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2015.05.21
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カテゴリ: 小説
誘拐された過去を持つ小説家がその誘拐事件を書いた「残虐記」という原稿を残して失踪する話。

●あらすじ
小説家の小海鳴海こと生方景子がケンジからの手紙を読み、「残虐記」の原稿を残して失踪して、夫が妻の指示通りにその小説を編集者に届ける。
「残虐記」は景子が10歳のときに25歳の安倍川健治に誘拐されて、鉄工所の上にある部屋に一年間監禁されたときの回想。ケンジは昼の顔と夜の顔を使い分けて、昼は乱暴に景子を脅し、夜は小学生のふりをして景子と仲良くなろうとする。ケンジは景子をみっちゃんと呼び、なぜみっちゃんと呼ぶのかと景子が聞くと、みっちゃんは病気で死んだのだといい、部屋には「おおたみちこ」のランドセルがあった。景子は隣の部屋のヤタベさんに助けを求めようとヤタベにメモを残すものの、ヤタベは共犯で覗き穴から景子を見ていたのだった。メモは消え、ヤタベはいなくなり、景子はヤタベの部屋を掃除に来た社長の奥さんに発見されて家に戻るものの、家庭は崩壊した。景子は大人を信用しなくなり、ケンジと交換日記をしたことを検事にも話さないことにする。その後、おおたみちこという名前の行方不明の子供はおらず、発見された死体は子供ではなく、18歳のフィリピン人娼婦アナ・マリア・ロペスと判明する。みっちゃんとは誰なのか、助けを求めたメモはどこに消えたのか、ヤタベはどこに行ったのか、様々な謎が残り、景子はケンジの性的妄想を想像する性的人間になって妄想で真実を見つけようとする。ケンジが赤いランドセルを買ってみっちゃんと名乗って女子小学生ごっこをしていると、ヤタベが買った女にオカマだと馬鹿にされて殺したという妄想。景子は絵画教室で会ったタナベという耳が聞こえない用務員がヤタベだと確信して、ケンジはヤタベの息子として引き取られてホモセックスさせらていて、ケンジがヤタベを喜ばせようとしてマリアを連れてきて、ケンジは寮のミノルがケツを掘られているところを目撃したことを思い出して興奮してマリアをみっちゃんと呼んで監禁して、マリアが子供を産む際に大量出血して死亡してヤタベと一緒に埋めたというのが事件の真相だと検事に言い、ケンジに恋をしたと書いて「残虐記」は終わる。
最後に夫は編集者からの電話に対する返信を書き、「残虐記」はノンフィクションではなく一部が改変されたフィクションだと言い、鉄工所の社長夫婦も共犯でケンジがメモを見て景子を助けたという説を提示して終わり。

景子の夫から編集者への手紙の一人称と、作家が自身の体験をつづる体裁の一人称。文章は描写のペースが安定していて読みやすく、エンタメ小説としては文章がよく書けているものの、あちこち雑な部分がある。たとえば単行本の188ページに「ケンジは指示を仰ごうと廊下に出て、ヤタベさんの部屋の扉をノックしたが、ヤタベさんは現れなかった」という描写があるが、ケンジはヤタベは耳が聞こえないと知っているのに扉をノックする行為がおかしい。設定と矛盾する描写を校正が見落としたんだろうか。それに140ページでマリアと書いていたのが194ページ以降ではアナと書いていて表記にブレがある。景子の妄想の変化を区別するためにあえて呼び名を変えたのか、あるいは単なる呼称の統一ミスなのか判断がつかない。景子は「私が死んでもこの稿がパソコンの中に留まって誰の目にも触れないこと、それが私の唯一の救いである」と原稿に書いたのに、夫によると原稿が印刷してあって編集者に送れとポストイットに書いてあったという、動機と行動の不一致に意味があるのかないのかもよくわからない。
物語の見所は真実がどこにあるかという点。最後に夫が新しい解釈として「社長夫婦とヤタベとケンジは共犯で、ケンジは末端の拉致役だったのにすべての罪をかぶせられて、ケンジが景子のメモを見て景子助け出して、景子は出所したケンジの手紙を読んでキモイ夫を捨てた説」を付け加えて、妻が妄想で導き出した解釈とは違う解釈で物語が終わる。最後に解釈をつけたす部分を物語の面白さとして作者は意図したのだろうか。
語り手を疑うというのはナラトロジーにおける一つのテクニックである。しかしそれをやると、物語のリアリティの根幹まで揺るぎかねない諸刃の剣となる。物語における現実の軸をどこに置くかで物語が面白くもなるしつまらなくもなる。この小説の場合は編集者に手紙を送った景子の夫を基準にしているらしいけれども、語り手を疑うことができるということは景子だけでなく夫も疑うことができることになる。夫が事実を書いていると仮定するなら景子が書いていることはうそになるものの、景子が事実を書いていると仮定するなら夫の編集者宛の手紙は嘘になる。
読者が語り手を疑うという場合では、私のようなひねくれた読者は作者が想定していない解釈をあえてやりたくなってしまう。「景子を殺したか監禁したかした自称夫と名乗る誰かがいて、景子がノンフィクションとして書いて公表するつもりもなくパソコンに残していた原稿を入手して、自発的な失踪に見せかける隠ぺい工作としてフィクションとして解釈できるように歪曲して編集者に信じ込ませようとした」という解釈もできるかもしれない。「誘拐事件のトラウマで独身をこじらせた景子が自分には夫がいると想像を膨らませて架空の夫になりきってしまい、妻の景子が失踪したと思い込んでいる」という解釈もできるかもしれない。「桐野夏生という作家がどうせ週間アスキーの連載だからミステリ好きな読者は誰も読まないだろうと手を抜いて、どうとでも解釈できてオチがないミステリ小説を適当に書いた」という解釈もできるかもしれない。語り手の言葉が疑われている状況において別の疑わしい語り手による疑わしい解釈を付け足したところで、それは私にとっては物語の面白さにつながらないし、むしろ技術的失敗にみえる。
私としてはエンタメ小説は一つの筋道だった面白い物語を提示してくれればそれで十分で、解釈の多様性はいらない。ミステリにおけるどんでん返しはそれまでにもっともらしく見えていた論理を完膚なきまでに論理的に覆すからこそ面白いのだけれど、この小説のように一つの解釈に別の解釈をぶつけるだけでどっちが論理的に正しいかもわからない状態では物語にオチがつかない。ヤタベは捕まっていないし、失踪後の景子がどこでなにをしているかも不明だし、景子と夫のどっちが嘘をついているのかも不明。真相は誰も知らず、語り手も信用できず、読者が小説内の手がかりで論理的に真実を証明することができないというのがミステリで一番しらけるパターン。帯では『誘拐。監禁。謎の一年間。そして、25年後の「真実」。』『誘拐犯と被害者だけが知る「真実」とは……。』とやたらと真実を煽っているものの、結局真実ってなんだったのよさ?真実がどうこうを売りにするなら真実がわからないのは小説の構図として失敗だし、悪く言えば帯の文句は読者をだます詐欺である。そもそも証拠に基づく推理をするのでなく、真実を妄想しただけでオチがないというのはミステリとしては欠陥品で、こんなのがミステリ扱いされてしまったら警察も名探偵もいらんがな。というかそもそもこの小説はミステリではなく、作者はポルノを書きたかっただけなんじゃなかろうか。まじめに真実を考えて損した気分。

★★☆☆☆






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最終更新日  2015.05.22 04:02:34
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