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昨日10時半より大孝道教会教祖祭に参加した。参加するには一日の責務を果たさねばならぬため朝6時に家を出て三ヶ根作業に入り階段部の草や笹竹、雑木の刈り取り作業とその廃棄をなさねばならぬと必死に。野ばらのとげが邪魔してなかなか切り進まないので大変であったが、道路面からみてアジサイや松などの大木などが密林の状態の中から浮き出て見えるようになるまで何とか切りそろえ道路に出していた廃棄ゴミの山も取り除きやっと景観もよい状態にまで仕上げることが出来た。泥だらけの廃材の運搬は私のバンに乗せて何度も運んだので車内部は泥だらけ。食う美の座席に置いておいた着替え用のスーツも飛び散る泥で情けなき程汚れてしまった。急ぎ帰宅し風呂に入り着替えして福岡の神社に飛んでいく。何とか祭礼に間に合うことが出来た。 祝詞をお聞かせいただくと教祖の庄平先生はじめ十四烈士の一身を捧げ奉るとのご覚悟や祖国への祈りと感謝の念がひしひしとつたわってくる。 誠に祝詞は清廉潔白。魂の表現であり、身を清め心を清めての言葉であると感じ、日ごろの私の怠惰な姿を深く反省せざるを得ない。「祝詞」言葉は命がけであるとの今は亡き宮司先生の父君に教えをいただいたことをおもいだす。私には到底及ぶことは出来ませんが、かく覚悟を定め祈りに徹した生き方を目指さねば。今後の人生はかくありたい願うことでした。 神々となられた大人の命には到底及ばないことですが、少しでも祖国に恩返しをしたいと念願いたしました。帰宅後は孫の世話や 仕事などをなす。業者との打ち合わせ。なかなか折り合いがつかず会計士の意見を入れてとりあえず現状の計画案は再検討とした。今朝6時から岡崎の倫理法人会経営者モーニンセミナーに参加。企業人として成功を収めて見える会社の皆さんのご発表を聞くと心沸き立つものがある。今月で年度の切り変わりがあるようであり私は来月から諸族が岡崎になることを皆さんにお知らせいただいた。 まだ講演を毎週伺うだけの立場で、法人会の組織活動などもよくはわからず他の行事などは参加することはなかったが皆さんの明るく元気な姿には好感をいだいている、 簗瀬市議がお見えになっていたので来年の岡崎建国祭の講師案などを報告、協力要請をした。 今から仕事に入り、終了後には三ヶ根作業。今日は花壇部分の通路の草取りを為す予定です。これも大変な作業で丸一日かかりそうであります。 敗戦の国をも人も恨まずに 大人ら至誠の道踏まれたり
2023.08.26
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本日は大東塾14烈士のご命日であります。岡崎の福岡町の故金山貫先生がおつくりになった大孝道岡崎教会にて14烈士慰霊祭が午前10時より開催されます。 終戦の日に大東塾塾長の影山正治先生は大陸に見え、塾を預かってみえた父君の庄平先生が臣下としての責を自決することによりおとりになられることをご決意。しかしそれを知った塾生の方々がそれに気づき先生と談判。一人で逝かせないと強く要請。致し方なく以後10日間切腹の鍛錬をなされて見事14名で自決なさったのでありました。その十四烈士の方々の祈りを思えば,現況日本人の思想や行動の情けなさ、己のふがいなさに恥ずことばかりであります。心新たに慰霊祭に臨ませていただきます。昨日豪雨もめどが立ち小雨になった11時をめどに三ヶ根に行くとスカイライン入り口が閉まっているではないか。許容範囲の雨量を超えたのでチェック担当者が道路のチェックをしに来ていて許可が出るまでゲートが開かないという。致し方なく殉国七士奉賛会事務局のある東幡豆商工会事務所に行き、作成した案内看板をお見せして設置場所の変更を要請。許可を受ける。とはいえ以前の設置場所も奉賛会が管理されている場所ではなく今回の新規に作成した看板の設置希望場所も同様。すこし移転しただけである、看板内容も依然と全く同じ内容と大きさであるため報告するだけで済んだ。スカイライン入り口に戻るとすでに開通していたので乗り入れて7士廟に走り看板のとりつけ作業にはいる。しかし何たることかまたもや豪雨。和らぐのを待ってみるがその気配なし。しかしササの切断作業を延期するわけにはいかないのでやや少雨になったのを見計らって看板を下ろし、笹切り作業に入る。休み休み出の作業を5時間ほど行い。何とか見栄えの良いところまで作業を行う。さすがにこの雨ですので参拝者はおひとりもお見えにならなかった。 この場所の整備はあと30時間ほどの作業でとりあえずひと段落としたい。雨のため花壇崩落が心配でありチェックして回ったが今のところ崩落はないようである。しかし草の繁茂は尋常ではない。同時並行で作業を進めねば、体力勝負であります先日廟でお話しした西尾市の方が馬に関係したお仕事をなされている方で馬を使って神社参拝を考えて見えると連絡くださった。軍馬の慰霊碑のある三ヶ根七士廟に大いに関心を持たれ誠にうれしいおはなしでありがたきことである。広く活動が進むことを期待したい。
2023.08.25
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朝6時からの蒲郡倫理法人会モーニングセミナーに参加。感動的な人生を送って見えた先生には大いに心動かされる。企業人として私が生きていた時に聞けていたならば大いに参考にさせていただいただろうと思うと残念ではある。といっても人生の過ごし方においては発想の基本は々、大いに取り込んでいきたいと反省しながらお話を伺う。 さて終了の7時には雷が鳴り豪雨状態。喫茶店に蒲郡の友に来ていただき三ヶ根の木々伐採についての臨時会議を行う。雷の音がとどろくなかの会議。僕らのやってきた三ヶ根活動は当初は殉国七士の墓の周辺の木々の剪定。それから七士廟の2段目や通路の草取りや土入れ。さらに3段目の花壇の作成と斜面の芝桜うえ。さらに今年から遊歩道の整備や小田忠治氏の公園整備とさつき園の整備。そして今は車道拡張と石垣の整備、そして廃墟の整備。案内看板も出来上がってきたがこれも小田忠治先生の看板に継ぎ2枚目。仕事はどんどん増えてきており奉仕活動の皆さんも増えてはきたがしかし作業量の増加は限度を大きく超えてしまった。経費もままならない。何とかしなければ。 皆に三ヶ根石垣の現状を見ていただき、各エリアの担当者をきめていただくことにし、S氏に石垣部分の担当をお願いした。むろんできる範囲で。受けていただき大いに安心した。打ち合わせが終わり雨の中私は三ヶ根に。どうせ濡れるんだからプールに入ったと思えばよいとおもい、作業を行う。予定通りに成し遂げていかないと私も時間が取れない。何とか車道拡張と階段部への登り口の作成までは終えることが出来た。 明日は登り口の階段づくりとその上のササ林の切除。ササの根っこの掘り返しと土入れ作業。でかい蜂の巣はスプレーをかけて追いやったが数匹が飛び去ってしまい、明日再度ちゅあレンジです 三ヶ根を 襲う暴風 絶え間なし天の怒りか 御霊の声か
2023.08.23
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朝一番で三ヶ根に行き作業。中断して帰宅し、父の月命日の法要をご住職を迎えて実施。11時に西尾市の資産家に行き三ヶ根殉国七士廟内の木々の伐採状況や石垣の発見、土に埋もれていた案内看板の発見と修復の許可をいただく。口頭ながら石垣部分の樹木剪定の許可をもらう。三ヶ根に再度向かい作業の継続をなす。相当前に切り倒して廃棄されていた孟宗竹の廃棄物がたばねて捨ててありこれを処理しなおすのが大変であった。まずは車道の拡大の完成をめざす。おそらく300キロほどたまっている土を取り去り石垣の上の整地に使う予定。よって石垣の上の段に生える密集したササ竹を刈り取っておかねばならない。自分の仕事開始が迫り急いで帰宅したため作業がまたもや残ってしまった。明日はその作業を優先しておこないたいものである。 大きな蜂の巣を発見。明日脚立をもっていき除去予定。 来年の岡崎建国の講師に台湾のお生まれのジョー・リー先生がお越しいただけることになった。詳細は今後の打ち合わせとなる。先生には数年前にもにすぃ和尚初代校長、関口長太郎先生の慰霊祭にご講話いただき、先日も安城で、今後も関口先生の漫画本の出版贈呈式にもお越しいただけることになっており本当にお世話になっている。ぜひ多くの皆さんに建国祭にお越しいただきたいものであります。 台湾と日本の深きつながりの感動的なお話をいただける貴重な機会となる。実に楽しみであります。 次回の岡崎学習会は9月10日(日)会場は我が家では狭すぎるので上和田公民館で行うことにして会場使用許可を受けた。教育是正に心を砕いて見える方にはぜひご参加いただけるよう動きたい。
2023.08.22
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朝7時に家を出て三ヶ根に走る。石垣地の整備をなす。朝10時から孫の面倒を見るため三ヶ根作業の時間が取れないためである。すぐにササの刈り取りに入る。10平方メートルほど刈り取って本来残すべき木の周りの雑木を刈り取ったあたりでタイムアップ。急ぎ自宅に戻り自宅のまきの木や畑の草やトマトの枯れた茎などを軽トラに詰め込み廃棄場所へ運ぶ。孫を見ていると何十年も家族のためには何もなしてこなかったわが人生を悔いてしまう。山上憶良の家族主義の優雅さに羨望の思いを持ちながらも公儀第一の道を歩まれた先人の生き方を自分なりに選びきた日々をふと思い出す、いずれが本来の道なのかと。もっと能力をもっていれば公私の双方に力を注げたはずだが。 孫と遊ばしてもらえる境遇を子供らに感謝している。「 バイバイ」と「いい子いい子」を教えたり笑みてはまねす 孫に幸あれ ィ時半よりお地蔵さん祭りに参加。運営役員の役割は終えたができることはせねばと先日地蔵堂周辺の高木となっていた木々は小振りに成しておいた。コロナで小規模な祭りとなってしまったが、今後は開催意義の原初に立ち返り復活するの意を求めたい。子供の参加がやはりほしいものだ。 終えて会計士宅へ。もっとまともに事業に熱を入れよとお叱りを受ける。 夕刻、町内各地歩道の草が気になる。ならばと草取りを始めていると町の会員さんに蜂の巣に困っていると巣を見せられる。飛び交う蜂は10数匹。家に帰りスプレーを探して一気に噴射して処理。おおいに感謝される。先日ご自宅の換気扇の音がうるさくてたまらないとの話を受けすぐに業者に伝えて対応させていただいたことがあったが、そのお礼の言葉もいただけた。他の場所でお会いした方には大雨のため崩落した山の土が部落の寺の墓を覆い、すぐに県議に話して対応を頼んだことがあったが山の崩落は市に、墓の土撤去は有料ながら業者の手配がされたらしく礼の言葉をいただけた。地域ではまるで何でも屋のような立場にあるようだ、 明日は父の月命日。母の指摘で気づいてすぐさま家の花を切り取り仏壇にお供えする。ご住職がお越しになるのは9時半。それまでに三ヶ根作業に行って来なければ。 三ヶ根案内板の再設置につき事務スタッフのメンバーよりゴーサインを得る。土中から発見した案内板は合併前のものであるから西尾市の作成物ではないが、一応報告すべきとの提言を受けたので明日市の方に報告してみることにする。
2023.08.22
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朝資源ボミを出して日進に走る。毎月の学習会がある日であり参加する予定で行くが遅刻しそうで電話すると今日は実施しないとの確認が取れ帰宅。昨日のまきの木の切断を行う。暑くてたまらなかったが何とか枝を落とすことが出来た、三ヶ根での殉国7士廟案内看板を修繕するつもりで作業準備に入り木材を購入に行くと、杉田さんだからやすく作ってあげるよと逝っていただきならばと作成全てをお願いした、皆の許可があれば会の費用で作れないかと思うが、臨時の計画のため、許可が出るか不明。そのときはそのときである。ひる1時半より友らと豊橋の陸軍墓地などを参拝。妻にも陸軍墓地を見てもらう、妻にとっては30年ぶりの再訪なのだがほとんど記憶がないようだ、友は陸軍墓地の存在を知らずにいたので大いに驚いていた。市に要請して作った看板などを見て驚いていた。作成は豊橋教育委員会であるから。価値観をうたうものではなく、事実として護国の防衛に立たれ、命をなくされた方のお墓の配置図であるため左翼ですら批判はできない。言い換えればそこまで教育をになう教育委員会がこうした展示行為はできるわけである。さらに学校教育においてもここまでは公もなしえる行動なのだ。自衛隊も堂々と参拝してくださる。ここまで来たのだ、ボランテイアとして清掃奉仕に参加してくれる高校生もいて、その行為を推奨してくれる体制が出来ている。当然のことだがそれにしてもかつてにはかんがえられなかったことである。こうした実績を積み上げていく中で先人の行いを尊ぶ高橋庶子も生まれる。大切にしたい活動であると自負する。帰宅して、会社の会計士を訪ね決算書類を受け取るなどの仕事をなしたため三ヶ根行きは断念、夕刻我が家の向かいにて人身事故。トラックの前方不注意で軽自動車に激突、その軽は前の郵便局員のバイクにあたり局員が救急車で市民病院に運ばれた事故。私の家の敷地に事故車や救急車やパトカーを入れていただき事故の事後対応をしていただく。私はガラスなどの破損部品を清掃。気を付けていただきたいものです。
2023.08.20
