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玄関の清掃をなし、床の間の飾りつけをただし、仏壇の荘厳をなし御住職をお迎えする。本日は2か月ぶりに父の月命日の日。いつもは母親が準備をしていたのであるが、今回からは私の方でさせていただくことにした。 いつもながらの美声でのお勤め。これはすでに芸術家の域である。丁寧な阿弥陀経をあげていただき感謝する。一年を無事に終え感謝の意を込めお歳暮をお持ちいただく。 2軒の孫たち6人に会いに行く。クリスマスのプレゼントをもって。にこやかな笑顔が何よりもうれしい。小1の孫に25日は何の日かしっているかとたずねると、驚くことに、「徳川家康の誕生日だ」とこたえる。「ブー。残念。イエスさまのお誕生日でした。クリスマス。クリスはクライストつまりキリストのこと。イエスはあちら読みでジージャス。イエスキリストはジ―ジャスクライストというらしいよ。しかし「日本人にとっては12月25日は大正天皇祭なんだよ」と話す。たわいない間違いだが、家康公の名を知っているとは小1にしてはすごいなと思いながらすどうりしていると、会話を聞いていた娘がネットを調べて、「あ、家康公のお誕生日もあってるよ。26日らしいけれど正解だよ。」とひとこと。孫がどこで知ったのか知らないが岡崎市民として恥ずかしくおもった。それも孫に教えられるとは。 以前、孫が3さいだったか、ドライブに乗せて行った際に軽トラ車内であそばせていたことがあった。手持無沙汰であったので「磁石にくっつくものを探してごらん」と磁石をわたした。しばらくして「何がくっつくでしょう」と運転しながら聞くとさまざまに答えた、その答えの一つに「石」。まあ適当なたえだなあとおもいながら「石はつかないよ」と気楽に言ってまった。私に気を使って「でもちょっとはつくよ」といいかえす。まさかの返事に頑固な語だなあ、でも意見を言えるようになるのはことだとききおいた。車を止めて休憩時、貸してごらん、石にはつかんでしょ、と実験するとなんと磁石がひきよせられるではないか。この年になってはじめて磁石につく石を見た。鉄分が入っていたのであろうが、孫に教えられるとはおもいもしなかった。それ以来この石は彼の宝物となったようだ。孫に会うたびおしえられることばかりだ。 三ヶ根に0.4リューベの砕石をはこぶ。花壇入り口の敷設をなし再度0.4リューベを購入して運ぼうとしたが。仕事時間が迫りたくにもどる。 いよいよ23日上皇陛下のお誕生日。国旗掲揚を準備した無論殉国7士の悲しみのひであります板張り作業に入り、昼頃には三ヶ根参拝を為す予定。
2022.12.23
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朝5時家を出て蒲郡形原温泉でのモーニングセミナーに参加する。砕石を軽トラに載せて走るので重たくスピードが出ないので遅刻しそうであせる。何とか15分前についてほっとする。今日も入会の方が見え入会式が執り行われた。若き人々はやる気いっぱいですがすがしい。 7士廟殉国庭園の入り口に砕石を収める。いつも大雨時には土砂が流れて修復に苦労していたがこの砕石があれば水も止まろう。参拝者がお見えであったので様々に語る。以前この地がブッシュで通れなかったことを知って見えてお褒めの言葉をいただく。さらに国旗掲揚の話や豊橋陸軍墓地清掃と自衛隊現職の皆さん90名の参加の件など。大いに意思疎通ができた。9時からの竹島清掃の応援に30分ほどおくれて行くが残念ながらすでに終了していた。参拝して帰る。岡崎にて再度砕石を購入して三ヶ根に追加敷設する。北の端から南の端まで花壇通路の掃き掃除を行う。花が終わり植え替えねばならぬ花壇がまだ半数ほど残っている。早急に仕入れねば。 明日は砕石運びと通路確定の板張りの完了をなしたい。 自宅に戻り自宅の畑と花壇を整備する。なんと母が菊の植え替えを手伝ってくれる。不思議なもので交通事故でもうだめかと思った時もあったが家で人生最後の時を過ごしたいとの母の強き願いを老医者に話したが平行線。医者と喧嘩して強制退院させたのが5年前。医院ではすでに寝たきりにされていたが鍬を持ち畑仕事を始めるや、回復不可能と思っていた脚力もどんどんついてきた。しかしさすがに92歳ともなれば最近の出来事の記憶力も落ち不安感も相当増してきた。事務所を家にしたことが相当母の安心感を増してきたようだ。ありがたきこと限りなし。 事務所引っ越しの挨拶周りを近隣に行う。
2022.12.21
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朝、燃えるゴミ処理。コピー機の修繕完了。母の希望でほうれん草の種を購入して自宅の畑にまく。ビニールをかぶせるように記載があるが様子見。 三ヶ根花壇の整地をなす。ほぼ階段下付近(M地区)の花壇の土の量は適正。あとは肥まきと植える花の確保であるが、花の値打ちな仕入れができればよいのだが。砕石を購入。M地区の椅子周辺と南入り口の平坦部分に敷き詰める予定。休憩スペースがやや狭い。明日少し広げておきたい、うまく進むようだったら追加購入も検討したい。持ち込みした板材の打ち込みも残っているがこれも明日中に備える予定、明日朝一で作業に行くつもりであります。 ピアゴに行き、スーツを新調した。ズボンの丈なおしは妻に頼んでおく。驚きはスーツのねだん。なんと売値が9800円ですが今はその半額だという、よって一着5000円。びっくり値段である。
2022.12.21
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三ヶ根朝7時に三ヶ根に走る。殉国七士の理不尽な処刑は卑劣にも上皇陛下のお誕生日の12月23日を選んでなされた。三ヶ根山はご遺骨(ご遺灰)が分骨され安置された熱海興亜観音と長野の3か所の中の一つ。まもなく23日、その日までに慰霊の意を込めて殉国花壇の整備をいそぎたい。23日は条項陛下のお誕生日ですので家に国旗を掲揚してから三ヶ根行き清掃作業。12時ころ個人としてとなろうが参拝したい。なお、26日には恩義あるMさんが大阪から3名三ヶ根参拝にお越しになる。19日(月)、花壇奉仕のスタッフの皆さん4名で花の植え込みと階段下の休憩スペース作成をメインに作業をした。通常は15日の作業日に皆さんにお集まりいただくのですが私がこの日の9時に外せない用事ができ、急遽19日に変更させていただいたので都合がつかない方も多く申し訳ないことでありました。さてこの休憩スペース作成整備は西尾市内在住のMさんの提案によるもの。階段下のスペースを広げて人が集える場所にしたらどうかとの提案であった。よってこの場所をMエリアと命名。Mエリアは清掃・土木耕具倉庫を移動して階段下スペースを平坦にして拡大。陶器の椅子テーブルを置いて南北に配置された花壇を臨むことが出来る場所。石垣により風も遮ることもできる場所。参拝や花壇見学に見える方の休憩に使っていただける場所として使っていただきたいものです。 私はカラーコピー修理の技術者対応と通信回線会社との折衝のため10時少し前に中座帰宅し12時少し過ぎに三ヶ根再訪。終了は2時半。花壇の一斉の清掃奉仕は年内最後です。奉賛会有志の清掃奉仕は第4日曜実施と思います。 今日も花を3ケースと鶏糞をお持ちいただいたNさん、12ケ-スの花植えのほとんどすべてをなしてくださったTさん、お忙しきなか道具をおもちくださり力仕事をしてくださったKさん、他、ご参加くださった皆さんに感謝します。 建国など 豊田建国祭用プロモート映像案を視聴。一部修正を要請し再収録をお願いする。蒲郡の案もほぼ決まったという。まだ未定なりチラシ案内が未決定の地区もあり急がねば。 12月25日大正天皇祭につき岡崎市中島町の八幡宮境内神社 大正宮清掃奉仕と参拝について 大正天皇ご即位の際の悠紀斎田選定の名誉を記念し大正宮が建立されています。 私どもは1月7日の昭和天皇祭には三河の皆様と八王子の武蔵御陵に参拝いたしますが大正天皇の御陵も併設されていますので参加者全員で毎年参拝させていただいております。バスですので毎年1時ころ着。大正天皇のゆかりの県内施設としてはみよし市につくられた茶室や八事神社の石碑などもありますがいちばんは岡崎の六ッ美地区、中島町の悠紀の里と大正宮でありましょう。 さて、清掃奉仕と参拝は12月25日12時開始、およそ一時間ほどで終了予定です。時間の都合がつく方はぜひご参加ください。 なお、今年は同日朝10時ころから三ヶ根山ゆうとぴあにて恒例の餅つき大会が行われると聞いております。私は参加できませんが主催者のK氏は愛国の情極めて熱く豊川の地元地域の信頼も厚き方。ぜひご協力いただければと願います。 事務所移転についてのご案内。 長く使ってきました赤渋町の事務所は令和4年度最終日をもって完全閉鎖。新事務所は4440201岡崎市上和田町南屋敷17の1 電話0564(51)8619 FAX 0564(51)8966 です 誠に勝手ながらよろしくお願いいたします。 事務所移転に伴い自宅の別棟の4部屋を修繕して稼働できるように作業を続ける。今日は電気系統の設置業者に来ていただく。まだ資料は未整理のため片付け作業は年内で終わらないかも。 近くのピアゴさんがドンキさんに売却される計画が止まりピアゴさんのままとして存続することになったようだ。しかしそのあおりで改装計画が進み、対応できない数店舗が撤退。そのおひとりが移転店舗を探して我が家にお越しになった。奔走したが破談。相談がもうあと2週間前だったら対処できたのにと社長に詫びる。地域の情報に疎くなっていることを恥ず。0.000000
2022.12.20
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昨日朝カラー印刷機の異常に気付く。来客予定の方に資料を作って渡さねばならないが肝心のコピー機が立ち上がらないのだ。しかも新事務所にはネット環境が整わず電波の届くところまで移動して作業をして、打ちだしをするためコピー機を置いてある場所にパソコンを持ち込みコード接続をして打ちだそうとした段階で印刷機が作動しないことに気づく。もうショックである。 修理業者に連絡をするが部品入荷に時間がかかり月曜にならないと修理できないとのこと。更には今までの社屋の解体に伴い。電柱からの電話引き込み線はずしの処理を10日にたのんだ。15日に返還器具を取りにお見えになった際にもこれですべて完了の言葉をもらったそうだが。金曜になっても引き込み線がとられていない。解体業者は土曜日早朝に解体に入っていたのだが引き込み線処理がなせずにいたので解体中断。通信社にやっと電話が取れても19日以降に切断日の連絡をしますなど悠長な話をされる。新事務所の電波環境の測定調査員さんがお越しになったがもう事務所電話をNTTさんの固定電話に戻して使用することにして新規参入会社さんの回線移転をやめることに。よって事務所の代表電話番号も変えることに。 電話もメールアドレスも変更することにした。名刺の変更なども急がねばならない。ご迷惑をおかけすることになり恐縮であります。 携帯だけは変更なしですが住所やファックス番号なども変わりますので不都合お許しください。 朝8時から10時まで高校生指導。10時半より今までの事務所の解体作業の確認。長梯子を使って引き込み線撤去を予定していたが上記理由でいったん業者に作業延期を申し込みおかえりしていただく。 新事務所の荷物書類整理やふきっさらしの開放入り口に妻につくってもらった長いカーテンを設置などをなす。 店に行きネット環境確保のための相談をする。試行錯誤ではあるがプランをいただいたので至急検討したい。 夕刻大府より来ていただいた友、T氏と大いに語る。大府市議会では同憂の市議の提案で今年議場に国旗掲揚がなされたことなど、積年のテーマがひとつずつ前進できたことなど価値ある動きがあった。主に来年2月の大府の建国の企画。運営についての話をなす。来年の建国を契機にさらに運動の充実をめざしたいものだ。 今日は9時半からの日進学習会に参加する。定例のI先生によるマスコミ論。実に丁寧に新聞資料を整理くださっている。私は県下の運動報告をさせていただく。今日は大阪や東京からの心ある皆さんがご参加くださっていた、お二人は神主をなさって見える。神々のこと、神仏習合のことなど様々な話を伺い大いに勉強させていただく。 帰宅して母のせわ。私のいない間になんと突風で飛ばされたが隣にあった車にぶつかり転ばずに済んだという。相当身がかるくなっている。孫たちが御機嫌伺に来てくれて母も大いに喜んでくれてほっとする。 今から三ヶ根行き。頑張りたい
2022.12.18
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朝ごみしょりを終えて事務所の最終整理、軽トラック一車分をはこぶ。移動場所の事務所化をなす。2月23日天長節の会場探しを為すがなかなか見つからず困っているとO氏より条件に合う会場が見つかったとの知らせを受けさっそく確認に走り適合確認をし申し込みにこぎつけた。会員の合意を得たのでほぼ確定といえよう。 おかざきでの参政党タウンミーテイングに参加した友より様子をうかがう、新しき活力ある政党が生まれ、安倍総理なき今政権与党への支援をやめた方などが多く結集為されたようである。このうねりはおおいにきたいできそうである。 大府市の建国祭の打ち合わせに大府に走るが仕事が終わらないとのことで明日岡崎に来ていただき話し合うことにする。岡崎の友と語る。先日の岡崎学習会に来られなかったので資料をわたしながら今後の運動確認を為す。 職場が明日から自宅を改装して稼働となるがやはり家にいると母の現状がよくわかり、今までほんの数十分しか顔合わせで来ていなかった親不孝を痛感。食が細くなっているのでカロリーメイトをたべてもらったり、豆腐を食べさせたりと少しは親孝行じみたことが出来た、まだまだ移転した諸資料の整理は全くできていないが、おいおい進めていかねば。 明日は6時より岡崎倫理法人会モーニングセミナー参加、8時から高校生指導をなし10時半より今までの事務所解体作業開始に立ち会う。三ヶ根に購入した教会作成用の木材や花壇通路整備用のブロック板の搬入をなし花の水やり。出来得れば土木作業を進めるよてい。2時に大府の友と建国打ち合わせ、3時より新事務所ネット環境の整備打ち合わせと資料整備。夕刻から仕事開始。夜10時まで。
2022.12.16
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朝5時起き。6時から蒲郡倫理法人会モーニングセミナーに出る。波乱万丈の人生を過ごされた80を超える先生のお話、今も現役で朝4時からの仕事をなされているとのこと、それだけでも驚きである。私も魚市場で働いたことがあったので寒さに凍えて動き回って客対応をしていたことがあるが若い時しかできない仕事だと思いながら拝聴。私の場合は仕事終わりそののちは日本を思う活動ができたのでこの職を選んでいた、 そう、あのころから人生のテーマ国家の自立運動をなすための資金捻出が仕事。その意味では今の生活も同様。企業をよくしたい、社員を育てたいとの世界観に立つ倫理法人会さんとはテーマが似ているようで違いがあるなあと思いながら聞いていた。 世間では私の発想が異常なのだろうと理解はしているが、世の中の矛盾を正していこうとする思いの方が私にはつよかった、とはいえ会社を立ち上げてからは企業業績も他の同業者以上の成績を起こしてきた自負はあるのですが。 さて蒲郡の建国は後嗣も時間も決まっているが実施予定の会場がすべて空いていないとの話であった、ならばホテルでするのはどうかとy市議に提言。幸いきぼうのホテル社長さんには貸せますよとの返事をもらっている。早急に検討をお願いしておいた。 三ヶ根花壇の土木作業に行く。友のご努力で鶏糞も用意してあった。先日の日曜、Yさんのご努力で会談したが見事にせいちされている。その続きを行う。 昼帰宅して事務所移転作業に奔走。あと2日しかない。書籍や資料をひもで縛り捨てに行く。あと数時間でとりあえずの諸資料搬出が出来そうである。 明日で電気も止まり明後日から解体作業に入る。明日中にすべてを搬出せねばならぬが何とかきじつにクリアーできそうである。 明日一番の巨大印刷機の搬出。専門業者の慎重な作業を必要とするそうで開始が9時半過ぎと決められていた。液がこぼれると動かなくなるそうで素人では無理とのこと。明日は三ヶ根花壇の植え込み作業日で時間がかち合い万事休すか。友と相談して三ヶ根作業日を19日に延ばしていただいた。2月23日天長節式典と講演会の講師はやっと今日決まったが会場が決まらない、明日大至急探さねば。仕事以外に多忙な日々がつづきそうである。まあいつものことだが、」
2022.12.14
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朝7時に外へ出ると雨。倉庫に入りきらなかった資料などが濡れてしまい残念ながら処分、。夜中に帰った時は何とか持ちそうだったのでシートをかぶせてはおいたのだが、ゴミ捨てを終えて倉庫整理。10時から岡崎建国祭実行委員会に参加、総代会連合会長はじめ箇所団体のトップの皆さんにお集まりいただきチラシやポスターを配布。岡崎建国祭は第55回め、市長県議代議士市議会議員の8割ほどが参加くださるので実質岡崎市の主催といえるのですがまだ市の主催になっていないどころか後援もいただけていない状態、某政党が議席を持って見えるのでなかなか動かない。何とかうごかしたいものである、市民の中には様々なご意見を持たれる方がお見えで市にすぐに抗議電話を入れる方もいる。しか一時期は紀元節の歌も歌えない状態にもなったが来年は事務局案が通り実施となったので一安心した。公の決断を求める難しさを痛感している。 雨がやまず事務所移転の継続をしていたが昼過ぎには編めば上がり急いで三ヶ根へ。松井石根大将率いる部隊が南京入場をほぼ平和裏に実現くださった栄誉を祝して参拝をなした、のち土木作業をなす、
2022.12.13
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昨日の日曜は朝より事務所片付けに集中させていただいた。とりあえずは各部屋に置いてあるラックや机やいすなどのほとんどを移動。新たな事務所は小振りでしかも部屋は2室しかないため隣接の2部屋の倉庫をを資料室や印刷室にして使うことにした。しかし10畳5部屋ぶんの資材を二部屋に入れるので入りきらないボックスやラックなどはすべて処分。相当量を搬入したが4時には終了、5時からの学習会に臨んだ、 昨日の学習テーマは「大東亜戦争及びいわゆる戦犯」討議は県下の建国祭の概要確認、チラシがする上がった岡崎と知立については皆さんにお配りし説明、あとの会場チラシはなだ刷り上がっていないので記載内容の報告を受ける、蒲郡の開始時間に不具合があり微調整、あと一週間で全会場のチラシがだせそうである、さらにフリータイム時間にご参加くださった全員に現況報告をしていただいた、 今朝は7時前から運び入れた資料の整理の続きをなす。9時半開始の教育をよくする会幹事会をすっかり失念していて電話をいただき急ぎ碧南に走る、昨日の建国打ち合わせ会の報告と今後の2月23日今上陛下お誕生日奉祝活動までの取り組みを報告。建国ポスターを皆さんに配布。中座して11時より手伝いの人の応援を得て重たいテレビやコピー機などを優先して運ぶ。1時半より待ち合わせて三好町のフラワー屋さんに走りパンジーや葉ボタンの買い付けをなし28株を1ケースとするパンジーや葉ボタン9ケースを購入し三ヶ根に運ぶ、階段下のスペースを広くとるべきの提言があったので花壇幅を減らして通路を広く取り直した。次回の共同作業は15日木曜朝10時から。それまでに花壇の造作の完成をなしておきたい、 夕刻5時半に終了。7時から今日の仕事に入る、夜10時まで。明日は朝10時より岡崎建国会の打ち合わせ。12時に三ヶ根にて松井石根閣下の参拝に行く予定。1時半巨大印刷機の移動準備のための来客を迎える、これがなしえれば移動は完了できる、終了は15日であります、翌日から家屋解体予定、
2022.12.12
