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こんばんは!シマ(´v`)です~母の胃ろう造設後の経過は順調です。今は、朝・昼・晩と、栄養剤を200mlプラスお湯200mlです。お腹を下したりするケースが多いそうですが、母は問題ないようです。毎日面会に行くのですが、たった1時間、2時間しか時間が取れず、口腔ケアとマッサージとおしゃべりと・・してたらあっという間です。もっと一緒にいてあげたいです。母にとって、喜ばしいことなのかわかりませんが・・日中明るい時間に行ってあげたいけど、難しいです。もどかしいです。******************母の胃ろうの経過が順調ということは、そろそろ退院・その後の事を固めていかなければなりません。もう~昨日はナースに、今日はソーシャルワーカーとケアマネから、電話攻撃受けてます(@@;)ちょっと待ってよ~~追いつかないよ~~><月曜にソーシャルワーカーと面談がありますが、それまでに老健申し込んでおけって言われちゃいました><うう・・土曜は仕事やけん日曜しかないやん!最終的には特養希望ですが、待機者が多いので空きが出るまでは老健で繋いでいこうという方針です。しかし老健も、即日に入れるわけではなく、この地域では1月~1月半ほど待つようです。ではそれまでの間、どうするか?・ショートステイ(胃ろうOKの特養がやっている所)・体験入居(特養がやってる。一日5000~7000円で月15万くらい+実費)・在宅という選択肢があります。先日の定期訪問と、その後の父との話し合いで、在宅は無しになりました。体験入居も今日話をチラっと出されただけなのでよくわかりません。父は即日老健に入れてもらえると思っているようです???ケアマネさんがそんな施設があると言っていたような気もしますが・・??私の聞き違いか?この辺、よくわかりませんが、とりあえず申込をしないことには始まらない。でも・・・私の中で、在宅への想いがまだ残っていて。母を今まで看てきたのに、もう、看てあげられないことが、本当に本当に心を苦しめます。看ることになっても、不安で、実際介護は大変で、辛い思いをするのだとわかっていますが、やらない後悔っていうか・・やってもみない内に無理だと結論づけているのがすごく苦しくて。何をバカな事言ってるんだろう?絶対無理なのに、やってみてやっぱり無理でしたって投げ出す方がみんな困るんだから、割り切りなさいと、呆れられてしまいそうですが。自分の介護に対する気持ちの変動と、父の介護に対する気持ちの変動が、全然噛み合わないので、私が施設入所を希望したタイミングで父は在宅を希望し、父が施設入所を希望したタイミングで、私が在宅を望むという・・・私一人の希望(それも無茶な選択)を押し通すわけにもいかないので、もう在宅介護は無理だと分かっているのですが。折角、胃ろうにして。自宅で看てあげられない事が、すごく悔しいです。今まで通っていたデイサービスの人たちにサヨナラも言わないまま。今まで暮らしていた家にサヨナラを言えないままに。心残りがたくさんあって、苦しいです。以前、ケアマネさんに、「嚥下機能が落ちていて、万が一あなたが食事介助をしているときに詰まらせてしまったとしても、それはあたなのせいではないからね?病気のせいだからね?だから絶対に、自分を責めてはいけないからね?」と、言われていました。はい、と答えながら、ああ、絶対に自分を責めるだろうなと思いました。入院しても、きっとすぐに退院して、また前の生活に戻れると思っていました。寝たきりになっても、何とかサービスをつないで、自宅で看てあげられると思ってた。だから、責めてなかったんだと思います。けれど、入院生活もひと月に手がのびそうだと感じるようになってからはずっとずっと・・・私が、母を苦しませてしまったのだと、悔やんで。今、こうして、施設を探す間も、私が看てあげられない事が、苦しくて。家族が動かなければならないのに、早くしないといけないのに、気が進まないのです。在宅なんて絶対無理、という父の言葉に、何て冷たいのだろうと思いながら、実際に自分も頭では、父の言う事も、分かっているつもりです。ただただ、心が追いつかない。(だって父が在宅無理っていうの、ヘルパーさんとか訪問介護とか、誰かが家に来るというのが、自分の好きな時に行動できなくなるのが嫌っていうんだもの。何もできること無いんだからそれくらいいいじゃん!って思っちゃって・・胃ろうの処理とか、痰の吸引とか、排泄介助体位交換なんかの実介護は私がやるのよ?自分がやること想定してない。一緒に頑張ろうよ、じゃないの。父にできる事くらい協力してよって思う。毎日テレビ見て朝から酒飲んでるだけ(に見える私には)なんだから・・って思うけど、普通は自分の時間が欲しいと思うんだよね。それが普通。うん。今まで仕事頑張ってきて、もうこれからもうひと踏ん張りはできないんだね)「自分で看てあげられない事」が、苦しいと感じるのは、きっと、「自分が看る事」が存在意義になってしまっていたからだと思います。多分、あんまり良いことではないんだと思うんだけど・・・自分の役割が無くなってしまった・・どうしよう・・という状態なんじゃないかってちょっと思ってて。つまり私が今苦しんでるのは、さも母の事を心配しているかのように見せかけてその実、自分を守るために苦しんでるんじゃないかって、なんだか自分のいやーな部分が見えてきてすごい嫌です。(嫌のループ)いや!もちろん母のことは大好きで、とっても心配してます。そこから来る熱い想いゆえの苦しさだと思いたいんですが・・・・でも今、ぽっかりと心に穴があいてる感じです。何のやる気もおこらないんです。母の話題になると(ケアマネさんとかに対して)全然笑顔が作れないことに気がつきました。気持ちは沈むばかり。なんとかしないと。******************うーん、こうやって文字にしてみて、改めて、自分の言ってる事が支離滅裂なのがわかります。フラフラと、ああ思ったりこう思ったり。看てあげたいのはわかるけど、実際自分の生活どうすんの?というツッコミが湧いてきて、客観視する自分と、お母さんを恋しく思う自分と、楽観的な自分と・・色々な意見が自分の中であって、どれが自分なのかわかんないんです;もー自分の中に3,4人別の人がいるみたい!とくに客観視する自分に応えられないことが一番ストレス感じます(@@;)あれ~?またまとまんなかった・・・読んでる方、すいません~そんで暗くてすいません~ゆっくり、施設入所の事、受け入れていきたいです。(でも行動は先にね!!わかってる大丈夫!)☆読んでくださってありがとうございます! お気軽にコメントやメッセージいただけたら嬉しいです。よろしければポチポチお願いします☆ブログ村 認知症 人気ブログランキングへ
2013年01月25日
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こんばんはシマ(´v`)です。胃ろうの経過ですが、今日は朝・晩に栄養を流し、胃ろう造設箇所の炎症もなく、お腹の張り等もなく、順調です。安心安心・・(;;)今日は面会時、声かけに対して、口を動かして何か言葉を発しそうな様子が沢山見られました。今までもあったけど、今日は特に多かった気がします。声を発する、まではいかないのだけど、何か言いたそうにしているのがもどかしい。母もきっと、もどかしいのかも。でも、唇を動かしてくれただけでも、私の声かけに反応してくれただけでも十分に嬉しいです。ありがとうお母さん!ちなみに、「カワイイ?」と言った後に、「カワイイ、カワイイ、シマちゃん」と私が言うと、同じように唇を動かしてくれます。音で覚えているのかな?とても嬉しい瞬間です^^他にも、歌を歌えば、歌詞の歌詞を覚えているようで、唇は動きます。声は出ずとも。すごい!今日はひょっこりひょうたん島を熱唱してきました。(私が)*******************はてさて。表題のとおり、「胃ろう選択のタイミング」の事なのですが。母の胃ろう、私は遅かったのだと思います。(後悔したってしょうがないので、母の胃ろうに関しては前向きに捉えていきたいと思っていますけどね。)「胃ろうをするかしないか」の論議は、もっと事前にある程度固めておかなければならなかったと思います。あまりに勉強不足で、結局結論が出せないまま、先延ばしにして、このタイミングになってしまったのだけど。もっと早くに、胃ろうを作っていれば、今回の入院はなかったわけで、在宅も続けられたと思います。するかしないか、の「結論」を、もっと事前にしておけば・・というわけではありません。ただ、そもそも、「胃ろうとは何か」、どんなメリットがあって、どんなリスクがあるのか、それらをもっと早い段階で考えるチャンスを作っていれば、おのずと結論も、ここまで迷うことなく、出せたのではないかと思うのです。今となっては、かもしれませんけど。とゆうのは、「胃ろうとは何か」を事前に考えていれば、今度は、その選択を迫られた時に、「”母にとっての”胃ろうとは何か」、を考えれば良いのです。その時の母の状態を見て、母にとって、今、胃ろうを選択することのメリット・リスク・その後の生活がどうなるか、それを考えられればスムーズだったんじゃないかと思います。胃ろうを選択するタイミングは、まだ口から食べられる状態のうちが良いのではないかと思います。そして胃ろうする事によって栄養状態が良くなり、その結果、(低栄養状態や脱水状態などの)病状が良くなるなど、以前と同じような生活が送れるように回復できるかどうか、が重要なのかと思いました。私は、母には遅かったなと思ったのですが、じゃあいつがよかったか?と言うと、夏、調子を崩した時でした。主治医からも、体力がある内に、やったほうがいいよ。やらないなら、もうターミナルの所にきていると、と言われていました。(これブログに書いたっけ?)その時に、周りに惑わされず、決断できていればと思うわけです。「口から食べられるうちは、まだ頑張りたい」と、結局その時は見送りましたが、ギリギリ口から食べられるうちにやっておけば、それこそ、「胃ろうをしても、経口摂取はできるから」という言葉どおり、今でも自宅で、一緒にプリンを食べられたかもしれません。今となっては、誤嚥性肺炎で入院して、ひと月くらい口から食べていません。これでは、栄養状態が良くなって口から食べようとしても、食べる事を忘れているかもしれない。もう口からは何も食べられないかもしれないのです。(もちろん医師のOKが出れば再び口からプリンくらいでも食べられるようになれればと努力してみたいですが)もっと可能性のある内に、動けばよかったと、思います。「口から食べられる」、本当に本当に大切なことです。「食べる楽しみ」って、大事。重度の認知症患者、味なんかわかんないでしょう?美味しいと思う事なんかないでしょう?なんて思っては悲しいです。母は確かに無表情でわかりにくかったけれど、ほとんどのアルツハイマー型認知症の患者さんは、感情が残ると言われていますよね?きっと、美味しいものや好きな物を食べたら、ぱぁぁっと表情が明るくなると思います。「おいしいねぇ」ってしゃべられる方もいるでしょう。そしてそれは、介護するひとにとっても喜びです。リアクションがあるのはとっても嬉しい事ですよね。食べる楽しみが失われないように、口から食べられる事を守ってあげられたらよかったと、思います。基本的な栄養は胃ろうからとって、ご褒美に美味しいものは口から。そういう事ができるタイミングの胃ろうなら、とても肯定的に捉えられます。しかし、今の母のように、寝たきりになってしまってからの胃ろうはまた少し考えてしまいます。胃ろうにして、栄養は摂取できる。でも結局その後施設入所してしまって、寝かせきりのままなのであれば、私の永遠のテーマ「何故生きているのか」というところに行き着いて、またグルグル迷走が始まってしまいます。これまた長い迷走なので、また別の記事にて。←たぶんそんな機会はこない母のように、他に特に疾患もなく、健康体な場合、栄養があれば長生きできるのではないか。長生きすることは、果たして誰にとって幸せなのか。施設に預けたからといって、手放しにするわけではなく、何かと気にかかるものです。結局は、母に縛られる・・・んですよーー私は、ですけど。割り切れる方もいらっしゃるかと思いますが。ただ、今はまだ生きていて欲しいと、私たち家族が想った結果、胃ろうを選択したわけですから、これは家族のエゴかもしれません。お母さんはもう、十分生きたのに~って思ってるかもしれない。ごめん。でもこの迷走も、このまま寝かせきりにしてしまうのであれば、そんな風に考えがちですが、諦めずに、ここからもうひと踏ん張りできるひと、例えば、在宅に戻って、介護保険サービスなどで固めて、もう一回口から食べられるように、座位取れるように、リハビリガンバルぞ~!って前向きな方なら、このタイミングでの胃ろうの選択、肯定的に捉えられます。少しでも、入院前の生活に近づけるようにと、頑張る力が残っているなら、そしてそれが叶ったら・・・!手遅れではなかったと思えるんじゃないかな。・・・要するに、私のようにウダウダグズグズねちねちめそめそしてるのが一番厄介で、一番母に失礼!なのです><;!!!ひぃぃごめんなさい!なんにせよ、母が苦しい想いをして胃ろうを作ったのだから、あとはもう前向きに考えるしかないの!自分は間違ってないよと自己暗示をかけ続けるしかありません。でなきゃ、地の底まで落ち込んで浮かんで来れなくなっちゃいます。もちろん、どのタイミングでも胃ろうのメリットはあるはずです。だんだんまとまらなくなってきたぞ!それでね、胃ろう選択のタイミングについて話を戻しますが、明確な生死観を持ってる方は、決断が早いのだと思いました。たとえば、母の場合夏に主治医からターミナルのタイミングだと言われた時に、「そうだ、母はもう十分頑張ってきた。これがサインだ。」と思えたら、無理な延命は必要としないと、言える程明確な意思があったら、母は母のタイミングで人生を全うできたのかもしれません。それでいい、それこそ人らしく生きたと言える、みたいに、このタイミングを肯定的に捉えられるのであれば、それも良いと思います。あの時胃ろうを選択していれば、もっと長く生きられたかもしれない・・それもそうですが、人為的に命を長らえても、何かしらの迷走はあるので、ここでスパっと割り切れたら一番簡単なのかもしれませんね。本人が「胃ろうは絶対嫌だ!」などと言ってくれていれば良いのですが、母のように、意思の疎通ができなくなってしまっては、本人の希望はわかりません。しかし、自分に置き換えてもて、「胃ろうを作って生かしてください!」と思うかと言われればんー・・「さっさと見放してくれてよいよ~迷惑かけてごめん!」と思うかな。そう思えば、尚更、胃ろうという選択は、家族のエゴでしかないような気がします。とまぁウダウダ語ってみましたが、案の定まとまりませんでした。自分はタイミングはどうあれ、「胃ろう」という選択をしました。ひとつの結論を出せたから、アレコレ過去をさかのぼって考えられるのだと思います。もしも、これから、大切な人の胃ろうの選択を迫られる日が来た時に、私と同じように迷走して、あータイミング間違ったかも、なんて後悔が無いように、事前に考えるきっかけになればいいなと思い、記事にしました。ではでは!☆読んでくださってありがとうございます! お気軽にコメントやメッセージいただけたら嬉しいです。よろしければポチポチお願いします☆ブログ村 認知症 人気ブログランキングへ
2013年01月21日
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こんにちは、(´V`)です。母の胃ろうの手術が、17日に行われました。術後の状態は問題なく、昨日はお湯200ml入れました。今日はお湯と、栄養剤も入れるようです。少しずつ慣れていくと、朝・夜、さらには、朝・昼・夜と、栄養剤を増やしてゆくようです。それに伴い、点滴は減らしてゆくそうです。今までは一日3本でした。抗生剤も点滴から入れていましたが、今後は胃ろうから錠剤(を粉末化)入れられるようなので、お薬も点滴じゃなくなるみたいです。胃ろうってすごいね。*********手術は17日午前中に行われました。午後・・夕方近くに面会に行きました。術後は、胃ろうを造設した所から、管がつながれていて、ベッドサイドに引っ掛けてある袋に、液体が入っていました。看護師さんに聞いたら、「胃から出る胃液などの排出液がこの袋に溜まっています。胃液は黄色なので、黄色と、手術したので少し血が混じってます。今の所、特に問題はないので、明日には取れると思います。」との事でした。何とも痛々しくて、でも、穏やかに眠る母を見て、何ともいえない想いがこみ上げて泣きそうになりました。仕方の無いことなんだけど、母の鼻や口は、何かの液体や血でガビガビになっていました。忙しい看護師さんがキレイに拭いてくれるはずもなく。ウエットティッシュでせっせと拭いてあげました。この汚れが母の手術の苦しみを表しているようで、また切なくなってしまいました。こんな汚れの何十倍も来るしかっただろうけど。突然のことで、わけわかんなかっただろうと思うと、申し訳ないです。管が繋がっていたのは、その日だけで、翌日には無かったと思います。手術を担当してくださった先生も回診に来て、問題ないので明日からお湯、そのあと栄養剤を入れていきますよ~との事でした。その説明をするときに、グリグリと胃ろうの部分をやってて、先生的には問題ないんだけど、見ている私は「うわわ><イタタタ><」で恐ろしかったです。翌日、他の看護師さんに今の状態を説明してもらったんですが、「要は、ピアスみたいなもので、最初のうちは穴が不安定で、ピアス付けないでほっとくと、穴がふさがっちゃうでしょう?そんな感じ。でも、穴が固定すれば、多少ピアス外しても、すぐには穴ふさがらないよね?そんな感じで、胃ろうも、もしもスポっと抜けてしまっても、すぐに入れて上げれば問題ないのよ~」というような事をおっしゃってて、ピアスの例えがわかりやすい!と思いました。未知なる穴だったんだけど、そう言われれば、理解できた気がします^^今は、まだ傷口のようなものだから、化膿したりしないように、処置しているようです。ティッシュをこよりにして、胃ろうと皮膚の間に巻いてあげると良い、のだそうです。昨日はお湯200mlを昼に入れて、その後苦しそうな表情や、変にお腹が張るなど、問題は見られなく、順調なようでした。今日は、昼に栄養剤とお湯。お湯は毎回入れるんだそうです。これで次第に栄養も摂れて、体力も回復して、もしももしも、お口からご褒美のプリンくらい食べられるようになったら・・・また一緒に、おいしいプリンをお母さんと一緒に食べたいと思います。今日はこれから、会いに行ってきます。またね!☆読んでくださってありがとうございます! お気軽にコメントやメッセージいただけたら嬉しいです。よろしければポチポチお願いします☆ブログ村 認知症 人気ブログランキングへ
2013年01月20日
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こんばんは、シマ(´v`)です。ちょっと間が空いてしまいました。先日はどっしりと雪が降り積もりましたね。みなさんいかがお過ごしですか?今日は晴れ間したが、まだまだ雪は残っていて、危なかったです。腰を圧迫骨折し、治りの悪い父には、「一歩も外へ出るな!」と警告しておいたにも関わらず、車の上の雪を払いに外へ出たようで・・・まったく・・・ちょっとの油断が大きなケガに繋がるんだって、あんたが一番身をもって経験したんちゃうんかアホ。あっすいません序盤から愚痴ちゃった。そう、雪の日は、毎日欠かさずに言っていた母の面会に行けなくて、いじけて泣いてました。今日は仕事後、意地でも行こうと思って遅延するバスや電車を乗り継ぎ、てくてく歩いて行ってきましたとも。変な歩き方で、股関節がべらぼうに痛い。でもお母さんの顔見てとりあえず安心。口腔ケアしてきました。点滴のみで何も食べていないとはいえ、口の中は汚れます。毎日やってあげないと。お顔のマッサージと隣で歌を歌って、お手手をにぎにぎしただけですが、全く行かないよりかは、いくらか心が軽いです。母にとっては、横でわーわーされて鬱陶しかったかもしれませんが・・・***********さて。母は、胃ろうにするという決断をして、1月の頭に、同意書を提出しました。今月の、17日に手術が決定しました。そしてその日が迫ってきています。明日は、検査をするそうです。そこで胃に不調が見られれば、見送りということになります。心配で、心配で・・・。と不安げにしていたら、ナースの方に、「簡単な手術だし、術後不調になったとか、酷い痛みを訴えるというような方も今までほとんど・・むしろ全然、いませんでしたから、娘さん安心してくださいね」と励まされてしまいました。うう。でも手術は手術。麻酔もあるし、その前に検査で胃カメラ。うううう。で。でね?ケアマネさんとどうも噛み合っていなくて、今私と父とで「???」状態です。先日の記事で、●胃ろうを選択しました。●今後は老健の入居を考えています。●老健がすぐに見つからない場合は、一旦在宅を経て見つかり次第入居。というのが、今後の流れです的な事を記したと思います。それは、12月の定期訪問の時に、ケアマネさんと話しあって決めたことなんですね。上記のどの選択も、先延ばし先延ばしにしてきて、ケアマネさんは、結構序盤から、母がまだ色々と理解力ある段階の頃から、「特養の申込を早く」などと言っていて、それもずっと先延ばしにしていたんですが・・そうやって、私たち家族が、色々なことについて行けなくて、答えを出せなくて、「先延ばし」にし続けていたから、ケアマネさんは動き様がなくって、困っていたんです。それで突然、やっぱり特養に入れたい!って言われても、待機者が大勢いるのに入れるわけないのだから、それじゃあ困る・・と言っていたんですが。今回の入院以降の事も、どうするのか決めてくれないと動き様がない、困る、とおっしゃっていたので、その定期訪問の時に、「よし、じゃあ、胃ろうにしよう。老健にしよう。」と結論を出したんです。で、ケアマネさんは、「じゃあ老健を探しておきますね」とおっしゃったんです。今現在入院しているなら、入院先の病院から老健へ入所の方が、連携もスムーズだとおっしゃいました。一度在宅に戻ってから、老健へ入所される方ももちろんいて、どちらでもいいけれど、病院→老健の方がスムーズではあると。私は、病院→老健だと、二度とこのお家に戻ってこられないのか・・寂しいな・・と思ったものの、でも仕方のないことだし、と思って、老健を探してもらうようにお願いしました。で。今日、今月の定期訪問はいつにしましょうか~という連絡がケアマネさんから父の元へ。(※父の圧迫骨折によるケガで介護保険サービスを利用するにあたって、父も母と同じケアマネさんと契約しているので、定期訪問の時に二人分の話しをする。)「お母さんその後いかがですか~?」と心配されたので、「今度胃ろうの手術が17日に決まった旨を伝え、すぐに退院させられるのかどうかわかりません。その後は先月の定期訪問で決めた通りで。」と父が報告すると、「え?決めた通りって?」・・・え?「いえ、ですから先月に話し合って決めた通りで、在宅になるのか、それとも老健が見つかるのが先なのかわかりませんが、その通りで、」と父が言います。「・・・え?」・・・え?!こっちが「え?!」なんですけど?!父はこうゆう話しの噛み合わないのが大嫌いなので、「とにかく、詳しい事はまた今月の定期訪問の時でいいです」って切れてその話しは終了したようですが・・・このリアクションから察するに、老健を探すなんて間違いなくしてませんよね。てことは、在宅の可能性がプンプンしてませんか?いえ、もちろん看てあげたい・・・んだけど、今回の年始の呼吸困難(?)の事もあるし、痰の吸引も自信がない、胃ろうも自信がない・・何にも自信が持てないんですってば!(最初から自信ある人なんかいないけど。今度こそ片手間に、仕事しながらなんかできないもの。)この辺は、どうしたらいいのかわからないまま生きていますが、とりあえずケアマネさんと話しが噛み合っていないのが結構致命的だと思うんですが、どう思います?!(←誰に聞いてる?)正月に母が一時外泊した事も知らず、もちろん救急車で舞い戻ったことも知らず、胃ろうの手術が17日にあることも知らず。父の報告に色々驚かれていたようで。まぁこれは私が(?)報告しなかったせいですが。(だって介護保険に関わらないから、不要かと思ってってゆうか正直もう病院きてからケアマネの介入ないんで、忘れてました存在を)でも外泊するってのも、ケアマネさんが自分で病院に「外泊したいみたいですよ」って言ったんでしょ?何に驚いてたんだろう????定期訪問、毎回1~2時間くらい話し合ってるのに、何で噛み合ってないの? だいたい、胃ろうのことも特養の事も、決めてくれないと何もできないって言うけれど、「胃ろうしません」と言ったら、「じゃあどうするの?どうやって栄養摂らせるの?」○○します、しません、というと、「じゃあどうするの?」と聞かれるんです。どうしてちょっと突き放した言い方するんだろう・・と思いつつも、仕方ないのかな?と思い、決まった事をお伝えします。しかし例えば胃ろうの時も、「胃ろうしないと栄養取れなくてお母さんしんどいよ」「では、胃ろうを選択します」と返せば、「でも胃ろうしたらデイいけなくなるよ?在宅できるの?どうするの?胃ろうしない選択もあるよ?」・・・ケアマネさんがどんな答えを望んでいるのかが見えてこないんですよね。「在宅は難しいので、老健にします」といえば、「でも胃ろうしちゃえば、在宅で看てる人もいるし、できなくはないんじゃないかな?」・・・ええ?そうして、何かの結論を出すと、でも違う考えもあるよ?と言われ、家族は迷いながら出した結論だから、またそこで揺らぐんですよね。でも迷うと今度は、「いや、決めるのはご家族様なんで」・・・んーーー!難しい!もちろん、色々話しを聞いてくださったし、今までとってもお世話になっているし、母の事心配してくださってて、とても良いケアマネさんなんですが、時々、なんかちょっとこー・・・・えーと・・・!でも今回の「胃ろうと老健」の決断は、もうこの答えを出した以上、ここでフラフラしてはいつまで経っても先に進めない。ので、「いえ、これで決定でいいです!」と念をおしたはず。なのに、噛み合ってなかったようで。困った困った!もうよくわかんない!面倒くさいこと大嫌い!!!今回もまとまってなくてすいませんです! ☆読んでくださってありがとうございます! お気軽にコメントやメッセージいただけたら嬉しいです。よろしければポチポチお願いします☆ブログ村 認知症 人気ブログランキングへ
2013年01月15日
