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12月の初め2,3,4と恒例の検査入院。移植して7年目になる。今後何事もなければ腎臓の検査入院はこれで最後だと聞いている。用意しかけていた旅行のバックの中身を入院のための用意に入れ替える。以前移植でICUにいた時衛生上の問題からお箸は割り箸を持ってきてと言われていた。途中で持ってきた割りばしが足りなくなった時、看護師さんがロッカーでみんな一つや二つ置いていると思うのでとみんなに聞いてくれた。たくさんの割箸があつまった。看護師さんたちの気持ちがうれしかった。ICUに背の高い男性看護師がいた。Sさんという。190センチと印象的だったので名前を憶えている。たくさんあった管が外れて来たら退屈するようになった。気を利かせてラジオを持ってきてくれた。ラジオはそんなにたくさんの台数がない。Sさんは私のために隠しておいたと笑う。取り合いになるくらいラジオは人気らしい。ICUではテレビもないから一日が長い。ラジオでもなければやってられない。12月だったけど、暖房がきつすぎて汗びっしょりになった。髪が汗で濡れて気持ち悪い。「何か困ったことがありますか?」とSさんが聞いてくれたので髪を洗いたい。汗かいて気持ち悪いと言ってみた。多分無理だろうなと思いながら言ってたんだけどまさか実現して驚いた。ここはICU.洗髪なんて無理だろうなと思っていたら夕方洗髪台を押して女性看護師が来てSさんに頼まれたと言って洗髪しにきてくれた。その後2回ICUに入ったけどSさんが担当になることはなかった。手術とかしたら経過を見るために一晩ははいるようだ。またSさんに会いたいなと思うけどそうたびたびICUに入っているようでは困るしね。もしかしたら移植後7年もたっているからICUでなく他の部門にいるかもしれない。移植の時ICUから病棟に移ったときよくしてくれた女性看護師さんがいた。Nさん。その後入院した時休憩時間にわざわざ会いに来てくれた。ロッカーで同僚看護師から私が入院していることを聞いてきてくれたという。入院は何度も経験したけど素敵な看護師さんに度々遭遇して、いい思い出になっている。今度の入院は二泊三日の予定。だれか印象に残る看護師さんはいるかな?食事はどんなのが出るかな?一応病院では旅行と同じくあげ膳据え膳で食事が楽しみ。コロナ前は動ける人は食堂で食べていたけど、コロナになってからは病室の自分のベッドわきで食べる。同室の人ともほとんどしゃべらないからその点は楽しくない。今回ゴマの着いたバックをパソコン用に買ったのでこれで入院の荷物を持っていく。以前は宅配を利用したことがあるけど、2000円だった。往復で4000円は結構大きい。それに以前台風で私より先に送った荷物が私が入院してもまだついていないということがあったから自分で持っていく方が確実だし安上がりだと思って今回は頼まない。あ、入院の書類も書かなくちゃ。忘れもののないようにあれこれ準備して。来週は歯科と整形外科と皮膚科を受診。耳鼻科のお薬も早めにもらってきておきたいと思っている。何かとあわただしい。今年もあとひと月あまりになった。気ぜわしい。
2024.11.26
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昨日つぶやきにも書いた通り、17日に受けたコロナワクチンせいだと思うけど体中にじんましんができている。熱とかはないけど考えた末、来週の倉敷旅行を取りやめることにした。向こうについて発熱とか体調不良になると困るしと思って。今日で宿泊日の3日前。私は当日キャンセル料金が100%と思っていた。3日前だから半額くらいかなと。甘かった。3日前のキャンセル料はすでに100%になってた。"(-""-)"とりあえず朝宿泊予定のホテルに電話を掛けた。ネットで旅行社を通じて申し込んでいるからそちらにも連絡しておいてくださいと言われる。旅行社から正式にキャンセルの連絡が来たらホテルからキャンセル料の請求書が届くらしい。痛い出費。でも仕方ない。先週までは足も徐々に良くなっているから行く気満々だったんだから。旅行社に取り消しの連絡を入れる。これがすったもんだ。確認メールを探すも見つからず。間違えて削除した?おいておいたはずなのに。夜になってメールがおかしいことに気づく・すったもんだの末アドレスが違う?二つあった?よくわからないけど何とか元に戻したら予約確認メールも予約キャンセルメールも確認した。幸い予約番号を控えていたのでそれをもとに携帯からキャンセルにチャレンジ。何度やっても予約番号が違うと言われてキャンセルできない。ホテルに確認するも番号は間違えてない。人が対応する窓口はないのか?探した。旅行社の代表からオペレーターにつながる。オペレーターによるとその番号の解約は別の番号に電話してほしいという。またそこに電話する。オペレーターに説明していろいろ教えてもらう。パソコンを立ち上げてキャンセルの仕方を教えてもらってようやくキャンセル完了。わたしのようなキャンセルの仕方がわからないという人、結構いるだろうな。やっぱりオペレーターのお姉さんは必要です。なんでも携帯やパソコンでできる人ばかりじゃない。後は請求書を待つばかり。来たら夫にわからないように支払わないと。夫にうっかり言ったらキャンセル料が高すぎるとか間違っているとか言いそうだから内緒。家計でなく私のへそくりから支払って証拠隠滅。ネットで予約はお手軽だけど解約するときは大変だということを今回学んだ。じんましんの件で朝から大学病院にも問い合わせ。主治医は忙しいので移植コーデネーターと話す。一応ワクチンを接種したクリニックの先生に伝えるようにということ、あとは皮膚科へ行ってと言われた。多分主治医に伝えてくれると思う。何か別の指示があればまた連絡が来るだろう。倉敷旅行をキャンセルして、12月の初めの検査入院まで体調を整えておこう。発熱とかで退院が伸びたら困る。倉敷行きたかったけど、どうせなら調子がいいときに行きたい。倉敷は逃げないから別の機会に行くことにしよう。午前中整形に行って今帰って来てお昼ご飯と旅行のキャンセル手続きがようやく終わったところ。午後は4時から歯科の予約。歯茎はまだ腫れている。皮膚科に行くとしたらこの前後だけど皮膚科と歯科は反対方向。先に皮膚科に行くかな。歯科の後だと日が落ちて寒くなるかもだし。歯茎が腫れたり、じんましんが出たり、足の方はほとんどよくなっているけどまあ今月はいろいろあったな。今年あと1か月余り。もう何もありませんように。(^^♪
2024.11.22
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20代のころは多少無理をして22,5センチのの靴を履いていた。小さい足の方がかわいく見えるかなと思って(笑)おかげで外反母趾になった。見栄は張るもんじゃない。今は後悔している。そのご結婚出産して22,5ははいらなくなって23,5を履いていた。今年の春だったか靴を買いに行って23センチでも大丈夫なことが分かった。移植で少しやせたから足も小さくなった?その靴でずっとウオーキングしていて今回のけが。足の甲や脇の方もむくんで多少腫れているようで靴がきつくて痛い。それで捨てようと思っていた23,5の靴を出してきて今朝は履いて県知事選挙の投票へ。まあ23センチの靴よりは多少は痛みはましだ。長年履き込んできたから多少伸びているのかもしれない。23センチの靴は左右のファスナーを開けても今はきついのでしばらく23,5センチを履くことにする。腫れやむくみが引いたらまた23センチに戻るかも。いや戻らないと困る。今年の春に買った23センチの靴が二足下駄箱に眠っている。来年にはこの靴をおろしたい。こういう場合に備えて23,5センチの靴も捨てないで置いておこう。何度も骨折とかひびとかあるようでは困るけど。整形外科の先生は人によってはむくみは半年くらい続くこともあるという。頑張って超音波をあてに行こう。超音波で少しでも早くむくみや腫れが引くといいな。とりあえず重度障碍者保険証で今月の超音波は無料なので。(^^♪財布にも優しいし。
2024.11.20
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夕食の豚汁を作っていて思い出した話。昔結婚してすぐの時に豚汁を作ったら夫が絶叫した。「なんで味噌汁に肉が入っとる?」「味噌汁には豆腐と揚げとネギって決まってるやろ_」夫が断言する。夫それまで豚汁は食べたことがなかったらしい(笑)だからと言っておみそ汁の具が決まっているなんて言うことはない。料理本には色んな具の取り合わせが載っていて私はそれを見て豚汁を作った。先日のテレビで長野県民は毎朝具沢山の味噌汁を飲んでいるというのをやっていて偉い先生がそれはすごくいいこと、野菜もたっぷりとれるしみそは発酵食品だしと絶賛していたので。。中途半端な野菜が集まったら豚汁とかかす汁、あるいは鮭を入れてもいい。色んなバリエーションがある。そして今では夫は絶叫することもなくなり(笑)素直に豚汁を飲んでいる。わが家ではいつも具沢山で作りすぎて二日間食べることになる。(笑)
2024.11.20
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足の方多分よくなっていると信じてキャンセルはしていません。今倉敷までどうやって行くのか調べました。西明石新幹線→岡山で在来線(伯備線総社行き)に乗り換えて倉敷。所要時間一時間8分 料金 5370円西明石新快速→姫路 播州赤穂域に乗り換えて→相生岡山行に乗り換えて岡山から糸崎行に乗り換えて→倉敷 所要時間2時間14分 料金2310円新快速から普通に乗り換えたほうが安い。でも乗り換え3回*****************************新幹線利用だと乗り換え一回 所要時間も半分 料金は倍以上乗り換え多いなら迷う率が高いから新幹線→在来線 の方がいいかな。往復新幹線利用なら5370円×2=10740円ホテル宿泊代 14800円 10740円+14800円=25540円これに昼食代+お土産お小遣いい一万足すと35000円かあ。少し余裕を見て今回の費用は約40000円。************************************やっぱり新幹線の方が早いし乗り換え少ないしいいかなあ。迷うな。ちなみに新快速案は9時48分に乗って12時2分着新幹線案は11時23分に乗って12時35分着着く時間は30分ほどしか変わらない。面白いのは西明石からわざわざのぼり新幹線に乗って大阪まで行って下りに乗り換える案。何でいったん大阪に行くのか意味不明。西明石駅に止まらない新幹線に乗せようとしている。しかも料金8720円。高くなってるし。この案は絶対にない。平日だから普通指定席でも乗れるよね?恥ずかしながら何年も新幹線乗ったことがない。よく乗る人教えてください。
2024.11.16
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夫、家にいるより出かけたい人。昨日買い出しに行ったところなのに今朝は次いつ買い出しに行く?と聞く。いや、そんなに毎日買い物には行かない。それもすぐにわすれるのか何度も聞くからうざい。昨日は嫁骨折して予定をキャンセルして家にいるというのに暇だとかんちがいしたのか?ドライブがてら少し離れた大型店に行こうという。いや普通に歩き回れるくらいなら予定キャンセルしていないって。もちろん断った。食料の買い出しならともかく今特にほしいものいるものはないから。今朝は夫が灯油を買いに行くのに、「行って来て」と言ったら「ついて行ってくれへんの?」という。灯油を買うスタンドは数百メートルの距離で車を出して買いに行く。子供のお使いじゃあるまいしどうしていい大人が一人で行けない?(笑)一刻一秒も一緒にいたい時代はとっくに終わってる(笑)足を痛めた嫁を連れ歩こうとするな。といつものように(笑)夫の愚痴三昧日記になったのでここらへんで。
2024.11.10
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今回のひびも骨折のうち、不完全骨折というと知人に教わりました。透析をしていたころ何度も骨折しました。透析で骨がスカスカになるらしい。圧迫骨折や恥骨骨折。足の甲にリモコンを落として甲の骨の骨折もあった。寝ていても痛いような骨折.起き上がるのも歩くのも痛い。今回の不完全骨折?は初めて。でも以前の骨折の時と違って夜は痛まなくてよく眠れる。でも今回はあまりいたくないからとはいえ、今後とも注意が必要ですね。骨粗しょう症で移植後ずっと薬を飲んでいましたがあまり効果がなく、先月から注射に切り替わりました。多分注射でも劇的に骨密度がよくなるわけでなく現状維持を期待する治療だと思います。結構痛い注射だけど頑張ります。さて以前入院した時、4人部屋の他の3人の方は大腿骨骨折でした。その中の一人のおばあさん、70代80代?かなりのご高齢でした。息子さんがリハビリなんていいから退院させてほしいと主治医に話していました。息子さんの言うにはおばあさんの部屋にはトイレもあるからトイレに自分で行けたら家事も家業も何もしなくていい。だから特にリハビリは必要ないと言います。一階が家業のお店、二階が息子さん家族の住居、三階がおばあさんの部屋。食事には二階に下りるのに孫がおばあさんをおんぶして二階に降りるから大丈夫。そういって強引に退院させました。おばあさんは何も意見を言わない。そばで聞いていてそれでこのおばあさんは幸せなのかなと思った。ある程度リハビリをしてデイサービスとかお出かけとか一人でできるほうが楽しいだろうに。そう思ったけど他人が口を出すことではないので黙っていた。リハビリは結構大変だろうけど、うちの近所にも杖を突いて、あるいは車いすに乗ってゆっくり歩く高齢者を見かける。あきらめたらもう自分だけではどこへも行けなくなってしまう。私の祖母はリハビリを勧められたけど、しんどいから嫌と断って10年寝たきりだった。幸い引き取られた父の妹のおばの家ではおばにもおばの家族にもよくしてもらって晩年は幸せだったかもしれない。でも私は人生最後の10年を寝たきりで過ごすなんて絶対にしたくない。わたしは今後何があってもちゃんとリハビリして自力で歩けるように頑張っていきたいと思っている。まあ人それぞれだから自分で自分のことができることが目標という人もいれば自分のことも全部人に世話してもらうのが幸せという人もいるかもしれないけど。今ホームにいる母は車いすが楽なので押してもらおうとしたり、トイレで車いすからの移乗も以前はできていたのにスタッフに頼ろうとするらしい。でも何もかもお世話してもらったのではますます筋力が衰えるからスタッフさんたちは手伝わないことを申し合わせたという。車いすで移動するとき、トイレでもスタッフは見守りはするけど、手伝わないを徹底して少しでも筋力体力を使ってほしいと思っている。どんな老後、最後がいいのかは人それぞれ、母や祖母のことを考えると自分の今後を考える。自分の思う幸せな老後のために今何をするべきかということも考える。まず第一に私がしないといけないのはあまり動き回らずに早く足が直るようにすることですが。頑張ります!
