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仏像の説明が終わると、館内を少しだけ移動して「大宝殿」の南側にある「縁起堂」に入る。堂内には「道成寺もの」の歌舞伎・能の写真や絵画が所狭しと飾られている。天井からは黒い釣鐘が下がっているし、歌舞伎で実際に使われていたハリボテの鐘も置かれていた。正面には安珍と清姫の像まである。床には花柄の絨毯が敷き詰められ、正面の少し右に絵巻物を載せる台がある。写真や絵画を一通り見終わった頃、住職さんが再登場した。「この辺が、一番良い席ですよ」と指差された辺りの絨毯の上に座って「安珍清姫の絵とき説法」を聴く。所要時間は約18分だそうだ。「道成寺縁起絵巻」を使った説法は1000年以上続いているのだそうで、使われている絵巻物はこれが8代目だそうだ。絵巻物を架台にセットしながら住職さんがおっしゃるには、「この寺の主人公はこの絵巻物で、私たち住職は代々それを皆さんにしゃべるために存在している」のだそうだ。「安珍・清姫」のストーリーは誰でも知っているのでここで詳しく書くのは省略するが、住職さんは絵巻物を繰りながら、それを紙芝居風に話すのだ。時々、「好きになった男性を一途に追いかける清姫。女性の方に『貴女方にそんな経験ありますか?』と訊いたら、『そんなイイ男に出会ったことがない』とおっしゃいます。男性方、しっかりしてくださいよ」とか、「この船頭のずるそうな顔、きっと安珍からしっかり袖の下をもらってるんでしょうね。これを見て、ある男性が『ワシも船頭になりたい』と言ってました。何故かというと、『安珍からは金をもらって、おまけに清姫のヌードまで見れた』からだそうです。所詮男というものはそんなもんでしょうかねぇ」と、笑いを誘う。物語はどんどん進んで、最後には道成寺の住職の夢枕に2匹のヘビが出て「往生できない」と訴えるので、盛大な供養をしたところ今度は2人の天女が現れて「おかげで成仏して幸せに暮らしています」という、いかにもお寺に都合の良い結末になっている。それから400年後、鐘を失った寺は新しい鐘を作ることにした。しかし落慶法要の日、旅の白拍子が見事な舞を披露して少しでいいから鐘を見たいと頼む。白拍子は鐘にとりつき、「おもえば此の鐘うらめしや」と鐘に入ると・・・鐘が落ち・・・そして、鐘が上がってでてきたのは白拍子ではなく、なんと恐ろしい大蛇。白拍子は清姫の怨霊だった。というのが歌舞伎の「道成寺」である。しかし現在、この鐘は道成寺にはなく、京都の妙満寺にあるのだそうだ。「鐘で有名な道成寺には鐘がありません。カネは天下の回りものですから。あるのは土産物屋の『つりがね饅頭』ばかり」なのだそうだ。
2003年01月31日
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cjjさんから視察先の永春県のポンカンについての資料が送られてきた。しかし春節前で忙しかったのか、あるいはtetywestに宿題を出すつもりだったのか、今回は原文のままだった。----------------------永春:芦柑出口全国首位www.fjgy.com 1/27/2003 福建果業網 截至元月10日、泉州検験検疫局永春弁事処共検験検疫出口永春芦柑955批3.32万屯、貨値1132.4万美元、出口批次、重量、貨値分別比去年同期増長131.2%、135.5%和129%、己超達去年産季3.08万屯、出口量、主要出口到馬来西並、非律賓、印尼、新加坡、文莱等8個国家、居全国首位。永春県是全国著名的芦柑生産基地県、曽得到李鵬委員長「永春芦柑、達消四海」的親筆(※)提字。自1997年開始、永春県級力実施「芦柑技術改進項目」。該県先后引進台湾「果園草生栽培」「蔬化改造郁蔽果園」、「培育自然開心樹形」等先進管理栽培技術。芦柑的品質也由濃甜型特(※)化成適合現代人口味的甜酸適中型。該県為果農注册了「雲台牌」商標、从釆摘、収蔵(※)、包装、運送到消費都晋(※)格使用「永春芦柑」品牌。注:(※)は日本に当てはまる漢字がないために実際の漢字とは異なっています。----------------------永春:芦柑(ポンカン)輸出は全国首位www.fjgy.com 1/27/2003 福建果業ネット 1月10日、泉州検験検疫局永春事務所は永春芦柑を955回(?)、3.32万屯、価額にして1132.4万USドル(13億6000万円)輸出したと発表した(平均の1kgあたり単価は約41円になる)。輸出回数(?)、重量、価額を去年同期と比較すると、それぞれ131.2%、135.5%および129%増加している。これはすでに去年産の輸出量である3.08万屯を超えている。主要な輸出先はマレーシア、フィリピン、インドネシア、シンガポール、ヴェトナムなど8カ国で、全国でも首位の座にある。永春県は全国でも著名な芦柑(ポンカン)の生産基地県であり、かつて李鵬委員長から「永春芦柑、達消四海」の賞賛の言葉を頂いたこともある。1997年に開始されて以来、永春県は「芦柑技術改進項目」を実施してきた。県では台湾の「果園草生栽培(園内に草を生やして土壌の流亡を防ぎ、土壌の物理性、化学性を改善する栽培方法)」「蔬化改造郁蔽果園(密植になった果樹園の木を間伐することか?)」、「培育自然開心樹形(剪定による樹形改造)」等先進管理栽培技術を取り入れた。芦柑の品質は濃くて甜く、現代人の好みである糖と酸がうまく調和した味に適合している。県では果樹農業指針「雲台牌」商標を定め、分割した収穫や貯蔵、包装、消費地への運送まで規格化して合格したものには「永春芦柑」のロゴを使用している。----------------------cjjさんが見たらさぞ可笑しいことだろう。これで、tetywestの中国語能力はバレバレになってしまった。
2003年01月30日
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続いて住職は「髪長姫(かみながひめ)」について話し始めた。さっき見た尼さんの座像のことだ。「髪長姫は、この寺の創始者です。昔、この地方に大変美人で聡明な女性がいたのですが、可愛そうなことに髪の毛がなかったんです。あるとき海で観音像を見つけ、それを祭ってお参りしていたところ見事に髪の毛が生えてきました。その女性は後に文武天皇の妃になりました。聖武天皇のお母さんです」「髪長姫は観音様をお祭りするために、生まれ故郷に寺を建てることを天皇にお願いしました。道成寺と呼ばれるのは、この寺が紀の道成によって建立されたからです」「安珍・清姫のお話の方が有名になりすぎて、現在ではあまり知られていないのですが、この寺は髪長姫にあやかって、女のお子が健康で美しく、賢く育ち、そして玉の輿に乗れるようにという『女人開運の寺』としての信仰も集めております」髪長姫の話を聞いたのはこれが初めてだったが、tetywestにとっては聖武天皇が関係していることの方が興味があった。日本史では絶対押さえておかなくてはならないキー・パーソンだし、奈良の東大寺を造った天皇でもある。旅行から帰って調べてみると、髪長姫とは宮子姫のことで、藤原不比等(ふひと)の長女なのだ。しかも聖武天皇の母である宮子姫と妻の光明皇后はどちらも藤原不比等の娘で姉妹関係にある。おそらく二人とも養女なのだろう。そうなると藤原氏の栄華の基礎を築いたといわれる不比等という人物の政界への進出方法が見えてくる。しかし、聖武天皇には男の子が育たず、娘の孝謙(こうけん)天皇に皇位を譲っている。聖武天皇が東大寺の造営、国分寺の造営に力をそそいだのも、後継者問題で藤原氏と反藤原勢力が激しく対立する政界に心を痛め、仏教の力で国内を安泰にしようと願ったからだろう。そのために鑑真が招かれるわけだが、鑑真は渡航に5度も失敗して寧波の阿育王寺で留まっていたわけだ。6度目にようやく成功し、それによって日本の仏教制度が確立することになる。これでtetywestの中では道成寺→宮子姫→藤原不比等→聖武天皇→奈良仏教→鑑真→阿育王寺という図式で、和歌山の道成寺と寧波の阿育王寺が結びついた。いささか牽強付会だとは思うのだが・・・・(汗)
2003年01月29日
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この日記を書いている時に、一昨日・昨日とshilfy1さんから掲示板に書き込みがあった。「手まり歌・道成寺バージョン」とでも言うのだろうか、昨日のtetywestの日記の内容がそのまま歌になったような内容なので、ここでぜひ皆さんに紹介したい。♪とんとんお寺の道成寺 釣鐘おろいて身を隠し 安珍 清姫蛇に化けて 七重に巻かれて一回り・・一回り♪♪トントンお寺の道成寺 六十二段の階(きざはし)を上がり詰めたら仁王(におう)さん左は唐銅(からかね)手水鉢(ちょうずばち)・・手水鉢♪ひょっとして3番もあるのかもしれないが、もしあればまた教えてくれるだろうと言うことで、とりあえず2番まで。地元の手まり歌になるくらいだから、道成寺はさすがに有名なのだ。参拝が済むと、脱いだ靴をビニール袋に入れて携えたまま大宝殿にあがる。大宝殿は大きな部屋で、ここにはたくさんの仏像が安置されている。その中でも一番目立つところに配置されているのが千手観音立像だ。日光菩薩と月光菩薩を両脇に従えた、全長3メートルはありそうな立派なものだった。千手観音の右下には「髪長姫」の像というのがあった。しかし、尼さんの格好をしているので、髪が全然ないのが可笑しかった。入り口から一番奥にはこれもかなり大きな藤原時代の大仏と文殊菩薩、普賢菩薩が置かれていた。そこにはガンダーラのギリシャ風の顔をした仏像も2体あった。どうも、この一角の仏像は最初からあったものではなく、お寺の金で買ったもののようだ。道成寺は1000年以上有名であり続けているのだから、それくらいの資金はあっただろう。一通り見終わった頃に住職さんがやってきて、仏像の説明をしてくれる。tetywestたちは全員、千手観音の方を向いて座った姿勢で説明を聞くことになる。千手観音、日光菩薩、月光菩薩は道成寺の本尊で、千手観音立像は国宝なのだそうだ。木彫で金箔が施されている。金箔の厚さが違うのか、顔だけがやけに輝いている。千手観音はふくよかな中にもきりりとしたいい顔をしていると思った。「この千手観音様は、あらゆる苦悩を解決してくださる1000本の手を持っています。しかし実際には44本、仏教の教えでは1本の手で25の仕事をするので40本で1000になるんですが、中には2本使わないと出来ないこともあります。たとえば合掌のような」「それぞれの手には、正面の下側にある薬壷のように、いろいろな問題を解決する道具を持っています。しかし、正面から見て左下には何も持っていない手もある。これは、『すべてをあるがままに認めよ』という達観の心を導いてくださる手なんです」「お寺ですから拍手(かしわで)は打たないものだとお思いかもしれませんが、この千手観音様にお参りするのは3拍するんです。1拍、同じ長さ休んで、2拍。このようにします」住職が手本を示してくれる。「四分音符、四分休符、四分音符、四分音符」の4拍子のリズムだった。「さあ、皆さんご一緒に」の掛け声で、全員がパーン・(ウン)・パーン・パーンと拍手を打つ。「千手観音様は子年の守り神。特に子年の人は念入りにお参りしてください」なのだそうだ。
2003年01月28日
