心頭滅却すれば火もまた涼し
恵林寺は1330年に夢想国師が開山した古いお寺でしたが、応仁の乱のころ荒廃し、
戦国時代、武田信玄によって再興され、1544年(天文13年)に鳳栖玄梁が入山。
その後1564年(永禄7年)に快川紹喜が招かれたといいます。
1582年(天正10年)の織田・徳川連合軍の攻略で武田氏は滅亡。
その後織田氏は恵林寺に逃げ込んだ六角義定(佐々木次郎)を引き渡すように求めます。
しかし恵林寺はそれを拒否し、焼き討ちにあってしまいました。
この時快川和尚や僧侶たちは三門に閉じ込められ焼き殺されたのだそうです。
「安禅必ずしも山水を須いず、心頭を滅却すれば火も自ら涼し」
と快川紹喜和尚は喝を発して果てたといわれています。
これが三門に遺喝として掲げられています。
この寺でこの山門のある所でそんな悲惨で残酷な殺戮がなされたとは。
四百年以上たっているとはいえ恐ろしい気持ちになりました。
人も少なく寂しげな風情でしたが、
本堂に入る前の庭は手入れが行き届いていて松や桜が見事でした。
本堂に入るとうぐいす張りの廊下がありました。
歩くとキュ、チュ、と音を立てます。
そこから見られる庭もシンとして落ち着きます。「石庭」というのだそうです。
武田信玄公と柳沢吉保公の墓所もお参りして隣の宝物館に入りました。
風林火山の旗はもちろん、鎧甲冑、文などが展示されていて見ごたえがあります。
恵林寺に行かれたら入館されるといいと思います。
さて、恵林寺を後にして富士五湖を走って秋の一日、ドライブです。
富士五湖は甲府の側から行ったので
「本栖湖」「精進湖」「西湖」「河口湖」「山中湖」の順で通って行きました。
富士山の噴火で9000千年ほど前にできた「宇津湖:現在の山中湖と忍野八海」
と「せの海:現在の本栖湖、西湖、精進湖」が噴火や干ばつで五つの湖に変化していったとか。
せの海からでき青木ヶ原樹海から先の三つの湖は他の二つよりも好きです。
最初に訪れた本栖湖は富士五湖の中では一番深い湖で最大水深は120m程あります。
全国の湖の中でも9番目の深さだそうです。
水温が冬でも氷点下にならず凍らない湖でとても深遠な空気が漂っているようです。
次は一番小さい精進湖に向かいました。
ここからは富士山が噴火したときの溶岩流の跡が見られます。
人影がまばらで寂しい感じでしたが明治時代からホテルがあったのだそうです。
この湖の深さは15mほどしかないのですが、ヘラブナ釣りでにぎわうといいます。
そして西湖です。
せの海が噴火の溶岩流によって精進湖と西湖が分けられた後、樹海が広がったのだとか。
湖の西の岸辺にはその青木ヶ原樹海が迫り神秘的な空気が漂います。
かなり気温が低かったので湖畔を歩いているだけで体の芯まで冷たくなるようでした。
本栖湖、精進湖、西湖の海抜はみな900m。
昔は「せの海」という一つの湖、それが時代と共に3つにわかれたからで、
地下では水脈を共有していると推測されています。
にぎやかな河口湖と山中湖は車で通過するだけにしました。
河口湖の水深は14m、山中湖は13mほどで浅いのですが
きれいな水のおかげでマリモが発見されています。
でもなんだか賑やか過ぎて落ち着きません。
ほんとうは忍野八海に行って
湧き上がる水にゆらゆらとたゆたう水草を眺めていたかったのですが、
この日はかないませんでした。
また遠くない日に富士五湖を訪れて、その時にはゆっくりと見入りたいです。
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