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朝まで生テレビの録画を見る。もっともな核抑止力論や防衛力増強論の是非をけんか腰で他者の発言を強圧的な言葉を使って遮りながら論を進めていた。核がなぜ許されないか。悲惨だ。人類の敵だ。それはわかる。ではその所有および使用がなぜ悪なのか。いかなる国も自衛権は権利として持っている。自衛戦争も全国家はこれを持っている。戦争は外交権の延長であり、そのための武器所有は許される。ミサイルも兵器としては所有を禁じることは国家間の交渉次第。しかし核は大量破壊兵器でありこれを軍事基地に対する攻撃等、戦争行為につかうことはできない。つまり核攻撃は戦争ではなく大虐殺をなすための武器。広島長崎の原爆投下はヒロシマ.ナガサキの表記などにより虐殺とその甚大な被害を含めるなどの苦しみの表現にしていくなどの工夫なども意義あろうがもっとはっきりと広島大虐殺・長崎大虐殺との呼称で「戦闘」ではなく一般人を殺戮した「大虐殺行為」であることを鮮明にすべきではないか。戦争の延長線には一般人を殺戮する虐殺は含まれないことを徹底していかねばならないと思う。 東京大空襲も東京大虐殺としての表現をすべきではないか。岩田温氏がルメイに勲章を与えたことを追及していたが之には同意。自衛隊が勲章を与えたわけではないとの主張は理解するものの、小泉氏などかかわった係累の方らの働きで是正の動きやルメイの家族などからの辞退の動きがあって動き出すものであろう。授与に関して昭和天皇は国事行為として、忠実に授与されはしたが、祝賀パーティなどはなされなかったこと、米国ご訪問時にマッカーサーからの晩餐会招待をお受けにならなかったことなどは語ってほしかった。源田実氏の名指し批判が氏からなされたが私の学生時代、氏の選挙運動を少しばかり手伝ったことがあった。講演もきいた、パイロットとして航空自衛隊の導入機種選定時にに意見を言われながら、何らかの力が加わり不採択になったことなどを話して見えた。当時は撃墜王として尊敬していたのも事実、今は愚かであったと反省。とはいえ氏の戦後を全面批判するのは岩田氏の傲慢に映る。 驚きは民主党政権時の防衛感覚の無能さの暴露。そして後継の政党のいまだに防衛音痴集団の現状。政権交代体験が全く生きていない現野党の実態。なさけないかぎりである。 大学や大学院などで防衛学を専門に研究する部署をつくらねばまともな国家戦略など打ち立てられないのではと思いながら視聴。それがないままならば自衛隊からの防衛講座など民間の参加できる。ヒステリックを配したアカデミックな場所の提供がなされるべきではないか。中高での社会科でもディべート教育を義務化していくべき時になったのではないか。もう熱狂的な自虐意識はきえつつある。シベリア抑留や南京虐殺のプロパガンダ払しょくも三ヶ根での会話をしていると実施可能に思えてくるのだが、 昨日は朝6時からモーニングセミナー参加、次いで建国実施の講師検討会議、母を連れて墓参りすぐに名古屋護国神社に行き清掃奉仕と木々の伐採。これが長引き三ヶ根の花植え時間に大幅に遅れてお二人の参加者がおかえりになってしまったので一人で残りの花植えを12時過ぎから行う。さらに三ヶ根殉国7士廟入り口の新たに見つかった石垣整備と自動車通路の幅の拡張作業。もうくたくたで妻との約束の我が家のまきの木の伐採も勘弁してもらう。木に登る体力がなかった。夕刻7時に用意されていた朝食を口にする。
2023.08.20
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朝、昨日切り落とした小枝を市の焼却場に運ぶ。今日は軽トラ一杯であったが100キロを超えていなかったため無料で廃棄できた。100キロを超えると10キロで70円。しかし、10月からはなんと10キロで200円の費用がかかることに。おそらく今日の文で2000円近くかかるようになる。太い木材ならば300キロ近くになる。よって一車6000円近くの廃棄費がかかるようになる。こうなるとボランテイアでの処分はどうなるのだろう。どこかにためておくか燃やすことになるのかもしれない。しかし自宅などでの焼却は禁止なので誰むやる人がいなくなるのではないか。 値上げの再考を求めたい。 三ヶ根山の殉国7士廟に新たに見つかった石垣の手入れをなす。苔むす石の間から様々な草やQササがが茎をだしており一つ一つをハサミで切り落とす作業をなす。石垣の作られた年代を資料に当たって調べないとコケを落とすのははばかられる。どこかに資料などがあればよいが。 その下の地面の土を取り去りアスファルトの通路面と同じ高さに積もった土を取り去り道整備をなす。20メートルほどの長さと幅はィメートルほどが土部分。なろうことならアスファルトで表面加工して元の進入路と接合したいが費用も膨大大当面は土面として踏み固めていきたい。ここが車道として使えるようになれば4月29日の7士廟前での慰霊祭も相当駐車場の不足が緩和されるでありましょう。まだまだ石垣上の平地はササの広大な林になっておりその伐採には相当の時間がかかる。表面だけの伐採ならば100時間。根まで取るとすればB業者を使っても10日ほど、費用はQ見当もつかない。まずは表面を土面に戻して地下茎を残したままにして業者に見積もりを取ってもらえる程度までにしておかねば。次回からはその作業を優先に三ヶ根作業を進めたい。今日も多くの方とお話しできた。幸田町のご夫妻は整備の様子を楽しみに来てくださったご様子。トイレもいつもきれいで空気もよく癒されるとおっしゃる。豊橋の方はネットでお知りになり、お越しくださった方。比島観音様の慰霊碑の一つ占守島守備逮捕石碑、士魂の碑は11連隊鎮魂の碑であり、その戦車隊長の池田末男氏は豊橋ご出身。豊橋陸軍墓地の清掃のお話を申し上げるとぜひ参拝したいとおっしゃる。 こうしたお話ができるのも三ヶ根のおかげであります。 明日は名古屋の護国神社清掃奉仕の日。終えてのち三ヶ根直工予定。 殉国の御霊近くに奉行すとあまた慰霊碑三ヶ根に建つ
2023.08.19
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朝10時業者とうちあわせ。終えて三ヶ根さんに走る。入り口左のスペースを切り開いているうちに見つけた石垣部を何とか皆さんにお見せできるようにしたいと必死に作業する。友来る。スポーツドリンクと栄養剤の差し入れをしていただく。仕事の合間の時間を使いササの切り取り作業などハードな作業をになってくれた。終了時にはしっかり墓の前でいれいをしてくれる。ほんものである。高枝を地上にいながら切り落とすのこぎりを購入。今までは軽トラックに乗りその荷台に脚立を置いてそれに乗ってのこぎりを使って枝切りをしていたが、軽トラが入らない斜面などはお手上げ。しかしこれは重宝する。 盆明けすぐだからなのか今日も他県からの参拝者が多くいらっしゃっていた。ありがたきことである。作業4時から会社の土地と隣地の杭の位置確認に立ち会う。道を挟んだ向かいが売却なされるため、町総代さんらとともに確認4時半より慰霊祭用に町から借りていたテント2張りを返却。倉庫にしまう。台風のため使わなかったのでそのまま返却となった。さらに孫と町の石碑周辺の、木の剪定を行う。タイ国に帰る前の思い出つくりをさせるためン喜んで手伝ってくれた、 実にほほえましい。海外出張が終わってもおそらく東京勤めに戻るだけのようで我が家にハ戻らないようでありならばと少しでも実家の周辺を教えておきたかった。良き記念になったのではあるまいか、家の畑の草取りや公園の木を切りこぶりにする作業なども一気に行った、 夕刻7時半より9時半まで業者との打ち合わせ。10時すぎに息子ら一家を夜行バス出発地の東岡崎に送る、 命に服し御命捧げし英霊を 貶め報ずマスコミあはれ
2023.08.18
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終戦記念日。残念だが慰霊祭が雨のため中止なってしまった。個人的に参拝をしていただく事にし、10時の集合時間にお見えになる方が得るかもしれないと龍城神社にておまちすることに。 20分ほどおまちしたが、台風のために神社にはほとんど日とは見えないため宮司さまに後をお願いして帰宅。 風雨は更に激しく家にいると突然大きな音がした。外へ出るとベランダの屋根板の大きな板が一枚とび、ガラス窓に当たって割れた音。至急戸締りを再確認。 やや収まった2時頃から三ヶ根観光活性化プロジェクトの事務局打ち合わせに西尾にむかう。 プロジェクトの当面の集う場所の細分化として15か所に区分してそのそれぞれに責任者をおきたいのであるが皆さんの合意がいただけるか否か。しかし人があまりに足りないので優先場所を決めるのが精一杯でありましょう。明日16日は三ヶ根清掃日ため多くの方が集ってくれる予定。お願いするしかない。 すでに植え込み用の花は18ケース置いてきてあるが台風の被害がていなければよいが。もっと心配なのは土砂流出、何事もなければよいが。明日ついたらわかることだがいのるばかりである。 今ここに命受け継ぐありがたさ 慰霊碑前に慢心を恥ず終戦の安堵振り切り友思い 使命貫くますらをかなしも
2023.08.15
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一〇時より岡崎城の龍城神社慰霊碑 の清掃を七名でおこなう。私はブラシで床面の磨きを主に行う。宮司さんと明日の慰霊祭の実施不実施を相談。台風の万が一の被害を考慮し会の中止を決める、残念だがいたしかたないことである。 一二時に花の買い付け一八ケースおよそ400本をなし、三ヶ根に行く、参拝者に説明をしていると一気に雨が降り始めた。花をおろしてアジサイ林の剪定作業に入る。殉国7士廟に入る石門を入ってすぐ左のスペース。おそらく出来て一度も剪定作業をしていないのではと思われる巨大になったアジサイ群。剪定作業に分け入ってみると切り倒した竹が未は理で半くさり状態で大量に捨ててある。その間からアジサイも枝をのばしてもいる。まずは竹の群を処理しなくてはアジサイの園が作れない。あす太くたかく繁茂したササを切り取りアジサイをメインにしたエリアへと整備してみたい。 明日は岡崎慰霊祭は中止したものの、石碑スペースの灯篭や石柱の磨きは不十分であったので10時から作業に入る予定。台風の危険が大きければ参拝のみに済ます予定。清らけき御霊鎮めの歌よめり 太平開く祈りあらたに魂魄になりてもまもる日の本の 今の姿を何とおぼすや
2023.08.14
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一二日朝国旗降納終えて我が家の盆の迎えを行う、一一時に墓参り。家の仏壇に手を合わせて食事会をする、五年生以下が一〇人。都合でこられなかった息子家族家族がられなかったのが残念であったがコロナ開けで皆が集ってれたのはうれしかった。 一三日、日曜は岡崎の教育を考える会の学習会を開催するため日にちを早めて行ったたため都合が合わぬ息子たちがこられなかったが別の日に墓参りにくるという。これもよし、 夕刻子供らと妻とで伊勢に走りホテル泊。一三日神宮参拝と観光を済ませ、わたしだけが分かれて帰宅。他の家族は二泊三日の旅行を継続する。 二時に帰宅。急いで学習会資料を作成。諸準備を終える。 五時より七時まで学習会。参加者は盆のため二〇名と少なかったが致し方ない。議題は以下。八月十三日 岡崎学習会 皇室尊崇の活動現状山の日奉祝8・25一四烈士慰霊祭 来年度建国祭ついて 小旗作成実践と国旗掲揚運動の推進について慰霊活動の現状と推進について三ヶ根山の環境整備と花壇再生実施 一六日ンヶ根草取り穴上かぼちゃ鳥 15名 高校生4名護国神社清掃 献灯祭 八月十六日 八月十五日終戦の日 岡崎、龍城神社にて慰霊祭 集合十時 清掃前日一〇時 菓子五〇個 資料教育運動について 学校教育と半旗掲揚 黙祷 教委への要請 関口長太郎先生顕彰会の活動及び台湾交流について 関口長太郎先生漫画本作成と贈呈式 資金調達の方途について 八月一一日 ジョー・リー先生 倫理講演会・墓掃除 三ヶ根山活性化プロジェクト 現状の活動 道路整備・渡辺西尾市議提案 さつきエリア整備・ 七月度通信発行と成果について 署名活動・陳情活動の提言 憲法改正運動 名古屋駅前本日 イスラム教徒土葬問題について 陳情書例 自衛隊 議場国旗掲揚 朝鮮総連 賀詞決議浄瑠璃姫物語について その他 活動報告事項・提案事項・その他講演 教科書是正運動の現状と今後 前つくる会事務局長 井上寛康先生議員も参加して下さり意義深い学習ができた。
2023.08.14
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木曜日に盆休み前最終の仕事を午前に早め一日かけて部屋の清掃整頓を行う。孫の面倒を見ながらの大作業。娘が夕方迎えに来てきれいに片付いた私の部屋を見て京ちゃんの声を上げる。実際は別にの部屋に書籍や書類などを未整理のまま移動したに過ぎないが、夕刻7時半より国旗掲揚を二人で行う。10時過ぎからはもう一人の協力者が。おかげで実に早く掲揚を終えることが出来た。昨日派朝6時からへっかいの倫理法人会モーニングセミナーに参加、日本と台湾の交流協力の歴史を沖縄のジョー・リー先生より受ける。参加者は80名を超えたのではないか。感動極まりない。その後リー先生もご参加くださって10数名にて西尾の盛巌寺の関口家の墓掃除と墓参りを行う、ここまで広く関口先生の偉業を広めてくださった磯貝さんへの感謝の思いはますます深まるばかり。本当に素晴らしき方を失ったことが残念でならない。ご住職に墓をお守りくださっていることへの感謝の寸志を顕彰会よりお渡しさせていただく。終えて私は急ぎ西尾小学校内にある関口先生慰霊碑の清掃に育。なんと山本市議も応援に駆けつけてくださる。さらに傷んだベンチの修復の予算取りも進めてくださっているという。14年前関口先生生誕150年を機に開始した顕彰作業がここまで広がりを見せるとは。すべての関係者に感謝あるのみです。お墓参りのまで来てくださった方に中型の国旗をお渡しして15日終戦記念日に弔旗掲揚をお願いする。帰り際、西尾市役所前を通ると祝実ながら国旗掲揚がなされていない。びっくりしてガードマン室に走り掲揚をお願いするが職員が休みで掲揚はできないとのこと。祝日に市が国旗を掲げないなどびっくりするが致し方ない。休み明けに市に要請をしたい。妻の実家に盆のお参りに行く。夜10時半より国旗降納。今朝2時に終了、今日は我が家の盆の集り。子供らの家族が集まり楽しみである。終えて伊勢神宮へ参拝予定。孫にぜひ体験させたいものである明日は岡崎学習会 夕刻5時から7時までメインは井上先生による教科書記述問題、歴史教育問題です。
