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おれおれ詐欺が結構被害があると知人の警察の人が言っていた。お年寄りに被害者が多いらしいけど、意外や意外手口は巧妙で、よく話を聞く前は、おれおれ詐欺にひっかかる訳がないだろとおもっていたが、今は、おれおれなんていって電話してくるのではなくて、何々警察ですがお宅の息子さんが自動車事故をおこしまして、と電話してきて、その電話口では、泣きじゃくる声、そしてたたみかけるようにこのままでは、交通刑務所にはいってもらわないといって、もう2時間もすれば、収監されます。ただ被害者の方でも示談でとも言っていますが300万円くらいで、示談してもと言っていますが、今移送中ですのでまもなく、収監されます。一度収監されるとすぐに出てこれないんですよ。どうです警察と言う言葉で動揺さておいて、電話口では泣きじゃくる息子らしき男のなき声、そして交通刑務所、通常冷静に考えればそんな馬鹿なと思えるけど、たたみかけるようなテンポと演出で正常の思考能力はストップしてしまう。いますぐお金を振り込んでください時間がありませんでいっちょあがり。てな感じです。何でこんな話をしたかというと人間動揺させられると意外と正常な判断が出来なくなってしまう。国際結婚にしてもそうなんですよ。こんな美人と他では結婚できませんよ、いまがチャンスとやられれば気持ちもずるずと動いちゃう。たしかに、お金は高いけどこの人が奥さんになってくれたら安いものかもしれない。これでいっちあがりになっちやう。お金はどんなことでも物事をしょうとする時かかるのは仕様がない。が時間もかかるのもしよがない。ここを間違わないように。しかし早く安くて考えるのが人情、まず、奥さんをもらうのに、早い安いときて、まずい(つまり偽装結婚だったり、入国目的だけだったりする)と最悪でしよ。だからあせらずに、ある程度時間が必要なのですよ。本当に相手が、結婚したいとおもっていたら、待っていてもくれるはず。あまりせかされたりしたら怪しいと思うこと。それからある程度の美人の人は、日本人だって同じだけど理想が高いし、自分の収入とか容姿とか年令とかよく勘案して考えないと。ただ相手に子供がいたりすると、美人の人でも、可能性はグーーーンとアップする。だから美人にこだわる人は、子供を引き受けたっていいと言う気があれば多少自分自身に不利な面があっても可能性大だろう。ただ子供が嫌いとか絶対自分の子供じゃなきゃとこだわる人は、自分自身の条件と相手の条件とをよく考えないと成婚までの道は、険しい。それに都市部の人は、農村部の人より有利なことは、有利だ。やはり何処の国の女性でもそろばんならぬ電卓をたたいて値踏みをしているから、あまりお金持ちのふりなどすると後が大変だろう。ある程度本当の話をしておかないと、男女関係は、些細なことで崩れてしまう。正直、誠意、笑顔、努力。何事も急がば回れ。私の奥さんも結婚相談室なるものをはじめて、やっぱり紹介は、色々な意味で大変だとぐちることしきり。ずうっと結婚生活がうまくいくように軌道に乗せるのは、並大抵の努力ではないと愚痴ていた。紹介して、後は勝手になんて無責任なことできないしという妻の顔は、やや疲れ気味。べつに無理して商売する必要なしというと。笑顔で頷いた。
2003年11月29日
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ひさしぶりに、妻と外でデートをして焼肉を食べた。店は、やはり狂牛病の影響がまだ残っているのか、お客さんもまばらだった。妻も私もおなかがすいていたのと久しぶりの焼肉ということもあって、うまい、うまいを連発した。毎日食べてるとこの感動はないのかもしれない。夫婦だっていつもべったりなのは、良くない。ちょつとはなれてみて仕事に忙殺されていたりしたら、また新鮮に相手が見えてくるのだろう。2週間前にまで、娘と義母が日本に来ていたのだが、学校の勉強のこととか、いろいろと調整しなければならないこともあって、まだずーと一緒に住んでいないのだがまもなく、娘も日本で一緒に暮らせるだろう。娘と一緒に撮った写真の現像を忘れていたのがきょう出来上がって妻は、ふきだしながらそれを見ていた。娘のふざけきったコミカルな写真がよっぽどおかしかったのだろうか大声で笑うことしきり。私はちょっと恥ずかしさに苦笑い。いつこんな面白い娘の表情の写真を撮ったの 家の応接間というとうんうんとうなづいた。どこか娘は、私と共通したキャラクターをもっているようだ。しかしあまり娘、娘といっていると妻だって私は?となるので、あなたが一番だよといつも言っている。やはりこのことは、分かっているからいいとか、いまさらと、考えがちだが本当に重要なことだ。目と目で通じ合うなどということも恋愛中はお互いを充分意識してアンテナを張っているからそれでわかりあえるからいいが結婚した後は、お互いに化けの皮?がはがれだしてくるので、頻繁にほめあわないと良好な夫婦関係など続けられない。またほめあっているとやっぱり二人は運命の出会いだったとおもってくるから不思議なのだ。運命とは、そこにあるものでなくてお互いに作り出し育てあげるていくものかもしれない。
2003年11月28日
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さあ今日は、久しぶりにデートの日だ。誰とかってもちろん妻とである。いつも会っているのに、何でまた? つまり二人変身する日なのだ。ダラーと流れる、時間に、ちょっとくぎりをつける。妻は、時には、悪女のように、時には、淑女のように、時には、スチワーデスのように等々、私はといえば、紳士のように、サド侯爵のように、パイロットのように、等とかんがえていたりする。まあ、コスプレをやるわけではないので念のため。お互いにおしゃれして待ち合わせ。妻は、はたしてどんな化粧で服装でやってくるやら、わたしだって何か、考えなければ、ちょっと出っ張ったおなかには、さらしでも巻いて。サングラスと黒服、オオールバックの髪型のかつらでもかぶって、腕には,偽物のルイビトンの時計。ちょっと身長が足りないから、シークレットブーツ。これでやくざ。違うな、もっとノーマルに、若者ぽい感じもいいかな、と変な妄想をいだいているとまもなく新宿と車内アナウーンス。私は、いつもの服装。あれれて妻におもわれるかも。いつみても、新宿の街は、巨大なエネルギーを内包し蓄積し発散している街だ。アルタ前は、人で埋め尽くされている。日も暮れかかって、あっちこっちのビルにネオンサインが競うようにまばゆいばかりの光を放っている。焼肉でも食べて、ショッピング、それから久しぶりに大人の時間を過ごす場所にでもいこうか。私が腕時計を覗くと午後5時半を回っていた。やっぱり遅刻だ。こうなりゃ今日は、サド公爵、調教師にでもなるか。ふと目の前をみると、すらりとした髪の長いちょつとすましたお高くとまった二十代後半の女性が人待ちをしている。ふうーん日本の女性もスタイルは良くなったし、顔の形だって、西洋人に負けないくらいきりりとしている。とそこへ、妻がやってきた。私の視線の先にその女を発見。どこを見てたのよという表情に、ちょっとねと言ったが、機嫌をそこねたらしくつんとした態度。服も、やや黒を基調としている、黒い皮のミニスカートとちゃいろぽいブーツは、二重丸。いいねえきょうは、高慢ちき女対、貢くんという設定で、いこか。なに独り言いってるのよ。妻は、足早に歩き出す。私は、慌てて後を追うと、焼肉食べ放題。それにホテル付き。と提案。ふふふと笑う妻。やや刺激的なメークにドキドキ。さあ第一ラウンドに突入だ。一発ノックアウトだけはないよな。たぶん・・・・・。