2024.11.02
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3時15分の予約を取ったから3時前に着いた。呼ばれたのは4時半を過ぎていた。なかなか予約の時間通りには行かないよね。それから診察→レントゲン→診察→MRIと終わって診断結果。すべて終わったら6時過ぎ。3時間待ち"(-""-)"まあ初診だし仕方ないよね。結果小指の下の骨一か所ひび、全治4週間との診断です。まだ完全に折れてなかっただけましかな?折れていたらギブスや手術になるから同じところもう一度やらないでねと言われた。今後はもっと慎重にしないと。歩くのや運動を制限されたから体操やヨガをお休みします。買い物と家の中での家事と後は病院には行かないとね。3日の菊花展を見に行く予定は一緒に行く予定だった人にお断りの連絡をしました。とりあえずしばらくはおとなしくしていないと。11日の木曜日には大学病院。これは何とか行かないと。後の予定はみんなキャンセルで。次の整形受診は金曜日。来週の予定はこんな感じ。家の中でも転んだりしないよう慎重に動かないとね。これ以上のけがはしたくないから。
2024.11.02
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タイトル通りです。うちの近所の病院の整形外科は近隣でも有名なところで、整形外科の診察室は5つもあるくらいフル回転している。予約なしで行ったら超待たされる。それでも評判を聞いて患者が押し寄せる。午前診療がそのまま続いて午後の診察直前まで続くこともあった。そして先生方が疲労困憊したのか、午後診察はなくなり午前診察だけになった。わたしも今年の初めまでは結構通っていた。外反母趾、靴底筋膜炎、手根管症候群といろいろ見てもらっていた。中でそれぞれ手の先生、足の先生と専門的に別れているけど。今日も行ったところ受付で「今日は先生が一人しかいなくて腰と首しか見られません。」と診察を拒否された。「いや、今痛いから困るんですけど?」と言っても「急ぐならほかにも整形外科はあるのでそちらへ行ってください」と言われた。病院にも事情があるのかもだけど、なんだか冷たい対応でがっかり。今は一つの科の中でも専門的に別れているのだろうけど。子どものころ通っていた診療所は一応看板は内科と外科だったけど小児科でも耳鼻科でも診てくれたけどなあ。もちろん大きな病気、難しい病気はちゃんと紹介状をもらえたし。仕方なく病院からタクシーを呼んで駅前の整形外科へ。ここは来たことがない。ここも激待ち。受付に行くと予約以外は診られないと言われる。仕方ないので午後の予約を取ってもらう。3時にまた出直すことにして先ほど帰宅。というわけで午後の診察にまた出向くことになる。午後もまた夫に車に送ってもらうことになっている。以前は車で送ってもらうのにも文句たらたらだったけど最近は気持ちよく送ってくれるようになった。大学病院以外は。大学病院の入退院には付き添ってもらったことがないけどね。とにかく午後診てもらって今月も予定がいっぱいあるから早く治さないと。
2024.11.02
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今朝のウオーキングで左足を踏み出した瞬間、ぐにゃっと外側に曲がって痛みが走りました。路肩を歩いていたのですが,端の土の部分との間にわずかな段差があったようです。それから痛くて歩けないのを少しずつ休み休み歩いて家に帰ってきました。家にあった湿布薬を貼っています。じっとしていると痛みは軽いけど歩くとやっぱり痛い。明日の体操はお休みすることにする。これでは運動どころではない。金曜日と土曜日はどこへも行かないで安静。日曜日の菊花展を見に行く約束はどうしようかな?少し様子を見て決めよう。自己判断ですが軽い捻挫かなと。整形は待つからあんまり行きたくないけどそうも言っていられない。近所の病院に整形はあるけど予約なしだと混むし、午後診察はありません。それに予約なしだと11時半までというルールがある。急患で行くほどではないし。足の横のじん帯?が伸びた感じなので湿布を貼った上から、以前透析の止血に使っていたベルトを巻いています。整形や接骨院に行けばテーピングするだろうからその代わりのつもり。これで収まってくれたらいいけど明日の朝どうしてもよくならなかったら整形へ行くしかないですよね。
2024.11.02
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わたしは背が低いので体重が多めだとどうしても丸い感じになる。背はどうしようもないので体重を減らしたいといつも思っている。朝晩ストレッチをしたり、ウオーキングをしたり、体操やヨガに通ったり。いろいろしているけどなかなか減らない。でも最近気が付いた。朝夕体重を計ってノートにつける。どちらもご飯前。一日の体重差がそんなにない、毎回500グラムかそこいら。透析をしていたころ、ドライという体重を決める。透析が終わった後の余分な水分も老廃物もなくなった状態の体重のこと。そして次の透析が始まる前に測る。何キロ増えているかによってその日引く量が決まる。ほとんど当時は無尿だったので飲んだものはすべて体内に蓄積される。だから一応一日500CC以上は飲まないことになっている。でもなかなか守れない。夏は汗もかくから少し余分に飲まないと脱水になる。冬場は汗はかかないからどんどん増えていく。飲水制限しないとどんどん増えて次回の透析が大変になる。たべすぎたり飲みすぎたりすると体重が増えすぎて、血圧が下がったり、足がつったりする。血圧が下がったり具合が悪くなるとそこで透析をやめたり、あるいは休憩してまた続けたりする。引けなかった分は次回に回すけど、次回がもっと大変になる。なるべく「お残し」はしないようにしないといけなかった。それでも月曜、水曜、金曜と週3回の透析で月曜と水曜がお残しになり金曜日にどうにか清算してドライの体重になることもあった。透析のころは体重ガドライと次回の透析前の体重を比較したら3キロぐらいは普通に増えていた。でも最近はそんなに急には増えない。ちゃんと尿が出ているからでありがたいことだ。移植してもらった腎臓がしっかり働いて尿が出ているからそんなに増えなくて済んでいる。それでも痩せないけど(笑)一回の透析で2キロ3キロ4時間で減ったら、血圧も下がるししんどい。一度スタッフさんに聞いてみたことがある。今までで一番体重の増えた人は何キロくらい?と聞いてみたら2日で7キロの人がいたらしい。一度の透析で7キロも引くのは多分難しい。どうしていたのか知らないけど相当無茶をする人だろう。あんまり体重差が大きいと長年透析をしていて心臓とかが悪くなる人もいる。病気があってもなくても常に自分の体重を気にかけて急激に増えたり痩せたりしないよう一定を保つのがいいとは思うけど。秋はおいしいものが多いから要注意。移植して食事制限がほぼないので調子に乗って食べ過ぎないようにしないと。次は他の病気になってというのは嫌だから。腹は8分目は長生きの秘訣だろうし。
2024.10.30
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わたしは40代で透析を受けるようになって障碍者ということで障害年金が支給された。周りの透析患者で障害年金を受け取っている人は結構多い。でも透析をしていても働いている人もいて障害年金をもらっていない人もいる。病気やけがで働けなくなったり、働いても収入が少ない人にとってはありがたい。もらえる障害年金は人によって違うことに私は気が付いた。現役で働いていた時代が長くて当時の給料がよければそれを反映して障害年金は多いらしい。逆に働くことなく生まれつきとか未成年のうちに障碍者になった人は少ない。そしてわたしのように移植して透析を受けなくなれば障害年金はなくなる。わたしは40代から障害年金を受け取り、厚生年金を受け取れる年齢になったらどちらかを選んでと言われたので障害年金を選んだ。わたしは厚生年金を掛けていた年数が少ないので少しだけ金額が障害年金の方が多かったので。そして移植になった。大体移植して1,2年で障害年金は打ちきりになるはずがコロナ禍で見直しが延期になったらしくて、しばらくそのまま障害年金をもらい続けた。障害年金が打ち切りになるということで切り替えを行って自分の年金をもらうようになった。この時まだ厚生年金を受け取れない年齢の人は無年金になる。移植を受けたからと言ってすぐに働けるわけではない。体調とか年齢とかで仕事がなかなか見つからない人もいる。障害年金で生活しているから打ち切りになったら困るということで移植しないでずっと透析をすることを選ぶ人もいる。若い人こそ移植を受けて新しい人生に踏み出してほしいのにできない人もいる。ちなみに年金が打ち切りになっても医療面では優遇が続いている。もらっている年金により医療費の支払い額が違うらしいけど私は通院一回につき600円までと決まっているので検査をしても 日帰り手術しても600円。白内障の手術はその後の通院も含めて1200円ですんだ。入院しても払うのは食事代とパジャマ代なので移植の時の入院でも数百万円かかっているのが数万ですんだ。これは大変ありがたい。普通に薬も支払うなら1,2か月の薬代は何万円にもなる。透析の前の薬代は月に3万くらい払っていた。これはすべての難病患者に適用されていないようで、高い薬代の負担に困っている人は多い。患者人数が少ないと適用されないとかあるみたい。どんな制度を作ってもそこから漏れてしまう人が出るけど、そういう人をどう救い上げるのか難しい問題だと思う。病気をしても生活や医療費の負担を心配しないでいられるのが理想だけど。医療費が高いからと言って治療をあきらめるのはよくなる可能性をあきらめることになる。また生活のために無理をして仕事を続ける人もいるだろう。わたしはこれまで透析と移植を通していろんな人を見て、いろいろ考えさせられることが多かった。年金制度も今の形がベストということはなく、年月と共にこれからもどんどん変わっていくだろう。出来るだけ多くの人を助けられる制度であってほしい。また少数のこの仕組みから漏れてしまう人たちのこともちゃんと考えて変えていってほしい。誰もが生活の心配をせずに安心して治療を受けられるのが理想だけど。まだまだ実現には程遠いかな?選挙に出る人は耳障りのいいことを並べるけど今回当選した人たち、よろしくおねがいします。
2024.10.29
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近所のMクリニック。以前私が透析をしていたころ一時お世話になっていた。患者きんさんはほとんど透析患者で後は近所の人が風邪とか予防接種のために来るくらい。待たないのがいい。(^^♪電話で予約していたらすぐに終わる。先生、すっかりお爺さんになった。耳も遠いし、発音も不明瞭。移植後インフルエンザの予防注射を受けるのに普段通院していない近所の病院やクリニックで聞いてみたら出来ないと言われて困って、ここに電話したらこころよく引き受けてくれた。大学病院には通っていても患者が大勢だから?インフルエンザは断られた。こういう時かかりつけ医がいないと不便だ。ということで私が勝手に認定(笑)それ以来毎年のインフルエンザ、肺炎球菌もここでしてもらった。インフルエンザはうちの市は無料だし、肺炎球菌も割引があった。コロナは今年から3000円の自己負担があるとのこと。今保健所に電話を掛けて無料になる対象かどうか調べてもらっている。条件に会えば無料になるらしい。先生が気になることを言う。コロナにかからないようにしないと移植した人は免疫抑制剤を飲んでいるからコロナにかかると死ぬという。いやいや、気を付けてねならわかるけど絶対に死ぬみたいなことは言わないでほしい。高齢になればなるほど死亡率が高くなるというグラフを見せられた。わたしは2月にかかったけどと言ったけど聞こえていないようでスルーされた。まあ一度かかって軽かったからと言って二度目にかかればどうなるかはわからないし。きつめの忠告として受け取っておこう。来月、18日にコロナの予約をしてきた。多分ここは空いているだろうと思っていたけど、帰ってみたら別の予定が。18日の午前中の予定2軒ダブルブッキング。母のホームに来る言語聴覚士の方と面談とコロナ予防接種が重なった。仕方ない。夫に車で走ってもらうか?結構離れているから徒歩移動はきつい。来週は空いている日が少ないから変更もしにくい。来月も忙しそう。そして月末は倉敷旅行。楽しみ(^^♪
2024.10.28
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腎移植の会勉強会に行ってきた。移植関係の先生を呼んで講演をしてもらう。以前は毎年やっていたけどコロナで中断。私が入会してからは初めての開催。今回は初めての会場。でも何とか迷わないで行くことができた。駅前の分かりやすい場所だったので。今日の講師は私の主治医。私の誘いで腎移植の会に入会した知人のTさんも来た。役員医療関係者合わせて20名ほどのこじんまりした講演。一つの移植が実現する陰でどれだけ医師やスタッフが動いているのかよくわかった。腎移植カードに死後移植を希望するという方からの腎臓摘出は夜中にスタッフを招集してやることが多い。そして臓器の移動。移植を待つ患者の元へ運ばれる。そういえば私の手術も夜中だった。日常の業務に加えて医療関係者の負担は相当なものだと改めて思った。手術風景の動画や主治医の先生の自己紹介も含む講演はたっぷり2時間。お疲れさまでした。忙しい中講演で見せる資料動画もご自身で作られたらしい。病院勤務のドクターはプライベートが犠牲になっていて最近地元の別病院で若い研修医がうつになり自殺するという事件が報道された。病院に滞在する時間が長くても残業とは認められなくて自己研鑽の時間と言われるブラックな仕事環境ということがよくわかった。知らなかったことを勉強できて有意義な講演だったけど、ドクター達の過酷な労働環境を知ってショックでもあった。この講演会が終わって来月腎移植の会の冊子を印刷発行したら今年の主なイベントはほぼ終了する。冊子にこの講演の内容を一部の役員さんが文字起こしをして冊子に盛り込む。わたしは文字起こしってやったことがないからさっぱりわからない。私など本当に大したお役に立ててない名前だけの役員だけど、他の役員さんたちは本当に大変です。4月に役員になってから、ほぼ見学者みたいに行事の流れを見てきたけど来年度は少しでもお役に立てるように頑張りたい。
2024.10.28
