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最近はコロナ禍で先行き不透明になって、大学生の就職率も悪化して、子供の自殺も増えている。不確定なことをどうとらえて、どう対処すればよいのか考えることにした。
・人類はリスクをとりたがる
エチオピアで発見された最古のホモ・サピエンスの化石は19万5000年前のものだそうで、農耕と定住生活を始めたのは1万年前の紀元前8500年ごろなので、人類は数十万年も狩猟採集生活をしていたことになる。簡易な拠点を作ってそこに安住せずにリスクを冒して知らない場所に移動して狩りをする事を繰り返してきたので、人類の脳はそれに最適化するように長時間かけて進化した。リスクを冒してあちこち探索して予期していない獲物を狩ったり偶然木の実を拾ったりするときに、報酬系からドーパミンが出て満足感を得られるような脳の仕組みになっている。生殖が快楽であるのと同様に、狩猟採集も快楽として生きるための本能に残っている。
しかし人類の脳の大きさや機能は1万年前から変わってないにもかかわらず、現代人はもはや狩猟採集生活をしていないので、今度はその機能が様々な問題を起こすようになった。釣り人がスーパーで魚を買わずに立ち入り禁止の危険な堤防に行って大きな魚を狙いたがったり、素人投資家が分散投資をせずに全財産でFXに投機したりして、起業家のように社会の役にたつリスクの取り方をせずにたいてい個人的な快楽の追及をして不必要なリスクをとって失敗している。
VUCA時代の現代人が不確定な未来についてわくわくするどころか自殺が多くて閉塞感が漂っているのは、日本だとリスクをとることに対する報酬が少なくて不安だけが増して達成感がないのが原因かもしれない。日本は天変地異が多くて不安を感じやすい人が生き残ったせいか、外国人よりも不安遺伝子を持っている人が多いので不安が増すのだろう。ということは不安がなくなるくらいに報酬を増やせばリスクをとっていろいろなことをやる人が増えて日本の経済や文化は活気づくかもしれないのだけれど、財務省が緊縮財政をしているうちは無理そうである。
・不確定要素のビジネス化
不景気の中でも好調な業界では不確定要素をうまくビジネスに取り入れて、客が満足感を得られるようにしている。
人間がリスクをとって満足感を得ようとするのを娯楽として利用しているのがギャンブルである。ギャンブルとは偶然性があることに二人以上の人がお金を賭けて勝負することで、運営する胴元がいる。お金を賭けなくても娯楽として成立するけれど、お金を賭けてリスクと報酬を高くするほうが興奮出来て成功した時の満足感が強くなる。ポーカーや麻雀は配られるカードや牌の運の要素が大きいので初心者でも何度かやれば勝てることがあって、その満足感を何度も得られるように繰り返して遊べるようになっていて、胴元はその寺銭をもらうので遊ぶ回数が多くなるほど儲かる。
ギャンブルなんかやらないという堅い人も無意識のうちに不確定要素を娯楽として楽しんでいる。おみくじは300円くらいで安価に楽しめる娯楽で、初詣したついでにいいくじが引けるかどうかの運試しを楽しむわけで、1000円で確実に大吉を引けるおみくじを作っても面白くないから誰もやらないだろう。その一方で実用品の福袋は運だめしとしては高いし、在庫処分のはずれを入れ過ぎて満足感を得られなくなった人たちが買わなくなったので、福袋の中身が見えるようになって不確定要素がなくなった。商店街の福引も消費を盛り上げるイベントとして定番になっている。
ゲームは定額で作品やアイテムを売らずに基本プレイ無料のガチャ形式にしたことで売り上げを増やしている。ゲームのガチャを回したり、トレーディングカードのパックを開封したりする動画がYouTubeで人気になっているように、人間はミラーニューロンがあるので他人の行為も自分の行為のように感じて、自分が金を賭けていなくても楽しめるわけである。
飲食店だとくら寿司の皿を入れるとガチャの抽選ができる「びっくらポン!」は食事に不確定要素を入れてエンタメ化している。居酒屋はサイコロを振ってドリンクの量と金額が変わるチンチロリンハイボールを取り入れている。ハート形のピノとか、当たりつきのアイスとか、何のシールが入っているかわからないビックリマンチョコとか、ランダムで当たりがある食べ物も人気になりやすい。
