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「好き」とか「イイネ」とかで過ごしてきたタイプの人をわかった気にさせてくれる入門書 ですね(笑)。
なぜ「案内」か? というと、最近、映画を見るとか、まあ、小説を読むとかでもそうなのですが、自分が、なにをおもしろがっているのかよくわからないことがよくあって、にもかかわらず、他の人に 「おもしろかったですか?」 とか、 「何処がいいですか」 とか問われると、困惑というか、自己嫌悪というかに落ち込む経験を繰り返していて、ちょっと、イラついた日々を過ごしていたのですが、偶然手に取ったこの本のこういう所に、
「うん、そうだよな」 という感じで、ちょっと落ち着いたので 「案内」 という次第です。
芸術の嗜好についての議論において、本来それは「蓼食う虫も好き好き」の「たかだか芸術談義」でしかないはずなのに、なぜ私たちはしばしばかくも憤激したり傷ついたりするのかを、パイヤール(フランスの文学理論家)は次のように説明する。
「われわれが何年もかけて築き上げてきた、われわれの大切な書物を秘蔵する〈内なる図書館〉は、会話の各瞬間において、他人の〈内なる図書館〉と関係をもつ。そしてこの関係は摩擦と衝突の危険を孕んでいる。というのも、われわれはたんに〈内なる図書館〉を内部に宿しているだけではないからである。(中略)われわれの〈内なる図書館〉の本を中傷するような発言は、われわれを最も深い部分において傷つけるのである」(「読んでいない本について堂々と語る方法」(筑摩書房)P96)
これまでどういう本(音楽)に囲まれてきたか。どのような価値観をそこから 植えつけられてきたか。それについて、どういう人々から、どういうことを吹き込まれてきたか。一見生得的とも見える「相性」は、実は人の「内なる図書館」の履歴によって規定されている。それはいまや自分の身体生理の一部となっているところの、私たちがその中で育ってきた環境そのものなのだ。だからこそ芸術談義における相性の問題は、時として互いの皮膚を傷つけるような摩擦を引き起こしもするし、反対にそれがぴったり合った時は、あんなにも嬉のだろう。での人たかが相性、されど相性。「相性の良し悪し」は、私たち一人一人のこれまでの人生そのものにかかわってくる問題だとも言えよう。芸術鑑賞の下部構造はこういうものによって規定されている。「どんなものを食べているか言ってみたまえ。君がどんな人であるかを言いあててみせよう。」とはブリア・サラヴァン「美味礼賛」の中の有名な一節だが、音楽についても同じことが当てはまるはずである。」(P13~14 ) 第1章 のこのあたりで、芸術鑑賞における、
「すきずきの」の固有性 とでもいうことについて書いていらっしゃるのですが、まあ、いってしまえばありきたりな一般論です。なのですが、 スラスラ読める文章作法 というか、ちょっとおもしろい逸話や、個人的体験の挿入がお上手で、あきずに読めていいです(笑)。
目次 まあ、お暇な方、いかが?ですね(笑)
はじめに
第1章 音楽と共鳴するとき―「内なる図書館」を作る
第2章 音楽を語る言葉を探す―神学修辞から「わざ言語」へ
第3章 音楽を読む―言語としての音楽
第4章 音楽はポータブルか?―複文化の中で音楽を聴く
第5章 アマチュアの権利―してみなければ分からない
おわりに
文献ガイド
追記
ところで、このブログをご覧いただいた皆様で 楽天ID
をお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
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