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何年ぶりだろうか?父が元気だったころに一度母と4人で来たことがある。それから父が亡くなってから母と納骨に来たと思う。それも移植する前だから8年くらい前。確か母が永代供養5年で申し込んだと言ってた。5年過ぎたら追加のお金を入れないと最終的には京都のどこかのお寺に合葬されるらしい。母は認知症なのでその辺のところはわからない。迷いながら行ってみたら大きなお寺で納骨堂が4か所もある。確か父の遺骨を納めた時は木の棚にぎっしり遺骨が並んでいた記憶がある。立派な納骨堂に一人ずつまたは一家で収められて扉がついた小さな下駄箱の様な感じで収められていた。納骨堂の表には収められた人々の名前が彫ってあった。多分ここにはないと思う。もう年数が立っているから京都に送られたと思う。それを聞きたかったけどあきらめた。お寺の本堂に行くには急な石段.さっきそこを上がって塔婆を書いてもらい水場で柄杓で水をかけてきた。またあの石段を上る元気がないから石段の下で手を合わせた。どこに遺骨が行っても私の心の中の父を時々思い出して手を合わせたらいいと思って。父は生前ギャンブル三昧で家族をさんざん苦しめてきた。いわゆる毒親だと思う。いろんな毒親エピソードはたくさんあるけど、亡くなって8年。父は弱い人間だったのだなとようやく理解できるようになった。父は晩年は私や娘たちに良くしてくれたけど、私はなかなか父を許すことができなかった。父を許すにはある程度の時間が必要だったと思う。父は亡くなる直前にうちの夫に私のことを頼むと言い残したと後で聞いた。わたしには母のことを頼むと言い残した。頼まれたのに母をホームに入れたことはしばらく私はいつかあちらに逝ったときに父に叱られるのではないかと後悔していた。でも母にとっても私にとっても一番いい選択をしたと思うことにした。父は当時透析をしていた私のことが気がかりだったのだろうと思う。どんな父でも子を思う気持ちに偽りはなかったのだろうと思う。父が亡くなってしばらくして移植の連絡が来た。移植ができたのは父のおかげかもしれない。そう思えるようになった。移植後、父に対するいろんな感情がだんだん薄れて、ただ穏やかな気持ちになることができた。思い切って行って来てよかったと思った。今日は8000歩途中で充電が切れそうになったので電源を落としたけどもっと歩いているかもしれない。結構疲れた。でも余分な感情を置いてきてすがすがしい気持ちになった。また機会を作って行って来よう。お寺というのは生きている人間の心を癒したり慰めたりする役目もあるんだと思った。亡くなってもう会えない人を思う機会も作ってくれる。ありがたい場所だ。
2024.10.26
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今日はランチに行くので今日の夫のお昼のおかず用に昨夜の天ぷらを大目に揚げて冷蔵庫に入れておいた。夫にはご飯も天ぷらもあるからお昼に食べてと言っておいた。でも夫は食べてない"(-""-)"自分のお昼用にお寿司を買ってきた。やっぱりね。そうだろうと思った。昔亡くなった舅が私に残り物でいいから息子にお弁当を入れてやってくれと言ったことがあった。その時姑が「○〇(夫の名前)は残り物なんて食べへん。」その通り。夫は残り物は食べたくない人。さすが姑はよくわかっている。わたしがランチとか出かけていないときはお弁当かお寿司を買ってくる。冷蔵庫に残り物があっても食べない。家にあるものをチンして食べるほうが楽だと思うのにわざわざ出かけて買ってくる。あるいは買い置きのラーメン。特定検診で糖尿病と言われている夫なのでなるべくラーメンは食べてほしくないが、出かけるのが面倒なときはラーメン。まあてんぷらの残りを食べていないのは毎度のことで想定内。チンして今日の夕飯のおかずにしましたよ。残り物を捨てると怒るから再利用(笑)もちろん他のおかずも作ったけど今日はラクチン。そしてこれ見よがしに買ってきたお寿司のレシートをリビングのこたつの上に置いている。わたしはそれを見て黙って捨てる。これは経費には認められません(笑)夫はできればお昼代を回収したいから置いているのだろうけど、私は勝手に買ってきたものは払わない。私は鬼嫁ですから(笑)もういつも通り、想像通りなのでてんぷらを食べてなかった件は追及しなかった。はいはい、残り物や嫌なのね。わかっているけどもったいないから再利用。
2024.10.24
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今日のランチのお相手はOL時代の一年先輩。その頃はよくしてもらいました。一緒にご飯を食べに行ったり旅行に行ったり。もともと私の直接の職場の先輩ではなかったけど、別の先輩を通じて知り合って。結婚するときも式に来ていただきました。その後は子育てで疎遠になっていたのが年賀状だけの付き合いで思い切って電話を掛けたところ、時々ランチするようになりました。今はうちの家の同じ町内の少し南の方にお住まいです。この人はご主人や姑さんとかの愚痴は言わないで私の話を聞いてくれます。多分気の持ちようで愚痴など言わないでもやっていけるのだろうけど、この人もそれなりにいろいろあるのだろうけど、あまり人には言わない出来た人なのでしょう。ときどきお母さんの介護のために実家に行きます。御兄弟も仲良くて協力して介護しているようで、うらやましいと思います。わたしもあんまり愚痴を言わないで明日から頑張ろうと思いました。私は誰に会っても愚痴言いまくりなのでこんなことではいづれランチをしようと言っても誰も一緒に行ってくれなくなるかも。結婚して40年、人間としての私はまだまだだな。人の愚痴を聞けたり、相談相手になれるような人にならないと。帰って来て洗濯物を入れなくちゃと思うと、夫が出かける前に取り入れてくれていました。一瞬パチンコばかりの夫で私はいつも文句たらたらだけど、こういうきのつくいいところもあるんだなと改めて思った。お互い欠点の多い夫婦だけど、文句を言いながらでもなんとかこれからもやっていくのかな?行かないと仕方ない?(笑)というようなことを考えた。ときどき人生や介護について考える。ランチもいいものですね(^^♪
2024.10.24
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今日行ってきたのは三宮の向こうの西宮北口。市民公開講座の「移植という選択」~慢性じん不全の治療選択肢というもの。私西宮北口行ったことないです。今年の目標は方向音痴克服のためどんどん出て行こうということで以前なら遠いからパスと思っていたところへもどんどん行こうと思っています。何人かの知人に聞いて三宮から阪急に乗り換えて西宮北口。特急に乗ればいいから、降り口は南口の本屋さんのある改札と教わって出てきました。迷わないで行けましたが、もし電車が遅れたらと心配して一時間も早くやってきました。記念に?(笑)構内の本屋さんで文庫本を買ってベンチで読書して時間つぶし。今日の講座の内容は移植病院の担当医の講演がお二方。県の移植コーデネーターの方の講演がお二方。そして最後に腎移植には生体腎と献腎移植の二種類があるのだけどそれぞれの経験者の移植の経験談。ちなみに身内の方から腎臓をいただくのが生体腎移植で献腎移植は亡くなられた方が移植の意思がある場合いただけるという意味です。大体は移植者と透析患者の方、医療関係者の方々が出席されていた。わたしは4月に腎移植の会の役員になってまだ一年生のひよっこ役員なので出来るだけイベントには参加したいと思っていて今日思い切って参加しました。役員の方は私のほかは2名。いろんな立場からのいろんな話が聞けてとても有意義でした。わたしが透析を始めた20年以上前にはあまり移植のことは聞かなかった。たまたま私は隣のベッドで透析をされていた腎友会(透析患者の患者会)の役員をされていた方から腎友会の入会申し込み書と腎移植の申込書を渡されて、移植できるチャンスがあるかもだから出しておいた方がいいよと言われて、わからないままに出した。その方のおかげで15年後こうして移植を受けることができた。この方はいわば恩人です。私の周りにも移植を登録している人はあんまり聞かなかった。透析をしていたら障害年金を受け取れるけど移植したらもらえなくなる。生活ができなくなるから登録はしないという人もいた。今回こういう講座を聞いて移植医療が当時より進んで移植をどんどん推し進めようという空気になってきたことを感じた。でも一つ思ったこと、帰りがけにエレベーターで一緒だった男性に聞かれた。男性「透析をしておられるのですか?」私 「移植して年末で7年になります」男性「移植後順調ですか?移植してよかったですか?」私「移植当初はいろいろあって入院もしたけど今は体調も良くて私の場合はよかった」その方は移植登録をするかどうか迷っているようだった。そこでエレベータが一階に着いたからその人と別れた。でも私は移植もすべての人がうまく行って時間に縛られない生活ができるようになるかと言ったらわからないと思った。私の知り合いに移植はしたけど拒否反応がひどくて腎臓を摘出して透析に戻った人もいる。また移植して腎臓がよく働くようになったら、長年しごとしていなかった膀胱(透析を長くしている人はほとんど無尿)が尿を貯められなくて頻尿になる。今日の経験者の方は移植直後は一日50何回トイレに通ったそうだ。これは移植者ほとんどが経験する。そのうち膀胱が大きくなれば改善されるらしいがわたしはまだ頻尿のまま。でも出ないよりは出たほうがいいと開き直っている。そういうリスクはある。今日そういう説明は医療関係者からはなかった。でも私はそういうデメリットも承知したうえで登録してほしいなと思う。私の場合はうまく行った。今日の経験者の話もうまく行っている方の経験談。いくら事前にしっかり検査して、これなら大丈夫と移植に踏み切っても、移植して見ないとわからないこともきっとあるのだろう。わたしは誰かに移植をどう思う?登録したほうがいいかな?と聞かれたら絶対移植したほうががいいよと手放しでは勧められないなと思う。色々考えさせられた講座だった。今日の司会は私の主治医の先生。普段冗談ばかり言っている先生が緊張した顔で司会をするのを見て、こういう顔もあるんだと思った(笑)むしろこっちが本物かも。来週の勉強会ではこの先生が講師をされる。来週も日曜日に出掛ける。来週は神戸市なので少し近い。来週も初めての場所。来週は同じ移植患者さんと一緒に行く約束をしているから心強い。ちなみに彼女もここは初めてだけど。
2024.10.20
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明日西宮北口のなでしこホールというところに行きます。西宮に行くのは初めて。大阪に行くのに通過したことはあるけど降りたことはない。今までの私なら行ったことないし一人で行くのは心細いからやめておこうということが多かった。誰かと一緒でないとといつも金魚の糞。誰かといたら安心。いい年なのに一人で行動できなかった。ところが今年から方向音痴を克服して一人でも出かけられるようにしようと考えるようになった。自由に行きたいところに行けるのは足腰が動くうち。今のうちに行きたいところへどんどん行こうと思うようになった。今年まず手始めに4月に前から行きたかった異人館巡りに行ってみた。もちろん道に迷ったけど何とかなった(笑)パソコンで下調べすることを覚えた。6月、一人有馬温泉一泊旅行をネット予約して、行き方も自分で調べて行ってみた。緊張したけど何とかなった(笑)こういう積み重ねが少しずつ自信になっていった。そして来月は倉敷へ一人で行く。新幹線は使わないで新快速と普通を乗り継いで。来年は新幹線を予約してもっと遠くに行ってみたい。明日は初めて西宮のなでしこホールというところに行く。朝からネットで乗り換えを調べた。電車の時間も調べた。自分の思う時間につくには何時の電車に乗るのか?駅からはどう行ったらいいのか?最寄駅から徒歩一分なら何とかなる(笑)駅に案内もあるだろうし駅から出たら見えるかも。同じく来週は新長田文化センター、ここも初めて神戸市内とはいえ新長田はほとんど行かない。よく行くのは三宮。ここもあんまり一人では行かないなあ。来月はおばの法事で淡路島へ。高速バスの時刻と乗るバスを調べた。以前調べた時はわかりにくい案内だったけど今はネットで調べたらわかりやすい。着きたいバス停の到着予定時刻までわかる。前に一度行ったときは明石からジェノバという高速艇に乗って降りたところまでいとこの奥さんが迎えに来てくれてわかりやすかった。今回は高速舞子から明石大橋を通るバスに乗っていく。何事も慣れだ。今回は法事なのでいとこの奥さんは忙しいから頼れない。でもぜひ来てと言われたので行くことにした。久しぶりにいとこたちと会うのが楽しみ。祖父のお葬式に行ったときにいとこたちにあったのはもう40年近く前。いとこたちもそれぞれ年取っているだろう。顔を見てもわかるかな?その後祖母のお葬式には実家の両親だけが行った。実家の両親が健在だった時に父の車で二度ほど連れて行ってもらった。その時お世話になったおばがおととし亡くなった。おばに最後にあったのはまだ透析をしていたころだから8年か9年くらい前かな?ここは実家の母の実家になる。母にはまだおばの死を伝えていない。認知症なのでおばのことも覚えているかどうか。今回は母の代わりに行くつもり。母の代わりに仏壇とお墓にお参りして来よう。それから26日には父を納骨したお寺へ行く。これも一人で行くのは初めて出来れば母が元気なうちに一緒に行きたかったな。父は結構毒親で、生前その生きざまにはいろいろ思うところがあったけど今ではあちらから私を見守ってくれていると思えるようになった。何か思い悩むことがあれば父の遺影に聞いてみる習慣ができた。この10月、11月の予定をざっと書きだしてみた。12月には7年目の検査入院が控えている。ちょっと早いけど来年はもっといろんなところに行ってもっと楽しい一年にしたいな。
2024.10.19
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長女は39歳、独身で一人暮らし。今日から5日間の予定で韓国旅行だと。うらやましいなあ。好きに出来て。長女はボーナスもないパートで一人暮らしだから始めたころはお金がなくて。現金や食料品を送ったりしていた。保険の効かない歯の治療とかのお金も援助した。だんだんパートながら時給も上がって多少余裕ができたらしい。韓国語を習ったり、旅行に行ったりするようになった。でも多分いざというときの貯金はない。もしもの時は私に頼るつもり?私はまず貯金だと思うけど長女はそうは思わないらしい。私は一人暮らしを経験したことがない。結婚するまでずっと実家にいた。当時は若い女の子の一人暮らし何てあんまり周りにいなかったな。もし不動産屋に行っても借りられなかったかもしれない。結婚前大学生だった弟がこちらに帰ってくるということになった。父はお金もないのにいいかっこをしてこっちに帰って来るなら住むところは用意してやると見栄を張った。そして後で私にアパートの初期費用を出してやれという。しかも借りておきながら親の対面もあるのか、必ず後で返すから弟には言うなという。多分返ってこないだろうなと思ったけど出した。その時に両親に言った。私がお金を出すなら私がこの家を出て一人暮らしをしたいと。弟がこの家に帰って来て私の部屋に住めばいい話だと思った。ところが女の子の一人暮らし何てと猛反対されてできなかった。やっぱりその時のお金は返ってきてない。両親は忘れたふりでスルー後日弟が結婚してその部屋にそのまま住んでいたけど、中古の家を買って出て行くときに敷金は返してもらわなくていいと母が弟に言ったそうだ。私は母にあれは私が出したんだよ、一円も返してもらってないけどと一応訂正した。母はそうやったかなととぼけていた。もっとも私が出したのはこれだけではなかったけどね。そしてずっと一人暮らしは経験しないまま今に至る。長女を見ていて自由でいいなあとうらやましい。友達と会って帰りが遅くなっても何も言う人はいないし、休みに昼まで寝ていても怒られない。そんなに多くない給料でも自分の好きなように使える。私は海外旅行なんて行ったことないし、パスポートも持っていない。長女も長く同じところで働いて徐々に時給も上がって最近はお金がないというSOSも来なくなった。ま、アラフォーだから当たり前。一人暮らししたいと出て行ったのだから援助なしにやっていくのなんて当然だけどね。時々私は長女に言った。うちに帰ったら家賃も光熱費もいらないよ。食費は少しはもらうけどと。長女曰く家賃や光熱費がかかってもこの自由な生活を手放すつもりはないとのこと。家にいたら夫が長女を構う。夜中トイレに行ったときに長女の部屋の電気がついていたらいきなり開けて「早く寝ろ、何時やと思ってる!」とかいう。小学生でないし、女の子なのにいきなり部屋を開けるのはない。寝る時間にまで干渉される。出かけたら帰りが遅いと何度もメールをする。エアコンをつけたら「光熱費もかかっているのに居候が遠慮なく使うな」と暴言を吐く。長女もいい加減嫌になってたとえ生活が大変でも出て行きたいと言って出て行ったわけ。クラス会に行ったら長女と同じように結婚しない息子さん、娘さんが多い。でも一人暮らしをしているというとうらやましがられる。実家頼みでずっといられるよりはましだという。まあひとりぐらしは心配は心配だけど。長女は今後も小銭を貯めて韓国旅行を楽しむつもりらしい。楽しみを持つな、旅行などしないで節約しろとまではいわないけど、貯金もろくになくてパートだからボーナスも退職金もない。先々どうするつもりなんだろう?と心配になる。結婚も必ずしもしないととは思わないけど、このままずっと一人というのも寂しいだろうと思う。もういい大人だから生き方考え方が親と違っていても何も言わないつもりだけど。自由な長女の生き方がうらやましいと思う反面、危なっかしいとも思う。
