がんサバイバー 0
全46件 (46件中 1-46件目)
1
マレーシア、タイに行ってきてからもう半年が過ぎてしまいました。少しずつ書き進めてきた旅日記もようやく終わりを迎えてほっとしています。旅行に行く前にいろんなことがあり、ようやくの思いで旅立つことができて本当にうれしかったのですが、実際に旅行を終えて振り返ってみると、良かったことはもちろん間違いないのですが、行ったからこそ感じることもあって、欲深い自分だと思ってしまいます。マレーシアでは、ヒザンファミリーにお世話になり、すべてを彼らにゆだねた4日間でした。人とのかかわりが好きな私としては、4年ぶりに再会して旧交を温めることができて本当に心に残る滞在になりました。タイは、欲張って「観光」を入れすぎたことが反省です。1週間ゆっくりと同じ所にいるのならよかったのかもしれませんが、わずか正味2日半の滞在でぎっしりと予定を入れてしまい、自由に行動する時間がまったくとれず、タイの生の息吹を感じそびれた物足りなさを感じています。といってもなかなか来られるものでないし、有名なところぐらいは見ておきたいし・・・難しいところです。1昨年に職場の旅行で上海に行ったとき、上海JTBの中国人のガイドさんがとても素晴らしい人で、観光案内の話もとても興味深く聞けて、ガイドさんに連れてもらうのもいいもんだとその時初めて感じました。そのときの感動があったので、今回もガイドをつけようと思ったのですが、ガイドさんといっても、やはりいろんなタイプがいらっしゃるわけで・・・今回お世話になったソムサックさんは、もちろん仕事ですからちゃんとしっかり案内してくれ、不満を言いたいものではありません。でも、先に「上」を見てしまったら、やっぱり物足りなく思ってしまうもの。上海のあのガイドさんならもっとこうだったかな、とふと比べて思ってしまいました。何が違うんでしょうかね・・・誠意?熱意?プロ意識?(ごめんなさい、ソムサックさん) ともかく、タイの観光はいろんな所を見てきたという点では十分満足なのですが、印象度は残念ながら・・・マレーシアのマラッカで、自転車漕ぎをしながら一生懸命話をしてくれたナインティナイン岡本似のお兄さんのガイドのほうが、よほど印象に残った気がします。 行かないよりは行ったほうがよかったのは当たり前ですが、同じ行くならもっと自分の足で歩いてその地を感じてくるべきだったというのが、今回学んだことです。車に乗せられて連れまわされているだけでは、本当のことはわからないですね。そして、そういう観光で行くところはどこも、観光用に作られた美しいところばかりで、生の姿ではないことも感じました。一番弱ったのは、最後に必ず土産物屋さんに連れて行かれること。買わなくてもいいとはいうものの、そばにピタッと寄り添われて次々に「これはどうですか?」とすすめられ、熱心に話されるのを聞いているとだんだん断りにくくなって、結局「じゃあ、記念に・・・」と買ったものがいろいろ・・・お土産買うのは嫌じゃないけど、もっといろんなとこ見て自由に買いたかったな。と、なんだか愚痴めいてしまいましたが、出かけたからこそわかったことで、今回学んだことは、次回の旅行に生かしていきたいと思います。機会があればもう一度訪れたいです。タイも、マレーシアも・・・ タイ・マレーシア旅日記を読んでくださった皆様、ありがとうございました。(この項おわり)
2008.07.05
コメント(2)
2008年1月4日 帰国の日。この日の飛行機はユナイテッド838便で、6時40分出発の予定。朝がとっても早いので、遅れないようにと、2時40分起床。(朝というより、夜中です)3時20分にガイドのソムサックさんから目覚ましコール。3時30分チェックアウトです。 ロビーは静かです。ガイドさんが、私たちが朝食をとれないというのでお弁当(?)を頼んでおいてくれたらしく、大きな箱を二ついただく。ん?何入ってるんだろう、重い・・・3時40分タクシーで空港へ まだ夜が明けてません。早朝で車が少ないこともあり、140キロのスピードでタクシーは走り、あっという間に空港に着く。20分のドライブだった。見送りのソムサックさんと別れて、出国審査へ・・・スムーズに通過して、さてお弁当は何かしらと、気になる重さに開けてみると・・・りんご、みかん、ゆで卵、サンドイッチ、おにぎり、ジュースが、ぎっしりと詰め込まれていた。重かったはずだ。こんなのとても食べ切れない。サンドイッチとジュースだけなんとか食べてみたが、他の物はどうしようと途方に暮れた。マスオくんは、「捨てていこう」という。え~もったいない・・・「どうすんがよ。飛行機の中に持って入れんぞ。液体はだめだし、果物もだめだし・・・」「わかってるけど、もったいないよ~」そこへ、空港のお掃除をしているスタッフの男の人が通りかかった。身振り手振りで、お弁当箱の包みを見せ、どうぞ、どうぞと差し出すと、にこっと微笑んで合掌して受け取ってくれた。よかった~ ありがとう! 搭乗ゲートを離れます。 滑走路を走る・・・ さようなら~ タイ・・・☆6時40分に予定通り空港を離れ、ゆっくり移動し、7時過ぎ離陸。あっという間に上昇してタイは小さくなっていきました。日本時間13時50分、5時間ほど飛行し、遠くに北アルプスが見えてきたと思ったら、右手のほうに白い雪を頂いて、富士山が見えてきた。と思う間もなく、機長のアナウンス・・・"Today is beautiful day. We can see Mt. Fuji."と話していることがわかった。今日は、本当に美しい天候のよう・・・ 右手の白いのが富士山です。(望遠) 14時20分成田空港着陸 ただいま~*
2008.07.04
コメント(2)
ローズガーデンを後にし、市内のホテルに戻る。国王の姉君が崩御され、国旗が半旗になっていたり、黒白の幕が掛かっていたりし、服喪の様子が伝わってきた。***********************************************************************私たちの泊まったバイヨークスカイホテル。バンコク一の高さを誇る88階建てのホテル。ロビーが18階にある。高さに合わせて、部屋のグレードが3層に分かれていて、22階から45階までがスタンダードゾーン。46階から68階までがスカイゾーン。70階から74階がスペースゾーンになっています。 下から見上げたホテル・・・私たちの部屋は、スカイゾーンの54階にあるスーペリアスウィートルーム。こんなお部屋です・・・(バイヨークスカイホテルのホームページより) 広くて見晴らしのいいお部屋でしたが、年代を感じる風格・・・(ちょっと古臭い?だから安かったんだな、って思いました)窓から眺めたバンコクの街・・・上の写真は、ホテル内に飾ってあったバイヨークスカイホテルの写真です。こんな風に見えるんですね。
2008.07.02
コメント(0)
広い池を臨むレストランでバイキングを食べたあと、園内を散歩。観光客用に手入れされていて美しい庭が続く・・・午後からはここで、民族ショーを見ることになっています。それに先立って、ゾウのミニショーが・・・ たくさんのお客さんがやってきました。 ゾウのごあいさつ 足もとに横たわるのは人間です。ゾウのかしこい演技にみんな拍手!でも何よりも、ゾウの豪快な小水に一番感激しました。バケツをひっくり返したすごい勢いで出るんです。あんなのが服にかかったら、悲惨だろうな・・・そのあとは建物の中に移動して、民族ショーを見学です。 ボール使いの名人 ムエタイショー(のパフォーマンス) 村の結婚式 バンブーダンス(竹踊り) タイの伝統的な生活ぶりをちょっと美化した形で見せてもらったショーでした。女性の人がみんなとても奇麗なのが印象的・・・
2008.06.30
コメント(0)
ローズガーデン午前のメイン観光、ダムナンサドアック水上市場を見たあとは、午後のメインのローズガーデンに向かう。 ローズガーデン入口まずは腹ごしらえの昼食バイキングで園内のレストランへ レストランの雰囲気・・・ 美しい池が見えます。 好きなものを選んで・・・食事の後、園内を歩いて廻ります。 きれいに管理されています。大きなヘビを首に抱えた男の人・・・やってみるか?と聞かれましたが、お金もいるようだし、遠慮しました。 絹の生産工程を見せてくれる工房です。 土産物広場のブーゲンビリアがとてもきれいでした。
2008.06.29
コメント(0)
木彫りの里へたくさんの職人さんたちが黙々と仕事していた。とても細かい手仕事。大きな作品は、半年ぐらいかかるそう・・・隣のお店にはそうして作られた素晴らしい作品がたくさん展示してありました。 立体の象を彫っています。 観光客の目も気にしません。 仏像を彫っている人も・・・ 素晴しいでしょ!地元、井波の彫刻も有名なんですが、こつこつと作り上げられた作品には、風格みたいなものを感じますね。素晴らしいです。(とても高くて買えないのが残念!)
