《 幸せのひろいかた 》  フェルトアート・カントリー木工 by WOODYPAPA

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2023年01月17日
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1月17日。

僕の誕生日。

誕生日は毎年来るので、この歳でどうこう思うこともないのだが、ある時期から、このけじめの日が、振り返りの場であるより、行く末のぼんやりしたゴールを見据えている気がした。

過去の誕生日については、こんな風に記している。


誕生日


誕生日につき1956年を考える


過去の記事で、若いころの思い出話を書いたこともあるが、さまざまな経験が今の自分を形作る材料になっていることは間違いない。

過去の様々な出来事、巡り合った人々、すべてに感謝。


今年の年賀状はついに一葉になってしまった。

僕の方が書かないからあたりまえだ。

貴重なその主は、学生時代バイトの新聞配達で一緒だったF君だ。

F君は北海道出身で、早稲田大学に通っていた。

彼の年賀状を見るたび、20歳前後の青春時代がよみがえる。

若気の至りで様々なしくじりもしたが、今思うと、あの頃に考えていたことは、とんがって目指していたことは、すべて間違っていた。

”すべて”は言い過ぎだが、根幹となる思考は、甘えの体質から生まれる独善で浮薄なものだった。

20代は結構自分の潜在能力に目覚め、ブイブイかましていた。

と思っていた。

錯覚だった。

手痛いしっぺ返しを食らい、ドーンと落ち込んだ。

30代以降は、水面に浮いたり沈んだり、ばたばた溺れる寸前の毎日で今日まで来た。

濁流の中、水を飲んだり、葉っぱが口に入ったり、もう駄目だと力が抜けてしまったこともあった。

その間に、学んだこと知ったことが、僕の今を支えている。

苦しかった時代に感謝。


F君とは40年以上会ってないし話もしてないので、今再開したらどう見えるだろうか。

すっかり変わったと思うだろうか。

それとも、変わっていないと映るだろうか。

僕の若いころの失敗は、自分を客観視できていなかったことに尽きる。

主体的な視点でしか判断できず、他人を傷つけたり周りを振り回りていた、と考えている。

それをそばで客観的に見ていた人に、どうであったか尋ねてみたい。

会いたいと思うが、北海道は遠いし寒い。




今の自分に目を移すと、ちょっと違う感慨がある。

67歳になってみて、はたと気が付いたことがあったのだ。

それは、僕の父親の享年が68歳だったということ。



父を亡くしたのは、僕が23歳の時。

僕が誕生したときに、父は45歳で、病弱だった父は、この子が二十歳になるまで自分は生きられないと、生むことに反対したと母が言っていた。

我が家には、すでに男子が二人おり、後継ぎ問題は解消していたが、たぶん母親は女の子も欲しかったのだと思う。



結局僕は生まれることになったのだが、もしかしたら僕の二十歳が父のゴールだったのかもしれない。

まったく親孝行も出来ず、申し訳なく思っている。

その僕が来年父と並ぶ。

男子が父を超えるというのは、一つの目標であり、年齢というのはわかりやすい数字化できる指標である。

改めて父とはどんな人間だったのかを思うと、あまりエピソードが出てこない。

僕の記憶にある父は、すでに老人だった。

『サザエさん』でいえば、磯野浪平(54歳)とワカメ(9歳)の関係だ。

(改めて考えると『サザエさん』の家族設定もすごい。)

僕の記憶にある父は、定年後日がな1日テレビを見ている老人だった。


父の思いで


喫茶店でバイトをしていたとき知り合った友人(彼は福岡出身だった)に、「君のお父さんは、動物に例えるとどんな人?」と聞かれたころがあった。

友人は深く考え込むタイプの人間で、あの時も家族に悩みを持っていて、話を振ってきたのかもしれない。

しかしその時の僕は、まだ他人に配慮する能力が欠けていたので、単純に父親の姿を考えて答えた。

「蝉の抜け殻」

この答えを友人はいたく喜び、以後何度となく話題にしていた思い出がある。

今思い返しても、父はそんな人だった。

そして僕は、そんな父のようにはなりたくないと思っていた。


ところが昨今、僕の中で父の評価が変わってきた。

父は文部省の役人だった。

戦争中は樺太で秘書官をしていた。

文部省を退官してからは、天下り先で数年間を過ごした。

そこも退任してからは、家でゴロゴロしているだけだった。

あの頃は60歳を超えて仕事をする人は少なかった。

公務員だったので年金はあるので、働く必要もなかった。

それで家でごろごろするしかなかったわけだ。


父の現役というものを知らなかった。

知ろうともしなかったが、もし僕が父と同じく公務員で定年を迎えて、60歳以降に自由を手に入れていたら、今はどんなに楽しかっただろうかと想像する。

若いころは、定年後の話をする奴はバカだと思っていたが、こっちの方がバカだった。

公務員だって、嫌なこと辛いことはたくさんあるはずだし、そこに学びの場はあるはずだ。

人は何をしたかが問題ではなく、日常の経験を通じて、何を考え学んだかが重要なのだ。

どれだけ稼いだか、どれだけ出世したか、どれだけ名誉を得たか。

煙になってしまう身であれば、もはやどうでもいい。

若い日の目標は、最終的に目標になり得ない空虚な幻想だった。


父は68歳で亡くなったが、残念とも思えない。

その後の母のいきいきぶりがすごかったからだ。

母もそれは言っていた。

姑も風邪で寝込んですぐに亡くなり、父も何回か入退院を繰り返したが、最後はあっけ亡くなくなった。

看病介護の苦労がなかったことを喜んでいたのだ。

写真見合いで、強引に嫁がされた母は、結婚生活を楽しんでいなかったらしい。

父を亡くしてからは好きな裁縫や手芸に励み、ほうぼう旅行もし、人生を楽しんで94歳で天寿を全うした。

生きていても家族にも社会にも貢献できないのなら、いなくなった方が喜ばれることもある。

自然の摂理とは、そういうことだ。

知力・体力・精神力は、老化とともに著しく劣化している。

それを見て見ぬ振りができぬ今日この頃だ。


母の日と認知症


父の享年68歳は、僕にとって一つのポイントであることは間違いない。

自分の親の劣化度を見ていた記憶は、自分にも当てはまってしまう。

ああはなりたくないと思っていた自分が、ああなっていく必定。



来年の今日、僕は何を思うだろう。

案外何も思わず、その日の問題にきゅうきゅうとしているかもしれない。

それがいい。

先を見据えてもたかが知れてるし、過去を飾って考えても恥ずかしい。

毎日湧き上がる問題に向き合って、その日その日をじたばた生きているのが、結局健全な生き方なのかもしれない。





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最終更新日  2023年01月17日 13時27分45秒
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