2003年11月26日
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日本に来て妻は、まるで水を得た魚のように生き生きとしている。そのエネルギッシュさと言ったら、驚くほどだ。あのスレンダーな体の何処にエネルギ―が蓄積されているのだろうか。あれもこれも、積極的に行動していく、行動しながら考えている。そんなかんじなのだ。だから思考が行動を邪魔していない。思考と行動は時として大喧嘩もする。だから支離滅裂になって悩みなどとなって人間に襲い掛かってくる。もちろん慎重に考えて行動しなければならないことはあるが、ほとんどの場合、教育の影響で考えてから行動すると言うことが正統的なものだと考えられている。だが、まさに、私の目には、妻の行動が画期的にさえ映ってしまうのだ。国際結婚の相談だったり、中古自動車の仕入れとロシアへの販売だったり、キャビアの販売だったり、友達ロシア人の女の子供のモデルへの売込みだったり。まさにあたまのなかでどう交通整理しているのかとおもったりする。私など、あれこれとかんがえるあまり、結果として思考にじゃまされて行動できない。だから、ホームページで、こういうことをしますよと宣言してしまった方が、行動にうつりやすいのでわないかとおもって、さっさと宣言してしまう。このロシア人を妻にした物語の本も出そうとおもって出版社に掛け合っている。まあ無名の男の作品だから、そうそう色よい返事などない。出版不況といわれる昨今、そんなにおいしい話があるわけではないし、出版社だってリスクを考えて、厳選してるわけだから、まあそれはそれ。ただ、色々と興味を、示してくれる出版社もあることはある。まあ急げば回れ。そのうち妻と二人で出版社でも作って、既存の出版社の鼻をあかかそう。などといっていると妻は、面白いなどと乗ってくる。おいおい、とおもったが、この好奇心が、エネルギッシュな妻の行動力なのだろう。私だって負けてはいられない。だいいち、既存の発想なんてくそ食らえ。わが道を行くといきがって暮らしてきた俺としては、ここで一旗も二旗もあげなければ、日本男児、大和魂がすたる。ロシア女性にまけられるか。妻はライバルだとここで宣言しなければとおもったりもしているのだ。
2003年11月25日
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国際結婚が都市部において増加しているという話を聞くようになった。確かにあちこちの街角で日本人と外国人カップルの姿を目にするようになった。この傾向には、色々な原因があるのだろうが、日本自体が国際化してきたあらわれてでわないかとおもう。それに伴い、国際離婚も増えている。結局、最後は人間対人間の問題になるとおもうのだけれど、やっぱり国籍が違うからねとか、習慣や文化がちがうからねという理由で一般的には納得してしまっている。まあ一番わかりやすいし誰もうなづけるないようだから・・・・。しかし本当に、それだけなのだろうか、それだけならば日本人同士の離婚は、少ないのかというと、これも年々増えている傾向らしい。理由付けなどあとからなんとでもつくのだ。やはり男と女という根源的な存在からスタートしないとだめなのだ。もともと男と女、同じ人間であっても、まったく異質な存在なのだ。その違いなどは、学校教育では、皆無に等しいくらい教えられていない。まあ教えられないものとおもわれているし、自分で体験的に、つかんでいかなければならないものもあるけれども、もっと積極的に教育されるべきだとおもう。もちろん社会的な権利義務の面では、平等でなければならないことは、当然であるけれど。まず根本的に違うところは、物事に対する思考形態が違うのだ。よく言われるのが男は、理論的、女は、感情的。具体的な話に入ると男同士で海にでかけるとする。多分、こうしてああしてという事柄が、A→B、B→CとなればA→Cと言う感じでおちつくはずだ。ところがこと女性が相手だとA→?なってしまう。つまり気持ちがころころ変わりやすい。デパートへいってみるとそれがよくわかる。あっちこっちと男からすればどうでもいいような服選びに地球がひっくり返るくらいの大騒ぎ。あほかとおもうがそれが女性の持っている特性。これは、結構理解してあげないといけない。それから清潔好きだ。それは、こどもを生むという役割からけっこう見られる。もちろん男の人も手伝わないとだめだけどいくらがんばったって男の人は、仕込むことはできても生めない。私など、できたら体験したいとおもうのだけれど・・・。それに生理日は、よく理解して対応しないと大変なことになる。理論的思考でいったら、?????→∞となってしまう。まあ個人差は、あるが、まず相当気をつかわないといけない。とんでもないことを言い出すことだってある。頭がおかしいのかよとおもうぐらいの時もある。いつもは可愛くてニコニコしていた彼女にそういった態度をとられると、動揺してどうして?と聞きがちだがもう理屈ではないので、あまり問い詰めない方がいい。やさしく自然にだきしめてあげるか、優しく、聞き役に徹して感情的にならないことだ。まあその辺は分かっていても、ついつい、感情的になってしまうので、だまっているのがいちばんだ。変に謝れば、何で謝るのよと追求されてくるので、いいがかりをつけてきたやくざだとおもって、即刻、避難をしなければならないだろう。まさに迫り来る嵐から身を守るがごとくだ。そして嵐が過ぎた後に明るい太陽の日差しがふりそそいでくるのだから、それと同じように彼女にもいつもの笑顔と優しさが戻っているだろう。まだまだ詳しく書きたいのだけれど、それはまた機会をみて
2003年11月23日