2008.06.29
コメント(0)
ダムナンサドアック水上市場への船の乗り場に着くと、たくさんの観光客が列をなして並んでいる。ガイドのソムサックさんは、これでは効率が悪いと思ったようで、「逆コースを乗るのにしましょう」と終点となる乗り場へと車をUターンさせる。 終点側の船着場 通路を下りていくと そこは大きな土産物屋ここでお土産買う時間30分ですと言われて、あちこち見て回っているうちに結局アジアン風の洋服を買ってしまった。たくさん壁にぶら下がっていて、買うならこのデザインかな、と話していたのをしっかり店員さんに聞かれてしまって、押し捲られた。そこでマスオ君、1500バーツの値札がついていたのを「800バーツでなら」と交渉すると、店員さん首を振って、「ダメ、1200バーツ」 う~ん、まだ高い。「1000バーツ!」と私。いいでしょ、OKと店員さん。交渉成立。こうして1000バーツの買い物をしてしまった。ほとんど衝動買い?安く買えたと喜んだものの、本当に着るかどうかもわからないのに無駄遣いをしたようで、ちょっとブルー・・・ いえ、せっかく買ったんだものタイの思い出よ! 船が入ってきます これに乗り込むよ~ さあ、出発~!!! 川岸に並ぶ店・・・ あっという間の到着・・・え?これでもう終わり?ガイドブックで見た船がたくさん行きかう写真の光景はどこだったの?川をスピード出して走る船。あっという間の5分ほどで船着場に着いてしまった。こちらの船着場から出発する船に向かって、カメラマンがシャッターを切っている。次々のお客さんを写している。は~ん、この写真を終点の船着場で売るんだな、ってわかった。 逆コースの私たちには、写真はない。船の走りも違う。ノーマルな観光ルートじゃなかったってことね。ちょっと残念・・・並んで順番を待つことに時間を費やすか、能率よくさっさと回るか、どっちがいいかと考えると、よくわかりません。ま、ガイドさんは最善を尽くしてくださったんでしょう。経験したということで満足することにしよう、と思ったのでした。
2008.06.22
コメント(2)
2008年1月3日タイ3日目。この日の予定は、ダムナンサドアック水上市場とローズガーデン観光。7時30分にホテルを出発。水上市場に行く前に、途中にあるココナッツファームに寄る。ココナッツ(椰子の実)を採ってその胚乳を煮込み、天然の砂糖を作る工程を見ることができる施設。ココナッツの中にある固形胚乳を摩り下ろす器具。洗面器の左上に見えるものが研磨器。その先端にココナッツを当てて動かすと削り取られて粉になる。 削っている観光客 削った粉に水を入れて煮込んでいる。 工場の大きななべ? 焼き場? 焼きたての砂糖菓子。甘い香りが漂っている・・・こんなふうに砂糖が作られるのね。何事も体験して初めてわかるもの。百聞は一見にしかず、でした。
2008.06.18
コメント(2)
夕闇迫る頃、アユタヤにあるレストランへ案内される。今日の観光の最後は、アユタヤライトアップ。それを楽しみにしてこの観光コースを選んだのだ。ライトアップを楽しみに、先に食事になる。レストランでは、小さなステージで民族音楽や、踊りが披露される。出演している人はと見ると、まだあどけない顔をした娘・・・というより子供たち? お手伝いで借り出されているようなかわいさだ。まさか、これが彼女たちの仕事ではないよね???目が合うと、にっこり微笑んでくれてとてもかわいらしい。 レストラン入り口です。食べきれないほどたくさんの料理に満腹。店内を見回すと、ほとんどが日本人ばかり。ガイドのノムサックさんに「日本人ばかりですね」と尋ねると、「ここは日本人ご用達のレストランです。中国人はやかましくて、日本人は嫌がるから、別々になっているんですよ」ということだった。確かに、中国人はよくしゃべってにぎやかだものね。レストランを後にして、いよいよライトアップの見学に・・・だけど、夜は遺跡の中には入れない。遠くから照らされた遺跡を見るというだけで、夜も遅いからか、あれですよ、ここからが一番綺麗に見えるんです、と見せてもらってそれで終わりだった。楽しみにしていただけに、あっという間に終わってちょっと拍子抜け。夜だもの、仕方ないかと帰路についたのだった。 アユタヤを後にし、バンコクのホテルに戻り、こうしてタイ2日目は過ぎていきました。
2008.06.15
コメント(0)
歩きながら次に向かったのが、ワット・マタハート夕暮れの薄暗くなりかけていく中を、ガイドのソムサックさんは足早に歩いていき、その後を同じく足早について行く。遺跡の中に入り、ソムサックさんは、ある場所へと私たちを誘って行く。そこは、ガイドブックで何度も目にした、気の根っこに覆われた石仏の頭のある場所だった。 すごいな・・・どうして石でできた頭がこんなところにあるんだろうと不思議に思っていると、その昔ビルマ軍に侵略され、破壊されたときに、たくさんの仏像が頭だけを切り取られ持ち去られたらしいが、あまりに重い仏頭は、そのまま放置され、それが木の生長とともに根っこに絡まり持ち上がってきたものと、ソムサックさんは話してくれた。かわいそうな仏像・・・でも、しっかりとその前でマスオ君と記念写真をとってきた。その場を立ち去ろうと歩き出したとき、またもや「あ、ベッキーだ~!」という声!え?と振り向くと、今しがた私たちがいた、仏頭の木の前にベッキーが座ってポーズをとっているのが目に入る。躊躇する間もなく、カメラをかまえてシャッターを切った。あっという間の早業・・・後からやってきた観光客が、ベッキーを撮ろうとカメラを構えたのをスタッフの方が、「すみません~写真は撮らないでください」と言っている。私、素早かったんだ。もう、写しちゃった!それがこれ。 写りは小さいけれど、ピントは合ってるんです!2度も会えるなんて、すごいラッキー!と、ついてることが嬉しかった。頭を切り落とされた仏像が並んでいる。すべての仏頭はなくなっている。頭だけ取って行って何するの?と聞いたら、裕福な家の飾り物になったらしいと言っていた。仏像をそんなことするなんて、バチ当たらないかな。信じている宗教が違うと何とも思わないのだろうか。
2008.06.08
コメント(0)
ワット・プラシー・サンペット寺院へ1491年に建立され、1500年に高さ16mの黄金の仏像が建造されたが、ビルマに侵略され跡形もなく破壊されてしまったそうな。残っているのは、15世紀に建てられた3基のセイロン様式の塔チェデイ。3人の王様の遺骨が納められている。 夕方になり、園内は人もまばら・・・ 歩いて、歩いて・・・ 視界が次々開けてくる・・・ 破壊された跡 500年の時を超えて・・・ かろうじて残った塔 静かに眠る王の遺骨・・・黙々と歩いて歴史の時の流れを感じた一時でした。
2008.06.04
コメント(2)
ワット・ヤイ・チャイ・モンコンを出て、向かったのがエレファント・キャンプ。そう、象乗り体験のできる公園。象なんて、動物園でもほとんどお目にかかったことがないので、今回のタイ旅行での楽しみの一つだった。象って、どんなんかしら?とわくわく・・・ ようこそ!とご挨拶?この後、「あ、ベッキーがいる!」という声に振り向いてみると、ベッキーが象の間近に立っている・・・わ~本当!!!と思わずカメラを構えると、「すみません~写真はとらないでください」とスタッフの方。「はい」と大人しくカメラをおろしました。ベッキーは並んでいる列をスイと通り抜けて別のところから入って行ったよ。え~いいな~(取材だから仕方ないか!)30分以上待った末、ようやくゲート口に・・・ たくさんのお客さんです。 象が、戻ってきました。私たちが乗るゾウの象使いさんです。 乗り心地は・・・う~ん・・・ゆらゆらと舟のよう? 眺めは抜群です!向こうからもたくさんの象が戻ってきます象の乗り心地はというと、ぎっちらごっちらと船が揺れるような感覚で、長いことのっていたら船酔いになるよう気がした。予算の関係なのか、私たちは10分コースのお散歩だったが、それで十分と満足・・・象の体をそうっとなでてみると、ごわごわの皮膚で固かった。歩き始めのとき、写真を撮ってもらったのを帰りに受け取り、いい記念になりました。 私とマスオくんです!イエーイ!!!
