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高山樗牛(たかやまちょぎゅう、1871-1902)は明治時代には日本主義の批評を書いて青年の代弁者として一世を風靡した評論家だったらしいものの、現代ではほとんど読まれていないらしく、青空文庫にも5作しか載っていない。というわけでどんなものかと思って青空文庫にあるやつを読んでみることにした。
●各章要約
一 序言
生命は食料に優り、体は服に優るので、食料と服よりも優れている生命と体に従事することが美的生活である。
二 道徳的判断の価値道徳は人間行為の最高目的の理想の至善で、至善の実現のための行為が善で、妨害行為が悪で、忠臣義士が君国に殉したり孝子節婦が親夫に尽くすことが至善で人間の最も美しくて貴い現象である。
三 人生の至楽人間の目的は本能的に満足して幸福になることで、道徳と理性が人類を下等動物と区別するものだけれど我々に幸福を与えるのは道徳と理性ではなく本能で、真理を知ろうとする知識欲や善徳の修養は一種の快楽があるけれどもこれは軽くて満足できない。
四 道徳と知識の相対的価値道徳と知識は独立の価値を持たず、我々の本能の発動を調節して満足の持続を助成するものである。人間は理性があるので他の動物よりも満足が持続する。本能が目的で、知徳は手段に過ぎないので、知徳は人生の幸福をなすものではない。本能には絶対的価値がある。先祖が苦労して習慣化した本能を尊重して、幸福になるのが美的生活である。
五 美的生活の絶対的価値人間の本能的欲求を満足させる生活に絶対的な価値があり、道徳は相対的な価値にすぎない。美的生活は理儀を超脱した至楽の境地である。
六 美的生活の事例本能以外の物事も価値が絶対と認められるものは美的である。道徳は本来は相対的価値をもっているけれど、道徳に絶対の価値があるとみなしてそれを人生究極の目的とするのは道徳的ではなくて美的であって、古の忠臣義士や孝子烈婦が残した美談は道徳として伝わっているけれど実は一種の美的行為である。守銭奴は道徳上の痴人だけれど、それを人生の目的だと信じていれば美的生活をしていることになる。恋愛は美的生活の最も美しいものである。信仰に専念する人は金持ちから見れば愚かだけれど、その生活には王者がうらやむようなものがある。詩人や美術家が天職の芸術のために追放されたり処刑れたりするけれど、死をもってしても脅かされない。
七 時弊及び結論宇宙は疑問だらけで、人がこの疑問を解決して初めて安心できるのなら生きないほうが幸せで、道徳と知識は本能の満足に対しては方便に過ぎないし、方便に過ぎないもので和えられる幸福は高価なものではないし、短い生涯では道徳と知識はあまりに煩雑すぎる。貧しい人よりも富貴以外に価値を理解しない人のほうを悲しむべきだし、恋愛を理解せずに死ぬ人の生命には価値がない。生命を考えないで食料を考えて体を心配しないで服を心配する人はいたましくて、生まれてやるべきことを知らないのだ。貧しい人や望みを失った人は美的生活で幸福になれるから心配すんなよ。
●感想
要するに高山樗牛は煩雑な方便にすぎない道徳や知識で得られる薄っぺらい幸福よりも、本能的に満足する絶対的で美的な幸福のほうがよいと言っているわけである。
高山樗牛は忠臣義士を美的生活の事例として挙げているけれど、このような日本主義で忠臣を絶対的な価値として勘違いした人たちが第二次世界大戦で国民に美的な殉死や特攻や集団自決を強要したわけで、高山樗牛は日露戦争前に死んだのでその後の戦争には責任がないとはいえ日本が敗戦に至る道への思想的片棒を担いでいるともいえる。明治維新で日本が西洋化しはじめたけれど明治時代はまだ旧来の精神論的な考え方から抜け切れていなくて、第二次世界大戦で欧米にこっぴどく負けて憲法を押し付けられて、ようやく日本が忠臣義士の殉死の美を否定して西洋化したともいえる。その腑抜けた平和な憲法のせいで自衛隊がアメリカの軍隊になってしまうことを受け入れられなかった三島由紀夫は美的なパフォーマンスとして古臭い方法で翫賞的に割腹自殺して、一方では左翼学生は共産主義革命を起こそうと高い理想を掲げて内ゲバをして自滅した。右翼も左翼も絶対的な価値観を信奉して美に殉じたという点では同類である。
美的生活をしている人同士が徒党を組んで美的社会生活を実現しようとすると結局は他人の多様な価値観を否定して独裁やテロで社会を強制的に変革しようとすることになる。三島由紀夫にしろ、日本赤軍にしろ、イスラム教原理主義者にしろ、個々人は美のために殉死して自己満足で幸福になっても、社会のほうは個人の美のために革命やテロがおきて秩序を乱されてはたまったもんではない。高山樗牛の言うような絶対的価値観を持って美的生活をする人は他人の価値観とは相容れないわけで、美的生活をする人が誰がリーダーになっても独裁になってしまうので、美的生活をする人が権力を持つと民主主義社会が形成できなくなる。美的生活をしている人たちが共通の絶対的価値観のもとで徒党を組んで、異なる絶対的価値同士が対立することを想定していないという点で高山樗牛の美的生活の思想は破綻している。
高山樗牛は戊辰戦争後から日露戦争前の日本の近代化の時代を生きたけれど、31歳で早死にしたせいか視野が狭く、「~のみ」「~べからず」と結論を断定しがちなのも評論家としては思慮が浅い。論旨の展開の仕方が早急とはいえ、東大のエリートが恋愛を礼賛しているので明治の青年たちに人気だったのもわかる。結核にならずに夏目漱石と一緒に海外留学していればもっと視野を広げて日本を代表する作家の一人になったかもしれないものの、早死にしてしまったのは残念。
明治時代を生きた人が何を考えたのかを知るために現代でも高山樗牛の批評を読む価値はあると思うけれど、夏目漱石が現代でも読まれている一方で、なぜ同時代を生きて文豪扱いされていた高山樗牛が現代では読まれていないのかというと、古臭い日本主義がどうこうという以前に旧かな旧字で書いてあって古文漢文の知識なくば読むこと能はず也。たいていの人は大学受験が終わったら古文漢文を読むこともなくなって忘れてしまうし、現代とは単語のチョイスがだいぶ違うので、現代人が読まない/読めないのもしょうがない。私は振り仮名がないと旧漢字は読めないのでちまちま単語を調べつつ読んだものの、「~ざるべからず」の二重否定が多くて言い回しがまわりくどくて意味を把握しにくくて疲れた。
7章しかない短い論文なので、暇な人は漢字練習のついでに読まざるべからず。
★★★☆☆
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