2024.10.16
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水をやりたがる男、それは夫のこと。夫、うちの小さな庭に色んな花とか野菜を植えて自分で水やりをしている。真夏の暑かった時朝晩二回やったほうがいいらしいよと言っても一回しかやらず枯れることも多かった。でも私のせいで枯れたなんて言われたらいやだから私は手を出さないことにしている。うちに次女と孫ちゃんが同居していたころ。孫ちゃんが小学校の低学年で夏休みの宿題で一学期に植えた朝顔に毎日水をやって観察日記を書く宿題が出た。孫ちゃんが鉢を持って帰って来て宿題をやろうとしたらいつも夫が勝手に水やりをしてしまう。私は夫に言った。孫ちゃんの夏休みの宿題だから孫ちゃんにやらせて。朝顔の水やりをしないで。何度言ってもついでだからと言って他のと一緒に水やりをしてしまう。私も最後に怒って何度言ってもやめてということをやめないのは嫌がらせだよと言った。夫は逆切れして人の親切を嫌がらせとか言うなと怒る。でも断っても断ってもやめないのはやっぱり嫌がらせ。相手の気持ちに沿わないことをしているのは迷惑でしかない。先日もらってきた私の秋麗もさっそく勝手に水やりをしてしまった。私は場所を移動して絶対に勝手に水やりをしないでと夫に言った。これは夏の間コミニテイセンターの人が面倒を見ていたのだけど、あの酷暑だった夏の間一度も水やりをしなかったくらい水やりが必要ない植物らしい。むしろやり過ぎたらよくないらしい。だから水やりは一か月とか二か月に一度くらいでいいようなので夫に厳しく言っておかないと。夫、すぐに忘れてやろうとするかも。夫は水をやりたがる男であり、人の言うことを聞かない男でもあるから。やるときも少しでいいからスプーンかスポイトで数摘でいいだろう。これから寒くなると休眠期に入り、春になると活動期に入るらしい。頼むから邪魔しないでくれ。私の秋麗ちゃんに触るな(笑)
2024.10.14
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久しぶりに夫と回転ずしへ行った。いつぶりだろう?夫は今年初めてというけどもう10月だからそんなことはないだろう。半年くらいは空いているかな?夫は入り口の受付機でもう困ってる。一人で行ったときもあるのにどうしていたんだろう?席に着くと注文の機械が変わっていて夫、プチパニック。今回はカウンター席にしたから私は私の分を注文した。夫機械の操作がわからなくてあたふた。画面下に注文したいものの分類ボタンがある。にぎりとか巻物とかを押したらその分類の商品が出てくる。画面を見てここにはないなと思ったら次へのボタンを押す。そんなに難しくないはずだけど。夫に教えながら私は自分の注文したのを食べる。私はあまりお腹が強くないから生ものは頼まない。火の通った物を頼む。すし屋で生ものを頼まないって変わっているかも。夫はにぎりを主に頼んだ。いつも頼む赤だしを頼めてないから、ここを押すと教えてあげた。なんとかランチ終了。最後の会計も伝票をスキャンして機械精算。ところが私たちの伝票はエラーになる。これは私もお手上げなので店員さんを呼んだ。籍で最後に会計ボタンを押す際に会計を見ると会計をすると二つあったのを会計を見るしか押してなくて会計ボタンを押してなかったのが原因らしい。ようやく終了。どんどん世の中が変わって何もかも機械で夫とかそれ以上の年代の人には厳しい。夫、前の方がよかったとぽつり。店員のお姉さんとも話せないし(笑)コロナのせいもあってどこも対面の接客でなく機械で自分で清算する店が増えた。慣れるしかないね。それとも回らないお寿司屋さんに行く?わが家では回転ずしは夫のおごりと決まっている。回らないお寿司屋さんには行ったことがない。夫苦笑い。機械に困ってもやっぱり回転するほうがいいらしい(笑)
2024.10.12
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私は方向音痴なので(笑)倉敷駅前のホテルを取りました。駅から徒歩3分です。ついたらホテルを確認して大きい荷物を預かってもらおうと思います。身軽に観光したいし。予算通り朝夕食付で秋懐石付プラン 14800円交通費は新快速と普通を乗り継いて5000円弱。昼食二回とお小遣いを入れても3万〜4万で行けそうです。お風呂は地下大浴場があるそうです。温泉ではないけどまあいいです。ネットで見たら倉敷観光の丁寧な美観地区に行くルート解説、写真入りであったので一応コピー。第二回一人旅、倉敷編11月25日、26日決定しました!
2024.10.06
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私は義実家にいる義姉と疎遠にしていて月命日にも行かない。夫だけ行ってもらっている。私が行かないとをどう思っているのかわからない、今のところ夫も何も言わないし何も聞いてこない。何か言っていたら夫のことだから黙っていられないと思う。最後に行ったのは義両親が亡くなった後のお正月。義両親が元気だったころは親せきも集まってにぎやかに宴会をしていたお正月。義姉一人になってさぞ寂しいだろうと私は仏心を出して夫に義実家に行ってみようよと言ってみた。ふたりで義実家に行ったら義姉が言ったことは忘れられない。「何しに来たん?今日なんて来てもなにもないで」まるで私たちが以前のお正月の宴会みたいにごちそう目当てに来たような言い方。私は驚いて何も言えなかった。私たちをそういう風な人間と思っていたのか?ごちそうなどなくてもよく来てくれたと歓迎の気持ちを表してくれたらまた行こうと思ったかもしれない。義姉は寂しくはないのか?どうしてそういう風にしか人の気持ちを取れないのだろう?二度と義実家には行くまいと思った。たとえ一人で寂しくなっても私の顔など見たくなかったのだ。それほど私を嫌っているのだと思った。もともと義姉はこんなことを言ったら相手がどう思うかを考えないで何でも言う人。それはわかっていたけど、一人になって寂しいんじゃないかなと思った私がばかだった。たとえ寂しくても私たちにそんな心の中を見せるひとじゃない。それならそれで疎遠のままで今後も行こうと思った。っていうかそこまで私を拒否する人とどう付き合って行けばいいのか私は方法が見つからない。それなら無理に方法を探したりしないでそっとしておこう。寂しい生き方だとしても本人の意思だろうと思うから。
2024.10.05
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お盆に二年ぶりに会った友達にどこかに一泊で行かないとメールした。6月に一人で有馬温泉に行ったけどやっぱり一人ではご飯を食べても寂しい。でもなかなか一泊に付き合ってくれる友達はいない。みんなそれぞれ忙しい。たまにランチに行くのがせいぜい。私も忙しい。でも忙しいというのは口実だと思う会いたいと思うなら何とか時間を作るはず。私ならそう思う。忙しいと言って会いたいねというのを社交辞令にしてしまうのは結局相手と私の温度差なんだろうな。年賀状にまた会おうねとか書いて会ったり、メールの時にまたランチ行こうねとか言っても実現しない相手は結局それほど私と会いたいという気持ちがないのだろうと思う。彼女は長年勤めた会社を定年退職した後、暇ができたかなと思ったら地域の民生委員になって忙しいという。でも年中365日忙しいわけでもないだろう。そこで思い切ってメールしてみた。以前には有馬温泉とか一緒に行ったことがある。彼女から返事が来た。今月はもう無理、来月は中旬に孫たちとデイズニ―に行くので下旬ぐらいなら何とか行けそうという返事が来た。私が日にちを決めて言いそうだけど有馬以外でと言われた。私は彼女が本当に行く気があるのか、このメールをどうとったらいいのかしばらく考えた。そこで一案として倉敷岡山方面を提案してみた。隣りの県だし新快速と普通を乗り継げば交通費も安い。宿もトリバゴで調べてみたら一泊二食付き2万まで、食事なしなら一万以下である。交通費往復5000円として宿を二万までとしたら後昼食やお小遣いで一万として3万くらいで行けるかなと思って。もちろんこれは一案なので彼女が他に行きたいところがあるならそれも調べてみるつもり。この間パソコンで先生に教わったCopilotでチャットしながら行きたいところまでの行き方や運賃所要時間などを調べられる。具体的に目的地に何時につくには最寄り駅何時ごろの電車に乗ればいいか迄教えてくれる。時刻表や地図も出てくる。頼もしい。もし彼女が行ったことがあるしとかあんまり気の進まない反応ならもう引っ込めるかな。行く気があまりなさそうなのに無理に誘うわけにもいかないしね。幼馴染で長い付き合いだけどどう思っているのかよくわからない。何で倉敷かというと以前実家の両親と弟一家と行ったとき倉敷美観地区でいろいろ見たかったのに、次女がおなかが空いたとごねてゆっくり見られなかった。一度時間をかけてゆっくり見たかったと思っていたので。10月11月の紅葉の時期は京都や奈良も調べたけど宿が高い。思い切って西もいいかなと思って選んでみた。本当は二三日の旅行、一週間の旅行にも行きたいのだけど体力もないしなあ。一緒に付き合ってくれる人もいないし。夫は暇はあっても旅行なんて疲れるだけ、行くなら日帰りでというような人。まあ出かけなくてもパチンコさえできたらいいんだろうね。新婚旅行でも宿に着いたらパチンコ屋がどこにあるか聞いていたくらい。もちろん行きましたよ。新婚旅行でパチンコに行ったなんて言う人聞いたことがない。だから無理に一緒に行ってもパチンコに行ってばかりだと気分が悪いから誘わない。行きたくもないパチンコに付き合わされるのも嫌だしね。っていうか夫は私のストレス源なので一緒にいないほうがストレスがたまらなくていいかも(笑)今回声をかけた友達は嫌ならいやだとはっきり断れる子だと思う。もし彼女が行かないなら私の一人旅第二弾として倉敷岡山行ってこようと思う。隣りの県くらいなら何とかなるだろう。果たして岡山倉敷旅行実現するかな?
2024.10.04
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夜半そでのパジャマで寝ていたら朝方寒くなって目が覚めた。そろそろ長袖、合い物のパジャマに替えないと風邪ひきそう。普段家で着ている半そでのTシャツを半分だけしまった。まだ昼間が暑い日もあるだろうから半そでに上着を着てしばらく行こうかな。夫、まだ夏が続いている。昼は半そで、夜はパジャマを着ないのでランニング。買い物に行ったらアイスとアイスコーヒーを買う。アイスコーヒーはもう買わなくていいんじゃない?と夫に言ったけど僕が飲むと言い張る。夫は普段着る半そでをリビングのカーテンレールに掛けているけどまだ長袖は出さないつもりらしい。わが家では衣替えは夫の分は夫任せ。着ない服もあるから断捨離してほしいけど面倒なのかやらない。実は昔着ていた服で何年も着ていない服はこっそり処分した。たぶん気づいてない(笑)あれ、着たいけどどこにある?とは多分聞かれない。持っていたことすら忘れているかも(笑)夫曰く11月まで夏は続くという(笑)そんなことはないだろう。もう夏はほぼ終わってる。夫のいい加減な天気予報。多分10月も後半になると夜は冷え込むようになると私は思う。夫はいよいよ寒くなるまで半そでで通すようだ。そういえば毎年寒がりの私がストーブを出してというとまだ早いと夫が言ってもめる。もめるっていうか私の気持ちは無視される。夫は自分が寒いと思わないとストーブも出さないし、灯油も買ってこない。リビングにストーブを出してくれないなら私は自分の部屋のエアコンをつけて籠城するまでだ。今朝も私がリビングの戸を閉めたら暑いから開けとけという。いや私は閉めたい。今朝は20度くらいだったかな?少しひんやりしていた。昼間はまだ30度くらいになるから朝と昼の温暖差でやられて体調を崩す人が増えるらしい。というわけで我が家では私の衣替えだけ進行中。
2024.10.03
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実は夫に内緒で生命保険に入っている。10年満期で私が亡くなったときの受取人は長女。受取人は夫ではない。なぜかというと夫は義両親の遺産をもらってもパチンコで使っているような人間なので夫には渡したくないから。夫を受取人にしたら、私が先に逝った場合夫が受け取って同じようにパチンコで使ってしまうのは確実なので夫の手には渡らないように考えた。だから保険に入ったことも秘密にしている。その保険会社からマイナンバーの提供を言われた。私たち夫婦はまだマイナンバーカードを作ってない。出来れば代わりの資格証明書をもらってこのまま作らなくて済むならそうしたいと思っている。高齢者には結構そういう人も多いと聞いているし。マイナンバーカードを作ってない場合は住民票にマイナンバーカードの番号が載っているのでその住民票のコピーを求められた。午前中夫にはウオーキングと言って住民票を取りに行った。市役所の支所が駅の東側にある。夫に内緒なので歩いて行った。そして夫が午後出かけてから近所のコンビニでコピーを取った。うちのプリンターにはコピー機能がついてないのでもっぱらコピーは近くのコンビニでやっている。それを申告書に貼り付けてついて来た封筒に入れた。後は投函するだけ。コンビニ内にもポストはあるけど今日はもう出歩きたくない。明日でもポストに投函しよう。この件最初から最後まで夫には内緒。私は秘密は守れる女(笑)夫のようにいくら口止めしても義実家でしゃべってしまうような口の軽い人間じゃない。夫婦の間で秘密があったり信用できないというのは悲しいけど、私が先に逝った場合を考えて一種の自己防衛だと思っている。出来れば夫より長生きしたいと思う。こればっかりはどっちが先に逝くかわからないけど。まあお互い40年も一緒にいたら夫にも多分私に言ってないことの一つや二つはありそうだし、キツネとタヌキの化かしあい。でも笑えないけど"(-""-)"
2024.10.02