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「コラ-!」と隣の家に住む60代の男性が、朝から怒鳴っている。一体誰にたいして怒っているのかよく分からないがこの男の日課なのだ。また今日も、怒鳴っているななどと妻や母との会話のなかにでてくる。静かだと今日は、静かねといった具合だ。最初のころは、ちょっと不気味だったが、慣れと言うものは恐ろしいもので、「コラ-!」というこの男の怒鳴り声が聞こえなかったら、あれれてなかんじなのである。今は、一日の始まりの儀式みたいなもので、鶏のコケコッコーに匹敵する。一体、何に対して怒っているのかわからないけど、初めて奥さんや奥さんのママや娘が来たときは、ちょっと心配だったらしい。そこで最近、気になって注意深く観察していると彼の家の庭に、入ってくる猫たちにたいしての怒りだったのだ。人それぞれ動物に対して想いが違うもので、彼としては、不法に猫が挨拶もせずにはいってくるのが気に入らないらしい。まあ、相手が猫だけに、こんにちはとは言わないだろうし、不法侵入などという概念だってない。勝手に人間様が塀などつくって、ここは、私の土地よといっているだけだという感じなのだろう。猫からすれば、邪魔だ邪魔だとおもっているのかもしれない。しかし人間の立場からすれば、庭に糞などしていかれてその強烈な悪臭に怒り心頭となるのだろう。犬は、買主がいれば鎖につながれていて、散歩中とかの糞は飼い主が結構こまめに処理している。が猫はまさに放し飼い人によっては、大嫌いな人もいるわけで、最近都会に多くなりだした野良猫もこまったものだとかんがえている人も少なくない。しかし、生きているものそれぞれの事情もあり私など、もし猫などにうまれていたら不良猫で人間にきらわれただろうなどとおもったりもする。そういえば、ちょっと前、私の車の下に、弱った子猫がいた。10歳の甥がみつけて知らせてくれた。だいぶ弱っていた。甥は、しきりに子猫に話しかけていた。頑張るんだぞ。食べ物とかミルクとかをそっと置いていた。「死んじゃうかな」と私にいったので「うーーん」と私は、考え込んだ。親猫は、どこへいったのだろうか。甥は、神様のお守り様をもってきてそっと猫の上に置いた。弱っている子猫は、何をおもっているのだろうか。「獣医さんのところへ連れて行こうか」甥が言った。「ずーと飼うつもりかい」甥は、迷っていた。ママと相談しなよ。私は、腕時計を覗くと、遅刻するかもしれないと早足で歩き出していた。親猫は何処に言ったんだ。私は、歩きながら、心がさびしくなっていた。その子猫が、なくなったのを知ったのは、その夜だった。車の下には、お守り様だけがさびしそうに置かれていた。
2003年11月22日
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おねしょ事件は、犯人ならぬ,犯猫ということで猫の仕業と言うことで一件落着した。妻は、私を疑ったことに、すまなそうな顔をしていたが、まさか猫の仕業とは思いも寄らなかったから仕方がない。私だって、妻を疑っていなかったと言ったらうそになる。その夜二人がいままで以上に仲良くなれたのだから考え方によっては、猫様様かも知れない。まさに猫神様というところか? と思ったりもした。がしかしこれからおもいもよらぬ展開が待っていようとは、考えてもいなかった。二人は、まるでハネムーンのようにいちゃいちゃしていた。あまり興奮して、ほんとにおしっこちびりそうになったりもした。二人が幸福に包まれてベットのなかで深い眠りについていた。家の片隅にうごめく黒い影があった。ことりことり。私たちがその音に気付くはずがなかった。気付くはずがないのにここ文章を書いているのはおかしい。ご指摘の通りだがまあそこは、目をつぶって先を読まれたし。そんな音が段々と大きくなっていった。明け方になって、妻が、トイレにたった。まだ外は、暗い。廊下のうすあかりの中をトイレへ向かった。私がうとうととしているとキャーと言う悲鳴がこだました。その甲高い声に、私は、全身に言い知れぬ恐怖が走った。皿が落ちて割れる音がした。妻が、走って戻ってきた。一瞬何が起きたのか分からなかった。妻が、恐る恐る指差した方向に不気味な影が潜んでいた。猫の姿が薄明かりの中浮かび上がった。「猫が急に台所から、とびだして来たの」妻が言った。猫は、妻を見つめていた。怒った目ではない。「大丈夫だょ」私が言うと、妻がふっとため息を付いた。もしかしたら、この猫、ずっと家のどこかに潜んでいたのかもしれない。それに、妻の方にゆっくりと擦り寄っていくではないか。多分妻が好きなのだ。猫の目は、どことなく優しかった。急に猫が現れたので妻はびっくりしただけだった。オス猫だろう。もしかしてベットで、妻の匂いに酔いしれていたのかもしれない。まあ、猫に嫉妬するつもりはないが・・・・。妻は、静かに猫を抱き上げた。そういえば妻のパパの家にパパのメス猫がいる。案外お似合いかもよというと妻がふふふと笑った。そのとき、窓の外にもう一匹の猫が現れた。どうやらメス猫のようだ。多分心配して、探しに来たのだろう。妻が抱いたねこは、するりと妻の腕の中をすり抜けると窓の方へ歩いて言った。窓はしまっているので窓越しに見つめあっている。私は静かに窓を開けると、二匹の猫は、外へ走り出した。恋人同士ではなかったのだろうか。オス猫は、立ち止まると私たちの方を振り向いた。その視線の先に妻の姿が映っているのかもしれなかった。私は、ちょつと嫉妬していた。浮気するなよと猫に向かって言うと。妻が私にあなたもねといって笑った。
2003年11月20日
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パソコンをやっている私のそばに妻がやってきて、やや怒った口調で何か言った。私は、パソコンで物語を書いていたのでその言葉をよく聞き取れないでいるとちょっと言葉のトーンが高くなった。おねしょとかいう言葉が耳に飛び込んできたが。それがどんなことなのかさえ理解しないままパソコンを続けていたら、おねしょしたでしょとはっきりと大きな言葉が耳元で発せられた。私はおおむがえしのようにおねしょといっていた。なに『おねしょ』私は、妻の顔を見つめた。誰が??? 妻は、あなたがと言った。私が意味を理解しかねていると、腕を取って促したのでしょうがなく付いていくとベットの敷布団の一部を指差した。そこは黄色ぽいしみが出来ていた。わたしが、どうしてこれがと言うと、まるで罪人を見るさげすんだまなざしで私を見つめた。私はようやく意味を飲み込めていたが、なぜそこに、そんなしみが付いたのかまったく見当も付かなかった。私ではない。小学校の低学年を最後におねしょの世界とは決別していたしまた変な趣味だってこの方ない。ということは、妻のいいがかりか、私の記憶違いか・・・・。しかし私は、ぼけてはいない。ますます記憶は明瞭、まず私自身そんなことは考えも及ばないとすれば犯人は、妻。妻が自分の行為を認識できないほど、とは考えにくい。が消去法で行くと、もちろん妻だって、私に疑いの目をむけるのは、当然なのだ。疑惑の沈黙はふたりの間に大きな溝となって存在していた。たいしたことではないがいやな雰囲気が二人を包んでいた。もし私なら、パンツがぬれていたりとか自覚できるものがあるはずだ。おねしょ事件は、解決をみぬまま日曜日は,暮れようとしていた。私がおねしょをしました。ごめんなさい。ちょっと酔っ払っていたものでといえばそれでこの事件は終結する。が私は、この冤罪に断固立ち向かわなければと思った。日本の男はおねしょをかくす。とロシアで言いふらされたらたまったものではない。必ずや事件は、解決してみせる。私は、眉間に、皺を寄せて名探偵を気取ってみたがこれといった推理を展開する資料も証拠も持ち合わせていない。私は、黄色いしみを苦々しくみつめ、匂いなどをくんくんとかいでみた。