2008.06.02
コメント(0)
バーンパイン離宮を後にして、ガイドのソムサックさんの好意で予定には入ってなかった山田長政の日本人町跡に寄る。その名前・・・歴史の教科書で名前だけは目にしたことがあるような・・・(何した人だっけ?)ここに日本人が住んでましたよ、というだけのおみやげやさんが主になっているような場所だった。(つい、いろいろと買ってしまいました)その後、ようやくアユタヤの町に入っていく。最初に訪れたのは、ワット・ヤイ・チャイ・モンコン(チャオプラヤー・タイ寺院)まずは、寝仏像が迎えてくれる。寺院の境内には何十もの坐仏像が並んでいる。塔を上っていくと、礼拝堂に黄金の釈迦仏が安置されている。お金を出して金箔を買い求め、釈迦仏に貼らせていただくとご利益があるそうな・・・???下の写真でひらひらしてるようなのは、観光客が貼った金箔です。中央はガイドのソムサックさん。私たちを待ってます。 右が1592年に建てられた大仏塔。階段を上っていったところに礼拝堂があり、上の黄金の釈迦仏が座していたのでした。
2008.05.27
コメント(2)
午後の観光は、バーンパイン離宮~アユタヤライトアップ観光で、象乗りも体験できるコース。最初に向かうのはバンパイン離宮。王室の夏の宮殿とか。ホテルを出て、1時間のドライブで到着。門の向こうに美しい庭園が広がる。カートを借りて出発。 王様の居室や謁見の間として使われている?1876年完成 ブーゲンビリアがとても美しい・・・ 象のモニュメント・・・植え込みですよ。雨期、冬期の廷臣の住居として使用されたもの。中国風な建築。1889年完成本当に美しい離宮でした。でも、ついこれだけの広いところを管理するのは大変だろうな・・・どれだけの税金が投入されてるのかしらん・・・と俗っぽいことを考えてしまいます。庶民ですから・・・
2008.05.26
コメント(2)
王宮を出て、午前の観光は終わり。 一旦ホテルに向かう。「なぜ王宮の中に入れなかったのか、実は・・・昨夜、王様の姉君が83歳で亡くなられたのです」、とガイドのソムサックさん。今、王室は争議の準備であわただしく、それで宮殿の中に入れないのだという。残念だけど仕方ない・・・それを聞いて街を行くと、至る所で半旗が翻っている。今日は1月2日だが、今日からもう仕事始めらしい。街はいつもどおりの混雑さだとか。 街を走るトゥクトゥク。王室の写真を入れた門・・・2006年に国王の在位60周年記念のお祝いがあり、その時に掲げられたものだという。街のいろんなところに国王陛下や皇后様のお写真が掲げられている。正月からスト?デモ? 地方の農民が集結しているらしい。 ビルにも王様の写真。 手前は服喪の半旗です。
2008.05.25
コメント(2)
ワット・ポー(涅槃寺)を後にし、すぐ隣の王宮に向かう。歩いて迎える距離・・・でも、ガイドのソムサックさん、申し訳なさそうに、「実は今日は宮殿の中には入れないんです。これは、全ての観光客みんなです。残念ですが、外側だけ案内しますね」とおっしゃる。ふ~ん、みんな入れないんならしょうがないよね・・・と深く考えずに、美しい建物を見て廻る。ガイドのソムサックさん 手にしているのはエメラルド寺院の本堂に納められている仏像。翡翠でできた仏像がエメラルド色をしていることから、エメラルド寺院とよばれるようになったらしい。1年に3回、季節の変わり目ごとに衣装が取り替えられるらしく、写真は、その3回の衣装を着た仏像を写したもの。この日どの衣装を着ていたのかは、仏像が小さく、遠くに鎮座していてよくわからなかった。(日がたちすぎて思い出せないだけかも・・・もう5ヶ月たつものね) 仏教とは関係のない変わった像も多い。手前にある小さな建物は、アンコールワットの模型。ラマ四世が、アンコールワットに感動して造らせたものらしい。とても精密で、アンコールワットの全体像がよくわかるそう。(ガイドブックの話) こんな感じ・・・アンコールワットに行きたくなった。いつかきっと行こう。次の夢ができました~☆
2008.05.16
コメント(2)
暁の寺から、船に乗ってまた来た道を戻り、次に連れて行ってもらったのが、寝釈迦仏で有名なワット・ポー(涅槃寺)。船着場から歩いてすぐのところにあった。おー、これがガイドブックで見たことのある寝釈迦仏か!大きい~!きれい~!本当に金色だ~と見とれた。写真で見て大きいことは知っていたけど、やっぱり本当に大きかった。 仏様はこんなお顔。ひじ枕、手が痺れないかな・・・・足の裏にも、仏様の紋様が刻まれています。ありがたや、ありがたや・・・なんだ、お釈迦様はちゃんと枕に頭を置いていたのね。でも高くて硬そうな枕・・・・安眠できる?寝釈迦仏の仏堂を外に出ると、となりには4基の塔が聳え立っている。塔の色が、緑、白、黄、青と違っていて、それぞれラマ1世、ラマ2世、ラマ3世、ラマ4世の遺骨が納められている。
2008.05.14
コメント(1)
2008年1月2日この日の午前は、市内観光(王宮、暁の寺、涅槃時)の予定。午前8時にホテルにガイドのソムサックさんが迎えに来てくれる。日本なら正月三が日でひっそりしているところだが、タイは、この日から仕事始めで市内は混雑している。結構渋滞。予定では王宮、エメラルド寺院を見学した後、渡し船に乗って対岸の暁の寺(ワット・アルン)に行くところだったが、ガイドさんの判断で、先に船に乗ることになった。タイ・ワン通りの突き当たりにある船着場から船に乗る。目の前の川は、チャオプラヤー川船の中から船着場を振り返る。行ってきま~す!ワット・アルンの大仏塔が近づいてくる。お~、きれい!塔の台座を支えているのが、ヤック(鬼神)とモック(猿神)。粉砕タイルでできている。 階段は結構、急。手すりなしでは怖い、怖い。カラフルな街並み・・・いえ、お寺。壁もタイル張りのように美しい。陶器でできててるんだったか・・・
2008.04.23
コメント(2)
午後2時30分 スワンナプーム国際空港に無事着陸。3日前に通ったコンコースの中を懐かしく歩きながら、家に電話する。12月に買ったドコモの携帯、世界中どこでも使えるはずだったのに、マレーシアではアンテナが立たなかったのだ。広告に偽りあり(?)でも、タイに入るとアンテナが立ち、成田を発って初めて連絡をする。元気そうな母の声を聞いてほっ。入国審査を終え、出口を出たところでガイドのソムサックさんに出迎えられる。どんな人かな?若いお兄さん・・・?と期待していたら、いかつい顔のおじさんだった。(ちょっとがっかり)ガイド歴23年のベテランのおじさん。くせのある日本語だが、話は通じるので問題はない。何事も出会いだもの、よき縁となるよう務めよう。普段なら渋滞で1時間はかかるらしいが、お正月のためか、40分ほどでバンコク市内のホテルに着く。バイヨークスカイホテル・・・バンコクで一番ノッポのビル。ホテル入り口で見上げると、本当に大きい。フロントは外国人客でたくさん。ホテルの手続きに慣れていないので、ガイドさんがいてくれて助かった。部屋はスーペリアスィートで54階に案内される。写真で見たとおりとても広い部屋で、眺めも抜群!ま、ちょっと年代の古さが感じられるのは仕方ないか。安いんだもの。しばらく部屋でのんびり。マレーシアでの生活を思い出し、ヒザン君たちへの感謝の思いをかみしめた。夕食は、「タイ古典舞踊の夕食」というツアーコースを予約してあり、バイヨークホテルのすぐ側にあるインドラリージェントホテルのサラタイレストランに向かう。大半は日本人だが欧米人のグループもいくつか見られた。 サラタイレストラン タイ料理です。満腹になりました。 左の女の人は魚に扮しています。 手の動きがタイ舞踊らしいです。 レストランから見た、バイヨークスカイホテル。 ・・・こうしてタイの夜は更けていきました。
2008.04.12
コメント(4)
飛行機の窓から見る外の世界は、ため息が出るほど美しい・・・ラピュタの雲を思い出しながら、飽きずに眺め続けました。自動で補正をかけたら、コントラストが強くなってしまいました。ここまでくっきりではなかったですが、とても美しく、移りゆく光景に目が離せませんでした。
2008.03.24
コメント(4)
搭乗ゲートから見たマレーシア国際空港・・・タイのスワンナプーム空港に比べたら、待機する飛行機の数が少なく、とてものどかな空港だった。私たちが乗るタイ国際航空の飛行機。あっという間に飛行機は上昇する。眼下に青いドーム屋根のモスクが見える。さっき、あの横を通ってきたのよね・・・さようなら~ マレーシア・・・・こうしてマレーシアを後にした私たち・・・また来ることがあるかな・・・もう一度再会できるかな、と思いながら・・・ こうして、マレーシアの旅を終え、タイへと向かったのでした。
2008.03.24
コメント(0)