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昨晩は大阪から帰って感動してあまり眠れなかった。田母神閣下とは平成20年の幕僚長解任の時からのお付き合い。当時のことが鮮明に思い出されて当時の日記を見直していた。少し休んで5時過ぎから動き出し、6時からの岡崎ニューグランドホテルでの倫理法人会の研修会合にもつかれなく参加。数人に出来上がった岡崎建国チラシを差し上げた。続き朝8時からの高校生指導も気分よくできた。朝10時から建国事務局の皆さんがわが事務所にお越しくださり建国祭実行委員会の開催準備やチラシ分けなどをしてくださった。実行委員会は13日火曜の朝10時から。 皆さんには岡崎奉祝会は2月11日(土祝)の9時半から12時までですが、昼3時から6時過ぎまで安城の建国祭にもぜひご出席いただけるようにお願いした。岡崎市は小名木善行先生、安城市は高橋史郎先生。豪華な両先生であり日本の針路を明示してくださるたぐいまれな先生であり、しかも参加費は無料で行うことになる。むろん有志で開催費用を調達する前提であります。 家に帰り食が進まぬ母にお貸し気分でたべられるカロリーメイトを購入して無理やり食べていただく。医者にやっと行くことに同意してもらい予約を入れて12時に診察に連れて行く。コロナの検査で陰性であることとを伝え、証拠のキットを持参したにかかわらず車で待機、時間になっても外で軽く聴診器を当てて調べるが、ものの30秒で診察終了。お金も車内で支払い薬は2週間分いただいて終了。よくころぶので首と胸のあたりが痛いといってもレントゲン検査は外科でやってもらうしかないと返される。 外科のある他の病院に電話しても断られ、以前通っていた医者に行くよと言っても一度行くと保険適用のない1万円の注射となるのでお金がなくて払えないからいけないというではないか。それで一年ほど行かずにいるのか。申し訳なさに頭が上がらない。 とはいえ補聴器の更新作成で何十万とかかりこれは私が何とかする予定、母は外孫の結婚で三桁、ひ孫の誕生で数十万の祝い金を出してくれたばかり。命を継いでくれた外孫やひ孫に出させておくれと私に頼むのだ、何を言っている、お母さんのお金だから自由にしていいに決まっている。私の8人の孫にも同額を渡してあるよと聞きびっくり仰天。ああとんでもない長男であることよ。 寝てもらうのだがよく寒さで震えている。母の布団に私が入れた湯たんぽが夜中に帰るといつも私の布団に入れてある。どうしてかというと「寝るときに寒いだろ」といってきかない。確かに冷暖房は私の部屋には入れていないが私はどこででも休めるから入れずにいいというのだが治らない。 食事でラーメンを作ったら美味しいと食べてくれた。洗濯はまだ取り込んでいないまま、帰ったらすぐに取り込まねば。夜10時過ぎに仕事終了。 事務所撤去まであと4日。まだまだ資料や机や機器が山のようにある。資料移転や電気nネット環境もうまくいくか心配である、明日は三ヶ根や名古屋デモ、夕刻の松陰先生一人劇もある。岡崎学習会いずれも重要極まりなし、しかし明日は夕刻岡崎学習会を大優先。。主に各地の建国準備状況確認。行けない行事、ご案内いただきましたが誠にすみません
2022.12.10
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朝町内のごみ処理、隣町のごみ処理を終えて一路大阪へ。12時過ぎにつき他のお二人と合流、場所はマイドームおおさか。1000名会場である。ほぼ満席。田母神閣下と河添恵子先生と及川氏の3者講演で大いに楽しみでありました、しかしつく早々河添先生が体調を崩され来られないとのことで大ショック。お母様に電話すると昨日から声が出なくて参加できないとのこと。責任感も誰よりも強く、愛知の建国の講師ももう20会場以上お勤めくださって、絶大な支援者がお見えになる。いつも建国の講師で来ていただく際には私は運営側にいて業務が忙しくじっくりお話を伺えなかったので今日はおそらく初めて聞けるのだなあ、さらに田母神閣下とのディスカッションもあるのは最高とワクワクしながら車を走らせたのでしたが。建国の講師は一日2会場をお願いして実にハード二お勤めいただいているので心底申し訳なかったことと大反省。時には当日講師の先生が倒れられて急遽ピンチヒッターも頼んで行っていただいたことも。申し訳なかったとでありました。田母神閣下のご講演は毎年一度は伺っていますが今年は8月に行けず申し訳なくおもっていましたが伺えて大いに元気が出ました。11月の豊橋陸軍墓地清掃に多くの自衛隊員の皆さんがご参加くださりましたがその写真をお渡し出来てよかった。講演内容は炎上の危険があるのでブログで書かないように司会の方から要請がありましたがその通り。本音のご発言があり、伺う方は大いに満足。何度の拍手が湧き出るご講話。痛快でした。事務所に帰ったのは10時。地久節国旗降納。
2022.12.09
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明日は皇后陛下のお誕生日地久節です。今事務所に国旗を立てました。今日は開戦記念日。1929年の世界恐慌時にアメリカは新興国の経済を止め南北アメリカの利権を確保しモンロー宣言に戻りなすべき世界不況阻止の手を打たずに放置したのみか日本たたきを実施、日本へ最後通牒ハルノートを突きつける非道行為をなしたのでした。日本が先制攻撃に出るのをひたすら待ちつつハワイの守備隊2千名以上の軍人をあえて死地に追いやって被害者のふりをしてまで戦争拡大を目指した。その非道さに見捨てられたハワイ守備兵はのちに訴えを起こして国家賠償を得たことも、米国の汚点として人類史上に記憶されつづけられねばならないでしょう。 他の英仏もブロック経済に移行して植民地からの収奪により自国中心主義に走る。 81年前の野蛮な欧米中心の世界は二度と人類は繰り返してはなりません、しかし大戦により国土を飛躍的に拡大したチャイナとロシアは今また同じ夢を見ようとしているようです。国連5大国中露2国の危険な挑戦には十分注意していかねばなりません。 11時に三ヶ根殉国7士の墓にお参りしました。2時過ぎまで心を込めて菊の花を花壇に植える作業をなしてきた。 私どもの今があるのも勇敢な先人のおかげであります。怠惰な日本人であってはならない。強く感じて一日を過ごしました、今日は次から次へと困りごと電話や来客が。多忙極まりない日であった。 明日は大阪行き。時間をやりくりして行けそうであります、
2022.12.08
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羽根の八幡神社には境内社として靖国神社が祭られている。地元ご執心の英霊となられれた方をしのんで篤志家が建立されたものほぼ毎月15日には身を清め、清掃を行うことにしている。 さて明日は12月8日、81回目の大東亜戦争開戦の日。多くの人々は戦争を始めたことを悪のように思っているがあくまで戦争は政治対立の解決策の一つの形。決して令和の今ですら国家が開戦をなしたことを悪とする国際法はない。その戦争が法規にのっとりなされていれば戦争犯罪を問われることはない。そのルールとは軍が敵国の軍に対して武力でこれを打ち平らげていくというのが大前提、宣戦布告はあろうがなかろうが戦争の本質には無関係。では侵略戦争とは何で防衛戦争とは何か。これ等はどこで区別され決まるのか。これは戦争当事国が決めるもの。政府が侵略だといえば侵略であり、自営行動だといえば自衛戦争である。我が国はその区別を明確にしてきて自衛の行為として来たが政権交代があった細川内閣で「侵略」戦争とする自虐発言がありそれ以来、「侵略」の冠付きで大東亜戦争を語るものが出てしまった、由々しきことである。侵略が明確な戦は軍同士の戦いの枠を超えた戦、つまり一般人を殺戮する戦をなした国こそが「侵略国」なのである。無差別殺戮をなしたB29の乗組員を処刑した件で裁かれた岡田資(たすく)中将。愛知のお住いの聡明な武人でみえます。大東亜の武力戦には敗れたが、国際法を駆使して部下の全員を救済。岡田中将だけの死罪との判決を勝ち取った中将であります。戦勝国ですら無差別殺戮という国際法上の犯罪行為をなしたものらの罪を無罪とすることはできなかったのだ。リーダーとしての資質を充分にもたれていた中将を世に出した功労者の一人が、のちの中日新聞社長加藤氏。今昔の感を覚える。中日新聞にもまともな人材がいたのであります。ルメイの卑劣さについては今更の感があるが、彼をさばきの場所にひきづりだすことが出来さえしたら彼こそ大虐殺者として確実に処罰できたであろう。なんとその彼に最高の栄誉である旭日大綬章の勲章を授けた日本政府の情けなさには改めて憤怒を覚える。原爆投下の非を記録し、虐殺行為の不正義、罪の意識にさいなまれたと記すトルーマンは日本での原爆被災者との面談時に「投下は日米両国各50万人の兵士の命を救うため」などと思ってもいない理屈をつけて自己防衛を図ったという。この論理で原爆投下の正当さを今でも語る米国軍人もいるという。彼らの非人間的行為に比べ岡田中将の堂々たる姿には日本人の道義心の気高さを思わざるを得ない。 どうしても日本を戦争に巻き込もうとした米国。もうそのことは日本占領統治が終了したと同時に明白な事実として日本以外の世の学者の認識となっていると聞く。大東亜の戦が日本の自存自立の戦いであったことは米国議会でマッカーサーが明言したとおりであるが、さらに他の一面は虐げられたアジアの各民族の独立実現のための戦い。この側面をわれらは忘れてはならない。いよいよ明日が開戦の日。三ヶ根に詣でて英霊の皆様の武勲をたたえ、日本の独立アジア諸国の独立を実現くださったことに深く感謝の思いをお伝えしに参拝に行きたい、 事務所朝移転諸準備。各方面に連絡して業務移転の手続きをする、三ヶ根殉国花壇の花が足りず家の庭から再度ケイトウや菊を根付きの花を50っ株ほど掘り出して三ヶ根に走り植え込みをする。久しぶりに三ヶ根開拓の功労者小田元町議の公園の木々の剪定と殉国庭園の通路の落ち葉の掃き清めをなしてから植え込み作業。今日は母も調子がよくすぐに畑の鍬入れをするので危険だからと禁じるのだが聞こうとしない。しかしすぐに転倒してしまうので、目が離せない。医者に連れて行こうとしてもまだ薬があるからと遠慮ばかり。市販のサロンパスを張って休ませる。
2022.12.08
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民族自決主義は現代社会の大原則サンケイより 岡田氏は10月17日の同委で「(台湾の)独立は支持できないと米国も言っている。その表現を口にできないのか」と述べ、末松氏も11月29日の同委で「台湾が独立する動きは封じていかなければいけない」と訴えていた。台湾は憲法を持つ実質的な民主独立国家。現状を変更しようとする発言を立憲民主党幹部がなすのは内政干渉に当たらないのか。チャイナの核兵器配備数は北朝鮮の比ではない。我が国最大の脅威国であり、かの国の発言を抗議したのではなく日本政府へ対チャイナ迎合論に立てと要請する両氏には志の文字はないのだろうか。 岡田氏は以前韓国による竹島侵略の事態に対して侵略国として非難をすることなく容認しているかのような発言をなし顰蹙を買われたことがありながら反省の様子がない。日台友好の機運をそごうとしている両氏の発言は褒められものではない、 民主は日本を脅かすチャイナの核兵器準備をどう思っているのか。情けない 12月5日知立や安城、高浜、刈谷、蒲郡、碧南などの建国チラシもまだ未作成。移転作業と同時に進めうるかが最大の心配事。しかし成し遂げねば。 岡崎分は発注済み。9日の納品予定、この日にチラシとポスターを各団体に分ける。会議は13日10時よりセキレイホールにて開催予定。その前に11日日曜日に夕刻5時より7時まで岡崎学習会を開催して主に建国の講師先生や時間確認を行う予定であります。 朝9時半に碧南の教育をよくする会に行ったが都合で1週間後となっていたので3名で状況報告などを行って解散、来週の同時刻に参加する予定。 母の体調ケアーを考えると今の、夜の仕事は無理と判断して、すべての事務所機能を自宅に移転して引っ越すことに決定。2階建て5部屋の社屋はこれを解体して平地にすることにした。ここを撤去し、がらんどうにしてテナント貸しすることの方がよいとは思ったが内装も大掛かりになりそうであり、ならば解体案を選択。早速業者に相談すると1月1日時点での建物残留は課税対象。よって年内解体することに。そのためには15日に完全移転し、同時に自宅を改装して業務一切を移転することにした。年末に向けて一大作業となる。 それにしてもこの膨大な資料や書物をどうするか。業務用コピー機やカラー印刷機など3台の移動も人数がいる作業。しばらくはこの作業に集中せねばならないようだ。 12月6日、 汚水処理業者に清掃依頼、電気の中止の日にちを15日として連絡。中電とおもっていたが他の電気さんだったので連絡すると中止には違約金がかかるとのこと、契約書面にそんなことが記載されているなど説明を受けた覚えがなく、ファックスないしは郵送で契約書面のコピーを送ってくださるようにお願いしたが出せないのだそうな。契約書はサインも判も押した覚えがなく、昔のことゆえ書面もどこにあるのか不明。そんなものなのかと思うが違約金の言葉の響きがきつすぎるきがする、中電で行くと、勧誘を相当拒絶していたことは覚えていたが根負けしたのだろう。愚かであった。 ネット関係も全て連絡、あとは官庁への移転登録などを急がねば。 母を耳鼻科に連れて行き聴力検査などをしていただく。補聴器屋さんに連れて行き相談すると交換の提案を受ける。補聴器の不具合から大声を出しても内容が伝わっていないことが多く、やはり買い替えを母にすすめる。しかし母はいつまで命があるかわからないからいいと言ってきかない。明日再度説得する予定。
2022.12.06
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今日は実にうれしき日であった。日曜の倫理の会合があることを昨日聞き、早速ながら参加した。自由に話ができると聞きならばと試しに参加してみた。何も持たずに参加してしまったので大失敗。いつものモーニングセミナーよりも厳格な学習の深みを持った会合。ここに倫理の事務所があることも初めてしり、参加者も幹部の皆さんのようで場違いの場所に来てしまったと思ったが途中で帰るわけにもいかず、教材もお借りして参加した。 今までのオーニングセミナーはきびきび行事をこなす儀式的なワークとを終えてのちに講師の先生のお話を聞きすぐに解散するだけで、どなたと話をするわけでなく終えていた。 むろん受講側である私の聞く姿勢が問題なのでしょうが地域をよくする運動ができるのではと、言葉は悪いが顔つなぎができればいいやと思って参加していた。 この一か月、4回の朝を体験したが地域運動や国家への奉仕活動が進展したわけでもなく、立派になろうとされる企業人がみえる会だなあとおもうだけ。 そこで自由な話ができる会があると聞き参加させていただいた。 しかしやはり会のなかでのテーマで話が進み、部外者意識が消えぬ。 歴史教育推進や郷土の文化の復興や国旗掲揚の推進更には建国祭の推進協力や英霊慰霊活動や皇室への感謝運動などの提案ができればと自由発言を期待していたのであるがそうはいかなかった。致し方ないことでしょうが。 時間なく中座。三ヶ根に向かう。今日は葉ボタンの植え込み作業。 しかし私の作業能率が悪く階段下の土地の平坦化と畑の耕しが間に合っておらず私はその作業を継続。 Tさんには入り口部の葉ボタン上をおひとりで行ってもらうようになってしまった。 そこへMさんが耕運機を持ち込んでご参加くださった。まさに天祐。 固い地面をバリバリ掘り起こしてくださる。私はその土を低い場所に運び花壇を水平に作り変え土止めをレンガを積みなおして作成。作業能率は抜群。花壇作成でこれほど感動したことは初めての体験、 私は1時からの豊橋陸軍墓地清掃に参加せねばならず途中で切り上げ。あと、なし得ればブロック板を4枚並べて階段作りができれば、さらに降り口の面を水平にして20枚の正方形の板ブロックを敷き詰める作業、もしできれば土をさらに下のへこみ部分に移動してそこを花壇面にしたいと、勝手な作業計画案をお知らせだけして下山準備。 するとなんと重要時にいつも協力してくださる不思議なY神主さんが応援に来てくださり、また大恩あるI先生が突然参拝にお越しくださる。 もううれしくてならない。 さらには大先輩のT教授から電話が。親しくお話をしてしまった。学生時代の私をよく知ってくださる国家有為の大教授。本当にうれしかった.勇気百倍であります。 しかし時間なくご挨拶をして下山。豊橋陸軍墓地に一時前に着く。 すでにT県議が作業をされていた。Y氏もF氏も。 お二人は県知事選、市議選にモ立候補してくれる同志。 1時には10数人の皆さんが来てくださって清掃作業に。先月に自衛官80名他総員110名ほどで清掃奉仕ができたので今日は落ち葉の掃き清めと墓石清掃をなす。 ブラシでこすり雑巾で水拭きするとどす黒く成った墓石も驚くほどきれいに生まれ変わる。 むろん尽力ではたいへんすぎますが、やはり高圧洗浄機を用意したいものだと痛感。次回は1月8日の第2日曜に変更することに。それまでに手に入れたいものです。休憩には県議が土産のせんべいを出してくれて皆さんでいただいたがこれがおいしい。 終えてのち参拝。本当に素晴らしき思いある皆さんであります。 ちょうど時を同じくして三ヶ根清掃も終了の電話をいただく。私ができなかったブロック階段づくりなどもすべて完成できたと。驚きの電話であります、なんと素晴らしきMさん。ありえないほどの働きであります。 私は大東塾の御嶽社の剪定をなしたのち三ヶ根が気になり西尾に戻る。もう日が暮れていたが花壇も階段も報告いただいたように完璧に作ってあるではないか。 これなんです。この行動力がそして心からの笑顔と達成感が。地域つくりや人づくり国家への奉仕。一騎当千のパワー。 国旗掲揚をしましょうではなく国旗掲揚をしました、家族を大切にしましょうだけでなく家族や知人の命や人生を変えた。国思う生活をしましょうだけでなく、英霊に心からの感謝をなしできることを率先しておこなった。行事に参加するだけでなく行事を必死に実施した。こうした報告がなしえて初めて夢に近づく。それでも少しづつしか前に進まないのですが。朝の会合、フリー発言の時間があれば、生意気ですがこれを一言発言したかった。頑張りましょう、そして裁可発表の場と成されるときもたまにはよいのではと思った次第です。むろん出過ぎたアドバイスとは思いますが、何しろ口が悪くてご容赦を、 今日三ヶ根は50名を超える皆さんがお越しになって慰霊祭をされました。大東亜戦争開戦は12月8日ですがその直前の日曜ということでお集まりになったそうです。ラッパの音色が素晴らしかった。知人に建国ポスターを差し上げました。豊橋のメンバーにも。 明日は教育をよくする会幹事会が9時半より。碧南の建国の準備現状を確認できそうです。
2022.12.04
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敵基地攻撃能力(反撃能力)の保有を自公が実質合意 日本の防衛政策、大きな転換今やっと政府は国家安全保障戦略などの改定に向け動き出すという。大いに意義あることである。この問題を強く訴えてきたことにより私は5.6年前に友から絶交を言い渡されてしまった、先制攻撃を加える能力を持つなどとんでもないと国防を推進すべきとする友でさえ当時は私に批判を語っていたのだ。友を失うつらさはあったが国家防衛のためには説を変えるわけにはいかない。自衛権の中に含まれている防御策を放棄するなど日本の手足を自ら縛るに等しい政策ではないか。国防に無関心では祖国はまもりえないよ。こう言っても納得を得ることが出来なかったのだ。しかしここまでくると政府も日本防衛を米国にゆだねる愚かさを悟り始めたようであります。 日本は「専守防衛」を防衛の基本政策とし、日米安全保障条約などに基づいて、自衛隊は「盾」に徹し、米軍に「矛」をゆだねてきた。その結果日本は独自に防衛武器を開発できず、ほぼすべて米国の兵器を高額で買わされ、しかも修理もままならない。納期も米国の言う通りにされ完全に日本は米国のコントロール下に置かれてしまっていた。軍事の技術改革は民事の技術改革に直結する大問題。日本が技術立国を言いながらインターネット分野でも一周遅れの地位に置かれてしまった原因の一つはここにあったと識者はいう。 なんとしても国民の理解を得るべく与党は資料提示を積極的に成すべきである。 北もそうだが200何十発もの核弾頭を日本に向けているチャイナ二隙を見せてはならない。 朝6時から7時の倫理モーニングセミナーに参加。講師の山本先生のお話は西尾で伺った話ではあったが何度聞いても感銘を受ける。まだこの会の会員になって半年ですが縁あって西尾の会に入って半年、岡崎にあるのを知ってこちらも出ることができると伺って一か月。やっと要領がわかってきたがモーニングセミナー以外に会があってそちらでは自由に話ができると今日伺う。明日起きられれば参加したいとはおもう。話を伺うだけで運動提起などができない会ならば今の私の人生テーマにとってはあえて参加の緊急性がなく思われる。 8時から10時高校生指導。10時半より母の介護など。三ヶ根花壇用に庭の草花を掘り起こしていると隣の公民館の石碑紹介本をポストから取り出してお読みくださっている方をお見受けする。聞けばわざわざ名古屋から見学に来られた方と言われる。ならばと案内をさせていただく。僕らの資料にびっくりされていた。近隣の大久保一族の関係施設も説明すると喜んで下さり見学に行かれるという。 町内の皆さんにお読みいただくために設置した雨をしのぐボックスの存在にも評価をいただけてありがたい。これは地元の看板作成の工芸店に作っていただき三ヶ根にも同様にして設置したもの。無人であっても持って行っていただけるので都合がよい。冊子を作った際には市外からも見学者が見えるなどとは想定もして居なかったがこれだけ多くの方が来てくださりお読みいただけるのは実にうれしいことであります。 国おこしは郷土おこしから。 国を憂いてモダにいる人は生きたる人とはいわじ。 やはり、動き出すことが同憂の友を得る秘訣なのでありましょう。 花を積み込み、堀田農園に行き購入した葉ボタンを積みもう一度他の花をと頼んだがやはりもう少し注文状況を見ないと返事ができないとおっしゃるのであきらめて三ヶ根花壇へ。やはり地面が左下がりの傾斜面となっているのが気になり堀理解直す。終えて持ち込んだ菊とケイトウを植える。建国準備のメールがどんどん入り対応に追われる。 5時に山を下りて様々に対応。市議に会い岡崎建国につき現状準備段階を報告。 おかざき講師小名木先生の宿泊予約をとる。明日は午前三ヶ根清掃、午後は豊橋陸軍墓地清掃のよてい、
2022.12.03