やはりおねしょの匂い。ジュースではない。その姿をみて妻は、おおげさに後ずさりしていた。疑惑は大きくなった。かんべんしてよーーーとほほ。夜ベットに入って二人は、言葉を発することもないまま背中を向け合っていた。こんなことできまずくなるなんて、ふたりは触れ合うこともなく眠りについていた。事件は、思わぬ展開を翌朝見せていた。わたしが朝早く起き出して、パソコンに向かっていると、部屋の片隅からいびきが聞こえてきた。私がびっくりして振り向くと猫が、椅子の下で高いびき。私は、どこからその猫が部屋にはいったのかとおもった。すぐに猫を起こすと慌てたように逃げ出して、台所のキッチンの下の空間に隠れた。ピーンとひらめいた。おねしょの犯人いや犯猫は、こいつだ。くやしいが無罪放免にしてやる。そう思って台所の窓を大きく開けた。猫は、逃げ出すだろう。私は、階下の両親に、猫の話をすると、父は、おとといの夜、トイレの窓から侵入して、トイレで用を足している父のよこを通り過ぎて、運悪く開いていたトイレのドアーを忍者のごとくサァーッと通りすぎていったとのこと。その後、何処へ言ったか分からなかったのだと言った。すべてが分かった。そういうことだったのだ。私は、事件の解決を妻に報告したかったが、今日は、仕事で、早く出なければならない。帰ってきたら話せばいい。それで疑いは、きれいさっぱり晴れるのだから。二階に上がると、猫の姿は、何処にも見当たらなかった。私は、開け放たれた窓をほっとしたように閉めていた。
2003年11月19日
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我が妻の特徴とは、などと論文でもないのに、ふと考えこむ。意外や意外。外見的イメージと相当違う。多分このミスマッチが彼女の魅力なのだろう。夫がよくいうよと外野席からのささやきに耳をふさいでと。A)妻は、力持ちである。私は、病気持ち??B)妻は、寒がりである。11月の気候でも寒いといっている。本当にロシア人かナ? ロシア人が寒さに強いと思っているのは、思い込みに過ぎないような気がする。彼女の友達も寒がりだ。もちろんロシア人だ。ロシアの零下40度とかは、本当なのか?実はそんなに寒くなかったりしてね。多分むかし、冷戦時代。アメリカからの陸路侵攻作戦に対する防御誇大宣伝だったりしてね。そんなことあるわけないか。11月、私はパンツ一枚で家の中を歩きまわっている。露出狂ではない。風呂上り、程よくさめてから眠りに就きたいのだ???C)妻は、時間におおらか、悪く言えば時間は守らない。守れない。一時間のずれは、考えた方がいい。10時だったら9時としておかないと。そのうち日本時間になれるだろう。D)妻は、料理が下手だ。というより私が料理好きなので、味にうるさいのかもしれない。E)妻は、意外とインテリ。経済学部と法学部を出ている。知性はあるらしいがもっと色気の勉強をしてほしい。私に対してもっと挑発的でセクシーでなければ。あほか父ちゃんといわれそうだけどこのことは大事だよーーん。F)妻は、低血圧らしい。朝起きられない。そうさ夜更かしで午前2時まで起きていれば、朝早く起きられるわけないだろう。低血圧だからといいわけしているがそれは大嘘。友達と長電話。電話代を請求するぞといかりまくる夫である。さすがに体で払うわといわないけど・・・・・トホホホ。G)妻は、いつも明るく前向き、 希望に胸をふくらませている。もっと胸が膨らむといいけどね。夫は、巨乳好き?H)妻は、掃除好き。何でもかんでも片付ける。そのうち父ちゃんも粗大ごみとして片付けられたら・・・・I)妻は、健康ドリンク好き。私は、豆乳好き。J)妻は、デパート好き。やはりフアッションとか、いろいろと女性として変身できるのがうれしいらしい。夫だって変身するぞ。K)妻は夫好き???? 夫は、女好き???? いえ断固として妻だけです。時々気の迷い、いえいえ100パーセント妻好き。てなことを分析している今日この頃、妻は、夫をどう見ているのかその胸のうちをのぞいてみたい。
2003年11月17日
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本日は、オルガさんの結婚相談室への問い合わせのお客様と会うことになっていた。一抹の不安がないわけではない。eメールと携帯だけのやり取りだけだから。もちろん相手の方だって不安だろう。私の物語は、結構読まれていて、様子は、分かっているらしかったが、初対面で、インターネットという機会を通しての出会いである。ただ勇気をもってコンタクトをとってこられたことに、本当にうれしさを感じないわけではなかった。しかし出会いとは、いつも初対面であるしお互いにそこでなにを感じるか。その意味をお互いがどう理解するかだとおもった。もちろん、ロシア人の女性を紹介できればそれもいいが、そうでなくてもまた違った形でのつながりは、あるわけだし。ひょんなことで別の分野で、意気投合したってそれはそれ。いままでまったくつながりのない人があるとき、出会う。こんなワクワクすることはない。楽しさいっぱいだ。彼は、私が結構若いと思ったらしかったが、意外だったらしい。若づくりなんですよと強調したかったが・・・ まあ気持ちが若いと言うことでなどといっておこう。彼は、バッイチ。三十台後半、人生の不安も抱えながら再び家族をつくりたい思っていた。離婚は大変といっていたが、まさに同感。男と女いろいろあっていい。正解なんてないしあったらおかしい。もしあるとすれば、私など不正解のほうを選び続けてきたにちがいない。しかしいつもわくわくどきどきそんな時の流れに身をまかせて生きていきたい。レールに乗っかって確実に、到着するであろう終着駅に降り立つなんておもいきりみじめじゃないですか???彼の悩みに耳をかたむけながら、その誠実そうな態度に、本当に新しい幸せをつかんで欲しいと心から思った。何か物事を始めるには、時間もお金もある程度かかる。しかしそれに見合うだけの結果は、必ずあるものだ。私など、今の妻と知り合うまでには試行錯誤の連続で、もうあきらめよう人生なんてこんなものなどと変な悟りを開いたこともあった。だが、いつも明日があるさと思いながら、思い直して生きてきた。だからいつでもいつからでも恋も、結婚もやり直しが出来るのだと声を大にしていいたいのだ。
2003年11月16日
