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1月25日(日)1976年昨日から最後のメキシコへと出かけて、土産の革の財布を買ったりしたので70$が飛んで行ってしまった。金って残らないものだ。ファイナル・トリップの見積もりを計算してみたら、約1000$必要という!!!・・・・大変なのだ。そんな金どうやっても出来そうにないのだ。とにかくもうこれ以上何も買うまいと心に決めて、そして何としてもニューヨークへ行くのだと・・・・しかし、それももうどうでもよくなってきたのだ。はっきり言って、特別に行かなくてはいけないという場所はないのだ。このところ、いろいろな問題が片付かないまま時間だけがどんどん過ぎていく気がしている。全てはあと1ヶ月で片付くのだと思えば、これからの1ヶ月は早く過ぎて行くかもしれないことをひたすら祈りつつ、とにかく今日も終わろうとしている。SWIS TIME という腕時計をメキシコで6$50¢で買った。実にインチキっぽくて面白い時計なのだ。F浪君たちも今日ティワナへ行ったそうで、帰りにここへ立ち寄った。金曜日から Dog が一匹ここに住み着いている。ビーグル犬なのだ。この犬はとてもしつけが良くて感心している。今もドアの入り口で眠っている。昨日の朝はヘリコプターでのマイト・スプレイを見学した。もう本音は日本へ帰りたいのだ。金さえあれば・・・それでも、何だかんだと買ったりしているから無くなるのは当たり前だろうな。今月は100$残すつもりだったけれど、やっぱり80$しか残らない。来月はかなり倹約して暮らさなくてはいけませんな。それとも、ここの生活はもう1ヶ月しかないのだから、やりたいことをやるためには金などどんどん使わなくちゃいけないのかも知れない。まあいいや・・・金のことは何とかなるだろう。メキシコへ行くとたくさん金を使うなあ・・・今さらながら感心してしまう。ファイナル・トリップでも後1回は行くと思うし・・・金が残っていればいろいろ買いたいものだね。そういえば、1月18日はリバーサイドでウインストン500(Winston 500)のFirst race があったので観に行ったのだ。ゼッケン21の Peason が優勝だった。今日はそれほど気分がいいわけじゃない。日曜日の夜はいつもそうだけど・・・・ああ、明日から仕事か・・・・・
2006年01月25日
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1月22日(水)1976年夜、コインランドリーで洗濯をするので1週間分の洗濯が約45分でできる。ところで、今日tetywestは洗濯の当番だった。全自動洗濯機がOFFになったので、ドラム缶が回っているようなドライヤーの中へ洗濯物を全部放り込んで乾くのを待っていたのだ。待っている間はヒマなので辺りを見回してみると、夫婦とガキ(1歳半)、メキシカンの姉妹とその子供(2歳半)、独身男性2人(tetywestを除いて)、結婚している20歳前後の女性1人、そして8歳程度の男のガキがひとり・・・・まあ、これだけ居たのだ。退屈しているのは誰も同じだったのだろう、1歳半と思しきガキがtetywestの座っている椅子のところへトコトコとやって来て、舌の回らぬ English で、「めーあーしっだー?」と言うので、「Yes 」と答えたら急になれなれしくなって、いろいろとtetywestに話しかけてくる。まともな English さえよくわからんのに、ガキの話す English がわかる訳もないので、適当に、「フンフン」とか「イヤー」とか「ハハーン」とか受け答えしてやると、相手にしてくれるものだからますます図にのって、「だでー、まむ、なんとかかんとか」と言ってくる。そのうちに椅子の上に這い上がってそこに立ったので、「Drop ! Go down. 」と言うと、「のー、あーきゃー」と言って、椅子から飛んだ。 ビックリしたがほめてやったら、もう一度やると言う。そんな全くたわいのないことをやっていた。tetywestはさっきから気になっていたのだが、8歳くらいのガキが洗濯機の底をしきりに覗きながらグルグルと駆け回っている。目が合ったので笑ってやったら、こいつもトコトコとやって来て、ちっとはまともな英語で、「 I mised my penny なんとかかんとか 」と言う。「 Can you find it ? 」と訊くと、「 No, but I found this. 」と言ってビー玉を見せる。そして又グルグルと覗いて回っている。一周して帰ってきて、隣へ座って首を振って、「 No 」と言い、それから、「 But I found it 」とミニチュア・カーを差し出す。こりゃ1セントよりずっと立派なものを見つけたではないかと思い、笑っていると、「Key, too 」とおっしゃって、ポケットからキーを出して、今度はそのキーがこのコインランドリーのどこかの自動販売機のキーではなかろうかと1つずつトライし始めた。