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道成寺といえば「安珍・清姫伝説」で有名なお寺だ。熊野詣での修行僧安珍が、清姫から逃れるために道成寺の鐘の中に身を隠す。しかし蛇に化身した清姫がその鐘に巻き付き、鐘もろとも安珍を焼き殺してしまったというお話なのだが、tetywestは道成寺についてはこれ以外のことは全く知らなかった。ただ、道成寺へ到着する直前にバスガイドさんから、「仁王門への石段は『厄落しの石段』と言われています」「参拝が済んだら絵巻物を使った安珍・清姫の法話を聞きます。これはなかなか面白くてお勧めです」と聞かされていた。仁王門への石段を登る。同じパターンが繰り返される場合、tetywestは何故か数を数えたくなる。石段を登るときも無意識に数えてしまった。62段だった。なるほど、それで61の厄を払うわけだ。登り切ったところに朱柱・白壁の仁王門があり、木像の阿(あ)・吽(うん)の金剛力士が配置されている。仁王門をくぐると正面に本堂が見える。境内は平らな山の頂上に広がっている。意外と広い。仁王門の右手に三重塔が建っている。左手はかなり広い砂利を敷き詰めた空間が広がっていて、向こうの端に「大宝殿」という額の懸かった新しい建物がある。本堂の左奥にもう一つ小さなお堂がある。道成寺の主な建物はそれくらいだった。本堂(正面)境内には「安珍・清姫伝説」にちなんだものも見つけることができる。本堂へ向かう右手の植え込みの前に「鐘巻の跡」と書かれた石碑が建てられている。ここで清姫が鐘に巻きついたのだろう。鐘巻の跡そのすぐ隣には、石柱で丸く囲われた場所があり、「安珍塚」という石碑が建っている。その中には2本の枯れた大木と1本の生きた樹が植えられている。立て札には「榁(むろ)の木」とあり、初代の榁の木は約600年間生きた後枯れ、二代目は約400年生きた後枯れたと書かれてあった。初代の木の幹は不思議な形に曲がりくねっている。安珍の苦悩が表われているのかもしれない。2代目になると幹のうねりは少なくなり、3代目の榁(むろ)の木は素直に伸びていた。安珍塚しかしtetywestにとっては、枯れた木が風雨に曝されて400年以上も存在し続けていることの方が驚異だった。3代目の葉っぱをよく見ると、tetywestの地方では「モロダ」と呼ばれている木だった。山に行けば雑木の中にたくさん生えている。クリスマスの時期になると適当な大きさのを切って持ち帰り、クリスマスツリーに使う。しかし、こんな太いモロダはめったにお目にかからない。少なくとも樹齢70年位にはなるだろう。そういえば、モロダは腐りにくいのだ。tetywestの地方では昔から山林の土地の境界はモロダを杭にして打ち込んでいる。本堂の裏へ回ってみると、そちらは境内の外と同じ高さだった。自動車が入れるように道路もある。面白いことに本堂の建物は裏も表と同じように参拝できるように階段があり扉がある。ただし、現在は使われていないようで衝立が立てられて扉が閉まっていた。本堂(裏面)
2003年01月27日
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1月24日午前11時30分。tetywestは道成寺の山門の前にいる。朝の5時半に家を出て、大型バスでトイレ休憩だけを取りながら走ること5時間半、瀬戸大橋を渡り、山陽自動車道、阪和自動車道を通ってようやくたどり着いたのは、和歌山県御坊市にある道成寺だった。参道のすぐ手前にあるレストラン「あんちん」で昼食を摂った後、さっそく道成寺へ向かう。道成寺の参道tetywestが道成寺を訪れたのは今回が初めてだった。参道は思ったより寂れた雰囲気で、土産物屋さんも両脇に10軒程度しかない。「つりがね饅頭はいかがですか」と、どの店からも一斉に呼び止められるのを無視して山門の写真を撮っていると、山門に一番近い土産物屋さんのおばさんから、「こっちも写してくださいよ」と声をかけられた。「何、何?」とついて行くと、山門の石段の前の道路の右側へ案内された。「ここ・・・」と、境内と道路を隔てている石垣を指差す。しかし、tetywestにはおばさんが一体何を見せようとしているのか判らない。「え?、何ですか?」「ヘビ・・・」そう言われて、ようやく気が付いた。おばさんが見せようとしたのは石垣ではなく、その下の水路にいた「ヘビ」だったのだ。水路のヘビもちろん、それは本物の蛇ではない。水路のコンクリートが変色してヘビの形が浮き出ているように見えるだけのことだった。「誰かが描いたの?」「いいえ、擦っていたら出てきたんですよ」ここが道成寺でなかったら、「それがどうしたの?」で終わってしまうようなことなのだが、道成寺の山門の脇にいるヘビには何となく興味をそそられるtetywestだった。-------------------------昨日、紀南の旅から帰ると、香港からcherry-kuroさんのキリ番プレゼントが届いていました。包装だけでも中国の雰囲気いっぱいです。cherry-kuroさんありがとうね♪フカヒレスープ(4人前)、スイカの種、ウーロン茶の豪華3点セット食べるのが楽しみだぁ♪
2003年01月26日
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12 名所 福建省は山紫水明で、きれいな景色に恵まれる。武夷山、鼓浪嶼―万石山、清源山、太姥山、桃源洞、鱗隠石林、金湖、鴛鴦渓、海壇、冠豸山などの国家景色名所9ヶ所があり、国家重点文物保護場所29ヶ所がある。風致地区として、武夷山は有名で、福建省南東の最もきれいな所となり、ここに宋代の朱熹が授業する所と動植物王国と呼ばれる自然保護区がある。将楽玉華洞、泰寧金湖滝も有名である。福建省の名所は鼓山、西湖、馬尾羅星塔などを含む。鼓山は福州東近郊の観光地で、山上の古樹が天まで伸び、有名な涌泉寺、霊源洞摩崖彫刻も山にあり、付近に海壇島浴場がある。福鼎太姥山、ホ田広化寺、九鯉湖も福建省の名所である。福建南部のアモイ、泉州は名所が集中的に分布する地域である。アモイ鼓浪嶼は海上花園と呼ばれ、そこに日光岩鄭成功記念館、菽庄花園がある。アモイ名所は万石植物公園、南普陀寺、集美学村及び付近の金門島太湖榕園、東山島風動石などを含む。泉州市内にイスラム清浄寺と開元双塔、海外交通博物館があり、その付近に清源山石像、古代の有名な橋としての洛陽橋、安平橋、ビ洲島媽祖廟がある。古田会議遺跡、連城冠豸山は福建西部の最も有名な名所で、福建省の十大風致地区の一つである。13 都市と町 福建省は福州、アモイなど23都市、585の鎮を設ける。 福州市:別称は「榕城」。福建省の行政、商工、文化・教育の中心として、中国沿海重点開発港都市で、中国歴史文化名城の一つである。工業は軽工業、機械、電子、化学工業を主とし、人口(ここは都会人口だけ、農村人口と地級市の下の市県の人口が含まれてない)が128万人。特産物は「脱胎」漆器、ジャスミン茶、緑茶、ミカンなどを含み、観光地は鼓山涌泉寺、西湖、馬尾羅星塔、林則徐旧居などを含む。 アモイ市:別称は「鷺」。1989年に創設された中国の有名な経済特区、国家経済と社会発展計画単列市、中国沿海重点開放の港、観光都市の一つである。人口が127万人。工業はいろいろな部門からなり、主に電子、機械、服装、紡績、日用化学工業、軽工業、食品、水産物加工などを含む。特産物は刺繍、人造花などで、観光地は鼓浪嶼、集美鰲園などである。 泉州市:別称は「鯉城」。福建南東沿海経済、文化の中心で、中国歴史文化名城の一つである。宋代と元代の時、全国の最もにぎやかな国内外の商業・貿易センターであった。現在、電子、服装、建材などの工業が揃う。泉州は国際中継深水港を建設している。人口が654万人。泉州は全国の有名な華僑都市である。工芸品は刺繍、木偶など、特産物はリュウガン、蜜漬けなど、観光地は開元寺、清源山風致地区である。 ショウ州市:福建南部の軽工業、商業都市で、食品工業基地である。人口が23万人。特産物は缶詰、蜜漬け、水仙などで、観光地は芝山、南山寺である。 ホ田市:福建東部沿海の華僑都市、有名な工業・商業都市、製糖工業基地である。人口が15万人。特産物は編み細工、彫刻、興化リュウガンなどで、観光地は広化寺、媽祖廟、九鯉湖滝風致地区などである。 三明市:福建中部の新興工業都市で、福建省の鉄鋼、原材料工業基地で、紡績捺染が発達する。人口が20万人。特産物はシイタケ、筍干しなどで、名所は麒麟山公園、万木林である。 南平市:福建中北部、ミン江中流の重要な工業都市と交通中枢である。工業は製紙、電力、冶金、機械などの工業からなる。人口が23万人。特産物は筍干し、シイタケ、観光地は茫蕩山、渓源遊廊などである。 竜岩市:福建西部の重要な都市・交通中心である。工業は巻き煙草、食品、石炭、機械などを含む。人口が24万人。特産物は沈缸酒、筍干しなどである。 寧徳市:福建北東部の中心都市である。工業は食品、建材などからなる。人口が8万人。特産物は海産物、緑茶で、観光地は玉女峰南際寺である。
2003年01月25日
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cjjさんからは福建省についての資料まで送られてきた。1 概況 福建省はミンと略称する。福建省は中国南東沿海にあり、東は台湾省と海を隔てて向かい合い、海岸線が3300キロである。春秋の時代で、福建省はミン越の領地で、秦代は福建省でミン中郡を設け、漢代で福建省は揚州の管轄のもとにあり、唐代は福州、建州の頭文字「福と建」で福建観察使を設け、南宋の時代で福建は1府5州2軍を持つので八ミンといわれ、元の時代で江浙行省福建道となり、その後に省と改称される。現在の面積が12万平方km余りである。福建省は福州、アモイ、三明、ホ田、泉州、ショウ州、南平、竜岩、寧徳など九つの地級市、14の県級市、46の県を所轄する。半数近くの県が既に対外開放された。1979年、中国は福建が対外経済活動で特殊政策を実施するのを承認した後、相次いでアモイ、経済特区、沿海経済開放区を設ける。 2 住民 秦代と漢代前に、福建省は土地が広いが、人口の分布が少ない。宋代後に、人口が激増する。歴史的人物は北宋の時代の書道家―蔡襄(仙遊出身)、南宋の時代の民族英雄―李綱(邵武出身)、明代の思想家―李贄(晋江出身)、清の時代の民族英雄―鄭成功(南安出身)、清水の時代末期の政治家―林則徐(福州出身)、近代の啓発思想家―厳復(ミン侯出身)、労働者運動の指導者―林謙祥(ミン侯出身)、愛国華僑指導者―陳嘉庚(アモイ出身)などの人を含む。福建は中国の主要な華僑故郷で、海外華僑が700万人余り、福建に生活している台湾省の住民が全国の三分の一を占める。ここ数年間、人口の自然成長率が6.3‰である。最近の国勢調査によれば、福建省人口は漢族、満族、ショオ族、ミャオ族、カオシャン族など49の民族からなり、少数民族が1.5%を占める。ショオ族は35万人、全国ショオ族の55%を占める。都市・町人口が21.4%、男女の比率が106.2、労働適齢者が60.4%、子供が31.3%、高齢者が4.7%、文盲率が15.6%を占める。3 地形 福建省は海に臨み、虎頭鼻から宮口港までの海岸線が曲折し、港湾が多く、平潭、金門などの島が1400余りもある。山地と丘陵が80―90%を占め、標高200―500メートルの丘陵が約半分を占める。福建省は「東南山国」と呼ばれる。地形が三つの地域に分けられる。1.福建北部と西部の山岳地帯に武夷山があり、長さが約500キロ、標高が約1000―1500メートルである。福建省と江西省の間にある黄崗山は2157メートル、福建省の最高峰となる。2.福建中部の山岳地帯に戴雲山、博平嶺などがあり、長さが約500キロ、標高が1000メートル以上、山間に沙県盆地、永安盆地などの盆地がある。3.沿海平原は福州平原、興化平原、泉州平原、ショウ州平原などを含み、面積が小さい4 気候 福建のミン江口―竜岩の南北はそれぞれ南亜熱帯湿潤季節風気候、中亜熱帯湿潤季節風気候に属する。