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母が自宅で新年を迎えた事、嘘みたい。奇跡のような時間でした。ひょっとして最後の在宅介護だった?ひょっとして最後の排泄介助で、食事介助だったのかな?と思っては、もっと心を込めてやったらよかったと思いました。・・・そんな、ちょっと感傷的になっている場合ではなく。話し合いを繰り返した結果、「胃ろう」をすることになりました。この結論に至るまで、色々な葛藤があったし、今でもそれがいいのかわかりません。たぶん、選択するにせよ、しないにせよ、答えがないと思います。でも答えを出さないと、もう先延ばしにできない所へきています。いつまでたっても、押し問答、先延ばしばかりでここまできてしまいました。もっと色々な意見を知りたかったけど、勉強する時間が取れずにいます。今日、同意書を提出するので、これから手術などの段取りがあります。今後は、老健を探し、見つかれば今の入院先から老健へと移るのかなという流れです。老健が見つからなければ、一度在宅に戻って生活してからという事になります。本当は、ここまできたら、在宅でずっと看てあげたいです。しかし戻ったらまた、いつまで続くかわからない生活に苦しむのもわかっているし、「胃ろう」を私がきちんと管理できるのか自信がありません。胃瘻にしたからといって、経口摂取できなくなるわけじゃないとはいえ、嚥下機能の低下が目立ってきている上、今回の不調で今、食止めされているので、どうなるかわかりません。できるだけ、前向きに捉えたいとは思っても、どうしても悪い方悪い方へと考えるの、よくないですよね。11月の終わりまでは、一緒にいたのに。何とか車イスに座って、一緒にご飯をとっていたのに。母がいない食卓が、さみしくて、さみしくて、たまりません。何のやる気も起きない。かと言って、在宅介護ができる自信もなく、自分の不甲斐なさを責めるばかりです。今回の誤嚥性肺炎だって、病気で嚥下機能が落ちている為だというのは理解しつつも、やはり、自分がもっと気を使えたのではないか、自分の怠惰や油断が招いたことではないかという気持ちが拭いきれず、そうしたのは私なのに、私の過失なのに、今苦しんでいるのは母で。母は何も悪くないのに、どうしていつも苦しむのは母なのだろうと、頑張って頑張ってと言われるのは、母なのだと、悔しくて、悔しくて仕方ありません。 変わってあげたい。私が病気で苦しんでた時、母が変わってあげられたらいいのにねぇ」と、さすってくれていた時のように、傍で支えてくれていたように、私も傍で支えるしかない。入院してしまった今、一番近くにはいられないし、24時間一緒にもいられないけど、いつも母の事を想っています。どうかどうかこの先、母が苦痛なく、穏やかに過ごしていけますように。胃ろうの選択が前向きな結果をうみますように。母にとって「苦しい」じゃありませんように・・・・新年早々、暗くてすいません><何だかマイナスのスイッチが入ってるみたいで。周期的にきます。午後お母さんの顔見て、元気出してきます!☆読んでくださってありがとうございます! お気軽にコメントやメッセージいただけたら嬉しいです。よろしければポチポチお願いします☆ブログ村 認知症 人気ブログランキングへ
2013年01月05日
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どうもシマ(´v`)です。先ほどアップした記事の続きです。続きってゆうか愚痴です。今回の一連の動きの中で、とても腹が立つことがありました。父です。救急隊が部屋に入ってきた時に、ふと振り返った時、唖然としました。父はビデオカメラで撮影をしていたのです。私が必死に、お母さんをさすっている間、「もっと背中叩け」と後ろで言っていました。私が目の前で応急処置をしているのに、何故この人に指示されなければならない?自分がやればいいのに、と思ったけど、ひょっとしたらビデオカメラを回していたのかもしれない・・人の命がかかっている時に、「記録」しようと思うのか?最後かもしれない時に、この混乱している所を「記録」したいと思うのか?戦場カメラマンでもあるまいし、何をしているのかとものすごく腹が立ちました。大物役者のドキュメンタリーじゃないんです。一個人、大事な母の、緊急の時に。もしかしたら、失ってしまうかもしれないという危機迫っている時に、カメラのフレーム越しに、見ているだけで、自分は手を差し伸べようとしないの?理解ができない・・・・救急車に乗り込んだのは、私だけで、父はあとから自分の車できました。母が救急処置室で処置されている間、私が待合のイスで、静かに自分を責めている間、この時も、父はビデオカメラを回していたのです。私の事も撮っていました。本当に信じられない、本当に、心配しているのか?非常識にもほどがある。悔しさと、恥ずかしさでいっぱいになりました。救急処置室の中も映したそうにしていた所、看護師がたまたま少しカーテンを閉めそこね、隙間が空いていました。そこから撮影する始末。本当は私が制すべきだったのだけど、お母さんが心配なのと、自分を責めるのとで頭がいっぱいで、父ははやくこの世界から消えればいいのにと思うだけでした。少しして、救急処置室から、「ご家族の方!」と声を上げて看護師さんが出てきました。「私です」と看護師さんに向かって立ち上がったのですが、看護師さんは父の方に体を向けて、「シマさんのご家族の方・・?」と声をかけているのに、返事もせず、ビデオカメラを回しています。私はもう恥ずかしくて、どうしたらいいのかわかりませんでした。必死に「私が家族です」と言いました。看護師さんは、「あなたは?患者さん?・・・病院内の撮影はご遠慮願います」と静かに制していました。「あいあい、すんません」と言ってビデオカメラを下げた父は、家族が呼ばれているにも関わらず、一緒に入ろうとしませんでした。意味がわかりません。突っ込んだ所で、「俺が聞いてもわからん。二人で同じこと聞いたって意味ないやろ」と言われるだろうと思ったし、もう顔も見たくないと思ったので、何も言いませんでした。主治医にはこのまま入院と伝えられ、看護師さんには、父の非常識な行為に対して謝罪しました。看護師さんは「あの方、どういう関係?」と不思議がっていました。「父です。母の夫です。非常識で申し訳ありません・・・本当にすみませんでした」「いえ、私からもさっき直接お伝えしたから・・(大丈夫よ)とりあえず、お母さん、吸引もして、酸素も入れて、落ち着いてきたからね。次、病室に移るから、もう一度外で待っててくださいね」「はい、ありがとうございました」しばらく待つ間、今度は疲れたのか、待合のイス3つほど使って、横になりだす父。酒が入っているのはいつものことですが、本当にこんな人間が自分の父親である事が嫌で嫌で仕方ないと思いました。今朝だって、私が母の朝食の食事介助を終えてキッチンへ食器を持っていったら500ml×3本すでに飲んでいて、350ml缶を開けるところでした。外泊させてやりたい、病院じゃかわいそうだから、声かけてやりたい、その思いが、まったく感じられないのは私だけですか?帰ってきたら満足ですか?結局私が全部見ることに、本当に甘え腐っているのだと思います。まぁ余計な口出しするなと制している部分もあるので居場所がないと言われればそれまでですが、関わり方って、あると思うんです。少なくとも、ビール飲んでテレビ見る以外に、気の遣い方があるのではないかと思うんです。もっと最初の段階で自分の役割を探していれば、俺にはできないから、無理だからといって、諦めるのではなく、できないなりの関わり方があるのでは?と。だから私が一人で抱え込まざるを得なくなったのではないのでしょうか?ビデオカメラを回すことは果たして本当にあなたの役割なんでしょうか? 人が一生懸命母に食事介助している時も、ずっとビデオカメラを回している・・人の気も知らず。すごく腹が立ちます。よく、認知症患者さんのドキュメンタリーありますよね?ああいうのを、自分でもやりたいんです。もともと記録が好きな人なので。でも撮影されている側はとても腹立つんです。母もカメラを気にして全然こちらに集中してくれず、そのうち疲れて眠ってしまい、十分に摂れないまま終了・・・・本当に腹立つ。命かかってるのに。 責任感の違いでしょうか。そんなこんな考えているうちに、悔しさもあって、少し落ち着いたはずの涙が、また込み上げて来ました。涙を袖で拭っていたら、通りかかった看護師が、「大丈夫?これ、使いな!」と言って、折りたたんだガーゼをくださいました。うう・・・ありがとうございます(号泣)そして前回の救急の時もこの方、いて、ものすごくカッコイイなと思いました・・ストレッチャーで病室へ移動し、母は戻ってきたのでした。これから、熱が出るのか、痰がどれだけ取れるのか、まだわかりませんが、また母が目を開けた時に、そばにいてあげたいと思います。父の顔ももう見たくないですが、同居している以上そうはいかないですよね。私は非常識な行動だと思ったのですが、どうなんでしょうか?こんな人、いるのかな?もう疲れた、どうしてこの人が父親なんだろう。ではでは。新年早々、愚痴ってごめんなさい。こんなですが、今年もよろしくおねがいします。☆読んでくださってありがとうございます! お気軽にコメントやメッセージいただけたら嬉しいです。よろしければポチポチお願いします☆ブログ村 認知症 人気ブログランキングへ
2013年01月01日
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こんばんは、シマ(´v`)です。昨日はお母さんが一時帰宅しているとご報告したのですが、今日の午後、救急車を呼ぶ事態となり、病院へ戻りました。昼の食事介助の時に、痰が絡まりだしたからです。少しむせる程度かな?と思ったのですが、たとえその程度だったとしても、このあと夜、翌日朝・昼、と食事を出すのは、心配になりました。少しして、痰の絡む咳が出だし、痰が切れない様子でした。このまま夜に持ち込んでから混乱するより、日勤帯の人が比較的いるうちに帰してあげたほうが安心かもと、既に病院へ戻る方向へ頭は回転していました。落ち着いた隙を狙い、ベッドへ移動しました。(昼は車イスでリビングに移動していたので)休ませている間に、食器の洗い物などを済ませていると、やはり痰の絡む咳が聞こえてくるので、すぐに済ませ、そばに付きます。頻度が多くなり、少し心配になったので、父に、「中断して、病院に帰そうと思う。これから電話する」と伝えると「ちょっと待てよ!」と制し、自分の昼食を摂っていました。大丈夫だろうと楽観したのもあるし、まずは自分の食事を終えてから話を聞きたかったんだと思います。しかしその内に、母の呼吸はどんどん苦しくなってきました。私が初めに判断した内に用意していれば・・・いえ、どちらにせよ遅かったのかもしれませんが・・自宅には痰の吸引器がないので、やはりこういう場合に、困ります。在宅なら在宅なりの、準備が必要であると、つくづく思いました。痰が絡む咳が出ているも、口の外へ出し切る事ができず、次第に苦しむ母に、12月の頭に入院する事態となった光景がフラッシュバックします。まったく同じです。とにかくゼロゼロしながら、痰の絡む咳を繰り返し、困った顔をしています。私はずっと声をかけています。「お父さんが少し待ってと言っているから、もう少しだけ頑張ろうね、頑張って痰を吐き出そうね」背中をさすりながら、出てきた唾液や痰をできる限り掻き出しながら。はじめは、ベッドのギャッジを上げて、座る姿勢でしたが、側臥位の方が楽なのかもしれないと思い、ギャッジを倒し、側臥位に。それでも変わらずに苦しむ母に、もう涙が出てきて、必死に背中をさすりました。せっかく、母と新年を迎えらられたのに、このままサヨナラは嫌だ・・・こんなに突然は嫌だ・・・ボタボタ涙を流しながら、「お母さん苦しませてごめん、ごめんね、ごめんね、」ととにかく謝るしかない私。私はお母さんとお別れするとき、「ありがとう」と言いたかったのに、きっとそんな穏やかなものではないのでしょうね。突然のお別れになれば、やっぱり「ごめんね」と言ってしまうのだなと、あたまの端っこで思いながら、この騒動が隣の部屋で聞こえてるはずなのに、飛んでくることもない父親に腹が立ち、「お父さん!!!電話して!!」と大声を上げました。すぐに救急へ電話を掛け、救急車の手配をしました。その時に、電話を変わってもらいました。「今痰が絡んで呼吸が苦しそうなのですが、座位と、寝かせて側臥位とどちらがよいですか?」「側臥位で良いです」「わかりました。他にできる応急処置はありますか」「出てきている痰や唾液をできるだけ掻き出してください」「口をあけられないので、痰が・・あ、少し・・でも全然・・」「大丈夫です、落ち着いて、少しでもいいから。すぐに救急車いきますからね」「ありがとうございます、よろしくおねがいします」電話中は冷静に話し、電話を切ったとたんに涙が溢れる。「お母さん、頑張ってね、頑張ってね、今救急車くるからね、病院戻ろうね、苦しい思いさせてごめんねごめんね、頑張ってねごめんね、お母さんお母さん」もうこれしか言えないもんです。その後も、必死に背中をさすりながら、ガーゼで出てきた唾液を拭う。数分後、電話がかかってくる。「はい」「先ほどの救急の者です。お母様、どうですか?意識はありますか?」「はい、さっきまで目を開けていたのですが、今は目を閉じています。咳は引き続き出ています。鼻で少し息が出来ているようですが、苦しんでいます。」「後ろで咳き込んでいるの、お母さん??」「そうです」「わかりました、もう救急車出発していますから、頑張ってくださいね。とにかく掻き出してあげてください」「ありがとうございます」ほどなくして、サイレンの音が近づいてくる。一時帰宅の際に、介護タクシーを利用し、玄関ではなく、母の寝室直行で、移乗をお願いしました。今回の救急隊も、この寝室直行で救急隊の方に入ってもらえたので、スムーズにいきました。前回はリビングで発生し、玄関から出たから(うちの玄関は狭い)、大変だったんです。救急隊の方に事態を説明し、同乗の準備。・保険証・診察券とりあえずこれがあれば良い。あとは財布。携帯。病院で何かを請求されるわけではないが、帰りの手段に電車などを使う人は必要。でも財布とかちょっとしたもの、入れてる「いつものカバン」くらい、すぐ用意できるはず。準備は焦らず、落ち着いて、です。救急車の中で、現在入院中で、一時帰宅であることを再度伝え、その病院へ搬送して欲しいと伝えます。基本的には、救急車に乗り込んでから、受け入れ先の病院を探すからです。先ほどの必要なもので、診察券と言ったのは、うちの場合、搬送先が入院中の病院なので、そこの診察券。普通は、健康保険証だけでいいのですが、もしかしてお財布の中にひとまとめにしてるんであれば、いくつかの総合病院の診察券いれておけば、話が早いんじゃないかなと思います。無くても十分何とかなるけど。救急処置室で、鼻腔からの吸引で、痰を引き出し少し落ち着きはしたものの、とってもとっても、少しすると出てくるもので。やはりそのまま入院という事になりました。水分も十分に摂れていなかったし、私なりに頑張って作った刻み・ミキサー食も、まだまだ未熟だったから、食べにくかったんだろうと思います。母には辛い想いをさせてしまいました。本当に申し訳ない。至らない自分が悔しいです。もう一個、腹が立つことがあったので、記事にしようと思います。☆読んでくださってありがとうございます! お気軽にコメントやメッセージいただけたら嬉しいです。よろしければポチポチお願いします☆ブログ村 認知症
2013年01月01日
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こんばんは、シマ(´v`)です。実は、今、お母さんが自宅に帰ってきています!!2泊3日の帰宅ですが、途中で不調あった場合はすぐに病院へ戻ります^^何事もなく過ごせるといいのですが・・とりあえず、この新しい一年を迎える日に、一緒に過ごすことができてよかったなと思います。みなさまにとっても良い一年になりますように。・・・・・・・・・・・・・・外泊の経緯誤嚥性肺炎で入院したのですが、実は、こちらの病状は経過良好で、問題ないのです。ただ、栄養面で、経口摂取が難しい・水分摂取が難しいという事から、退院を渋っています。プラスして、排泄介助、体位交換・・もろもろ考えると、それを私一人がやらなければならない、仕事もやめてはいけない・・となると、在宅介護は困難だろうと思い、退院に踏み切れないのでした。また喉に詰まらせたら?水分が足りなくなったら?一日3食の病院食(刻み・軟菜・軟飯)の用意、食事介助、体位交換、排泄介助・・・それだけではない、父と自分の分の食事、掃除洗濯・・・器用にこなせない私には絶対に無理。自分の弱さ、至らなさのせいで、退院させてあげることができないのが、本当に申し訳なくて、せめてこの外泊中は、精一杯尽くしてあげたいと思います。外泊については、主治医が、「娘さんが介助した方が食べるし、こんだけ食べてれば大丈夫だよ~帰ったら?(退院の意味で)それか、2,3日帰るか(一時外泊の意味で)」と、12月の半ば頃から言っていて、その時に決断できていればよかったのですが、仕事も休めないし、上記のことが不安で不安でたまらず、答えを先延ばしにしていました。その後も、主治医からは度々外泊を提案されていて、クリスマス前に、「娘さん丁度連休なら、試してみたら~?」と言われていたのですが、さすがに急だったのでお断りしました。父にも、食事の用意と世話等々を考えると自信がないので、一時帰宅は無理だと伝え、色々ありましたが、納得してもらいました。しかし気がつけば、私の不安もよそに、父は、勝手に自分の中で正月一時帰宅させるつもりになっていたのです。「正月くらいは帰してやりたい。病院の天井ばかり見上げているのはかわいそうだ」これだけ聞くと、あら優しいお父さんねと思うんでしょうけど、自宅に戻ってきてから介護をするのは私です。そして先の話し合いで難しい事を説明し、納得したはずなのに、何故??反対すると、「お母さんの見舞いに行った時、いつも『帰ろうな』と声をかけてきたのに!帰ってきてもらうつもりだったのに!」と怒られます。ええ、そうなんです、父は相変わらずなんです。(過去のいざこざをご存知ない方はスルーしてください^^;))「お前が無理なんだったらもういい」なんだかまるで、私のせい・・・・それから、主治医には「食事そんなに心配?こんなん(病院食)作れない?料理できないの?」と言わた事もあって、私がもっとこなせていたら、今頃お母さんは退院できていたのかもしれないし、父もイライラせずにいられたのかもしれない。私の頑張りが足りないせいかもしれないと、思うのでした。・・・・・・その後、定期訪問があって、ケアマネさんとお話しする機会がありました。一時外泊(退院含む)に対する私の不安を先に伝え、父を諭してもらうようお願いしました。最初は私を責めるような口ぶりで、「帰してやりたい」について話していましたが、次第に「実際に介護するのは自分ではないから、自分は強く言えない」と意見が変化していきました。まーなんだかんだで、外泊はやめましょうと言う事になりました。この時の定期訪問で、他にも今後の方向性が色々と決定しました。で。で、ですよ。12/26、食事介助の事で、看護師とお話ししていたら、その看護師のあまりの対応の悪さに、心が折れたんですね。この時に、ああ、こんな所にお母さんを置いておきたくない。こんな所に世話になりたくない。とてもじゃないが、安心して母を任せられない。と強く思いました。何かもう、不安よりも怒りとか悲しみとか、母への罪悪感が上回って、とりあえず一時外泊でもいいから、母を引き取ってあげたいと思いました。それ(看護師とバトったことから全部)を父に話し、病院側のOKがもらえたら、外泊させたいと言うと、お前ができるなら俺は構わないと言いました。看護師の対応に関して、不満や疑問があるというのは、父との共通意識です。めずらしく。それほど、看護師の対応が気になるのです。その後、担当ナースに外泊の話しをしようとしたら、「先日ケアマネさんからお話しあって、外泊希望されるって聞いたのですが・・?」・・・?!先の定期訪問では、外泊はしないという結論に至ったはず。ずっと外泊はしない方向でと言っていたので、病院側もどうゆうことかな?と思ったみたい。家族としても、やっぱり外泊にしようと決めたのはついさっきの話。ケアマネさん、噛み合ってなくね?あんだけ話し合ったのに。もういいけど。で、主治医もすぐ連絡付くところにおって、何の躊躇もなくOKもらえて、外泊できることになったのでした。問題があったらすぐに帰ってきても大丈夫だから、無理ないようにねと言ってくださった優しい看護師さんには、本当に感謝。あの対応の悪い看護師・・・・ほかの患者さんにも印象悪いと言われているらしい。一緒に働く看護師さんたちにも、威圧的に指示しているのを見ると、間違いない、看護師間でもいざこざしてるんだろう。・・・・・・たかが外泊の経緯なのに、何故こんなに長くなる^^;まあいい、記録記録~。ではでは、みなさま良いお年を!!来年も、がんばって生きるぜ。☆読んでくださってありがとうございます! お気軽にコメントやメッセージいただけたら嬉しいです。よろしければポチポチお願いします☆ブログ村 認知症 人気ブログランキングへ
2012年12月31日
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こんばんは、シマ(´v`)です。今日は食事介助の事を少しまとめてみます。母はもう大分進行し、入院によってギリギリ残されていた能力も失われてしまいました。(関わり方によってはまだ回復できる段階なのかもしれませんけどね。)こちらの言葉の意味もよくわからないでしょう。そして、自分の意思で、自分の動作を制御することも困難。色々な認識力が、きっと・・・でも、まったく何もわからないわけではないはず。そう思って、人として、自分だったらどうしてほしいか、を考えながら、母と向き合っています。皆さんは、起きてすぐにご飯を食べられますか?私は食べられますが、それは、「急いで食べないと遅刻しちまうぜ!」などと自分が納得できる理由があるからだし、目の前の食事を認識できているからだと思います。急に人に起こされて寝起きに食パン口に放り込まれたらブチギレます。状況が飲み込めないもの。正常な判断ができる人でも混乱するのですから、認知症の方は、どうなんでしょう?「ごはんだよ」と声を掛けた所で、理解できているのか、わかりません。朝だ、8時だ、ご飯の時間だ、ハイ!っとスプーンを口に持ってこられても、絶対に口を開かないと思います。少なくとも、実際、母はそうです。最近は口の開きが悪くなったので、余計にそうなのです。困ったもんで、どうしようと思っていたんですが、この入院時に改めて自分の対応を見直しました。************************シマ(´v`)流、食事介助の作法1.食べる前の準備2.食べる3.食べた後のケア・・・・・・・・・・1.食べる前の準備について●口腔体操などと同じ要領で、マッサージしていきます。私は、肌に付けてOKなオイルを、手に伸ばして行っています。※口腔体操をイラストなどでわかりやすく解説しているサイトがありますので、詳しくは調べてみてくださいね。・両手で、頬を顔の中心に向かって押す(寄せる?) 反対に、顔の外側に向かって、引っ張る(伸ばす?)・両手で、頬を顔の上に向かって押し上げる 反対に、頬を顔の下に向かって、押し下げる ☆私はこの時、右は上、左は下、など互い違いに行ってます♪・リンパマッサージの要領で、小鼻の脇に人差し指の腹を沿わせて上下に滑らせる・小鼻から鼻から眉間まで指を沿わせ、おでこ・眉毛を通って外側へ、 こめかみの辺で円を描くように押す。 そして頬骨の下を、痛気持ちいいくらいのちから加減で押し、 頬骨に沿って、顔の中心・外側と指で押していく。・耳の裏を通って、首の両側面を通って、鎖骨の方へ 「老廃物を流していく」のをイメージしながら、マッサージ。・上唇の上を人差し指と親指でつまんで、ムニムニする。 右・左・真ん中と、三箇所に区切ってムニムニしていく。・下唇の下も同様にして、ムニムニする。以上は基本的に行います。時間があれば、他にもアレコレとマッサージします。この時、「いち、にぃ、さん、し・・・・」とゆっくり数を数えながら行いますが、顔への刺激と、声の刺激で、だいたいこのマッサージの時に目を覚ます事が多いです。声は出ませんが、母も口を動かして、数を数えているような様子が見られることがあります^^次に、●ベッドを起こして、口の中をお掃除します。ガーゼを指に巻きつけ、軽く水で湿らせたあとよく水を切ります。唇を濡らし、前歯をなぞり、次第に左右の奥へと指を入れていくのですが、歯の表面を磨くことと、歯茎や、頬の内側の汚れや唾液を拭うことを意識しながら、きれいにしていきます。寝ている間・・・というか、口を閉じている間、口の中はよだれや食べカス(食後の口腔ケアをしていても)でよごれるもので、ガーゼはすっかり汚れをとってくれます。とりあえず、準備は以上です。・・・・・・・・2.食べるまずはお茶ぜりーから。口の中を潤してあげたいし、それがごっくんできるかどうかで、目覚め具合を確認。それから、柔らかめのおかず、ご飯・・へと順番に摂ります。お茶ゼリーのあと、ヨーグルトやプリンなどから食べさせる事もあります。お薬は粉末にし、ゼリーや、果物(刻み)に混ぜて、最初に飲ませてしまえば、飲み忘れ防止になります。本来なら食後ですが、神様許してね的な。食べさせる時ですが、スプーンで掬っても、箸でつかんでも、必ず母の目線に合わせ、母に見せます。もちろん、「ご飯だよ」とか、「お魚だよ」とか、声を掛けます。食事介助って、介助者の方は、見えているので、もちろん認識できてますが、そして案外気づきませんが、される側は、何を口に運ぼうとしているのか、わかりませんよね。固形物なのか、スープ状の物なのか、どれくらい口開ければいいか・・・口に運ぶ前に、母に見せる事が、果たして意味のあることかわかりません。認識できているか、いても、口を開くという指令が脳から十分に出ているのか・・でも、まぁ、やれるだけはやっておこうと思いまして。・・・・・・・・3.食べたあとのケアまとめるまでもなく。口腔ケア。自宅での口腔ケアの様子をまとめた記事(コチラ)を参照してください。色々持ち込んでませんので、もっとシンプルですが、欠損した部分に入り込んでいる食べカスを少しでも多く取り除いてあげています。何せ口を開けないので、隅々まで磨くことはできませんが、せめて、できる範囲はやってあげたいと思います。・・・・・・・食後30分くらいは、座った状態のままで、休憩してもらいましょう。ほかにもまとめたいことあった。口をあけない母への食事介助の方法でちょこっとだけ。あとで記事書き直すかも。でも今はとにかく、眠気が・・・・・・ではでは! ☆読んでくださってありがとうございます! お気軽にコメントやメッセージいただけたら嬉しいです。よろしければポチポチお願いします☆ブログ村 認知症 人気ブログランキングへ
2012年12月29日
