雅の日記~お気楽生活をめざして

雅の日記~お気楽生活をめざして

2016年02月26日
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90を超えた私のおばあちゃん。
80歳を過ぎても一晩で酒を一升呑んだりしていたが、このところ痴呆が進んで一人暮らしがままならなくなり、ついに介護付きの施設に入居させた。
住み慣れた村から、住んだこともない都市圏への移動ということで、今も入所先で戸惑っているらしい。
近くにはおばあちゃんが最も気に入っている孫(私から見るといとこに当たる)がいて、時々施設に顔を出しているから、移動先をものすごく嫌がっている訳ではないのだが、それでも不安に感じている日もあるという。

まずは3カ月入居させて様子を見て一時退院させ、少し自宅に戻して安心させてから、「また施設に出かけるよ」といって、本腰を入れて移動する予定。おそらく多分自宅に戻っては来られない。
おばあちゃんはそれを知らない。
たぶん、話をしても理解できないかもしれない。

身体は元気だけれど、認知症が進んで、元気が故に周囲に迷惑をかける。
日本人は確率上、70歳まで生きるとほぼ100歳近くまで寿命が延びているけれど、自分が何をしているかわからない、とか「自分が正しいことをしているのに周りが違うと言う」とか、そういう世界に生きていて、おばあちゃん自身はどう思っているのだろうか。
世間の常識から考えれば「おばあちゃんがおかしい」になるが、おばあちゃんを軸に考えれば「周りが私をだまそうとしている」とか「周囲の人間がおかしなことをしている」になる。
疑心暗鬼の世界で、おばあちゃんは心健やかに生きているのだろうか。

それはもはや、おばあちゃん以外誰もわからない。

もし私が長生きして、おばあちゃんのように痴呆になったら、自分の場合は子供もいないので、きっと自分で施設に入って、お金を払ったなりの待遇を受けて淡々と暮らしているかもしれない。
でも介護施設アミーユの虐待事件のように、そういう処遇を受ける確率もある。介護職員に大切にされても、痴呆がすすんでいたらそれを悪意と感じるかもしれない。

人間が生きている、というのはあくまで心も体も最低限の健康状態を維持していることなのかもしれない。
障害や病気を抱えている人もいるだろうが、その病気と向き合って生きていれば、変な言い方だけれどそれも「最低限の健康がある」ということなのではないか。

おばあちゃんは生きているが、私の知っているおばあちゃんはもういないんだな、と思う。






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最終更新日  2016年02月27日 11時39分23秒
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