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2015.07.11
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カテゴリ: 小説
第135回芥川賞受賞の表題作と、他の短編2つ。

「八月の路上に捨てる」は脚本家志望で自販機補充のバイトをする佐藤敦が妻の智恵子とまもなく離婚予定で、トラックドライバーのバツイチの水城さんと仕事しながら結婚生活について会話する話。
三人称で、一日の出来事の合間に敦の過去の出来事を挿入する構図。三人称だけれど視点は敦目線で一人称的で、「敦」を「俺」に変えてもたいして違わない。智恵子が呼び捨てな一方で、水城さん、キクさんと他人をさん付けしているのも一人称的。エンタメ小説ならこんなもんでもよいけれど、純文学として芥川賞をとったというのだから張り切っていちゃもんをつけることにするぜ。いちゃもんが好きなんだろ? ブンブン!
芸術では大まかに「何を表現するか」「どう表現するか」の二点が肝心で、「何を表現するか」は離婚に直面した敦の心境だろう。離婚は月並みなテーマだけれど、書き方次第でよくも悪くもなるから、月並みなテーマを選んだ以上は表現手法に工夫をしてしかるべきである。たとえば筒井康隆は日常生活をテーマにしても多種多様な文学的テクニックやギャグを用いてきっちりエンタメ小説としての見所を用意している。しかしこの小説では「どう表現するか」が練られておらず、月並みなテーマを月並みに書いただけになってしまっている。
そもそも脚本家志望の男が主人公なのだから一人称で思う存分自分語りをして心理を掘り下げればいいのに、三人称にする必然性がない。三人称にしてしまったことで自己の思想や心理を掘り下げる一人称の利点をなくしてしまっている。その上三人称にしたにもかかわらず視点の自由さを活かすわけでもなく、視点と思考を敦に固定してしまって語りの幅を狭めてしまっていて、三人称の利点も活かせていない。登場人物を客観視できていない一人称的な三人称のせいで、リアリティがなくなって夫婦喧嘩の場面に緊迫感がなく、心理小説と呼ぶほど心理を掘り下げているわけでもなく、小説の特徴がなくなっている。43ページの「二人でとろとろとした蜜に浸かり、身体をくねらせて泳ぐ。敦はそんな様を妄想しながら彼女を抱いた。やるせなさが、愛しさと背中合わせになっていた。」とか、83ページの「奥から、シャワーの音が聞こえた。音は、耳の奥でくすぐったくはじけた。」とか、気取った自己満足的な文章をこれ見よがしに投入してくるのがうざったく、かといって全体を気取った文章にするほどの大胆さもなく中途半端。作為的な文章であるほど読者は語り手への信用をなくすし、やるならやるでイタロ・カルヴィーノやミラン・クンデラや筒井康隆くらいに大掛かりに作為的にならないと純文学では芸にならない。登場人物の心理表現として必要不可欠なら妙ちくりんな文章が多少あってもいいけれど、この小説では文学的雰囲気を演出するためのただの飾りになっていて、気取った文章が何を表現しようとしているのか考えれば考えるほどわけがわからなくてワケワカウッヒャーである。枝葉末節を飾る前に表現の本質を追及するべきだろう。
素人が2chに投稿する離婚報告よりは文章が整ってるぶんましという平凡な展開で、その平凡さを「何もかも本気だったのだ」と敦の感情に転化してラストシーンを印象付けたおかげでなんとか小説として成り立っているけれど、よく読むと44ページで敦と水城が勤務中にふざけているので、「俺は一時たりとも遊んでなんかいなかったぞ」という敦の思考は本気というより逆切れに見えてよくない。
全体として作者独自の表現を追求するための挑戦をしないまま既成の小説の概念に沿った小さな物語にまとめていて、見所のない凡作。芥川賞でどの選考委員がこの小説を評価したんだろうと思って 芥川賞のすべてのようなもの で選評の要約を見てみたら、○を入れたのは私が似非純文学作家とみなしている高樹のぶ子だった。こういう恋愛小説もどきは芥川賞でなく直木賞でやれといいたい。

「貝から見る風景」は淳一がスーパーで「ふう太郎スナック」について投書した女について妻の鮎子と話して意気投合して、自分は一人でなくて貝の中で暮らしている二匹のエビだと思う話。
一人称っぽい三人称。貝だのエビだのがまたもや妙ちくりん。調べてみるとタイラギという20センチくらいの大きな貝の中に1センチくらいのカクレエビがつがいで暮らしているらしい。貝の中で暮らしているエビが淳一と鮎子の仲良し夫婦の比喩なのだろうけれど、カクレエビは貝と共生しているから、貝もエビと一緒にいるはずなのだけれど、貝の中身はどこにいったのと考え始めるとワケワカウッヒャーでやっぱり比喩としておかしい。この夫婦が誰か他人の家に居候しているならまだ比喩としてわかるけれども。

「安定期つれづれ」は妊娠した娘の真子が家にきたので、英男が禁煙の様子をブログに書く話。
三人称。妙ちくりんな文章がないぶん他の短編よりましだけれど、文体に工夫もなく見所もない。

全体の感想としては純文学というよりエンタメ小説。テーマが夫婦やら家族やらと平凡で退屈で、主人公の男がうだうだしつつ孤独やら夫婦やらを考えるという似た展開で、短編集としても物語のバリエーションが乏しい。平凡なテーマを書くなら書くでいいけれど、そこで新しい世界の捉え方や人間の新しい一面を開拓するまでに至らず、読者にとっての刺激がない。日常を書きながらもリアリズムでもなく、既視感のある「あるあるネタ」止まりで、小説にするほどの内容でもない。
以前『指輪をはめたい』を読んで一人称がナラトロジー的に矛盾していると書いてこの作家はダメだと思ったけれど、芥川賞をとったというからその時点からいくらか進歩したのかと期待したものの、期待はずれに終わった。いかにも文藝出身作家っぽい幼稚さが漂う雰囲気文学で、テーマ、技法ともに純文学としての魅力がない。私は今後この作者の本を読むことはないだろう。

★★☆☆☆







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最終更新日  2016.02.11 00:02:34
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