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明後日はいよいよ岡崎学習会。名古屋氏市ご出身の松井石根大将はこれほど慈愛に満ちた軍人はいないほど道義心や豊かな方でありながら南京事件を偽造されてその罪に服された方。A級として起訴されながら当然証拠もなく捕虜虐待も断じてしてはならぬと厳命。部隊の規律を保たれた大将。しかし東京裁判では捕虜虐待兵が出たとされそれを止めることが出来なかったとのでっち上げた罪でB・C級での有罪として絞首刑にされたのでした。 愛知から多くの将兵が南京城入場をされ、全く虐殺などはなかったことを証言されてみえます。名古屋市の河村市長も父上からの話から捏造と断言。これは両国の将来にとって大切な史実と伝え続けてくださっています。私どもも南京事件はなかったとの多くの証言をもとに史実の捏造はならぬと松井石根大将の慰霊祭をコロナ期を除き名古屋駅の西にある椿神社にて開催してきました。リニア駅建設のため作年まで慰霊祭を中断しておりましたが今年度は岡崎講演会を使って慰霊祭と講演会を開催します、来年からは名古屋に戻したいですが・是非ご理解賜り、学習会。慰霊祭・講演会にご参加たまわりますよう。ご案内します。朝6行った時過ぎに外回りの清掃、木の葉だけで5袋。清掃作業中に雨が降り出し、ここだけは行ったが三ヶ根行きはあきらめた。途中だった国旗国歌チラシに配布団体名を印刷。母が調子が悪く急遽病院に連れていく。何度も倒れて痛みが取れずにいながらすぐに畑仕事に出てしまう。さすがに今日は医者行に同意してくれたので手当が出来て安心。それにしても92歳で畑仕事になってもまだ動けると体力を過信するのはこまりもの。元気であるのはありがたいが体力を認識しておいて欲しいものだ。12時より西新本店にライオンズクラブの会合がありその場にて関口長太郎先生のご紹介と漫画本作成の紹介に同行。なんと野の場で資金援助を下さる方も見えた。誠にありがたきことである 明後日の学習会の講師の磯部先生と話す、」14年前の慰霊祭初期からご参加くださった先生。先生の会社の後輩の方が平坂小学校ご卒業で、関口先生のことを話されたそうでそんなにご立派な先生が母校の校長でみえたことに感激くださり来年にはぜひ参加したいとおっしゃったと伺う。こうして広がりが出来れば、西尾の偉人としての認識も深まるであろう。うれしいことであります。 市役所教育委員会にも行き完成した段階での書物の配布計画などを相談させていただく。何とか資金のめどを立て漫画本を充実したものにしていきたいものである。明日花の購入に行きます
2023.11.10
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朝久しぶりに家族と向き合うことが出来た。妻と買い出しに出たり、家の整理をしたり嫁いだ娘の池の庭の草を隅々まで取った、一つになったばかりの孫が喜んで庭に出て伝わり歩きをする様子を見たりと、ゆったりとした貴重な時を過ごした。3人の孫の日常を見ながら昨日までの焦りの中にいた時間とは打って変わった時を満喫させてもらった。振り返れば関口先生慰霊祭や三ヶ根花壇整備や町内の側溝清掃や旦那寺の当番作業。国旗掲揚活動などのあわただしい中で教育大行事をも成し遂げるという緊張感の中で過ごしたこの一週間。これと比べ何たるのどかな一日か。むろんその中で私の仕事も人並みにこなし、活動も。県下建国祭の立案をなし、午後一時からは岡崎の建国事務局の会議を開催し、ご了承をいただく。久しく学習会に見えなかったYさんとお会いし活動報告と今週日曜の会議参加の要請をなし同意していただく。学習会資料の作成と印刷。高校訪問などもこなす。孫の時間差での英語塾への送迎も。さすがに三ヶ根作業には行けなかったが。明日はさすがに三ヶ根参拝と清掃にはいかねば、しかし10時半には帰宅して来客を迎えねばならぬため日の出とともに三ヶ根行きをなす予定。夕刻には仕事を早めにさせて頂き西尾での慰霊祭総括会議参加予定、ゆとりの一日は間もなくおわりそうである、
2023.11.09
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激動の時代に突入した感あり。経済力はドイツにまで抜かれジャパンアズNOワンの時代は遠き昔の話となり、日本の再生はみえてきそうもない。何とか若者に日本の再生を託さねばならぬがそれには再生の方向性を打ち出さねばならない。 大人が版を示さねば。 日本が勤勉や礼儀、徳や仁の心を取り戻し、本来の姿を取り戻していけるように今、意識ある皆さんの英t義を結集し、再生の道筋をつけておかねばならない。こうした思いが日々募るのだ、 毎月の学習会で皆さんの声を募り、様々な活動をなしてこられた。まだまだ前途は厳しいが少しずつ世は変わりつつある。 今月の学習会は12日に開催。 志ある多くの皆さんがご参加くださることを心より期待します 開催場所、 岡崎市上和田町南屋敷の上和田公民館。12日5時から7時です十一月十二日(日) 岡崎学習会議題① 関口長太郎慰霊祭報告と漫画本作成現状・資金調達について 開始15年 第14回慰霊祭開催 11月4日(土) 資料90部作製 参加者約50名成果 校長会協力・台湾世界遺産。李登輝友の会協力 小5から中3まで市内全生徒へ漫画本配布による広報の拡大 マスコミ報道 検討課題と課 主催・共催団体の拡充 ライオンズロータリー青年会議所など 士林小学校と士林小学校、日本国内小学校との連 西尾市と士林区との公的交流 ・姉妹都市提携 産業提携 高校修学旅行先の台湾化推進 芝山巌を含む台湾研修旅行企画。企業社員旅行推進協力 令和八年(または七年末)の芝山巌事件一三〇年祭について 西尾小 関口先生学芸会の再演・田中 関口先生紙芝居・田中ふみえ先生DVAの道徳授業での利用をお願いする 漫画本贈呈式 一月二八日午前九時半 一〇時より一二時⓶皇室尊崇の活動現状及び予定 明治節(文化の日)・新嘗祭(勤労感謝の日) 奉祝活動の取り組み 国旗国歌チラシの配布。主要神社での無償配布(紙製小旗) 地久節(皇后陛下お誕生日) 12月 9日 大正天皇陛下 慰霊祭実施のご案内 12月25日 中島町 八幡社大正宮 11時集合 篠宮文仁殿下お誕生日 11月30日 愛子内親王殿下お誕生日 12月 1日 地域祭礼復活と深化支援・祭伸の確認と意義、雅楽の演奏など 小旗作成実践と国旗掲揚運動の推進について 掲揚ストリートの拡張 国旗販売、国旗配布など 国旗国歌チラシとりあえず一〇〇〇部取り寄せ③ 柄慰霊活動の現状と推進について 三ヶ根山の環境整備と花壇など 豊橋陸軍墓地清掃 ・護国神社清掃 地域神社清掃など 開戦記念日 12月 8日(金)十二時④ 教育運動について 学校教育と半旗掲揚 黙祷 教委への要請 歴史学習の推進 井上寛康氏「亡国の歴史教科書」の読み合わせ 「子供達に知ってほしい日本の歴史」冊子化と配布蚊t求道 中曽根先生著書製本と無料配布 ⑤ 署名活動・陳情活動の現状と提言 憲法改正運動 イスラム教徒土葬問題・共生の在り方について 意見書提出 陳情書例 自衛隊 議場国旗掲揚 首相談話 朝鮮総連 賀詞決議⑥ その他 活動報告事項・提案事項・その他 資料 岡崎の偉人 冊子 ⑦ 来年度建国祭ついて 別紙講演の部 「南京事件はなかった」 講師 磯部和郎先生文化の日(明治節) 11月 3日汪兆銘閣下ご命日(19年) 11月10日横田めぐみさん拉致 11月15日松陰先生ご命日 11月20日勤労感謝の日 11月23日三島・森田両烈士慰霊祭 11月25日ハルノート(16年)最後通牒 11月26日秋篠宮文仁殿下お誕生日 11月30日愛子内親王殿下お誕生日 12月 1日開戦記念日 12月 8日地久節(皇后陛下お誕生日) 12月 9日 松井石根閣下南京入場 12月13日上皇陛下お誕生日 12月23日殉国七士慰霊の日 12月23日大正天皇祭 12月25日 中島町 八幡社大正宮 11時佳子内親王殿下お誕生日 12月29日昭和天皇祭 1月 7日 八王子 武蔵野御陵成人の日 1月9日土屋長吉慰霊祭 1月11日 11時 岡崎市上和田町公民館前国旗制定記念日 1月27日孝明天皇祭 1月30日 11時 玉鉾神社北方領土の日 2月7日建国記念日各地にて 2月11日竹島の日 2月22日今上陛下お誕生日(天長節奉祝) 2月23日 岡崎シビックセンター2.26事件 2月26日
2023.11.07
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朝6時より昨晩抜き取り歩道に積んでおいた側溝の草をゴミ大袋に入れにいく。全部で20ふくろあまり、昨日取り込んだ分を入れればおよそ30袋となる。問題は草取り後の側溝の土をどうするか、相当の泥を取り除かねばならず、これがたいへんな作業。7.8年間で2度ほどここの側溝につもった泥の撤去をしたが、その時は町の役員だったため、立場上一人でどぶ掃除を行ったが、もう役員を終えた今はその権利も義務もない。やはりここに排水されているテナントさんにやっていただくのが本来であるが。その要請の権限は今の町役員さんしかないため自治会総代さんのお宅にまで行き再度の要請をお願いした。碧南市で開催された恒例の教育をよくする会の幹部例会に走る。9時半より12時まで開催。4日に開催された台湾教育に殉職された西尾小学校初代校長関口長太郎先生慰霊祭の報告や、歴史教科書問題、県内各所にて開催計画の建国祭検討などを行う。慰霊祭には30名ほどの方から玉ぐし料をいただけたので何とか赤字は解消されたようには思うが詳細は日曜には提示される予定。先日の京都での合宿研修にてお会いした堺市の代議士さんが秘書さんにチラシを見せてくださり個人的ながらも秘書の藤島氏が慰霊祭に参列くださったことなど思いがけないできごとが多く誠にうれしき慰霊祭となったことを期しておきたい。西尾地元紙の二紙に大きく記事が載りクラウドファンディングの案内も取り上げてくださったので書籍発行に何とかこぎつける可能性が出てきたように思われる。関係者の皆さんのご努力には本当に頭が下がる。慰霊祭開始後15年の積み重ねの大きな成果である。いかに日本人の価値観を取り戻すか。永年、会の事務局長をになってくださった井上寛康さんが出版された「「亡国の歴史教科書」(展転社)の内容が歴史継承の要諦を的確にとらえているので岡崎の学習会資料として30冊を取り寄せ読み進めることを報告、また今まで発行してきた「子供たちへ教えたい日本歴史」ちらしの製本かも審議、了承されたのでさっそく作成に取り掛かることにした。まずは会員向けの学習資料化を図る。更に三島森田両烈士慰霊祭関係。大正天皇慰霊祭1月7日の昭和天皇大正天皇陛下御陵参拝予定や勤労感謝の日(新嘗祭)へのとりくみ予定等の報告や審議kなど多岐にわたる話し合いができた、12時終了後に三ヶ根に走る。昨日の奉仕会の皆さんの清掃のおかげでさらに花壇の整備が進んでいるのを見て大いに感謝。私は都合で参加できなかったのでつも滅ぼしの草取り作業を為す。4時過ぎに雨が降り出したので終了。花壇への水やりをやらずに済んだ。6時、西尾にて事務局打ち合わせ。会実施の反省と早急に会計処理をすまし事務局に提出できるよう進めることを確認。帰宅して諸資料整理。青山周平文部科学副大臣の伊勢神宮参拝バス旅行に参加の要請を受け同意して集金に応じる。明日は岡崎建国祭の事務局幹部会。これは最重要テーマ。万全を期したい。
2023.11.07
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朝教育関係の集いに参加。現場教師の声を聴く。基本、学校教育に学ぶだけではもう学力の向上や定着は望めない。学習塾は必要不可欠。少人数化が学力向上につながる切札というわけではない。など様々にな貴重な議論がなされた。 地元の中学で長男の中三の時の数学を教えてくださった先生の教育指導力は極めて優れたものがあったと記憶しているが、その先生は今大学教授になられたと聞いた、なるほどなあと納得。当時先生のおつくりになった定期テストは相当ハイレベルであったが標準の学力を持った生徒がどんどん解いていくのを聞いて教育力はすごいじゃただなあと思ったことがある、問題に子供たちが食らいついていくのだ。塾講師の先生並みの学力は十分お持ちだし、生徒にやる気を起こさせる緊張感つくりの能力が備わっているのであるから鬼に金棒。あの頃の岡崎高校は公立ながら東大へは楽に30名は入り公立では全国一の合格者を出し続けていた、数学に限らず様々な教科で緊張感があった。岡崎高校合唱部は世界大会で連続優勝。やはり緊張感がみなぎっていた気がする、付属中学は先生が必死に研究を進め寝泊まり自由。高度な教育が発信されていた、優秀な先生は2.3年付属に転出して教育技術の磨きをなされて普通中学に戻り教育を引き上げるスタイルがあった。しかし10数年前から土日は校舎に立ち入り禁止。エリート教師育成のシステムがなくなり一気に指導力の低下が叫ばれてきたのではなかったか。 働き方改革により締まりのない学校教育が始まったのでは。ならばクラスは同レベルの学力を持った生徒を50名ほどにして中tがーを配置して個人個人を見させて本道は外さぬ授業をし続けるのがよいのでは、等の意見も出された。要は先生の情熱を授業に出しうるものにしていかねばならないのでは。そんな結論を得たように思う。 昼から主に息子に某スーパー周辺の歩道両側の草取りをなしてもらい5時ころから私が行う、8時近くまで行いおよそ200メートルの長さの側溝内の草の列挙を成し遂げた、都合で三ヶ根清掃も豊橋陸軍墓地k清掃も参加で木津誠に申し訳なかったですが何とか側溝清掃の大目標だけは終えることがcできた、」
2023.11.05
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3にち文化の日には真夜中までかかって国旗掲揚。5時間ほどかけて掲揚に走る。これだけかかった理由は掲揚場所の数か所で」草が生い茂っていたのでその草取りを進めつつ掲揚を行っていったから。商店街のご理解のおかげで500本の国旗の掲揚が出来ているのでその街路灯の下などは極力草取りをさせていただいた。さらに康生通りでは夜中の12時を過ぎてからも大音響で騒ぐ。ノーヘルバイクの青年が歩道を走ったり無灯火の自転車で車道上でUターンを繰り返したりと若者のはみ出し行為に対しを3台のパトカーが追いかけ一人を補導した模様だが私は無灯火は違法と注意しただけで作業優先。まあ非常識な青年はいつの世にもいる。残念だが。 3日は明治天皇のお誕生日。心静かにお祝い申し上げようとトラブルの回避を優先。 当番の経読みを置いた母に託し、家の仕事をせずに午前中だけは三ヶ根の水やりと清掃奉仕に出させてもらう。 帰宅してサツマイモ掘り。おえて4日用の資料作成を必死に成す。これは大変な作業。90セットを完成させた。 夜9時過ぎに終えたので、それから国旗掲揚に入る。4日。 朝二時に国旗収納完了。しかし休まないと。朝倫理法人会にご挨拶にいく。車の清掃。国旗をまとめ掲揚、収納時に草取りをした草や泥を落とす。ああ、忘れてはいけないが今朝は女性の車が道路の車止めを乗り越えて動かなくなっていたのをうまくきずをつけずに救い出した世への貢献をなしていた、それも遅れた一つ。 さて、その後に説教所のお参り。オブクさん係をなす。ご飯を盛りつけて飾り、経を読む。すぐに清掃に走る。 なんと天理教のメンバー七,八人が清掃に駆けつけてくださっており清掃功労者金原氏と話して見える、何とありがたき支援であろう、小学生も三名。時間を見つけて算数のゲームを教えたり一次関数テクニックを身につけさせたりと清掃奉仕のお礼をする、 金原さんの人徳は素晴らしい、天理教の皆さんの協力でパイプ椅子五0脚ほどを一気に倉庫から取り出し並べていただけた。さらに清掃も完璧、柏原氏の用意したおにぎりを皆でほうばる。1時定刻前に皆さんがお集まりになっており受付も順調。新聞社の写真撮影も終える。なんと第2回目だったかの時に来ていただいていた井上清和先生もご出席があり大感動。皆さんにご紹介させていただく、 文部副大臣の青山周平先生が開会前にご挨拶をされて移動。慰霊祭を開始した当初からの来賓ご出席。今回の慰霊祭は14回目。先生は当初からご出席くださっており私にとってはもう同志。戦友ともいうべき存在になっている。 いよいよ慰霊祭開始。ほぼ時間通りに式典は進行。代議士秘書。県議のご挨拶や元県議のご紹介なども順調に進む。 私は資金援助担当とお寺の受付担当。式典での玉串奉奠の途中から移動してお寺の法要会場の受付に入る、 こちらも素晴らしく進んでいく。山本市議の台湾研修報告田中ふみえ先生の語りなど素晴らしきこと限りなし。今までに最高の感銘を受けた法要であった。お墓でのお参りも順調に進み3次会へ。堺市から駆け付けてくださった代議士秘書のF氏、埼玉から急ぎかえって駐車場係の裏方に入ってくれたK氏も漫画作成の植わ先生もご参加くださった。 大変な一日であったが15年間の積み重ねの成果であると思うと私も世のために少しは貢献できているのかも知れないと少しばかり誇らしく思えた一日であった。
