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本ブログで以前、「学びの共同体」を採り入れている高校を紹介し「授業研究」、「学校づくり」の実践として高く評価する趣旨の記事を書きましたが、現在、私が勤める学校においても、「学びの共同体」を採り入れた授業研究を実施する方向で一歩踏み出しつつあります。 その準備の一環として4名の同僚が出張して、別の高校における「学びの共同体」の研究授業を撮影したのですが、そのビデオを見る機会を得ることができました。 私がビデオで見た研究授業(国語)は「山月記」を題材にしたものでした。 「授業の要点は実にシンプルなものだった」、「しかも、子どもたちが4人グループで討議しながら柔軟に読解力を高めていけるような方法・実践だった」というのが私の感想です。 細かいことは抜きにして、授業内容と方法のポイントを紹介しましょう。 授業者は「山月記」でその時間に取り上げる部分を生徒に示して、次のように指示しました。1、この中で「主人公の気持ち・心情が表れている部分」はどこだと思うか (具体的に場所を出し合って示してみよう)2、そこには「主人公のどのような気持ち・心情」が表れていると思うか (意見を出し合って心情を言葉にしてみよう) この授業は上記2点について話し合い、4人グループの中で出された意見を記録するところで終わりましたが、子どもたちが楽しそうにまた真剣に意見交換している姿がとても印象的でした。 その後の研究協議は、「子どもたちの学びの事実」、「一時間を通して子どもたちの変容が見えた部分」について個人名を出し合いながら意見交換していく、という「学びの共同体」の実践校が共通に用いている方法で進みます。 授業の第一印象としては、大学時代の「哲学演習」の手法と似ているな、ということでした。確かにこのように複数の意見・解釈を出し合い討議していく方法が、読解力を高めていくことは経験上ほぼ確信を持って言えます。 それを高校において生徒の主体的な活動として実践していることを興味深く感じると同時に、私はOECDの国際学力テスト「PISA」の総合読解力のポイントを思い出しました。 以下に、その一部(福田氏の見解)を紹介したいと思いますが、よろしければ、総合読解力に関する拙ブログ記事をごらんいただけますか。 PISAは、読解力を「情報取出」「解釈」「省察」の三段階で評価しようとした。ここでいう、 「情報取出」とは、取捨選択しながら必要な情報を収集してくることである。 「解釈」とは読み取りと理解で、自分と意見の異なるものもその対象になる。 「省察」とは知識が整理され、評価され、結論が下される段階である。 フィンランドは、「省察」よりも「情報取出」と「解釈」の得点が極めて高いことがわかる。 (・・・)フィンランドの子どもたちは、必要な情報を探してきたり、他人の意見、おそらく自分と異なる意見を解釈するのが上手なのだ。 福田氏は「情報取出」と「解釈」を他者の意見も参考にしつつ柔軟に進めていくことが、フィンランドの子どもに比べて日本の子どもが劣っていることを指摘します。しかしながら、上記に紹介したような授業方法は、まさにその苦手とされている「情報取出」と「解釈」の力を高めていく実践だと言えるのではないでしょうか。 「学びの共同体」を活かした高校における学校づくり(実践例)です。 日本ブログ村と人気ブログランキングに参加しています ↑ ↑よろしければクリックして投票・応援いただけますか 教育問題に関する特集も含めてHPしょうのページに(yahoo geocitiesの終了に伴ってHPのアドレスを変更しています。)
2010.06.24
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>やりがい・教師という仕事をしていてよかったと感じることは何ですか? 高校生からの質問の続きですが、これに答えつつ表記のテーマについて述べたいと思います。 大変なこともありますが、いろいろな場面で子どもたちの成長に立ち合えるのです。これほどやりがいのある仕事はそうないのではないか、と勝手に思っています。 たとえば授業を通して大きな手ごたえを感じることもできます。授業をきっかけに、 「本当の学び」が成立すると「世界の見え方」が違ってくる。これまでと違った仕方で世界を見ることができるようになるのです。 