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入院20日目くらいの話し日々書きたい事があるのですが、まとめられずにいるまま、状況や心境が変化します^^;母が入院して、もうすぐ1カ月です。肺炎はすっかり良いのですが、食事が思うように摂れないのがネックです。***********なかなか口を開けてくれない母。それでも、病院食1/2量を1時間半~2時間ほどかけて、食事介助しながら何とか食べています。現在私の介助で7~9割(不調時は2割くらいのこともあり)看護師さんの介助で0~1割程度です。完食!はなかなか少ないですが、9割の日は大変喜ばしいです^^朝、仕事前に食介へ赴き、昼は仕事中なので、看護師さんに任せ、夜も、仕事終えて自分たちの夕食の支度をしてから、食介へ。休日は昼も食介しています。だって、看護師さんが2時間も母にへばりついて介助してくれるわけないですものね。母の面会は当然!!毎日行っております。食事介助の時間に合わせていけば、もう少し自分の時間も取れるんでしょうけれど、病室で、母が一人寝かされている事を思うと、心が苦しくなってしまいます。家の中の事をやりたくなくて逃げているのかもしれませんけど^^;安心して任せられるのなら、こんな胸のざわつきは無いのだと思います。安心できないから、かわいそうとか、申し訳ないとか、思ってしまうのでしょうね。***********入院当初は、内科病棟が空いていないため、整形病棟にいました。こちらの看護師さん・ヘルパーさん方は、とても良く気を回してくださって、母が早くよくなるようにと、私と相談しながら、対応してくださいました。中でも、一人の看護師さんは、積極的に声をかけてくださって、寝かせきりにしないようにと、昼食時は車イスに乗せてロビーへ連れて行ってくれたり、せん足防止にクッションの位置を工夫してくださったり、本当によくしてくださいました。それが、10日ほど前に、内科病棟に空きができたので、移動になってしまいました。せっかく慣れ親しんだ環境が一変してしまい、しかも移動先の内科病棟の看護師さんの冷たい事・・・今までがとても温かみのあるフロアだっただけに、余計に今のフロアへの対応が辛くて。当然だけど知ってる人が誰もいない、また一からやりなおさなければならない不安が大きすぎました。フロアによって、いえ、人によって、こんなに違うものかというのを思い知りました。不安な毎日を過ごす中で、以前のフロアで一番母と私を気にかけてくださった看護師さんが、わざわざ会いに来てくださいました。ご自分の休み明け出勤したら、病室移ったと聞いて驚いて心配になって会いに来たとのことでした。ずっとずっと、大きな不安と寂しさと対応への疑問を抱えていたので、その看護師の方のお顔を拝見した途端に、ダーーーっと号泣してしまいました。「どうした?!」って、すごく心配してくださって、背中をさすりながら、なだめてくださって。そのやりとりを見ていた、同じ病室の方も、「娘さん、よくやってるよ。見てる人はちゃぁんと見てくれてるからね、大丈夫だよ。泣きたい時は泣いていいんだよ。」と声をかけてくださるものだから、余計に涙が止まらなくなってしまいました^^;「お母さん、絶対よくなるから。あきらめちゃだめだよ。がんばってね」と、患者さんに励まされる私は一体・・・しかし本当にこの看護師さんには感謝の気持ちでいっぱいです。お母さんのような存在。(私はあちこちの人を勝手に母のような存在として見ている気がします・・)************で、今のフロアの看護師のことを書き連ねようかと思ったのですが、心が折れすぎて文章にできません。良くしてくださる方もいらっしゃるんですが・・・それから日記にまとめたいこともたくさん。とりあえず、母の今後について家族・ケアマネ間で話し合って、なんとなく方向性は決まってきたかなという所です。まだ不確定要素が沢山あるので、また状況状況で、変化するのかもしれませんが。その辺の事もまとめたいと思います。本当に、読んでいる人にとっては全然楽しくない、自分の記録用なブログになってきたなぁ・・すんません・食事介助の時の工夫・看護師と主治医の対応について・母の食事に関する方針・母の今後に関する方針・母の様子・介護食のこと・救急車読んだ時に必要なもの↑ざっと挙げてもこんなに書きたい事ある・・(すごい遠い目)ではでは。また。コメレス遅くてすいません、でも必ずしますので!☆読んでくださってありがとうございます! お気軽にコメントやメッセージいただけたら嬉しいです。よろしければポチポチお願いします☆ブログ村 認知症 人気ブログランキングへ
2012年12月28日
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こんばんは、シマ(´v`)です。あれから、栄養士さんとお話しする機会をいただきました。母が今まで自宅でどんな食事を摂っていたか、今の状態を見て、どんな形態でどんな食材なら食べられそうか、話し合いました。自宅では、普通食でした。確かにむせる事はあったので、それが一番母に合っていたのかと言われればわかりません。ご飯は、軟飯(結構柔らかめ)にすると、噛まずに飲んでしまう様子が見られたので、多少噛みごたえがある硬さが必要でした。いろいろ試して、入院前は、炊きたてのご飯にお湯を掛ける(食べてる内にお湯を吸って丁度よくなる)というのが一番食べが良かったです。おかずは、きんぴらや、ひじきの煮物、切り昆布の煮物、里芋やかぼちゃの煮っころがしなど、和食を中心に、少量ずつ小皿をいくつも出していました。どれも気持ち柔らかめに炊いてありますが、普通に私たちも同じものを食べていました。里芋やかぼちゃ、ジャガイモなどは、食べる時に少し潰して、また汁気が残るように調理し、食べてもらっていました。魚などは、食べる時にほぐす感じで、よく食べていました。肉は硬い場合があるので、あまり出しませんでしたが、出す場合は、片栗粉を付けてたれと絡ませたような柔らかくてしっとりしたものを、小さくほぐしながら食べてもらっていました。パサパサしたお肉は危ないと思ったので、出していません。(私がうまく料理できればいいんですけどねぇ^^;;)とまぁこんな状態だった事をお伝えして、今日、昼から常食(軟飯・軟菜・刻み(粗))を出していただきました。食べた!!!!!!1/2量にしてもらっているけど、完食できた!!!(いつものとろみ食は、何口か~1割程度でした)なんて嬉しいの!!!!!お口が開くってなんて素晴らしいの!!!!!今日はたまたまだったかもしれません。それでも。とてもとてもとても嬉しかったです。涙が出ちゃいました。こちらの要望になるべく応えようとしてくださる栄養士さん、本当に感謝。途中病室まで様子を見に来てくださいました。よく食べていると伝えたら一緒に喜んでくださって^^私も、嬉しいご報告ができてよかったです!今日のメニュー・軟飯(柔らかめに炊いたご飯というくらいの硬さ。べちょっとはしてない)・エビのすり身団子(とろみのあんかけがかかってる)・里芋の味噌だれ(お芋はとても柔かかった)・大根と人参のサラダ(粗みじんくらいの刻み)・プリン(プッチンプリンのような食感)・お茶ゼリー(自宅ではずっとこれだったので、とろみじゃなくゼリーにしてもらいました)軟飯は、自宅でも炊き上がったご飯をチンして作れます。今日くらいの硬さはどれくらいチンしたらいいのか研究が必要かな。病院では、重湯と混ぜてチンしてるそうです。エビのすり身団子は、プルンとした食感だったので、ちょっと心配でした。芋などのようにねばっとしてないから、ひょいっと吸い込んでしまいそうで。スプーンの背で潰してあげました。試しに少し塊を与えると、しっかり噛んでいたので大丈夫だと思いますが、直径2,3cmを4等分・・でも心配。そのさらに半分ずつ。これはちょっと食べにくいかな~?という印象でした。芋は上手に食べられました。水分があるような煮物の方がいいかな?お茶ゼリーと合わせて水分も摂りながら食べていけばOKという感じ。大根と人参のサラダも、さっさと食べられました。粗みじんくらいの刻みは、丁度いいのかもしれない。プリン、自宅では、もっとクリームっぽいプリンを食べてもらっていました。プッチンプリンとか、卵感が強いのとかより、食べやすいかなと思ったので。病院で出されているプリンも、なんとか食べています。口元に持っていけば、大きく口が開けられなくても、吸い込んでくれるので、逆に食べやすいのかも??・・・んー・・クリームっぽいのだと多分口開けてくれると思う。(介護者のカン)バナナを持ち込んだのですが、(許可もらってます)今日は1/2量とは言え、完食したので、十分かと思って、夕食にはあげませんでした。1時間半ほどで完食しました。今まで自宅でも、入院後とろみ食の場合でも、途中で傾眠があったり口をかたくなに閉ざす時間があったりでした。今回は、前半・後半でペースは落ちますが、途中の傾眠もなく、食べられました。(ただ後半はとても眠そうな表情でしたけど)しばらく続けて、量も全量食べられるようになったらいいなと願っています。もう少し頑張ります。あいかわらずまとまってませんが^^;とゆうか最早自分の記録なので、読んでる人(いるのか?)楽しくなくてすいません。ではでは(o・・o)/☆読んでくださってありがとうございます! お気軽にコメントやメッセージいただけたら嬉しいです。よろしければポチポチお願いします☆ブログ村 認知症 人気ブログランキングへ
2012年12月17日
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12/151日に入院して、早いもので2週間が過ぎてしまいました。肺炎の経過は順調で、音もきれいだそうです。1週間の食止めの後、食事が開始されたのですが、口を開けてくれず、毎回1割も食べられませんでした。とろみ食が出されていますが、母はとろみ食を食べたことがありません。確かに嚥下がむずかしくなってはいますが、だからといって、とろみ食が母にとって食べやすいかと言うとそれはまた別なのかもしれません。そもそも口を開けないのです。そして、とろみの状態も重要です。とろみが強い(スプーンですくって、ボトっと落ちるくらい)と、薄く開いた程度の口元からは入っていきようがありません。ごっくんしやすい、もしくは、誤嚥しにくいのかもしれませんが、口をしっかりあけて、スプーンを奥まで入れられる人に向いているのかな?と思います。とろみが弱い(スプーンですくって、とろとろっと落ちるくらい)と、母の場合、口元にスプーンを当てると少し吸い込んでくれる事があるので、すぅーっと口に入れ、ごくり・・と飲むこともあります。でもほとんどは開かないので、結局私が下唇を押さえながら、前歯と唇の間(?)にスプーンを当て、流し込みます。そうすると、母はそれに応じてごく軽く口を開け、食事を中に吸い込みます。言葉じゃうまく説明できないけど^^;そんなこんなしながら、約1時間半~2時間かけて食事介助をしても、結局食べられるのは1~2割程度。食事が摂れるようにならないことには、退院もできないし、医師には胃瘻を迫られています。胃瘻に関しては、また後日別の記事でまとめるとして・・確かに、これだけ食べないのでは、胃瘻を勧められてもおかしくないし、母にとっても、楽かとは思いますが・・・試しに、バナナを食べてもらったんです。病院に交渉して、何が食べられるかわからないから、バナナがメニューにある時に試してみたいと言って、少ししたら出て。そうしたら、口を開けるんです。3~5mmくらいの薄さに、スプーンで切りながら口元へ持って行くのですが、あれだけ口が開かなかったのに、バナナは10分かからないくらいで、パクパク食べました。もう咀嚼する事を忘れてしまったかと諦めていたのですが、まだ十分に機能が残っている。これは看護師さんにとっても、大きな発見だとおっしゃっていました。医師の指示がないと、勝手に食事形態などいじれないので、バナナを食べる事ができるという報告ができるのは、とても有効だと言っていました。どうしても、「明日、医師が来たら言ってみますね」とか「週明けに」とか・・っていうのが、もどかしいです。気付いたらすぐに、臨機応変に変えていきたいのに><主治医は回診のわずか数分しか見られない。結局、ナースやヘルパーさん、そして食事介助しに来ている家族など、実際に患者さんに関わってる人とは違いますからね。明日の昼くらいから、試しに常食を出してもらえるかもです!書きたい事がたくさんあるけど、なかなかまとめられません・・おかしいなぁ、いつも以上に文章も読みにくいですね^^;今、食事介助のために、面会時間関係なく毎朝・夜と面会に行っています。(日曜は昼も行っています。)仕事があまり調整つけられないので、なかなか昼は行けません。朝食事介助してから仕事・・午後からまた面会・・です。正直家の中のこと、あまりうまくまわせていませんが、母を一人にしたくない。家にいても、じっとしていられないのです。母が目を覚ました時に、いてあげたいのです。人になんと言われようと、やらない後悔より、やって後悔したいから。今できることを、していけたらと思います。今日はデイのスタッフさんがお見舞いに来てくださいました。ずっと通ってるデイだから、身内のように心配してくださって。忙しいところ、ありがとうございました。写真は、お見舞いにいただいたお花です。☆読んでくださってありがとうございます! お気軽にコメントやメッセージいただけたら嬉しいです。よろしければポチポチお願いします☆ブログ村 認知症 人気ブログランキングへ
2012年12月16日
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こんばんは、シマ(´v`)です。寒い日が続きますが、皆さんいかがお過ごしですか。先ほど、いただいたコメントにお返事をさせていただきました。もし「返事ないんだけど?」とかあったらすいません。気付かれないかもしれませんが。それと、リアルでメールを止めている方、すいません。それこそ、ここじゃ気付かないかもですが。________________さて、本題です。どこから書いていいかわからないので、とりあえず12月1日に起こったことから。12/1 食事の時に少しむせるような様子が見られた。この所落ち着いていたかと思っていたけれど、今日は少し調子が悪そうだという印象。夕食の食事介助の最後の時。今入れた一口で終わりにしようという所で、なかなかごっくんできず。何とかごっくんしたものの、その後に咳が出て、痰絡みの咳へと変わっていく。どうも様子がおかしい。だんだん咳…というかむせているような様子がひどくなり、痰をうまく出せずに引っかかっている。背中を叩いたりして、少し痰が見えるも、息継ぎのために痰も一緒に吸い込んでしまうので、いつまでたっても、排出できず。何とか掻き出すも、まだ残っている様子で、異変に感じてから10分ほど、掻き出してから5分ほどだったか、ケアマネさんや主治医から、何かの時はすぐ救急車と言われていたし、自分もそう思っていたので、即座に判断。救急車を呼ぶ。もし呼吸が落ち着いたとしても、明らかに痰がまだ残っているので、このまま寝かせても夜間に安心して寝かせられないと思ったから。何より、今、ゼェゼェと息を吸うもうまく酸素が入っていかずに、母が苦しんでいる。救急車を呼ぶ判断に時間はかからなかった。10分後くらいか、救急車が到着。(指示をしたって)口を開けないので、痰の吸引ができない。とりあえず、病院に運ぼうということになり、車イスごと玄関へ。歩行が困難なので、そこから救急隊員2人に足と脇を持たれてストレッチャーへ。外はとてもとても寒い。お母さん、意識はあるが、何をされてるかわからず、顔がこわばっている。「ごめんね、大丈夫だよ、怖くないよ、私も一緒に行くからね」などと精一杯声をかけながら、自分も救急車に乗り込む。ずっと、母の手を握る。母も握り返してる。(救急車が来た時に何をするか、また何が必要かなどは、また後日まとめますね^^参考にしてください。)車内でも、時折出てくる痰を掻き出しながらも、やはり取れず酸素濃度(体内の酸素量)が90を切ったので酸素マスクをつける。(通常は98~95%くらい。90%でもそこまで苦しくはないが、念のため。高齢者などは80%代だったりする)酸素マスクをつけている間も、むせては痰が見え隠れしている。時々、掻き出すが、うまくいかず、もどかしい。受け入れ先の病院が決まるのに、少し時間かかるも、ようやく近くの病院へ。先日も世話になった所なので診察券もあり、スムーズに進む。到着後、「すぐ検査していいですか?」と聞かれるが、ダメと言えるわけもなく、「どうぞ」。任せるしかない。CTを撮る。救急処置室へ移動するため、待合のイスで待つ私の前を母がストレッチャーに伸べられて、通り過ぎる。その間も、母は目を開けていた。口が開けられないので、鼻腔から痰の吸引の処置が行われた。しばらくまって、医師に呼ばれる。医師「CTの結果、左の肺に、気管支炎が見られます。それから、背中側には、肺炎の影が見られます。誤嚥性肺炎ですね。」つい1週間くらい前にレントゲンを撮った時には無かった。その時に気管支炎はあったが、抗生剤を飲んでいたのに。私「今回の咳き込みによって、肺炎を起こしたのですか?」「いえ、おそらく、2,3日前から発症されていたかと思います。」2,3日前、約2時間置きの体位交換をうっかり寝過ごしてしまい、4時間ほど同じ姿勢だった。その時、左側が下になる姿勢だった。ひょっとしてこのせい?それとも、この日の夜ご飯は少し食べにくいかもと思った。このせい?それとも・・母からのサインは今思えば色々な所に出ていたのに、気付けなかった・・・・・私のせい?色々な事が駆け巡る。ナース「こればっかりは、病気によるものだから、病気で飲み込みが悪いのだから」「治療のため、入院しましょう。2,3日食止めして、点滴を打ちます。回復したら少しずつ食事を摂っていきましょう」「わかりました、宜しくお願いします。」はっきりとは言えないが、だいたい1週間~10日くらいと、医師は言っていた。この所、飲み込みが悪いせいで、水分を摂らせるのも難しく、一日750ccを目指しながらも、だいたいは650ccくらいで。ここらで一度、しっかりと電解質バランスを整えて、お母さんの体調がしっかり良い状態で、また在宅介護が再開できたらと思う。退院できるのか、退院してからも、入院前と同じような生活ができるのか、わからない。暗いことばかり考えてしまうけれど、私の職場の医師が、「元気になって帰ってくるから、あとはしっかりリハビリすれば大丈夫。寝たきりになってしまうばかりを考えるのではなく、どうやってリハビリしていこうかを考えて待ってあげて」と言ってくださった。今は、母を信じて待つしかない。リハビリ・・とはいえ、無理に頑張らせる必要もない。ここで、もし、もしも、最後を迎えることになったとしても。母はもう十分すぎるほど、今までよく頑張ってきたのだ。家族がそれを無理矢理生きながらえようとさせるのは、酷だ。退院の日を夢見ながら、ご褒美のケーキを何にしようかと考えながら、今は母の帰りを待っています。毎日、お見舞いに。手を握って、声をかけて、傍で歌を歌う。ずっと寝かせきりで、寝ていて、時折目を開けるだけ、でも、いつまでもあなたの顔を見ていられます。傍に座って本読んだり作業したり。お母さんの傍じゃないと、何も手につかないの。「かわいい?」と言うと、「かわいい・・・かわいい・・・シマちゃん・・」って弱くても、でも、ちゃんと忘れないで、私の名前、言ってくれる。他の言葉が出なくても、この言葉だけは。あなたの無事な姿を見ないと、落ち着かなくて、家の事ができません。あなたがいないと、家で何もする事がありません。はやく帰ってきてね。☆読んでくださってありがとうございます! お気軽にコメントやメッセージいただけたら嬉しいです。よろしければポチポチお願いします☆ブログ村 認知症 人気ブログランキングへ
2012年12月03日
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こんにちは、シマ(´v`)です。覚えている方がもういらっしゃらないかもですが。ブログ空けていた間にもコメント下さった方、更新ねーのかよって覗きに来て下さった方、過去記事に目を通して下さった方、どうもありがとうございました!コメントの返信はまた今度、しかし必ず、します。(もう目に触れないかもしれませんが。)母の調子が思わしくありません。今、病院で点滴をうってもらっています。詳しくはまた後日。え、ここで切るなよって?スマホからだと打ちにくいもんで…夜ご飯、栄養のあるもの作ってあげないとね。
2012年11月25日
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今年は真面目に更新するつもりが、うっかり空いてしまった~なんだかここ最近咳が止まらず、気管が痛くて困ってます。今、病院勤務なんですが、ちゃっかり先生に診てもらってお薬出してもらいました。仕事してると病院行く時間取るのが難しくてついつい後回しにしてしまいがちがけど、病院勤務ってなんてすばらしいの\(^^)/とゆうわけでお薬もらったものの、3日分飲んでもまだ咳止まらない・・そういえば、先生がボソリと「まいこぷらずま・・」ってつぶやいていたような・・・いや熱無いから大丈夫だと思うけれども。またお母さんに風邪うつしてしまったら大変だわ。気をつけなければ・・・と言いつつマスクするくらいしか・・だいたい、食事介助で私の箸も使っちゃうし、(←そこ一番気を遣えよ)おんなじ部屋で寝てるし、家にいる間はべったり一緒にくっついているのだから、うつらない方がおかしい。風邪菌持ってこないようにしたいけど、それこそ病院勤務だから無理・・。・・・なんかいろいろごめんねお母さん。おしゃべりが過ぎたぜ。ここ最近のお母さんの様子で気になることが二つ。(いやいっぱいあるけどね)・ごっくんができない・足の震えまず、ごっくんについて。水分を与えると、最初はごくごく飲んで、最後の一口を飲みきらないで口の中に残ったまま。声かけてもかたくなに口を開けないから、何かと思ったら、さっきのお茶、まだ口に入ってる?みたいな。でも「飲んで」と言って飲めるわけでなし、「出して」と言って出せるわけでもなし。・・あらたにお茶を与えて飲んでもらうと、なんとか、飲むけど。いつの間にか飲んでいたり。まぁ大きな問題ではないけど、なんで最後の一口飲まないのかな?って。何かを飲み込むのも、「・・・・・・・ごくっ」みたいに、しばらく口に溜めてからだったりする。むせる(軽くだけども)ことも少しあるから、嚥下能力が落ちてきているのかしら。ちなみに、歯磨きの時のうがいができなくなってしまった。口から出すというのが難しいみたい。もちろん、言葉で言ったところでその意味がわかったとしてもその通りに行動するのは難しい。歯磨き粉使えなくなってしまったなあ。困った。口の中のバイキンを飲み込んでしまうという事だけど、体の中は大丈夫だろうか。ずっとさぼっていたガーゼ処置でせっせと磨いています。次に、足の震え。特に朝、朝食を摂っている時にいつも気がつくかな。それ以外ではあまり起こらないかな今のところ。右足が、貧乏揺すりみたいに、小刻みに動いている。足の振動によって、右半身全て揺れているように見えるけれど、基本的に動いているのは足だけ。最初は小さな震えで、すぐに姿勢をまっすぐに直してあげれば、止まる。(体に以前ほどの傾斜があるわけではないけれど、微妙なバランスで右に傾いて右足に力が入ってしまってう事もあるかと思って)震えをそのまま放っておいてみると、とても強い震えになる。これで白目向いたらアウトだろうというほどの、震え。(震え以外は普通にしていて、気にせず食事を進めているので、セーフと思いたい。)主治医に聞いても、納得できる回答は得られなかった。お母さん、座る時に、かかとを上げているから、常にふくらはぎや足全体に力が入っているのだと思う。筋肉がだいぶ落ちてきているから、そこに力をかけることによって起こる震えかなと思っている。私も、腹筋無いのに、腹筋に力を入れる体勢を何秒間かとったら、全身ぶるぶるする、そんな感じ。とりあえず、私の足を踏み台にして、かかともつくように、座ってもらっている。(つまり私の足は踏まれている^^)それにしても、と思うのは気にし過ぎなのかしら。でも何かあってからでは遅いもの。常に注意深く観察が必要だと思う。そういや前回の診察時に聞いたら、メマリーの長期投与は5月かららしい。遠いなぁ・・・・隔週で通院って本当に本当に面倒くさくてしかたがないですよね。遠い病院まで、通院している方は特に大変だろうなと思います。もうちょっとの間、がんばりましょう~ではでは^^!☆読んでくださってありがとうございます! お気軽にコメントやメッセージいただけたら嬉しいです。よろしければポチポチお願いします☆ブログ村 認知症 人気ブログランキングへ
2012年02月13日
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実は、26日(水)に、母がショート先で熱を出し、ショートを中断し帰ってきていました。引き取るその足で、病院へ連れていき、お薬をもらってきました。発熱と、痰が絡んでいるのが主な症状で、病院では、ほんの少しだけリンパが腫れてるねと言われました。それと、舌の白い汚れが目立つ事。口を開けられないので、喉の奥がよく見られなかったけれど、酷い状態ではなさそうだし、脱水もないので、安静にすればすぐよくなるとのこと。去痰剤と、総合感冒薬、抗細菌薬をいただきました。発熱といっても、高熱ではないので、解熱剤ではなく、総合感冒薬に含まれる程度の解熱効果ぐらいで十分だねとのこと。ショートの前日、夜間に、痰が絡む咳が出ていました。その前から少し痰が出てるかな?と気になってはいたんだけれど。起きている時は、咳を出せないんですが、寝ている時は反射なのか、咳が出せるんですね。痰が絡むものだから、呼吸困難にならないか、肺の方へ行かないか心配であまり熟睡しないようにして夜間様子を見ていました。でも熱出てしまった・・ごめんね。以前、主治医に、「今のお母さんの状態で在宅介護できているのは不思議なくらい進行しています。今度、熱が出て寝込むような事があったり、大怪我して寝込んだりしたらアウト(寝たきりになる)」と言われていたので、熱発は本当に心配していました。ショート先から熱上がったと言われた時は、一瞬であらゆる事に対するどうしよう!?が私の中でザァっと吹き荒れたもので。でもオロオロしたってしょうがないので、すぐに布団とエアマットを1階に下ろして、保険証と診察券を持って、迎えに!その日、食事の時だけ起きて、茶碗一杯半程度のおかゆをなんとか休み休み食べてもらって、あとはこんこんと寝ていました。夜にまた熱が上がりましたが、翌朝には、いつもの平熱程度にまで下がって。デイ行かせました。(なんという暴挙)いえ、デイのスタッフさんが本当に親身でねぇ・・・明日お休みします~って連絡したら、こっちは個別対応できるから、来てもいいですからねっ、朝様子見てからでもいいですからねって、おっしゃってくださったので、甘えました。病院の先生も、熱が下がって症状が落ち着いてたら入浴無しでならデイOKと言ってたし。だって、熱でいつも以上に足元おぼつかない母を、あのクソ親父が対応できるわけないもの。今父はまた腰を痛めているので、ってゆうか腰を痛めてなくてももはや私の中で彼は戦力外なんで、任せられません。あー助かった。///////////////////ショート先は、熱が38.0℃出ると、帰ってもらうことになっているみたい。(どの施設もそうなの???)もともとショート中は緊張からか、少し熱と血圧が上がるんです。平熱も36.8℃くらいで高め。デイでは37.4℃前後が多いです。ショート先もそれを知っているので、様子を見ていたんですが、さすがに38℃まで出たので、いつもと様子が違うという事で連絡が来ました。でも、もう少しだけ様子を見て下さってもよかったのでは…なんて。朝一(8時すぎ)に迎えに来いって連絡来てもね!むしろ様子見ていたんなら、「これ以上熱上がったら帰ってもらいます」みたいな一言あったらこっちも構えられたんだが…常勤の看護師がいないせいもあるのかもしれませんし(?)規定がある以上は仕方ないですけれどね。早めに帰して貰えたから、なんとか病院行けたんだと思おう。今回は私の仕事の調整つけさせてもらえたけど、急に呼び出しがかかって、対応困難な場合はどうするんだろうか・・・/////////////////////////病院で、駐車場から受付まで、歩けなくって、何とか支えながら頑張ってもがいていた所、多分、待合室から見えたのか、女性の方がわざわざ駆け寄ってくださって、「何かお手伝いしましょうか?私でよかったら・・」て声をかけてくださいました。さすがに「す、すいませーん><ありがとうございます!」って甘えちゃいました。前から母の手を引いて、ゆっくり歩いてもらっただけなのですが、十分心強かったです。ありがとうありがとう!本当に助かりました。「病院の中に車イスあると思うから、借りたら」とアドバイスくださって。ああ、車イス借りてくればよかったのか!(遅)病院内と、帰りの車までは、車イス借りて、何とか無事乗り越えました。しんどいのに、よく頑張ったねお母さん。そして私も。/////////////////////////////////とゆうわけで、それから熱は下がって、今は元気です。さすが、母、驚異の回復力。身体は丈夫で何より。前の記事で調子がよかったのは病み上がりだったのですが、今日は調子よくなく、眠そうだし、反応もあんまり…朝はむせ込んだりしていました。夜は大丈夫だったけど。また調子よく過ごせる日が来ますように。しかし痰を吐き出せないのは、つらいね。カーッペ!ができたらいいけれど、咳払い?エヘン!も出来ない。痰を吸い取る機械でも出てくるかなと思ったけれど、とりあえずそこまで大掛かりにはならずに済んでよかった◎痰が心配で、夜間寝かせる時は横向きにしていました。でも傾斜が出たら嫌なので、左右ゴロゴロ。まぁ、ひとまず乗り越えたかな。ぶり返したりしないように、気をつけます。みなさんも、風邪やインフルエンザには気をつけてくださいね。もう引いている方は早くよくなりますように。ではでは^^!☆読んでくださってありがとうございます! お気軽にコメントやメッセージいただけたら嬉しいです。よろしければポチポチお願いします☆ブログ村 認知症 人気ブログランキングへ