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朝7時より町内神社の清掃。西尾の農園で葉ボタンを90株購入して三ヶ根に運ぶ。憩いの農園が本日から新装開店。相当の賑わいだそうな。一年の閉店で施設園芸農家は販路が狭まり育成苗も相当セーブしたので僕らに回る苗もほとんどなくなっており、90株を仕入れるのがやっと。仕入れ値も需要と供給に大きく左右するので年内販売勝負のパンジーなどはすでに入手困難。ほかのルートを早急に探さねば。見つかるまで我が家で咲いている菊やケイトウなどを移植させていくしかなかろう。 今日も土木作業がおも。階段下花壇をなるべく水平にして花壇らしくするのだが困難を極める。通路の土を削り低い場所に客土するのだが通路の土は踏みつけた固い土で掘ればすぐに大きな石に当たる。もともとが山の表皮岩盤部分。何しろ固い。機械を入れることができないのですべて手作業。しかし何とか水平に近づくまで掘り進め、掘った土を低い場所に搬入。作業は夕刻5時過ぎに終了。すでにあたりは暗くなり気力が落ちてしまった。 帰宅して母のケアー。昨晩は風邪に苦しみベッドから下りられないほど体調が悪く廊下もふらついて歩いていた。母の部屋から風呂場や台所までの30メートルほどには手すりを付けておいたので安心していたがやはりそれも使い勝手が悪いというので外用のミニ乳母車(手押し車)をおいてそれを杖のように使い歩くようにしてもらったのがよかった。孫とひ孫が見舞いに来てくれたのが相当うれしかったようでもある。隣町の総代さんと語る。小学校学区内に配布する冊子の記事に我が家の隣に明日3つの石碑について文章を書かれたそうな「上和田町の歴史」本を公民館隣接地にボックスを作りその中に自由配布として置いてあることも記載してくださったという。書籍は僕ら3名の友の責任編集ですので町内1000名に配布したいのはやまやまですが町の公式な書物とするがけにはいかないため希望者が見えれば無料でお渡しするシステムとしている。町内の皆さんがお読みくださり郷土の歴史を知るきっかけになってもらえたらありがたい。楽しみである。 明日は朝6時より岡崎でのモーニングセミナー8時より高校生の学習指導。10時終了後我が家の庭に咲く菊やケイトウなどを根付きでこいで三ヶ根に植え替え予定、土木作業は明日中に終え、あさって第一日曜の花壇奉仕日に間に合わせて花を用意しておきたい。
2022.12.02
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12月1日愛子内親王のお誕生日おめでとうございます母の看病の合間に地元のある小学校に訪問して校長先生とお話しし、徳川家康公のみがわりとなって公の危機を救った土屋長吉や大久保一族発跡の碑の存在の紹介をした。大久保彦左衛門はじめ、兄の忠世など徳川政権の樹立や骨格つくりに大きな業績を残した大久保一族が家康の3大危機の一つ一向一揆を抑えた功績は実に大きいが一族のほとんどが家康の移封に従って岡崎上和田を離れて江戸に下ってしまったため地元には資料が残らずその業績もほとんど語られないでいる。上和田町を学区に持つ城南小学校の教師の皆さんにぜひ歴史を知っていただけるようにお願いした。町内有志だけで研究を進め資料を作成するだけでは来年の大河ドラマに上和田城の登場すらできないだろうし、郷土の歴史も伝承できない。何とかここは校長先生だけでも地域歴史を知っていただき教委に研究者を置いていただきたいものと判断したため。他の小学校が主体的に一向一揆を取り上げていかれているとの話を聞き、家康公打倒勢力の研究より家康公防衛の勢力の歴史の方がより重要だとを念押しをさせていただいた。雑談の中で筋ジスを病みながら英検の面接員をなされた永谷由美先生の話題となり、校長先生が中学生と会長時代に彼女を中学に招き講演をされたことを伺う。驚いた。彼女の英語教育に私も微力ながらお手伝いをさせていただき、晩年に寝たきりの先生にアメリカ人のデイブ先生に毎週土曜日に電話にて会話指導をさせていただき英文チェックはファックスで行っていたことや亡くなられたのちには彼女の英文を書籍にして高校の副読本に仕上げて販売して売り上げ利益をお母様になされた介護施設に寄付したことなどを語る。本当に懐かしい思い出であります。最後のファックスは「先生も風邪をひかれないようにご注意ください」の文面であった。ご自分が電話授業を休まれたほど大変な状態であったのに僕らを気遣ってくださるとは。当時の生徒会長さんが今地元小学校の校長先生として赴任なされている。教師人生を選択されたのも寝たきりの彼女の講演会体験があったからと思えば永谷由美先生の短い人生が極めて尊きもので、大きく人を変えた証明でありましょう。まだ数冊書籍が残っているはずですので明日校長に届けたい、ものです。さらに私の母校の小学校を訪問し校長先生とお話をさせていただく。数年前に台湾の教師の方が小学校を訪問くださり交流を持たれた話をとある小6生から聞き、その実践がなぜ可能であったのか、西尾小学校と台北市の士林小学校との交流の可能性を探りに行ったのです。しかしながら当時を知る先生が見えず詳細がわからず聞くことができなかった。しかしフランクにお話しいただけた。西尾市が来年至誠70年になることを申し上げている中で校長先生のご身内の方が西尾の名士で西尾市内の山の山頂公園に石碑が建てられていると伺う。さっそく公園に走り写真を撮ってきた。講演が素晴らしく、三ヶ根の観光開発の見本になるのではと直感。大いに参考になった。さらに西尾市の市議と教育長にお会いして台湾交流の実践可能な具体的内容に関する資料をお渡しした。市議には係累の方の調査を依頼。やはり担当の学術研究員を市教委においていただき、さらに西尾の財界の支援をも得なくては僕ら、民間人だけでは交流の実を上げるのはむつかしいと現段階では思われてならぬ。関口先生の業績や顕彰を教育現場や市にお知らせすることは僕らなりにできそうですが、台湾の学校との文化交流などは市及び教育界の同意を取り付けねば。これも来年が市政70年の節目の年。何とか年内にアクションを起こさねば。 旅行会社に走り台湾訪問がコロナ禍でも陰性証明なしで行けるか、いかほどの費用が掛かるかなどを聞きに行く。今の状態では陰性証明も不必要のようでワクチン3回接種だけが要件のようである。台湾に住む友に一時帰国が可能かを日曜に聞いてみる予定。忙しくて三ヶ根行きができなかったのが残念。仕事開始は5時から。愛子内親王のお誕生日を祝う国旗を先ほどおろす。日本時事評論をお持ちいただく。100人の会議事録を受け取る。明日は三ヶ根作業を優先する予定。。
2022.12.01
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今日は皇嗣殿下のお誕生日。事務所に国旗を掲げ朝5時に家を出て蒲郡倫理セミナーに参加した。「白いカラス」の体験談の話を受けて面白いが、ここまで過激な話にはやはり違和感が。企業人なら成功すれば昔の羽目はずし物語として人に話すのもよいのかもしれないが、やはり私には残念ながら似合わない世界のようだ。もっと奥深いものがあるのだろうが私の求める価値とは別のもののようだ。 終了は7時、すぐに三ヶ根作業に入る。今日は土運び土木作業。階段下を平らにしてがけ側に土を運び入れ花壇の土留めのレンガを積み替えて左右対称な形に花壇を変えた。さらに正方形のレンガ30枚を地面に敷き詰め見栄えをよくしてみた。あとはここに植えるパンジーなどの花を用意しなくてはならないが残念ながら廉価のものがまだない。 これだけ広大な花壇の花を用意するのは至難の業。考えねば。 昼12時まで作業。次いで豊橋陸軍墓地へ。 今月5日の110名大清掃により刈り取り作業はいらなくなっていたが落ち葉の量が半端ない。6袋を作ったがまだまだ終わらない、しかし3時を過ぎてしまい、東田御嶽社の垣根剪定に行かねば。ここは一人でなすしかないが相当の時間がかかる。西側の剪定は終えていたが北側の剪定をしていなかったので今日やっておかねばまたチャンスを逸してしまう。 必死に作業をなしていると小学校の帰りのお子さんが通る。 本当に素晴らしい。ほとんどの生徒さんが私と目を合わせなくても「こんにちは」の声をかけてくれるのだ。いい子だなあと思い振り向いて私も「声をかける。男子は100パーセント。それも生徒さんからごく普通に挨拶してくれるのだ。思わずどこの小学校と聞いた。「東田小学校です」と元気な声。素晴らしい教育だなあと感動した。豊橋がますます好きになった、 移動しようとするとなんと落し物のキーと帽子が。しばらく見やすい場所においてあったようだが取りに来られていない様子。キーには氏名があったので警察の善意に頼るしかないと警察署に届け出る。落とされた方は必死で探してみえることを思えばここはご苦労ながら警察の手を煩わすしかないだろう。 先輩女性Sさんのお宅を久しぶりに訪問、11月の活動報告や諸資料をお届けする。私の40年来の知人で勤皇の心にとんだ立派な方。今日も市内にチラシ配布に行って来られて帰って見えたばかり。本当に心の清く温かい方。私の活動を様々に激励くださりしかも今もチラシ配りをなされて見えるのだ。お年を召されてはいるがこうした方が大和なでしこ。 私の50余年の国思う活動をずっと見てきてくださった方。先日の陸軍墓地の清掃のことも地元新聞を通じてご存じであったし、森田必勝大兄慰霊祭のことも。当時狂気の沙汰などとマスコミなどから非難されていたことを十分ご存じで、「森田さんの意思が皆さんの運動を支え続けてくださったのですね」とかたってくださる。 思えばこうした国思う皆さんに支えられて私の運動が続いて来たのだなあと昔を思い起こす。「安倍総理が命をおかけになって国民の心を動かしてくださいますよ。」へこたれてはおられないと心あらたにした。 倫理セミナーが国おこし講演になるのを期待したい
2022.11.30
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いよいよ年末を迎える。今年の残りの行事は秋篠宮文仁皇嗣殿下お誕生日 11月30日愛子内親王殿下お誕生日 12月 1日三ヶ根清掃及び豊橋陸軍墓地清掃 12月4日開戦記念日 12月 8日地久節(皇后陛下お誕生日) 12月 9日 松井石根閣下南京入場 12月13日神道指令 12月15日上皇陛下お誕生日 12月23日殉国七士慰霊の日 12月23日 (半旗)大正天皇祭 12月25日 中島町 八幡社大正宮 11時佳子内親王殿下お誕生日 12月29日 皇族の慶事にはできるだけ国旗を掲揚申し上げたいと思う。さて今日は張り切って三ヶ根庭園の整地を為そうと町内のごみ処理もそこそこに朝一番に三ヶ根に向かうが山に入ると同時に雨がばらつきはじめ中断。小降りになると再度整地作業。さすがに12時ころには土砂降りとなり今日はリタイアした。台湾の総領事向明徳氏から先日西尾のお茶を届けてくれたNさんあてにメールが届き、西尾が関口先生を生んだ地であったことを知り感謝の言葉が記載されていたとNさんが教えてくれた。しかし今後の方針を決めないと友好協定締結の要請空振りになってしまう。まず資金はどうするか、何を為そうとするのかを決めないと、との話になる。民間が動かねば市も動けないだろうし表敬訪問をするだけでは意味がない。教育交流をするのか、もっとウインウインの関係を作り出さねばならないのではとの話になる。昨日西尾のメンバーでお茶の交流を探ることや関口先生の係累の調査を始めることなどが決まったがどこまで行けるのか、岡崎にすむ自分としては台湾の小学校の先生が地元六ツ美北部小学校にお越しになり子供とグーチョキパーの遊びをしてくださり子供らが大変楽しかった感想を持ったときいている、まずどうした経緯で交流がなされたかを小学校を訪ねて伺ってみることにしたい。士林小学校と西尾小学校との交流が始まれば経済面も動き出すであろうし。また幸田町には日本唯一の中正神社(蒋介石神社)があり政治抜きであれば国民党の方も関心を持たれるのでは。昨日の台湾在住のO氏には台湾の台北市士林小学校の創立の歴史の伝承などの調査や現地での日本との交流希望者の発掘を依頼したのでそれの道筋が見えてくれば少しは進展するであろうが。良き動きが出てくれることを期待してやまない。 まだまだこちらの実力が足らなさすぎる。まずは西尾市の中で研究員を決めていただきたいものですが。関口家の係累なども掘り起こさねば。子供らに漫画で偉人伝を作製して広める案も出たようである。何しろ資金なく始めた事業。市民の皆さんの支援なく進めるのは困難を極める。心ある皆さん、台湾を愛する皆さんの協力を求めねば、
2022.11.29
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昨日は台湾の友と電話にて語る。西尾市と台湾台北市士林区との交流の道を探るべく動いていただくことになり、茶どころ西尾の抹茶文化と士林の茶文化との連携ができないか当たっていただく事になった、ぶんか交流もよいが単発であってはならずやはり経済の交流がなければ厳しかろうとの共通な認識。総選挙で国民党が勝利したため先行きが見えない。なんとか年内に動きだせるとよいが。三ヶ根作業に昼過ぎから入る。みよし町文化会館にて友と、まち合わせる。隣接する茶室にて打ち合わせをなした。。ここは大正天皇のご巡幸を記念して建てられたもの、庭園の美しさに驚く。三ヶ根もこれに習えないかと思うがご巡幸の際の和歌が名古屋八事神社につくられていることを聞く。近いうちの行ってみたい。昼から三ヶ根花壇作業。5時半に終了。 今朝は母の体調が芳しくなく、予定の病院診察日を変えていただく。一応の世話を終えて三ヶ根に。気になっていた庭園敷地外のうっそうとした木々を整理する。相当明かりが取れるようになった。一日中曇りの予報であったのでばらつき始めた雨も気にせずに作業を続けたが本降りになってしまい立往生。の早これまでと、蒲郡の友の職場に訪問。建国の準備状況を聞きに行ったがまだ手付かず状態。急いで決めてもらえるように要請して帰宅。着替えて仕事の準備に入るのだが体が冷えてくしゃみが止まらなくなってしまった。友が県議選に立候補を決断したので著名な知人女性に電話にて協力要請をなす。久しぶりに話すと政府のだらしなさに立腹の様子。取り分けてワクチン接種の危険性を語る。大いに共感。昨日の台湾にて学んでいる友も日本からのメール情報が入っているのでその危険性を認識していたが、一般地上波では一切その情報は流されず、完全に統制下にあるという。日本に一時帰国を要請したが陰性証明を売るには飛行機代ほどかかるし、搭乗券を購入してももし陽性となれば飛行機代もパーとなる。なぜ台湾を出るのに証明が必要なのか聞くと台湾入国時には不必要となっているが日本への入国時には日本政府の要請で陰性証明が必須なのだという、その検査が万単位の出費となり、収まるまで帰国は無理という。いつまで続けるのであろう。日本に入る時点で検査をして万が一陽性ならばその時必要ならば隔離ないし自宅療養すればよかろうに。
2022.11.28
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今日は米国が日本へ提示した最終案であるハルノートがだされた日。この最後通牒で日本がついに対米戦争に入ることになった。実質上米国はチャイナにてフライングタイガーなる部隊を派遣し開戦をしていたのであるが、一応対日戦準備行動とみることができるかもしれない。しかしハルノートは外交文書として日本へ出された開戦宣言文である。日本の高等学校用の教科書には以下のように記載されている。「〔1941年(昭和16年)〕9月6日の御前会議は、日米交渉の期限を10月上旬と区切り、交渉が成功しなければ対米(およびイギリス・オランダ)開戦にふみ切るという帝国国策遂行要領を決定した。……木戸幸一内大臣は、9月6日の御前会議決定の白紙還元を条件として東條陸相を後継首相に推挙し、首相が陸相・内相を兼任する形で東條英機内閣が成立した。新内閣は9月6日の決定を再検討して、当面日米交渉を継続させた。しかし、11月26日のアメリカ側の提案(ハル=ノート)は、中国・仏印からの全面的無条件撤退、満州国・汪兆銘政権の否認、日独伊三国同盟の実質的廃棄など、満州事変以前の状態への復帰を要求する最後通告に等しいものだったので、交渉成立は絶望的になった。12月1日の御前会議は対米交渉を不成功と判断し、米英に対する開戦を最終的に決定した。12月8日、日本陸軍が英領マレー半島に奇襲上陸し、日本海軍がハワイ真珠湾を奇襲攻撃した。以上。 アメリカの高等学校用の教科書(『アメリカン・ページェント―共和国の歴史』(2002年版))では以下のように記載されている[119]。「1941年半ば、合衆国国内における日本の資産を凍結し、ガソリンなど軍事物資の輸出をすべて停止した。…日本の指導部は苦渋に満ちた二つの選択肢を突き付けられた。アメリカに屈従するか、あるいは石油資源やその他資源が豊かな東南アジアに窮余の一策として攻撃に出ることで、輸出停止の包囲網を打ち破るか、のどちらかだった」「日本との最後の緊迫した交渉が、1941年11月から12月初めにワシントンで行われた。国務省は日本の中国からの撤退を主張し、その代わりに限られた規模での貿易再開を申し出た。中国との4年以上にわたる苦しい戦いを続けてきた日本の帝国主義者は、合衆国の要請で退却するのは面子を失うことだとして同意しようとはしなかった。アメリカに屈従するか、中国での侵略を続けるか、の選択に迫られ、彼らは剣を選んだ」とウィキに記載がある。 ドイツをけしかけて米船舶への攻撃をさせてそれを理由にヨーロッパ戦線への米軍派遣の口実を作ろうとしたがドイツは謀略にのらないため、同盟国日本を参戦理由にすべくこのハルノートがだされた。その意味で日米戦争開始にむけた米国の放った最後通牒こそがこれであるといえよう。 この米国の最後通牒ハルノートの卑劣さに当時の為政者の落胆はいかほどであったろう、そのおもいに心を寄せつつ殉国7士の皆さんのご苦労をしのびつつ参拝。さらにはおおくのみなさまのご質問におこたえしつつご案内した。 10時過ぎに神渡先生らご一行も三ヶ根山にお越しくださった。驚いたのはご高名な先生方が碑のお掃除をされて見える。参拝だけでなく草取りやゴミ拾い、そのゴミも袋に入れて持ち帰られたのだ。人徳者は参拝のみにあらず、ご奉仕を率先してなされるのだ。。素晴らしき心であると心底驚いた。かくありたし、深く心に刻ませていただいた、 さて今日の僕らの作業は植わっている花を処理して花壇を耕し小石を取り除きチューリップの球根とパンジーそれぞれ750本を植え切る事。とても一日では無理と思ったが5名の力は素晴らしく1時半にはすべて完了。テーブル席にて提供くださったおにぎりやお貸しサトイモなどをほおばる。そのうまさに大いに感動した。 解散後には碑の案内。ご熱心な方が実に多く大満足であります。今朝は6時より岡崎の倫理法人会モーニングセミナーに参加。市長も参加されていたのでご挨拶と同時に来年の建国の案内をする。 講師先生のお話の中で「特攻出撃者は誰一人天皇陛下万歳をした方はいなかった。お母さんと叫んで行かれたのだ」とおっしゃったのが気にかかる。母への感謝を最後の言葉として叫ばれたのは当然でありましょう。しかし天皇陛下万歳と誰一人叫ばれなかったなどありえないとおもう。先日の勤労感謝の日は新嘗祭。陛下は真夜中過ぎまで正座を5・6時間もなされ国民の幸をひたすらお祈りくださっている。今日令和の時代にあっても陛下は国民の幸のために常にお祈りくださり災害があれば真っ先に被災地に足をおはこびになる。行幸くださるときに万歳の合唱が自然と巻き起こる。当時の青年たちは当然それを知って見える。その高貴なお姿に対して天皇陛下万歳の声で必死にお答えする。それこそが恋闕者たる青年の偽らぬ思いであったのではないか。現代風に博愛主義に英霊を解するのはご自由ではありますが万歳を一人も叫ばなかったなどとされるのはいかがなものか。
2022.11.27
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朝7時より神社清掃、三島義挙52年の日、緊張が走る。三ヶ根に行き作業。水やり、3段目の通路の掃き掃除。碑の案内、雑木の撤去などを行う。久しぶりに訪れてくださった方から私の名を呼ばれ驚く。以前説明を申し上げた方。以来今までの学校教育で習った日本悪玉論の呪縛が取れ、歴史の見方が変わって歴史を見直されたという。そうすると普通に世の中の動きに合点がいくようになったといわれる。9条を守れば日本が滅亡の道を歩むことになるのは明白tおっしゃる。三島先生の義挙にせよ、「三島は頭がおかしくなったと語った諸先生は今の時代をどう解釈できるのか。共産主義国の侵略行動を9条が止めえるのか。」ご発言は至極まっとうなものになっていた。やはり英霊を前にすればまっとうな現実が読み取れるようになるのであろう、家に戻って作業着からスーツに。夕刻より東京からお越しの神渡良平先生や池田様などとかつてのグリーンホテルで食事をとりながら大いに語る。とても語りつくせないとわかっていたので様々な資料を用意してお渡しもできた。あとでじっくりお読みいただけそうである。 皆さんお休みになられますので最後に三島先生森田大人の辞世の句をはるか市谷に向かいうたいての地解散となる、実に心温かい皆さんでありお呼びいただき大いに感謝する。明日は岡崎モーニングセミナーが6時より。9時半より三ヶ根花うえ作業に。何とかめどをつけたい。、
2022.11.25
