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いつも後悔するのに繰り返していることがある。対象は主に人で、「知りすぎる」ということ。毎回、またやっちゃったと思う。家族を含めて熟知している人達は、知りすぎているもなお繋がっている理由はそれは縁という絆である。知りすぎてはいけない。これを軸としていれば間違いはない。もっと知りたいと思っている間はじれったさがわじわじとこみあげるが、嫌な感情が起きる前に目の前からいなくなるという例もあり、それはそれでその内記憶も薄れてしまう。このような例は自分の中の歴史に何も残らず影響も受けなかった対象である。リアル人間だけでなくsns上でも同じことを感じる。バーチャルで不快感を感じればやめたらいいものを、やめるにやめられない執着という感情が生まれ、そこで立ち止まってしまう。snsの中には日記を書くというだけのサイトがあって、その中では自分のことをかなりさらけ出して書くのでお気に入りさん同士だけが読める設定にしているが、何年か続けていると次第にコメントの言葉が刺さるようになる。悪気ではなく慣れてきて親しく思って書かれたことにこちらとしてはそんな人とは思っていなかったという感情が湧き始める。その対象は私の経験ではほとんど男性に見られるようだ。女性は親しくなるとリアルの友達になり、サイトを離れても繋がりが続くこともある。それだけ男性の場合は心が近づきやすいのかもしれない。あくまでも距離感を保ち言葉や表現の気遣いを忘れないように心がけたいものだ。そういうことを経験している人達はとっくに熟知していることだろうが、今ではすこし自分も調節でき始めたかなという気がしている。
2026.04.29
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どこかでとてもきびしい経験をしたとする。数年経ってそのことを思い出すと妙に懐かしいのだ。胸がキュンとして、その足跡を辿る。去年神戸の甲状腺専門病院を受診し、今回半年経って二度目の検診に来ている。夕べ服用している薬があと数日しかないことに気が付いた。その中には血圧の薬もあるのでどうにかしてこの地で手に入れなければと焦った。娘に言うと、S先生の医院へ行ったらという。S先生は二十年前に孫がまだ赤ん坊だったとき、私はこの地に世話をしに来ていてお世話になった先生だ。名医とは言えないが、頼り無げな先生はうーんと上を向いて考え、じゃあ薬を変えようかという風な感じでなんとなく気持ちが落ち着いた。今日はその先生にお会いできると思うと、どんなになっておられるのか、必要な薬がもらえるのか少し不安だった。朝娘が出社するとき車に同乗してその医院まで行った。忘れかけていた道筋だったが、スマホの地図で帰りに寄る生協の道順を教えてもらっていた。名前を呼ばれて診察室に入ると、以前の先生よりずっとおじさんぽくなられた先生が座っておられ、話しやすい雰囲気は変わっておられなかった。先生は私のことを「もちろん覚えてますよ」と言われた。処方箋を出してもらい、生協近くの調剤薬局で薬をもらった。生協の辺りは以前とちっとも変ってなくて、昨日までいたような感覚だった。店内に入るとそこも全くと言っていいほど同じで、特に一階の休憩所に並んでいる椅子やそこで飲み物を飲んだことまで身近なことのように思い出した。子守りをするのは体力的にしんどかったけれど、その思い出はもう帰らないと思う気持ちも交じって、しびれるような寂しさと懐かしさで一杯だった。というのはあの押し車に乗せて通った赤ん坊はもう成人して大学生となっているのだから。
2026.04.17
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今朝娘と神戸で一番のパン屋さんまでドライブした。ドライブしたというからには家からかなり離れた所にあるパン屋である。パンを買っての帰り、娘は滔々と将来の希望を語っていた。私はその話に乗って楽しく聞いていた。現在娘は神戸の持ち家で独り暮らしをしている。三年前までは孫と二人暮らしだったが、大学へ入学したので孫は今東京でマンション暮らしをしている。将来孫は東京で暮らすのではないかと娘は想像しているのだ。「もう少しお金が溜まったら東京で家を買い、お母さんも一緒に来たらいいね」という。私の家は四国の愛媛県だ。私亡き後は二人の娘が家屋敷を相続することに決めている。神戸の家はどうするのと聞くと、売ることはしないけど三つも家を持っていても管理が難しいからねという。神戸の家は夫の退職金の一部も含めて建てた家なので私にとってはかなり思い入れがある。それに孫は小一からはアパートから新築した家で過ごしたのでいわば実家となるわけだ。私は心地よく娘の将来の夢を聞いていた。それまで私は生きているかどうかもわからないし、孫も東京へ住むかどうかもわからない。お金がそれほど溜まるかどうかも怪しいものだ。将来のことは計画を立てておくのは良いとはおもうけれど、その通りになるかどうかはわからないのだ。だから彼女の夢に意見する必要もないし、楽しみにして待っていれば良いことだ。夢を持つのは良いことだから。
2026.04.11
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時間があっても物を書ける環境と書けない環境があることに気づいた。三月末から神戸の娘の家に滞在して最初の病院へ経過観察の受診をした。この家に居てすることと言えば朝昼夕の食事作り、洗濯ぐらいで、あとは自分のことだけ、するもしないも自由である。それほどたっぷり時間があるのにまとまった文章が書けなくて地元の自宅で書いてから更新していないサイトがある。そのサイトというのはnovelistという小説投稿サイトで他との交流はないが、ご執心な愛読者がお一人おられ更新がないけどどうかしましたかとコメントをいただくときがある。あ、書かなきゃと思うが一向に浮かばない。俳句や詩は道を歩いていたり、どこか連れて行ってもらったりすると詠めたり書けたりするので、むしろ落ち着いて家にいるよりも効率が良い。詩のブログは十日に一度ぐらいは更新するつもりでいるのだが、これはまたあまりにも平穏すぎると書けないのである。家にひとりで居て、誰に聞いてもらっても収まらない心模様は詩が浮かぶのにもってこいの状態なのだ。その思いをメモしておいて頭がしっかりしたとき推敲してブログにアップする。投稿の目的によって場所や環境が異なるというのも面白いものだ。この楽天ブログは私の友達が時々見ていると言っているので、以前は日常のことを細々書いていてアクセスが多かったが、そういうのも無駄かなと思ったので、考えをまとめてエッセイ集にすることにした。私の能力ではあまり難しくもなくかつ、感情的でもないエッセイを書くのが合っているようだ。
2026.04.08
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この話は娘から聞いたものです。去年12月末に娘と孫が神戸から四国の実家へ帰っていて、明けて1月4日に神戸へ帰る途中に起きた出来事です。高速道一路で神戸に着くはずのところ、家に着いたとき孫のスマホが無いことに気付きました。その時点で別のスマホに入れてある探知機でスマホの在処がわかりました。そこは一時間前に立ち寄ったパーキングでした。その場所まで一時間ほど引き返した時点でスマホはそこにはなく、次第にスマホの位置が動き始め、西宮を通り過ぎ尼崎まで動き遂に或る住宅の中へ入ってしまったそうです。途中で警察にも連絡し、移動しているスマホの地図を分刻みでシャッターを押して写真を撮っていました。こちらから紛失したスマホの番号へ電話しても最初は出なかったようで、二度目に電話したら年配の男性が出たとのこと。持ち帰った理由をああやこうや弁解していたけれど、警察にも届けてある旨伝えたところ、翌日警察まで届けますと返事をしたらしい。スマホが持ち去られた家も写真には撮られているし、警察にも監視されているので先方も怖くなったと思う。その話を聞いて私のスマホにもアプリを入れてもらいました。実験的に私のスマホに娘のスマホから探知作動してもらったら、私のスマホにスゴイ音響の音が鳴り続けました。こちらのスマホを持って帰った人のスマホもそのような音響が鳴り続け、警察も地図で把握していることを知って恐怖を感じたと思う。私もその話を聞いていて、まるでサスペンスのようにドキドキしました。もし私が四国でスマホを失くしても、娘が探知機をかければその在処がわかるというのを聞きびっくりしました。他人のスマホにアプリを入れたり、人のスマホを探知する能力は私にはないので、その話をした友人から教えてくださいといわれたけれど残念ながら教えることはできないのです。
2026.04.01
