がんサバイバー 0
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いよいよ明日、タイ・マレーシアに向けての出発となりました。一時は無理かとあきらめかかっていた旅行ですが、今こうしていけるようになり、本当に嬉しいです。なかなか両親に言い出せなかった旅行のことをようやく言えたのが、11月15日の朝。そしてその日中、父は月に一度の病院で、入院しての精密検査を言い渡されました。翌日の朝、「実は1週間検査入院することになって・・・」と聞いたその日から、もしやという一抹の不安を抱え、それが現実のものとなり、家族にとっては思ってもみなかった病気の現実と向き合うことになりました。旅行に行くということに限って言えば、11月15日の朝に勇気を出して言えたのが、今から思うとぎりぎり最後のベストタイミングでした。もし、ぐずぐずしてもう一日言うのが遅かったら、先に父の検査入院のことを聞くことになり、旅行のことは言い出せなかったことでしょう。言い出すタイミングを失って、うじうじしながらキャンセルする羽目になったでしょう。たった一日の差で大きく変わっていたと思います。「本当にやりたいことがあったら、目の前にあるやりたいことを一つ一つ真剣に熟慮して行ってください。行動してください」と、ガイド(ハイヤーセルフ)からのメッセージを裏付けるように、私は現実の世界で守られサポートされていることを感じます。本当に感謝です。楽しんできます!訪問してくださった皆様、どうぞよいお年をお迎えください。来年もすばらしい年になりますように・・・ありがとうございました!
2007.12.27
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今日の午前、携帯電話がなりました。誰?と出てみると、たどたどしい日本語で、「さざえちゃんですか? 私はヒザンの妹です」「え?ヒザン君の妹さん? ハイ、私、さざえちゃんです」「ヒザンは、29日にairportに迎えに行きますから」「じゃ、メール見てくれたのね」「はい、見ました」そうでしょう。でなければ携帯に電話がかかるわけないもの・・・よかった~!!!「ありがとう! あなたは、どちらからかけてるの?」「名古屋です」「名古屋? じゃ、留学してるの?」「はい」「そう、偉いわね~。また、こちらにも遊びに来てね。本当にありがとう」ホッと安堵した!帰宅してメールを見ると、返事が届いていた。マレーシアは、19日から25日までChristmas and Hari Raya holidayで休みらしく、20日に送った私のメールは見ていなかったらしい。今日もまだ祝日だと書いてあった。ともかく、連絡がついてよかった!これで、路頭に迷うことなく、安心してマレーシアに旅立てる・・・嬉しいです!あと3日・・・
2007.12.25
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旅行にGoサインが出て、喜んだのが20日の朝。その日の夜、マレーシアのヒザン君にメールを出した。旅行に行けるかどうかわからなくなったと、父の病気のことを知らせたのが11月の末のこと。その後、彼からも、父の容態を心配してくれるメールが来たが、検査結果がはっきり出るまで旅行についてはどうなるかわからないので、しばらく待って欲しいと12月4日に返事を送って以来、連絡していなかった。父の病気のことはともかく、旅行には行けるようになったので、そのことを早く知らせたいとメールを送ったが、その返事がいままだ来ない。彼のメールアドレスは、会社(マレーシアのSony)のもの。家ではインターネットができないと言っていたし、今新しい家に引っ越すところで電話もまだ通じないと言っていて、連絡手段は、会社のメールアドレスのみ。多分、土日は休みだと思うから、金曜日には見てもらえるようにと20日の木曜日の夜遅くに送ったのだが、見ていない可能性もある。今日は月曜日だから、仕事では・・・と思うのに、今もって返事がない。心配になって、昨日も今日もメールを送ったのだけど・・・出発は金曜日。もうあとわずかです。うれしいのに、連絡がつかないので、なんだか不安・・・運に強い私だから、きっと大丈夫だと信じてるけど、はっきりするまでは落ち着きません。おみやげも、たくさん買ったのにな・・・何より、マレーシアについてから路頭に迷ってしまう・・・どうか、無事連絡がつきますように!!!!!神様~お願いします!