北回帰線に隣接し、北西部の山々が冷空気を阻止し、南東に海洋が気候を調節するので、気候が温暖で湿潤である。1月の平均気温は西の6℃から南東の12℃へと増え、7月の平均気温が28―29℃である。無霜期は2月下旬から始まり、10ヶ月間を経て、北西部が9ヶ月間を経て、沿海で通年も霜、雪がない。1日あたりの気温が0℃―10℃を経過する日数がそれぞれ360日余り、260―340日である。年間降水量が1500ミリ前後、沿海で約1000ミリ、武夷山岳地帯と戴雲山山岳地帯で1800ミリ以上となる。3―4に春雨、5月に梅雨、6月後に雷雨、豪雨が降る。農作物の生長期で、沿海の水分剰余量が500ミリ、北西部が1000ミリに達する。福建省は中国の豪雨頻発省で、7―9月に台風に影響される。 5 川と湖 福建省の川の大多数は西部山岳地帯に源を発し、山々を通り、東へ流れ、海に入り、本流と支流が交じり合って網状となる。ミン江の三つの源として、建渓、富屯渓、沙渓は南平で合流し、福州より東部で海に流れ込み、長さが577キロ、流域面積が約全省の半分を占め、福建省の最長の川となる。福建省の第二位の川は九竜江、長さが258キロである。第三位の川は汀江で、長さが260キロ、広東韓江の源の一つである。また、晋江も福建省にある。湖が多くなく、晋江竜湖、福州西湖が有名である 6 資源 福建の自然資源として、山・海の資源が有名である。高地資源が不足するが、相当の茶山、果樹園、林地、耕作できる荒れ地がある。森林被覆率が50.6%、台湾省に次ぎ、全国平均レベルの3.5倍となる。竹林の面積が全国のトップで、中国南方の重要な竹出産省となる。また、山林、生薬の資源も豊富である。明らかにされた鉱物が67種、タングステン、ガラス珪砂など14種の鉱物が全国のトップ5にある。また、地熱場所100ヶ所余りもある。水力資源も豊富だが、利用率がまだまだ1/4以下である。福建の亜熱帯海洋と大陸棚浅海資源が豊富で、近海漁場で、貝類、藻類、海産物の養殖に用いられる沿海砂浜が74万畝である。捕獲価値のある魚、エビ、カニは50種余り、キグチ、タチウオなどを含む。また、貝類、のりも出産する。7 農業 福建亜熱帯山林と海域が広く、多角経営に最適。高地が少なく、水田が81%を占め、多毛作指数が221%である。栽培業、林業、牧畜業、漁業の生産額がそれぞれ45%、8%、22%、25%を占める。食糧の80%が水稲で、次がサツマイモ、大麦、小麦などである。換金作物はサトウキビ、落花生、油茶、ツナソ、乾燥煙草、茶を主とする。福建省は中国五大サトウキビ出産省の一つ、サトウキビ畑が主に福建東部の仙遊付近の沿海にある。茶の収穫量が全国の第二位にあり、茶畑が主に福建北東部に分布する。福建省は中国の木材と竹の生産基地の一つで、また、ロジン、筍の主要な山地である。果物の種類が多く、主にミカン、リュウガン、レイシ、枇杷、バナナ、カンランなどを含む。近海漁場が13.6万平方キロメートル、海産物の捕獲量が全国の第三位にある。8 特産物 福建亜熱帯農林特産物が豊富で、茶が香りをして果物が美味しく、宋代で中国の有名な茶山地である。現在、94%の市・県で茶が栽培される。安渓、福安、福鼎、建陽、建設、建甌が五大茶出産基地である。有名な茶はウーロン茶高級品としての武夷岩茶、安渓鉄観音、福州ジャスミン茶、福鼎と福安のミン紅・白茶などを含む。福建省は果物の里と呼ばれ、ミカン、リュウガン、レイシ、カンラン、枇杷、バナナが有名である。リュウガンは福建の特産果物で、収穫量が全国の半分以上を占め、品種が200種余りに達し、強壮機能が北東の朝鮮人参と匹敵でき、ホ田興化のリュウガンが最も有名である。カンランは昔から福建の有名な果物としてよく知られ、唐の時代で貢ぎ物に入れられ、国外でよく好まれ、華僑によって福果と呼ばれる。福建の海産物は長楽付近のドブガイ、ナメクジウオを含み、農林特産物は建寧の蓮子、ミン筍、シイタケ、白木耳などを含む。ミン筍は宋の時代で貢ぎ物に入れられる。そのうち、冬筍は最も新鮮で、蛋白質と無機質の含有量が豊富で、栄養が豊富なシイタケと共に缶詰に加工され、大量に対外販売される。福建の従来の工芸品は福州「脱胎」漆器、アモイ刺繍、寿山石彫刻、アモイと泉州の木彫刻、平潭貝殻彫刻、ショウ州彩色彫塑、砂陶、徳化陶器、安渓竹編み細工などを含む。そのうち、福州「脱胎」漆器は北京の景泰藍、景徳鎮の陶器と共に中国の「三宝」となる。また、福建蜜漬け、紹興酒、沈缸酒、福建料理もある。9 工業 福建省の従来の工業基礎はその他の沿海の省に劣り、60年代になって、特に改革開放以降に、軽工業を主として(1995年の生産額が総生産の62%を占める)、いろいろな部門からなる工業体系を構築した。工業が工業・農業総生産で占める割合が1952年の26%から1995年の78%まで向上した。沿海工業は軽工業、電子工業、食品、水産物加工を基幹とし、内陸部の工業は鉄鋼、セメント、森林工業、化学工業、紡績工業を基幹とする。福建省の軽工業、製紙工業、森林工業、電子工業が全国で一定の地位を占める。食品工業は福建省の支柱産業で、製糖が全国の第三位にあり、缶詰、製茶工業も全国のトップクラスにある。陶器、プラスチック製品、服装、靴、感光材料なども国内市場で一定の地位を占める。電子工業は技術導入を経て急速に発展する。福建省はまた、水力発電を発展させ、自省の資源を充分に利用し、三明鉄鋼工場、南平アルミ工場など重要な冶金企業及び福州化学工業、青州製紙などの工業を建設する。10 交通 福建省は山が多いため、昔に「福建の道が四川の道より険しい」と言われる。50年代の後、福建省は道路敷設に力を入れ、海上交通も大きく発展した。現在、鉄道の里程が1000キロ余りである。鷹厦鉄道は1957年に竣工し、現在、電気化改造も完成した。泉州―ビ洲、南平―横峰鉄道が既に竣工し、竜梅汕鉄道も建設されている。道路の長さが4.8万キロメートル、路面が敷かれた道路が90%を占め、福州から蘭州、北京、昆明などへの国道は5本に達する。ここ数年間、福建省は福厦道路、福馬道路を改造し、アモイ高集の海上大橋をかける。福泉厦汕高速道路の泉厦区間が既に開通された。福建省の内陸水路が3900キロである。沿海に福厦泉及び東山、白澳、松下など対外開放の港がある。福州、アモイ、ビ洲湾という三つの港は既に建設・改造されている。アモイ国際空港、対外開放の福州空港、武夷山空港は北京、上海、広州、ハルピン、香港などの都市とつながる。アモイはシンガポール、マニラ、クアラルンプール、ジャカルタなど都市への航路を開通した。
2003年01月24日
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アモイへの研修旅行が決まってから、cjjさんとはほとんど毎日のようにメールのやり取りをしている。細かい日程の打ち合わせのためだが、食事やマイクロバスのチャーターなどについての質問にも、丁寧な返事を書いてくれる。そんなことを繰り返して前日までに次のような日程表が完成していた。2月25日 4時 マイカーにて洲本港へ 6時50分 高速船にて関西空港へ 7時39分 関西空港到着 10時40分 全日空957便にて出発 13時30分 廈門着(NH957便) 14時 ホテル 14時30分 鼓浪嶼 15時30分 万石植物園 16時30分 青果市場 18時 歓迎会(主催:福建省農業庁○○局) 19時 市内観光2月26日 8時 ホテルにて朝食後、廈門から出発 10時30分 天馬柑橘場現場視察 12時 天馬柑橘場座談会 12時30分 昼食 13時30分 永春県柑橘市場視察 14時30分 永春県農業局訪問 15時30分 永春県帰り 18時 廈門着 夕食 19時 市内観光2月27日 8時 ホテルにて朝食後、 廈門から出発 9時 泉州市農業科学技術研究所訪問 10時 泉州市農業局泉州市農業局訪問 11時 海外交通博物館 12時 昼食 13時 泉州市青果市場 14時 開元寺、洛陽橋、清源山 16時 イスラム聖墓、イスラム清浄寺 17時30分 夕食 18時30分 泉州から帰り 19時30分 廈門着2月28日 朝食後、市内視察へ 8時 アモイ市農業普及センター 9時 アモイ大学生物学部 10時 南普陀寺 11時 福建省亜熱帯植物研究所果樹研究室 12時 送別会(主催:cjjさん) 12時30分 空港へ 14時20分 帰国(NH958便) 18時10分 関西空港 21時05分 高速船にて洲本へ 21時53分 マイカーにて観音寺へ 0時30分頃 お疲れ様でした如何なものだろう?ポンカン産地への視察を中心に、アモイと泉州の農業関係施設を訪れ、さりげなく観光地をちりばめてある。現地の農業関係者との話し合いの時間も設定されているし、最先端の研究基地であるアモイ大学への訪問まで組み込まれているのだ。これだけの視察研修日程を企画できる専門機関はおそらく日本にはないだろう。具体的なタイムテーブルが完成すると、「いよいよ本当に行くんだなあ」という実感が湧いてくる。
2003年01月23日
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この時点で参加が決まっているのは、部会長、営農課長、販売課長、tetywestの4名と、東果大阪、高松青果の担当、それにJA香川県の園芸部長の3名だった。すでにこれだけで7名だが、果樹部会の役員はあと7名いるのだ。そのうち1名は体調不良のため欠席が確定しているので、残りの競争率は何と2倍になるわけだ。卸売会社の産地担当者をご招待することは、中国への研修旅行の話が具体的に持ち上がる以前から、部会長と販売課長で相談が出来ていたことだった。いわゆる「飴と鞭」で、「マル曽ミカンが高く売れれば、一緒に中国へ行けるかもしれない」という話を匂わせて、今年の販売に気合を入れてもらおうという戦術だったようだ。二人の産地担当者には、すでに営農課長が内々に参加を打診していた。もう一人、園芸部長が参加することになったのにはちょっと長い説明が必要になる。支部の部会の研修旅行に営農経済事業本部から参加者があることは珍しくはない。特に海外研修の場合、同行するのが慣例となっている感がある。海外での研修先との交渉を営農経済事業本部に依頼するために、どうしても誰かが行かざるを得ないという事情があるからだ。しかし、今回は支部の果樹部会がすべての段取りをしているために、今までとはちょっと事情が違う。部会長が招待しない限り本部から参加は出来ないのだ。したがって、園芸部長が参加するということは部会長が指名したということになる。と言うより、実は園芸部長の方から部会長に「一緒に行きたい」という申し出があったのだ。園芸部長はもう何度も中国へ行っている。tetywestが1996年に始めて中国へ行ったのも、園芸部長(当時は課長だった)が視察先の柑橘科学研究所を紹介してくれたのがきっかけだった。(※詳しいことは「世紀末農民的中国紀行」にあります)さらに偶然にも、cjjさんが1998年にtetywestの家に研修に来たとき、その事務局を担当していたのが園芸部長だったのだ。その縁で部長もtetywestと同じように浙江省へミカンの講演に出かけたこともある。そのときcjjさんはずっと一緒に同行してくれたのだ。その後も中国へ行く度に、cjjさんはわざわざホテルまで会いに来てくれたそうだ。そんな経緯があるので、部長にしてみれば今回の旅行は行きたくて仕方がなかった筈だ。cjjさんからもメールで「部長もぜひ一緒に来て下さい」というメッセージが送られて来ていた。tetywestもそのことはわかるので、cjjさんからの旅行の日程についてのメールが届く度に部長に転送して、行きたい気持ちを煽っていたのだ。園芸部長の参加は15日の時点でほぼ内定していたのだが、正式な許可が下りたのは17日だった。部長が参加してくれれば、tetywestにとっては現地での精神的な負担は半分になる。平成15年1月21日(火)午後7時果樹部会の役員会が開催された。①販売情勢と販売結果について②2月の中晩柑集荷日程についてに続いて、③役員研修についての協議に移る。営農課長は全員にツアーのパンフレットと旅行日程表を配って、日程が2月25日からになったことを説明する。その後、tetywestが現地研修の計画がどのようにして作られたのかを説明する。続いて部会長が、「そういうことで、参加者を決定しなければならんのですが、・・・F原さん、どうですか?」「K保さんは?」「S山さん、どうかいな?」と、一人一人に出欠の確認を取りはじめた。定員10名だと知っているtetywestは、固唾を飲んで成り行きを見守っていた。結果は、部会長の読み通り(?)3人ともそれぞれの理由で欠席だった。これで後の全員が出席でもちょうど10名になる。やれやれ、ホッ・・・結局参加者は、果樹部会の役員5名JA香川県園芸部長JA香川県観音寺支部販売部長JA香川県観音寺支部営農部長高松青果、担当者東果大阪、担当者の10名に決まった。
