つれづれなるままに―日本一学歴の高い掃除夫だった不具のブログ―

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2005.07.07
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カテゴリ: 近代日本文学
正直言って、プロレタリア文学(略してプロ文学)は、あまり好きではありません。党派性、思想性が鼻につくことが多いからです。ただ幾つかの例外はあります。自分にとっては、小林多喜二もその一人です。

「蟹工船」は蟹を獲って缶詰に加工する工場船。現代でいえばマグロ漁船に当たるでしょうか。監督にどやされながら搾り取られるだけ搾り取られる末端の労働者の悲哀がよく出ています。読みながら、黒澤明の『どん底』を思い出していました。

「一九二八・三・一五」は、日本共産党を先頭とする小樽での革命運動に対する弾圧と拷問の凄まじさを暴露した小説です。「蟹工船」の労働者達が集団として描かれているのに対し、こちらはそれぞれの運動家の抵抗の様子が、一人一人個別に、克明に描かれています。いわゆる特高のおそろしさが、マジマジと伝わってくる作品です。

どちらにも一長一短があり、完成された小説とは言いがたいのですが、それにもかかわらず読者の胸を打つのは、作者が「真実」を語っているからでしょう。

そうして「真実」を描いたがためにどちらの作品もすぐ発禁になり、戦後になるまでその状態が続きました。

繰り返しますが、自分はいわゆるプロ文学があまり好きではありません。日本共産党はなるほど労働者の味方だったかもしれませんが、だからといって日本が社会主義国になればよかった、とは思いませんから。 治安維持法の内容は悪法の側面もありましたが、当時の世界情勢からすれば、法律それ自体は日本を「赤化」から守る盾の役割を果してもいましたし。

だから、 自分が多喜二を評価するのは、彼の作品がいわゆるプロ文学の枠を超えて、広くレジスタンス小説(「抵抗文学」などという日本語はアカにまみれているので使いたくありません)として鑑賞することが可能だからです。

小林多喜二の小説は、故・青木雄二の漫画世界に似ています。ふたりとも明確な思想性を持ち、あきらかに左よりの作品を書いています。しかしどちらも人生の、この世の暗い真実を描くことによって、読者の共感を得るのです。





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Last updated  2005.07.07 14:51:27
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