悪対悪の対決がスリリングだ。意外な展開の果てに最後にもうひとひねりある。痛快作だ。監督と脚本は『アリス・クリードの失踪』のJ・ブレイクソン。
Dec 8, 2021
コメント(0)
興行通信社による、国内興行成績11月1日付では、2位に『老後の資金がありません!』3位が『そして、バトンは渡された』と前田哲監督作品が並んだ。全国公開の2作品ヒットで、前田哲監督への評価は高まるだろう。瀬尾まいこは、中学校の国語教諭から小説家になった。『そして、バトンは渡された』は2018年2月文藝春秋より刊行。2019年、第16回本屋大賞を受賞。本屋大賞受賞作は映画化された作品が多い。脚本は『映画 ビリギャル』『こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話』などの橋本裕志。映画は、みぃたん(稲垣来泉)、優子ちゃん(永野芽郁)、梨花さん(石原さとみ)の紹介から始まる。みぃたんは友達思いでいつもみぃみぃ泣いている。梨花はみぃたんの母親だ。みぃたんには深い愛情を注いでいる。高校生の優子は料理上手な義理の父・森宮さん(田中圭)と2人暮らしをしている。2つの家族が同時進行で描かれる。優子は父のことを森宮さんと呼んでいる。最初はやや混乱するが、同時進行は過去のみぃたんと現在の優子なのだとこの映画の“仕掛け”がわかってくる。優子の物語は血の繋がらない父と娘、梨花の物語は血の繋がらない母と娘が語られていたのだ。梨花の最初の夫は水戸(大森南朋)だった。梨花に振り回されながら、夢を追ってブラジルに渡る。梨花とみぃたんは日本に残った。みぃたんのピアノを習いたい願望を満たすために梨花が2番目の夫に選んだのは泉ヶ原(市村正親)だった。梨花はお金目的であったが、受け入れみぃたんにも愛情を注ぐ。優子の希望でピアノを習わせるための手段として梨花が結婚したが、優子のことはとても大事にしてくれる。森宮は優子の継父で現在の父親。梨花との結婚式直前で娘の優子がいることを知らされ、結婚後に梨花は去ってしまう。優子との距離感に少し困惑しながらも、優子を誰よりも大切に思っている。ここにピアノが上手な優子の同級生の早瀬(岡田健史)が絡み、生まれた時は水戸優子、その後、田中優子になり、泉ヶ原優子を経て、森宮優子となり、最後は結婚して早瀬優子になるであろう人がバトンリレーされるという物語になってくる。料理やピアノなどが伏線になっていたのもみえてくる。梨花は目的のためには手段を選ばない女であるが、はじめのうちは反感を抱く観客の心も途中から消える。あまり現実味のない設定も感動の家族話になってしまうのは、語りの話術か?
Nov 14, 2021
コメント(0)
昨年9月18日の公開予定が延期になり1年遅れの10月30日から公開になった。前田哲監督は2018年の『こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話』で大泉洋演じる重度の筋ジストロジー患者の日常生活を“笑いと感動”で描きヒット作となった。その実績から本作に繋がった。この後に撮ったのが29日から公開の『そして、バトンは渡された』であるが、2作品が同時期に全国公開ということになった。垣谷美雨の小説『老後の資金がありません』は1915年に中央公論社から刊行された。映画の題名は『老後の資金がありません!』になる。吉永小百合との共演『最高の人生の見つけ方』(2019 犬童一心監督)に続く天海祐希主演の映画作品。本作では普通の主婦を演じる。贅沢なバッグも我慢して節約をモットーに、日々家計のやりくりに奮闘してきた53歳の主婦・後藤篤子(天海祐希)。56歳で夫の章(松重豊)は家計は妻に任せきりだ。その甲斐もあって、フリーターの娘(新川優愛)と大学生の息子(瀬戸利樹)の2人の子供もようやく手を離れ、コツコツ貯めた資金でどうにか老後も安泰のはずだった。ところがそんな折、義父の葬儀に330万円、長女が婚約者を連れてくる。年収150万円のヘビーメタル・バンドマン琢磨(加藤諒)。婚約者は地方実業家の御曹司であり、芸能人御用達の式場での盛大な披露宴を希望しているという。しかも費用は両家の折半で、最低でも300万円負担することになりそうだ。後藤家には予定外の大きな出費が重なってしまう。しかも篤子は正社員登用を期待していた家電量販店のパートをリストラされてしまう。夫・章の会社の会社も倒産。次々とお金の災難が降りかかる。なんとかしてやりくりするが、努力もむなしく出費はかさむばかり。姑・芳乃(草笛光子)への仕送りも捻出できなくなった篤子は義理の姉夫婦(石井正則・若村麻由美)夫婦との話し合いの席で芳乃を引き取ると口走ってしまう。元・老舗和菓子屋女将は、派手な赤い服装で現れる。とんでもない浪費家だった。周りに迷惑をかけても平気である。天海祐希のコメディエンヌぶりが全開。キャスティングもいいが、とりわけ草笛光子。現在88歳。撮影時は86歳だが、ほとんど主役級。天海祐希VS草笛光子が笑いを誘う。年金受給者の生存確認のために、身代わりに「おじいさん」に扮装する場面があり、ここでは前歯の差し歯が取れてしまうが、監督の要望によりそのままに演じている。「おじいさん」に扮しながら「私、若い頃は、宝塚に入ろうと思ったこともあるのよ」と言えば、天海祐希が「私も、目指したことあるのよ」と返し、「あなたは無理よ」というのは、ギャグになっている。仲たがいしながらも篤子と芳乃は歩み寄る。生前葬の場面は、2人で越路吹雪の『ラストダンスは私に』を歌い盛り上げる。高齢化社会が抱える深刻な問題を笑いに転じて、前田哲監督の手腕が冴える。経済ジャーナリストの萩原博子が本人役で出演している。
Nov 13, 2021
コメント(0)
CFディレクターであったリドリー・スコットの映画監督デビュー作は『デュエリスト/決闘者』(1977)であった。リドリー・スコットの『最後の決闘裁判』は『デュエリスト』と『グラディエーター』を想起させる。中世14世紀のフランス。騎士カルージュ(マット・デイモン)の妻マルグリッド(ジョディ・カマー)が、カルージュの旧友で従騎士ル・グリ(アダム・ドライヴァー)に乱暴されたと訴え、夫婦の名誉と命を懸けて闘った、実際に起きた決闘裁判が題材になっている。600年以上経った現在も、この史実の真相は闇の中。判決後、様々な臆説の年代記や記録が発見されているからだ。ひとつの事実を、夫のカルージュ、犯人とされたル・グリ、被害者のマルグリットの3つの視点(それぞれが信じる真実)から語られる構成になっている。黒澤明の『羅生門』を思わせる、リドリー・スコット版『羅生門』である。3部構成のうちマルグリットの視点で語られるパートが秀抜で、不妊や嫁姑問題など今にも繋がる問題を投げかけてくる。三者三様の視点のズレが絶妙で、映画が進むほどスリリングで緊迫感をはらんでくる。原作はエリック・ジェイガー、脚本は本作に出演のベン・アフレックとマット・デイモンに女性脚本家のニコール・ホロフセナー。家長制度が根強く、女性には服従のみが求められた中世フランス後期の時代に声を上げたマルグリットの3部目には女性脚本家ならではの想いが反映されているとみた。冒頭。決闘裁判を一 目見ようとフランス中から野次馬が押し寄せ、場内に入りきらない人々が沿道を覆う。木に登り決闘を待つ者もいる。騒然とする会場には、第 4 代国王・シャルル 6 世や、 ル・グリを寵愛しているアランソン伯爵ピエール(ベン・アフレック)、両者 の家族や親戚、友人たちが勢ぞろいし、固唾をのんで決闘者の登場を待ち 受けている。決闘が開始されたところで過去に飛び、“第1章のカルージュの真実”が始まる。テロップで年代を示し、今決闘を始めた2人の男の過去の友情から語られてゆく。フランスとイギリスの百年戦争が背景にあり、戦闘シーンが多い。色のトーンを抑えた野外の景色、その中での激しい戦闘をリドリー・スコットならではの重厚な映像美でとらえてゆく。ロウソクの灯りが室内を照らす画調は、おそらくS・キューブリックの『バリー・リンドン』(1975)からの影響だろう。カルージュが戦いに敗れた時は偽証の罪で火あぶりの刑を受けるマルグリットが黒いドレスに身を包んで 戦いの行方を見守る。それぞれの証言により同じ場にいても違うマルグリットをジョディ・カマーは微妙に演じてみせる。カルージュとル・グリの決闘は凄まじい。その様を捉える、スコット監督の演出、カメラの動きで、その場にいるような臨場感が生々しく伝わってくる。第3部の終盤でマルグリットは懐妊しており、生まれてくる子供の行方も緊迫感を高めてゆく。事実は一つであっても、誰かの主観によって捻じ曲がる。マルグリットは何を見ていたのか?
