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最近はゆたぼんという10歳の小学生が自由を求めて小学校に行かずにYouTuberになっていることが批判されて炎上しているようである。私は勉強は好きだけれど学校が嫌いというタイプで学校に行きたくない子供だったので、学校に行かせるべきという意見と学校に行く必要がないという意見はどっちも共感する部分がある。というわけで、学校に行かないことについて考えることにした。
●義務と自由のどちらが大事なのか
・学校に行く必要はないが教育は受けさせるべき
私はリバタリアン寄りの考え方なので、個人の自由を最大限尊重して、国家が国民に課す義務は必要最小限であるべきだと思う。では親が子供に教育を受けさせる義務と、子供が学校に行かない自由のどちらが優先されるべきかという問題になる。義務教育というのは「国民は、その保護する子女に、九年の普通教育を受けさせる義務を負う。」ということで、「けだし、憲法がかように保護者に子女を就学せしむべき義務を課しているのは、単に普通教育が民主国家の存立、繁栄のために必要であるという国家的要請だけによるものではなくして、それがまた子女の人格の完成に必要欠くべからざるものであるということから、親の本来有している子女を教育すべき義務を完うせしめんとする趣旨に出たものである」という理由で国家は税金で公立小中学校の教育環境を整えて授業料を無償にして親に子供に教育を受けさせる義務を課している。教育は必要最小限の義務で、子供に教育を受けさせないことを正当化するのは一種の児童虐待に当たるので、自由より義務が優先されるべきだろう。この義務というのは子供に教育を受けさせる義務のことであって、学校に行くことは教育の手段の一つに過ぎなくて義務ではないので、それを混同すると議論がおかしくなる。私は必ずしも公立小中学校に行く必要はないと思うけれど、その場合はホームスクーリングやフリースクールや塾などの代替案で子供に公立小中学校に通う場合と同等の教育を受けさせるべきである。私は番組名は忘れたのだけれどカナダ人の親が子供を自然の中で育てたくて人里離れた山奥で数か月生活する番組を見たことがあって、その親は子供を学校に行かない代わりに自分が教師代わりになって毎日子供に数時間つきっきりで勉強を教えてホームスクーリングをしていた。親のエゴで子供に他の人とは違う体験をさせたいのならこのように子供の教育環境を整えるのが親の責任だろう。学校に行かないことで得られる独自の体験もあるだろうけれど、それを子供のうちにやる必然性はどこにあるのか、教育よりも優先させることなのかという点も考える必要がある。人間は若いほうが知識の吸収が早いし20歳ごろに脳が出来上がるので、未成年の間は勉強に集中できる環境を用意して、文系学問も理系学問も芸術もスポーツも一通り勉強して適正を把握しながら社会に出て働く準備をするというのは合理的なやり方である。金持ちなら専属家庭教師をつけてカスタマイズした教育をするほうが学校に行くよりも良い教育を受けられるだろうけれど、庶民は税金で整備された公立小中学校に通うのが費用対効果がよいので、公立学校よりもよい教育環境を用意できない人が納得できる理由もなくわざわざ学校に行かない選択をするのは非合理的である。
・学校に行かないのに正当な理由は何か
怪我、伝染病、いじめ、家庭内の問題とかは学校に行かない正当な理由になりうる。成績が悪くても学校に行ったというだけで褒める皆勤賞みたいなのは筋違いの褒め方だと私は思うし、学校に行かない理由は人それぞれでよい。何年か前に親の有給に合わせて学校を休んで海外旅行に行った子供の是非がネットで議論されていた記憶があるけれど、私は子供にも大人の有給みたいに好きなタイミングで好きな理由で休んだり早退する日があってもよいと思う。思春期の子供なら体調がよくないときや一人になりたいときもあるだろうし、最終的に成績や出席日数が十分なら数日休んだところで特に問題もないだろう。