2007.12.24
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娘のアサリもおじいちゃんのことが気になるのか、わざわざ金沢から帰ってきてくれた。「後一年でしょうだって」と言うと、アサリも絶句・・・病名を告げると、ネットであれこれ調べてくれる。お医者様の話の中で、この種類のリンパ腫は、悪性度が低くて進行が緩やかなのがせめてもだと言われたが、低悪性度リンパ腫についての説明の中に次のようなことが書かれていた。このタイプのリンパ腫は、進行期においても一般に症状に乏しく、病気の進行も遅いため、低悪性度リンパ腫と呼ばれています。抗がん剤の併用療法によって大半の患者さんに病変の縮小効果が認められ、ほとんど消失した状態(寛解)になりますが、最終的にはなかなか治りにくいリンパ腫です。これは、進行の速い中悪性度以上のリンパ腫に比べると、抗がん剤がむしろ効きにくいためであると考えられています。3、4期の低悪性度リンパ腫の平均生存期間は10年前後ですが、これまでの研究結果によると、 化学療法による明らかな生存期間の延長効果は確認されていません。そのため、症状のない場合は、診断がついてもすぐに治療を始めずに経過観察をすることもあります。えー?10年???急に目の前が明るくなったような希望が見えた。母にすぐ、その文章を読んで聞かせると、母もまた涙。「ありがとう。嬉しいわ・・・。お父さんもきっと喜ぶわ」とうれし泣き。アサリが調べてくれたと知って、家族みんなが心配してくれて本当に嬉しい、幸せだとまた涙ぐむのだった。父の元に行き、その説明文を読んであげる。「ね、だから元気出してね。病気と寿命は違うんだから、大丈夫だからね・・・」と言うと、「ありがとう。大丈夫だよ。ここまで、元気に長生きさせてもらって、それだけで十分ありがたいと思ってるから、なーん心配しとらんよ」と穏やかに話す父に、改めて父の人間的な強さを感じ、尊敬の思いがわく。これまでのん気で何事も深く考えない単純な父だと思っていたが、父の素晴らしさを確認することができ、心から尊敬できることに嬉しく感謝した。きっと大丈夫。みんなで仲良く、楽しく過ごしていける・・・そして今朝・・・出勤しようと準備している私に母は言った。「今まであえて口にしなかったけど・・・正月の旅行、行っておいで・・・」と。ありがとう。ありがとう。ありがとう。すべてのことに感謝です。
2007.12.20
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昨日19日は、父の検査結果を聞きに行く日だった。12時過ぎに職場を出たときは、どんな宣告を言い渡されるのかと、みぞおちの辺りが苦しく、運転しながら涙まで込み上げてくる。深呼吸をして気持ちを落ち着かせた。午後1時。時間通りに診察室に招かれる。「あー、やっぱりこれは血液のガンでしたね。」いともあっさりと告知された。あまりにあっさりと打ち明けられて、どんな反応していいかわからないくらい・・・疑いのとおり、悪性リンパ腫で、詳しくは非ホジキンリンパ腫とのこと。お医者様は「この前治療はしないということでしたが、本当にされませんか?」と聞かれる。父が「はい、治療は受けません」と答えた後で、私が「高齢ですので、治療によってかえって体力がなくなり辛い思いをするくらいなら、今のままで家族と共に楽しく暮らしたいというふうに話し合って決めました。もしこの後具合が悪くなったときは、今までかかっていたお医者さまに、対処療法として手当てしてもらえればと思っています。」と付け加えると、「そうですか・・・」と、そういう考え方もあるのかと私たちの思いを理解してくださった様子が感じられた。それでも付け加えて、抗がん剤治療はともかくリツキサンという治療は、ほとんど副作用もなく効果的だから、それだけでも受けたらどうかと勧めてくださったのだが、それもいいと断ると、「そうですか・・・」と医者としてそれ以上何もできないことがもどかしいような、残念なようなお医者様・・・そして、先にかかっていた病院の主治医のK先生に電話をかけ、「こちらでは治療を希望しないと言われるので、今後のことはそちらでよろしくお願いします」と頼んでくださった。