Oct 22, 2021
コメント(0)
『MINAMATA』は1970年代の日本での出来事を再現したアメリカ映画であるが、同じ頃、1974年3月に51歳で日本に帰還した元日本兵・小野田寛郎少尉の史実から着想を受け描かれた『ONODA』はフランス人のアルチュール・アラリによる監督・脚本のフランスなどの合作映画。戦後の高度経済成長期を経て、世界有数の経済大国に成長した日本。1970年代初頭の日本は、戦前とはまるで様変わりしている。グアム島で地元の漁師に発見されて、57歳の横井庄一伍長が帰還したのは1972年2月。当時高校生だった私らより上の世代は覚えているだろうが、若い世代は知らないだろう。小野田寛郎の役を青年期・遠藤雄弥、成年期・津田寛治、小野田と最後まで行動を共にした小塚金七を青年期・松浦祐也、成年期・千葉哲也と2人で演じ分けている。 1974年旅行者の若い男・鈴木紀夫(仲野太賀)が現れ小野田寛郎(津田寛治)と出くわす場面から始まる。鈴木は「僕は野生のパンダと小野田さん、雪男を発見したかった」という理由で旅をしていた。長年共に生きてきた小塚は、現地人に襲われて命を落とした。孤独に苛まれていた時に、シャツにジーンズ、靴下にサンダルばきの奇妙な出で立ちの若者が現れる。小野田は警戒する。 ここから30年前に遡る。1944年、陸軍中野学校二俣分校で秘密戦の特殊訓練を受けていた小野田寛郎(遠藤雄弥)は、やがて劣勢のフィリピン・ルバング島に派遣される。彼に課された任務は他の仲間たちとともにゲリラ戦を指揮せよというものだった。挫折した若者を救ったのか教官の谷口(イッセー尾形)からは降伏も玉砕も許されないと厳命され、任務遂行だけを胸にジャングルでの潜伏生活を続ける。やがて届いた終戦の知らせも受け入れずジャングルの奥地で生き続ける小野田だったが……。「話がしたいんです。とても長く、辛いご経験をされたと思います。戦争は終わりました。昭和20年に。小野田さん、どうするおつもりですか。ここに骨を埋めるおつもりですか。日本に、僕と一緒に帰りませんか」と話しかける鈴木に任務解除の命令がないので帰れないと答えるのだった。 一度日本に戻った鈴木は、小野田に命令を下した谷口を訪ねてゆく。谷口は古本屋を営んでいた。はじめは小野田のことは知らないと口を割らない。鈴木は小野田の持っていた地図を見せる。独自の地図の地名には小野田に関連した地名が付けられていた。ここでカットして、次のシークエンスでは再度小野田に会いに来た鈴木に谷口が同行している。『MINAMATA』でもLIFEの編集長から取材費を拒否されたスミスが、次の場面では水俣に向かっている。逆の展開を繋ぐと映画になるようだ。ここで、ハイわかりましたとそのまま繋がると、マトモ過ぎておもしろくないのだろう。 『ONODA』は史実から着想した物語であるから、谷口は創作上の人物かもしれない。登場シーンは少ないが、イッセー尾形の存在が薬味のように効く。鈴木紀夫の登場場面も少ない。上映時間174分、約3時間の大部分で小野田の戦場が描かれている。仲間をひとり、ひとりと失ってゆく中での30年。作品としてのアプローチによるのだろうが小野田の心の内面がみえてこない。小野田を動かすのは陸軍中野学校の教官であり、旅の若者だ。仲野太賀は『すばらしき世界』でも元殺人犯の主人公に接近してゆく人物を演じた。
Oct 22, 2021
コメント(0)
報道写真家ユージン・スミスが1975年に当時の妻のアイリーンと共に発表した写真集『MINAMATA』の映画化である。ユージン・スミスは今も注目されるフォトジャーナリストである。この写真集はスミスが日本の公害病“水俣病”を取材した写真集である。ジョニー・デップは今もまだ続く水俣の危機に当てたスポットライトで、各国で同じ環境被害に苦しむ多くの人々をも照らし出そうと、主演し自らプロデューサーにも名乗り出た。ジョニー・デップはいつものJ・デップを消し、ユージン・スミスに成り切った演技でみせる。 1971年、ニューヨーク。アメリカを代表する写真家の一人と称えられたユージン・スミスであるが、今では酒に溺れ荒んだ生活を送っていた。そんな時、フジフィルムのコマーシャルの件で訊ねてきた通訳のアイリーン(美波)と名乗る女性から、熊本県水俣市にあるチッソ工場が海に流す有害物質によって苦しむ人々を撮影してほしいと頼まれる。あなたの写真で有害物質が多くの人々を苦しめている現実を世界に伝えてほしい。取材の交渉のためにLIFEに行くが、編集長(ビル・ナイ)は最初は取り合わない。「もう、行方不明になるな」と許可が出て、ユージン・スミスは水俣に向かう。アイリーンが同行し、それから3年水俣に滞在することになる。はじめに、生まれつき目が見えず話せない長女を育てるマツムラ夫妻(浅野忠信、岩瀬晶子)宅を訪れる。日本の家では靴を脱ぐことを教えられたり、部屋に敷かれた2つの布団の距離をアイリーンが離したりする描写がおもしろい。やがて仕事に使う暗室もできる。モノクロで写真を撮り、現像し印画紙に焼き付ける。私は大学の時はモノクロの現像焼き付けをしていたのでここの場面はちょっと懐かしかった。ユージンは、暗室でも煙草をふかし、酒を呑んでいる。対戦中に沖縄で追撃砲弾で重傷を負ったこともトラウマになっている。水銀に冒され歩くことも話すことも出来ない子供たち、激化する抗議運動、それを力で押さえつける工場側。そんな光景に驚きながらも冷静にシャッターを切り続けるユージンだった。チッソの社長(國村隼)は、5万ドルと引き換えにネガを渡すよう要求してくるが、それを拒否。ユージンには迷いや戸惑いがあり、ネガ引渡しの交渉に出た社長にユージンがどうしたかはダイレクトに描いてはいない。回想シーンのように受け取らなかったことを示している。そのことにより、何者かに暗室に火を放たれる。これまでに撮った写真を失ったユージンは、被写体となる水俣病に苦しむ人々に心を重ねて、彼自身の人生と世界を変える写真を撮る。チッソ石油化学五井工場を訪れた患者に同行したユージンは従業員らの暴行を受けて重傷を負う。体が不自由になりながらも被写体に寄り添った写真を撮り続けた。有名な「入浴する智子と母」の写真はそうした活動の中で撮られた。映画の冒頭の母親が子守歌を歌っている場面は、この写真を示していたのである。 被害者救済に闘う運動のリーダー・ヤマザキ(真田広之)、患者でカメラマンのキヨシ(加瀬亮)らも好演。映画はモンテネグロやセルビアで撮影されている。 映画に描かれた時代から50年が経つ。ユージン・スミスの偉業を、彼の心の迷いと決断と共に刻み付けている。
Oct 18, 2021
コメント(0)