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朝、雨がすっかり上がっていたので7時より収納国旗乾燥させる。7時半に家を出て四日市の森田必勝大人の墓に詣でる。10時半ころにつく。受付を済ませて皆さんと義挙時の事などを語る。12時より野分祭が開始された。皆さん歴史の証言者であり私にとっては皆さんが雲上人。若輩者の語るべきものはない。かろうじて語ることができるのは私が高校2年時の三島義挙追体験のボデイビルクラブの結成と活動から。昭和48年の名大文化祭での「天皇展示」や11月の愛知護国神社での三島森田両烈士慰霊祭からはそれなりに活動参加はなしてはきたが。自衛隊への体験入隊も正式入隊もそれなりになしてはきたが、左翼への対峙に精いっぱいで先生のご著書は読んでも理解できないレベル。愛知における第一回の慰霊祭には主に名大はじめ僕らがオルグした知人や友人の参加があったが、水俣問題などを活動する新左翼のメンバーも興味本位で参加していたレベル。縦の会に連なる方の参加などもなく全く思想的な鞏固さなどはない。正当性に欠けるものであったと今でも恥ずかしく思い出す。武道の部活のメンバーはそれなりに付き合ってくれてはいたが名大の寮もまっかっか。周りは左翼ばかりの中で何とか生存権を維持することがやっとの状態。本日ご参加の先輩諸氏には笑われるような活動しかできていなかったのが現状。むろん今現在も同様なのであるが。必勝大人のお兄様兄は昭和4年生まれ。私の亡き父と同年。実にお元気で志も鞏固。一家の成り立ちもすべて尊敬することばかり。やはり皆さん高貴すぎて何年たっても私には足元にもよれない世界であるが参加させていただき己の志の低さを恥ずことができただけでも大きな収穫だったと感謝させていただけた。大先輩にお会いでき2週間前の関口先生講演会と陸軍墓地清掃など、さらに終戦記念日の文科省から都道府県教委に半旗掲揚と黙祷要請が出されながら市町村教委が小仲学校校長に伝わっていなかった事例などを報告。ぜひどこかで記載してくださることをお願いした。帰宅が4時過ぎ。ぶっ通しの仕事に入る。明日は三ヶ根に要人がお越しになるのでその準備に今から入る予定。 何とか三ヶ根花壇植え込み作業にも取り掛からねば、 統一地方選への協力を3名から受ける。できる範囲ならば全力で支援したいが。
2022.11.24
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朝雨になり掲揚を中断。帰宅して待つも雨は上がらず、よって幸田町ト岡崎の康生通りのみの掲揚。自宅や地元神社には掲揚。9時半に建国チラシの打ち合わせと発注に安城へ。11時半に碧南に花を取りに行く。Nさんのおかげで値打に購入。750本のパンジー。25トレーを私のバンに。5トレーをNさんに積んでいただき三ヶ根におろす。雨のため作業はできず。一日中雨のため、降納もままならず。夜11時ころにやっと雨も上がったのでおろしに行く。今日付が変わって24日の午前1時半。事務所の国旗降納にきた。今日は国旗を干して収納予定。四日市の森田必勝大兄の慰霊に何とか参加したいが。その資格があるか否か。
2022.11.24
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教科書選定に賄賂が。何たることか。元中学校長を加重収賄罪などで起訴、大日本図書側は罰金 教科書汚職朝日新聞社 - 1 大阪府藤井寺市立中学校の教科書選定をめぐる贈収賄事件で、大阪地検は21日、市立中学校の西留俊春・元校長(61)を加重収賄などの罪で在宅起訴したことを明らかにした。また、教科書会社「大日本図書」(東京)の元取締役(65)と社員(35)を贈賄罪で略式起訴した。元取締役は罰金50万円、社員は同30万円の略式命令を受けた。いずれも10日付。 子供らにいかなる教科書で学ばせるべきかを真摯に研究しているはずの採択現場て贈収賄事件が発生。教育者の尊厳を地に落とした行為は決して許されるものではない。この会社には教科書出版を禁じ、採択対象から外すなど厳罰を科すべきである。刑が確定すれば事後であっても退職金の返還を求めることができるよう制度を改めねばこうした犯罪が絶えないのでは。教師の遵法意識の再教育をなすべきである。 宿泊旅行を予定していたので旅行用に陰性証明が必要と聞き、薬局でコロナの抗原定性検査キットを購入して測ってみた。無論平熱であり何らの体調異変もなく赤いラインも一本出ているのでああ陰性だなと思って薬剤師に証明を頼んだが、なんと薄い線が見えるとのことで「陽性」書類が渡された。驚いて聞くと慰謝に行き検査をしてもらうように言われた。まあしかたないので発熱外来のある医院に電話して4時の予約をいただき訪問。行けば車にて待機を命じられ、何らの検査もなく2千いくばくかのお金を用意してください。書類を渡せば終わりですのでおかえりくださいとの電話。「え、検査はどうなるの」「陽性とされたのでしょ。検査はありません」なんということか。「薬剤師さんが検査に行くように言われたので保健所からお宅の電話をきき、検査に伺ったのに検査なく陽性など納得できない」と突っぱねた。書類にも「症状がないときに使用した場合、結果が正しく出ない可能性があります」と記載されているし、全く症状もなく検査もなく陽性診断はおかしい」「え、検査を受けるようにいわれたのですか」「そうです。そのためにきたのです」電話が切られ、しばらくして医師が車にやってこられて綿棒を両方の鼻に突っ込まれる。痛いと言っても強引に。何か怒らせることを言ってしまったのか。しかししばらくして「陰性でした」と。ほっとしたのは当然。しかし気の弱い人ならきっと検査なく陽性書類を渡され一週間でしょうか自宅待機になったでしょう。仕事もできず会食も講演もできず大変なことになってことになってしまうところである。コロナ罹患が事実ならあきらめもせねばならないだろうが、正式検査なく「陽性」とされるなどおかしすぎる。 それにしても不思議な体験。学習塾講師をやっている親せきにこの話をすると何割かの生徒も検査キットで陽性となって医者に診てもらうと陰性だった生徒さんもいるそうな。保健所と医院との正式検査の連携もしっかりとれているのだろうか不安にもなる。
2022.11.21
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朝、上和田教会にて読経とオブクさん係の仕事をなして明日からの役の方に引き継ぎをする。組の赤十字募金集め。赤十字の前身組織をつくられたのも岡崎の奥殿藩主の大給亘氏。西南戦争での悲劇を何とかせねばとご努力なされ、西郷従道公に願い出たが敵兵の看護は不必要と拒絶をうけた。しかしあきらめずに有栖川宮様に具申された際に許可を受けて組織つくりに奔走為されたと聞いたことがある。宮家の窮状を聞き資金援助をなされた一人が岡崎の庄屋、豊明の外山家から養子に入られた深見徳慶翁。そのご縁で宮家とつながったのではと思われる。いずれにせよ明治以降は譜代大名は不遇にして国家に貢献したくても遠回しにしか中枢にコンタクトできなかったのであろうか。赤十字への協力は大いになしたいが支援金全額が使われるのではなく回収組織の運営費にも使われるとなると考えものではある。午前資料作成。母親の傷手当。肩と腰が痛いと言い続けているので見てみると傷がすごくて驚く。少し転んだだけというので安心しているととんでもない。なんとえんりょしているのだなあと申し訳なく思う。明日医者に連れて行かねば。昼から三ヶ根作業。4時ごろに山を下りようとすると「ゆうとぴあ」からおかえりになる友を見かけたので建国予定資料をお渡しする。 夜今日は仕事休みのため松井石根閣下資料作成と印刷。
2022.11.20
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まもなく三島森田両烈士の自決の日を迎える。あまりに重い日である。あの頃の自分を思い出すたびに形ばかりを取り繕い本質から常に逃げ回ってきた己のふがいなさを思い知らされる。生きている正当性を担保すべく「愛すべき日本」を口にし続けてはきたが本気で闇とぶち当たることは避け続けてきた。あの時代だったからとか、リタイヤした同志よりはまだましな変革人生を過ごしてきたとか様々な理屈をつけてここまで生き延びてきた己。そうした自分が、どうしても平常心で迎えることができない日がこの日なのである。旧友と親しく学生時代のことを語り会う。左翼と対峙しぶつかった事、員数と言論で勝てず悔しき思いで後退をした事。ブントに友の命を取られ亡き友に合わせる顔がないと教職を辞し、バイト生活で資金を作って活動をなしたこと、しかし義挙後の左翼の恐ろしさのレベルなどは三島先生らの対峙していた左翼学生のそれとはレベルが違う。昭和41年以降のアンチ全学連の戦いのなかで先輩たちが必死に思いをたぎらせ祖国防衛の戦いをなされていた。44年の新宿騒乱など本を読みそれなりに知ってはいても生の話には血沸き肉踊る心地である。この決死の非日常の中で日々を過ごされた諸先輩たち、さらにはその至高な魂魄を「後生を信じる」と投げだされた両先生。その至純極まりなき御人生をいまだ実のある姿になしえていないで無為に過ごすのみのわが日常。申し訳なさに心が痛む。持丸博氏に岡崎講演をなしていただいた際、先生はもう十分に三島先生の鎮魂と斎戒沐浴のときを過ごされて見えたことを思った。三島先生を汚してはならないとの思いは十分つたわってきた。いわば特攻を見送った上官の辛さを四十数年の長きにわたって体験されてきたのでしょう。おそらく岡崎講演会は持丸先輩のほぼ最終のご講演ではなかったか。何もなしえていないわが半世紀をお詫びしながらこの日を今年も迎えるのか。 愛知を離れて奈良にて庵を構えられたY女史。神主として人生を歩まれ、事あるごとに激励に来てくださる。全国の護国神社をすでに2回通り参拝された愛国の方。先日の岡崎学習会にもご参加くださった。その際に自虐意識にさいなまれた青年を神社に連れいかれて神様の言葉を彼に語ったところたった2秒で生まれ変わったように考えを改め。すぐに自衛官の道を職業として定め、元気で朗らかに今も務められていると教えていただいた。今まで神道の真理を日本人は他者に知らしめてこなかったがゆえに自虐意識に陥る青年ばかりが育ってしまったとおっしゃる。彼女は神道を客観的に解釈し世界宗教になりうる真理を持った思想と判断なされたという。森羅万象すべてに命が宿るとする神道の気高き価値観を絶賛して世界に問うべきとおっしゃる。神道には教義はないがその本質は日本の自然観にあり日本人の文化意識そのままが神道といえるのでは。その根幹は敬神数崇祖と歴史継承にあると語られた。いかなる生き方が永遠の日本にふさわしきものかを常に求めて先祖や歴史上の人物に感謝しその真心を継承しようと誠を尽くす道こそが神道であると。むろんその中心には絶対無私の道を究められようとされる皇室の道が導きとしてあり、悠久の歴史に殉じようと決意する高貴な魂がある。神の道に近づこうとする祈りがある。向上しようとする志がある。穢れを恥じ清廉潔白の心を持ち続けようとする決意の道こそが神道であろうとおっしゃる。伺いながら、これが保守の論理ではないかとふと思った。左翼の破壊やバトル、他者否定の論理では世の安寧など求めようがない。エゴイズム実現のための民主主義ではなく、神意にたがわぬ道を、議論をする中で獲得する道こそ道義ある保守主義。終戦時の鈴木貫太郎総理のように最後には神意たる陛下のご判断を得て終戦の決定をなす高貴な民主主義。これこそが独裁の共産主義や聖なる理念なき欧米の利益誘導型多数決民主主義と多く違うところ。神々に恥ずることなき決定を衆議を経てなしていく。これが日本的決定システムであり神道理念に沿った日本的民主主義。保守主義と神道の本質とが全く一致してしまうおもしろさを思いながら先生の実践を伺った。修行体験無き私は神々の言葉を直接聞くことはできないがもし聞けたらどれほど日本のためになるだろうか。 もっと勉学をなさねば。
2022.11.19
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燃えるゴミチェックと氏神比蘇天神社清掃、浄土真宗上和田教会のオブクさんお供えと読経をおえる。昨日携帯電話不携帯により電話が取れなかった皆さんにお詫び連絡、特に町内の英雄土屋長𠮷慰霊祭の実施に関してのプランニングをすっぽかしてしまって友にお詫びをして再度検討会をなす、終えて三ヶ根へ。 巨木の陰になってどうしても日当たりが悪くなる花壇場所があるため巨木を伐採。大変な作業であった。人がいないのを確認して切り倒したがその音に驚いて参拝者の方が走って見に来られる。作業の大変さに驚かれてみえた。言葉かけをいただき恐縮。機械を入れられないためこれ以上の木々の成長は伐採も難しくなろう、将来が不安ではある。北朝鮮がいよいよ傍若無人な許しがたき行為に出た。専管水域に打ち込む暴挙は戦闘宣言に等しい。もっと恐ろしいのは自虐意識に取りつかれた日本人。某朝鮮発のキリスト教団体の方も、トップが宗教を語り宗教団体をバックに反日歴史観を持たれている方も、誠に残念である。 朝鮮問題はいつも厄介。基本的な歴史意識を持っていただかねば 以下まとめておく。 日韓併合の実態 . 日本は東アジアの安定と自国の安全保障の為に仕方なく朝鮮(正式名称は大韓帝国)を併合した。 ・ 当時、大韓帝国は自らの力で国を維持して行く能力がなかった。事大主義の韓国は、その時々に強い国であった日本・清国・ロシアの保護を渡り歩いて、東アジアの不安定要因になっていた。日本は自国の安全保障の為に変節極まりない韓国を明治38年に保護国とし、次いで明治43年に「韓国併合に関する日韓条約」を締結して併合した。 ・ これより先、最大政党であった一進会は国の存続を危ぶみ、「韓日合邦建議書」を純宗皇帝と李容九首相に送り、日本との合邦を要求した。韓国皇帝純宗も日韓併合に賛成した。 ・ 欧米諸国は日本による韓国併合が東アジアの安定に寄与するとして賛意を表明した。 ・ 韓国は日韓併合を「押し付けられた」として「無効」を主張しているが、当時の国際社会常識では法的に正当である。以前、韓国は日韓併合条約を「無効」であると認めさせようとして、韓国が主導して国際会議を開催したが、当時にあっては法的に正当として韓国の主張は退けられた。 .日本の朝鮮半島統治は植民地政策ではなく、朝鮮半島の近代化であり、民生の向上であった。 ・ 欧米諸国はアジアやアフリカの植民地を酷く収奪したが、日本は反対に毎年朝鮮歳費の15~20%を日本国民の税金から補填して、朝鮮半島の近代化と民生向上に努めた。 ・ その結果、鉄道、港湾、道路、電力などの産業のインフラが整備され、また、政治制度や学制が近代化され、今日の韓国の経済発展の基礎になった。 .総督府が朝鮮人に朝鮮文字である諺文(ハングル文字)を普及した。その方針を打ち出したのは英明な福沢諭吉翁といわれる。 ・ 総督府は教育普及のために、下賎な文字として蔑視され殆ど使われていなかったハングルを再発見し、学校教育を通じて朝鮮全土に普及させた。 ・ その学校を、韓国統監であった伊藤博文は日本の費用で100校以上を建設した。その後、総督府は教育行政に取り組み昭和18年には5000校に達した。 .創氏改名は強制ではなく、許可制であった。 ・ 昭和14年2月「創氏改名」を正式に認める政令を公布し、翌年の2月から半年間に届け出した者についてのみ、朝鮮人にも「日本式」の氏名を名乗ることを許可した。これは、従前からの朝鮮式「姓」をそのまま残し、「姓」とは別に新たな家の称号として日本式の「氏」を創り、家族全員が同じ「氏」を名乗る制度である。もし、希望しなければ戸主の従来の「姓」がそのまま「氏」として登録された。姓名は一族名。氏はファミリーネイム。混同してはならない、。 ・ 一部朝鮮社会が「総督府の恩」に報いる為に、日本名に名前を変えようとする過激な運動があったので、心配した南次郎総督は強制のないように3回も訓令を出してから受け付けを開始した。 ・ 洪思翊のように朝鮮名のまま日本陸軍の中将になった人もいる。 .強制連行などはない。多くの朝鮮人は職を求めて日本に移住した。 ・ 国民を軍需工場や建設現場等へ動員する徴用は、日本内地では昭和13年から実施されたが、朝鮮半島では昭和19年9月から関釜連絡船が途絶えるまでの僅か7ヶ月間実施されたに過ぎず、徴用で来日した者はごく少数である。 ・ 昭和19年より以前は官斡旋により、職を求めて沢山の朝鮮人が日本に来た。これは勿論強制ではない。日本の統治によって朝鮮半島の人口が急増したので、職を求めて多くの朝鮮人が自らの意思で満洲や中国や日本にやって来たのである。 ・ 所謂「従軍慰安婦」の強制連行などは事実無根である。 ・ 昭和34年の外務省発表によれば、昭和14年から昭和20年終戦直前までに、日本国内の朝鮮人は100万人増加した。その内訳は70万人が自分から進んで内地に職を求めて来た個別労働者、残りの30万人は大部分が官斡旋で鉱工業、土木事業等の募集に応じて来た者である。即ち徴用で来た朝鮮人は僅かであった。在日60万人のうち、徴用で来て日本敗戦後に残ったものは245人に過ぎない。 日本の朝鮮半島統治による人口増 ・ 朝鮮は合邦の時代に人口が980万人から2500万人に増加し、平均寿命は24歳が48歳に伸びた。 ・ 日本が植民地統治で朝鮮人を苦しめたなら、人口が2.5倍に増えることがあろうか。 以上この常識を持たずにいる日本人はヒューマニストぶって朝鮮による反日行動を容認しがちである。学校教育で拉致問題を教えない教師が多いのも残念ながら半島の人によるプロパガンダに反論できる知識をお持ちでない方に多いようだ。ここから正さねば。さてそのうえで僕らは何をなすべきか。主な今後の活動を整理してみた。今後 の取り組み案について (含む終了事項) 今のところの計画です文化の日(明治節) 11月 3日 ストリート国旗掲揚 終了汪兆銘閣下ご命日(19年) 11月10日 未実施横田めぐみさん拉致 11月15日 学校指導要請 松陰先生ご命日 11月20日 資料作成(維新の夢 吉田松陰物語 伊藤丈雄―12月11日 リブラ18時より20時希望参加勤労感謝の日 11月23日 ストリート国旗掲揚三島・森田両烈士慰霊祭 11月25日 24日11時四日市森田必勝先生墓参ハルノート(16年)最後通牒 11月26日 三ヶ根参拝 人徳者先生奉迎 花壇三ヶ根チューリップ植え10時秋篠宮文仁殿下お誕生日 11月30日 事務所国旗掲揚愛子内親王殿下お誕生日 12月 1日 (拉致啓蒙週間への取り組み)開戦記念日 12月 8日 事務所国旗掲揚地久節(皇后陛下お誕生日) 12月 9日 事務所国旗掲揚 松井石根閣下南京入場 12月13日 三ヶ根慰霊11時予定岡崎建国会議 午前9時)上皇陛下お誕生日 12月23日 康生町国旗掲揚殉国七士慰霊の日 12月23日 三ヶ根半旗掲揚大正天皇祭 12月25日 中島町 八幡社大正宮 11時佳子内親王殿下お誕生日 12月29日元日 1月 1日 3が日ストリート国旗掲揚昭和天皇祭 1月 7日 八王子 武蔵野御陵成人の日 1月10日 ストリート国旗掲揚土屋長吉慰霊祭 1月11日 11時 岡崎市上和田町公民館前尖閣諸島開拓の日 1月14日 石垣市に連動 国旗掲揚国旗制定記念日 1月27日孝明天皇祭 1月30日 11時 玉鉾神社有志参拝北方領土の日 2月 7日 県の取り組み協力建国記念日各地にて 2月11日 記念式典15会場支援竹島の日 2月22日 島根の取り組み支援 資料配布今上陛下お誕生日(天長節奉祝) 2月23日 岡崎城竜城神社 式典・講演会2.26事件 2月26日 三ヶ根有志慰霊 1月14日は「尖閣諸島開拓の日」。平成22年9月に尖閣諸島沖の領海内で中共が漁船衝突事件を契機に、同年12月、沖縄県石垣市が条例を制定。この日は、明治28(1895)年に明治政府が閣議決定を行い、尖閣諸島を正式に沖縄県の帰属と決定した日。魚釣島地番は沖縄県石垣市字登野城2390番地~2394番地ああ、人が欲しい。ご協力くださる方ご連絡を
2022.11.19
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朝5時起床。6時からの蒲郡モーニングセミナーにお邪魔して研修を受けた。終えて三ヶ根に。無人の三ヶ根にて掃き清めをしていると雑念を捨て、素直に英霊の皆さんの思いに近づける気がする。ひと段落終えて、皆さんが99回目の竹島清掃をされているとのことでしたので追いかけて参加しようとしたのですがすでに終えて見えた。竹島ホテルにて友と蒲郡建国について打ち合わせをなす。そこへ突然、母が通う医院からの電話が。 母が体調がすぐれず診察後に医院で休んでいるので迎えに来てほしいとの内容。すぐには出られなかったため、そのまま返してほしいとお願いする。91歳の母は車の免許は返上したものの、どこに行くにも晴れの日は電動自動車を利用してもらっており今日も同様と申し上げるとお叱りを受けた。途中で何かあっても責任は問ねませんとの言葉に同意して帰宅の許容をお願いした。急ぎ家にむかうことにした。家に着くと平然と「休んだから今は全くえらくない」と語り悠然としていたので一安心。 よくよく聞くと台の上から転げ落ちて顔と肩をぶったところが痛いのだと。数日前には脚立に乗ってカキの実を大量にとっていたのを見て禁止を言い渡したのに意に介しないようだ。まだまだ動ける自負があり私の活動もおかげで制限されずに済んではいるがやはり心配。これから寒くなる時期でありやはり草原は私がなさねばならぬようだ、長女と話して今日から産後の里帰りを終えることにした。薄情ながら母の面倒を優先して行く必要があろうから。3回に分けて車で孫のベッドや布団や諸荷物一式を新居に運んだ。孫をあやす楽しみも今日までとなってしまった。致し方ない。孫の学資保険に加入。とりあえず祖父として学業遂行の責任最初のは果たしえた。妻も孫には金を出すが私にはますますきつくなるようで気が重いが。
2022.11.16