2008年1月1日別れの時間はあっという間にやってきた。10時過ぎヒザン君の家を出て11時ごろKLIA(マレーシア国際空港)に到着。空港近くの青いドーム屋根のモスク。空港到着。ヒザンファミリーとの最後のお別れ・・・ヒザン君と初めて会ったのは今から10年前1998年のこと。市の国際交流フェスティバルに出かけたときマレーシア留学生のブースにヒザン君はいた。マレーシアの民族品を前にして話したとき、とても感じが良くて話が弾み、別れ際に何かあったら連絡してねと連絡先を書いて手渡した。ふた月ほどしてヒザン君から手紙が来て、嬉しくてすぐ返事を書いた。それが出会い。彼がまだ大学3年だった頃・・・それからときどき手紙のやり取りしたり、家にも食事に招いたりした。翌年の大晦日の夜、遊びにおいでと招待すると、友達も一緒にいいですかと連れてきたのがファラさん。彼女は1年生だった。とても仲良い二人の雰囲気にほのぼのとした温かさが伝わってきた。(彼女ができてよかったね、と親心の気分)翌年3月卒業のヒザン君は、エプソンに就職が決まったといったきり連絡なく日が過ぎて、もう会うこともないんだろうと寂しく懐かしんだ。一言さよならぐらい言ってほしかったな、と思いつつ・・・それが9月ごろたまたま仕事の用事で大学の側を通りかかったとき、向こうから歩いてくる青年が、え~?あれはもしかしてヒザン君・・・? 似てる・・・でも今はもう帰国してるはずだし・・・と思いながら近づいていくと、やっぱり本当にヒザン君だった。もうビックリ!!!!「どうして?」「どうしたの?」と矢継ぎ早に聞くと、彼はテレながら、「実はファラと離れられなくて、仕事やめて戻ってきました」とのこと。以前は工学部に籍を置き卒業したのに、今度はファラさんと同じ経済学部に聴講生と通っているということだった。なんと!!!!愛の力は大きいのね、と感心するやら、せっかく入ったエプソンを辞めるなんてもったいないと思うやら、でも、こんなふうに思いもかけずに再会できるなんてと、不思議な縁の深さを思ったり、一人感激したのだった。しばらくしてもらったメールには、驚くことが書いてあった。『実は僕たち、もう結婚したんです。2月に子供が生まれるんです』え~!!!!とまたまたビックリした私。そうか~もう結婚してたんだ~なんておめでたいこと・・・その後二人にお祝いしましたよ。翌年2002年2月に生まれたのがバルキスちゃん。偉いな~、留学生で勉強しながら赤ちゃんを育てるなんて、と異国で子供を生み育てることの大変さを思いつつ、若いってすごいなと感心した。そのヒザン君たちが帰国したのは2003年の3月。ヒザン君は経済学部の大学院を修了し、ファラさんも卒業を迎えた。お互いに忙しくて会う暇なく最後の電話は帰国の直前、空港に向かうというときだった。これでお別れ。元気でね。また連絡ちょうだいね。私もするから。と言って電話を切った。その後、忙しいことにかまけてメールは出さなかったし、ヒザン君からも来なかった。2005年に久しぶりにメールを出してみたが返事はなかった。返事がなく連絡が取れないと思うと無性に消息が気になり、知り合った大学の留学生にヒザン君のこと知ってる人がいないか尋ねてもらったりした。でもわからなかった。無性に会いたかったけど、もう2度と会えないんだと思い、縁が切れたことを悟った。そして去年2007年の3月。タイ行きを決めた一ヵ月後にヒザン君からメールが来たのだ。実に4年ぶりの消息だった。嬉しかった・・・・別れるとき、そんなことを思い出しながら、どうして4年もたって急にメールくれたの?と聞いたが、ヒザン君はわからないと首を振っていた。わからなくてもいい。そのメールのおかげで、こうして5年ぶりに会えたのだから。ありがとう。本当にありがとう。胸がいっぱいになった。3日間、精一杯私たちをもてなしてくれたヒザン君、ファラさんの思いが、温かく私の胸に伝わってくる。「また、きっと会えるよね。忘れないから・・・」とファラさんと固く抱き合って別れに浸った。涙が込み上げた。搭乗ゲートをくぐり登場口に向かう私たちを、いつまでも手を振って見送ってくれるヒザンファミリー。本当にありがとう。さようなら~
2008.03.23
コメント(5)
住宅の連なった区画の角の家は、庭がゆったりと広いが、その角家は、他のパステル調の柔らかな色合いの家々とは違って原色の奇抜な色彩の外壁になっている。どうして?と思っていると、バルキスちゃんの通っている保育所に案内されて謎がわかった。角の家は、保育所(託児所?)になっているところが多いのだ。庭先にはかわいいぞうさんのすべり台が置いてあったり、写真のようにミニハウスがおいてあったりする。子供の遊ぶ空間としては広いスペースはありがたい。バルキスちゃんの保育園・・・というより託児所(?)入り口です。玄関のポーチ。カラフルなかわいい絵が描かれている。みつばちマーヤかしら。部屋の入り口には託児所に通っている子供たちの写真が飾ってある。保母さんと子供たち。この部屋で一日を過ごす。2階にはお昼ねの部屋があるとか。朝の早くから、夜まで預かってくれるそうな。バルキスちゃんは、1日3食ここで食事をいただきます。働く母親にとっては本当にありがたい施設です。ファラさんはとても感謝してました。(子供の育ちを考えると、ちょっと心配になる私です)
2008.03.22
コメント(0)
この辺り一体は新しい住宅街で建設中の建物も多い。2軒で一つになった住宅。長屋タイプに比べて部屋数は多く大きい。ゆったりしている。もちろん値段も高くて、お金持ち用の家らしい。でも近づいてみると外壁のところどころに塗り斑があり、日本ならクレームつきそう・・・マレーシアは細かなところは気にせず大らかなのか・・・新しい道路を挟んで向こう側にも違ったデザインの新しい住宅が並んでいる。こちらは、1階と2階が別々になっているタイプ。単身者向き(?)ポーチが半分ずつ、1階玄関に行くのと、階段を登って2階玄関に行くのとに分かれている。好みに応じて外壁の色を変えることもできるらしい。もちろん別予算。玄関前の門の扉は様々で、四角いシンプルなタイプから立て込んだ模様のあるカーブしたタイプと様々。この辺りにオリジナリティを出しているよう。予算に余裕さえあれば。こんなピンクの色にだってできる・・・
2008.03.20
コメント(0)
ヒザン君一家は、新築の住宅を購入して前月にこの家に移り住んできた。マレーシアでの住宅の取得方法にはフリーとライセンス式と、二通りの方法があるという。フリーは買い取ったら完全に永久に自分のものになるというもの。ライセンス式は、購入して99年間は自分のものだけどその後は、名義権を手放さなければならないというもの。子供や孫に譲ってもいずれは手放さなければならないようだ。もちろんフリーで購入するのに比べると、ライセンス式は安く住宅を取得できるらしいから、一長一短か・・・ヒザン君に、どちらの方法で買ったのかを聞くと、フリーだという。交通の便もいいし、空港にもクアラルンプールにも行きやすいからこの場所は気に入っているとか。ヒザン君の家。一見するとアパートのように見えるが、1・2階合わせた部分がヒザン君の住宅になっている。隣の住宅とは壁一枚で続いていて、いわゆる長屋風・・・こんなふうに統一されたデザインで十数軒が一つにまとまって一区画になっている。ヒザン君の隣家の角家。まだ入居者はいない。広い庭付きなので価格も高いとか。住宅街の散策・・・
2008.03.19
コメント(0)
海から戻って少し休憩した後、夕食を食べに出かける。マレーシア最後の夜・・・お世話になったお礼に、今晩の食事は私たちのおごり・・・「何食べたいですか?」と聞かれて「何でもいいよ、ヒザン君たちの食べたいもの食べに行こう」と夜も遅くなった8時ごろ家を出る。お腹はぐ~とすいている。早くおいしいもの食べたい!でも、車は走る、走る。ビュンビュン高速道路を飛ばして走る。「ねえ、どこでもいいよ。前みたいな、イスラムのレストランでいいよ。近いところでいいよ」と話すが、どこへ行こうとしてるのか、車は走り続けた。クアラルンプールの市内に入ってきたのか、車の数は増え、渋滞が始まる。「ね、どこでもいいのよ」とぐ~と鳴るお腹を押さえて、再度言うと「私の通っていたIBM見せたかったの」とファラさん。去年3月に4年ぶりにヒザン君からメールをもらったとき、ヒザン君はデンソーからソニーに職場がかわったところで、ファラさんもソニーで働いていると書いてあった。その後6月のメールで、ファラさんはソニーからIBMにかわったと書いてあった。せっかく夫婦一緒の会社になったのに、なんでIBMにかわったのかしら?どっちにしても大会社ばっかりすごいな~と感心した。再会したときに、ファラさんにIBMに行ってるんでしょ?と尋ねたら、今は違う会社だという。え?また仕事変わったの?とちょっとびっくり。ヘッドハンティングなの?と聞いたら、まあ、と笑ってたファラさん。渋滞になった車の中で、「IBMに通うの、大変だったよ。毎日渋滞で片道1時間半以上かかって、いつもイライラしてたよ。