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これまでの意識の変革というか、比較とか競争から抜け出した現在、自己保守の訓練と特別な他者への思い遣りへの精神的な変化を感じるこのごろです。これまでいかに自分が無防備な人間であったか、それによる人からの攻撃や軽視、それに対しての怒り、それらは全く必要のない事ばかりなのだと考えるようになりました。一方で浮いたことばかりを求めていた私ですが、年を重ねても、いいえ、高齢になってこそ自分を守ることがいかに大切かを考えるのであります。やられっぱなしできた中年時代、身体的な疵よりも心の痛手は今もなおその傷跡は残っているのです。過去にとらわれて過ごす時間がもったいないとの文字列を読むにつれ、そうなんだと自戒しつつありますが、けっして引きこもるのではなくむしろ積極的に人と交わるには、自分のしてきたことを反省しこれからの生きる知恵としていきたい。争いは負けるが勝ち。お金のやりとりは譲るの気持ちで。心の持ち方は能動的でしかも思い遣りを忘れないこと。これまで負け続けてきた人生だったけれど、こういうことを学んだ気がします。ふつうでいられることのたまたまの幸運は見逃してはいられません。顔など美人でなくても普通であれば良い。体力はシャカリキに鍛錬できなくても歩くことができればそれで良い。目も耳も半分ぐらい機能できれば満足していよう。餓えない程度に食事をとって毎日最後の日まで生きることにしよう。
2026.03.23
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三月末に神戸に経過観察の為行くことになるが、その前の準備のメモを一つずつ済ませている。大事な個人病院へ月ごとの服薬をもらいに行くことも済んだ。六月半ばに閉院されるので先生もご自分のことで精いっぱい、患者一人一人の体調のことは上の空かもしれないので自分の要求を伝えてやってもらうつもり。去年から血液検査をしていないので四月になったら行こうかな。冬ものの、主にニット類のクリーニングはもう何回か出したが、昨日は出していた二回分をまとめてどっさり持って帰った。これらは来年まで着ないので保管容器に防虫剤をしっかり入れて仕舞う。コート類は二三回着たものでもクリーニングしているから数年経ったものも新品の如くクローゼットに保管されている。測量士さんにお願いしている測量の件は、先日測量する場所の確認と、隣と裏隣り二軒との立ち合いが終わった。測量は40万ぐらいかかりますよと言われたが、隣との境界の幅を余分に先方の領域としてあげることにしたので、その手続き費用として5万ほど追加らしい。昨日はそのお隣の奥さんが来て、ほんとに良いの?と確認された。奥さんは、土地問題は文句を言い合う仲だったら一ミリのことでも譲れない事態になるのよと言っていた。隣同士が犬猿の仲のまま過ごして命が終わるのは私としては好みではない。生家で住んでいたときは家を囲む背後の山の境界をせせられてせせられて終わった。街中ではほんの少しでさえ貴重らしいが、田舎に住んだ経験のある者にとっては数メートルの境目など無断で浸食されてもわからないままの箇所がいくつもあった。今は何の役にも立っていないのだからおかしなことだ。せせった側もせせられた側も死んでいるし、今その土地も放棄されたままでむしろ邪魔になっている。山だけは崩れもせずそこにあるから土地続きの家屋が保たれているのだ。土地のことでは子孫が絶えている家や子供が亡くなったりした家もあり、自然の神様はしっかり見守っていることを教えられて生きてきた。人生半ばまで山の麓の家に住み育った末の知恵である。
2026.03.18
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私の家族が現住所に土地を買って移ってきたのは平成元年だった。家族は実母と婿養子の夫、認知症の叔母、犬と猫其々一匹。最後に最も大事な娘二人は遊学中で休みの時帰ってきた。ご近所の家にはそれぞれお年寄りが居た。80歳から90歳ぐらいの人が家の前の狭い路を通る時すれ違うことがあった。お向かいの家並みにも何人かお年寄りが一人住まいをしていたが、真正面に顔を合わせたことがなく、いつの間にか消えるように居なくなっていた。時は移り、そのお年寄りたちがほとんどいなくなってから、若い組の人と顔を合わせたら立ち話をするぐらいの親近感が生まれた。その中で10年前あたりから様々な理由で居なくなった人たちは馴染んでいたのでそれぞれ思い出がある。ある人は他県に住む娘の家に行き、亦ある人は介護施設に入居と聞いて訪ねてもみたがコロナで会えず、その後は消息不明で生死もわからない。お花を植えている畑から持ち帰るときいつも一束もらったことややさしい物腰のその人のことを時々思い出す。すぐ隣はある日突然事故死されたご夫婦で、とても親しくしていたので驚きもし思い出も濃くて寂しい気がする。もう一軒のお隣さんは後から豪邸を建てて住まれるようになった。女優さんのように美しい女主人は、外出どきは和服を着ておられ、丁寧に挨拶をして車で仕事場に出かけておられた。その方もある日突然消えて未だに消息さえわからない。今居るご近所さんはほんの少しになり、しょっちゅう立ち寄ってくれるのはワンちゃんとその女主人で、あと両隣がたまに会うと話ができる間柄だ。この現状がいつまで続くか、今のことを過去形で残った者が話をするのだろう。そしてまた私も話される側にいる日がいつかはやって来る。そんなことを思うと、現在立ち話をし、笑ったりしていることはなんといとおしいのだろう。
2026.03.12
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これまではニュースやリアルの状況にあまり関心がなく、ましてや家族の世話が長い間続いたので目の前の事だけに目を向けていた数十年でした。一方精神的なバランスをネットでの個人的な交流や創作をすることに夢中になっていたので、そのおかげで不安を感じることもなく過ごしてきました。今は母と夫が亡くなり、娘二人は自立して家を出ているので現実の暮らしは自分ひとりです。これまで時々集まって会食しながらおしゃべりしていた同級生や、また長い交流のある友達と会う機会も少なくなりました。電話では話しますが、先方から元気に声をかけて来る人達も自分のことで精いっぱいのようで、ときたま私が積極的に行動する以外は交流の機会はありません。毎日午後からはネットで書き物の更新するほかは、テレビをつけ世界情勢のニュースや予約のドラマを観ていますが、最近のニュースは実に不安を掻き立てるものばかりです。朝起きてテレビをつけると、ローカルでは近々起こる想定の南海トラフ地震対策、世界では紛争のニュース、午後からのドラマの番組表は切った張ったの殺しのサスペンスが多く見る気がしないものばかりです。まだ外気は冷たいのでうっかり遠出して風に吹かれて写真を撮っていようものなら、風邪を引いてもいけないと思うばかりで、外出は近場の道の駅やスーパーで買い物をして帰宅ということになります。最近、旦那さんをなくした目の見えない独り暮らしの友達との電話を続け、里山へ行った折にはおいしい食べ物を買って家まで届けています。彼女はとても喜びその声が私にはささやかな元気の素かなとも思えます。老人たちはみんな不安な中を、自分のできる範囲で暮らしています。人生の終盤の姿は生命の自然な成り行きです。がんばろうなんて思わないで無理をしないで過ごしたい、そう思っているのです。
2026.03.09
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私の住んでいる住居辺りは静かな住宅街で町の観光スポットが近くにある。何の変哲もない月日が流れているが、ある時突然変わることもある。その一つに、数年前から計画されていた博物館の移転工事が始まっているが、今年になってその移転先の敷地に小さな建物が建った。壁色は黒で建物全体の内部が外から見えるようにガラス張りになっている。旧博物館の移転工事が完成されたとき、今建っている黒い小さな建物がどのように使われるのかはわからないが、外から見るといくつかのテーブルと椅子が置かれている。一見した所どうも自由に入れるみたいだ。建物の裏側には飲み物の自動販売機が設置してある。この販売機で飲み物を買って、中に入って一休みしてもいいのだろうか。なにもない広場には遊具が一つ、元児童公園にあった場所から移されて置いてある。お天気が良い日に小さな子供連れの親子が遊んでいた。公園で幼児連れの親子の姿を見ると一抹の寂しさを覚える。孫の手を引いて児童公園に行き遊具で遊ばせていたことを思い出すのだ。私は10年近く孫の世話をしに神戸へ行き来していた。自宅には脳の病気で療養していた夫がいて、私が居なくても安穏に犬の世話をしてひとりで暮らしていた。自宅に帰ると時々夫は妄想が起きてDVまがいのことをされるのでずっと神戸で住みたかったが、娘が帰るようにいうのでいやいや帰り数日を過ごした。こまごましたことは覚えていないが、記憶にあるのは神戸から帰るとき、前の晩から辛そうに泣きべそになっているちっちゃい孫のことが今も胸キュンで思い出される。現在の生活は自宅で一人暮らしだが、あの渡り鳥のような暮らしのことを思い出すたび、ひきこもごもの事が思い出されて胸が痛くなる。私も今より若く体力があったので、朝から体を動かし、仕事に行く娘を支援しながら神戸での一日一日が過ぎて行ったことなど、思い出されるのだ。今は娘も強くなり職場を取り仕切る立場にいて、孫は東京の大学に行っている。月日の経つのは年を経るごとに速いと感じている。あと何年自活してここで暮らせるのだろう。
2026.03.06