5月に公開された『明日の食卓』に続いて公開になる瀬々敬久監督。中山七里の原作を、『永遠の0』『空飛ぶタイヤ』『糸』などの林民夫と監督の脚本で映画にした。 東日本大震災から10年目の仙台で起きた2件の“餓死”殺人事件。被害者は社会福祉事務所の「生活保護課」の職員だった。 震災直後の場面から始まる。瓦礫の山、遺体安置所などをリアルに再現してみせる。10年後に刑事と犯人と目される阿部寛と佐藤健はここでお互いに知ることもなく交差している。追う者も追われる者も同じ痛みを抱えていると匂わせる。 死体発見から、捜査線上に浮上してきたのは、刑期を終えて出所したばかりの利根泰久(佐藤健)。知人を助けるために放火、傷害事件を起こして服役していた元模範囚だった。 事件を追う笘篠刑事(阿部寛)は2人の被害者から共通項を見つけ出し利根を追いつめていくが、決定的な証拠がつかめぬまま第3の事件が起こる……。 全身を縛られたまま放置され餓死させられるという殺しの手段が異様である。殺される役人を演じるのは緒形直人と永山瑛太。東日本大震災後に孤立して困窮していった遠島けい(倍賞美津子)という老齢の女性が利根と関わりのあった人物として浮かび上がってくる。カンちゃん(石井心咲)という少女も擬似家族のように暮していた。 震災以降も続く自然災害、コロナ禍と問題が連なるばかりである。日本社会の格差と分断は、ますます広がってゆく。そんな中にあって本作は生活保護の側面から光を当てた。生活保護をめぐる支給側と需給側の矛盾や不条理を、きわめて現実的に描き出す。利根が働くことになる工場では工場長の津波が窓のここまで来たと示す場面もあり、ドキュメンタリーのように現実を生々しく映し出す。 利根は児童養護施設で育ち、孤独で問題ばかりを起こしてきたが、東日本大震災の避難所で出会った遠山けいとカンちゃんには心を開いてゆく。佐藤健はこれまでのイメージとは大きく離れた役作りで、眼光鋭くワルの若者であるが、2人の前では優しい表情も見せる。笘篠は震災で妻と息子をうしない、演じる阿部寛は、ひとり生き残った男の哀しみや苦悩をまとっている。倍賞美津子は瀬々敬久監督の『糸』(2020)では、ヒロイン小松菜奈の心の支えとなる子供食堂の女主人役で力強い存在感を示したが、本作でも事件の鍵となる遠山けいが濃く印象にのこる。職員として審査と生活保護に関わる円山幹子役の清原果耶。映画の進行に連れて、変化してゆく役どころを見事に表現していて驚きスゴイ。成田凌との共演の『まともじゃないのは君も一緒』(前田弘二監督 今年3月公開)でもうまいと感じたが、『おかえりモネ』の放送は5月からであり、私まだ女優清原果耶に気づいていなかった。 瀬々敬久監督の手腕は、『楽園』では差別『明日の食卓』では虐待、本作では生活保護制度を取り上げ、今の日本社会の暗部をえぐり、しかもそれらを見応えのあるエンターテインメントに仕立て上げる。
Oct 14, 2021
コメント(0)
瀧内公美は『火口のふたり』『裏アカ』などインディペンデント系の監督作品で存在感を発揮する。『由宇子の天秤』というタイトルのポスターを見た時、期待感を持った。監督名の春本雄二郎は知らなかった。本作は監督の第2作目の作品。告知期間も短く、世界の映画祭で絶賛され9月17日からの公開である。 「予測不能の展開、待ち受ける驚愕のラストに思わず息を呑む―正義や正しさが暴徒化する現代に切り込む衝撃作に、絶賛の声・声・声!!」という宣伝文句に偽りなし。 観おわって、作品が問いかける問題の重さに打ちのめされる。上映時間は2時間33分。短くはないが緊迫した展開と緻密な演出、俳優陣の存在感で観るものをぐいぐい引き込んでゆく。 木下由宇子(瀧内公美)は、社会正義を訴えるドキュメンタリーを作るディレクターだ。取材して追っているのは3年前に起きた女子高生いじめ自殺事件。発生当時、学校はいじめの存在を否定した。マスコミの加熱報道により女子高生と交際疑惑のあった男性教師も自殺してしまい、彼の遺族はいまだに世間から隠れるようにして生きていた。由宇子は編集したVTRに“こうなった責任の一端はマスコミにもある”ことを匂わせるが、局の上層部はそれをよしとしない……。 由宇子の父(光石研)は、大学進学の学習塾を経営している。由宇子は講師をして父の学習塾を手伝っている。 女子高生自殺事件の真相を追うドキュメンタリー・ディレクターの由宇子は、局の方針とぶつかりながらも、真実を追求すべく真摯な取材を続けていた。 取材現場と学習塾が平行して描かれてゆく。塾生の小畑萌(河合優実)の妊娠が発覚する。思いもよらぬことにより、由宇子のドキュメンタリー・ディレクターとして常に真実を追い求めることを矜持としてきた自らの信念が大きく揺らぎ始める……。 萌は父親との2人暮らしだ。萌を自宅に送り、世話を焼いていると、父(梅田誠弘)が帰ってくる。暮らしに精一杯で育児放棄しているような父親だ。その後も萌の家を訪ね、個人的に萌の勉強をみているうちに父親の態度も変わってくる。萌は勉強の成績はよくないが、父親のようにはならないためには、どうしても大学に行きたいと考えている。父は娘の妊娠をまだ知らない。由宇子にも敬意を持って接してくるが、ブチ切れたら、アブなそうな父親である。由宇子はどうするのか?父親が知った時どうなるのか……後半の展開が実にスリリングである。「あいつ信んじんなよ。すぐ嘘つくから。ウリ(売春)もやってる」と塾の同級生から聞かされた由宇子は、萌を問い詰めるが……。 由宇子のしたことは正しかったのか。正義とは何なのか。人間は自分を守るために嘘をつく。真実はどこにあるのか。答えは見つからないが、問いかける問題は深く、重たい。 映画は終っても、由宇子と父、萌と父は、この後どうなるのだろうと、思いがめぐる。 ヘヴィな傑作だ。
Sep 22, 2021
コメント(0)
『ふがいない僕は空を見た』(2012)『お父さんと伊藤さん』(2016)などのタナダユキ監督が福島県相馬市に実在する映画館“朝日座”を舞台に脚本・監督で描く映画館をめぐる物語。 出だしがいい。寂れた町の駅。スーツケースを転がしてくる足から撮って、高畑充希の登場だ。その前を馬に乗った男(甲本雅裕)が通りすぎてゆく。無人の映画館で上映されているのは、D・W・グリフィスの『東への道』(1920)。10年前の震災、原発事故、郊外の複合商業施設のシネコンなど様々な要因により、100年の歴史の“朝日座”は廃業を決めた。支配人の森田保造(柳家喬太郎)が35mmフィルム缶に火をつけ燃やそうとしたら、見知らぬ若い女が現れて水を浴びせる。女(高畑充希)は茂木莉子と名乗る。唐突に朝日座の立て直しを主張してくる。諦めていた森田だったが、茂木莉子の強引さに押されて再起を図る。茂木莉子の本名は浜野あさひ。震災直後に父親(光石研)が始めた事業が原因であさひは高校で孤立していた。その後は家庭不和で居場所を失った。そんな時、映画好きの教師・田中茉莉子(大久保佳代子)に助けられた。あさひは茉莉子を尊敬しているが、茉莉子は男運が悪くてフラれてばかりいる。そんな茉莉子にベトナム人のバオくん(佐野弘樹)という年下の恋人ができる。 茂木莉子と名乗った浜野あさひの過去が映画館の再建と平行して描かれる。あさひを救ってくれた田中茉莉子への想いが茂木莉子を再建へと向かわせる。あさひが茉莉子の部屋で観ている映画は、『喜劇 女の泣きどころ』(1975 瀬川昌治監督)と『青空娘』(1957 増村保造監督)。再建を目指す朝日座でこの2作品が上映される。支配人・森田保造は増村の保造からとったのだろうか。朝日座再建を応援していた住民だったが、閉館後で跡地にスーパー銭湯と福祉施設を目論む業者は、雇用創出を掲げ、故郷を離れた家族が戻って来るかもしれないとふれまわる。再建計画は失敗しそうになるが、朝日座存続に繋がるエンディング。この時かかっている映画は『天使にラブ・ソングを…』。ウーピー・ゴールドバーグ主演のハッピーなコメディだ。午前十時の映画祭11でも上映される。 高畑充希の主演に大久保佳代子、柳家喬太郎という意外なキャスティングが素晴らしい。