2023.11.05
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関口長太郎先生慰霊顕彰祭・法要ご案内日時 令和5年 11月4日(土)受付 開始12時半 13時より16時第三部 慰霊・顕彰・奉納演奏 1時より1時50分 愛知県西尾市 西尾小学校裏 顕彰碑前西尾市錦城町229歴史資料館向かい 奉納演奏 川島憂子氏第四部 慰霊法要・語り・墓参 2時半より4時 盛巌寺(せいがんじ) 西尾市馬場町70 駐車場 西尾クリニック語り 田中ふみえ氏「関口長太郎伝」なお、運営委員他希望者は場所を変えて慰霊碑近くにて反省会検討会を予定、関口先生の漫画本作成中です、早急に資金を必要としています。ご協力者を募っています、。クラウドファンディングを実施中です。 台湾教育 芝山巌精神に殉じた教育烈士をおもう 文部省学務部長心得であった伊沢修二先生(元愛知師範学長)は、初代の台湾総督の樺山資紀に、教育を最優先すべきと具申し、六人の志ある人材を連れて台湾にわたった。楫取(かとり)道明、関口長太郎、中島長吉、桂金太郎、井原順之助、平井数馬の各先生です。先生達は、台北市内、士林の芝山巌に学校を開設し教育をはじめた。関口先生は西尾小学校の初代校長、平坂小学校の2代目校長(一説では4代目校長)楫取先生は吉田松陰先生の甥である。植民地統治を教育から始めたことは世界にも例のないことです。しかし何とこの六名の先生が非命に倒れられたのである。一八九六年(明治二七年)正月一日のこと。 六士先生の教育に対する情熱、精神は明治天皇の一視同仁の教育実践そのものであり、多くの人々に感銘を与えました。その精神は「芝山巌精神」と称され、台湾の人々の間に語り継がれてきました。 昭和五年には台北市に芝山巌神社が創建され、六士先生をはじめとして、台湾教育に殉じた人々が、昭和八年までに三百三十人祀られた。そのうち、台湾人教育者は二十四人を数えた。 また、「六氏(士)先生の歌」がつくられ、時の首相、伊藤博文揮毫による「学務官僚遭難之碑」も建てられるなど、六氏先生の精神は台湾の学校教育の原点となっていったのである。 日本による新しい教育を台湾に導入したことによって、伝統的な書房や私塾は次々と没落し、台湾は公学校を通して新しい知識である博物・数学・歴史・地理・社会・物理・化学・体育・音楽等を吸収し、徐々に儒家や科挙の束縛から抜け出すことができました。そして世界の新知識や思潮を知るようになり、近代的国民意識が養成されました。 1925年には台北高等学校が成立し、台北帝国大学は28年に創立されました。名古屋大学(第八高等学校)創立より前に見学されたのでした。台湾の人々は大学に入る機会を得ました。直接内地である日本に赴き、大学に進学した人もいました。これによって台湾のエリートはますます増え、台湾社会の変化は日を追って速くなりました。 芝山巌教育・精神によって 時間を守る、法を守る、金融貨幣・衛生・新しい経営観念が徐々に立派な「新台湾人」を作り上げていったのです。ところが、大東亜戦争後、台湾に乗り込んできた国民党は、神社、石碑、日本人の墓を次々と破壊、この碑も倒され、そのまま野ざらしにされた。日本では関口先生らの教育実践の存在は全く語られなくなってしまっていたのです。 しかし、李登輝政権の誕生以降一連の台湾民主化の動きが進む中で、六士先生の精神を復権する動きも高まり、芝山巌学堂が開かれて満百年にあたる平成七年には、芝山巌学堂の 後身である士林国民小学校で、日本からも多くの卒業生、遺族、教育関係者を迎え、開校百年記念祝賀式典が盛大に開かれたそうです。 また「六氏(士)先生の墓」が新たに建て直され、その後さらに「学務官僚遭難之碑」も再び建て直されもしました。日本統治の時代が正当に評価されるようになってきたのである。 関口先生が常に語られていたという「仆(たお)れて後已(や)む」「教育は命がけでなさねばならぬ」の芝山巌精神が台湾に息ついており、親日の度合いも東日本大震災にあっては全世界からの支援金の半数を超える250億円が台湾の皆さんから我が国に送られるなど奇蹟とも言うべき友愛の深さを感じます。 私どもが関口長太郎先生の顕彰を始めたのは一五年前。関口先生がお生まれになった一八五九年(松陰先生の没年)から数えて一五〇年を機に開始いたしました。 昨年の顕彰講演会には西尾市および教育委員会の後援をいただき、今年は先生の漫画本を一万余冊を作成。市内小中校小学五年生以上のすべての児童・学生に配布の予定です。 以下、西尾小学校横の石碑の文面を書き下し文にして、意訳をなしていただいた。お願いしたのは井上寛康先生。 故関口長太郎君碑銘 所在地 大字錦城西尾共圜内 碑大サ 高サ五尺幅三尺五寸君の諱(いみな)(*1)は棟通、長太郎と称す。旧西尾藩士関口宇左衛門の第二子なり。母は安丸氏。君は夙(はや)く藩学に学ぶ。維新後名古屋に赴く。佐藤牧山の門に尋ね入る。愛知県師範学校卒業の後、訓導(*2)に任ず。在職は前後十有八年。明治二十八年台澎諸島(*3)我が版図に帰す。官学務部を置く。これに隷(したが)って総督府、斯(こ)の民(たみ)を教育せんと欲す。広く有為の士を求む。君奮然(ふんぜん)と之に応ず。台湾の地、気候炎熱(えんねつ)瘴(しょう)気(き)人を侵(おか)す。加うるに土匪(どひ)の乱を以ってす。人皆往き難し。君曰く、死生(しせい)命(めい)有り。何ぞ海の内外を論ぜん。遂に赴任す。時に余(よ)学務を督(とく)す。君余を輔(たす)くるに尤も力あり。明年歳旦(*4)、将(まさ)に総督府に賀正す。途(みち)すがら土匪(どひ)の襲撃に遇(あ)う。挺身奮闘、手ずから二賊を斬る。然(しか)れども衆寡敵せず。遂に之に死す。距生?安政六年十一月十一日、年を得て三十八。伊藤氏を配す(*5)。先に歿するに一女有り。尚(なお)幼し。其れ、台湾に在り。国風一章を風して旧僚に寄す。曰く、教へ子の餓へを忘るるひまもなし学びの道を思ひやるにも。其の訃の至る。郷人痛歎す。争って醵金(きょきん)し、之の墓碑を建てんと欲す。則ち其の平素知るべしなり。夫れ教育の業、宜しく十季を期す。君志(こころざし)を齎(も)ちながら中道にして歿す。誠に惜しむべきなり。頃者(このごろ)郷人書を寄せて余に文を索(もと)む。余(よ)為(ため)に其の梗概を此(かく)の如(ごと)く叙す。銘に曰く。 進んで険を避けず 国に報ゆるに志を為す 苟(いや)くも其の所を得ば 庸(なん)何(すれぞ)死を恤(あはれ)まむ貴族院議員 従三位勲三等子爵 松平乗承篆(てん)額(がく)(*6)前台湾総督府学務部長貴族院議員正五位勲四等 伊澤修二撰文 南巖 中川衡憲 書(*1)「諱」は死後に尊んで付けた称号。謚(おくりな)(*2)「訓導」は小学校教諭のこと。(*3)「台澎諸島」は台湾とその澎湖諸島のこと(*4)「伊藤氏を配す」は伊藤氏の女を妻とした(*5)「歳旦」は正月(*6)「篆額」は篆書で題字を書くこと平成二十二年五月二十日 井上寛康 読み下し。学浅く不明の字多々あり、推測を以ってす。墓碑の概要関口長太郎は西尾藩士として生まれた。若いときから勉学に励んで、愛知県師範学校を卒業すると小学校教諭になった。その頃、日本領になった台湾の原住民を教育するため、台湾総督府が志のある教員を募集した。関口は十八年間小学校で教えていたが意気込んでその募集に応じた。台湾は気候風土が厳しく伝染病が蔓延する土地だから、人は避けて行かなかった。しかし、関口は死ぬも生きるも天命だから、死に場所は何処でも同じだと考えて応募した。そして、台湾で原住民教育に励んでいたが、元日総督府に新年のお祝いに行く道すがら、暴徒に襲われて死んでしまった。関口は安政六年(一八五九年)に生まれ、三十八歳のとき伊藤家から嫁をもらった。その妻は幼い子を残して先立ってしまった。今、台湾に居て和歌を詠んで昔の友達に送った。「いかに子供たちに教えようかと考えていると、教え子たちのお腹が空くのも忘れてしまうほどだ。」 関口死すの知らせを聞いた郷里の人々の歎きは限りなかった。誰も彼も募金して墓碑を建てようとした。このことで関口の良き人柄が知られる。十年間台湾で教育に携わろうとしたが、志半ばで死んでしまった。郷里の西尾の人たちから関口を顕彰する碑を建てるから、その碑文を書けとしきりに頼まれたので、この墓碑を書いた。その墓碑に銘はこうである。進んで危険を顧みず、国の御恩に報いるために私は信念を貫いた、もしその為に死に場所が得られたならば、どうしてその死を憐れむことがあろうか、本望である貴族院議員 従三位三等子爵 松平乗承が篆書で墓碑銘を書いた前台湾総督府学務部長貴族院議員正五位勲四等 伊澤修二が文章を書いた 南巖 中川衡憲が本文の字を書いた 以上昨日三一日はお墓の花替えお寺でのオブクさん係を行う御経読みを行った後町内某大型店舗の周辺の歩道の両脇の側溝の草取り。農協さん管理の駐車場の草取り、西尾の関口先生慰霊碑の有る公園草取りと娘の家の草取り等を行う。某店舗は町から草取りの要請をしていただいていたが、なぜか一か月の猶予期間を過ぎても何ら手つかず。よって町に公言してしまった手前私が行うしかなかった。しかし半分も進まずに中断。またもや母が出先で折れてあまを打ったとの知らせ。帰宅して休んでもらう。学習用資料二種類を印刷製本。そして夕刻から仕事。今日は御飯がたけていなかったためオブクさんつくりと読経を母にまかせ七時より三ヶ根作業。昨日水やりを怠ってしまったので今日は念入りにする。今日のメインは石額の草取りと側道の整備。バイク部隊が三〇人ほどきて時折バイクで西域の中を走りまわる。抗議をしようと向かうが皆さんがすぐに隊列を組んで帰っていくので話が出来なかった。静謐にすべき聖域を爆走するなど許されぬ行為。次回があれば即時に抗議したい。明日は寺院の餅の作成 の係りのしごとが。本来西尾市長と僕らの会合のなのだが行けそうもなく残念である。
2023.11.01
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昨日は朝8時より我が家の宗門寺院のお磨きと清掃。妻の都合で私が参加した。何分初めてであったが、実に楽しい作業。黒くなった仏具が見る見るうちに金色に蚊かがいてくる。魔法を見る思いである。こうして信徒の尊崇の念を維持してきたのだろうが、掃除に学ぶ貴重な体験であるのも事実。終えて境内の草取り。20数人が黙々と草を取り続けるとこれまた一気に生まれ変わったように寺の装いが変わってくる。心が磨かれてくる心地がする。 私は三ヶ根にテ作業があるため無理をお願いして中座させていただく。 三ヶ根についたのは11時半ほどか。多くの皆さんが慰霊祭を終えて各自参拝に入っていた模様。はるばる長野から木々の伐採や清掃にお越しくださったご夫婦も私が遅れた井足新築の入り口広場の残っているササを一部切り取ってくださっていた。ありがたいことであります。 多忙な方で急なご予定でもあったのだろう。残念ながら用意してきた関係書類や寄贈よていの布製国旗を持ち帰ることにした。 帰宅後は母の世話と孫の世話と読書。今朝は日の出とともに三ヶ根に。昨日お願いしておいたササ林の撤去を終える。さらに今週植えたばかりの芝桜の水やり、バスでお見えの団体の方への案内などを行う。作業のメインは草取り。2段目の慰霊碑の裏面に繁茂する雑草の撤去など。水やりは配管が割れて花壇側の水道が使えないため通路広場反対側のラバトリーの水をポリタンとじょろに入れて運びかける作業、これがたいへんである。たいして土も湿ってこない。植えたばかりの芝桜も水なしでは根付かないからチョンボはできない。
2023.10.30
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朝5時から朝起き会参加。6時少しすぎから倫理法人会に参加する。急ぎあま市の知人の会社に用意していただいた竜のひげをいただく。名古屋駅にて行われた憲法9条改正のチラシまきに参加。中座して西尾の岩瀬文庫のブックフェステイバルに参加して書物購入。2時過ぎに三ヶ根に走り竜のひげの植え込みをする。5時西尾駅近くのアクセインス西尾ホテルに長野からのご夫婦をお迎えし場所を変えお話しする。明日朝の三ヶ根清掃を行ってくださる方。お話すれば素晴らしき愛国者で知行合一の最たるかた。驚きであります。しかも私の高校時代の友とごく親しき立場にあられるとのこと。まつもとにて旅館を経営しているわが友を大いに気に行ってくださっているようでびっくり。世の中なんと狭いものだと驚く。わが友が褒められるのは実にうれしいことであります。明日は私が行けるのは昼あたり。午前中は地元のお寺の当番で致し方ない。終わり次第駆けつける予定です
2023.10.29
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道の友誌に載った福永武氏の提起「養子案」についての提言―を読む。旧宮家の功績復帰に至る一連の手続きの中で最も懸念されるのは天の言う陛下の思し召しをよそに事が進んでしまふことである。皇室の重大事であり向後百年、二百年の皇室の未来を決するような歴史的決断が勅許のないまま下されるのはわが国体に照らして受け入れがたいものである。国家としての本義を誤まらぬためやはり学ぶべきものは先人の叡智であり、歴史の中から最善策を探ることが何より重要とならうと提起され様々な例を出されこのような歴史に鑑みれば今回の旧宮家の養子案は、旧宮家のしかるべき男児が天皇陛下の養子として皇籍に入られ旧宮家の名を継がれるか、または新宮家を創設されるといふのが本来とられるべき措置であり。これが原則とならうそのために皇室典範の改正に触れ現皇室典範の台9条「天皇および皇族は養子をすることが出来ない」から「天皇および」の部分を削除するのみでよいだらう。そしてこの改定が成つたうえで特別法を制定し「天皇陛下との養子縁組によつて、皇統に属する男系男子である旧宮家の男子を皇族に列するを可能にする」などの規定をもって旧宮家の男子が皇籍復帰((取得)されることは何ら問題がなくなるのだとされる。氏の論文には様々な考察が記されており大いに啓発を受ける最後にこの問題はまだまだ試案を巡らせ十校に熟考を重ねる必要があるが、この度の提言が聊かなりとも今後の議論の深化に寄与することとなれば幸ひである。と結ばれている。さすがだと思う。大いにご研究下さりもし国民運動などが必要とならば大いにご協力したいものであります。有識者との研究考察を進められ、合意形成が一刻も早く進み行くことを期待したい昨日は朝夜明けとともに三ヶ根に走る。2段目の慰霊碑通路の草取りをメイン。エンジン展示の南側の道の草をすべて取り去り広場にした。10時に来客のため帰宅するが途中パンクに気づくが致し方なく走る。らいky宅の方5名。話を終えてのち修理に出すがタイヤ交換となってしまった。再度三ヶ根に。5時に終了。多くの方に比の案内をなすことが出来満足した人なった夜は私の仕事をなす。10時重量。今日は朝5時から朝起き会。終えて倫理法人会。のち対馬に竜のひげをいただきに行き三ヶ根に植え付けに育予定。5時から山の再生のプロの方に教えを乞う。予定であります
2023.10.28