もし万が一この後、気が変わって、リツキサン治療を受けてみようと思ったときは、すぐこちらに戻してくださいと付け加えて・・・そして、この日の面談の記録を「病状・治療方針等説明書」として書いてくださる。 「本人、奥さん、娘さんに病状説明 1) リンパ節生検の結果、悪性リンパ腫、詳しくは非ホジキンリンパ腫(ろ胞性リンパ腫)と診断された。 2) 通常は、診断がついたら次は、CT、胃カメラ、骨髄穿刺などの検査をして病気の広がりを 調べる。そして治療法について話し合う。 3) 本人と家族からリツキサンを含めて治療はしないという希望を述べられたので、このあと の検査や、治療をしないことにした。 4) 今後の対症療法については、K病院のK先生に依頼する。もしも気が変わってリツキサン治療だけでも受ける気になったらまた当院に戻ってもらう。 (後略)」お医者様なりの患者に対する精一杯の誠意が伝わってきた。しかし、最後に言われたことば・・・「まあ、後一年ぐらいでしょう」さりげなく、でもあまりにも残酷な響きで胸に突き刺さる。後一年????診察室を出ると、父は「やっぱりそうだったか・・・」とポツリ。こんなに毎日元気に過ごしているのに病気であるはずがないと半ば信じていなかった父・・・どんな心情かと思うと本当にいとおしくて、辛かった。家に戻って一息ついていると、やはり胸が一杯になって涙が込み上げる。母ももちろん涙ぐんでいる。「ありがとう、お父さん。本当に今までありがとう・・・」と出てくるのは感謝の思いのみ・・・泣きながらそう言うと、父も涙声で「こちらこそ、本当にありがとう」と言ってくれるのだった。
2007.12.20
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おとといの4日(火)、父は紹介してもらった大きな病院を受診しました。どういうふうに言われるかわからないが、こちらの思いとしては治療は行わずこのまま今までどおりの生活を送りたいことを伝えると言って出かけました。そしてそのように話したとき、担当のお医者様は、「何も治療しなかったら、これからどんどん悪くなって死ぬようなときになってから病院に行ったって、どこも受け入れてくれませんよ」とおっしゃったとか。その言い方がとても冷たくて、思わずかっとしたけど、家のすぐ近くにずっとお世話になっている病院があるので、何かあればそこで手当てを受けるつもりだと話したそう・・・患者である父の前で、いきなり「死ぬようなとき」なんてひどいことを言わなくてもいいのに、本当に腹が立ったけど「我慢したわ」とおかあさん。最初の病院での検査結果を持参し見てもらったらしいが、こちらの病院にもカルテを残したいからと、また同じような検査を受けたらしい。血液6本採取した結果は異常なし。CTスキャンでは、やはりあちこちリンパに腫れが見られたらしい。足のそけい部のリンパから組織をとっての生体検査を翌日の昨日(5日)に行い、その結果が出るのが2週間後。その結果によって、更なる検査が必要になるらしいが、それ以上の検査は望まないことを話したら、やはり不服そうな反応だったとか。何度も、それ以上は望まないんですね、と確認されたそうな。2週間後には、父母の他、私にも一緒に結果を聞きに来るように言われたらしい。「え~、私も聞くの?」それを聞いた途端、ドキドキドキ・・・宣告を受けるのに、耐えられるだろうか・・・その日、父の前ではなんとか平静を保っている母だが、私と二人になると、「お父さんがかわいそう・・・」と涙、涙、涙・・・死ぬと決まったわけでないのに、「お父さんには、悔いのないように精一杯尽くしてあげたい・・・」と泣いている母。そして、私がいてくれて本当によかった、話を聞いてくれるものが側にいるだけで心強いと、家族がいればこそ何とか耐えられる、娘をもって本当によかったと私に感謝してくれる。そんな母の言葉に、私も、涙・・・「私こそ、ありがとう。いつも、心から愛してくれて、可愛がってくれて、ずっとずっとありがとう・・・お父さんとお母さんには心から感謝しています。本当にありがとう・・・」と涙が込み上げた。父の病気のことは、もちろん心配。そして、父を思う母のことを思うと、それも気がかり・・・こんなときに、旅行なんてとても行けないと、この状況ではもう無理と思っている。