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2017.04.26
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カテゴリ: エッセイ

●内容
Ⅰ 人生に関する八つの考察
怒り、虚栄、孤独、退屈、羞恥、嘘、死、宿命についての考察。自分の経験を回顧して友人や知人を批判したり作家や哲学者の例を引用したりしてテーマを掘り下げている。

Ⅱ 教育をめぐってドイツや日本の教育についての考察。西ドイツの教育と日本の受験制度を比較して、入試改善案や教育の自由について提言している。

Ⅲ マルクス主義の終焉と湾岸戦争ロシア革命、統一ドイツと湾岸戦争についての考察。ソ連型共産主義は間違っていたけどマルクス主義は間違っていないと言い逃れする左翼を批判している。

Ⅳ 論争の精神シュミット前西ドイツ首相、ベーカー演説、ヴァイツゼッカー前ドイツ大統領や言論人への批判。日本は戦後に周辺国に謝罪していないとかの日本批判に対して反論している。

Ⅴ 広がりすぎた自由の悲劇学生気質とオウム真理教についての考察。自由の先には不毛があるだけで、若者は広がりすぎた自由に不安になり、抑圧されたがる自閉衝動から人工的に作った閉鎖状況の組織にもぐりこんで心が安定するようになったのでオウム心理教のようなものが突如として現れたのだという分析。

●感想私は西尾幹二という人を名前を聞いたことがあるという程度にしか知らなかったので、どんな人かと思ってとりあえず一冊読んでみることにしたのだけれど、著者はドイツ文学と哲学を研究している保守派の言論人だそうで、Ⅰ章とⅤ章は私の興味の範囲と一致していたので面白く読めた。

・よい点落ち着いた文章でテーマを真摯に考察していて、まずはその姿勢がよい。マルクス主義の終焉やオウム真理教といった当時の大きな社会問題だけでなく、女性の自立と保育園不足とか、心神喪失者の犯罪と自由とか、いまだに議論されている社会問題にも着目しているので、文学と哲学の話題に小さくまとまらずに読者にとって興味を持てるような内容になっている。文学者は古典だけ研究して学内政治に熱心で現代社会には無関心という世間ずれした人も少なくない中で、社会に目を向けているのはよい。ドフトエフスキーやニーチェやカミュなどの文学者や哲学者の言葉の引用もあるので、文学や哲学に興味がある人なら面白く読めると思う。500ページ程あるので文章量としては申し分ない。

・よくない点
批判している相手がときどき匿名なのは不満で、警察が立てこもった犯人を射殺した際に純文学畑の某有名作家が警察を非難する見解を公表したということが書いてあるけれど、「愚かな発言が繰り返されてきたため、純文学の作家の見解などに耳を傾ける者は次第に少なくなり、また有効な社会的発言のできる作家も今はほとんどいない。」(153ページ)という点は私も同意見なので、だからこそ犯罪者擁護の発言をしたこの純文学畑の某有名作家の名前は明記してほしい。
教育については80年代に書かれたエッセイなので情報が古いし、ドイツも日本もだいぶ状況が変わっている。これは作者のせいではないけれど、教育制度とかの時事問題への提言は同時代に読まないとあまり意味がないので、一度雑誌に載せたものをまた著作集に収録しても現代の読者にはあまり参考にならないかもしれない。

