元・天津駐在員が送る中国ビジネス・エッセイ

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カテゴリ: 日本社会
以前、吉川幸次郎先生が、日本は、文化を純粋培養するといわれたと書いたことがありました。しかし、今回先生の本に目を通し直し、その箇所を探しましたが、その箇所が見つからない。私の勘違いであったかもしれません。しかし、先生が言っておられないのなら、これ幸い僭越ながら私が発言者となりたい。日本は文化の純粋培養国である。

純粋培養とは、微生物学の最も基本的な手法であり、文化についていうのは、当然比喩としてである。しかし日本の文化をみていると外国文化を取り入れ、純粋培養しているといっても過言ではないと思える。

山本七平さんが「人望の研究」の中で、京大の矢野暢教授の「掘り起こし共鳴現象」について書いておられる。

われわれは、意識しなくても、さまざまな文化的蓄積を持っている。そして外国から新しい思想やイデオロギーが来ると、文化の蓄積の中でそれと似たものを掘り起こして共鳴する。

この現象は、どの国にでも起こりうる。ただ1つ、文化の輸入が前提である。なぜ日本が外国に比べて特殊であるかのように見えるのかは、この現象で説明がつくように思う。日本の歴史を見るとき、その発展は中国と比べるとかなり遅れていた。そして現在は、中国を凌いでいると言っても間違いは無いであろう。最初の内は、中国から文化の輸入で急速な社会発展を遂げ、江戸末期からは、西欧の文化、文明を急速に取り入れて工業化を続けてきた。

日本以外にこのような文化、文明輸入を続けてきたが国があったのであろうか。残念ながら現在の私に答えは出せない。しかし、その急速な文化輸入によって、日本は常に文化、文明の「掘り起こし共鳴現象」が発生し続けていたであろう事は想像に難くない。

日本は、文化、文明の輸入時に自分の文化、文明に理想的なエキスだけ享受し続けた。自らがその努力をせずとも輸入側には、そういう現象が起こるものなのである。

一般の環境下では様々な種類の微生物同士が種間相互作用を行っており、ある微生物について研究する為には、多種多様な微生物の中から培養する微生物だけを取り出す必要がある。この「掘り起こし共鳴現象」が引き起こすのは、純粋培養の単一微生物の抽出の部分だけである「掘り起こし共鳴現象」で抽出された文化エキスはどうやって培養されたのであろうか。

日本は、海に囲まれ、近代化が進むまでは、海外に出ることは容易ではなかった。さらに前回ご説明したように、小さな単位での管理社会ができあがっていた。ペットボトルに詰め込んだ空気のようにどんなに熱を加えられ膨張しようとしても、ペットボトルがその外形を破裂せんばかりにふくらんでもそこから逃れることはゆるされなかった。自ずとその精神的指向性は、内側へ向かわざるを得ない。破裂しそうになっても内部で何とか処理しなくては生きていけないのである。

「俤(おもかげ)や姥(うば)ひとり泣(なく)月の友」

芭蕉はこんな句を詠んでいる。 うば捨て山の話 などは、まさにそういった隔離された環境下で日本の村々が取った究極の内向きな解決方法であったように思える。

歌舞伎に「寺子屋」という演目があるそうである。
1907年ドイツのケルンでこの「寺子屋」が上演されます。1904年-1905年に起こった日露戦争の直後です。

武部源蔵は、菅原道真が失脚、流罪された後、その子供を預かり寺子屋を営んでおります。そこへ道真の政敵である藤原時平から、その子の首を差し出すよう命令がきます。武部は、思案の末、寺子屋に入ったばかりの新入生を身代わりにする事にします。

その新入生は、その首検分を言いつけられた松王の息子だったのです。松王は、以前道真に世話になっていたのです。

この物語の中で、武部は、

「せまじきものは宮仕え」

という言葉を発します。

「瑠璃の島」の最終回で、おばちゃんが足を水で洗っている場面で、瑠璃にこう語る。

なに?
珍しい?

まだね、これからこれも洗うんだよ。

この島にはね、昔水道がなかったから水は宝物だったんだよ。
なにもない島だからね。
全部が宝ものなの。
全部がね。
全部。


こうやって日本は、夏目漱石や太宰治を悩ませた「世間」を形成していったのではないだろうか。1億玉砕などという発想は、こうした内向思考から生まれるのではないだろうか。

村々が平和なとき、この考え方は大変有効に働く、みんなが外部の目を気にしながら、勤勉に清く正しく生きてゆける、しかし、いったん形勢が悪くなると、外に発散できない歪みが、その生け贄を探し求めるのである。260年にも及ぶ江戸時代は、日本人の思考を徹底的に内向きに変えてしまったように思える。

こうした日本人の徹底した内向き思考は、受け入れた文化エキスを純粋培養しているように思える。

日本人の内向きな思考は、日本刀のように洗練され美しい。しかし、その研ぎ澄まされた切れ味が外に向かうとき、恐ろしい威力を発揮し、人々を傷つける事に日本自身が気付いていないのではないのだろうか。






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Last updated  2009.04.25 09:54:05
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