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先月、蓮池薫さんの「半島へふたたび」を読んだことは、日記に書いたとおりですが、その本の中で韓国のベストセラー作家、孔枝泳さんのことがかなり熱く語られていたことに興味を持ち、話題になっていたその著書を初めて読んでみました。
小説なんてどれくらいぶりでしょう。ハリーポッターは読んでいますが、英語で多読として読むのとは違って、日本語での小説はほとんど読んでない気がします。たまに読むのはノンフィクションか、経済書のような実用書ばかりで。
この物語は、死刑囚とのかかわりを通じて傷ついた心を癒していく女性の物語とでもいえばいいのか、死に向かうだけの限られた時間を張りつめて過ごしている死刑囚の変化や、その彼と同じ痛みを見出して心を開き、自分を見つめ直していく女性の変化が、極限の設定にあるからか、いとおしく胸に迫ってきます。
声高々に死刑廃止を訴えているものではありませんが、作者がこの物語を書くきっかけとなったのが、1997年の12月30日にタクシーの中で聞いた、その日の午前10時に全国の拘置所で合計23人の死刑執行がなされたというニュースであり、その話に衝撃を受け、胸の奥からこみ上げてくるものを感じ、それが小説に向かわせる原動力となったとあとがきで語っています。
でも私にとっては、たくさんの方が一度に死刑執行されたことより、そのニュースを聞いてわが身を削られるように反応された作家の感性の方が驚きでした。
多分私自身としては、悲惨な犯罪が増える中で、極悪非道な犯罪には死刑も止むなしと思っているからだと思います。
というより、犯罪を犯すのも、犯罪に巻き込まれるのも、その人がそれらを引き寄せてしまう生を歩んできた結果でないかと思っていて、自分で引き寄せていることに対して、同情したり、心を痛めたりする必要はないと関心をもってないせいではないかと思います。
身近にそういう人々とかかわりがないからでもありますが・・・
この小説の主人公ムン・ユジョンも最初はそうでした。
先だって一般に公開された死刑執行室を思い出します。それまで知らずにいた時は、死刑執行のニュースを聞いても何の感情もなかったですが、これからは、ニュースを聞くたび、あの部屋を思い浮かべてしまいそうです。最後の瞬間を思い浮かべると、やりきれない思いになりそうです。また、死刑囚だけでなく、その場に立ち会う羽目になった人たちの心情も想像すると、死刑執行は改めて厳しいことだと思います。
小説の中で出てきた韓国のその場も似たような描写でした。
最後の部屋に入る手前に礼拝コーナーがあったのを思い出しますが、最後になって僧侶や牧師や神父さんたちの力で、心に平安を携えて死に行ける人はまだ幸せなのでしょうか。
死刑囚のユンスはノートに、
「僕は殺人者としてここに来なかったら、僕の肉体的な生命は延長されていたかもしれないけれど、僕の魂はいつまでもウジの湧くどぶ川のなかでさまよっていたはずです。」
「愛されたことのある人だけが人を愛せるし、許されたことのある人だけが人を許せるということも知りました。」
と記し、最後には、彼のもとに通い続けた修道女さんと神父さんを称して
「結局、私の生すべてが恩寵だったことを教えてくださった方々でした。」
と結んでいます。
すべてを超越して素に戻った人間には、善も悪もないと崇高さを感じます。
死刑制度問題について、ちょっと触れることのできた一冊でした。
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