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本当に驚いたというか、びっくりしたというか、外見では、わからないことが多い、妻はほっそりとした体形で見るからに、力があるとは、思えない。がしかしそのたくましさに最近気付いたのだ。彼女のママがロシアに帰る時に旅行用の大きなバックを運ばなければならなかった時があって、私ですら階段をふうふう言いながらおろしていたら、妻が、替わるわといったが、なに大丈夫なのかなとおもっていると、意外や意外、スイスイとそれを持ち上げて運んでいるではないか。えええーーとおどろくことしきり。妻がこんなに力持ちとは思いもよらなかった。人は見かけによらぬものとは、分かっていたが この力強さは、ロシアの大地が与えたものなのかとおもったりもした。私など、こんな大きなバックは、到底女の人には無理だとおもうし、多分日本人誰でもそう思うだろう。力とは目に見えて初めて実感できるのだと思った。だから、無理かもしれない。と思うことと無理だと言うことは大きな違いがある。無理かもしれなくても可能なことはいっぱいあるだろう。だろう。とおもっているうちは何事も成就しない。自分で。限界をつくっているうちはその枠をとびこえることなど不可能だ。妻が、こんなに力持ち。誇れることかどうかは、別として、自分自身の行動に、いい意味でのサジェスチョンを与えてくれたことも事実である。もしかしたら、妻は隠れ格闘家かもしれない。いつも見せているまぶしすぎる笑顔の裏には、きわめて逞しい、格闘家としてのエネルギーをもっていたりしたら。これは下手にけんかなどできないな。もしかしたら、弱弱しい雰囲気は演出なのかもしれない。こうなったら、妻に、本当のことを聞きだして、格闘家の弟子にしてもらうしかないかな。
2003年11月14日
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月日の経つのは、早いもので、この物語を書きだして、3ヶ月が過ぎた。ひょんなきっかけで、この楽天日記というものを知って、書き出すようになったが、こんなに続けて書くことができるなんておもいもよらなかった。ただ書き始めて、面白いと言ってくれる人たちが結構いたので、その支えのおかげでどうにかこうにか自分のおもいを、書き込むことが出来たのだ。人生、ひょんなきっかけで何が起こるかわからない。だから面白いのかもしれない。先日テレビを見ていたらひょんなことで、宝くじを買って大金持ちになった人々の物語をやっていた。うらやましく見ていたが、きっかけは、ひょんなことなのだ。私が、妻と知りあったのもまさに、ひょんなことであった。多分神様からみれば、ひとそれぞれに運命というものをあたえられているのかもしれない。しかし、どんな運命であろうが、筋書きを知らされてしまったら面白くもなんでもない。だから、いつもひょんなことで、人生のストーリーが展開していくことに興奮しながら、妻や子供そして両親、兄弟姉妹、自分を取り巻く多くの人々とのかかわりの中で、わくわくしながら生きていけたらなとおもうのである。宝くじでも買って、大金持ちにでもなって、宝くじを買って大金持ちになった男の物語でも書くことが出来る日がくるといいなと、真剣におもったりするのだ。しかし想いのイメージは、何らかの力をもっているはずだ。成功哲学などは、自分が想うような人間に自分はなれる。それは、想念の力だとかいっているが。頷けない話ではない。私だって中学生のとき、外国人の女性にあこがれていたのだからその想念の結果が今なのかもしれないと勝手におもいこんでいる。よーうし、ここで潜在能力とやらに働きかけて、プールつきの豪邸と、すばらしい生活をおもいっきりイメージしてみるか。私は、目を閉じた。妻がどうしたのというのでお祈りというと、神様?というから、まあね。といったら。私も、祈るはときた。で何を祈ってるのときたので、お金持ちになりますようにというと、ふふふと笑って妻も目を閉じた。わたしは、薄目を開けて妻の顔をしみじみと眺めた。いつもみているようで見ていない。だから久しぶりだ。やっぱり私好みだねーーーとにやにやしてると、薄目でみていた妻がなんなのよときたので、ヤー、バス リビュリューとロシア語で愛してると言った。日本語でなんか恥ずかしくていえないよと思っているが、ケイタイでは、結構言っているようなのだ。面とむかって日本人は意思表示しないからねといっているが結構これって大事なのだ。そんなことお互いにわかっているし、恥ずかしくてなどとかんがえる人が多いが、愛してるとあっちこっちの街角でカップルがささやきあっていたら恥ずかしさなんてふっとんでしまう。それに死ぬまでに何度、言えるだろうか。言いつづけられるだろうか
2003年11月13日
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私の両親と奥さんのママや娘が一緒に食事会なるものをやった。言葉が通じないから双方緊張に包まれていたが、手振り身振りと妻の通訳や私の貧弱なロシア語で意外と場は盛り上がった。私の父などは、まるで、洋画をみるような感じで、興奮していた。母などもうんうんと目を白黒させている。しかしなんとなく雰囲気は、わかるもの。わたしと娘などは、基本的な英語とロシア語で、けっこう仲良くやっている。娘は、ノーノーとかイエス、イエスとかいいながら笑ったり怒ったり。手探りで、意思を伝えようとするから、表情が決め手になる。単純すぎるが怒ったり、首をかしげたり笑ったり、泣くまねだったり妻は、結構、日本語がわかるようになった。わたしが大学時代の親友を紹介したとき、しきりと親友は、感心していた。われわれなど英語を結構長い期間勉強していても話せない。それなのに難しい日本語をうまくはなして、それほどイントネーションもおかしくない。やっぱり実践というのはすごいなと思った。必要に迫られれば必死になっておぼえもする。日本の英語は、学問的で、あまり日常会話に適さないのだ。それにもかかわらず英語学習に関する改革ができないのは、とおもってしまったりもする。妻も妻のママもデパートが好きだ。女性は、買い物が好きな生き物である。これは男には、とうてい理解しがたい部分も多い。おしやれは、女性だけに与えられた特権だ。男のおしゃれなどたかがしれてる。それに比べれば女性はまさに変幻自在の衣装に身にまとい男たちの注目を浴びる女王蜂のように豪華でセクシーな立ち振る舞いで、限りない自己陶酔の世界に身をゆだねることもできるのだ。いくら男ががんばってもなかなか、だがニューハーフと言う手もあるなと思って鏡の中の自分の顔を覗き込むとまったく見知らぬ他人のようなさえない自分に遭遇して限りなく落胆するのだ。だから、密に、女装クラブに通う男性もいるのだろう。てなことお書くと、この男危ない奴だとおもわれてしまうが・・・・。もちろんその趣味はないが、こんな不安定な世の中何がどうなってこうなってなんてまったく予想できない。気がつけばニューハーフ党なる新しい政党が出来ていて、そのあふれる美貌とスタイルで男たちを魅了し、政権交代したら面白いかもしれない。てなことを考える変な一日だった。
2003年11月11日
