全2件 (2件中 1-2件目)
1
このブログを始めて10年経ってしまった。ブログの存在など知らなかった10年前、ぴかママさんに教えていただいて、本の宣伝もかねて始めた。最初は結構、何もかも書いていたけれど、今は書きたい、他人に何かを知らせたい、という意欲も薄れ、ほとんど書くこともなくなった。そう言えば、写真を撮る、という行為ももうずっとしていない。写真というのは、撮った本人や撮られた人には意味があるし、思い出の手がかりになるけれど、それ以外の人にはあまり意味がないように思う。私が死んだ後には、ただのデータゴミでしかない。だから、もう残したくない。死んだ後に残されるもの、つまりは遺品は、遺された者には重荷となる場合もある。父方の祖母の死後、まだ一度も使っていない晒しの「腰巻」が見つかった。祖母は下着は最期まで和式だった。昔なら、この真っ白な晒しでオムツが作れたけれど、その必要もなくなった当時、これは無駄に捨てられた。それ以外にも、山ほどの「遺品」がむざむざと捨てられることになり、その処理だけでも大変だった。両親の死後も、同じ作業があった。けれども、母が遺してくれた洋服や食器で、今だに私が着ている物、使っている食器も多い。質の良い洋服は、時代や年月がたっても、魅力を失わない。それどころか、私の娘も、母が遺したセーターをいまでも着ている。ヴィレロイ&ボッホ社の皿やカップは、さらに同じ製品を買い足して使っている。このように、遺品にも意味がある場合もあるけれど、今の住まいに溜まった物はできるだけ整理して、去りたいものだ。20年前ぐらいまでは、写真もプリントしていたから、これらだけでも大きな引き出しにいっぱいだ。これらの写真はこの20年間、見られることもなく、引き出しに眠っているだけ。無駄な存在だったわけだ。スライドもいくつものケースに収まっている。マダガスカル、インド、アルゼンチン、ベトナム、などなど、旅行先の写真には思い出がいっぱいなはずだけれど、何年も経った今、眺めることもない。無駄だなあ。というわけで、身辺整理を思い立ち、その手始めとして、このブログも終了いたします。とは言え、別のところに引っ越して、ぼちぼち別のスタイルで、小さく書くことも考えています。長いこと、拙文を読んでくださった方、深くお礼を申し上げます。また、どこかでお会いしましょう。お元気で
2018/10/14
コメント(4)
あらあら、ブログを持っていることも忘れてしまうほど、ご無沙汰していた。今はもう秋。娘夫の両親の家は当市の端、「黒い森」の麓にあって、自然に囲まれ、庭もものすごく広い。庭の果樹が、今年の猛暑のおかげで、たわわに実をつけた。地面に落ちるリンゴは、毎日山ほどあって、とってもとっても翌日にはまた山のように落ちているそうだ。拾ったリンゴを近くのジュース作りする農家に届けると、じか搾りのジュースを安く売ってもらえるのだそう。リンゴとニワトコの実を搾ったジュースはとても美味しかった。市販のジュースにはない自然な味。「リンゴもマルメロも好きなだけ持って行って」と言われて、山ほどもらってきた。マルメロは3キロぐらい。前にも書いたけれど、マルメロの加工はかなり厄介。生のマルメロは切ったり、皮をむくには力が必要で、時間もかかる。今回はネットで見つけたレシピに従った。まず、清潔な布巾で、皮を覆っている細かい毛のようなものを拭き取る(洗わないで拭き取る!)。これだけでも、1時間ぐらいかかった。マルメロは丸のまま、たっぷりの水で30分ぐらい茹でる。こうすると、切ったり、芯をとったり、皮を剥くのが簡単になる。芯と皮は先の茹で汁の一部でもう一度、グツグツ茹でる。この茹で汁をザルでこして、ジェリーシュガー(ペクチン入りのジャム用砂糖)と混ぜて煮る。これで、マルメロのジュレ(つまりはゼリー状のジャム)のできあがり。プルプルで、マルメロ独特の香りがする、優雅なジャム。皮と芯を除いた果肉と同量(私は3分の1)の砂糖を混ぜて、焦げ付かないようにかき混ぜながら、30分以上煮て、水分を飛ばす(この作業は小豆を煮て餡を作るのに似ている)。ムースのようになったマルメロを天板に2センチぐらいの厚さにのばして、50〜100度のオーブンで乾かす。好きな形に切る。甘酸っぱいお菓子のできあがり。前にもこれ書いた。毎回、「もうこんな作業は絶対にやらないぞ」と決心するのに、またもやってしまった。週末、3日もかかって、できたのはジャム8瓶と天板2枚分あまりのマルメロ菓子だけ。娘夫の両親とは気が合って、良い友人関係がもてて幸せだ。価値観とか興味、あるいは政治意識が似ているからかもしれない。ある友人(ドイツ人女性)が、子供のパートナーの親と意志が通じるというのはとても大切だ、と言っていた。ほんと、そう思う。娘夫のお母さんとは、しょっちゅう本の交換をしている。「xx読んだ?」「読んでいない」「じゃ、買わないで待ってて。読み終わったらすぐ送るから」「こちらからも、xx送るわよ」と言った具合。時には私が彼女に送った本が、その後、私の娘の手に渡る。そういえば、村田さやかの「コンビニ人間」(もちろんドイツ語版)も娘夫のお母さんにいただいて、読むことができた。お義母さんはこの本を読んで、日本社会においてはいまだに女性が抑圧されていると解釈したようで、『あなたが日本を出て、こちらで生き始めたわけがやっとわかった』と書いてきた。いやー、わたし自身は別に抑圧されたという意識はないんだけど、、、。まあ、いろいろな読み方があると思うけれど、「コンビニ人間」は面白かった。それにしても尊敬に値するよね。コンビニで働く人の気配りって。ドイツにはコンビニはない。まあ、できないだろうな。唯一、コンビニと似たような機能を果たしているのは、ガソリンスタンドかもしれない。
2018/10/02
コメント(0)
全2件 (2件中 1-2件目)
1