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一年に一度三月に総合病院の整形外科で骨密度測定をしています。これはほぼ三十年実施しています。始めたきっかけは友の会という全国的な生活勉強の団体に入会していたとき、地区ごとにわかれている私の最寄で骨密度を測ってみようということになりました。その時のメンバーのほとんどは年上の人だったので今はこの世にいらっしゃいませんが、その方たちがその後続けていらっしゃったかどうかはわかりません。私が最初に測定をしたのは近くの個人病院の整形外科で腕に巻く器具での測定でした。服用する薬は一年ほどは骨粗しょう症予防の薬でしたが、測定値が変わらないからとその薬は中止になり、ビタミンDの薬に代わりました。数年後個人病院から総合病院の整形外科に移り今に至っています。結果の説明していただく先生がずっと同じなのは院長先生なので転勤がないからでしょうか。総合病院なので骨密度測定専用の個室で寝台に横になり、20分ほど撮影という形で測定します。事前に採血、検尿、腰のレントゲン撮影もしました。結果が記載されている紙面には身体の各部位の数値が色別にわかりやすく表示されています。去年の数値と今年の数値が表示されていますが、今年は数値が上がっていました。同年齢の測定値は140%、全年齢の測定値も100%以上に上がっていました。ちなみに近所だった80代の女性は三年前にここを去りましたが、当時彼女の骨密度は68%で骨粗しょう症と診断され骨粗しょう症の薬を飲んでいるとのことでした。個人病院の整形外科を受診していた中年のころ、怪我をしたことがあります。そのとき将来、独り暮らしになれば入院ができない個人病院は困ると思い総合病院の整形外科に変わりました。先のことを考えて行動したことは正解だったと思います。
2026.03.02
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生まれてこの方色々な転機があったが、或る年齢まではそれは輝かしいものが多く、家族に祝福される未来への転機だったように思う。だが中年を過ぎてからは思わぬ転機を迎える場合がある。還暦前の男が突然病気になり会社を休職したり、家内の仕事を閉鎖すると、家族にとってはそれこそ天と地をひっくり返したような一大事だ。還暦を過ぎたあたりから現在に至るまでの間に友達や知り合いの訃報があり、その後の生活は一変したと彼女らは涙を零しながら言う。さて、男も女もお一人様となると早速変化があるのは食べることだ。二人分作っていた食事の準備は一人分になり、食べきれず捨てたり、もったいないと二度三度に分けて食べたりするという者もいる。今日の生協の注文書を見ていたら、夕食の宅配注文書が交じっていた。料金は自炊するより安くつき、品数も自分の食事には多すぎる。味はどうなのかなという疑問が湧く。ああ、弁当で済ます生活にはなりたくないという気がする。長生きしなくても良いから自分の好きな物を少し食べるのがいいとさえ思う。四年前に家を売って他県に住んでいるご近所さんがいるが、こちらにいる数年間を友達と弁当を買いに行って二人が夕食にそれを食べていた。まだ七十代だったと思うがそのほうが良かったのだろうか。自宅でほかほかのご飯を炊いて、煮物を作り魚を焼いて、あとでお茶漬けをするという簡単な食事でもそれのほうが自分には合っている。
2026.02.21
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日増しに温かくなるので庭の花の蕾が次々開いていく。特に水仙の蕾の膨らみは口の中にとんぐりを頬バッタ様に似ていて、他の花なら撮らない花の蕾を撮りたくなる。先日は黄水仙の蕾の写真を撮ったばかりだったにもかかわらず、昨日ぽっこり花が開いていてとっても可愛らしい。いつも芽を出す場所に三本の黄色くて大きい花が今朝もしゃんとして咲いていた。どうやら温室の中の脇にも一列に並んで三、四本咲いているようだ。去年はこちらの黄水仙を撮ったのを思い出した。この簡易温室は畑の中に作ったものだが、元々葡萄が実をつけ始めたのと、水を嫌うトマトを植える為に作った。今は水分が足りなくてからからに乾いた落葉が散らばっている。まだ二月だから庭の真ん中からどの方角をみても良い塩梅の写真の構図は無理だ。梅の古木と鉢植えから移植した紅梅の写真だけ撮ってネットにアップした。敷地内の隅に作っている狭い畑にはすす病に罹って幹も枝も真っ黒になったポンカンの木がある。実は20個ほど生っているが近寄るとすすが付くので採っていない。先日ともだちが来宅したとき持って帰ってくれたが、まだ残っている。病気にさせてすまないという気持ちである。三月一杯でなんとかしなければと思う。
2026.02.19
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最近もやもやが払拭されて淡々と部屋ごもりの毎日を過ごしている。なにがそうしたのか思い当たることを考えてみたら、これかなということが浮かんだ。まず前向きなことを上げると;相当早起きが続いていること。これは決めてしていることではなく自然体で早く目が覚めてしまうだけのことで、昼の空いた時間に仮眠をとって埋め合わせをしている。運動はこれといってしていないが、体は結構動かしている。独り暮らしなのですべて自分がやるから動かさざるを得ない。リビングに新しいお気に入りの白木のテーブルを買ったから掃除がしやすくなって、掃除嫌いの自分が掃除機をかけた後に拭き掃除までしている。これができると、次へ進める。もともと洗濯は好きなので一日二回は種別でやってる。お天気がいい日は最高にうれしくて庭の物干しにこれも場所が決まっていてきちんと種別に干す。昨日はジャガイモの植え付け迄した。そういえば最近腰痛が起きないナーどうしたんだろ、腰痛さん。朝は元気があるからわりと料理を作る。作るといっても大したもんじゃないけど、煮物とか和え物、魚の味噌漬けなど。食生活が前向きになったかな。生活勉強会に在籍中はまじめに出席していたから食生活のグラフを提出していた。青菜を一日一皿、60グラムだったかな。やめてから何年も守れなかった。とにかく野菜は少ししか食べなかった。その代わりカロリーが過多になるほど毎日毎日旬の果物を食べた。旬の前の早い時期から苺、次は出始めから西瓜。これにはまいった!毎日中毒のように小玉の4分の一ずつ食べたが、その食べ方が普通と変わっていて、朝食の始めに大皿に大きく切ってその上に砂糖を振って食べる。喉ごしが良くて、じゃあご飯食べようかなという気になっていた。これ悪いんじゃないのと思ったけど、やめられなくて旬が終わってもしばらくは探して買っていた。ま、そんな生活だったから気分も偏っていて、気になることがあると執着しうつうつとしていた。近頃はすっきりしている。切り捨てという観念が少し実行できるようになったことと、もうひとつは自分の軸ができつつあること。これまではありのままで、がモットーだったけどそればかりではだめだと思いだした。すこしずつだけどもっといいことを追加していきたいなとおもう。
2026.02.14
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去年は好天続きで冬らしくない年末を迎えた。ことし令和八年になって、二月には薄い積雪の庭を見ることができて写真も撮れた。雑然とした庭全体が白で埋まっていると少しはましな庭の写真となり、どのサイトにも投稿できてよかった。春の雪といえるこの軽い雪景色は言葉ではきれいだが、やはり庭を歩くにも身が縮む寒さを感じた。去年の夏は異例の猛暑で大変な思いをしたが、滅多にない雪の日の寒さも心身に堪える。天気によって左右される気分は現在の年齢では顕著である。当時は楽しかったsnsも今は左程でもなく、籠っている昨今毎日何をして過ごしていたのだろう。旦那さんが年末に亡くなった同級生の友達を励ますことで自分が励まされたような気がした。12月半ばから毎日欠かさず電話をして、まるで自分の安否を確認するかのようだ。目の見えなくなった彼女が独りで生活していることを考えると自分も頑張ろうと思う。フェイスブックに流れてきた言葉の中に、「自分に軸を持つ」ことが根本の心構えだと書かれていた。これまでは頼れる人が家族を含めて、リアルの友人、snsの中で密に交流していたフレンド達がいた。今は母や夫もいなくなり、助けてくれた友人も亡くなったり病気になったりで声を聴くこともできない。女性の友達はみな自分のことで精いっぱいで、むしろ自分が能動的に関わらないと成り立たない関係になった。最後は自分の軸に頼るしかない。自分の軸としてなにがあるだろう。考えてみたら、目に見えないふわふわしたもの…そんな気がする。自分の中での遊び感覚。私は気持ちの中でも行動でもいつも遊んでいる。つまり好きなことを考え、行動しているということだ。買い物もその一つ、先日新しく外出用のバッグを買った。
2026.02.10
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ときどき自宅のある市街地に近い住宅街から出てみたくなり里山方面へドライブする。街中ではフジというスーパーがいくつか占めているが町はずれにチェーン店を見つけるとお馴染み感がある。店内が似ているだろうから買い物がしやすいと思う。三年ほど前に馴染んでいたしんばしというスーパー二店舗が閉店した。住民はかなりの不便さと寂しさを感じていたようだ。跡地に別のスーパーが建ったがなかなか馴染めない。フジはどんどん勢力を増して遠隔地にも出店している。知らない土地に降り立ってフジに入ったら多分ほっとするのではないかとおもう。銀行は他県に行くと同じのはなかなかないが、信用金庫の類はかなり広い地域にあるらしく、他県で使うとき便利だと言われて通帳とキャッシュカードを作った。いまどきはドラッグストアやコンビニのATMで郵貯銀行や他の銀行のキャッシュカードが使えるので便利になった。去年娘に指導してもらってクレジットカードを作った。このカードはフジイオンカードというカードだが、他県で使うときは暗唱番号を入力する必要があるかもしれない。イオンカードのクレジットは制限が10万円なので地元のスーパーで食料を買うぐらいしか利用できないから不便だ。孫は進学して東京で生活するようになり別のカードを作ったらしい。通帳にあるお金がすぐ手元に入るので便利だと娘は言っている。