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朝6時半より皆さんと地元の式内社比蘇天神社の清掃奉仕をなす。一応終わり掛けに退出して隣町の八幡宮境内社護国神社の清掃奉仕をなす。帰りて説教所という上和田教会の御仏像にオブクさんを供えて経を上げる。8時まで資源ごみ回収のお手伝いを行う。町内の役員さんに関口長太郎先生の資料をお渡しして報告、さらに二宮尊徳先生の資料を差し上げ。小田原城主大久保忠世公とその子孫の立派さをたたえるべく小田原表敬訪問の企画を提示。大久保家はわが町の出生でありさらに尊徳公の石像は岡崎の石工の皆さんのご尽力で全国に広まったものであり、その歴史を町内に広めたいと申し出る。後日、今月末に会合を開く際に具体化したいものである。 三ヶ根に急ぐ。9時にお菓子を購入。後三ヶ根につく。八王子からお見えの参拝者にご案内をする。10時になったので作業開始。皆さんに横田めぐみさんの拉致被害発生の件を話す。学校関係で今一度日本人が共産社会に呻吟されている現状を語り直し、北朝鮮の暴挙を止めるべく動いていただく必要性を語る。皆さんと草取り作業。私は花壇に影を落とす木々の剪定作業をメインにする。休憩時には大いに自由な意見発表をいただく。Nさんが巻き寿司を持参くださり堪能する。2時半終了。次回12月第1日曜の予定であるが講演活動ある方も多く。今月26日に繰り上げと決する。 岡崎の内藤さんが大阪の台湾便事処に出向いて関口長太郎先生との縁で台北市士林区との交流の道筋をつけることができないかの打診に行ってくださった、良き感触が得られたようである。今までの慰霊祭や各種の講演会など14年間の活動が認められようとしてきたように思う、まだまだ端緒についたばかりではあるが、日台のきずなを強くすることにつながれば台湾の皆さんへの様々なご恩に対してわずかながらも答えることになるのではと期待する。以前ご講演に来ていただいた台湾在住の大西さんにもさっそく連絡をつけていただき今後のご協力を要請。慰霊祭や講演会実施に向けてご努力くださった皆さんにも良き報告ができるよう努力したい。 関口先生講演会総括会議が予定されていないため、次の手が打てないのがざんねんです。台湾有事が叫ばれる中気が気ではありません。
2022.11.15
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一一月一五日は名古屋でお生まれになった、めぐみさんが北朝鮮により拉致されて四五年の悲しみの日。国や地方公共団体には北朝鮮当局による人権侵害問題の実態を解明し、及びその抑止を図ることを目的とする法の縛りがある。小中校にはすでにCDやポスターや指導上の諸資料が配布されておりあとは校長判断が適切に出されているかどうかの問題となっている。しかし学校現場で扱われているとは思えない現実があるのはどういうわけか。 今年の終戦記念日の半旗掲揚要請や黙とうの徹底指示ですら実践されなかった現実を思うと今年も拉致教育がなされずに終わりかねない。由々しき問題であります。法律の提示をなしてみる。教育者の良心に強く訴えたい、 平成十八年法律第九十六号拉致問題その他北朝鮮当局による人権侵害問題への対処に関する法律(目的)第一条 この法律は、二千五年十二月十六日の国際連合総会において採択された北朝鮮の人権状況に関する決議を踏まえ、我が国の喫緊の国民的な課題である拉(ら)致問題の解決をはじめとする北朝鮮当局による人権侵害問題への対処が国際社会を挙げて取り組むべき課題であることにかんがみ、北朝鮮当局による人権侵害問題に関する国民の認識を深めるとともに、国際社会と連携しつつ北朝鮮当局による人権侵害問題の実態を解明し、及びその抑止を図ることを目的とする。(国の責務)第二条 国は、北朝鮮当局による国家的犯罪行為である日本国民の拉致の問題(以下「拉致問題」という。)を解決するため、最大限の努力をするものとする。2 政府は、北朝鮮当局によって拉致され、又は拉致されたことが疑われる日本国民の安否等について国民に対し広く情報の提供を求めるとともに自ら徹底した調査を行い、その帰国の実現に最大限の努力をするものとする。3 政府は、拉致問題その他北朝鮮当局による人権侵害問題に関し、国民世論の啓発を図るとともに、その実態の解明に努めるものとする。(地方公共団体の責務)第三条 地方公共団体は、国と連携を図りつつ、拉致問題その他北朝鮮当局による人権侵害問題に関する国民世論の啓発を図るよう努めるものとする。(北朝鮮人権侵害問題啓発週間)(年次報告)第五条 政府は、毎年、国会に、拉致問題の解決その他北朝鮮当局による人権侵害問題への対処に関する政府の取組についての報告を提出するとともに、これを公表しなければならない。 引用以上。必死に取り組まれた安倍総理が泉下の人となられたとはいえ日本人の被害者に対する約束を無視する教師がいないことを熱望してやまない、 産経新聞によれば参議院の拉致問題特別委員会が取り組んでくださっているとの報道を見て当然とはいえありがたく思う。しかし北は意に介せず日本に向けてミサイルを乱射する始末、もう時間がない。今年こそ教委の指導力を発揮させ、人権週間中に学校現場で取り扱わせてもらわねば。 明日、教育委員会へ取り組み案を訪ねてみたく思う。 毎月一五日には地元の護国神社と三ヶ根山の慰霊清掃の日と定めて皆さんにも呼びかけをさせていただいている。年若き皆さんがいかなる思いで命を投げだされて行かれたのか。思えば怠惰な己の生活が恥ずかしくてならない。遺書を読む。 我が一生、ここに定まるお父さんへ、いふことなし。お母さんへ、ご安心ください。決して卑怯な死に方をしないです。お母さんの子ですもの。それだけで僕は幸福なのです。日本万歳、万歳、かう叫びつつ死んでいった幾多の先輩達のことを考へます。お母さん、お母さん、お母さん、お母さん! かう叫びたい気持ちで一杯です。何か言ってください。一言でも十分です。いかに冷静になって考へても、何時も何時も浮かんでくるのはご両親様の顔です。父ちゃん! 母ちゃん! 僕は何度でも呼びます。お母さん、決して泣かないでください。修が日本の飛行軍人であったことに就いて、大きな誇りを持ってください。勇ましい爆音を立てて先輩が飛んでいきます。ではまた。富田 修中尉 長野県出身 日本大学卒海軍第十三期飛行予備学生昭和19年9月3日台湾にて殉職 23歳 西条の母上には幼時より御苦労ばかりおかけし、不孝の段、お許し下さいませ。今回帝国勝敗の岐路に立ち、身を以って君恩に報ずる覚悟です。武人の本懐此れにすぐることはありません。鎌倉の御両親に於かれましては、本当に心から可愛がっていただき、その御恩に報いる事も出来ず征く事を御許し下さいませ。本日、帝国の為、身を以って母艦に体当たりを行い、君恩に報ずる覚悟です。皆様御体大切に。父上様、母上様 教え子へ(第四十二期飛行学生へ)教え子は 散れ 山桜 かくの如くに 里子殿何もしてやる事も出来ず散り行くことは、お前に対して誠に済まぬと思って居る。何も云わずとも、武人の妻の覚悟は十分出来て居る事と思う。御両親に孝養を専一と心掛け生活して行く様、色々思出をたどりながら出発前に記す。恵美ちゃん坊主も元気でやれ 行男 関 行男大尉 愛媛県出身 海軍兵学校卒神風特別攻撃隊敷島隊 昭和19年10月25日比島レイテ湾にて特攻戦死 23歳 戦いは日一日と激しさを加えて参りました。父母上様、長い間お世話になりました。私も未だ十九才の若輩で、この大空の決戦に参加できることを、深く喜んでおります。私は潔く死んでいきます。今日の海の色、見事なものです。決してなげいて下さいますな。抑々海軍航空に志した時、真っ先に許されそして激励して下さったのは、父母上様ではなかったでしょうか。既に今日あるは覚悟の上でしょう。私も魂のみたてとして、ただただ大空に身を捧げんとして予科練に入り、今日まで猛特訓に毎日を送ってきたのです。今それが報いられ、日本男子として本当に男に花を咲かせるときが来たのです。この十九年間、人生五十年に比べれば短いですが、私は実に長く感じました。数々の思出は走馬燈の如く胸中をかけめぐります。故郷の兎追いしあの山、小鮒釣りしあの川、皆懐かしい思出ばかりです。しかし父母様にお別れするに当たり、もっと孝行がしたかった。そればかりが残念です。随分暴れ者で迷惑をおかけし、今になって後悔しております。お身体を大切に、そればかりがお願いです。親に甘えた事、叱られた事、皆懐かしいです。育子、昌子の二人は私の様に母に甘えたり叱られたり出来ないかと思うとかわいそうです。いつまでも仲良くお暮らし下さい。私も喜んで大空に散っていきます。平常あちこちにご無沙汰ばかりしておりますから、何卒よろしくお知らせ下さい。お願いします。御身大切にごきげんよう。神風特別攻撃隊 大和隊員一飛曹 塩田 寛 18才昭和19年10月26日 レイテ沖にて特攻戦死 謹啓 御両親様には、相変わらず御壮健にて御暮しのことと拝察致します。小生もいらい至極元気にて軍務に精励いたしております。今までの御無沙汰致したことをお詫び致します。本日をもって私もふたたび特攻隊員に編成され出撃致します。出撃の寸前の暇をみて一筆走らせています。この世に生をうけていらい十有余年の間の御礼を申し上げます。沖縄の敵空母にみごと体当りし、君恩に報ずる覚悟であります。男子の本懐これにすぎるものが他にありましょうか。護国の花と立派に散華致します。私は二十歳をもって君子身命をささげます。お父さん、お母さん泣かないで、決して泣いてはいやです。ほめてやって下さい。家内そろって何時までもいつまでも御幸福に暮して下さい。生前の御礼を申上げます。私の小使いが少しありますから他人に頼んで御送り致します。何かの足しにでもして下さい。近所の人々、親族、知人に、小学校時代の先生によろしく、妹にも・・・。後はお願い致します。では靖国へまいります。四月六日午前十一時記す神風特別攻撃隊第二御盾隊銀河隊 昭和20年4月7日海軍一等飛行兵曹 松尾巧 享年20才佐賀県出身 乙飛17期 こうした方々の思いに少しでも答えねば。 豊橋陸軍墓地の慰霊祭に多くの現職がご参加くださった、実にうれしきことであります。 二〇年ほど前までは靖国さんへすら自衛官は制服での参拝がなしえず、「杉田よ。友に防大出がいるなら現役中に制服での参拝をさせてくれないか」と大恩人に要請をされたほど。それほどに世間は自衛官に冷たい時代があった。多くの皆さんの真摯な態度が今日の自衛官への尊崇を生み出したと確信する。三ヶ根参拝も祖国のために、今日命をいただくわれらのために尊き命をささげられた英霊の皆さんのおかげであることを深く感謝して作業に向かいたい。
2022.11.14
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ブログ復活しました。さて昨日の内容から記載午前。三ヶ根にH先生らをお迎えし歓談。三ヶ根山殉国七士廟内一四基の慰霊顕彰碑など戦没者のお名前を漏らさずに記載くださった著書六冊を購入させていただく。素晴らしきご労作に驚く。岡崎での学習会にて紹介すると皆ご購入いただけた。将来なさねばと思っていたことをあっという間に成し遂げられた先生の行動力には尊敬以外の何もない。 昼には岡崎と安城での地域周りをなす、 夕刻五時から七時まで岡崎の学習会を我が家にて行う。伊奈さんがお見えになるまでチャンネル桜にて以前岡崎悠紀祭殿式典放映がなされたがその時の映像を皆で見る。参加者は12名、そのほとんどが着席くださったところで開会。まずは開始にあったっての基調レポート内容。今年を振り返って語ることにした、 令和4年もいよいよ残り1ケ月半。早いものです。2月の建国祭もコロナ禍なれど県下11か所にて実施、2月23日には天長節奉祝講演会(岡崎竜城神社・武田直樹先生)、4月29日にはサンフランシスコ条約と日本の主権回復70年、沖縄復帰70年の式典。記念講演会を形原蒲郡ホテルにて100名参加にて開催、合宿研修を実施(村田春樹先生)。さらには三ヶ根観光プロジェクトの立ち上げも実現いたしました。しかしながら僕らの活動にとって極めて悲しいことが。運動を共にしてきた100人の会の増木氏との突然のわかれ、豊川の建国を率いてくださっていた野中県議や名古屋市での唯一無二の市議藤沢先生との別れ。皆国家にとってなくてはならぬ若き有能な皆さんでありました。さらに最大のショックは安倍元総理の暗殺。瞬く間に円安への移行、ロシアの侵略はいよいよ長期化し、チャイナは習近平独裁がいよいよ本格化し、台湾進攻を伺い、民族弾圧をいよいよ進める。呼応して北朝鮮は狂気じみたミサイル連続発射。国内的にはキリスト教旧統一教会問題に翻弄されチャイナ軍拡に何ら手を打てられない現状。政府与党内部の無策・無責任と内紛。チャイナに対する屈服と隷従。国民は大いに翻弄され続けています、国民は心の奥深くにくすぶっていた国家崩壊の危機意識に不安を隠しきれないでいます。いまだトリエンナーレの支援者の運動もつづいている。 その中にあってもわれらは必死に祖国防衛の動きをなしてきた。三ヶ根山清掃奉仕。豊橋陸軍墓地清掃、地域の神社清掃。祝日国旗掲揚ストリートでの国旗掲揚、8月15日の弔旗掲揚運動(市教委への情報公開要請)と国葬儀弔旗掲揚)さらには教育をよくする会、考える会の月例会の実施を継続してきた。そして今月11月には関口長太郎先生慰霊顕彰祭と講演会(11月5日6日・実動計220名ほど参加)延べでは250名ほどか豊橋陸軍墓地慰霊祭(11月6日・自衛隊及び清掃の会の110名参加)これは今までにない参加者人数である。いとこが富士学校で教官を務め切ったので感謝の電話をかけておいた。 関口先生慰霊祭では日本人が忘れていた、清廉・潔白・朋友への愛、歴史伝統への回帰。これらの価値観の実践の重要性を改めて感じたのです。13年目の今年初めて西尾市と西尾市教育委員会の後援さらに、三河新報社・愛三時報社の後援や取材、中日新聞記事も出されました、現在台北市士林区と親善都市締結に向けての準備に動き始めた。これまでの保守派は情報を少数の智者の話を数少ない出会いの中で知り、心の中で咀嚼して、理論武装をしていたが、その数や量は限られていた。しかし、ネットによる情報は瞬時に大量に伝わり、大手マスコミによる報道の隠蔽はほとんど出来なくなっている。これは大きい。実に明るい兆しであります。 靖国神社や殉国7士墓に参拝くださる若者が多くなったと感じている。世俗に染まった日々を振り返り、たちどまってみると、清らかな聖なるものが見えて来るのだ。靖国での感動もそうだが、神社の森の中で氏神様に感謝を込めて参拝する。いい文化である。氏神などへの参拝は地域で育ったことへの懐かしさや共同体意識を感じます。先祖から受け継いできた命と文化の繋がりを神社参拝で確認できるのです。この復権は日本人の心の根っこを養う為にも実に大切なことなのです等とかたる。 まず初めの審議は来年の建国祭実施について。2月11日以前に開催する地区は豊田市と知立市さらには豊橋市。11日予定は岡崎碧南蒲郡安城など。詳細は後日発表いたしますさらに11月以降の僕らの取り組みについて審議。その他の取り組みについて文化の日(明治節) 11月 3日汪兆銘閣下ご命日(19年) 11月10日横田めぐみさん拉致 11月15日松陰先生ご命日 11月20日勤労感謝の日(新嘗祭) 11月23日三島・森田両烈士慰霊祭 11月25日ハルノート(16年)最後通牒 11月26日秋篠宮文仁殿下お誕生日 11月30日愛子内親王殿下お誕生日 12月 1日開戦記念日 12月 8日地久節(皇后陛下お誕生日) 12月 9日 松井石根閣下南京入場 12月13日上皇陛下お誕生日 12月23日殉国七士慰霊の日 12月23日大正天皇祭 12月25日 中島町 八幡社大正宮 11時佳子内親王殿下お誕生日 12月29日元日昭和天皇祭 1月 7日 八王子 武蔵野御陵成人の日 1月10日土屋長吉慰霊祭 1月11日 11時 岡崎市上和田町公民館前国旗制定記念日 1月27日孝明天皇祭 1月30日 11時 玉鉾神社北方領土の日 2月7日建国記念日各地にて 2月11日竹島の日 2月22日今上陛下お誕生日(天長節奉祝) 2月23日 岡崎城竜城神社2.26事件 2月26日 これらの中で祝日は国旗掲揚他の日は資料作成などをなす予定とする。孝明天皇大正天皇のみ祭りはぜひなしたいと申し述べる、 特に今上陛下お誕生日の取り組みは講演会実施を含め万全を期すことを確認 フリートークに入り世を大いに語る、各地にて天皇誕生日を盛大に祝うことができるようになるよう岡崎が率先して式典と講演会お菓子配りをなさねば。国民意識高揚に向けて動くべき皆で合意した。 明日は15日・三ヶ根清掃の日である。多くの皆さんのご参加をお願いしたい、
2022.11.14
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産経新聞引用ウクライナ侵攻が人ごとでないのは台湾だ。中国は台湾統一へ軍事威嚇と外交的な圧力を強めており、近い将来、武力侵攻に出る可能性が高まっている。ただ、帝京大の山﨑直也教授(戦後台湾教育)によると、とりわけ民主化以降は教育現場での国防色は薄まっているという。かつては高校以上の学校で「軍訓」と呼ばれる軍事訓練が必修化されていたが、現在は国防に加え防災の要素を含む「全民国防教育」に取って代わられつつある。もっとも台湾は1950年代から中国との間で軍事的緊張が高まった台湾海峡危機を経験。中国人民解放軍と激しい砲撃を交わした「金門砲戦」(58年)も漏れなく教えるといい、山﨑氏は「長い目で見れば緩くなっているが、国防と教育の結びつきはもともと日本とは比べものにならないほど強い」と述べた。台湾の民間シンクタンクが8月に発表した世論調査によれば、台湾有事で米軍が台湾を防衛する可能性について「信じない」が47・5%で「信じる」の44・1%を上回った。春先の同様の調査と比べてその差こそ縮まったが、〝他力本願〟ではない証左ともいえる。「自衛の意思がなければ他国にいかなる支援も求める権利はない」。台湾の呉釗燮(ごしょうしょう)外交部長(外相)は先月12日、海外メディアとの会見で台湾防衛に関し、こう発言した。民衆の間でも潜在的な自衛意識は高い。核保有国のロシアが小国のウクライナに侵攻するさまは、改めて自衛能力の向上が欠かせないとの認識に至らしめた。八木氏は「平和を叫ぶだけで平和が得られるわけでもない。今日、軍事力は戦争をしないための抑止力の性格が色濃く、教育にも国際社会の現実に立脚した視点が必要だ」と語る。(矢田幸己、石川有紀)引用以上 日本の教育力の衰えはどこから始まったのか。国立の名古屋大学1・2年生つまり教養部生対象に僕らが行ったアンケートではなんと5パーセントであった。それと比べれば倍以上になってはいる。私は学生時代に日教組の不法行為を正すなか、愛国学生らで抗議の座り込みをなしたが故、道路交通法違反に問われた経験を持つが大学卒業後、幸い教師にはなれた。昭和50年代の岡崎の教育者の意識は教育のテーマを国家有為の人材を育てることに置いていた、指導の指針として伺ったのは師範学校の教育の継承が非公式ながら流れており「国家の干城たれ」との精神があった。形的には新卒全員が岡教組に入らねばならず、憲法に反対はしないとの誓約書を提出しなくては教師にはなれなかった。つまり改憲政党自民党支援者は己を偽り職業と生き方とは別と割りきるか、大義の前の小事として意に介しないで署名を優先するか、公務員の道をあきらめ私学に入るかであろう。私は占領軍の意図通りの憲法は拒絶するが解釈改憲で国益に合致する部分の憲法は守ると口頭で述べて署名して提出。事なきを得て教師の道に進んだ。つまり9条の戦争放棄条文にせよ侵略戦争は放棄するが自衛戦争は保持するとの条文解釈で国憲を重んじるとするたちばである。公務員をやめた今は良心の呵責なく自主憲法制定論を語るし、今は教科書でさえ新しき権利として知る権利プライバシーの権利自己決定権環境権を改憲テーマとして記載されているわけで改憲論はタブーではなくなっているが。そんな馬鹿なと思われるかもしれないが私が中学社会の研究授業で北方領土を教えた際、本気で他の社会科の先生は「北方領土はソ連のものだ」として私の授業への抗議がなされた。私は丁寧に各条約を示してソ連には領有の資格はないと示して納得いただいた。「ほんとですね」と言葉をいただき、信じられなかったが。教師ですらこの認識、組合の方の容共姿勢はものすごいものがある。組合の集会のために学校を閉じて生徒を返した事態が毎年、年一日とはいえなされ続けていた。「不法行為ではないか、裁判に訴えますよ」と教委に訴え出て翌年から中止とはなったが。それほどに組合の力は強かった。しかしいまだ教育現場では安全保障の授業はタブー視され、9条を金科玉条のごとく教えねばならない。北方領土はさすがに日本の固有の領土とされているが尖閣や竹島を日本の固有の領土と教える先生はどれほど見えるか。拉致がどれほどの犯罪行為であるかを教える先生がいかほど見えるか、12月の人権週刊に北朝鮮の拉致問題を子らに教える義務が教師に課せられているがどれだけの先生が授業をなされたかお子さんやお孫さんに聞いてみればよいでしょう。国が県教委や市町村教委を通じて例えば今年の8月15日にも慰霊のための黙とうを指導するように通達を出し、学校には半旗を立てるよう要請していますが果たしてどれだけの学校や教諭がそれを実施されたでしょう。一度お聞きになるがよいかと思います。つまりは日本の教育現場では台湾教育においての、「高校以上の学校で「軍訓」と呼ばれる軍事訓練の必修化」どころか、防衛の意義や意味をかんがえさせることすら排除されている。政府の要請すら無視されている。これで健全な日本人が育つでしょうか。 戦後の「9条信仰」で国防ができると勘違いされている教育現場、この是正なくして日本の将来などはないのです。日本再創生の意識なく日本侮蔑が主流の教育界であっては世界に寄与などできっこないのです。 ではどうすべきか。我が国の安寧に対して決死の思い出生きられた先人を語ることは本当に大切なことです。どれだけ今を生きる僕らの幸を願って先人は決意し生きられたのか。郷土の偉人を発掘して子らに示すことの大切さを知っていただきたいのです。そのおひとり西尾小学校初代校長関口長太郎先生らがかつての同一国家台湾のためにどれほどの情熱を尽くされたのか、知るのはその意味で非常に有意義にして大切なことだと思います、学校教育でやはり防衛を学ばせねば。世界でロシアが、チャイナが北朝鮮が何をしているのかを子供らに知らせねばならないのです。そして9条を持ちさえすれば本当に日本は安全なのか。台湾は沖縄は尖閣は武力制圧の対象とならないといえるのか、教育現場を巻き込んで考えねばならないのではないでしょうか さて今日は6時から蒲郡倫理法人会モーニングセミナーに参加させていただきました、今日ほど感銘を受けたご講演は初めてです。幹事の先生らが食事後に三ヶ根慰霊に来てくださったのでした。私は清掃をなした後。西尾の農園にパンジー等の買い付けに行っていましたが「今から7士廟に行きます」との電話をいただき急いで戻り、説明をさせていただきました、本当に心明日先生型であります。心から感謝いたします。 4時半、教育長面談。二人にて。夕刻友のお宅訪問。現状報告と三ヶ根観光プロジェクトへの参加要請をなす。 娘が退院して孫を連れてきてくれた。私にとっては8番目の孫。さっそく学資保険の手続きに入る。もったいなく尊いことと感謝する。今から国旗掲揚の続きを。明日は文化の日、明治天皇のお誕生日であります。