Sep 19, 2021
コメント(0)
1999年10月の放送開始から20年以上続く人気ドラマ『科捜研の女』(テレビ朝日・東映)シリーズの劇場版。 沢口靖子が科学の力で難事件を解決する京都府警科学捜査研究所の法医担当・榊マリコを演じる。テレビシリーズの中心的存在である兼﨑涼介が監督をつとめる。脚本は『名探偵コナン』シリーズなどの櫻井武晴。 京都を皮切りにロンドン、トロントと科学者ばかりが命を落とす世界同時多発不審死事件が発生する。犯罪につながる物的証拠は一切見つからず、最初は自殺として処理されようとしていた。しかし榊マリコをはじめとする科学捜査研究所のスペシャリストたちと捜査一課の土門刑事は疑念を抱き、強引に捜査を進めていく。やがて捜査線上に、通称“ダイエット菌”と呼ばれる腸内細菌を発見し、世界的に注目を集めるカリスマ天才科学者・加賀野亘(佐々木蔵之介)の存在が浮上してくるのだったが……。 沢口靖子は1984年、第1回「東宝シンデレラガール」に選出され、武田鉄矢が主演の『刑事物語3 潮騒の詩』(1984 杉村六郎監督)でスクリーンデビュー。『ゴジラ』(1984)で、第9回日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞。大林宣彦監督の『姉妹坂』(1985)に出演。1985年度上半期に放送されたNHK連続テレビ小説『澪つくし』のヒロインを演じ人気と知名度がアップ。以後、ドラマCMへの出演が多くなる。市川崑監督の『竹取物語』(1987)の主演もあるが、以後、映画館で観た記憶はあまりない。 そんな訳で30年ぶりくらいの沢口靖子だった。榊マリコの役を20年以上演じているのも驚きだ。 現在56歳だが、年齢を感じさせず、雰囲気もムカシと変わらない。年齢不詳の正統派美人というところでは、吉永小百合と似通うところがある。
Sep 12, 2021
コメント(0)
オリジナル作品の企画コンテスト「TSUTAYA CREATORS' PROGRAM FILM 2018」の準グランプリ作品を映画化したものである。このコンテストからは『嘘を愛する女』(2018 中江和仁監督)や今年2月に公開の『哀愁しんでれら』(渡部亮平監督)が作られている。 『先生、私の隣に座っていただけませんか?』の脚本・監督の堀江貴大監督の商業長編映画第2作目。監督は『ドライブ・マイ・カー』の濱口竜介監督と同じ「東京藝術大学大学院映像研究科映画専攻監督領域」出身で、黒沢清監督の教え子である。 漫画家が主人公の『キャラクター』(永井聡監督)は切り口が鋭いサスペンス・スリラーだが、本作も漫画家が主人公のサスペンス。味付けはコミカル。リアリティありそうなところと、なさそうなところとの配置の案配が絶妙な仕掛けで魅せる。若手の演技巧者、黒木華と柄本佑が漫画家夫婦の心理戦を演じる。 俊夫(柄本佑)は、かつてはアシスタントだった佐和子(黒木華)と結婚して5年になるが、今漫画家として活躍するのは佐和子の方である。佐和子の編集担当者の桜田千佳(奈緒)と俊夫と不倫の関係にある。千佳が原稿を取りに来ていて、佐和子は薄々不倫に気づいている。それを、不倫現場を描くのではなく、俊夫の挙動、佐和子の不穏な雰囲気、千佳のたたずまいから、匂わせる。始まりのところが、見事な演出だ。 佐和子の母が事故にあったとの知らせが入り、次の場面では、俊夫の運転する車で母(風吹ジュン)の実家に向かう。東京からは遠く離れた茨城県だ。杖をついた母が出迎えここで暮らし、漫画を描くことになる。交通不便なところのため、佐和子は自動車教習所に通い始める。農業ファンタジーの案がボツになった佐和子は不倫をテーマにした新作を描き始めた。俊夫が、ふと描いた漫画を見てみると、自分たちとよく似た夫婦が描かれている。「もしかしたらバレたかもしれない」と疑心暗鬼に囚われる。佐和子と自動車教習所の教習の先生(金子大地)との恋が急展開。現実と漫画のストーリーが並んで進行し、これは佐和子の手の込んだ復讐なのかと、俊夫は恐怖と嫉妬にかられる。しかしながら、コミカル基調でドロドロしたドラマには進展しない。免許を取った佐和子は車で出掛けて行っていつまでも戻って来ない。俊夫が不安に思っていると、千佳が実家を訪ねて来る。佐和子が教習の先生を連れて戻って来る。この展開には唖然とするが、リアリティのなさそうなところが、ストーリーに馴染んでしまう。母は娘夫婦の不倫の相手をそのまま自然に受け入れる。母役の風吹ジュンは一人で田舎の大きな家に暮していた。佐和子の父は亡くなったのか、登場しない。現実離れしたような風吹ジュンのもてなしが、違和感を感じさせない。不倫に関わる4人が、夕食し、夜を明かし、終章へと向かう展開となる。ややこしいことになったのちの、結末も鮮やかだ。不思議なタイトルの「先生」には二重の意味がある。
Sep 11, 2021
コメント(0)
日米合作で製作されたNHKドラマの劇場版。原爆開発の密命を受けた若い科学者を主人公に、時代に翻弄された若者たちの物語。監督はTVの『ひよっこ』『青天を衝け』の黒崎博であるが映画になった『セカンドバージン』も監督している。 第二次世界大戦末期、海軍から京都帝国大学の物理学研究室に核エネルギーを利用した新型爆弾の開発命令が下される。学生の石村修(柳楽優弥)も研究室の一人として、釉薬として使われる硝酸ウランを陶芸家の澤村(イッセー尾形)から調達したりしていた。映画は石村が澤村からウランを受け取るところから始まる。何だろうと思わせる滑り出しである。 空襲の被害を防ぐための建物疎開で家を失った幼なじみである朝倉世津(有村架純)が同居することになった。同じ頃、出征していた修の弟の裕之(三浦春馬)が、肺の療養のために戦地から一時帰郷し、3人は久々の再会を喜び合うのだったが……。 戦時下、日本でも軍部に複数の原子爆弾開発計画が存在していた。一つは大日本帝国陸軍の「二号研究」であり、もう一つが大日本帝国海軍の「F研究」で、日本の原子物理学者がほぼ総動員されたという。この映画の元になっているのは「F研究」である。ミッドウエイ海戦の大敗以来、主力艦船を失い危機感を募らせた海軍が原子爆弾の研究開発再開を企てたが、海軍には人材も設備もないことから京都帝国大学に研究を依頼することになった。 『ミッドウエイ』で南雲忠一中将を演じた國村隼が、本作で演じる荒勝文策は実在の京都帝国大学教授である。 爆弾開発の実験が思うように進まない中、研究室のメンバーは研究の継続に疑問を持ち始める。そして裕之が再び戦地へ行くことになった矢先、広島に原子爆弾が落とされる。 修は原爆への調査団の一員として広島へ赴く。科学者と大量殺戮兵器開発の葛藤には深くは踏み込まず、放射能の影響には触れていない。何のための学問なのかとは問いかけてくるが、いまひとつ訴えかけてくる力が届いて来なかった。 母親を演じて名女優は多くいるが、田中裕子の母親もうまい。セリフは少なくても子を思う気持ちが所作に滲んでいる。『おらおらでひとりいぐも』『ひとよ』『はじまりのみち』の田中裕子も実によかった。