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ロシア人を妻にした男の物語 その70日本のハムやソーセージはおいしくないと妻が言う。私も同感だ。こくがないのだ。私がロシアを訪問した時、それを強く感じた。これは、庶民が食べるものですかと聞くと、妻は、はいと答えた。それまでハムやソーセージは、そんなものだとおもっていた私は、ちょっとショックをうけた。妻は、日本のそれは、イミテーションみたいだといった。確かに形や色は、いいけど・・・・。私が日本で買ったそれは、安売りではなくデパートのものだったので、安いものではない。牛乳にしてもそうだ。一般に売られているものは、ロシアの庶民が口にするものよりもおいしくない。経済的に苦しいと言われているロシアで食べものが日本よりおいしい。日本人は、忙し過ぎて、食事をする時間さえ削って,仕事にかかりっきりで、さらに食事をおいしく食べる暇もない。経済大国なのだろうか? 経済大国もイミテーションそんな気がしてきた。事実もう日本の経済は、破綻している。個人がサラ金であっちこっちから金をかりまくって手元には金があっても、それは、大きな借金というのと同じように日本国は、国民に多くの借金をしている。このままでいい訳がないが、限りない閉塞感が日本を覆っていることも事実なのだ。上野動物園に妻と子供と私と行った時、上野公園に多くのホームレスの人たちをみて、妻は、ショックをうけたようだ。ここは本当に日本なのですか?多分、高層ビルが林立し新幹線が風のように走りぬけ、高速道路にあふれかえる車から近代的ですばらしく豊かな日本をイメージしていた。そしてその風景が庶民の生活と同一であると。だがそれはイミテーションなのだったのかもしれない。経済的繁栄は、国家としてのという意味だし、国民は、そのまやかしに気がつかなかったのかもしれない。人生を楽しみ、そして語りあう家族の団欒を奪い取ってそれでも日本は、豊かな国なのだろうか? ここは、本当に、日本というくになのだろうか 妻の言った言葉に私は、自問していた。ここは、本当に日本なのかと・・・。
2003年11月10日
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人を好きになるということに、国境や習慣や文化とかいったものは、たいして関係ないとおもう。好きな人と一緒にいたい、愛されたい愛したいその感情は、男と女の根源的なものなのだから・・・。不思議なもので相性というものは、理屈や常識をこえている。何であんないい女に、あのさえない男がとかあのいい男にあのデブな女がとか、何か人生の矛盾を感じちゃうよてなことはけっこうある。理屈や常識を超えたところに男と女の存在があると気付くのは難しいけどでも色々な出会いを通じて人は人を恋する喜びも苦しみも知るようになる。私の好きな映画監督の大林宣彦さんの映画に「さびしんぼう」という映画がある。人は恋をするとみな、さびしんぼうになる。富田靖子さん主演の映画だったが、胸に突き刺さるような恋の映画だ。大林監督の故郷 尾道でロケーションされた映画は、限りなく恋する心を表現している。人を愛することは自分を愛することそれは、自分を生み育ててくれた父母を思うこと、その生まれてきたことへの自己検証へてつながっていくような気がする。だからふとさびしくなるのだ。そのさびしさは一体何処からきているのだろうか、多分生きることのあやうさだったり人生のあやうさだったりする。しかしけっきょく精一杯生きることしかないと気付く。試行錯誤のあとで、それは、年とともに感じ受けとめられていくようになるものだ。だから、いつも恋する気持ちは持っていたい。奥さんがいるのにおかしいと言うかもしれない。浮気をしろと言うことではなくて、ときめく心をもちつづけることだ。だから、夫婦でも油断は、禁物、つねに相手を意識して、切磋琢磨し続けなければならないのだろう。結婚とは、墓場ではなくて、パートナーとのいい意味での戦いなのだろう。だれることなく初心を思い、再び見つめあいそして歩みだす。いつも新しい船出がふたりを待っているように、海図を用意しておくべきなのだ。とかっこいいことをいっていると奥さんが、もう遅いから寝ましょうと誘ってくる。明日は、公園でも行って、妻と色々と語り合おう。
2003年11月09日
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国際結婚における偽装結婚が多いと聞く。一つは、在留資格が欲しくて本来結婚の意思がないのにあるかのように装おう。日本人もそのことを了解していて、戸籍を貸して入籍してその対価として金銭をうけとる。もう一つは、日本人配偶者には、明確な婚姻意思があるが、外国人配偶者には、ないケースである。在留資格が、日本人の配偶者となると、仕事は、自由にできるし観光ビザと違って3ヶ月以上滞在できる。観光ビザだと仕事は、出来ない。しかしほとんどオーバーステイで仕事をしているケースが多いけど。見つかれば強制退去となる。リスクがあり以前は、強制退去後、1年我慢すればまた、日本へ入国は、できたが、法改正で、入国は、きわめて難しくなった。一方婚姻期間で、在留資格の年数は、更新で長くなっていく。いいことづくめだ。しかし、日本人配偶者に、明確な婚姻意思があるケースで日本人がまじめに結婚しようと考えている場合、悲劇となってしまう。悪い国際結婚の斡旋業者は、もてない日本男性とか、婚期をのがした男性とかをカモにして外国人の女性側と結託して偽装結婚を仕組んでくるケースもある。だから一回のお見合いで相手を決めて二回目でもう結婚なんてことになる。そんなに早いのなどと疑問をぶっけると、昔は、日本だって、結婚のときまで顔も知らなくて結婚したんだしそれでうまくいっていたんだからなどというが。それは、昔のことだし、そんなのはまやかしだ。早くかたずけて、はい、次なんて、いうお金儲け一辺倒のやりかたなのだ。車を買うんだってあっちこっちさがして数ヶ月、これが私の愛車にぴったりとなるわけなのに、愛妻をさがすのに、短期間で決められたらたまったものではない。時間も金もかかるのは、ある程度しょうがない。それだって人生最大の投資と考えたらいいのかもしれない。私と妻などは、結婚するまでに、なんだかんだで2年近くかかっている。まあもう少し短いほうがいいけどそれでも2か月や3ヶ月で結婚というのもちょつと早すぎる気がする。入国管理局は、子供などできると在留資格の期間を長くしてくる傾向にあるが、じゃ子供が出来ないと、夫婦じゃないのかいと言いたくなるけどね。在留資格のために子供だって作っちゃう外国人だっている。その割り切りようといったら日本の常識など通じない。貧しさのなかで、あえいでいる母国の家族を救うためには、もうなりふりかまわず。悲しき運命かなとも思ったりするのである。ある知り合いのケースでアジアのある国の女性と結婚した男がいた。生真面目で、パブなどというところに出入りしたこともあまりなかった。ふらっと入ったお店に、いい女を発見。そりゃ選抜してオーデションなどして来る訳だし美人でないのが不思議なのだ。そりゃころっとなってしまいますわね。寝てもさめても彼女のことばかり、もてなかった男が、営業用のスマイルを超えた、完璧なまでの笑顔と甘いささやきに、ころとならない方が、おかしいくらいである。そうなったら、後は、赤子の手をひねるがごとしである。結構土地など資産をもっていたのであるが、だんだんと、それが少なくなっていった。もちろん結婚は、したわけだしちゃんと夜の生活だってある。しかし、彼女は、母国には、夫も子供もいる。でもその国で書類の偽造などきわめて簡単、お金を使えば、その国の役人などは、はいはいてなもので、それに現地で結婚式まで、お父さん、お母さん親族は、どうしたかって、そんなものだって雇っちゃうまた納得ずみだったりする。そこまでやるーうて世界なのである。日本の尺度でみたら信じられないけどね。だからうちの奥さんなどは、国際結婚は、ある程度時間も金もかけないとうまくいかないしとかいっている。何度か相互に訪問しあって両方の家族をよく知り、生活レベルや知的レベルなども調べてさらに相性となってくるのだろう。バナナのたたき売りではないんだし、結婚相手を紹介し、お互いの考え方を説明して結婚してうまくいくようにアドバイスするには、大変な労力らしい。以前お金持ちの日本男性をロシアに、つれて行って苦労したので、私に、すこし手伝えなどとほざいている。いいけど、賃金は、高いよ。と私は言って笑った。