ところが実に、これがウォッシュ・マシーンのコインボックスのキーだったので、そのガキは25¢と10¢玉をジャラジャラと手に持ってにっこりと微笑んだ。――――― と言うのはウソ ―――――そこに又、1歳半のガキが現れて、8歳のガキがtetywestの隣に座っているのが不服らしく、「ドケ!!」と言うような素振りをする。また、8歳のガキも別にそれが当然というような顔で1つ椅子をずらしてやると、満足してそれによじ登り、また、「ふぁ ふぁ にゃ~~~ やらなんとか 」と、わけのわからんことを口走る。適当に返事をしていると、又、「だでー まむ 」と、向こうを指差して、椅子から飛び降りて走って行った。tetywestと8歳のガキは互いに顔を合わせてニッコリ・・・・そんなことをしているうちに、ドライヤーの中に放り込んだ洗濯物が乾いたので、フードバスケットの袋に詰め込んでM森君を待つ。彼はフードバスケットへ食料の買い出しに出かけているのだ。A山君は本日メキシコへと遠征中。そんなわけで、楽しいピンポンパンの時間は終わったのだった。 EIMB (エスコンディッド・イン・ザ・マウンテン・ブロードキャスト)
2006年01月22日
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1月21日(火)1976年昨日の夜、ナイトスクールへ行こうとシャワーを浴びて出てきたら、Mr. 石井がいるではないか!!そして、この部屋(キッチン)だけでなく、ベッドルームまで覗くではないか!そして、こう言うではないか!!「この house はきれいにしようと思えばきれいになるなあ。いい house に住んでるじゃない」と・・・・・しかし、その時床はほこりだらけだし、服はそのへんに散らばり放題で、お世辞にもきれいな部屋ではなかったのだ。「男3人で住んでるとこんなもんだろうな」と慰められた。そして4人で、ちょうどメンツが揃ったのでマージャンをやろうということにはならなかったのだ。そのかわり、みんなでツルタの悪口の言い合いをやった。さすが、農友会(IFA)の職員だけあって、Mr. 石井が一番きついことを言ったので優勝した。「ツル公は・・・・それで怒り出しちゃってよ・・・・・『ツルタさん、もうこんなバカな話止めましょうや。それじゃ切りますよ』・・・てな具合だよ」なんて、国際電話で1時間半話したとか、etc.「ウソで始まりウソで終わる人」なのだそうだよ、「ツル公」は・・・・本部さんも農友会を辞めたそうだ。ツル公に愛想をつかして・・・確かに楽しい半チャン、いや、話し合いだったのだ。
2006年01月21日
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1月19日(日)1976年「今何時?」「10時」「もう10時か・・・早いなあ」「あ、また字間違えちゃった。ちくしょう」tetywest・・・・・ソファーに座ってノートを書いているM森君・・・・・・テーブルの前で project 。もうすぐ30枚だそうだ。A山君・・・・・・夕食を食べたらすぐ bed にもぐり込んで、今見にいったら何やら起き出して来そうな気配だったが、また寝たようだ。北の町では冬は寒い寒いとノートに書いてあるのに、エスコンディッドではまるで夏のような暑さ。先週の金曜日には92度Fを記録した。ここの生活もあと1ヶ月ちょっと。思えばいろんなことがあった1年だった。IFAはまだこの農場に次に誰が入るのか知らせて来ない。少なくとも1人は来るという連絡はあったのだそうだ。今日、Mr. Munemitsu が訊くのには、「石井さんという人はどんな人間かね・・・?」「ボクの考えでは、あの人はどうも信用できないんだがね」「この前も、 letter 書いてくれと言って、どうして書かなかったのと訊いたら、何か、北海道からお客さんが来てて、それで忙しかったからだと言いよったよ」このところ農友会(IFA)のやる気のなさが目立ってきたようだ。◎パスポートのビザの延期の手続きが去年より1ヶ月遅い◎TAXをいくら払わせるのか連絡もない◎ファイナルトリップのバスのチケットも自分で買えと言う。それに今76$のアメリパスは購入不可能。もう売っていない。◎次の実習生が何日に農場に入るのか、引継ぎができるのかどうかも知らせて来ない。(ある情報筋によると2月29日だそうだ)◎外国人住所届の書き方の説明が一切ない。ただ、書かないと罰せられると言うだけ・・・◎いまだに来年の実習生から集める50万円の使い方が不明。それに2グループに分けたからって本当に50万円もの差ができるのだろうか?本年の実習生は飛行機代も自分で払うそうだけど、それじゃ20万円で来る後のグループの飛行機代はどうなるの?◎tetywestが日本へ送った荷物の関税が7000円もかかったそうだ。