2023.08.12
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昨日は78年目の長崎原爆投下の日。 7万人以上の犠牲者がでた悲しみの日であった。 朝一番に我が家の玄関に弔旗を掲げ蒲郡モーニングセミナーに向かった。時間をいただき参加の皆さん全員に長辺85センチほどの中型の国旗を差し上げ慰霊の呼びかけをさせていただいた。 長辺の長さを超える長さの黒の布を国旗の上につけて下げるのが弔意を表す方法と説明。この用意はできなかったので皆さんにご自宅に帰ってからお付けいただけるようにお話しする。国旗掲揚がご自宅玄関に出すスペースなどがない方は窓ガラス面に貼って掲揚為されるのもよいし屋外に掲揚がなしにくい方は家の中で出されるのもよい。祝祭日にご家族が国旗を目にすることが出来るようにするのは家長の責務と心がけるように提言した。 この国旗は私どもが祝祭日に街路灯などに掲揚しているもの。 会員スピーチには三ヶ根山の慰霊につき語らせていただいた。 講演いただいた先生のお話の内容はリーダーとしての心構え。会社も団体もトップの「覚悟」次第で浮沈が決まる。久しぶりに心にしみるお話し。大いに実践したいものと感銘をもって拝聴。意義深いお話であった。 セミナー終了後三ヶ根に向かったが、スカイライン入り口に入る直前には大雨となってしまい作業ができなくなったためあきらめて岡崎に帰宅。 古くなった国旗を新品に取り換え、柄に付け替え傷んだ国旗を洗いなおして収納し終えた。 さらに9日はソ連の対日侵略の開始日。アングロサクソンやゲルマンやスラブ諸民族の強欲さ残忍さが増幅し、人類の業が一気に噴き出した象徴的な悲しみの日がこの9日。言い逃れの言葉は「世界平和」「戦争終結への必要悪」これにくみすることなどできようか。 しかし昭和天皇陛下は「万世のために太平を開かん」との日本人の姿勢を示されて耐えがたきにたえるべきと日本人の道を示され終戦のご決意をなされた。 国民は泣き崩れながらも陛下の示された道を踏み始めた、 降り積もるみ雪に耐えて色変えぬ 松ぞ雄々しき 人もかくあれ陛下の新年の御製にたがうことなく自暴自棄を排し、やまとだましい我にありと 祖国再建に立った。 何たる高貴な日本国民であることか。つくづく先人の偉大さに畏敬の念を覚える 上皇陛下は6月23日沖縄玉砕の日8月6日の広島8月9日の長崎8月15日の終戦の日を国民は忘れてはならぬとお示しになられた。国民こぞってこの日々を慰霊の日として最大の至誠の日として継承しなくてはならぬ。同時に 「色変えぬ松」の姿を失うことなく日々を過ごさねばならぬと心する。 今日の夕刻には山の日祝賀の国旗掲揚に入る、 欧米列強・核兵器所有国国民にうったえむ 原爆の非道乗り越え和を願う 大和心を聞けよ人々
2023.08.10
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昨日は朝6時に家を出て三ヶ根作業に入る、気になっていた石門入って左の雑木地帯の整備。ここを作業中に先日、鍬を折ってしまった。今日は丁寧に作業して大ばさみでササ竹や小木を切り、鍬を入れて平地にしていった、10メートルほど整地して車道にはみ出した枝を切り落とし見晴らしをよくしてみた。さらに道を挟んで東側のさつき園の雑木や笹竹を根元から切り、さつきの木に絡まったツタなどを取りさり、見栄えをよくしてみた。 遊歩道を登って見えた青年に挨拶、きけば岡崎からお越しという、様々に話すとユーチューブなどでここ三ヶ根を知り、戦後の歴史観のおかしさを思いだしたとおっしゃる。長くお話をすることが出来た。 夜には西尾にて関口長太郎先生の漫画本の資金集めの打ち合わせ会があるため仕事を繰り上げて行ったために作業時間を短くしなくてはならなかった。よって11時には終了して下山、 帰りて国旗のアイロンがけを半数ほど行う。 夜7時より会合、9時過ぎまで、クラファンなどの概要や資金調達方法などを検討、 終えてから関口先生のお墓掃除や終戦記念日の迎え方など関係する8月行事のうちあわせなどをなす。 今日は8時から蒲郡モーニングセミナーに参加予定、会員発表をすることになっている、このまま寝ないでいないと遅刻や欠席の危険がありそうだ 終戦の日を迎えんとする今。先人の高貴さを思いよめる歌世を去らむ際まで命赫赫と 凛々しき姿 我忘れまじ
2023.08.09
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昨日は朝9時半より教育をよくする会幹事会に出席する。昨日及びこの一か月での活動報告をする。参加者は8名。大分のイスラム教徒の土葬問題の現地報告やキリスト教徒の土葬も問題、さらには移民における日本精神・文化との共生の在り方、移民時の文か尊重日本文化尊重などの誓約義務など条件整備の必要性を討議、少なくとも市民憲章など自治体の方針などの提示などが必要ではないかなどの提起がなされる。 文部科学省や県教委から各市町村教育委員会へ8月15日終戦記念日の各小中校への半旗掲揚や黙祷指導要請通達が出されるが、その実施の後押し作業などの推進も提起される。他県教育関係団体との交流の必要性、議員や教師グループとの連携なども議論、県内実施の建国祭などを通じて教育是正の呼びかけを引き都築推進することを確認、議題メインは中学歴史教科書の記述問題。近隣諸国条項の悪弊のため子供らに歴史学習の喜びが伝わらなくなっている、その是正のために講演会などの域的実施を座すことも筋で了承を受ける。 まずは来る8月13日5時から7時の岡崎学習会での講義に期待することに。教科書記述の問題点指摘を書物にしてだされた井上寛康先生にお話をいただくとの確認をなす。多くの皆さんの参加を期待したい。 昼に終了し帰宅。膨大な資料整備と掲揚国旗の洗濯とアイロンがけをなす、痛みがひどい50枚ほどの国旗を新品と交換。11日の山の日での商店街国旗掲揚に間に合わせたい。明日水曜日午前6時からの蒲郡倫理法人会での会員スピーチにて発言の場をいただけるので掲揚活動の現状と意義を語りたい。町内の老女からドアの修繕要請があり駆けつけ直す。ついでにトイレのタンクの都合があったのでこれも調節してなおしておいた、業者との打ち合わせが長引き三ヶ根行きをあきらめる。11日は山の日です麗しき山河の恵みに満ち満ちる 日の本やすかれ 国旗を掲ぐもう朝5時半。今から三ヶ根に行ってきます
2023.08.08
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朝5時から久しぶりの朝起き会に参加。コロナ制限で生の会合が無くなってご無沙汰ばかりしていたため実に懐かしく追われた。会の役をしていた従妹が亡くなって以来勧誘や案内も無くなり、皆さんとの邂逅も久しぶり。よく参加させていただいていた頃の班員さんが今では立派にリーダーとなって発言されているのを見てうれしくなった、御子さんの様子なども伺いつつ信念をもって日々研鑽を積んで行かれている姿勢の成果を感じさせていただいた。発表者も新しき方がおおく清らかにして力つよき会に育っているなあとうれしくおもった。 終了は6時。帰宅してすぐに三ヶ根に向かう。外一日曜は三ヶ根清掃と豊橋陸軍墓地清掃日。皆さんの集合時間は10時であるが、私は午後には豊橋に参加するのでその分早めに作業をしなくてはならない、しかも今日は花壇作業であるため、遊歩道やさつき園、その他の作業は個的になさねばらない。9時ころから皆さんが参加下さりはじめ開始時には10名ほど、昼休憩時には13名の皆さんと歓談できた。Nさんが作ってくださったおにぎりをほうばりながら自己紹介など。これがうれしい。今回初めてご参加くださった方は議員さんはじめ4名。本当にありがたかった。町議から三ヶ根駅の三ヶ根案内石碑の撤去問題が起きていることをしらされる。対処をお願いする。皆さんに迫水久恒氏の講演録 お渡ししてお読みいただく。 阿含宗の皆さんが月例の参拝にお越しになる。実に尊いと。感謝申し上げる。私の参加はここまで。 急ぎ豊橋市の陸軍墓地へ、国旗を弔旗にして掲揚 1時開始ながら20分遅れとなる。今回も高校生が4名参加下さった。こちらも13・4名の参加である。矢張り草も相当伸びており月一度の作業ではとても追いつかない。花もすっかり枯れてなくなっている。終戦記念日までには何とかしたいものだが。ご参加くださった皆さんの努力には心から感謝申し上げたい。しかし、現状はなかなかたいへん。私が行ける日は限られている。矢張り本腰を入れて取り組まねば。自治会や市の協力を仰がねば。次いで東田の御嶽社へ。参拝をすませ草刈り作業にいると、Iさんがきてくださる。7月からIさんがとなりの大孝道場にお住いになられているのだといわれる。御嶽社は古墳であるので市のほうに清掃を頼んで作業に入って頂く約束が取れたとおっしゃる。さすがであります、 市民でない私の要請時には動いてもらえなかったが市の史跡であるのだから市を主にして補佐を有志で担うのが好ましい。何とか盆までに作業に入っていただくようにお願いして作業を中断、やり残した作業のため西尾の三ヶ根さんに戻った。まずは国旗の黒布を取り外す。 手つかずだった廟の、入って左のアジサイ園のササの伐採作業にはいる。しかし突然どしゃぶりの雨が、急がねばと力任せに草刈り鍬を使ってササをなぎ倒すようにして刈り取り作業をするとなんと柄の先の金属部分か折れてしまう。またか。耕具を壊すのは専売特許。あきらめて下山し耕具を購入。作業は明日以降に。 国体の護持はできると大君の 御言葉尊し いくさ終わりぬ
2023.08.07
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あたらほし あまた国ひと うばいたる かの国びとの 心聞こえず残忍な民間人の殺戮を為せる国ひとはこの行為をいかに感じているのであろうか。今日8月6日は広島原爆投下の悲しみの日。我が家と公民館に弔旗を掲げる。朝5時から朝起き会。三ヶ根作業が10時から2時。豊橋陸軍墓地清掃が1時から3時。豊橋東田の御嶽山清掃・奉仕する間だけは弔旗を掲げる豊橋にはなかなか行けず、それなりにきれいになるまで作業を続けたい。夜には岡崎学習会と終戦記念日慰霊祭の資料つくり。昨日は朝6次岡崎倫理のモーニングセミナーに参加。笑顔の作り方の実習があった。また言葉の創価力について、否定的な言葉を使わず向上につながる言葉を常に使う訓練、「失敗した」」「ああ疲れた」などは口にせず「いい体験をした」「力をだしきった」などと向上につながる言葉を常に使うのだそうな。なるほどとさっそく使い始めて見た。。 8時から仕事、昼前後に盆の買い出しを行う。3時半からの名古屋駅近くのウイングタウンにて豊国平成塾に参加、今日の学習は「八田輿一」先生。台湾の烏山頭ダムをつくりこめが育つ肥沃地を作られた方。久しぶりの加藤先生のレポートであり、議論も多岐にわたり愉快に白熱。帰りがけに友より教育現場や教職員のパワハラ、教委の対応の不備などの相談を受ける。問題は根が深いのでじっくり事実関係を調べねば協力の是非も含めて答えが出せない、教師のプレッシャーがますます拡大している現場。資料をもらったので対応を考えたい。 帰宅して岡崎の花火を楽しむ、今回初めてテレビ番組で生中継があり青の映像の美しさに改めて花火職人の技術の高さに感銘を受けた、 三ヶ根の水やりが心配であったが雨が短時間ながら雨が大量に降ってくれたので三ヶ根行きは中止。 今週の予定を組んでみるが多忙極まりなく無事にこなせるか心配でならぬ。しかしやり抜くしかない。
2023.08.06
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午前中は我が家の資料置き場の整備。様々なパネルや作成した小旗の置き場が不足したので壁に造作して棚を作り何とか収めることが出来た。昼前に家を出て三ヶ根につき、すぐに水やりを行う。すると立て続けに参拝者がお見えになる。いつもは車のプレートを見て時間の関係で遠方からの方への説明を優先させていただき近隣の方は失礼ながら後回しさせていただくしかない。手が足りないから致し方ないのだ。わざわざ遠方からお越しくださる方への思いにお答えするのは礼儀だと思う。今日は横浜のかた、金沢の方方、さらに伊勢からのかた。伊勢の方は靖国神社にお勤めになり今は伊勢神宮にお仕えされて見える神官の青年。三ヶ根参拝にお越しくださったお礼し資料をお渡しし案内をする。もう4年前のことだが民間の「靖国会」の事務局長沼山光洋氏の自決についてのつらきお話しをすることになった。私は本来8月4日という日には金沢に護国神社にて開催される慰霊祭に参加するのを常としていたが、さすがに三ヶ根作業が増えてしまった今年は参加をあきらめ三ヶ根奉仕に励むことにした。10数年前の開戦記念日に大東亜解放の精神を取り戻せと主張して割腹自決をされた学生S・S大兄の慰霊もかねての参拝である。 沼山氏とはこの金沢護国神社での慰霊祭や靖国参拝時に清掃奉仕に参加させていただ利していたのでお会いして立派な方がいるものだと思っていたが突然の自決の報にいたく残念な、申し訳なき、恥ずかしき思いに身震いしたのを思い出した。 三ヶ根奉仕が大変だなどと口にすることがいかに愚かで恥ずべきことか。英霊となられた皆さんのご決意や、沼山・S両氏の思いに恥ずる生き方をしてはならぬと思ながら一日を務めた。 今日は主に花壇入り口周辺の遊歩道つくりとつつじ園の整備、伸びた大木の枝内など。 6時帰宅、仕事に入る、常常に民幸祈るすめらぎの 御心思い友は逝きけり
