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写真の勉強をしていくと、何気ない風景が突然美しい風景に見えてくる。昨日何とも思わなかったのに、今日は美しいと思えるから不思議だ。最近では家から20~30歩も歩かない、子供のころからよく見慣れている路地でさえ美しいと思えて実際に写真を撮っている。さすがに家の近くの写真は載せたいとは思わないので、近くの村の何気ない路地の写真を今回は載せたいと思う。ここでso-netでつなぎます。何気ない風景
2009/08/25
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今回は、飼い猫「みん」を載せたいと思う。ここからは過去の画像。撮影:Nikon D300
2009/08/20
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今回は瑞穂市、海津市の田舎の風景を載せたいと思う。またマネキンの案山子を載せていますが、あまり得意でない人はパスしてください。(前回よりもソフトだと思います。)ここからは海津町の田舎風景。ここでso-netでつなぎます。夏のある日PART2
2009/08/19
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昨日に引き続き、夏の海を載せたいと思う。後半で琵琶湖の風景を載せている。立石岬にて。立石岬にある灯台まで歩いた。敦賀を後にする際に漁村を撮影。ここでso-netでつなぎます。夏風景・海(後編)
2009/08/18
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夏といえば海が見たくなる方も多いと思う。今回は夏の海を載せたいと思う。福井県の敦賀半島で撮影している。琵琶湖の畔から北上している。まずは琵琶湖のスポーツの森のハスから。敦賀の気比の松原にて撮影。小魚を干している。親子で魚釣りに来ていたようだ。ここでso-netでつなぎます。夏風景・海(前編)
2009/08/17
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今回は近場の田舎の風景を撮影したのでそれを載せたいと思う。輪之内、平田町、海津町の風景である。午前中は綺麗に青空が広がっていた。昼過ぎに出かけている。揖斐川の堤防沿いの民家を撮影。堤防沿いの気になった集落を撮影することにした。とうもろこしの葉に似た草は夏らしくていい。栗の木鶏舎を撮影。ビニールハウスを撮影。海津町あたりのある公園にて。最近こんな案山子を見かける。ドキッとする。ここでso-netでつなぎます。夏のある日
2009/08/15
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今回は、大垣の風景を載せたいと思う。駅からそれほど遠くない場所の古くて面白いなと思える風景を切り取ってみた。(大垣の駅南の風景ですので奇麗な風景ではありません。)写真は全てGR DIGITAL IIで撮影。ここでso-netでつなぎます。大垣、そこら辺り(GRD)
2009/08/13
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梅雨も明け、台風も去り、しばらく暑くなりそうですね。いつも見てくださる方に暑中お見舞い申し上げます。(いつも写真並べすぎていてすみません。^^;)
2009/08/12
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今回は、琵琶湖の風景と琵琶湖周辺の村の風景を載せたいと思う。まずは自宅の窓から見た朝焼けの風景。琵琶湖のスポーツの森にあるハス池にて。琵琶湖の菅浦の近く。菅浦にて。「陸の孤島」や「隠れ里」といわれる神秘的な湖畔の集落。琵琶湖最北端の西浅井町は、かつて塩津海道の往来で栄えた土地柄。琵琶湖に突き出た葛籠尾半島の付け根にある菅浦の人々は漁労や水運に従事し、中世には全国でもいち早く惣(そう)と呼ばれる自治的村落をつくった。集落内には今も石積み塀に囲まれた紅殻塗りの民家が連なる。集落の東西の出入口には「四足門(しそくもん)」と呼ばれる要塞のような茅葺き屋根の門がある。ここでso-netでつなぎます。夏景色・琵琶湖
2009/08/11
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今回は、大垣の盆踊りの風景を載せたいと思う。これは昼の風景だが芭蕉元禄の街 大垣 水まつりの準備がなされていた。芭蕉元禄の街 大垣 水まつりということで盆踊り以外にもいろいろな企画がなされていた。撮影:Nikon D300