Aug 28, 2021
コメント(0)
『キネマの神様』 松竹映画100周年記念作品となる『キネマの神様』は2020年1月に製作発表。3月1日にクランクイン。撮影を間近に控えた志村けんは、新型コロナウイルス感染症により入院。同29日、肺炎により逝去した。この報には日本中がおどろいた。間もなくして日本政府による緊急事態宣言が発出。撮影は長期中断を余儀なくされた。この頃、本屋の店頭には、文庫の帯に志村けんの載った原作小説は映画化決定の原作本が並んでいた。妙なことに帯に惹かれて原田マハの『キネマの神様』を購入。1年以上ツンドクしてあったが、8月6日の公開1ヶ月前に原作を読んだ。ギャンブル狂いで借金まみれ。家族に迷惑をかけるダメ親父のちゃらんぽらんさは、志村けんにピッタリとはまった役だと思った。『鉄道員(ぽっぽや)』以来、約21年ぶりの映画出演で主演作となるはずだった。 原作小説は、映画では寺島しのぶが演じる娘の円山歩の視点で描かれている。歩は原作者の分身。ゴウは父親がモデルであるという。ギャンブルを取り上げられたゴウだが、映画も好きで、ただの映画好きが趣味でネットに書いた文章が(翻訳されて)アメリカの著名な映画評論家からも認められてしまうという話である。『ニュー・シネマ・パラダイス』『ライフ・イズ・ビューティフル』『フィールド・オブ・ドリームス』など多くの映画が出てくる。 『キネマの天使』は、89歳の山田洋次監督の通算89本目の映画となる。1986年松竹、大船撮影所50周年記念作『キネマの天地』を撮っている。これは、昭和初期の蒲田撮影所を舞台に、映画作りに情熱を燃やす人々をオールスターキャストで描いた作品だった。 題名が似ている『キネマの天使』は、山田洋次監督が助監督だった頃の松竹撮影所が過去のパートの舞台となる。撮影所の話は原作にはない。ここに山田洋次の想いが反映される。 脚本は山田洋次と朝原雄三。朝原は『釣りバカ日誌』シリーズを監督しているが、これまでの作品で山田洋次との関わりは深い。 妻の淑子(宮本信子)からも娘の歩(寺島しのぶ)からも愛想を尽かされた円山郷直=ゴウ(沢田研二)は、友人の寺林新太郎=テラシン(小林稔侍 山田洋次映画の常連)を訪ねる。テラシンは名画座テアトル銀幕の館主だ。明日から上映する出口宏監督の『花筏』を試写するので、見ていけと言う。 今は飲んだくれのジジィだが、若き日のゴウ(菅田将暉)は撮影所の助監督だった。『花筏』の主演女優桂園子(北川景子)のアップになった瞳には、カメラの横のゴウが映っている……というところから、過去に入ってゆく。山田洋次作品は回想シーンをほとんど使わない演出スタイルだが、ここではモノクロの映画が、色づき、ノスタルジックなセピア調から過去の場面へと導いてゆく。いきなり過去へ飛ばないところに山田洋次の趣向がみえる。 テラシン(野田洋次郎)は映写技師だった。ゴウが助監督としてついている出水宏監督(リリー・フランキー)は「役者なんかものを言う小道具」と思っている。しかし、フイルムが繋がると、カットとカットの間に映画の神が宿る。清水宏監督がモデルだ。 撮影所近くの食堂ふな喜。ゴウとテラシンはそこの常連である。その看板娘が淑子(永野芽郁)であった。スター女優の桂園子もふな喜にやってくる。桂園子の車で4人がドライブに行く場面で桂園子がダイコンの話をする。“大船撮影所はいつから八百屋になったんだ。ダイコンやニンジンが車に乗って来る”という風なことを言ったのは小津安二郎である。小津を語る岸惠子の証言の中にある。『キネマの神様』はさすが山田洋次と言うべきか、この時代の松竹撮影所の雰囲気を細やかに再現してみせる。松竹のマークの入ったペラ(200字)の原稿用紙に監督の口述を助監督が書きとめる。口述筆記で原稿書き、しかもほとんど書き直しなしの脚本になったと伝えられるのは木下恵介だ。小田組の『東京の物語』で桂園子はヒロインをつとめる。『東京物語』の原節子の再現という感じではなく、北川景子はこの時代のスター女優の雰囲気を漂わせる。ゴウの脚本『キネマの天使』で、初監督作品の撮影初日を迎えた日。緊張のあまり下痢になり、カメラアングルをめぐり、カメラマンと衝突し、転落して怪我をして救急車で病院に運ばれ監督作はなくなった。 テラシンが淑子にのぼせて、内心は穏やかではないゴウが仲立ちすることになったが、その後は……。 アスリートが大事な試合の前に大怪我したわけではない。映画に情熱を傾けていたゴウがどうして実現しそうだった夢をあきらめたのか、いまひとつしっくりこない。田舎へ帰るゴウを、淑子は追って行く。その後は飛ばして50年後の“今”になる。出水宏監督は十で言うのを七で止めるとの説であるが……。 原作のテアトル銀幕は、飯田橋のギンレイホールがモデルであろう。小林稔侍は大林宣彦監督の『海辺の映画館―キネマの玉手箱』でも映画館主を演じている。銀座和光ウラのシネスイッチ銀座という映画館は原作中唯一実名で出てくる映画館であるが、片桐はいりは、かつてここでモギリをしていた。そこのお客には、原作者の父がいたにちがいない。そんな訳で文庫本の解説を書き、映画ではテアトル銀幕の常連客の役で出演している。 淑子はアルバイトの面接に来て、館主がテラシンであると知る。ここで9年前とテロップが出るが、山田洋次がこんな風にテロップを用いるのもめずらしい。 孫の勇太(前田旺志郎)がテラシンから譲り受けた、ゴウの『キネマの神様』の脚本を見せる。面白かったという勇太の声に励まされ、昔の脚本を今風にアレンジして、勇太が打ったパソコンでシナリオコンテストに応募したら、入賞する。城戸賞は実際にある。脚本コンテストだ。映画では賞金が100万円になっているが、実際は50万円。バスター・キートンの映画から、スクリーンの中の人物が現実の世界に現れてくるというアイデアを思いついたゴウだが、『カイロの紫のバラ』(1985 ウディ・アレン監督)ではこのアイデアが使われている。テアトル銀幕で上映される『東京の物語』のスクリーンから桂園子が抜け出してきて、ゴウの隣の席に座る。 『東京家族』(2012)は小津の『東京物語』をモチーフに今の東京に生きる家族を描いた作品だが、クランクイン直前に東日本大震災が発生したため、撮影を約1年延期し、その間に改めて震災と原発事故を踏まえた脚本への描き直しが行われた。『キネマの神様』はコロナの影響をもろにかぶった。撮影は中断し、仕上がった作品にはコロナの今を反映させている。ダイヤモンド・プリンセスでのニュース場面を入れ、しまいの方では、人々はマスクをしている。沢田研二が「東村山音頭」を歌う場面もある。
