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2024.05.20
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カテゴリ: 山口県
日本で最初に創建された天神さま(天満宮) 太宰府天満宮 ​と共に日本三大天神の一つに数えられている。 本殿・幣殿・拝殿と春風楼は国の登録有形文化財に登録されている。

御祭神は菅原道真公。相殿神として、天穂日命(アメノホヒノミコト)、武夷鳥命(タケヒナドリノミコト)、野見宿祢を祀る。 菅原道真公は学問の神様として多くの人々に崇敬されており、合格祈願や学業成就の祈願に訪れる人が後を絶たない。他にも家内安全、商売繁昌、縁結びの御利益がある。

菅原道真公は幼少期より学問に優れ、高い学識を持ち、最終的には右大臣に任ぜられる。しかし901年(昌泰4年)、当時左大臣だった藤原時平に無実の罪を着せられ、筑前国(現福岡県)の大宰府に左遷させられる。 その西下の途中、周防国(現山口県)国司である土師氏を頼り、本州最後の寄港地となる防府の勝間の浦に御着船になり「此地未だ帝土を離れず願わくば居をこの所に占めむ」と願い九州へと旅立たれた。 903年(延喜3年)に道真公が薨去されると、勝間の浦に神光が現れ、酒垂山(現天神山)に瑞雲が棚引き人々を驚かせた。 国司や里の人々は道真公の御霊魂が光となり雲となってこの地に戻られたと悟り、"この所"である松崎の地に"居"を建立し、松崎の社と号したのが始まりだと言われている。 これを以って当社は「扶桑官廟最初」として日本最初の天満宮と称される。中世には大内氏や毛利氏の篤い庇護の元、社殿境内が整備され、江戸時代には民衆の天神信仰だけでなく幕末の志士からも崇敬された。 中でも高杉晋作は道真公を人間として厚く崇敬し、その信仰の念は奇兵隊の守護旗に「菅原大神」と記されることからもうかがえる。 1873年(明治6年)に社名を松崎神社に改め、その後1953年(昭和28年)に防府天満宮に改称し現在に至る。

合格祈願、学業成就の神様として学生、受験生、就活生を中心に年間を通して多くの参拝者が訪れ、正月には30万人もの参拝者が訪れている。 2月中旬から3月は ​梅​ の花、3月下旬から4月には が境内を綺麗に彩る。

毎年1月に釿始祭と弓始祭、2月に節分祭と牛替神事、3月末に御正祭、5月に金鮎祭、6月末に御田植祭と夏越神事、8月に御誕辰祭、10月に花神子社参式、11月第4土曜日に御神幸祭が行われ、中でも牛替神事と御神幸祭が有名な行事となっている。 牛替神事は秋の御神幸祭に供奉する神牛をくじ上げする神事で、子牛や金・銀・銅・錫で出来た牛の置物の他、様々な景品が抽選で福運者に授けられる 御神幸祭は別名裸坊祭とも言われ、約500kgの重さがある御綱代を表参道の大石段を喚声や怒号と共に駆け下り、勝間浦の浜まで運んで道真公の御神霊を慰めた後、石段を上って御神座にお還しするという壮大なものとなっている。 また、2月中旬から3月上旬にかけて梅まつりが、3月下旬から4月上旬にかけてさくら咲まつりが行われている。


石大鳥居。参道入り口にある一の鳥居。県指定文化財に指定されている。 1629年(寛永6年)に建立されたもので、県内にある石鳥居の中では最古のもの。


社号碑。


通り松。 古来よりこの地は松の木が沢山自生しており、地名も松崎という。 当社に残っている唯一のクロマツの木で、鳥居の近くにあることから通り松と呼ばれている。


二の鳥居である青銅鳥居。




萩狛犬。1862年(文久2年)に寄進されたもの。 萩の石工が造ったことから萩狛犬と言われ、北野天満宮や太宰府天満宮にも同様のものが建立されている。


酒垂神社。御祭神は水波能売命(ミズハメノカミ)。菅原道真公が鎮まるこの山の中腹には巨岩があり、その岩間からは清水が湧き出ていたという。1195年(建久6年)に俊乗坊重源上人が​ 東大寺 ​の再建の成就は松崎天神の御加護であるとし、社殿の造営を発願。 工事に携わる人たちが湧き出ていた水を飲みながら仕事に励んでいると、いつしか湧き出ていた水が芳香のある酒に変わっていたという。これは社殿造営を喜ぶ道真公の御神威であるものだと人々は驚き、道真公の御神徳を仰いで山を酒垂山、岩を酒垂岩、その岩を祀って祠を造り酒垂神社と称したとされる。 事業繁栄、商売繁昌の神として信仰されている。現在の社殿は2018年(平成30年)に移設されたもの。