2022.11.02
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仕事を終えて夜コンビニに買い物に行きほんの3分で車に戻るとなんと私の車の中を覗き込んでいるお巡りさんが見えるではないか。聞くと車の中を見せよという。三ヶ根山殉国花壇作成整備のため車にのこぎりや大ハサミや木槌を入れているのだが、これを不審に思ったらしく、免許証を見せよといわれる。一人に渡したがなかなか返してもらえない。他の一人は危険なものを持っていないか人から借りたものを載せていないかなどおかしなことを聞かれる。免許証を返すように言ってもパトカーの中でもう一人が何事か機械操作をしていて返そうとしない。もう時間がないのでお返しいただきたいといっても返そうとされない。任意だったらすぐに返してほしいといっても返そうとされない。まあ職務に一生懸命なことはわかるが、私よりもっと人相が悪い人はいるだろうに。実に失礼なかたである。でもこれ、やりすぎでしょう。住所を見れば同じ町内のコンビニなのだからおかしなことは何一つなかろうに。疑うのがお仕事なのでしょうが、何かの事件の捜査ならともかく、耕具をもっとぃたら免許小の取り上げはひどかろうに。もうそこまでと言って免許証を取り戻して再度事務所へ。あ、また日にちが変わってしまったではないか。明日、いや今日も5時出ですので今日はここまで、 あ、今日は関口先生の慰霊祭ビー紙文字書きを半分おえる、あとは明日に完成し当日配布資料の作成と印刷にかかる予定。小旗や掲揚用の国旗やポールなどすべてを自宅に運び土間ルームをクッションフロアー室に改造した。ここに印刷機やコピー機を搬入すれば国家運動用の一室が完成となる。たのしみであります。隣室には重要資料や書籍をすでに移転してあるのでわざわざ事務所にきて作業をしなくてもよくなり時間の節約につながる、楽しみであります。
2022.11.02
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満艦飾をなして来る11月3日文化の日をもこれを祝うのだそうな、実に喜ばしい。ではなぜ11月3日が祝日として残ったか当然のことではあるがこの日は明治天皇のお誕生日、日本の有識者らがこの日を何とか祝日として残そうと占領軍に求めるが、残してはならぬとの回答、 それはそうでしょう。日本を2度と世界の脅威にさせてはならない。明治節を残せば日本人は全国でちょうちん行列を行い、明治天皇をたたえる。 これはまずいとあえて日本国憲法をこの日夜中に時計を止めてまでして制定。 国民が尊崇する明治天皇のお生誕日をあえて新憲法制定の日として意味合いを変えさせた。 将来憲法が占領軍制だと暴露されても制定日に明治天皇の誕生日を選べば露骨に改憲論、または廃棄論にたどり着かせないために、あえて憲法制定をなしたのである。憲法制定日と明治節とを同日にしたたわけである。 しかし占領軍の威光をもってしても明治節復活論は止めえない。 ついに占領軍は日本国民の熱意に負けて大いに譲歩、名を変えれば11月3日を祝日にしてよいと譲歩を出す。日本はしたがって明治節とは無関係に文化の日として祝日制定なすとし、占領軍はを合意した。おそらく制定理由に明治節の言葉すら出てこないのも何らかの命令が出されていたと思われる。 ちなみに3月7日が警察制度改正記念日(昭和23年)であるが祝日ではないため広まらないし式典もないようだ。 まあ「文化」の日としてならまだよかった方ではないか。「文明」とされれば味もそっけもないもととなったのであろう。 文明は誰もが参加できるインターナショナルなもの。文化は民族など、特別の生活様式を持った団体、独特の個性ある美しさを持ったもの。 その意味で文化勲章授与式など日本文化の生成発展に貢献した方をたたえる日であり祝賀の日であるのも同意、。 勲章授与の日があることは好ましいですがもう誰にへつらう必要もない、 この日を「明治の日」と名称変更を為せばなおよかろうに、
2022.11.01
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いよいよ11月です。4日の土曜日には西尾市文化会館にて白駒妃登美先生をお招きして西尾小学校初代校長平坂小学校2代目校長を務められました台湾教育に命を懸けられた関口長太郎先生の記念講演会が開催されます。演題は「台湾で語り継がれる日本の精神・・・・関口長太郎先生が命に代えてもまもりたかったもの」開場1時半。2時から4時までさらに翌6日(日)は西尾小学校裏、西尾歴史資料館向かいの慰霊碑の前にて午前10時より45分まで慰霊祭、さらに西尾クリニック近くの盛願寺にて法要と田中ふみえ先生の語りトお墓参りがなされます。 ぜひご参加ください 台湾教育 芝山巌精神に殉じた教育烈士をおもう 文部省学務部長心得であった伊沢修二(元愛知師範学長)は、初代の台湾総督の樺山資紀に、教育を最優先すべきと具申し、六人の志ある人材を連れて台湾にわたった。楫取(かとり)道明、関口長太郎、中島長吉、桂金太郎、井原順之助、平井数馬の各先生である。先生達は、台北市内、士林の芝山巌に学校を開設し教育をはじめた。この六名が非命に倒れられたのである。 このような六先生の教育に対する情熱、精神は明治天皇の一視同仁の教育実践そのものであり、多くの人々に感銘を与えた。その精神は「芝山巌精神」と称され、人々の間に語り継がれるようになった。台湾では。残念ながら郷土では先生のご業績がほとんど語られていない。それが悲しい。地元の偉人をぜひ顕彰したいと思い、14年前より慰霊祭を開催してきました、やっと認知も深まり講演会には西尾市と西尾市教育委員会、さらに三河新報社・愛三時報社様の後援をいただけるようになりました。 「仆(たお)れて後已(や)む」の芝山巌精神が永しえに台湾に根づくことが出来ますよう、地下の六士先生にお頼み申し上げます。 以下、西尾小学校横の石碑の文面を書き下し文にして、意訳を井上寛康先生になしていただいた。 故関口長太郎君碑銘 所在地 大字錦城西尾共圜内 碑大サ 高サ五尺幅三尺五寸君の諱(いみな)(*1)は棟通、長太郎と称す。旧西尾藩士関口宇左衛門の第二子なり。母は安丸氏。君は夙(はや)く藩学に学ぶ。維新後名古屋に赴く。佐藤牧山の門に尋ね入る。愛知県師範学校卒業の後、訓導(*2)に任ず。在職は前後十有八年。明治二十八年台澎諸島(*3)我が版図に帰す。官学務部を置く。これに隷(したが)って総督府、斯(こ)の民(たみ)を教育せんと欲す。広く有為の士を求む。君奮然(ふんぜん)と之に応ず。台湾の地、気候炎熱(えんねつ)瘴(しょう)気(き)人を侵(おか)す。加うるに土匪(どひ)の乱を以ってす。人皆往き難し。君曰く、死生(しせい)命(めい)有り。何ぞ海の内外を論ぜん。遂に赴任す。時に余(よ)学務を督(とく)す。君余を輔(たす)くるに尤も力あり。明年歳旦(*4)、将(まさ)に総督府に賀正す。途(みち)すがら土匪(どひ)の襲撃に遇(あ)う。挺身奮闘、手ずから二賊を斬る。然(しか)れども衆寡敵せず。遂に之に死す。距生?安政六年十一月十一日、年を得て三十八。伊藤氏を配す(*5)。先に歿するに一女有り。尚(なお)幼し。其れ、台湾に在り。国風一章を風して旧僚に寄す。曰く、教へ子の餓へを忘るるひまもなし学びの道を思ひやるにも。其の訃の至る。郷人痛歎す。争って醵金(きょきん)し、之の墓碑を建てんと欲す。則ち其の平素知るべしなり。夫れ教育の業、宜しく十季を期す。君志(こころざし)を齎(も)ちながら中道にして歿す。誠に惜しむべきなり。頃者(このごろ)郷人書を寄せて余に文を索(もと)む。余(よ)為(ため)に其の梗概を此(かく)の如(ごと)く叙す。銘に曰く。 進んで険を避けず 国に報ゆるに志を為す 苟(いや)くも其の所を得ば 庸(なん)何(すれぞ)死を恤(あはれ)まむ貴族院議員 従三位勲三等子爵 松平乗承篆(てん)額(がく)(*6)前台湾総督府学務部長貴族院議員正五位勲四等 伊澤修二撰文 南巖 中川衡憲 書(*1)「諱」は死後に尊んで付けた称号。謚(おくりな)(*2)「訓導」は小学校教諭のこと。(*3)「台澎諸島」は台湾とその澎湖諸島のこと(*4)「伊藤氏を配す」は伊藤氏の女を妻とした(*5)「歳旦」は正月(*6)「篆額」は篆書で題字を書くこと平成二十二年五月二十日 井上寛康 読み下し。学浅く不明の字多々あり、推測を以ってす。 墓碑の概要関口長太郎は西尾藩士として生まれた。若いときから勉学に励んで、愛知県師範学校を卒業すると小学校教諭になった。その頃、日本領になった台湾の原住民を教育するため、台湾総督府が志のある教員を募集した。関口は十八年間小学校で教えていたが意気込んでその募集に応じた。台湾は気候風土が厳しく伝染病が蔓延する土地だから、人は避けて行かなかった。しかし、関口は死ぬも生きるも天命だから、死に場所は何処でも同じだと考えて応募した。そして、台湾で原住民教育に励んでいたが、元日総督府に新年のお祝いに行く道すがら、暴徒に襲われて死んでしまった。関口は安政六年(一八五九年)に生まれ、三十八歳のとき伊藤家から嫁をもらった。その妻は幼い子を残して先立ってしまった。今、台湾に居て和歌を詠んで昔の友達に送った。「いかに子供たちに教えようかと考えていると、教え子たちのお腹が空くのも忘れてしまうほどだ。」 関口死すの知らせを聞いた郷里の人々の歎きは限りなかった。誰も彼も募金して墓碑を建てようとした。このことで関口の良き人柄が知られる。十年間台湾で教育に携わろうとしたが、志半ばで死んでしまった。郷里の西尾の人たちから関口を顕彰する碑を建てるから、その碑文を書けとしきりに頼まれたので、この墓碑を書いた。その墓碑に銘はこうである。進んで危険を顧みず、国の御恩に報いるために私は信念を貫いた、もしその為に死に場所が得られたならば、どうしてその死を憐れむことがあろうか、本望である 貴族院議員 従三位三等子爵 松平乗承が篆書で墓碑銘を書いた前台湾総督府学務部長貴族院議員正五位勲四等 伊澤修二が文章を書いた 南巖 中川衡憲が本文の字を書いた さらに豊橋陸軍墓地清掃会による清掃と慰霊祭が同日11月6日午前9時より開催されます。関口先生の慰霊さんに参加しますので私は残念ながら参加できません、自衛隊関係者の皆様も多くご参加くださいます。ぜひ英霊慰霊式典にご参加ください。 6日は第1日曜ですので三ヶ根殉国花壇の清掃日ですが、関口先生の慰霊祭と重なりますので開としては清掃を中止とさせていただきます、清掃に行ってくださる方がみえましたら草取りなどをなしていただけたらさいわいです、私は行事終了後の3時ころから参加いたします。 今日は教育勅語が御下賜された日です、明治23年のこと。三ヶ根参拝時に読み上げさせていただきました。 午前自宅の片付けと小旗国旗の大移動、昼2時から三ヶ根清掃。家に帰るとなんと91歳の母が一番大きい脚立に乗って柿木に実る大き目のカキを取り込んでいるではないか。もうおどろきである、急いでおろしてあとは私が行う。もう若くはないから絶対だめだというのだが。
2022.10.30
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韓国財団肩代わり 有力に 徴用工判決から4年償金を肩代わりする案を軸に、韓国政府が最終調整をしていることが28日、複数の日韓外交筋への取材で分かった。日本企業の敗訴が確定した韓国最高裁判決から30日で4年。韓国外交当局は年内の解決案提示を目指すが、日本政府と韓国国内の原告側双方の理解を得ることは難しく、成否は不透明だ。元徴用工の支援活動を行う「日帝強制動員被害者支援財団」で9月、次期理事長人事を韓国政府が「拒否」する異例の動きがあった。再選考を経て今月25日、知日派として知られる沈揆先(シム・ギュソン)東亜日報元編集局長が新理事長に就任。同財団を活用した解決策の策定を円滑に進める狙いがあるとみられる。尹錫悦(ユン・ソンニョル)政権は、両国間の請求権問題が「完全かつ最終的に解決された」とする1965年の日韓請求権協定に沿い、日本企業が賠償金を支払わない形式での解決策を模索。7~9月に開催された官民協議会では、韓国政府が日本企業の賠償を肩代わりする案なども検討されたが、法律上の問題や世論の反発などから困難だと判断した。産経引用。 やっと結論が出そうな気配。 恩をあだで返す韓国の無法さは少し調べればすぐわかるこれほど親日的な台湾と比べ韓国の卑屈さはすくいがたい、明治42年10月26日に伊藤博文公を暗殺した安重根を国家の英雄としていることを見てもそのひどさは一目でわかる。 1910年の併合から1945年の独立までの たった35年間で我が国はいかに韓国のために動いたか、 ・朝鮮が無計画な浪費で返済不能になっていた莫大な借金 (外国からの借金+国債)を肩代わりしてチャラにした。 ・日本の国家予算で学校などの教育機関や裁判所、上下水道、公園、 病院、警察署、道路、 水力発電所、農地、鉄道などの文化的生活に 必要な施設を作った。 ・日本の金で朝鮮全土に5000校もの近代小学校を建設し、 近代教育をしてハングルを必修で学ばせた。 ・日本の技術と資本により2次産業を9倍も成長させると同時に 1次・3次産業も大幅に伸ばした。 ・医療と衛生環境を向上させて平均寿命を26歳から42歳にまで 飛躍的に延ばした。 ・人口を2倍まで増やし、その人口が全員が食べていけるほどの 驚異的な食料供給力を与えた。 ・世界中のどの国も金を貸したがらない極貧後進国に、貸し倒れも恐れずに 世界一安い金利で金を貸し与えた。 ・発展のために必要な資金や資材などの「物的支援」だけでなく、 「人的支援」「技術支援」も同時に行った。 もうきりがない。 このように日本は弛まぬ努力により朝鮮半島に“奇跡”と呼ばれるほどの 大幅な発展をもたらしたのである。 徴用工問題もそもそも戦後の日韓基本条約においてすべてが終わっている、むろん日本側からの完全な善意の結果ではありますが、だが、韓国はこれらの日本の功績を全て隠蔽した。 政権がややまともに対処案を出しそうではあるが、果たしてどうなることやら、 さて今日からまともな国へと戻れるか否か、やり切れるかどうか、眺めておきたいものです、 今朝は6時から岡崎倫理研修、8時に仕事始め、昼からは豊橋大東塾の御嶽社垣根整備、7時に帰って仕事開始、
2022.10.29
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「混迷日本がスッキリわかる話」((辛坊次郎のそこまで言っていいんかい)講演会にっ出席する。主催は岡崎法人会。 左がかったマスコミ界にあってややまともな言論を展開している「そこまでいいって委員会」番組は愉快な番組である。その司会を長年務めて見えた氏の講演会がなされると聞き3名の友と参加した。コロナ問題やチャイナの孔子学院問題など、僕らの主張に合致する話をなされたので、興味深く聞き始めたが、聴衆の意識を恐れられたか、その深まりに入られず問題提起に終わってしまったことが残念であった。しかもその問題を提起することが現代のタブーとされている現状を述べられるだけで、さわりを述べられるだけで深まった話に入られなかったのは残念至極。そっと引き上げてしまわれた。その続きを伺いたかったのに、一般市民に伝わらないと思われたのか話をもしれないが、ここを議論の対象にして頂きたかった、 むろん、太平洋無寄港横断の失敗とその後の人生観の激変についてはなされたことは実に感動的であり見事な語りにはほれぼれしたが、意見が違う方との対峙はなすが、たとえ意見が違っても相手の言論の自由は必死にまもるとどこかでお書きになって見えたが、ならば故中川昭一大臣の、病気が故の酩酊状態事件に対し「誰が許しても私は絶対に許さない」と欠席裁判じみた人格否定発言はどうなのだと一言伺いたかったが。さらに安倍総理に対して国葬は絶対反対と。安倍総理の功績を軽んじるような発言をなされたこと、しかも葬儀参列案内をもらいたがったがかなわなかったことに恨みがましく非難の声を上げて見えたことにたいしてもコメントが頂けたらと思ってもいた、しかし質問する時間なく散会。致し方無きことではあるが残念と言えば残念ではあった。 しかし公的な場所で孔子学院問題を発言いただけたこと、自衛隊による遭難救助の決行により命を助けられた体験など実に深いところでの貴重な体験と感謝の思いの表明など、心揺さぶられるお話が聞けてありがたかった。スケープゴートとされている統一原理教団に対してのご感想も、テレビレギュラー番組を持たれていない今だからこそ発言できることなのでしょう。いやこれが録音録画禁止の指示がなかったとしたらここまでの発言は在野といえども危険でありましょう。逆に言えばマスコミ界のタブーを破るには在野での言論活動をするしかないのでしょう。 終わって友を送り、自宅に帰り業者と契約書作成をなすが、時間なく詫びを入れ途中で中断して西尾の関口長太郎先生慰霊祭運営会議に参加。一週間前の最終会議である。 テーマ審議をおえて、時間をいただき建国祭実施準備現状を報告。 忙しき一日を終える、 朝7時に孫に食事をとらせ通学の集合場所に送る。燃えるゴミ集積チェックを終え神社清掃をなす。講演参加まで自宅の諸資料の整理やカキの実の収穫などをなす。業者にくみ上げポンプの交換や水回りの修繕作業をしていただく。やっと大量の水漏れが治り一安心。明日は朝8時より仕事開始。
2022.10.29