朝は、7時過ぎに家を出て、9時前に会社について、夜も毎日遅かった。本当に疲れた・・・」え~、そんな大変だったの。この道を通ったの?だって、こんなに走ってるのにまだ着かないじゃない。何て遠かったの?じゃ、子供たちはどうしてたの?この車をファラさんが運転してたんなら、ヒザン君はどうしてたの? と次々聞きたいことが出てくる。ヒザンは、オートバイで通勤して、子供たちは私の妹が送り迎えしてくれたけど、みんな大変で、迷惑かけて申し訳なかったよ。だから、もう限界と思ってやめたの・・・そうだったんだ・・・大変だったのね。どれくらいがんばったの?半年くらい? って、聞いたらファラさん絶句。1か月でやめたよ~!!! 初めてのお給料もらった次の日に上司に辞めますって言ったら、上司もびっくりして、でも、もうだめって、やめさせてもらった。そんなんならソニーやめなきゃよかったのに・・・なんでかわったの? IBMのほうが給料がよかったですよ。ソニーは少ない。でも、辞めた後ソニーに戻れないかと思ったけど、だめだった。ソニーを裏切ったからね、と苦笑いのファラさん。今の会社も大丈夫だけど、勉強しなきゃならないから大変だね。でもがんばる。ヒザンさんに、もう絶対やめたらだめって言われてるから。1年で2回も仕事かえるのよくないって、叱られたから・・・と笑ってるけど内心はソニーに未練があるよう・・・大変だね、働くって。そう話しながら、やっとIBMのビルが見えてくる。どうやらIBMを過ぎたところに日本人に人気のおいしい日本料理店があり、久しぶりにおいしいお寿司を食べたいと車を走らせてきたようだ。しかし、車は渋滞の波に飲まれて、どこもかしこも動かなくなり、目指すレストランへは行きつくことができない。あっちこっちと行けそうなところを探し回ってなんとか食事を済ませ、帰り道についたころ、新年を迎える時間になっていた。橋の上に差し掛かったとき、2008年を迎えた花火が上がり始め、橋の上は臨時の観覧場所になった。みんな車を止めて、花火を楽しむ。****Happy New Year!!!**** こうして、マレーシア最後の夜は更けていきました・・・
2008.03.15
コメント(4)
海からの帰り道、ファラさんがときどき現れる道沿いの屋台の店を見ながら「ドリアン食べてみたいですか?」と何度も聞いてくる。ドリアン・・・ちらっと聞いたことのあるその名前。果物らしいが、日本人にはちょっと口に合わないかもと聞いていた。へ~、そのドリアンね。ま、話のネタに食べてみるのもいいかも・・・「うん、じゃ食べてみる。何事も挑戦してみるわ」と返事した。そして次に現れた屋台で車を止める。ちょっとパイナップルみたいなとげとげのあるドリアンが山積みドリアンを割るとこんな感じ。白い袋のような実?種?を食べるらしい。その匂いはというと・・・生ごみの腐ったような匂い・・・う~っ!!!さすがヒザン君たちは、小さなバドレーナちゃんまでおいしそうに食べる。その食べてみた感触、味はというと、匂いほど嫌なものではなく、濃厚なホワイトクリームみたいな感じ。まあまあ食べられそう・・・。でも、1個食べればそれ以上はちょっと・・・「今、一つ食べたらこれで十分だから、これ以上はいらないからね」と言うと、「もとろんよ。車の中にドリアン入れたら、くさくて匂いが取れなくなるから、ここで食べてくだけよ」とファラさん。は~ん、マレーシアの人だって、匂いの臭さを感じるのは同じなんだとわかった。ドリアンの殻の残骸・・・体験に勝るものナシ、を味わったドリアンでした。
2008.03.09
コメント(6)
マレーシアのトイレのことについて、以前に少し書いたが(こちら)、トイレにはたいていホースが付いていたり、ホースの代わりにバケツと手桶が置いてあったりする。そういえば、前に聞いたことがあった。マレーシアの人は用を済ませた後、直接手で洗い流すのだと。はは~ん、だから水がいるんだ・・・日本で言えば、ウォッシュレットのようなものか。郷に入れば郷に従え、というけれど、トイレットペーペーがついているので使ってみることはないまま過ぎていった。 だけど、海を見た後トイレに行きたくなり、探すと綺麗な公衆トイレを見つける。入り口にはおばさんがいて、お金がいるという。有料トイレ。もちろんお金を払って入室。綺麗なトイレでよかったと喜んだのもつかの間・・・中に入って絶句。便座の上が水浸しではないか!いや~ん・・・見ると、トイレットペーパーもない。どうして?有料でお金もとってるのに・・・持ち合わせのティッシュも切らしていた。ええい、仕方ない。と、腰を浮かして用を済ませる。(想像しないで!) そして、マレーシア人になったつもりでホースを使ってみることに・・・ホースの先端には細かい穴が開いていてシャワー口のようになっていた。横にボタンがついていて、これを押せばいいんだとわかり・・・狙いを定めて、push^^^きゃ~~~~!!!!なんと水は勢いよく噴出し、下腹部一面ずぶ濡れにしたのだった。慌ててボタンを離したが、覆水盆に戻らず・・・仕方なくそのまま衣服を整えたのでした。便座がずぶ濡れだった訳が、よ~く、わかりましたよ。文句の一つも言いたいところでしたが、にこっと笑ってテリマカシ(ありがとう)と言って外に出たわたし。「ね、ズボン、濡れてるのわかる?」と後ろを向いたら、「ハハハ・・・ちっこ漏らしたんだ」と笑うマスオ君。ガーン、やっぱりそう見えるか・・・でもファラさんは慰めてくれた。「大丈夫よ。私もときどき水が出すぎてズボン濡らすから」って。慣れないことは、難しいね。
2008.03.07
コメント(2)
マレーシアの海・・・青い海はずっと彼方の方に見え、手前は泥水のよう。海水浴をしている子供の姿も見えるが、とてもここで泳ぐ気にはならない。砂浜というよりは、細かな泥の粒子が固まってコンクリートのように固い浜だった。風でできた砂の紋様が美しい。建設中のリゾート。でも、海が濁ってるんではイマイチかな???丸い粒粒の砂の粒子は何?と見てみると、所々に丸い穴が見える。丸い穴を中心とした雪の結晶のような紋様に見えるものがあちこちに。見えた!穴から出入りする、かわいいカニ! 穴のすぐ上に今から入ろうとして写っています。わかるかな?
2008.03.02
コメント(2)
プトラジャヤを後にし、途中昼食をとる。朝が遅かったので、肉入りのごはんは気が進まず麺類を食べてみる。こちらでは麺はMeeというそうな。カレー風味と、マレー風味(?) 緑の小さい実のスライスが辛かった。食べ終わった後で、やっぱりフライライスにすればよかったかなと、ちょっと後悔その後、海に行きますと言われて車は走る、走る、スピード出して。途中でバルキスちゃんの幼稚園に案内してもらう。バスキスちゃんは、1月から年長組になるらしい。マレーシアは1月3日から新年度が始まるらしく、幼稚園を訪れてみると先生たちが教室の壁にペンキで絵を描き直して準備していた。大晦日なのに、仕事してるんだ・・・と感心(私は休暇を楽しんでるのに・・・)バルキスちゃんの幼稚園はイスラムの小学校に入学するための準備をする幼稚園で、進学率が高いからここに通わせるイスラムの親は多く人気があるらしい。ヒザン君の家からはずいぶん遠いところにあり、こんなに遠いところに通ってるの?とびっくり。ヒザン君は毎日、2歳のバドレーナちゃんを近くの保育園に預け、バルキスちゃんを幼稚園に送り、その後Sonyに出勤し、仕事が終わるとまた幼稚園、保育園と迎えに行って家に戻るという。一日の走行距離は100キロを越えるとか・・・なんて大変なの、そこまでしてこんな遠い幼稚園に通わせなくても・・・と言ったら、6月に小学校の入学試験があり、試験が済んで合格すればその後は近くの幼稚園に代わるかもしれないと言っていた。一般の公立の小学校もあるらしいが、イスラムの小学校に入れたいというのがイスラム教を信仰する親の希望のようだ。信仰心が篤いですからね。幼稚園・・・左端は年中組のときのバルキスちゃんの教室年中組の教室でのバルキスちゃんの席はここ。小学校のように部屋には机といすがぎっしり。後ろの壁の絵を担任の先生がペンキで描いていました。年長組の教室・・・隣の部屋とはボードで仕切られています。室内を見ても、園庭を見ても、日本の幼稚園や保育園で見られるような遊具は見当たりませんでした。机に座ってお勉強するようなスタイルの幼稚園です。一日の生活って、どんなのかしら。職業意識から興味津々・・・写真は、こちらで働く先生たちの家。先生には住宅も供給されているそうです。幼稚園のすぐ隣に、先生の家が何軒かありました。これは先生たちにとっては恵まれていることだそうです。(私だったら、仕事が終われば職場から離れたいですが・・・)
2008.02.29
コメント(4)