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孫の誕生日で保険屋さんからプレゼントをいただく。よく気がつく方であります。三ヶ根の芝桜植えに朝一番に行き、あるだけ植え込んだ。あと矢張り200株ほど必要だが今回はここまで。時機を見て何とかしたいものだ。 慰霊碑のすべての裏側の草取りをとりあえず完了し、さつき園の草取りに入る。さらに花壇西下の森の散策道の整備を一部久しぶりに始めてみた。相当あれておりやはり常に通るようにしておかねばがたが来るようだ。 芝桜を植えるためすべての斜面部のササを必死にとっているのを県外遠方からお越しの参拝者がご覧になってみえるのでお話しした。こんな風にされているのですか。こうおっしゃるので、そう、この斜面の土が崩れ落ちないようにササの根はある程度ここして多くは根切をして土面だけにして芝桜を植えているのです。それがいいことなのかはわからないが125メートルほどの距離、幅3メートルほどの斜面の椅子や砂利やササなどを取り去り続けてやっと後、この2・3メートルを刈り取ればすべて終了なんです。こう話しながらこの作業におよそ2年ほどかけてきた今日までを懐かしく思い出した。なぜこんなに苦労しているのだろう。造園業者にはとても無理と話も聞いてもらえなかった。しかしブロックを3段横並べにして杭で止めれば足場もでき草取りや植え込みに使え土止めにもなるはず。芝桜が咲きほこれば話題になり、きっと多くの方が参拝に訪れてくださるはず。友らの同意を得て必死に作業を始め下部から順に植え込み始め、今年の春には地元新聞に取り上げていただき、今年は最上部も芝桜で埋め尽くそうと続けてきた作業。やっと今日で一通りの作業終了になる。馬力を上げて作業をしている姿に感銘を受けていただいたようなのだ。荒れ地を開墾し続けてやっとすべてを耕し終えた満蒙開拓団の作業完成のような喜びが私にも感じられて友らと喜びたい感覚になった。その産廃の方は、これほど大変な作業をされてこの花壇が出来たのですね、ぜひ地元の皆にも発信させてください、との言葉をいただく。本当にうれしい言葉でした。単に観光に来られた方も、広大な花壇の美しさを見て英霊感謝の地元民がこうして汗水流してお守りしている現実を知って英霊に手を合わせる尊さを一段と深く認識していただける気がする。 「掃除に学ぶ」と高名な愛国者が提唱されて見えたが私にとっては「七士廟環境整備活動に祖国に殉じられた英霊の高貴な精神を学ぶ」といった感覚。毎日仏壇に手を合わせて先祖に感謝するのはごく普通の家庭でなされ続けていることでありましょう。我が家でもお経を絶やす日はない。三ヶ根の英霊に手を合わせるのも日々仏壇の前で経を読むのとある意味同じ事。英霊をわが父我が先祖と思えば参拝はある意味日常。仏壇に手を合わせ経を上げて先祖に日々思い、感謝をして過ごすことが今の家族を日々思うことに直結する。月命日のごとき日は特別に仏間の荘厳に気を配りお寺さんに感謝の念を表す、これも当然、むろんお布施を差し出している。ならば三ヶ根も参拝に来てくださる方に気を配り荘厳に配慮する、(環境美化に努める)のも又当たり前の所作。花壇整備は仏教でいえば仏壇の荘厳作業といえるのだろう。参拝くださる方々に礼を尽くす作業なのだと思う。ハードであったがやり終えた満足感をえて、3時には下山した。夕刻仕事、来客3名多忙な一日であった今日も6時には三ヶ根行き。10時には来客のため帰宅せねば。
2023.10.27
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保守愛国を自負される会社や会や個人の会合や集りに参加すると多くは国旗がしっかり掲げられている。これを見るとこのひと、この会この会社はしっかりされているなあと感じる。とりわけ祝祭日の掲揚はあまりに当然であり掲揚無き会は居心地が悪い。 県内でも多くの場所で国旗掲揚をお願いしてきたがその多くは掲揚をしてくださるようになった。愛知県下の交番においても平成20年ころから祝日の国旗掲揚は当たり前に変わってきたし岡崎の郵便局本局も祝日の国旗掲揚が開始され、今では毎日掲揚をじつげんしてくださっている。僕らの関係する会などでも同様三ヶ根山の料金所も祝日掲揚になり、そう、官庁でも岡崎の悠紀の里も建立時には掲揚塔はなかったが要請したところ市費にて建立がなされ、岡崎のセキレイホールも同様、建て替え時にはなかったが要請してすぐに建立していただいた。むろん多くの方のご努力があってのことであるが。名古屋の消防署関係の建物も50か所以上国旗掲揚が毎日、職員の皆さんの手で掲揚されるようになった。幸田町の消防署も毎日掲揚としていただいた。 占領時には掲揚が禁止されてどれだけ悔しい思いをさせられたのか。沖縄返還・本土復帰の運動は沖縄で国旗を手にし推進された。国旗掲揚は日本独立、自立の象徴である。国旗国歌法が成立し掲揚に何らの弊害もない時代を迎えているのにかかわらず掲揚できない団体や政党があるのなら国を愛するなど言葉にできようはずもなかろう、 世のリーダーたる人士はこころすべきである。 某宗教団体の地区本部に以前、祝日での国旗掲揚要請をしたが、即座にご同意いただけ以後は祝日掲揚が続いている。あげてくださらない会からは複数団体退会させていただきご無礼させていただいた。国旗が揚げられなくなったこの30年か。知事がトリエンナーレ展示を税金で行い陛下への無礼英霊への冒涜を県税を使って行ったことは世の人はご存じであろうが「馬鹿な日本人の墓」の半球展示の内側に入りチェンジを見る際米国国旗を踏ませるつくりとなっていた、これを米国が怒り、これも展示中断のきっかけの一つになったのではと私は推測している。日章旗を汚しても現状では罪にはならないが他国の国旗を汚せば現行法でも処罰される。国旗への敬意を子供らに若き社員に教えねばいつトラブルになるかわからない。日章旗への敬意を官民ともに深めていくのは当然であろうに。11月3日は文化の日。昔の明治節。明治天皇のお誕生日であります。米国の強要ででき竹現行憲法は占領中、この日に時計を止めてまで共産党すら反対する中、国会で通された。むろん当時、米国製だとは隠ぺい、一切公表は禁じられていた。明治天皇のお誕生日には全国各地でちょうちん行列など奉祝行事がなされ、国民はこの日を祝っていた。その日に占領軍は通さねばならなかったのだ。万が一米国製と漏れても国民の反対論を封じようとする米国の魂胆をかいまみるおもいがする。まさか明治天皇のお誕生日に国民から米国政策に対して大きな抗議の国民行動が起こることはないだろうとの姑息な判断である。みどりの日が昭和の日と改められたように、文化の日はあくまで「明治の日」に改め明治の高邁な精神を継承する日とすべきであろう。11月3日も5月3日も憲法制定を祝う人なっていることの方がおかしい。祝実にはその大切な意義がありそれを国民が感じ深めるようさだめられたものであり、日本文化を大切にする者にとって国旗を掲げて祝うのは実に当然な流れ。やはり掲揚に無関心であったり拒否するなどは好ましいとは言えまい。掲揚されなくなったおよそ30年ほどの期間、日本経済の停滞と無関係とは思えないのであるが。憂い多き日々である。 昨日は三ヶ根芝桜植えなどに6時間をかけた。電話で呼ばれて下山したがまだまだうえるべき場所の地ならしに時間がかかり、植えたのは200株ほど。あと100株ほど残して帰宅した。あとは今日の午前中に何とか、かたをつけたいものであります。
2023.10.26
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関口長太郎先生慰霊顕彰祭・法要ご案内日時 令和5年 11月4日(土)受付 開始12時半 13時より16時第三部 慰霊・顕彰・奉納演奏 1時より1時50分 愛知県西尾市 西尾小学校裏 顕彰碑前西尾市錦城町229歴史資料館向かい 奉納演奏 川島憂子氏第四部 慰霊法要・語り・墓参 2時半より4時 盛巌寺(せいがんじ) 西尾市馬場町70 駐車場 西尾クリニック語り 田中ふみえ氏「関口長太郎伝」なお、運営委員他希望者は場所を変えて慰霊碑近くにて反省会検討会を予定、関口先生の漫画本作成中です、早急に資金を必要としています。ご協力者を募っています、。クラウドファンディングを実施中です。 関口長太郎先生。安政六年、(1859)から明治二十九年(1896)の人。父は5石3人扶持、吟味役賄方台所掛の宇左衛門。西尾藩の武士の子として生まれたので、勉学の機会には恵まれ満七歳のときに藩校「修道館」に入学し、秋山恬堂先生の指導を受けた。ここで六年間学び、名古屋の佐藤牧山塾に入り、漢学を磨く傍ら英語数学を学ぶ。明治九年(1873)には新設間もない愛知県尋常師範学校へ入学。ここで校長、井沢修二先生の影響を受けたのである。生涯を教育に尽くす決意をし、中島郡の小学校を皮切りに赴任。満二十九歳で錦城学校校長を勤めたとある。 明治二十八年五月、日清戦争の結果、台湾は日本の領土に組み込まれた。教育を通じて日本化を図る必要があったのである。関口先生は師範学校校長、井沢修二に勧められ、日本各地より選ばれた六名とともに台湾教育部学務委員として台北入りをした。台北北部の芝山巌恵済宮という道観を借りて同年七月に芝山巌学堂という小学校を設立した。 最初は六人の生徒を集め、伊沢と七人の先生計八人で日本語を教えていた。次第に周辺住人に受け入れられ、同年九月二十日には生徒数が二十一人になり甲、乙、丙の三組に分けて授業を行っていた。現地人教育のほかに台湾語教育も行い、親日派を育成し、台湾の同化を図ることを諸先生は責務とされた。 しかし、これらの教化政策に反発する島民はゲリラ活動を続け大小の事件を起こした。暮れになるとふたたび台北の治安が悪化し、日本の統治に反対する勢力による暴動が頻発するようになった。周辺住人は教師たちに避難を勧めたが彼らは教育に命を懸けていることを示して芝山巌を去ろうとはしなかった。その頃、能久親王が出征中の台南で薨去され、それに伴い伊沢氏と一人の教師(山田耕造氏)は親王の棺とともに日本本土に一時帰国した。その伊沢氏の帰国中に事件は起こったのである。 翌年一月一日のこと。士林警察署から襲撃は開始された。六人の教師と用務員が元旦の拝賀式へ出席するため芝山巌を下山しようとしたとき約百人の抗日ゲリラ(匪賊)に遭遇したのだ。教師たちはゲリラたちに説諭したが聞き入れてもらえず、用務員の小林を含む七人全員が惨殺された。「六氏先生」と呼ばれる六人の教師は以下のとおり。山口県、楫取道明 (38歳、吉田松陰先生の甥) 愛知県、関口長太郎(37歳 西尾小初代校長) 群馬県、中島長吉 (25歳) 東京都、桂金太郎 (27歳、東京府士族) 山口県、井原順之助(23歳) 熊本県、平井数馬 (17歳) 先生方の台湾教育に賭ける犠牲精神は「芝山巌精神」と言われ、この後、人々の間で語り継がれるようになった。この「芝山巌精神」は当時の台湾教育者に多くの影響を与え、統治直後、総人口の0.5~0.7%だった台湾の学齢児童の就学率は1943年頃には七十%に、また終戦時には識字率が九十二・五%にも上っていたという。まさに奇跡的である。 「西尾町史」を手がかりについに西尾城の歴史公園内にて関口長太郎先生の碑を見つけた。ご生誕百五十年を迎え地元で何かなさなくては。こう思って動いたがしかし地域のどなたに聞いても先生の名前すら知らぬという。石碑の場所すら図書館職員のだれも知らなかったのだ。粘って心当たりを聞き、ついに見つけだしたのだ。松平乗承てん額、井沢修二撰文、中川衡憲書。高さ5尺、幅3尺5寸。碑文文面はコケか黴かで読めはしない。早速水洗いをしてみた。すばらしい、石からしっかりした文面が浮き上がってきた。感動である。なおここは、西尾小学校の隣地。創立百数十年。もしかしてこの小学校とのかかわりがあるのでは。訪問して調べてもらえば初代校長の名と同じという。やった。ここにて教育をされていたのか。 教頭にお伺いしてみると、先生を子供たちに教えていないどころか教師も関口先生をほとんど知らぬとの返事。初代校長は台湾の方だそうだなどと誤った理解すらされていたのだ。これではだめだ。早速、地域教育のためにも、生徒に勇気を与えるためにも、ぜひ日本を代表する教育者関口先生のご業績を語っていただきたいとお願いした。 さらに新聞記事縮刷版で探しぬいた。二十年前の地元三河新報社縮刷版に関口先生の記事がどこかにあるだろう。読みはあたった。 西尾の寺をめぐり、先生の墓を探して聞いてもわからなかったのであきらめていたらなんと記事に寺名が記載してあった。喜び勇んで訪れ参拝を申し出ると、残念ながら無縁仏となられていたのである。娘さんも後妻にいかれ、すでにお亡くなりになっていた。ああその末路や哀れ。残念でならなかった。なんとしても慰霊顕彰をなさねば。こうして慰霊祭を始めたのでありました。以来14年。昨年は初めて西尾市により講演会の講演をいただき今年は西尾市発足70周年記念公募事業の一つに認定され長太郎先生の記念漫画出版が決まったのであります。多くの皆さんが教育に命を懸けて逝かれた先生についてその心に触れていただきたく思います。いなかる人生を歩もうとするのか今一度考えていただければ幸いですさて今日は朝6時から町内神社清掃。終えて資料整理。三ヶ根に植える芝桜を300株を鈴鹿市にまで買いに行く。町内の方から浄土真宗大谷派寺院の当番の仕事の出席を求められる。仏具のお磨きや餅などのかざりの作成や法要当日の参加などを求められる。仕事や活動に必至になる日々の中、非常につらいが家族の不調のため私が出ねばならない。何とか両立を図れるよう頑張らねば、明日は何とか早朝に時間を作り三ヶ根の清掃作業をなして来たい。
2023.10.25
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関口長太郎先生慰霊顕彰祭・法要ご案内日時 令和5年 11月4日(土)受付 開始12時半 13時より16時第一部 慰霊・顕彰・奉納演奏 1時より1時50分 愛知県西尾市 西尾小学校裏 顕彰碑前西尾市錦城町229歴史資料館向かい 奉納演奏 川島憂子氏第二部 慰霊法要・語り・墓参 2時半より4時 盛巌寺(せいがんじ) 西尾市馬場町70 駐車場 西尾クリニック語り 田中ふみえ氏「関口長太郎伝」なお、運営委員他希望者は場所を変えて慰霊碑近くにて反省会検討会を予定、関口先生の漫画本作成中です、早急に資金を必要としています。ご協力者を募っています、。クラウドファンディングを実施中です。 詳しくは09017286226まで朝一番にヶ根に行く。すがすがしき風の中での作業。実に気持ちがよい。ひたすら2段目と花壇の通路の整備をする。2段目の慰霊碑は裏手が土手となっており草がそのまま慰霊碑にまで迫っていたのでその草取りも行いほぼ完成させる。通路には大きな石が頭を出していたので木槌でできるだけ土の中に打ち込んでおいた。歩きやすさは相当上がってきた。作業後に参拝くださった地域の方より大いにお褒めの言葉をいただく。昨日までは碑のご案内をしても草取りが不十分でお守りしているなどと恥ずかしいほどであったが今日まで仕上げた状態が維持できればギリギリ合格ラインに入るのではと思われる。ぜひ多くの方に慰霊に訪れていただきたいものだと思う。 まだまだ足りないのは土留めのための龍のひげ。あと20メートルを確保したいのですが。 さらには芝桜を最低500本を購入し植え込みする必要がありましょう。 花壇の方は 明日には芝桜の発注をしておきたい。 昼1時に帰宅。家族の体調が好ましくなく、孫の世話などでなかなか普段のようには動けないもどかしさがある。さらに地元寺院の奉仕やお参り作業など。29日や2日の仏教宗派の悪が回ってきており妻の不調で私が出なくてはならない。まあ今年だけでしょうから都合をつけるしかないが。
2023.10.23
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先日のブログの日時の訂正です岡崎学習会11月12日(第2日曜)午後5時開催7時まで 場所 岡崎市上和田町公民館 上和田町南屋敷 連絡先 090・8554・0817 JR岡崎駅徒歩7分。駐車場は公民館以外に近隣にも分散確保。 内容 学習 明治節(文化の日)と明治の精神 台湾 芝山巌教育と関口長太郎初代西尾小学校校長 日本のデンマークと呼ばれた安城 と山崎延𠮷 大正天皇と中島町悠紀斎田 大正天皇祭開催について 等 会議 三ヶ根・陸軍墓地・護国神社・清掃奉仕と現状 国旗掲揚運動の推進現状 建国祭開催準備 教育基本法改正の成果と教育再生の今後について 等 講演テーマ 「南京事件の虚偽」 講師 磯部和郎 氏 磯部先生の父君は松井石根大将の南京入場時におそばにみえたかた。お亡くなりになられた際の遺言で南京事件などは全くなかった。これを必ず後世に伝えよと言い残されたと伺う。当時の写真をはじめ貴重な資料をおもちいただけます。 夕刻5時より学習・会議及び活動報告 6時から7時まで講演会質疑応答を含めて一時間の予定。当会の提示する資料は名古屋にて南京記念館が作られそうになった際入場部隊に所属する方らが実証的に反論を加えられて新聞社に記事是正の確約を取られて名古屋市と県に記念館計画を取りやめさせた方の御文章。さらには岡崎市福岡町の郷友会会長の証言とチャンネル桜取材の際の映像など。多くの皆さんのご参加を期待します。 以上。日時の訂正のご確認をお願いいたしますさて昨日は朝8時半より父の月命日の法要。10時より孫を連れて町内の祭礼に参加。11時からの餅投げや屋台などを楽しむ。子供会のししまいや神輿も出て祭りの復活を喜ぶ。町内の子供会や役員さん、町内有志の会成友会の努力で地元に元気が出てきたことをうれしく思う。文部科学省副大臣の青山氏と教育再生への協力要請を立ち話ながら行う。関口先生慰霊祭への参加を確認させていただく。 2時より孫の一歳の誕生を祝い4人の祖父母も集う。私の8人目の孫。 4時過ぎから三ヶ根作業に走る。主に2段目の通路の地ならし。草取りもはてしなく残っている。まだまだ芝桜が足らず何よりも人手が足りない。多くの皆さんのご協力を求めたい。日没が早く6時には真っ暗となってしまった。明日は日の出とともに作業に入りたい