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三島由紀夫氏の学生との討論記録にこのようにあります。「何を信じるか」の一部を抜粋します。 何も未来を信じないとき、人間の根拠は何かと言うことを考えますと、次のようになります。未来を信じないということは今日に生きることですが、刹那主義の今日に生きるのではないのであって、今日の私、現在の私、今日の貴方、現在の貴方というものには、背後に過去の無限の蓄積がある。そして長い文化と歴史と伝統が自分のところで止まっているのであるから、自分が滅びる時は全て滅びる。つまり、自分が支えてきた文化も伝統も歴史もみんな滅びるけれども、しかし老いていくのではないのです。今私が四十歳であっても、二十歳の人間も同じように考えてくれば、その人間が生きている限り、その人間のところで文化は完結している。そのようにして終わりと終わりを繋げば、そこに初めて未来が始まるのであります。 われわれは自分が遠い遠い祖先から受け継いできた文化の集積の最後の成果であり、これこそ自分であるという気持で以って、全身に自分の歴史と伝統が籠もっているという気持を持たなければ今日の仕事に完全な成熟と言うものを信じられないのではなかろうか。或いは自分一個の現実性も感じられないのではないか。自分は過程ではないのだ。道具ではないのだ。自分の背中に日本を背負い、日本の歴史と伝統と文化の全てを背負っているのだという気持ちに一人一人がなることが、それが即ち今日の行動の本になる。(中略) 自分の中に全ての集積があり、それを大切にし、その魂の成熟を自分の大事な仕事にしてゆく。しかし、そのかわり、いつでも身を投げ出す覚悟で、それを毀そうとするものに対して戦う。未来を信ずる浅はかな人間がやってきた時に、そしてその人間が暴力を振るって向かってきた時に日本の歴史と文化と伝統をお前は破壊するつもりか、これを毀すとはどういうことかという気持ちでのしかかっていく。その闘士というものは、彼らと逆な思想を打ち込んでゆくことによってしか生まれないという。彼らの真似をして未来を信じれば、彼らに足下を掬われるだけである。 ここにこそ現在があり、歴史があり、伝統がある。彼らの貧相な、観念的な非現実的な未来ではないものがある。そこに自分の行動と日々のクリエーションの根拠を持つということが必要です。これは又人間の行動の強さの源泉にもなると思う。というのは人間というものは、それは果てしない生命であります。しかし、明日死ぬと思えば今日何かできる。そして、明日がないのだと思うからこそ、今日何かができるというのは、人間の全力的表現であり、そうしなければ、私は人間として生きる価値がないのだと思います。 三島氏の義挙の時、私は高校生。三島精神とは何かと友らと語り、岡崎高校で三島先生の追体験のつもりでボデイビルクラブを部活以外に結成。体を鍛える作業をなした。翌年2月にの建国記念日には友と岡崎の式典に参加した。いとこが自衛隊にいて富士学校の教官をしていたので微力ながら議論をすることも。陛下の退位論などで激論を交わしたことを思い出す。同学年で防大合格者は私以外に3名。しかし入学したのは1名のみ。 私は大学に進んでからも自治会に愛国者のたちばから3名で立候補。3回立候補しましたが民青には敗北。自衛隊への正式入隊もしましたが大学に戻って卒業。あの頃の友は立派に企業家としての道を歩んでいるとききます。 まさか自主憲法がいまだ制定できずにいるなど当時思ってもいなかった。そしてこの年まで命ながら得ていることも。 当時を思い出すと今の自分がいかに怠惰な人生を送ってしまっているか反省しきり。 お世話になった方々も多くは泉下の方となられてしまった。そのおひとり、岡崎の金山先生に三ヶ根にて部隊葬をなしていただいた時の祝詞を見返す。 部隊葬 大東亜戦争受難戦没者慰霊祭祝詞 於 三ヶ根殉国七士碑前 平成二十年 十月十二日 波静かなる三河湾の遥かに伊勢神宮を望む三ヶ根の神奈備(なび)に天立(あめたた)す殉国七士の碑(いしぶみ)の御前を祓ひ清めておぎ奉り、坐(ま)せ奉る、大東亜戦争、戦没者二百五十万柱の御霊の御前に、御縁(みゆかり)深き諸人等、集(うごなわ)り侍りて御霊慰(なご)めまつらむと御食(みけ)御酒(みき)を始めて種々(くさぐさ)の味物(ためつもの)を捧げまつりておろがみまつる状(さま)を平らけく安らけく聞こしめせと白す つらつらに顧みすれば先の大東亜戦争の皇軍は孤軍奮闘良く戦ひしに、戦運我に利有らず、敵国の悲人道なる戦ひに遂に敗戦とは成りぬ。左和有礼(さわあれ)戦ひし其の地に独立国多(さわ)に生み成せるは神国の故に個曽(こそ)。時に畏こくも御軍を止めよとの大詔を拝し、奉りぬ。「時運の趣く処堪え難きを堪え忍び難きを忍び以て萬世の太平を開けよ」と宣らし給ひぬ。又、「確く神州の不滅を信じ、任重く道遠きを念ひ」と宣らし給ひぬ。 其の日より早くも六十三年(むそみとせ)は経ぬ。今の日本国は天地の始発の時の如く久良介(くらげ)なす様をなし、混沌の止まる処を知らず、常闇の世と成りぬ。是れ、天神の人類に下し賜へる最大の試練なり。御軍の庭に散り給ひし御霊等(みたまたち)の御歎きは如何ばかりならむ。貧しかれども、其の悲しみを受け継ぎまつりて日本国を元つ国の状(さま)に立ち返さむと日々の生活(たつき)に仕へ奉る状を諾(うべな)ひ給ひて大き恩頼(みたまのふゆ)を垂れ給ひ子孫(うみのこ)の八十継(つづ)き厳(いか)し八桑枝(やぐわえ)の如く立ち栄へしめ給へと畏かれども天皇の大御旨(おおみむね)に照らし通わせて称辞(たたへごと)をへ、乞祈奉(こひのみまつら)くと白す。 漢字ばかりの祝詞にて教養亡き私には読めないのでわかる範囲で記載し、教えを請うたもの。一応訂正した文です。 「祝詞一本」。大孝道の開祖、影山庄平翁の教えはこうだと、金山先生に教わりました。庄平翁は、大東塾故影山正治塾長の御父君であり、終戦時、自決された十四烈士のお一人であります。 祭典の全ての全ては「祝詞一本」。祝詞が神様に響かねばならない。末尾の畏かれども天皇の大御旨(おおみむね)に照らし通わせて称辞(たたへごと)をへ、乞祈奉(こひのみまつら)くと白すの語句につき意味を伺った時、「是は陛下にご理解頂きて後祈っているのです」との意味で、陛下のみ心を拝し奉って代わりにお祈り申し上げておりますと、虚偽なく私心なく祈っておりますとの心の言葉であるとのお話を頂きました。 病気治癒を祈る時も,「どうしても大切な人だ」と神様に分かっていただかねば聞き届かれはしない。理由が大事なんだ。こうおっしゃる。ではお聞きいただくにはどうするか。其の秘訣は、一身を捧げ奉ると覚悟し祈りと決意を申し述べる。自刃の覚悟で申し述べる時はじめて通じるのだよ。 誠に祝詞は清廉潔白。魂の表現であり、身を清め心を清めての言葉であると感じて来ました。「祝詞一本」言葉は命がけであるとの教え。私には到底及ぶことは出来ませんが、かくありたいと願うことでした。 奥様がお見えになり、「うちの人は祝詞も全て自学で研究したのです。」とおっしゃられました。「祭礼準備も、祝詞が出来なければ始めないのです」神道家の魂の深さに深く感じいったものでした。 思えば私の学問レベルの低さ加減よ。 短気さで多くの失敗も重ねてきてしまった。成功したのはチャイナ名古屋領事館払い下げ阻止と県下建国祭の14会場開催支援、交番での祝日国旗掲揚と国旗ストリート設置、三ヶ根花壇設置及び奉仕、関口長太郎先生の顕彰祭くらいでしょうか。むろん同憂の皆さんのご努力の結果でありますが。 今一度精気を取り戻し国おこしにかけねばならぬと痛感するところであります。 さて、しかし自衛隊は多くの苦難の中で見事な栄誉を獲得している。しかし文化勲章は隊員にはいまだ授与されず、「シビリアンコントロールは結局アメリカからしか来ないのだ」と三島氏が自決直前の檄文に記した如く、いまだ文民統制はいびつな形でしか成されていない、 政治家が軍事に関する問題を先送りにしてきたため、チャイナは巨大な独裁国家として生き延び超国家化して世界を混乱へと導くようになってしまった、かつて自衛隊が 「三矢研究」 という有事計画を検討していることが国会で明らかにされ、その内容を知らなかった佐藤総理が、シビリアンコントロールに反するとして批判したことがあった。しかしまったく的外れ。軍が独自に研究するのは当然であり、その準備なくして防衛活動はできっこない。自衛隊とはそもそも有事に対応するための組織であるから、 有事にどう行動するかを研究することはごく当然のことである。 最近は自衛隊が有事研究をするからと言って批判されるようなことは少なくなった。海外情勢の緊迫。中国の軍事大国化、北朝鮮の核開発。いずれも日本にとって大問題であり、国民の合意も取れてきたからであろう。 しかしチャイナの新政権は数年以内に台湾を併呑する方針、とんでもない危険な企画である。米中の歴史観に対峙し日本の名誉の正しき回復を求める決死の思いを抱かねばこの国難は防ぎえない。「三矢研究」ならぬ「台湾研究」は果たしてなされているのだろうか。 武人たるもの、日本文化の最後の体現者であると覚悟しての日々を生きるもの。その心を防衛大臣は低頭して学ぶべきであろうし日本国民の平和的生存をになう政府は林大臣を取り換え対チャイナ独立の気概を持つ代議士を充てるべきではないか。 台湾との民間交流をさらに深めて国益につなげたい。 関口長太郎先生の成し遂げられた成果を再確認すべく11月5.6日と開催する慰霊講演会慰霊碑まえ参拝とお墓詣りの集いをぜひ成功させて台湾防衛に立つ多くの皆さんと手を結びたいものだ。 ぜひぎご友人にお知らせいただきたいと念願いたします、、
2022.10.28
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朝、五時に家を出て蒲郡ホテル形原別館にて開催された倫理法人会主催モーニングっセミナーに出席する。今日のお話は団体設立の基本理念の解説であったような。まだよくは知らないが初めて哲学的な倫理思想の説明であり深さを感じた講義。参加の皆さんの理念の片りんを垣間見た気がしてその意義深さに大変興味を抱かせていただいた。皆さんの真摯な、へこたれぬ人生観に改めて納得する。 三ヶ根にのぼる。花壇全域の掃き掃除、灌木間引きなど。 安城文化会館、刈谷市原神社高浜婦人会館を友と訪問。来年の建国祭の会場申し込み。安城は11月初日高浜は12月初日にならないと正規な会場申し込みができないが、今日の段階で市が借りていないことが分かったのは成果、あとは申し込み初日に他団体とぶつからねばかいじょうがとれることになる。朝一番で蒲郡市議喚田先生とお会いし2月11日の午前開始と決めたので講師先生の都合上、安城と碧南は午後開催となる。すでに西尾は12日と決まり、豊田・知立は6日・岡崎は12日午前と決している。他にも大府日進豊橋豊明愛妻尾張旭半田武豊などは毎年確実に実施されているので安心であるが気がかりは豊川の野中県議がお亡くなりになったこと、ほとんど先生が担ってくださっていたので来年が実施できるようになるか否かである。県下いずれの市町村にも愛国者はみえ、国を愛する議員はいる。建国の祝賀を語る議員がいらっしゃる以上市民も参加しての奉祝式典が開けないはずはない。 日本敗戦とその後の占領政策により日本人は歴史を奪われ尊厳がうしなわされた。独立後に心ある国民が立ち上がり自虐史観を是正し国の再興を必死に求める運動が全国各地から巻き起こった、その最初の国民運動の大きな成果が建国記念日制定であった。昭和42年の制定から岡崎と豊橋では一貫して奉祝の集いがなされ、他の市町村においても途中の中断はあったにせよ、市民参加での建国記念日奉祝式典大会は県下15会場でなされるまでになった。しかし与党議員やその支持者が多く見える市町村においても奉祝式典や市民参加の行事がなされていないところがまだまだある。 意識ある議員が一人でも見えれば、国思う市民が一人でも見えれば別段金をかけずとも奉祝の声は上げられましょう。ぜひ式典などを開催して国の支えになろうではありませんか。極力ご協力させていただきたいと思います。 私事ですがm今日私にとって8人目の孫が誕生。時節柄面会には行けませんが娘から元気な赤子の写真が送られてきて一安心。小1ト幼稚園の孫が今我が家に寝泊まりしておりその世話が楽しくてなりません。遊びや習い事の送り迎えなどさらに食事や寝かしつけなど。世の親御さんがどれほど大変か少しわかる気がしています、
2022.10.27
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チャイナ新体制は習近平氏の独断場。自由主義の目を封じて国内での不安表明を禁じ、政権批判を外へ向かわせる危険な政権だとする識者の評価が的を射ていると感じた。恐ろしい政権として今後5年間は独裁がなされるようだ、プーチンと手を携えファッショ連合を構築し、国連が機能不全とされるなら日本は早い段階で自由で開明的な、国々との連携をしていかねばならない。台湾進攻が政治日程に乗る前に台湾有事には台湾防衛に国家として動くことを、名言すべきでありましょう、さすがに沖縄県民良き選択をしてくださったものだ。那覇市長に自公系の知念氏 オール沖縄に打撃2022/10/24 任期満了に伴う那覇市長選は23日投開票され、岸田文雄政権が推す無所属新人の元副市長、知念覚(さとる)氏(59)=自民、公明推薦=が、玉城デニー沖縄県知事が支援する無所属新人の元県議、翁長雄治(おながたけはる)氏(35)=立民、共産、れいわ、社民、沖縄社大推薦=を破り、初当選を果たした。投票率は47・05%で、前回を1・14ポイント下回った。知念氏は、米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古への移設に反対する「オール沖縄」勢力の土台を築いた翁長雄志(たけし)元知事(平成30年死去)の元側近で、現職の城間幹子市長らが支持していた。一方、翁長雄治氏は雄志氏の次男で、玉城氏やオール沖縄勢力の大半が支援に回った。だが、落選により同勢力の影響力低下が浮き彫りになり、今後の県政運営にも影響を及ぼしそうだ。知念氏は高校卒業後に市職員となり、働きながら大学の夜間部を卒業。雄志氏の市長時代に抜擢(ばってき)されて総務部長などを歴任し、城間市長時代は副市長として2期約7年半を支えた。こうした長年の行政手腕が評価されたとみられる。知念氏は那覇市内で記者団に「支持してくれた市民に心から感謝する。期待に応えられるよう明日から頑張りたい」と述べた。翁長陣営の選対本部長を務めた玉城氏は「私たちに何が足りなかったのか、真摯(しんし)に考え、今後につなげたい」と話した。沖縄は今年、重要選挙が続く〝選挙イヤー〟だが、今回の結果により、辺野古移設問題が争点となった名護市や宜野湾市をはじめ7市長選の全てで自民党系候補がオール沖縄系候補を破る結果となった。 産経新聞引用、以上、 早く国会で憲法論議を高めていかねば、。チャイナはどんな口実でも利用して台湾武力侵攻をなすでしょう、改憲は喫緊の課題です、 朝7時前に孫を連れて散歩に出た、帰れば妻の大目玉。学校に遅れるでしょうと。急いで集合場所に送る、「まだ大丈夫。まにあうから」正一の孫になぐさめられたてしまった。実に頼もしく成長してくれている。 7時より燃えるゴミチェックと神社清掃と石囲いの水洗い。とりあえず一区画をなし終えて事務所に大量に置いてある国旗小旗を家管理にすべく我が家に搬入し終えて三ヶ根清掃へ、。崩れた土砂部分の整地などをなす、5時仕事開始、10時まで、 明日は朝5時出。蒲郡研修後に三ヶ根作業。9時には安城に走り建国祭の会場の借り入れ予定。
2022.10.25
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昨日は10数年前から屋台を断り青年部が出店を担ってくれ、孫たちも金魚すくいならぬメダカすくいなど大いに楽しんでくれた・。とはいえコロナまん延のため、楽しみは今年も子供会のお獅子のねりあるきもなく餅投げもなくなりややさみしさも感じた、 今朝は9時から組長が集まり地元の神社での祭礼の後かたずけをなす、令和を記念して皆で購入した大提灯や中提灯もおろしてケースに丁寧にしまう。共同での後片付け作業を終えたのちに私はやりかけの石塀洗いに入る。これは難儀。真っ黒の墨を塗り固めたような汚れはブラシでこすり取るのが大仕事、100時間かけても洗い終えそうもない。時間を見つけて作業を続けたがとてもとても。このペースでは年内に追われるかどうかもわからない。しかし地元のこと。やらないわけにはいかない。 結果、三ヶ根作業に行けなかった。明日は何とか平常に戻したいものであります、 チャイナの独裁体制が確立してしまった。恐るべきチャイナの野望。2月の建国祭にて元統幕議長先生にお越しいただくことが決まった。今月中にはにプランの八票ができそうであります、
2022.10.24
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三ヶ根で来拝者とお話しする際に必ず私が語るのはいわゆるA級戦犯とされた方は昭和受難者とお呼びすべきで、戦犯ではないということ。そしてお名前を憶えてくださいと語り7名の方を「とまどひいきむ」と覚えることをおすすめしている。 「いわゆるA級戦犯」の代表的人物は東条英機閣下でしょうが、閣下はA級戦犯として判決を待つ佐藤賢了にこう言った。「戦争の責任は僕一人で背負いたかったが、多くの人々に迷惑をかけて相すまぬ。君もどんな判決を受けるか知らないけれども敵に罰せられると思えば腹も立つだろうが、陛下と国民から罰を頂くと思って甘んじてもらいたい。敗戦により国家と国民がこうむった打撃と犠牲を思えば、僕が絞首刑台に上がるがごとき、むしろもったいない。八つ裂きにされてもなお足りない。君が生き残っても、僕については少しも弁解してもらいたくない。僕はただに絞首のはずかしめを受けるだけでなく、永遠に歴史の上にののしりの鞭を受けなければならないからである。」とかたったといわれる。また教誨師の花山氏には「国内的の自分の責任は死をもって償えるものではない。しかし国際的な犯罪としては何処までも無罪を主張する。」とかたり、「自分としては国内的な責任を負うて満足して刑場に行く。ただ、同僚に責任を及ぼしたこと、下級者にまで刑の及びたることは、実に残念である」とも。 辞世は我ゆくも またこの土地に かへり来ん 国に報ゆることの足らねばさらばなり 苔の下にて われ待たん 大和島根に 花薫るとき個人的には国民にまた陛下に申し分けなく死をもって罪を贖うことには何の躊躇はないが。日本を代表する立場から言えばどこまでも無罪を主張して死刑判決を受け入れないとの姿勢。その意味でも「戸惑いいきむ」との思いであろう、しかし「とまどひいきむ」はその意味電句単純に受難者の頭文字をとって作ったフレーズである。つまり東条英機大将かつ総理・松井石根大将・土肥原賢二大将・広田弘毅総理・板垣征四郎大将・木村平太郎大将・武藤章中将」の7士の頭文字を羅列したものに過ぎないのですが。言外にはたとえ列強が日本に罪を擦り付けようとしてもその根拠は破綻しており国際法に反する判決だと濃さはどうあれ国家としての判決は正義にあらずとして「生」を求める、こうした矜持がみてとれる気がするのです。 さて民間人として唯一処刑された人物に広田 弘毅総理が見えます。日中間のトラブル盧溝橋事件で日本は政府・軍共に不拡大方針を貫くが、支那側がどうしても停戦協定を破ってテロ行為に出る。日本側はひたすら隠忍自重していたが、通州の保守隊(シナ人)による居住日本人二百六十四名が計画的に虐殺される事件(通州事件)が起こった。 女子どもまでも無残に殺害した有様が日本国内でも報道され、当然世論は激昂した。そして八月十四日、蒋介石が上海を爆撃、上海租界の日本人や欧米の民間人千七百人以上が死亡した。近衛内閣はここにいたって、不拡大方針を転換し、八月十五日、上海派遣軍を送ることにした。 十二月十三日南京陥落。日本国内は戦勝ムードに沸きかえりちょうちん行列で祝賀された。占領翌日、大本営・政府連絡会議で広田外相が以前と同じ和平案を出すと、杉山陸相、末次信正内相らから強硬な反対意見が出た。近衛首相も沈黙してこれを飲むしかなかった。翌十六日近衛首相は「国民政府を相手にせず」の声明を発表。しかしこの政策が失敗だったと気付き、声明撤回の為広田は近衛首相をかばう形で責任を取って辞任。チャイナは主都を取られた復讐心に燃えるが時の近衛総理が自決された段階。白羽の矢が広田にむけられたのだ。 広田の妻静子は一度面会に言った後こんな言葉を漏らした。「パパがいる時代に日本がこんなことになってしまって、このような戦争を止めることが出来なかったのは恥ずかしいことです。パパを楽にしてあげる方法が一つある。」一家があわただしく引越した後の会食時、乃木大将夫妻の殉死の話題になった時「まあ私なら自分がさきに死ぬわ。」 翌朝、静子婦人は寝室で死亡していた。服毒自殺。遺書はなし。 広田は一度も証言台に立とうともせず、遂に審議終了。絞首刑を言い渡された。 広田の死刑は全くの非道。アメリカのキーナン主席検事すら不満をぶちまけた。「なんと言うばかげた判決か。広田が死刑などとは全く考えられない。どんなに重い刑罰を考えても終身刑までではないか」しかしチャイナの意向で十一人の裁判官中、六対五の言語道断の方法で死刑はきまったのだ。当時の戦時法では死刑などなせなかったにかかわらず露骨な、復讐での死刑となった。 こうした事項を伝えると多くの方は東京裁判の非道さを知ってくださるのです。 しかし三ヶ根に来ていただける方はご理解くださるが、まず来ていただかないと。 美しい景色を求めておこしくださるもよし。ハイキングをされるもよし、アサギマダラを見に来てくださる方も。 さて今日は親族の一家の法要がなされて出席。50名ほどの参加。我が家から出た叔母の家で母、夫、嫁の3名の法要。同年のいとこは勲5等をいただく愛国者でもある。彼とは久しぶりに酒を酌み交わす。導師先生とも建国祭の話、関口長太郎先生のこと、国旗掲揚ストリートのこと台湾防衛のことなど語る。昔よく遊んだいとこらとぬに思う話が友にできるありがたさに時を忘れていた。 今日は地元の祭りの日。天候もよく、青年らも出店を担ってくれて良きひとなった、明日はその型付けに私も朝9時から参加し、終えてからは石垣磨きもなすよてい。 友と浄土真宗のお引上げなる行事の在り方につき提言、来る11月5日がその当日で、信徒全員が公民館を宿として集まるが、わが町も一軒一軒が小振りになり40名も入る家は数件にすぎず今年予定の、宿を公民館とするを基本とした方が永続するのでhなかろうか、。ご年輩の方のご意見次第であるが。
2022.10.23