2012年01月28日
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どうもどうも。色々あったけれども、今日あった平和な事を。今日は父が飲み会で東京へ出ていました。ので、夜は母と二人でした^^デイから帰宅後、反応が割と良好で、「お風呂にしようか、ご飯にしようか・・」と聞くと、「そりゃぁ・・・お風呂でしょ」と回答。支度してから、「お母さん、お風呂用意できたよ。入る?」と聞くと、「入らないよ」(←♪でも付いてそうなくらい軽く言う)とゆうわけで、お風呂入れましたけども。(流れ無視)この会話に意味とか意思とかあんまりないんでね。でもこれだけ進行して言葉の組立ができなくなっているのに、母のこの、この質問にはこう答えるという組み合わせが正しいのが本当に不思議。「こうきたら、こう」ってゆう流れは忘れないものなのかもしれないなぁ。とんちんかんな回答はあんまりないの。当たり障りのない事しか言わないせいかもしれないけれど。でもすごいよお母さん。お風呂はもうもちろん全介助で、ほとんど眠っています。目を閉じているだけなのかな。反応はある。その中で頭洗ったり流したりするの結構不安なんだけど、何とかやれてます。立ち上がりなどはとっても力仕事。ですが、手すりをつけてから、とても楽になりました。風呂も済んで、夜ご飯。もう作ってあって、あとは温めるだけにしといたので、食卓で座って待っててもらいました。お風呂の後だから、眠いかな?と思ったんだけど、「大丈夫」と言って、ちゃんと起きてました^^今日は父がいないので、私も元気に声かけしながら食事介助できました。いつもは、父がいて、私は父の事がすっかり苦手になってしまったので、父がいる前では、あまりハキハキとした声かけができません。真横に並んで座って介助するので、目もあんまり合わせられないし。でも今日は、本当に、明るい雰囲気で食事介助できました。座る位置も、斜め向かいに座って、ちゃんと目が合わせられます。母も調子がよかったのか、しっかり起きていて、途中で眠くなる事もなく、ちゃあんと食べられました。食べ始めは、お箸を使って自分で食べます。小皿に取り分けてあげています。ただ、アレコレお皿を取り替えると疲れてしまうので、母にはおかず皿を。私は白米を。交互に口に入れて、食べてもらってます^^で、何が幸せな時間だったかと言うと。お母さんと一緒に、お父さんの悪口大会したことです。って言うと、あれだけど^^;「あー静かだ。今日はお父さんいないから、すごく楽にできるなぁ。」「そうだね」って始まって。「え、お母さんも、お父さんいないと楽?」「うん、楽だよ」ええ、そうなんだぁ・・本当かな・・本当であれ!普段、お父さんはお母さんに顏を近づけて「元気ですかー!」って聴いたり、寝ているのに、「起きてますかー!」って声をかけたり、起きているのに、「もう寝てください!目をとじてください!」って延々言ってる。(これだけ言うと変な人だけど、変な人には違いないからフォローしないよ☆)本人的には関わりを持とうとしているんですが、横で聞いていると、生理的に無理って思っている分余計に、ウザイんですね。はい。ごめんねパピー。お母さんも眉間にしわよって、「なんですか・・」って唸ってたりするんだけど^^でもだいたいは「元気ですよ」とか「寝てます」とか答えています。すっかり悪口大会になって、「お父さんのアレうざくないか!?だって寝てるのに「寝てるんですか!?」ってうざるぎるだろう!?お母さんうざくない?」と聞くと、「うざいよ」ほら、やっぱりー!「ねぇ!?そうよねぇ!?(笑)」「そうだね。うるさいよね。」よく見たら、お母さん、目元笑ってる!やったー!貴重なお母さんの笑顔見られたー!悪口をお母さんに聞いてもらって、そうだね、シマちゃんかわいそうだねとか慰めてもらったりして、すっかり甘えつくした上に笑顔まで・・!ご飯も全量食べられたし、何もかもがうまくいったような感じ。すごいよね。本当に目元が笑っただけなんだけど、こんなにパワーもらえるんです。とっても単純だけど。入浴介助も、食事介助もあって、普段だったら「ああ面倒くさい!」って思わなくもないんだけど、でも、こうして、母の目を見て、おしゃべりして、母も単語ながら返して、それでわずかながらの笑顔が見られる、たったそれだけなのに、「楽しい、幸せな時間」って思えるんです。「介護してる時間、面倒くさい時間」じゃないの。「お母さんといる時間」なの。楽しいと思えると、当然、まったく辛くない。私は今までそんな風に介護してきたなぁ。お母さんと、過ごせる事を幸せに思って、介護する事ですら大事にした。そうだそうだ。お母さんの状態がだんだん進行してきて、失ったものや、失いつつあるものを見ている分、余計に、ちょっとのことが、大事だと思えるのもあるけど。父が目の前にいると、忘れそうになる。「なんで私ばっかりやらなきゃならないの」と、そればかり考えて、挙句、父にはあーだこーだ言われるものだから、すっかりスレてしまったけど、本来の私は(本来なのか介護色に染まってしまった私なのかわかんないけど)そうなのよ。明るいシマちゃんなのよ。本当なら。全然つらくないのよ。父はそんなつもりないんだけど、頑張ってる所ももちろんあるんだけど、ごめんね、本当に父によって苦しめられているの。いなくなってよくわかった。・・いや、死んでないけど。どんどん飲みに行って、旅行とかして、外に出て欲しいな。そうしたら、父も楽しいし、発散できるじゃない?お互いにとって、とても良いよ!ごめん、ぶっちゃけあなたがいない方がスムーズに事が進むんだよ!精神的にとっても楽だよ!介護する上でとても大事だよ!ま、今日のはお母さんの調子がよかったから、たまたま、だね。調子にのらないように、これからも頑張る。気がついたらこんな時間になっちまった。お母さんちょっと痰が出ていて、横向きで寝かせているのだけど、ずっと横もしんどいだろうし、傾斜が出たら嫌なので、体位交換してから寝ます。今日は明るい日記がかけてよかった!(悪口入ってたけど)☆読んでくださってありがとうございます! お気軽にコメントやメッセージいただけたら嬉しいです。よろしければポチポチお願いします☆ブログ村 認知症 人気ブログランキングへ
2012年01月28日
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気が付いたら大晦日ですね!あと数十分もすれば、年が明けます。母は今もう寝ています。でもそばにいます。今年も、一緒に、お家で、すぐそばで、新年を迎えられて、良かったです。昨年は、行方不明になったりと、ハラハラした一年でしたが、今年は、大きなケガも病気もなく、穏やかに穏やかに過ごせました。来年は、どんな一年になるのでしょうか?穏やかに過ごせるといいなと思います。来年は、特養の申し込みをします。(在宅はまだまだ続きます)私の方は、新しい仕事と掛け持ちで、福祉の仕事を手伝います。ブログで仲良くさせていただいている方と、「認知症の方でも気軽に集まれるサロン」を作ったので、活動していきます。また詳しく、記事にあげます^^さてさて、今年一年お世話になりました。今年もたくさんの方に支えていただいて乗り越えた一年でした。介護というものを抱えるご家族にとっては、人それぞれあって、中には厳しい状況の方もいらっしゃるかもしれませんが、無理せず、頼れるものは頼って、乗り越えていきましょう。みなさまにとって、2012年が幸多き年となりますように☆良いお年を!お母さん、来年もよろしく(´V`)
2011年12月31日
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最近あたらしく仕事を始めました。夏に、3ヶ月間勉強して、その仕事のための資格試験を受けて、無事に合格しました。「時間があるんだから、絶対に受からなきゃいけない」というプレッシャーで毎日胃がギリギリしていました。(ちゃんとやってれば誰でも取れる資格だと思うけど、だからこそプレッシャーが・・)資格取っても、経験がないと就職に結びつかなくて、就活は苦労しました。アウトソーシングでの雇用のチャンスも含めれば少しは楽に仕事が見つかったと思いますが、それだと雇用上の条件が厳しいので私は希望しませんでした。(仲介が入るとゆうのがまず私的に嫌なのと、薄給すぎる)家の事をあまり任せられないので、あくまでも色々条件をつける必要があり、そうすると求人はまったくなく、結構長くウダウダした日々が続きました。結局、正社員で希望していたものの見つからず、パート雇用ですが、今の所で拾ってもらいました。まだ初めてひと月も経っていませんが、少しずつ覚えて頑張っています。決して介護や母に対して悲観的になったわけではありませんでしたが、このブログを読んでくださった事がある方にはわかってくださるかもしれませんが、私にとって父親の性格や存在が、私を非常に苦しめたのです。(父も努力している部分はあるので、申し訳ないのですが)(↑とゆうフォローめいた言葉を出すのもすげーうざいんですが)地を這うようなテンションでこのブログを書いていた時に、知人に心理士の方を紹介していただいて、カウンセリングに何度か通いました。そこで毎回父の事を聞いてもらうのです。今は通っていないのですが、またいずれ近況報告がてらいくと思います。(いや無職だったからお金なくてね・・・・←切実にね・・)今思えば、話題はいつも父の事だったなと。母の話はほとんど出してないな。つまり私にとって「父の存在」が多くを占めていたんだと思います。中々状況を変えられない(社会復帰できない)事も結構な割合で落ち込み要素だったんですが、でもそれは自分との戦いなので、愚痴ることではなかったのですね。動けばいいんだから。それよりも、怒りや不満が募っていて。その心理士の方には、うつ病とは言われませんでしたが、「抑うつの状態」ではあると告げられました。父のために、家のために、「自分をセーブしてしまっている」でもそれって実はとても楽な逃避行為なのです。「自分が我慢して丸く収まるならそれでいい」は、自分さえ我慢できるなら、楽な解決策なのです。でも苦しいのなら、私にとってやっぱりそれはよくない状況なのです。自己主張して、話し合って、解決できるなら、それがベターなんです。(でもこちらの主張が通じないのでもがいていたんです)そして、父はすぐそこの共同畑での畑作業があって、そこに集まる地域の方との交流こそあれ、それ以外での目立った外出はあまりないので、ストレス発散する場所がないのです。そのため、私にずべての不満をぶつけている、理不尽に怒られてしまうという図式でした。私も薄々勘付いてはいたのですが、先生ははっきりと、私への甘えだと言いました。母に「妻としての役割」を望めないかわりに、私に降りかかってくるのです。「でもよかったね。妻としての役割として身体までどうこうされなくて」「!?」こえー・・・でも本当にいるんですって。/近/親/相/姦/とゆうやつですね。なんて身勝手なんでしょうか。父は、「俺は女子供には手だけは絶対にあげない」という自分の信念があるので、どんなにボコボコに殴りたくてもそこだけは貫いてきたと言っていました。(つまり、「だから俺はこんなに我慢していて偉いだろ?」とでも言いたいのかと思いますけど)ったりめーだアホ。別に褒めるとこじゃねーかんな。殴らない代わりに、言葉であーだこーだ言うのは許されるとでも思ってるのか。と悪態をつきつつ、まぁ私の態度も非常に悪いものなので、父ばかりを悪く言うのはよくないんですが。私のブログなんで許してください。ああ、何だかまだまだ長くなりそうなので、ここで一旦切ります。まとまらない文章に定評のある私です☆☆読んでくださってありがとうございます!少しの間コメントを受け付けない設定にさせていただいています。よろしければポチポチしていだけると元気が出ます☆ ブログ村 認知症 人気ブログランキングへ
2011年11月10日
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友人が心の病で苦しんでいるので、私の体験談を晒してみようの会。「退職~凹み時期~社会復帰への道のり」のどーだっていい話ですが、私にもこんな事があったよ的な。苦しんでるのは君だけじゃないよ的な。それ的なあれが伝わったらいいなぁと思って。実は前職を退職してから、ここ最近までずっと無職でした。その間、毎日すごく落ち込んでいて、消えてしまいたいとずっと思っていました。人間関係だったり、なかなか社会復帰できない自分だったり、周りはみんな頑張っているのに、私は介護を理由に色々逃げているんじゃないかと思っては、凹むのです。「そんな事ないよ!介護って大変なことだから!」と言われれば言われるだけ、「もっと頑張ってる人いるし・・・介護ってほどの介護もしてない・・」と思ったり。結局、何だかんだと条件を付けて動こうとしなかったのは自分なんですが、誰かさんのせいで「条件が必要」なんじゃないかと人のせいにしては、また、「何で私には「自分」とゆうものがないんだ・・」と、見事な負のループなのです。多分、ポジティブな方や、アクティブな方には理解してもらえないと思うんですが。グルグル悩んでしまうタイプの人って、本当になんにでも落ち込めるもので。社会復帰できない事は、おそらく世間一般では「甘え」とか「怠惰」とか評価されてしまうのだと思いますが、それを誰よりも自分自身が自覚しているだけに、一人で抱えて苦しんでいくんです。そしてどんどん「人に会うのが億劫に」なっていくんです。誰にも何も思われたくない・・・誰の目にも付きたくない・・・日陰のきのこです。でも完全な引きこもりじゃない以上は、母の送迎でデイのスタッフさんたちと挨拶するし、誰かと会えば、愛想よくニコニコするんです。何とか、なんでもないふりをして、それが過ぎると、またずぅぅんと重いものがのっしり。とっても疲れるんです。人との関わりが。人と話すことができなくなっていて・・・というと、すごく重症な感じがするけど、そうではなく^^;毎日、母や父とのやりとりだけだと、うまく言葉が出てこないというか、頭が回転しないんです。本当に。本当なの。だから自分の気持ちを伝えるのがずごく難しくて、会話ができないんですよ。怖いものですね。もともと人の話を聞くほうで、自分の話をあまりしないタイプだから余計に。お仕事をやめて、自分の時間が出来たら、色々な人に会おう!と思っていたけど、結局こんな精神状態から、あんまり会う事が叶いませんでした。(会おう会おう言ってて会えなかった人たちすいません。こんなでした)気にするなといわれても、気になるもんでね・・・はー・・・なんだか長くなりそうなので、ここで区切ります。ちょっと介護の話題からズレてますが、すいません。今日は手すりの取り付け工事でした^^その辺りはまた後日まとめます。多分。つづきます。☆読んでくださってありがとうございます!少しの間コメントを受け付けない設定にさせていただいています。よろしければポチポチしていだけると元気が出ます☆ ブログ村 認知症 人気ブログランキングへ
2011年11月04日
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ここ数日、訃報が合い次いで入り、とても悲しい気持ちでいます。お一人は、何度かお会いした介護仲間のお母さま(患者ご本人)もう一人、親戚の叔母(父方の祖母のお姉さん)どちらも。どこかの誰かの死ではなく。すぐそばにいたはずの、大切な人の死。祖母(母方)が亡くなった時も強い喪失感。今回の訃報も、少しまえにおうかがいした、介護関係の方の訃報も。本当に、悲しい。今はただ、心より、ご冥福をお祈りいたします。
2011年10月20日
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福祉用具の感想・すべり止めマット(ゴム製)これは残念ながら我が家の風呂には合いませんでした。製品自体はとても良いもので、あってもいいアイテムだと思います。我が家の浴槽の底が、もともと滑り止め対策なのか、凸凹しているんです。変な風呂ですよねぇ・・・そのせいで、せっかくの効果が得られず、結局一緒に滑ってしまう・・マットがズルっと動いてしまうんです。これでは、意味がないので、浴槽内での積極的使用には至らないでしょう。うちの福祉用具利用先は、一週間お試し期間があるのですが、このマットに関しては一度使用してしまうと購入になってしまうので、返品できません。なので、今後使うとしたら、浴槽外(床)すぐ横に敷くと思います。それか、十分な効果は得られませんが、まったく滑り止め効果が無いわけでもないので、過信せずに「一応」といった感じで、浴槽内に敷く場合もあるかも。一般的な浴槽には合うと思うので、オススメはします。浴槽内で滑らずに済むので、きっと安全です。サイズはM・Lがあります。(ちなみにうちはM)・バスボードこれは、浴槽の縁に、橋渡しするように設置し、取り外しも可能なものです。片側に手すりが付いています。浴槽をまたぐのが困難な方が、安全に浴槽に入るためのアイテムです。まず手前に腰掛けて、片足ずつ浴槽へ入れ、立ち上がってもらいます。その間に、ボードを外し、浴槽に座ってもらうことで、転倒などのリスク無く入浴できます。ただ、こちらの指示が伝わらない方には若干混乱されるかもしれません。私の母には、ボードを使った入浴方法の「流れ」が飲み込めなくて、ちょっと苦戦。そして、私が100%介助になってしまって、良いとも悪いとも言えないのが正直な気持ちです。ただ、入浴に関しては、「いかに安全に入れるか」が最重要項目なので、あっても良い・・あった方が良いアイテムであると言えます。手すりを設置し、それによって母自身の力で入れるならこのボードは不要だと思ったのですが、今後(進行した場合や、手すりを上手に活用できなかった場合)を考慮し、持っておいた方がいいと思いました。(本当なら手すり設置後、母の様子を見てから検討したかったんですが、お試し期間が過ぎてしまう)ちなみに、ボードが少し高いんで、座るのが難しいです。とゆうのは、自分のお尻よりも低い位置にあれば、ストンと座るだけで、それならできるのですが、このボードはお知りよりも若干高い位置にきます。座るためには、ちょっと背伸びをして(?)後ろにストン。この「ちょっと背伸び」なんて母にできるわけもなく、母一人では浅くちょこんとしか腰掛けることができません。なので、正面から抱きかかえて、深く座らせるための体重移動が必要になります。何かうまく誘導する方法があればいいんだけどなぁ。母も抱きかかえられてばかりじゃ鬱陶しいだろうなと思ってしまいます。(母に聞くと、「大丈夫だよ」と優しく言ってくれるので、ありがたやーと思いながらさせてもらってますが)手すりに関しては、また後日まとめたいのですが、母が手すりを認識して、握るとしても、さらにそこに力を入れ、上手く体のバランスを取りながら体重移動するまでは難しいかもしれないなと思っています。こればっかりは、使って見ないとわからないし、すぐにできないと決め付けるのではなく、長く使っていく上で使い慣れてくれたらいいなと思っています。以下、バスボード使用時の詳細です。1.バスボードの縁に腰掛ける2.片足を浴槽内に入れる3.私も浴槽内に入り、正面から抱きかかえるようにして、母をボード中央に移動する4.残ったもう片方も浴槽内に入れる5.正面から抱きかかえて、立ってもらう6.後ろに転倒しないようにうまくバランスを取りながら、私は浴槽から出る7.ボードを外す(片手でボードを外しつつ、片手で母を支えている)※立っててねと言って立ってられる人なら、何も片手でボードを外す必要はない。 母は後ろに倒れがちなので、油断すると危ないので片手で常に支えている。8.後ろから脇に手を入れ、ゆっくりと座ってもらうとゆう流れで、出る時は、この逆。浴槽内に入って、母を後ろから抱きかかえ立たせて、ボードを設置して・・・ボードにする事によって、出入りの時に母の力がほとんど借りられず、100%私の介助による入浴になってしまうので、母の残存能力を奪っている気がして、何とも微妙な気持ちになる。でも安全のためなら仕方ないのだろうか・・とグルグルしている。だからこそ、手すりを設置して、それが上手く使えて、母が母の力でもしも入浴できるなら(もちろん私もサポートするけど)それがいいなぁと思っています。ボードの時は、浴槽内に足を突っ込む時の足を上げることも私が持ち上げてやってるから、そんな至れり尽くせりは、母のためによくないんじゃないかなとも思うんですよね。持ってる力を引き出すサポートがしたいんだけど、うまく誘導できなくて・・・・ボードは少し背が高いので、そこに腰掛けるのって実は少し難しいんですよね。それで、体勢的にも母自身が力を入れにくくて、私の介助になってしまうんです。まぁ慣れかもしれないので、使っていく中で、私たちなりに上手くやっていこうと思います。☆読んでくださってありがとうございます!少しの間コメントを受け付けない設定にさせていただいています。よろしければポチポチしていだけると元気が出ます☆ ブログ村 認知症
2011年10月14日
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ブログに向き合えなくって、少し間があいてしまった・・・がんばろうっと。ええと、入浴介助の時に困ってる事をまとめます。◎入浴字の今の母の状態・指示が伝わりにくい・指示はおそらく伝わっているが、母自身がそれをうまく実行できない・浴槽に入る際に、足がうまく上がらない・ 〃 、バランスがうまく取れない・浴槽を出る際も、同様例えば、浴槽の縁などにつかまりつつ、片足を湯船に突っ込むことや、片足を突っ込んだ次に、もう片方の足を突っ込むこの動作が難しい。片足はいけるんだけど、もう片足が難しいんですよね。何とか、縁に足をひっかけられるんだけど、体を動かしたり、バランスをとるのが難しくて・・母なりに、自分の手をつかって、縁に引っかかったもう片足を湯船に引き込もうとするのですが、バランスを崩してよろけてしまいます。とゆうか、途中で違うものに気を取られて(縁に付いた水滴をゴシゴシしたり)集中できない・・・全体的に私が母を後ろから脇に手を入れて支えながら湯船へ誘導しています。文字で書くと分かりにくいなぁ・・・とゆうわけで絵を書いてみたんですが、結局変わりませんでした! (絵、見えてる??)基本的に私はずっと母を後ろから支えながら介助しています。絵の都合上、私がいたりいなかったりしてますが・・それと、声を掛けてもすぐに反応できないので、繰り返し声を掛けています。母は、湯船につかる(浴槽内に座る)時、ほとんど自分で力を入れて居ないので私が支えながら、「じゃあ座ります」と声を掛けて、ゆっくり座ります。この時、足がずるっと滑って、ばっしゃーんとなる確率が高いので、気を付けています。浴槽から出る時も、滑る確率が高いので、その時も細心の注意を払いまくります。 入浴介助は、一瞬の油断で転倒・骨折など、ケガに繋がりとても危険なので、いつもド緊張しながら介助しています。デイの入浴も利用していますが、デイが無い日やその他、入浴は必要なのでがんばってます。それでこれの対策として、福祉用具の購入をしました。・ボード(浴槽の縁に橋渡しするように設置(取り外し可)するもの)・滑り止めマット(浴槽の底に敷く、ゴム製のシート)あと、これから、浴室に手すりを取り付ける予定です。どこに設置したらいいか、結構悩み、見積もりと一緒に、担当者と相談することに。明日、担当者とケアマネさんが来ます。母も同席しますが・・どうなることか。福祉用具の感想や、手すり設置への道のりなど、またブログに記載したいと思います。誰かの何かのお役に立てたらいいんですが、多分何の役にも立たないと思います。他に書きたい事あったんですが、時間がないのでこれにて。ではでは!☆読んでくださってありがとうございます!少しの間コメントを受け付けない設定にさせていただいています。よろしければポチポチしていだけると元気が出ます☆ ブログ村 認知症 人気ブログランキングへ
2011年10月11日
