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ぼくの人生にスポーツの経験はあっても、「武道」という文字は全くなかった。身近に何か武道をしている人がいないので、切欠がない。それで以前から興味だけはあった合気道の道場へ見学に行ったのだ。道場・・・というと、その世界を知らない人間にとっては少々恐いものである。それでもぼくは、自分できっかけをつくらなければ、このまま一生興味だけで終わってしまう、と思い、勇気を出して訪ねてみたのだ。怯んでしまうような光景を目の当たりにすれば、そのまま逃げ帰ってこよう、と思ったが、意外なほど武張ったところがなく、カラッとした気持ちのいい人が集まっているようだった。練習を見ていても、身体の関節を利用した受け技や棒術など、目を見張るような見事な動きで、言わば「一目ぼれ」のような感じになった。それでぼくはその場で入塾を決めた。申込書を提出して、入門料5千円を払った。39の手習い?になるが、頑張ろうと思う。
2004年10月31日
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昨夜、子供らが泊まったため、左右に寝ている彼らが布団を蹴飛ばすたびに起き上がって布団をかけ直していたので、熟睡ができなかった。少々、寝不足。風邪をひかしちゃいけないので、神経質になるのだ。去年の今ごろは一緒に暮らしていたので、この時期、やはり同じ理由で寝不足になっていたことを思い出したりした。布団をかけてもかけても気がつくと、布団から出ている。子供部屋があって別で寝ている家庭では、夜中に布団から飛び出していようが気にしないものだろうか・・・。
2004年10月30日
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大切な人がそばにいる。すぐ手の届くところにいる。それは何て幸せなことだろうと、ぼくほど感じられる人は少ないのではないかとさえ思える。今夜は息子と娘が泊まりに来ている。布団で寝息を立てている我が子を観賞する幸せに今日は恵まれた。神がいるなら感謝したい。
2004年10月29日
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新潟中越地震で土砂に押しつぶされた車内から助け出された二歳の男の子の報道に目頭が熱くなった。小さな命を救ったナニモノカ。一方で死亡した母親のことを思えば、彼の前途に胸が痛む。大事なときに神様はいるのか、いないのか。運命を分けたのは何なのか。瞬時の親の強い思いが男の子を守ったのか・・・。大災害は人間の無力と、神の存在を思わせる。
2004年10月28日
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新たな挑戦をするとき、勇気が必要です。それが自分にとって未知の領域であればあるほどたくさんの勇気が必要です。当然、逡巡があり、やらない理由を探し始めたりします。危ないからやめよう。失敗したら、どうする?やっても無駄かもしれない。自分の枠を超えようとする力に対して、自分を守ろうとする力が作用するわけです。でもそこで勇気をだす。勇気を使う。・・・すると、勇気は自分の中に増えていく。勇気は使えば使うほど増えていく。ちょうど身体を鍛えれば鍛えるほど強くなっていくように。ある年齢に達すれば、脳細胞は死滅していくばかりだし、体力はどんどん落ちていく。でも「勇気」だけはちょっと違う気がします。
2004年10月27日
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椎名誠の本をたまに読むことがあるが、最近読んだエッセイで不快な気分を感じた。彼の本を読んで、初めてのことだ。それは彼が北海道に家を建てたくだりについてだ。椎名誠はその著書の中で、自然破壊につながる沖縄開発や、川をコンクリート張りしていく日本の行政を批判しているのだが、彼は北海道の余市に小さな山を買ってそのてっぺんを造成して家を建て、そのため麓から道路をつくったという。著書の中でその家の眺めの素晴らしさや日当たりの良さを自慢げに書いているが、それはまさしく自然破壊ではないのか?と思った。行政の自然破壊は批判するが、自分の自然破壊には気付いていないのだろうか。それとも個人が家を建てるくらいの造成は、自然環境になんら影響しないという判断か。読んでいて釈然としない感じがした。
2004年10月25日
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涼しくなってきたので、久しぶりにマトモな料理をつくった。・・・といってもカレーだ。ほったらかしになっていた玉ねぎとジャガイモを荒切りしてなべに投入。ぼくは分量など考えず、そのまま全部放り込むという危険行為にでた。さらに細切れ国産牛肉をエイヤッ!作ってみると、さほど面倒でもない。だが三人分なので、二日続けてカレーの日々となる。しかも全体に玉ねぎの分量が多くて「玉ねぎカレー」という風情だ。おいしいといえばおいしいが、そうでもないといえばそうでもない。二日目はやはり飽きた。当分、カレーは食べたくないのだ。いつか娘が大きくなって「お父さん、カレー作ってあげる」なんてウチに来てくれないかな・・・。なべに向かいながら、ちょっとそんな想像をした。