12月31日(月)10時過ぎ出発。朝ごはんは外で。ファラさんの日本人上司が一番おいしいと言う「ナシヌマ」。ファラさんは私たちにもナシヌマを食べさせたいと、ナシヌマを作っている食堂をあちこち探して回り、ようやく見つけてくれる。これがその「ナシヌマ」目玉焼きがのったご飯で、ソースが甘辛い味。おいしい!屋根の端から見える白いのは水蒸気。水蒸気の気化熱で涼しくする工夫のよう。確かに今日も朝から暑かった。満腹して向かったのは、クアラルンプールから車で1時間の、新行政首都プトラジャヤ。2010年をめどに政府機関がすべてここに移転されるらしい。どこもかしこも新しく美しい街だった。まだまだ建設途中・・・新しい時代を迎える活気が漂っていた。首相官邸。青が基調の美しいアラビア風御殿・・・見とれました。プトラ広場を囲むようにして首相官邸の右手にはプトラ回教寺院。こちらはピンク色の建物で、イスラムのモスクになっている。これまたとても美しい。中を見学させていただきました。女性はピンクやブルーのフード付きローブを着ます。ちょっとイスラムの女性になった気分・・・ 礼拝のときは、外の広いテラスにも人がぎっしり埋まるらしい。大理石のテラスは太陽に照らされて裸足の足にはとても熱い。こんな暑い中で祈りを捧げるのは大変・・・信仰心の篤さに触れる思いです。国際会議場。首相官邸からまっすぐ伸びた道路の反対側の突き当たりにある。国家の大事な建物が1本の線でつながっているのを見て、ワシントンを思い出す。あそこもワシントンモニュメントを真ん中にして、片方には議事堂、反対側にはホワイトハウスが1本の線でつながるように建っていた。なんだか似ている感じ。国際会議場から見た新都市の風景。道の突き当たる遠くに首相官邸がある。(小さくて見えないけどね)本当にきれいな都市でした。
2008.02.22
コメント(1)
ベーチャーを降りて、高台を登ると、サンチャゴ砦が出迎えてくれた。1511年にオランダとの戦いに備えるため、ポルトガルによって建設された頑強な要塞。登ってきた道と違う道を降りていくと、ベーチャーに乗った最初の広場に戻った。振り返ると、サンチャゴ砦が美しくそびえ、ヨーロッパの香りが漂った。至る所に独立50周年を祝う垂れ幕が見られたが、マレーシアはポルトガル、オランダ、イギリス、日本と長い間他国の植民地になっていたことをマラッカに残るさまざまな建物で知ることができた。辛い時期も、今となっては観光客が訪れることで地元の賑わいになっていると思うと救われる。(日本も一時期支配してました、と言われると、自分のせいじゃないのに胸がうずいた)平和であることが感謝です・・・つづく
2008.02.13
コメント(13)
自称“マラッカの岡本”さんの案内による観光は続く。ちょっとベーチャーに乗って一回り程度にしか思っていなかったのに、彼は行く先々でベーチャーを止め、「すみませ~ん、ここはですね・・・」と説明を始める。ふ~ん、へぇーとただ頷きながら聞き入る私たち。「ね、もしかして私たちのために日本語の話せるガイドを頼んだの?」とヒザン君らに聞いてみたが、「ううん、私たちも全然知らなかったよ。ラッキーだね」とファラさん。ヒザン君たちもマラッカは初めてだから、“岡本”さんの親切なガイドはとても助かったようだ。暑い日差しの中、自転車をゆっくりゆっくりこぎながら、私たちに見せたいところをこいで行く。セント・フランシス・ザビエル教会ババ・ニョニャ遺産博物館中国風な商店街入り口カンボン・クリンズ・モスク 1728年にスマトラ建築様式で建てられたモスク。屋根の形がドームではなく、瓦を敷き詰めたピラミッド型であるのが珍しいらしい。2時間の観光で、2台で200RM(リンギット)。日本円で約7,000円だった。有意義な一時になり、「ありがとう!」と握手してお別れ。彼の、独学で日本語を学びそれを仕事に生かそうという姿勢にとても刺激を受けましたよ。彼は名刺まで持っていて、「私の連絡先はここね、マラッカへ来たらまた連絡してください」と言ってくれる。偉いな~。どんな仕事でもその仕事に意義と楽しさを見出したら、彼のように人を喜ばせ感動させられる・・・私もがんばらなくちゃ、とそう思えた出会い。ありがとう、マラッカの岡本さん~!つづく
2008.02.11
コメント(3)
12月30日(日)10時に家を出る。今日の予定はマラッカ観光。ヒザン君たちも、マラッカへは初めてと言う。高速道路を100キロ超のスピードで走る。周りは今日も、パーム林・・・パームの木は10年で成長し伐採されるという。南国だから成長が早いのか。油(燃料?)になるといっていた。11時過ぎ、マラッカ入り口のゲートに着く。ゲートをくぐり抜けて、ほどなくしてマラッカの中心部に入る。車を降りて歩き始めると、周りにはカラフルな花で飾られた自転車の乗り物が・・・ガイドブックには、トライショーと書いてあったが、ファラさんはマレー語ではベーチャーと教えてくれた。「乗ってみたいよね・・・」と興味津々な顔して見てると、人懐っこいおじさんが「日本人か?」と寄って来る。「日本語話せますか?」と聞くと「少しね」とにこにこ。「日本人のお客に習って、勉強しましたね」と熱心に乗ってほしそうに誘うので、じゃあと乗ることに。ヒザンファミリーで1台。私とマスオ君で1台。もちろん、日本語の話せる彼が私の運転手さん。私たち二人も大変だけど、ヒザン君のほうは子供とはいえ4人も乗ってるから、運転手さんは大変・・・でも、これが彼らの仕事。がんばって・・・とエールを送る。出発~ 最初に向かったのはオランダ広場赤茶けたレンガでできたオランダ建築の建物が集まっている。 私たちのベーチャーの運転手さん。彼は積極的に日本語で話しかけてくれる。案内しながら、あちこちの説明も日本語で。 「岡村、知ってる?」と聞かれて、??と思ってると、「僕、岡村に似てるって言われました。マラッカの岡村ね」---「あ~!!!ナインティナインの岡村ね!ホント。似てる!似てます!」笑いましたよ。だって、本当に似てたからつづく
2008.02.05
コメント(1)
イスラムのレストランを出て、ようやく家に向かう。新しい家に引越ししたと聞いていたので、家を建てたのかと聞くと、違うという。じゃあ、中古住宅でも買ったのかと思いながら、ヒザン君の家に向かった。ようやく着いたのは、新しくできた住宅街の一角だった。日本流に言えば、長屋のように連なっている家々が何区画もあるという感じ。そのうちの一つの区画にヒザン君の家はあった。中に入るとまだ新しさの香りが漂っていた。建売の住宅を買ったということがわかった。(「建てた」というのとは確かに違う)2階建ての長屋で、1階は1部屋に広いリビング、2階は3部屋と部屋に囲まれるように小さなリビングがある。結構ゆったりしている。私とマスオ君に案内してもらった部屋にはダブルベッドが一つ置いてあった。ファラさんの大学生の妹さんが使っているらしい。今は故郷に里帰り中だとか。その隣の部屋はヒザン君の妹さんの部屋。彼女は働いているが、やはり翌日故郷に帰ってしまい会えなかった。この二部屋から通じている共同のトイレとシャワールームが奥にあり、私たち専用で使っていいということだった。他にもふたつのシャワールームがあるらしい。へ~便利。まるでアメリカの家みたい、と感心する。マレーシアに着くまでの空港での空白の長い待ち時間がふっとぶくらい、マレーシアについてからは充実した時間が過ぎていった。たった半日なのに、たっぷりとマレーシアを堪能した気持ちになった。ふ~・・・心地よい疲労感。そして、ヒザン君やファラさんに再会できた喜びをしみじみ感じる。さ、シャワーを浴びて寝よう!シャワーをひねって驚いた!え~!!!! 水~! え~? お湯は出ないの????どこを見回してもお湯に切り替わるスイッチもレバーもない。出て来るのは水だけ。そんな・・・暑い国ではお湯なんて必要ないのか・・・恐る恐る身体だけ洗ったが、髪の毛まで洗髪する元気はなかった。仕方ない、明日洗おう・・・天井には3枚の羽根のファンが回っている。暑いとはいうものの、天井からくるほのかな風が心地よく、2日ぶりにぐっすりと眠りについたのでした。つづく
2008.02.02
コメント(2)