Aug 21, 2021
コメント(0)
『茜色に焼かれる』が5月に公開された石井裕也監督。『映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ』(2017)でアジア・フィルム・アワードの最優秀監督賞を受賞した監督が韓国のスタッフ・キャストと組み、オール韓国ロケで撮ったロード・ムービー。 妻を病気で亡くした売れない小説家の青木剛(池松壮亮)は8歳のひとり息子の学(佐藤凌)を連れてソウルにやって来る。兄の透(オダギリジョー)を訪ねようと乗ったタクシーの運転手は渋滞に巻き込まれてブツブツ文句を言っている。剛は韓国語がわからない。「おじさん何か怒っていたなぁ」と息子に話ながら兄の暮らす元に行ってみると、見知らぬ男が出てきて、韓国語でつかみかかって来る。訳もわからず、困惑しているところに、暢気に兄が帰ってくる。韓国語の男は兄の共同経営者だった。剛はコスメの輸入販売を手伝うことになるが、共同経営者の男が逃げて、兄弟は無一文になってしまう。兄はワカメが扱えるからと、海沿いの江陵(カンヌン)に向かおうと誘う。 元人気アイドルのソル(チェ・ヒソ)は、死んだ両親代わりとなって兄ジョンウ(キム・ミンジェ)と病弱な妹ポム(キム・イェウン)を養っていたが、事務所から契約を切られたのをきっかけに兄妹で両親の墓参りに向かう。ここでソルと青木兄弟出会うのだが……。 ふたつの話が進行してきて合流してロード・ムービーになってゆく。剛とソルはそれ以前にも会っているのだが、それぞれが勝手に相手にはわからない、日本語で韓国語で文句を言っていたのが、ソルが芸能プロのマネージャーだった男に危害を加えられているところを剛が救ったことで、2組の家族は共に旅することになる。その中で剛とソルは心を通わせて行くという展開にはいささか無理があり、おじさんの天使にもあまり納得できない。 韓国語のわからない剛に対して覚えるのは“メクチュ、チュセヨ”(ビール下さい)と“サランヘヨ”(愛してる)だけでいい」と言う透。透役のオダギリジョーのいい加減さとちゃらんぽらんさがいい。 透の共同経営者で裏切り男を演じるパク・ジョンボムは、本作のプロデユーサーのひとり。石井裕也監督の『生きちゃった』にも出演している。 池松壮亮は『町田くんの世界』『映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ』『バンクーバーの朝日』『ぼくたちの家族』と石井裕也監督作品への出演が多い。
Aug 15, 2021
コメント(0)
2016年『愚行録』で長編映画デビューした石川 慶監督の『蜜蜂と遠雷』(2019)に続く長編第3作目。 中国系アメリカ人作家ケン・リュウの短編小説『円弧(アーク)』が原作。不老不死の技術が確立された近未来を舞台に、人類最初の不老不死の人間となった女性が、現実となった不老不死に様々な立場で向き合う人々との出会いを重ねてゆくSFであるが、VFXを駆使したいかにもそれらしい未来の画は全く出てこない。 ヒロインのリナ(芳根京子)の17歳の時から始まる。19歳の時のダンスがエマ(寺島しのぶ)の目に留まり、亡くなった人に特殊な防腐処理“プラスティネーション”を施し、生前の姿のまま保存するサービスを提供する会社で働くようになる。リナはエマの後継者となる。エマの弟・天音(岡田将生)がこの技術をさらに進化させストップエイジングの技術を完成させ、ついに「不老不死」が現実となる。その施術を受け、人類で最初に永遠の命を得た女性として、30歳の身体のまま生き続ける運命を選択したリナだった……。 人類が死を克服した未来では、社会の価値観や個々人の思考にどのような変化が起こるのか。「不老不死」を選択するのも、しないのも、個人の自由だ。 テロップでリナの年齢が出て話が進行してゆく。30歳で細胞の老化を抑制した生を受け入れたリナは80歳代で娘を授かる。ここでの生活をモノクロで撮っている。このロケ地は小豆島。昭和が連続しているような風景だ。この島で人々が死者や不老への想いを語る場面はドキュメンタリーのようでもある。ドキュメンタリーのような証言の続くしまいのところで、不老を否定する利仁(小林薫)が出てくる。彼は車椅子の妻(風吹ジュン)と共にこの島にやって来た。妻を見送った利仁は船で沖に出て帰って来なかったのであるが、生と死のテーマを集約したようなモノクロのパートは、小林薫と「生まれ変わっても、私のこと、また見つけてね」と言った風吹ジュンの存在が効いて心に響いてくる。 利仁は17歳のリナが病院を飛び出した時に病院に置いてきた男の子だったとわかってくるのだが、ここの展開は!と?。 映画の冒頭の17歳の導入部では詳しく描いていない。それでいて、若いままの母と年老いた息子との対面場面は心にしみてくる。 他にも省略したり飛躍したりで、わかりにくい部分がある。観おわってモヤモヤ感がのこる。
Jul 10, 2021
コメント(0)
『キャラクター』というそっけないタイトル。永井聡の監督作品はこれまでに観たことがない。菅田将暉と『明日の食卓』で好演の高畑充希が出演しているので観ておくかくらいの気持ちで観ることにしたが、スリリングな展開に引き込まれた。 浦沢直樹の『20世紀少年』などのストーリー共作に数多く携わってきた漫画編集者・原作者の長崎尚志のオリジナル企画を基に、長崎と監督、川原杏奈の3人による脚本が独創的なサスペンス・スリラー。物語は予定調和なしに一直線に突き進む。 漫画家志望の山城圭吾(菅田将暉)は、高い画力があるにも関わらず、お人好しすぎる性格ゆえにリアルな悪役キャラクターを描くことができず、アシスタント生活を送っていた。ある日、師匠の依頼で「誰が見ても幸せそうな家」のスケッチに出かけた圭吾は、住宅街の中に不思議な魅力を感じる一軒の家を見つけ、ふとしたことから中に足を踏み入れてしまう。そこで彼が目にしたのは、惨殺された4人の家族だった。そして、窓越しの庭に佇む一人の男……。 事件の第一発見者となった圭吾は、警察の取り調べに対して「犯人の顔は見ていない」と嘘をつく。そして、自分だけが知っている犯人を基に殺人鬼の主人公“ダガー”を生み出し、サスペンス漫画「34(さんじゅうし)」を描き始める。圭吾に欠けていた“悪”を描いた漫画は大ヒットして、圭吾は超売れっ子漫画家となってゆく。恋人の夏美(高畑充希)とも結婚。2人は順風満帆の生活を手に入れた。 しかし、漫画「34」で描かれた物語を模したような、4人家族が次々と惨殺される事件が続く。刑事の清田俊介(小栗旬)は、あまりにも漫画の内容と事件が酷似していることを不審に思い、圭吾に目をつける。