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今日は次女親子とランチ。お婿さんはお仕事なので次女と孫たちと一緒。家から少し離れた喫茶店でランチしました。色々話して楽しかった。最後に次女が支払いをするという。この前私のお誕生日だったからと。正直次女がごちそうしてくれるのはほとんど記憶がない(笑)でもありがたくごちそうになった。シングルマザーで生活が大変だった次女が運よくよい再婚相手に恵まれて精神的にも経済的にもゆとりができたということだと思ってうれしかった。孫1ちゃんにもおばあちゃんには長生きしてもらわないとと言われてうれしかった。次女親子がうちに一緒に住んでいたころは孫ちゃんの幼稚園のお迎えから遊び相手、一緒にお風呂に入って寝かしつけ迄やっていた。絵本も読んであげた。自分の子育て時代はそんな風に手をかけていなかったからそれはそれで楽しい日々だった。いつも大泣きする孫2ちゃんも今日は少し笑ってくれた。でも多分この次会ったら覚えてなくてまた泣くかも。泣いても知らない顔,あんまり見ない顔という認識はあるということだから気にはしていない。いい気分でまた歩いて帰ってきた。今日は8070歩。帰ってきたら少し疲れて居眠り。年齢を感じるけど、百歳目指して頑張ろう。寝たきりじゃない百歳を目指して。自分のことは自分でできるように頑張っていこう。
2024.09.29
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今日は腎移植の会の親睦会人生初バーベキュー。私は生まれてから一度もバーベキューをしたことがない。キャンプもしたことないので屋外でバーベキューは初めて。鉄板焼きの様なものを想像していたらバーベキュー用のコンロ?は大きかった。ボール状のコンロの底の端に炭をすでにおこして会ってそこが強火、少し離れたところが中火,炭のない反対側が弱火となっていてその上に網を置いて焼く。下味の付いたお肉や野菜などもすでに用意されていて手ぶらで行ける。明石大橋の見える海の近くのロケーション、涼しい風が吹き渡り今日はカンカン照りではなくて絶好のバーベキュー日和。会費は3000円。飲み物やおにぎりは各自持参。後の道具はすべて貸し出し。バーベキューを何度も経験しているようなお方がいて軍手エプロン持参で「私が焼くわ」と言われるのでお任せした。焼く係は暑いし煙たいし、大変です。私は食べる人に徹することにしました(笑)肉は鶏ももと骨付き牛肉、魚は鮭。レモンとソースの入ったアルミのケースに入っていてそのまま網に乗せて焼く。おいしかった。後はキノコ、レンコン(焼いたら意外においしい)南京。赤いパプリカ・サツマイモにマシュマロを挟んで焼いたのは初めて食べました。キャンプめしでマシュマロを焼いて食べるのは聞いたことがあるけど。全員腎臓移植者とそのご家族。ご夫婦で参加の人もいたな。全国移植者スポーツ大会に出たという人もいて、びっくりした。移植して海外旅行に行ったという人の写真も見せてもらった。皆さんおしゃべりでとても元気。移植して人生をエンジョイ中。見習わないと。せっかくいただいた腎臓を大事に楽しい人生を送らないと。何度も腎移植の会のイベントには参加しているけど今日はみたことのない方がお二人いて早速いろいろお話を聞けた。たくさん元気をもらえたので、いつまでもお元気でまたお会いしたいです(^^♪
2024.09.28
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昨日つぶやきに弟のことを書いた。母は弟を跡取りということで溺愛してきた。子供のころか扱いが違うなとはわかっていた。跡取りというほどの家では全くない。貧乏な家でそういうことをやれば愛されないほうは割を食う。そして年取って寝たきりになったらら弟の家で見てもらうと言っていた。でも弟とそんな話はしたことがないし、弟の嫁ともうまく行っていないのにどうしてそう言い切れるのか不思議だった。弟ははっきり言って母を利用するだけで先々の面倒を見るつもりがないのは私にはよくわかっていた。私が面倒を主に看てきたけど、私の体調や母の認知症の進み具合でケアマネさんの勧めもあって施設に入ることになった。弟はそれなら自分が引き取るとは言わなかった。むしろ自分がお金を出さなくていいならそれがいいと賛成した。弟は母に溺愛されながら、同じような気持ちで母を愛していなかったと思う。弟は常に自分だけ良ければいい、自分が一番という人間だから。複数の子供がいて特別に親に大事にされる子とそうでない子は残念ながらよく聞く話。昔から長男を跡取りだからと特別扱いにしていたのはよくある話。母も3姉妹の次女だったけど長女であるおばは早くから婿を取ってお前が後を継ぐと言われていて、祖母の愛情に差があるのは感じていたらしい・私には娘二人がいる。育てているとき同じように育てようと思って、下の子にお下がりばかり着せるということがないよう、新しい服を買うときは同じように買った。同じように育ててきたつもりだけど、長女は次女の方を優遇していたとこぼす。次女の方はどう思っているのか聞いたことはないけど。親の気持ちとしては差をつけているつもりは全くなくても知らず知らず我慢させていることに気が付かなかった。わが家では長女も次女も1月生まれ。次女の誕生日の方が先にある。それでひと月に二度もホールを買うのが経済的に大変だったから次女の時にホールを買ってそれでまとめてお祝いしたつもりだった。もちろんプレゼントはちゃんと二人ずつやったけど、長女は自分のためのケーキがなかったと今でも言う。次女がはやくに結婚して家に長女だけになったとき私に自分だけのためにホールを買ってという。そんなに気にしていたのかと改めて気が付いた。たかがケーキ、されどケーキ。子供心に妹と一緒では納得できなかったのだろう。そして長女が一人暮らしを始めるまで何年か長女だけのためのケーキを買った。今は別に住んでいるからケーキは買わない。でも誕生日近くなると欲しいもののおねだりがある。ラジカセだったり、一度は洗濯機だった。プレゼントも高額になってきた(笑)次女は結婚しているし、孫ちゃんにいろいろ買ってあげているから特に誕生プレゼントはしていない。これも不公平なのかな?次女がシングルマザーだった時にはいろいろと援助したから、金額のトータル的には次女の方が多いと思う。どちらに出したときももう一方にはいちいち言わない。結論、複数の子供を平等に愛するのは難しい。そんなつもりはなくても差がついている、損をしていると一人が思っているかもしれない。そう思わせないように気を使う母の愛だ。理解してくれているかどうかはわからないけど。
2024.09.26
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今日は特に何も予定がないので夫と買い出しに行く予定だった。夫は朝のうちにウオーキングに行くというのでそれが終わって一休みしてから11時から行くことになった。私が部屋で用意をしていたら、ピンポンが鳴った。私は私の部屋の子機で「どちら様ですか」と二度聞いたけど相手は無言。うちはよくピン逃げされるからいたずらかなと思って切った。すると夫が二階に来たので「誰だった?」と聞いたら「僕や」という返事。「車の中で待っていたのになかなか来ないからピンポンした」という。いやまだ11時にはなってない。夫は自分の用意ができたから車に行って待っていたらしい。そんなン知らんがな"(-""-)"外からピンポンしたら夫とは思わない。内線電話なら夫しかいないから夫とすぐにわかるけど。家の中にいると思っている夫が家の外からピンポンするなんて思わない、想定外。夫は車で待っていると私に言ったというけど、私は聞いた覚えがない。言ったか言わなかったか、私が聞いてなかっただけなのかそれはわからない。何でピンポンして無言なんだ。そこで早く用意してとか何か言えばいいのに。すると夫は言う。僕が待っているんだから僕に決まっているだろうという。いやそんな風には思わない。自分の思い込みが絶対に正しいと思うな。いったん車から降りてピンポンするなら家に入って呼びに来てくれたらいいしピンポンしたなら早くしてと言えばいい話。夫の言い分はよくわからない。自分は悪くないと思っているらしい。まあそんなことにいちいち怒っても仕方ないけど、夫の考えることや言い分はよくわからないことが多い。夫は僕とお前はツーカーというけど、全然ツーカーじゃないし"(-""-)"そう思ってるの夫だけだろう。結婚40年になるけど夫はいまだによくわからない。お互いに日本語しか喋らないのに通じない。夫はどこから来たんだろう?もしかしたら地球外生命体なのかも。道理で理解できないわけだ。と妙に納得する結論"(-""-)"
2024.09.25
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昨日夫は月命日で義実家に行った。私は夫が何でも義実家でしゃべってくるのが嫌。私が口止めしてこれは言わないでと言ったことも今までずっとしゃべってきた。私は今までいろんなことを亡くなった義父母や義姉に言われてきたから、こういったらこういわれるだろうなということは大体想像がつく。だったらわざわざ言われそうなことを耳に入れることはないと思っている。夫は何も考えないでしゃべる。家族だからなんで隠す必要がある?とまで言う。いや家族じゃない。親族、親せき。だから何でもしゃべる必要はないと私は思う。昨日帰ってきた夫に聞いた。「この前あんたが糖尿病って言われたって話した?夫は「いや話してない。なんで言わなあかんの?」という返事。自分が何か言われそうなことは言わないんだ。私が口止めしたことは平気でしゃべって来るのに。夫が糖尿病って言われたと義実家でしゃべってきたら、私にも火の粉が飛んでくるだろう・私が食事を考えて作ってないからとか多分言われる。私は糖尿病とか言われたことはないし、血糖値はいつも二けただ。同じものを食べているのに夫は糖尿病と診断されたのは夫の間食や晩酌のせいだと思う。もし今後私に責任があるようなことを義姉が言ってきたらそういうつもり。最近はほとんど私に直接連絡はない。月命日の件でたまに電話がかかってきたときほぼ夫はパチンコでいないことが多いから代りに電話を聞くくらい。言いたい放題言われていて、何でも言い返さないのはストレスがたまる。今後は何か言われたらどんどん言い返していこうと思う。気づくのが遅すぎた(笑)夫が義実家でしゃべっていることを自分に何か言われそうなことは言わないようにしゃべる内容を選択していることに気が付いてちょっともやもやしている。私が何と言われても平気だけど自分は言われたくないという夫の心の中が透けて見えた気がした。嫁姑関係、嫁と小姑の関係は夫が間に立ってうまくやらないと嫁が苦労する。夫は義実家で私が悪く言われていても私を援護することはないし、黙って聞いているだけ。そしてせめてそれを自分の胸に収めてくれたらいいものを、わざわざ私に報告する。先日も亡くなった舅が私のことを「あんなんしかいなかったのか」と言っていたと笑って言う。いや笑い話じゃないし。それにその話もすでに何度も聞いているし。夫は自分の嫁がそんな風に言われていても平気らしい。私がそんな話を聞きたくないだろうから言わないでおこうという配慮もない。結局言いたい放題思ったことを口にする義姉も夫も同類の人間だと思う。思ったことをそのまま口に出すのは子供と一緒。子供より始末が悪いかもしれない。私はいい大人なのだから考えてしゃべろうと思う。。二人を反面教師にして。と今日も、結局夫の悪口、お耳汚しでした(^^♪
2024.09.22
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誕生日に自分のこれからを考えてみた。色々な病気をして長生きはできないと思っていた私が腎臓移植を受けることができて今は元気にやりたいことをやれている。どなたか名前の分からない方の腎臓をいただけたからと思って感謝している。ずっとこんな日が続けばと思っているけど体はどんどん老化している。私のこの先が何年あるのか、百まで行けるのかはわからない。足腰健康でないとどこにでも行けない。高齢者大学とヨガと体操とパソコン、そのほか地元のコミュニテイセンターでのいろんなイベントに参加して、そして4月からは腎移植の会の役員。結構忙しくカレンダーが埋まっている。旅行とかにもどんどん行きたい思いはあるけどなかなか行ける時がない。自分の健康寿命のあるうちにあれもこれもやりたい。やりたいことをやり切ってもう思い残すことがないと言って逝くのが理想。人の寿命がどこで尽きるのかは誰にもわからない。毎日を後悔のないようにする。一日一日を大事にする。いうのは簡単だけどなかなかそうはいかない。突発的な用事ができたり、あれとこれとと思ってもやり残したり。この先のことを考えたら眠れなくなる。考えても仕方ないことをついつい考えてしまう。あと数年のうちにホームにいる母は亡くなると思う。弟と母を見送って相続の話。弟とは長年疎遠。多分相続が終わればまた元の疎遠に戻るだろう。困ったときにだけ連絡の来る弟とはなるべくこの先も付き合いたくない。たった一人の兄弟だけどあまり関わりたくない。そして今疎遠にして夫の姉とはずっと会っていない。義姉が先に逝くのか、それとも夫かわからないけどもしも夫が先に逝ったらそのあとは義姉と完全に縁を切りたいと思う。理由は詳しくはかけないけど長年積もり積もったものがあり、そのあとも付き合う気にはなれない。義理の親とか兄弟とは夫の死後縁を切るための「姻戚関係終了届」というのがあるらしい。それを出すつもり、そうしたら義姉の介護とかいろんな問題が後々出てきても関わらずに済む。もしも夫が義姉より先に逝った場合。義姉はどこにでも口をはさみたくて自分の思うように物事を運びたい人。葬儀や相続に口をはさんでくると思う。夫が先なら厄介。葬儀や相続に口をはさんできそう。私が多分喪主になるだろうけどどちらが喪主かわからないくらい口をはさんでくるだろう。こう言ってきたらこう返すとシュミレーションしだしたら眠れなくなる。義父母が亡くなったとき義姉は夫や私に相談なく葬儀の場所や頼むお寺を決めた。お寺さんは車があるから遠くても来てくれるけど、こちらがお寺に出向くのに夫が免許を返上したらどうやって行くの?見たいな場所にある。私はもしも夫が先に逝ったら私の実家がお願いしていたご町内のお寺に頼むつもり。幸い婚家と実家は同じ宗旨だし。どこで葬儀をあげるかも口をはさんでくるだろう。義姉はコロナ禍でも平気で葬儀や法事の後で食事を頼んだり、お通夜の晩には泊まりたい人を泊める手配をした。私はコロナの時に会食とか大勢で泊まりとかは行きたくなかったのでパスした。3周忌が終わった後も毎月義姉はもう一人の義姉と夫を呼んで月命日をやっている。もちろん私は付き合わない。夫もいつまでやるんだろう?などと言っているけど義姉には何も言えない。義姉には子供もいなくて義姉がお墓参りに行けなくなれば代わりにお墓を見る人がいない。義姉はいづれ墓じまいをするとは言っているかなかなかやらないからあとのことを考えたら不安。うちの娘たちに降りかかってこないか心配。義実家も戦前に建った古家で義姉が今一人で住んでいるけどその後はどうするのかまだ決まってない。早く決めておかないと義姉が亡くなってしまったら、ややこしいことになりそう。義実家関係は私がやきもきしても私には何の発言権もないしうっかり口を出したら何と言われるかわからないのでとりあえず静観。実家関係も今後どうなっていくのかわからない。とりあえず今母は今すぐどうこう言うことはない様子なのでまだ決められない。母が亡くなる→母のお葬式をして相続が始まる。→弟もあちらこちら悪いのでもしかしたら母より先に逝くかも。そうなると母の遺産の相続をするのは私と弟から私と弟の子、甥っ子になる。甥っ子の連絡先はわからない。そうなると弁護士さんにでも頼んで探してもらわないといけなくなるかも。個人的に市役所に行っても甥っ子の転居先を教えてくれるとは思えない。今は家族でも一緒に住んでいないと住民票も取れないと聞いた。甥っ子の現住所は弟の元嫁が知っている。元嫁の住所はわかっているけど以前母に甥っ子を会わせたいと思って甥っ子の連絡先を聞こうとしたら拒否された。あれやこれや、先々のことを考えると頭が痛い。考えても仕方ないからその時に考えることにして夫のように「なるようになる」と思えたら楽だろうけど。時々寝る前に考え出すと眠れなくなる。まだ起こっていないことをあれこれ想像して考えてもその通りになるとは限らないし、別の予想外の展開になるかもしれない。とりあえず私は長生きしてこれらのことを処理してから、娘たちに負担が行かないようにしてから逝きたい。それまで認知症にならないでこれらの処理ができるだろうか?次つぎに湧き上がる問題。というか私が勝手に問題を作っているのかもしれないけど。親族とか親せきとか時には厄介な人もいるし、対処が難しい問題もある。相続が争族になり、その後付き合わないとなったりもする。どこの家でも言わないだけで多少いろいろあるのかもしれないが。考えれば考えるほどこんがらがる。解決の糸口がないような気がしてくる。凹み"(-""-)"