2026.02.07
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昔のことになるが、高校生の時の友達から手紙かはがきがきて、差出人のところに悪友(名前〇〇)と書いてあった。なんとなく親近感とユーモアを感じた。中年高年と生きてきて、今もって私がユーモアを交えて悪友と書ける友達はいない。高年になっても続いて一緒に年を刻んできた友達がいる。この人はふしぎな人で、心の中では数えきれないほど縁を切っているが、声を聴きたいなとか、聞いて欲しいことがあると彼女に電話をかけてしまって、あとでしまった!と思うのである。何故かというと彼女との交流の中に少しだけ残っている温かさに惹かれている自分に、縁を切ろうと思っても切れない自分に歯がゆさを感じるからだ。今更切るの切らぬのという先の長い命でもないが、その繰り返しをしている。あったかい心を持っている人と思って電話をかけるのだが、先方は私を友達だと思っているせいか、本音の言葉の中にぐさっと来ることがあり、電話での話のたった一言がいつまでも私の心を悲しい気持ちにさせる。原因を探ってみると、私が一番気にかかっている家族の問題や私の成育歴に関して彼女は自分の立場での逆の幸せをつぶやく。せっかく忘れようとしているのに、彼女のその言葉によって、羨ましいなという思いと、自分の場合にはそれが叶わないという強い悲しみが再度吹き返してその不快感を忘れるまで暗い気持ちになる。これを悪友というべきかどうか、悪友とは親しさ故に自分の辛い思いを逆撫でするものなのか、高校生のときの友達、悪友と書いていた友達とは質が違うような気がする。
2026.01.28
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今年初めての雪かも、と思いながら、昼を過ぎて玄関を開けたら太い綿雪が舞い込んできた。傘をさすまで待てないかのように柔らかい雪片が顔いっぱいに当たる。さっきまでテレビの豪雪の番組をみていたから、こんなの雪とは言えないとは思ったけれど、やっぱり年に一度くらいは雪景色を見てみたい。玄関を出て庭のアプローチを歩き門の格子戸を板戸に入れ変えて鍵を閉めた。人通りはいつもに増して夜までないだろう。年末に帰省した長女がリビングの大々的な模様替えをしたもんだから、さつま芋があったはずなのになくなっている。捨てても捨てても賞味期限切れになる冷蔵庫内の、主に生協の注文の品。漬物など塩分を気にしている者にとってはそうそう一度に沢山は食べられないから余ってしまい、そのうち新しいものに隠れて賞味期限が切れるのだ。外に出て一枚ぐらいは降雪の写真が撮れるかもとカメラを椿に焦点を当てて撮ってはみたものの、雪など全く写っていない。今夜雪が積もったら雪を被った赤い椿の写真が撮れるかもしれない。
2026.01.22
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晩年にすっかり目が見えなくなった友人がいる。去年の12月の半ばに、入院中のご主人が肺炎のため亡くなられた。年末で親戚が来ることもなく、葬儀以来ひとりで暗闇の中で過ごしていたと、私がひょいと大晦日の夜電話したとき言った。高校時代から仲良しグループにがっちり囲まれて、私や他の友達は枠の外で付き合ってもらっていた。誰にでも優しく接し、決して人を傷つけない、どんな苦境のときでもめそめそしない人だ。十数年前私の苦境のときドライブに同行して話を聞いてくれた。私はこれまで彼女の人柄の良いところを尊敬して、積極的に近づいてきた。徳の備わったひとは、現在の寂しい状況になっても毎日電話をかけると断言して実行している友が現れた。私も毎日声を届けている。彼女はこれまで悲しみが幾度となく襲ってきたが、私にも変わらず明るい声で対応していた。こういう強さはどこから生まれるのだろう。徳が高いとしかいいようがない。そういう人は友達もほっとくはずがない。私もずっと繋がっていたいとおもう。彼女は私が長い間一人暮らしでしっかり生活をしていて「えらいねぇ」という。徳がないので人は寄ってこないが、不思議とさびしくはない。人は、寂しさに慣れているからだという。そうなんかなあ。自分ではわからないけど。生まれ変われるものなら、両親揃った家庭で、兄弟姉妹がいて、楽しい家庭だったと思いだせる暮らしがしたい。
2026.01.17
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レジャーが受動型になったこの十年。幸いつい最近娘に付き添われて神戸の甲状腺専門病院と静脈瘤専門病院へ半年ごとの経過観察で行くことになり、受動的行動ではあるがこれまでの十数年とはがらりと変わった生活になった。生活状況は今までどおりだけれど、気分は大いに変わっている。夫が脳梗塞罹患後療養していた14年間は自分のことは地に足をついたものではなかった。夫は認知症が半分混じり、穏やかな家族とはいえない、まことに戦々恐々の毎日だった。そういう中でも神戸に通い、産まれたばかりから孫の世話に集中していたことは生きがいでもあり、体は疲れても自分の心がやましいということはなかった。あの時期は成人した現在の孫娘とは裏腹に、純真で真正面から懐いてくる孫のことが可愛くてたまらなかった。母親が仕事に行っている日中の相手は私だったので、半分しか一緒にいられなかったけれど娘と私が赤ん坊を守る生活は前向きしかなくてすこしの成長にも喜びがあった。第二の子育てなので最初は戸惑ったが少しずつ慣れてきた。孫は強度のアレルギーがあったので離乳食から食材は極めて細かく点検して与えていた。保育園から小学校まで孫にはびっちり私の愛を注ぐことができた。孫というものは小さい時可愛いだけとほとんどの人がいう。確かに孫が中学高校時代からは私は傍で過ごすことはなかった。一緒に娘の苦労を背負ってやりたい気持ちがあったけれど、自宅にいる獰猛な動物のように変貌した夫の元へも半分は帰らなければならず、母が生きているときは辛うじて耐えられたが、亡くなってからは助けてくれる人はなく命からがら共存していた感があった。穏やかな老後を夫婦二人で過ごしているという文章を読むと、私には縁のないことだと心の中で線を引く。母と夫を見送り、孫が成人になった現在私は完全に自由の身になったが、当時の健脚は衰え、一人で他県に出かけるのも不安である。二人の娘たちのことに私が余計な心配をする必要はなく、たとえ困難に面しているとしても私は足をつっこまない。私は今目の前で私を求めている友人に、自分ができる範囲で手を差し伸べたいと思っている。
2026.01.13
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ネット上には多分私が知らない投稿サイトが色々あるとは思うが、私が投稿しているのはエキサイト、アメーバ、が安定した割合で更新しているサイト。昨年一つ新しいnoteというサイトに投稿するようになった。ここができたのはそれほど古くはないと想像しているがそれだけにすごい勢いで動いている。一日に何度か覗いているがそのたびにずらりと「いいね」をした人の丸いプロフィールが並ぶ。面白いことに、「いいね」はサイトにより色々な呼び名があり、noteでは「スキ」という。コメントはどのサイトもコメント。私はメールアドレスにヤフーのフリーメールを使っているので、そこに送られた「スキしました」というメールがページを占めている。年齢や職業も様々で、私のようにフリーの人もいる。投稿するにはフォトが必要で、今までのブログに貼っているサイズが500~600ピクセルに比べ、noteの見出しのフォトは1000ピクセルを少し超えるが私は1000にしている。最初は設定が難しくて時間がかかったが慣れたらそう難しくはなくなった。年齢が若い人のサイトかなと思っていたが、そうでもなく今日は70代後半の女性からコメントをもらった。健康な人ばかりではなく、精神を病んで回復して仕事の傍ら詩を書いている人もいる。いただいた「スキ」をもらった人の記事はなるべくじっくり読みたいが限度があるので加減している。
2026.01.07
