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最近は巷でヴィーガンが肉のうまさに目覚める「肉堕ち」が話題になっていて、ヴィーガンから肉屋に転身した人までいるそうな。というわけでヴィーガンについて考えることにした。
・ヴィーガンとは何か
ヴィーガンとは動物に対する搾取と残虐行為をなくすために肉や魚や卵や乳製品を食べない人で、ベジタリアンよりも食べないものが多い。ヴィーガンの考え方は動物愛護やら環境保護やらダイエット目的やらいろいろあって一枚岩ではないようだけれど、動物が苦痛を感じるか否か、動物から搾取しているか否かで食べるものと食べないものを区別しているようである。例えば蜂蜜は蜂の労働力の搾取なので食べてはいけないそうな。二枚貝は中枢神経がないからホタテは植物なので食べてよいと主張するシーガンもいる。つまりヴィーガンの食事は動物か植物かという生物学的な分類に基づいているわけではなくて、主観的に区別をつけて何を食べるかを判断しているようである。
・ヴィーガンの主張と行動の変なところ
ヨーロッパの過激派ヴィーガンは動物から搾取しないという題目で牧場を襲撃して家畜を逃がそうとする。しかし人間が飼料を与えているからこそ生活できていた大量の家畜がいきなり野山に解放されたところで食料がなくて飢えることになるし、野生化した元家畜の害獣を駆除せずに野菜を育てることがいっそう難しくなる。野生動物は獣医が世話をする家畜と違って、餌がなくて痩せこけてダニや寄生虫やらに感染して始終外敵を警戒するストレスで寿命も短い。過激派ヴィーガンの牧場襲撃は家畜の幸福につながるわけでもなくて家畜を別の形の死に追いやるだけで、結果を見ずに何かをやった気になって自己満足している。動物の労働力の搾取というのも労働力の定義がよくわからない考え方である。そもそもエネルギー保存の法則や質量保存の法則があって無から有は作れないので、人間は動植物を利用して文明を作ってきた。動物から搾取しないというのは文明が成立する前提を否定するので、ヴィーガンの考え方では様々な物事のの整合性がとれなくなる。蜂蜜を食べるのは蜂の労働力の搾取だというけれど、それなら蜂が受粉させた果物を食べるのも蜂の労働力の間接的な搾取ではないのか。工業廃水や生活排水で川や海が汚れたのを貝を放流して浄化した場合は、ヴィーガンは動物からの搾取とみなしてその水は使わないのだろうか。ワクチンを作るのに動物や卵を使うけれど、ヴィーガンはワクチンを使わないのだろうか。ビル・ゲイツは貧困撲滅のために途上国に鶏を寄付しているけれど、ヴィーガンは途上国の人は肉や卵を食べずに貧困で栄養不足のままのほうがよいのだろうか。人間の幸福よりも動物の幸福を優先したところで、人間がよりよい社会を作れるどころか文明が退化するので、やる意味がない。人間が動物から搾取することよりも人間が人間から搾取することの方が資本主義社会が取り組むべき重大な問題だろう。
・実践できるのか
ヴィーガンは生産をせずに消費だけしている点で説得力がない。アーミッシュやヤマギシ会などの他の人と違う思想の人たちは自分の理想の生活環境を整えるために自分で生活に必要なものを生産している。一方でヴィーガンはおしゃれなヴィーガン食をインスタに載せて意識高い系を自慢して、生産活動をしないで消費するだけである。ヴィーガンはヴィーガン食だけで栄養が取れるというけれど、生産から消費までを実践しないで他人が生産したものに頼るのでは机上の空論である。害獣駆除をせずに農業ができるのか、自然環境を破壊せずに快適な生活ができるのか、まずヴィーガン自身が実践してみるとよい。それにどんな主張があろうが、民主主義の国で生きている以上は選挙で議員を当選させて法律を変えるのが筋で、過激派ヴィーガンのように牧場や肉屋を襲撃して法律違反をしてはいけない。自分が正しいと主張して、民主主義の手続きを経ずに力づくで他人の権利を侵害するのは独裁やカルト宗教のテロと同じで、法治国家の原則を理解していない野蛮な行為というべきだろう。ヴィーガンは肉を食べる人を野蛮だというけれど、違法に牧場を襲撃する人が合法的に肉を食べている人を非難したところで自身の主張の根拠のなさを強調することになっている。国家はヴィーガンのためだけにあるわけではないし、ヴィーガンは他人の肉食を批判するよりもまず自分たちでヴィーガン自治区を樹立して理想の社会を作ってそこで平和に健康に暮らせばよいではないか。ヴィーガンになって貧血とかの健康に問題がでる人が少なからずいるにもかかわらず、ヴィーガンは自分ができないことを他人に押し付けようとするし、その主張の根拠が検証可能な科学ではなくてかわいそうだののスピリチュアルだのの精神論なので、私はヴィーガンの主張はまったく信用していない。
・体型への影響
