PR
キーワードサーチ
コメント新着
最近はメンタリストDaiGoという年収数十億円のインフルエンサーが生活保護やホームレスに差別的な発言をして炎上して、言い方が悪かったと謝罪して動画の収益は寄付すると言ったけれど、だいぶ評判が下がったようである。これについて考えることにした。
●メンタリストDaiGoの発言
本当はYouTube動画を見て確認するべきなのはわかっているものの、わざわざ見たくないので5ちゃんねるからのコピペで代用します。
・問題となった発言
・弁明
「僕はたぶん昨日、あのー、ホームレスとか何か生活保護の人がいますけど、何かどうなんすかあれ? みたいなくだりで、昨日一応、辛口質疑応答ってことで、結構ボロカス言いますよって言う、そういう話をして、言ったんですよ。だから結構ね、まあ問題発言が多数。たぶん、僕が思い当たる限りで3つぐらいあったと思うんですけど、その中の多分一個炎上したみたいな感じでしょうね。で、何度も言ってますけど、めちゃくちゃ辛口に振った場合と甘口に振った場合の両方をやってて、その辛口版がそうだったんですよ。で、実際に僕はじゃあ、ホームレスとか、じゃ生活保護の人を、それこそ何かね、何かホロコーストとかね、ナチスの例、事件とかあったわけだから、もうそういう本当にじゃあそういう奴らを殺せって言ってるのか、そういう奴らを殺せって言ってるのかというと別にそういうわけじゃなくて。人間て、まあ言っちゃ悪いんだけど、その一人一人から見たら、どうでもいい人間っていますよね? っていう。それこそ別にこの世にいなくていい方がいいって人間もいるわけじゃないですか? 例えばいじめられっ子から見たら、いじめっ子がこの世から消えたら? 幸せになりますよね? っていうふうになるし、あとはその普通にじゃあ、生活してる人間からしたら、それはじゃあ、ホームレスとか、生活保護の人も、まあ人の命ってぜんぜん重いのかもしれないけど、でもあなた一人の生活から考えたらどうでもいいですよねって。わかりやすい例で言ったら、じゃあ自分の家族とホームレスとどっちかの命しか救えませんってなったら、まあ自分の家族の命救うじゃないですか? っていうふうに、みんな命は平等って言うけど、優劣も全然あるし、あのー、そういうのをみんな言わないけど、でも、何か、そういうのをズバズバ言ってくってそういう方法だったって感じなんですよ。」
・謝罪
「僕猫好きだしその下りの中で、ホームレスの人とか生活保護受けてる人とか働きたくても働け無いみたいな人がいて、社会復帰目指して頑張ってる人とかそういう人達を支援してる人達とかいるんですよ。僕はそこから抜け出したいという人に対して、流石にあの言い方はちょっとよく無かったなというので指摘があって反省である。今日はそれを謝罪させて頂きます」
●メンタリストDaiGoの発言はどこがだめなのか
・社会的弱者の差別につながりかねない
以前からホームレスを狙った暴行や殺人事件がしばしば起きている。犯罪者を殺すのと同様にホームレスがいなくなった方がいいという言い方はホームレスに対する犯罪を正当化して後押しすることになりかねない。
・社会的弱者の自殺につながりかねない
失職したりして精神的に追い詰められた人は、社会に必要とされていないんだ、生きていても迷惑をかけるだけだという自責の念で自殺することがある。
・功利主義の少数派弾圧を正当化する
サンデル教授がトロッコ問題で一人を犠牲にして大勢を助ける選択をした学生に、似た状況の問題で健康な一人を殺して臓器を病気の数人に移植して助けるのはいいのかと質問していたけれど、最大多数を幸福にするために少数派の人権侵害を正当化するのが功利主義の害である。例えば旭川の女子中学生のいじめ事件で教頭が「10人の加害者の未来と、1人の被害者の未来、どっちが大切ですか。10人ですよ。1人のために10人の未来をつぶしていいんですか。どっちが将来の日本のためになりますか。もう一度、冷静に考えてみてください」と言ったそうだけれど、こういうのが典型的な功利主義の考え方で、多数派の加害者のために少数の被害者の人権を無視している。