さて、ゆたぼんが言うような宿題をしたくなくて担任のロボットになりたくないから学校に行かないというのは正当化できる理由だろうか。私はすでに十分理解していることを復習するのは時間の無駄だと思うし、学力を無視して一律に同じ宿題をやらせるのはナンセンスだと思うので、学力に応じて宿題を拒否してもよいと思う。例えば英語ペラペラな帰国子女や外国人留学生がディスイズアペンとかの簡単すぎる宿題を他の生徒と一律でやらされたら馬鹿らしくてやってられないだろう。しかし子供の学力が足りていないのに宿題をやらず、それを親が許容する場合は教育の放棄として批判されてしかるべきである。
●学校教育を受けないデメリット
現代社会は能力さえあれば学歴がなくても自営業やクリエイターとして稼げる。じゃあ学校に行かないで好きなことをやって稼ぐのが一番効率がよい生き方かというとそうではなくて、学歴がないことには当然デメリットもある。
・社会的信用がなくなる
学歴がない人が一時的に自営業やクリエイターとして稼ぐことができたとしても社会的信用は低いので、部屋を借りたり銀行から融資を受けたりするときに断られたりして苦労するようになる。
・職種が制限される
学歴がない人が一時的に自営業やクリエイターとして稼ぐことができたとしても、景気変動や技術革新などで仕事がうまくいかなくなったときに転職先が限られて潰しがきかなくなる。たいていの企業は高卒以上の条件で採用するので、最終学歴が中卒だとアルバイトを探すのも難しくなる。学歴がないと就労できる職種や国も限られて、例えば外国で働く場合は大卒以上でないと就労ビザが出ない場合がある。
・科学的な考え方が理解できなくなる
直感的には正しく見えても科学的に間違っていることはいろいろあって、科学を理解できない昔の人が天動説を信じたように、いったん間違った考え方を身に着けた人の考え方を変えるのは難しい。アレルギーを単なる好き嫌いだと思ってアレルギーの人に無理やりアレルギー物質を食わせようとする人が典型的だけれど、自分の意見が科学的に間違っているということが理解できないのである。
・騙されやすくなる
馬鹿は詐欺師の鴨になる。例えばスポーツ一筋でろくに勉強してこなかったプロスポーツ選手が取り巻きに金を巻き上げられたり儲け話に騙されたりして転落していくパターンが多い。歳をとれば無条件で知識が身につくわけではないので、普段から政治や経済を勉強して知識をアップデートしていく学習習慣がないとありえないような投資話を詐欺だと見抜けない世間知らずな大人になってしまう。
●ゆたぼんを支持する大人に対する私の意見
ゆたぼんの父親は「あなたにゆたぼんが何か迷惑をかけたのでしょうか?」と言っているけれど、革命と称して学校に行かないことを扇動する行為は子供を教育している親にとっては十分迷惑だろう。学校に行きたくなかったら一人で粛々と不登校すればいいだけで、他人の子供を道連れにする必要はない。
ゆたぼんの父親は「与えられた課題をこなすだけじゃなく、自分で何を学ぶかを自分で選ぶ事の方が大切だと僕は思う。だから僕は学校に行かなくても子どもたちの可能性に目を向ければ、子どもたちは自ら学ぶべき事を学ぶべきタイミングで自ら学んでいくと信じています」と言っているけれど、たいていの子供が自分が何を学ぶかを選ぶのは大学受験の時であって、小学校レベルの読み書きや四則演算は知的障害でもない限りはできて当然の事なので選ぶ以前の問題である。最低限の教育を受けていないと自分で選ぶこともできないし、後になって勉強しておけばよかったと気づいたところで学ぶタイミングを逸していたら手遅れの場合もある。
ゆたぼんの父親は「たまたま同じ年に生まれた同じ地域の子たちが集められた閉鎖的な場所(学校)での出会いで学べる事より、自らの足で色んな人に会いに行った方が多くの事を学べるのではないでしょうか?」と言っているけれど、短時間会ってちょろっと世間話して学べることというのはたかが知れているからこそみんなわざわざ学費を払って大学や大学院に何年も通って必死に知識を覚えるのである。例えば茂木健一郎に会うくらいなら脳科学の本を読むほうが多くのことを学べるだろうけれど、まともな教育を受けていないと脳科学の本を理解することもできなくなる。