さてこの本でキーワードになっているのが「自由」なので、自由について考えることにする。この本の中では実存主義という言葉こそ出てこないけれど、実存主義と同じテーマを考察している。実存主義によって宗教的束縛を抜け出して自由になったら、今度は宗教に頼らずに生きる目的を自分で見つけなければならない苦労が待っている。神のため、国家のため、民族のためという大義がなくなって、代わりになるものとして思想に基づいた共同体を作ろうとすると、サルトルが共産主義に傾倒したような失敗を犯すことになる。社会主義の失敗を目の当たりにして、社会主義以前の権力体制である国家や宗教に回帰するは当然の流れといえる。
冷戦が終わってソ連が崩壊して中国も資本主義になって社会主義の失敗が明白になると、社会主義対資本主義の構図がなくなり、それ以前の宗教対立の問題に逆戻りしつつある。冷戦後はプロテスタントの欧米とアフリカ・アラブ・中央アジアのイスラム系テロ組織との戦いが始まったけれど、これは後の大規模な戦争に至る発端にすぎないのではないかと私は思う。イスラム教過激派を根絶したらそこで宗教対立が終わるわけではなく、イスラム教同士でもシーア派とスンニ派の争いは決着がつかないまま続くだろう。
インドは他民族国家で言語と宗教が違う民族同士で民主主義をやろうとすると多数派のヒンズー教が有利になってしまうので、セキュラリズム(政教分離)で特定の宗教を優遇しないようにしてなんとかバランスを保っているもののしばしば暴動が起きているし、他民族が共存するのは難しい。一方でパキスタンはイスラム教徒が多数派だった地域がインドと戦争して独立したので、国民はほぼイスラム教徒で、言論の自由がなく改宗も禁止されているし、インドとは逆でイスラム教が優遇されている。EUやアメリカでイスラム系移民が集まってコミュニティを作ったら、インドとパキスタンのようにイスラム教徒が独立国家を作ろうとする可能性もある。
アメリカでトランプ大統領になってから世界の警察をやめて自国を最優先する保護主義に向かって不法移民を排除したり、フランスで反EU・反移民を主張する右翼政党のルペンが大統領選挙に出たりして、欧米が反グローバル化しつつあるのは移民が進んだ国家の将来に危険を感じているからではなかろうか。今はイスラム教過激派の小規模なテロが起きる程度で済んでいるけれど、いずれ欧米でイスラム教徒対キリスト教徒の内戦が起きるかもしれないし、その先にはイスラム教国家対非イスラム教国家の第三次世界大戦が起きるかもしれない。
日本は穏健な仏教と多神教の神道が混在するアジアの端っこの小さな島国なので、難民がおしよせてイスラム化する事態は回避したけれど、日本も宗教の問題とは無関係ではない。80年代ごろから新興宗教が勃興したのも、右傾化したのも、過労死が問題になったのも、宗教、国家、企業と依存する先が異なるだけで、何か大きな組織に依存する本質の問題は変わらない。
凡人にとって目的のない自由を与えられても手に余る。自由があっても目的のない人生の退屈さや虚無感に耐えられなくなると、自殺したり、あるいは自ら束縛を求めるようになる。自分で考えなくても他人が次々に目的を与えてくれる状態というのは楽なのだ。目先の目的を与えられると、その目的の先にあるさらに大きな目的は考えずにすむ。
たとえば宗教の教祖の言いなりになって財産を寄付して布教活動をするのはただ目先の目的が与えられたというだけで満足して、自分で考えることを放棄したことから目をそらしている自己欺瞞で、宗教の教えが間違っていたとしても、指導者が悪いのであって教義に従っただけの自分には責任がないと責任逃れと自己正当化ができる精神的安全地帯となる。86ページで囚人は物を作る行為に夢中になるというエピソードが書かれているけれど、ホームレスとして自由に無為に生きるより、刑務所に入って毎日何かしらの作業を与えられるほうを好む人もいる。ゲームにはまる人が多いのも、定期的にアップデートされてデイリークエストもあって、毎日何かしらの作業が与えられるからだろう。
昔は束縛だらけの中で生きてきたので、生まれた瞬間に生きる目的が与えられていた。家父長制があった頃は長男は家業を継ぐ目的を持たされ、女性は跡継ぎを産むために政略結婚させられていたし、戦争になれば個人の意思は無視して徴兵されていた。戦後の日本国憲法のおかげで人権が尊重されて、思想の自由も職業選択の自由も与えられたけれど、束縛がなくなって自由になると、今度は束縛を求めて不自由になろうとして、不自由の種類を選択する自由があるという逆説的な状態になっている。では自由に好きなものを選んだ先に何があるのかというと、人生の暇つぶしの仕方を自分で選んだという自己満足しかない。
ではその人生の選択は自分のためなのか、自分以外の誰かのためなのか。スポーツ選手が試合をするのは自分が記録を残すためなのか、ファンを楽しませるためなのか。ビジネスマンが仕事をするのは自分が儲けるためなのか、会社や株主や客のためなのか。無職が自宅を警備するのは自分が楽するためなのか、家族を手伝うためなのか。もし自己中心的な選択をする人ばかりになれば、国家、企業、家族という共同体は成立しなくなる。では一人で自分のために芸術を創作するのは悪いことなのかというとそうでもなく、芸術は人間の肯定であって人類への奉仕である。
144ページに著者が平山郁夫から聞いた話が載っていて、「才能は悪い条件に抗して伸びるのではなく、悪い条件をつねに利用して伸びるものだ」「一寸何かがあって潰されるような才能は、何をやっても潰される」「ここで言う才能とは、東京芸術大学で三十年に一人か、四十年に一人出るか出ないかの才能を指し、玉石混淆の、「玉」を一人排出するために、何百人何千人の「石」を育てなければならないのだ」「夭折の天才は別として、才能が本当に開花するには長い時間を要するのが常である。夭折の天才は、まるでその死を予定していたかのごとくに、全生涯が死の一点へ向かって収斂していたのが後でわかるが、普通の才能は、二十代で一度認められても、本当に深く大きく展開するには、人生の経験と人間としての成長を必要とし、長大な時間がかかるものなのだ」と平山郁夫は言っていたそうな。しかし長大な時間をかけても才能が開花しない場合もあるし、そこが芸術の恐ろしいところでもあり、面白いところでもある。パラシュートが開く保証がないままスカイダイビングして地面がどんどん迫ってくるようなもので、芸術のために人生を棒に振るのはスリリングで退屈しないので、暇つぶしにはちょうどよいではないか。

★★★★☆

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最終更新日  2017.04.26 08:25:02
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