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ハロウィンは欧米の収穫祭で、日本人はやる必要がない祭りだけれど、経済界が金儲けのためにクリスマスやバレンタインデーと同様に秋向けのイベントとして2000年代からハロウィンを大々的に宣伝するようになった。地域の子供向けのイベントとして親子で外出する動機を作ったり、カボチャを使った新商品を作ったりして経済を活性化するということ自体は問題はない。
ところがパーリーピーポーが騒ぐ口実にして、もはや本来の意味からはずれてコスプレして渋谷に集まって騒ぐイベントになってしまった。しかし幽霊と関係ないマリオのコスプレとかだったり、コスプレイヤーほどキャラクターに対する愛着がなかったり、欽ちゃんの仮想大賞ほどアイデアも練られていなかったりして、文化の発展に寄与するわけでもなく、騒ぐ当人以外は得していない。
渋谷のハロウィン暴動は荒れる成人式と同じ構図で、酒を飲んだDQNが騒ぐ→テレビで放送する→目立ちたがりのDQNがもっと騒ぐ→テレビが特集を組む→目立ちたがりのDQNが徒党を組んで気合い入れて騒ぐ→行政が問題視してイベント規制、という展開になっている。こうなってしまってはビジネスとしては失敗である。
●DQNマーケティングの是非
DQNをターゲットにした商売というのがある。クラブミュージック、刺青、バイク、車の改造、ドンキホーテ、パチスロ、オラオラ系ファッション、バーベキュー、サーフィン、スノーボード、メルカリ、居酒屋、風俗、麻薬とかにDQNが金を落とす。とび職とかでサラリーマンより金を持っているDQNもいるし、DQNは計画性がなくて借金してでも衝動的に欲しいものを買うので、DQN向けの商売というのは儲かる。
しかしDQNでない人との問題も起きるので、儲かるからと言ってDQNをターゲットにしてビジネスをしてよいのかという議論になる。海水浴場での飲酒や音楽を禁止するのも海の家の売上を上げるよりもトラブルを防いで海水浴場のイメージを保つためのルールで、そもそもDQNが酔って騒いで喧嘩して民家にゴミを捨てなければければそんなルールはなくてもよいのである。渋谷のハロウィンも目立ちたがりのDQNを煽るDQNマーケティングになってしまった。コスプレ衣装屋は儲かっても渋谷の商店街の売り上げは三分の一になったそうで、地元に金が落ちずにゴミ処理だけを押し付けているのでは渋谷区長に規制されてもしょうがない。しかしむやみに規制するよりは誰かがイベントを仕切ってイベント会場に隔離したほうがよい。例えば代々木公園で年中なんかのイベントをやっているように、そこをハロウィンのコスプレ会場にすればよい。あるいはフジロックみたいに山奥でハロウィンフェスをやれば一晩中騒いでも誰も迷惑しない。
渋谷と反対にDQNを排除して成功しているのが池袋のハロウィンコスプレフェスや川崎のハロウィンパレードで、人目がある昼間のイベントにして、騒いで目立ちたいだけのDQNが近寄りがたい明るい雰囲気にしているせいか、大規模なイベントにも関わらず痴漢や暴徒化といった問題も起きていない。主催者や開催日時がはっきりしない祭りや集会の類は治安維持や交通渋滞の面からも悪影響があるので規制する方向でよいんじゃないかと私は思う。どうしても渋谷の路上でハロウィンをやりたい人は、表向きはデモとして届け出を出して「東京オリンピックは税金の無駄遣い」とかのプラカードを掲げてコスプレして練り歩けばよい。せっかく人が集まるのだから、ウェーイウェーイと意味不明な奇声を上げて騒ぐのではなく何か社会的なメッセージでも発したほうがましだろう。
●外国の文化を取り入れることの是非
●フィクションでのハロウィン
ディズニー映画の『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』は骸骨やらゾンビやらのハロウィン的世界をテーマにしているけれど、面白いかというと面白くない。まずキャラクターがかわいくないし、デフォルメされているせいでホラーでもないし、微妙な感じである。ホラーとしてなら普通のゾンビ映画とかのほうが焦点が絞ってあるので見どころが作りやすくて面白い話になる。
名探偵ポワロシリーズには「ハロウィーン・パーティ」というエピソードがあって、ハロウィンで少女が殺人事件を目撃したと言い出したら殺される話である。ハロウィンは雰囲気づくりに使われているけれど、結局やることはミステリとして殺人事件が起きるだけなのでハロウィンならではの面白い展開になるわけでもない。クリスマスが『グレムリン』とか『ホームアローン』とかの物語の軸になって面白い作品になっているのに比べて、ハロウィンは物語の方向性が限定されすぎてフィクションでは使いにくいようである。日本だと特別なイベントがなくても日常的に妖怪や幽霊が出てくるのでホラーをやるなら別にハロウィンが舞台である必要性もないし、ハロウィン的なゴーストの世界を軸にしてしまうと人間の出番がなくなってしまう。欧米のフィクションではしばしば魔女がステレオタイプな悪役として描かれるけれど、大人はキリスト教の非人道的な魔女狩りのほうがえぐいと知っているので、魔女を素直に悪役として見れなくなってしまう。
ハロウィンはゲームのイベントやアバターが増えるという点ではフィクションに役に立っているともいえる。ゲーム内でアバターを着せ替えるだけなら渋谷のハロウィンのような暴動も起きないしユーザーも楽しめる。しかし結局はハロウィンは物語の面白さを引き出すというより、商業的にハロウィンを利用しようという需要くらいしかない。
●私の意見のまとめ
ハロウィンは地域や経済を活性化するビジネスになるものの、本来の収穫祭の意義を逸脱してDQNがトラブルを起こすことが問題になっている。私はハロウィンが嫌いというより理性がなくバカ騒ぎするDQNが嫌いなので、ハロウィンのイベントを規制するのでなく、DQNを規制したり制御したりする方法を考えるほうが建設的だと思う。ハロウィンだけでなくサッカーや年越しなどの行事のたびに渋谷で混乱が起きる様子は日本の恥の風物詩になりかねない。フランスのハロウィンでは暴徒化して100人が逮捕されたのに比べて渋谷は13人の逮捕なのでまだましという見方もあるけれど、日本が外国人労働者の受け入れを拡大してのちに日本が外国人だらけになることも見据えると、警察は大勢のDQNが暴れだす前に制御する方法を今のうちから訓練しておいたほうがよい。警察が検挙実績をあげるDQN収穫祭になってしまって、普通の人が怖がってイベント参加を敬遠するようになったらビジネスとしては失敗である。
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