だけど、それなのにキャンセルができないのです。2月から決めていた旅行。6月にはマレーシアにも行くことに決め、飛行機の予約をした。そんなに早くから決めていたのに、旅行のことをいつ言い出そうか、なかなか言えなくてやっと言えたのが3週間前。そのすぐ後に発覚した父の病気の疑い。1週間入院して検査するとわかった頃には予約した飛行機の発券のタイムリミットが迫っていた。初めの頃の検査では異常はなく、病院で元気に過ごしている父は、旅行に行っておいでと言ってくれた。「じゃ、行かせてもらうね」とその後すぐ発券手続きをし、ホテル、現地ツアーの予約を次々入れ、クレジット決済もした。JRの切符も予約した。すべての手配が完了したとき、悪性リンパ腫の疑いという結果が出た。それからは、葛藤の毎日です。旅行どころじゃない、家族にとっての一大事なのにのん気に旅行に行ってる場合じゃない。だけど、父は様態が悪いわけじゃなく、日常生活は今までと変わりなく普通なのだ。もし、本当に悪性リンパ腫で、いずれ何らかの症状が出てくるかもしれないが、それがいつかはわからない。ずっと今のまま元気に過ごせるかもしれないのだ。もしかしたら、父も母も元気なうちに行けるとするなら、今が最後のチャンスかもしれない・・・もし今後様態が悪くなっていったら、来年以降はますます行けないだろうし、いつか母が独りになってしまったら、一人残しては行けないし、そう思うとやはりこれが最後かななんて思ってしまう。でも、母の心細さを思ったり、家族みんなが元気にそろっている時間がだんだん少なくなるのだとしたら、その時間も大切にしたい・・・そんな思いの堂々巡りで、私は迷っているのです。ほとんど答えは出ているが・・・多分キャンセルするでしょう。でも、実行に移すにはまだ踏ん切りがつかない。まだまだ悪足掻きが必要なようです。こんなことで葛藤する自分が薄情者に思えます。
2007.12.06
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「検査の結果が出たので、明日来てください」と病院から電話があったのは昨日。2時にということで、それから母はどきどき・・・「家族も一緒に来てほしいと言われなかったということは、そんなに心配せんでもいいんかね」と言いながらも、なんと言われるのか宣告前の気分って嫌なもの・・・私も、ドキドキ結果を案じながら職場に向かう。夕方電話をすると、「家に帰ったら話すから・・・」と母。「そんな、家に帰ってからなんて、どういうこと?悪かったの?」としつこく尋ねると、悪性リンパ腫の疑いがあるから、大学病院か県立病院の血液内科に行くように言われ、紹介状を書いてもらって、来週受診する予約をしたとのこと。悪性・・・と聞いただけでガーンとショック。リンパ腫って何?と調べると、血液の癌らしい?治療は化学療法の抗がん剤治療と言うことが書いてあった。え~!!!そんな・・・でも、家に帰ると、いつもと変わらず普段どおりのおとうさん。ショックで青い顔をしているのは母だけで、父はおやつを食べたり好きな本を読んだり、全然心配している気配もない。看護師をしている妹にも連絡し話し合ったところでは、高齢なのに化学療法なんて身体への負担が大きすぎる、今は元気に過ごしている毎日だからこのままの生活を続けて対処療法的に手当てした方がいい、という私たち娘の一致した意見だった。それを父や母に伝えると、父はもちろんそうすると頷いていた。「紹介状もらったから一応行ってくるけど、入院も治療もするつもりはない。今までどおりの生活をするつもりだよ」とおとうさん。「悪いこと考えたら、ますます悪くなるから、なーん考えんよ」とのん気に笑って話していたが、ことの重大さに気づいていないか、はたまた度量が大きいか、本人が余り気にしていないので家族としてはありがたいことです。
2007.11.28
