2006年06月27日
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カテゴリ: パパの作品
第1話 まだの方はお読み下さい
第2話 償い
○東京
「赤ちゃんが出来たみたいなの」
由理子が孝介にこう告げたのは、東京に戻ってしばらく経った時だった

初めての大都会での社宅暮らしの由理子は、家族まで含めた孝介の会社づきあいなどこのところすぐに疲れを感じることが多かった。
社宅の主婦は、皆それなりの学歴や教養を身につけており、由理子のように高校さえ出ていない者はいなかった

彼女らが集まれば話題は亭主の仕事や、子供の教育のことなど、由理子にはついて行けないものが多かった

由理子は、夢を見て主人についてきたにもかかわらず、孝介は連日深夜の帰宅、休日も仕事に接待ゴルフと、由理子と過ごす時間がほとんどなく、心の中に何か満たされないものを感じると同時に身体の不調を感じ、念のために受診た医院で妊娠を告げられたのだった

東京に戻ってからの孝介は、ゆっくりと由理子と話をする時間もなかったが、新しい命の知らせには胸の奥からわき上がるような喜びを感じ、朝晩由理子の腹部を撫でては、誕生の日を待つのであった。



○出生
「貴船君、病院から電話があった。おめでとう。無事に生まれたらしい。すぐに行ってあげなさい」

上司は出先から戻った孝介にそう言った。その言葉を聞いた時、孝介は心の片隅に原因の分からない不快感を感じた。
しかし、それはたった一瞬のことで、すぐに安堵感と早く由理子と子供の顔を見たいという期待感がそれに取って代わった。

「由理子!」
「あなた」
「ありがとう。頑張ったな!」
「孝ちゃん」
由理子は東京に来て以来、孝介のことを「あなた」と呼び、「孝ちゃん」と呼ぶのは久しぶりだった。

新生児室に行くと、看護婦が孝介達の子供を教えてくれた。その時、一瞬孝介の胸を上司から知らせを聞いたときと同じ不快感がよぎった。

しかし、看護婦が孝介ののぞき込む窓際にその赤ん坊のベッドを押してきた時には、それは消え、孝介の胸は再び父親になった喜びと、何が何でも家族を守るんだという決意に満たされた

「はははっ、貴船。男なら子供が出来たときそんな気がするもんさ」
貴船の心の内を聞いて笑い飛ばしたのは、同期の小倉だった
「男っていうものはなあ、貴船。いつまでも自分が赤ん坊でいたい生き物なんだって、どこかの学者が言ってたよ。いつもママを独占していたい赤ん坊なんだって。だから孝介坊やは由理子ママを独占していたかったのに、強力なライバルが出現した。そこで、お前の中の闘争心が不快感となって胸をよぎったのさ。恥ずかしながら、オレにも経験があるよ。さ、今日は一杯だけにしといてカミさんのとこに行ってやんな」

小倉は、孝介が警察に留置されていたとき、「以前取引先の女性に手を出した男」であるという汚名をすすぐために、当の女性を探し出してマイクの前に立たせてくれた、この社会での孝介の命の恩人である

孝介は長男を、良介と名付けた。
良介は、体育会系の孝介とは対照的に、おとなしい子供であった。



○夢
それから2年して孝介達は、二人目の子供を授かった。咲子と名付けたその子は、名のとおり楽天的であった。
良介には孝介達には理解しがたい病的な行動があった
それは、由理子が食事の支度を始めると寝室へこもり、布団に潜り込むのである
「にいたん、トントン、こあいこあい」
咲子は、良介が包丁の音が聞こえ始めると、耳を押さえて布団に潜ると言うのであった

このところ孝介は、悪夢に頻繁にうなされるようになった
……夢の中で、孝介は「あの男」と対峙していた……
男が頭上に出刃包丁を振り上げる、この先は現実の記憶にないことである

振り上げた出刃包丁は、真っ直ぐに孝介の顔面をめがけて振り下ろされた
男の手の甲は毛深く、男の眼は正しく孝介の喉元を見据えていた
スローモーションのようにゆっくり出刃包丁が下りてくる

中学高校と剣道の選手であった孝介は冷静に見ていた。今避けたなら、包丁は追ってくる、自分の背後は板壁である、これに突き刺されば容易に抜けることはない
その隙に逃げればいいのだ

更に下りてくる、もう少しだ、出刃包丁は額の寸前まで下りてきた
孝介は頭を左にひねる
切っ先は、孝介の右耳をかすめ、背後の板壁に突き刺さった

今なら、相手を倒すことが出来る
孝介が右手に持った包丁の柄を男の喉仏にあてがい、思い切り「突き」をかませば、男を無傷で倒すことが出来る

しかし、次の刹那に孝介の頭には、先程由理子が自分に言ったことが駆けめぐったのだ
「あの人が出所してどこで知ったのかお店に来たのよ…『殺す。殺す』って言いながら玄関をたたき壊して、それから…、それから私に…ううっ、うっっっ…、」
由理子に何をしたんだ
自分の命以上に大切な由理子を暴力で陵辱したのか

次の瞬間、孝介は右手に持った包丁の刃先を冷静に男の胸元に向け、全体重を乗せて突進したのだ

自分は、無意識だと思っていた
気づいたときには、男が倒れていたと思っていた
しかし、そうではない。孝介の意識の中では、冷静に相手を倒すことを選択し、一撃で致命傷を負わせることを決断していたのだ