2023.10.23
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土曜朝6時より倫理法人会モーニングセミナーに参加。終えて8時より仕事。10時より名古屋駅西の椿神社参拝。ここは南京事件冤罪により東京裁判にて有罪にされてお亡くなりになられた松井石根大将の記念碑がある神社。リニア駅の建設のために神社の敷地が減らされこの碑が撤去されそうになったが宮司さんや氏子さんらのご努力で立派に移転されていた。その勇断に深く感謝しつつ写真を撮ってきた。 その後護国神社参拝。実は本日は第三土曜であったため恒例の清掃の日。なんとうっかりして仕事を入れてしまっていて不参加となってしまった。皆さんに電話でお詫びをして遅ればせながら参拝だけはさせていただいた。先回やり残していたアジア共生の碑の周辺の清掃だけはしておこうと向かうと、ここもきれいになっている。久しぶりに建立者の連名のお名前を探してみると私の会社2つと親戚の会社、さらには知人の会社や所属していた会の名前などを確認。平成7年建立の建立となっていた。もう30年近くたっているのか。月日のたつのがこれほど速いとは。あの頃の友はどうしているであろうか。碑の宣言末尾にはアジアは世界の平和と繁栄の架け橋として21世紀に向けての新しい使命を担わなければならない 終戦50年を機にこの「アジア共生の祭典」に集った我らは今それをアジアの友人たちとともに世界に向かって高らかに宣言するものである。」と記載されている。インドやインドネシアマレーシアパラオ等の諸国の代表をお迎えして開いた式典。イナボ・イナボ氏やぺマ・ギャルポ氏の名も見つけた。懐かしい。あの頃は我が国はアジアの盟主としての責務を果たさねばと国力をつけ貢献に動いていた。日本の名誉復活に民間も大いに燃えていた。 自民も党内での派閥研鑽がなされ政策も様々に打ち出され切磋琢磨がなされ、今のようなチャイナ追従などに染まることはなく経済も世界のリーダーの位置につけていた。中選挙区制度は弊害もあったが国家戦略を打ち出すダイナミズムが官民ともにあった。しかし小選挙区制度の実施や米国からの威圧などに抗える政治勢力は失われ。反日教科書が国民の自虐意識をまん延化させ日本人の勤勉さや向学心を崩してエゴイズムを賛美し先人の労苦を軽んじる風潮まで作り出してしまった。知事が税金を使って皇室非難を為すようになり、それを自民までも容認するまでになってしまった。まさかこんな時代が来るなどとは当時思いもしなかった。アジア共生の宣言文を読み返し恥ずかしさにいたたまれなくなった。今一度碑をともに建立された方々とともに原点に立ち返り日本再生を図らねばならないと強くおもう清掃の様子は見事というしかない。奉仕や参拝に来させていただいた中で最もきれいに清掃がなされていてびっくりした。伺えば遺族会のご婦人の皆さんが清掃ださったとのこと。更に昭和の森の方はY氏が。そして今日はわが友らが。本当にありがたいことであります。急いで三ヶ根に向かう。スーツのままで運転しており作業着の積み込みわすれに気づく思わぬ出費だが家による時間がもったいなく途中で作業ズボンを購入。全ての芝桜400株をうえおわる。草取りと整地を日没までおこない帰宅。 。
2023.10.22
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昨日朝6時に家をでて三ヶ根作業に入る。夕刻4時から測量会社の方と町内の敷地の確定の立ち合い業務に参加、承認印を押すなどの仕事の終えてのち彼とも関口先生慰霊祭のことや三ヶ根慰霊のことを語る。なかなか良き青年でなんと今年の4月29日には三ヶ根慰霊祭に参加してくれていたことを知る。大いに意気投合。7時半より高校大学の後輩にあたる人材の来訪を受ける。実にナイスガイ。名古屋大学にはいまだに日章旗は入学式や卒業式さえも、いかなる時にも掲揚がされないことを語ると驚いていた。陛下の行幸いただいた際にも。名大平和憲章なる宣言が名古屋大学の正規な文書とされていたのを是正して教授会と自治会の有志の宣言にすぎぬことを大学当局に認めさせて、名大の正規な歴史からは恥せたことなどを語る。さらには自衛官の入学もやっと大学が認めるようになった経緯も。学問の自由・研究の自由が確保できたわけだが、いまだ学術会議のごとく、日本の技術進化や国益増進に向けた研究などに反対する思想的残滓があることに危惧を覚える。こうした事実を後輩と共有できたのは大きな成果だったように思う。 今日ももう朝6時をむかえそうである。今から三ヶ根作業に出かけ4時ころまで作業予定。夜は関口先生会議が7時よりあるが、仕事の真っ最中。夜10時までは動けず。友に
2023.10.20
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うれしい話をいただいた。慰霊碑が南京事件の捏造裁判にてBC級有罪の判決をうけ処刑された松井石根大将の慰霊碑のこと。碑の有った椿神社がリニア名古屋駅修復事業により敷地が半減。碑が撤去される危険性があったが関係者のご努力により立派に再建されていたとのこと。神社半減計画がだされたときに関係者に安置を要請したが、その要請通りに立派に再建されていたのを見つけられてご報告をいただいたのだ、宮司様はじめ関係の方々に深く感謝したい。駅工事のために不履き神社での慰霊祭はしばらく中止していたがなろうことなら12月13前後の南京城入場の日に近い日で慰霊祭を再開したく思う、しかし今年は準備不足のため、正式には来年から復活11月5日岡崎の学習会の当日に慰霊祭を行う予定。 講師は名古屋にお住いの磯部和郎先生。 仮題は「南京事件の虚偽」 夕刻5時より質疑応答を含めて一時間の予定。先生の父君が松井石根大将の南京入場時におそばにみえたかた。お亡くなりになられた際の遺言で南京事件などは全くなかった。これを必ず後世に伝えよと言い残されたと常に言って見えたと伺う。私の提示する資料は名古屋にて南京記念館が作られそうになった際入場部隊に所属する方らが実証的に反論を加えられて新聞社に記事是正の確約を取られて名古屋市と県に記念館計画を取りやめさせた方の御文章。さらには岡崎市福岡町の郷友会会長の証言とチャンネル桜取材の際の映像など。場所 岡崎市上和田公民館にて開催。(遅くまで残られる方には隣家の我が家に語りたいと思います。)多くの皆さんのご参加を期待します。11月は最大の行事は11月3日の文化の日(明治節)と11月23日の勤労感謝の日(新嘗祭)でありこの日は国旗掲揚599本などは行う。がそれ以外に11月10日の汪兆銘閣下ご命日。もう開始しなくては、名古屋大学にテお亡くなりになられた方であり孫文に次ぐ地位にあった方。蒋介石がまともであったなら日中対峙は避けられたと今でも今でも残念に思います。汪兆銘政権の毎夜回復運動を起こすのは愛知県民の責務と思いつつ今日まで。もう開始しなくてはなりません。15日の横田めぐみさんの拉致、20日の松陰先生ご命日、25日の三島・森田両烈士慰霊祭。四日市と東京の双方に参加したいのですが。26日はハルノート(最後通牒・実質的に米国からの宣戦布告宣言)30日は秋篠宮殿下のお誕生日。12月1日は愛子内親王殿下のお誕生日は12月1日。開戦記念日は8日。この日は三ヶ根にて慰霊の集いを開催予定。地球節(皇后陛下お誕生日)は12月9日上皇陛下のお誕生日は23日。殉国七士慰霊祭も同日、大正天皇祭は12月25日。これは僕らで毎年実施。大正天皇陛下の唯一の神社大正宮(中島町)にて今年も開催いたします。今年の関口長太郎先生慰霊顕彰祭は11月4日(土曜)1時より西尾小学校内慰霊碑前で開催。これは大々的に開催準備が進んでいる。その中で三ヶ根作業や豊橋陸軍墓地清掃、さらに護国神社清掃。岡崎学習会11月5日も開催。もう限界に近い。幸いに西尾市のメンバーは力つよく活動を展開してくださるようになった。西尾の活動は西尾の皆さんにメインで担っていただき、私は岡崎と他地区の活動の方に力を注ぐことが出来そうで実にありがたい。命あるうちに諸兄のご協力を得て未達成の行事の発足だけはなしておきたいものと願う。今日は三ヶ根にて山梨からお越しのバスの皆さんに案内。さらにトヨタの方と大いに語らうことが出来た。花壇整備はその分未達成だったので明日に回す。8時には作業に入りたい。夕刻2時過ぎまでは花壇整備となろうと思います。
2023.10.17
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アラビアのロレンスを扱ったNHK記録映像を見る。第一次世界大戦にあってイギリスがパレスチナ建国とユダヤ人国家建国の相異なる二つの密約を行い、それがもととなってシオニズム運動が起きイスラエル建国が成り、同時に民族紛争が熾烈化し今日のユダヤ十アレスチナ難民との武力対立が熾烈化して戦闘がおこっている現状がある。この問題は私にとっては最大のアンタッチャブルな課題。左翼運動家だけではなく身近な知人らとの決別の歴史がおもいおこされるのである。昭和48年の夏。すでに三島義挙はなり、その後の民族派学生の運動方針はこの愛知でも分裂。佐久島にて開催された合宿にてパレスチナ支援を主張するメンバーと、他国にかまわず日本の変革に生きるべきとの主張するグループとの決別の会議。多数の先輩らはパレスチナ支援を打ち出し、それに反対する僕らは日本の共産革命阻止の道を選択。主に名古屋大学の5・6人だけがその主張をしてパレスチナ支援運動を拒否。対峙したK先輩らとはその決別後、行方も知らずにいるしご存命か否かも知らぬ。大昔のこととはいえ。パレスチナの言葉やユダヤ人の文字に触れるたびに心がゆれる。今は懸命に目の前に現れる課題の解決に向けて心を尽くすことだけが使命と感じて生きるのみでありそれ以外のことは何ともなしえない。それでいいのだと心のふたを閉じさせていただくしかない。今日は鈴鹿市の石薬師町にある神風義塾跡地を見に行く。安城市が日本のデンマークと呼ばれるほど農業の先進地にされた山崎 延吉(やまざき のぶよし)先生が作られた研修所の跡地。今は記念碑のみが立つ。ウィキより引用、1873年(明治6年)6月26日 - 1954年(昭和29年)7月19日)は、日本の農政家・教育者。衆議院議員(1期)、貴族院勅選議員。愛知県立農林学校初代校長。1901年(明治34年)10月12日、愛知県立農林学校初代校長に就任[2]。1920年(大正9年)11月9日、同校長を退任[2]。1921年頃から全国の農村を巡って「農業経営の改革」を説くようになる[2][6]。農民独自の政治的代表を送り出すべく「農民党運動」を提唱していた山崎は教え子たちに推され、1928年(昭和3年)2月の第1回普通選挙(第16回衆議院議員総選挙)に立候補。既存政党に属さなかったものの、定数3の愛知県第4区において最高位の当選を果たした。1929年(昭和4年)、理想の教育を実践するために神風義塾を開く。1930年(昭和5年)、安城女子専門学校初代校長に就任。1942年(昭和17年)、神風義塾閉鎖。1946年(昭和21年)3月22日、貴族院議員に勅選され[9]、同成会に所属し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した[1]。1948年(昭和23年)、愛知用水計画実現に尽力する。1954年(昭和29年)7月19日、急性肺炎で死去。81歳没。愛知県の農業改善に力を尽くした人物である。校長として愛知県立農林学校を日本有数の農林学校に育て上げた。1905年から1920年の間は農林学校校長に加え県内務部第七課(農務課)、農事試験場所長、農事講習所所長も兼任し愛知県農政の教育・行政・研究の中心となった。校長を務めた愛知県立農林学校は数多くの人物を輩出し、安城市長を務めた人物もいる。1906年12月、高等小学校の教員だった岩槻信治を碧海郡安城町の愛知県農事試験場(現・愛知県農業総合試験場)に入らせ、稲の品種改良に当たらせた。岩槻は20余種に及ぶ品種改良を行い、西三河地方のみならず各地で飛躍的な米の増産をもたらした教育者として日本全国を講演した。1908年から1934年までには6000回以上の講演を行ったと言われる。引用以上岡崎の六ッ美地区の中島町に大正天皇のご即位時の悠紀斎田があり、そのお田植祭りは毎年6月第一日曜に開催されているがそのお田植歌の歌詞も書かれてみえる。お亡くなりになったのは約70年前。その塾生のお孫さんにお会いできた。17歳以上の青年を全国から集めて四季を通じ毎朝水風呂に入り精神修養を行い石堅固な人材育成をなされたとのこと。塾は自費にて建設されたそうである。悠紀斎田の選定にも関わられたのでしょう。国おこしのリーダーを厳しく育て上げられた尊さを改めて思わせていただいた。ちなみに三ヶ根山のアジサイの植樹も安城農林の生徒さんがなしてくださったと聞いています。近くの石黒農園にて芝桜400本を購入させていただいた。明日から三ヶ根花壇に植えていきたい。帰りにあま市の七宝町によりTさんが用意してくださった竜のひげを受け取る。豊田市のSさん宅の龍のひげも先日掘らせていただきいただけたのでこれも併せて土止めに使わせていただける。皆さんのご厚意によりさらに三ヶ根も美しくできそうであります。
2023.10.17
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昨日と今日、京都にて日本政策研究センターの第33回全国研修会に参加させていただく。結成40年の立派な団体であり私は初めて参加させていただく。100名を超える参加者。素晴らしき活動の実績を持たれる研究および活動の団体。「明日への選択」月刊誌を発行されておりきわめて信用でき、尊敬できるグループ。トップの数名の先生には建国の講師にお越しいただいたり学生時代からお世話いただいた諸先生でありますが他の方はほとんど存じ上げず、おそらく当会の方はお見えになられなかったように思った。2割近くの方は国会や府県議会議員の方。他の方々も日本や地域の政治方針を具体的に作られたり情宣活動などを紳士的に行われたりされている様子。本当に素晴らしき会であった。4時終了。往復とも下道でいく。8時半に帰宅。そこまで言って委員会の録画を見ると。ノンフィクション作家西牟田靖氏が誰も国境を知らない令和版 との題名で書物を出され尖閣行のその時の話をされていた。2112年保守系の団体が主催する漁船ツアーに参加された との字幕があった。午後8時半石垣漁港を日の丸を掲げる14隻の漁船が翌朝5時ころ尖閣諸島に到着との字幕がある。ああ、あの時にご一緒した方なのだったか。懐かしく思い出した。確か8月16日だったように思う。この翌日に今小学5年生になる孫がうまれ、現地にて携帯で出産の知らせを受けたことを思い出した。井上和彦氏も私もご一緒していましたと番組内でご発言。この時が私の尖閣行の2回目。この時はチャイナの准軍艦に追っかけられて船長の決断で必死に逃げることになり上陸はできなかった。捕まればチャイナの方により裁かれることになるだろうしそれをされれば司法権を取られる危険性があったためである。漁民見習いで行ったが、釣った魚はトビウオ一匹のみ。本当に悔しかった。そのすぐあとチャイナの戦闘機が数十機飛んできたと聞いた。この時石原都知事の東京都で購入との活動がなされ10数億円が集まったが、功を焦った民主党政権が国への編入をし、民間人の上陸を一切禁止したため尖閣はチャイナによる包囲を受けることになってしまった。政府の大失態である。ちなみに日本の最東端の南鳥島はわが岡崎市の生んだ世界的地理学者の志賀重昴先生が正規な書類を整え国際的に日本領となっている。当時は「こんなちっぽけな島など領有などせずとも」と周りの知人に言われていたそうだが「必ず必要とされる時が来る」と煩雑な作業をいとわずに申請書類などの手続きをなされたが故に日本領土と世界から認定されている。将来を見通された志賀先生の英知に今更ながら驚きと感謝の思いを抱く。民主党政権の、海上保安官一色氏拘留など思い出しても腹が立つ。