2023.08.05
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太平を拓かむと燃ゆる英霊の 御霊尊し三ヶ根の山8月になった。6日広島9日長崎の原爆投下。そして15日の終戦記念日とつらい日がつづく。15日には阿崎の教育を考える会主催で午前11時より岡崎城の龍城神社にて御霊鎮めの集い英霊慰霊祭を開催します。 午前11時 英霊に感謝する歌の奉納。 11時半 慰霊祭・(神社となり慰霊碑前 アラモの碑参拝・懇話会 終了予定は12時半 是非参加ください
2023.08.03
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午前中は孫の世話、昼から三ヶ根行き。つくとなんと熊本からお越しのお二人が見え説明をさせていただく。すぐに水巻。干上がった花壇にはいくら水を入れても足らない。上からのホース散水では必要場所にあたらず大変であるがポリタンで運びじょろにて水やり。 アジサイの枝落としをしたので花壇の花の空白場所が目立ちそこにヒャクニチソウなどを植え込む作業。13ケースのうち10ケースを植え込む。歩道部分は5.6本の小木をきり、通路拡充をなす。 つつじ園は下草刈りをほぼ完成。 今日は篤志家より贈呈送付いただいた蚊よけスプレーを使わせていただき効果てきめん。ありがとうございました。 ご夫婦でアジサイの花を取りにお見えの方が。ドライフラワーにされるそうな、 必死に作業して何とか満足する仕事ができ7時半に下山、帰宅して孫の世話、92歳の白髪頭の母になじまず泣いてしまう0歳児。困ったが一案を講じ、赤子でも食べることが出来る菓子を母より常に渡してもらうことにした。するとハイハイをして母のもとに行くではないか。帰宅するころには相当安心したのかバイバイの所作をするまでに成長。母の笑みがうれしかった。 老婆見て泣きじゃくる孫も食を得ばこころ許して笑むぞうれしき
2023.08.02
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とつぜんに蜂の群見て巣を踏みつ 花に誘われ 来たるばかりに.朝8時に家を出て三ヶ根に。するとすぐに農園から花が用意できたと電話が。すぐに山を下りて農園に購入しに行く。16ケースを軽トラに詰め込み再度三ヶ根に。花壇部門のメイン作業は芝桜に覆う草取りと枯れた花の撤去など。しかし16ケースのうちることが出来たのは1ケースのみ。作業予定外のためいたしかたない。遊歩道部門は巨木の切り倒し一本と花壇入り口部分から斜面に降りるための降り口の一か作成。次いでアジサイの剪定の続き。なんとアジサイの葉の下に蜂の巣が。驚いたが踏みつけて即座にダッシュ。かわいそうだがしかたない。つつじ部門は東側部のつつじの根元の下草かりとりとつつじを覆うツタの撤去。廃墟部門はセメント廃材の積みなおしの開始。これはほとんど進まなかった。ひたすら作業の一日であった。帰宅して13日の阿崎学習会の講師の先生と打ち合わせ。中学歴史教科書問題について出版もされている井上先生。日本人の歴史意識を変えねばいつまでたっても自国を愛する子供らは育たない。是非多くの皆さんにご理解いただきたいものです。
2023.08.01
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朝6時半ころから資材置き場の部屋の整備をしていると半日はかかるから三ヶ根行きはできないよと妻のアドバイス。やりだしても時間が来れば中途で放り出してでかけてしまうことを知っている妻からの牽制。納得して作業を延期し、7時半に家を出て三ヶ根作業にいく、「東の靖国、西の三ヶ根」 この言葉を聞いたのはどなたからであったろうか、三ヶ根を守れば必ずや日本の復活はできると私は思っている、ここにご参拝くださる方々は、必ず日本復権の同志となってくださるはず、小学生をお連れになり、参拝くださったお父さまの車のナンバープレートには岡崎の文字が、うれしくなった。 陛下は初の外遊でインドネシアに行かれ、国立墓地に参拝に行かれた。国のために命を懸けた同胞のみか独立運動でインドネシアに命をささげた日本人の墓も浜にも祈りをささげてくださった、その美しく整備された墓地の映像を見て国家の姿勢思った。靖国さんは多くの国民の思いが詰まっており見事に国立墓地に匹敵する祈りの場所となっている。では三ヶ根は。国立墓地に匹敵する整備の美しさを持つべきではなかろうか。むろん国や公、さらには神社の支援があるわけではない。すべてが少数の民間有志の力で英霊の休まれるにふさわしき場所にしていかねばならない。国や市町村や神社財界の支援なくして英霊をお祭りするにふさわしき聖地と成しうるか。本腰を入れねばならない。神々の幸はう聖地と成さんため 日々の務めにこころつくさむ 今日の作業はアジサイの剪定と花壇の草取り。約600平方メートルの花壇の土地の草取りは一人では一か月かけてもとてもできない話。しかもこの暑さ。何とか二つの花壇の草取りを終えたところであきらめアジサイの剪定に移る。半分ほどのアジサイの剪定を終えてつつじ園に移り下草の除去やササの抜き取り作業。虫に刺されたようで4・5か所が腫れあがっているのにきづく。いつ刺されたのかもわからない。力を使いすぎたのかなんと指がつってしまった。初めての体験である。昔祖父が田植え時期にヒルに刺されて血を吸われていても気づかずに仕事をしていたのを思い出した。いたくないのか不思議であったが、疲れているとそんなものなのか、と感心しなおした。これも2時間ほどであきらめて廃墟の整備作業。片づける鉄の重さにどっと疲れる。ここで力尽き4時に下山。今日は蒲郡の花火のため三ヶ根山にて構えるカメラマンが7・8名陣取っていた。 帰宅して8月13日(日)の学習会の講師との打ち合わせ。 訂正三ヶ根山殉国七士墓にねむられる東条閣下はじめ七名の慰霊に昭和天皇陛下がお越しいただいたのは昭和五四年の五月二十七日のこと、山の中腹のグリーンホテルにお泊りになられ朝食後15分から20分ほどの長時間にわたって墓の方向に向かって正対なされ慰霊をなされたと伝わっています。その後に植樹祭に向かわれたのですが植樹祭の日時が26日との資料を見つけ以前の当ブログにて、ならば植樹祭のご出席になられた後でホテルご宿泊だったはずとしてしまいました。今日三ヶ根のともに指摘を受けやはり27日が植樹祭だったと確認お詫びし訂正いたします。
2023.07.31
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朝6時より岡崎倫理法人会セミナーに参加。 亡き友を讃えつたふる講話者に 万感の思ひもち 挨拶を述ぶ西三河地区長の簗瀬太先生と株式会社KRTの倉田毅社長のお話を聞く。実に衝撃的なお話であった。お二人がわが尊敬する最愛の同志、故磯貝暢宏(のぶひろ)氏の後を継いで倫理法人会の重要な役を担ってくださっているのだと知る。そして磯貝氏の思いを残すことなく余すことなく継承したいとされている。 磯貝氏の信条は祖国日本を守ることに臆する事なき信念を貫く事だったと私は思う。実は氏の堅固なる信念がここ、倫理法人会の学びにて培われたのかと、初めて知った。氏とは私が立ち上げた愛知の教育を考える会の活動を通じて知り合った。西尾小学校初代校長の関口長太郎先生の慰霊祭を始めたのは14年前のこと。その後、7・8年たって磯貝氏から慰霊祭への協力を申し出ていただき感銘してお願いした。会社の社員にも協力を求めてくださり、昨年は二日間で250名の講演会参加者が集う会になるまで育て上げてくださった。更には碧南市の建国祭への協力や、同氏の市議選の後援会長としての協力、三ヶ根山の清掃奉仕や台湾との交流、歌手ミネハハさんによる三ヶ根慰霊祭実施など。これだけの人材には人生さほど出会えるはずもなき立派な会社経営者となられていた。その氏が現職教育委員の責務を担っていた現役のままの急逝。あの時のショックは忘れることはできない。 磯貝氏と学生時代の話をした際に道を求めて学び読み込んだ宗教書や敬愛した思想家など共通する部分が実に多いことを知り同じ世界を共に目指す友として大いに信頼しあった。「杉田さんは私のやろうとする活動のほぼすべてにおいて数歩前を進んでいます。常におっかけばかりです」などとよくお世辞を言うほど人を気遣う人であった。 その磯貝氏を今日のお二人の講師が褒めちぎってくださった。わがことのようにうれしくおぼえたのだ、 「倫理法人会 」この会はすごい。同憂の友が会の運営の中核を担い、その思いを受け継ぐ方が氏の功績をこうして語ってくださる。私もできるだけ継続参加させてもらわねば。そんな思いで帰宅した。 仕事を午前に行い、昼から三ヶ根に走りうえ残しの花を植え切り水かけを終える。 スカイライン割引チケット200枚追加購入。 夕刻5時半に岡崎城近くの浄瑠璃姫供養塔を参拝して岡崎城二の丸能楽堂へ。六時から浄瑠璃姫物語 小野お通伝 の浄瑠璃堪能。岡崎学習会参加者及び参加体験者は一五名ほど。実に貴重な体験をさせていただいた。来年は涼しいときに行ってほしいものであります。
2023.07.30
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朝神社清掃と母の付き添い同行。盆の行事の家族親戚対応予定の計画など。コロナ収束とはいえままだ通常には戻せず、集まる親族30名分の個別料理を店に注文しにいく。 三ヶ根行きは作業終了後の3時半より。 水やりをなし、さらにヒャクニチソウなどの植え込みを為すが残り2ケースほどの段階で業者からの電話が入り植え込み作業を中断して急ぎ帰宅。空ケースも空ポットもそのままにして帰ってしまった。 夕刻に再度仕事があり10時終了、公私ともにやり残しばかりで気が重い。空き時間に我が家周辺の草取り、ほかっておくと待ってましたとばかり母が草取りをしてしまうのだ。92歳になっても動いてばかりの母。この暑さ、心配で私も動くしかない。 娘の子の面倒をみる。楽しいが仕事が進まぬのが難点。明日は6時から12時までは行事が目白押し、6時からは岡崎城二の丸能楽堂にテ待望の浄瑠璃姫発表会。それまでの時間を使って三ヶ根の水やりと苗植えを終えてつつじ園の作業にも目鼻を付けたい。 我を見て笑みて這い寄るみどり児に 何を教えむ 何残さむ
2023.07.28
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朝に仕事を回し1時から活動。1時に西尾の農園に走り花を10ケース購入。三ヶ根に運び植え付けをなす。10ケース分はすべて植え込み完了。しかし先回の残りの6ケースはうえ残り。昨日しっかり水やりをしておいたが、今日行くとこの暑さのため相当弱ってしまっており明日には植え込みを完成しなくては。明日は4時過ぎからしか行けないのが気がかり。さて今日の作業。花植えをなしてからはつつじ園の雑草取りとツタの撤去作業。三ヶ根プロジェクトの主要なテーマはA、殉国庭園整備(花壇の植生、草取り、水やり、芝桜部分の補修など)B、小田忠治公園整備(枯れ木伐採・草取り・見晴台への通路整備) C、つつじ園整備(アジサイ・さくら木 下草とり・通路確保)D,遊歩道整備(下草刈、斜面雑木間引き、ベンチ配置など)E、廃墟対策(撤去の前段階の瓦礫・鉄骨片付け・目隠しなど)等、さらには通信発行や広報でありましょうか。トイレ掃除も多分加わるようになりましょう。石碑磨きも何とか続けねば。 それぞれの課題を少しでも進めていかねば。 今日は西尾市の渡辺市議さんからのリクエストが西尾市にあったとのことでアスファルトの凸凹部分の正義の予算請求資料作成のための測量があった。多くの市議さんのお働きで三ヶ根の関心がたかまってきているようであります。 今日もアブにいじめられて蚊に刺されとげに泣きながら作業貫徹。 夕刻7時に下山。 プロジェクト参加協力者をなんとしても募らねば、前に進めません。 山思う市議の要請すぐに受く 役所の人のこころうれしも友の為す赤きベンチに休みたり あまたの人のこころ根すがし
2023.07.27