楼門前の大石段。御神幸祭の時は、御綱代が怒号や喚声と共にこの石段を駆け下りる。 また、4月下旬から5月上旬までの間は幸せますウィークという行事があり、石段に花を置き文字や絵を描いている。






芳松庵。 菅原道真公は茶に関する故実を調査研究し、庶民にも喫茶の習慣を広められたことから茶聖菅公とも称された。 この茶室は道真公の茶徳を顕彰し、1991年(平成3年)に建立された。秋になると庭園の 紅葉 が美しい。拝観料は500円(お菓子と抹茶付き)。庭園の見学だけなら無料。




暁天楼。かつて存在した宿「藤村屋」の建物の一部で、宿の廃業にあたって天満宮に寄贈され、一度は解体されたが楼の絵図面を元に1984年(昭和59年)に復元した。漬物置き場として使われていたが、実は2階に続く隠し階段があり、上った先に隠し座敷がある。 幕末には高杉晋作、木戸孝允、伊藤博文、山縣有朋、坂本龍馬などの志士が投宿し密議を計ったといい、日本の近代化の一端を担った史跡として伝えられている。




御神木であるクスノキの巨樹。暁天楼の裏側にある。高さ27.5m、幹周5.6m、葉張36m、推定樹齢は800年。


大専坊跡。県指定文化財に指定されている。天満宮創建から明治維新まで境内には9つの社坊があり、一山の総号を酒垂山萬福寺と称した。大専坊その別当に当たる。 毛利元就が大内氏を攻める際に参謀本部を置き、また幕末にはこの地方を警固する諸隊の屯所となった。




手水舎。




楼門。太宰府天満宮の楼門と配色は似ており、両翼から拝殿に繋がるようにして回廊が伸びている。1963年(昭和38年)に再建されたもの。


御神牛。牛が菅原道真公の使いであるとされていることから、全国の天満宮や菅原神社には牛の像が建立されている。 像を触ると、体の痛みが取れると言われている。




社殿。国の登録有形文化財に登録されている。これまでに3度火災に遭っており、現在の社殿は1952年(昭和27年)の火災の後、本殿と拝殿を幣殿で繋ぐ構造とし、回廊、楼門と共に1963年(昭和38年)に再建されたもの。 本殿は入母屋造で、平安時代の様式を取り入れ、北野天満宮や太宰府天満宮の社殿と異なり彩色や彫刻等の装飾を避けているのが特徴。




合格御礼絵馬奉納所。合格御礼詣りで奉納・返納された合格御礼の絵馬、合格はちまき、両目が描かれただるまが沢山見られる。ちなみに賽銭箱前の鈴は大きな筆になっている。


授与所。合格祈願や学業成就の御守りなど様々な授与品があるが、 中でも合格はちまき、御神札、御守り、祈願絵馬、菅公鉛筆がセットになった合格御守が人気。


LOVE神社の碑。家族や恋人、友人、世界中の人々が愛に満ち、幸せであるように願いをこめて建てられたもの。 石碑のデザインは広告・タイポグラフィ制作の第一人者と呼ばれるデザイナー、浅葉克己氏によるもの。


鈴木淳歌碑。作曲家の鈴木淳の弟子で、演歌歌手として活躍した八代亜紀の歌手生活50周年を記念して、2020年(令和2年)に建立された八代亜紀の出世作「なみだ恋」の歌碑。


歴史館(宝物館)。 国の重要文化財や市指定文化財含む500点以上の宝物や古典籍を収蔵している。 拝観料は大人500円、高校生以下は無料。


扶桑菅廟最初の碑。当社が日本で最初の天満宮として904年(延喜4年)に創建され、天満宮に寄せる思いを永代まで人々の心に刻んでほしいという願いの元、1981年(昭和56年)に建立された石碑。

山口県防府市 『防府天満宮②』 ​へ続く



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最終更新日  2024.05.25 21:27:40
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