2024.09.21
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今30代で結婚していない男女が多いそうだ。仕事に夢中になっていたら結婚とか付き合うとかのチャンスがなかったという人もいるだろう。昔みたいに頼まれてもいないのに仲人をやりたがって縁談を持ってくる人も少ない。あっという間に20代が過ぎて30代突入。私たちが20代のころは24歳が結婚適齢期でそこを過ぎたら行き遅れだとか売れ残りのクリスマスケーキなどとひどいことも言われた。今結婚適齢期いうより平均的に結婚年齢が男女ともに遅い傾向。うちの長女、39歳独身。来年一月の誕生日が来たら40歳。以前40歳までには結婚すると宣言していたけどあと4か月余り。今候補者がいないなら40歳で結婚するのは無理っぽい。親バカだけど39歳には見えない童顔。そこそこの顔立ちと思うけどなかなか出会いはない。今まで付き合った人もいるにはいる。でも誰でもいいわけではないのでなかなか難しい。付き合った人の中には家に結婚前提と言ってあいさつに来た人もいる。ところがこの人は結婚したいと言いながら行動が伴わない。仕事はすぐにやめるわ、貯金はできないわで全然結婚話が前に進まない。何度目かの失業の後、長女が切れてお別れした。その後私が会ったことのない彼氏さんもいたけど、彼は親の言いなり。病気になって仕事を辞めたら無理やり実家に連れて帰られた。親に付き合っている人がいると打ち明けたけど、会ってみるとも言わない、認められないと言われて撃沈。それでも長女はしばらく連絡が来るのではないかと少し期待していたけどついに連絡はなく自然消滅。彼は長女より親を選んだのだろう。まあ仕事が続かない人や結婚に際して親の言いなりな人とは結婚は考えたほうがいいいけど私は付き合っているときには何も言わなかった。一応大人だし結婚するかしないか、自分で決めた方が後悔が少ないのではないかと思って。夫は長女はもうすぐ40歳になるのに一体何を考えているんだ。結婚する気があるのかなどと言っているがもちろん本人には何も言えない。私はもうここまで来たら結婚してもしなくても長女が後悔しない人生を歩んでくれればいいかと思っている。好きになってもそれだけで結婚に飛び込んでいけない何かがあるなら立ち止まる勇気も必要だと思うし。長女は気を使わない友達みたいな相手と結婚したいという。共働き、家事、生活費折半。子供は作らないという条件に会う人はなかなか見つからないようだ。その上姑と同居は考えられないそうだ。そういうのを全部クリアする人は今後現れないかもしれない。全部クリアしなくて長女が納得してこの人となら結婚したい、苦労してもいいからと言えるお相手ならそれもいい。結婚は修行だという人がいた。確かに我慢することやしんどいことも多々ある。正直私の結婚には後悔したこともあったけど、私は結婚したから娘たちに会うことができた。子どもはいらない、作らないと初めから決めている人もいるけど、確かに子育ての時はしんどいこともあったけど、子供がいて喜びや悩みやいろんな人生を体験できた。喜びや悲しみやいろんな体験をしてこそ人生だと思う。うちの夫もいろいろ問題ありだけど、もっと大変な旦那さんに苦労している人も世の中にたくさんいるだろう。離婚するのも人生、離婚しないで最後まで添い遂げるのも人生。結婚もまた一度は結婚したほうがいいと思うけど、長女はどう思っているのだろう。やいのやいのとせっつかないで温かく見守ろうと思っている。結婚してもしなくても私の大事な娘。幸せな人生を歩んで行ってほしい(^^♪
2024.09.18
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家で食べきれないようなものをもらったらお裾分け。別に普通の習慣だと思うけど夫、お裾分けしたがらない。全部ひとり占め(笑)あるところから野菜ジュースの詰め合わせをいただいた。うちはふたりだからこんなに飲めない。私は野菜ジュース好きでないし。次女のところへ一部持っていこうかと言ったら夫が渋い顔。挙句に何でもかんでも次女のところへ持っていくな!ですって。可愛い娘や孫におすそ分けも首を縦に振らない。だったら義実家へもって行ったらと提案した。義実家なら持っていく気はあるらしい。以前亡くなった舅が畑をやっていたとき食べきれない量の野菜をもらうことが度々あった。当時は4人家族だったけど大根3本とか丸ごと白菜2個とか食べきれない。毎日大根や白菜ばかり食べていられない。それで近所におすそ分けしようとしたら夫が全部家で食べろという。いや無理だろう。食べきれないで腐らせたら怒る。だから腐る前にこっそりお裾分け。せっかくの野菜をおいしいうちにおすそ分けして食べてもらうのがどうしてだめなのかまったく理解不能。たとえ相手が舅の知らないご近所さんでもおいしく食べてもらえたらそれで舅も怒らないと思うのに。あの野菜ジュースも義実家に持って行かせよう。それにしてもかわいい娘や孫にジュースを飲んで喜んでもらおうという気はないらしい。けちけちしていて賞味期限切れになったら、私が夫に飲んだら?と出してこないのが悪いと言って私のせいになる。なんでも悪いことは私のせいか?とたまに開き直りたくなる。
2024.09.18
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友達とランチして来ました。久しぶり。7月に娘さんに孫ちゃんが生まれて里帰りしてきたから7月8月はずっと仕事以外は家に引きこもっていたそうです。そして久しぶりのランチ、大いに盛り上がりました。最近の出産、育児事情。私たちが出産したころとは大違いでびっくりすることばかり。4日がかりの難産だったとか。娘ちゃんお疲れさまでした。出産後の沐浴はベビーバスでなくてシャワーを掛けるんだそうです。発泡スチロールの様なシャワー台、赤ちゃんの人型にくりぬかれていてそこに赤ちゃんを置いてシャワーで体を洗うんだそうです。最初は顔にシャワーがかかったら泣いていても慣れてくるそうです。赤ちゃんの人型のお尻の部分にお湯を貯めてそこに赤ちゃんをつけたら羊水を思い出して安心するのかお風呂大好きになったとか。裸にしたらお風呂だと気が付いてて足をバタバタさせて大喜びするとか。そして初めての予防注射でも診察のために裸にしたらお風呂と間違えてにこにこしていてそしたらお風呂でなくて注射だったからびっくりして大泣きしたとか。孫ちゃんの写真とかうちの1歳になる孫2ちゃんとかの写真を見せあって。そして相続とかの話。友達の旦那さんの実家は舅さんはすでになく姑さんは施設に入っている。残った実家を今売り出し中だけどなかなか売れないとこぼしていた。実家に残っている荷物を処分するのに業者を頼んだらこれくらいかかったとか、家が田舎すぎて敷地も小さすぎてなかなか売れないとか。バスがあっても一時間に一本では通勤通学には不便だしね。友達が言うには今その実家は長男であるご主人の名義になっているとのこと。御主人は今は元気で働いているけどもしものことがあれば友達と友達の娘ちゃんと息子ちゃんが相続することになる。正直売れもしない固定資産税だけ支払い続けるような家はいらないから相続放棄したいけど相続放棄したらご主人名義の今のマンションとか預貯金の相続も放棄しなくちゃらしい。だから息子ちゃん娘ちゃんの代まで持ち越さないで早く処理してほしいとご主人をせっついたらしい。なるほどなあ。相続問題。どこの家でもありそう。うちも義実家は舅名義だったけどすでに亡くなった。夫に今の義実家の名義はどうなっているの?と聞いても夫、わからないという。義実家に住んでいる義姉の名義になっているのかどうか?今度法律が変わってもし舅名義のままにしてあるなら罰金を払うようになったという。日本中名義が誰になっているかわからない古家が増えていて、崩れかけて危険な家も多いから法律が改正になったらしい。危険だから市の負担で撤去するにしても撤去代金を誰に請求したらいいのか?誰が相続した家なのかわからない家も多いらしいから。でも微妙な問題、嫁が先頭に立ってあれこれ口出しをしにくい。義実家に住んでいる義姉は独身で子供もいないから今義姉名義になっているとしてもいづれまた相続問題が起こってくる。義姉、もう一人の義姉、夫の3兄弟だけどそろってもう高齢なのでだれから逝くのかわからないから。義姉がまだしっかりしているうちに家の問題とお墓の問題(墓じまい)をしてくれたらいいんだけど催促も難しいし。夫はボーっとしている(笑)義姉に任せておけばいい、なるようにしかならないと当事者なのに無責任な態度。相続問題は素人の手におえないからお金はかかっても弁護士や行政書士に頼んだ方がちゃんと処理してくれるかもしれない。一方私の実家は借家だったから母が施設に入ってから明け渡して荷物もみんな処分した。後は母の預貯金のみ。うちは私と弟と二人が相続するけど。こちらもどうなることやら。私が元気なうちに母を見送ってそういう処理もできればいいけど。悩みは果てしない。考えても仕方ない。もう考えないでおこう。また寝られなくなる。
2024.09.16
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今日の体操の時素敵なパッチワークの手提げを持っている人がいた。「作ったんですか?」と聞いたら「着物の端切れでちょこっとね」という。歯切れとはいえ色柄の配置とかにセンスがうかがえる。「こんなに着物を作られたの?」と聞いたら「ほら昔はお嫁入の時に着もしない着物をたくさん持って行ったでしょう?そのはぎれ」そこへ別の人が来て盛り上がる。「そうやった、昔は親が無理をしてでもたくさん着物を持たせたよね。箪笥一杯に着物を持って行って婚家に荷物が着いたら、地方によって多少は違うかもしれないけど、私より少し年上の人たち。私たちのころにも嫁ぎ先によっては衣装みせとかあったな。トラックに紅白のリボンをつけて荷だしとか。婚礼の荷物がバックしたら縁起が悪いと言って一本道で向こうから車がいたら婚礼トラックの運転手さんがご祝儀を相手に渡して下がってもらうとかね。私の場合は婚家でなくて別居だったのでアパートに舅姑が来て一応着物を見てもらった。田舎のちょっと大きい農家に嫁いだ友達は衣装みせのための衣装もあつらえたとか。見栄を張りだすときりがない。そしてそれらの着物は大抵箪笥の肥やし。見栄というより嫁ぎ先で娘が恥をかかないようにと言うことだろうか?相当なお金をかけていわば持参金代わり、相続の代わりなのだろうか?嫁いだらあまり着ることもない。子供ができたら余計に着ることもない。私ももう長い間着物を着ていないし、箪笥から出しても見ないからどうなっているか見るのが怖いかも。着ない着物より現金を持ってきた方がよかったと私は心の中で思った。よそは親が作って持たせるけど私はほとんど私が働いた給料で一枚一枚作った。結婚前にお茶をやっていたらたまには着ることもあった。お茶を一緒に習っていた友達はどうしているだろう?着物を着て出かけるということがなかなかないし、今は一人では多分着られない。冠婚葬祭の時には貸衣装を借りたりするから自分で着られない人も多い。私も一人では着られない。姪の結婚式の時に初めて持ってきた留めそでを着たら姑さんが意地悪を言う。「私たちは式場で貸衣装を借りて着付けもしてもらうからあんたは実家のお母さんに着せてもらって」何で私だけ母に着せてもらえって。母は着付けなどできないし、着せられるかの確認もなくいきなりそう言われた。家から着て行ったら長時間着ることになるし向こうで着替えるほうが全然楽。私はバックに留めそでや帯一式を入れて行って着付けだけをお願いした。私だけ貸衣装でなく自分の着物だったから意地悪されたのかな?いまだに引っ掛かっている。今はそういう習慣はあまり聞かない。うちの娘たちは着物をいらないと言って一枚も作ってない。一枚も着物を作ってないと実家の母があきれていた。でもいらないというから。今は着物も婚礼家具の中の和ダンスも作らない人が多い。時代は変わったな。
2024.09.13
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朝から母と面会してきました。またコロナが流行っていて、インフルやマイコプラズマ肺炎とかいろいろ流行っていて面会は一家族一か月一回のまま。まあ面会中止で全然会えないよりはましだけど。私は弟と一か月おきに面会している。先月は弟が行ったから今月は私。もともと弟は面会に乗り気ではなかった。でも母は会いたいだろうと思って説得した。会える時に会っておかないと永遠に会えなくなってしまうよと。母は認知症だから弟と面会しても誰だかわかっていない様子。弟は誰だかわかってないからあんまり面会に気が進まない様子。でも子供のころから母は弟を溺愛してきた。弟は何でも欲しいものを買ってもらっていて私は我慢させられることが多かった。跡取り、長男ということで優遇されてきた。私は母のそういう態度に対していろいろ思うところは会ったけど何も言わないできた。今では母がたとえ弟がいつでも最優先だったとしても私は私の気持ちとしてあとで後悔のないように母にはできる限りのことをしてあげたいと思うようになった。今日も私のことはわかっているのかどうかという風で母とは会話にならない。でもわかっていてもわかっていなくても母には一杯話しかけようと思っていたので色々話した。今月一歳になる次女の長男の写メを見せておばあちゃんのひ孫だよと言った。母はかわいいと言って目を細めた。誰だかわかっているのかはわからない。でも一杯話しかけてあげよう。母はいつも私に元気か?と歩いて来たのか?しか言わない。今日はまたみんなで遊びに行こうと言っていた。母の頭の中を楽しかった過去の思い出が一瞬かすめたのかもしれない。つらかった悲しかった思い出もたくさんあるだろうけど、そういうことはなるべく思い出さないで楽しい思い出だけを思い出してほしい。母と会話にならなくてもできるだけたくさん話しかけてあげよう。母を遊びに連れ出すことは多分もうできない。でもできるだけ長く元気でいてほしい。お互い元気でいようね。元気でいたらまた会えるからと言って別れてきた。以前のように帰る私を追いかけようとして職員の方に引き留められることもなくなった。母なりにここでの生活になじんで楽しんでくれていたらそれでいい。(^^♪穏やかに毎日を笑って過ごしてほしい。