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今年はすっきりしたリビングで過ごせるようになった。整理が上手くない自宅の部屋はこれまであまりにも物が多くなり雑然としていた。去年の暮に長女が二泊帰省し、その大半の時間をリビングの模様替えに費やした。ついでにこれまで扱いにくかった大きなテーブルを別棟に移し、新しい家具を家具屋に買いに行った。新しく買った食台は好きなかたちだが、椅子も三脚それぞれ別の形のにした。共に年越しをした次女と子供と私が座る場所も決めて数日を過ごした。私は一切関与していない整理だったので、位置が変わった冷蔵庫から、又食器を入れた食器棚から、台所の小物を置いたワゴンとラックから、調理や配膳に必要な物を取り出すとき場所を探してうろちょろした。こんなに合理的に整理整頓をしてもらったのだから、今後一切「小さな物にも指定席」という羽仁もと子女史の名言を守ろうと改めて心に誓った。(自由学園創設者 羽仁もと子著作集より)次に心に決めたことは気持ちの中でうようよしている雑念を一切排除すること。心配事は引きずると心身の不調をきたし、それが子供にも負担をかけることになる。何時まで経っても家族にはなにがしかの心にかかることがあるものだ。それらを一気に自分事としてあくせくしていた時期も長かったが、もうそういう時代は私には終わったのだ。それぞれの立場で責任を果たして行けば良い。努力が必要だったころには私は精いっぱいのことをした。次の代のことは次の者が担えば良いのだ。自分に課せられたこと、今年は車の免許返上でありそのことで生活も変わるだろうし、気分も落ち込むだろう。でも高齢になって無理をすると大怪我をするかもしれない。一歩手前で留まることをする必要性を心に決めた年始である。
2026.01.05
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あけましておめでとうございます昨年は拙作をお読みくださりありがとうございました。ことしも少しずつ書けたらいいなと思っていますのでよろしくお願いいたします。 笹峰霧子
2026.01.01
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丁度クリスマスの日に長女が二泊で帰省した。今回は私の生活をしている別棟のリビングの模様替えをすると言い、朝から張り切っていた。私は細かい物の置き場はきちんとしているが、こういう大がかりなことはてんで頭が回らない。人にはそれぞれ得手があるものだとつくづく思う。会社など経営して仕事の段取りを指示するには娘のほうが向いているだろう。今までリビングに置いていた大きなテーブルを母屋に運ぶのはいくら何でも娘一人では無理というので、思い巡らして普段色々な仕事を年間契約でやってもらっている中年の人が思い浮かび電話を掛けたら、仕事が終わったのですぐ行きますと隣町から来てくれた。こういう色々な仕事をしている人と馴染みになっているので、それぞれ必要な時に連絡すれば来てもらえる。一人暮らしでも連絡網がきちんとしていれば生活はできるものだ。山のお墓も雨の中してもらっていたのでその集金にプラスしてお金を払った。娘の作業が一段落したところで、町の家具屋に新しいテーブルその他を買いに行った。神戸の娘の家の食卓が白木なので良いなあと思っていたが、それと似たのがあり、すぐに決めた。椅子も一つずつ別の形になっていて、こういうのがいいと思っていたので三脚買った。家具屋を出て、帰りにすしえもんという回転寿司で夕食をとった。夜十時ごろまで片付けて粗々と置き場が決まり、広くなったスペースにテーブルが運ばれるのを待つだけにしてもらったところで、翌朝は早々、長女は鎌倉の家に帰って行った。あと二日だけ私の独りの時間が持てたので、少し買い揃えたが、フジイオンカードでのクレジットでは支払いできなかった。後日次女が帰って来た時、書類を見てもらったら制限金額の設定が10万円になっていて、しばらくはクレジットが使えないことがわかった。そこからの手続きとかは私はお手上げで、次女が制限金額を増額する手続きをしてくれた。承認されるかわからないらしいが、承認されてもカードが使えるまでには日数がかかるらしい。一人ではこういうことは何もできないよー*年末までこの続きは書けないかもしれません。昨日次女と孫、犬が帰ってきました。賑やかなのもいいけど、独りでいるのもいい。
2025.12.28
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先日親しい友人の旦那様が数か月の入院のあと亡くなられた。もしそういう事態になったとしてもきっと本人から知らせては来ないだろうから時々電話をしようと思い、いつも話している友達にもそのことを伝えていた。一週間ぐらいして電話してみた。ご主人さんの具合はどうお?と尋ねると、彼女はもぐもぐと不確かな言葉で何か言おうとし、まあ後で話すわと言った。あとでと言わず、なにかあったのなら今話してよと私が迫ると、一瞬躊躇はしたものの、「今朝死んだ」と言った。突然だったのでドキリとして、彼女らに知らせたのと思わず聞いた。彼女は「まだ誰にも話してない、話したのは貴女が初めて」という。更に付け加えて、「あの人たちには落ち着いてから自分が話すから黙っていてね」と念を押された。私がいつもぺらぺらと話す友達にも言ってはいけない。彼女の親密なグループの連中も知らない。この寒空にみんな体が悪いのに心配かけるから、と彼女は気遣っていたのだ。実家にもまだ知らせてないのよ、というから、電話切るから早く実家に電話して、と言って切った。数日後、そろそろ落ち着いてるかなと思い、電話を掛けた。彼女は「今葬式から帰ったばっかり」と言った。疲れたね、休んでねと言って電話を切った。お悔やみにお家へ行くのは彼女が落ち着いてからにしようと思っているうち数日が経った。数人の友達にようやく彼女のことが話せるようになり、近いうちにお悔やみに行くつもりだと言ったら、その一人が自分も一緒に行かせてという。喪主本人に聴いたら、すぐ会いたいから明日来て、というので二人で彼女の家に行った。ヘルパーさんが掃除に来ているらしく、各部屋はこぎれいに整頓され、こじんまりと祭壇が組まれていた。祭壇のある部屋のガラスの格子戸を開けるとリビングになっており、そこで三人が話した。連れの友達も三年前にご主人をなくし悲しみを引きずっているが、その場の話題は明るい話をして楽しいひとときを過ごした。楽しかったと二人とも嬉しそうに言い、又今度三人で話そうねとタクシーを相乗りして自宅まで着いた。一日置いて電話したら喪主の彼女は疲れているようだった。付き添いもなく、独りで大勢の弔問客の相手はきつかったと思う。大勢の友達から慕われている彼女なので電話を掛けて来る者も多いと思うが、私も無事に過ごしているかなと気になっている。彼女は晩年になって全盲になったので今後の暮らしはどうするのだろうということも…。
2025.12.22
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ネットで物を書くのは誰にも遠慮することはないが、一方で尊敬していた人に言われたことを守らなければならないという気持ちがある。馴染んだ人に何かをしてはいけないと強要されると、そうしなければいけないかのような錯覚をしてしまう。現在私は或る投稿サイトに入会して他の投稿者の詩などを閲覧しているが、気になる数人の詩だけを読み、たまにコメントを入れている。最初素敵な詩だと思って応援していた人の詩が最近は理解できなくてポイントを入れなくなっている。このサイトは自分が精神を病んでいることを堂々と描いている人もあって、内情や現況を粗々と知っている女性がいた。罪を犯しているのだからポイントを入れないようにとのメールが来ていたので、これまで彼女の作品を読むこともなく、ポイントを入れたりコメントを書いたりすることもなかった。だが最近その詩が味のある詩に思えてきてポイントやコメントを入れるようになった。そのことを伝えた人にはポイントを入れなくなっているので多分不快な思いをしているだろうなとはおもう。自分でも裏切りのような気がして、自分の作品は投稿しなくなった。私は詩はそのサイトには合わないので俳句を投稿していたが、そのたびにコメントを書いて下さっていた人なので裏切っているような気がしてならない。思わぬ方向へ行っている自分のやり方はおかしいのか。裏切りなのか。でも精神を患っている彼女の詩は赤裸々で共感することが多い。
2025.12.14
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思い返してみると、母はいろんな楽しみを与えてくれた。まず思い出すのは毎年夏になると買ってもらう白いサンダル。うれしくてたまらなかった。お正月を迎えるころになると羽子板と羽根を買ってくれた。いまほど物資が豊富でない時代だけにこの贈り物はとてつもない楽しみだった。羽子板も大きな飾り物ではなく、お正月の遊び道具の一つで小さいお粗末なものだけどそれがうれしく、対でついてくる羽根は一枚一枚の羽根が別の色に染められていた。いつもは着せてもらえない着物を着て、家の前の土の庭でお正月の歌を歌いながら羽根つきをしたもんだ。普段それほど遊んでくれたことのない母はこのときは羽根つきの相手になってくれた。姉妹がいないので四季の行事のとき近所の子は遊びにはこないので遊べない。親類は男の子ばかりで彼らは凧揚げを楽しんでいた。遊ぶときの着物は決まっていたが、思い入れのある着物はいまでも和箪笥の中にしまってある。夏の愉しみにもう一つ思い出した。たしか七夕の宵のこと。このときも普段は箪笥の中に眠っている夏用の絽の着物を着て、田んぼの中の細い径を三段の小さな提灯を下げてともだちと列になって歩いた。提灯は三段それぞれに赤やピンクや緑色の鮮やかな色に染められていた。田んぼにはイナゴやばったがぴょんぴょん飛んでいたな。いまの子に話したら想像がつかないからきっと別の世界の話だろうと思うだろうな。幼稚園には行かなかったけどその年頃で、うれしかったこととしてインプットされている。