2003年01月22日
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平成15年1月12日(日)午前9時世間では11日から13日までは3連休で仕事をしていないのだが、tetywestは「春見」の収穫をしていた。「そうだ、旅行日程が決まったことを営農課長に報告しておかなければ」と思い出したtetywestは、家内の携帯電話を借りて営農課長に電話をかけた。tetywest:「もしもし、昨日部会長と相談して研修旅行の日程が決まったんやけど、ANAを使うパックは25日しか出発日がないんよ。それで、早めに旅行社にその日程で10人くらい押さえてくれるように段取りしてくれるかな」営農課長:「了解。それやったら早速今から段取りすらい」電話を切って暫く収穫をしていたtetywest、ふと大切なことを言い忘れているのを思い出した。昨夜ツアーを調べていたとき、ホテルは2つのうちから選択できるようになっていた。2つとは、ホリデイ・イン・クラウンプラザ(デラックスクラス) マンダリン(デラックスクラス) なのだが、マンダリンの方が少し値段が高い。予習のつもりで「雅虎中国(yahoo!china)」で2つのホテルを検索してみたところ、安いほうのホリデイ・イン・クラウンプラザ(廈門暇《簡体中国語では日がニンベン》日皇冠海景大酒店)はコンロス島の近くに、マンダリンは空港の近くにあることがわかったのだ。これでは安いホリデイ・イン・クラウンプラザの方がずっと便利がいい。これを営農課長に知らせておかなければ・・・・もう一度家内の携帯電話を借りる。tetywest:「もしもし、さっき言い忘れたんやけど、ホテルは安いほうな。そっちの方が街の中心に近うて便利がええきん」営農課長:「わかった。ほんでな、旅行社が参加名簿を出してくれ言いよるきん、こっちで適当に作って出しとくで」tetywest:「ええっ、もう段取りしよん?」営農課長:「そうよ。しよるで(笑)」これで、旅行の段取りはほぼ完了したわけだ。中国への研修旅行の話が持ち上がってから僅か38時間しか経っていない。平成15年1月15日(水)午後8時この日は午後6時から袋かけミカンの出荷説明会が開かれた。それには部会長、営農課長、販売課長、tetywestも出席していた。説明会が終わって、tetywestは前日にcjjさんから届いたメールを部会長と営農課長に渡した。------------------------------ 先ほど、李さんと連絡しました。ポンカン産地への視察は永春県の天馬柑橘場へ行きます。永春県は中国最大の柑橘輸出基地、一番有名なポンカンの産地、天馬柑橘場は福建省で有名な柑橘場です。規模が大きい、品種が多い、管理水準も高いです。でも、私も行ったことがないです。大学時代から聞きました柑橘場は、皆さんのおかげで、行くことができます。本当にありがとうございます。 8:00 廈門から出発 10:30-- 12:30 天馬柑橘場現場視察 12:30ーー13:30 昼食 13:30ーー14:30 永春県柑橘市場視察 14:30ーー15:30 永春県農業局訪問 18:00 廈門着 お疲れ様------------------------------さすがcjjさんなのだ。視察のツボを憎いほど心得ている。そのとき営農課長から、 ひやっとする話を聞かされた。営農課長:「実はツアーが満杯で、10人だけ予約が取れたんです」tetywest:「tetywestが電話した日に予約したんやろ?」営農課長:「そうや。もし1日遅かったらアウトやったかも知れんで」部会長:「まぁ、最高でも10人のもんやろ。そうなるとあんまり勧誘も出来んなあ・・・」この時点でまだ役員会は開催されていない。正式な参加人数を確定する役員会を2月21日に開くことが決まった。果たして10人以内に収まるのだろうか?(※今夜です)
2003年01月21日
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cjjさんにメールを送ってから、すぐに部会長に電話を入れる。tetywest:「もしもし、tetywestです。視察の方はcjjさんからOKの返事が来たんやけど、実は28日に出発する3泊4日のツアーはないんです。全日空の直行便だと毎週火曜日出発だけしかありません。そうすると2月25日か3月4日ということになるので、cjjさんにそれで良いかどうか今メールを送ったところです。それで、値段は2月だと6万円、3月になると7万7千円になります。どうしましょう?」部会長:「え~、そなに安く行けるんな。そら~、やっぱり2月下旬がええやろなぁ」tetywest:「それでいいんですけど、問題は販売課長です。帰ってきて、1日置いてまた中国ですから」部会長:「そ~よなぁ、ほんだらtetywest君、販売課長に都合を訊いてくれるな?」tetywest:「わかりました。そしたら課長に訊いて、また連絡します」今度は販売課長に電話をかける。tetywest:「もしもし、中国旅行の件やけど、2月25日しか出発日がないんよ。それでええかな?」販売課長:「そ、それは・・・・ええと、青島はいつやった言いよったかいな?」tetywest:「21日から23日の金・土・日やったと思うで」販売課長:「(手帳で確認しているらしい)ほんまじゃ・・・それやったら、向こうで待っちょった方がええがな」tetywest:「そら、そうしてもかまんで(笑)。実は毎週火曜日出発しかツアーがないんよ。ほんだきん、2月25日がいかんのやったら3月4日になるんやけど、そっちは値段が1万7千円高うなるんじゃ」販売課長:「(暫く考えて)ワシ、家で居れんようになるなぁ(笑)・・・25日でええで」これで、tetywestサイドの問題は解決したわけだ。後はcjjさんからの返事を待つばかりだった。11時過ぎにcjjさんから返事が届いた。まったく便利な世の中だ。どきどきしながら開封すると、------------------------------分かりました。出発日はそのどちらでも問題ありません。決まったら、知らせてください。私が皆さんと一緒に泊まったほうが便利です。ですから、tetywestさんで私の部屋を予約してください。でも、李さんのホテルの部屋を予約する必要がないです。------------------------------という内容だった。このメールでほぼ旅行の計画は決まったわけだ。早速部会長に連絡し、cjjさんにも出発が2月25日になったことを伝えた。やっと安心して眠れる。
2003年01月20日
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2月28日に関空を出発するという日程は、販売課長のこともあるのだが、土日を挟んだ方がcjjさんの都合がつき易いだろうと考えたからだ。しかし、インターネットで検索した範囲ではそんなツアーは不可能だった。アモイ(廈門)へは中国の航空会社とANAが直行便を運行しているが、ANAの方が断然便利なのだ。ANAは午前中に関空を出発し、午後にアモイ(廈門)を離れる。中国の航空会社はその逆で午後に関空を出発し、午前中にアモイ(廈門)を離れる時刻表を設定している。同じ3泊4日でも、ANAの方が実際は丸一日余分に滞在できるので、今回の旅行では少々高くても最初からANAを使うつもりだった。cjjさんからメールの返事がくる前に、予習のつもりでインターネットのANAのサイトを覗いてみると、「ANAいいなチャイナキャンペーン」というのがあった。「今、パンダマーク・ロゴが付いているツアーに参加されたお客さまにもれなく『ANAいいなチャイナ3点セット』をプレゼント!」なのだそうだが、そんなことより、そこにアモイ(廈門)があるかどうかの方がよっぽど気がかりだった。どきどきしながら画面をスクロールすると、「おお、あった!ありました。『関空発・廈門3・4・5日間 』」現地の係員がお世話するのは空港とホテルの送迎だけ。あとは全部フリーという、tetywestが希望していた通りの、まさに御あつらえのパックツアーだった。(※「ANAの関空発・廈門3・4・5日間 」のサイトです。)「ね・・・値段は・・・?」出発日と価格表を見比べて見ると、2月出発なら何と59,800円、3月でも77,000円ではないか!「安い!」貧乏なミカン農家にとって、まさにANAが天照大神に思えるような価格設定だ。どういう訳か4日間の方が3日間より安い。「まあ、理由はどうであれ安いにこした事はないぞ」と思いながら、もう少し詳しく日程表を調べていると重大なことを発見した。4日間コースは毎週火曜日しか出発日がないのだ。なぜそうなるかという理由がわかるまでにもう暫く時間がかかった。ANAはアモイへは日曜・火曜・金曜の週3回しか運行していなかったのだ。価格が安いのは、4日間コースは土日を挟まないのであまり人気がないということなのだろう。こうなったらcjjさんに早速日程変更を知らせて、再度了解を取らなければ計画が水の泡になってしまう恐れがある。旅行社との交渉は営農課長の担当なので越権行為になるのだが、おそらく課長もANAを考えているだろうと思ったtetywestは急いでcjjさんにメールを書いた。------------------------------早速ご返事ありがとうございます。cjjさんがいっしょに行動してくれるのなら千人力です。安心しました。視察コースはこの通りで問題ありません。すばらしい計画です。ただし、日程について少し問題があります。アモイへは全日空で行くのですが、4泊のツアーは毎週火曜日に出発するものしかありません(毎日運行していないため)。そうすると出発日は2月25日か3月4日になります。そのどちらかで問題ありませんか?> 聞きたいこと:> 1、ホテルの部屋、シングルとツイン、どちらほうがいい。パックツアーのフリープランを使ったほうが、ホテル代と航空運賃を別々に支払うより安いので、それを使います。ですから、ホテルの予約は日本でします。> 2、飛行機の時間(2月28日と3月3日)http://www.atour.co.jp/kaigai/mokuteki_2/china/17.htmlのパックツアーを使うと思います。(各地→大阪)関空発。全日空957便(10:40予定)にて廈門へ。廈門着(13:30予定)。廈門発。全日空958便(14:30予定)にて関空へ。関空着(18:20予定)。(大阪→各地)となります。cjjさんのホテルの部屋はこちらで追加予約できると思います。李さんのホテルの部屋も必要でしょうか?視察を引き受けていただいて、本当にありがとうございます。tetywest ------------------------------