2023.10.15
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10月14日昨日朝7時より三ヶ根の花壇を新耕運機で耕す。しかしガソリンが切れてしまったので中途で終える。あとは草取り。9時を過ぎてしまったので急ぎ西尾小学校へ。今日はシルバーさんが清掃に来てくださるとのことで感謝のご挨拶に伺う。ルールで手伝いができないそうなのでご挨拶のみで豊田に走る。S先生のお宅で育つ竜のひげやその他の花を掘り出しいただくことが出来た。大感謝であります。後日進市の友の家に走り、関口先生の慰霊顕彰祭のチラシ130枚を渡し、通信に入れていただく事に。発行は来週であり何とか間に合った。帰宅して病院に家族の見舞い。元気そうで何よりである。めぐりめぐって孫の面倒が私の仕事に。私の仕事も何とかやり遂げる。さて今日は京都合宿研修会。安倍総理の暗殺以降、日本の本姿未来像がどんどん遠ざかる気がしていたたまれない。どれだけやっても日本復活の道が閉ざされてしまった気がしてならない。見えてこない。こうした思いを持ったままで日々を生きても自己満足に終わってしまうのではないか。敬愛する諸先輩が今いかなる展望をお持ちになっているのか。ぜひ良き道を歩まねば。こうした思いが心に迫ってくるのだ。そのヒントをなんとしても手にしなければ祖国復活の機会を逃してしまうのではないか。そう思っている中、何とか時間が取れたのがこの今日明日。40年来いつかは参加したいと思っていた研修会があることに気づいた。一度冷静に来しかたを振り返り未来像を見つめねば。そう思って申し込んでみた。まだ参加可能とのこと。ぜひ皆さんの熱き心に触れさせていただき、己の再出発を図りたいと願う。老いぼれた思いはあるがまだ私にもできることは残されているのではないかと思いたい
2023.10.14
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一昨日一〇日は朝七時にやっと雨が上がり国旗降納を二人で行った、のち三ヶ根に行き二段目の刈り取っておいた草を廃棄。時間が迫っていたので急ぎ帰宅し名古屋護国神社参拝を行う。宮司さんに三ヶ根の現状報告を行う。桜華会館にて今後の三ヶ根作業の内容を同行同憂の友三名で行う。今後の花壇つくりのため草刈り機と小型耕運機を購入すること、チューリップの球根の購入数、しば桜の購入数、竜の爪購入などを決める。後、議会に陳情の趣旨説明を終えたY氏と会い感触を伺う、昨日は予定の耕運機の購入のため数店舗を回る。小型とはいえ重量があり、軽トラに乗せるには別に足場をつけねばならない。よって中古ではあるが持ち運び可能な小型機を購入した、一時半より西尾小学校二時より平坂小学校に訪問して一一月四日の関口長太郎先生の慰霊祭と一月末の漫画本の発行と贈呈式についての予定を報告しに行く。三名で。その後は孫の世話を頼まれ自宅にて面倒を見る。行事が重なる今後の日々、何とか貴重な時間を有効に使って国民覚醒運動を進めていきたいものであります、
2023.10.12
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一〇月九日昨日は朝六時半に出て教育行事を実施これを終了したのが夕刻四時半。直ちにい岡崎の教育学習会を主宰。皆さんがすでにお越しくださっていたが事前に机上に設置しておいた諸資料を読んでいただいていた。五分遅れで開会を宣言。皇室尊崇の活動現状明治節(文化の日)奉祝活動 スポーツの日国旗掲揚 小旗作成実践と国旗掲揚運動の推進について 皇居清掃奉仕予定と今後 2月23日天長節計画 岡崎シビックセンター 四〇〇名予定慰霊活動の現状と推進について三ヶ根山の環境整備と花壇再生実施 豊橋陸軍墓地清掃と自衛隊合同慰霊祭140名(10月1日実施・写真 )護国神社清掃 第三土曜日九時より 教育運動について 人権週間 アイヌ問題 北海道旧土人法 明治三二年四月一日施行戦時中のダム建設と中国人慰霊祭に大使出席と生徒動員 青山周平文部科学省副大臣への要望関口長太郎先生顕彰会の活動及び台湾交流について 関口長太郎先生漫画本作成 資金調達の方途について三ヶ根山活性化プロジェクト 現状の活動 駐車場ほぼ完成署名活動の提言 憲法改正運動 イスラム教徒土葬問題について同憂同志の議員(選挙)支援に関してその他 活動報告事項・提案事項 講演の部はイスラム土葬問題講師は山下俊輔氏。四度の九州行きで水源地に近い土地に場所に土葬の墓地建設を為そうとするイスラム教徒の方針に不安を抱く町民の方々の声をくみ上げて当局に署名を提出するなど様々に愛国の活動を推進してきた現状の報告をしていただく。イスラム国のテロ行動にかかわった中核メンバーの一人が推進する土地購入の動きに抗議の声すら表明できない町民の声を代弁する勇気ある行動であり、素晴らしき運動である。 参加者はちょうど20名。台湾行のメンバーとご病気や祭りの方々、政党行事参加のメンバーが不参加となる。終わってからも皆さん各々日本を立て直す思いをかたらいながら有意義に過ごす。片づけ終わったのは九時。国旗掲揚の準備をするが雨が降り続き出発できず。結果今日の五時ごろまで待って、小雨になったので掲揚に行く、がしかし康生通りの掲揚を終えるときには本格的な雨、ついに掲揚をあきらめ帰宅した。今朝は様々に書類の整理や会計処理を行う。なさねばならぬことばかりで勉学もままならぬが、ともに動いてくれるとものご努力にお答するためにも前進あるのみである。
2023.10.09
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今日は第2日曜で定例の岡崎学習会の日であります。午後5時から7時。岡崎市上和田町の公民館にて。本日のテーマは戦後歴史教育の是正として「開拓使官有物払い下げ事件」「東条内閣 捕虜使役国際法違反論の是正」昨今の問題として「イスラム土葬問題」活動テーマとして、台湾芝山巌教育の関口長太郎先生他六氏先生の業績と慰霊顕彰祭と漫画本作成活動、豊橋陸軍墓地清掃と慰霊祭。三ヶ根清掃奉仕、さらに「明治の日」制定運動。国旗掲揚運動、建国記念の日奉祝祭実施計画などの計画状況など。国思う多くの皆さんのご参加を期待いたします。昨日は起きてすぐに今日の学習会の資料つくり。高校生学習指導を終えて町内の仏教会・浄土真宗門徒の法要参加。名古屋での平成塾学習会参加。多忙にして倫理モーニングセミナーを欠席。今晩はすべての行事終了後に国旗掲揚に走ります。
2023.10.08
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10月5日(木)昨日は岡崎市内の小中は秋休みに入る。6日間連続の休みとなる。夏休みが終わったばかりですぐにまたこの休み。果たしてこの体制で子供らの学力や体力の維持向上さらには生活の規律や遵法精神が維持できるのか大いに疑問が生じる。規律正しき生活が崩れがちになり、核家族化してしまった家族や家庭にとっても対応に慣れずに戸惑いが消えない。低学年の子供をほおっておいて家を空けて仕事に出るなどは危険極まりない・よって親族の手を借りて子守を託すことになる。たまの休日に孫の面倒を見るならば楽しみに計画する祖父祖母の世代が動けるかもしれないが、こうも連続すれば対応できる小名はれほどいることであろうか。学校や教育委員会は早急に実態調査を為すべきであろう。 昨年度の不登校小中学生は、29万48名、5万08名の増加、率にして22.1パーセントと過去最高。10年連続で増加してしまっている。小学生は10万5112人中学生は19万3936名。その4割は学校内外で相談や指導すら受けていないで放任されている現状。その是正にこの休みを利用して教師が動くというならば意義はあろうがどれほどの教師が行動に動いてくださるであろうか。おそらくゼロ回答ではなかろうか。 私も忙しきなかさらにいそがしくなり、昨日は垣根の剪定とゴミ掃除でゴミ袋を12袋をいっぱいにしてすぐに帰宅。いつもはすぐに風呂に入り汚れを落として街中の生活にいるのだが、その時間なくすぐに3人の孫を我が家に迎え遊ばせたり勉強を見たりしていた。夕刻3時過ぎに妻と孫の面倒を代わってもらい三ヶ根作業に入り夕刻6時半に帰宅。自分の仕事に入った。しかし孫を引き取りに来たはずの娘がいない。伝わり立ちができる0歳児の孫も。ゼロ歳の孫の肌があれて仕事帰りの娘がそれに気づいて病院に連れていくことになったという。原因は私の服についたほこりや汚れ。三ヶ根作業を終えて風呂に入って街中の生活の準備をしていると帰宅した娘に大目玉。娘に叱られ父親の面目丸つぶれであった。ああ大失敗。小学生の孫は楽しんでくれたが。ゼロ歳の孫には誠に申し訳ないことをしてしまったと大反省。こんな馬鹿な祖父など世に少ないとは思うが常に忙しくしている祖父祖母世代に行動計画や準備時間がないと慣れないこの連休の迎え方に大きく戸惑うことになるのは確実。もっと問題なのは規則正しい生活が出来なくなりがちな子供らの生活。学力以前の問題ではなかろうか。 ああウ夜が明けてしまった。急いで三ヶ根作業に向かうことにする。
2023.10.05
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10月1日豊橋陸軍墓地清掃および慰霊祭実施。6時に家を出て、豊橋に向かう。現地にて道具を下ろし公園を駐車場に利用させていただいているので車をそちらに移動。皆さんの到着を待つ。 9時半ごろ続々と皆さんがお集まりくださる。手に手に草刈木やブラシや鎌をもって。自衛官は90名、隊友会や海交会の皆さんや私ども清掃奉仕会のメンバーを合わせるとおよそ150名ほどが一斉に清掃作業に入る。本当に夢のような瞬間である。豊橋陸軍墓地清掃は40年ほど前からちょくちょく行ってはいたがtげ域的に毎月定期的に行い始めたのは十数年前。たまたま倉庫に芳名録を見つけたK氏が平成25年の記録が載っていますよと教えてくれたので少なくとも10年以上前であるのは明らかではあるが。 40年前は見込みのある青年やバイト先の仲間などと豊橋公園や陸軍墓地、三ヶ根山など清掃場所を月ごとに移動させながら行っていた。当時は数人で学習会などを開き様々に国思う活動をなしていた。その一つが陸軍墓地清掃であった。 これも継続こそ力というか大きな成果を生むものだなあと感じた日であった。 終えて三ヶ根に。草が繁茂しておりこれも必死に取り去る。解散してのち残って作業をなすが雨が降ってきたので帰着。頼まれた垣根の剪定作業をなす。 作業参加くださった皆さんには心から感謝いたします
2023.10.01
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9月30日,この日を「草ゼロの日」として動き出したがそのキャンペーン活動の不足からなかなか定着せず、片手間では動かないことを感じる日々。私にとってはほぼ毎日が草取り作業であり何も特別なイベントをこの日に組んできたわけでもない。まあ、今のところ語呂合わせで声を上げるだけのことだ。いつか有志と語り、イベント化して市民の環境整備の象徴の日としたいものだが、今は致し方ない。 とはいえ身近な皆さんには張り切って草ゼロ運動の言葉だけは語っておいた、朝6時からのモーニングセミナー朝食会にも三ヶ根作業中にも夜の会合にも。 昨日は臨時の関口長太郎慰霊祭の開催準備会が夕刻5時半から西尾市にて開催されたため仕事を朝に変更して三ヶ根作業を早めに切り上げた。三ヶ根での作業中に久しぶりに参拝くださった方が「久しぶりに来てこれだけ立派な慰霊碑環境が来ているのには驚きました」の言葉をいただく。こうした声をいただくと本当にやりがいが出ます さてさて今日は豊橋陸軍墓地清掃の日。朝8時にはスタッフ集合。昨年から自衛官の皆さんのご出席もいただけるようになりおそらく100名を超す皆さんのご参加で一気に清掃が出来そうです。皆さんのご協力ご努力に心から感謝致します よって三ヶ根作業は私は終わり次第駆けつけます
2023.10.01
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日曜日には朝5時半から息子をセントレアに送る。タイに赴任してインドネシアなど近隣にも指導の出張にいくというがインドネシア独立記念日の8月17日の説明を現地人観光案内者はオランダからではなく日本からの独立だと説明していたのだそうな。ガイドは日本への留学をし、日本語が流暢だったそうだが。自虐意識の日本人から独立の経緯を聞いて来たのだろう。日本まで来てくれた外国人に日本の虚偽歴史を語る日本人が相当数いるのだろう。日本を嫌いにしてしまう教育者には退場してもらうしかあるまい。帰って業者の展示会に参加。三ヶ根行きは昼過ぎとなってしまった。皆さんと雑談してのち駐車場の整備をなす。帰宅して県議宅に訪問。三ヶ根観光活性化プロジェクトの参与就任の御礼。降納した国旗の整理をなす。今日(25日月曜)は朝9時から三ヶ根作業。今日こそは芝桜を植える予定場所のササの根の除去と土入れの完成をなすことを決めていた。これがなかなかの作業。しかし何とか完成できた。しかし今日は実に多くの方が参拝にお見えになった、しかし説明の場所から離れたっ場所での作業のため申し訳ないことでしたが、作業場所を行き帰りに通過される人には礼をして感謝の意をお伝えするだけにさせていただいた。後は広場のササの根切りと広場の平たん化。しかしこれは花壇部の草取りの合間に行うことにした。 ありがたいことに秘湯観音さま周辺や殉国7士廟の入り口部分の草取り、第二見晴らし台の有る小山の上にまで歩いて登る道の拡大作業などを愛知県の道路公社の皆さんが行ってくださっている。およそ20名ほどの方が草刈り機を手にきびきびと進めてくださっているのだ、本当にありがたい、三ヶ根も一気にきれいになってきます、実に楽しみであります。といっても石柱から内部の7士廟の中まではさすがにノータッチではありますので僕らがやるしかないですが。カラー印刷機の修理完成。昨日はカラーコピー機の修理に来ていただけたので印刷作業の復旧は終了。明日から本格的に印刷作業に入りたい。
2023.09.25
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秋季皇霊祭 秋分の日 おめでとうございます昨晩、夜の仕事が急遽延期になり、国旗掲揚を早めに開始した。とはいっても雨が病まず開始は小雨になった夜の9時より。1時にはほぼ終えて帰宅し夕飯をたべて少しやすむがそれが気のゆるみ。まだ神社と公民館に掲揚が出来ていないのに仮眠から目覚めたのは朝の5時、急いで掲揚を終えてスーツに着替え6時からのモーニングセミナーに向かったが、残念ながら6時を過ぎてもう行事が始まっていた。朝の本読みが始まっており仕方なく帰宅。会の皆さんには牛わけないことをしてしまった。失礼しました。家に帰るとなんと息子がタイ国から帰ってきているではないか。岡崎高校の同窓会があるのだという。そのためだけに本人だけが帰国。孫二人のお手紙をもって来てくれた。小2の孫の絵が木の剪定をしているもの。その場所は我が家のすぐ東の土屋長吉公の碑の前の木々。先回帰国した際に手伝わせた作業。その際に一向一揆側にいた土屋公が主君徳川家康を守って忠義心を発揮した話をしておいたが我が息子はその土屋公の記念碑 の存在を知らなかったというのだ。すぐに現地を見せて確認させたが我が子に伝わっていなかった事を親として大いに恥じるばかりであった。 三ヶ根にいく。料金所にもっ気が掲揚してあったので感謝の言葉をかける。 通信発想の作業を三ヶ根山頂で行うことを伝えていたのでなんと3名の方が集まってくれた。皆で手分けして封入作業をおえる。皆でしかも事務作業をすがすがしき風を受けて行うなんて最高の作業である。皆さんに土木作業の現状を見て頂く。皆さんの絶賛をいただく。皆さんがおかえりになったのちも日没まで作業をなす。今日は西南の駅での大西郷のご命日でもある。遠く及ばないことではあるが意義ある。 今から国旗降納に走ります。