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なんだか朝早く目が覚めて、眠れず、色々考えてたら夜が明けてしまった。のでちょっとブログでも更新してみる。私の、母への話し掛け方。母は、私の言葉を予測して、声を出してくれます。「お母さん、お・か・・」というと、「え・り・な・さ・い」みたいに、声を出してくれるので、ここ最近は、そういう声掛けをしています。ゆっくり話した方がいいような気がして、いつも、誘導する時などに、こうしています。シマ「お母さん、ご飯の用意が出来たから一緒に食べよう?」母 「ごはん?」シマ「そう、ご・・・」母 「は・ん」シマ「うん、食・・」母 「べ・る」シマ「そうそう。だからあっちに?」母 「行きます」シマ「よし、じゃあ、立ちます。」母 「立つ?」シマ「そうだよ。いっせーのー・・」母 「せっ!」とゆうように、立ち上がるまで、うだうだ話しかけるわけですが、まぁこんなんで、母が100%理解してくれてるのか、ただのオウム返しかわかりませんが、その辺はどーだっていいです。立ち上がる事を理解し、問題なく立ち上がってくれるのなら、それでよいのです。母に、動作を促す時、色々と説明します。「ご飯を食べます。なので、向こうへ行きます。なので、立ちます。」とか、「お風呂に入ります。なので、洋服を脱ぎます。」みたいに。「洋服を?」と言うと、「脱ぎます」と返ってきます。つまり、一応、言葉の関連性はあるので、理解してくれていると思ってますけど。こうやってゆっくり話しかけてあげれば、割とスムーズに行動へ移行できるので、コレはコレでいいだろうと思ってます。・・・・・あと、リアクションが欲しいわけでも、理解してほしいわけでもなく、ただただ私がガーっとしゃべることもあります。一応、母も絡めますが、別にわかってもらいたいわけじゃないので、一方的です^^「お母さん、前に●●で働いていたよね?覚えている?」「うん覚えてるよ・・」「今日お友達とお話していたら、その人同じところで働いていたんだって。偶然だね。すごいねぇ。お母さんと同じ時期に働いていたから、ひょっとしたらお母さんともお話したことあるかもしれないって言ってた。」「そぉ」「すごい偶然じゃない?お母さんの事お話したらいつかお会いしたいわーってゆってたよ」「そぉ」「いつか遊びにきてもらったら、お母さんご挨拶してくれる?」「ん。いいよ」別に中身の理解はどおだってよくて、お母さんが無言でノーリアクションでも気にせず話し続けます。もっと小難しい話をしたり、誰かさんの愚痴を聞いてもらうこともあります。それでいいのか?って感じですが母に合わせて話そうとすると、使われる言葉や会話の内容が、とても単純なものになる気がして。もっと幅広い会話を、せめて耳に入れるだけでも、何か刺激にならないかなぁといううっすらとした期待と、ただ話しや愚痴を聞いてもらいたいという気持ちと・・そんな想いで、話しかけています。まぁそんな感じで、私たちはいつもゆっくりゆっくりしています。☆読んでくださってありがとうございます!少しの間コメントを受け付けない設定にさせていただいています。よろしければポチポチしていだけると元気が出ます☆ ブログ村 認知症 人気ブログランキングへ
2011年09月23日
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書類作成しなければならないのですが、どうも頭が回転せず文章が書けないので、ブログを書いてみます。先日の記事更新後、メッセージくださった方、ありがとうございました!覚えていてくださったんですね(つ_`;)ブランクがありすぎて、どこから書こうか・・とりあえず、今の母の簡単な状態と、エアマットの件に関して///////最近の母の様子は、・現在要介護4・こちらの話す意味は理解している(多分)ので、そこそこの相槌はうてる。・表情は乏しいものの、注意深く観察すると目元に表情はある。(多分)・歩行時ふらつき、身体の傾斜あり。(日による)・歩行速度がゆっくり。・傾眠がみられる。(特に食事始めると。で、終わると起きる。このっ)・歌はよく覚えており、一緒に歌える。・どうやら人見知りをする。(前からだけど)・現在ケガや他の病気の併発などはなし。◎デイ:週5日利用◎ショート:月1回、一泊二日利用◎福祉用具:エアマット利用◎病院:月一回、認知症に関する診察を受診▲服薬:朝:アリセプト1/4錠、メマリー20mg1錠、 デパケン100mg1錠、ツムラ抑肝散1包 昼:ツムラ抑肝散1包 夜:デパケン100mg1錠※ツムラ抑肝散は、これから数ヶ月かけて減量、中止予定。とゆう感じで。少し前、結構調子がよくって、反応もよく、食事も自力摂取でき、色々順調でした。でもやっぱりその後は決まって悪くなる。その繰り返しで、きっと少しずつ少しずつ状態が下がっていっているんだと思うけれど、主治医は「今この状態を維持して、在宅ですごせているのは、十分素晴らしいこと」だそうなので、母の頑張りのお陰である。一緒におでかけは、最近はほとんどないけれど、たまに、散歩がてら、近くのスーパーへ歩いていったり、車で出掛けたりしています。気分転換にと思って。結構疲れると思うので、長時間の外出はほとんどありません。//////////エアマット導入してから、じょく創はほとんどできなくなりました。夜間の体位交換も、以前ほど慎重にならずに済んでいます。主治医は、「ちょっと起きてちらっとやるくらいで、いいのよ」と仰っていましたが、私はどうしても気になる(とゆうかもうそうゆうスタイルになっている)ので夜間に1、2度、引っくり返しています。以前は、体位交換中に目を覚ましてしまう事もあったのですが、ここ最近はほとんど睡眠状態を維持したままで可能になりました。母は小さな物音でも、人の気配がするとすぐに起きてしまっていたのですが、今は眠りが深くなったようです。もちろん、睡眠導入剤等は不使用です。(デパケンは若干その作用もあるかもしれませんが)身体の傾斜が、日によって強く出る場合もあるので、以前介護仲間の方に教えていただいたとおり、寝かせる時の姿勢など、気をつけて、対応しています。それでもダメな時はダメですが、人間誰だって不調ありますから、仕方ないと思っています。姿勢維持は、認知症患者にとって非常に難しい事のようなので、責められません。誰も悪くないのです。むしろ母は十分に頑張っています。それでも責める無理解な人が約一名我が家にいらっしゃいますけどその辺りの愚痴は後日ま・と・め・て、いたします。(いらん)先生はああ仰っていましたが、夜間体位交換の必要性、私はあると思います。身体の傾斜軽減のために、傾斜しているのと逆側に横向きに寝かせます。でも横向きのままだと、やはりつらいと思うし、寝返りがうてない→動かないので、色々な部分が圧迫されます。たとえば、脇の下や、耳など。そして、足をくの字に折り曲げているので、足がむくむんですよね。ですから、かならず体位交換して仰向けにしてあげます。それで朝にはむくみもスッキリなわけです。日中も座る事が多いので、足のむくみはなるべく解消してあげたいのです。まーじょく創も、脂肪腫のようなものも、ほとんどできなくなったので、神経質にはなってないので、特に問題はないです。エアマットだからってじょく創にならないわけではないので、(とゆうか実際、うっかり寝過ごして、じょく創作ってしまった事がある)油断はできません。そんなこんなで、ここ数日の気温の変化に身体がついていけず・・胃が痛いです。胃薬がお友達です。みなさまも、季節の変わり目、御身体ご自愛くださいまし。ではでは、シマでした。☆読んでくださってありがとうございます!少しの間コメントを受け付けない設定にさせていただいています。よろしければポチポチしていだけると元気が出ます☆ ブログ村 認知症 人気ブログランキングへ
2011年09月21日
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こんにちは、シマ(´v`)です。ご無沙汰してます。色々考えたのですが、また少しずつブログを更新しようと思います。介護に対するモチベーションは、下がっていません。母を大切に思う気持ちも、変わらずにあります。残念ながら、父とは相変わらずです。色々...人にアドバイスしてもらうことは大切ですが、やはり、母の介護に関しては、私が一番、母を理解しているつもりです。理解する努力をしてきたこと。それを信じて、自分に自信を持ちたいと思います。誰に何を言われても、もう揺らがない。もう誰の指図も、過干渉も、受けない。自分の判断に自信と、責任を持ちたいと思います。全てを遮断するわけでは、決してなく、必要なものだけを受け入れていきます。私らしく、いられたらと思います。まずは、それだけ。
2011年09月19日
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今、お兄ちゃん夫婦が遊びに来ています。ところでさっき母をトイレに連れていったんですが、我ながら素晴らしいなと思ったので呟いてみます。昼以降、水分摂取はしていたのでそろそろ出るかな?と思い、連れていったんですが、出ない。ここ最近は、座れば出るってもんでもないわけで。かと言って、時間を置いて、少し座らせたからといって、または、「出してごらん」と言ったところで、丁度良く出るわけじゃないんですね。トイレだとゆう認識はありますが…まぁたぶん、排尿の司令(尿を我慢したり出したりする筋肉をコントロールするような)をうまく出せないのかな?と思ってます。(本当のところは知りません)と言うわけで、母に立つように指示します。立つときに、私は手と腰を支えています。(手すりなどはないので、私が手すり代わりです)ただ、完全に立つ前に、また座らせます。ちょっと腰を浮かせるような感じかな?すると…じょぼり。出た(´V`)立ち上がる時に少し排尿に関係する筋肉に力が入るのか?何か刺激されたのか?出るんです。むやみにこの方法で出るわけではなく、水分摂取量と経過時間から、出るはずとゆう確信がある時にのみ試す価値のあるもの。ちなみに、下腹部(へそから手のひら分下くらい)を優しく押してみて、硬いと言うか、弾力がある時は、我慢してるかな?押しても、そのまま沈む時は、出ないな。など、触って判断する事もあります。女性はわかるかもしれませんが、膣に力を入れる(=尿を我慢する)と、下腹部にも力が入り、それがわずかな量だとしても無意識に力は入るので(ただもれしないようにだと思う)押してみると硬いんです。意識した事ないと思うけど。母が今どうゆう状態か、触ってわかる…場合もある…んですね。私には。何ゆえ思い付いたかとゆうと、数日前に、あまりに出ないため諦めて立ち上がらせたら出た(そして手にかかった)(さらに衣類などが汚れてしまった)とゆう経験があるからです。今度は便器でしてもらおうっつー挑戦。ちょっとこの微妙な力加減と、判断力とか観察眼とか、チャレンジ精神とか…我ながら…お母さんをよく見ていないと出来ない事だわと思いました。間違っても、「お母ちゃんが行きたくないっていうから連れて行ってない」と素知らぬ顔で言ってのける誰かさんにはできないでしょうね。介護のスペシャリストではないが、母に関してだったら、やはりまだ私はトップの座を維持しとるだろうと思いました。そんなどうでもいいお話。空気が緩すぎて眠い…※今回の記事にある介護方法は、あくまでも母を対象にしたものですので、他の方に当てはまらないと思います。できないんだけど?と怒られたりしても、対応できませんので、あしからずm(__)m
2011年07月31日
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毎日暑い・・・みなさんいかがお過ごしでしょうか?今日はこれからエアマットがうちに来ます。寝返りが打てない母は、そのままだとじょくそうができてしまいます。夜中に起き出さず、ぐっすり眠ってくれて手がかからないわぁと思っている方、じょくそうは大丈夫ですか?まぁ寝たきりでもない限り、ここまで動かないのも珍しいのかもしれませんが・・体位交換を2時間おきにやるわけですが、うっかり忘れてしまうと、今度は肩や太ももの付け根あたり(横向きの時の話)が赤くなって、脂肪腫のようなものまでできてしまう・・・ので、夜間なかなか気を抜けないわけです。結構気を遣うものです。そんな生活が2ヶ月半ほど過ぎたわけですが、主治医に怒られたので、「あなたが倒れるわけにはいかないのだから、使えるものは使って、うまくやらないと・・!ちゃんと寝なさい!」はぁい・・・とゆうわけで、いい加減エアマットの話が進んで、今日ようやく手配されます。福祉用具を使うと・・いよいよ介護っぽくなってきている気がします。使い心地など、感想はまたいずれ。まずは無料1週間レンタルです。文章がまとまってない?それは私が今猛烈に腹を立てているからです。とゆーわけで以下愚痴です。もうねー・・・・・・・自分と、他人の境界線を見誤ってはいけません。自分の意見や考えを人に押し付けてはいけません。それから、ひたすらに相手を思い遣る親切心と、そこにわずかでも見返りを求める親切心、これは似ても似つかない、まったく違うものです。両方のダブルパンチ。当人たちは知る由も無く。はっきり言わないとわからない。はっきり言ってもわからない。知ってる人はそんな事しない。無知って、人を傷付けるんですよ。私もたくさん人を傷付けましたけど。しかし知ろうとするばかりでも人を傷付けることもあるわけです。人の境界線を土足でずかずかと・・・私は自分の領域を汚されるのが大嫌いです。はっきり言います。(ここで言ってもしかたない。)むやみやたらに、「人が嫌いだ」とか言ってるわけじゃないですよ。色々踏み違えている人と関わるのが、難しいという話です。私の交友関係や、人生をとやかく言われる筋合いはないわけで。てかもう本当・・なんでそうやって干渉してくんだ蒸し返すんだよ。私そんなに 間違った おかしな 人間?自分は精一杯生きているつもりなんですが、頭のてっぺんからつまさきまで、ダメが詰まっている不良品。そんなに嫌なら破棄してください。土下座でもしましょうか?
2011年07月15日
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うう・・・全然こちらの世界に戻ってこれないまま、どんどん月日が経って行きます。その間私は、同じ場所で足踏みしています。昨日から、父が実家の方へ帰省しています。同窓会があるようで、これで最後だと思うと言いながら、言っておいでと背中を押して、追い出・・いえ、送り出しました。しばらく父はいません。母と二人っきり。こんな事を言っては、父が悲しむだろうと思いますが、吐いていいですか。吐きます。なんって、心が軽いのでしょうか!母と二人きりになった所で、やるべきことは、何も増えも減りもしないのです。父のフォローあっての介護と言い聞かせながら、黙ってましたが、いなくても変わらない。むしろよっぽど自分のペースで、母のペースでできます。・・いえ、主治医にも言われました。お父さんだって頑張ってるんだから、そんな事言っちゃダメって。・・・・でも、言いたくもなります。私はそれだけ、あなたに追い詰められ、疲弊していると、わずかでも伝わればいいのにといつも思っています。それが私をどれだけ苦しめていることか。数ヶ月前、いつものように追い詰められた私は、一度彼の前で過呼吸の醜態を晒してからと言うもの、あまり言わなくなりました。最近はその記憶も薄れて、またあれこれと言い出すようになりつつありますけど。私に当たっているんです。それから、市役所の職員にいちゃもんつけたり、店の定員にいちゃもんつけたり。スーパーの客が非常識だっただの、何だのかんだの。よくそんなにイライラできるねってくらい、不満がたくさんある。本人は正当性を主張していますが、間違ってはいないとも思いますが、それを敢えて怒りと共に向こうへ伝えようとは、私なら思わないなぁと。けれど、彼はそういう怒りや不満を表に出さないと気がすまないのです。この世代の人ははっきり言うのかもしれませんね。私は現代っ子なので、ちょっとよくわかりません。でも、いつも怒っているわけではもちろんなくて。近所の人とはうまくやっているし、・・・まぁ何かフォローすんの面倒なので、そんな感じで。いい顔してる反動を私にぶつけてきてるんだと思うとフォローしようがない。そんで、昨日今日と母はデイが休みで。今日は病院の日でした。この二日間、久し振りに母とベッタリ過ごした気がします。非常に濃密だったかと思います。母は、自分の意思や気持ちを言いません。「これが欲しい」「何が食べたい」「何をしたい」「したくない」自発的に言葉を発する事がほとんどないのです。こちらがどれだけ話しかけるかにかかっています。表情もほとんどありません。歩行も、以前と比べるとゆっくりになりました。以前は色々と連れ回して一緒に買い物を楽しんだりしていましたけれど、今は一時間も歩いたらへとへとです。散歩はしていますけど。そうゆう・・仕方ないけど、病気になってからもさらに変わった部分。私が欲しい言葉がもらえないことや、行動に付き合えない母、この辺りが、きっと私が「うまくいかない」ってもがいてるんだと思います。以前なら、「おいしいね」って言ってくれていたけど、今はしつこく「おいしい?」って聞かないと出てこない。でも、それで「おいしいよ」と言葉が出るなら、それで十分じゃないか。やっぱり心に余裕ができると、素直にそう思える。ずっと・・自分で作って、食べて、途中で眠くなられて、残されて・・ついでに言うと父にも「俺はこんなにいらない、捨てていいか?」と言われて、捨てて、食事に限らず、色々が・・「報われない」って思っていました。振り返ると、ここ最近は、さっさと済ませて休みたい・・そんな気持ちが前面に出ていた介護でした。だから母は、きっと私が「こわい人」に見えているだろうと思って、自分で蒔いた種なのに、落ち込んだりしていたのですが。母が愛情をもって育ててくれたから、私も母に愛を返している。そんな親子関係だと、ある人に言われました。確かに、母は私を大事に育ててくれたのだと思います。しかし今の状況を思い浮かべて、果たして母は、私なんかを今でも、愛しいなどと思ってくれているでしょうか。「報われない」「早く終わらないかな」「いつまで続くのだろう」そんな気持ちが前面に出た介護を受けて、母はそれでも?どうせ答えなど返ってこないだろうと思いながら、「お母さん、私を愛しいと思う?」と母に問いかけたら、「思うよ」と返ってきて。「・・今でも思う?」「思うよ。大事だよ」と。あー・・・・・そうか母はタイミングを狙って、大事な時にすごい威力を発揮できるように普段は静かに温存しているんだな。まさかこのタイミングで返しがくるとは・・・(いえ、本人理解して言ってるわけではないでしょうけど)こんな私だろうと・・・きっと・・・何であろうと、何があろうと、親子である事は変わらないように。私がどれだけ手荒い介護をしようと、母はそこにいたのだなぁと。思ったらなんか泣けてきて。ごめんと思いました。今日の病院の帰り、何だかめずらしく調子がいいなと思っていたら、ものすごく久しぶりに、笑顔が見られて。すごく嬉しかった。素直に嬉しかったです。笑顔っていっても、全開ではないんですけれどね。よく見ると、目元にたくさんの表情があって。私が話しかけているとき、いつもこんな風に笑おうとしていたのかな?と都合よく思ったりして。母は愛を見せていた。見ようとしなかったのは私だな。もうちょっとちゃんとしないとなぁと思った。ちゃんと愛を返そう。てゆうか多分父が帰ってきたらまた戻ると思う。ので、今この時間を大事にしようと思う。どうか私に頑張る力を・・・さぁて・・体位交換の時間だー☆読んでくださってありがとうございます!少しの間コメントを受け付けない設定にさせていただいています。よろしければポチポチしていだけると元気が出ます☆ブログ村 認知症 人気ブログランキングへ
2011年07月07日
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※この記事は追記しました※ラップ療法についてです。※信憑性のある正確な情報についてはご自身で検索されてくださいませね※検索すれば出てくるのですが・・・用意する物シリーズ第3弾として、私が何を用意して、どのようにやっているのか、をご紹介します。自分の覚書でもあります。(昨年の記事を遡ったけど、まぁ役に立たなかった!)_________ラップ療法とは、患部の湿潤を保ち、乾かさないように、サランラップを使用してケアする方法だそうです。「水道水で洗う」「消毒しない」「乾かさない」消毒液は逆に、ウイルスなどと闘ってくれる必要な菌まで殺菌してしまうので、よくないそうです。とゆう考えの一つ。という感じでよろしく。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1…ラップキッチンのラップを取りに行くのが鬱陶しいので、専用に。小さく使うので小さいのを。コスト?知りません。なるべく離れたくないので。(でも大きいラップと小さいラップが同じ値段ってぼったくりだよな・・)2…サージカルテープ(布タイプ)ラップを固定するための、テープ。3…塗り薬非ステロイド性皮ふ疾患治療薬(湿疹・あせも・皮ふのただれなどに)4…固定粘着シート粘着性の包帯のような・・もの。ラップを更に包帯で固定したい時に、これがあれば必要な部分のみで済むので、重宝する。必要な大きさに切って使う。包帯巻ける場所ならそれでもいいけど、多分やられる側は暑いので、この方が若干サラリとした使用感。(憶測でしかない)5…コットン患部を拭うための。水を含ませて拭きます。コスト?知りません。医療用のコットン(カット綿など)の方が安いのかもしれませんが、その時マツキヨに売っていたからコレです。結果的に小さくて使い勝手がいいと思い込んでいます。6…トレートレーに水を入れて、そこでコットンに水を含ませるという寸法です。ポテトサラダが入っていたトレーですが、ちゃんと洗ったので許してください。洗面所へ行け?何度も言いますが、私は面倒くさがりやなんです。全てのもんをそこに集めたいのです。ラップ療法は水で洗い流す事が大切です。風呂場などできちんと洗い流す事をオススメしますが、私は色々な都合の結果、トイレでさっさとやってしまいます。そうです。面倒くさがりやだからです。朝まずトイレなので、そこから風呂場への距離を考えると(いやすぐ近くだけど)面倒なんで。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・私の手順。患部を覆う程度の大きさにラップを切り、サージカルテープを四隅に。ひっくり返して、薬を塗ります。それを患部にペタ。患部に薬を塗って、ラップを患部に当てながらテープを貼る・・・でもいいと思いますが、私の都合上、自分の所でここまで用意してから、ペタっと貼るだけの方が楽。ラップを固定するサージカルテープですが、数種類あります。不織布タイプ・プラスチックタイプ・紙タイプ・布タイプ・・・(どれも薬局で購入できます。絆創膏とかの下の方。)不織布が一般的ぽいです。ずっと使ってましたが、患部が仙骨部などのデリケートな部分なので、布に変えてみたのですが、柔らかくていい感じです。若干(50円くらい)高いですが、自分のじゃないので、労ってあげます。それらを更に固定する包帯的役割の粘着シートですが、これも絆創膏の下の方・・要は医療コーナーにあります。7…粘着シート(ロールタイプ)シートもあれば、ロールタイプもあります。ロールタイプの方が使い勝手はいいかもしれませんが、患部の大きさによってはシートの方が楽かも。臨機応変に。もちろん包帯でも良いのでしょうし。ラップを覆う程度の大きさにそれぞれ調整して、固定します。この時、厳密に「はみ出ないように・・大きく・・」などと言っていると、すぐにシートが無くなるので、ここは若干ケチって、ラップが隠れりゃいい!と開き直る事を大切にしています。ラップが破れたりしたらいやだという意味で使っているシートだと思っています。ケアはこれで終了です。あ。患部の洗浄は、水道水で、しっかり薬や膿などを洗い流して、それから、このケアに取り掛かからないとです。私のように横着するのはあまりオススメしません。(いないだろう)そして責任もとれません。あ、トレーでなくとも、ペットボトルにお湯入れてとかの方がしっかり洗いながせていいかもしれません。しかしそうなるといっそ風呂場へと思うので、私はコットン派です。(若干の意地)患部周囲のサージカルテープの粘着物が残りがちなので、水分を含ませたコットンでなるべく拭ってあげます。場合によっては、以前排泄介助で用意するものでも紹介した、水不要のボディーソープ的なやつでやんわり洗います。(この時は水で流す)・・・・・・・・・・・・・・・・・・それから、ラップ療法を終了するタイミングがさっぱりわからないんですが、患部のぐじゅぐじゅが無くなったらいいと思っています。母はまだもう少しかかりそうです。ラップ療法の後は、同じ薬を塗ったガーゼを患部にあてて、今度は乾かしていかなければな気がします。・・・・・・・・文章がまとまらない・・・頭がいたくなってきたので、この辺で失礼します。うちはこんな感じなんだよ、程度に、右から左へ受け流してくださると幸いです。このやり方は関心できぬななどのご指摘を頂きたいのですが、心が折れそうなので、やっぱり受け流してください。毎日、一日2回(朝・晩)の事で、どれだけ手を抜くかを常に考えていてすいません。とにかく毎日の必須アクションは、私にとっての大きな壁なんです。気まぐれなので、やらなければならないという行為にはいつも苦しめられます。でも、これが・・介護があるから、ちゃんと生活しようと思えるのかもです。母に助けられてます。感謝。・・・・・・・・それから先日の記事更新、してよかったなぁと改めて思いました。多くの方が読んでくださったのだと、カウンターや頂いたメッセージなどから伝わりました。どうもありがとうございます。とても励みになります・・・・・元気が出ます・・!・・嬉しかったです!まだ返信はできていませんが・・・・・(すいません)本当は・・コメントのやりとりしたいのだけど・・・もう少し・・ほとぼりが冷めるまで、我慢です。ではでは・・・体位交換してきますっ!☆読んでくださってありがとうございます!少しの間コメントを受け付けない設定にさせていただいています。よろしければポチポチしていだけると元気が出ます☆ブログ村 認知症 人気ブログランキングへ
2011年05月14日