共に事件を追う真壁孝太(中村獅童)は、やや暴走しがちな清田を心配しつつ見守っていた。 そんな中、圭吾の前に、再びあの男が姿を現す。 圭吾と出会い運命を狂わす天才的な殺人鬼・両角(もろずみ)を演じるのは、本作が俳優デビューとなるSEKAI NO OWARIのボーカルFukase。両角は「34」をなぞった犯行で圭吾に挑発を仕掛けてくる。笑顔の底にふてぶてしい悪を持つ両角を演じるFukaseの存在が際立つ。SEKAI NO OWARIのことはよく知らないがFukaseの両角がこの映画の凄味に直結している。このキャスティングのセンスにおどろく。 両角は圭吾を脅かし、幸せそうな4人家族を標的にしてくる。不気味で恐ろしい悪キャラクターだ。こんな殺人鬼を追う刑事ドラマが、独創的であるが、遠くの方にあるアイデアのヒントとしては、『コピーキャット』『砂の器』を思い浮かべた。戸籍のない者による犯罪というところが『砂の器』だ。惨殺された死体の殺人現場は出てくるが、殺人シーンは意図的に外している。どうゆう風に殺ったのかという疑問は残るが、共犯者がいたこともわかってくる。捜査の途中で刑事が共犯者の辺見(松田洋治)に刺されて殺される。犯人を追いつめるはずの刑事が殺され、観客は意表を突かれ、予定調和を外した物語は展開してゆく。 この映画には“やられた!!”。
Jun 22, 2021
コメント(0)
『ノッティングヒルの恋人』(1999)が有名なロジャー・ミッシェル監督作品。デンマークのビレ・アウグスト監督の『サイレント・ハート』(2014 日本未公開)のリメイク。オリジナル脚本のクリスチャン・トープがアメリカ版の脚本も担当している。安楽死を選択した難病の母と、その決意を受け止めようとする家族の葛藤を静かに見つめてゆく。 秘密を抱えた家族が集まってくる設定はフランス映画にはありそうで、アメリカ映画ではありながら、ヨーロッパの家族映画の雰囲気が漂う。 場所は特定されていないが、静かな海辺の邸宅。医師のポール(サム・ニール)とその妻リリー(スーザン・サランドン)が暮らしている。病が進行し、次第に体の自由が効かなくなっているリリーは安楽死する決意をした。その日、近親者を招いてお別れ会を開く。 長女ジェニファー(ケイト・ウィンスレット)は母の決意を受け入れてはいるものの、やはりどこか落ち着かず、夫マイケル(レイン・ウィルソン)の行動に苛立ってくる。家族だけで過ごすはずの週末にリリーの親友リズ(リンゼイ・ダンカン)がいることにも納得がいかない。詳しい事情を知らなかった15歳の息子ジョナサン(アンソン・ブーン)も、この訪問の意味を知ることになる。 長らく連絡が取れなかった次女アナ(ミア・ワシコウスカ)も、くっついたり離れたりを繰り返している恋人クリス(ベックス・テイラー=クラウス)と共にやってくるが、姉と違い、母の決意を受け入れられておらず、ジェニファーとは衝突を繰り返すうちに連絡がとれなかった理由も明かされてくる。プレゼントを贈ったり、ゲームをしたり、彼らはあえて普通に振舞っていたのだが……。 リリーの不治の病が何であるのか、最後まで明かされない。リリーの決断は最後まで揺るがない。リリーはウッドストック世代だ。リリー役のスーザン・サランドンは『ロッキー』(1976)のジョン・G・アヴィルドセン監督が1970年に撮った『ジョー』のヒッピー娘役が映画デビュー作だ。『デッドマン・ウォーキング』(1995 ティム・ロビンス監督)では、死刑廃止論者の修道女を演じアカデミー賞主演女優賞を受賞している。ウッドストック世代が歳を重ね、本作では自身に死を宣告する難病患者の役で圧倒的な存在感を示している。 人生の幕引きをどうするか、安楽死をどう捉えるかは『いのちの停車場』にも重なるテーマである。『いのちの停車場』では安楽死を望む当人の娘が、『ブラックバード』では当人の夫が深く関わり、共に医者という設定になっている。
Jun 20, 2021
コメント(0)
熱田区出身の日比遊一監督が熱田区を舞台に撮った『名も無い日』は6月11日から全国公開だが、愛知・岐阜・三重では5月28日から先行公開され、名古屋市内では10の映画館で上映されている。1964年生まれ。20代でニューヨークに渡り、写真家となった 。2016年、高倉健を題材にしたドキュメンタリー映画『健さん』を撮る。この作は、マイケル・ダグラス、ポール・シュレイダー、マーティン・スコセッシ、ジョン・ウーらの証言で構成され、第40回モントリオール世界映画祭では、ワールド・ドキュメンタリー部門の最優秀作品賞を受賞した。 2019年の『エリカ38』は2018年に他界した樹木希林が生前、プライベートでも親交の深い浅田美代子のためにと、自ら初の企画を手がけた作品である。実在の詐欺事件をモチーフに、浅田美代子が主演。実年齢を20歳以上も詐称し、巨額の投資詐欺に手を染めた女性の半生を描いている。 『エリカ38』と『名も無い日』は、ほぼ同じ頃に撮影されたのではないかと察する。木内みどりは、この2作品に出演している。『エリカ38』では、ヒロインに投資詐欺の男を紹介する人物を演じ、『名も無い日』では主人公の学生時代の友人の母の役で出演しているが、木内みどりは2019年11月、急性心臓死で亡くなっている。 名古屋市熱田区で育った小野家の3兄弟の長男・達也(永瀬正敏)は、単身渡ったニューヨークで写真家として多忙な日々を送っていた。ある日、次男・章人(オダギリジョー)の突然の訃報を受け帰郷する。学業成績優秀だった章人はひとり実家に残り暮していたが、理由のわからない孤独死だった。三男の隆史(金子ノブアキ)も現実を受け止めきれず、妻(真木よう子)と共に戸惑っている。 『名も無い日』は監督の実体験が色濃く反映された映画であるが、私小説のようでもある個人の想いを豪華な配役で、わかりやすいエンターテインメントではないにしろ、自主制作ではない商業映画として世に送り出しているところが興味深い。 達也は監督の分身とも言えるが、この役を演じるのは永瀬正敏。個性的な映画を撮る監督作への出演が多い。『茜色に焼かれる』の風俗店店長の役もよかった。永瀬自身が写真家でもある。映画は達也が、熱田に戻ってきたところから始まる。達也はホテルキヨシ名古屋第2に宿泊する。愛用のカメラ、ローライフレックスを手に過去の記憶を探るように名古屋を巡るが、シャッターが切れない。学生時代の同級生・明美(今井美樹)も過去を背負っている。達也と明美の同級生の母が木内みどり。夜、雨の神宮前商店街を歩く達也と明美の場面がある。熱田神宮、神宮小路、尾頭橋などが出てくるが、達也が家族や周りの人々の想いを手繰りよせる場所なのだ。しまいの方で明かされる章人が拘った6膳の箸と箸置は円頓寺商店街で買った記憶の中の風景。孤独死した章人の命日はわからないままだ。命日は『名も無い日』になってしまう。喪と死をめぐる想いを捉えた作品だ。夜と曇りの場面が多いが、ラスト近くで希望の光が射してくる場面、真木よう子が永瀬正敏の耳元で何か囁く宮の渡し公園は気持ちのいい青空だ。