2003年11月08日
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オルガさんの国際結婚相談室に、多数のお問い合わせを頂きありがとうございます。妻のメールアドレスの設定の不具合がありご迷惑をおかけしましたことをお詫び申し上げます。前回の話し奥さんの様子がわからず横道にそれすぎたこともありすこしロシア人妻の話にもどしまた機会を見計らい私の話などに入ろうとおもっています。沖縄からもどってまた日常の生活へ。さてさて個人差もあるがロシア女性は、極端に自己主張をしてくるということは、ないようにおもえる。まあうちの奥さんがちょっとぬけているのかもしれないが。そういった意味では、すごいけんかには、ならない。ただやはり女といういきものは、ためていてあとで精算して来るから、納得して許してくれたとおもわないほうがいい。わたしの経験から言うと何年も前のことでもほじくりかえしてくるので、ひたすら、その怒りにさらされた時は、どこかへ避難するか、馬耳東風、相手にしないで、だんまりをきめこむかだ。ある友達が女性だけの職場の責任者をやっているのだが、女同士のいがみあいをみていて、うんざりだということを言っていた。彼などは、女は、悪魔だとさえ言い切ってしまっているくらいだから、そうとうひどいトラブルにまきこまれているのだろう。そこまでいかなくても、男と女だってお互いの違いを理解して付き合わないと大変なことになる。女性の嫉妬は、はかりしれないから、亭主持ちだからとついほかの女性の相談などしようものなら、その女性、自分が無視されたというくらい屈辱的なことは、ないらしくあとでひどい目にあわされることになる。女の前で他の女の相談などしないほうがいい。それは、極端な場合、自分の母親でさえ息子の彼女や奥さんにたいして個人差はあるが嫉妬する。だから嫁いびりがおきるのだ。つまり息子、母親、妻は、擬似三角関係みたいなものである。まず、警戒してかからないと大変なことになる。また人間同士嫉妬と言う感情は、もちあわせているので、あまり幸せを誇張すると嫉妬されてしまう。かなしいかな人間誰でも持っている性とでもいったらいいのだろう。だから宗教などの教えに走り俗世のしがらみからのがれたいという人もでてくるが、そこはまた、悪い宗教もあって財産をまきあげられてしまったりもする。まったくこの世は、複雑怪奇。それならかわいい奥さんでもみつけようと探すが所詮そんなものは男がつくった幻想、はかない夢。結婚すれば、父ちゃん稼ぎが悪いよと尻たたかれてあれれてなことになる。でもこれが人生などと悟りの境地にたてば地獄も天国にみえてくるのだ。といいながらやっぱり奥さんはかわいいものである。と言っておこう??。
2003年11月07日
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はちやめちやな生活を送りながらも色々なアンテナは、はりめぐらせていた。オードバイに興味を持ったのは、20代の後半である。高校生が恍惚の表情でバイクにまたがっている姿を見て、これは乗ってみるべきだとおもい早速、教習所にいった。そのときは、教習所では、中型自動二輪しかとれなかった。それ以上は限定解除といって自動車免許運転試験場とかいうところでとらなければならなかった。それに結構難関だった。今はどうなっているか定かではないけど。バイクに乗ってみて思ったことは、やつぱり面白かった。自動車とちがって一体感というかガソリンタンクを両脚で締め付けるように乗るのだけれど、エンジンの振動がその両脚を伝って全身に、微妙な振動となって伝わってくるのだ。生き物にまたがったような錯覚さえ覚えて、まるで鉄の馬を操る様な感じがあった。スロットルを開けて軽快に連続したカーブを走りぬける快感は、やったものしかわからないだろう。下品な言い方をすれば、マスターベーションで、快感を調整しながら一気にクライマックスへ上り詰めるようなものかもしれない。全身に風をうけて、心は限りなく解放されていく.視界に広がる風景は、恐ろしいほど身近にその存在を誇示してくる。うなりをあげるバイクの音は、まるで野獣の咆哮のように空間の空気を激しく振動させていく。それは、若者たちの生の証明のように、シンクロしていくのだ。多分、彼らが生と死を彷徨しながら、自己の存在を再確認しようとする儀式なのかもしれないと思ったりもした。生きていると言うことへの自己確認などといきがってみても所詮青二才のたわごととしかおもわれない。だが既存の概念に疑問をもちそれを打破して真理を探究したいとおもっていることも若者の特権なのだ。枠に疑問をもち自分の生を見つめ議論しあうことが今日本の若者、もちろん私も含む?に必要なのだろう。そういった意識が、若者だけでなく、日本人全体にあふれ出てきたらきっと日本もかわるだろうし変わらなければならない時代に突入しているのだ。ひとりひとりの小さな声がやがて大きな声となって歴史の流れをかえていくかもしれない。
2003年11月05日
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まったくはちやめちゃな生活に、入って不良青年と端からみられても不思議ではなかった。ただ一ついえることは、自分の生に対する何らかの答えをさがしていたのかもしれない。今にして思えば、青二才の、未熟で、子供じみたあがきみたいなものだったのだろう。そう簡単に、答えなどというものが見つかるわけなどないし、それが試行錯誤の結果何年もしてようやくぼんやりとみえてくるものだと気付くには、若すぎたのかもしれない。ストリップに飽きた私は、映画の世界にのめりこんでいた。悪く言えば最初たやすく時間をつぶせるといった程度のことだった。金もなくて一日なんとなく充実できるのは、映画だった.名画座といわれるややうらぶれた映画館に、5年も、6年も通うことになるとは、そのときは思いもよらなかった。それに金がないので朝から晩まで、二本立てや三本立ての映画を、何回もみて終演に、やっと映画館を出ると言う感じだった。それに食べるものも菓子パンを買ってあとは水とか、コーラとか一食位ですごしていた。しかし不思議なものだが結構、幸福間でいっばいだった。