このへんの送り方とかTAXのかからない方法などをなぜ教えてくれないのだろう!!◎去年の実習生には親切にお土産の買い方までアドバイスしたというのに、本年はサンフランシスコで買えるとただそれだけ!!◎tetywestの Host farm は農友会(IFA)への信頼をゼロにしている。とにかくありゃダメだと言う。もうIFAも長くはないような気がする。本年ほどIFAの組織の矛盾が見えた年はまずなかっただろう。いつまでもIFAを頼りにしていては、結局バカを見るのは Host farm と実習生なのだ。IFAや農友会はアメリカで生活するために利用させてもらう機関でありたい・・・利用されるのではなく・・・tetywestの場合は、IFAとの接触が少なかったせいか、あまり気にせずに1年を過ごせたと思う。それに車を買ったということのメリットはすごく大きなもので、この点でもやはり利用させてもらったと言うべきだろう。このところずっと醒めていて、Bossがどう言おうと、Mr. Munemitsu がいかにIFAを悪く言おうと、tetywestにはもう関係がないことなのだ。どうせあと1ヶ月で去っていくのだ。せいぜいBossたちに話をあわせて、ついでに煽り立ててやればそれでいい。そして何と言っても、もうここの人たちとは関係が切れるというこの気楽さったら、言葉で表現できないくらいだ。いつでも好きなときに出て行けるのだから・・・本年もみかんの値段がよくないそうで、実家ではフーフー言っているそうだ。日本よ、やはりお前はtetywestの故郷だ。IFAも農友会も関係なく過ごした1年だった。どうしてかと言うと、シラケていたからだろう。シラケ始めたのは4ヶ月目くらいだった。車を買ってからは、これがホントのドッチラケ!!実習生は何か?などと考える暇がなかった。単なる労働者と割り切ってからは気分がずっと楽になった。いかにその境地に早く到達できるか・・・それがアメリカ生活を不幸にも、また幸福にもするのではないだろうか・・・・そうして 今日も終わろうとしている。「今何時だ?」「これだと(11時)45分ごろだけど、たぶん30分頃じゃないの?」A山君がベッドでもだえている・・・・それじゃ、おやすみ。
2006年01月19日
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1月16日(金)1976年今日、1週間ぶりに車のオルタネーターが直ったので、ラモナまで車を売る交渉に行った。脈があるようなないような・・・よくわからない返事だった。あまり期待はできそうにないな。Driver's Licence はシアーズの近くのマーケットに落ちていたと、昨日 Maria から電話で教えてもらったので今日取りに行ってきた。よかった・・・ 注目:半年でこの変わりよう!! それはそうと、日記を書くのは久しぶりだなあ。このところ4日間はすごい暑さで、今日など91度F(32.7℃)。そして一向に雨が降らないカラカラの冬なのだ。この半月はあっという間に終わったな。もう仕事も中途半端なのが多くて、今はレモンの若木のプルーニング。その前はドリップパイプの修理とか固定だった。そろそろ日本へ帰りたくなっている。本当に押し迫ったという感じなのだ。Bossは農友会に対してかなり気分を悪くしている様子で、「 Riverside は次の実習生が決まったのに、こっちは何の連絡もないのね」と言っている。Host farmer からあれだけ文句が出るようでは農友会もそろそろ終わりのような気がしてきた。今10時45分、F島君がエスコンディッドへやって来て、M森君たちと入れ違いになったようだ。
2006年01月16日
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1月6日(火)1976年夜中の1時にリバーサイドのBossのロイから電話があり、F浪君たちは夜の温度チェックの仕事。一緒について行く。1:20 Kim のranch 31度F ウインドマシンをONにする。無風1:40 Woodcrest40 30度F ウインドマシンをONにする。無風1:45 Hawkins 34.5度F 無風1:50 Beam 34.5度F 無風2:05 Rivormatt 34度F 微風2:10 Conn 29度F 無風2:15 Willis 33度F 無風2:20 Conn 29度F 無風2:40 Madison の実習生ハウスへ戻った。3:00 Kim のranch 28度F3:50 Kim のranch 30度F4:00 Kim のranch 29.5度F 風が出てきたので温度が上がったようで、向こうのウインド・マシンも停止した。ウインド・マシンは10エーカーで100馬力のエンジン1基。エーカー当り10馬力。高さは30フィート。プロペラは少し下向きに付いている。30度~31度Fで自動的に回り始める。