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岡崎の建国記念日奉祝祭の事務局会議が開催された。一時半よりセキレイホールにて参加者は5名。開催日は来年2月11日の午前9時よりセキレイホールにて。アトラクション案と講師案などを検討、皆さんに概要を告げながら議論いただく。過去15年の県下14会場での講師のお名前表をお示しし、次回岡崎での講師として10数名の先生案をご著書を持参して提示。いずれも岡崎建国祭講師として初めての先生を基にして選定したもの。ご審議いただき講師案を3名に絞る。昨年がコロナで講演会なしになっていたのでおなじ講師でと決まりさっそく小名木善行先生に電話にて伺いを立てた。幸いなことにお忙しきなかなれどご快諾いただけた。岡崎が決まったので早速他地区の日時案と講師案を作成して隠しの実行委員長ないしは事務局の方に希望調査や要請を入れ始めることgできる。あとはアトラクションを担っていただける学校選定など具体案の議論をすすめた。ちなみに昨日の中日新聞三河版に11月5.6日の関口長太郎先生の講演会と慰霊祭の開催事前インタビュー記事が載り皆さんに祝意の言葉をいただく。開催チラシをおわたしし、西尾市と西尾市教育委員会・地元新聞社2社の後援もいただけたことの成果が実ったと拝察、岡崎建国祭は56回目となりますが市の後援をまだいただいていないのでぜひ後援をいただけるように申し込むことになった、実行委員会は12月に開催、その時までにカラーチラシを作成しておくことになる。 おえて三ヶ根に。今日は北の部分の雑木の切り倒しをメインにして草取りや通路の掃き掃除をなす。夕刻日没まで作業。駐車場にツーリングでみえた若者が20数台のスポーツカーぽき車を並べて夕焼けをみている、車のナンバーは神戸や名古屋など、遠方から。眼下に見えるは三河湾と広大な民家の灯。六甲山の夜景には追い付かないが情緒ある良き眺めである。之もまたよし。私も隣に軽トラックを置いてながむ。近隣の方に殉国7士廟のはなし慰霊の話をする。素直な青年らでよかった。 夜仕事。何とか間に合った。朝は8時半より父の法要。娘も手を合わせてくれた。 某大学講師の方で。教科書採択にかかわって見える方と意見の相違があり議論をしたいが場の雰囲気があり反論はむずかしい。保守意識のあるかたや慰霊に積極的ン方でもおかしな歴史意識の方が多いのが残念である。なんと現役教師でさえも。いや教師だからこそか。国旗掲揚が祝日においてさえなされない有徳者の方。愛国者の中にも某朝鮮発のキリスト教団体の方も、トップが宗教を語り宗教団体をバックに反日歴史観を持たれている方も誠に残念である。 いちばんは朝鮮問題のようで。基本的な歴史意識を持っていただかねば以下まとめておく。 日韓併合の実態 1. 日本は東アジアの安定と自国の安全保障の為に仕方なく朝鮮(正式名称は大韓帝国)を併合した。 ・ 当時、大韓帝国は自らの力で国を維持して行く能力がなかった。事大主義の韓国は、その時々に強い国であった日本・清国・ロシアの保護を渡り歩いて、東アジアの不安定要因になっていた。日本は自国の安全保障の為に変節極まりない韓国を明治38年に保護国とし、次いで明治43年に「韓国併合に関する日韓条約」を締結して併合した。 ・ これより先、最大政党であった一進会は国の存続を危ぶみ、「韓日合邦建議書」を純宗皇帝と李容九首相に送り、日本との合邦を要求した。韓国皇帝純宗も日韓併合に賛成した。 ・ 欧米諸国は日本による韓国併合が東アジアの安定に寄与するとして賛意を表明した。 ・ 韓国は日韓併合を「押し付けられた」として「無効」を主張しているが、当時の国際社会常識では法的に正当である。以前、韓国は日韓併合条約を「無効」であると認めさせようとして、韓国が主導して国際会議を開催したが、当時にあっては法的に正当として韓国の主張は退けられた。 2.日本の朝鮮半島統治は植民地政策ではなく、朝鮮半島の近代化であり、民生の向上であった。 ・ 欧米諸国はアジアやアフリカの植民地を酷く収奪したが、日本は反対に毎年朝鮮歳費の15~20%を日本国民の税金から補填して、朝鮮半島の近代化と民生向上に努めた。 ・ その結果、鉄道、港湾、道路、電力などの産業のインフラが整備され、また、政治制度や学制が近代化され、今日の韓国の経済発展の基礎になった。 3.総督府が朝鮮人に朝鮮文字である諺文(ハングル文字)を普及した。その方針を打ち出したのは英明な福沢諭吉翁といわれる。 ・ 総督府は教育普及のために、下賎な文字として蔑視され殆ど使われていなかったハングルを再発見し、学校教育を通じて朝鮮全土に普及させた。 ・ その学校を、韓国統監であった伊藤博文は日本の費用で100校以上を建設した。その後、総督府は教育行政に取り組み昭和18年には5000校に達した。 4.創氏改名は強制ではなく、許可制であった。 ・ 昭和14年2月「創氏改名」を正式に認める政令を公布し、翌年の2月から半年間に届け出した者についてのみ、朝鮮人にも「日本式」の氏名を名乗ることを許可した。これは、従前からの朝鮮式「姓」をそのまま残し、「姓」とは別に新たな家の称号として日本式の「氏」を創り、家族全員が同じ「氏」を名乗る制度である。もし、希望しなければ戸主の従来の「姓」がそのまま「氏」として登録された。姓名は一族名。氏はファミリーネイム。混同してはならない、。 ・ 一部朝鮮社会が「総督府の恩」に報いる為に、日本名に名前を変えようとする過激な運動があったので、心配した南次郎総督は強制のないように3回も訓令を出してから受け付けを開始した。 ・ 洪思翊のように朝鮮名のまま日本陸軍の中将になった人もいる。 5.強制連行などはない。多くの朝鮮人は職を求めて日本に移住した。 ・ 国民を軍需工場や建設現場等へ動員する徴用は、日本内地では昭和13年から実施されたが、朝鮮半島では昭和19年9月から関釜連絡船が途絶えるまでの僅か7ヶ月間実施されたに過ぎず、徴用で来日した者はごく少数である。 ・ 昭和19年より以前は官斡旋により、職を求めて沢山の朝鮮人が日本に来た。これは勿論強制ではない。日本の統治によって朝鮮半島の人口が急増したので、職を求めて多くの朝鮮人が自らの意思で満洲や中国や日本にやって来たのである。 ・ 所謂「従軍慰安婦」の強制連行などは事実無根である。 ・ 昭和34年の外務省発表によれば、昭和14年から昭和20年終戦直前までに、日本国内の朝鮮人は100万人増加した。その内訳は70万人が自分から進んで内地に職を求めて来た個別労働者、残りの30万人は大部分が官斡旋で鉱工業、土木事業等の募集に応じて来た者である。即ち徴用で来た朝鮮人は僅かであった。在日60万人のうち、徴用で来て日本敗戦後に残ったものは245人に過ぎない。 6.日本の朝鮮半島統治による人口増 ・ 朝鮮は合邦の時代に人口が980万人から2500万人に増加し、平均寿命は24歳が48歳に伸びた。 ・ 日本が植民地統治で朝鮮人を苦しめたなら、人口が2.5倍に増えることがあろうか。 以上 明日は分家での法要に参加予定。
2022.10.22
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自由で開かれたインド太平洋戦略は、2016年((平成28年)8月に、安倍晋三総理が提唱し日本政府の外交方針となったもの。その方針が自由主義諸国の共通の方針とされレッドファシズム諸国と対峙する指針となった。戦後インドはイギリスから独立、その記念日は日本への敬意をもって日本敗戦の日である8月15日とされた。インドの独立の前には自由インド仮政府が設立された。1943年の今日10月21日のこと。シンガポールで開催されたインド独立連盟総会において仮政府樹立が宣言された。この日にチャンドラ・ボースが国家主席兼首相に就任し、ビハーリー・ボースを最高顧問に置いた。他に5人の大臣を置いた。イギリス・アメリカの帝国主義の追放を目的とする政府である、インド独立の暁には、インド国内において正式な政府を設立する予定であった。ビルマ国、ドイツ国、フィリピン第二共和国、満州国、南京国民政府(汪兆銘政権)、イタリア王国、タイ王国、クロアチア独立国が相次いで承認を行っている。自由インド仮政府は、同年10月24日にイギリスを含む連合国に対してインド独立のための宣戦布告を行った。同年11月5日東京都で開催された大東亜会議にボースがオブザーバーとして出席した。1944年には駐印イギリス軍に対する軍事作戦活動を進めるため、仮政府本部はビルマのラングーンに移転し、「インド解放」のスローガンの下にインド国民軍は日本軍とともにインパール作戦に従軍した。1945年8月15日の日本のポツダム宣言受諾表明と、イギリスをはじめとする連合国に対する降伏、その直後の8月18日の台湾でのチャンドラ・ボースの航空事故死により自然解体してしまった。9月5日にボースの遺骨は日本に運ばれ、9月7日には参謀本部の元に届けられた。日本陸軍はインド独立連盟東京代表ラマ・ムルティに遺骨を引き渡した。東京都杉並区の日蓮宗蓮光寺の住職望月教栄氏が葬儀を引き受け、9月18日にボースの葬儀が行われた。葬儀中3ニューホライズン英語では3ページにわたってガンディの非暴力運動が英文で記載されもしている。日本ではガンディ氏が独立の第一人者とされているがインドではガンディ氏よりもチャンドラ・ボース氏の方が有名とも聞いたことがある。10数年ほど前のこと、インドのボース記念館から東条閣下に正式に感謝状がだされその式典にお孫さんの東条由布子さんがその授与式に行かれましたが、東条閣下もボースをけいあいされていたという。 この記念館には安倍総理も行かれているとウィキにあった、安倍総理令夫人昭恵さんもミャンマーに学校をつくられた岡崎の皆さんをお連れしインパールのギリギリ行けるところまで皆さんをお連れし慰霊祭をなされたと同行者から聞く。ご夫妻ともにインドへの思いが強いことに感動を覚えたことをおもいだす。 インドが安倍総理亡き後も日本及び自由主義国家側に立ち中露のディクテーターファシズム国家と一線を画してほしいと願うばかりである、 朝いちばんで三ヶ根に行き雑木を切り落とし作業をなす。相当光が広がってきたように思う。 帰宅後、事務所整理。
2022.10.21
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核戦争がおきる危険性が非常に高まっている。先日たまたまテレビをちらっと見ると、ケネディ大統領時のキューバ危機について振り返る番組が放映されていた。ソ連が米国のほぼ全域を核攻撃できるミサイル基地をキューバに建設しているとの情報を得て必死に対応する歴史を再現していた。その中で即時武力で基地攻撃をなすべきと強硬に主張したのがカーチス・ルメイ。映像で姿を見るとふてぶてしき顔つき。彼がルメイか。日本人にとって忘れてはならない、そう、東京大空襲を実行した狂気の軍人ではないか。三月十日は我が国の陸軍記念日。明治三十八年、日露戦争において奉天(瀋陽)を陥落させた記念日である。その日を選んで昭和二十年には何がなされたか。 約10万人の罪無き人々を焼き殺した東京大空襲。民間人を標的にして逃げ場をなくして低空から空爆したである。原爆投下に匹敵する明らかな戦争大犯罪である、戦争犯罪と知りながら行ったのがこのカーチス・ルメイ。極悪の企画人である。驚くことに我が国は彼に勲章を与えてしまった。彼への勲章授与を画策したのは源田実氏や小泉元総理の父親。思い出すたびに情けなくなります。 学生時代わたしも源田氏の選挙応援に走った体験がありました。氏がルメイに勲章を与えるべく国に働きかけたこと、知らなかったとはいえ、悔しくてなりません。 原爆投下や無辜の日本国民を大量虐殺したこの罪をアメリカはどんなに弁明しようとも消えるものではありません。 十九年十一月二十四日にヘイウッド・ハンセル准将の指揮によりはじめられた本土空襲は、軍需工場、製油所などの目標地点のみ攻撃したが、効果が上がらず、一月二十一日にカーチス・ルメイ少将と交代。「軍需工場の労働者の家や使用する道路、鉄道を破壊することが効果的だ。」というヘンリー・アーノルド大将の意を受けたルメイは、大規模な無差別攻撃を立案、その手始めに東京を選んだのだった。 猛将とよばれたルメイは、この違法性を十分承知しており、ゆえに、一睡もせずに攻撃隊の返事を待っていたという。失敗は許されない。万が一分が悪く、敗戦ともならば、戦争犯罪として裁かれるのは必定。ルメイは後年、「自分たちが負けていたら、自分は戦犯として裁かれていた」と述べる。ルメイの前任者ヘイウッド・ハンセル少将は高度からの軍事目標への精密爆撃にこだわった故に解任されている。無差別戦略爆撃は、原爆投下も含めてアメリカ大統領たちの選択であったと断言できる。犯罪承知で。 同じ米軍内でもチェスター・ニミッツ元帥などはルメイをあからさまに批判している。ペリリュー島に於ける日本軍の見事な戦いに対する賛辞を残しているだけのことはある。ちなみに激戦地に建てられたぺリリュー神社に建設された碑(1994年に建立)には、対戦した日本軍の勇猛果敢な戦いに対して畏敬の念を持ってチェスター・ニミッツ提督の詩文とされる詩文が彫り込まれている。 「諸国から訪れる旅人たちよ この島を守るために日本国人がいかに勇敢な愛国心をもって戦い そして玉砕したかを伝えられよ米太平洋艦隊司令長官 C.W.ニミッツ」 これ以降も全国各地で空襲が行なわれ、結果多くの一般市民が犠牲となった。建前では軍施設や軍需産業に対する攻撃であるが、実際には多数の民間人(非戦闘員)が犠牲になっており、これこそ戦争犯罪である。 しかし日本政府佐藤栄作氏は、日本本土爆撃を含む対日無差別爆撃を指揮したカーチス・ルメイ少将に対し、航空自衛隊の育成に貢献したとの理由で何と勲一等旭日章を授与した。真珠湾空襲の英雄元衆議院議員源田実は当時この勲章授与を賞賛した。何たることであろう。戦勝国政府に対する極端な迎合であり、けっして看過できるものではない。 米国はその無差別殺戮を勝利への必然と強弁する。終戦を早め、日本の犠牲を最小限に抑えるためなどとさえ語り、その非道さを隠蔽する。「この空襲が成功すれば戦争は間もなく終結する。」「我々は日本降伏を促する手段として火災しかなかったのである。」とルメイ自身証言している。果たしてそうか。 ドイツの敗北後、日本の敗戦は必須。しかしルーズベルトの頭にあったのは、日本敗北のあとに起こる中国の内戦を阻止することにあった。圧倒的な軍事力確保を世界に見せ付けようとした。そのため、日本の敗戦は利用され、沖縄戦が引き起こされ、八月には原爆人体実験がなされたのである。ルーズベルトの後を継いだトルーマンは、日本降伏を先延ばしにしてウラン型、プルトニウム型の核実験を二種類とも成し遂げたのだ。戦争勝利後の最大の軍事統治力を得るがため。アメリカの野望が無ければ沖縄戦玉砕も原爆投下もなかった。日本にとって天皇・国体の護持は譲れない大前提であったことをアメリカは知り抜いていた。よって終戦交渉において、天皇保全条項の削除をし、時間稼ぎを為したのだ。 ポツダム宣言も正義をかざしたアリバイ工作でしかなかったのである。 われらは三月十日の東京大空襲から、原爆投下までを、米国によるジェノサイドとして捉えるほかない。 そのルメイがキューバ危機時の軍の指導者。核戦争勃発の危険性はマックスだった、この事態にケネデイがもしひるんでいたら米国のみならず世界はレッドファッショの闇世界に転げ落ちていた出あろう、日本の共産化も避けて通れなかったことであろう。 しかしそのキューバ危機以上に危機の真っただ中にあるのが今日。プーチンはいざとなれば破れかぶれで核兵器戦争に出る危険性は極めて高いと思われてならない。こうした中、我が国国会は驚くべきことに某キリスト教への対応ばかりを議論している、一体どうなっているのか、 改憲議論はどうなってしまったのか。いい加減にしてほしいものだ、ちなみに来年の3月10日は碧南にてW先生による講演会が実現できそうである。今日は氏神神社にて石垣磨きをなした、何とか祭りの日までになし終えたい。
2022.10.21
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今朝6時からの研修会に参加。脳科学の話であり興味深い。心はすべて脳の働きによりつくられるとする考え方。学者さんの研究成果だそうで私など凡人には審議の顕彰もできない話。かくすればかくなるものと知りながらやむに已まれぬ大和魂これなぞはどう判断すべきなのかとつい質問したくなってしまったが聞ける時間も根拠もなく伺いっぱなし。私なんぞは心が原始でその結果脳の特定の場所が活性化するのだろうと思うし、その心は意を強くすればするほど脳が動く、脳にまで刺激が到達しないですぐに行動につながる反射や条件反射があるわけだから原始は先天的にまた後天的に、かくあるべしとする人間本来が備え持てる能力や意識や意思があり、これが心であろうしその心の善悪を判断したり比較検討する過程において脳がはたらくのではとおもうのだが、例えば人からお前は卑怯だと、馬鹿だなどと言われて事実でないと思う際には怒りの感情ができるのでしょうが、その前に涙が止まらないなどの反応があるのでは。惻隠の心がひとには生まれながらに備わっている、それは潜在する意識といってよかろうしさらにその根底には民族意識がある。底流に流れ継承されえている、脳の働きが心を作り出し決めるとみるのは実はいかがかと思ったが何らの実証もないため黙すしかなかった。 しかし聡明な先生であり大いに勉強になった。 次いで三ヶ根花壇の整備。昼から豊橋陸軍墓地の草取りをなし、ついで東田の御嶽社の垣根剪定作業。ここまで伸びているとは驚いたが、何とか6・7割は完成。家から呼び出しがあり4時半に終了。地元の神社の石垣磨きは日没のためできず。明日に回すことに。
2022.10.19
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朝日新聞より 岸田首相、靖国神社に真榊を奉納 参拝は見送り 秋季例大祭 岸田文雄首相は17日、東京・九段の靖国神社で始まった秋季例大祭にあわせ、「内閣総理大臣 岸田文雄」の名前で、供え物の「真榊(まさかき)」を奉納した。靖国神社によると、閣僚では加藤勝信厚生労働相が真榊を奉納したほか、西村康稔経済産業相が14日に靖国神社を参拝し、私費で玉串料を納めたという。 首相は昨年秋の就任以来、春季と秋季の例大祭にあわせて真榊を奉納。8月15日の「終戦の日」にも代理人が自民党総裁として私費で玉串料を納めている。いずれも本人の参拝は見送っている。引用以上 総理の靖国不参拝、いつまで不参拝は続くのか。三ヶ根には巨大な「万世太平」の碑がある。終戦の詔勅において「万世のため太平を開かんと欲す」と国民に示された昭和天皇の思いを受けて作られたものと思う。靖国の英霊も日本の神州不滅を信じ国家の命を受けて祖国のために散華為された勇者。その後世を託された総理が参拝もなされずその栄誉を称えることもなさずにいる。この情けない姿をいつまで見せつけるのであろう、こう憤慨しながらいてはっと思った。自分はどうなのか。 靖国参拝ができるときはいつも神社に箒をお借りして清掃作業をさせていただいていたがしばらく行けていない。三ヶ根参拝と清掃奉仕はほぼ週に5.6っ回行かせていただいているが、神社参拝は護国神社すら行けていないではないか。私も口だけであった。もっと神々に感謝をせねば、世の中、ますますおかしくなってしまう、 朝7時に氏神の比曾天神社周辺の掃き掃除をなす、さらに2か所の階段登り口の砂落としなどをなす。周りの石垣の泥落としと拭き掃除、側面は泥を落とせばよいが上部は真っ黒になっており、緑のコケもチラホラ。神社周りの4分の一ほどの石垣を寄贈して40年ほどたつがその間わたしは一度も拭き掃除をしていなかった。よってこびり付いた黒色がブラシでこすってもなかなか取れない。さまざまな場所で慰霊碑や墓石の清掃をしているのでわかるがひどくなると緑のコケを取り去るのは大変な作業となる。そこまで放置してはならない。いつも何とかしなければと思っていたが時間なく素通りしてきた。しかし昨今多くの方が三ヶ根や陸軍墓地清掃に参加くださるようになり私も心の余裕ができ始めたのだろう。我が氏神は家康公を必死にまもられた大久保一族の皆さんも当然世の平らぎ、武運長久を祈られた神社。思い立ったが吉日。後回しにしてきた氏神様をおろそかにしていてはならぬとさっそく今日から行うことにしたわけである。むろん短時間では到底無理、もっと計画的にやらねば、9時にとりあえず終了、三ヶ根作業に向かう、12時半に三ヶ根につく。今日も土木作業と雑木の切り倒しをなす。崩落地をあきらめ新たに購入したべニアと杭でがけ部分と通路との境界をきれいに作り直す。前より狭めの平地となったが。見栄えもよくなり満足。 明日は起きられれば6時からの経営者セミナーその後の三ヶ根作業をなしてから氏神神社をなしてみたい。
2022.10.19
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昨日は朝廃品回収。のち9時から12時過ぎまで仕事、2時から元台湾日本人学校教頭先生とお会いして関口長太郎先生につきお教えいただく。貴重な資料「台湾における六氏先生の功績」見上保著 等を お貸しいただく。後、三ヶ根にて作業。四時過ぎにI氏が国旗降納にみえ、「杉田さんの誤診すぇきの方が先ほどまでゆうとぴあにお越しでしたよ。」とおっしゃるので電話してみた。すでに家についたようで電話にて礼を述べる。同じ三ヶ根でも場所は私はいつも殉国花壇の作業であり、知人がみえても会えない時がおおい。あっていれば現地で説明ができたのに、残念でした 僕らの花壇に実に多くのアカギマダラが飛来してくれている。子供らも網を片手にワイワイ歓声をあげながら追っかけている、この体験は貴重でありますがしかし蝶を傷つけないこと落ち帰りしないことを要請。大切な蝶であることを理解していただく。 作業は花壇の数減らしと通路などの水平化。どうしても大量の雨がながれると土を削りs崖と平地との間の土をながしてまう。まだまだ低地二盛り土をしなくては。 夜、自宅に帰る、大きくなったカキの木が車の侵入の妨げになりカキの実が落下しだすと下の車の被害も極めて大きい。よって一本の巨大なカキの木を小ぶりな背丈も二メートルほどの木になるように幹や枝を伐採。大変な作業であった。 本日は来年二月の建国祭実施の計画つくりをなす、ちなみに豊田市・岡崎市・安城市知立市や高浜市刈谷市などでの日時や講師等について方針など概要案をきめる。今後他の会場も計画案つくりにはいり今週末までにおおよその実施会場案などを決めたいものです。むろん日時決定や講師案を複数維持する段階。。岡崎が決まれば次々に決めていけますが、何とか来週中には連絡会実子案が出せるようにしたいとねがってますが、なかなか流働的で悩むところです。 二宮金次郎先生像の三河地域の全部の写真入り書籍を豊田のS先生にお読みいただいたところ、岡崎と世他紙で二体がまだあるとメールをいただく。学校ではなく個人やお寺での設置。もう少しの方にもていただき作者先生にお知らせできればとおもう。素晴らしき研究書籍ですので多くの方に購入ていただきたいものです。本日は雨のため三ヶ根行きは中止。読書三昧。宮城谷昌光氏の新三河物語上中下を読了、これは面白い、家康公の晩年の大久保一族への冷たい対処が残念でならないが。彦左衛門の書物三河物語がもしなかったなら大久保一族の成しえたことすらのこらなかった。書籍の重要さを痛感しながら面白く読ませていただいた、来年NHK大河ドラマでどのような家康像が描かれるか楽しみであります。
2022.10.17
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