2009/08/09
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昨日に引き続き、夏風景(飛鳥)を載せたいと思う。橘寺が見えてきた。(橘寺の解説)橘寺(たちばなでら)は、奈良県高市郡明日香村にある天台宗の寺院。正式には「仏頭山上宮皇院菩提寺」と称し、本尊は聖徳太子・如意輪観音。橘寺という名は、垂仁天皇の命により不老不死の果物を取りに行った田道間守が持ち帰った橘の実を植えたことに由来する。橘寺の付近には聖徳太子が誕生したとされる場所があり、寺院は太子建立七大寺の1つである。太子が父用明天皇の別宮を寺に改めたのが始まりと伝わる。発掘調査の結果、当初の建物は、四天王寺式伽藍配置の壮大なものだった事が判明している。皇族・貴族の庇護を受けて栄えたが、鎌倉期以降は徐々に衰えている。奥は本堂。聖徳太子の愛馬・黒駒像越しに本堂を撮影。経堂屋根部分観音堂二面石人面のような彫りが見られる石。一つの石の両側に二つの表情があり、善と悪の二つの顔だといわれている。聖徳太子生誕の地といわれる橘寺の境内にある。塀越しに川原寺跡を撮影。橘寺を後にした。ここでso-netでつなぎます。(50枚ほど載せているので興味のある方だけクリックしてください。)夏風景(飛鳥)PART2
2009/08/06
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今回は、明日香村の夏風景を載せたいと思う。石舞台古墳にて。(石舞台古墳の解説)石舞台古墳(いしぶたいこふん)は、奈良県明日香村にある古墳時代後期の古墳。昭和27年(1952年)3月27日、国特別史跡に指定される。古くから、巨石(花崗岩)で作られた玄室が露出しており、その形状から石舞台と呼ばれていた。玄室は、長さ約7.7m、幅約3.5m、高さ約4.7m、羨道は長さ約11m、幅2.5m。石室内部に排水施設がある。約30の石が積まれ、その総重量は2,300tに達すると推定されている。石は古墳のかたわらを流れる冬野川の上流約3キロ、多武峰のふもとから運ばれた。昼間は公開されており、玄室内に入ることが可能である。封土(盛り土)の上部が剥がされているため、その形状は、2段積の方墳とも上円下方墳とも下方八角墳とも推測されている。また、一辺51mの方形基壇の周囲に貼石された空濠をめぐらし、さらに外提(南北約83m、東西81m)をめぐらした壮大な方形墳であるという。蘇我馬子の墓であったことから封土が剥がされ、墓が暴かれたのは、蘇我氏に対する懲罰とする説もある。1933年(昭和8)と1935年(昭和10)に京都帝国大学(当時)の浜田耕作らが中心となり、発掘調査が行われた。しかし、すでにほとんどの埋葬品が盗掘にあった後であり、石棺の欠片等が発見されるに留まった。1954年(昭和29)から1959年(昭和33)にかけて古墳の復元整備事業が行われ、この時には外側の堀を掘るために上を通っていた県道が曲げられたという逸話がある。被葬者は蘇我馬子であったとする説が有力である。『日本書紀』の推古天皇三十四年(626年)五月の条に「大臣薨せぬ。仍りて桃原墓に葬る。」とあり、大臣は、蘇我馬子を指している。水野正好奈良大学名誉教授は石の種類、築造年代などから蘇我稲目説を唱える。石舞台古墳から岡寺まで歩く過程で撮影している。明日香村民家。ここでso-netでつなぎます。夏風景(飛鳥)
2009/08/06
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今回は名古屋の夏風景を載せたいと思う。駅前の高層ビル、名古屋城、栄、大須の風景を撮ったものである。50枚ほど載せているので興味のある方だけ見てください。写真は名古屋城を除いて、GR DIGITAL IIで撮影。トリミングしたものがあります。名古屋駅にて。ここでso-netでつなぎます。夏風景(名古屋)
2009/08/03
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ここしばらく雨続きであまり写真を撮っていない。過去に撮った写真でまだ載せていないものが少しばかりあるので今回はそれを載せたいと思う。今年の6月上旬の撮影。滋賀県内の中仙道沿いの風景。米原の近く。ここからは近江八幡にて。ここでso-netでつなぎます。中仙道沿いの風景
2009/08/01
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