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ご無沙汰しています。潜っている間、色々な方からご心配を頂きました。気にかけて下さった方々、ありがとうございました。<注意>現在、コメントを受け付けない設定にしています。理由は以下の通りです。●みなさんのブログにコメントできていないのに、自分だけコメントをもらうわけにはいかん気がする!●コメント返信に時間が掛かり過ぎる恐れがある(きっと心優しい皆様は見捨てないでいてくれてると信じているからこその・・!こそのなんです(T T)!!!!)申し訳ありませんが、勝手ですが・・・ご理解をお願い致しますm(_ _)m自分が皆様の介護ブログに目を向けられるようになったらまたやりとりしていただきたいなと都合の良い事を思ったりしていますがあ、石を投げないで・・!い、痛っ・・・連絡手段については、すぐ返信などの保障はできませんがご入用の方は当ブログ内を探してみてください。色々な方から心配頂いていたのは分かっていたのですが、携帯が鳴る度に、連絡を頂く度に心はズシンと・・・介護から離れたくても現実に戻されているようで・・・とゆうか心配されるほど、私は何もしていない腐った人間です的な・・・メールの返信も、ほとんど出来ず、音信不通状態でした。私は今までの短い人生の中で、「距離を置く事」を大切にしてきました。何に置いても、煮詰まった時は、離れる。これが私なんです。なので、実は今まで、介護から離れていました。といっても、家を出るわけにはいかず、完全には逃げられませんが。花見の後から、少しずつ雲行きは怪しかったのですが、4月の終わり頃から、急激に母の状態が悪化しました。身体の傾斜が異常で、姿勢維持が困難でした。足元のふらつきも気になりました。今は転倒もあります。熱も少しあり、表情も堅く、反応も鈍い。とにかく傾眠があり、何かを始めると、眠ってしまうのです。そして、仙骨部の赤みを気にしていたものの、今は結局じょくそうになってしまいました。私は雲行きが怪しくなってきた母の状態に気持ちが付いていけなかったのだと思います。自分が至らないのを棚に上げて、母を怒鳴りつける日もありました。(母は何も悪くないのに)そして自分の不甲斐なさを責める毎日でした。その苛立ちが母に伝わってか、母の状態悪化に繋がった気がします。介護から離れる必要があると本能が訴えてきたので、いっそ自分の好きな事に打ち込んでみました。ある程度のめり込んだ所で、ようやく「あ、母を構わなくては」と思い始める事ができました。少しずつ、「自分がやらなきゃ」という責任を芽生えさせつつ、母に合わせた生活を見直しました。食事に集中できるように、食べやすい調理・盛り付け・介助など入浴中に眠ってしまわないように、夜から日中へ、時間を変更じょくそう治療のためのラップ療法と、夜間2~3時間置きのの体位交換。日中も、座ってばかりいないよう、数時間置きに、短時間及び30分~1時間ほどの散歩 などなど・・体位交換が功を奏したのか・・傾斜は改善されました。じょくそうは、母が掻きむしったせいでまた悪化・・クッ今朝、私が一瞬、ほんの一瞬目を離した時に、私の後ろで、母は転倒しました。幸い大きなケガはなかったのですが、自信喪失には十分でした。穴を埋めるように、一日母と過ごしました。車で5分とかからないパン屋へ行って、パンを買う。それだけの事ですが、リハビリだとけしかけ、歩く速度がかなりゆっくりになった母の手を引いて、30分以上もかけて歩いて行きました。(途中で休みながら)歌ったり、歌ったり、歌ったりしながら(残念ながら芸がない)ゆっくりのそのそ。母に無理させて暑い中、パン屋へ。店頭のベンチに並んで座って、昼食にと買ったパンを食べ始める所でした。「お隣、よろしいでしょうか?」とお婆様に尋ねられたので、笑顔でどうぞと返しました。ご老人の横で、母にアレコレ手を焼いていると、「今日は暑いわねぇ」と話しかけられた事から始まり、私は久しぶりに「人と話す気」になったのか、珍しく色々と話し込みました。(知らない人なのに・・・知らない人だから?)その時、ご老人に言われたのです。「あなた娘さん?えらいわね、お母様の事、こんなに良くしてらして」今までだったら、「だって他にやる人いないし」と言っていたかもしれません。でも今日はなんだか、それが嬉しかったのです。そして、ご老人は母が病気である事を察して、「きっと治るからね。大丈夫よ。あきらめちゃだめよ。絶対治るわよ。たくさん話しかけてあげてね。一人にしないであげてね。」と言いました。そして母の方を向いて、「でもお母様は、こんなに良い娘さんでよかったわねぇ」と続けました。(母は無表情でサンドイッチをほうばっていましたが、ご老人は無視されても嫌な表情など一切しませんでした。)私は、あるいはご老人も「治る病気でない」事はわかっていました。でも、ご老人は、「きっと治るよ」と何度も言ってくださいました。何だか、それが、私にとって、やけに響きました。「どうあがいたって、進行するし、実際、してるし」と塞ぎこんでいたのに、「治るわよ」って、言われて、「お母様の事こんなに良くして、素敵ね」と言われて、「あら、かわいらしいお顔しているじゃない」なんて言われて、「お母様は、こんな娘さんがいらして、幸せねぇ」と言われて・・本当に、ただただ素直に、「嬉しかった」んです。「大丈夫?」という言葉よりも、何よりも・・・温かかったんです。「そうですね、私も頑張って母を支えたいと思います」と返した。やっぱりこの病気は治らないけど、自分に自信が無くなって、今日の散歩も母に無理をさせたのを気に病んでいたけど、ご老人の言葉が私を押し上げました。「やっぱり、私は私のやり方で大丈夫なのかもしれない」と思えるほど・・・。ご老人は「またどこかで是非お会いしたいわ。お元気でね」と別れ際に言ってくださいました。案外、またどこかでお会いできるような気がします。結局、私たち母娘はゆっくりしすぎたのか、そのベンチに1時間半ほど座りながら昼食を取っていたのですが、その間、警備員さんも声を掛けてくださって。「お姉ちゃん、さっきからお母さんにすごくよくしているねぇ」あら、今日は色々な人に褒められたわ。これもまた、嬉しい。帰り道、母は疲れながらも、一緒に声を出して歌って、途中郵便局の花壇に腰掛けて(すいません)休みながら、頑張って頑張って無事自宅へ戻れました。私の足取りも軽く、(といっても30分はかかってますけど)その後はゆったり休憩→入浴と、夕食も途中で眠りこけることなく完食・・・となんだか充実した一日でした。(母にとっては酷だったかもしれないけれどね)久々の更新で、長々と失礼致しました。読んでくださった方がいたら、ありがとうございます。母は好調と不調を繰り返しながら、少しずつ進行しているようですが、私の心が安定すれば、きっと乗り越えられるような気がします。これからまた再スタートです。頑張ります。たぶん。ここで私が潰れるわけにはいかないのです。絶対。☆読んでくださってありがとうございます!少しの間コメントを受け付けない設定にさせていただいています。よろしければポチポチしていだけると元気が出ます☆ブログ村 認知症 人気ブログランキングへ
2011年05月08日
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東北地震から一ヶ月。被災された方々のお見舞い申し上げます。一刻も早い復興を・・/////////////色々あって、ブログ更新の気力が落ちています。ブロガーさんの記事にコメント残すのも、できずにいます。心の中で応援しています。リハビリがてら、明るい?話題を。////////////日曜日。母と一緒に、近くの公園でお花見散歩。とっても大きな公園で、2時間たっぷりかけて桜を満喫。(それでも全敷地は全く歩いていない)穏やかな一日。めずらしく母が微笑んでいる写真が撮れて、この表情は私にしか撮れないなと自画自賛しながら、二人で桜を愛でました。下ばかり向いて歩く母に、「ほら、見てごらんよ」と声を掛けます。「わぁ~・・本当だぁ・・きれいだねぇ」「すごいねぇ」「春だねぇ」時々顔を上げて、桜を見つめて、きれいだと言って、そして時々、二人で歌を歌いながら、手を繋いで、歩きます。土を踏みしめる感覚や、外の空気、花の香り、春の陽気。外のお散歩は、五感をフルに使います。母も少しは使ってくれたのでしょうか?少なくとも、家でダラダラするよりは、何かしらの刺激になったと思いたい。その刺激が少しでも、母にとってプラスであって欲しい。毎年思うんです。「来年も来られるのだろうか?」そして毎年思うんです。「今年も来られて良かった」母の病気は、どう足掻いても、進みます。けれど、どうかどうか、少しでも歩みがゆっくりでありますように。そして、来年もまた、来られますように。母にとって、私という存在が、プラスでありますように。☆読んでくださってありがとうございます! お気軽にコメントやメッセージいただけたら嬉しいです。よろしければポチポチお願いします☆ブログ村 認知症 人気ブログランキングへ
2011年04月12日
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動画投稿テスト第二弾~////////////////棒針、始めた頃よりかなりスムーズになりました!カギ針よりも、意外と複雑な手の動きが必要なんだと、気づきました。左手で手繰り寄せながら、針から目がこぼれないように、キープ。右手で糸をかけて、やや引きながら針をくぐらせる。何気無い動作ですが、実に複雑で繊細な力加減。まだまだ器用さが残ってる、母の使い込んだ手。素晴らしいです。現役?の頃ほどキレイな手つきではありませんが、まだまだ十分に編み物はできそうです。カギ針は速くできるのですが、棒針は諦めていました。作り目の方法すら思い出せず、私自身もリードしてあげられないなぁと思っていました。が、しかし、ブログを通して応援して下さってる方の励ましのお陰で…ある方に、「輪針」を頂きました。素敵な毛糸も添えられて。棒針に、作り目まで作ってもらって、全てお膳立てしていただいて…(本当にすいません。ありがとうございます。)こりゃか、やらずにはいられない!で、始めたものの、ただの「棒針」では、折り返しができず…しかも不注意で目をこぼし、ふりだしに。頂いた輪針、実は使い方が??でしたが、ちゃんとお勉強して、何とか使い方を学習。(気づけば、作り目も思い出し、できるように)私も、成長してるようで。この方の提案通り、「輪針」は、折り返す必要も無く、母にはもってこいでした。人間、挑戦してみりゃ出来るものです^^しかしまたしても不注意で、編み目をとりこぼし、穴が空いてしまって…orzこの動画の輪針は、何度目かのチャレンジなんです。大分前に頂いたのに、未だ進みが遅いのはそんな理由。ちゃんと作品にしたいので、妥協せずに、手間も惜しまずふりだしに戻します。(てか対処法がわからないだけ)1時間くらいは続きます。一応、隣について、指先を見つめていますが、ほとんど一人でできます。集中力が切れると、手順がスムーズにいかなくなるので、その時に、うっかり目を取りこぼしたりして、収拾つかなくなるので、一応、見て、良いところで切り上げます。デイに行く前の20分くらいの間と、休日の午後、暇な時。夜も眠くなければ、テレビを見ながら、少しずつ。でもやっぱり、集中力、すごい。カギ針の時よりも集中します。今、スペクト取ったら、脳が真っ赤っかかも!なんて思いながら、横で動画撮ったり、邪魔している私です。真夏になるまでには編み終えられるといいね。ちなみにコレは、ネックウォーマーになる・・かもしれません。なるといいね。私信>まりなさん、本当にありがとうございました。途中経過のご報告をと思ったので、アップしてみたのです。母の大事な、「手記憶」(身体で覚えた動作の記憶)を守り隊!!ママにパワーをっ!オラにパワーをっ!!東日本にもパワーをっっ!!☆読んでくださってありがとうございます! お気軽にコメントやメッセージいただけたら嬉しいです。よろしければポチポチお願いします☆ブログ村 認知症 人気ブログランキングへ
2011年04月04日
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3月22日~3月23日まで、一泊二日で、利用しました。第二回目になります。東北地方の地震の影響で、ガソリン不足だったため、送迎は家族が行う事になりました。私は用事があったので、行きは父にお願いしました。送り届け、中を少し見たようですが、父にとっては非常に衝撃的だったようです。「あんなに不安そうなお母ちゃん、初めて見た。」「俺が帰ろうとすると、付いてくるんだよ。」まぁそんな状況だったようです。それでも、いつかは必要な事だから、いつかは施設に入所するんだから、父はそんな風に考えているようです。家族もなれないといけません。ショート中、母は特に問題なく過ごせたようです。迎えは私も付き添い、今度は私が中まで行きました。(できれば行きたくないのだけど・・と思いながら)イスに座って、テレビをみているご老人たち・・・とは離れたところのイスに母はいました。ショートの責任者の方が隣に付いて、熱を測っているようでした。母の正面には、男性職員が2名、どら焼きを持って立っています。家族の迎えまで、おやつでも・・という事だったのですかね。母は顔が赤く、熱でもある様子で、スタッフさんは心配していました。緊張から来るものだったのでしょうか?私がきて、スタッフさんが「お姉ちゃん来たよぉ~よかったねぇ~」おやつは持ち帰り、報告書を受け取って退散。報告書を渡されたとき、男性スタッフさんは、「こちらに、詳細がありますので、あとで読んでください。」そっけなかった。ノートに書ききれなかった事とか、補足とか、無いのだろうか?もし私が介護スタッフだったら、迎えに来た家族に何て言うだろうか?もう一人の男性スタッフは、以前見学した時も、なんだか感じが悪い。いえ、良く知らないからあくまでも「印象」で、実際は、とても良い人なのかもしれない。勤務歴は皆長いらしいから。きっと気に入られているはず。でもね、「一瞬」でどちらかを判断するんだよ、人って。対応ありがとうございます。まるっと二日間の「詳細」は、一日ほんの数行でも、対応してくれた事に感謝しないといけないね。のちに定期訪問で、「シマママさんはねぇ、スタッフとすぐに手を繋ごうとするのよ。みんな、かわいい!癒される!なんて言って、結構人気者なの」と聞かされる。ではそうゆう心温まる話でも連絡帳に入れておいたらいいのに。徘徊しかしていないのか?一日中?あるだろ?ほかに。何を話したとか。言葉数は少ない・・でもゼロじゃない。何故母が手を繋ごうとしているか、かわいいとか、そんなんじゃなくて、もっとなにか・・「ショートは、楽しく過ごすって言うよりも、寝床の提供だからねぇ」誰が言ったんだっけ。でも、ありがとう。結局それに助けてもらわなければならない。ならば、それなりの態度で。感謝の言葉や態度を。あ、でも、子どもをあやすような言葉遣いはやめていただきたい。母を一人の大人の女性として扱ってください。寄り添った・・・いえ、丁寧な人付き合いをよろしくお願いいたします。本人が、家族が、安心して委ねられる場になろうとする努力を。ついつい、毛を逆立ててしまうわ。もっと良いところを見ようとしないと、いつまで経ってもダメだね。前回も同じような事を言ってたきがするけど。頭が痛いので、休みます。ではでは。次は明るい話題を。☆読んでくださってありがとうございます! お気軽にコメントやメッセージいただけたら嬉しいです。よろしければポチポチお願いします☆ブログ村 認知症 人気ブログランキングへ
2011年03月31日
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震災関連認知症に関する情報共有サイトコチラ知り合いの方が、こんなサイトを立ち上げていました。地震での認知症に関する情報は、こちらに統合したら、すごくうまく機能すると思います。中には、医療機関の受け入れ情報や、認知症患者さんを含む、家族の、被災地で求めている事などを書き込むシートがあります。だれでも書き込みOKです。その他、認知症関係の最新ニュースやツイートも見られます。情報源や相談先なども記載されているので、とても見やすいかと思います。一人でも多くの方が、一秒でも早く、安心して過ごせるように、願っています。・・・・・さて、次の記事は、遠まわしにしていた、ショートステイ(第二回)の事でもまとめようかな。昨日、久しぶりにピアノを触りました。(とても弾いたとは言えない)脳内α波のお陰で、穏やかになった気がします。もう一度、穏やかになってから記事を書かないと、ちょっと変な事になりそうなので、またね・・・(^ω^)ノシ ☆読んでくださってありがとうございます! お気軽にコメントやメッセージいただけたら嬉しいです。よろしければポチポチお願いします☆ブログ村 認知症 人気ブログランキングへ
2011年03月24日
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ずっとずっと心配でした。被災地での認知症患者さんはどう過ごしているんだろうか?と。(認知症患者さんに限らず、ご病気によって、今置かれている環境を正確に理解できずに混乱している方や、今の環境に適応するのが困難な方)・・・皆困難だけども!!特に!!当然ですが、被災地には認知症患者さんもいます。それも推定一万人だそうです。支援する環境にいる方に是非読んでいただきたい。そして私も、今後のための知識として、読んでおきたいと思います。●支援ガイド(うまく見れない方はコチラも試してみて)(PDF版はコチラ)ざっとまとめると、・人の動きや出入りが少ない場所の確保・雑音などを最小限に・ゆっくりとした声掛け・一つ一つ、短い文章で・指示口調ではなく、安心できる言葉で!・避難所のトイレを上手く利用できない場合、お手製のトイレを作り、身近な場所で安心して排泄できるようにする※新聞紙、ビニール袋、空いたペットボトル・容器等、ある物を利用して。・落ち着かない場合は、抑えつけない・本人の要望を聞く・叶えられなくとも、まずは親身に聞く・関わる人を限定する・好きな話、好きな歌、さわり心地の良いものを触るなど、安心できるように関わる・周囲の人たちも巻き込んで、家族や職員などが、解放される時間を作る////////まだまだたくさん、大切な事が書いてあります。これは、被災地だけで必要なわけではなくて、普段の生活での関わり方でも、同様だなぁと思いました。この話題に関するツイートや、地震関係のツイートを、以下にまとめます。こんな辺鄙な所にあるブログですが、誰かが広めてくれたらいいなぁと思います。【RT希望】 支援者の皆様: 被災者の中には、認知症の方が1万人近くいると推計されます。環境変化に敏感な方々で、特にケアが必要です。支援ガイドご活用ください http://ow.ly/4gf58 #kaigo #311care #save_tohokuGoogleがボランティアを募集 コチラ【拡散】福島県地方の介護施設で、待避命令の出ている施設の方へ 新潟市と新発田市のグループホームで2~3名ずつ受け入れ可能です。連携下さい。 #kaigo #jishin #fukushima【緊急:拡散希望】宮城野区新田小学校、救援物資なにもきておりません。備蓄用の白がゆのみとかで5日耐えてます。新田小に救援物資を! 宮城県大河原でもライフライン一切なしで物資なし。仙台市職員にネットでの拡散許可取得済み。【RT希望】 社会的弱者、災害弱者としての高齢者を守るための注意点(新潟青陵大学・碓井真史氏) http://ow.ly/4gfqo #kaigo #311care #save_tohoku小学校低学年以下のお子さんを持つ方はぜひご一読を。会員でなくても読めます→子供に震災の映像を繰り返し見せないで(9.11テロの経験から) http://bit.ly/eFXy6K #NMonl #311care★地震情報のなかで精神科病院の情報が皆無です。被災地域の精神科病院の状況を把握し、関連機関で共有することが急務です。どうかこのページを多くの人と共有してください。 http://ow.ly/4ea3g #ptsd_jp #311care #jishin_kusuri【拡散希望】日本病院薬剤師会から。「病院では衛生材料(一般的には、ガーゼ、脱脂綿、マスク、手袋などの使い捨ての医療の材料)が不足しているが、衛生材料の搬送は緊急車両に含まれていないとのこと。至急、緊急車両に指定してほしい(秋田県から3/16情報)」【拡散希望】あまりメディアで取りあげられない山形ですが、宮城、福島から避難してきた人でいっぱいで物資・ガソリン不足してます!このままではパニックになります!山形に物資をお願いします!茨城同様死角になってます! #save_yamagata #jisin皆さんのご近所にお住まいの高齢者の方に食料品が調達できているか聞いてみてください。当社にお米が買えないなどのご相談が寄せられています。皆さんの目が東北に行きがちですが、地域の高齢者、特に一人暮らしの方に目を向けてあげてください。普段の生活が大変な地域の高齢者がいます。 【マスコミの皆様へ】 災害発生から4日、自分の経験からも、すでに、ヘリコプターを使っ ての、空撮の意味はほとんどない、少なくとも、視聴者にとっての意味はない、マスコミのヘリを使って、医療品を病院に届けてほしいとの声に、新聞協会、民 放連が、手を取って応えるべきではないか ・・・/////////////////////例えば母のような人が1万人いると考えたら、非常に恐ろしいです。「ここにいて!」「ちょっと待っててね」が通用しないんですから、どこへも行けない。こんな時こそ、周囲の理解とサポートなのだと思ったりします。誰かに見てもらえるようにしないと、本当に身動きとれず、救援物資をもらいに行く事も叶わないかもしれない。戻ったときには、患者さんはどこかへ・・・そんな事が無いように・・・今回の地震で、死者・行方不明者は2万5500人を越えています。文字ではただの「2万5500人」でも、本当は、2万5500の、それぞれの、人生や思い出や未来がある・・・大切な命。ある人にとっての、大切な大切な命。心より、お見舞い申し上げます・・・・・・////////☆読んでくださってありがとうございます! お気軽にコメントやメッセージいただけたら嬉しいです。よろしければポチポチお願いします☆ブログ村 認知症 人気ブログランキングへ
2011年03月18日
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テレビでは、東北地方太平洋沖地震での津波や原発の報道が続いています。緊急度の高い(津波などで壊滅的ダメージを受けている)地域ばかりが注目されていますが、他の地域でも、当然、被害は出ていて、助けを求めている方はたくさんいます!孤立してしまった人、情報を発信できない人もいるかもしれません。ツイッターでたくさんリツイートされていますが、私はあまりフォロワーさんがいないので、誰にも回せません。(私のアカウントに関しては、メッセージにてご連絡ください)ので、ブログから発信してみます。こんなブログじゃ力になれないかもしれませんが、どうか早く救助してもらえますように!避難所に行けずに困っている人もいるはずです。どうか一人でも多くの人が助かりますように!茨城の知り合いがもう3日間支援もないまま餓死寸前です!ニュースをみても茨城の情報はなし。ぜひこれをマスコミに広めてください!茨城鉾田市に援助を!今日の朝余震5あった地域です!よろしくお願いします!ヘリコプターへ。仙南中央病院入院患者含め230人以上孤立餓死寸前食料医薬品燃料至急求む仙台津波原発のニュースのみ流れ宮城県県南地域に物資来ない地域住民30万以上孤立状態です宮城県柴田町仙南中央病院病院長 鈴木健よりヘルプ【拡散希望】茨城県、特にひたちなか近辺ではライフライン全死、いまだ救助も援助もない状態。被害が中規模だったため、報道もなく情報も混乱しています。日立だけでなく北部全域、県西県南でもライフライン全死、全く食糧や水の支援がされてない地域があります #jishin #anpiその他も一緒に転載してみます。(・・・これもし間違った事だったらご指摘ください)携帯向け避難情報(こちら)に、ガソリン、トイレ、入浴、炊き出し、充電などの口コミ情報へのリンクを追加しました。情報提供もお待ちしています。 http://bit.ly/fG1lsr 被災者の方々の有用な携帯サイトの情報も受付中。GachapinBlog ガチャピン【Gachapin】ぼくたちの声が届きますように。(声が聞けますコチラ)MHLWitter 厚生労働省インスリンを必要とする糖尿病患者の皆さまへ、インスリン入手のための相談連絡先について一部修正があり、最新版に更新を行いましたので、再度情報提供します。 http://bit.ly/gyySDV (PDF) #jishin #311care日本看護協会が「東北地方太平洋沖地震 災害対策本部」を設置。被災状況などの報告先や、義援金の窓口等についてホームページで公開しています。 http://p.tl/6J-M #311careNTTPR NTT広報室☆災害用伝言ダイヤル使用方法☆【被災地の方が自分の安否を登録する方法】>>171をダイヤル→「1」→「自分(被災地)の電話番号」→伝言録音【被災地の方の安否を確認する方法】>>171をダイヤル→「2」→「相手(被災地)の電話番号」→再生pref_iwate 岩手県広聴広報課判明した避難者名簿を順次公開しています。年齢は計算して表示していますので、前後1歳程度異なる場合があります。 http://www.pref.iwate.jp/Ustream 日本版(公式)ustream_jp Ustream 日本版(公式)地震情報 IBS 茨城放送を音声配信中です。茨城の情報が必要な方はこちらで。 #jisin #earthquake (live at http://ustre.am/vvn0)【拡散希望】 被災された方はPCから情報を得ることは困難なのではないかと思い【携帯用】地震情報まとめサイトを作りました。毎日1回だけでもリツイートして頂けると幸いです。 http://ow.ly/4d0w4 #jishin #jisin...まだたくさんあるのですが・・・・
2011年03月15日
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今日は朝から、「計画停電」のため、緊張していた。しかし結局電気は使うことができた。ありがたい。身の回りのあらゆるものが、電気無しでは使い物にならない事を、改めて知る。「情報が二転三転して、混乱する」と言われているが、こんな時くらい、仕方無いでしょう。色々、今までに無いほど「最悪な出来事」なんだから・・困るのも事実だけど、もっと困ってる人はいるから・・//////昨日の昼過ぎ、買い物に行くと、食材やいわゆる災害時に必要そうなもの一式はスーパーから姿を消していた。売り切れたのもあれば、入荷ができていない状況。ガソリンスタンドも完売だ。今日も午前中に買い物に車を出してみたが、どこも超満員。やっと車を止めたと思ったら、入場制限しているほど。入り口から、中がごった返しているのが垣間見えて、急に冷めて、穴場の店を探して、用事を済ませて帰った。とてもあの列に並ぶ気にはなれないな。そしてスーパーに群がる人たちの車によって、交通渋滞もおきて、なんだか街は軽くパニック状態になっていた。しばらくしたら落ち着くだろうと信じる。不足分は、父の兄弟から送ってもらう事にした。//////ここ数日の余震、緊急地震警報が深夜に鳴ったり、停電に備えて、前もって食事の用意をしたり、あれやこれやと準備をして身構えているのと、持病(?)の周期的な不調から、ピリピリしている私。(落ち着いたらやっぱり病院へ行こうかなぁ・・)連日の地震の報道。悲惨な映像。色々な空気を感じてなのか、母にも影響が・・こちらの声掛けが届かない・・全然、私の目を見ない・・デイでも食事は時間がかかったりしているようだが、表情はそこまでこわばっていない様子。私のせいかもしれない。食事が始まると、眠くなるようで、全然進まない。それまでは起きてるのに、何故だ・・少し前から、色々あって、自分をセーブできてない・・情けない・・・「声掛けすればなんとかできる」のに「声掛けするのが鬱陶しい」のだ。好きにやってくれと言ってできるわけでなし。ただ握り締めるのみ。常に、「次はコレね」と指し示すのも、結構パワーのいる事のようで。その通りにできないと、「あ~も~時間がかかる~」と心の中で思う。自分の関わり方が間違ってるかもしれない、自信が持てない・・そう思い始めるとどこまで手をだして良いやら・・迷走して、見事にバランスは崩れて、いつものように笑顔でお母さんを見れない。食事介助も、入浴介助も、全然うまくいかなくて・・こんなやるせない気持ち、久しぶりに味わった。あんまりこうやって書くと、「もう限界だ!さっさと施設へ」と言われそうなんでこういった話題は書きにくいんだけど。そうゆうんじゃないんですよー。母の笑顔があって、私が救われるのに、母の笑顔がないで、スムーズに事が進まなくなると、困っちゃうんだよなぁ・・でもそもそも母の笑顔を引き出すには、私が笑ってないといけないんだなあ。ぼちぼちいかんとね。はやくこの負の周期が終わりますように。それから、地震の混乱が早く落ち着きますように。被災地の方々を思わずには言われない日々。祈ることしかできなくてごめんなさい。でも祈ります。落ち着いたら募金もします。頑張って!