独裁国家だと人権侵害の歯止めが利かなくなって、社会にいらない人を選ぶ線引きとして知性や人種や民族や宗教が基準になって、ナチスは優生思想で障碍者の断種やユダヤ人の民族浄化を行った。中国共産党は法輪功の信者を死刑にして臓器移植したり、ウイグル族やチベット族などの少数民族を断種したりしている。ホームレスや生活保護に限らず、何かの基準に当てはまる人は社会に必要ないから死んだほうがいいという考え方は人権侵害や殺人を正当化する危険な選民思想である。もしこういう選民思想の人たちが集団化したらテロ予備軍として公安の監視対象になる。
・金で批判を封じる
メンタリストDaiGoは動画の収益を慈善団体に寄付するそうで、寄付がないよりは寄付があるほうが良いには違いないけれど、金で解決しようとする成金的なやり方が感じ悪い。親が金持ちの慶応のレイプ魔が被害者に示談金をはずんで形ばかりの反省をして不起訴になるようなもんである。メンタリストDaiGoは言い方が悪かったと謝罪しているけれど、「僕は生活保護の人たちにお金を払うために税金を納めてるんじゃないからね。」という部分は言い方の問題ではなくて本音だろう。メンタリストDaigoは以前から年収マウントして金で他人の価値を判断していたので、短期間で考え方を変えて反省したとは思えない。
・フォロワーも同類
メンタリストDaiGoは正論を言ったと差別発言を擁護する人たちが少なからずいたけれど、メンタリストDaiGoが信者ファンネルで論陣を張るわけでもなくてさっさと謝罪したことで、こんどは擁護した人たちが梯子をはずされて社会的弱者を排除したがる人間のくずとしてあぶり出されることになった。こうしたフォロワーたちを収入源にしている限りメンタリストDaiGoは今後もフォロワーのウケ狙いの発言をするだろうし、自分を擁護したフォロワーたちの考えを改めさせることができるのか疑問である。
・クライアント批判
メンタリストDaiGoは「のむシリカ」アンバサダーに就任していて、この会社はホームレスの炊き出しを支援していたので出演CMの放送と広告起用を自粛した。メンタリストDaiGoに言論の自由があるとはいえ、せめて契約期間中はこの会社はすばらしい活動をしていますよと宣伝するのが筋で、クライアントに金をもらいつつクライアントの活動を批判するのはビジネスの仁義にもとる行為である。
●福祉の世話になるのは恥ではない
私は理由が何であれ生活苦になった人は不正受給でない限り堂々と生活保護を受ければいいと思う。しかしなぜか生活保護を恥だと考えて頑なに福祉を拒んでホームレスになる人がいるし、生活保護を受けている人を見下す人がいるけれど、私はセーフティーネットとしての生活保護は社会に必要だと思う。例えば東日本大震災で被災した人は学校とかの避難所でしばらく生活してから仮設住宅に移ったけれど、それだって福祉なわけで、避難所に行ったり仮設住宅に住んだりするのは恥だから他人の世話になるくらいならホームレスになるほうがましだと考える被災者はいないだろうし、仮設住宅に住むなんて怠けていて予算の無駄遣いだと被災者を批判する人はいないだろう。だったら生活保護を受けるのもべつに恥じることではないではないか。
・誰でも働けなくなる可能性がある
誰でも事故や病気や災害や犯罪の被害で急に働けなくなる可能性があるし、多少貯金がある人でも長期間の入院や通院が必要になったらどんどん貯金がなくなっていくし、老いるほどそのリスクは高くなっていく。自力では再起不能になったときに時に利用できる福祉制度がないと、全財産を失ってホームレスになって他人の好意に期待しながら野垂れ死ぬのを待つしかなくなる。怪我や病気が治ったら仕事に再起できる人でも福祉がなければそこで詰んで死ぬしかなくなくて、それまでに積み上げた知識や技術が無駄になる。マイケル・ムーア監督がドキュメンタリー映画の『シッコ』でアメリカの医療保険を特集していて、高額な医療費が払えなくて破産して家を手放したアメリカ人を紹介していたけれど、アメリカは皆保険制度を共産主義的だととらえてやたらと否定的だった。アメリカは世界一位の経済大国だけれど個人主義で社会福祉が乏しくて、ホームレスが大勢いて窃盗や強盗が多発する社会は良い社会とはいえない。
