ソシュールの『一般言語学講義』とフッサールの『現象学の理念』は大学生のときに読んだけれど、受験勉強で暗記することに慣れて本に書かれたことを鵜呑みにすることで賢くなると思っていた田舎者の私が現象学的にエポケーしてそれまで学んだ知識をいったん脇に置いて自分で物事を考えて理解しようとするきっかけになったと言う点では私にとっては一番影響が大きくて面白かった本である。他の学部に行っていたらたぶん読まなかっただろうし、この2冊の本に出合っただけでも文学部に行ってよかったと思える。構造主義的に要素を分析する無神論実存主義の考え方が私の思考の基礎になっていて、倫理面では小乗仏教と孔子の『論語』に影響を受けているので、論語に影響を受けた渋沢栄一の『論語と算盤』や青空文庫にある和辻哲郎のエッセイも面白く感じる。和辻哲郎は「創作の心理について」で「ほんとうに生きようとしていないノンキな似而非芸術家が創作をやっている。それを「ほんとうに生き」たくない読者が喜んで読む。」「偉大な表現はただ偉大な内生あって初めて可能になるのである。何を創作したいという事よりも、まずいかに生きたいという欲望が起こらなくてはならない。」と言っているけれど、私も同じスタンスで、自分の人生を生きない限り独自の表現はあり得ないと思っている。本当に生きようとしている人が芸術を鑑賞すれば、技術が乏しくても何かの表現をしようとしている本物の芸術と、技術があっても表現をしようとしていない偽物の見分けがつくだろう。サリンジャーの真似をして感受性が高いティーンエージャーのおしゃれな小説を書けば評価されると考えてうわべの真似に終始して自分の人生を生きようとしていないような人が典型的な似而非芸術家と言えるし、そういう人はインフルエンサーに憧れる凡人みたいに他人の人生に憧れているだけじゃなかろうか。Tu vuo fa l'americanoのという1956年のイタリアのジャズの曲があってナポリ人のくせにママのカバンの金で野球やってキャメル吸ってアメリカ人ぶってやんのと第二次世界大戦後のイタリアのアメリカ化を揶揄しているけれど、戦後の日本のアメリカ化やK-POPを見て韓国人になりたがる現代の若者も似たようなもんで、中身が空っぽな人たちは自分の国で自分の時代を生きないで他の何かになりたがる。