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今日は23日の振り替え休日。年末に大掃除ができないので今から少しでもと居間の窓ガラス拭きにいそいそ取り組みました。でも、窓は2重サッシになっているので倍拭かなくてはならないためすぐにアヘアへ・・・3箇所あるところを2箇所で嫌になりました。嫌になると、すぐパソコンの前に座ってしまう私。昨日、ホテルを予約しました。タイーマレーシア間の航空券を日通ペリカントラベルネットで予約発券したので、その流れでホテルを探し、四つ星のバイヨークスカイホテルに決めました。88階建てのとてもノッポなホテル。思ったほど料金が高くなかったので、つい気が大きくなってスカイゾーン55階~のジュニアスイートを予約。ツインルーム3泊で約37,000円。朝食付きでこの値段なら絶対高くないと思います。だって、夏の会津~仙台の方がもっとシンプルな部屋でもっと高かったもの。高~いところから眺める景色って素敵だろうな、夜景が綺麗だろうな、ってとても楽しみです。ついでに現地ツアーも、ペリカントラベルで探してみました。これまでパンダバスやAlan1ネットを調べたりしてきましたが、ペリカンとラベルの違う点は、贅沢だけどプライベートツアーが主になっているところです。ちょっと割高だけど、これだと無駄な時間がないかも・・・ちょっとくらい高くついたっていいじゃない~(いつもの行け行けGo!が出てくる)初めての、訳のわからない場所でうろうろするくらいなら、ガイドさんと仲良しになって旅を満喫する方がいい。その方がずっと楽しそう。そう思って、次々コースを予約。1月1日 夕食はタイ古典舞踊を見ながらタイ料理。1月2日 午前 市内観光(王宮、暁の寺、涅槃寺) 〃 午後 バンパイン離宮、アユタヤ遺跡ライトアップ 夕食つき1月3日 ダムナンサドアック水上市場とローズガーデン空港からホテルへの送迎も申し込みました。ツアー・送迎代金は合計540ドル。マレーシアではヒザン君のところに3泊お世話になりますが、タイでは全然違った旅行形態になります。どちらも楽しみです。ワクワクしてきます!絶対、行くわ~!!!!
2007.11.26
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父は検査入院4日目です。1日目心電図と血液検査。これは異常なし。2日目、造影剤の投与(注射です)2日後に写真撮影だそうです(今日終わりました)3日目、CTスキャン、異常なし。 エコー・・・リンパ腺があちこち腫れているとのこと。4日目(今日)、写真撮影。昨日、足の付け根の腫れている部分(リンパ腺)の成分を採取されて病理検査に回されたそうですが、異常はなかったそうです。それで、今日お医者様と看護婦さんたちが原因不明の腫れということで珍しい症状なのか、大勢見にいらしたとのことです。明日一旦家に戻り、来週胃の透視、大腸の透視と検査は続きます。初めての入院で、ちょっとわくわくしながら持ち物を準備していた父でしたが、ベッドでの生活は退屈で、病院の中を歩いてみても10分で部屋に戻ってくるから面白くないと、もう飽き飽きしているようです。元気であればこそです。父に、「旅行どうしようかと迷ってるんだけど・・・何もなければいいけど、もし何かあったらどうしようかと思って・・・」と話すと、「行ってくればいいよ。大丈夫だから」と言ってくれました。 「そう?ほんとにいい?」 「いいよ。心配せんと行っておいで」とおとうさん。旅行のことを打ち明けた日の夜(15日)、メールボックスを見ると、マレーシアのヒザン君からメールが届いていました。空港まで迎えに行くこと、もうすぐ新しい家に引っ越すことが書いてありました。6月にマレーシアへ行くからとメールして以来連絡していなかったので、そろそろメールしようと思っていた矢先、ようやく両親に打ち明けられたその日に向こうからメールが来たのです。(旅行のこと覚えていてくれてたんだと嬉しかったです)新しい家に引っ越すなんて、もしかして私たちがマレーシアに行くと言ったから、それで引越しを考えたのかしら・・・マレーシアにいる間ずっと家に泊まっていいと言ってくれて、彼なりの計画を知らせてくれるのを見たら、どうしても会いたい気持ちが高まってきます。父が、行って来ていいよと言ってくれて、嬉しく思います。タイーマレーシア間の航空券の発券期限が迫ってきているのです。JRの切符も買わなきゃならないし、タイのホテルも予約したいし、しなければならないことはまだまだいろいろあります。それば楽しみでもあるのですが、ほんとにこのまま準備を進めてもいいのかなと躊躇する思いもあります。悩むところです。何も異常がありませんように・・・!