2003年01月19日
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午前4時10分、ジャンボフェリーが神戸三宮に到着しました。大型トラックの最後尾に付いてフェリーから降りたtetywest、今度は国道2号線をひた走ります。明け方のために交通量は少ないのですが、ううっ、一段と冷たい・・・・高架の手前にある電光掲示板には、「0°C。凍結注意」の文字が光っています。四国と違って道路は2車線、あるいは3車線に拡がり、やたらと信号機が増えました。身分相応に一番左の端の車線をトロトロと走るtetywest。そのうちに気づいたことは、何で、こんなに信号で止まるんやろ・・・・ということでした。信号が青になって3つくらいは順調に青で通過できるのですが、4つ目くらいに必ず直前で赤に変わるのです。そして一人ぼっちで信号が青に変わるのを待ちます。青に変わって走り始めると、やがて後方から長距離トラックの集団がドーッとやってきて、tetywestを追い越していきます。それらがはるか前方に去っていった後、次の信号がまた赤に・・・・結局、日本の信号機は自動車の速度に合わせて時間を設定してあるんです。決して原付自転車ではなく・・・・こんなところで落ちこぼれの悲哀を身に沁みて感じたtetywest、それでも走りを止めるわけにはいきません。西宮駅を過ぎたところで左折、無事171号線に入ることが出来ました。やれやれ、ホッ・・・・後はひたすら京都方面への標識に従って進めばOKです。やっぱり、tetywestは2車線の左側をトロトロと走っていきます。しかし、この時間帯には左車線はやたらと道路工事をしています。工事現場を発見する度に、少し前から右側へ車線変更しなくてはなりません。そこには大型トラックの集団が・・・・鯨に向かって擦り寄っていく鰯になった気分で、ウインカーを出して車線変更を決行!寒さとは違う震えが襲います。171号線に入ってから少なくとも10回はこれを繰り返したでしょうか・・・ようやく見覚えのある場所にたどり着きました。最後の右折をすれば、目的地へ到着です。しかし、tetywestが右側へ車線変更したとたん、恐ろしい勢いで左側を大型トラックが追い越していきます。トラックが通り過ぎた後の風圧で思わずヨロヨロとしてしまうtetywestの原チャリ・・・・焦ったために右折しなければならない交差点を通り過ぎてしまいました。仕方がないので、道路の中央で右折のウインカーを出したまま前からの車が途切れるのを待ちます。前方から2車線いっぱいにやってくる大型トラックの群れ!あたりは真っ暗です。tetywestの存在を知らせる唯一の頼りは原チャリのライトと点滅するウインカーだけ。こちらは生身の身体です、もしぶつかったらひとたまりもありません。tetywestの命も、ここで終わりかもしれない・・・・ふっとそんな不安が頭をよぎりました。しかし、何とかトラックはtetywestを避けてくれ、対向車線は右折可能な状態になりました。命からがら裏道を走って戻り、目的地の玄関に到着したのは午前6時でした。安心すると同時に、忘れていた感覚が一度に蘇ります。ううっ、凍える!インターホンで原チャリが届いたことを告げ、依頼主の女性の部屋に入ります。そのとき出してくれたホットココアの美味しかったこと・・・・まさに「地獄で仏」ではなく「地獄でホットココア」でした(さぶ~・・・・苦笑)。こうして「運び屋tetywest」は無事ミッションを終了しました。そして冒頭の豪華ランチへと場面は移ります。勘の鋭い方はもうおわかりかと思いますが、いっしょに昼食を摂った若い女性はtetywestの娘です(笑)。なぜ中華料理かというと、cherry-kuroさんのキリ番プレゼントでフカヒレスープを送っていただけることになったのですが、長いことそんなご馳走を食べたことがなかったtetywestはすっかりその味を忘れていたのでした。そして、大阪の北の方で「仁尾ナンバー」の原チャリを発見したら、それはおそらくtetywestが運んだものです。---チャンチャン---
2003年01月18日
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tetywestは、今日(17日)の昼食を、大阪は千里中央のセルシー5階にある中華街で摂っている。店の名は御馥(イーフー)、中華街でも最高級の店だ。tetywestの向かいには若い女性が座っている。二人が食べている料理はフカヒレスープ、海老とホタテのチリソース和え、酢豚、チャーハン、点心、etc・・・そして最後のデザートに杏仁豆腐という豪華なランチコース。一品一品、吟味された料理が最高の状態で運ばれてくる。向かいに座っている女性はその料理の美味しさにうっとりと酔いしれ、そして食事に誘ったtetywestに感謝のこもった微笑を返している。突然、ハードボイルドなスパイ小説もどきのタイトルと情景描写にびっくりされた方もいらっしゃることでしょう。でも、このような「非日常」的なこともたまにはtetywestにも起こります。実はtetywest、昨夜cherry-kuroさんの8000番のキリ番をゲットした後で大阪へ向かったのです。自家用車で?夜行バスで?いいえ、原動機付自転車・・・・いわゆる「原チャリ」に乗って・・・。昨夜はたいそう冷え込みそうな予報だったために、あらゆる防寒対策を考えたtetywest。靴下は2枚重ね、ジーンズの下にはタイツをはき、シャツとセーターの間には西安で仕入れた皮のチョッキを着込み、その上にさらにジャンバーを着ました。首にはマフラーを巻いて、手袋はこれも皮手袋を2枚重ねて、最後は風防付のヘルメットを被ります。背中にホッカイロを貼るのも忘れません。まずは高松のフェリー乗り場へ向かって颯爽と走り出したtetywest。どうも日常に自動車を運転しているのと感覚が違います。もちろん風を直接体に受けるために寒さも感じるのですが、それより何より、とにかく、遅い・・・・原チャリは法定制限速度が30キロですから、同じ距離を走るのに自動車の2倍は時間がかかりそうです。これで、大阪までほんまにたどり着けるんやろか・・・・一抹の不安がtetywestの頭をよぎります。しかし走り始めて10分もすると、そんな考えはすっかりどこかへ行ってしまい、頭の中を占領しているのは、寒い!冷たい!凍える!の3つのフレーズだけでした。麻痺した指に感覚を取り戻すために、信号待ちの度に手袋をこすり合わせながら、ようやく丸亀を過ぎたあたりで時間をチェックすると、はや1時間が経過。え~、まだ丸亀やでぇ・・・ううっ、先はそうとう長い・・・・ひたすら走ること2時間余りで、ようやくジャンボフェリーの乗り場に到着。そこで一番にやったことは、トイレへ駆け込むことでした(笑)
2003年01月17日
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平成15年1月11日(土)cjjさんから返事のメールがきたのを確認したのは午後9時半過ぎだった。------------------------------tetywest様研修旅行が決まりまして、よかった、嬉しいです。早速李さんと連絡しました、李さんも喜んで、「ポンカン産地への視察は私に任せてください」と言いました。省の○○科の科長として、ポンカン産地の責任者と連絡します。視察のコースは後で知らせます。もちろん、私は3日間一緒に行動します。2月28日(金曜日) アモイ市内の視察と観光(鼓浪島、青果市場、市内観光) 3月1日(土曜日) ポンカンの産地へ視察3月2日(日曜日) 泉州市の研修と観光(泉州市農業科学技術研究所、青果市場、開元寺、洛陽橋、海交館、清源山、聖墓、市内観光)3月3日(火曜日) アモイ市内の視察と観光(アモイ市農業普及センター、アモイ大学、南普陀寺)聞きたいこと:1、ホテルの部屋、シングルとツイン、どちらのほうがいい。2、飛行機の時間(2月28日と3月3日)------------------------------このメールを読んだ時のtetywestの喜びは大変なものだった。中国で何かをするとき誰を紹介してもらえるかがとても重要だということは、ある程度中国を知っている人なら感じたことがあるだろう。cjjさんが紹介してくれた李さんは、いわば果樹関係のエリート官僚なのだ。おまけにcjjさんとは友人で、実はtetywestもお会いしたことがある。李さんが請合ってくれたのなら、他の誰よりも心強い。これで、今回の研修旅行の一番の目的であるポンカン産地の視察はほぼ完璧に達成できるだろう。さらにtetywestを喜ばせたのは、泉州市の視察で「泉州市農業科学技術研究所」と「青果市場」が、アモイ市内の視察に「青果市場」、「アモイ市農業普及センター」、「アモイ大学」が組み込まれていたことだった。日本の専門機関に依頼しても、ここまでコネクションのあるところはおそらく皆無だろう。そして、何より嬉しかったのは「もちろん、私は3日間一緒に行動します。」という一行だった。cjjさんの日本語能力にはtetywestも舌を巻いている。こんな最高の「通訳」兼「案内者」はどこを探してもいるわけがない。ところが、このメールを受け取った時点でtetywest側に問題がひとつ発生していた。それは2月28日に関空を出発する3泊4日のツアーがどこにもないということだった。
2003年01月16日
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cjjさんとtetywestの出会いは1998年だった。cjjさんは農業研修生として1年間日本の農業を勉強するために来日し、tetywestの家にも研修に来た。最初からものすごく上手い日本語を話した上に、読書家で知識も驚くほど豊富だった。一緒に農作業をしながらtetywestは日本の、cjjさんは中国の歴史や文化や政治や経済のことを話し合ったものだ。たとえばtetywestが夏目漱石が好きだという話題になったとき、「漱石という名前は中国にもあります。これは昔の中国の『漱石枕流』という故事です」と、晋の孫楚が「石に枕し流れに漱(くちすす)ぐ」と言うべきところを「石に漱ぎ流れに枕す」と言い誤ったのを指摘されて、「石に漱ぐ」は歯を磨くことで「流れに枕す」は耳を洗うことだと言い張り、その通り実行したという故事を教えてもらった。おまけに「さすが」という語に「流石」の字をあてたのもこの故事に由来するということまで知っていた。これにはtetywestも「参った!」と言わざるを得ない。cjjさんは福建省出身で、来日前は福建省南平市の農業局・経済作物課の課長だった。経済作物課とは、ミカンやお茶、たとえば武夷山の岩茶は銘茶として日本でも有名だが、そんな産業の指導をしている課である。「中国では、仕事が始まるとまずお茶を飲んで、次に新聞を読みます」「私の課には200人いますが、日本人くらい仕事をすれば20人で十分です」と言うような会話をしたこともあった。そんなわけで、cjjさんはtetywestがどんなミカンを作っているかは全て知っているし、tetywestがどんなことに興味があり、どんな生活をしているかも知っている。1999年にtetywestが中国へ行ってミカンの講義をしたのも、当時は日本にいたcjjさんが計画したことだった。(※そのことは「中国農業研修旅行日記 」の後半にあります。興味のある方はどうぞ)帰国後、cjjさんは公開選抜で80倍の難関を潜り抜け、今は建陽市でもっとすごい地位に就いて仕事をしている。もう毎朝の最初の仕事はお茶を飲むことではないだろう。そのように多忙になっても時々メールでtetywestに近況を知らせてくれていた。そんなcjjさんが日本にいたとき、tetywestはcjjさんから「先生」と呼ばれていたのだ。中国の「先生」は日本の「先生」とは若干用法が違って、文字通り目上の人に対する「○○さん」程度の敬称なのだが、ともあれ儒教の国、中国の人なら「先生」から頼まれたことは、たとえ無理を承知でも引き受けざるを得ないだろう。tetywestが部会長から研修の日程を任されたのには、そういう事情があったのだ。