・誰でも知的障碍者やぎりぎり健常者の子供をもつ可能性がある
ダウン症は産む前の診断でわかるけれど、子供の知能がどうなるかはある程度成長しないとわからない。たいていは他の子供よりも話しはじめるのが遅いとかで親や保育士が気づいて、知的障碍者と診断されれば福祉の支援を受けることができる。その一方で知的障碍者ではないけれど健常者よりも劣るIQ71-84の境界知能の人は計算ができなかったりして日常生活に支障があるのに福祉の支援を受けることができなくて、学校の勉強についていけなくて仕事もできなくて犯罪で生計をたてるようになったり、ひきこもって親が亡くなった後に1人で生活できなくて生活保護申請のやり方もわからなくてホームレスになったりする。日本に境界性知能の人は人口の14%の約1700万人いて7人に1人が境界性知能で、現状はこの境界性知能の人への理解や支援が不十分である。私の小学校の同級生のT君もぎりぎり健常者扱いされた境界性知能だったようで、小学校高学年の時は漢字が書けなくて、中学からは別のクラスだったのでその後はよく知らないけれど母から聞いた噂によると運転免許の筆記試験に5回落ちたそうで、田舎は運転免許がないと就職もできないので生活保護を受けているようである。頑張ってもできないのはしょうがないし、そういう人を役立たずとして社会から排除するのでなくて、自尊心をもって社会に貢献できるように失敗に寛容になって支援するべきである。
・セーフティネットがないとチャレンジしなくなる
セーフティーネットがなくて一度失敗したら再起不能になるようなレジリエンスがない社会だと、失敗を恐れてベンチャーの起業とか芸術家を目指すとかの成功の可能性が低いチャレンジをしなくなって多様性や競争がなくなって社会が停滞する。そのうえ最初から十分な資金がある金持ちしか新しい事業や研究に着手しなくなって格差がどんどん広がっていって、一部のスーパーリッチの一族に政治経済が支配されるようになる。
・生活保護と不正受給の問題は分けて考えるべき
不正受給があったりパチンコに使ったりするから生活保護をなくせという人がいるけれど、そこは不正受給をなくせというべきである。一部に問題があるから全部だめだというのは論理が飛躍している。テレビの生活保護受給者や母子家庭の特集だと計画性もなく外食したり半額の高級牛肉を買ったりするくせに保護費が足りないとおかわりを要求するような明らかに金の使い方がおかしい人がいるけれど、そういう人は境界性知能の可能性があるので、働かずに無駄遣いしているやつの生活保護をなくせと批判するのでなく、金の使い方や計画的な貯金の仕方などの指導などをして社会復帰を目指すべきだろう。
・失業対策は行政に責任がある
生活保護をバッシングする人は働き盛りの人間が仕事をしないで怠けるのはけしからんという感情があるのだろう。しかし個人の努力では不況とかデフレとかコロナのパンデミックとかのマクロの問題を改善できない。本来は財政出動で失業者対策をやるべきなのを財政均衡論者の緊縮財政派の政治家が何もやらないせいで仕事がなくて生活できなくなっているので、これは行政の問題であって個人の問題ではない。例えばコロナ対策で営業時間の短縮を要請するけど補償はしないというのではいくら努力しても経営を続けるのが無理で、政治が原因で失業者を生み出している。個人の努力不足のせいで仕事がないわけではないので、仕事がなくて生活に困窮したら堂々と生活保護を受ければよい。市役所が窓際対策として生活保護申請を受理しないようにして生活困窮者を見殺しにするのはもはや犯罪である。
・社会福祉がなければ犯罪が増える