2007.11.22
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昨日15日の朝の出勤前。珍しく父も母も食卓に出てきていてちょうど3人でおりました。(いつもは私たちが出勤したあと食事するのです。母はこの日出かける予定があって、朝の散歩はお休みのようでした)(ん・・・・今がチャンス! 言うぞ~!!!! それっ・・・)「あの、私たちね、今度の年末年始、タイとマレーシアに旅行に行きたいと思いますので、お願いします!」 (わ、言えた・・・・・^^!)「なに? え? どこ行く? 旅行か? ほー」とビックリのおとうさん。「お父さんもお母さんも今元気なうちに行かせてもらおうと思って。どっちか倒れたらもう行けないからね。私たちも、休みなかなか取れないし、年末年始が一番行きやすいから・・・」おとうさんは、「そうか。ふーん」とにこにこと聞いてくれて感触はグー(Good!)だけど、おかあさんの方は見る見るうちに顔がこわばって・・・「次々旅行ばっかり行って。退職してからの楽しみがなくなってしまわんけ!私らの元気なうちに行かんかって、私ら死んでからいくらでも行けるやろ?」とおかんむり。「そんな、勝手に死なんとってよ~。それに退職してからなんて年いってしまうもん、少しでも若いときに行きたいの!」「今アサリに歯の矯正にお金がいるやろ?それにもう一年授業料だって払わんならんやろ?だわだわ使って、お金大丈夫なんけ。老後にだってどれだけお金がいるかわからんのに・・・」と次々心配な思いをぶつぶつぶつ・・・「大丈夫。飛行機代は往復二人分タダだし、マレーシアではヒザン君のところにとめてもらうし、そんなにかからないから」と応戦一方の私。 (冷や汗がたら~)「とにかく、お願いします!!!!!」と下手下手に頭を下げて家を出たのでした。一日、気が重かったこと。とうとう打ち明けたという点では、すごい前進でしたが、あの母の反応を見るとしばらく機嫌が悪そうと・・・ため息吐息でした。 ***********************************そして今朝、父から思いがけない話が・・・「昨夜、話せなかったけど、来週1週間、検査入院することになって・・・」「えーーーー? 検査入院???」「どこも具合は悪くないと思ってるんだけど、足の付け根が膨らんできているのが原因がわからんて医者が言うから、精密検査することになって・・・」えーそんな、お父さん大丈夫・・・?80歳の父の顔を見ていると、これが悪いものでないようにと祈らずにはいられません。来週月曜日に近くの病院に入院します。どうか、なんともありませんように!(旅行に行けるかどうか云々の話ではなく、やっぱり年ですから心配です。いつかは必ずお別れしなければならない日が来ると思っても、そんな日は、やっぱり遠い先であって欲しい。いつまでも元気でいて欲しいと願います)
2007.11.16
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年末年始のタイ・マレーシア旅行が近づいてきています。もうすぐだとわくわくするところなのですが、実は私の心は毎日重苦しい・・・両親に、旅行に行くって言い出せないのです。2月にユナイテッドでタイ行きを予約発券し、4月にはマレーシアにも行くことにしてタイ航空でチケットを予約して、あとは発券するのみ。ホテルの手配はこれからというところ・・・旅行のことを言うにはまだまだ日があると思っていたのに、もう11月になりあと1ヵ月半になってしまいました。いくらなんでも、もう言わなくちゃ、と思って決心してからの長い日々・・・とうに2週間以上過ぎてしまいました。こんなストレスはもう嫌だと、今日こそ言うぞ、と固く心に決めて家に帰ってくるのですが、いざ「ただいま~」と家に入ると、夕ご飯のときにそんな話しなくても・・・後で部屋に言いに行こう・・・と思いつつ、やっぱり足が向かないのです。どんなふうに切り出そうか、頭の中でのシュミレーションはバッチリなんですがね。アメリカに行くときもなかなか言えませんでした。9月に飛行機を特典予約したものの、夫婦二人で行くなんて言えなくて悶々としていたとき、「そうだ!子供たちも連れて行こう!最後の家族旅行になるかもしれないから」と子供たちの航空券を買い足したのが5月の連休。そして、連休の終わりに、ようやく夏にアメリカに行くと話せたのでした。話してみればどうということなく「ふ~ん、行っておいで」と特に何も言われなくてほっとしたものでした。今回は夏休みじゃなくて、年末年始の時期だからか、とても言いにくい。あー、ため息ばかり。勇気はどこいった?いつもの「行け行けGo!」は?親が怖いというよりは、お利口ちゃんでいたい私なんだなって思います。波風立てたくないと言うか、余計な摩擦は好まないというか・・・でも、ここを乗り越えなくては至福の楽しいときはやってこない・・・日頃、何の悩みもないからたまにはこんなことでも悩み事のまねをすればいいかと思いつつ、気の重い毎日が続きます。はあー、いつ言えるでしょうか? 私に勇気を!