現実に存在する様々な問題を自分自身の問題としてとらえ、「社会を変えていきたい、よくしていくために力を尽くしたい」、とか「学校の社会科の先生になっていろいろな問題を一緒に考えたい」、といいながら大学に進学していった生徒もいます。 そして、私なりに力を注いできた特別活動。 前回、触れましたが担任になった当初の失敗、挫折があまりにも強烈だったので、翌年「子どもたちが成長していくようなクラスづくりができた」、「HR指導の失敗を自分なりに何とか乗り越えた」、と実感できた時にはなんともいえない喜び、充実感がありました。 「特別活動の実践」に関して私自身の体験をもう少し語ることにします。失敗した年に取り組んだテーマは「クラスの自主管理」、翌年に取り組んだ中心テーマは「遊び」でした。 「クラスの自主管理」は、たとえば掃除サボりや教室管理、遅刻、授業に向かう態度なども含め、「班長会(クラスリーダーの会)」がクラスの問題点を分析して、クラス全体に目標を提案→一定期間クラス全体で点検をしながら取り組む→総括する、というものでした。 このような活動を繰り返し行いましたが、「班長(リーダー)は担任の回し者」と見なした男子のグループがしだいに勢力を強め、結局、クラスはバラバラになってしまったのです。(このようなことになる危険性は、小学校段階よりも高校段階のほうが大きいでしょう。) さて、特別活動の大きな目的の一つは「体験を通して民主主義(討議・決定・実行・総括といった活動の大切さ)を学ぶ」ことだと私は考えています。 そして、討議の出発点は「要求の組織」である、つまり、子どもたちが自分たちの要求・願いを言葉にし、討議をしながらみんなの要求としてまとめあげていくことだ、というのが従来からの全生研、高生研の考えです。 さて、そうすると、「クラスの自主管理」が高校入学当初における大部分の生徒の「ありのままの要求であったのか」、 「民主主義の形を作ろうとしただけではないか」という疑問点、反省点が浮かび上がってきます。 マカレンコは『教育詩』の中で「人間的な活動の原動力は“明日への喜び”であり、単純でわかりやすい喜びをまず活動の中で生み出すこと、そして、それをしだいに人間的により価値の高い喜びへと発展させていくこと」の大切さを述べていました。 そのような「読書」の成果を踏まえて、翌年、私のクラスでは、例えば班の輪番で「クラスレクリエーション」を企画し、責任を持って成功させる、という取り組みを繰り返し行いました。 クラス替えの当初、「なるべく楽しく遊んで打ち解けていく」という取り組みは、ほとんどの生徒の支持を得て盛り上がったのです。 それは「楽しさ(快楽)の追求でしかないのでは?」と思えるかもしれません。しかし、活動の中で花開いていくのは単に「楽しみたい」という要求だけではありません。班で輪番に「レクリエーション」を担当・実行するということは、企画を一生懸命考えて「みんなに楽しんでもらう」という価値ある「喜び」を目指すことでもあるのです。 toshiさんがブログ記事で紹介されている事例 では、『1年生を迎える会』について上級生が真剣に話し合っている様子が報告されていますが、その話し合いが成功した大きな要因は「新入生に喜んで欲しい」という上級生の願いであり、 「喜んでくれることをうれしく思う」という人間的な「要求」が背景にあるからでしょう。 「縦割りの取り組み」が成功しやすい理由(toshiさんの言われる「必然性」)もそこにあるのではないか、と思うのです。 子どもたちの要求、願いから出発しつつ、みんなにとって(個人や集団・社会にとって)よりよいことは何か、真剣に話し合い実行に向けて動き出す力、振り返る力をつけることこそが、民主社会を形成する主権者として成長していくことなのではないでしょうか。 日本ブログ村と人気ブログランキングに参加しています ↑ ↑よろしければクリックして投票・応援いただけますか教育問題に関する特集も含めてHPしょうのページに(yahoo geocitiesの終了に伴ってHPのアドレスを変更しています。)
2009.07.30