たいていの人は金がなくなってホームレスになったらすぐ自殺しようという思考にはならないし、ホームレスは不要だから死ねと社会に疎外されれば自分を助けない社会のルールを守る義理もなくなるので、自助のための犯罪集団を作って窃盗や強盗や麻薬の売買をしてでも食いつないで生きていこうとする。それで捕まって刑務所に行ったら結局は税金で衣食住の面倒をみることになるし、出所したところで前科者は就職しにくいので結局またホームレスになるし、刑務所の運営コストのほうが生活保護より高い。だったら最初から生活困窮者には生活保護を受けてもらうほうが合理的である。
カリフォルニア州だと刑務所のコストを減らすために2014年のproposition 47で被害額が950ドル以下の万引きや偽造や詐欺や少量のドラッグの個人使用とかの非暴力的な犯罪が軽罪に分類されて警察が取り締まらなくなって、堂々と商品を万引きして小売店が被害をうけているのが問題になっていて、本来は福祉で救うべき人間を政府が救わないので2019年にはカリフォルニア州の人口3951万人のうちホームレスが15万人いて犯罪が多発している。アメリカでデモや暴動がおきるたびに暴徒が商店街になだれ込んで略奪するけれど、これは弱者が社会や他人を信用していない証である。2010年のハイチの地震では被災者が配給を配るヘリに殺到して配給を奪い合っていたけれど、一方で東日本大震災の被災者は行儀よく列を作って配給を待っていた。これは日本人が社会を信用していて行儀よく待っていれば自分が助けてもらえる番が来ると思っているからである。もし選民思想の人が政治家になって弱者を切り捨てる決定をしたら社会への信用がなくなって、日本でも商店の略奪が起きて金持ちが常に財産を狙われて警護なしでは外出できないような社会になるだろう。
というわけでアメリカみたいに金持ちが節税のために作った財団や寄付に頼って気まぐれで限定的な福祉サービスをするより、日本みたいに国民全員が受けられる福祉制度を作って運用するほうがよいと私は思う。
●自己プロデュースに長けた中身のない人たちの台頭
2010年代にスマホが普及したことで、自分で物事を考えずに他人の研究をつぎはぎする人が増えた。学生の論文はウィキペディアのコピペだらけになって、情報サイトは他のサイトのコピペをつぎはぎしたキュレーションサイトだらけになって、SNSはメンタリストDaiGoやオリラジ中田みたいな他人の本を紹介するインフルエンサーだらけになって、金を見せびらかして成功者ぶって人気が人気を呼ぶようになった。
しかし最近はインフルエンサーの言動が問題視されることが多くなった。例えばゲーム実況をしていた加藤純一は黒人や女性への差別発言が問題視されてイベント出演がなくなっている。ひろゆきはいろいろな人と討論して自分の間違いを認めずに見苦しい様子を見せて評価を下げている。キンコン西野はクラウドファンディングで〇〇する権利を売る信者ビジネスがドン引きされている。迷惑系YouTuberのへずまりゅうは逮捕されて反省してYouTuberを辞めた。SNSや動画投稿サイトの隆盛とともに知名度が上がって実力以上に金持ちになったインフルエンサーの本来の人間性や教養が世間に晒されて批判される頃合いなのかもしれない。インフルエンサーは思想がなくて主張がころころ変わるので過去の発言がブーメランになることが多くて、メンタリストDaiGoも「IQが低い人ほど差別的な発言をする」と言ったブーメランが自分に刺さっている。
孫氏は「将者、智信仁勇厳也(将軍ってのは智、信、仁、勇、厳を備えるべきじゃねーの)」と言っているけれど、たいていのインフルエンサーはこのどの要素も持っていないどころかむしろ逆で、暴言や逆張りとかの過激な言動で目立とうとして物事の道理を理解する知性がなかったり、うさんくさい金儲けをして信用がなかったり、メンタリストDaiGoのように他人への思いやりがなかったりする人だらけで、人を率いる器でない。物事の是非を知らない子供は金持ちの有名人というだけでありがたがって憧れるもので、メンタリストDaiGoのYouTubeチャンネルの250万人のフォロワーは中学生や高校生が多いそうだけれど、分別のつく年頃になったらくだらない有名人に憧れて同調するのはやめるべきである。企業もそういうインフルエンサーを有名だからと言うだけで宣伝に使うのはやめるべきである。