Jun 13, 2021
コメント(0)
『激突!』(1971 スティーヴン・スピルバーグ監督)『ヒッチャー』(1985 ロバート・ハーモン監督)に連なるスリラー・サスペンスだ。日本でもタイムリーかつ問題化しているあおり運転の恐怖を鋭く突いてくる。 瀬戸市のコンビニで、タバコの銘柄が見えんがやと腹を立てた男が、飛沫防止シートを引きちぎったりしているが、隣の席とを仕切るアクリル板やら、飛沫防止シートがあたり前になってから一年が経過する。こんな日常下では、人々は不満のくすぶりを抱えても耐えて生活しており、何かのはずみで留め金が弾け飛ぶことだって他人事ではない。『アオラレ』は今のコロナ禍の人の心をも鮮やかに捉えて刺さってくる。 離婚したばかりのシングルマザーで美容師のレイチェル(カレン・ピストリアス)今日も寝過ごした。大慌てで息子のカイルを車に乗せて学校へ向かう途中、渋滞に捕まり苛立ちを募らせる。遅れの連絡をしたら仕事はクビになる。ちょうどその時、信号が青に変わっても前の車が動き出さず、思わず強めにクラクションを鳴らしてしまう。すると男は車を横付けし、クラクションの鳴らし方に文句をつけ謝罪を要求してくる。しかし不運続きでイライラMAXのレイチェルは猛然と言い返してそのまま車を走らせる。その後カイルを学校に送り届けたレイチェルは、ガソリンスタンドの売店でさっきの男がなおも後を尾けてきていることに気づくのだった……。 ガソリンスタンドでレイチェルを助けようとした男を跳ね飛ばし、ドライバーの男は凄まじい執念でレイチェルを追いつめてくる。レイチェルの携帯電話を手に入れた男は、離婚調停の弁護士、弟の彼女とプライバシーにまで踏み込んできて、関係ない者まで巻き込んで暴走する。強烈な悪役を太めになったラッセル・クロウが怪演。 “Unhinged”という原題は「常軌を逸した者」という意味である。 復讐のためだったのか、オープニングで男は殺人放火犯であることを示している。交通渋滞やイラダチの映像をタイトルに配し、レイチェルの朝の日常から始まり、しだい次第に、恐怖にはまり込んで行く展開がスリリングだ。
Jun 10, 2021
コメント(0)
『ローマの休日』と並んで今なお人気のオードリー・ヘップバーン映画である。1961年のパラマウント映画。監督はブレイク・エドワーズ。オードリーの大ファンでもないので、これまでに観たことはなかった。午前十時の映画祭で再度上映されたので、これを機に観ることにした。原作者のトルーマン・カポーティはマリリン・モンローの主演を希望したが 最終的にはオードリー・ヘップバーンがホリーを演じたと知れば、また別の興味もわいて来る。ホリー・ゴライトリーはセレブ男の間を渡り歩いているコールガールであるが、そこのところは、あいまいにしておいてお洒落なラブ・ストーリーにしている。 1960年当時のニューヨークがお洒落な街に映し出されている。ホリー(ヘップバーン)は宝石店ティファニーのショー・ウィンドウを見ながら、朝食のクロワッサンを食べている。ハイソな生活を夢見るホリーの日課である。アパートでホリーは名無しのネコと暮している。アパートの隣室に作家志望のポール(ジョージ・ペパード)が越してきた。彼はパトロンである人妻2E(パトリシア・ニール)と不倫関係にあるが、しだいにホリーに惹かれて行く。ホリーというヒロインがつかみどころなくてよくわからない。ミッキー・ルーニーがユニオシという、あやしげな日本人らしきアパートの住人で出てくるが、この存在もよくわからない。話がすっきりと伝わる展開でもない。ブレイク・エドワーズ監督は、お洒落なファッションやニューヨークの街並みを背景にした場面を印象づける。得体の知れないヒロインを魅力的に撮っているのだ。画の力が効いている。"ティファニー"の名はこの映画によって有名になった。ヘンリー・マンシーニの「ムーン・リバー」は名曲になった。
May 23, 2021
コメント(0)
昭和30年代のような時代の色を漂わせているが、いつの時代であるかは分からない。戦争をしているが、兵隊さんの格好は太平洋戦争の時代のようでもある。妙な雰囲気の予告編で『きまじめ楽隊のぼんやり戦争』という映画を知る。 池田暁監督は多くの国際映画祭で受賞暦があるが、本作が劇場初公開作となる。 まじめな兵隊・露木(前原滉)が暮らす津平町では川の向こう岸の太原町と“朝9時から夕方5時まで”規則正しく戦争をしている。朝、家の前を音楽隊が通り過ぎて行く。その音楽で目覚める露木は、朝から川岸に出勤するのが日課となっている。昼は気まぐれな叔母さん(片桐はいり)の定食屋に行く。夕方は物知りなおじさん(嶋田久作)の店で煮物を買って帰って、あとは眠るだけ。しかし誰も向こう岸の太原町ことはよく知らない。誰も何もしらないけれど、とてもコワイらしい。ある日、露木は突然、音楽隊への異動を言い渡される。家で埃を被ったトランペットを取り出してみたものの、明日からどこへ出勤すればいいのか、途方に暮れてしまう。何回か行ってみるうちに、ようやく音楽隊へ辿りつけた。そんな中、ひょんなことから向こう岸から聞こえてくる音楽を耳にし、思いがけず心惹かれていく露木だった。町では「新部隊と新兵器がやってくる」との噂が広がっていて……。 まじめな兵隊の毎日、まいにちを淡々と描く。町では戦争を「作業」といい、兵隊は川のこちらから、向こうに向けてゆるやかに銃弾を撃ち込む。のんびりと戦争していて、飛んできたアゲハ蝶に気を取られていると、撃たれてしまう。ここは、『西部戦線異状なし』(1930)を連想させる。撃たれた藤間(今野浩喜)は片腕がなくなって、兵隊の仕事から外されてしまう。煮物屋は町長の自慢の息子から煮物を盗まれ続け、煮物屋をやめて、竹輪屋をはじめる。町長の息子は竹輪が嫌いだ。上司の子が出来ない妻(橋本マナミ)は離縁させられる。楽隊のリーダーとなったきたろうの女性隊員に対するハラスメントもあるが、理不尽な目に遭う住人は反論もせず「え?」だけである。 規則正しく同じことを繰り返している住民を、アップは用いず、横顔や立ち姿を引きの画面で撮っている。セリフも棒読み風だ。音楽隊は寄りで撮っているが、ここではハラスメントが強調されて、息苦しい。同じ構図の繰り返しも多いが、それが独自のリズムと様式になってゆく。 町長(石橋蓮司)は威厳者ぶってふるまっているが、口癖は「忘れました」。戦争はしているけれど、戦争になった理由や原因は忘れました。 規則正しく真面目だけれど、何のためなのか目的はぼんやりしていて、皆わからない。と ぼけた、シュールな寓話からリアルがにじみだしてくる。 噂の新兵器は大砲だった。ここでながれる音楽はNHKのドラマ『阿修羅のごとく』で印象深かった、トルコの軍楽隊の行進曲だ。この行進曲は『喜劇 愛妻物語』でも使われた。
Apr 20, 2021
コメント(0)
全1490件 (1490件中 1-50件目)