2011年03月14日
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東北地方太平洋沖地震・・・相当な被害が出ていますね。皆さんご無事でしょうか。被災された方々・・・お見舞いを申し上げます。北の大地へ飛ぶと言っていた方、電車が止まって帰宅できなかった方、非難が間に合わずケガをしてしまった方、施設や病院にいる方・・・皆心配でした。無事だよと発信している方のメッセージを見て少し安心しています。今も余震が続いています。どうかご無事で。///////////私の住む地域も、震度6弱だったそうで、大きな横揺れでした。我が家は全員ケガも無く無事です。母はデイ、私と父は自宅にいましたが、父と私で外へ非難た程、怖い程長く強い揺れでした。家の中は物が散乱し、これから片付けです。いつもの母の指定席の上に、重たいものが落下していました。・・・デイに行っててくれてありがとう。デイでも、皆テーブルの下に避難するなどして、被害は無かったようです。さて、母の様子はと言うと、一日を通して、座る事無く、ずっと歩いている様子でしたとのデイからの報告もあったとおり、帰宅後も落ち着かない様子でした。地震からの不安・不穏でしょうか。口では、「大丈夫」と言っても、行動には表れているのかもしれません。(テレビで地震の映像を見たり、余震に対して「怖い」と言っていたので、地震は理解できています)コタツに入っていても、一人で立ち上がる事は少ないのですが、昨日は私が離れてキッチンに立っていると、追いかけるように一人で立ち上がって何度も私の側に来ました。(一人で立てるんじゃん)座ってられない。表情も強張っていて、笑顔は全く見られませんでした。夜になっても、余震は続き、とても眠れませんでした。12時から2時半くらいまでは、私も母も眠れたのですが、それ以降は、余震の度に目が覚め、深夜3時頃から30分置きくらいに「緊急地震警報」が、携帯からも、地域放送からもかかり、全然寝ていられませんでした。母の頭上に何も落ちる事が無いように、すべての物をどかしたけど心配で、余震で目が覚めるたびに、母が起き上がっていないか確認。非常に不安な夜でした。母に関しては、今朝は落ち着き、笑顔も見られるようになりましたので、安心しました。被災地の方はもっともっと・・生死に関わる程の不安・・・そう思うと、胸が痛みます。救助を待つ家族もまた、苦しんでいるでしょう。行方不明の方が、早く見つかりますように。無事に救出されますように。心から、お見舞いを申し上げます。☆読んでくださってありがとうございます! お気軽にコメントやメッセージいただけたら嬉しいです。よろしければポチポチお願いします☆ブログ村 認知症 人気ブログランキングへ
2011年03月12日
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※いつにも増してまとまってない、ただの雑記です。何だかここ数日、ぐるぐると考えごとをしていました。私が、母の部屋をバタバタと片付けたり、家事をやったり、買い物している間、父はビール片手にテレビを見ている。食事が始まれば、なんじゃかんじゃと・・・でも、それが普通で、それでいいらしい。ドサッ肩の荷とゆうか、頭の上の雲とゆうか・・なんかわかんないけど、全部じゃないけど、何かがどこかへ・・家族の会で、父がずっとビール飲んでてと言ったら、「うちもよ~!」親戚の奥さんに、父がずっとテレビ見ててと言ったら、「うちもうちも~!」・・あ、そうか。介護が無い、定年退職した男性だったら、自分の好きな様に過ごせるはずなのに。私が、友達と遊ぶのが激減したように、父もまた外に出るのは控えるようになった。体調のせいにして出掛けないけど、そもそも体調を崩したのは、私が働いていた時に父に母を任せたせいで。私がもっと早く仕事を切り上げていたら、父はここまで体調を崩さなかったかも。かといって、自分のバカバカ!って責めてるわけでもないんだけど、んな神経質にやっからだよ!なんて悪態付いてたけど、それは父の性格なんだから、仕方なくて、私が適当なように、父は神経質なわけで。父も私に「神経質」を求めて、がおーってなってて、家族といえど考え方や価値観は当然違うわけで、お互いに「何でわかってくれないの」という気持ちを持ってて、でもそれも当然で、同じ屋根の下で暮らす上で、どうやって折り合いつけるか、それぞれが思いやる必要があって・・それぞれの持ち味はそのまま持っててよくて・・・母が家事を出来なくなって、私がバトンタッチして、「若い者は苦労しろ!」という父に、なんて理不尽な・・と思っていたけど、多分昔のいわゆる頑固親父ってそんなもんなんでしょう。こんな時ぐらい、役割分担したっていいじゃないか!っていじけてたけど、まったく何もしてないわけじゃない。(本人に言わせれば、「色々やってる!」)言い方は悪いけど、態度も悪いけど、口では「お前らのためにやってるのに!」その気持ちは、いりません!余計な事しないでくんさい!ってがおーってしてたけど、本当に冷酷な人だったらそれはそれで悲しいわけで、「健気な人や」くらい思えるほどの器のでかさがあれば、もっと違う今があったかもしれなくて・・父なりに、将来の事を心配していて、母の介護は俺にはできないと諦めていて、諦めている事が悲しかったけど、無理なものは無理。綺麗事ではなくて、本当に自分のキャパを冷静に考えられるからこそ、早くに結論を出している。つまり先の事をどんどん考えるには、どこまでやるかの線引きをちゃんとしとかないと、どんどん先があやふやになるわけで、私は「ギリギリまでやりたい派」だから、結局最後グダグダになっちゃうけど、(介護に限らず)父は計画がきっちりできるんだろう。諦めを嘆いている場合ではなくて、常に、いついかなるときも、「母を守る場を確保するには」を想定しとかにゃならんわけで。私はその辺、どこか遠まわしにしているけど、父は冷静に見ているんだろうね。そうゆう所を、わかって、少し見習わなければならないわけで、なんとか父とうまくやってくように、態度を改めないといけなくて。よくブログや家族の会で見かける「男性介護者」は、すごく優しく寄り添ってるのに、なんで家の親父は・・!!と思ってたけど、十人十色で、そんな人もいれば、うちの父みたいなんもいれば、本当に全く関与しない人もいるわけで・・父は父なりに、母と関わっていて、父なりの母への声かけは、どれも高圧的なもので、「もっと優しく言ってあげて!」「そんな言い方じゃあお母さん混乱するだけだから!」(口ばっかはさんでくるんじゃねぇようっせぇなぁ!!)←心の声先日コメントでも言われたけれど、「いいよいいよ」は、お母さんのためにならないわけで、だから父の厳しい母への当たりも、母にとっては必要なものかもしれなくて、それを取り上げて、私と父とで「いいよいいよ」してたら、母はどんどん向こうへ行ってしまうわけで・・それから、私の適当を、ちゃんと度が過ぎないように正すのは「父の役目」で、「言われなくてもわかってる!」と反抗していたけど、父の叱咤は、きっと私の成長に繋がってるわけで。私の混乱の元でもあったけど、かといって、「いいよいいよ」ばっかりでは、今の私は形成されなかったわけで、それがつまり「これが私のお父さんなんだ」という証明であって・・父の言い方も、ある意味必要なものらしい。「わかってるつもり」ではなくて、しっかり父と向かい合わないといけないわけで。でも素直じゃないから、背中を見てる。でも背中から、色々、見てるよ。まだうざいけど、まだ吠えるけど、ちょっとずつね。☆読んでくださってありがとうございます! お気軽にコメントやメッセージいただけたら嬉しいです。よろしければポチポチお願いします☆ブログ村 認知症 人気ブログランキングへ
2011年03月08日
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父は、最近の母の「進行」に焦っているようです。食事の仕方、普段の受け答え、久しぶりに字を書かせると、上手に書けない事・・字を書けた事がすごいのに、「小さい。もっと大きく書いて?」だんだん小さくなると、「字はもうダメだな」「カタカナが書けないんだよ!全然ダメだな」「もっとやらせないと、ダメだ。どんどんできなくなる」食事の時は、箸の使い方が若干正しくなく、力があまり入れられないのか・・(指先が器用に動かないのかも)細かい物を取りたくても上手に取れない。「なぁ、お母ちゃん箸の使い方が変なんだよ。今から直せない?」今から新しい事をやるのは・・と諦める私が悪か?それとも、いつまでも「正しく」に拘り続ける彼が悪か?細かい物ばかり追う母の性格はもう、仕方無い事で、ある程度「見守る」のみにして、好きなように食べたらいいと思う。周りから「ダメ!」って言われてばかりじゃ、おいしく食べられないと思うんだよね・・でも彼はどうしても気になるんだよね。「こんな食べ方じゃあ、デイとかショートじゃどうしてるんだろうな?」「マンツーマンでやってるわけじゃないんだからさぁ」何度も伝えた。利用者さんには、色々な人がいるから。母よりも介助が必要な人なんて沢山いる。職員さんや施設側の考えた方法があるだろうから、そこに任せるべき。(もちろんこちらの意向は伝えるけど、完璧に出来なくてもある程度は仕方無い事だし)「もう外食は無理だな!この前も見ててわかった。全然食べられない」なんでできないんだろう?と問われたけど、わからないので、「環境が変わると難しいんじゃないかな。」と答えた。お父さんの中で、お母さんは何も出来ない存在なんだね。そして「このままじゃもっと介助が大変になる。お母さんには頑張って”できるように”なってもらわないといけない」そう考えた彼は、母にこう語りかけるのです。「お母ちゃん。何でも人にやってもらっていいんですか?情けないと思わないんですか?何でもかんでも、シマや俺が助けると思ったら大間違いですよ?少しは自分でできるようになりましょう。シマや俺がいなくなって、一人で生きていけるんですか?いけないでしょう?じゃあ、ちゃんとしてください。わかりましたか?」決して怒鳴りつけてるわけではなく、語りかけています。この言葉を聞いて、私は全身の毛が、逆立ったような感覚でした。母は、無表情に、手元のおかずを見ながら「わかりません」と言っています。(こうしていつも一方的に語りかける父)(不快な事を言われているのは理解している母)敢て、父をフォローする一言を付け足すとしたら、父は母を見捨てたいわけではなく、母を邪魔扱いしたいわけではなく、父なりに心配しているんだと思います。ただ、言葉のチョイスが。フォローはこれくらいにして、ばっさり斬ります。吠えます。お待たせしました。(待ってない)認知症患者が、どれだけの不安を抱えながら生きているか、まったく考えられない人なんだと思いました。この父のセリフは敢て本人に言うべきことではないはずです。人に助けられて生きているという無力感。依存せざるを得ない状態である事を誰よりも自覚し、また情けないという思いに苛まれているのに。わざわざ人に言われたくない事だと思います。より一層、人の手を借りる事を拒むでしょう。そうではなくて、「助けないと出来ない」んじゃなくて、「助けがあるから出来る」んです。言葉の使い方で全然意味が違います。進行に焦る気持ちはわかるけれど、今までこれだけ私が伝えてきた言葉はどこへ?なぜ”一人でできるようになってくれ”なんだろう。違うでしょう?正直、母はもうその段階には居ないのです。現状維持の為に、”一緒に頑張ろう”でしょう?そんなに言うなら、もっともっと前から動いてればよかったじゃんと言ったら、「過ぎたことは仕方無い。今からできる事が大事だ」????わかってるの?わかってないの?私はあなたの事が全然わからないですよ。とにかく、このブログでも発信してきました私の考え。応援している団体・認知症フレンドシップクラブでは、認知症患者が安心して地域で生活できるように応援しようとゆうコンセプト。自分の父が、私とは間逆にいる事を知って、とてもガッカリしました。「認知症患者への誤解」は絶対排除したい。でもその誤解をしているのが、まさか自分の父だなんて・・ショックでショックで、ショックです!いつまで母を苦しめるんですか。認知症患者が無力なわけではありません。出来ない事があっても、人を頼ってもいいんです。笑顔で過ごせるんなら、いいんですよ。サポートする者にとって、笑顔は何よりのパワーなんですから。私にとって母は「なくてはならない存在」です。もう本当に・・・ガッカリダヨ!!!!!☆読んでくださってありがとうございます! お気軽にコメントやメッセージいただけたら嬉しいです。よろしければポチポチお願いします☆ブログ村 認知症 人気ブログランキングへ
2011年03月05日
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母の部屋と私の部屋を行ったり来たり。もう片付けしすぎて、頭痛いわ・・そしてあと少しの所で、どうしていいかわからず途方に暮れる私。計画立てて行動するのが苦手なので、いつも最後はグダグダです。結構物捨てたんだけど、なんぁまだゴチャゴチャしとる・・////////////////そんなわけで、母の部屋を片付けていた時に、大量の布の整理をしていました。その布に混じって、母が葛藤した日々が伝わってくる作品が発掘されました。昔からパッチワーク、刺繍、編み物、などの手芸やトールペイントが好きで、とても上手でした。子どもの通園・通学カバンや、洋服、家のカーペットカバーなどなど、本当に、母の手作り作品で溢れていた我が家。けれど、認知症発症後、少しずつその能力が蝕まれていきました。異変を感じて、病院になかなか連れて行けなかったあの頃。私は、昔のようにお裁縫などを一切しない母を、「面倒くさいから、やらなくなったんだ」と思っていました。(料理をはじめ、手順が複雑なものはやらなくなっていたので)でも、正直言うと、「やればできるのに、面倒くさくてやらないなんて・・!」とどこかで思っていて、何とかやる気を出してもらうためにも、病気であれば治療を・・と思っていたのでした。母の部屋を掃除していて出てきた作品。おそらく認知症であろう病気の症状が進みだして、手芸もままならなくなっていても尚、何かを作ろうと必死にもがいていた母の姿が見えました。(他の作品は右側→にフォトアルバムとして公開してみました。今後も上げてこうと思います。スライドショーになってるようです。)大好きな手芸。自分はまだできるんだって、何度もチャレンジしたんだよね。それがだんだん、なぜか上手くできなくなってきて、出来上がった作品を見ては、満足できずに過ごしたんだろう。縫い目も粗く、選ぶ布も柄も、だんだんといつものようにまとまらなくなっている。でも、それでも作り続けたんです。不細工な作品になっても、なお、投げ出さずに、何度も何度も裁縫箱を開けて、作り続けた。どんな柄の、何を作ろうかなって、いつも本を眺めてたんだね。型紙通りの大きさに布を切って、どこに縫おうかと配置して、布を決めて、針で縫って・・・沢山の工程を、難しくなっても頑張って、続けたんだね。大好きな大好きな手芸が、以前のように出来なくなっていく不安。きっと、すごく苦しんだんだと思う。それでも家族に不安だと言わなかった。私が何度も聞いて、やっと・・心を開いてくれたんだ。「最近、うまくできないのよ。やっててもつまらない」その言葉を言ってもらって、私は安心したけど、言いたくなかったよね、認めたくなかったよね・・・。そんなお母さんのかつての姿を思い起こすと、涙が止まらないなぁ・・。私はちゃんと知ってるよ。お母さんがどんなに強い人か、知ってるよ。そんなお母さんの戦いを知っているから、私は優しくできるんだろうな。母の残した、不細工な作品たちも、私にとっては宝物です。てゆうか私が作った作品の方がよっぽど不細工です・・。お母さんてすごい・・お父さんは、そんなの何も知らないから、あんな事が言えるんだ。知ってても、関係ないかもしれないね。さて、何を言ったのでしょうか?私は全力で母を守ります。
2011年03月04日
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ショートの件では沢山コメントを頂けて嬉しかったです。皆さんありがとうございました!ショートはこれからも続けていくつもりです。長い期間で、私自身も慣れて行こうと思います・・・。////////////////////はぁ・・・フリーダム父のフリーダム発言に、もうなんだかもうな毎日です。ふふふ・・・父は、かつての同級生と会うために、実家へ帰る計画を立てています。私は、1月中に行ってくれるものだと思っていたのですが、「寒いからまだ行かない。2月にする」「3月中には行くけど・・・寒いからなぁ」「お前がいつから動くかわからんから決められない」「4月またいでもええか?」(´-ω-`) 「3月一杯は絶対に何も動かないんやな?!」と、あれだけの圧をかけてきたので、3月中に帰省してくれるものと思っていたのに、結局「体調の事もあって、決断できない」んだそうです。しかもお前がこれからどう動くのか決めてくれないと動けないって。さっさと帰れよ!あと、5月にも父は大学のサークルの同窓会があって、もう遠出して、地元やらかつての友人に会いに行くのは最後のつもりなんでしょうね。「お前が今後どう動くのか決めないと、返事出せない」3月中は一切動くなと圧をかけたのはあんただけどな・・あーもー結局母の部屋と自分の部屋の大掃除に1ヶ月かかって、一人で黙々とやって腰痛めて、何かもう何の気力もないよ・・ 結局父の意識も変わってないし、 母を守る環境なんてちっとも整っちゃいないのに。次なんて考えたくない・・けど月日は流れるんだよなぁ・・で。フリーダム発言はまだ続く。「おかあちゃん!実家帰りたいですか?!」また絡みだした・・「俺は付いていけないけど、シマが都合付いたら、夏ごろ帰ったほうが良いな」だからさぁ・・昨年のおばあちゃんのお葬式だって、本当に私色々な人に気を遣って緊張しながら過ごしたのに、それをまた?一人で?「シマ兄についてきてもらったって、お前ほどお母ちゃんにアレコレできないしなぁ・・お前次第だなぁ」・・・もう突っ込めない。突っ込んだら負け。と念じた。「夏ごろ帰ったらええな!」(結論)更に彼のフリーダムは続く。母のお姉さんは病気で今はほとんど寝たきりで過ごしている。(お姉さんの事に関してはまた後日まとめる)岐阜県に住んでいて、遠いし、母の状態もあって、お見舞いにいけずにいる。「お姉さんとこ顔出さなアカンなぁ。お母ちゃん行きたい?」行きたくないと答える母と、緊張する私をよそ目に、一人で話を進める彼。「今は寒いから動かれんけど、4月か5月になってあったかくなったら、車で行くか!軽自動車じゃ大変やけど、ゆっくり行ったらいけるやろ!」誰かヤツをぶん殴ってくれーーー!!私、4月から動き出すって言ってるのに!何で今、寒いとか何とか言って動かないで私が忙しくなってから動こうとするんだ!「俺はもう働いてないから、いつだって動ける」勝手にやれよ!私はいつだって動けないんだよ!動くには覚悟がいるんだよ!旅行だって、一人は不安になって。だから今度サポートしてもらって、日帰りだけど、それでも楽しく旅行できたらいいよねって計画してるのに、なんで簡単に、「田舎帰ったらええよ」とか言うんだ?人の苦労も知らずに。そのくせ、私が仕事してて、家で母の対応を任せたら「もう俺には無理!」って何度も怒鳴られた・・勝手すぎる!いつかお母さんは田舎に帰る事ができなくなる。だから、お葬式の時だって、「これが最後」のつもりだった。さっきの父の発言も、確かにかなえてあげたいけど、お葬式の時は親戚の方が何人もいて皆に助けてもらって過ごせたんだよ。私一人で、違う地へ宿泊するのは、簡単な事じゃない。ってか普段あれだけ、色々と「おかあちゃんはもう無理」的な事言ってるのに、なんでこうゆう発言ができるんだろう・・・お父さんの声も聴きたくない。くらい、嫌になっているエブリデイだぜ。更に彼の発言は続くんだが、また別日に。腹立つ一言を耳にしてからとゆうもの、心の底からヤツが憎いエブリデイ。受容。 無理。 ダメ、絶対。父を否定しないように、彼は間違った事を言っているんじゃないと思いたいけど、難しいなぁ・・・だって頭おかしいもの。
2011年03月03日
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初めてのショート、無事に帰ってきました。私はその日、家族の会のつどいに参加したので、お迎えはできませんでしたが、代わりに父がお迎えに行ってくれました。(平日なら送迎ありですが、日曜は家族の迎えが必要)夕方に帰宅して、母の前に顔を出すと、静かにテレビを見ていました。なんだかちょっとだけ疲れた顔をしているような・・それから夕食前まで、眠っていました。私も疲れたので、隣で転寝。夕食時も、ぼ~っとしていて、結局おかず7割、ご飯は茶碗に1/3くらいしか食べないうちに、眠ってしまった。サラダは全く手をつけず。味噌汁はちょろっと飲んだ。早々に切り上げて、テレビの部屋に戻る。そこでも、またウトウト。しばらくしてから、デザートにイチゴを出してみて、それはモグモグ食べた。あまりに眠そうにしているので、入浴は中止。(これで無理矢理入ると、浴槽で転倒したり、おぼれたりする危険があるんで、最近の様子的に。)トイレと着替えだけ済ませて、早々に布団へ。すぐに眠りについた。疲れていたのかなぁ?昨日眠れなかったのかなぁ?今朝はいつもと同じように、起床。ただ、いつもよりも声掛けに鈍いとゆうか、何度も呼んで、やっと反応。テレビを見ながら朝食を取ることができず、手が止まっちゃう。いつもと違う。気がする。気のせいか。母に、ショートはどうだったのか?と聞いても、覚えていません。良かった?良かった。つまんなかった?つまんなかった。どうだった?わかんないとゆうように、質問の仕方によって、答えが変わる。ケアマネさんからの中間報告では、穏やかに過ごせていたらしい。スタッフさんからの報告書類からは、食事の摂取量とか、失禁はみられませんでしたとか、睡眠もしっかり取れているというような事が書いてあって。まぁ今回のショートで問題が起こったとゆうわけでもなく、穏やかに過ごせたんだと思う。スタッフさんからの報告書類、最後の一行、「テレビを見たり、徘徊して、過ごされていました」という言葉が、私を揺さぶる。本当に、ショートって必要?母が徘徊している間に、皆はリフレッシュするの?一緒に過ごすのはそんなにいけない事なんだろうか?皆に置いていかれている気がする。でも・・そんな事言ってちゃダメなんだね。スタッフさんに感謝しないと。しばらく続けて、例えば、仲良しのスタッフさんとか利用者さんとかができていって、母がそこも落ち着いて過ごせるような場になればいいんだよね。それでいいんだよね。☆読んでくださってありがとうございます! お気軽にコメントやメッセージいただけたら嬉しいです。よろしければポチポチお願いします☆ブログ村 認知症 人気ブログランキングへ