茂木健一郎は「学校に行かなくても、学ぶことは無限にできる。社会性も、学校で身につく社会性がすべてじゃない。そもそも同じ年齢の子どもたちだけの『社会』は『社会』じゃない」とツイートしたけれど、そもそも同じ年齢の子供たちを集めて子供を管理して行動を制限するのは保護の必然性があるからこそ行われているわけで、『社会』の害悪から保護するために未熟な子供を安全な学校に隔離して、スクールゾーンは交通規制をして、学校の近くには風俗店が出店できないように規制して、インターネットで閲覧可能なサイトもフィルタリングしていて、『社会』じゃないからこそ学校は安全なのである。学校に行かなくても学ぶことができるのはその通りだけれど、子供を『社会』から保護するために管理することさえ否定するような考え方は無責任である。それに学校以外で身につく社会性は休日に外出して見聞を広げればいいだけの話で、登校拒否をしていない子供でも習い事とかで学校以外で社会性を身に着けているので、登校拒否を正当化する理由にはならない。
ダルビッシュ有は「自分の好きなように生きればいいよね。責任も取れないのに他人の人生に口挟まなくていいと思うわ」「アメリカではホームスクーリングは珍しくもないし、そこから優秀な人材も沢山出ているので」とツイートした。好きなように生きればいいというのはその通りだけれど、日本ではホームスクーリングは珍しいしそこから優秀な人材は沢山出ていないし、むしろ不登校からの社会復帰の難しさが社会問題になっているし、特に沖縄は親の貧困と子供の不登校で負のスパイラルから抜け出せないことが問題になっている。あらゆる社会問題は個別の事例の集まりなので、原因が異なる個々人の問題について考えることは「口を挟む」のとは違うし、好きなように生きた結果として問題が起きても自己責任で当事者の問題で他人は責任も取れないから放っておくという態度だといつまでも社会問題が解決しなくなる。
●勉強して良い学校に行ってもっと勉強しよう
学校の管理体制や教育方針に問題があるなら問題を解決するべくして行動するのが生産的なやり方で、それは親や教師の責任である。いじめなどの子供同士で問題が解決できない場合は学校から逃げてよい。小中学校で問題が起きるのは生徒に人生の目的がないからである。視野が狭い子供なのだから人生の目的がないのはしょうがないけれど、目的がないまま手段(教育)だけ与えてもそれをどう役に立てればよいかわからないので、勉強を親や教師に強制された面倒くさい作業としてとらえて勉強する気がなく、暇つぶしにくだらないいじめをやって他人の足をひっぱりたがる。そういう悪い学校には行く必要はない。しかし学校に行かないことで終わるのでなく、もっと良い学校に進学するために勉強をして、自分で良い環境を選ぶように努力するべきである。良い学校には人生の目的をもっていて目的を達成するために勉強熱心な生徒が集まる。人生の目的がある人は親や教師に強制されたから勉強するのではなくて自己実現のために自発的に勉強しているので、他人にちょっかいを出したりいじめをしたりするほど暇ではないし、そういう勉強熱心な人が友人になるとお互いに刺激を与えて切磋琢磨できる。私の高校の同級生は日銀に就職したけれど、彼は勉強ができるだけでなく人格も公正で爽やかな人で、くそ田舎の公立高校に自分より優れた同級生がいたのは私にとっても幸運なことだった。大学の教授も立派な人で、教授に目をかけてもらったのも幸運なことだった。勉強をすればするほど立派な人に会えるようになるので、その正のスパイラルの流れに乗るべきである。
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