2025.12.07
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リアルでもネットでも或る人物から離れたいと思い、時間をかけて縁を切ることがたまにあった。どういうときかというと、自分がはっきりと意思を伝えられないで相手がどんどんエスカレートしてそれに我慢の限界がきたときだ。ネットでは何かを教えてもらった方、個人的にお話ができて相手の作品とかを応援したいと思っていた方、リアルでは同じ仲間で、家にも行き来し、物をもらったり上げたりしていた人。ではなぜそういう他の人より近しいひとと離れたくなったのか。それにはひとつひとつそうしなければ耐えられないほど追い詰められていたからと弁解せざるを得ない。そういうのをうまくかわしてうまく付き合える術が知りたい。でもそういうのって才能だ。私には才能がないのだ。だから次第にエスカレートの度合いが相手の心に芽生え、愉快とも思えるほと膨らんで、こちらがいや~な気分でいることに全く気が付かない。こちらがかなり離れたころにやっと気が付いて、あれ~、なんで?なにか悪い事言った?いじめとかした?とか思い始める。余程のワルでないかぎり。余程意識的にやってない限りの話だけど。
2025.12.02
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高齢ともなると寿命の先が限られているので幸福感も絶望感もない。そういうことにあくせくもせず、生きていることだけでも有難いと思うわけだ。愉しみとはなんぞやと問われれば、これまでは子供の成長とか少し年月が経てば孫の成長を楽しみに過ごしてきた。今は子供も見守る年齢ではなくなり、孫への期待もそれほどせず、という気持ちだ。じゃあ、生きている心の糧はなあに?と自らに問えば、毎日が良ければいいのである。もっと細かくいえば、目の前においしい食べ物があるとき幸福感を感じる。身体上の症状があればそれが収まったとき幸せだなあと思ったリする。私は足が弱いので遠いところへはもう行けなくなったので、花が好きでも高山植物を見には行けない。毎日見ている写真サイトFlickrの投稿写真を見ても現実にその国には行けない。今までネットで若い気持ちになって若い人たちとメールをしたり、好きだと思ったりしていることが過去の遺物となった。会ってうれしいひともいない。生き返って愛した人に会ったとしても相手は見るかげもない姿になっているだろう。だから、サスペンスをみて生きるの死ぬのというくだらないストーリーをみて喜んでいるのだ。本音をいえば、子供たちが傍に居て家族が仲良くしてくれれば、せめてもの慰みになるだろうけれどそうもいかない。かといってそのようにしてほしいと頼める立場ではない。神様に幸せをお願いして、祈ろうとも今はそれほど思わない。ただ良いことも悪いこともありのままに受けて静かに余生を生きる。これが現在の心境だ。
2025.11.26
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長い人生を生きてきて、未熟な精神状態から、家庭内で、又社会的に痛い目にあって少しずつ知恵がついた。健康寿命のあとが短くなっているのに今頃になって気づくというのも情けないことだが。最初に救われたことばはごく若いときに言われた夫の忠言であった。「先に謝ったほうが勝ち」といったことば。私は夫の言葉を素直に聴いて守ってきた。真正面から怒りをぶつけてくる人には自分が悪くないと思ってもまず、謝った。相手の溜飲が下がると付き合いは元通りになり、自分もよかったと思ったものだ。争う気は全くなく今まで通りに付き合ってほしいという気持ちだった。夫が病気になって幻聴や幻覚で怒り狂って向かって来たときは、30分間ぐらい間を置いて、もう機嫌直った?と近づいて聞いた。まだ腹が立っているときはすぐには元にもどらずしかめ面をしていたが、直るまで待っていたら自然と直っていた。その内容が何だったか覚えていない。中年になっても親しいと思っている人から時々ぐさりとくることを言われていた。そのときも真正面で対抗することはなかったので、しばらくすると相手も落ち着いて元通りになる人もいたり、離れて行った人も居た。現在夫も亡くなって、しかも高年になったので以前とはちがい、心身共に弱くなっているのでやられると心身にこたえる。なるべく黙っているが、たまに許せないことをいう人がいると、その時だけでなく次々と言ってくるので、最近はお灸をすえるすべを知った。ごく一部の人たちだが、誰が聞いても失礼なことを平気で言ったり、こちらが不愉快に思うことを繰り返し言ったりする人たちだ。私は親業という人との応答の心理学的なやりとりを学んできたので、その方法で論理的に言う自信はあるが、相手が非常識な人間に対してそれほど心遣いをする必要はないと思うようになった。そういう人は反省はしないだろう。何故なら、認知症に足を踏み入れている人か、元々常識がない人だからまともに相手にする必要がないからである。ここまでの心境に至るまでには幾つの山や谷を越えて来ただろう。世の中には温かい心を持っている人、決して相手に傷つける言動をしないひとが沢山いる。90%以上と言ってもいいだろう。おかしなひとはごく少数の輩なのだ。友達と称する者でも近所付き合いだけの者でも、自分の心からは潔く断ち切ったほうが賢明である。
2025.11.19
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前編の文章を書いて数日経ったとき、ふと考えてしまった。今幸せに暮らしているのは誰のお陰だろうって。何の不自由もなく安穏でいられる状況は自分が作ったものなのか。いいえ、私はただ誰かに助けられお金をもらい、子供を授かり暮らしているのです。物心ついてから親には色々なものを買って与えられ、20代後半からは夫に月給を袋ごと渡され、近所から又外部からの見えない刃を堰き止めてくれたのは夫でした。子供たちが私よりずっときれいな子として産まれたのも夫の遺伝子。晩年は子供のことで、又夫自身脳梗塞の病後の期間は随分怖い目に合いましたが、それ以前のことは忘れていました。悪いこと、自分が苦労したことばかり覚えているのです。自分が苦労をしたことを忘れかけている現在、少しずつそれ以前のことが思い出されます。一人で里山までドライブしていると、運転してくれる人がいないこと、また夫が療養中は助手席にいたこと、それだけでも窓から頭が見えて外部への用心棒的な存在になっていたことなど。いつまでも家の表札を夫の名前のまま掛けている。それもセコム以上の防犯。娘たちも中年になるまでは結構反抗的で私にもあたっていました。今彼女らは50代半ばになろうとしています。大分丸くなり私に反抗することは全くありません。職場の若い者から受ける反抗的態度や子供のわがままによって次第に丸くなり辛抱することを覚えた成果だと思われます。「もっと優しくすればよかった」と反省するのは代々繰り返していくものでしょうか。(後編)
2025.11.10
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よくテレビで、結婚する者に喜びを伝えるとき、幸せになってねというシーンがある。私には結婚イクオール幸せという考えは宙に浮いた言葉のような気がする。どのドラマでも結婚したあとの苦労や寂しさを主題にしたものが多く、それほど結婚は幸せとは程遠いのである。好きだという気持ちと、結婚が幸せということとは全く別物なのだ。つい先日からテレビを騒がせているニュース、26年目の殺人犯逮捕。それは犯人の心中にじっと温めてきた愛から出た発想ではなかったのか。その相手が結婚していると知ったとき、自分の中の愛のカタチがそのまま先方の家庭に投影し、まるで夢のように幸せな生活と思えたのだろう。隣の芝生は青い。枯れた芝生でも隣に生えていれば青いのだ。私の夫を憧れている私の友人がいた。彼女は(私の)旦那さんに結婚してもらったら今の家庭を明日にでも捨てると言っていた。側からみて私はさぞ幸せな人間に見えたことだろう。だが自分の晩年までの道のりを振り返ると幸せだなあと思った時間はどれほどあっただろう。(前編)
2025.11.03
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11月より心機一転して文字だけの雑文を書きたいと思います。日記ではなく、エッセイとしてまとめて書きますので今までよりは固い文章になるかもしれません。
2025.10.29
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娘に車で送ってもらって三日経ち、娘とロミオ君は神戸に帰って行きましたあまりにも頼っていた一か月だったので、ひとりになると少し不安を覚えましたが、昨日の夕方家の前の通りまで出て遠くに見える山を眺めていたら落ち着きましたそして都会には無い安らぎを…やはり私はこの環境が一番合っていて自分を安定させる場所だと気づきました今朝は曇りと天気予報に出ていたので外に洗濯物を干していたらずぶぬれになっていました買い物やら返品のサプリを送りに外出しようと思っていたけど出られませんでも涼しくなったのは良いですね~
2025.09.17