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昨日26日は朝5時に家を出て6時からの蒲郡法人会モーニングセミナーに参加。県議になられた同憂の友の講演を聞く。10年来の活動の友である。県議の秘書から市議を5期務め今回の県議選で見事に当選、毎年蒲郡の建国祭の責任者になっていただきながら今年の建国祭は事務局の準備不足と不手際で未開催としてしまった負い目もある。数年前には講師の先生が入院、その後にお亡くなりになられた際にも中止となってしまったことがあったが今年は他県の建国祭の実行委員会から同講師先生の講演者要請を受け蒲郡の建国講演の日程変更をすることに。その際には多大なるご迷惑をかけてしまっている。結果蒲郡の建国祭史上2度のご迷惑をおかけしてしまったわけで頭が上がらない。それにもかかわらず先回、私の講演をわざわざ豊川にまで来て聞いてくださった。義理は果たさねばと勇んで参加させていただいた。市議時代の苦労や思いなどを語られるなか、出てくる人物名など、懐かしく思い出しながら伺う。志半ばで病で命を落としたM県議のこと。彼が生きていれば愛知の保守の低たらくも少しはとどめえたのではなど。いやまだ志を磨く市議県議も多くいらっしゃる。利権に走らず国家国民のために動いてくれる人材も与野党問わずにいる。僕らは常に濁流の中に清流を流し続ける責務をひたすら担うのみ。すべてはこれからだと思いつつ話を聞いた。 終わってすぐに三ヶ根へ。昨日持ち込んだ花のうちの3ケースだけを急ぎ植えてすぐにつつじ園の整備の作業に移る。しばらくすると西尾のNさんが忙しきなかきてくださり現状の写真撮影に入ってくれた。10時になると西尾市議のYさんが現状確認に来てくださったのでいっしょに回り案内。やぶ蚊やアブが飛び交う中、民地と市の境界と思しき境界板に沿って花壇近くの山を分け入って写真撮影をなす。さらに遊歩道になりうる以前からある山道の確認や、三ヶ根山の開拓功労者の小田忠治氏の公園の整備現状、また廃墟の片付け現状を写していただき、市役所の担当部署に示していただく事に。 一応の現状把握をなしていただき、私hが再度つつじ園の整備に戻る。 1時に安城のコンサート会場に行く予定で帰宅。浄瑠璃姫物語の実施が29日、その紹介を合わせて行うDUOゴジュー~産お二人のコンサートである。遅れてしまったが参加させていただき久しぶりの感動の演奏を聴く、。終わって4名で8月15日岡崎城龍城神社にて行う終戦記念日の慰霊祭の打ち合わせを為す。夕刻7時より仕事、
2023.07.27
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12時前に商工会議所につかねばならず、今日の三ヶ根作業は6時前に家を出て実働4時間で終えた。水かけと主につつじ園の整備。 夕刻岡崎の教育を考える会責任者のK氏らと8月15日、岡崎城の龍城神社にて行う終戦記念日についての慰霊祭実施に関する打ち合わせ。この地の慰霊碑は岡崎市内の各地区ご出征の英霊の慰霊碑となっている。Y氏によれば幸田町の英霊をお祭りする幸田神社が取り壊されて今は平地になってしまっているという。現地を確認していないが維持管理が難しくなった結果らしい、合祀されたのか否かも含め確認しておきたい、夜中にNさんと明日発行する観光プロジェクトについての確認などを行う。町内の方の3回忌の法要のために14脚の椅子をお貸ししたが、そのお返しをいただく。律儀な方で台湾の芝山巌教育の関口長太郎先生慰霊祭にもご参加くださった才女が嫁がれた家、漫画本が出来上がればすぐにお渡しすることをお伝えする。亡き姉の娘がご夫婦で3か月の御子さんを連れてきてくれて大いに歓迎。今年の盆には母にとってひ孫だけで13名とその両親などで30名ほどが我が家に集い先祖の御霊をまつることになりそうである。これまた楽しいことであります。準備が大変ではありますが。明日も早めに三ヶ根作業を進める予定。水曜10時には市議さんの引率をなしてプロジェクトの今後についてご意見を賜る予定。それまでにできるだけの環境整備をしておかねばと必死であります。
2023.07.24
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23日日曜朝一番に三ヶ根に。M氏が作ってくれたベンチが花壇入り口に設置してある。実に抜群な立地。ロケーションも実によい。そのまま固定してその周辺に昨日の花を植える。作業は4時すぎまで。今日は第4日曜のため三ヶ根山殉国七士清掃奉仕会の皆さんが集まり作業をなされる日である。主に最上階(一段目)と2段目の草取りと清掃及び参拝者への案内作業。私も会員のためこれを行う。常にはそれ以外に観光活性化プロジェクトの作業がありこれは廃墟の撤去や山の開発功労者の八田忠治氏の公園整備なども推進するグループ。通信発行やウォーキングなど市の行事に連動して三ヶ根山のために動く。その現実的主要な任務は3段目の「殉国花壇」部分とその下の遊歩道を中心になす美化作業。プロジェクトの方は年会費1000円で加入していただき実際に作業に来ていただく皆さんにスカイライン通行費の一部負担や植え込みの花の購入費や活動報告通信費などに利用させていただいている。スカイライン通行券は一枚が通常420円。作業に来ていただける方は昨年までこの金額を個人で負担していただいていたので月2回の作業に来るだけで840円をご負担していただいていた。年間ではその12倍。1万円を超えるお金を作業参加するだけで負担していただいていた。ガソリン代などの交通費はむろんかかるわけです。遠方から高速代を使って毎回来てくださっている方には誠に申し訳なき事。それを少しでも軽減するために協賛金を広く集めるために会費制度を作り趣旨に賛同くださる方を募ったわけであります。ボランテイア作業スタッフは通行費を無料にしていただきたいのはやまやまですが現状そうはいかない。何とかしないとこの活動はますます厳しくなってしまう、考えねば。 さて作業を終えて4時帰宅。終戦記念日細案企画など。
2023.07.24
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朝岡崎倫理法人会モーニングセミナーに参加。西尾市議と語り三ヶ根の現状視察を要請。水曜の10時に現地にて現状の確認をすることになった。主に廃墟の件と三ヶ根開発の元町議八田忠治先生公園と枯れ松の処理と植樹、花壇下の西尾市と民地との境界線の推定地確認と市への調査依頼の準備。父の月命日の法要を済ませる。私の仕事を済ませ昼から三ヶ根作業に走る。 4時半帰宅。 Ⅰ氏来訪を受け活動の現状を報告。国旗掲揚運動に最も力を注いでくださっていた方。病を患い、発声用の器具を使って話をされて見えたが、岡崎学習会には常にご参加してくださった憂国者。しかし声を失われたのが4か月前のことだったろうか。気を使われ学習会には3回ほどご参加になられなくなってしまったが、先回の国旗掲揚を4名で行ったことを申し上げると私の手を両手で握りしめて大いに喜んでくださった。ちなみに掲揚のための高いところまでに登れるアルミの脚立は10数年前にこのⅠ氏が寄贈くださったもの。実に重宝している。話は筆談。その喜びあふれる激励の文字を見て胸迫るものがあった。私より年は若いが国思う本気さは私に比ではない。 私の健康を願い、体に良い水を届けてくださったのだ。 学習会にいてくれるだけで皆が元気になってくれるからぜひ参加してほしいと懇願した。こうした方の思いにこたえるのが私の責務と改めて思った。私が留守中にまた母が畑仕事をして転んで頭を打ってしまった。しばらく様子を見たが大事なさそうであり急ぎ着替えて西尾の農園に三ヶ根山用の花の購入に走る。購入は6ケースにとどめる。6時半からの西尾での関口長太郎先生の絵本作成についての会合に出る。皆さん本当に素晴らしく活動してくれている。大切な資金集めのクラウドファンディング開始の話も概要が決まる。参加者は8名。皆才能も人脈も地域思い国思いの心も持つ最強のスタッフ。皆さんまさに超人。どうしてこれほどのメンバーがそろってくださるのか不思議でならぬほどである。感謝しかない。
2023.07.23
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昨日は朝、客を迎えた後で我が家の隣のテナントさんがここ数日社用車もなくもしかしてでられるかもしれぬとおもい、借りたがっている町内企業さんにはなしをもっていく。もし空くのならぜひ話を進めてほしいといわれたので家主さんに聞きに行った。すると7月を限りに出られる予定とのこと。仲介業者さんとのつなぎを行った。さあ三ヶ根にいこうとすると、母の世話と孫の世話が飛び込み、解決するのが12時半すぎ。それから三ヶ根に行き、作業。 まずは花壇の花と部隊碑の花の水やり。終えてつつじ園の草取りと整地の続き。じめんはすっかり乾燥しているので2度目の水やりに回る。夕刻の仕事に間に合うように5時には三ヶ根を出た。今日も朝7時半に三ヶ根につき昨日の続き。全面水やりを終えて つつじ園の西側の斜面の草とりを中心に行う。土曜日に設置していただいたベンチに合うように私も一人用の木製ベンチと置台をもっていって、設置したが、実は月曜日にすでにベンチが見つからなかった。まずい、誰かが持ち去ったのではと思った。実によく出来ておりよく目立つので皆さんの評価も高い。初日には皆さんと別れた後、花をもう一車購入して運び、その際わたしもベンチに座って感慨にふけり、書を読んでみた。 いやまてよ、私がベンチを持ち込んだように作ったくれた友がさらに1・2脚増設するために持ち帰られた可能性もあろうと思い返した。いずれにせよそのうちだれかが連絡があろう。 すると昨日、作者が持ち帰られたとの知らせがはいる。とりあえず盗まれたのではないようでほっと一安心。作者の方に私のベンチの色塗りも頼みたいと電話したが通じず、次回の邂逅時に頼んでみたい。さて今日の暑さには閉口。しかし作業も進めるしかない。野ばらの茎を握りしめてとげにより流血。いまだとげも抜けず。つつじ園の西側の斜面の雑木切断やしぶとい笹野切断などを中心に作業を行う。 12時前には4名の友が作業にまた見学に来て下さり座談。安城市では憲法にのっとり外国人への生活保護の打ち切り表明がなされたが、左翼弁護士の介入により違法ながらも外国人への生活保護施策が復活したとのこと。地方自治体が法律・憲法違反をなさざるを得ない力関係が厳然と残っている。それでいて後期高齢者たる母はもう目がほとんど見えず歩くのも不安定な状態ながら年50数万の介護保険料を払わねばならぬ。介護認定の申請をしてくれればいいがまだ家にいて生活できる、世間の世話にはなりたくないと頑張っている。外国人が安直に生活保護をもらえるシステムはおかしすぎる。話は大いに盛り上がったがいかんともしがたいとの話になってしまう。むねんである。皆さんゆうとぴあさんに食事に行かれたのでまた一人で作業。暑くてたまらず再度水やりを終えて2時半に山を出る。今日の私の仕事は4時半より。何とか間に合って帰宅できた、 保守の会発行の「保守」誌第11号の贈呈を受ける。内容に大いに賛同。さらに読み進めたい
2023.07.20
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昨日朝資源回収を終えて三ヶ根にいく。本来日進学習会に参加する予定であったが、この暑さ。20ケースもおいておけば草花が煮え立ってしまう。一刻も早く水やりせねば。 9時に三ヶ根につく。とりあえず水やりをなして昨日の続きのつつじ園の草かき・草取りを行う、昨年いったんはきれいにして木枠で囲っておいたがもうササや他の草の繁茂でなかなか戻せない状態。仕事半ばにして花植え作業に入る。 急ぐが花壇の面積が広すぎてなかなか進まない。半分の10箱ほどを植えてリタイア、 2時に帰宅して国旗掲揚の準備に入る。 4時に3名の協力を得て4名で康生通りから北の伊賀町あたりまで進める。 今後のこともあり、全域を見ていただくため車を一車にして掲揚場所をめぐる。岩津までの場所と、幸田町の駅前まで、車に乗っていただき場所の確認をした。 むろん掲揚の時間は取れないためコースを確認していただくだけになったが道中に様々な語りができて楽しかった。再度伊賀町まで帰ってここで解散。途中康生通りの掲揚国旗を皆さんに見ていただいたが感動の声、夜の街路灯の光に輝く国旗の美しさに感動していただいた。 私はここから再度同じ道を国旗の掲揚をなしながら走り、岡崎市内の掲揚を終えて帰宅。夜10時。。疲れてしまい、町内や神社さらに幸田の掲揚は今朝5時から行う。 先ほど掲揚し終えて帰宅、町内で掲揚中の先輩に会う、 今から三ヶ根花壇へ。残りの花をすべて植え終えてからつつじ園の草取りをおえたいものです、
2023.07.17
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朝8時に名古屋の護国神社につく。今日は第3土曜日。尾張の友と清掃及び学習会の日である。開始は9時からですので少し早めに開始。6名にて行う。8月16日にはみたままつり献灯祭があるので申し込みをさせていただいた。しかし同時に今日は15日であるので三ヶ根の花壇整備日でもある。こちらは10時に開始。皆さんにお断りをして例会や打ち合わせを短時間で終了。三ヶ根に急ぎ向かう。12時半に到着。こちらも8時半に作業に入ってくださる方がみえる。19時に都合でおかえりになられた方も。昼のおにぎりを用意してくださっていた。いそがしき中でも参加できる時間を作り出して作業参加をしてくださる方。本当にありがたい。8名で行う。手作りのベンチを作ってきてくださった方、遊歩道を安全に作成して下さったり応援に駆けつけてくださった方など本当にありがたいことであります。20ケースの花も全てうえおえて2時過ぎに作業を終了して解散となる。おそらく一番のさぼり魔が私なのでしょう。作業時間が最も短く終わってしまった、空箱をのせて西尾の農園に戻しさらに19ケースを購入して三ヶ根に戻る。 そのまま水やりをして置いておくことにして殉国7士廟入り口の入り口の紅葉園の草取りを行う。花壇がこれだけきれいになればやはりここもきれいにしなければ。 Kさんの社員の方が廃墟の鉄骨の一部の切り落としを行ってくださった、相当危険な作業のようで、振動でコンクリートの壁が落ちそうであった。帰りがけに見てみると鉄骨が切り落とされているのを確認。見事な作業であると感心、ブロックと木の柱を立てて危険場所への侵入をとどめるべくロープを再度設置しておいた。 とはいえここの草の量は半端ではなく根性が続かない。6時に終了して帰宅。明日は日進の学習会が9時半。夕刻には国旗掲揚が待っている。何とか資料を作り終えねば。同憂の士の皆さんに後れを取るわけにはいかないのだが。この暑さには閉口である。クーラーなしの扇風機生活から脱出したいのだが当分厳しそうである