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私のブログの読者(他県の高校生)からメールで次のような質問をいただきました。>教師という仕事に取り組んできた中で抱えた問題と、それをどのように克服・工夫して乗り越えられましたか? このたびは、その回答を記事として公開いたします。前回記事「特別活動の実践1」の続編を後回しにすることになりますが、関連するところも大いにありそうです。 さて、私を含めて教職員が必ずと言っていいほど直面する問題、克服すべき問題の大きなものは、「自分自身の指導力不足」だと思います。 現実の子どもたちは、それぞれに成長課題をもち、学校において学び成長していく権利があるわけですが、それに応えられるような「“指導力”が自分には不足している」、「そのことにどうしようもない無力感を感じる」といったことは、ほとんどの教職員が体験するのではないでしょうか。 実は、民間企業を10年間ほど経験して教職についた同僚から「民間では職階制のもとで部下への指示はともかく聞いてもらえるが、教職についてみて一体どうすれば子どもたちが言うことを聞いてくれるのかわからない」、という相談を受けたことがあります。 仮に民間経験者でさえそうだとすれば、大学を卒業してすぐに教職についた大部分の教職員がそのような「無力感」を体験するのは、むしろ当然と言えるのではないでしょうか。私自身も一年目講師として勤務した高校で授業さえもなかなか成立せず(確かに学校全体で難しい状況が多かったのですが)、相当に悩みました。 また、採用されてから早い段階で高生研などが実践・推進している「集団づくり」を学んで挑戦したのはいいのですが、実際の指導に柔軟性が欠けていたため大失敗、クラスがバラバラになり「自分は教員に向いていない」、「教職員を辞めようか」、と思い悩むこともありました。 その時、高生研の先輩に勧められたのが『教育詩』(マカレンコ)でしたが、学ぶところは大でした。『教育詩』は犯罪経験を持つ青少年の集まる「コローニャ」という施設での「実践記録」です。 ここで青少年たちは農作業、演劇などを含むさまざまな「部隊ごとの活動」や、施設内での問題について「指揮官会議(ソビエト)」やその上位の決定機関である「総会」で徹底論議しながら実践・解決していきます。 そして、青少年は論議する力やパフォーマンスを高めるとともに、総会での民主的な決定事項を実践する力を身につけ、最終的に「コローニャ」は本当に素晴らしい教育力を持った集団に成長していくのです。 マカレンコがある段階で取り入れた「軍隊遊び」と「部隊の活動」、「指揮官会議」などの教育的な装置が、実践の中で「民主的な集団の形成」へと発展していったのです。 そのなかで私が強く印象を受けたのは、そのような素晴らしい教育実践家であるマカレンコにも「いったいどうすれば教育が成立するのかわからず、苦しみ悩む期間が長く続いた」ということです。そしてマカレンコはその苦しみを突破する意志を失うことなく、「方法」を模索し続けついに乗り越えていったことでした。 私は、この『教育詩』の実践と「私の実践」を自分なりに徹底分析し、マカレンコの実践における優れた点や学べる点を書き出しました。そして、 『教育史』以外の多くの実践記録(単行本や「高生研」の機関誌)を読み、その優れた点を書き出していきました。 そのようにして「教育」や「指導」の展望が見えてくると、実践に向けてのエネルギーも高まっていきます。翌年担任したクラスでは「特別活動」に力を入れながら「クラスづくり」「集団づくり」をすすめ、前年度に大失敗したクラスの生徒(クラス替え後、再び私が担任した生徒)も、 「生まれて17年間の中でこの一年間が一番よかった」というまでになりました。 もちろん、このクラスでの実践にも不充分なところは多々あったのですが、私個人について言えば「挫折を何とか乗越えた」一年になったのです。 いろいろな本を読んだことはもちろんですが、自らの指導の問題点と実践の展望を見出せた大きな要因として、私がすでに高生研に所属し、自分の実践報告も含めて、教育実践を分析する活動に関わっていたことが大きいと思います。 そして、悩んでいる時期に参加した日教組の教育研究全国集会も同様に大きな力になりました。このような教育研究活動は、「教職員にとって決定的な意味を持つ」と考えています。 さて、8月上旬には民間教育研究団体である全生研や高生研の全国大会があります。(高生研は8月1日~3日 大阪) 自らの「指導力」に悩んでいる方、教育実践の力をより高めて行きたいと考える方、直前の申し込みでも大丈夫のようです。部分参加ももちろんOK。ぜひ、参加してみませんか。 日本ブログ村と人気ブログランキングに参加しています ↑ ↑よろしければクリックして投票・応援いただけますか教育問題に関する特集も含めてHPしょうのページに(yahoo geocitiesの終了に伴ってHPのアドレスを変更しています。)
2009.07.26