2004年10月21日
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今回の台風、何だか凄みのある暴風だ。ちょっと外に出ると身体を飛ばされそうになった。雨はビシバシ、やる気まんまんの台風にちょっと心配事。数年前、どこからともなく飛んできたトタン板に、駐車場にとめてあった車のボンネットが直撃され、それは見事な引っかき傷ができていたからだ。一ヶ月前に納車された新車に同じ悪夢が起こらないよう、祈るばかりだ。保育園も小学校も休みになっただろうが、息子と娘は大丈夫だろうかと気になる。家から外に出なきゃ大丈夫だろうけれど。元気かな。
2004年10月20日
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最近、シットアップベンチなるものを購入した。それは腹筋、背筋を鍛えるための傾斜角度のついたベンチのことなのだ。涼しくなってきたし、筋力アップに挑戦しようと思った。購入初日は、組み立てただけで結構満足してしまって使わなかった。二日目、腹筋10回、背筋10回にとどめておく。筋肉痛が恐かったからだ。三日目も同じ。そして今日、筋肉痛でとても腹筋をする気になれずにいる。明日はやろうと思うが、身体と相談しながらだ。しかしこんな調子じゃ、つづくかどうか・・・。
2004年10月19日
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食事中にテレビをつけると旅行番組なんかがやっている。画面に京都の風景が映ったりすると、そこへ行ったときの記憶が蘇ってくる。一人旅でも行ったが、独身時代に元妻とも出かけた。記憶の糸はどんどん伸びていき、二人で泊まった鄙びた旅館のことなども思い出されてくる。(いい思いでだなぁ)なんてジワリと感じる。横浜の街が画面に映ると、やはり長男を妊娠中だった元妻と出かけた場所を思い出している。一目で妊婦と分かるお腹をしていたので、バスの中で席を譲られたことまで思い出されてくる。ぼく自身も彼女をとても労わっていた。その時からぼくは、妊婦さんをバスの中で見かけると迷いなく席を譲るようになったのだ。・・・そんなわけで旅行番組はときにホロ苦いのである。
2004年10月17日
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年に一、二回宝くじを買う。気まぐれにバラで十枚だけだ。当たるはずはないけれど、それでも買ってしまう。オータムジャンボ宝くじも末等を残して9枚が紙くずになった。当選発表のたびに落胆しているのだから、多少は期待しているのだ。でも人生は楽できないようにできている。宝くじを買ってはハズレている。人生は、ハズレくじの山を築いていくものかもしれない。大当たりはしないし、期待はずれは幾らでもある。でも宝くじを買わない人は当たらない。当たる確立はゼロだ。何かをする、挑戦する、そしてはずれる。そんなことの繰り返しだ。しかし挑戦し続ければ、当たる確立も絶えないのだ。
2004年10月16日
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気まぐれに神社に出かけた。神社に限らず、寺も好きだ。信仰心が厚いわけじゃないが、境内の空気感がいい。名刹や大社などは、ご神木がその太い幹で天を突き上げている。その梢の辺りを仰ぎ見ながら幹に触れると、例えようのない安心感が胸に吹き込んでくるのだ。深い森の清涼な空気が、五体に染み渡るようだ。なにものかに「祈る」という行為もいい。無責任だが、対象は何でもいいのだ。何か大きなものに「祈る」・・・自分の驕り高ぶりから離れられるわずかな時間。
2004年10月15日
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一日たっても昨日の余韻に浸っている。保育園の小さな運動場で娘と手をつないで踊ったことを思い浮かべては、笑顔になっている自分に気付く。幸せが尾を引くのは楽しい。元妻にしてみれば面白くないに違いない。せっかく自分が出て行ったのに、娘に父親と代わって欲しいと言われたのだ。朝早くから観覧スペースにシートで場所取りをしたのだろうし、子供を一人で苦労して育てているのは自分だという思いもあるだろうし、いいとこばかり取っていくぼくを恨めしく思う気持ちもあるかもしれない。帰り際、「ありがとう」というぼくの言葉を無視して去っていく元妻の背中にそんなものを感じる。それでもぼくはやはり娘の父親として運動会に参加できたことが嬉しい。幸せには敏感に、不幸には鈍感になっていく自分でいいと思う。
2004年10月14日
