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母は満95歳。ヘルパーさんの3食の食事作りで快適に過ごしていたのだが、ある時から(; ̄ー ̄)...ン?2年前から奇行徘徊(夜中の)で誰の手にも負えないと言うことで、お泊り施設のお世話になっている。気分的にムラがある。機嫌の良い時はニコニコしているが、ひどい時は泣いたり、偉い人たちには私たちの声が届かないと嘆いたり、騒いだり怒ったりする。まあ元気な証拠とこちらも笑ってごまかしているのだが・・・(^∇^)アハハハハ!今日は一泊二日で帰宅させた。「おとうさ~ん、おかあさ~ん、どうしたらいい?教えてよ」と大きな声を出したりしていたが、やっと落ち着いて寝た。_(゜ロ゜_)ホット! ホット!『三つ子の魂百まで』ということわざがある。私も子育ての時に常に念頭にあった。百までと言う言葉は60代であったり、70代であったりと言う事までしか考えなかった。三歳まで受けた教育やしつけによって形成された性格は大人になっても変わらないと。今95の母を見て、「三つ子の魂百まで」とは恐ろしいほど納得衝撃的である。私の母は超お嬢さんで、両親に大事にされ過ぎ、勉強好きの母には勉強以外には何もさせていなかったようだ。11人の兄弟姉妹がいたが、他の兄弟姉妹たちは何でもやっていたのに、母だけは何も何も・・・。主婦業的な事は大嫌いのようで、里帰りの度に娘の私が食事を作ったり掃除をしていた。母は私の里帰りを楽チンと喜んでいた。その後に「スマナイネ」謝りに似た言葉を発したり。でもすっかり私は母の思い通り(-_-;)ホントカ・・・オイ・・ホント。今母を見ていると我が儘振りがよくわかるのである。あ~~~、三つ子の魂百までと言う言葉は本当に本当だ!!その我が儘振りは百歳になっても変わらないんだ!!と。まあ百まで生きてくれ!!母のいる施設に飾られていたデイサービスの方たちの作品を見てネ。 「( ̄◇ ̄;)エッ、素敵な絵を描く方がいるんですネ」とお喋りをしていたら、私も習い始めたとポロリと口から出た。それなら持ってきてこの壁に飾ってと。('-'*)フフ劣等性の私の絵より・・・・。白い丸や四角は蛍光灯の光、撮影下手くそでm( ̄ー ̄)m ゴメン。 デイサービスに通っている方と職員が一緒に作った作品だそうだ。あまりの優しさと綺麗さに見入ってしまった。ガラス瓶と牛乳パックと折り紙で作ったという。私も作ってみたくなった(-_-;)ホントカ・・・オイ・・ホント。 コーヒー瓶と牛乳パックで作った焼き物風花瓶。デイサービスに通っている方と職員が一緒に作ったようだ。
2016.05.06
必ず明日は来る必ず新しい年は来る。そうやって65年が繰り返されてきた。どんな時もどんな経験も新しい年にプラスになるように生きなくちゃ・・・d(゜ー゜*)ネッ! 昨日と古い年の経験が良き生きる力になるようにしよう!!95歳の母は口は達者だが足がグラグラで立てない。でも正月は自宅に連れて帰りたい。ベットのレンタルが出来たので、苦労を覚悟の上で自宅へ里帰りさせた。年末年始の31日からお正月2日までの2泊3日、さっそく苦労させられた(^∇^)アハハハハ! 大量の大便と小便、見た目は体が小さいのに、重くて動かすのに一苦労した。重労働であった。汗もびっしょりかいたが、(; ̄ー ̄)...ン?でも紙オムツの無かった昔に比べると楽である。ひと昔前の人たちは大変だったでしょう。と思うと文句を言わないようにしよう。ベットの上で手足を動かしたり、足をさすったり、血行を良くしようとお喋りした。そして歌を歌おうと。何を歌おうか?母がよく口ずさんでいた「いつまでも絶えることなく 友だちでいよう・・・・♪」「今度は何を歌う?」「もういいよう・・・」出来るだけ大きな声でお喋りした。夕飯後何を思ったのか「どこも痛くないのに、どうしてこんなになったのかな、悔しい」と泣くのであった。泣きたいのは本当は私である(^∇^)アハハハハ!
2015.12.31
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