2024.09.11
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私の結婚前の旧姓は漢字も旧字体で、ハンコも別注。読みにくく字画も多くて書きにくい名字。結婚して姓が変わるときには百均でハンコを売っているようなよくある名字になりたいとひそかに思っていた。ところが結婚後の姓はもっと珍しい名字。字画は少ないけど読みにくい。長女は学校や塾で先生とかにまともに読んでもらえないとこぼしていた。今やうちの市では絶滅危惧種、私と夫と義姉の3人だけ。全国的には数千人くらいは入るらしいけど同じ姓の人にはお目にかからない。私は結婚前のOL時代モグちゃんというニックネームで呼ばれていて職場でもそれで定着していた。ある日私に仕事のことで他の課から電話が入った。受けたのは隣の席のおじさん。「○○さんお願いします。」と聞かれたおじさん「ここにはそんな人はいません」って言って電話を切ろうとしているし。「私私」とアピールして電話を代わってもらった。私は隣の席の人も私の名字を知らなかったことにショックを受けた。でもだからと言って仕事上電話するのにニックネームで名乗るわけにもいかないし、送る書類に〇〇課ニックネームで発送するわけにもいかない。ニックネームの方が広まってしまって困った話。先日その会社を辞めて以来40年ぶりに元会社の先輩に出会った。〇〇会社で働いていた〇〇ですと名乗ってもきょとんとした顔。多分私の本名を覚えていなかったのだろう。私が〇〇さんですよね。〇〇会社にお勤めだったと言ったら何で知ってる?みたいな顔になった。こちらは覚えているのに相手は覚えていない。課が違ってて仕事上は全く関係はなかったけど、社内のクラブ活動でお世話になった人。そこでほらモグちゃんです。それなら覚えてるでしょう?などと名乗るわけにもいかない(笑)当時一緒にクラブ活動をしていた人たちの名前を挙げたけど、結局先輩は私が誰だかわからなかったかもしれない。そして月日は流れて私の楽天に私のHPを開設するときモグちゃんの部屋という名前にした。ハンドルネームもモグちゃんを入れた。すると遠くにお嫁に行ってずっと会えていなかった後輩ちゃんから連絡が来た。ホームページを偶然見つけてすぐ私だと分かったという。モグちゃんにしていたから再会できた。彼女が用事で実家に帰るたびに会っている。モグちゃんのメリットもあるわけだ。モグちゃんというニックネームはメリットもデメリットもあるなあ。でも今更変えられないからこれでずっと行きます。(^^♪
2024.09.09
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特定検診で血糖値とAb何とかの値が上がっててC判定になった夫。でも結果の説明を聞きに行った夫は私が「どうだった?」と聞いても「何もなかった」と言っていた。病院に行く気もなかったと思われる。去年もC判定だったし本当かどうか疑わしいのでこっそり検査結果を見てみたらC判定で受診の必要があると書いている。何もなかったということないやん"(-""-)"子どもが点数の悪いテストを隠すみたいな事しても糖尿病はどんどん進行する。放置して自然によくなることはない。私は夫に糖尿病になったらどうなるのかと説教して、病院に行くことを承諾させた。けれど今朝そろそろ用意をしようというと「どこにいくの?」という返事。本気で忘れていたのかも"(-""-)"自分のことなのに。そしていざ病院へ。3日間かいた食事の表を持って栄養相談に。食べる順序や気を付けること、控えたほうがいいものなどいろいろ聞く。食事表を見た栄養士さんは間食もやめているし効果が出てくるように、このまま続けてくださいという。次回は11月。2か月くらいまじめに取り組んだら数値が下がってくる可能性が高いという。栄養相談を終えて帰宅、その後車で買い物に。買い物を終えて帰ってきたら夫が「疲れた、疲れた」という。そして昼寝。慣れない病院で疲れたという。でも日課の将棋とパチンコへは行く(笑)それとこれとは違うらしい。(笑)再受診は来月。今のところ晩酌もやめておとなしくしている。本当に数値は下がるのか?下がったとしてもまた元に戻ったら同じこと。血糖値との戦いは長い戦いになりそうだ。
2024.09.09
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私は以前ひざが痛くて困ったときがあり、知人に勧められてベッドにした。私は実家にいた時からずっとベッド。高校生の時に引っ越した家では弟と同じ部屋だったので二段ベッドを買ってもらって下に寝ていた。一応ベッドにカーテンをつけてもらって個室風。だからベッドの方が慣れていて快適。でも結婚後わたしがベッドを買いたいというと夫は反対した。夫は若いころ親せきの家に泊まりに行って借りたベッドから落ちたことがあり、ベッドは落ちる、危ないという思い込みがあった。私がベッドを見に行こうと言っても聞いてくれず。いくら説得しても聞いてくれず、私は反対を押し切って通販のベッドを買った。家に来てしまえば夫も返品とは言わなかった。それ以来ずっとベッド。夫と将来寝たきりになったらベッドがいいねと話したら、やっぱり夫はベッドは危ないという。寝たきりになりおしめを人に替えてもらう生活になればベッドがいやとか言っていられない。介護する立場から言えばベッドの方が全然おしめも変えやすい。赤ちゃんの世話もベビーベッドの方がおしめを変えやすい。着替えとかもさせやすい。高齢になれば施設も病院もベッド。夫はいまだに布団、しかも万年床"(-""-)"まあベッドもある意味万年床だけど。将来足腰がもっと弱ったら、今は二階に寝ているけど一階の部屋でベッドで生活したほうが全然いい。わが家はトイレは一階にしかないから。夫は今の二階の部屋におマルを置いたらいいとかいうけど、そのおマルの中身をだれが捨てに行くのだ。私はおマルを使うくらいなら1階に寝る。あくまで仮定の話なのにそれでも夫はベッドは落ちたら危ないとまだ言っている。よほどトラウマになっているらしい。大体ベッドから落ちるなんてありうる?熟睡していてもベッドから足がはみ出したら気が付くと思うけど。友達の弟が昔二段ベッドの上に寝ていて落ちて下に布団を敷いて寝ていたおばあさんの上に落っこちた話は聞いたことがある。おばあさんよく無事だったなと思うけど、子供ならそれくらい熟睡してベッドから落ちることもあるかもしれない。夫は若いころにたった一回ベッドから落ちたことでいまだにベッドに寝られないという。私は年取ったらベッドがいいと思う。亡くなった姑も布団派だったけど起き上がろうとして転倒、そばにあった将棋盤の角で頭を切った。布団の方が起き上がりが不安定でよほど危ないと思う。姑も最後はベッドにした。ベッドは足を先に下ろして何なら立ち上がるように手すりもつけたら安全に起き上がれる。転倒などの事故が起きにくい。いくら言っても夫は布団がいいという"(-""-)"
2024.09.08
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パラ輪ピックの選手たちを見ていて思い出した話。まだ私が透析をしていたころ。糖尿病から透析になった人の中には片足切断している人もいる。糖尿病の人はちょっとしたけがとか傷が化膿して痛みがあっても気が付かなくて手遅れになってしまい最悪足を切断するということになってしまう。私が見たのは50代くらいの女性。朝透析室に入って自分のベッドに行こうとして手前のベッドに義足が持たれるように置いて会ってびっくりした。ちょうど義足の女性が透析のベッドに移ろうとしているところ。スタッフが移るのを手伝おうとしたらその手を女性が止めた。自分で移るから、これからは何でも自分でやらないといけないからやらせてと。時間はかかるけどその女性は自分でできることは人に頼らないと決心している様子。確かにいつも周りに手助けしてくれる人がいるとは限らない。家の中でも自分一人の時もあるだろう。その人は自力でベッドに移って笑顔を見せた。何でも人に甘えてやってもらうより自分でできることは自分で何とかするその姿勢は素敵だと思った。以前両手のない女の子のドキュメンタリーも見たことがある。実家を出て一人暮らしをしたいと言って両親の心配をよそに一人暮らしを始めた。両手がなくても彼女は口とか両足を使って着替えとか何でも自分でこなす。床にガス台を置いてそこに足の指でフライパンの持ち手をつかんでを載せる。別の足で卵を割って器用にフライパンに載せる。ガスも足で点ける。足が手のように器用に動く。ここまでくるまでにどれだけ努力したことだろう。そして両親はそれを見守ってきた。親としてつい手を出したくなるだろうけどぐっとこらえて自分でやらせるのも厳しくもやさしい親の気持ち。親はいくら子供を心配してもいづれは親は先に死んで子供は一人でやっていかないといけない。その時に困らないようにするのが本当のやさしさ。パラ輪ピックに出ている選手たちは人の何倍も努力して普通の人の日常生活もほぼ自力でこなしながら、競技の練習もしてきた。その夢をあきらめない強い気持ち、障害を言い訳にしない強さ。その姿勢や壁を乗り越えた人だけの輝く笑顔が人を感動させる。
2024.09.07
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私の秘密はミクシーと楽天のHP。そこには夫の事、娘たちのこと、舅姑のこと、義姉のこと、個人情報満載。と言ってもそもそも本名は出してないし、事実を書いているけど一部はぼやかして書いていることもある。もしも私の知っている人がこのHPを見たとしてもそれを書いているのが私だとは気が付かないと思う。私のリアルな友達はほとんど内容を知らない。幸い、夫もパソコンはできないし、義家族、親せきもネットをやっているという話は聞いたことがないから多分わからないと思う。私は義実家の両親や義姉の言うこと、されたことでおかしいと思っても何も反論しないでお腹に収めてきた。言ってもわかってもらえない。価値観や考え方がまるで違う。そして夫は姑を神様のような人、義姉のことは竹を割ったようないい性格と言っていたし。こういうことを言われて嫌だった。されて嫌だったと言ってもまるで通じない夫。義実家で一人反論したところでだれも味方はいないから黙っていただけ。たとえ反論してきまづくなったとしても付き合わないわけにはいかないから黙っていただけ。でもこういう場ができて思い切りいろいろぶっちゃけた。過去のことも含めて。私はおかしくない、おかしいのは義実家と言ってくれる人もいて心強かった。ネットで知り合ったどこのどなたともわからない方でも味方がいたらうれしく思った。そして義父母の3回忌が終わったら、コロナを理由に私は義実家に行かなくなった。もういいだろうと思って、私一人の疎遠。夫は行きたければ行ったらいい。時々夫に私のことをいろいろ言っているようだけど、あとはこれを夫が持ち帰ってわたしに言わなければ言うことはないんだけど。夫は相変わらず言っていいことと悪いことの区別がつかない。これは黙っていたほうがいい、嫁が聞いてもいい気はしないということをいまだに学習しない。"(-""-)"行かないことに多少の罪悪感は会ったけど、だんだんそれも薄れて。何か言われた、されたことをくよくよ考えて眠れないこともなくなってすっきりしている。私の愚痴捨て場兼覚書。あれはいつ頃のことだったかなと時々調べられる。わが家の歴史でもある。こんなことがあったな、あんなことがあったな、腹が立ったことも過ぎてみたら懐かしく思える。ここで書いて発散してすっきりしたからか、当時ほどの怒りやつらさはない。ここで書くことによって私は今までやってこられたと思う。離婚も何度も考えたけど何とか結婚40年を迎えられた。これからも腹が立ったこと、納得できないことをここに書いて発散していこうと思う。時には見苦しい文章もあるかと思いますが、皆さんお付き合いください。
2024.09.06
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昔は男の子は男子厨房に入らずと言われて何もさせずに大事に育てたようだけど、今は令和。そんな育て方をして何もしない、できない大人に育てたら今どきの共働きが普通の家庭は回って行かない。そのうち奥さんに愛想をつかされて離婚されるだろう。今の若い夫婦は家事育児は夫婦でが当たりまえ。うちの夫は昭和生まれ。義実家では姑と義姉2人がいて夫には何もさせずに育てたようだ。結婚してすぐ、夫が掃除機をかけてくれたことがあった。夫は姑に褒められようと思って僕掃除機をかけたよと話した。姑は激怒してなんであんたがそんなことをしないとあかんのや、嫁にやらせたらいい。と怒られた。それで反発することもなく逆にお前のせいで怒られたと八つ当たりされた。その後夫はしばらく掃除機を掛けなかった。そして自分が掃除機を掛けようとしたらお前はそんなことは私がするからと言って僕から掃除機を取り上げろという。ここまで来たらもう笑うしかない。そんな茶番に付き合う暇はない(笑)夫が掃除機を掛けようとしたらありがとう、頑張ってねという。それが普通の回答。姑くらいの年齢の母親は息子が家事を手伝っているのを見たら情けなく思うらしい。私には息子はいないけど、もし姑の立場で家事をやっている息子を見たらああ頑張っているな。それくらいやって当然と思うけど。友達には息子がいる。小さいころから家事をやらせてきた。お風呂掃除やってと言ったらやるし、ご飯を炊いておいてと言えば炊いておいてくれる。結婚しても嫁が働いていても、また嫁の体調が悪いとか入院とかいうときでもいろいろできれば家庭は回る。息子さんは大学時代のバイトでちょっとした料理もできる。やはり男の子も育て方だなと横で見ていて思う。かわいがるだけで何もさせないのは違う。大学進学や就職で一人暮らしをするという可能性もあるから何でもやらせないとと思う。大学進学や就職で一人暮らしをする息子が心配で、息子のところに度々行っておかずを作り置きしたり、中には夫を放置で息子と同居する母もいるそうだ。夫は結婚するまで義実家を出たことがない。結婚後夫に聞いたら夫はいや、単身赴任したことがあるという。よくよく聞いたら毎週末にカバンに洗濯物を詰めて義実家に帰って姑に洗濯をしてもらっていたという。いやいやそれでは単身赴任でなくて出張だろう。単身赴任先には寮もあるし、洗濯機もあるから普通はそこで自分でやるだろう。やはり男の子は小さいころからお手伝いを仕込んで、ある程度できるようになったら独り立ちさせるべきだろう。先の友達の息子さんも大学卒業後は寮に入った。もちろん自分で掃除や洗濯はやった。家からでも十分通える距離だったけど、自立していた。結婚相手は一人暮らしの経験のある男性がいいと女性たちは良く言う。家事をやってくれたお母さんへありがたみも感じて、できることは自分でするのも苦にはならない。そういう人は働く女性と結婚してもうまくやっていける。出来ればあれやってと言われないうちにやってくれるのが理想だけど、それでなくても言われてからでもやってくれたら十分かな。ここまで書いてきて夫とはだいぶ違うなと思う。やはり男の子は育て方、女が家事をやって当たり前という価値観を植え付けられたらそう簡単には変われない。家事を手伝うでなく家事を共有するくらいの気持ち持ってほしいけど、なかなかむずかしい。
2024.09.06
