2005.07.11
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テーマ: 在宅介護(1594)
カテゴリ: 帰国後、介護編
励ましのコメントありがとうございました。
パンダ85kgさんの返事を書こうとして
でもなんか書けなくて
ちゃんと自分の気持ちをまとめたほうがいいなと思って
ここに返事を書かせていただきます。

まずはありがとうございます。
泣けそうなくらいありがたかったです。

高校2年から
父がアルコール依存症で
父の妄想で家がめちゃくちゃでした。
やさしくて子供みたいな父でしたが
母が、父の母の介護を始めたら
マザコンだった父がおかしくなっていったのです。
母は祖母をすごく献身的に介護したと思います。
介護保険なんて制度もなくて
トイレで血を吐いて
英語の教師も家で続けてて
お漏らししたりしたのも笑顔で片付けて
祖母も母を娘のように可愛がっていたし
誰に会っても「娘です」と答えていたおばあちゃんだったから
でも、父の様子が変わっていって
祖母に「なんだそんな足怪我した振りして」とか
「髪が一日で白くなった」とか
暴力を振るうようになり、
家族にも「お前は戦争で死んだんだ」「北朝鮮から来たスパイなんだろう」とか
言うようになりました。
反抗期だった私も、そんなめちゃくちゃな状況に
父に、はむかってコーヒーをぶっかけたり
つかみかかられて、殴ったりしました。

危ないので祖母を伯母さんの所に移しました。
精神病院に連れて行くこともできなくて
依存症の勉強会やカウンセリングに母と二人で通いました。
そこで私は態度を改めることを覚えました。
一緒に酒を飲んでみたり
いろんな話をしてみたりしました。
すると、父も私にだけ態度を変えるようになり
姉や、母に分けわかんないことを言っても
「お父さん、お父さんも本当は分かってるのよね。
 あたしもよく分かったから、今日は寝ようね」と言ったら素直に従ったり、
私が部屋でゲームしているときに怒鳴り声がして
姉と母を追い出して、ひとつひとつ部屋を開けて
何か怒鳴っている声が聞こえたとき、殺されると思いました。
娘だから隠れることなどないと思い、そのままゲームを続けて
父が部屋の戸を開けた瞬間に
「あれ、お父さん、どうしたの?」というと、「いや物音がしたから」と
いつもの父に戻ったりした。

父が、姉を叔父さんと母の子だと妄想し
離婚調停になったので別居することになりましたが
母と「お父さんのことはあきらめちゃうの?」と喧嘩しました。
せめて人間らしく生きてほしいと思い
一人で精神病院や保健所に行きました。
未成年だったので、軽くあしらわれましたが。

その後、別居中の5年前、春に父は死後三日後
近所の人の「3日間電気がつかない」という電話が
母の元に入り、警察と鍵屋を呼んで、
警察が、父を最初に見つけました。
死因は「急性心停止」でした。

別居して父との交流はありませんでした。
バイト先に来た父と喧嘩になったのです。
「どこに住んでいるんだ!」と言われたから。
最後に会ったのは成人式の日に着物を見せに行ったのが最後でした。

もっとできたはずだと今でも思います。
仲のいい家族を見るとなんでうちじゃないんだと思います。

だから今度こそは、どうせ後悔するのだとしても
やれるだけのことをしたいと思うんです。

姉だってやりたくなくてやらないんじゃない
病気だからできないんだと
人ごみが駄目なのも、すぐ疲れちゃうのも
寝ちゃうのも病気なんだって分かってるんです。

でも二人だったら・・って思うと
今まできちんと家事をこなしていた母に
何も言われないくらいできるんじゃないかと

母が明日ヨーコがいないからと
トイレに座っていいかと聞かれて
喜んで車椅子を運んで
トイレに乗せて
楽しく器用にズボンとパンツを下ろして
カーテン閉めて
呼び出し音で母の所へ行って
パンツもズボンも履かせて
車椅子に乗せて
後始末をしている間に
JJからもらったクッションを使って
母用のリフト椅子に座って
スマスマを見ている姉。
洗われていない皿。姉の分だけの皿。
心の中には葛藤があるのだと
妹は分かっているのだけど
小さな声でちょっと寂しげに
「ありがとね」という姉。
皿も片付けてくれて
ちょっと申し訳なさそうに
「先に寝ていい?」「先にお風呂に入っていい?」

私だって姉に何か物をいえるほどできてなくて
韓国の荷物はそのままだし
今日だって、近所の人がご飯を作ってもってきてくれたし。
だけど

「お母さん、お姉ちゃんに何か言ったの?」
「何も言ってないよ」
「なんかちょっと今悔しかったよ~。
 何か言いたいけど、葛藤があるんだろうとは思うんだけどさ」
「信じて待つことも家族には必要なんだよ」

100%はあたしもやってない。
あたしには言う権利はないんだろうってホントは思うんだな。
自分もできない後ろめたさが
また姉への文句に変わるのかもしれない。

耐えるのは苦手じゃないです。
でも忍ぶのは得意じゃない。
私が文句を言って母はどう思ってるんだろうと
ホントは考えたりしなきゃいけないんだろうな。

なんで姉が鬱に
なんで母がALSに
なんでお父さんがいないの?
って
たまにやるせない気持ちになるのは
自分で何とかしなきゃいけないんだよね。

「お姉ちゃん、なんか今日おかしい?」と母。
「うん。でもまあ、先に寝せたらいいっちゃ」
「いいよ。もう寝よっか?」

母の介護ができるってことが
結構幸せだってこと
たまに忘れがちになっているだけなんだろうな。

それをちょっと今日パンダさんの書き込みで
考えさせられたんだと思います。
ありがとう。





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Last updated  2005.07.11 23:48:04
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