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「仲間づくりと子どもたちの自立」3 教育の大切さについては、異論のないところでしょう。しかし、現状を踏まえてどのような教育をしていくか、ということについては具体的に考えていく必要があります。 私自身はこれまで所属する民間教育研究団体である「高生研」=高校生活指導研究協議会に多くを学びつつ、具体的に考え実践してきたつもりですが、大切だと思える事柄について、吉田和子氏の講演をもとに整理してみました。 生徒自身が活動の主体となり、組織の主体となり、自己形成の主体となっていくような活動は、どうすればできるのか?→ポイントはリーダーを育てていくこと。しかし、現状においてリーダーを育てていくためには、かなり緻密な指導が必要。1、リーダーの連絡・報告活動について 非常に重要な活動であるにもかかわらず、なかなかうまく出来ていないのが現状(実践例)担任「あなたのしゃべりかたにはメリハリがない。わたしのしゃべりかたもあまりよくないけれど、少なくともあなたの時より皆が聞いていると思わない?わたしのしゃべりかたで、いい点と悪い点は何か、かんがえてごらん。」→考えさせる生徒「先生は私よりも声が大きい。特に大切なところはもっと大きな声でしゃべったり、黒板に書いたりする。・・・」 このように考えながら訓練することで、彼らなりの連絡・報告のスタイルを身につけていくのではないか。2、リーダーの苦しさに共感し、問題について相談する「○○君が来てくれない。(言うことを聞いてくれない)」 個別に、またはリーダー集団(文化祭の実行委員等)と相談、状況を分析し対策を 考える→仲間に声をかけ、働きかける力を育てる。要求(仲間への要求)を表現する力、怒りなどの感情を適切に表現する力を育てていく。 リハーサル(仲間に声をかける、仲間を叱る)→1回目は必ず成功させる→自分だってがんばれる(あるべき自己像を認識)3、討議の指導 HRの前に議長を呼んで、「おまえがんばれよな」では指導になっていない。例)全体討議の指導 HR討議の状況を予想させる(誰も話を聞かない,学校祭に意識が向かっていないので、話し合いにならない等)→対策を一緒に考える・どうすれば話を聞いてくれるか ・どうすれば学校祭に気持ちが向かうか ・どうすれば、話し合いが出来るか 等々について 具体的な対策を一緒に考える。 二重討議の指導(うまく指導すれば、短時間でたくさんの意見を引き出せる) リーダー(班長等)を集めて、二重討議・班討議のリハーサルを行う 「○○のテーマについて、意見を出してください。」→司会(班長)は出た意見を整理「こんな意見とこんな意見が出ましたが、どちらをこの班の意見にしますか?」・・皆が発言できる。しかし、司会がしっかりしていないと私語集団になってしまう。※リーダーとは?(生徒の視点で常に点検を)教員と口論できる、教員をおちょくれる。 ユーモアのセンスがある、公・私の世界両方をわたり歩ける。(そうでないとクラス集団が見えてこない)4、「HR通信」の活用 活動の状況を、リーダーに報告させるとともに、「通信」をもちいてリーダーの頑張りを強調し、HRの世論に働きかける(→前向きのムードを ) ・リーダーのがんばり ・担任への批判的意見や・多数意見に対抗する少数意見 などを重視して取り上げる →クラスの中に「自由に発言できる雰囲気」ができる。(教育問題の特集も含めてHP“しょう”のページにまとめていますのでよろしければ…)
2008.01.16
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「仲間づくりと子どもたちの自立」2 教育の大切さについては、異論のないところでしょう。しかし、現状を踏まえてどのような教育をしていくか、ということについては具体的に考えていく必要があります。 私自身はこれまで所属する民間教育研究団体である「高生研」=高校生活指導研究協議会に多くを学びつつ、具体的に考え実践してきたつもりですが、大切だと思える事柄について、軌保学峰氏の講演をもとに整理してみました。Q 生徒会等の行事はどのような機会になりうるか 生徒が 1、活動の主体になっていく、2、組織の主体になっていく 3、自己形成の主体になっていく 貴重な機会。1、活動の主体 自分たちで決定して、自分たちで活動していけるかどうか。スタイル(原案提出→討議→決定→実行→総括)をきちんとつくる。・実践例まず、原案を作るための資料を出させる。