●いずれみんな死ぬ
仏教みたいに生や欲への執着を捨てて死んだように生きるのもひとつの在り方だけれど、私はどうせ死ぬのだから生きている間になるべく良いものや良い社会を作って次世代に残すのが建設的だと思う。残念ながら日本は自民党のせいで就職氷河期世代が子供を持てなくなって少子化が深刻になったので、将来は経済や文化などのあらゆる面で人材がいなくなって伝統や知識や技術が継承されなくなって衰退していくだろう。邦画や純文学が衰退してほどんど見るべき作品がないのが典型的である。生活苦で苦しんでいる人を自助しろといって放置して独身のコロナ患者は自宅療養で孤独死させてエッセンシャルワーカーが薄給激務で酷使されるような愛も慈悲もない社会で虚業のインフルエンサーや広告代理店が大儲けして縁故と利権まみれのうんこみたいなオリンピックの開会式をやるのが日本の文明の最終到達点となるのはあまりにも情けないではないか。
では数百万人のフォロワーがいて社会的な影響力が大きいインフルエンサーたちはどんな社会を作りたいのかというと、メンタリストDaiGoみたいに思想も教養もないので貧乏人を排除するような短絡的な発想をするし、オリラジ中田みたいに節税のために好きでもないシンガポールに移住して自分が得することを優先して社会の事を考えていなかったりする。金持ちが貧乏人を排除したゲーテッドコミュニティが理想の都市かというとそうでなくて、ゲートの外を見ないようにして国内外の社会問題を無視しているだけである。過去と未来の歴史の中に自分を位置づけることができずに自分の利益しか考えられない拝金主義者は、どんなに大金を持っていたところで一代限りの孤独なはかない人生でしかない。数十万年の人類の歴史の中で、ほんの数年有名になって小金を持ったところで何が偉いのか。金を持っているからといって金がない人の人生に価値がないと決めつけるのは傲慢である。金を持っているのに助けを求めている人を救わないのは無慈悲である。金を持っていても買い物する以外の使い道を知らずに金を社会に役立てないのは阿呆である。そんな人を成功者と呼べるのか。社会を作る側の人たちが自分の財産を増やすことばかり考えてノブレス・オブリージュを果たさないのだから、社会が良くならなくなくて当然である。
ホームレスは死んだほうがいいと上から目線で言う人たちは自分もいずれ年老いて社会の役に立たなくなって他人の世話を受けながら死ぬということを理解していないのではないか。新型コロナウイルスのパンデミックが起きて、中年であと何十年か生きるつもりだった人でも重症化して急に死ぬ可能性が出てきて死がだいぶ身近なものになったので、生きることと死ぬことについて考えるのによい機会かもしれない。有名な金持ちの志村けんも死ぬし、貧乏なホームレスも死ぬ。不本意に死んでしまった人が最後に何を考えていたのかは知らないけれど、やり残した事とかいろいろ後悔はあるだろう。死ぬ間際になってから自分の人生の意味を考えても遅いので、目先の資産の大小を競うのでなく、何のために生きるのか、何のために仕事をして金を稼いでいるのか、何が大事なのか、どういう社会を作りたいのかを日ごろから考えて行動するべきである。それにインフルエンサーやアニメキャラとかの中身のない偶像を崇拝するのをやめて、実際に社会を作っている家族や友人や同僚とかの周りの人々の言葉や幸福にもっと注意を向けるほうがよい。インフルエンサーにいくら貢いだところで数百万人いるフォロワーのうちのどうでもよい一人にすぎないし、フォロワーの病気の見舞いに来るわけでもないし死を見届けてくれるわけでもない。大事なものはたいてい手の届かないところにあるのでなく身近なところにあるものである。
未成年の強盗殺人について考える 2026.05.28
芸術と思想について考える 2026.05.11
移民の社会統合と善悪について考える 2026.04.30