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目的の甲状腺の精密検査では良性と分かり、経過観察半年ごとになった。今回は代替えの普通車で送ってもらい、次回神戸に来るときは一回り大きな車で迎えに行くからねということです。この一か月は甲状腺の検査の他に、宇和島では解決できなかったむくみの専門病院での受診もして、着圧靴下を履くことを勧められ毎日膝下まで履いています。膨れていた足がほぼ元通りになっていますが、左足の内側の血管の一本が活力を失い下がった血流が上がれなくなっているので手術をして止めないといけません。来春来た時に受診して手術をするかもしれません。全てのことが終わってからこの一週間は孫が東京から帰ったので話すことができました。精神的に大人の部分があるので守りをしていたころのように気楽には話せませんが次第に成長し大人になってゆくのを見るのは楽しみです。滞在中はときどき宇和島のともだちと話したり、日程の報告をしたりしました。届け物を預かってもらっている人もあってありがたかったです。そろそろ帰る準備をしているところです。*毎日更新している投稿サイトですnote
2025.09.11
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昨日検査の結果を聴きに予約の二時までに病院へ着きました結果は良性のできものができていて、悪性ではなかったので安心しました宇和島の市立病院でも検査して結果待ちですが、キャンセルしようと思います我が町の総合病院は専門病院ではないので検査から結果を聴くのが遅いです神戸の甲状腺専門の病院だったので、数日後に結果がわかりました半年ごとの経過観察なので神戸へ送り迎えしてもらって検診を受けますそれぐらいの割合で神戸に来られるのは楽しみでもあります今日は曇りであまり暑くなかったので、明石市の舞子公園に連れて行ってもらいました明石大橋の写真が撮れてネットにアップできてよかったです最近はnoteという投稿サイトに毎日投稿していますnote
2025.08.23
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昨日の朝五時に家を出発し、徳島経由で明石海峡を渡って神戸に着きました。途中二回トイレのパーキングに寄り、所要時間は四時間半でした。幸い少し曇っていたので外に出ても左程暑くはなく、車内でも冷房が寒いくらいでした。すぐに家の中に入ったので周辺の景色は観ていません。娘が掃除や食事の支度をして、私はテレビを見たり持参したパソコンを操作して夜を迎えました。お風呂にも入らず早々と眠ったので二時過ぎに目が覚めてこうしてパソコンを開いています。一階にはプードルがソファで寝ていました。明日も外出はせず家の中で過ごすと思います。病院の受診は娘の仕事の都合でに三日後になるとのことです。初診なので予約はできず待たないといけません。娘の仕事の都合で二週間ぐらい神戸に滞在することになります。暑いので歩いて外に出ることは無理だと思います。また更新します。
2025.08.17
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お盆の一週間前から神戸の次女が帰っていたので楽しく心丈夫な日をおくりました。主にやることは将来的に買い物をクレジットカードに変える手続きと、インターネットバンキングの登録をしてくれた。これまでは遠い銀行まで車で梯子して現金を引き出していたが、これからは近くの郵便局へ送ってATMで引き出せるようになった。来年は免許返上するのでその準備のため。こちらの地域では医療機関やお店では現金が必要なのでそれが近くでできたら楽になります。一人暮らしの孫も現金は持たずの生活をしているとか。それが普通の世の中になってるとはやっぱり田舎者です。昨日の夕方近くにできたスーパーに行ったら若い男の人だけが自動レジでカート支払いをしていた。明日は甲状腺の受診に神戸に行きます。地元の市立病院では検査は終わってるのだけど、担当の若い女医さんには今後かかりたくないので娘のいる神戸の専門病院で診察を受けることにしました。ノートパソコンは持っていくのであちらからブログを書きます。
2025.08.15
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先週は検査を受け、内科の先生が別の科を紹介するので診察を受けるように言われ、長時間にわたって呼吸器科と甲状腺科の二つの科の診察を受けました。最初の内科の医師は、別の2つの科の診察を受ける理由は何も言われず、むくみの原因で考えられる心臓と腎臓は異常なしなので診察は終わりということでした。呼吸器科では回された資料のエコーとCTを見て、採血をとるように言われましたが、採血室の医師が午前中にとった血液でわかるといわれて、経過観察の予約を入れて終わりました。半年ごとの検査をしましょうということで来年の1月末の予約をしました。次の甲状腺科を長時間待って、喉のエコーをとる日を予約して帰りました。朝九時に受付して2時に終わりくたくたでした。早く終わると思い朝食を簡単に済ましていたので昼食は院内食堂でカレーを食べて帰りました。甲状腺科の医師はかなり若く、非常に言葉や目つきが威圧的でとても不快な思いがしました。翌日喉のエコーをとりに再度病院へ行き、エコー室でその女医に粗々と説明を受けました。時間があったから色々説明できたけど、患者が待っている診察室では患者に与えられている時間は5分ぐらいだと言われました。喉から針を突っ込んで細胞をとりました。喉に針を刺すというのは怖いと思いましたが、差し込むときにちくりとするだけで、痛みはありませんでした。細胞の結果の説明は予約が混んでいるので9月の末になるとのことでした。癌を調べる検査だったようです。今後のことはどちらの科でも結果がわかってから考えるつもりです。最近歯科で治療を受けていた友達が、症状がひどくなり市立病院を紹介されて受診したところ、悪性の癌と判明し、市内の病院ではなく大きな病院で手術をされました。個人病院は2年ぐらい診てもらっていたのに医師は簡単に考えられていて、いよいよ心配な状態になってから市立病院へ紹介されて、そのときはすでに癌の進行が進んでいたので手術はとても大変な症状の中行われたということでした。個人病院への不信感を大いに抱きました。経過観察の時期から専門の診察を受けていたほうがいいのではないかと思うようになりました。自分の状態は医者任せではだめだということ、大病院でもすぐには予約ができず1か月待ちとかあってその間にどんどん進行しているということもあります。今回友人の例で少しのことでも自分が決めて別の病院で診察をうけてみるというのも大事だということを学びました。
2025.08.04
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先日二回目の検査を終えて、今日は検査結果を聞きに市立病院内科へ行ってきます。美人の女医、年が若いのに高圧的な診療態度は気持ちよくないですが、患者側は我慢して当てがわれた医師に診察を受けないといけないのです。なにしろ内科は初診なので指名することができないので仕方ありません。内科は個人病院の主治医に長年診てもらっているのでこちらの症状など細かく聞いてもらえます。結果は次回の受診(薬)のとき伝えたいとおもいます。むくみの原因がわからなければ、血流をよくするために東洋医学の診療を受けたいと思っています。運動をしなかった報いがきたのです。八月に入ったら二度目の消毒をします。八個ほど生ってるので今年は初めての味を知りたいものです。
2025.07.28
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2週間近くの更新です。裏庭の浜木綿7月は心忙しい日を過ごしました。前回の日記に長女が帰ると書いていますが、その数日後に次女がトイ・プードルを連れて帰省しました。犬が来るときはごきぶりの殺虫剤を片付けて、テーブルに置いている小物とクッションを届かないところに置かないといけないので大変です。長女のときと次女のときに地元出店の回転寿司すしえもんに行きました。魚介類が新鮮なのでとてもおいしくいただきました。次女が帰った後、昨日予約していた午後にエコーとCTの検査に近くの総合病院へ行きました。5時までかかる予定が受付の人やエコーの先生の計らいで2時すぎに終わったので助かりました。結果は28日に内科検診でわかります。個人病院の先生も言われたことですが、血管の流れが下に下がり上に戻ることができないのでむくみが出るそうです。あまり下肢を使うことがないのでこのような状態が何か月も続いているのだと思われます。今日はお祭りの最後の日ですが、夜一人で行くのはつまらないので家に居ることにします。子供が小さいときは町はずれに住んでいましたが、母が私と二人の子供の浴衣を縫ってくれたので喜んで出かけたものです。
2025.07.24