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今朝、いつもより早起きして30km離れたところで暮らす娘の保育園の運動会を見に行った。着いた時には開会式は終わっていたが、メインのかけっこには間に合った。でも見る位置が悪くて娘が何着だったのか分からなかったのが残念。彼女はすぐにビデオを構えているぼくの姿を見つけて何度も手を振ってくれた。ぼくも手を振ってこたえる。元妻は運動場正面にシートを敷いて観戦しているようで、娘はあっちを向いたりこっちを向いたり。最後の種目は親子で手をつないで踊るというもの。元妻が運動場に出ていった。その間、ぼくは娘の踊りを間近でビデオに撮るために移動した。すると、元妻に抱っこされた娘はキョロキョロとあたりを見回し、ぼくの姿を見つけると、「おとーさーん!」と呼ばわった。一緒に踊ろう、という。彼女は元妻に、「お父さんと踊りたい!」と懇願しているようだった。元妻はぼくを振り返り、交代のジェスチャーをする。それでぼくは急遽、運動場へ出て娘の元へ走った。気持ちとしては、とても嬉しい。先生の踊りに合わせて輪になって踊る。娘と手をつなぎ、くるくる回ったり、手を叩き合ったり。最後は抱っこ。ぼくの目には娘しか入っていない。とても楽しい思い出ができた。また娘から幸せを分けてもらった。
2004年10月13日
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今朝、初めてスーパー特売日の開店時に足を運んだ。目当ては「たまご一パック58円」である。ぼくは開店数分前に車を駐車場に入れたのだが、店の入り口にはすでに人が列を成していた。それも150人近く並んでいて、駐車場脇の歩道まで伸びている。(そういうものか・・・)普段、そんな行列のできるスーパーではなかった。いや、ぼくが知らなかっただけかもしれない。特売日のオープンには毎度こうして人が列を成しているのかもしれない。少々、傍観するような思いで列の最後尾に並んだ。たまごはたしか300パック限定だったはずだ。どう見ても自分の所までは回ってくると見当をつけてからは、手持ち無沙汰だった。たまごが十個で58円なんて養鶏業者が聞いたら泣くだろうな・・・いったい幾らで仕入れてるんだ?などと自分の番が回ってくるまでの十数分間に色んなことを考えると、その58円目当てに並んでいることが申し訳ないような気持ちになってきたりする。よく見れば、家族で並んでいる方々は一人一パックずつ受け取っている。(ああ、そうか。そういうものか。卵は十個あれば十分と考えるのは一人暮らしの自分だけなんだな)結局、ぼくの十五メートルくらい後ろに並んでいた人には、卵は渡らなかった。それから他に必要なものをカゴに入れてレジに向かうと、そこも当然行列ができている。最後尾に並びながら、視線をあちこちさまよわせていると、ひとつ小さな発見をした。列に並ぶ人で、カートを使わない人の三人に一人はカゴを床に置いて、前の人が進むとやおら片足で自分のカゴを前方に押し出しているのだ。(ははぁ・・・)そうやって引きずっていれば、重たい思いをしなくてすむわけだ。誰が最初に始めたことか知らないが、中年男性はもちろん主婦もそうしている。単純に行儀悪いな・・・なんて思ってしまうけど、あれだけ沢山の人がそうしているのだからきっと楽に違いない。レジに近づいてきたところで、ぼくも試しにやってみた。(たしかに楽だ・・・)右足でちょっと押すだけでカゴは前に行く。・・・でも何だか自分らしくない。ぼくはやっぱりカゴを手に持ってレジへ進んだ。というわけで、なんでもない風景かもしれないけど、ぼくにとっては初めての体験であり、新鮮であったのだ。
2004年10月10日
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「僕と彼女と彼女の生きる道」というドラマの再放送をビデオに録画して観ている。最初の放送中は、自分自身が大変なことになっていて、観始めたのは最終回までの3回くらいだったと思う。人にすすめられたのだ。ぼくは少しでも参考になればと半信半疑で観始めた。すると父親役の草薙剛と凛ちゃんの絡みのシーンでは泣きに泣いてしまった。寸分なく自分と重なったのだ。ちょっとまいったけど、最終回まで観てしまった。それを再放送で初回から観ている。自分の離婚からは半年がたっているので、落ち着いた目で観ているが、それでも父娘のシーンでは極度に感情移入してしまい、目蓋に涙を溜めてしまうこともある。でも親子の関係っていいなと思う。「だいすき」っていう絆で結ばれていることの豊かさは何ものにも変えがたい。もうすぐ息子と娘に会える。
2004年10月07日
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青一色で塗りこめられた空に、一本の飛行機雲が真っ直ぐ彼方へ伸びている。気持ちいいな、と思う。こういう特別でないことに小さな幸福感を味わえるのは、やはり幸福なのか、それとも不幸の只中にいた過去があってなのか。どっちでもいいや。
2004年10月06日
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きっと誰もが「超えられないものを超えたい」と思っているのだ。そういう希望の代理人としてみなイチローを選んでいる。不可能を可能にしていくその姿に、本来なら重ならないはずの自分を重ねているのである。みな何ものかを「超えたい」と思っているのだろう。
2004年10月03日
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