2007.11.14
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タイまでの航空券はすでにeチケットで発券済みですが、タイからクアラルンプールの往復航空券を探してあちこちサイトを覗いてみました。その中のひとつ、日通ペリカントラベルネットさんで申し込んだところ、タイ国際航空で予約完了とのメールが来ました。往路 12月29日 午前9時発 クアラルンプール12時10分着復路 1月1日 午後1時20分発 バンコク14時30分着発券は12月14日までにということなので、近づいたら発券手続きしようと思います。肝心のチケット料金は、年末年始だから高くなるというのではなく、一人186ドル(約23,000円)にその他費用(空港税、航空保険料、燃料高騰費 等)一人97ドル(約12,000円)、二人分合計で556ドル(約70,000円)でした。プラスアルファが高いのにびっくり。(仕方ないですね)格安航空会社のエアアジアが安いと聞いて、同じ期間の便を検索してみましたが、年末年始の便は結構高くて、2万円ほどの差でしかなかった・・・ガイドブックには2,000円台なんて書いてあったけど、なんでもないときのウイークデーの料金なんでしょうね。
2007.06.18
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ユナイテッド航空のマイレージが貯まってそろそろ特典旅行を、と計画し始めたのが今年になってから。ニュージーランドに行きたいという夫の希望で、ガイドブックを買って南島をドライブしようとイメージばっちりだったのに、ニュージーランド行きは予約が難しくあえなく玉砕。ニュージーランドの夢は泡となって消えてしまった・・・そこで行き先変更し、タイへの予約をとる。年末年始なのでスタンダード特典での予約になったが、なかなか休みの取れない者としては、マイルが倍必要でも予約が取れることが先決。夫と二人分で8万マイルを消化。でも夫のマスオくんは「え~タイ~?」といまいち興味がなさそう。いいじゃないのタイだって。アユタヤの遺跡はぜひ見てみたい。旅行が確定したのが2月上旬の頃。それからずっと旅行のことは忘れていた。マレーシアに帰国した留学生のヒザン君から4年ぶりにメールが来たのが3月になった頃。DensoからSonyに転職したと伝えてきた。ずっと音信普通だったのでもう縁がないかと思ってた。何度も思い出して、どうしているかと懐かしかったけど。ふとせっかくタイまで行くのなら、タイからマレーシアを往復してヒザン君に会えないかと思い立ったのが2週間前。年末年始にタイへ行くけど、会えるのならマレーシアに行くとメールを出したら、クアラルンプール国際空港の近くに住んでいるからすぐに会えると返事が来た。私たちがよければ家に泊まってもいいと。そのかわりエアコンがないので暑いのは我慢してと。嬉しかった~!!!!4年ぶりに再会できることも嬉しいし、マレーシアの生活を味わえるのも嬉しい!俄然旅行が楽しみになってきた!これもDream Comes Trueの現われかしらと嬉しいです!
2007.06.16
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