オイル・ヒーター(スマッジ)は27.5度Fで手前の1ラインから点火し始め、少なくとも28度Fにキープするように温度計を見ながら奥のラインへと点火していく。風と温度の関係もあり、この作業は日の出まで続くこともあるのだそうだ。ロイの話では、ウインド・マシンで温度が3度~5度F上がる。シーリング(ウインド・マシン)がない場合はオイル・ヒーター(スマッジ)を焚いても2度F上がればいい方だそうだ。もう少し寒いところだとヘリコプターを使ってfrost protection をやるという。温度が低くなった時間が長いとダメージが大きいが、もし20度Fくらいに下がっても、すぐに28度F以上に回復すればOKなのだそうだ。夜、8時05分リバーサイド発のバスに乗る。Bonsall に着くのは多分10時過ぎだろう。過ぎ去ってしまえば6日間は本当に早い。明日からまた仕事に戻り、エスコンディッドの悩みの中へ帰っていくのかと思うと少々憂鬱だ。あと1ヶ月と20日があっさりと過ぎ去ってくれればいいのにと思うばかりだ。
2006年01月06日
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1月4日(日)1976年Mitsu君と一緒に映画を観に行った。「 3 DAYS OF THE CONDOR 」参照URL:http://www.asahi-net.or.jp/~hj7h-tkhs/jap_review_new/jap_review_condor.html主演:ロバート・レッドフォードフェイ・ダナウェイCIAの不正に主人公がひとりで挑戦するという、なんともわけの解りにくい映画だった。
2006年01月04日
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1月2日(金)1976年夜中にラスベガスへ到着。0時45分から朝の9時30分まで、KENO、SLOT MACINE 、BLACK JACK で遊んだ。カード・ゲームは結構面白くて長い間遊べた。BLACK JACK で15$、KENO で10$くらいもって行かれたけど・・・昨日からの睡眠不足で体が疲れている。それにお金を節約しなければならない。でも、A野君と一緒に行動して面白かった。これから、どうやってあとの4日間を過ごそうかと考えている。1月3日(土)、ウエスト・ハリウッドのRoxy の January Program を確かめに行く。16-17-18DOUG KERSHAW参照URL: http://www.answers.com/topic/doug-kershaw20-21MICHAEL MKPHY23-25STANLEY TURRENTINE参照URL: http://www.cannonballmusic.com/japan/stanley_turrentinej.htm29-31PATTI SMITH参照URL: http://www.bmgjapan.com/_artist/profile.php?id=658だった。夜はリバーサイドへ転がり込む。
2006年01月03日
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12月31日(水)は午後4時に仕事をやめる。6時にリバーサイドへ向け出発。8時40分にパサディナへ向け、リバーサイドを出発。10時10分、パサディナへ到着。11時、Orange st. と Cororado ave. の角へ陣取る。リバーサイドから持ってきたオレンジBOXと板でベンチを作って、その上に座って毛布をかぶって・・・野宿。特別冷えて、明け方は0℃だった。1月1日(木)、8時半にローズ・パレードが始まる。 10時40分に終わる。11時20分にガーデン・グローブへ向けて出発。1時10分にガーデン・グローブのムネミツ氏(一世)の家へ到着。ご馳走を食べる。ローズ・ボウルを観る。23対10でUCLAがオハイオ・ステートを破る。5時半にロス・アンジェルスへ向けて出発。6時15分にグレイハウンドのバス・ステーションでM森君たちと別れる。グレイハウンドのインフォメーションで訊いたところ1週間76$で乗り放題のアメリパスはないというので、さてどうしたものかと思案していると、バッタリとA東君に会う。A野君も一緒なのだそうだ。今からラスベガスへ行くというので付きあうことにする。LA発7時20分。ブラストゥへ9時50分に着く。ラスベガスまでのバス代22$80¢。
2006年01月02日
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今年もよろしくお願い申し上げます昨年夫婦で中国へ行きました。福建省福州市西禅寺の狛犬です。
2006年01月01日
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