2023.09.23
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現代は時間をかけて議論や検討ができる時代である。証人も弁護士もいて、しっくりと実を顕彰し、それが身に当たる場合は度合いに応じて罪科を決める。しかも三審制を敷いているため控訴上告もできる。しかし戦時中はどうだったのか。無論そんなゆとり無く文化の違いが即時に対決に至ったのではないか。BC級の裁判では1067名の処刑者がでてしまった。しかしそのほとんどは冤罪。長野県の例では捕虜に高級な滋養剤のごぼうをたべさせたが木の根をたべさせたとし無期懲役。ひどすぎる裁判ではないか。異文化共生問題が叫ばれ互いの文化を尊重して生きる時代が来るにはきた。しかし果たして可能なのであろうか。共生の美名は本物なのであろうか。言葉で使うのは簡単であるが国体を損なう危険をはらむたいへんな問題である。 別府でのイスラム教徒の話。今日は愛知学院大学の名誉教授が研究調査にお越しだと別府に市民運動に入っている友から連絡があった。宗教学であったか、学界にてご発表なされる準備研究なのだそうな。中立の立場で、今後大きな問題になるうと予測されてのことだという。明日は議会での本会議で水源地に近い場所での土葬に反対する市民の声がどこまで通じるか。責任者の意見聴取ができるか否かが問われている。これは日本への帰化条件を定める重要な問題提起となろう。一地方問題などでは決してない。大問題なのだ、次回の阿崎学習会は10月8日、この日に報告発表をしてくれるので楽しみにし、しっかり検討を加えねば今日は朝一番から三ヶ根に走り土木作業にいそしんだ。石柱周辺のつつじとアジサイとすいせんの整備と地ならし。広場の入り口も草取りや土地の平坦化を行う。まずまずの達成度に満足。ここはNTTさんの電波塔への入り口にもなっており、今日は2台の車がはいって作業をされていた。出来を伺うと絶賛のお言葉。うれしいものである。しかし作業中手元がくるって左の人差し指を傷つけてしまう。切り口も泥だらけであったが消毒もできないので致し方なく作業を中止し帰宅した。 資料作成をはじめるがカラーコピー機もカラー印刷機もともに調子が悪く印刷作業も出来ず、ならばと資料整理に入る。修理の業者がくるまでお手上げ状態。休憩を取れとの天の意思かと勝手に解釈して休ませていただく。
2023.09.22
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NHKあさどらを見る南方熊楠の神社合祀令反対活動と成果について触れられていた。あらためて公の偉大さをNHKで聞くとは。在野の天才研究者で不動の信念を貫かれた気骨ある人物。懐かしき名前を耳にした。 今は亡き父と私は大喧嘩した思い出がある。なんでもやりぬいていた尊敬する父が渡しを勘当した原因の一つである我が家の大問題。それは今祝日のたびに私が国旗掲揚をさせていただいている神社の一つでもある「犬頭神社」の森林伐採問題。町の役員を永年選ばれてし続けて来た父は公民館建設場所に神社としてその推進役をしていた。私は大反対。新田義貞公の墓もあり由緒だだしき神社の木々を伐採し敷地面積を減らす等はすべきではない。そのころには神社の舞台なども取り壊されもし流鏑馬用の通路はとっくに無くなり民家となっていた。 祭り時には氏子は学校も祭礼時間に合わせて早く帰宅できたなど優越感を感じていたりもした。神社を大切にしていた父が 神の森の伐採の推進をするなど当時の私には耐えがたき事であった。そのころ陛下に個人的にも名をられ面談までされていたという南方熊楠氏のことを知り大いに感銘を受けていた。その名をNHKで反骨の人士として好意的に取り上げられたわけである。 温厚な父と激論を交わしたことはこれが最初のこと。思えば我が勤皇の道の原点で他といえるのかもしれない。要人が来て下さる際には多くの方にこの犬頭神社にご案内 させていただく事は今もって続くわたしの行動パターンとなっている。 昨日は日の出とともに三ヶ根の土木作業にいそしむ。朝9時に一旦帰宅して銀行作業を終えて再度三ヶ根へ。妻にガソリン代が月8万もかかっているとお叱りを受けてしまう。もう少しで何とかなるとうまく語るのだが。これは一番の難点。うまくかわす。 ささを刈り取った場所は地面が緩くアためるために軽トラで何度も走りためt例るのだが昨日は泥にはまって動けなくなり3名の参拝者に助けを乞い荷台にっていただきうまく脱出。本当に助かりました。ありがとうございました。もうも日が昇ってしまった。今から三ヶ根作業に出発です。
2023.09.21
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いつのまに某警察署の。番の前を通ると敬老の日いう国民の祝日にもかかわらず、国旗がだされていないので車をとめ、勤務されルお巡りさん掲揚をお願いした。ところがだいぶ待たされて市の警察署二問い合わせをなされてから受けた返事は本市での掲揚は行わないことにしたとの回答。愛知県下では交番の統廃合や、不十分ながら人員配置が何とか可能になった15年ほど前より、地域の安全や安心のため、祝祭日に限っては交番においても国旗を掲揚し、祝日の意義を、国民とし、また治安を担う公務員として祝意国民とともに表すことになった。まさかと思った返事である。るその後、岡崎に戻る。5時20分ごろ岡崎市内の交番に寄り勤務されているお巡りさんに掲揚の有無を伺うと、国旗はあるが今日は事件が立て込んだため国旗は不掲揚。警官の任務は犯罪防止と犯人逮捕と交通安全。国旗掲揚は職務ではない 断言なさるのだ。 祝日の国旗掲揚は岡崎のO署長のご英断から県下すべての警察署にて始まってき栄誉ある財産。全国の警察署や交番の見本となっており、町民の信頼を集める立派な行為。国旗国歌法も定着養育基本法改正においても学校のみならず家庭や地方自治体等にも国を愛する心を養う取り組みを要請、国旗の交番掲揚はその趣旨にも大いにかなっていると説明させていただく。 しかし署長はドンドンかわる。何年も前の合意など無関係。無人になることが多く、警察 襲われる事件も多発し国旗が奪われたり兇器に使われる事件も起きており。掲揚の指示は出ていない(からださない)。康生通りなどで国旗がだされるようになってきたのであるから、それでいいではないかと僕らの掲揚活動を揶揄するような発言。5時を過ぎてから掲揚の有無を聞きまわるのは無礼。文句があるならば署の副署長に言いなさい。あなたの要望や質問、不掲揚の指示がだされた時期や根拠等を話す義務はない 確かに私は陸軍墓地清掃の帰りでスーツ姿ではなかった。どこかの浮浪者とでも思われたのか話は強圧的で氏名や住所生年月日を語らせてまるで犯罪者に対する詰問の言葉。民間でどれほど時間と労力を積み重ねて国民啓もう活動をしているのか。秋篠宮殿下のおなり時には9000本、今上陛下の奉迎時には12000本の小旗を岡崎市内でお配りして国旗掲揚を推進してくださった岡崎市民の国思う心がこうして軽く扱われるのは残念でならない。もっと市民の声を丁寧に聞く姿勢が警察官に求めたいのであるが
2023.09.19
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先ほど掲揚終了。2つの神社と公民館、最後に自宅掲揚を終えました。康生で掲揚ちゅうの中沢さんと合流できかったです。岩津で雨にたたられたいへんでしたが何とか頑張って完成です 今日は9時半から日進の区集会に参加、昼から三ヶ根作業。なんとまたもユア地の中化fらNTTのマスと鉄板を発見。よってその外側まで平らにして駐車場にすることとした。西尾市の好意で刈り取ったササや木々処分できそうであります。のの明日もさらに三ヶ根の雑草や雑木の撤去に励む予定です。
2023.09.17
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朝6時からの倫理法人会の学習会に参加。申し訳ないが講師の方はもう何度も話をなされた方のようで初めて話を伺うものにとっては皆さんの笑いのタイミングや性格分類の仕方などついていけなくて困った。うちわのスタッフの仲間内の話題で盛り上がるのは内部の人にとってはそれでいいのだろうが、内部事情の分からぬ者にとっては組織内部の話で盛り上がっていただいても違和感がありすぎる。しかし今日は青山周平代議士の副大臣就任の初日でありどう言った反応があるのかを知りたく食事会にも参加させていただいた。話す蕃が回ってきたので移転のご挨拶と明後日の祝日の国旗掲揚のお願いだけさせていただいた。名古屋行に間に合いそうもなかったので途中で退席させていただき、名古屋の護国神社に走る。 やはり30分遅れとなってしまった。すぐさま先月の樹木の剪定ゴミを軽トラに積み込み清掃作業に入る。 なんと今日は阿含宗の方がせいそうにきてくださっていて丁寧に清掃してくださっていた。大感謝であります。 皆さんと桜華会館にてミーテイング、いつも参加してくれているY氏は今日も九州大分。イスラム教徒の土葬問題で地域の方から応援要請を受けてかつ違約中。電話にて現状を聞く。記者会見の現状などを聞くと反対署名を受け取っていないなどの役所の見解など相当問題ある行動がしょうじているようである。賄賂を受け取ったのではないかなどの情報も流れているとの話もあるようで相当混乱が起きている様子。多文化共生問題の難しさを思わずにはいられない。 さらには某市での介護不正問題。一割は個人9割が国家の負担で介護事業が成り立っているが、介護日数をごまかし月30日自宅介護をなしたとする記録が作られ無批判にノーチェックで介護施設に資金が流れている実態が語られる。日報通りには介護者は来ていないとの指摘をされた方が悪人のように扱われた事例など不法な行為がどうも多すぎる現状を知る、介護職に就かれている大多数の方が実に大変な業務をになわれていることは私も親族に見ているのでわかるが中にはそうでない施設もあるようだ。何とか実際をつかみ是正を促したいものである。 帰宅して仕事を終える。母の買い物に付き合ってすぐに学区の講演会に参加。講師は昨日副大臣に就任された青山代議士と元岡崎市長内田氏。さらに市議会議員のお三方。代議士の話は実に深みがあり堂々としたもの。 来月10月8日の岡崎の教育を考える会主催の学習会の講師をお願いしたところ政府の仕事がなければとの条件ではあるが講演のお願いを受けていただいた。大いに期待できる。 明日は日進学習会と三ヶ根作業。少しずつではあるが活動の幅が広がってくる気配。しっかり進めたいものである
2023.09.16
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朝、夜明けとともに三ヶ根作業に。今日は10時から定例の作業日であるためそれまでに花壇以外の大テーマ、石垣上の駐車場作成作業を進めておかねばならない。昨日につづき、またもやマンホールのような鉄板が土の中から出てきた。昨日の120センチ×90センチほどのコンクリートマスにかぶさっていた鉄板同様、土の中から出てきたのだ。おそらくこの面が以前の広場の基本面だったのであろう。今はその上に土がかぶさり草が生えてしまっている。この鉄板面を駐車場の土部分の表面として使い土盛りの高さをそろえねばならないことがわかった。つまり相当の広さで土を取り去り移動しなくてはならない。手仕事でできる仕事ではない。矢張り業者に入っていただき土地を平坦にして固める機械を入れての土木作業をなさねばならないだろう。そしてその分だけ駐車場を広げるには周辺部に砕石を入れてへこまないような土壌にしなければ。相当の砕石を入れていかねばならないだろう。 急ぎ周辺部の草取りを終えて業者と広さを再検討していかねばならない。 文部科学副大臣に地元の青山周平氏が着任された。友らと連絡を取り合い祝意を表すことなどを決める。 私が最も信頼する若き議員である。国旗掲揚活動を推進する中、集会の記念品として何百という家庭用の国旗を支持者に配るという素晴らしき活動をしてくれたし、関口長太郎先生の慰霊祭にも始めた当初から参加くださり続けてくださっている。初めての立候補の際、10名ほどの有力支援者と会合を持った際、まだ青年会議所に入会されていないことを知り入会をアドバイスしたところその場でしてくれたりと行動力も十分兼ね備えている議員である。今年は西尾の建国祭の講師として素晴らしき話をしてくださった。 今後の政府内での活躍を大いに期待したい。 今日は6時からのモーニングセミナーに参加したのち、名古屋の護国神社清掃に走る、先回の作業で相当の木々の枝払いや剪定をなしたがその枝などは置きっぱなしにしてあるので軽トラックで持ち帰らねばならない、さらに部隊碑のブラシ磨きがメイン。 夕刻4時半からの学区集会に青山副大臣がお見えになるか否かは流動的になってしまったが、お見えになれば大いに祝意をもうしのべたいものである。
2023.09.16
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雨が上がった四時から三ヶ根にはしる。参拝を終え花壇の様子を見にいく。この雨でまたU字溝が流れ落ちたのではと心配であったが、しっかりつけた場所を守っていてくれた。もうこれで安心相当の雨でも耐えてくれるようである。 もどって入り口の石垣の上の広場に軽トラを走らせる。少しでも土砂に圧をかけ固めようとするのだが土が緩くて車がはまりそうなのであきらめて芝桜を覆う雑草を取りにいく。 何とか南半分の斜面の草は形ばかりではあるが一通り草取りをおえた。しかし暗くなったので細かくは取れず、七割ほどしか取れていないだろう。もう二・三日行けばとりあえず斜面の大きな草は取れようか。 先の日曜日の岡崎学習会で配布した佐藤一斎の資料の配布の意味を語る時間がなかったのでいぶかしく思った友より質問を受けたので記載しておく。 関口先生を育てたのは秋山祐助先生。号は恬堂(てんどう)。秋山角兵衛の2男として生まれた。 秋山家は米13石3人扶持の中流の武士の家。恬堂先生は小さいころから学問好きで16歳には江戸に出て昌平坂学問所の儒官佐藤一斎の門弟となられた。一〇年余りの学業が認められ、嘉永三年(一八五〇)二五歳で奥中小姓として五五石三人扶持を与えられ西尾藩の江戸藩邸学問所典学館の儒者見習に取り立てられた。関口先生はその秋山先生の塾生。佐藤一斎から見れば孫弟子に当たるわけです。さて三ヶ根殉国七士廟の敷地内をきれいにする作業も観光プロジェクトの大きな目的の一つである。その整備の重要な一つとして今浮上してきたものが石垣とその周辺の駐車場つくりと公園つくり。之に向けて笹林の除去などに相当の労力をつぎ込んだが、土の入れ変えとテンアツ作業だけで三〇万余の資金がかかる。何とか特別枠で資金集めをしなければ進めない。何とかしなければ。
2023.09.12
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昨日の豪雨で倉庫の屋根から雨漏りが。止んでしまったから保険屋さんが見てもわからないようだ。業者も来ていただいて対応を協議する。 町内の公共の場所での草の繁茂が気になってた。歩道にはみ出した草がおおくて交通の妨げとなっているところもある。語呂合わせで五月三〇日を「ごみゼロ」と呼び全国運動にされたのは豊橋市。ならばと九月三〇日を「草ゼロ」の日として提起し始めたのは数年前。しかしネットで調べてくれた市議が他県で運動になっていると知らせてくれたので、声を小さくせざるを得ず今では身近な仲間内だけの合言葉となっているだけで運動にできていない。 八月三〇日を夜間防犯のために「闇ゼロ」運動とうたっても言葉遊びとしてしか響かない。まあキャンペーンの必要性や共感者の数により広がりはきまるのだろう。「草ゼロ」はしかし行政が乗ってくれれば市民運動になるとは思うが。四月からの年度開始から見れば丁度半年が九月末。草も繁茂し必要性もある運動になろう。 コロナロス現象は地域文化をも変えてしまったかんあり。他人との接触がどんどんヘリ、公共の作業なり行事は多くが縮小や改変。個優先で公は追いやられる。清掃なども縮小の一途。これでは、有志の負担が大きくなるばかり。総代さんのお宅に行き企業への清掃要請の結果をきく。以前のように地域清掃の協力を復活してもらえるように企業への要請にまわってくださったのだ。ありがたいことに再開を引き受けてくださったとのこと、駐車場の周辺の部掃除を再開してくださる確約を得たのだ。 これでボランテイア作業も相当楽になり気力が沸くというもの。 早く平常の奉仕精神を復活させたいものである。 日本の経済力や子供の学力が以前と比べて同等であったり減少しているとの指摘がある。収入が止まっているのは労働時間が欧米並みに減少しているのも理由の一つ。熱くはたらいた頃に生み出した利益を短時間勤務で生み出しているのだから文句はないのでは。子供らが急に頭が悪くなったわけでもあるまい。教育の質、教師の指導力の問題と、学習定着のための時間不足が原因なのではないか。これは教師のはたらき方改革を進める以上放置できない問題であろう。