2003年01月15日
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メールを書くといっても中国語ができないtetywestは日本語で書く。すると中国の友人から同じく日本語で返事が来る。tetywestにとっては簡単な作業だが、中国の友人にとっては大変な作業だろうといつも思う。この友人については後で触れる機会があると思うので、ここでは単に「cjjさん」としておこう。tetywestが書いたメールは次のようなものだった。------------------------------こんばんは、tetywestです。 今、役員会から帰ってきました。本日の役員会で中国のアモイ(廈門)へ研修旅行に行くことがが決まりました。しかし、部会長は中国へ行ったことはありません。それで、視察の計画は私に任されました。私もアモイは良くわかりません。頼りになるのはcjjさんだけです。基本計画は2月28日(金曜日)~3月3日(火曜日)の3泊4日アモイ(廈門)へ関西空港から直行便で到着します。ホテルはアモイ(廈門)市内で取ります。参加人数は10名程度です。1日はポンカンの産地へ視察します。1日はアモイ(廈門)市内の視察と観光をします。1日は泉州市の研修と観光をします。そこで相談なのですが、cjjさんに視察と観光のコースの決定をしてもらえますか?たとえばポンカンの産地で研修するためには、cjjさんの紹介があったほうがより有意義な研修ができると思います。もしできれば3日間一緒に行動してくれれば、私たちにとっては最高の旅行ができると思います。もちろん、cjjさんの都合が悪ければ紹介だけでもOKです。それから、日程も、もしcjjさんや視察先で案内してくださる方の都合が悪ければもう少し遅くなるのは問題ありません。以上がおおまかな私の計画です。これについて、問題点や質問などがあれば、遠慮なく教えてください。それでは、返事を待っています。------------------------------ひじょうにムシのいい話である。簡単に言えば、「tetywestたちは何もわからないから全部cjjさんにやって欲しい」ということなのだ。研修旅行というのは、一般の観光旅行と少し趣を異にしている。普通の観光客は滅多に行かないところへ行く。その研修先の選定の良し悪しによって、旅行の成否が決まると言っても過言ではないだろう。従って外国への研修旅行を企画する場合、専門の機関を通して紹介をお願いするのが一般的だ。そのためには煩雑な書類のやりとりが必要になり、決定するまでにかなりの日数を要する。また、現地での通訳も専門用語が理解できなければならない。そうなれば当然旅行代金は割高になる。ところがtetywestたちは、あと1ヶ月半後に、それも一番安いパックツアーのフリープランを使ってアモイ(廈門)へミカンの研修に行こうとしているのだ。メンバーの中にアモイ(廈門)へ行ったことがある者はおろか、中国語を話せる者も一人もいない。世間ではこれを称して「無謀な計画」と言う。その「無謀な計画」を可能にするキー・パーソンがcjjさんなのだ。
2003年01月14日
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昔、筒井康孝が書いた小説に「農協月へ行く」というのがあった。70年代に土地を売ってにわか成金になった農家のオッサン連中が、金に糸目をつけずに海外旅行をしまくり、大いにひんしゅくを買った時代を風刺したものだったような気がする。そして時は流れて21世紀・・・去年書いた「農協さんの旅」に引き続き、tetywestがHPに掲載する農協旅行シリーズ第2弾の題名はズバリ!「果樹部会、中国へ行く」である。しかし今の農村は、長引く不況の影響をもろにかぶり、農家の収入はさっぱりで、後継者もいない老齢化社会となっている。嗚呼、祇園精舎の鐘の音、諸行無常の響きあり・・・ただ、この旅行はまだ実施されていない。これから行われる予定なのである。「ルーヂャ第3号」で誤魔化していたtetywestの日記も昨日で終わり、もう次の企画を考えなくてはならなくなった。そんなときにJA果樹部会の役員による中国研修旅行の話がタイミングよく沸いてきたのだ。これをネタにしない手はない。「どうせ書くなら、計画段階から書いてしまえ」というわけである。平成15年1月10日(金)午後6:00~新しい年が始まって最初のJA果樹部会が開かれた。ミカンの価格は期待していたほど上がらず、重苦しい雰囲気の役員会だった。販売情勢報告と結果、袋かけミカンの集荷についての検討が終わったあとで、部会長が次のように切り出した。「我々役員も、今年度で3年の任期を終了することになります。来年度からは新体制での果樹部会の一段の飛躍を期待するわけでありますが、ミカンを取り巻く情勢はかつてないほど厳しくなったなあと感じています。国内の産地間競争だけでなく、特にこれからは中国からの輸入も視野に入れた産地の対応が必要ではないかと思います。実際、野菜やイチゴは中国や韓国との競争になっているのが現状なのです」「そこで、我々役員の最後の研修旅行として中国のミカンの現状を視察に行くことを提案したいと思います」JA果樹部会の役員は全部で9名いる。そのうち2名が都合が悪く欠席だった。役員の中にはこの提案に不服な人もいることは確かなのだが反論らしきものもなかった。結論としては、まず具体的な日程や研修場所を含む計画を作り、再度役員会に諮ることになった。さて、会議が終わったあと残ったのは、部会長、販売課長、営農課長、tetywestである。このメンバーは「市場回り」でも一緒に行動している。そのときに部会長から内々にこの話を聞かされていたのだ。部会長:「ワシは中国のことはさっぱりわからんきん、後の計画はA藤君、おまえがやってくれよ」営農課長:「まず問題は、いつ行くかじゃわなぁ」部会長:「一番ええのは2月の下旬じゃ」営農課長:「そうすると、(販売)課長はいつが都合悪い言いよったんかいな?」販売課長:「ちょっと待ってよ・・・(手帳を取り出して)・・・21日から23日は外してよ」ここにいる全員が、販売課長はその期間に中国の青島へ行くのを知っている。それは果樹部会とは別のグループの旅行なのだが、そちらもどうしても抜けることができない販売課長は1ヶ月に2回も中国へ行くことになる。そのことも考慮して、出発は次の週、つまり2月28日からにしようと決まった。次に研修場所を含む現地での日程だが、これはtetywestに任された。tetywest:「産地視察に丸1日必要なことを考えると、2泊3日ではちょっときついと思います。3泊4日は欲しいわなぁ」部会長:「よっしゃ、ほんだらそれで行こう。A藤君は旅行会社とツアーの交渉を、tetywest君は中国での研修日程をそれぞれ頼むぜ」帰宅すると早速中国の友人にメールを書くtetywestだった。
2003年01月13日
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編集後記◆町議会、農業委員会、ほんまにコレデイインカイ?最近、仁尾の住民であることが恥ずかしく思えてきたのは私だけだろうか。 (正義のパンチ)◆神さまがいて「おまえの帰りたい日に一日だけ帰してやろう」と言われたら、貴方はいつのどんな日に帰りたいだろう。私は子供の頃のあの夏の日。そう、昼まで目一杯川遊びをして昼寝をしていたら夕立がきて、上がったあと涼しくなり虹がかかる。おふくろが井戸に冷やしていたスイカを切ってくれて兄貴と縁側で種を飛ばしながらかじり、そしてぼんやり虹を眺める。あの遠い遠い悲しいほど遠い夏の日の自分に会いたい。 (吉田恥骨)◆ファミリープール、プライベートビーチ有り。サウナの代わりにハウスみかんちぎっていい汗かきませんか。ダイエットと高収入、一石二鳥。いよいよ明日から収穫開始。 (みかんのサド)◆建設現場で働く女性を見かけるなど、男性の仕事を女性がこなすようになってきた。はたして女性の仕事を男性がこなせるだろうか?一日の仕事の後での家事、育児、ただただ我が妻に感謝。今宵は花でも買って帰ろうか。 (あー筆不精)◆古代土器から米が発見された。これは人類に対しての警告ではないだろうか。昔から食料を作る行為は人が生きてゆくための一番に大事なことであった。日本の歴史の中で今ほど食料の豊富な時代はないが、農地はどんどん荒廃していく。もし輸入食料が止まったら、肥料農薬が止まったら、世界的な異常気象が起こったら、身体の肥満した、心の栄養失調である日本人はどうするだろう。 (YYガヤガヤ)◆女性を口説くときのコツ。情熱的に積極的に攻めた後で、すうっっと引いてしばらくおとなしくして、相手をじらす。・・・というわけで、とことんじらしてルーヂャ3号できました。けなげに待ってくれた今治の彼女、心配して何度も電話をくれた高知のマダム、愛読して下さっている町内外の皆さん、空腹は最大の調味料なのよン。 (尾骨)◆むかし山崎宗鑑が、どんな発句にでもくっつく下の句は「それにつけても カネの欲しさよ」だと言ったそうだ。しかし現代では「カネ」より「ヒマ」の方がかえって皮肉っぽいかもしれない。「無理させて・無理をするなと・無理を言い・それにつけても・・・・」と言いつつ本心は「ハードディスクを買う金が欲しいヨー」 (Y・T)1993年5月21日発行通巻第3号 ’93 春企画・編集 世紀末農民倶楽部※ 1部100円のカンパをお願いします
2003年01月12日
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かんおんじにたまがやってくる’89年にテレビ番組「いかすバンド天国」(通称イカ天)に登場、アッという間に5週勝ち抜き「グランドイカ天キング」に。’90年5月「さよなら人類」でデビュー、いきなりチャート1位を獲得、続いて7月にアルバム「サンダル」を発売する。そしてなんとその年12月NHK紅白歌合戦に出場、日本ゴールドディスク大賞新人賞の快進撃。’91年1月セカンドアルバム「きゃべつ」を発表。’92年3月、敬愛する友部正人との共作アルバム「けらいのひとりもいない王様/友部正人&たま」発表、同名のツアーを行い、音楽的評価を決定的なものにする。最近では4作目のアルバム「犬の約束」を制作、日本中の話題を集める。他にも、NHKみんなの歌、ファミコンソフトCMソングにも登場し、ちびっこにも大人気!4人全員それぞれ作詞、作曲、うたを担当。♪ たまから観音寺のみなさんへ ♪ 「四国どこでもツアー」はなにしろ、車1台にメンバー・スタッフの定員いっぱい、楽器・荷物ギューギューの旅ですので、とてもその道のりがわかりやすいわけです。 今回のツアーは、普段、観光旅行でもなかなか回れない土地ばかり行くので、すごくワクワクしています。全国の大都市ばかりだとどうしても同じ様な町並みに同じ様なホールなので、自分がどこにいるのかわからなくなってしまうことがあります。でも今回はきっとそんな事はないでしょう。そしてお客さんも、たまの熱烈なファンというより、「なーんか、へんな音楽やんりょるバンドが来るけん見にいかんかー」というようなオッサンやオバハンなど老若男女が来てくれると思うので、どんな反応をしてくれるかすごく楽しみです。なんだかエピソードが沢山できる旅になる予感がします。観音寺の皆さん、待っていて下さい。- 農業で遊ぼ! -稲刈り間ぢかな9月の夜。ホンマは田んぼの真ん中でやりたかったんやけど、しょうがないの~いつもはレタスを山ほど出荷しよる集荷場でトラックの荷台をステージに!「『たま』っちゃ何や?」「どひゃー、おまえ、『たま』も知らんのか」などと言いながら、若い百姓が寄り集まって、段取りしたコンサートじゃ!!どこっちゃにない、おもっしょい、うまたげーなもんにしようと思っとります。ゴキョウリョク ヨロシク オネガイ イタシマス -★ JA観音寺 青壮年部一同 ★-