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親として立派に子供を育ててきたと言う自信は全くない。でもその時その時真剣に向き合ってきたつもり。でも夫は親は親だから尊敬しろなどという。私は自分が尊敬してもらえるような親でないのはよくわかっているから、尊敬何てしてもらわなくても、一生懸命子育てしてきたし、娘たちを大事に思っていることだけ伝われば十分だと思っている。大体尊敬何て言うのはこちらから尊敬しろというものではない。親の生き方、考え方、日ごろの生活態度などを見て子供たちが判断するもの。親だから無条件に尊敬される言うものではない。はっきり言って夫には尊敬される要素はないと思っている。自分の機嫌次第で当たり散らしたり、時には孫に手をあげたりしてきたから、娘二人は今も家に寄り付かない。孫もおじいちゃん怖いと言って嫌がる。完全にトラウマになっている"(-""-)"今日夫は虫の居所が悪かったのか(パチンコで負けたか?)家に帰るなり次女の態度が親に対して無礼だという。自分のしたことを棚に上げてというかすっかり忘れている。いつまで根に持つのだ。自分のしたことを反省もしないで相手だけを責めていたら関係改善は永遠に無理だ。何もないのに急に次女の態度が悪くなったわけでない。いろんな出来事の積み重ねで今がある。理不尽に怒ったり思い込みだったり、相手が気を悪くするようなことを平気で言ったり親だから何でも受け入れて許してもらえるわけではない。親子関係も人間関係。相手の話をよく聞いたり、時には謝ったり、気を付けて相手のが気を悪くするような言い方を避けたりというのは当然の気遣い。相性もあるだろうが、世の中に不仲の親子なんていくらもある。たまたま夫の家では夫の父親が親として尊敬されてうまく行っていただけ。っていうか昔風に父親を立てて家の中の秩序を保っていたのかも。夫は義実家が理想の家庭のようだけど夫にはそういう家庭を作るのは無理だと思う。まあ夫は娘や孫にはあまり関心もないし、会わなくて別に平気なようなので私は私で娘や孫にどんどん会いに行く。夫が娘や孫に会えないのは自業自得。仲を取り持つのも疲れた。夫が変わらない限り、関係修復は無理だし。親を尊敬とか自分は悪くないと言っているようでは永遠に無理だろう。実の親でもあまりにひどい毒親だと子供も寄り付かない。時には縁を切られる。どんな親でも親は親という考え方は今では通用しない。
2024.09.05
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糖尿病と言われたら、主治医に間食や甘いものを控えるようにと言われるだろう。先日夫も言われた。私も甘いものは好きだけど血糖値は二けたを維持している。血液検査でも血糖値が高いと言われたことはない。やっぱり個人差?結構甘いものをたくさん食べていても血糖値が上がらない人もいる。夫の場合は間食が多かった。私が止めてもこんなのカロリーは知れていると言って気にしてなかった。亡くなった私の父も糖尿病だった。亡くなった直接の原因は肺がんだったけど、そのずっと前から糖尿病、心筋梗塞もあった。父は甘いものが好きだったけど戦中戦後あんまり食べられなかったらしい。戦争中祖母が鍋に一杯ぜんざいを作ったから食べようとしたら、祖母が一晩寝かせたらおいしくなると言って食べさせなかった。その晩空襲にあって家ごとぜんざいの鍋も食べられなくなってしまった。そのせいか甘いものに目がなかった。おはぎを一箱まるまる食べたりしていたからそういう生活がたたったのだろう。糖尿病と言われインシュリンを打とうと主治医に言われたけど、父は嫌がって運動をするから待ってくれと頼んだ。父はマラソンを始めた。効果が出てお腹も凹んでスリムになり一時はマラソン大会にも出ていた。ところが次は心筋梗塞になった。意識してご飯を減らしたりいろいろ努力はしていたと思うけど。今になって思う。糖尿病だから間食をやめなさい。甘いものはやめなさいという方は簡単だけど、ちょっと甘いものを食べたくなること誰でもあるでしょう?わたしも毎日ではないけどたまに食べたくなる。友達とランチに行ったら食後ケーキを食べたりする。父にしても夫にしても糖尿病だから「ちょっとつまみたい」を我慢しなさいというのはちょっと酷かもしれないと思ったりする。透析患者は水分制限がある。お酒を飲む人は禁酒は苦しいし寂しいと思う。でも週に一度だけとか何かいいことがあったときは一杯だけOKにするひともいる。たまにご褒美という感じで飲みすぎなければ、週に一回くらいならOKというくらいのほうが節制も続けやすいのではないかと思う。完全にお酒を断つのは難しい。そうやってご褒美で釣りながらなんとか続けていく。そのほうがいいのではないかと思う。糖尿病患者もたまには少しだけ食べてもいい日を作らないと全面間食禁止はきついと思う。でもこれは一般論で夫の場合は自分に甘い人なので一日いい日を作ったらずるずる元通りになりそうな予感。どう工夫してやっていくかは一人ひとり違うだろうけど、糖尿病患者さん用の食べてもいいお菓子とかないのかな?甘さを控えていかにおいしいお菓子を作るかは難しいだろうけど。腎臓病患者用のおかしは入院中たべたことがある。正直甘みもしょっぱさも感じなくておいしくない。売っている店があるらしいけどわざわざ買いに行こうとは思わなかった。でも長生きしたいならなんでも飲み放題、食べ放題ではだめだろう。これ以上糖尿病を悪化させて失明や足の切断、透析などの事態を招かないためにも夫には頑張ってほしいけど。自分に甘い夫がどこまで頑張れるかだろうけど。わたしが食事作りで協力するにしても治療の主役は夫。夫がその気で、本気で取り組まないと血糖値は下がらない。動やる気を出させるのかが難しいところ。
2024.09.04
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夫は病院に行きたがらない人。その夫が特定検診で引っ掛かって血糖値がやばい。台風騒ぎがようやく落ち着いたので病院行ってきました。先週電話で聞いたところ糖尿病内科はあるけどまずは総合内科を受診して欲しいと言われました。家の近くの歩いて行ける病院。私も7年前までここで透析をしていた。最近はあまり行ってないけど、新病棟を増築して大きくなった。総合内科は新館にあった。夫が先生の話をちゃんと聞いてこないと思ったので一緒に言った。特定検診でC判定で血糖値が高い。HbA1cも6.4でヤバイ数字。それなのに結果を聞きに行ったら最初に検診を受けたAクリニックの先生によく聞いてねと軽く言われた。AクリニックA先生はいつも行っている病院ではない。夫がコロナの予防注射に行っただけで普段から通っているわけではない。本当に検診結果を説明する先生がそう言ったのか?夫がちゃんと聞いてこなかったのかわからない。もしかしたら一応説明は会ったもののほとんど聞いてなくて、最後の後はA先生に詳しく聞いてねのところしか聞いていなかったのかもしれない。夫は普段から人の話を聞いてないから。血液検査をしてそんなに混んでいなかったけど結構待った。ようやく呼ばれてやっぱりほぼ糖尿病と言っていい数値と言われる。普段ろくに運動もしない。間食が多いという話を聞いて(夫はそんなに食べてないと否定するから私が説明した)間食はやめなあかんねときっぱり言い渡された。運動も特定検診の結果を聞いてから少しはやるようになったけど。真剣に生活改善に取り組まないとどんどん血糖値が上がってますますやばくなるよ。先生に眼科も受診してねと言われた。糖尿病のために目が悪くなる、最悪失明する場合もあるからと言われる。わたしは糖尿病はないけど糖尿病の人と一緒に長年透析をやっていたから少しは知っている。とりあえず間食をやめて後は運動。それで少しは数値がよくなればいいけど。先生にとりあえず血糖値162を120くらいにと言われる。わたしは塩分を控えて食事を気を付けるけど、それ以外の間食をやめるのと運動は夫が頑張ること。間食をやめるということでリビングのおやつかごのおやつを廃棄。かごのおやつはほとんどパチンコでもらった景品。おかきや辛いおかしとか。これを夕食前にぼりぼりやって時には晩御飯が食べられないこともある。こういうの絶対にダメだよね。かごのおかし、ほぼ廃棄。それから買い物に行くたびに買っているアイス、焼き豚。アイスコーヒーをやめる。ダイエット成功しそうな予感(笑)ついでにお財布もダイエット。食費が減れば私もうれしい。我が家はふたりなのにし好品が多いから食費が多い。来週の月曜日に栄養士さんの話を聞きに行く。診察は一か月後。果たして効果は出るのか?自分に甘い夫、どこまで頑張れるのか。血糖値120を達成したらとりあえず何かご褒美で釣る作戦はどうだろう?(笑)糖尿病のご家族をお持ちの皆様何かいい方法があれば教えてくださいませ。(^^♪
2024.09.04
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8月まるまる夏休みだったので久しぶりのパソコン。やっぱり夏休み直前に教わったことはほぼ忘れている(笑)今日は先生が教材をメールに添付して送ってくれていざスタートというときなぜかうまく送付できない。時間を食うから先生が一人一人のパソコンに直接USBで送る。10人ほどいるから先生も大変。そうこうしてすっかり時間を食った。先生の教材をもとに関数で合計を出し、それをグラフにする。わたしはグラフ何て久しぶりだからすっかり忘れていた。今はラクチンになっている。表内のグラフに使いたいところをコントロールを使って選択したら、おすすめのグラフというのが表示されてOKボタンを押すだけでグラフができる。昔はどのグラフにするのか選んだり、軸に使うところを指定したり結構ややこしかったけど便利になった。そしてあっという間に横棒グラフが完成。もちろんそれで終わりではない。数値に寄って色分けする。30以上は黄色、25以上は赤。先生が説明する。なかなか理解できない。再度説明して全員のところを回る。1人もわからないという人を作らないのがここの教室のいいところ。わかるまで教えてくれる。先生が来られないと生徒同士で教え合う。わたしは以前ワードもエクセルも他の教室で習っているからすぐにできた。皆10年くらいやっているけど一人ひとり得意不得意な分野がある。古いマイミクの人は私がかつてワードやエクセルの試験を受けていたのを覚えているかもしれない。当時の教室でな受験を推奨していたので。透析患者のための教室だったので試験の受験料も出してもらえた。受験のための問題集も借りられた。もちろん当時の習ったことはほぼ忘れている。でもやっていたら思い出すときもある。覚えるのに時間がかかって、忘れるのが早いお年頃(笑)それにここの教室では試験を受けたとか合格したとかの話は一切していない。昔のことだし、少し習ったことはある程度にしか話していない。私がやったのは主にワード、エクセル、パワーポイント、アクセス一応一通りやったし試験も全部受けた。でもここでやっているのはそういうことばかりでなくCDの制作や動画の編集などどこの教室でもやったことのないのをやっているからそこでは私は全くの初心者。まああんまり試験を受けたことがある。合格したとか言う話はしないほうが無難と思っている。さあ忘れないうちに今日習ったことをまとめよう。私のメモは汚すぎて何を書いているのか自分でもわからないからいつも帰ってからワードで清書することにしている。復習を兼ねて。はやく復習プリントを仕上げて晩御飯の用意をしなくちゃ。今日は米不足に備えて買ってきたスパゲテイをゆでようと思う。ソースは市販。後はサラダをつけよう。ご飯は炊いてない。夫はパスタとか嫌いだけど我慢してもらう。本当に米がなくなったら嫌いとか言っていられないのだから。夫は阪神大震災の時お店に商品がなくて(交通網がズタズタになって生鮮食品とかのトラックが来なかった。スーパーにはパンとか冷凍うどんとか5品目くらいしか売ってなかった。)その時うどんはうまいけど揚げがない、ネギがないと文句を言うからそんなの今手に入らない。これだけ買ってくるのも大変だったのにと説教したのを覚えている。寒い避難所で冷たいお弁当やおにぎりを食べている人のことを思えば温かいうどんを食べられる幸せをかみしめてと夫に言った。全く"(-""-)"何でも売っている、何でもお金を出せば買えるのは当たり前じゃないのにね。
2024.09.03
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24時間テレビの中で八代亜紀さんの最後の日々をドラマ化していた。膠原病だったんですね。療養に専念されていてもうすぐ復帰できると聞いていたのに急変して亡くなられた。さぞもう一度舞台に立って歌いたかったことでしょう。わたしも膠原病と言われたことがある。透析をする前原因不明の高熱が続いて。大量のステロイドを点滴してようやく熱が下がった。炎症反応が致命的な数値で一時は命も危なかった。運よく生還できた。そのことを思い出した。昭和の名歌手がどんどんなくなられる。今24時間テレビを見ていたら亡くなった谷村新司さんの映像を流している。ああこの方も亡くなったんだ。昭和がだんだん遠くなる。昭和を代表するような歌手や俳優の方々が次々亡くなられる。歌は歌い継がれていくと思うけどご本人の歌がもう聞けないのは寂しい。50年近く八代亜紀さんの付き人をやっていた女性が語っていた。色んな周りのスタッフに支えがあって長年うたい続けてこられた。人と人とのつながる力,絆とかいろんなことを考えさせられた。歌の力でどれだけの人が励まされてきたことだろう。本当にありがとうございました。
2024.09.01
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お昼の「ポツンと一軒家」の再放送を見ていた。山奥のポツンと一軒家に住む人を訪ねて行く番組。今日は老夫婦が住んでいたんだけど、そこに娘さんがやってきた。娘さんは離婚して、シングルマザーで女手一つで息子さんを育てた。その息子さんが東北大震災の津波に巻き込まれて亡くなった。息子さんを探して避難所をいくつも捜し歩いた娘さん。どんなにか生存していることを願っただろう。そして遺体と対面。どんなにかつらかったことだろう。私も人の子の親。子に先立たれる気持ちは想像できる。今娘さんは老いた両親を度々訪問してその生活を支えている。ゆくゆくは自分がここに住んで面倒を見て行こうと思っているという。今も時々亡くなった息子さんがもしも生きていたらと想像するという。結婚して孫もいたのかな?それとも一人でいて時々息子とお酒を飲んだりしているのかな。?ご両親もシングルマザーの娘さんを助けてよく息子さんの面倒を見ていた。3人で今も息子さんの話をするという。親より先に亡くなった子は三途の川を渡ることができず、手前にある賽の河原で延々と石を積み続けるという。積み上がってきたら鬼が来て壊してしまう。親が子供の死を悲しみ苦しんでいるうちは子供は賽の河原で石を積み続けないといけないという。仏教では子が親より先に死んで親を悲しませるのは罪とされている。子供たちは自分の罪を償うために石を積み続けるという。なんと悲しい伝説だろう。子が死んで嘆かない、悲しまない親はいない。いくら嘆いても悲しんでも、亡くなった子供は帰ってこない。親はあきらめきれないけどあきらめるしかない。このお母さんの気持ちが痛いほどわかるから泣けた。何年たっても、またその後子供を授かることがあったとしても亡くなった子を忘れることはできない。親より長生きしないといけないと私もいつも思っている。母はいつも私の体を心配してくれる。この母を悲しませてはいけないと思う。親より長生きして親を看取ってから逝くのは子供の義務だと思っている。
2024.08.31
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