2023.07.15
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朝10時に西尾の花農園にて様々な花を20ケース購入。明日がつき2回の合同花壇図栗の日であるので来られる人に時間があれば植えていただく事ができる。とはいえ人数はさほど多くなく残れば来週中に植えるのみ。 今朝は気になっていたつつじ園の剪定とその根元の草取り。ここを芝桜でいっぱいにして一段目から芝桜で満たせば2段目3段目の芝桜もより美しく参拝者の目に映るようになろう。何とかササの根を抜き取り土面を作ることが出来た。休憩に軽トラック車に戻りクーラーで体を冷やそうとするとなんとエンジンがかからない。しまった今日は西幡豆ルートからスカイラインに入ったためトンネル二つを抜けてきたのでライトを消し忘れバッテリーが上がってしまっているではないか。まあどなたか参拝者がお見えになるだろうからブースターを接続させw手いただきエンジンをかければいいやと安易に考えていたが、電気自動車やハイブリッド車の方ばかりで接続の仕方がわからない。24ボルト車では軽トラの12ボルトには不適応。押しかけしてもかからないためついにあきらめJAFのお世話になることに。しかし到着まで1時間半かかるとのこと、。6時すぎから来客が2組入っており、その後にすぐに私の仕事開始。泥だらけ汗まみれのままでは失礼極まりないため入浴も済ませねばならない。何とかたどり着いたがさらに孫を連れて子供が来ており、風呂も家族が使用中。大ピンチであるが仕方ない。何とかしのいですべての対応を行うことが出来た、その一つは三ヶ根たよりのはがき発送原稿の確認。N女史が見事に作ってくださった。かんしゃあるのみであります。もう一つは死亡時の保険の組み換え。生きている限り払い込み、80歳だったかの前に死亡すればおりるがそれ以上生きれば一円も下りず払い込んだ金はすべてむだになるのだそうな、それも月払いの金額も10年ごとに改訂され驚くほど高くなる。ならば解約して払込金の半額ほどの返戻金をもらって子供らに渡した方がよかろうとはんだん、活動費や国家のために活動くださっている会に支援した方がよかろう。 明日というかもう今日は午前9時から護国神社の清掃のため名古屋へ。終了後、三ヶ根作業に合流予定。その前に朝6時から岡崎倫理モーニングセミナーに参加できるか。いなか。三ヶ根行きは早くて12時。皆さんに申し訳なくてならないのだが。行事が重なってしまうので致し方ない。さて仮眠から何時に覚めるか。しょうぶなのである、。
2023.07.15
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今朝豊川倫理法人会の講師をさせていただいた。通常は35分だそうだが特別に一時間の時間を使って話させていただいた。昨日時間延長のご連絡をいただいたので仕事が終わって夜中にプリントを7種類追加して印刷し、朝5時に会場につき車の中でプリント折をして封筒に入れる作業を為す。ぺリリュー島の話やインドネシア独立の話さらに三ヶ根山の慰霊についての話をさせていただく。皆さんの感想メッセージをいただき深く感銘。実に暖かい皆さんであります。しかしさすがに寝不足がきつく、今日の三ヶ根作業は体力的に遠慮させていただいた、今まで購入した花は昨日までにすべて植えたがまだ足らず明日の朝に購入しにいくことにした。 皆さんの「戦犯」意識の改変が出来たのは大いなる成果ではないかと思う、 カラー印刷機が不調で業者に来ていただき修繕完了。しかし方も古くなりもう部品の調達が不可能とのこと。今度不調になると直せなくなるやもしれぬとのこと。高性能の印刷機であるが故の修理の困難さがあるようだ、大切に使わねばならない。
2023.07.13
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明日豊川にて講演会をたのまれ。テーマ骨子を知らせてしいと連絡を受ける、まだ冷静に考える時間がなくとりあえず「三ヶ根山慰霊と昭和天皇陛下」としてメールを送る。 三ヶ根山は沖縄を除けば日本一慰霊碑が多い場所といわれている。ここに東条閣下はじめ7名の殉国7士の墓が作られたのは昭和35年。27年4月28日のサンフランシスコ講和条約発効の時を迎え小磯内閣総理大臣の裁判の弁護をなされた三文字正平先生らが慰霊碑建立計画を発表。廟が出来たのが35年。60年安保の年。 その年以降に、7士の近くに英霊を休ませてあげたいと願う部隊の生存者やご遺族が慰霊碑を建立。7士廟の近くに14基。少し離れた三ヶ根観音・比島観音の方に八〇数基。合わせて一〇〇基近くの慰霊碑が立っている、枢機合わせて一〇〇期近くの慰霊碑が建立されている。そのほとんどすべてが東条閣下はじめ殉国七士の英霊の皆さんの近くに休まれることを臨まれて慰霊碑が建立されたわけであります。比島とはフィリピン島のこと。フィリピンのモンテンルパでは、死刑囚が五九人無期刑が二九名有期刑二〇名が収監されていた。「戦犯」とされた方々は、獄舎内での堪えがたい重労働に苦しまれたという。私がモンテンルパの慰霊に行かせていただいたのは昭和五五年であったか。チャイナの墓は大理石でクーラーがついていたが、日本兵の墓は石ころ。この無念さは忘れられない。終戦直後。歌手の渡辺はま子さんは、フィリピン国防省の許可を得て、モンテンルパを訪れ、各房を慰問した。「モンテンルパの夜は更けて」を歌った時は「戦犯」の一同も合唱した。彼らは祖国に向かって体をふるわせて泣きながら歌ったという。。その姿を見た同国の政治家デュラン氏は、「私が責任を持ちますから国歌を歌ってお別れしなさい」と言ってくれた。我が国では国旗掲揚も禁じられていた時代。敵国の刑務所で「戦犯」が、祖国の国歌を歌うことなどありえない話ではないでしょうか。これを見ても日本軍が暴虐の限りを尽くしたなどの話は信じがたい フィリピンのキリノ大統領は、死刑囚の処刑を中止し、すべての「戦犯」を日本へ移送せよとの命令を下したという。日本兵が違法な残薬の行為をなしていたとしたら憎しみを抑えてまでこうした判断ができたであろうか、フィリピン戦では米軍の指揮官はマッカーサー。しかし日本軍との戦いに敗れて何万の部下を置き去りにしてオーストラリアに逃げ出す。本間中将に対しての厳しい対処は敗北の悔しさからともいわれる。 昭和二十一(一九四六)年二月七日、元フィリピン派遣軍総司令官・本間雅晴中将を戦犯として裁くマニラ軍事法廷で、弁護人側証人出廷最終日であった。被告の妻・本間富士子さんは証言の終わりに、次のように言った。 私は東京からここへ参りました。私は今も本間雅晴の妻であることを誇りに思っております。私には娘が一人おります。いつの日か、娘が私の夫、本間雅晴のような男性とめぐり合い、結婚することを心から願っております。本間雅晴はそのような人でございます。 この言葉が伝えられると、法廷のあちこちからすすり泣きの声があがり、米軍検察官の中にも感動のあまり涙を拭う者がいた。本間雅晴中将。この立派な紳士を死に追いやった軍事裁判とは果たして何か。米兵の投降を命じて見るとなんと米兵が予想の倍以上。日本兵よりもぐんと多い。予期せぬ捕虜の数に日本軍は輸送の手段がない。無論日本兵も徒歩での移動。この地に残せば捕虜は全滅。捕虜は日本兵と対等な扱いをしなくては成らない。しかしそれではみな死を待つのみ。日本人としてそれはできない。 何とか歩いてでも食料のある地へ。これが後のパターン死の行進と呼ばれる捕虜の移動である。バターン死の行進という沿道には米兵のみの立派な慰霊の碑があり、日本兵を祭る碑はかなしくもないと聞く。米兵は日本人のしゃれこうべを飾りにして持っていった。ペンダントとして恋人にあげもした。無辜の民に原爆を浴びせ、大虐殺をなし、無差別爆撃により日本本土中に焼けただれた国民を作り出した。何たる非道。これをアメリカは謝ったのか。悔しくも戦争とはこうした悲惨なもの。致し方なき部分はどこにでもある。 昭和二十八年八月三日、衆議院本会議で、「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」が、全会一致で採択された。 これと並行して、戦争裁判による死刑者、獄死者の遺族年金、恩給支給の運動が起こり、当時の左石社会党を含む国会の、全会一致で右法律が可決された。通常懲役三年以上の刑に処せられたものの恩給は停止されるが、東京裁判の死刑者等は、国内の犯罪者ではなく、戦争犠牲者と考えたから支給を決めた。サンフランシスコ講和条約発効後、いわゆるÅ級戦犯の受刑者は、国内法上は「公務死」の扱いにされた。本間雅晴中将。この立派な紳士を死に追いやった軍事裁判とは果たして何か。投降を命じて見るとなんと米兵が予想の倍以上。日本兵よりもぐんと多い。予期せぬ捕虜の数に日本軍は輸送の手段がない。無論日本兵も徒歩での移動。この地に残せば捕虜は全滅。捕虜は日本兵と対等な扱いをしなくては成らない。しかしそれではみな死を待つのみ。日本人としてそれはできない。 何とか歩いてでも食料のある地へ。これが後のパターン死の行進と呼ばれる捕虜の移動である。 マッカーサーはすでに逃げ帰って、米兵を見殺しにしたのだった。これが米兵を生き伸ばさせる唯一最善の選択であった。しかし、これが裁判にて罪にとわれ、本間中将は処刑される。すべての罪を背負って従容と死につかれたのだ。バターン死の行進という沿道には米兵のみの立派な慰霊の碑があり、日本兵を祭る碑はかなしくもないと聞く。 米兵は日本人のしゃれこうべを飾りにして持っていった。ペンダントとして恋人にあげもした。無辜の民に原爆を浴びせ、大虐殺をなし、無差別爆撃により日本本土中に焼けただれた国民を作り出した。何たる非道。これをアメリカは謝ったのか。いつまでも東京裁判史観に縛られてはならないのだ
2023.07.12
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昨日は我が家にて夕刻から学習会講師はオルホノド・ダイチン氏。北モンゴルは戦後もこっているが、南モンゴルもチベットも。巧みなほほえみ戦術に惑わされてついに国家を失いい、漢族の植民地とされてしまっている。独自文化を保証され自治を幅広く認めれる約束でチャイナの一つの州として生きることになったがついには行政官も漢族に乗っ取られ、2言語政策の保証もご破算とされ、モンゴル語での受験や契約書作成も認められなくなってしまった。混血も一気に維新され民族としての存立が不可能にされてしまっているという現在進行中の全面チャイナ化の過中にある。抗議でもすればすぐに囚われて弾圧されて舞うのだという。自民党内に南モンゴル支援組織がたちあがったことに期待を述べられたが、安倍総理亡きあとどこまで支援の輪が広がるか本当に先が見えない状態。何とか支援を続けねば、 参加メンバーにはかると24名の参加者のカンパ金が24400円集まり氏に贈呈。うれしきことであった。 7時終了。その後は自由討議。最終解散は9時過ぎとなる。 参加者の皆さんがこうして篤く議論して運動を前進させることができることに感謝したい。今日は三ヶ根活性化推進のたより作成スタッフの会合を行う、通信発行を一週間後をめどに行うこと、廃墟の危険性を減らすために業者をいれて作業に入ること。賛同者を増やすため、様々な行事に参加及び主催することを提言することなどをきめる夕刻4時すぎから三ヶ根にはしり、三ヶ根花壇整備にいく。7時半まで作業。2か所の排水溝作成。
2023.07.11
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七月九日 岡崎学習会皇室尊崇の活動現状 海の日奉祝 来年度建国祭ついて 小旗作成実践と国旗掲揚運動の推進について慰霊活動の現状と推進について三ヶ根山の環境整備と花壇再生実施 豊橋陸軍墓地清掃 7月2日 15名護国神社清掃 六月十七日・七月十五日 九時より 献灯祭 八月十六日 八月十五日終戦の日 岡崎、龍城神社にて慰霊祭 集合九時半 ポスター作成教育運動について 学校教育と半旗掲揚 黙祷 教委への要請 関口長太郎先生顕彰会の活動及び台湾交流について 関口長太郎先生漫画本作成と贈呈式 資金調達の方途について 教育資料 冊子 中曽根先生 教育勅語資料 プリント 高橋史郎先生三ヶ根山活性化プロジェクト 現状の活動 六月十七日さわやかウォーキング支援 民宿廃墟地の安全確保と美化 七月度通信発行について 署名活動・陳情活動の提言 憲法改正運動 イスラム教徒土葬問題について 陳情書例 自衛隊 議場国旗掲揚 首相談話 朝鮮総連 賀詞決議浄瑠璃姫物語チケットについてその他 活動報告事項・提案事項・その他資料 アジア独立 冊子 インドネシア独立運動講演 「南モンゴルの独立運動の現状」 オルホノド・ダイチン氏
2023.07.09
