羊の墓場

羊の墓場

2004.03.19
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近頃よく見かける精神系HPについての愚見を以下に述べる。


私はそういう精神系HPについて多くを語れるほどには出入りした事も無いし、たまたま見掛ける事が多いぐらいで大して興味も持っていない。 何となくHPの名前や管理者の名前が気に入って見に行ったら精神系だったというのが侭有るので恐らく私はそういう人達にどこか自分の気に入る要素を共通して見出しているのだろうけど。
例えばよく見聞きする言葉:リスカ。
今更そんなに珍しくも無く、クラスに一人はやってる奴が居るだろう。そう、昔で云うところのガキ大将と同じ位の確率で存在するのだ。
しかし、そのガキ大将がそうしてアイデンティティを確立したように、リストカッターもその行為でしか周りからの人物像を得られてはいないと思われる。是に対して当のリストカッター達はどう思っているのだろうか。
私が此処にこうした文書を書き連ねるのも、今しがた自分のHPの訪問者リストを見てみたら所謂リスカ系統のHPオーナーが立て続けに引っ掛かったからで、そしてそれに疑問を持ったからに他ならない。
リスカは今どういう行為と受け止められているのか。
自分の絵や文章を公開するのと同じくらいのレベルでリスカ写真(血塗れの腕等)を公開する方が数多くいる。しかも数年前ならそういう写真は最後の良心とばかりにUG系のHPに置かれていたものだが、今では中学生が何の変哲も無い只の日記を書く場所にその写真が置かれている。ジェネレーションギャップにも似た感を受けるのは私だけだろうか?
しかし、まぁ当然の事ながら、そういうHPには冒頭に「誹謗中傷はやめてください」と云った文が書かれており、世間の風当たりは殊更冷たい事が分かる。
そこまでしてどうして公開するのか。

一つには「忘れたくない」という事があると思う。例えば人を憎む事には百害あって一利無し。憎むだけ労力の無駄遣いではある。しかし誰も憎まずに生きられたらどんなに楽だろうと思う私でも、憎しみが風化するのを恐れた事がある。今でも悔しいと思う。忘れてはいない。ただ、自分が損をせずに復讐しようと思う事にしただけだ。
辛い事というのも多分同じようなもので、早くその渦中から逃げ出したいと思う反面で、それを忘れゆく事を避ける気持ちも有る。一種の陶酔にも似た感情。何かから抜け出したいと思う時、一生懸命やりきれない自分を叱咤し、苦しんでない事を侮蔑する。そんな時には温かい人々よりも苦境を選ぶだろう。「これで一杯いっぱいなんだ」と思えたらどんなに素敵だろう。
私の腕と足は一年ちょっと前、真っ赤だった。人には見せられなくて着る服を選ぶ時困った。それでも、それを公開するのは露悪趣味が過ぎるような気がして、幾つか持っていたHPには何処にも一言も洩らさなかった。リスカ自体やその写真を載せるオーナーを批判するわけではない。それは私には全く関係が無く、ネットで知り合った友人の一人は堂々とリスカやODについてHPで語っている。彼女の事は大好きで、単にリストカッターだとかオーバードーパーだとかそんなふうには見ていない。それは彼女が断固とした自分を持っているからで、畢竟するに、リスカしていようがいまいが彼女の人間像には何ら問題は無いという事だ。私はリスカ・ODその他諸々の事には無関心だが、そんな雑事にアイデンティティを奪われる程度の人間は好めない。

リスカについての諸事項を公開する理由として考えられる二つ目に、同じ苦しみを味わう人間を見つけたり、又は救いを求めているという事が挙げられる。
しかし、これは二つの観点から私としても褒められた考察ではないだろう。
一つに、彼等は滅多に同属を求めたりはしない。二つに、公開しても多くは誹謗中傷が募るばかりで心の底から心配し、助けようとする人間なんて存在するのかさえ疑う。

また公開理由として挙げられる三つ目に―――これは稀少であろうが―――リスカ等の写真を芸術と見做す事が在る。
パンドラの箱でも青髭の話でも何でも良いのだが、人には古代から禁忌とされるものに好んで近づく習性があるように思う。血塗れの写真に詰め込まれた屈折した心情を、キャンバスに描かれた芸術として観るのは構わないと思う。元々芸術なんてイカレている物だし、幸福の中から至上の芸術は産まれないものだ。更に謂えば、芸術家になりたければ幸福なんてものには背を向けろ。病的な文章こそが芸術として認められるのだから。
しかし、今ネットに溢れている精神系HPには見た所そこまで悲惨な物は無い。完膚なきまでに不遇であれば、その生き様だけで芸術にも成り得るものを。手にする物など何も無く、救いを求める事も諦め、全てに敵意を向けた文章。想像しただけで芸術的だと思うのだが、そう思うのは私だけだろうか。

私は自傷行為・ODその他について否定的な意味での批判は恐らくしないだろう。私がそのせいで被害を受ける事さえ無ければ。寧ろ過去の体験からは奨励するだろう。過去に、ODしようとした時にオーバードーパーのページを見て「こんな有象無象と一緒にはなりたくない」と笑って薬を箱に戻した事を思えば。

子どもらしい浅はかさで私は文章を書き、公開する。
この行為は恐らく自傷者がそれを語るのと同程度の価値も持たない。批判すれば団栗の背比べになる。それは滑稽だ。
精神系HPのオーナーもそれを批判する方も、自傷やODを一つの趣味と見做してしまえば良いのではないかと常々思う。手芸や料理、スポーツと同じく此処の勝手であり、得手な者がそれを語る事に何も不自然な事は無い。自傷とODを重ねれば死に易くなる事は事実だが、各々の命なのだから自由にすれば良いと思う。近しい友人や家族なら兎も角ネットで見ただけの私たちに口出しをする権利は無い。破壊衝動が外に向かずに内に向かうのは百歩譲って褒められた事だと思えないのか。
腕が傷だらけだった時に思った。自傷行為が世間的に受け入れられるものだったら良かったのに。いつバレるかと心配していた。そんなにビクビクするくらいなら最初から自傷なんてしなければ良いのにと今では思うのだが、自傷“癖”というように一種の癖で切る時には抵抗も無く、それを隠そうとする段になり初めて後悔する。数十回体を切りつけた中で死のうと思った事はたったの数回で首を切ろうとした事も憶えている限りでは数える程しかない。
自傷系HPオーナーに言う事がもし在るとすれば、これだけだろう。どれだけ本人が正気を保っていると思っていても自傷が癖になっている時は何処かがオーバーヒートしている。その状態で文章を書き、公開しようとすれば自制の効かないものになるだろう。一度自分の公開している物を客観的に見つめる事をお奨めする。それだけ。
客観的に見つめた後の事は知らない。それでもやはり公開し続ける人はすれば良い。人の趣味には口出ししない。見苦しいとも思わない。私だって同レベルなのだから。





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Last updated  2004.03.19 18:18:34
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