e-sportsの中でも不確定要素がある「FORTNITE」や「PUBG」や「APEX LEGENDS」のようなバトルロイヤル系のシューティングゲームは人気なのに対して、実力勝負の格闘ゲームはあまり人気がない。バトルロイヤルだと初心者でも運が良ければ上級者に勝てる可能性があるのに対して、格闘ゲームだと初心者は上級者に勝てずにボコボコにされるので上達する前に嫌になってやめてしまうのである。バトルロイヤル系やサバイバル系のゲームは疑似的に狩猟採集を体験している点で人間の脳の仕組みに合うので、人気が出るのも当然といえる。
つまりは客の予算の許容範囲内で買い物やサービスに何度も試行できる不確定要素を入れれば、普通に物やサービスを売るよりも客が満足感を感じて、同じ満足感を得るためにリピーターになるわけである。
・小説はどうするのか
コンテンツビジネスで一番儲かっているのはゲームで、マルチエンディングやマッチングやレベルアップのステータス成長値やガチャやアイテムドロップで不確定要素を入れやすいのが人気の理由だろう。その一方で小説はひとつの完成したものを提示するので、最初に金を払ったらそれ以外に課金要素がなくて作者にとっては儲からないし、1回読んだら繰り返して読む意味がなくて読者にとってコスパが悪いので、何度も試行できる他の娯楽ほどの楽しみがない。
ゲームで読む小説としてサウンドノベルがあって、選択肢がある分何度も楽しめたので1990年代に人気になったけれど、2000年代には下火になった。サウンドノベルはミステリが多かったけれど、推理的な面白さはストーリー性がなくて手軽に遊べる脱出ゲームや人狼ゲームに取って代わってしまった。ゲーム会社はソーシャルゲームを開発するほうが儲かるので、シナリオ作りに時間がかかる割に地味で話題性がなくて課金要素がないサウンドノベルを開発する理由がなくなったのだろう。
美術ならジャクソン・ポロックのアクション・ペインティングのように制作手法に不確定要素を取り入れて再現不可能な唯一無二の作品を作れるけれど、抽象画と違って小説だとその手法は使えない。ランダムで辞書のページを開いて言葉をつなげても、文章として意味を持たないと面白くない。シュールリアリズムの自動筆記は書く側は面白いだろうけれど読む側が面白くない。
というわけで小説の制作には儲かる不確定要素を入れる余地がなさそうである。結局のところ、小手先の工夫をするよりも完成度を高めてよい作品を作るべきなのだろう。下手で完成度が低い小説は漫画の原作やゲームのシナリオとして他のメディアに吸収されるだろうし、小説でなければ表現し得ないものを表現するには技術がいるので、創作技術を磨いて思想を深めて従来の小説としての価値を追求していけばよい。
じゃあ小説は今以上にビジネスの範囲を広げられないのかというと、作品自体は変わらなくても小説を売る仕組みや読む環境をビジネスにできるかもしれない。販売で不確定要素を入れたケースだと、盛岡のさわやか書店フェザン店で『文庫X』として本のタイトルを隠して売る試みが話題になったけれど、小説だと好みに合わない可能性が高いので販売方法としては定着しなかった。
他に何かできないか考えてみると、キャンプして他の人と本を交換してテントで読書を楽しむアウトドア読書とか、読み終わった本を二冊預けると蔵書をランダムで一冊もらえる本シェアサービスとか、恋人同士で本を送るなんちゃらデーをでっちあげるとか、本屋で本を買った人に図書券が当たるくじ型のしおりをつけるとか、本屋のカウンターに千円で1回回せるスロットを設置して当たりが出ると図書券がもらえるとか、文学賞の選考でオッズを表示して賭けにするとか、不確定要素が面白さや利益や達成感につながるような工夫をしたら小説離れを防げるかもしれない。
・人生に不確定要素を入れて楽しむ
現代はたいていの作業は効率優先でルーチンワーク化していて、何をやるかとどういう結果になるかが確定しているのでつまらない。かといって借金して起業して破産するリスクをとれるものでもないし、ギャンブルにのめり込むのも生産的でない。そんなときにはあまりお金をかけなくても生活に不確定要素を取り入れることで楽しくなる。例えば買い物に行くときに普段と違う時間帯にスーパーに行って買ったことがない商品を買うとか、行ったことがない裏道を通るとか、食べログの評判を見ずに飲食店を選ぶとか、本のあらすじを見ずにタイトルだけ見て買うとかして、ちょっとしたリスクをとって未知のことをやるとセレンディピティがある。そうして少しずつ新しい発見を積み重ねていくことで生活が前よりもちょっと楽しくなっていく。何かしら不確定なことを人生に取り入れて、偶然良いことが起きる可能性に期待したいものである。
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