2023.09.12
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岡崎学習会を開催した。憂国5時からの開始であったが、我が家では狭くなり今日は町内の上和田公民館を会場に設定。参加者は35名。会が始まる前の時間を使い10日はニューギニア第十八軍司令官安達二十三(はたぞう)閣下のご命日であることをかたる。部下を愛する人道の武人にして捕虜地なった部下の救済に全力を尽くされ、責任の一切は我にありとされナイフを使って自決なされた高潔なる将軍。こうした立派な軍人の存在を忘れてはならない。開始にあたって参加者のお名前のご紹介などををなす。提起事項として⑨ 台湾教育(芝山巌教育)の功労者 関口長太郎 絵本作成 ⑩ 戦没者慰霊 下呂 楠公回天祭について 10日 豊橋陸軍墓地 自衛隊合同清掃慰霊祭 10月1日9時より 8時に幹部集合(杉田 護国神社清掃 三ヶ根山 観光活性化プロジェクトの実施計画現状 三ヶ根プロジェクトの主要なテーマ 地図・役員組織 A、殉国庭園整備(花壇の植生、草取り、水やり、芝桜部分の補修など) B、小田忠治公園整備(枯れ木伐採・草取り・見晴台への通路整備) C、つつじ園整備(アジサイ・さくら木 下草とり・通路確保) D,遊歩道整備(下草刈、斜面雑木間引き、ベンチ配置など) E、廃墟対策(撤去の前段階の瓦礫・鉄骨片付け・目隠しなど) F。石垣部分 駐車場作成 芝桜畑作成 予算案提示 通信発行・広報 トイレ掃除 石碑磨き等それぞれの課題を進めていきたい。 馬頭観音慰霊協賛・ほら貝にて・白馬にて供養 知覧(村井)十四烈士 慰霊歌奉納計画 皇室尊崇の現状と推進について 敬老の日秋分の日 国旗掲揚運動等について 小旗作成運動・掲揚ストリートついて 豊川など ⑪ 来年度建国記念日について(案) リー・ジョー先生紹介岡崎奉祝祭 今日までの概要 来年の計画 敬称略 岡崎 碧南 リー 豊橋 西尾 小名木 蒲郡 豊田 高橋史郎 12日 安城 小名木 4日 豊川 知立 高浜 大府 西尾張 豊明 日進⑫ 歴史学習 松本圭堂と天誅組 佐藤一斉の教育 徳川家康 11月2日 徳川家広氏 法人会申し込み⑬ 学校教育 学力定着・道徳教育・LGBTについて⑭ BC級戦犯とチャイナの方針について ⑮ その他・報告事項等 ここまで一時間。ついで講義に入る 講師 中根よしたか県議 演題 私の目指す政治活動 都市機能をいかに高めるか。人流動向を調査して産業を育成する夢のある企画を披露された、その慧眼やよし。わが会の顧問として、さらに三ヶ根の観光活性化プロジェクトの岡崎幸田担当の参与としてご活躍いただけることになった。 参加者の方に十分な対応が出来なかったのが申し訳なかったがここにお集まりくださった皆さんが日本や地域をよくする活動に動いてくださる。本当にありがたきことであります。別部屋では子供会のメンバーが地域の子供らのために必死に作業されていた。やはり地域のため子らのため頑張ってみえるのも知る。地域つくりや地域教育の良き連携がとれればいいだろうなあ。昨年から祭りのお神輿の購入提案をしていた関係上どうなったかうかがったが是非ほしいとのこえ。ということはまだその討議は進んでいないようだ。 昨晩は町の若者ら数人と話して様々な希望を聞くことがあったがその多くは私も感じて町の役員さんや市や警察署などに個人として頼んできたこと。 矢張りフランクな意見が集約できるシステムを町や市につなげる役目も一市民としても差ねばらないと痛感。その意味でも県議と話せたことの意義は大きかったと思う。 昨日は孫の幼稚園の発表会であり孫二人が立派に演技していた。いい時代になったものだと感動をもって見させていただいた。彼女らの将来がいかになるか。われらの責任は大きいと感じて帰宅。
2023.09.11
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昭和19年9月7日は僕らにとっては忘れえない日であります内地にあっては人間魚雷回天の創始者黒木博司少佐が操縦する樋口大尉とともに海底に沈みお亡くなりになられた日。大陸戦にあっては拉孟守備隊玉砕の日であります黒木少佐の法要は10日日曜日生誕の岐阜県の下呂にて開催されます。私も参拝に行きたいのですが、学習会の準備等でほんとにわからないのですが。拉孟守備隊の主力である歩兵第113連隊は、2800名ほどいた。ところが3か月前に拉孟北方に現れた敵軍のために兵力を割かなければならなかったなどしたため、雲南遠征軍が包囲したときにはその半分以下の実質1000名に満たなかったとされます方や、拉孟を包囲した敵戦力は、米国に戦闘要請をうけた蒋介石の直系栄与第1師団(日本の近衞師団に相当)を中心とする5個師団。この軍は、新式装備・兵の質もきわめて優秀な精鋭部隊で兵力48000名。敵対比率は50倍以上も開きがあったにもかかわらず、拉孟守備隊は死守を命じられ、100日間も粘り強く戦闘が行われたのである。日本軍の勇猛果敢な戦いに対して紹介石はわが将校以下は、日本軍の松山守備隊あるいはミイトキーナ守備隊が孤軍奮闘最後の一兵に至るまで命を完うしある現状を範とすべし— 防衛庁防衛研修所戦史室 編、『イラワジ会戦 ビルマ防衛の破綻』 朝雲新聞社〈戦史叢書25〉、1969年 と部下に訓令を発するほどであった。更に騰越の戦いが。騰越守備隊長、蔵重康美大佐。わが軍は2025名であった。一方、対する敵雲南遠征軍の兵力は49,600名であった。兵力差は実に25倍であったが、騰越守備隊は2か月以上も騰越を死守したのである。蒋援ルート遮断のためかくも勇敢に戦われた先人に対して心から哀悼の意を表したい朝6時半昨日不十分であった他町の交差点近くの畑の草取りと道路上にもり積もっている土を土嚢袋に入れる。10袋あまりか。9時から業者来訪を受ける。終えて三ヶ根に。顧問のKさんとまちあわせ。現場を見てもらい一部は駐車場一部花壇にするための計画を作る。 清掃を終えて帰宅。まごのめんどうをみる、仕事開始は7じより。
2023.09.08
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来る日曜、教育を考える会学習会を開催いたします日時 9月10日、午後5時より7時まで場所 岡崎市上和田町 公民館内容 一.学習及び検討課題 台湾教育(芝山巌教育)の功労者 関口長太郎 絵本作成について 戦没者慰霊 下呂 楠公回天祭について 10日 豊橋陸軍墓地 自衛隊合同清掃慰霊祭ついて 10月1日9時より 三ヶ根山 観光活性化プロジェクトの実施計画について 敬老の日秋分の日 国旗掲揚運動について 来年度建国記念日について リージョー先生紹介 歴史学習 松本圭堂と天誅組 佐藤一斉の教育 学校教育 学力定着・道徳教育・LGBTについて BC級戦犯とチャイナの方針について 二、講演 講師 中根よしたか県議 演題 私の目指す政治活動(仮題) 終了後 座談会開催昨日朝6時半より町内の歩道の草刈りを行う。小学生や中学生が元気よく挨拶してくれるのがうれしい。 この作業は町内一斉清掃でのやり残しの分であり放置できない。とはいえさすがに袋はすでに10袋。まだ山のように歩道などに差が得ている。しかも時折の豪雨で作業は中断。さすがに終わりそうもなく町の総代さんにコロナ前のルール、企業や店舗に、隣接する歩道の草取りの要請希望をだしていただくようにお願いにいき同乗して問題地域を見て回ることにした。さっそく明日には店舗の責任者にお願いに回っていただけることになった。 隣町の総代さんにも一斉清掃の際の我が町の数年前までのルールをお話ししたところこの町にも草取りをしてくださらない地主さんが見え、困って見えるのこと。遠方の市の方だそうなのでわざわざ来てくださらないのこと、その場合、私権が絡んで来ますので厄介だが、交通上の危険性などがある場合に限り、最小限の雑草刈りを為す許可をもらうとの確約を得て、草取りに限ってなしうる権限を町が得る必要があるでは。その方針で清掃場所や規模など決めて今回実施してみることになった。 わがまちでも歩道上に広がって出てきている雑草は歩道上の部分は切り取ることができる慣習上のルールはあるが、それが多年草の草花の場合には刈り取りはしていない。なかなか難しい問題がある。 雨のため連続的に草取りやどぶ攫いは出来なかったので娘の家の草取りをなす。
2023.09.07
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生活保護問題。この対象者は日本人であることは憲法の示すところ。外国人は対象外でありながらほぼすべての市町村では外国人への支給がなされており、日本人の尊き血税が使われ市町村の財政に支障が出てしまっている。自治体の判断で外国人への保護生活も日本人と同様に成すことができると裁判所の見解があるため即座に違憲とは言えないがしっかりした自治体判断がなされているとはいいがたい。健康保険料の支払いもそうだが、外国人に日本人と同様に給付をなすというならそのための責任も応分にになってもらわねば。国内入国時には保険加入を義務としたり、外国人枠の生活保護用の収支が明らかになるように市町村の情報開示を義務化すべきではないか。その範囲で生活保母的な支援を為すべきであろう。こうした活動をなしている友には大いに同感。好きな区とも無批判に安直に国民ならざる方に支援をなし続けるのは大いに疑問である。さて昨日朝ゴミ処理をなして三ヶ根に。まずは切り開いた石垣の上の枯れた草木の撤去。腐葉土にはまだなっていない落ち葉や枯れ枝などを掃き集める。その量は半端ではない。土面が出るまで集めて廃棄。一部は駐車場にする予定であるのでテンアツをかけたいのだが器具がないため軽トラックを何度も走らせて土を固める。 のぼりの階段と通路を作製。石垣のすぐ上の平坦な場所は芝桜を植えたく思うので土盛りをした。 次いでさつき園の整備。さつきの上に覆うようにツタが伸びているのでそれを取り去り根本の草取りをなす。 次いで入り口の芝桜の花壇の草取り。さらに2段目階段の前に茂る草の撤去、本堂に戻り入り口の石の周りの玄関先の草刈り後に廃墟の瓦礫の一部移転。 最中に知人が西尾市内の学習塾の先生を連れてきてくれた、私が自宅や職場にいないからここに来れば会えるだろう推測して。関口先生についての説明を求められたのでお知らせする。 4時からの仕事に間に合わせて帰宅。終えてから町内の草取りに出る。 残念ながら先日の一斉清掃の意義や場所の案内が町内企業や店舗に十分には伝わっていなかった様子。できる限りの時間を使って美化作業を進めねば。三ヶ根清掃より厄介な作業ではあるが、
2023.09.06
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朝6時半に家を出て三ヶ根作業に。山頂に近づくと空になんと大きな虹がているではないか。実に感動的なシーンであった。まだササがどうしても気になる。必死に刈り取り作業を行う。9時半には教育をよくする会幹事会が安城で開催されるのでそれまでに進めねば。しかし時間がなく2時間弱で作業を中断して一時間で安城につく。企業を興して素晴らしき人間教育をされているI会長のお話を伺う。今月も岐阜から数十人の某会社の社員が研修にお見えになるとおっしゃる。私のような凡庸なものに警護までお使いになる会長。つい普段のフランクな言葉で話してしまう。その偉大な業績をお持ちになる方と身近にさせていただきながら緊張感なく会話してしまう己を恥ずかしく思った。今日の安全な食物の育て方や遺伝子操作の話、護国神社の木々の剪定活動報告や教育者育成の話など、私は皆さんに三ヶ根活性化プロジェクトの話と関口長太郎先生の漫画本作成現状の報告と資金協賛のお願いなど、さらに建国祭の講師案提示などをさせていただいた。協賛金は今日の会議で3万余円。本当にありがたい。三ヶ根に戻り作業の付きを行う。通りかかった参拝にお見えになった先輩に今の場所を見ていただき、お褒めの言葉をいただく。恐縮である。 来客の予定が入り帰宅し、先優先で他の予定をキャンセルして待つが。ついにこられずとの電話。人の予定を軽んじる方にはなかなか敬意を払えない。きをつけたきものである。
2023.09.05
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今日は町内一斉清掃の日。朝6時半より一斉開始に先立って家の周辺の草取りや、向かいのテナントさらに歩道にはみ出た草の刈り取りをなす。7時に放送が入り、清掃場所に走り下水の清掃と町道の草取り、町内の家の前の側溝や通路にはみ出した草を取り除く。9時半に三ヶ根につく。今日は第一日曜日。定例清掃の日である。10時開始、今日の清掃場所を皆さんと確認、芝桜を植えてある斜面部分の草取りである。暑くてたまらず早めの11時半より休憩に入る。いつものおにぎりの差し入れをしてくださったNさん。かぼちゃパイもおつくり頂いてその美味に皆さん絶賛。ポポなる甘く香ばしき果物をお持ちくださったHさん。人生初めての食体験である。これほどうまき果実があるとは。今日はおおもうけである。ほら貝をお吹きになられご参拝くださったかた、はじめ初めて作業にご参加くださった方は4めいでしょうか。会の趣旨にご賛同いただき入会までいただけた。本当にありがたきことでした。関口長太郎先生の漫画本作成支援協賛金呼びかけの書式と三ヶ根山観光活性化プロジェクトへの参加案内などを皆さんにお配りする。私は一人抜けて豊橋陸軍墓地へ。遅れてしまいすでに皆さんが大活躍中。草刈り機を持参くださった方、高校生や大学生のボランテイア参加の方など毎回多くの方がお見えになり実に楽しい。しかしこの草の量。とても手に負えない。しかし市の草刈りは年一度のみ。何とかせねばと活動の中核を担う方らと検討をする。次回は10月1日、午前9時から、自衛隊との同道清掃と慰霊祭となるがそれまでにこの草を何とかしないと。課題は大きい。元県議竹上裕子さんの司会で黙祷などの儀式をなして終了、有志で茶話会を行う。5時に再度三ヶ根へ。今日は皆さんとともに草取り作業だったので土木作業は全くできなかったのでその作業に。まだまだ竹藪の撤去作業は相当時間がかかる。どこまで刈り取れば築山が公園のように開けるようになるのか。笹の刈り取りはまだまだかかる。それが出来ねば次のステップに入れない。しかしとっくに日没。仕方なく7時になったところで三ヶ根を下りる。 次週は岡崎学習会。活動確認や討議事業満載。講演者は中根県議。地域や国をどう正していくべきかを大いに語っていただく予定であります。場所は上羽だ公民館。5時から7時まで。志をもてる方、日本を愛する方のご参加を期待します。
2023.09.04
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朝岡崎の倫理法人会のモーニングセミナーに参加。8時から仕事に入る。友から関口長太郎先生の漫画本作成支援協賛金呼びかけの書式一式と三ヶ根山観光活性化プロジェクトへの参加要請の書式を受け取り名古屋の豊国平成塾学習会に参加。今日の学習は佐藤一斎先生。武士道に生きる儒学者の人生を学ぶ。終えて皆さんに関口先生と三ヶ根活性化の活動支援を要請。皆さんの協賛を受ける。ほんとうにありがたいことである。名駅にて参政党の諸君の街頭情宣を聞く。大いに共感。帰宅して業者の来訪を受ける。明日は町内一斉清掃の碑。できることは前もってやろうと周辺の草取りをなす。明日は三ヶ根10時。清掃の日である。多くの皆さんのご参加を期待したい
2023.09.02