ヴィーガンの親が乳幼児にもヴィーガン食を押し付けて栄養失調にして虐待したとして逮捕された人がいるように、ヴィーガン食ではたんぱく質やビタミンなどのを補えなくて成長期の子供には栄養不足の影響が大きい。ヴィーガンの個人が健康被害にあうのは自己責任だけれど、健康リスクがある食生活を他人に無責任に勧めてはいけない。日本は江戸時代はベジタリアンだったではないかという人もいるけれど、戦前の日本人は消費カロリーの6割を米からとっていて、魚は食べても肉は食べなかったので、たんぱく質不足で男性の平均身長が155cmくらいしかなかった。日本人の身長が伸びたのは太平洋戦争でアメリカ人との体格差を目の当たりにしてたんぱく質の重要性を理解して、戦後に畜産業を始めて魚以外からたんぱく質を取ったり、牛乳でカルシウムをとったりして栄養状態が改善されたからである。生乳生産量は1945年に189千トンだったのが、1960年には1187千トンになって、1990年には8189千トンになっている。食肉加工品の生産が本格化したのは1960年代からで、1960年の生産量が74200トンだったのが1990年には525306トンになっている。高齢者には小学生くらいに背が低い人がたくさんいるけれど、逆に今の小学生は大人くらいの身長がある子供がいるのは、日本人の遺伝子が変わったわけではなくて成長期の栄養状態が改善したのが原因である。よく日本の女性は高身長の男性を恋人にしたがるけれど、ヴィーガンが理想とする社会では栄養不足になって低身長だらけになるだろう。
・自然環境は変わる
畜産業が環境汚染を引き起こしているので畜産業をやめて農業に転向するべきだと主張する環境保護派のヴィーガンがいるけれど、今まで地球があらゆる天変地異を経て動植物が絶滅と進化を繰り返してきたように、現在の自然環境を永久に保持するという事は不可能で、人間の手が加わろうが、加わってなかろうが、いずれ自然環境は変わることになる。人間が文明を作ることは本質的に環境破壊で、破壊の程度を少なくしてサステナブルにすることはできるけれど、一切環境を破壊しないというのは無理である。中世の建築や造船の技術が発達して天然の林や森がなくなったように、自然の資源を使わずに生活を豊かにするのは不可能だからこそ、人間が使う分の木材は植林で補って森を手入れしながら利用する考え方は合理的である。同様に肉食も栄養の改善や料理の発達につながったし、人間が消費する分のたんぱく質は牧畜や養殖で育てて管理するという考え方も合理的である。人間にとって役に立つ動植物を繁殖させて利用する行為が文明の基盤である。畜産業には環境汚染のデメリット以上に人類にメリットがあるから産業として成立している。人類の時代がこれから先あと何百年続くか知らないけれど、結局数万年後にはイエローストーンとかの火山が大噴火したり巨大隕石が衝突したり氷河期になったりしてたいていの生物は絶滅する。数万年や数億年のスパンで地球の環境が劇的に変わる中で、現在の生物はたまたま間氷期に適応して繁栄したにすぎない。万物は流転するし、人間にはそれを止める力はない。畜産業をなくしたところで地球の自然環境が保護されるわけではない。
・私の意見
私は食料としての動物は人間が食べられない物をおいしいたんぱく質に変える装置のようなものと思っている。魚や甲殻類は人間が直接食べられないプランクトンやイソメを食べておいしい食料になるし、家畜は人間が食べてもまずい牧草や穀物をたくさん食べておいしい肉になる。バッタの大量発生で食料供給危機になったパキスタンではバッタを乾燥させて粉末にして養鶏の飼料にしようと試みている。
私は動物の幸福よりも人間の幸福を優先するので、食材の動物が苦痛を感じるとしても私の同情の対象にはならない。私は釣りをするし、キスとかヒラメとかのおいしい魚が釣れるとうれしいし、魚を捌くのを残酷だとは思わない。私は狩猟は生物が生きるうえでの基本的活動だと思っているので、自分が食べる分の動物を殺すことに倫理的抵抗はない。人類は分業による効率化によって文明を築いてきたので、猟師や養殖業者が他人が食べる分の肉や魚を捕獲したり養殖したりして効率的に食料を確保するのも食文化などの文明を維持するためには必要である。食文化は人間の歴史と文化と幸福に密接に結びついているので、何を食べるかを他人が強制的に決めることではない。例えばイヌイットにアザラシを食べるなとかモンゴル人に羊を食べるなとか言うのは、先祖代々継承してきた歴史と文化を捨てろと言うようなものである。私は犬や猫を愛玩動物とみなして食べないけれど、それを食料とみなして食べる民族を批判しない。ケーキは栄養としては糖分が大半で健康には害のほうが大きいけれど、幸福度が高いので誕生日にケーキを食べることが文化として定着しているのと同様に、おいしくて栄養がある肉を食べて幸福になる人もいる。自由民主主義の社会では何を食べて何を食べないかは個人が法に基づいて自分の意思で自由に決定すればよいし、他人に強要するものではない。
ヴィーガンはサプリメントだのの金をかけた手の込んだ食事をしないと十分な栄養を取れないので、自然界では存在できない人工的で不自然な生き方だといえるし、長期的に持続可能な生活スタイルかどうかも怪しい。本当にヴィーガンが幸福で健康な生活ができるのならヴィーガンになる人も増えるだろうけれど、実際は健康問題が起きてヴィーガンになった人が長続きせずに元の食生活に戻している。ヴィーガンは栄養が足りなくてイライラしているのを非ヴィーガンや肉堕ちした元ヴィーガンへの攻撃に転嫁してごまかさずに、まず自身の健康問題に向き合うほうがよい。
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