2003年01月11日
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表紙の言葉絵金 斧定九郎絵金はどんな顔をしていたのかお釜の声 声 声絵金さん 悪趣味だけどかっこいい瞬間よ 瞬間ねあの瞬間 この瞬間 死ぬ瞬間 いく瞬間舌が歯ぐきとからまって 視線が激しく波を打つ俗世に向かってつばを吐き 陰部の内で血が光るそれにしても どういうわけか高知の空は青いのね赤岡の空は青いのねたずねびと弘瀬金蔵 一七〇才こめかみに罪人の焼き印あり右手不自由 左手にて画筆を持つ明治九年 雀七という偽名で死んだふりをするその後消息なし 失踪時の服装 猿股一つ 好きなもの 青空嫌いなもの ほとばしる血 (チコ・マグダレナ)第3号表紙
2003年01月10日
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【連載】曽保みかん百年史(第2回)黎明期(明治)の巻 年も改まって平成五年になったらおらもまた一つ年をとってしもた。次第に昔の事は物覚えが悪なってくるきに、七宝出荷組合が出来る前の曽保でミカンが植えられた最初の頃の話をしようかいの。 曽保にミカンが植えられたのは明治二十三年と言う事になっとるが、実は江戸時代からミカンは植えられとった。ただし、屋敷の庭先に一、二本植わっとるようなもんで、秋になると子供らが勝手に取って食べよった。主に酸っぱくて皮の薄い紅ミカンや小粒で黄色いコージミカンやった。温州ミカンもあったのう。これらは本山市あたりで苗木を買うて来て植えたもんじゃろう。 ミカンを作る前の曽保の畑は麦やさつまいもや大豆、野菜を作っとったんじゃが、ミカンの苗を植えたからと言うてすぐに実が成るわけでもないので、やはりミカンの間に麦や野菜を作っとった。ところが明治二十三年にトウガラシを、また明治三十五年頃に除虫菊をどちらも仁尾が県下で最初に栽培し始め、これが結構すぐに金になった。それでミカンの苗木を植えたら間作にはトウガラシか除虫菊を植えるのが当時のミカン作りの常識になっとった。仁尾のトウガラシは辛いので有名になり、アメリカへ輸出されよった時期もあるほどよ。除虫菊も昭和四十年頃までは作られとったのう。 話がそれてしもたんで元に戻そ。多吉つぁんが何で売るためにミカンを作ろうと思たのかは直接聞いとらんのでこれは想像やが、昔は伊勢講といってクジで当たった者がお伊勢様に詣ってお札をもろて帰り、講の連中を招待してお客をする風習があったんじゃ。その道中に紀州のミカン畑があるわな。あの辺の景色は何となく曽保に似たところがあるんじゃ。その山一面がミカン畑なのを見て多吉つぁんは曽保でミカンを作ろうと思い立ったんではないかの。 多吉つぁんが三十一歳の時、紀州からミカンの苗木を取り寄せて屋敷の東側へ二反ほど植えたのが曽保のミカン栽培の始まりとなった訳じゃ。その後親戚を中心に次第にミカンの栽培が増えていったんじゃが、明治四十年頃になると詫間の幸田の森重之丞という人が盛んにミカンがいいと勧めて、自分で苗木を斡旋したりした。仁尾の村長の浪越鷹太郎はんもミカンを仁尾の特産物にしようと頑張ったので曽保と片山を中心にミカン畑の開墾がぐんと増えたんじゃ。 県の方では明治四十一年に「勧業振興七ヶ年計画」を作り、「花崗岩土壌へはモモを、安山岩土壌へはミカンを」という事で当時県下で二百町あったミカン畑を五百町にすることになった。その時初めて県農事試験場に柑橘試験地を作る事や、各郡に指定果樹園を設置したり、そのために果樹専任職員を置く事。県の農会で果樹の苗木を養成して半額で配る事が決まった。また明治四十三年には香川県果物同業組合が作られて、翌年多吉つぁんは第四回四国果物品評回で一等になっとるんじゃ。この賞状は今度できた「みかんの里」の展示コーナーに飾ってある。多吉つぁんは曽保のミカンの先駆者だけでなく、県のミカンの先駆者でもあったというのが、この辺の経緯でようわかるじゃろ。 明治という時代は国民みんなが新しい時代が来た事を喜んで、一人一人が一生懸命努力する事が国の為になると信じられる時代やったのう。ミカン畑の開墾はえらい仕事やったが、それだけ米を作れる田圃と同じ値打ちの土地が広がる訳じゃから自分の収入は増えるし富国強兵の明治の政策にも貢献する事になる。特に明治二十七年の日清戦争の後は国の事情も良うなって生活が安定してきたから、ミカンのようなぜいたく品が売れる状況が作られたんじゃと思うのう。そういう時代の流れを読んだのかどうか、とにかく多吉つぁんという人は偉かったという他ないのう。 さて、明治時代の話はこれくらいにして次回は大正時代のことでも聞いてもらおうかいの。この頃日枝神社の下はトンネル工事で騒がしゅうなっとるきん、おらもそろそろ寝んといかん。ほんだらおやすみ。
2003年01月09日
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国栄えて山河無し ゲロゲロの鬼太郎 「米の輸入自由化反対」テレビで新聞で国会でここ二・三年かまびすしい、夏には東京で農業サミットが開かれ、そこでも「反対」と書いた鉢巻を締めた農民が拳を振り上げ気勢をあげるのでしょう。そしてまた農民の声も虚しく米は輸入されるのだろう、既成の事実として。農民は些少の補助金と称する麻薬を貰い、そして農民の側に立ったと自分だけ思っている有識者と称する偽善者は次の標的(獲物)を探し、したり顔でマスコミに登場しまたまたクサイ芝居をうつ、そして二・三年の月日が流れカリフォルニア米だろうがコシヒカリだろうがおかまいなしに人々は食う。以前からそうしていた様に。それでも農業は残るのだ、草深い片田舎にも農業を愛する若者は残るのだ。少数でもいい、いや少数でいい、本物だけ残れば先人の苦労は報われるのだ。 米の輸入自由化問題は、はたして生産者の問題だろうか?経営が成り立たなくても自分で食べる米は自分で作るだろう。機械化で省力化され土地もあるのだし、会社に勤め収入を確保しつつ兼業化すればいいのだ。問題になるのは消費者と農協と国ではないだろうか。ポストハーベストと言われている農薬づけの米を残留農薬の規制を緩めて安全と偽り食べさせられる消費者だ。組合員が減り経営が苦しくなる農協だ(多角経営だから大丈夫か?)。第一種農業を放棄して他に仕事を求める農民を雇い「最低限度の生活を営む権利を有する」と憲法に詠っている以上、不景気で仕事がなければ生活保護を与えても守らなければならない日本国だ。そう思いませんか? それを何を感違いしたのか「国土保全上水田は必要だ」などと高尚なおよそ農民らしからぬ理屈を振り回すから話はややこしい。環境保全を言うなら、ゴミは出せぬし車にも乗れぬ、立ちションも出来なきゃタバコも吸えぬ。農民が理屈をいっても政治屋(政治家ではない)の先生は東大出のもっと頭のいい人間を使ってそれ以上の論陣を張る。そして「国際競争に打ち勝つ足腰の強い農業を君達めざしなさい」などとのたまうのだ。 今本当に農業を愛している心優しい足腰が弱いと言われた農民は静かに、しかし力強くこう言いましょう。親の後釜に座り土下座までして政界に出、入ったとたんふんぞり返る先生と呼ばれる人達に「イヤなものはイヤなんじゃい」もっとシンプルに「ふざけるな」と。儲らなくてもいいじゃないですか、好きで始めた百姓でしょう、もっと誇りをもって農業をやりましょうよ。貴方達は二千年の歴史を持つ瑞穂の国の防人なのです。八百万の神々だって見捨てるものですか。
2003年01月08日
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ペシミストのひとりごと (第1回) スパイス・ミー 映画なんて、心で観て心が揺さぶられればそれでよいと思うのですが、その想いを共有できたらそれもまた、おつなものです。 愛と名のつくものにもいろいろありますが、今回ルーヂャにふさわしい(?)映画二本を紹介します。ゲイという言葉に少し抵抗のある人へ、目からウロコが落ちます。 まず一本目は「蜘蛛女のキス」という作品で、主演男優がオスカーにノミネートされたりしているから知っている人も多いと思いますが、ブエノスアイレスの刑務所の中で生まれるテロリストとホモセクシュアルの性を越えた愛物語です。ほとんど二人の会話で構成されているのですが、監房という密室状態で相反する人間(思考人対感覚人、異性愛者対同性愛者、ラディカリズム対コンサーヴァティズム等)が、互いに異質なものを感じ、罵り、罵られ、傷つき、考える。早くここを出て愛する母と暮らしたい、そのためには・・・。愛と背信その狭間で苦悩するモリーナ。イデオロギーのために自分自身をも抑圧しなければならない苦しみ、そして自分の内にあるブルジョア性に苛立ちをおぼえるバレンティン。そんな二人の共「抑圧された孤独」。無数の対立をモリーナの語る映画にうまくからませ、互いを認め合い、歩みよる心理描写がすばらしい。モリーナが出所し、窓辺に腰掛けバレンティンのいる刑務所の空を望んでいるシーンはあまりに切ない。 不器用だけど真撃なモリーナへ、オーデンの詩の一節を贈ります。 --同じ深さだけ愛し合うのが無理ならば、 私は愛されるよりもなお深く愛するものでありたい-- 湿っぽくなりましたが、二本目は「トーチソング・トリロジー」というコミカルタッチの作品ですが、涙が止まらないのは私だけではないはず。主人公を演じている俳優が実はこの作品の作者で、彼の半自伝的ストーリーです。アーノルドの声がすごく魅力的で、トム・ウェイツばりの歌声でトーチソング(安っぽいラヴソング)を歌うのですが、なかなかの聴き物です。この作品にはステキなセリフがたくさんあるのですが、やはり盛り上がりは何と言ってもアーノルドが観客に話しかける場面との母親のやりとりでしょう。母親が息子(?)に最後に言ったセリフなんて、まあ、お母さん!よく騒ぎ立てましたが、最後はうまくまとめてまんな、と感心しました。ちなみに、私は服屋でアランが告白するシーンでアーノルドが言ったセリフも好きです。 最後にこの二作品は、ラヴストーリーにホモセクシュアルというエッセンスを数滴入れていますが、そのエッセンスの持つめずらしさ故にステキな作品だと思いたくないし、思っていません。逆にそのエッセンスを加えたことによって、より愛という語意の本質をついている気がします。それは人間が人間を愛するということ。その苦しみ、悲しみ、誇り、喜びの積み重ねが人により深い愛情を注ぐことのできることを・・・(悟りきったような文だ)。 数年前、公開前から評判だった愛という言葉が踊っている「ゴースト」や「オールウェイズ」を観て、ふ~んこんなもんかあ、で終わってしまった私って、やっぱりヘン?