クアラルンプールを出て、車は走る。もう8時過ぎていた。昼食は遅かったものの、もうそろそろみんなお腹をすかし始めている。「何が食べたいですか?」と聞かれても、どう答えていいかわからない。せっかくマレーシアに来たのだから、マレーシア料理を食べたいと伝える。そうして連れて行ってくれたところが、イスラム風のレストラン(?)店の庭先にテーブルが置かれて、野外レストランのよう。テーブルを見つけ、一息つく。メニューはおまかせ。辺りを見回すと、外なのに、虫が寄ってこないことに気づく。電灯の周りでさえ、何の虫も漂っていない。蚊もいなければ、蛾もいない。「これって、なかなかいいね」と言うと、「でも蟻が入ってくるよ」とファラさん。ファラさんが注文してくれたお料理。基本的にマレーシアはご飯系の料理が主流みたいだ。タイ米のフライにソースがついている。上に乗っかってる丸いものは、キュウリ。日本のより大きいようだ。おいしかった!そして、満腹。のん兵衛のマスオ君は、お酒なしでは生きていけない。旅行前にガイドブックを見ていて、マレーシアではお酒が飲めないと書いてあるのを読んで、「俺だけずっとタイにいようかな」と言ってマレーシア行きを渋っていたが、ヒザン君に「お酒って飲める?」と聞くと、マレーシアではお酒は特別なところへ行かないと買えないし、もちろん、レストランに酒類は置いていないと言う。「え~?じゃあ、マレーシアの人ってお酒飲んで乾杯なんてしないの?」と聞くと、「しないですね」ということだった。信じられない~。ともかく、普段夕食ではビールや日本酒、焼酎とおかずとアルコールでお腹を膨らませているマスオ君は、仕方なくアルコール抜きでご飯料理をいただくことになった。大丈夫かな、とちょっと同情したが、「おいしい」と食べているのでほっ。でも、せめてどこかでビールを買えないかと聞いたら、「帰りに特別の店に寄りますよ」と言ってくれた。特別の店にしか置いてないらしい。店のスピーカーから歌?が聞こえてくる。楽器の伴奏はなく声のみ。「もしかして、これってコーラン?」と聞くと、そうだった。レストランに、コーランが流れるんだ。それを聞きながら食事するんだ、とマレーシアの人たちの文化を感じた一時。日本で言うならば、日本料理店でお経をききながら食事する雰囲気かしら。でも、コーランの歌は哀愁を帯びた寂しさが漂い、素朴な味わいを感じ、私は心が癒されるよう・・・私、好きだわ、コーラン、と思った。
2008.01.29
コメント(2)
夕暮れの中を歩きながら駐車場に向かう。車に戻った頃にはもう辺りは薄暗くなってきていた。ようやくこれで家に向かうのかな、と思って尋ねると、「まだよ。もう少し見せるところがあるから」とファラさん。「え?そんな無理しなくても、もう十分よ・・・」と私。車が走り出す。一歩通行らしい道をぐるぐると走っている様子が感じられる。ふと、遠くに夜の闇に光り輝いている建物が見える。ペトロナス・ツインタワー・・・わ~!!!!きれい~!!!!ガラス細工のような、クリスタルのような透明な輝きが放たれていた。なんて綺麗なの!!!!!車はツインタワーに近づいていく。 車の中から一生懸命シャッターを切っていたら、ツインタワー前の公園のそばで車を止めてくれる。車から降りてカメラを構える。今度は近すぎて全体が入らない・・・残念! でも、ツインタワーの美しさにしばしぼ~っと見とれ、ここマレーシアまでやって来れた幸運をかみしめた。幸せ!つづく
2008.01.27
コメント(8)
KLCCを後にして、市内を案内してもらう。 にぎやかな市場を通り抜けて、ムルデカ・スクエア(独立広場)の方へ向かう。いたるところに、マレーシア独立50周年の垂れ幕がかかっている。私の生まれた年に独立したのね、と覚えやすい。(^^) ムルデカ・スクエアの広い芝生広場に入ると、バルキスちゃんははじけた!駆け回って、はしゃぎまわってパワー全開!やっぱり子供はこうでなくちゃ。広場の一角に特設ステージが設けられ、カウントダウンのリハーサルを行っていた。多民族国家のマレーシアらしく、マレー系の踊り、中国系の踊り、インド系の踊りが次々に繰り広げられていた。歌や踊りが好きならしいバルキスちゃんは、音楽に合わせて一緒に踊っている。なかなかリズム感がいい。将来の踊り子?道路を隔てて旧連邦事務局ビルが見える。1894年にイギリス人建築の設計によって立てられた建物で、現在は最高裁判所として使われているらしい。夕方からライトアップされるので、とても美しい。時計を見るともう午後7時になろうとしている。え~?7時なのに暗くない!まるで日本での夏至の頃のよう・・・暑い国だから?時差は1時間だけど緯度が違うから? 不思議!こうしてたそがれ時の穏やかな散策は続いたのでした。(まだ、家に帰らないのかな?)つづく
2008.01.26
コメント(2)
KLCCの中に入って驚いた。外にはあまり人が見えなかったのに、中に入ると、たくさんの人でごった返している。外は暑いので、涼を求めて建物の中に人が集まってくるようだ。(当たり前?!)3時半ごろ、食堂エリアで、遅めの昼食をいただく。中華料理や回転寿司もあったけど、せっかくマレーシアに来たのだからと、マレーシア料理を注文する。左は私が注文したフライライス。チャーハンみたいなものだけど、スパイシーな味がマレーシアっぽかった。右はマスオ君が注文したあんかけ風ご飯。酢豚っぽい味だと言っていた。初めてのマレーシア料理はおいしく、思っていた以上に満腹。ヒザン君ファミリー。バルキスちゃんに笑顔が見られるようになった。笑うとかわいいバスキスちゃんです。ファラさんの注文したものも、おいしそうだった・・・(人のものはおいしそう)食事の後は、KLCCの中を見て廻る。たくさんの店がにぎわっている。日本であれば、クリスマスが終わればすぐにクリスマスツリーはなくなって、お正月の飾り付けに変わるところだが、ここはまだ大きなツリーが存在感を示していた。あんまり、こだわらないのかな。つづく
2008.01.24
コメント(0)
ヒザンく~ん、久しぶり!!!!5年ぶりの再会だった。ちょっとふっくら丸みが出て落ち着きが見えたけど、優しい笑顔は以前のまま。少しも変わらなかった。学生結婚した奥さんのファラさんも、人懐っこい笑顔で「こんにちは~」と微笑んでくれる。日本で生まれ1歳過ぎまで富山で過ごした長女バルキスちゃんはもう6歳。女の子らしいかわいらしい姿に思わず「大きくなったね~!!!」と声をかけ頭をなでるが、彼女は緊張して口を閉ざしたまま。急にどこかよその国の知らない叔母ちゃんが大きな声を出して迫ってくるのでびっくりしたかな・・・ごめん。そして、次女のバドリーナちゃん。もうすぐ2歳になるという。ヒザン君も、本当にもうすっかりいいお父さん(感慨深い・・・)空港の外に出るとそこは、暑い夏の日差しだった。「まずは、クアラルンプールに案内しましょう」とヒザン君。早速ドライブ開始。一般道も、高速道路も変わらないくらいの立派な道路は、片側3車線。そこを時速100キロのスピードでビュンビュン飛ばす。周りを見渡すと、緑、緑、緑、の広がるのどかな景色・・・「わ~、すご~い、緑がいっぱい!!!!」と感激してシャッターを切ると、ファラさんは、「そんなの珍しくないよ」と言って笑う。(その意味は、この後のドライブでよくわかった。どこへ行っても植林されたパーム林が続いていたから)1時間20分のドライブでKLCCに到着。聳え立つペトロナス・ツイン・タワーがとても美しい。つづく
2008.01.21
コメント(2)
午前9時15分(日本時間11時15分)離陸。10時ごろ機内食サービスがある。タイ国際航空の食事はおいしかった。でも何よりも、フォーク・スプーンセットが本物だったので感激。マレーシア時間12時(日本時間13時)着陸。1時間45分のフライトだった。富山駅を28日の午前8時55分に発って、28時間かかってやっとマレーシアに着いた。遠かった、というより、長かった~!!!!2002年にアメリカへ行ったときも、ノースカロライナ州のダーラム市に行くのに24時間かかって、はるばる来たと感慨深かったが、今回は空港での待ち時間が長くて、遠かった。ほんとに行けるんだろうかと不安にもなったけど、ちゃんと着いたと嬉しさがこみ上げてくる。わ~~~い!ようやくヒザン君に会えると思い、はやる思いで入国審査を受け(タイと違ってすんなりパス)出口に向かった。イメージは、出口のところで待っていてくれ手を振り合って対面し、再会を喜び合うというもの・・・でも、そうは問屋がおろさない。あちこち見ても、ヒザン君らしい人は見えない。出口を通り抜けて、さて、どうしよう。5分ほどその場に立って待ってみるが、どっちを見てもそれらしい人は見えない。電話してみようと携帯電話を取り出すが、タイでは立ったアンテナがマレーシアでは立たない。え~???だめなの?国際ローミング設定なるものをあれこれと設定しなおしてみるが、どうやってみても電波は圏外を示すばかり。ドコモの説明書ではマレーシアは大丈夫だと書いてあったのに・・・大きなトランクを抱えてマスオ君と二人、途方にくれながらも待つしかない。ちょっとトイレ。わ、おもしろ~、四角い便器・・・とパチリ。横にあるホース、ナンだろ?掃除用かな・・・とこのときはさほど気に留めなかったのですが、行く先々で出会い、ついにはお世話になってみました。(悲惨な結果が・・・)トイレから戻ってくると向こうから懐かしい顔が・・・ヒザンく~ん!!!!!!ファラさんも、二人の子供たちも一緒!久しぶり!!!とようやく、懐かしの対面を果たしたのでした。(よかった~)
2008.01.20
コメント(2)