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私どもが、尖閣防衛のため岡崎市議会に陳情し。議会審議を経て結果、岡崎市民の総意として国に意見書提出を出したのは平成九年のこと。もう26年もまえのことか。再度掲示しておきます。 尖閣諸島における日本領土主権に関する意見書 昨今、尖閣諸島を巡る領有権の主張、島への上陸など領土主権が問題化される自体が発生している。尖閣諸島は明治二十九年勅令大十三条により日本固有の領土とされ,八重島に編入、石垣市の行政区域であるとされている。また、明治十七年から福岡県人古賀辰四郎氏が尖閣諸島の探検を始め、明治三十年には開拓事業の開始とともに集落が形成され、漁業や林業が営まれ、かつお節工場の操業もなされた経緯もあり、現在は石垣漁民にとって重要な漁場である。 この背景に加え、本市は昭和四十四年二月十九日、石垣市と親善都市の提携を結んで以来、今日まで二十八年の長きにわたり友好の関係を築いてきた。 よって、政府におかれては、尖閣諸島の領有権と石垣市の行政区画であることを明確にし、わが国の領土と利益を守るよう要望する。以上、地方自治法第九十九条第項の規定により意見書を提出する。 平成九年六月二十日 岡崎市議会尖閣諸島が厳然として日本領であることは国際社会公認の事実である。無人・無主の島だった尖閣諸島は、1895(明治28)年1月14日の閣議決定で正式に日本領土に編入された。その後数十年、どの国からも異論が出ず、国際法的に完全に日本の領土とみなされていた。サンフランシスコ講和条約でも日本領土として扱われた。 それが1968(昭和43)年、尖閣諸島周辺に石油資源埋蔵の可能性が報告された後、中華民国(台湾)が71年6月、中華人民共和国が同12月に尖閣諸島の領有権を主張したという経緯がある。 また、78年の日中平和友好条約の締結交渉で、日本側は中国側に尖閣諸島の日本領有権の承認を迫ったが、当時の中国の最高指導者、トウ小平氏の棚上げ提案を受け入れ、禍根を残したという失態の歴史も確かに存在するがこれは条約の締結に絡み領土的野心を組み入れようとする非条理な主張であったが向こうの主張が存在することを聞き置くだけのことで権利にかかわるものではない。 14年後の92年、中国は国内法の「領海法」を制定、尖閣を台湾などと並べて一方的に中国の島としてしまったが国際的にも全く無効なものである。 今回の理不尽な攻撃に対しわが政府は断固として抗議した。さらに、このような侵略行為を今後も行うならば、日本政府は諸関係国に領海侵入を侵略行為とみなすと宣言、通達すべきである。日本は主権を持っていながら自国領土の保護を明言しない。姑息な態度が相手に横暴な態度をとらせる結果を招く。わが国のすべての政党も一致して尖閣が日本領であることを主張している。国家として進入には武力を持って撃退することを宣言しておくことを求める。昨日豊川での倫理法人会モーニングセミナーでの食事の際でも少しお話ししたがその後、尖閣上陸を目指して沖縄本島を出港したのは2度。一度は西村慎吾先生らと。2度目はチャンネル桜の皆さんと。島のすぐ近くまで行けたが上陸ははたせなかった。国際法上から見た尖閣諸島の帰属、尖閣諸島の帰属についてはこれほど明確な事実は無いが、あえて根拠をあげておきたい種々のまとめ事項。1.1945年以前の古い尖閣諸島の帰属については既に明らかな記述がある。2.尖閣諸島の帰属はカイロ公報に入っていない。ポツダム宣言にも記入がない。3.サンフランシスコ条約で日本は台湾澎湖の権原を「放棄」したが、尖閣諸島について権限を放棄した記述はない。4.1953年12月25日、琉球諸島を占領していた米軍占領当局は「民政府広告大27号(Civil Administration Proclamation No.27)」で尖閣諸島を琉球の統治範囲に記述した。5.このため1972年の沖縄返還で米国政府が沖縄諸島を日本政府に返還した際に、尖閣諸島は沖縄領土の範囲内に明記した。6.尖閣諸島の領有権について蒋介石政権が台湾の古い史料を使って領有権を主張しだしたのは、1969年ごろ、この地域に海底石油があるのがわかってからである。7.1970年9月9日に日米間で沖縄返還の協議が行われ、台湾では始めて尖閣諸島の抗議運動、いわゆる「保釣運動」が起きた。いまでも大陸系の台湾人には台湾領と主張するものがいるが、しかし、沖縄領に反対する法的証拠はない。8.中華民国の歴代総統のうち、李登輝総統は尖閣諸島が日本の領土であると認めていた。陳水扁総統は領土問題を棚上げして漁業権の討論を日本政府と交渉していた。9.中華民国政府が古い昔から承認していたという一級史料がある。1996年9月23日の産経新聞に報道された、「大正8年(1919年)尖閣列島に漂着した中国福建省の31名の漁民を救助した石垣島漁民に対し、中華民国駐長崎領事・馮冕が感謝状を贈呈した」という記事に詳しく書いてある。中国人が尖閣沖で遭難し、石垣島の漁民に救助されたのち、中華民国政府の長崎領事が大正9年(1920年)に贈呈した感謝状に「日本帝国八重山郡尖閣列島」と明記してある。報道によると、感謝状は当時の豊川石垣村長・・豊川善佐(善次)、助役・玉代勢孫伴、通訳・松葉ロブナストなど4名に贈呈されたとある。 その後、一色正春氏きたし。によるチャイナ船体当たり事件に対しての抗議行動など様々に活動してきた。政府も尖閣を国有化して防衛意思を固めたが、チャイナは侵略の手を緩めようとしない。 台湾閉合をもくろむチャイナはことをおこす前には当然尖閣を軍事拠点とするであろうし、昨今の琉球処分批判も沖縄からの米軍行動を遮ろうとするのも台湾奪取へ向けた橋頭保づくりと見抜かねばならない。。チャイナの侵略の実態は北への侵略の実態を見ておかねばならない。1937年日中戦争の引き金になった盧溝橋事件。この事件は、決して日本軍が仕掛けたものではない。日本軍が最初に銃撃を受けた際 ── つまり演習をしていた際、日本軍は実弾を携行していなかった。橋本群・陸軍中将(駐屯軍参謀長)も当時の状況を、「実弾を持たずに発砲された為、応戦出来ず、非常に危険な状況に置かれた」と証言しています。盧溝橋で銃撃を受けた日本軍は国民党軍によるものと思い込み幾度も抗議。また国民党軍も関東軍によって銃撃を受けたものとして対峙したのであったが、現地解決・事件不拡大方針で交渉、事件発生後5日目に、日支両軍は停戦協定を結んだ。双方とも全面戦争にならぬよう譲ったのであったが再度銃撃をされ、ついに交戦となった。その犯人はどこか。最新日本史発刊時には共産党の工作員が夜陰に乗じて、盧溝橋付近に駐屯していた日本軍・国民党軍双方に発砲し、両軍が交戦する様に仕向けた事実を記載して教科書申請、白表紙版提出となったが、文部科学省はこれを躊躇、「第三者により」のような文面にして認可したと記憶する。今日では劉少奇の指示で交戦となったとする説が有力という。ウィキにはこう記載がある。事件発生後、日中双方を刺激するような銃声が頻発するので、22日夜、憲兵隊と特務機関により調査した所、中共北方局主任の劉少奇指導下に北平の清華大学生が土砲と爆竹を鳴らして、事変拡大を策していた事が判明した。なお中共軍将校を経歴にもつ葛西純一氏は、中共軍の「戦士政治課本」に、事件は「劉少奇の指揮を受けた一隊が決死的に中国共産党中央の指令に基づいて実行した」と記入してあるのを自身の著作(新資料・盧溝橋事件)に記している。 引用以上昭和24(1949)年10月1日、「中華人民共和国」成立のその日、周恩来首相も、「あの時(盧溝橋事件の際)、我々の軍隊(共産党軍)が、日本軍・国民党軍双方に、(夜陰に乗じて)発砲し、日華両軍の相互不信を煽って停戦協定を妨害し、我々(共産党)に今日の栄光をもたらしたのだ」 と発言している。つまり「盧溝橋事件」は、共産党による「謀略」だったのだ。漁夫の利を得んと関東軍・国民党軍双方を戦わせて疲弊させた。戦争を引き起こしたのが現政権、中国共産党であったわけである。 今日のチャイナにおける東北区、かつての満州の地はもともと伝統的に漢民族中国のものではない。これらの地は韓半島が中国のものではないのと同様に満州民族のもの。漢民族は入国すらできなかった歴史を持つ。あの孫文も、満州の地を独立の暁には日本に渡すといっている。革命資金に困ってこの地を買ってくれといってきている。条件は二個師団の武器と現金2000万円。しかし山県有朋は、満州は日本の勢力化にあり、金で買い取る必要はないとの意見。これはながれた。 満州は馬賊の暴れまわった土地。日露戦争の結果、日本の経営する南満州鉄道の各駅には商店街ができていたがここをほぼ二日に一度の割で各駅を襲撃して物資を強奪する.あの広い満州を守るために日本が国際的に許された兵力はたったの一万人。今、米軍以外にこの日本を守る自衛隊の兵力ですら20万。満州をたった一万でまもれとは。 この馬賊の頭領が張作霖。この爆殺がなされたのが1928年。張作霖爆殺事件は、関東軍の高級参謀河本大作によるものだったということが史実として流布されているが、事実は全く違う。ソ連崩壊後にロシアでは張作霖爆殺はソ連軍諜報部が実行したものであるという資料が次々に現れている。実行組織の名は「スメルシュ」であり組織のキャップはアンチゴンといい、副キャップの名はメルニコフ。アンチゴンの名はトロッキー暗殺で有名。(ミトローヒョン文書.若狭和朋先生より)当時、イギリス陸軍情報部極東課(MI2c)が四ヶ月をかけて詳しく調査し「ソ連が主役だ」と報告している。文書番号 W0105・5750 MI2c Note Oct 1928(昭和3)(『Will』2009、1月号で中西輝政京大教授も提示されている。(若狭先生より)河本大作は昭和25年に太原の強制収容所で獄死している。義弟と称する左翼作家が昭和29年に「俺がやった」との「手記」を雑誌に発表している。河本大作本人が認めたのではなく、この義弟が共産党とくみ、この説を流したという。張作霖は日露戦争では日本の支援に回ったが力をつけてからは北京につく。その暴虐,ついに日本は許しがたく,爆死となった。この説が日本の歴史教科書の主張となってはいるが、ロシアによる爆殺論が将来資料開示により是正されていくのだろう。これが1931年9月18日。奉天郊外のこと。しかし国連から派遣されたリットン調査団は、日本非難を記載報告したが、その満州にせよ、満州の地が日本の特別の権益の地であることは当然認めていたのだ。万里の長城以南が中国の領地とすべきである。。今週日曜の5時から我が家で行う学習会で講演くださるオルホノド・ダイチン氏は南モンゴルの復活を願いつつ、日本で活躍しているかた。南モンゴルも北モンゴルと同様戦後に国家として存在したが、北は白鳳らの故郷として独立を保っているが、南モンゴルは、中国に侵略され今は自治州。その祖国の独立のため必死に活動してくださっている。香港に大弾圧が加えられ台湾がチャイナ侵略の危機にある昨今、「民族浄化」の侵略国家の現実をぜひ学び取らねばならない。時間のあるかたは是非岡崎学習会にご参加ください。連絡先 09085540817まで
2023.07.07
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ロックビットなるハッカー集団により名古屋港の業務が停止する大事件が起きた。ロシアの犯罪者グループではないかと言われる。人倫・ルールなどお構いなしの犯罪集団。ロシアは原子炉への攻撃をも行っており取返しのできない、人類の生存にかかわる重大犯罪である。狂気の集団が出る以上、対抗策を取るしかない。今日の朝の豊川倫理法人会のモーニングセミナーの講師が自衛官の方でしたので、来週私も豊川にて講演を頼まれていることもあって会場確認を含めて参加させていただいた。自衛隊のご活躍をわかりやすく示していただき大変ためになった。 昨年11月の豊橋陸軍墓地清掃に90名の隊員のご参加をいただけたことにお礼を申し上げた。質問や意見発表ができたので殉職なされた方の靖国神社合祀がふさわしいと思うがいかがかと問うたが時間なくお返事はいただけなかった。他にも中国の軍事大学の学生が日本の大学にしていること、サイバー攻撃に対しての対処など伺いたかったが無念であった。 平和ボケしている日本。卑劣な行為に備える国家安全を専門に研究する組織は日本にあるのか。不安はぬぐえない。 少なくともスパイ防止法が作りえない政権は変えるしかなかろう。 皆さんに小旗をプレゼントさせていただいた。
2023.07.06
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朝5時に家を出て三ヶ根作業に入る。今日の作業は花壇の南半分の通路の草取りの完成と排水口の整備。ひたすら作業を進め予定を達成。殉国七士廟の管理をなさってみえる奉賛会会長さんがお見えになられたので作業現状をお伝えしつつお話をする、奉賛会はおよそ70名ほどの会員が年額2000円の会費をだして運営。しかし相当の赤字がでているのは一会員の目にも明らか。私どもの花壇作成のための水道代なども、そうとうかかっているのでしょうが、ご厚意で無料で使わせていただいている。しかし今回のように漏水修繕作業が入れば入金の当てなくおそらく役員の皆さんの支援で費用をねん出されるのではないだろうか。花壇奉仕の皆さんに謀って、カンパを集めたいと思います、更に水道代も分担しておしはらいさせていただく事を提案させていただきました。作業の水道屋さんがお見えになって作業に入ってくださった、明日にはトイレも復旧しそうです。関係者の皆さんのご努力に感謝致します。帰宅して奈良県からお越しいただいた神主の吉野先生とお話しする。教育問題や世相につき情報交換、浄瑠璃姫講演会に参加くださることになる、多くの皆さんの支援で岡崎発祥の芸術が更に広まるのを期待したい。7月29日実施されます。
2023.07.05