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一週間ぶりの更新ですいつものことながら今朝も目が覚めたのが五時過ぎ、そのまま起きましたなんとなく胸騒ぎがする、はて?なにか?とつらつら考えるになにも心配ごとはありませんよーく考えたら七月に立て続けに、入れ違いで娘が帰省する日が決まったというわけでした静かに決まった日々を過ごしているので、我が子とはいえなんとなくどきどきするのですこのまま静かに、何事もなく過ごしたいというのも本音の一つ…先方は先行き短い母になるべく会っておかないと、という気持ちもあるのではないかな。まだ当分は存命するつもりなんです母は96歳まで元気にいて、最後の何か月かは病院でお世話になりましたけど。というわけで、どきどきの理由がわかったので安心して今日の一歩が始まりますゴミ出しの日でもないし、予定もない、それを確認すると更に落ち着きます俳句ブログ
2025.07.12
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日中は3日に一度くらいの割合で車で買い物に出かける以外家に籠っています家の中でも何かと用事はありますが、昼寝もするしテレビも録画して決めたドラマをみています朝が早いので今年はポットに植えた茄子とトマト、ハーブなどに水やりをし、洗濯を干すのが欠かせない仕事です室内の掃除には週一で知り合いのヘルパーさんに一時間来てもらってから苦手な拭き掃除をしなくなって楽になりました腰痛を二か月ほど患ったのでかがむ姿勢が負担でした台所の洗い場とトイレは私がしています誰も人が来ないので、決まって来る人がいると精神的に良いかなという思いもあります前から知っていて信用できる人なので彼女が仕事ができるまで来てもらおうと思っています他の知り合いは独居は少なく、一人住まいでも近くにすぐ来てくれる人がいて安定してるようです何かあって頼めるひとは居ないのでセコムに頼るしかないと覚悟しています今の楽しみは不織布ポットで育てている茄子に沢山実が生り始めたことです柿も幹が大分太くなり一枝に一個残して摘果しました6月と8月に消毒は欠かせないとのことで一度目の消毒をしたので五個ほど無事に留まっています野菜はヒヨドリがつつきに来るし、葡萄と蜜柑はハクビシンに遣られたので防御する手立てをしていますが、いままで来たこともなかったハクビシンが親子連れできて30個も食べ散らしていました今年は柿と蜜柑がもう少し大きくなったら袋掛けをするつもりです下に生えている草を手抜きでシルバーセンターにお願いしてきれいになりましたがまた生え始めています午前中は蜜柑の木に地下水をホースで昼まで噴霧しています
2025.07.06
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梅雨明けも間近なのでしょうか外に出ると暑いので今日は一日中家にいました昨日は足のむくみの検査をしてもらいたいので市立病院へ朝八時に出かけました受診の前の検査をいくつかして、診察室の前で待つこと四時間、さすが三時間経った頃気分が悪くなりかけました朝食をろくに食べていなかったし、坐骨神経痛が治りかけの時期だったので心臓がどきどきしてきました疲れが溜まるとこういう症状が出ることがあります空いている椅子に上半身を横たえていたらしばらくして回復しました声をかける人がいるので誰だろうとまじまじ顔をみたら、その前に電話したともだちがタクシーを飛ばして駆けつけてくれたんです他人のことを異常なまでに心配する人だから、おろおろになって来てくれたんだろうと思いますしばらく待って診察していただき、心臓や腎臓に異常はないとのことでしたが、更なる検査もできるとのことでエコーとCTの予約をしました夏祭りの日なのですが、先生は祭りは関係ないとおっしゃっていましたきれいな女医さんで少しきついですが顔パスです(笑)一緒に病院の食堂で昼ご飯を食べて私は車で自宅へ、彼女はタクシーで帰りましたあとから電話がかかり、今夜はお風呂には入らないほうがいいよと言ってきましたままちゃんみたいなところがあるんだなと、いつものお節介を許す気分になりました今日は裏庭に檜扇水仙が咲いていたので撮って、投稿したり俳句ブログに貼ったりしました不織布ポットの茄子にいくつかの実と花がついてうれしいです肥料をくうといわれる野菜なのでまめに茄子の肥料というのをぱらぱらとまいています七月には二人の娘が別の日にこちらに来ると言ってるので楽しみにしています忙しい仕事を持ってるけどやはり心配してくれてるようです
2025.06.27
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梅雨入りして暫く空梅雨でしたが、再度梅雨入りした感じですね野菜や果樹にとっては恵みの雨で喜んでいます梅雨の晴れ間に草刈りに来ていただきすっかりきれいになりましたプラムもぼつぼつ熟れて下に落ちているのがあります午前中内科と耳鼻科に行って午後からは籠っています今年は野菜の植え付け時に坐骨神経痛になったので農作業ができなくて、今のところ茄子とトマトを不織布プランターで育てているだけですこの先一週間ぐらい雨らしいので茄子とトマトを追加しようかなと思っているところです昨日は柿の小さい実の消毒をしました6月と8月に消毒をするように教えてもらいました去年は知らなかったので全部落ちてしまいましたまた続きは雨がやんでから写真を撮って更新します熱中症にならないようにお気をつけください
2025.06.23
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新しいパソコンにも慣れてすいすいとキーを打つことができ、快適にパソコンライフができるようになりましたまず生育中の長茄子の花と初生りの写真をアップしますねプラムの実も大きくなって割合沢山生っています今日はシルバーセンターから二名畑の草とりに来てもらいます朝八時に来るとのことでゆっくりもしておられませんのでここまで。
2025.06.19
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新しいパソコンは勝手が違う箇所もあってこの楽天ブログもADという枠が出てきましたこれはなんでしょうそこをスキップして下に書くことにしますこれまで打ちにくいキーを押しながらの更新でしたが、なんと楽に打てるのでしょうちょっと画像を入れてみます温室にハクビシンが入らないように空いていた両側に網を張ってもらいました網の外から撮った写真です毎朝見るのですが、心なしか少しずつ大きくなっていますこの間野菜の苗を不織布プランター二つに植えたのがぐんぐん大きくなって実をつけています茄子とトマトですこれも丁寧に観察して脇芽を掻いたり、追肥したり・・梅はシロップ漬けして仕上がったのと今漬けている最中のがありますそれぞれ梅を生らせた木は別なんですよパソコンに慣れたらまた更新します
2025.06.16
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ここ数日「Back」キーが剥がれたので新しいパソコンに買い替えることにしました。どうにか書きましたが、来週の月曜日に持って来てもらって自宅でデータを移行してもらえるそうです。今日は沢山のアクセスがありました。いつもありがとうございます。新しいパソコンが来たら近況など更新しますのでよろしくお願いいたします。
2025.06.14
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いよいよ薫風香る五月も終ります。これから二か月ほどは長雨がつづき、その後の猛暑も気になりますね。幸い療養中だった腰&股関節間の引き攣ったような痛み(坐骨神経痛と診断)も治まり、完治とはいえないまでも楽になりました。引き続き、手を伸ばして梅を採ったその晩、右肩に激痛が始まり、どの整形外科を受診しようかと迷った挙句、リハビリを受けている個人病院に行きました。レントゲンを撮ったら、肩にカルシウムが出ているのが写っていました。次第に消えるので心配する病気ではないと診断され、痛み止めの塗り薬ととんぷくを処方されました。塗り薬の効果は抜群で、そのお陰で痛いときに塗っていたら次第に痛みも無くなっていました。飲み薬は飲まずじまいでした。梅は三本の内一番古い木の梅を使って梅シロップを少し作っています。他の若木二本も鈴生りですが使うこともなく終わると思います。売られている梅を見ると1㌔ぐらいの袋が2千円の値段がついています。他の人に声を掛けていた頃がありましたが皆さん要らないと仰います。手間を掛けて作るということには関心がなくなっている時代かなと。最近新しく始めた投稿サイトnoteをリンクしますnote
2025.05.30
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九州が梅雨入りしたとか・・。例年の何日も早いらしいので四国に来るのはちょっと待って!と言いたい所です。貸店舗の屋上の流れの詰まりとか点検を依頼している業者さんもまだ来ません。シルバーさんに畑だけ草抜きの依頼の電話をしましたがまだいつ来るのか連絡がない。どれも、少なくとも一週間後になるでしょう。私事、少しずつ歩くときの足腰のちくりとする痛みがなくなっただけでも良かった!下肢と足の甲のむくみが気になり、SNSの健康コミュの医師が歩かないと血流が悪く下肢がむくむと教えてくださいました。今日は屋内の掃除の方に来てもらう日です。自分で拭き掃除ができない状態なので一週間に一回来てもらうことにしました。リハビリも週に一二回整形外科に行っています。ローカル吟遊俳句
2025.05.17
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