(アンケート,グループ討議など)次に、その資料をもとにして原案を作成させる。(原案の例) 活動原案「教室中を水族館にしよう」(これだけでは討議にならない) 組織原案「3週間で生き物400匹を飾る水族館を作りたい。フナでもコイでもエビでも何でもいいので、自分の身の回りにいる生き物を1人10匹は最低集めましょう。」(一つの組織、仕事が明確で、実現できるかどうか具体的に討議できる原案) このように生徒自身の討議によって決定していくならば、生徒は活動の主体になっていく。(それでも動かない場合はじめて「皆で決めたのになぜ実行しない?」と言うことができる)2、組織の主体・任務分担をして、全員が活動に参加しているかどうかがポイント・どんなに小さな仕事であっても、たとえば劇の小道具係で葉っぱをつくる仕事であっても、そこの部分はその係(グループ)に考えさせる。・取り組み開始の段階から、毎日、何々グループはどこに行くとか、今日の計画・予定とか報告させていく。(「私たちは昨日ここまでいってここまですみました」といった、翌日の点検・評価も大切。) 企画や予定、昨日の活動などを報告させることによって、小さな小道具係が周りのみんなに認められる。3、自己形成の主体 「昨日までこうしていたけれど、今日のようにこうしている自分もいいじゃないか」この「いいじゃないか」が生まれてきたとき、自分のありようを考える。行事というのは、みんなの前に一人一人を引きずり出していくいい機会。 できるだけ一人一人が組織の主体で、みんなの一員として頑張っている姿で引きずり出すことが大切。そういう時にみんなから評価されたり、(あるいはだめなとき批判されたり)すると、その生徒は「いまある自分」「あるべき自分」の姿を自分なりに自覚できる。 「仲間づくりと子どもたちの自立」3に続く(教育問題の特集も含めてHP“しょう”のページにまとめていますのでよろしければ…)
2008.01.15
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「仲間づくりと子どもたちの自立」1 教育の大切さについては、異論のないところでしょう。しかし、現状を踏まえてどのような教育をしていくか、ということについては具体的に考えていく必要があります。 私自身はこれまで所属する民間教育研究団体である「高生研」=高校生活指導研究協議会に多くを学びつつ、具体的に考え実践してきたつもりですが、大切だと思える事柄について、複数の講演などをもとに整理してみました。※ いま、なぜ仲間づくりか? 「今日のいじめをはじめ、不登校、非行、学級崩壊、人間関係がとれない、人の話がじっと聴けない、言われないとしない指示待ちなどは決して個別的なものではなく、“根”は一緒だと思います。どれも生活体験、人間関係体験、自然体験、コミュニケーション体験、共同体験、困難(挫折)体験、自己決定体験など、子どもたちが発達過程のなかで当然すべき基本的体験が不足しているために起きている一つの症状なのだと思うのです。」 〔高塚人志著『すてきなあなたになるために』より〕 不足している「人間関係体験」「コミュニケーション体験」「共同体験」を学校教育のなかで補い創造していくことが大切ではないか。Q 現在までに試みられてきたことは?1、「生活指導」としての“集団づくり・仲間づくり” HR活動、学校行事、部活動などの教科外活動を中心に豊かな人間関係を体験できるような機会を創造していく。2、いわゆる「総合学習」 具体的経験のなかで生きる「総合的な学び」を生み出す学習Q 成長の原動力は何か? 問題行動に対する注意・指導は大切⇒しかしそれだけでは不充分「素敵な自分になっていきたい」「人間関係の悦び」「周りからの評価」などは、成長の原動力として重要である。(頑張って周りから評価されている自分もいいじゃないか) そして、問題があった場合「自分たちの問題としてとらえ、それを一緒に解決していく」といった体験を積むことは、成長にとってきわめて大切なことである。 Q 生徒会等の行事はどのような機会になりうるか 生徒が 1、活動の主体になっていく、2、組織の主体になっていく 3、自己形成の主体になっていく 貴重な機会。 「仲間づくりと子どもたちの自立」2に続く(教育問題の特集も含めてHP“しょう”のページにまとめていますのでよろしければ…)
2008.01.14
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