2011年02月28日
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朝10時半、いよいよ母は行ってしまいました。初めてのショートステイです。一泊二日です。昨日のデイでは、本当に久しぶりに母がおどける仕草や、明るい表情が見られたようです。半年くらい前までは、指鉄砲?のようにして、口で「バン!」と言いながら、私やスタッフめがけてよくやっていました。(もちろんそれぞれ応戦する)けれど、7月の脱水症状を境に、それもやらなくなった・・そんな母が、昨日はどうゆうわけか、絶好調。デイのスタッフさんも嬉しビックリで、帰ってくるなり私に報告してくれた。なんで、「離したくない!」って思うような事をこのタイミングでしてくれるんだ・・!と、思いつつ^^;そんな気持ちはひた隠し、着々とショートの用意をしました。私自身は、あまり実感も無く、以前ほどの抵抗も無く、デイに見送るのと同じような気持ちで構えていました。10時半、「そろそろコートを着て、外で待とうか?」私が立ち上がると、一緒に立ち上がって、いつも着いてきます。愛しいやら、邪魔やら、愛しいやらで・・・手を引きながら、外へでると、ほんの数十秒後に車が到着。グッドタイミングすぎて怖い。母は、それまで父が無駄に「今日は温泉旅行だねぇ!いいねぇ!」と、いらん気遣いをし、何となく不機嫌?無表情になりつつあったが、迎えの車やスタッフさんを見て、少しだけ表情が出た。(わずかだけど)女性スタッフさんが車から降りてきて、ご挨拶。母も一緒に小さな声でご挨拶ができた。初対面で挨拶が出来るなんて・・・これまたすごい絶好調です。いつもは「誰だこの人は」と思うのか、顔も上げないし、挨拶なんて出ない。今日は本当に調子が良いのだなぁ・・。母はさっさと車に乗り込んで、男性職員さんとお話している。ドアの向こうで、私は女性スタッフさんに、状態や最終排泄時間、荷物の説明など伝える。ほどなくして、出発しましょうかと声がかかる。母の目を見て、「いってらっしゃい」と言うと、母は、ただただ笑顔で、こちらを見つめていた。母が座っている側に移動して、手を振って走り去るのを見送った。私の横を通り過ぎる瞬間に、一瞬だけ母が私を見たけど、スグに車は走り去ってしまった。母を乗せた車が見えなくなった瞬間、ボロボロと涙がこぼれた。大丈夫だと思ったんだけど、ただ考えないようにしていただけなんだ・・離れるのは不安。頭の中は、ゆずの「センチメンタルバス」がエンドレスリピート。☆読んでくださってありがとうございます! お気軽にコメントやメッセージいただけたら嬉しいです。よろしければポチポチお願いします☆ブログ村 認知症 人気ブログランキングへ
2011年02月26日
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新宿区で認知症サポーターステップアップ研修があったみたいで、その記事を読んだ。最後に、教授によって語られた言葉。「周囲は介護者が倒れないよう支援することが必要だが、実現性に遠い目標を掲げるのではなく、花見に誘ってあげる程度のできることからでいい。認知症サポーター養成講座やステップアップ研修に参加するなど、認知症や介護について自分にできることは何だろうかと考える機会を地域に設けることが重要だ」おお!!できることから!小さなことからコツコツと!このブログで、ただただ、お母さんがどわい好きどわーー!って叫んだり、お母さんとどこどこ行ったよーーー!って叫んだり、お母さんとこんな事して楽しんでるよーー!って叫んだり、お母さんと穏やかに過ごしてるんだよって、たまにお父さんと穏やかに過ごしたよって報告したり、こんな小さな事が、積み重なって、何かのパワーになる・・・かもしんない。がんばろーっと。////////////////////てなわけで、今日のお母さんはとっても調子がよござんした。天気は生憎で、晴れると思ってたのに、小雨でした。私もここ最近テンション低めで、しょぼーんだったので、それが母にも伝染して、二人でしょぼーんでした。こんな時は・・・!「ゆず」のお二人のパワーをいただきました!昨日、ゆずがバラエティ番組と、音楽番組に出ていたので、録画しておきまして、今日の午前中、一緒に観賞。みるみるうちに、お母さんは満面の笑み。本当、ゆずパワーはすごい・・!!「あーー!ゆずだぁ!」「ゆずだよぉ~^^」「やっぱり・・私はねぇ・・・こうちゃんが好き!」言葉が少しずつ出なくなってきてても、ゆずの二人だけは顔も判別できるし、名前も覚えてる。本当に大好きなんだね。私も大好きだよぅ! (`///´)つテレビの前で、一緒に「夏色」を大合唱。手拍子もついて、お母さん、目がキラキラしてます。(午後にゆずとは関係ない番組見た時は、全然無関心でした・・やっぱゆずはすごい・・)元気が出た二人は、お昼を食べて、お母さんはうたた寝して、プリンを食べに近くへドライブ。贅沢だ!でもたまにはいいよね♪と言いながら、しょっちゅう贅沢しているとか言わないようにして、そのまま小雨の中ちょいとドライブしつつ、帰宅。昼寝と、ゆずパワーのお陰で、疲れも出ずに、今日は一日元気に過ごせました。ゆずパワー、しばらく持って欲しいぜぇ!☆読んでくださってありがとうございます! お気軽にコメントやメッセージいただけたら嬉しいです。よろしければポチポチお願いします☆ブログ村 認知症 人気ブログランキングへ
2011年02月20日
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ここ最近の記事が、暗すぎてカビ生えそう。ちょっとうまくまとまらないかもだけど、言いたい事を言いたいように言ってみようの会、開催します。※無駄に長くなったので、注意です。新聞の地域欄の所に、「認知症の妻を殺害、夫も自殺を図る」との記事。殺害の理由、重度の認知症の妻と、意思の疎通が取れず・・・また悲しい事件が起こってしまいました。人格変化が激しい人もいれば、穏やかな人もいるし、このようなニュースも当然知っておくべき記事ではある。そうなんだけどさぁ・・・そればっかり取り上げちゃうと、介護=大変=かわいそうみたいな印象になっちゃうっつー話で。もっと認知症に関して、明るい話題はないの?といつも思う。私達、認知症患者と直接触れ合っている人とゆうのは、「認知症関連の情報」に対して、自分でアンテナ伸ばして拾っていると思う。いいものもわるいものも。でも、そんなに関わりの無い人にとっては、「認知症の本」じゃなくて、「新聞の記事の一つ」とか、「テレビのニュース番組のほんの何分」からしか情報は入っていかないじゃない?そこで、悲しい辛いという印象を与えるばっかりの情報を流したら、結局そればっかりになっちゃう。まぁそれで、「私、何か助けたいわ!」って思う人がいるならばそれはありがたいけれどもね。認知症に限らず、何かこう、取り上げ方が嫌。関係ないけど芸能人の誰が離婚しただの、不倫しただの、よりも、もっと伝えるべき事があるだろとか思うし。あ、マスコミ批判を話題にしたいのではなかった。たとえば障害者の方の印象って、不自由で可哀想ってやっぱり第一印象では思ってしまう。でも、背景を知って、表情を見て、だんだん印象は変わってくるはずで、「障害があっても楽しく生きてる!」「生きがいを持ってる!」とかって、本人や家族などの呼びかけ・訴えかけの結果、悲しいばかりじゃないんだなみたいに、社会全体の意識も変わってきてると思う。支援団体や企業もいて(この支援がある所が、やっぱり社会を動かしたと思うし)、わずかながらなのかもしれないけど、就労の機会なんかも確実に増加していると思うわけで。だから、障害≠悲しい。そんで、いよいよまとまらなくなるんだけど、例えば、「私のお母さん、若年性認知症なんだ」「へえ、じゃあ、デイサービスで働いてるんだ?」とか「あ、お手伝いさんしてるの?」とか言われる。みたいな社会になったらいいのになって思う。意味わかんないね?とゆうのは、若年性認知症なんだ、に対して、大変だね!って返すんじゃなくて、当然のように、「認知症でも就労している」という認識があって、その就労先で一番多いのが、例えばデイサービスとか保育園とかで、何かこうお手伝いさん的な仕事をするみたいな、環境が整っていて。認知症と診断されて、仕事を退職せざるを得ない人っているわけで、でも、その仕事はできなかったとしても、まだ意欲も、能力もあって、認知症になったその人の適応したお仕事があるはずで、ないなら作っちゃえで、認知症と診断されても、その人らしい生活は保たれているの。当然のように。保たれるようにサポートするのが当然の社会なの。就労じゃなくてもいいんだけど、だから、何が言いたいかと言うと、認知症≠悲しい になって欲しいの。何かさ、認知症になったら道が決まってるみたいで本当に嫌だなぁと思って。まぁ実際その通りの道を辿るのも現実なんだけど、認知症になったら、デイサービス行ってショートステイ行って、最後は特養に入所みたいな「道」が出来てしまっていて。症状によっては、まぁ仕方の無い事ではあるし、勿論それもまた悲しいばかりじゃないんで、ちょっと矛盾するのかな?でもこれらを肯定するとして、だとしたら、それを利用するまでの道のりは、なるべく遠い方が良くて、職を奪われ、家庭での役割を奪われて、デイへ行かされるのではなくて、デイに行く前に、認知症の人が働ける場があったり、デイよりもっとライトな・・?何てゆうのかな?症状が軽い人がまず行く所、通える場があったらいいのになという…。や、まぁ、これは私の妄想ですが!事件の話じゃないけど、重度の患者さんの介護をしていると、きっと「大変」になるのかもしれない。こんな話、どの面下げて言ってたんだ私はなんて思うかもしれないんだけど、重度になっても安心して過ごせる、または、安心して介護できる環境が整っている社会、を理想としていて。暗い記事だなぁと思った新聞を、更に読み進めて、川柳のコーナーで、「物忘れの話を皆で集まったら笑い話になった」とゆうような句があって、コレコレ!みたいな。物忘れも明るいイメージでしょう?こうゆうのがいい。あーなんかもっと頭のいい人に、この気持ちをまとめてもらいたい。キレイに整理整頓してほしい。最近本読んでないから、ますます文章の構成力が・・・あ、もとからか?このキレイ事の羅列は、どう受け止められるんだろう?それで、じゃあこの理想を実現するには何をすべきなんだろうね?とりあえずテレビが、辛い現実と同じかそれ以上に、明るい話をピックアップしたらいいのにと思う。新聞でもいいか。雑誌でもいいか。歌でも音楽でもいいけど。漫画でも。不特定多数に伝えるには、それが一番影響力がでかいと思うんだよ。講演とか講習とかって、結局「不特定多数」じゃないから。もっと関心ない人を巻き込まないとさー。あ、まずは関心ある人を確実に射止めるのか?私頭悪いからわかんないや。(ここまで来てそれ)私が応援している団体がありまして・・・「認知症フレンドシップクラブ」(コチラ)と言うのですが、この団体の活動内容とゆうか、目指すものって、私の言いたい事を形にしてくれる気がします。これらの道を作っていく団体だと思ってるんだけども、ちょっと違う?でも当たらずとも遠からじではないでしょうか?就労支援団体ではないので、ちょっと今日の記事と逸れてしまうかもしれない。でも、あくまでもたとえ話で就労の話を出したんです。要するに、認知症=大変ってイメージを払拭して、明るく暮らしているのよってイメージになったらいいのにという話で。頭の悪い発言で申し訳ないんですが・・・・ きっと同じような所を、私も後ろからぼんやり見てると思うんだけどなぁ・・・みんな頭がいいから、私、置いてけぼりです。(頭がいいとか悪いとかじゃないといいつつも、これにこだわる私)とにかくフレンドシップクラブを応援しています。(最後、話が大分逸れた気がする!!^^;) ☆読んでくださってありがとうございます! お気軽にコメントやメッセージいただけたら嬉しいです。よろしければポチポチお願いします☆ 人気ブログランキングへ
2011年02月19日
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今日は風が強いです 私の心も荒れ模様で、地を這うようなテンションでギリギリ生きてます せっかくアドバイス頂いて穏やかに過ごせていたはずなのに 昨日はちょっとした事で父と衝突 また極端な事を言い出して、はぁぁ… 父を受け入れないとと思いながらも、一吠えした結果、 「俺はこうゆう人間だとわかってくれ」 それ最強だよな… じゃあ私の人間性はなぜ否定されるんだろうな なんかもう……ははっ 多分私の頭がおかしいんだよね 感情のコントロールができないしな うん。 そんな話しはどうでもいくて、 古本を売りに行ってきました。 母が大好きだった、大切にしていた文庫。 推理小説が大好きで、 西村京太郎、内田康夫… 他は池波正太郎、田辺聖子、斎藤栄などなど タイトルも結構揃っていた 認知症を発症してから、毎日の買い物を繰り返し、 そのたびに本屋でそれら推理小説を買っていたので、 同じタイトルが数十冊あったりして… でもそれが母の今までの軌跡で、 それすら私には愛しくて、 売りに行くまで時間がかかった。 とうとう、母が好きだと言った、源氏物語だけは、捨てられなかった 自分の本や雑誌を見て、罪悪感。 自分のももっと処分しよう。 あとは… 母が大事にしてきた、布・端切れ・毛糸… さすがに量が多すぎる でも捨てるにはもったいない (布は意外と高い) どうするかなぁ… 困った 部屋が中々片付かないなぁ がんばろう…
2011年02月18日
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今日は三連休最後の日、天気も良く、とても暖かい一日でした。今日のお昼ご飯はお父さんの提案で近くのファミレスへ。久しぶりに家族揃って?の外食でした。お母さんは朝からちょっとぼ~っとしていて、今日はあまり調子良くないかな?それでも何とか、お昼ごはんは8~9割食べられました。今日は父の機嫌が良さそうだったので^^「ドライブとまでいかなくても、ちょっと遠回りして帰りたい」と提案したら、ノってくれました。とゆうわけで、高速乗って、すぐ近くのSAに行ってきましたー。こんな昼下がりに、こんな通過点でしかないSAなど混んでるはずもなく(でも結構いるものなのよね)のほほんと、お母さんと手を繋ぎながらブラブラ。SAが好きな私です。イチゴソフトクリームを食べつつ、焼き立てパンを買って、お土産を買って、父は「記念にナンバーズ買う!」と、何の記念だか宝くじを買っていました。まぁ、何だかんだと穏やかに過ごした休日でした。父との衝突ですが、救いの女神さまが・・・私にお手紙を下さいました。もう無理、このクソ親父が・・と荒んでいたのですが、捉え方を変えてみようねと、優しく背中をポンポンとしてくださるようで、そのお言葉のお陰で、私の心も穏やかになりました。悪意は無いが、驚くほど、人の気持ちがわからん人なので(ごめん)、こちらの考えを丁寧に説明する必要があるのだと改めて気づかせてくださいました。とゆうわけで・・・・特養の申し込みは、今はしないことになりました!(話が飛びますが)待機人数が多いので、早く申し込んだほうがいいと、ケアマネさんも父も思っていて。私はどうしても、決心が付かなくて。もし予想外にも早く順番が回ってきてしまったら・・・キャンセルと言う選択肢が父には無いので、簡単に申し込みができない、今はしたくないと、ケアマネさんがいる前で、はっきりと伝えられました。(誰かいないと、なかなか、いえない・・・)父はたまたま穏やかな日だったからなのか、聞き入れてくれました。「ああ、そうなんだ」と小さくつぶやいていたので、本当に、言葉にしないと伝わらないんだなと改めて思って・・・誰にだってそうだけど・・・。家族といえど、結局のところ人間関係だからね。とゆうわけで私の意見を尊重してくれて、ケアマネさんも納得してくれて、「今はまだ早いね。まずはショートの様子を見ていこう」という事になったのでした。あーーー、よかったぁぁぁぁぁ。どんなに状況が変わったって、何とかなると思う。母の状態が悪化したって、きっと私ならできる。安易に言ってるつもりはないんだけど、大丈夫。ただ、私が身動き取れないケースだけが心配。ショートはすごい抵抗あるけど、そういった意味では、味方につけないといけないものだとも思ったりして。今後、月に1~2回くらい、1~2泊くらいの短期間で、少しずつショートを入れてみて、「施設」という雰囲気に母に慣れてもらうつもりです今は家族や、少人数のデイで、大事に大事にされながら生活していて・・・施設の雰囲気はやはり少し違うから、急に施設入所となってしまったら、母は混乱してしまう。そうならないための・・・ショートです。がんばろうね。お母さん。がんばるよ、私も。いしょにがんばるろー(´q`)ノシ☆読んでくださってありがとうございます! お気軽にコメントやメッセージいただけたら嬉しいです。よろしければポチポチお願いします☆ 人気ブログランキングへ
2011年02月13日
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今日の父はちょっと変だけど、穏やかでした。ここ最近のお母さんは、とても穏やかです。母をショートステイに送り出す決意をしたのですが、ずっと前から、迷っていました。とゆうか、絶対にショートと施設入所は断固拒否のつもりでした。でも、日々の生活の中で少しずつ気持ちの変化があったので、記録しておきます。////////仕事を退職して、1ヶ月経ち、家事も適当にこなし、生活の中での母の介助は99%私ができるようになりました。父は、先日記述した通り、食事介助を少し手伝います。その他、私がやり残した家事で、気に留まった事を行います。入浴介助や排泄介助などは一切行いません。私が外出した時に、たまにやってくれます。(父と私の、介護負担の比率についての文句は特にありません。)父に、「私が辞めてから、楽になったでしょう?」と尋ねると、「毎日忙しい!お前がやり残した物は全部やってる!この時間(母のデイ帰宅時間)になると、忙しい!お前が働いていた時は、この時間から・・・うんぬんかんぬん」・・・・あらら。一言、「うん、お前がいると、やっぱり助かるよ」とか言えないのかと。この時、お父さん、もうダメなんだと思いました。もうダメってのは、つまり、何につけても、「母」に囚われて、うまく行かないのを「母」のせいにして、たとえデイに行っている間、介護者に自由時間が与えられても、帰ってくる時間が気になって・・・家事を私が負担したところで、何も変わらない。父から、母を、離さないと、ダメなんだと思いました。臨機応変に対応できない(こんな言い方でごめんねお父さん)父には、「介護は無理なんだ」と。私が、どんなに、「在宅介護を続けたい!」と思っても、「おかあちゃんを施設に入れるのはかわいそうだけど、俺には介護できない」と言われてしまっては、母を支えていく足並みが揃っていないので、無理です。父は結局のところ、この先、在宅介護は望んでいなくて・・とゆうか、私よりも現実的に言っているのだと思うけど、とにかく、在宅介護は、いつか限界がくるのだと思っていて、私はそんなつもりはないけど、そんな事を言っている私は、女であり、私はいつか結婚したら、母を残してここを出なければならない。その他、私が事故や病気などで、身動き取れない状況になったら・・・私が母を守れない状況になったら・・・結局、私一人の想いだけでは在宅介護をやりぬくことはできない。安心して任せる事ができる場所を、確保しないといけないのだと思った。母と私と二人きりの方がよっぽど気が楽だ。父が生きている限り、家にいる限り、私と母とだけになる事はない。父をのけ者にしたいわけじゃないけど、母の介護を苦痛に思うのなら、別に頼みたくない。父は、母に囚われない、自由な人生を歩んでもらいたい。母と共に生きるのは、何も在宅に拘る必要はないのかもしれない。例えば施設入所したって、二度と会えないわけじゃない。共に喜びを共有し、笑顔を引き出すのに、生活する環境は関係ない。(多少あるかも)どこでだって、大好きな人と一緒なら、何だって楽しいはずでしょう?私がフォローできない部分を、プロの方に任せられるしさ。父に文句言われながら在宅を続けるか、プロの方に安心して任せるかの2択だとしたら、やっぱり安心を選びたいかもしれない・・・。母にとっては、何だかんだ文句言われても、父の方がいいのかもしれないのだけど。(ま、施設職員も、色々な人がいると思うので、何とも・・だけど)もちろん、私が母の側にいるうちは、施設入所なんてさせないし、結婚しても、実家から近い距離に居座るつもりだし、ってゆうか結婚できんかもやし。これからどんなペースでショートを利用していくか決めていないし、定期的に利用しないかもしれない。けれど、一回でも、ショート利用しておけば、皆納得するだろう。「いつになったら、ショート利用するんだ!」と急かされることもない。なんだかんだと文句つけるのが得意な父が側にいては母が施設入所しても変わらないのかもしれない。どうせ変わらないなら、維持でも在宅介護を続けてやろうとも思うけど。まぁとにかく、安心材料のための第一歩。もし、お母さんが、ショートをむしろ好んで行くようになるのなら、それこそ安心して、私も過ごせるかもしれないね。・・・とか何とか行って、日が近づくにつれて、不安になってく私です。明日は、ケアマネさんが、ショート契約の為に、自宅に着ます。負けないぞーう・・・・☆読んでくださってありがとうございます! お気軽にコメントやメッセージいただけたら嬉しいです。よろしければポチポチお願いします☆ 人気ブログランキングへ
2011年02月07日
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