いつの間にかスクリーンのなかで自分が生きているような錯覚さえおぼえていたのだ。そして映画がおわると仮の世界にもどって行く。そうだ、映画の勉強をしようそう思った。そのころ横浜に、ある映画学校があった。現在日本映画学校(横浜映画放送専門学校)へ入学することになった。二年間そこで、はたまたとんでもなくおかしな青春時代を送ろうとは、当初考えていなかった。大学にはない、新鮮で、ばかばかしくも面白く、枠にとらわれない発想をみつけることができたのだ。映画の話は、書き出したらきりがないので後日にしておくが、私は、このまま映画の世界には、進まず、また放浪の生活にもどってしまうのだ。両親からすれば、本当にわけがわからず戸惑っていただろうとおもうが、やさしく信じて見守ってくれたことが私にとっては人生の一番の喜びでもあった。あなたは、本当に好きなようにいきてきたし多くの回り道をしてきたけどそんな人生もいいかもねと半分あきれ気味で母などは、いつも言っている。こんな不良息子をかかえているとぼけてられないなどとぼやくことしきりだ。それにまたロシア人の奥さんとくれば、へえーーーと声を発して、かたまってしまったこともうなづける。奥さんにだって、もっと日本語が理解できるようになっていろいろな話ができるようになったら、不良青年期のはなしでもしてあげようと思う。
2003年11月04日
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昨日の敵は、今日の友ではないが、昨日の敵は、きょうの妻。つまりロシアがアメリカと敵対してソビエト社会主義共和国連邦の時代、まさに日本はアメリカとの安保条約との関係もあったし、自由主義と共産主義の対立の構図のなかにいた。そしてソビエトの情報と言えば、自由のない恐ろしい国というイメージで、見ていたのだ。いつか日本が共産化されたらと大変なことになるなどと思った時代を過ごしてきた。だからまさか奥さんをロシアの人にするなんて100パーセンとないと思っていたしいや、そんなことすら考えていなかったのだ。だから今でも、まだ自分でも信じられないでいるというのが本音のところかもしれない。しかしよく考えてみれば、国家と国民は、まったく違った顔をもっている。だから国家のイメージがそく個人のイメージと同じではない。日本人は一般に、勤勉だと言われているが意外とちゃらんぽらんな人もいる。何でもひとくくりという発想方法が古すぎるのだ。一つのレッテルを貼ってしまうと修正がきかない。私などは、小学校時代、勉強などする気もなくテストなんかいいかげんに書いて出していたら、オタクの息子さんとても大学へ行く頭などありませんと担任の先生にいわれて我が両親の落ち込みようは大変だったらしい。しかし中学に入って、おもいきり勉学にめざめてやりだしてらあれよあれよと成績があがって、高校は推薦入学となって両親の驚きはねはかりしれなかった。しかし、そののちぱっとしないで、一応国立大学の工学部に入ったのは、いいがこれは、私の方向ではないと2年で中退。両親は失望するやらあきれるやら。じや大学を中退して何がやりたいのかそれも決まっていないから無謀このうえなし。しかし父は、偉いというか、あきれて何もいえなかったのか、山梨の人間なのでまさに、動かざること山の如し、動じるどころかバカ息子をじっとみつめていた。ひと言、自分の生きたいようにやれ。人様に迷惑かけなければそれでよし。私は、とりあえずやることもないし、古本を売って、いざストリップへ、自分への言い訳が、女性の神秘の探求についてとかレポート用紙に書いて行動を起こしたが単にスケベーなだけ。しかし毎日、通いつめ、どういう構成でライトは、とか動きはとかけっこう興味深く見ていた。ストリップ劇場の支配人も、踊り子も私が、毎日やってきて開演から終演までいるので、ちょつとびっくりしたようだった。しかし、なにごとにも凝るわたしとしては、水を得た魚のように生き生きとしていた。
2003年11月02日
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妻は、日本での生活に自転車が必要だと知って秘密に乗る練習をかさねていた。気がつけばもうすいすいと自転車にのっているではないか。本当は、最初から乗れたのではないかとさえ思ってしまった。乗れたのはいいが、適当なところに駐輪して、駐輪違反でもってかれてしまった。なんどとなく変なところに長時間とめておくと持っていかれるよと注意しておいたがやはり現実にそうならないと実感がわかないらしい。私がカッカきていると、新しいのはいくらと妻、罰金をはらった方が安いに決まっている。とひさしぶりにちょっとけんかになった。おおざっぱなわたしでも、実際、自転車を以前に持っていかれて、ちょっと遠くの自転車保管場所まで取りに行って、3000円を払ったときは、とほほと感じたくらいだから。しかしこんなにも自転車が増えるとは、思ってもみなかった。駅の周りのあちこちが自転車であふれかえっている。駐輪には、ひとり一人が注意してお互い迷惑とならないようにしなければならないと思いながら、ついちょっとの時間だからとなってしまう。気をつけないとね。妻は、まだ買い物が経済的にどうすれば安くあがるのかは、試行錯誤だ。いっぱい買いすぎて結局、使わなくて古くなって捨ててしまう食材も多い。私みたいなけちは、もったいないとしきりと思うのだが、とりあえず必要かもしれないものを買ってそれから料理を考えているからだめなのだと言っている。まず何を作るかを決めてそれならこれが必要です。てな感じにならないと、としきりに言っているが思考回路はそうなかな変えられないみたいだ。ただ、どこが安い店でと少しづつ考えてきているようでもある。また駅から歩いて我が家は、15分ぐらいのところにある。私などはこのくらい歩いて当たり前と思っているが、妻は、タクシーを利用することが多い。歩いた方が老後に足腰が衰えないよといっているのだが私より若い妻は、老後ということ自体実感としてわかない。まあわたしだってまだ若い、若いつもりだけれど・・・・。若さとかは、個人差があるからと最近思うようになった。わたしの父などをみているとパソコンは、私なんかよりはるかに知識をもっているし歩いたってその足取りは、驚くほど安定している。思考能力だっていまだに衰えをみせていない。父はその昔、結構晩婚だったので、結構いい歳なのだけれど。こりゃ愛人のひとりやふたり・・・。まあわたしの知る限りでは、母一筋だったような気がする。細かいことは知らないけどまあ男ならそれは、理解できる範囲なのだ。私は、しきりと最近、日本の女性が新鮮にみえている。危険信号というほどではないが。けっきょく、ないものねだりなのだろう。だから夫婦関係をいつも新鮮にするためには非日常の時間もつくってやらねばと思っている。旅行とか、スポーツとか、趣味なんか夫婦ふたりではじめられるものがいいかもしれない。娘ももちろん仲間にいれられるものがもっとベターであるけど。
2003年11月01日
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