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朝燃えるごみを出して軽トラにて三ヶ根に走る。切り置いたすべての下草を一か所に仮置きする、さらに大木を一本切り、一メートルほどに細かく切る。すべて手作業でありこの労力は大変。しかしこれで今の広場部分のササや下草切りがスムーズになり、もう少しで10台ほど駐車できる広場が作成できそうである。しかしそのためには2トンほどの土を入れて平らにして固める作業がいりそうであるが。そこまでやれば大殊勲必至に作業してひと段落したのでふと手足を見るとなんと血だらけ。作業中にどこぞでけがをしたのだがよくは覚えていない。問題はこの仮置きした雑木の撤去。頭が痛い。昼に帰るように言われていたので帰宅。精米と不用品のクリーンセンター運び。他竹仕事をしていた母が廊下でしゃがみこんで動かないのを発見。何度も声を出して私を呼んだそうだが全く気付かなかった。すぐに水を飲ませて負ぶって風呂にまで運ぼうとするが手足が震えて背負われるのが怖そう。汗だくのままではならないが服も脱げない。おそらく熱中症寸前だったのではないか。直前まで畑を打って芋ほりなどをしていたが倒れて身を起こすことすらできなかったそうな。昼からの三ヶ根行きはあきらめ、家の周りの草取りや撤去した林家のテナントの草取りなどを行いながら母の回復をまつ、何とか体力を取り戻してくれたのでほっとした。明後日の3日は町内一斉清掃日。入っていた案内を見るが、またもやご自宅周辺も清掃範囲とうたってはあるが家の前の歩道や側溝も範囲とうたってはない。店舗周辺の広範囲の周辺側溝の草取り要請もされたのかいかな。まあできていなかったら4日に私がなせばよいことだが。 今日も何度か近隣でパトカーがサイレンを鳴らして走り回る。橋から下りてすぐ2車線になる信号場所は直進禁止。右折のみとなっており、道路上での右折のみのペイント指示のみで前に2台車が止まっていればその右折オンリーの表示は後続車にはほとんど見えない。日没後は特に道路上の表示を見落とす車は多い。きわめて不親切な表示ながらそれをパトカーが追跡してサイレンを回して捕まえる。理不尽極まりない行為ではないか。直進も右折もできるようにしてほしいと岡崎警察に申し出ても検討すらされずにいるようである。直進禁止の指定の科学的な根拠を示してほしいものだ。 一時間に4・5台が捕まるのは運転手のせいばかりではないはず。信号左折車あれば直進希望者は追い越し車線を走ろうとする。しかしその車線が直進禁止だから築いて急停止するかといえばしない。。危険極まりないから。住民としてはサイレンばかりで安穏として生活ができないのが苦痛の種である。今日は家に長くいたのでサイレン音に敏感になったのかもしれないが。 今日は町内の総代さんに道路上の表示をそのままにするなら赤色で矢印マークを囲むか進路変更禁止の黄色のラインを書くかしてドライバーに注意喚起をさせるよう要請してほしいと頼みに行った。本音は直進も右折もできるようにしてほしいとの数か月前の要請を警察が検討してくれればと思うのだが。明日は6時からセミナー、8時から仕事、2時半から名古屋の勉強会6時から業者対応で合間を縫って町内清掃の前倒し作業。三ヶ根行きはできない予定。
2023.09.02
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朝三ヶ根の作業。月末のためこの野原の作業はいったんここまでとする。大ばさみでササや細い木の茎を切り取っているとなんとハサミの柄を折ってしまい万事休す。値打ちな大ばさみを購入。いつも思うのだが工具を必ず壊してしまう。これは性格なんだろう。情けなくなる。関東からはるばる三ヶ根にお越しくださった方お二人とお話が出来た、三ヶ根にぜひとも参拝したいと国旗をお持ちになりお越しくださった。昭和天皇がお越しになられた状況のこと鶴田浩二氏やアイジョージがお越しになっていたころのことなどをお話しした。こうして説明をしているときが一番有意義に感じる。夕刻西尾にて関口長太郎先生の漫画本の逐一チェックを行った。皆さん本当に熱心で頼もしい。これが難題だがやるしかない。今月中にめどをつけたい。明日は今まで下草刈りをしたままでおいて来た草をすべて撤去して積もった落葉樹の葉を取り除きこの地の凸凹を直して平坦な広場にする作業の開始としたい。おそらく地下茎wp取り切らねばならないであろうが当面は土面が出るようにするまでの作業をなしたい。
2023.08.31
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三ヶ根での説明時によく日本の大陸進出を日本の大陸侵略ととらえて見える方にお会いする。満州国に対する認識があまりに否定的すぎるのだ。日本が満州に影響力を持ち満州国樹立をなした一連の歴史を侵略と思い込む人、リットン調査団により断罪されたと語る人。そういう方には満州国樹立後、毎年100万人ほどの中国人が流入していることを語りいかに治安の良き地域になったかをお話しする。リットン氏の報告書においても日本が特別な権益を持つことへの同意あることも。ドイツのユダヤ人虐殺と絡めて日本もチャイナや朝鮮民族への弾圧をしたなどの認識を持って見える方もまだまだいる。 ユダヤに対しての日本人の方針を確認しておきたい。ユダヤ人の排斥しないとする『ユダヤ人対策要綱』一九三八年(昭和一三年)一二月六日の五相会議(近衛文麿首相・有田八郎外相・板垣征四郎陸相・米内光政海相・池田成彬蔵相兼商工相)で、我が国は「人種平等の原則によりユダヤ人を排斥しない」とする『ユダヤ人対策要綱』を政府決定している。 インドのカースト制度や南アフリカのアパルトヘイト、アメリカの黒人差別韓国の両班など、差別にかかわる言葉はよく耳にする。では人類史上最大の差別とは何か。欧米列強のなした人種差別、植民地支配であろう。我が国は八紘一宇の国是を持つ国。国際連盟の設立時には何度も人種平等法案を掲げ、これを主張。アメリカはそれを阻止するために「多数決」での決定を拒み「全会一致制」を持ち出して抵抗。ついには米国議会の反対を理由に国連参加すらしなかった。黒人問題を抱える彼の国には到底是認できぬテーマだ。我が国が満州にて打ち出した五族協和の理念は大企業を入れずにこの地に民族の平等と安寧の地を気づくとの画期的な理想。反ユダヤ主義を掲げるヒットラー率いるナチス政権が破竹の勢いでありヨーロッパの脅威になっていた際に、我が国はユダヤ人対策要綱を政府決定していることは特記すべきことだ。 この五相会議の時に、陸軍大臣の板垣征四郎は、「日本は八紘一宇の精神である」と語ったという。再掲する猶太人対策要綱 昭和十三年十二月六日附 五相会議決定独伊両国ト親善関係ヲ緊密ニ保持スルハ現下ニ於ケル帝国外交ノ枢軸タルヲ以テ盟邦ノ排斥スル猶太人ヲ積極的ニ帝国ニ抱擁スルハ原則トシテ避クヘキモ之ヲ独国ト同様極端ニ排斥スルカ如キ態度ニ出ツルハ唯ニ帝国ノ多年主張シ来レル人種平等ノ精神ニ合致セサルノミナラス現ニ帝国ノ直面セル非常時局ニ於テ戦争ノ遂行特ニ経済建設上外資ヲ導入スル必要ト対米関係ノ悪化スルコトヲ避クヘキ観点ヨリ不利ナル結果ヲ招来スルノ虞大ナルニ鑑ミ左ノ方針ニ基キ之ヲ取扱フモノトス方針一、現在 日、満、支ニ居住スル猶太人ニ対シテハ他国人ト同様公正ニ取扱ヒ之ヲ特別ニ排斥スルカ如キ処置ニ出ツルコトナシ二 新ニ 日、満、支ニ渡来スル猶太人ニ対シテ一般ニ外国人入国取締規則ノ範囲内ニ於テ公正ニ処置ス三、猶太人ヲ積極的ニ 日、満、支ニ招致スルカ如キハ之ヲ避ク、但シ資本家、技術家ノ如キ特ニ利用価値アルモノハ此ノ限リニ非ス本要綱においてはユダヤ人を他国人と同様公正に扱うこと(一)、またユダヤ人を取り締まる際であっても外国人入国取締規則において公正に取り締まること(二)を明示する (中略)一九三八年一一月以来、上海租界へのユダヤ難民流入が急増し、現地日本当局は現地ユダヤ社会から対策の要請を受ける一九三九年夏までの間、積極的に措置を講じなかったため、一七〇〇〇人がドイツを脱出することができた。また駐ベルリン満州国公使館書記官王替夫は一九三九年六月から、リトアニアの在カウナス領事館杉原千畝副領事は1940年七月から、ユダヤ避難民に通過ビザを大量に発給した。(ウィキ引用以上) ユダヤ難民がシベリア鉄道によりソ連を経て満州に流入した際、樋口季一郎陸軍少将は東条英樹閣下の了承の下、満鉄総裁松岡洋右と協力して万を超すユダヤ人を救った。また上海の多くのユダヤ難民を保護したのは犬塚惟重(これしげ)海軍大佐であった。リトアニアの在カウナス領事館杉原千畝副領事は日本通過規則であった、旅費及び本邦滞在費等の移動後の生活資金の所有などの条件を満たさぬものにはビザ発給をしないとの外務省訓令に違反して六〇〇〇名のユダヤ人難民に日本通過ビザの発給をして彼らを救った。しかしこの訓令違反は外務省からはとがめられることはなかった。杉原千畝を日本政府の方針に反してユダヤを救ったヒーローと語るのも結構だが、満州の役人であった千畝氏の意識の中には「猶太人対策要綱」の理念が貫徹していたとみるのが正しいと私は思う。これなくして、千畝氏がどれだけ善良な役人だとしてもユダヤの救出はできなかったであろう。無論東条閣下の合意もユダヤ人の救済に大いに影響があった。閣下のお孫さんの故東条由布子女史にこう申し上げたとき私の意見のご同意くださったことを思い出す。 政府方針に反してユダヤ人を助けたから千畝氏は戦後外務省を追放されたと論じる方がみえるが、戦後実に多くの知識人が公職追放されたことを思えばその論は宇gs地過ぎていると私には思われる。話は変わるが豊橋陸軍墓地には敵軍、清兵の墓も大切に墓地の中にあるしロシア兵の墓も名古屋の陸軍墓地に安置されている。日本人の感性は死者は敵兵であろうと厳粛に祀る精神がある。時々に最善をなさんとする使命感の発露がある。同盟国ドイツに敵視されようと我が国には古来からの八紘一宇の精神がありそれを根拠に非道な行為に対決してこられたのだ。日本国家の自然法ともいうべき八紘一宇の精神は、同盟国ドイツとの条約文面に優先するものというべきでありましょう。価値観を共有する国として韓国などをかつてよく持ち上げられたが、自由主義資本主義の以前の、民族のコアパーソナリティにかかわる価値観はとても共有はできまい。やはり道義国家を作り上げてきた日本の本来の価値観を日本人は正当に学び受け継ぐべきであり、その精神を正しく輸出しなければ世界の平和と安寧は実現することはなかろう。さて昨日は6時からの蒲郡のモーニングセミナーに参加してすぐに三ヶ根に入りる。新たにみつけた石垣の上の雑草とりなどをなす。相当の雨が降り何度も車で待機。ササの切り株の上を何度も歩くので作業靴が破損してしまった。長靴を取り換え車を軽トラックに変えるために自宅に戻り再度三ヶ根へ。作業をしていると町内から電話があり急ぎ帰宅。学区の重鎮の方お二人と9月10日教育を考える会学習会について説明させていただいた。今日中に下草祓いを終えたい。
2023.08.31
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三ヶ根でのご案内の最中に歴史教育のやぐさについてはなさせていた。岡崎からお見えの3夫人の方に東京裁判についてや南京事件のことなどを話す中で岡崎の地理学者志賀重昴先生の南鳥島領有の功績や岡崎城にあるアラモの碑の鳥居強衛門の忠義の話や島原天草一揆と鈴木神社の話など多岐にわたってお話しさせていただく。また西尾の関口長太郎先生と台湾への貢献、豊田の鈴木重成公・正三公のことなども。 三河人として先人がいかに立派に生きられたか、歴史教育などでしっかり語っておくべきだと思います。例えば島原天草一揆の話にせよ、幕府が厳しく村民を支配したなどの説明で学校の授業は終わる。しかしそれでは三河人の立派さは何一つ子供らに伝わらない。重成公は三河藩(愛知県)東加茂郡の足助城城主鈴木重次の三男として誕生。長兄のしょうさん正三公は後に出家して禅僧となったため、家督は重成公が継ぎました。承応二年(一六五三)、重成公は天草の代官として任につく。疲弊しきった天草を救わんと年貢半減の建白書を残し、江戸の自邸において切腹して果てられた。農民のために命を捨てる代官がいたのです。子の重祐に家督を継がせ、養子の重辰(しげとき)(正三の実子)を二代目代官に任じるという異例の処置を取ります。天草の人々は代官に心服している。鈴木家でなければ、もはや天草は治まらないことを幕府はついに重成公の七回忌に松平信綱と阿部忠秋の連名で石高半減の通知が下され年貢の大幅な減免がなされたのです。天草の各地には立派な鈴木神社が立てられ、今も「鈴木さま」として天草の人々に信仰されており、豊田の小学校生徒と天草の生徒との交流が今も続いていると聞きます。こうした話を伝えねば歴史教育は意味がない。心を育てられない。英霊の皆さんへの感謝の思いを教えねば将来を担う子供は育たないと思うのです。さて、今日は朝資源ごみを出して家のことを済ませて三ヶ根に走る。昨夜、高校生から物理がわからぬから教えてほしいと電話をもらい2時に我が家に来るように言っていたので、それまでしか自由時間がない。豊橋陸軍墓地清掃に行く時間がなくならば三ヶ根作業の続きをと判断し、ササの切り倒し作業を為す。明日にはもう少し仕上げておきたい心打つ 歴史語るは 親の責 まず始めたし ひのもと語り
2023.08.29
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朝9時半からの小学校学区のトップとの方との会合が延期となった。理由は昨日の学区の祭りの片付けがあり大変なのだと聞く。知らせを受けてすぐに三ヶ根にはしる。まず看板の取り付け。寸法通りにブロックの穴に収まり、柱とブロック穴戸の隙間はコンクリ固定がよかろうがとりあえず小石を差し込み固定。不備が生じればコンクリ固定を為すつもり。 次いで鞄部の通路の草取り。久しぶりに通路をきれいにすることが出来た。作業しながら斜面の芝桜を覆う草を取りながら進めた。次いで豊橋に。影山庄平先生の石碑がある東田の御嶽社に参拝。岡崎慰霊祭の報告をさせていただいた。道路にはみでた高木の枝の切り落としさ作業など。新たにお住いになられたⅠさんとお話しした。きれいに雑草を刈り取ってくださったことに感謝の言葉を述べる。次いで豊橋陸軍墓地の草取りと献花用のみず受けを取り付ける。西尾に走る。8時より三ヶ根活性化プロジェクトの通信案の検討。役職の案の検討案を作成。明日さらに夕刻5時からの会合にて合意が取れれば3日の作業日に皆さんと会議。10日の岡崎学習会の前には決定したい。明日は朝10時より仕事をなし豊橋陸軍墓地での草取りのめどをつけ、5時には西尾での会議に参加予定手をかけて 心を寄せて 案内せど 参拝されぬ 方あるよし
2023.08.28
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岐阜からお越しのご参拝の女性の方と大いにお話しできた。さらに刈谷市の方、馬の慰霊もなしたいとされる西尾の馬を育てる会社のかたとも。その間の時間を使って三ヶ根作業を行った、内容は三ヶ根殉国七士廟の案内看板を石垣部分に設置準備。ブロックを埋め込み柱を立て看板を止める形にする。取り付けは次回。石垣上の平地に上るための階段をつける。石垣上の平地は土が柔らかく、腐葉土になっている状態なので固めて歩ける状態にしなくては。できれば芝桜を育てて植えてみたい場所、歩道も設置したいものである。時間をかけて土を固めササの根を取り去る作業が必要。長期的に取り組みたい。 昨日の予定作業は花壇の歩道の草取り。北と中央の部分(階段下)の草取りは完成。今日は南部エリア(花壇入り口部分)の通路の草取りをメインに予定していたが、台風のため木々の枝が無数に折れて花壇や通路、斜面におちている。雨により表面の土が流され大小さまざまな礫石や砂利が表面に残されてごつごつ状態。その撤去などで時間がかかり作業は7時までかかってしまった。日没が早くなりもうすっかり暗くなっている。今日は9時半より学区の重鎮の方と面談。終えてのちには三ヶ根にて作業。まずは花壇の南エリアの通路の草取りと斜面の草取りの実施、さらに豊橋陸軍墓地の清掃に向かいたい。県民の誇りをになう三ヶ根山 あまた国びと訪れたのし
2023.08.27
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