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朝ゴミ処理とゴミステーションの草取り、神社清掃を終えて三ヶ根行きを目指したが、家の仕事がはいり、銀行回りや保険業者の訪問を受ける。昼から三ヶ根に。すでにⅯ氏が草刈り作業を行なってくださっていた。見事な作業。大いに感銘。私は崩落の補修と排水場所の作成作業。崩れないように排水用のU字溝の作成。一か所。 豊橋の市議より電話を受ける。先月提案させていただいた「ごみゼロ(530)運動と草ゼロ(930)運動」について。豊橋が530をひろめてくださったように930の推進を提起させていただいたことへの賛同のご意見ある。しかし930に限らず学校関係での取り組みとしては2学期の開始に合わせて9月初旬、さらには1学期終了時での通学路などを中心とした草取り作業の提唱につなげたいとのご発言である。大いに感銘をうける。 是非良き滑り出しを求めたい。 夕刻7時より仕事に入る。 急ぎ花壇整備を進めたいものである。
2023.07.05
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昨日あさ9時半より碧南にて教育を考える会幹事会にでる。昨日の報告他。及び教育運動の今後について他来年の建国祭について、書類や入金を頂く。11時に終わり、すぐさま三ヶ根に走る。昨日所用で皆さんに同行出来ず、作業に参加できなかったため。花の苗の植え込みを急がねばならないが、その前に花壇の雑草の撤去や、流出した土の回復作業さらに斜面の芝桜を覆う広大な雑草の抜き取り作業。およそ延べ日数50日ほどの作業ではないかと思っているので少しでも進めねば。到着するとなんとアスファルト面に水が流れている。地下水道管の亀裂のようである、昨年の修理場所のすぐ隣。2か所。奉賛会事務所に連絡しなくてはとおもっているとすぐに事務局高須さんがお越しになった。すでに連絡を受けていたそうで手際よく現地確認をれトイレなどの閉鎖作業や業者への連絡作業をしてくださった。 私は参拝者の方への案内などをしながらさっそく草取り作業に入る。。 昨日の奉仕作業の皆さんの作業量は想定以上。広域に渡って草取りが進んでいたのにおどろく。 これはさぼれんぞと急ぎ作業を進め、何とか最下層の芝桜植え付けスペースの南半分をとりあえず雑草取りを完成させる。すでに7時ぎ。疲れ果てて終了。 とはいえ私のことですので手抜きは相当。ご勘弁を。 帰宅してみると町内の仕事や頼みごとの要請が様々に。 今朝、ごみ処理を為し、神社清掃、ゴミステーションの清掃掃除をなす。11時に来客のため急いで三ヶ根作業にいきます
2023.07.04
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朝から続いた仕事が終わったのが4時前。先月の岡崎の教育を考える会の例会に参加した際に講演会開催案内をいただいた会合に参加する。すると会員も多く参加してくれており、さらに久しぶりの先輩や後輩、同憂の友らともあえ、旧交を温めることが出来た。高校勤務をおえられ、障碍者教育に移られた先生や、豊橋での国旗掲揚運動に奔走してくれていた友にも。多くの先輩や友らと走り回って国家のために動いていた思い出などがよみがえる。講演会の講師はもう数年前からの同憂敬愛の小名木先生。県下の多くの場所で建国祭の講師におむかえし、今上陛下ご即位後最初に地方行幸頂いたのが愛知の尾張旭市とこの岡崎市。お迎えするに当たり祈願祭と講演会をおこなうことになり、講師としてお迎えしたのも小名木先生。今年の建国祭は豊田市・豊橋市・岡崎市・碧南市の4市にて講師を勤めていただいてもいる。せっかく会えたから友らと茶店にでも行こうとはなしているとなんと小名木善行先生夫妻もご参加くださることになった。夕刻、6時半より10名にて食事会。自宅近くの中華店。様々なお話を伺うことができ、また岡崎や三河の運動をお伝えする事もできた。危機の諸相を様々に知ることが出来た。頑張らねば。
2023.07.03
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朝5時半に家を出て某市の倫理法人会のモーニングセミナーに参加する。6時に入らねば会場に入れない。時計を見ると2分前。間に合わないと帰り始めたが、友が声をかけてくれたので部屋の外で2分間待って入場。席も資料もなかったが椅子だけの場所に案内されて話だけは聞く事が出来た。今日の講演テーマは「徳川家康」公。同志愛と信頼についてのはなし。家康公の業績を現代風の「総選挙」に見立てて人気投票的にかたられるという新手法。本質的なお話ではなかったが、あまりに現代風に語れば軽すぎて偉大さが損なわれてしまう危惧を感じた。気になったのは清掃奉仕に奔走するのは本質ではなく企業をつよくしていくことに心を砕くべきとのご主張。内部の話は私にはわからないが清掃奉仕はまだまだ不足していると思う私には違和感があった。時間を作って世のために尽くすのが企業人の責務。それを為して日本の企業は信用をえてつよくなっても来た。被災者として避難所にいたと仮定して、どなたが来て下さるのがうれしいか。との問いをだされて聞かれた。その1、資金援助の人その2、食糧支援の人その3、天皇陛下。 しかしこうした問いを平然となされる感覚には私はついていけない。陛下が被災地をご訪問くだされた体験を涙しながら感謝される被災者の姿は幾たびも目にさせていただいているが、3択でいずれを希望するかなどを問うなど陛下に対して無礼極まりなき所業。皇室に対して感謝と尊崇の思いをお持ちとは到底思われない。残念なことであった。 帰りて高校生の指導をなし。10時からは名古屋の豊国平成塾昼食会と学習会に参加。4時半まで。帰宅したのが5時半。急いで三ヶ根にはしり、花壇の草取り。7時半まで。8時半帰宅。明日は第一日曜のため三ヶ根清掃と豊橋陸軍墓地清掃があるが、のっぴきならない仕事のため参加できない。皆さんにクスしかない、申し訳ありませんが、
2023.07.01
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日本へのチャイナからのスパイ攻勢を放置してよいのか、中国軍関連大から39人留学 政府「研究内容把握せず」2023/6/2 19:08閣議に臨む(左から)松本剛明総務相、岸田文雄首相、松野博一官房長官=2日午前、首相官邸(矢島康弘撮影)政府は2日、中国人民解放軍と関係がある国防7大学のうち、6校から少なくとも計39人が東北大や徳島大など日本の国公私立大計10校に留学しているとする答弁書を閣議決定した。留学生の研究内容については「各大学の自主・自律的な判断に委ねられるべきものであるため、網羅的に把握していない」と回答した。答弁書によると、文部科学省から各大学に安全保障に関連する機微技術を管理する具体的な手続きを定めるよう指導しているとした。留学生数は令和2年度の実績。参政党の神谷宗幣参院議員の質問主意書に答えた。6校は、北京航空航天大や南京航空航天大など。一部は、大量破壊兵器の開発などに関与している懸念が払拭されないとして、経済産業省が技術輸出に許可が必要な「外国ユーザーリスト」に掲載している。参政党参議院議員の真摯な追及に文科省は答えはしたが全く危機感が感じられない。更には国立研究開発法人「産業技術総合研究所」(つくば市)の中国籍の主任研究員の男(59)が、フッ素化合物に関連する技術を中国企業に漏洩(ろうえい)したとして、警視庁公安部は15日、不正競争防止法違反(営業秘密の開示)容疑で逮捕した。もう日本政府は国益を守ろうとしていないのか。日中友好などとのんきなことを言っていて日本は復活できるはずもなかろう。京大も数年前の名古屋大学も自衛官の入学 や聴講すら認めない反日主義を貫いてきた。それがチャイナならばいとも簡単に国家機密に触れることも窃盗すらもなしうる。今一度チャイナの為してきた非道の歴史を確認し、日本を国家たらしめねばならないことを痛切におもう。チャイナの口車に乗って国家を奪われた南モンゴル。その後の苦悩はいかほどであったのか。民族の悲劇を防ぐには日本人はいかにふるまうべきか、祖国の再興に全力をかたむけているダイチン氏の話を伺い、日本の在り方の道を探りたい。7月9日には安倍総理を悼みつつ講演会を開催します。是非ご参加を。
2023.06.30
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昨日は朝母の病院付き添い。予約なしでの通院でしたので午前中をすべてついやしてしまった。急ぎ西尾の農園に走り、花を購入。そのまま三ヶ根に購入した花を14ケースとどける。しかし草取りや民宿廃墟の場所の整理で花壇の込みはまったく出来ないまま。4時から仕事が入っていたので間に合わせて帰宅。 水やりも出来ずに心配したが、夜の雨で何とか花は元気を取り戻していると思う。 まもなく安倍総理のご命日。日本の防衛のために打ちだされたチャイナの拡張路線への危惧は自由で開かれたインド太平洋構想として自由主義世界の共通認識となった。僕らは今一度チャイナの非道を検証していく責務をかんじている、先月の阿崎学習会は樋口季一郎氏の功績及び樋口家についてご親戚の竹上元県議にご講演をいただいた。次回の7月9日(日曜)の午後5時から7時の学習会はチャイナの北への侵略のれきしを南モンゴル独立運動を担って活躍くださっているオルホノド・ダイチン氏をお迎えして講演会を開催します。「南モンゴルの独立運動の現状」(仮題)入場無料 是非参加ください。09085540817杉田までご連絡を
2023.06.30
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昨日は神社清掃ののち三ヶ根に。気になるかつての民宿であった現在の廃墟の安全確保作業を行う。散乱した壁面の崩れおちたコンクリートを手でさげられる大きさにわり、数か所に積み上げシートでかぶせ鉄骨の柱を移動させてその廃屋の周辺を衝立でかこみ外からがれきをみえなくして少しでも景観をよくする作業。 とりあえずの作業を終えて殉国七士廟のつつじ園の草取り慰霊碑群の前の道の草かき及び花壇の草取りを行う。夕刻帰宅して孫の面倒を見る。夜仕事。今朝は5時 家を出て三ヶ根花壇清掃。斜面の芝桜部分に生えてきた雑草を必至に抜く。友が応援に来てくれて、廃墟の写真を撮ってくれた。皆さんにラインで報じてくれるという。朝10時に家の仕事がありこなす。母の買い物に付き合い、今から孫の世話に娘宅にむかう。なかなか三ヶ根作業に徹することができず作業の遅れがきになってならない、
2023.06.28
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やっとパソコンが復活。ご迷惑をおかけしました。様々にご迷惑・ご心配をおかけしましたこと深くお詫びします。ここ数日、集中豪雨の後始末で崩落した三ヶ根花壇の補修や道をふさぐ土砂の撤去作業や豊橋陸軍墓地の花壇の整備、大孝道場木々の撤去岡崎本宿の衣文観音(そぶみかんのん)・いしん寺さんの土砂に埋まったお墓の土の撤去など。体力勝負の日を過す。更には三ヶ根の廃墟として有名になってしまった民宿跡。外壁はほとんどくずれ、鉄骨の壁面もコンクリがついたままたおれ、散乱。倒れかけた鉄骨もかろうじて鉄柱に寄りかかって支えられているあり様。瓦礫となって放置されていたその上に草木が根を生やし花をつけている。実に危険な常態。西尾市に何度も安全確保の願いを出し善処をお願いしていたが一向に手つかず、少なくとも進入禁止の柵などの設置を要請して、その際なんらかの対処の約束をとりつけたが、放置まま。その中でここを歩かせるウォーキングが市の主催でなされた。これほど危険な行事がなされることに不安をおぼえ、ボランテイアのK社長にワイヤーで倒壊途中の鉄骨をささえる作業をお願いし、私は大ハンマーを購入して崩落したコンクリ壁を手で持ち上げられる大きさにまでに割り積み上げた、その際、釘やガラスで何度も血を流し、とげがいまだ指先から出せないでいる。手のしびれが取れていかない。しかしんとか通行できるスペースまで通路を広げてウォーキングが実施できた。その後も安全策を講じ、美観を少しでも取り戻せるよう、臨時の柵の設置作業を進めている、昨日は岡崎の中根県議と話す。本宿そぶみ観音さんの土砂にうまった墓の修復や再度の大雨があれば山谷が崩落する危険性をかたり、善処要請をする。今日は花壇の草取り。夕刻雨がふり込むまでおこなった。明日は廃墟の処理のつづきと草取りの再開。いやもう朝5時になってしまっている。ゴミ処理を済ませて三ヶ根行きあります。
2023.06.27
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5時に家を出て蒲郡ホテルに向かう。今回から倫理法人会の会場が変わったのであるがしかし私がおもっていたホテルと違いとても遠い。家から一時間たってもつかず、断念。三ヶ根山に走る。必死に清掃作業を終えて草取りと石とり作業。すると参拝者がどんどんお見えになる。作業を中断して忠魂碑の案内を為す。話始めるとどんどん話がつながり作業には入れない。そうこうしているうちに昼が近づく。昼前に西尾に降りて花を購入する予定であるのであきらめて山を下りる。 その際積んでいたコキアをすべておろしておく。ケイソウなど見事な花を12ケース購入。しかし崩落した花壇を修復しなければ植える場所がなくなる。コンクリ板を5枚購入。これでひとまず土の崩落を止めるつもり。 2時に自宅の仕事。看板塔撤去に高額の見積もりが出て困っている町内企業の方から相談を受け知人のあいたい見積もりをとるとなんとほぼ3分の1。作業日程もまたせずにすぐ。大いに感謝される、 娘の家に行き孫3人と遊ぶ。トマトの苗を5本うえる。孫が喜んで手伝ってくれる。こうした時が一番のたのしみ。 夜の仕事がキャンセルとなり近隣の歩道の草取りをおこなう。明日は極力はやく家をでて三ヶ根作業 にはいりたい、
2023.06.07
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