2003年01月07日
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【連載エッセイ】誰が為に金は成る (第3回) 平 民永 イナカには文化的な施設がない。図書館がない。音楽ホールがない。美術館がない。スポーツ施設がない。ないないない。イナカには娯楽施設がない。遊園地がない。動物園がない。パチンコ屋がない。ないないない。イナカには勤め先がない。企業がない。電車がない。ないないない。ないないないと言って補助金もらって作ったところでイナカには美術館は維持できない。それは日常必須のものではないからだ。都会になくてイナカにあるものだっていっぱいあるのだ。イナカにはうまい水と空気がある。田圃がある。畑がある。緑がある。スペースがある。安い土地がある。人情がある。役場がある。イナカの人間はたまには都会へ行くといいと思う。前回も書いたようにカルチャーショックを受けて、自分の文化を再認識できるからだ。この春東京へ行った。山の手線では通勤ラッシュの時には座席が収納できる電車が走っていた。全員立って乗ればそれだけ多く詰め込む事が出来るという発想だ。平均通勤時間は片道一時間半以上で一日の八分の一はラッシュの中で過ごしている。もし今一戸建てのマイホームを持ちたいと思えば通勤時間も二時間に近くなる。そのマイホームも4LDKあれば贅沢なのだそうだが4LDKとは家族四人が一部屋ずつ取れば残りは台所兼居間のみという事になる。応接室も座敷もあったものではない。その購入価格は平均四千八百万円。これを四十年で払うとすると年百二十万円になる。しかし無利子で貸してくれるところはないからざっと見積もっても二百万円くらいは必要だ。東京では八時間の労働と一時間の休憩と三時間の通勤で一日十二時間は会社のために使っている。八時間寝て二時間は風呂や食事に使えば残っているのはたった二時間だけなのだ。残業をすればこの二時間も見事に使いきってしまう。全国の平均勤労実収入は一戸当たり六百五十万円ぐらいだが、イナカの会社は給料が安くてこき使われるようでも、平均より年間で百万円ぐらい安くてトントンという勘定になる。そのうえ通勤ラッシュがなくて、住んでる家は応接間、座敷、離れ付きの8LDKとくればこれは東京より格段にリッチな生活という事になる。農家は後継者がいないとよく言われる。確かに収入が少ないのは大きな原因かも知れない。しかし一日三時間も通勤しなくてもいいから自由時間は一日五時間になる。またバブル崩壊後の景気の後退で中間管理職のクビが危うくなっているが農家には定年もなければクビもない。農家の後継者を農業をしたくない農家の長男に限定する必要はない。男女を問わず会社がいやになった人、都会がいやになった人、イナカの本当の魅力を理解できる人が農家になれる道を開く事が今一番必要なのではないだろうか。
2003年01月06日
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【特別企画】(2)⑧ 仁尾町にあればいいものをハードでもソフトでも書いて下さい。 デパート・CD店・コンビニなど 26%本屋・図書館 19%その他 56%「デパート、CD店、コンビニ、ゲームセンター、温水プール」そりゃああってもいいけど投下資本を回収できなくてすぐに閉鎖ってことになると思うよ。「本屋、図書館」という希望もかなり多かった。本屋のない町なんて仁尾町ぐらいのものじゃない。本屋がないということは文化がないのと同じでしょうね。図書館なんていうのもほしいわねえ。情緒のある建物にして町民の読んだ蔵書を寄贈してもらい内容を充実すればいいと思うけど。「しっかりした信頼性のある病医院」いまあるのはヤブなの?「植物園」蝶の乱れ飛ぶ植物園なんてのがあれば仁尾町のイメージアップになるでしょうね。「いろんなボランティア活動」文化施設(つたじま、父母海岸、妙見山など)の清掃なんて恒例行事として町民全員でやってもいいわね。「きちんと成功を収められる施設」仁尾町にできた諸施設(何とはいいませんが)の現状を皮肉っているのでしょうか。⑨ 将来どういう町に住みたいですか。 男の子は平均保守的傾向があり「仁尾がいい、ここでいい」という希望が多く、女の子は外に出て活躍したいという外向的希望が多く「東京、大阪、あるいは両端の北海道、沖縄」という希望が多い。中には「アメリカ、ヨーロッパ、アジア等」外国で生活し仕事をしたいという日本にサヨナラ派も結構多い。男性の保守化、女性の積極化、これは日本全体の傾向でしょう。男の子ガンバレとおばさんは言いたい。全体を通しての考察 都市への一極集中が加速化し、その結果生まれた巨大なメガロポリスは金と人と情報を浪費し続けるモンスター、その一方で地方都市にもなれぬただの地方は金と人を中央に貢ぎ、唯一無二の文化・自然という財産を価値を知らぬまま路傍に打ち捨て風化させていく有様、戦後民主主義を不十分のまま理解し自信を失った親たちを横目に、物事の本質をクールに観察し見極めようとしている少年・少女達が少数ではあるがこの仁尾町に生まれつつある気がします。彼・彼女達の芽を摘む事なく「魅力ある町は魅力ある人達のいる町」であることをよく理解し、地域全体で育てていくことが地方を唯一殺さない道であると信じながら、おばさんの報告を終わりたいと思います。後 記 入試を目前に控えた三年生と日夜勉学に励む一・二年生、また諸事に多忙の先生方、当誌のアンケートに快く(快くないかもしれませんが)御協力下さり、スタッフ一同心より感謝申し上げます。
2003年01月05日
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【特別企画】(1)仁尾中学生へのアンケート 担当 子丸野 琴代 「お互いよく理解しあえる為に思春期まっただ中のあなた達に聞きたい。心して答えるように」こんな書き出しで始まるアンケートを二月初旬仁尾中学生を対象に実施しました。 以下その結果報告。① 家族一緒に食事をしますか。② 両親と話す時間は一日どのくらいですか。 一・二・三年男女共に家族と食事をし、一時間程度の会話は両親と交わしている様ね。家族を確認できる貴重な時間、ぜひこれからも大事にしてね。③ あなたが幸せを感じるのはどの様な時ですか。 「家族や友達と話をしたり食事をしたりする時」「ぐっすり眠った時に幸福を感じる」これは大人も中学生も同じでしょうね。女生徒に「お風呂にはいった時」というのが多かった。緊張感が一番ほぐれるのはやっぱりお風呂よねえ、おばさんも納得。「冬の休みの朝、毛布がとってもあったかい時」うーん、わかるなあ。「晴れていて雲が所々にある時」こんな時幸せを感じる、まるで一休禅師みたい。「茶を飲みながら鳥の声を聞いてボーッとしている時」あんたは年寄りか!④ 何のために勉強するのだと思いますか。 「入試のため、就職のため」これが一番(六五%)、しごく当然でしょうかねえ。「社会で役立つため」あんたは偉い。「自分の夢の現実」どんな理想や夢を持っているのでしょう、おばさんはぜひ知りたいわ。「頭の中で今の世界を理解するため」勉強しても理解できないのが大人の世界なのよ。理解できて納得できる社会に君達の力でぜひしてほしい、おばさんも協力はおしみません。⑤ 今の社会で不満に思うことは何でしょう。 誰に聞いてもこう言うであろう、中学生もそうなのです。「政治が悪い」(40%)最悪、最低、最下劣、もっと言いたいけど言うだけ無駄か。「人を差別すること」「頭の程度で高校を分けること」というのも多かった。これも何とかしたい不満の一つですよねえ。「やかましいおばはん」その人の名は、まさか私?「日本人は互いに競争ばかりして働きすぎなところ」耳が痛い人いませんか。「大人が子供の意見を尊重しないこと」少なくともおばさんはちゃんと尊重しますよ。「自然破壊してまで一部の人しかできないゴルフ場をなぜこんなにつくる」それはたぶん土建業者とつるんだ悪徳政治屋が多いからですよ。⑥ 仁尾町は好きですか。好き 理由: 自然などがあるから 42%好き その他の理由 21%嫌い 理由: 田舎で何もないから 30%嫌い その他の理由 8%⑦ 仁尾町で他町に誇れるものがありますか。ある 自然など 32%ある みかん 9%ある その他 18%ない 41% 「海、山、太陽、おっとりした人間」だから好きという人が、それを裏返した「何にもないから嫌い」という人よりかなり多いみたいですね、おばさん嬉しくなりました。「自分が育った町だから」「いっぱい思い出があるから」「おじいちゃんの古い家があるから」そういう気持ちが本当の古里愛なのよねえ。
2003年01月04日
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3日間ゆっくりと休養を取ってしっかりリフレッシュしたtetywest、明日から平常モードでミカンの出荷に励みます。選果場は今日から箱詰めを開始しました。例年のことですが選果場でミカンを選別している従業員の皆さんに缶ビールと缶コーヒーを差し入れるために、今朝部会長と選果場へ出かけました。光センサー選果機になって、以前より従業員は少なくていいというものの、機械は箱に入ってはいけない「生傷」と、開花の時にできた「白傷」を判別することはできません。今年の選果は、いかに「生傷」が箱に入るのを防ぐかに重点が置かれています。それほど生傷の発生が多いということなのですが・・・10時の10分間の休憩時間にちょっとだけ部会長が挨拶をして、差し入れを置いてきました。初市は1月6日ですから、今日は東京行きの荷造りを2,000箱だけやればマル曽の選果は終わります。販売課長の話では2時ころには終わるだろうとのことでした。1階に降りて行くと、そこにはパレットに乗せられたコンテナが山のように積まれて、選果されるのを待っている・・・・はずなのに、がら~んとしています。1階担当のS川君に、「マル曽のミカンはどこにあるの?」と尋ねました。「吹きっ晒しでミカンが傷むといけないので予措庫に入れてあります」と、そちらへ案内してくれました。でも、そちらも倉庫の半分くらいしかありません。「これじゃ、幾らなんでも少なすぎるんじゃないの?」「ええ、少ないです。今日と明日選果したらなくなります。明日から農家の出荷が始まるでしょう」「そりゃそうだけど、tetywestも今日は選果しないから、明日は出ないよ。他の人もあまり慌ててないんじゃないかな・・・今年は収量が少ないし、それに傷も多いから・・・」「ええっ、それは大変だ。途中で(市場へ)出荷するミカンがが足りなくなる」これを聞いてtetywest、午後はミカンの選果をしようかと思ったのですが、帰ったときにはやっぱり止めてしまいました。そんなわけで、明日からは本格的にミカンを選別して出荷しなければなりません。今倉庫の中に入っているミカンを9日までに全部選果して、出荷可能なミカンは10日までに出してしまう予定です。そうなると、HPの日記の更新は出来そうにもありませんが、こんなときには頼りになる助っ人に登場していただきましょう。明日からは、しばらく「ルーヂャ第3号」にお付き合いください。
2003年01月03日
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---------------------皆さん、あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いしますね。---------------------大晦日に中国の友人二人を招待して夕食を食べながら紅白歌合戦を見ていると、電話が鳴りました。広東省の友人の兄さんからです。彼も一年間日本で研修をした経験があります。「弟は大丈夫か心配してます。こちらでは甘い生活(友人の言葉そのまま)をしてましたから・・・」「大丈夫、元気にやっていますよ。今弟さんと替わるからね」しばらく兄弟の会話をして、再びtetywestに替われと言います。中国の近況では、「今は地方政府の改革の真っ最中です。こちらでも半分は他の職場へ移動です。大変です」とのことでした。「もしかしたら、私は4月に広西壮族自治区へ転勤になるかもしれません。あちらで種の会社を創って管理します」それより以前に福建省の友人から届いたe-mailの年賀状には、「今年の工業の成長は30%以上で都市部の成長率は17%、農業は8%、平均で10%の成長でした。近年にない発展です。国営企業は1つだけになりました。中国では今年はミカンが高いです。日本も高いでしょう?」と書かれていました。日本のミカンの価格はイマイチなので、返事に困ってしまいましたが、中国の政治・経済の変革は目を見張るものがあるようです。「これは、どうしても確かめるためにまた中国へ行かなくてはならないなあ」そう思いながらお正月を迎えたtetywest。夜になって、湖北省の友人から、続いて雲南省の友人から新年の挨拶の電話がありました。どちらも「もう収穫は終わりましたか?」と、tetywestの仕事を気遣ってくれました。こんなにいっぱい中国から便りをもらったのは今年が初めてです。ああ~、もうダメ、今年は絶対中国に行くぞ!
2003年01月01日
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