「グッググーッ」といううめき声とともに男は倒れた……

次の瞬間、孝介は汗まみれになって目を覚ました
「良…介…っ」
すると、孝介の目の前には、いつ寝室に入ってきたのか、良介が泣きじゃくりながら立っているのが見えた

「お父さん、ごめんなさい、ごめんなさい・・・・そんなに怖い顔で見ないで・・・お父さん…」
「向こうへ行けっ、良介っ!早く、早く行くんだっ!」
「孝ちゃん、どうしたの?良介が何かしたの?」

「いっ、いや、そうじゃない。すまない。良介、いい子だから自分の部屋で寝なさい」



○疑惑
良介が生まれたのは、あの事件から8ヶ月後だった。
あの時、男は由理子に何をしたんだ。もしかして…、

由理子は、いい加減な女じゃない、それは十分に理解している。しかし、自分に巡り会うまでにあの男と寝床を温めあっていたのだ
そして、自分と出会った後にもあの日あの男と…
良介は、本当にオレの子か?本当に、本当にオレの子か?
それならば、生まれたときにあの不快感はなんと説明する?

いや、小倉の言うとおり、あれは男にありがちな嫉妬なのか
それならば、この前の晩、あの夢を見た時、どうして良介が立っていたのだ
どうして「ごめんなさい」と言ったのだ

あれは、父の贖罪の気持が言わせたものじゃないのか
オレは、気づかなかった
由理子はあの日、男と交わったのだ

嫌なら、舌をかんで死ぬことも出来ただろう
しかし、あいつはそれを受け入れたのではないのか
孝介の脳裏に、毛むくじゃらの男に組みしかれる由理子の姿態が駆けめぐった。

その上で、善人面をして、オレに危機を教えに来たのではないのか
あの時、オレが殺されていたなら、あいつはあの男と一緒になったのかも知れない

その日から、孝介は必要以外に由理子や良介と口をきくことはなくなった



○事故
それから数年、良介は小学校4年になっていた
職場に由理子から電話がかかった

「あなた、良介が交通事故に遭ったの。すぐに病院に来てください! 輸血が必要なんです」
とうとう、罰が当たったのだ。由理子にも良介にも・・・

病院に着いた時、良介は手術中だった
「お父さんですか、息子さんにすぐ輸血が必要です。」

孝介はO型。由理子もO型。良介もO型であった。
孝介は病院で血液を採られながら思った。

オレは何のために自分の血を、最愛の女を汚した男の子供のために提供するのだ。
助かれ、そして苦しめばいいのだ。由理子も良介もこの数年自分が苦しんだ数倍も苦しむがいい。



○再会
良介の手術の成功を見届けた後、孝介は列車に乗っていた。
しばらく、1人になりたかった。
本当の苦しみを知っている人間以外に会いたくはなかった。
孝介は、思い出の駅で列車を降りた。

「いよ~っ、貴船君じゃないか!奥さんは元気かい」
老練の嵐山刑事だった。
「ええ、まあ」
2人は、再会の杯を交わした。

「オレは来月定年だ。今まで手柄を立てたこともあった。ホシを取り逃がしたこともあった。そんな中でなあ、貴船君。僕が一番印象に残っているのがあの事件なんだよ」
「嵐山さん、今更と思われるか分かりませんが、僕は無意識に正当防衛した訳じゃないんです。実は…」

孝介は、あの夢の話を嵐山に話した。
「貴船君。しかし、あの時君が何も憶えていなかったのは嘘偽りのない事じゃないかい?それに基づいてオレは、刑事生命をかけて、この正義だけは貫きたいと思った。そしてそれが出来たことは、オレの刑事人生の中で最も誇れるものなんだ。どんなホシをあげた時よりも、あの1件の不起訴がオレの勲章なんだよ」
「……」
「あの時、検事の中には起訴すると主張した者がいたんだよ。君の包丁が余りにも一撃で急所を突いていたからね」
「しかし、オレは違うと言ったんだ。殺す以外に君と由理子さんが助かる方法は何もなかったってね」

「あの男の司法解剖には僕も立ち会ったよ。執刀医の解剖所見は今でも空で言えるくらい読んだよ。『本死体は、当大学法医学教室第一解剖室において解剖する。本死体は、身長180センチ、体重85キロ、血液型はAB型。失血死の様相を呈している…』」
「!!えっ!!嵐山さん、今何て言ったんですか?」
「だから失血死だと」
「その前です!」
「血液型はAB型」

AB型?

由理子はO型、男はAB型。もし2人の間に子供が出来たとすれば、A型かB型かのどちらかであるはずだ。
良介はO型。
オレの子だったのか・・・・・・

「貴船君、君は間違っている。良介君があの男の子ならば憎い。自分の子だから憎くない。そんなことは間違っているんだよ。僕は職業柄、犯罪者の子供も多く知っている。しかし、彼らに何の罪もない。何の罪もないんだよ。人が生まれてくること自体に罪があるなんて誰が決めたんだっ!」


○ 再出発
孝介は翌朝始発の列車に乗った。
オレは今まで何を見ていたんだろう。
オレは今までどれほど由理子をないがしろにしてきただろう。
オレは今までどれくらい良介を傷つけてきただろう。

償いきれるものではないだろう。許されるものでもないだろう。しかし、償えなくてもいい、許してもらえなくてもいい。
今、自分に出来る最大の事をしていこう。
ただ、静かに頭を垂れ、共に人生を歩こう。

タクシーの中から見上げると、白く大きな病棟の向こうに、真っ直ぐなひこうき雲が迎えてくれているのが見えた。

つづく

パパの作ったお話





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最終更新日  2006年07月02日 10時20分59秒
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