小一時間ほどぐっすり眠って少しすっきり。目が覚めて、マスオ君と交替。深夜というのに人の往来は途切れず、行きかう人を眺めながら、時間をつぶす。ふと、ひらめいた!チェックイン手続きした後ですぐにトランジッドホテルに駆け込めば、1時間半くらいは休めるんじゃない? だって、お金は払ってるんだもの!急に明るい気分になった。早く手続き始まらないかな、と何度も掲示板を眺めてカウンターが開くのを待つ。午前5時45分(日本時間7時45分)、TG415便のチェックイン開始。出国審査に時間がかかり、出国ゲートに入れたのは6時半ごろ。すぐにトランジッドホテルに向かうが、空港は広くて探すのも大変。スタッフの人に聞きながら、コンコースGのずっと奥にホテルを見つけた。ホテルバウチャーを見せると、「OK」とわかってくれてホッと安堵。部屋は小さいが新しいので綺麗だった。ダブルベッドが一つ置いてある。シャワールームもあり、約1日ぶりに顔を洗い、歯を磨く。化粧もし直し、着替えもしてさっぱりしたところで、ほんのわずかでも眠ろうとベッドへ。30分は瞬く間だった。8時過ぎ、ホテルをチェックアウト。利用できてよかった!写真中央の通路の奥にホテルがあります。手前の案内板はホテルへのもの。ホテル代は割高らしいですが、ちょっと利用するには便利だと思います。さあ、いよいよマレーシア! 足取り軽く機上の人になったのでした。(つづく)
2008.01.16
コメント(2)
4階に上がるとそこは出発フロアだった。案内図を見て、トランジッドホテルの場所を探す。「あった、あった、ここだよ!」とホテルを見つけて、そこへの行き方を辿ると・・・「え~?チェックインして出国審査を受けた後でないと行けないよ!」と思ってあらためてカウンターを見たら、真夜中なのでどのカウンターも人がいない。closedの看板が上がっている。え~、そんな~!!!!だから、警備員の人も、インフォメーションのお姉さんもダメダメと手を振ってたのね。クレジッドカードでもう支払い済みなのにどうしよう・・・辺りにいた空港のスタッフの人にホテルのバウチャーを見せながら、中に入れないの?と泣きつくと同じ階にあるインフォメーションに行けと教えてくれる。わずかな希望を抱いてカウンターに行き、また同じ説明を繰り返す。今度のインフォメーションセンターのお姉さんは優しい人で、私たちが困っていることをよくわかってくれ、ホテルに電話をかけてくれたが、チェックインしなければ行けないことに変わりなく、残念そうにダメなことを伝えてくれる。もう仕方ないので、じゃ、キャンセルして欲しいと伝えると、キャンセルしてもお金は戻らないとのこと・・・え~そんな。悲しい~(どこまでもついてない私たち)後で考えると、旅行社に問い合わせたとき、「トランジッドで待合ができる場所」と書いたのが悪かった。トランジッドっていう意味は、入国しなくても乗り換えて第3国に行けるときに使う言葉だったんだとそのとき知った。知ったかぶりで使うから招いた自業自得の間違い。ま、自分で招いたことだもん、仕方ないか。仕方ない。ベンチで一夜を明かそう・・・周りを見ると結構空港で時間をつぶしている旅行客は多い。赤ちゃんを抱っこした人もいるし、若い女の子もいる。人の往来が多いから寂しさや不安は感じない。マスオ君と交替で仮眠を取ることにし、ベンチに身体を横たえた。スワンナプーム空港のベンチってプラスチック製ですわり心地はあまりよくない。横になっても冷たさが伝わり居心地は悪いのだが、成田を出て以来ほとんど眠れなかったので、目を閉じるとすぐに深い眠りに落ちた。本当にマレーシアに行けるのかな。ついてないことばっかりで、なんだか心細くなってくる・・・そう思いながら。つづく
2008.01.15
コメント(2)
今日の夜8時(今となっては昨夜かしら?)の日テレの番組「世界の果てまでイッテQ」を見ていたら、ベッキーさんがタイ、カンボジア、ベトナム3カ国に行ってきたというレポートが入りました。もしかして、これ、この時じゃない?私たちがベッキーに会ったの!!!それからしばらくテレビに釘付け。あ、象がでた! ここ、ここよ! ここで最初にベッキーを見たの!この後ろの方でベッキーを見てたのよ!と興奮状態で説明する私。映像はその後アユタヤ遺跡の有名なワット・プラ・マハタートに・・・ここだよ!2度目に会ったところ!私たちのすぐ後に来て、この前でポーズとってたの。私たちこっちの方から見てたんだよね。有名な木の根っこにある仏像の頭の前でポーズをとるベッキーを私はカメラに収めたのでした。瞬間に写したものだったけど、結構綺麗に撮れました。今日遊びに来ていた甥っ子が、「おばちゃん、一生の宝物になるね」ですって。ハハハいい思い出になりました!テレビでは、3泊4日で3カ国を廻る旅といってました。大変ですね~ベッキーさん、お疲れさま!!!!
2008.01.13
コメント(3)
ユナイテッドの特典旅行でタイ往復チケットを去年2月に予約発券。その後6月に、タイーマレーシア間をタイ国際航空で予約した。予約に使ったのは日通ペリカントラベルネットバンコク支社。飛行機の検索と支払いシステムが使いやすかったから。タイに着くのが午後11時55分。マレーシアに向かう便が出発するのが朝8時45分。その間、空港でどうしよう。どこかで休めるところはないかと上記の旅行社に尋ねてみた。「空港内でトランジッドの待合ができる場所があれば教えていただきたいのですが・・・」と。そして紹介してもらったのが、空港内にあるトランジッドホテルのルイス ターバン デイルーム。直に行っても大丈夫らしいが、手配しておくことにこしたことはないと予約を入れ、ホテルバウチャーを印刷して持参した。タイの空港に着いたのは午前1時。入国審査を受け荷物をとって、さあ、ホテルはどこ?と探すことに。でもなんっても、空港は広い。スワンナプーム空港の大きさは早足で一生懸命歩いてもどこがどこやら・・・巡回中の警備員を見つけて、空港内のトランジッドホテルはどこですか?と聞いてみる。でも彼は、ダメダメと手を振る。(ん?知らないのかしら)なおも、ホテルへの行き方を教えてくださいと聞くが、首を振るばかり。そして、階下にあるインフォメーションを指差して、あそこへ行けと教えてくれる。なんだ、彼は警備員なだけで、空港のことは詳しくないのね、と勝手に解釈して、インフォメーションに向かった。インフォメーションのお姉さんにホテルの場所を尋ねる。でも警備員と同じように首を振ってダメというような表情。え~?私、ちゃんとホテルバウチャー持ってるんです。空港内にちゃんとホテルがあるんです。これです!とバウチャーを取り出してお姉さんに見せる。なのにやはり首を振って行けないと言う。どうして?どうして?私たちはここへ行きたいんです!と下手な英単語の一点張りで引き下がらない私(引き下がれないわ)に、彼女はエレベーターに乗って4階へ行けとようやく返事してくれた。やっとわかってくれたのね。と目の前にあるエレベーターに乗って4階に向かう。そこは、チェックインカウンターが並ぶ出発フロアだった。(つづく)
2008.01.12
コメント(2)
12月28日(金) 出発最初からマレーシアに行くつもりでなく、ユナイテッドの特典旅行でタイ往復を予約したのが去年の2月。それから6月になって、マレーシアにも行くことに決めた。直行便でないから、時間がかかると思ってたけど、実際すごい時間がかかった。だいたい成田に出るにも時間がかかる。季節柄、万が一雪がドカンと降って列車が遅れては大変と早めの時間の予約を勧められ、2本も早い電車のチケットを用意した。飛行機は夕方6時45分に発つ予定なのに、朝8時55分発の特急はくたかで富山を出る。越後湯沢でとき320号に乗り換え12時過ぎ上野着。上野で1時間の昼食タイム。それでも2時半ごろには成田に着いた。天気がよくて、展望デッキから飛行機を眺めてのんびり過ごすも、暇、暇、暇。6時15分ごろようやく搭乗手続きが始まり、ようやく旅立つのね・・・と嬉しく、家に最後の電話を入れた。「今から飛行機に乗るからね。じゃ、またね~。行って来ま~す!」ところがすぐその後に、遅延の表示が・・・え?どうしたん?「ただ今より機体調整のため、出発は2時間延期になりました」とのアナウンス。やれやれ、こんなに待ったのに更に2時間待つのか・・・安全のためなら仕方ないよね、と空港内をぶらぶら散歩。戻ってきてみたら、リフトが伸びて作業員が飛行機の屋根の上で作業していた。無事、飛行機が飛びますように・・・予定より遅れて9時過ぎ成田を離陸。この頃より天気が悪く、機体は揺れる。シートベルトの着用表示が消えず、乗務員の人も座ったまま。機内食が配られたのはずっと後になってからだった。出発は2時間遅れ、時折がたがた揺れながらも順調に飛び続け、到着は予定より1時間の遅れですんだよう・・・(スピード出して飛んだのね)タイのスワンナプーム国際空港に午前1時着(タイ時間です) ほっだけど、やっとタイに着いたと思ったのに、またまた一波乱が・・・(つづく)
2008.01.12
コメント(0)
全46件 (46件中 1-46件目)
1